溝!

アクセスカウンタ

zoom RSS Baby V.O.X. Revisited ( II )

<<   作成日時 : 2011/12/01 05:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

Babylon Revisited

こうしてBaby V.O.X.というガールズ・グループの歴史を振り返ってみると、そこには、日本デビューに続いて米国へと進出し、さらには全世界の音楽市場に打って出ようとしている、現在の少女時代の姿と、どこか重なる部分があるようにも思えてくる。あの頃にBaby V.O.X.が実に心許ない足取りで恐る恐る歩いていた道を、今や少女時代が超大物アイドル・グループの貫禄を漂わせながらどっしりとした安定感のある足取りで突き進んでいるようにも見えるのである。
ただし、この両者の間に決定的な違いがあるとすれば、それはやはり所属する事務所の大きさということになってくるであろうか。Baby V.O.X.はレコード会社が母体となるDR Musicの所属であり、少女時代の所属する最大手の芸能事務所、SM Entertainmentほどには芸能界で発揮できる政治力も影響力ももっていなかったというのが現実であった。そして、最終的には、その後の韓国国内から活動の幅を広げるために事業を拡大してゆく過程において、この両者の計画遂行の段取りから実行力までの間には様々な差異が目につくようにもなる。このあたりのことになると、所属事務所の規模や資金力という根本的な部分での違いであるため、もはやグループのもつ力量云々ではどうしようもないことなのであろうが。また、海外進出に向けてのマーケティングやプロモーションということに関しては、時代そのものの違いも大きい。Baby V.O.X.の時代と現在とでは、インターネットの普及率と回線速度が決定的に違うのである。ほんの10年にも満たない時間的な差であるのだが、時代は本当に大きく変化した。SNSなどの各種ネットワーク・サーヴィスが発達した現在とそれ以前とでは、情報の伝達に関するスピードやスケールが格段に違う。そうしたツールを巧みに利用できる時代と全く利用できない時代とでは、エンターテインメントの世界は大きく様相を変化させている。また、SM Entertainmentとしても、自社の所属アーティストを含め過去のK-POPアイドルの海外進出における失敗例などから学んでいる部分は、少なからずあるはずである。当時のBaby V.O.X.の活動なども、きっと大いに参照されているに違いない。

Baby V.O.X.というグループは、当時の韓国歌謡界のガールズ・グループの序列においては、常に三番手の存在であった。その眼前には、SM EntertainmentのS.E.S.とDSP MediaのFin.K.Lが、いつもいたのである。歌唱の面でも楽曲やスタイルの面でも、そしてルックスの面でも、全てにおいてトップ・クラスであった、完成度の高い本格派のS.E.S.。天性のスター性を備えたリーダーのイ・ヒョリ(Lee Hyori)中心に常に新たな領域に踏み出し続けていたFin.K.L。この強力な二組のグループと競い合い、そしてその中で生き残ってゆくために、Baby V.O.X.はDR Musicと一丸となって、グループとしての独自の色を出してゆくべく様々な工夫を凝らしてゆくようになる。そんな、本格派やカリスマに対抗するための創意工夫から様々な曲調やスタイルを取り入れた、超ハイブリッドで(ある意味では継ぎ接ぎだらけの)極めてユニークなアイドル歌謡が生み出された。
Baby V.O.X.の初期のアルバムを聴くと、そこには韓国の大衆歌謡から欧米のダンス・ポップやR&B〜ヒップホップ、日本の歌謡曲やTKサウンドなど、かなり雑多な音楽要素が寄木細工状にミックスされているのを確認することができる。また、その歌詞の面でも英語詞が多用されており、現在では極普通のスタイルになりつつある韓国語と英語が入り混じったチャンポン歌唱の原点のような楽曲を確認することも可能だ。おそらく、こうしたBaby V.O.X.の楽曲におけるユニークで自由度の高いサウンドや多言語的な傾向が、S.E.S.やFin.K.Lも及ばぬくらいの海外での非常に高い評価と人気に繋がっていったに違いない。
そして、S.E.S.やFin.K.Lが単なるアイドル・グループの域にとどまらぬ、アーティスト性の高さをも大きく打ち出す姿勢を見せていたのと比較すると、Baby V.O.X.はルックスやスタイルを始めとしてよりポップなアイドル・グループ的フレイヴァーを前面に押し出し、独特の個性を発揮していたようにも思える。これが、ある意味では、韓国の歌謡界において初めてK-POPらしいK-POPの要素を強くにじみ出させる結果にも繋がった。つまり、この当時すでに(極めて今日的な感覚での)K-POPのスタイルを体現していたグループであったのだ。Baby V.O.X.とは、その後の00年代後半のK-POPのスタイルのパイオニアであり、非常に重要な先駆者的ガールズ・グループと位置づけることもできるのではなかろうか。そこには、まさに現在の韓国のアイドル歌謡のひな形を見てとることができる。
さらに興味深いことには、90年代後半の初期のカン・ミヨンの髪型やファッションは、後のモーニング娘。やAKB48のスタイルを完全に先取りしているようにも見えるのである。実際に、そのスタイルが何らかの影響を与えていたり、そのスタイリングに意識的に取り入れられているのかは定かではない。彼女の美的センスそのものが、大きく時代の先を行く先鋭的なアイドル感覚を表現したものであったということであろうか。こうした部分には、カン・ミヨンの表現者としての感覚の異様なまでの鋭さを感じずにはいられない。

S.E.S.やFin.K.Lなど90年代後半にデビューしたガールズ・グループの音楽性に共通していえることは、90年代の米国のR&Bに聴くことができた最先端のサウンドからの影響を強く受けているという点である。これは、一面においては、Baby V.O.X.の楽曲にも当てはまることである。特に活動最後期の04年のアルバム“Ride West”では、思いきりヒップホップ色の濃いサウンドが展開されている。本格的な米国の音楽市場への進出に向けて、より本気なサウンドに取り組んだ結果が、このアルバムであった。ちなみに、このアルバムには、ゲストとしてジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)が参加していたり、後に権利関係の不備によって裁判沙汰にまで発展することになる故2パック(Tupac Shakur)の未発表のフリースタイル・ラップが使用されていたりする。やや気合いが空回りしてしまった部分もあるのだが、韓国のアイドル・グループのアルバムにしては凄まじいまでに破格の内容となっていたのだ。プロダクション面でのゴチャゴチャした部分も含めて、何ともラフで怪し気な雰囲気を醸し出してもいる。そういう意味においては、この“Ride West”は、非常にヒップホップらしいヒップホップ臭をもつアルバムといえるのかも知れない。まさに、歴史的な名盤(迷盤?)だ。
当時、日本においても同様の音楽的な傾向は存在した。ただし、それは歌謡曲という形式の内部でではなく、よりアーティスト性の高い本物志向なスタイルとして追求されていた。この流れは、90年代に沖縄アクターズスクール出身の安室奈美恵(Amuro Namie)やSPEEDのブレイクによって盛り上がりをみせ、90年代最後半の宇多田ヒカル(Utada Hikaru)の出現によってひとつの頂点を迎える。また、S.E.S.は、00年に発表した四作目のアルバム“A Letter From Greenland”に、Misiaのヒット曲“つつみ込むように”を韓国語でカヴァーした“Show Me Your Love”を収録している。
Baby V.O.X.の楽曲においては、変則ビートのR&Bなどとともに、ソー・ソー・デフ・ベース・オール・スターズ(So So Def Bass All Stars)に代表される高速ブレイクビートを取り入れたベース・ミュージックやベース・ポップからの影響が聴き取れるのも、特徴的な傾向である。また、スパイス・ガールズ(Spice Girls)やエターナル(Eternal)などに近いユーロ・ダンス調のR&Bとダンス・ミュージックの中間をゆく路線の楽曲も、Baby V.O.X.が得意としていたスタイルである。さらに、特にバラード調の楽曲においては大衆歌謡的な韓国演歌調のメロディが匂い立っていたりもする。そうした楽曲群が詰め込まれたBaby V.O.X.のアルバムを聴いていると、内と外の音の果敢な融合により実に独特なアイドル歌謡の様式が生み出されていることを、ヒシヒシと実感させられる。Baby V.O.X.の音楽性の思いきり雑多な感じは、本当にユニークというしかない。独特でユニークなポップ音楽としてのK-POPの起源のサウンドを、初期〜中期のBaby V.O.X.のアルバムでは、そこかしこに聴くことができる。

カン・ミヨンはデビューから脱退時までグループのメイン・ヴォーカルというポジションで活躍していたが、その歌唱は、やや音程的に危なっかしく思えるような、微妙にふらつくナチュラルな揺らぎをもつのが特徴である。この15歳の少女のメイン・ヴォーカルへの起用は、グループのオリジナル・メンバーでリード・ヴォーカルを担当していたチャ・ユミ(Cha Yu Mi)が、膝の怪我によって活動できなくなった際に、その穴を埋めたことに由来している。ただ、この怪我を理由にしたユミの離脱は表向きな発表であり、実際にはDR Musicによる解雇であったようだ。どうやら、グループの中心的なメンバーであったキム・イジ、イ・ヒジンとチャ・ユミの間には相当な確執があったようなのだ。その後、ほどなくしてイジとヒジン以外のオリジナル・メンバーであるチャン・ヒョンジョン(Jang Hyun Jung)とチョン・シウン(Jung Shi Woon)も、まるでユミの後を追うようにグループから離脱してしまう(おそらく、こちらも所属事務所による事実上の解雇だったのだろう)。そして、このふたりに代わって二作目のアルバム“Ya Ya Ya”のリリース時にグループに加入したのが、新たなリード・ヴォーカル担当のシム・ウンジン(Shim Eun Jin)と、後に大きな物議を醸すことになるイ・ガイ(Lee Gai)であった。結果的には、この大幅なメンバー交代劇の直後のシングル曲“Ya Ya Ya”が、グループにとっての初のヒット曲となるので、DR Musicとしてはテコ入れに一応成功したことになるのであろう。また、この新たな編成での楽曲においては、カン・ミヨンの常に多少上ずっているような特徴的な歌声が、Baby V.O.X.ならではの独自の色合いや響きを醸し出させるものともなっていた。その微かに湿って粘り気のある声質のコケティッシュな歌唱は、どんな楽曲にも映えて浮き出るようにして目立つものであったのだ。そして、どんな時も決して力み過ぎずに適度な脱力感をたたえており、それでいて見かけによらずかなりの安定感を誇ってもいる。そんなカン・ミヨンのシンガーとしての個性や特性は、かなり唯一無二のものといえそうである。まさに、そのメインのヴォーカルによって、Baby V.O.X.の屋台骨を支え続けていたのである。

また、Baby V.O.X.といえば、K-POP黎明期ならではの珍騒動でも話題になった。それが、98年のメンバー交代の際にグループに加入したイ・ガイの年齢詐称事件である。当時30歳であったガイは、所属事務所のDR Musicに自らの年齢を20歳と偽って申告しタレント契約を結んでいたというのだ。この衝撃の事実が発覚すると、ガイはアルバム“Ya Ya Ya”期の活動に参加したのみで即刻事務所から解雇されてしまう。しかし、10歳も年齢を誤摩化してまでアイドル・グループの一員となろうとするとは凄まじい話である。それは、まだ10代半ばであったカン・ミヨンの約二倍の年齢であったのだから。
このように脱退と新加入が相次ぎ、初期のBaby V.O.X.は、実にメンバーの出入りが激しいグループであった。DR Musicは、この五人組をデビューさせた後にも、グループを完成形へと導くために苦心し続けたようである。そして、この時にイ・ガイに代わってBaby V.O.X.に加入したのが、当時15歳のユン・ウネ(Yoon Eun Hye)であった。DR Musicとしては、15歳のカン・ミヨンの加入がグループの成功の起爆剤となったことを受けて、その戦略を再び繰り返すことを決定したのであろう。すると、この策略が、またしても当たるのである。この可愛らしい永遠の末っ子の加入によって、Baby V.O.X.の五人のメンバーの顔ぶれは遂に落ち着くことになる。さらに、五人のメンバーの編成のバランスがとれたことにより、その人気も安定し、名実共にBaby V.O.X.は韓国の歌謡界においてS.E.S.やFin.K.Lと肩を並べる存在となってゆく。

ただし、この年齢詐称の問題に関しては、現在の感覚で冷静に振り返ってみると、それほど大騒ぎすることではなかったように思えてきたりもする。虚偽の申告による契約は問題外であるが、30歳でアイドル・グループの一員であることは、今では全く有り得ないことではない。喩えていうならば、カン・ミヨンが少女時代のメンバーとして“The Boys”を歌っているようなものである。実際のところ、これはそれほど違和感はないようにも思える。また、アフタースクールのカヒなどは、現実に常にそうした状態で活動を行っているのだ。10歳以上も年下の10代のメンバーとともに、アイドル・グループの一員として大活躍するアラサー世代は、逆にかっこよくもある。最近のK-POPの世界では、30代でアイドルであろうが全くおかしなことではないのである。日本では、国民的アイドル・グループのメンバーが、もうすぐ不惑の40代に突入しようとしていたりする。現在のアイドルをめぐる状況は、日本でも韓国でも高齢化と低年齢化が両極端な形で現れつつあるように思われる。
90年代の後半に15歳のカン・ミヨンとユン・ウネが相次いでBaby V.O.X.に加入し、その少女らしいルックスで爆発的な人気を博すと、韓国の歌謡界にアイドルの低年齢化の波が押し寄せる。そして、その時代の流れに即座に対応するようにSM Entertainmentが送り出したのが、BoAである。00年にアルバム“ID; Peace B”でデビューした時、BoAはまだ13歳の中学生であった。この極めてハイ・レヴェルに歌も踊りもこなす天才少女の出現が、韓国のアイドル低年齢化の流れの決定打となる。そして、その影響をモロに受けたのが、アイドルとしてデビューすることを目指して様々なトレーニングや勉強に励んでいたBoAよりも少し上の当時10代後半から20歳前後の世代の練習生たちであったのだ。時代の急激な変化で、この世代に対する注目度は一気に降下し、事務所の次期デビュー候補の枠からも、いつの間にか外されてしまう。この世代にとって、BoAの出現と大活躍は、この世の終わりに等しいものであったはずである。そして、ここにK-POPのロスジェネ世代が生まれることとなる。
00年代の前半の時点で、このロスジェネ世代は、完全にデビューへの道が閉ざされてしまったかのように見えた。つまり、この世代とは、アフタースクールのカヒやブラウン・アイド・ガールズのナルシャたちのことである(幸運にもBoAよりも早くデビューできていたカン・ミヨンも同世代に属す)。彼女たちは、この低年齢化の動きがおさまり、次の時代の波が訪れるまで水面下でジッと待たなくてはならない運命にあった。だがしかし、その次の波は思いもかけずすぐにやって来たのである。00年代後半の新韓流とK-POPの大ブームという、かつてなかったほどに巨大な波が。そして、このロスジェネ世代のサヴァイヴァーたちは、最後の最後の崖っぷちでデビューへの切符を掴み、歌謡界での成功を見事に手にしたのである。おそらく、彼女たちの成功は、途中で挫折し道半ばで夢を諦めた同世代の元練習生たちの希望の星にも必ずやなっているはずである。

現在、Baby V.O.X.の末っ子であったユン・ウネは、女優として大成している。05年にBaby V.O.X.を脱退した直後からタレントとしてTVの世界で活躍し、その後に女優業へと転向した。ただ、元アイドル歌手という前歴からか、最初はその演技の資質を疑問視する声も多かった。これは、韓国の芸能界における大衆歌謡の世界と映画・ドラマの映像制作の世界の位階の差を如実に表した意見でもある。アイドルと俳優・女優では活躍する世界が全く違うと見られている傾向は非常に根強い。徐々に、そうした偏見やふたつの世界を隔てる壁は崩れつつあるが、大衆芸能としての歌謡というものが、エンターテインメントの世界で不当に卑下される在り方は、文化的な伝統として確かにある。
だがしかし、そうした外野の声をはね返すように、ユン・ウネが出演した「宮〜Love in Palace」や「コーヒープリンス1号店」といったドラマは次々と大ヒットを記録する。そして、ユン・ウネは、一躍TVドラマのラヴ・コメディには欠かせない人気女優のひとりに数えられるまでになるのである。ただ、そうなると、まるで手のひらを返したように元アイドル歌手ではなく完全にドラマ女優という扱いになるのもまた、韓国の芸能の世界の慣しであったりもする。ユン・ウネは、90年代後半にデビューしたガールズ・グループのメンバーのうちで、その後のキャリアにおいて韓国の芸能界で最も成功を収めたひとりだといえる。おそらく、Baby V.O.X.の当時は、可愛らしい末っ子のユン・ウネにそんな未来が待ち構えていることなど、誰も予想だにしなかったであろうが。

画像ユン・ウネが初めて参加したBaby V.O.X.の三作目のアルバム“Come Come Come Baby”(99年)には、“Love and Ecstasy”という楽曲が収録されている。これは、極度にスピード・アップされた高速のブレイクビートによるダンス・チューンである。そんな突っ走るビートに、レイヴ〜トランス的なエレクトロニックなフレーズの意匠が加わり、そこにヌタヌタとしたユーロ・ダンス風の空気感なども加味されて、かなりエキセントリックなサウンドが展開される。そして、Baby V.O.X.によるウィスパー調の浮遊感のあるヴォーカルが、さらなる妖し気な雰囲気をかき立ててゆくのである。そんな、ちょっとワケの分からないことになっている一曲であるのだが、間違いなくいえることは、これはアイドル・グループの歌うアイドル歌謡にしては相当に先鋭的な音だということ。こうした、かなり実験的なアイドル歌謡の楽曲を残していることも、常に音楽的にも果敢に試行錯誤を繰り返していたBaby V.O.X.の特徴のひとつである。
この“Love and Ecstasy”には、今の感覚の耳で聴くと、ダブステップやシカゴのジューク〜フットワークと非常に近い風合いが感じ取れたりもする。ただし、99年の段階でこの音は、少しばかり早すぎた。ある意味では、実に革新的なサウンドを取り入れた楽曲なのだが、Baby V.O.X.の場合には、ちょっとした手違いや勘違いの積み重ねで、こうなってしまっているような雰囲気が強い。80年代前半のシカゴでアシッド・ハウスの奇抜な音が機材の誤った使用法から生まれたように、こうした手違いや勘違いは近代のポピュラー音楽において、非常に重要な意味をもっていたりするので侮りがたいものもあるのだが。もしかすると、この異様なまでの突発性を漂わせるBaby V.O.X.の“Love and Ecstasy”も、現在のダンス・ミュージックとの親和性や連続性の中で今こそ聴き返され評価されるべき楽曲であるのかも知れない。

03年3月、Baby V.O.X.はミニ・アルバム“Go”で、日本の音楽シーンへの進出を果たしている。この02年から03年にかけての時期、Baby V.O.X.は非常に積極的に海外での活動に取り組んでいた。当時、タイを中心とする東南アジア諸国や、中国や台湾の中華圏での人気には絶大なものがあり、Baby V.O.X.の作品はアジア各国でもリリースされていた。そうしたアジアでの活動の一環として、この日本盤が発表されたという経緯がある。結果的には、Baby V.O.X.が発表した日本盤のアルバムは、この一枚のみで終わってしまった。その理由としては、この作品が、高い人気を誇るタイや台湾と同じ程度にはヒットしなかったということが挙げられよう。また、この後にグループの新たな活動のターゲットが、一気にアジアを飛び越して、米国に定められたこともあるだろう。この頃、ちょうど日本ではTVドラマを中心とする韓流ブームが起きていた。いわゆる、「冬ソナ」現象である。だが、アイドル歌謡を中心としたK-POPの波は、まだまだ日本の市場にまで本格的には届いてきてはいなかったのだ。残念ながらBaby V.O.X.の日本語歌唱作品は、この作品のみとなってしまったのだが、カン・ミヨンの脱力系のアンニュイな歌声と、しっとりとした日本語詞の相性が、非常によかっただけに、全くもって惜しいというしかない。できることなら、カン・ミヨンのソロとしてでも再度この“Go”の日本盤をリリースしてもらいたいくらいである。
東南アジアを中心にアジア各国で高い人気を獲得している韓国のアイドル・グループというと、現在ではオレンジ・キャラメル(Orange Caramel)を、その筆頭に挙げることができるだろう。あらためて考えてみると、00年代前半に絶大な人気を誇ったBaby V.O.X.と、このオレンジ・キャラメルの間には、いくつかの共通点が存在しているようにも思われる。そして、その両者の特性が一致するあたりから、アジアの音楽市場で絶対的に支持されるアイドル・ガールズ・グループの形式が、はっきりと浮かび上がってくる。つまり、その第一の前提となるのは、やはり誰の目にも親しみやすく分かりやすい純然たる可愛らしさである。そして、グループの在り方としては、どこまでもアイドルらしいアイドルに徹し、純粋にアイドル的なスタイルを前面に押し出すということに尽きる。特に、そうしたアイドルらしいカタチに対する拘りを感じさせ、メタ・アイドル的な要素を強くもつオレンジ・キャラメルは、極めて意識的にアジアのアイドル市場を席巻している存在だともいえそうである。

後期のBaby V.O.X.は、ある程度の揺るぎない人気を誇っていたアジアから、新たに米国の音楽市場へと目標を設定し直したことに伴い、グループとしてのスタイルやイメージを大きく変化させる時期を迎えることになる。04年に発表された七作目のアルバム“Ride West”は、米国のメインストリームのヒップホップやR&B〜ソウル、ダンス系のサウンドを大幅に導入した、海外進出に対応した音楽性に積極的に取り組む意欲作となっていた。
ただ、そうしたアメリカナイズされた音へと向かうことで、伝統的な韓国の歌謡曲のスタイルと様々なポップ・ミュージックからの影響を融合して形成された独特のK-POPらしさが失われてしまうという怖れがないわけではない。しかし、少し角度を変えて見れば、このK-POPというものが独自の発展の道を歩んできた根幹の部分には、欧米のポップスやダンス・ミュージックのスタイルから学び取ったものがあることは確かであり、そうした音の傾向というのは一種の先祖帰りのように捉えることもできそうである。このように何かの拍子に突発的に影響を受けるものへの傾きと進化の速度や方向性のバランスが変化することで、また新たなK-POPの世界が広がってゆく可能性がないわけでもない。きっと、今後も音楽的にさらなる発展があるとすれば、そうしたこれまでの流れとは少しずれたクロスオーヴァーの地点から、何か全く新しいものが生まれてくるのではなかろうか。それとも、今の流れのまま独自の進化を遂げ続けるK-POPらしさを、どこまでも独自のものとして追求してゆくべきなのであろうか。これは、少しばかり、悩ましい問題ではある。
しかし、Baby V.O.X.の場合には、そのK-POPのアイドル歌謡としての新境地を開拓しようとする強い意気込みが、逆に徒となってしまったのかも知れない。挙げ句の果てには、アルバムのプロダクションの粗雑さを露呈するような裁判沙汰にまで発展する問題なども巻き起こり、これ以降のグループの活動は急速な失速を余儀なくされることとなる。そして、事務所との契約が切れたシム・ウンジンとユン・ウネが、再契約を結ぶことなく相次いでグループを脱退。Baby V.O.X.は、緩やかに崩壊へと向かい始める。
ただ、やはり今から考えると、全ての事の発端はアルバム“Ride West”においてR&B〜ヒップホップ系のヘヴィなビートのサウンドを大胆に導入したことで、それまでの軽やかなダンス・ポップ系のアイドル歌謡の楽曲の雰囲気が大きく失われてしまったことにあったようにも思われる。その重々しさこそが、まさに失速の第一の原因であったのではなかろうか。突然の大きな音の傾向の変化に、初期の頃からのファンがついてこれなくなってしまった部分もあるのだろう。また、時代そのものが、00年代前半の韓流ブーム期から00年代後半の新韓流の動きへと、大きく移り変わってゆく時期に差し掛かってもいた。その変化の季節の中で、97年にデビューしたBaby V.O.X.が、ひと世代前のやや古めかしいガールズ・グループとなっていってしまうことは致し方のないことでもあったのだろう。

11年10月19日、少女時代は通算三作目のアルバム“The Boys”をリリースした。このアルバムは、少女時代にとって初の全世界同時リリース作品にして、Interscopeからの全米デビュー作へと連なる一作である。まさに、日本を始めとするアジア各国での成功を経て、本格的に海外の音楽市場へ進出するためのアルバムなのだ。アルバムからのシングル曲は、80年代末から90年代初頭にニュー・ジャック・スウィングで一世を風靡したテディ・ライリーがプロデュースを手がけたタイトル曲の“The Boys”。太くラウドなビートが重々しくうなりを上げる、実に迫力のある一曲である。また、この楽曲のダンス・パフォーマンスは、これまでの少女時代にはなかったような力強さや逞しさを感じさせるものとなっている。
ただし、その重厚感には、何ともいえない不安をかき立てられたりもするのである。どうしても、これと非常に似通った状況下でリリースされたBaby V.O.X.のアルバム“Ride West”や、そこに収録されていた“Xcstasy”や“Play”といた楽曲のことが、思わず脳裏をかすめてしまうのだ。
しかしながら、ここ数年の間にK-POPというものを取り巻く状況は、マクロな面でもミクロな面でも大きく変化してきている。ひと世代前のK-POPアイドルであるBaby V.O.X.が、海外進出や全米デビューを目論んでいた頃とは、時の流れを感じずにはいられないことも確かにある。韓国から世界へ、アジアから世界への距離は、非常に近づいているのだ。それに、今の新韓流やK-POPのブームに、強烈な追い風が吹いていることも間違いないところである。そうした状況や環境だけでも、少し前の時代とは大きな違いであろう。

また、かつてはアジアのローカルなポップ・ミュージックの一部でしかなかったK-POPというものの受け止められ方も大きく変化した。11年10月、S.E.S.の中心メンバーであったパダ(Bada)は、主演ミュージカル「美女はつらいの」の日本公演のために来日し、朝日新聞の取材を受けている。そのインタヴュー記事の中で、当時S.E.S.として日本のTV番組に出演することに対し、非常に高い壁を感じていたことを述懐している。日本の芸能界では韓国の女性アイドル・グループは、とても物珍しいものという扱いを受け、韓国の歌謡界でもわざわざ日本にまで出向いて行って活動することに対して、あまり周囲の理解は得られなかったようである。ほんの約10年ほど前のことだが、まだまだその頃にはK-POPと日本の間には、少しばかり距離があったのだ。まさに、隔世の感ありである。
このミュージカル「美女はつらいの」の日本公演は、主役をパダとKARAのギュリ(Park Gyuri)がダブル・キャストで務めていることでも話題である。いわゆる、新旧のトップ・アイドルの競演が日本の地で実現しているわけである。ギュリの歌唱やダンスには、パダやFin.K.Lのイ・ヒョリなどに憧れて芸能の世界に足を踏み入れたことが、実によくわかる雰囲気が色濃くある。また、パダとギュリの澄んだ伸びやかな声質は、とても近いものなのだ。そんなどこか似通ったふたりが、ともにミュージカルの主演を務めていることは、非常に微笑ましい出来事であると同時に、確実に時代と世代を越えてK-POPアイドルの魂のようなものが継承されていっていることを実感させられるものでもある。

ここ数年、韓国のアイドル歌謡における表現の方法も、かなり変化してきている。約10年前の歌謡界で活躍していたガールズ・グループと比較すると、現在のK-POPブームの真っ直中でひしめき合うガールズ・グループの楽曲やパフォーマンスにおける表現は、より自由で大胆になり、伝統や形式にもとらわれなくなりつつあるようだ。ただし、厳しい倫理観をもつ文化の下で規制されてしまう部分も、確かにあるのだが。そことの折り合いをつけながら、既成の概念を少しずつ切り崩してゆくところもまた、新たな時代を象徴するK-POP文化の醍醐味となっているのではなかろうか。外の世界に向けて解放され始めた韓国の女性の凄まじいまでのパワーを、昨今のK-POPのガールズ・グループの勢いにも感じ取ることができる。そして、彼女たちは、そうした新時代のアイドル歌謡の表現に自信を抱いてゆくとともに、さらに決して媚びることのない強さや逞しさを身につけてもゆく。新曲“The Boys”での少女時代は、もはや愛想笑いのひとつさえも見せはしない。21世紀とは、強く逞しいアジアの女性が本格的に世界を動かしてゆく時代になるのかも知れない。
今、K-POPは、韓国の歌謡曲の伝統や文化としての大衆歌謡の香りを残しつつ、独自の独特な進化を遂げてきたサウンドで、より大きな音楽マーケットに打って出ようとしている。そして、間違いなく、その隆盛とは、S.E.S.やFin.K.L、Baby V.O.X.といった先達たちが、何もなかった時代からコツコツと積み重ねてきたものの上に築き上げられているのである。少女時代の全米デビューにしてみても、実は非常に大きなものを背負った一歩なのだ。そして、その一歩一歩の歩みが、新たなアジアから世界への架け橋の礎ともなってゆく。10年代のK-POPが、様々な変化の中で、いかに新たな時代を切り拓いてゆくのか、これからの動きにも大いに注目してゆきたいところである。(11年)

追記
11年11月23日に掲載されたAllkpopの特集記事、Way Back Wednesdayにおいて、Baby V.O.X.の偉大な足跡と功績が回顧されている。この記事の内容と、かなりジャストなタイミングで重なったことに、最初は少しばかり驚かされた。しかし、最近の韓国歌謡界に復帰したカン・ミヨンの活躍などを考えれば、当然の動きだと思える部分は確かにある。
11月21日にリリースされたエイ・ピンク(A Pink)のセカンド・ミニ・アルバム“Snow Pink”からのシングル曲“My My”には、往年のS.E.S.やFin.K.Lの楽曲を思わせる雰囲気があり、その王道のアイドル歌謡路線が大きな評判となってもいる。さらにいえば、非常に爽やかかつ清楚で軽快なアイドル・ポップ曲である、この“My My”の間奏部分は、いきなりビート感が変化し、ヒップホップ・ダンスを差し挟むパートとなっているのだ。この楽曲の展開は、明らかにBaby V.O.X.のヒット曲“Ya Ya Ya”の様式を忠実になぞったもののように聴こえなくもない。
今、90年代後半にデビューしたアイドル・グループに対して、これまでになく熱い注目が集まっているようにも感じられる。単なるアイドル歌謡の懐メロとしてではなく、現在のK-POPへと連なるある種のルーツとして聴き返されている側面などもありそうだ。どうやら、10年代初頭の歌謡界に、第一世代のK-POPガールズ・グループのリヴァイヴァルと再評価の大波が、本格的に訪れようとしているようなのである。これまで、常にS.E.S.やFin.K.Lの大きな影に隠れて、あまり正当に再評価されることのなかったBaby V.O.X.の過去の作品にも再び脚光があたることは、非常に喜ばしいことだといえる。‡

I - II

Tweet?

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
Baby V.O.X. Revisited ( II ) 溝!/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる