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Kimberley Chen: Kimberley

2012/05/13 11:00
陳芳語 (Kimberley Chen): Kimberley

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台湾を拠点に活動するキンバリー・チェン(Kimberley Chen)のデビュー・アルバム“Kimberley”。キンバリーは、今年の5月23日で18歳になる、すでに今年の歌謡界を代表する超大型新人として話題のアイドル歌手である。いや、もはやアイドルというよりも、ひとりのシンガーとして大いにその活躍が期待されている新星といった方がよいのかも知れない。それくらいに、このデビュー・アルバムには、何かただならぬ雰囲気が、濃密に漂っている。特に、何かが突出してすごいというわけではない。全体的に非常にレヴェルが高いから。そして、そのどこまでも自然体で肩の力の入っていない余裕綽々な佇まいには、何ともいえない凄みのようなものが感じられたりもするのである。

アルバムは、4月27日に台湾のSony Music(台灣索尼音樂)よりリリースされた。プロの歌手としてのデビューの地は台湾となったが、この若き才能あふれるシンガーにとって、その活躍の場が台湾だけにとどまらぬことは、すでにこのデビュー・アルバム発表の時点から目に見えている節もある。その証拠に、すでにSony Musicは台湾だけでなくアジア圏の全体で、この大型新人歌手のプロモーションを猛烈な勢いで展開している。こうした動きには、新しいアジアを代表するアイドル歌手、もしくは新たなアジアの歌姫の誕生を予感させるものすらある。このデビュー・アルバム“Kimberley”は、そんな新たな時代を切り拓く、まだ10代の若きシンガーの登場を、まざまざと感じさせるような一枚でもあるのだ。

すでに台湾の音楽シーンのみならず、東アジアの各国で大きな注目を集める作品となっている、このアルバム。ただし、それには、それだけの理由がある。キンバリー・チェンは、まだやっと18歳になるという若さでありながら、その歌手/エンターテインナーとしてのキャリアには、すでに10年以上にも及ぶものがあったりする。また、その抜きん出た実力やタレント性も、これまでに立った数多くの舞台などでのパフォーマンスを通じて、申し分ないほど十分にあることがすでに実証されているのである。この本格的なデビューの前から、歌や踊りや演技に才能を発揮するキンバリーの名は台湾だけでなく、上海や香港などでもかなり知られたものであった。ゆえに、このアルバムが、東アジアの中華圏において超大型新人の待望のデビュー作という非常に熱烈な迎えられ方をしてもいるのである。

キンバリー・チェンは、94年5月23日にオーストラリア南東部の大都市、メルボルンで生まれた。そして、彼女は、このメルボルンにおいて幼少期を過ごしている。また、彼女が、初めて人前で歌ったのも、この街においてであった。
おそらく両親ともに中国系の家庭に生まれ育ったのだと思われるが、後にエンターテインメントの世界で活躍することになる彼女にとっては、このメルボルンという都市の英語圏の社会と文化の中で幼い頃を過ごしたことは、非常に大きなプラスになっているのではなかろうか。家庭内で接する中国語と自らのルーツである中国の文化、そして家庭の外の世界で接することになる英語と英国の影響を今なお色濃くもつオーストラリアの文化。幼少期から自然と異文化に対して開かれた認識や価値観を育むことのできる環境にあったことは、この全てがグローバルに越境し光速で行き交う時代に必要な多様性というものを受け入れる心性や精神性を養うという意味でも、必ずや今に繋がるものが大いにあったはずである。また、もちろん言語的な面でも、中国語と英語の両方に身近に触れて育ったことで、マルチリンガルなパーソナリティを培えたことは、21世紀のシンガーに最も要求される国境やボーダーを越えてその歌声を届けることのできる資質や才能を身につけるうえで大いなる助けになっているはずである。キンバリーというシンガーのもつ天性のスケールの大きさは、こうした生まれながらに越境する環境に置かれていた彼女の出自からきているものと思われる。

キンバリー・チェンのプロフィールによると、彼女は4歳の頃から歌のトレーニングを受けていたという。最初は、家庭内での父親によるレッスンであったようだが、この時点ですでに彼女の歌の力量が相当な物であったのか、すぐに当時のメルボルンの交響楽団でタクトを振っていたウラジミール・ヴァイス(Vladimir Vais)に師事することになる。ヴァイスは、ボリショイ劇場の指揮者を11年間に渡ってつとめた世界的に活躍するマエストロである。いきなり、まだ小学校にも行っていないような小さな子供が、こんな大物指揮者の元で音楽の勉強をできるようになるなんて、かなり異例中の異例といえるのではなかろうか。やはり、このキンバリーという子は、小さい頃からちょっとタダモノではなかったようだ。

また、キンバリーは、この頃にはすでにメルボルン市街の街頭やクラブにおいて実際に歌い始めていたという。繁華街のど真ん中でのバスキングや定期的に催されるチャリティ・コンサートに出演し、集めたお金を寄付するなど子供ながらに積極的にチャリティ活動に参加していたようである。こうした活動も、やはり最初は父親からの導きを受けて開始したようだ。しかし、99年にオーストラリアにとっては最も隣国のインドネシアと東ティモールの間に起きた、東ティモールの独立をめぐる紛争の際には、当時まだ5歳であったキンバリーは率先して街角に立って歌い、東ティモールの難民救済のための多額の寄付を行ったという記録が残っている。
また、03年にメルボルンの王室子供病院への寄付を募るチャンネル7のチャリティTV番組「Good Friday Appeal」に当時まだ8歳であったキンバリーが出演した際の映像は、現在もYouTubeで見ることができる(http://youtu.be/aWMvL8mB0p0)。この番組では、彼女はスーパー・キッズ・バスカーとして紹介されているが、その歌とステージ・パフォーマンスは、すでにプロの歌手も顔負けな堂々たるものである。これを見て、やはり最初に思い浮かぶのは、“東京キッド”を歌い踊る幼少期の美空ひばりの姿である。ここでのキンバリーと美空に共通している点は、子供ながらに非常に完成度の高いレヴェルにある並外れた歌唱力とパフォーマーとしてのタレント性である。

ただし、キンバリーは、その大人びた歌の才能とは別に、子供らしい可愛らしさのある容姿の面でも大きな注目を集めていた。メルボルンを拠点にキッズ・モデルとして活動する傍ら、TVのCMなどにも度々出演していたようだ。当時の中華圏を中心にアジア地区で広く放映されていたマクドナルドのTVCMには、幼き日のモデル時代の彼女の姿を確認できるようである
また、03年からは、当時Nine Networkで放送されていた人気ゲーム番組「The Price is Right」に、子供モデルとして約二年半に渡ってレギュラー出演し、お茶の間の小さな人気者としても親しまれていた。

そして、この「The Price is Right」にレギュラー出演していた11歳の時にキンバリーの歌手キャリアにとって、早くもひとつの大きな転機が訪れることになる。05年7月からキンバリー・チェンは、メルボルンの由緒あるリージェント・シアターで上演されていたディズニー・ミュージカル「The Lion King」にヤングナラ役で出演することになったのである。世界的に人気のあるミュージカルの役柄であるので、このキャストに選ばれるには非常に厳しいオーディションをパスしなくてはならなかったはずである。キンバリーは、この難関を突破して、見事に大役を勤め上げたのだ。
すると、ここでの熱演が高い評価を受け、その翌年の06年夏には上海のグランド・シアター(上海大劇院)で上演される「The Lion King」にも、彼女はキャストの一員として招かれることになる。そして、この公演期間中にミュージカルのキャストの中にとびきり歌の上手い中国系の少女がいることが次第に巷の話題となってゆく。これがTVのニュース番組のトピックや情報番組で相次いで取り上げられたことでキンバリーの知名度は、さらに高まってゆくことになった。そして、この頃から彼女はミュージカルの出演の合間をぬって、上海のTV局のヴァラエティ番組や音楽番組などに頻繁に出演するようになる。
こうして上海でもお茶の間の小さな人気者となったキンバリーは、グランド・シアターでのミュージカル「The Lion King」が終幕した後も、そのままその地にしばらく滞在し、歌って踊れる子供タレントとしてTVの世界で活躍を続けていた。わずか12歳でありながら、すでにキンバリーはメルボルンと上海を拠点に、エンターテインナーとしてのグローバルな活躍を開始していたのである。

さらに、キンバリーが13歳となる年に、ふたつ目の大きな転機が訪れることになる。この時、彼女はメルボルンでも上海でもなく、エンターテインメント業界の中心地、ニューヨークにいた。この街で彼女は、08年の4月から11月にかけての約半年間を、韓国の人気プロデューサー、パク・ジニョン(Park Jin Young)が率いる芸能事務所、JYP Entertainmentの練習生として過ごすことになる。おそらく、キンバリーの上海での目覚ましい活躍ぶりに目をつけたJYPが、将来の韓国〜アジアでのデビューを見越して、事務所の練習生としてニューヨークへと音楽留学させたのではなかろうか。
10年の夏に四人組ガールズ・グループ、Miss Aの一員としてデビューした、JYP Entertainmentの秘蔵っ子であるミン(Min)ことイ・ミニョン(Lee Min Young)も、残念ながら実現することのなかった米国でのデビューの準備のために、これとほぼ同時期にニューヨークで練習生としてトレーニングを重ねていた可能性が高い。もしかするとキンバリーとミンは、ニューヨークでともにJYP Entertainmentの練習生として顔見知りであったのかも知れない。ミンは、キンバリーよりも三つほど年長となる。
また、Miss Aというグループは、韓国人のミンとスジ(Suji)と、中国人のフェイ(Fei)とジア(Jia)からなる多国籍なメンバー構成の、韓国国内だけでなく東アジア全体での活動を見据えた展開を念頭に置いて結成されたアイドル・グループでもある。これを考えると、中国系オーストラリア人であるキンバリーが、そのままJYP Entertainmentの練習生としてリハーサルを続けていた場合、こうした韓国のガールズ・グループの一員としてデビューしていた可能性は相当に高かったのではなかろうか。しかしながら、彼女はほどなくして(おそらくは自らの意思で、約半年の音楽留学期間の後に)JYP Entertainmentから離脱することになる。
この時、14歳となっていたキンバリー・チェンは、そのままエンターテインメントの聖地であるニューヨークに残り、より本格的な指導者を求めてシンガー兼女優として活躍するヨランダ・ワインズの門を叩いている。このワインズに師事したキンバリーは、09年の6月までの約半年間をみっちりと歌と踊りと演技の稽古に費やすことになる。また、このニューヨーク滞在時にキンバリーは、数多くのR&Bヒットを生み出してきたゴードン・チェンバース(Gordon Chambers)とバリー・イーストモンド(Barry Eastmond)の黄金コンビとともにスタジオ入りし、楽曲のレコーディングを行っていることが伝えられているが、その詳細はいまだに明らかにされてはいない。いつの日か、まだデビュー前の15歳の頃の初々しいキンバリーの幻の録音物が、どこからか発掘されて日の目を見ることがあったりするのかも知れない。

そして、10年の春を迎える頃には、15歳になったキンバリー・チェンは台湾にいた。約一年間のニューヨークでの音楽修行を終えてアジアへと戻った彼女は、ここでCTVにおいて放送されていた新人発掘公開オーディション番組「One Million Star」に参加していたのである。ここでも、並み居る喉自慢のオーディション参加者たちに紛れて、まだ10代半ばのあどけなさの残る少女が次々とラウンドを勝ち抜いてゆく姿が、視聴者たちの間ですぐに大きな話題となる。
しかし、結果として好成績を収めたもののキンバリーは、この番組で最後まで勝ち残ることができなかった。これには、やはり彼女が番組で英語の楽曲ばかりを歌い、全く中国語の歌を歌わなかったことに最も大きな要因があったように思われる。台湾の番組であるにも拘らず、中国語(国語)で一曲も歌わないのは、やはり致命的であったとしか言いようがない。おそらく、オーストラリア育ちである彼女にとって、公開オーディションという場で正確な中国語の発音が求められる歌唱を行うことは、非常に大きなネックとなっていたのではなかろうか。
現在、YouTubeにおいて、この番組に出演した際のキンバリーの映像をいくつか見ることができる。そこでは、ウィットニー・ヒューストン(Whitney Houston)やケリー・クラークソン(Kelly Clarkson)の楽曲を、15歳とは思えぬ大人っぽさで歌いあげる姿がしっかりと記録されている。その現在よりも、ややぽっちゃりとした印象のルックスは、どこか韓国の四人組ガールズ・グループ、2NE1のパク・ボム(Park Bom)を思わせる雰囲気がある。
しかし、このTV番組「One Million Star」への出演がきっかけで、キンバリーの並外れたタレント性は台湾のSony Musicの目に留まることとなった。そして、この大手レコード会社との間に本格的なアーティストとしてのデビューへの契約が交わされることになる。

僅か4歳の頃から路上やTV番組、そしてミュージカルの舞台などで、ずっと歌い続けてきたキンバリー・チェンの待望のデビュー・アルバムが、この“Kimberley”である。おそらく、本人にとってもプロのシンガーとなることは小さな頃からの夢であったであろうから、これは本当に待ちに待ったアルバム・デビューなのではなかろうか。メルボルンから始まり上海、ニューヨーク、台湾と、長い武者修行の旅は続いたが、18歳にして、遂にこの天才少女の大きな夢は、まずひとつ叶えられたのである。

アルバムの1曲目は、キンバリーのデビュー曲でもある“愛你”。タイトルを英訳すると“Love You”となる。この楽曲は、韓国のアイドル・グループ、SS501のメンバー、パク・ジョンミン(Park Jung Min)が出演する、台湾のCTVにて放送中の人気ドラマ「翻糖花園」のエンディング・テーマ曲としてすでに幅広く親しまれている。シンプルでストレートなロック調のラヴ・バラード。キンバリーの伸びやかな歌唱と色彩感豊かに変化するヴォーカルのうま味をたっぷりと堪能できる楽曲である。

2曲目は、“星際旅行”。このタイトルにある“星際旅行”とは、文字通りにスター・トレックのことである。この楽曲には、台湾のパイワン族という少数民族出身の人気歌手、プリンセス・アイ(Princess Ai)ことダイ・アイリン(戴愛玲)が、ゲスト・シンガーとして参加している。いきなり強力な助っ人の登場で、キンバリーのデビュー・アルバムはさらに華やかさを増してくる。このゆるやかなノリの四つ打ちポップ・ロック曲では、キンバリーの小気味よくも可愛らしいラップをふんだんに聴くことができる。プリンセスとの絡みも、なかなかの相性のよさだ。アイリン姉さんに優しく見守られながら、内面から溢れ出てくるような若さを存分に炸裂させる可愛い妹といった感じであろうか。キンバリーの澄んだ伸びやかな歌声が、広大なる宇宙空間に響き渡る。

3曲目は、“Satellite”。心躍るようなスター・トレッキングを経て、キンバリーを乗せた宇宙船は、とある衛星に到着した。懐かしのトリップ・ホップ的な浮遊感のあるエレクトロニックなサウンドをまとったR&Bポップ。スウィートなハーモニーの海で、様々な表情をもつ多彩なヴォーカルが自由に泳ぎ回る。しかし、決して一辺倒になることのないキンバリーの豊かで懐の深い歌唱の表現力には、本当に恐れ入る。そこには、これからやっと18歳になろうとする女の子の歌とは、到底思えないものがある。まだデビュー作であるはずなのに、実に深い歌だ。

4曲目は、“Wonderland”。ここは、21世紀初頭という時代を心の故郷とする、現在の10代の若者たちにとっての楽園。Googleで検索し、YouTubeからあらゆる情報を吸収する、スマートフォンを片手に、ソーシャル・ネットワークの人間関係と現実世界を行き来しつつ生きる、いわゆるS世代の若者たち。彼らは、かつてSFの世界で夢想されていたような近未来のライフ・スタイルを複合的かつ多層的に生きている。そこは、完全なる異空間であり、全く新しい人間の在り方が追求された新時代の楽園でもある。キンバリーたちの世代は、そんな世界を彼女たちのワンダーランドとして目一杯に楽しみ遊び尽くしながら生きているのだ。楽曲は、ユルくトランシーなハウス調のエレクトロニック・ポップ。全世界のS世代の若者たちに、今すぐこの楽園に飛び込んでくることを呼びかけるような歌となっている。

5曲目は、“沒有辦法沒有你”。タイトルは、“あなたなしでは生きられない”というような意味である。ピアノの演奏をバックにした、胸を締め付けるようなメロディが歌われるバラード。トリップ・ホップ的なピートにのせて、情感の高まりとともにキンバリーの非常にディープな歌唱が次々と溢れ出してくる。このあたりの感じは、もはやヴェテランのソウル歌手のようだ。本当に、この子はまだ10代なのだろうか。

6曲目は、“不可以沒有我”。タイトルは、“私たちは私抜きでは成り立たない”というような意味であろうか。明らかに、5曲目の“沒有辦法沒有你”と対になっている一曲である。つまり、私たちはふたりでひとつということ。なかなかにディープなラヴ・ソングである。中華風のオリエンタルな滑らかにうねる旋律に粗いヒップホップ・ソウル風のビート、そして浮遊感のある電子音のアトモスフェアといった要素を融合した、ドリーミーなミッドテンポ・バラード。しっとりとした横ノリの歌唱のあちらこちらで、キンバリーの持ち味のひとつである熱いR&B魂が噴出する。

7曲目は、“Friday”。ここでは、21世紀初頭の現実/仮想現実世界を生きるS世代の若者たちが眺める週末の景色が歌われる。そこでは、情報が行き交い、人が行き交い、感情が行き交う。光速で。眩いばかりの煌めきを放ちながら。前世紀にはダンスフロアや広いリヴィングルームで開かれていたパーティは、今ではスマートフォンをもつ掌の中やPCのディスプレイの前でも開かれている。全世界に網の目の如く張り巡らされたネットワークで繋がる金曜日の夜の巨大なパーティ。サウンドは、昔懐かしいニュー・ジャック・スウィングと四つ打ちエレクトロの融合。S世代の若者らしい、とても軽やかな情感の動きを表現したキンバリーの歌唱が、実に瑞々しい一曲である。

8曲目は、“Nike Air”。おそらく説明するほどでもないと思われるが、“Nike Air”とは、ナイキ社が開発した空気のクッション=エア・バッグをソールの内部に埋め込んだ、着地時の地面との衝撃を靴底が吸収する軽く動きやすいスニーカーの名称である。80年代に人気に爆発的に火がつき、現在でもファッショナブルなスポーツ・シューズの定番となっている。ここでは、そんなナイキのスニーカーを履いて軽快に街を闊歩する10代の少女たちのしなやかかつ力強い内面性が、高らかに歌い上げられる。繊細なピアノの調べをベースにしたエモーショナルなR&Bバラード。グローバルに繋がるS世代らしく、愛の告白の言葉は日本語を含む様々な言語で歌われる。ただ、この楽曲でのキンバリーの歌声は、かなり鼻声っぽい。これは、何か意図したものなのであろうか。

9曲目は、“GPS”。このタイトルの“GPS”とは、グローバル・ポジショニング・システムの略。宇宙空間の人工衛星(“Satellite”)を利用して地球上のどの位置でも位置情報を測定することのできる全地球測位システムのことである。この機能は、スマートフォン、携帯電話、カー・ナヴィゲーションなどに搭載されており、現在では普通に誰もが街中を歩く際やドライヴに出かける際に利用するサーヴィスとなっている。ここでは、まるで衛星からの測位システムの電波が途切れてしまったかのように繋がらなくなってしまったS世代の恋人たちの気持ちのすれ違いが、淡く霞むようなピアノの伴奏に乗せて、しっとりと歌われる。キンバリーの切ない歌唱が光る。

10曲目は、“So Good”。この楽曲は、人気ドラマ「翻糖花園」の挿入歌となっている一曲である。かなり正統派のエレクトロ・ポップの流れを汲んでいるサウンドが、現代的な電子音のコーティングをを施されてキラキラと煌めく。キンバリーのヴォーカルも、S世代のグローバルな愛と共感を讃えるかのように溌剌と瑞々しい弾けっぷりをみせる。また、この楽曲中には、いくつかの60年代的なキーワードを聴き取ることができる。これは、この10年代に再び愛の夏が訪れることを予言するものなのであろうか。確かに、今の時代に最も必要なものは、あの頃と全く同じで、溢れかえるほどの愛と平和であったりするのだが。

アルバムのラストを飾る11曲目は、“Never Change”。アコースティック・ギターの調べをバックに歌われる、アルバム中でも最もシンプルで、最もソウルフルで、最も真っ直ぐに突き刺さってくる楽曲だ。作詞は、キンバリー本人が担当している。ありのままの彼女の思いが綴られている楽曲といってよいだろう。その歌は、初心をいつまでも忘れずに、キンバリー・チェンという歌手の本質を変えることなく、大いなる未来へと羽ばたいてゆこうとする、静かな決意表明のようにも聴くことができる。非常にシンプルだが、深く熱い一曲である。

キンバリー・チェンのファースト・アルバムは、全体的に10代のアイドル歌手のデビュー・アルバムというよりも、かなり本格的なヴォーカル・アルバムとなっている。曲調も、エレクトリックなダンス・ナンバーからしっとりめのピアノ・バラード、そしてアコースティック調の切々と歌い込まれる楽曲まで、とても幅広い。まさに、どんな楽曲でも見事に歌いこなすキンバリーのオールマイティなヴォーカルの魅力を、アルバム全体を通じてたっぷりと味わうことのできる一枚となっているのである。
しかし、アルバムの所々には、10代の少女らしいキュートさを前面に押し出したアイドル歌謡的な要素も聴くことができる。おそらく、そうした部分こそが、レコード会社としてキンバリー・チェンという10代の新人歌手を大々的に売り出す際に練っていた第一次的な戦略の名残りなのではなかろうか。アルバムのジャケット写真の雰囲気などにも、そういった趣きのようなものは微かにだが感じ取れる。だが、そうしたレコード会社の思惑のようなものは、少しばかり現実とはズレてしまっていたようだ。キンバリーの歌は、もはやアイドル歌手の枠だけに収まりきるようなものでは全くなかったのである。彼女は、僅か4歳の頃から長年に渡り本格的なトレーニングを積んできた、かなりしっかりと歌える歌手なのだ。そこらのアイドルとは、やはり年季が違う。よって、そんなキンバリーがひとたび歌えば、そうした下地や資質の部分がどうしてもにじみ出てきてしまうのは仕方のないことなのであろう。

また、このアルバム中には、94年生まれのキンバリーが属しているS世代の世代感を強く意識し、それを前面に押し出している楽曲が非常に多い。この作品を聴くには、そのあたりのスマートフォンとソーシャル・ネットワークに代表されるSなツールを使いこなし、グローバルな繋がりの中で青春を謳歌する新世代の世代感覚のようなものを、ある程度理解していたほうがよさそうである。
S世代とは、諸説様々あるが、年代的には現在の10代後半から20代の若者のことをいうようだ。ちょうど、20世紀末の80年代後半から90年代にかけて誕生した世代である。日本でいうと、いわゆるバブル崩壊以降の失われた20年が、そのこれまでの人生そのものという(バブル崩壊以前の日本を知る者から見ると非常に不幸な/絶望の国の幸福な)若者たちだ。また、世界的にみても、この世代の若者たちは、90年代後半のアジア通貨危機や00年代後半の世界金融危機といった比較的大きな沈み込みを、いくつか立て続けに経験してきている。だが、やはりアジアのS世代は、とりわけ非常にタフな時代を生きてきたことになるであろう(ただし、中国だけは全く別の意味でタフな時代となっていたのだが)。ただ、それだからこそ、彼らは彼らなりの強かさを身につけてもいる。世紀をまたいでテロ事件や戦争・紛争、そして経済危機が続いた時代に生まれ育ってきたことで、これまでのどの世代にはなかったような、厳しい時代を生き抜く感覚が、自然と備わるようにもなったのであろう。S世代とは、グローバルな資本主義経済の浮沈に翻弄される世界で強く逞しく育った、この時代に最も適応している世代でもあるのだ。その特徴は、多様な形の人と人との繋がりを大切にするという点にもよく表れている。まさに、スマートフォンとソーシャル・ネットワーク、ツイッターやフェイスブックを巧みに使いこなし、賢く逞しくサヴァイヴしてゆく世代なのである。

キンバリー・チェンは、そんなS世代を代表するアジア発の本格派のアイドル歌手として、世界的な舞台へと大きく羽ばたいてゆく資質を十二分にもっている。あらゆる情報がグローバルな広がりの中で交錯し、全てがグローバルに繋がり連鎖している時代。そこで求められるのは、やはり新しい時代の担い手であるS世代の歌手によるS世代の言葉で歌われるS世代のための歌であることは間違いない。そして、それこそが、きっとここで聴くことのできるような広さと深さをもつ歌なのであろう。
今や時代は、グローバル化する情報と商品の流れを受けて、アジアを拠点に世界的に活躍するアイドル歌手の登場を待ち望んでいるかのように思える。現時点では、海外での評価の高い少女時代(Girls' Generation)やパフューム(Perfume)あたりが、その位置に最も近い存在であるのかも知れない。また、S世代を代表する逸材としては、93年生まれのきゃりーぱみゅぱみゅ(kyarypamyupamyu)という完全に突き抜けたポップ・アイコンがいることも忘れてはならないだろう。しかし、アジアの歌姫としてグローバルに通用するシンガーという意味では、このキンバリー・チェンが、やはり最右翼なのではなかろうか。
天才少女として4歳の頃から歌い続けてきたキンバリーだけに、その歌唱力にはかなり絶対的なものがある。そのことは、本作を通して聴けば誰の耳にも明らかであろう。ただ、あまりにも成熟した歌唱が所々に顔を出してしまい、ちょっと18歳の新人アイドル歌手が歌っているとは俄には信じられない瞬間が多々あったりもするのだが。
これまでアジアの歌手の前には、常に言葉の壁というものが、世界へと飛び出す手前に高く立ちはだかっていた。ただし、こうした壁は、S世代の感覚では最初から極めて低いものである。幼い頃からインターネット環境に親しんでいた世代だけに、多言語でコミュニケートすることは、もはや日常の一部分となっているのである。また、幼少期から音楽の勉強と修行、そしてミュージカル公演のために、洋の東西を行き来していたキンバリーにとっては、英語圏も中国語圏も、いずれも彼女のテリトリーであることに違いはないのである。それを証明するかのように、このデビュー・アルバムは、英語での歌唱曲と中国語での歌唱曲が、ほぼ半々の構成となっている。それが、実に当たり前のことであるかのように。

遅かれ早かれS世代の時代は訪れるだろう。その先陣をきって、ここに遂にデビューを果たしたキンバリー・チェンが、21世紀のアイドル歌手の新しいひな形を作り出してゆこうとしている。この記念すべきファースト・アルバムは、その最初の一歩である。彼女のしっかりと肝の据わった歌唱からは、何か大いなる可能性のようなものが感じ取れはしないであろうか。まだ18歳ながらも歌い手としての10年以上のキャリアをもつ、キンバリー・チェン。土台は、これ以上ないほどに堅固である。あとは、アジアから世界に向けて飛び立つだけだ。その飛翔のための翼の準備も整いつつある。今こそグローバリズムの潮流を飛び越えて、まだ見ぬ対岸を目指して羽ばたくときだ。キンバリー・チェンとは、そんな大いなる期待を寄せたくなる素晴らしいシンガーなのである。(12年)

(追記)
ただし、このアルバムにひとつだけ重大な欠点があるとすれば、いくつかの楽曲でキンバリーの歌声がひどい鼻声のように聴こえるという点が挙げられるだろうか。おそらく、この春のリリースに向けて、いくら温暖な台湾といえども冬の最も寒い時期にレコーディングが行われたのであろう。しかし、歌入れの際に主役の歌手が風邪気味であったら、再レコーディングをしてもよさそうなものなのだが。それほどまでに時間的に余裕のない制作作業であったということなのか。もしくは、ここに収録されているものが、最もベストな症状の軽いテイクだったということか。やや理解に苦しむものがある。次回の作品では、万全の状態でのキンバリーの歌唱をばっちりと記録してもらいたいものだ。‡

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真野恵里菜: More Friends Over

2012/04/30 02:00
真野恵里菜: More Friends Over

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女性アイドル集団、ハロー!プロジェクト(総合プロデューサーは、つんく♂)に所属する、現在唯一の女性ソロ歌手である真野恵里菜(Erina Mano)の通算三枚目のアルバム“More Friends Over”。アルバムのリリース日は、12年3月28日。前作のアルバムからは、約一年四ヶ月ぶりの作品となる。
デビュー以来、毎年一作ずつアルバムをリリースしてきていたが、昨年の11年は初めてアルバム・リリースのない一年となった。その少しばかり通常よりも間が空いた、この三作目“More Friends Over”と前作のリリースの合間の期間に、真野は人生の大きな節目となる20歳の誕生日(11年4月11日、ちょうど東日本大震災の一ヶ月後である)を迎えている。このことは、やはり本作を聴くうえで重要なファクターとなると思われる。アルバム“More Friends Over”は、20歳になり、成人し大人になった真野恵里菜がリリースする初めてのアルバムなのである。

真野恵里菜は、04年にハロー!プロジェクトに新設された研修生/練習生の組織であるハロプロエッグのオーディションに参加し、06年にその第二期メンバーとなってアイドル歌手としての第一歩を踏み出した。この当時、真野はまだ15歳であった。その後、約一年九ヶ月にも及ぶ研修期間を経て、08年6月29日にデビュー・シングル“マノピアノ”を発表する。まずはインディーズからのスタートとなったが、ここにハロプロエッグ出身の初の女性ソロ・アイドル歌手が誕生したことになる。
そして、インディーズ発のシングルを計三枚リリースした後に、09年3月18日にシングル“乙女の祈り”で遂にメジャー・デビューを果たした。このデビュー作は、オリコンの週間シングル・チャートで5位にランク・インし、これまで真野が発表したシングルのチャート結果としては最高位の記録となっている。アルバムは、デビューした年の09年12月16日にファースト・アルバム“Friends”を、その翌年の10年11月24日に二作目の“More Friends”と、これまでコンスタントに発表を重ねてきた。また、シングルは、これまでにインディーズ時代の三枚とメジャー・デビュー後の十一枚で、合計して十四枚をリリースしている。

ハロプロエッグに第二期メンバーとして加入した真野であるが、実はモーニング娘。の所属するハロー!プロジェクトが、アイドル予備軍の小中学生を育成する研修生制度を本格的に立ち上げた、04年の第一回目のハロプロエッグ・オーディションにも参加していたことが知られている。しかし、この時には合格した32人の枠の中に残ることはなかった。つまり、13歳の時点では真野は落選しているのである。ちなみに、この第一期のメンバーには、後にスマイレージ(S/mileage)となる和田彩花、福田花音、前田憂佳、小川紗季の四名、そしてTHE ポッシボー(The Possible)の六名などが含まれていた。
しかし、そう簡単にアイドル歌手となる夢を諦めきれなかった真野は、その約二年後の06年に開催された第二回目のエッグ・オーディションに再挑戦するという形で、念願のハロー!プロジェクトの研修生となるチャンスを掴み取ることになる。いわゆる、敗者復活でようやく勝ち上がってきた子だったのである。真野が研修生の第二期メンバーとしてハロプロエッグに合流したのは、最初のオーディションで合格した第一期のメンバーが活動を開始してから約二年後の06年6月のことであった。
そのハロプロエッグ内で、その時すでに中心的な存在となって活躍していたのが、前述した後にスマイレージやTHE ポッシボーとなる第一期のメンバーたちである。そうしたメンバーは、当時15歳であった真野よりも少し下の学年の中学生や小学校高学年の女の子ばかりであったが、やはり約二年に及ぶ研修生としての経験の差は大きかったようだ。よって、エッグのメンバーに合流した直後の敗者復活組の真野には、なかなか大きな活動の場は与えられなかった。
だが、天性の資質と吸収の早さが幸いしたのであろうか、研修生としての真野はエッグ内において急成長をみせてゆくことになる。第二期のメンバーとしてハロプロエッグの活動に合流して約一年が経った、07年の半ば頃からメキメキと頭角を現しはじめたのだ。そして、08年の3月には早くも研修生としての研修期間を終えて、ハロプロエッグを卒業することが決定する。この卒業は、その後のソロ歌手としてのデビューを見据えたものであった。
それまでにも、有原栞菜の℃-uteへの加入や、THE ポッシボーの本格的な活動開始に伴う移動といった、ハロプロエッグ第一期メンバーの卒業という動きはいくつかあった。しかし、ソロ・デビューを控えた卒業というのは、この真野のケースが初めてであったのだ。敗者復活で研修生となり、やや遅咲きなところもあった真野であったが、ここで一気にハロプロエッグの出世頭へと転じたのである。
ただし、こうした大きな決定が、根が真面目な真野にとって、逆に相当なプレッシャーとなったであろうことは容易に想像がつく。ハロプロエッグから誕生した初のソロ・アイドル歌手として、後に続くであろう研修生たちを引っ張ってゆくような存在とならなくてはならないのだから。元々は敗者復活組であった真野が、いつしかエッグ世代を代表するエースとしての活躍を期待されるようになっていた。また、そんなエッグ世代のエースとしてだけでなく、自分よりも下の学年の小学生や中学生の研修生たちの模範となるお姉さん的な存在としても、真野がたったひとりで受け止めていた重責は、相当なものがあったはずである。
09年、ハロプロエッグの第一期メンバーのエース格として活躍していた四名が選抜され、スマイレージが結成される。真野にとっても、この和田、福田、前田、小川からなる、新しいハロプロエッグ出身のグループの登場は、非常に喜ばしいことであったはずである。敗者復活組の第二期メンバーでありながら、研修生としては先輩にあたる第一期メンバーよりも一足先にソロ・デビューを果たしていたことに対する、精神的なプレッシャーもこれでようやく少しは軽減されたのではなかろうか。
かつての真野と同様にインディーズよりデビューしたスマイレージは、09年から10年にかけての活動開始当初、常に真野のシングル曲のMVに登場し、バック・ダンサーとして客演している。メジャー・デビューを果たす前のスマイレージが、初めてアイドル歌謡界の公の場に姿を現したのが、同じエッグ出身の盟友である真野のMVであったのだ。アイドル歌手としては先輩にあたる真野による新人グループ、スマイレージのフック・アップという、実にハロー!プロジェクトらしい世代を跨いだ密接な繋がりの形が、ここに生じていたことになる。第二期メンバーの真野が、第一期メンバーの花形であった四人のグループの知名度向上のためにひと肌脱ぐなんて、なんとも微笑ましい光景ではないだろうか。

三作目のアルバムとなるアルバム“More Friends Over”は、少しばかり変化した真野のソロ・アイドル歌手としての表情を感じ取れる作品となっている。その、これまでとは少しばかり違っている顔とは、昔ながらのアイドル歌手らしいアイドル歌手の顔といえるであろうか。元々、真野は、デビュー以来ずっと清楚なルックスと可愛らしいキャラクターから形作られる、常にアイドル歌手らしいアイドル歌手ではあった。だが、そんな真野のアイドル歌手らしさが、この三作目のアルバムにおいて、より深まってきているようにも感じられるのである。そして、まさに、そこに垣間見れてくるのが、昔ながらのアイドル歌手らしさなのである。
どこか、現代的なアイドル歌手像といった枠の中から思いきり突き抜けて、その元々のアイドル歌手らしいアイドル歌手な部分を深めていった結果、真野は、かなりレトロなスタイルをもつアイドル歌手へと精製されてきているように思われる。そのような感覚とともに、この三作目のアルバムを聴いてゆくと、全体的に昭和歌謡に近い、とても懐かしい雰囲気が漂っているようにも感じられてくるのである。
これは、やはり真野ならではのソロ・アイドル歌手としての個性を表出させ磨いていった末に獲得された、独特のレトロ感といえるものなのであろう。そこには、真野の可愛らしいキャラクターだからこそ生み出すことのできた、嫌味のないエグみが間違いなくある。いや、わざと嫌味のあるエグみを抽出させているような部分もあるのだが、そのあたりは真野がもつ天性の朗らかさで上手いこと中和されている(ような形になっている)のである。メジャー・デビューから約三年が経過し、ソロ・アイドル歌手としての真野の表現力にも、それだけの積み重ねに見合う分だけの味わいが増してきているということなのであろう。

このアルバムの特徴的な部分としては、曲間の各所にインタールード的なやや寸劇めいたお喋りのパートが差し挟まれていることを、まず挙げることができるだろう。おそらく、この企画は、誰にとっても本アルバム中で最も大きな引っ掛かりとなる部分なのではなかろうか。そこでは、突然登場するミチコと名乗る天の声の女性を進行役に、真野の素顔を垣間見せるような小ネタがあれこれと展開される。この真野とミチコの絡みが、どうも寸劇めいた妙なぎこちなさのあるやり取りともなっているのである。実際に、スタジオで何の事前の打ち合わせもなく収録されたものであるのかも知れないが、それによって逆に真野のもつエグいほどにアイドルらしいアイドル性が強く前面に出てしまったような面は多分にある。このお嬢さんは、何をしてもあまりにも普通に可愛らしいキャラクターを表出させてしまう傾向があるのである。
ここで真野は、進行役のミチコに促されるままに、動物の鳴き真似や様々な擬音、ナレーションに挑戦させられ、マニアックな野球クイズには素っ頓狂な回答をしてみせる。その素の喋りは、とても可愛らしく、まだまだかなり幼さを感じさせる雰囲気を残していたりもする。昨年、20歳になったばかりなのだから、少しぐらいまだ子供っぽい部分があったとしても決しておかしくはないのだろうが。しかし、その可愛らしさや幼い素顔が、どうにもアイドル的なものとして何か作られているような印象を与えてしまうことは確かであろう。それぐらいに、真野のもつアイドル性というのは、極めて純粋でちょっとばかし出来過ぎなほどに出来過ぎなのである。そして、つまるところ、そここそが妙に鼻につくような嫌味のあるエグみとして感じられてしまう部分であったりもするのだ。

今回のアルバムにおける“進行はミチコ”シリーズに至る伏線のようなものは、10年の11月に発表された二作目のアルバム“More Friends”の中にしっかりと確認することができる。ここには、今回のアルバムにあるようなお喋りインタールードは収録されていない。だがしかし、少なからずそれに繋がるような実験的な楽曲が制作されていたのである。アルバムの8曲目に“堕天使 エリー”という楽曲が収録されている。これこそが、“進行はミチコ”シリーズの直接の伏線となっていると考えられる問題の一曲なのである。
まず、その楽曲のイントロでは、いつもの真野らしいしっとりとしたアイドル歌謡然とした導入部の歌メロが一節だけ歌われる。そして、一転してハードなロックへと切り替わったサウンドをバックに、真野がハードボイルドな雰囲気のラジオ・ドラマを思わせるひとり語りを開始する。基本的に喋るときも少しトーンの高い女の子らしい声であるので、この町から町へと流れ歩き夜の世界に生きる堕天使エリーに扮した語りは、あまりにもそのキャラクターとのギャップがあり、ほとんど役柄になりきれていない部分もある。まあ、そこが制作側の狙いでもあるのだろう。やや実験的でお遊び要素も色濃い楽曲であるので、真野のもつ素の部分の面白さやキャラクターとしてのコミカルさを引き出せれば、この企画は成功したこととなる。
すると、そこに突然ヴォイス・チェンジャーによって漫画ちっくに変調を施された天の声が現れて、堕天使エリーこと真野に真剣勝負を挑むのである。しかし、真剣勝負とはいっても、その内容は、質の悪い意地悪クイズやただの無茶振りであり、実に素直で生真面目なタイプの真野は、ただただ天の声に翻弄されタジタジとなってしまう。この、ちっとも堕天使エリーらしさを貫徹できていない、素の部分を露呈させた真野の可愛らしさを堪能するのが、この楽曲の第一の聴き所なのである。ただ、実際に楽曲という体裁となっているため、度重なる天の声との真剣勝負の対戦の合間には、堕天使エリーこと真野によるクールなサビのパートの歌唱が差し挟まれてはいる。このあたりは、やはり堕天使エリーとしての歌唱と常に天の声にけちょんけちょんにされてしまう素顔の真野のギャップを、より明確に浮き立たせ、そこに萌えさせようという仕掛けなのであろう。
ここに登場する天の声が、実はぞなーぞ君なのではないかという噂があるのだが、今のところ真偽のほどは定かではない。

アルバム中に語りやお喋りのパートを作るという様式は、80年代のアイドル黄金時代から作品の制作者側によって好んで使われてきた手法のひとつである。アイドルが楽曲を通じて歌いかけるだけでなく、アルバムの曲間やシングルのB面などを利用して直接にリスナーに対して話しかけることにより、そこに一対一の対面による(幻想の)関係性が生み出され、アイドルとリスナーの間の親密な空気を作り出すことができる。そして、その作品を通じて形成されたアイドルとファンの間の強い結びつきは、その後のアイドルの活動を後押ししてゆく強力な支えの束ともなってゆくのだ。
ここで、そんな80年代アイドルの親密感を演出するお喋りがフィーチュアされた作品を、一例として紹介しておきたい。日本のアイドル歌謡でありながらガラージ・クラシックでもある名曲“Sun Shower”を歌った島田奈美(Nami Shimada)が、87年に発表したミニ・アルバムに“Via Air Mail”という作品がある。この作品は、そのタイトル通りに島田からファンのリスナーに宛てて出された国際郵便というコンセプトのミニ・アルバムとなっているのだ。
ここでの島田は、遠い異国であるイギリスをひとりで旅行(勿論、実際はそれらしく収録した疑似旅行である)している。そして、その収録曲の曲間には島田の語りによる声の便りが差し挟まれており、ミニ・アルバムを聴き進めてゆくことで島田のロンドン市街の散策をともに追体験できるという仕掛けだ。アイドルである島田の案内でまだ見ぬロンドンの街をめぐる聴取体験は、アイドルとリスナーの間の距離を縮めさせ、そこに(幻想の)親密な結びつきを形成するであろう。そして、それぞれのファンは、そこにアイドルとしての島田ではないイギリスをひとり旅する素顔の島田を聴き取り、さらに島田の偶像化を補完させてゆくことになるのである。

そうした80年代アイドルへのオマージュめいた部分を色濃く漂わせていた(特に初期の)モーニング娘。にも、こうした語りや(寸劇めいた)お喋りを大胆にフィーチュアした作品が存在している。それが、00年3月に発表されたモーニング娘。にとっての通算三枚目のアルバム“3rd LOVEパラダイス”である。モーニング娘。全盛期の代表的なヒット曲“LOVEマシーン”や“恋のダンスサイト”を収録したアルバムが、そのような古典的な様式のアイドルがリスナーに親密に語りかけるスタイルのお喋りアルバムであったことは、かなり象徴的な事例であるようにも思えるのだ。
ハロー!プロジェクトの総合プロデューサーであるつんく♂は、世代的には80年代のアイドル黄金時代に少年期から青年期のど真ん中を過ごした年代にあたる。松田聖子や中森明菜からおニャン子クラブまでの当時のアイドル歌手の数多のヒット曲やアルバム作品から吸収したものも決して少なくはないはずだ。そうした80年代アイドルや洋楽ロックなどからの影響を吟味して凝縮し、ハロプロのスタイルに再編集して展開していたのが、彼の手がけるモーニング娘。という希有なアイドル・グループであったのである。
そんな20世紀末の日本のアイドル歌謡を総決算したような側面をもっていたモーニング娘。に、遂に“LOVEマシーン”というほとんど社会現象にまでなる大ヒット曲が生まれ、最初期のテレ東ローカルなマイナー・アイドル時代から脱却し、それぞれのメンバーの顔が見え、個性が際立ってきた時期に満を持して企画制作されたのが、このアルバム“3rd LOVEパラダイス”であった。ここでは、モーニング娘。のメンバーがリスナーであるファンとともに一日を過ごすというコンセプトが採用されている。よって、アルバムは“おはよう”で始まり、“おやすみ”で終わる。
まず、清々しい朝の目覚めや朝の情景についてが朗読調に語られ、ラストには、就寝にまつわることや夢についての話がナレーターの森本レオの質問に回答する形でほぼ素のままのお喋りで収録されている。その途中には、昼食時の“レバニラ炒め”にまつわる小コントや、原宿に6時に待ち合わせをする寸劇などが、ちょこちょこと差し挟まれている。この当時のモーニング娘。のメンバーの語りやお喋りは、おそらくこうした形での録音をするのが初めての経験だったということもあるのであろうが、相当にぎこちない。ただ、そうしたぎこちなさが、極めてリアルにモーニング娘。というグループの独特なアイドル像を表しているようで、リスナーのファンには好意的に受け止められたであろうことは想像に難くないのだが。
TV番組での公開オーディションによって生み出された素人の女の子の集団であったアイドル・グループが、急激にスターダムへと駆け上がってゆく過程で、最初期から応援し続けていた古参のファンたちは、少しずつモーニング娘。を手の届かない存在のように思い始めてしまっていたかも知れない。しかし、このアルバム“3rd LOVEパラダイス”におけるメンバーの語りやお喋りが、モーニング娘。とファン/リスナーの間の距離の近さを再確認させ、その親密な関係性を繋ぎ止める役割を果たしたという部分も確実にあったのではなかろうか。

真野の場合は、これまでにも多くの楽曲の中で曲中のお喋りや突然の語りという手法を、かなり効果的に使用してきている。おそらく、それが最初に登場したのは、09年発表のファースト・アルバム“Friends”の11曲目に収録されていた“おやすみなさい”のラストにおける、可愛らしいおやすみの挨拶であったのではなかろうか。このあたり、完全にモーニング娘。からの流れを継承しているのが、とても興味深い。
ただ、そうした語りや台詞を盛り込む傾向が、ここ最近は、ほとんど定番化してきてもいる。つまり、真野の語りやお喋りは、直接リスナーと一対一で向き合うという形での親密性を構築するものというだけでなく、もはやお約束の個人芸や一発芸的なものとしても機能し始めているのである。
その声には、何度聴いても新鮮に耳に飛び込んでくる、とても不思議な魅力がある。それは、巧みに台詞を読むことのできる天性の資質によるものであろうか、もしくは、やや蓄膿気味な声質のインパクトなのだろうか。とにかく、真野の語りやお喋りには、何ともいえぬ特別な味があるのである。そして、それを巧みに楽曲の中に織り込んでゆくことで、その作品は真野の楽曲ならではの味わいをもつようにもなる。
真野の非常に素直で真っ直ぐなキャラクターは、ただ普通にしているだけでもアイドル的な品行方正さを醸し出してしまうものである。その淑やかな佇まいには、今どき珍しいくらいに真っ当な深窓の令嬢っぽさもある。そんな真野に、個性的な味をもつ語りやお喋りを作品中で行わせることで、そんな素の部分を目に見える形で表に出させ、今どきの感覚からすると少々異質でもある天性のアイドル性を含有したパーソナリティをさらに際立たせようということであろうか。まさに、24時間そのままの真野でいるだけでもアイドルになりきれてしまうであろう特別な人格が、そこにある。真野恵里菜とは、かなり天然モノのアイドル歌手なのである。

アルバム“More Friends Over”のオープニングを飾るのは、いきなりちょっとしたドラマ仕立ての楽曲“純情警察 K・I・S・S”である。ここでの真野は、純情警察の婦警に扮して、思わせぶりだったり突然に暴走したりと全く思うままにならない気になる異性のハートを追いかけて、真夜中の大捕物帳を繰り広げる。レトロなビート・ロック歌謡風の曲調に、溌剌と弾ける伸びやかな歌唱が炸裂する、アルバムの幕開けを飾るに相応しい一曲だといえる。そして、間奏では、ちょっぴり純情すぎるほどに純情な純情警察の婦警さんとしての台詞をきっちりと決めてくれている。

2曲目は、“Glory days”。こちらは、疾走感のあるトランス調のポップ・ロック・サウンドにのせて歌われる、清々しくも甘酸っぱい青春讃歌である。出会いと別れを繰り返し、ただただ行き過ぎてゆくようにみえる幾つもの季節。だが、いつの日か、そのすべては輝かしき栄光の日々となるであろう。その季節を振り返って、キラキラとした人生のひとときを遠く眩しい輝きに目を細めながら、人はそれを青春と呼ぶ。まだ、昨年の春に20歳になったばかりの真野であるが、早くももう戻ってくることのない輝かしき10代の日々や学生時代についての歌を歌い始めている。それだけ、青春時代とは貴重な日々だということなのであろう。真野の凛とした歌声が、素晴らしい一曲である。

3曲目は、“青春のセレナーデ”。この楽曲は、11年1月に発表されたシングルのタイトル曲。ここでも真野は、溌剌と楽しげに弾けるような歌唱で青春の歌を歌いあげる。その妙に甲高い歌声で情熱的に歌い込まれるのは、淡く脆く儚い若き日の恋愛感情や恋に恋する乙女心である。ただし、いつまでもそこで夢見ている少女のままではいられない。どこかの瞬間で決断して、自らの脚で歩み出さなければ。そして、そこから本当の永遠の青春が始まるのである。この楽曲でも、間奏で男の子と女の子のオーディエンスに呼びかける形での疑似ライヴ風の真野によるノリノリの語りかけがフィーチュアされている。また、曲中に登場する「シャランラ、シャランラ」というコーラスのフレーズは、昭和のTVアニメ「魔女っ子メグちゃん」が元ネタだと思われる。もちろん、このアニメが放映されていた当時、まだ真野は生まれてはいない。

ここで最初の“進行はミチコ”のコーナーがあり、これを挟んで5曲目が“永遠 〜黄昏交差点 time goes by〜”となる。この楽曲は、12年2月に発表された本アルバムの先行シングル“ドキドキベイビー/黄昏交差点”の収録曲“黄昏交差点”の、その後の展開を歌った一曲である。要するに、“黄昏交差点”の第二章、もしくは続編ということである。この両曲は、聴けばすぐに分かることであるが、曲としては全く同じものとなっている。違うのは、その歌詞の部分だけである。全く同じ楽曲で全く同じメロディにのせて、異なる時間軸に展開される歌詞を歌うことで、ふたつの物語の内容の相違を浮き立たせようということであろう。
楽曲そのものは、清々しくもポップな真野の歌唱にぴったりのニュー・ミュージック調のアイドル歌謡となっている。ひとつの人生の交差点を通り過ぎて、距離を置いて離ればなれに暮らさなければならなくなってしまったふたり(第一章の“黄昏交差点”)が、今もまだその交差点の対角に佇み、そこに永遠に変わらぬ気持ちを見出している。この2曲は、そんなストーリーであるように聴くことができる。黄昏交差点に揺れていた「未来へと続く願い」は、そのまま「ふたりの未来」の永遠へと真っ直ぐ続いていたのである。ただし、この両曲は、かなり様々な聴き取り方が可能であるようにも思える。だが、とにかくシングルとアルバムの両方を聴かないと、全てのストーリーを把握できない仕組みであることだけは確かだ。もし、シングルの“黄昏交差点”を聴いて、その後の展開が気になったら、続編の“永遠 〜黄昏交差点 time goes by〜”も是非とも聴いてみてもらいたい。

6曲目は、“熱血先生”。この楽曲は、ハロー!プロジェクトの生みの親であるつんく♂と真野のプロデューサーを務める泰誠が在籍していた歌謡ロック・バンド、シャ乱Qが、94年に発表したアルバム“ロスタイム”の収録曲のカヴァー・ヴァージョンとなる。これは、まさにつんく♂や泰誠が学生時代を過ごした、校内暴力などで学校という場が荒れに荒れていた80年代の、非行に走る生徒たちに対して体当たりで真正面からぶつかっていた熱血先生のエピソードをベースとしている一曲といえる。ドラマの世界でいえば、武田鉄矢が演じる金八先生が、そうした熱血先生の代表格。当時は、現実の世界にも、そういったタイプの教師は各学校に一人か二人はいたものだ。
ただし、そうした楽曲を、今の時代に歌うとなると、やや隔世の感がある。無闇に熱い熱血先生という存在そのものが、もはやレトロスペクティヴの極致であり、80年代の時代性を念頭に置いているような昭和のファンキー歌謡的なサウンドもまた非常にレトロである。しかしながら、あの“堕天使エリー”のときと同様に、誰からも見離された不良で熱血先生から硬い拳で何度も殴られた経験をもつ歌中のわたしと実際の真野のイメージが全く重ならないところには、やはり妙に面白味はある。
楽曲のストーリーは、熱血先生に熱い指導を受けたわたしが、その後進学して教鞭をとることを志し、今では、あの思い出の中の状景と同様に、夕焼け空に染まった放課後のグラウンドに生徒たちを熱く指導をする声を響かせている、というもの。ちょっぴりホロリとくるような、いい話である。だが、このストーリーは、全く違う時代を生きる今の若い世代の人々にとって、ピンとくるものなのであろうか。もしかすると、ちっとも現実感のない昔話や漫画の中の物語としてしか聴こえないのかも知れない。おそらく、歌っている真野本人は、プロデューサーたちから多少の説明は受けているであろうから、たぶん大丈夫だとは思うが。

7曲目は、“I have a dream”。この楽曲では、唐突に思いきり50年代ポップスの世界が展開される。曲調は、かなり忠実なスタイルのドゥーワップ調のロッカバラードである。かつては、こうした往年のポップスのサウンドを取り入れた楽曲は、アイドル歌謡の定番でもあった。少しばかりテンポの緩い50年代や60年代のポップスのビートであれば、まだあまり歌って踊ることに慣れていないデビューしたてのアイドル歌手でも、何とかそれなりにこなすことができるため重宝されていたのである。だが、近頃はより手軽なサウンドへと向かう傾向が強く、様々な音楽の要素をネタとして消費しているだけの楽曲ばかりが目立ちつつある。また、近年の研修生制度の導入やダンス・スクールの増加などにより小中学生のダンス力が目覚ましく向上しているせいか、デビューしたての時期にテンポの緩い古風なポップスの曲調を必要とするアイドル歌手も滅多にいなくなってきている。
ただ、こうした年代モノのサウンドを忠実にやるという路線は、かなりレトロな香りのする正統派アイドルの伝統的スタイルや佇まいを継承している真野にとって、単なるネタとしての消費とは言い切れない部分も大いにある。つまり、独特の味わいをもつ真野のキャラクターが要請する曲調としての50年代ポップスなのである。
ここでは、大切な人とふたりで過ごす幸福な日々を夢見るピュアな乙女心が歌われている。やや時代を感じさせる曲調にのる純正アイドル歌謡であるが、そんな組み合わせが不思議と似合ってしまうのが、真野のどこまでも澄んで真っ直ぐな歌唱であったりするのである。

ここで二回目の登場となる“進行はミチコ”のコーナーを挟んで、9曲目が“バンザイ! 〜人生はめっちゃワンダッホーッ!〜”となる。こちらは、どこかレトロな香りのするアイドル歌謡路線とともに、もはや真野にとっての十八番ともなっている、はち切れんばかりにテンションの高い真野流の人生の応援歌とでも呼びたくなるようなスペクタクル・ポップ・ナンバーである。こうした賑やかな楽曲では、真野の少しばかり線は細いが甲高いトーンの歌声が、実に活き活きと映える。様式としては、10年9月に発表されたシングル“元気者で行こう!”で、ひとつの真骨頂が示された、いわゆる真野流の元気者路線とでもいえるだろうか。
ここでも、色とりどりなマーチング・バンドを引き連れて華やかに大通りを練り歩いているような、ちょっと漫画ちっくなまでに元気者なアイドル・ポップスが盛大に繰り広げられる。まさに、それを聴く全ての人に元気を与えるヴィタミン剤のような歌である。そして、真野は、この楽曲の中で「青春は永遠だよ」と歌っている。そこからも、元気者というのは、永遠に人生の青春を生きる者のことであることが分かる。また、そうした元気者の精神性は、真野の歌声や歌唱からもヒシヒシと伝わってくるのである。こういう楽曲での真野の歌唱は、本当に相当に吹っ切れている。そんな、それぞれの歌の世界に合わせた表現に完全に徹しきれるところもまた、歌手としての真野の絶対的な強みでもある。

10曲目は、“風の薔薇 〜歩いて地図をつくった男のウタ〜”。これは、測量の技術を使い日本初の正確な地図を製作した伊能忠敬について歌った歌である。伊能は、江戸時代に生きた商人であり、隠居後に天文学などを本格的に勉強し、自らの脚で海岸線を歩きながら測量し正確な日本地図の製作を行った。それが、大日本沿海輿地全図であり、伊能の死の3年後となる1821年に完成している。この測量時に伊能が歩いた日本の海岸線の長さは、約4万キロ・メートル。そのことから、この楽曲の冒頭のコーラスには、この距離をメートルに換算して、ほぼ4000万歩となることから「フォーティ・ミリオン、フォーティ・ミリオン」という妙なフレーズが使われている。ちなみに、伊能忠敬は、真野が最も尊敬する人物のうちのひとりである。
ブラスをフィーチュアした可愛らしいポップスとなっている楽曲にのせて、江戸時代の偉人のエピソードをあれこれと歌い込みながら伊能がいかに尊敬できる人物であるかを滔々と説く歌詞が歌われる。しかし、この妙な取り合わせには、何ともいえないジワッとくるコミカルな味がある。これもまた真野の作品ならではの味わいなのであろう。自分の脚で歩いて海岸線の測量を繰り返し日本の地図を作り上げた伊能が、幼い頃からの勉学を志す夢を叶えて本格的に地図製作に乗り出したのは55歳のときであったという。突き詰めて考えてゆけば、この伊能という人物は、ただただ純粋に夢に向かって永遠の青春を生ききった、江戸時代の元気者であったことがわかる。

11曲目は、“あなたがいるから”。この楽曲は、オーケストレーションを導入した少しスケールが大きめのアレンジで展開される、ロック調のミッド・テンポ・バラード。ここでは、哀しいことを乗り越えるたびに人は優しくなれるという、バラードのクリシェともいえるテーマが切々と歌い込まれる。作詞は、11年に発表されたJUJUのヒット曲“また明日…”を手がけていた牧穂エミである。
一番身近な手の届くところにあった本物の愛の存在にようやく気づいて、どんなに冷たい雨の中でも平気で歩いて行ける強さすらも手に入れることができた。ここでの真野の歌唱は、まだ中学生であった頃の彼女がエッグ・オーディションに応募しハロー!プロジェクトに入るきっかけとなった憧れの存在、松浦亜弥のそれを思わせるものが多分にある。おそらく、真野は、松浦のディープでエモーショナルな歌唱が光るバラード曲を聴き込めるだけ聴き込み、そこから多大なる影響を受けているのだろう。

そして、三回目の“進行はミチコ”のコーナーを挟んで、13曲目が“My Days for You”。これは、11年6月に発表されたシングルのタイトル曲である。そして、これは20歳になった真野が初めてリリースしたシングルでもあり、メジャー・デビュー以降の通算十枚目のシングルというひとつの区切りの一枚でもあった。ここでの真野の歌は、いつもいつも変わらずに熱く応援してくれるファンに対する心からの感謝の念を表明したものとなっている。曲調は、清々しくも瑞々しい爽快感のある真野のキャラクターによく似合うピアノを基調としたニュー・ミュージック風のアイドル歌謡。真摯で素直な真っ直ぐに放たれる真野の名唱が光る一曲である。

14曲目は、“天気予報があたったら”。この楽曲は、溌剌と疾走するポップ・ロック・スタイルのアイドル歌謡となっている。そしてまた、実質的な本アルバムを締めくくるクロージング・ナンバーでもある。
卒業後に離ればなれとなり、電話で語り合うぐらいしかできない恋人たち。学生時代は、いつも一緒に毎日を過ごすことができたのに。そんな時に、もし天気予報通りに今度の土曜日が晴れたら、一緒に出かけようと久々のデートの誘い。そんなとても嬉しいデートの約束に、天気予報が当たるかを気にしながら、とにかくてるてる坊主を作り、当日の服装に悩み、寝坊しないように複数の目覚まし時計の準備をする。久しぶりに一緒に過ごせる時間は天気予報次第であるが、それでも光に包まれ浮き立つような気分に満たされてゆく。そんな可愛らしい乙女心を、真野がとてもキュートに歌いあげる。ここでは、真っ直ぐな恋心を直球で歌い込む真野の歌唱の真骨頂を聴くことができる。

そして、ラストには、進行役のミチコは登場せず、真野のお喋りが一言こっそりと差し挟まれて、アルバム“More Friends Over”に幕が下ろされる。

この三作目のアルバムを通じて強く感じることは、真野の歌唱が格段の成長ぶりをみせているという点である。デビュー・アルバムの頃は、ピアノを弾きながら美少女が学校の音楽室で歌っているような雰囲気が色濃くあった。それは、実に優等生的な歌であり、アイドル歌手の歌とは思えぬほど硬派な趣きを携えていた。ただ、そういった部分が、この真野という少しばかり特異な女の子の人柄をよく表しているようで、とても新鮮ではあったのだが。
そんな真野も、すでにメジャー・デビューから約3年が経とうとしている。この間にアイドル歌手としての様々な経験を積み重ね、年齢的にも成人して大人になり、音楽室の優等生という殻を自らの手で打ち破ってきた。特に、その表現力の向上には、目覚ましいものがある。また、曲中のところどころで顔を出す非常に独創性のある強弱やアクセントを付けた歌唱などからは、真野が楽曲を深く理解・分析し、とてもよく研究し考え抜いたうえで歌っていることが分かる。
このアルバム“More Friends Over”では、そうした真野ならではの様式・スタイルの歌唱が、遂に完成しつつあるようにも思えるのである。

しかしながら、このアルバムには、少しばかり不可解な部分もあったりする。“More Friends Over”は、アイドル歌手のアルバムとしては、ややイレギュラーな構成となっているのである。要するに、通常であれば、ここに収まっているべき楽曲が、なぜかポロッと抜け落ちてしまっているのだ。
12年2月22日、アルバムからの先行シングルとして“ドキドキベイビー/黄昏交差点”が両A面扱いでリリースされた。しかし、このシングルに収録されている楽曲は、両曲ともにこのアルバムには収められていないのである。最新シングルである直近の作品からの楽曲が収録されていないアルバムなど、なかなかアイドル歌手のアルバムではあるものではない。アルバムという作品のコンセプトの部分を最優先する、シンガー・ソングライター系のアーティストであるならば話は別だが。
ただ、シングルに収録されていた“黄昏交差点”そのものはアルバムに収められていないのだが、その代わりに続編の“永遠 〜黄昏交差点 time goes by〜”が収められているといった、妙な変化球だけは思いきり利いていたりする。それにまた、シングル曲の“ドキドキベイビー”と同路線の溌剌と弾けるアイドル歌謡を聴くことのできる楽曲が、すでにアルバム中に複数確認できるのは間違いないところでもある。そんな重複を免れるために、アルバムの構成を考えて収録回避となったのであろうか。それとも、“ドキドキベイビー”も“黄昏交差点”も、アーティスティックな面から考慮してアルバムのコンセプトにフィットしない楽曲だったということか。この少しばかり謎めいたアルバムの構成は、いったい何を意味するものなのであろう。

全編に渡り“進行はミチコ”のコーナーのような素顔の真野のお喋りや他愛もないお遊びの要素を散りばめた本アルバムで、それらを通じて前面に押し出そうとしているものとは、やはり真野恵里菜というアイドル歌手/アーティストのもつ独特な個性なのであろう。そのユニークさや、歌唱に投影されている万能のアイドル性を際立たせるために、今となっては誰もやらないような80年代のアイドルを思わせる少々ズレたお喋りコーナーを展開するという企画が、アルバムの構成に取り入れられているのだ。これにより、真野のもつ生真面目に楽曲を歌い込む昭和歌謡の世界にも通ずるような資質やアイドル黄金期のアイドル歌手に重なるような天然モノのキャラクター性を、この通算三作目でしっかりと印象づけ確立してしまおうというということだったのか。
ただ、そうした真野の希有な個性のアピール方法は、このアルバムでの構成や企画を通じて、はたして成功しているといえるのだろうか。また、成功していたとしても、それはどれくらい有効なのであろうか。21世紀の現在の音楽の世界において、昭和歌謡の匂いやレトロなアイドル歌手の雰囲気が、大きく際立った個性となり得るのであろうか。このアイドル戦国時代といわれる一連の動きの中で、ソロ歌手としてたったひとりで戦い抜いてゆかなければならない真野が手にする武器が、そういったちょっと時代錯誤感のある古めかしいものであっても平気なのであろうか。それとも、逆説的にそれもまたアリということなのか。

そして、今回のアルバムでは、実は制作の面でも変化が見受けられるのである。デビュー以来、これまでずっと真野の楽曲のほとんどは、作詞家の三浦徳子が作詞を手がけてきていた。しかし、この三作目のアルバムでは、それが実質11曲中の5曲だけとなっており、いきなり全体の半分以下にまで減ってしまっているのである。
三浦徳子は、80年代のアイドル黄金時代から活躍する、日本のアイドル歌謡の言葉を紡ぎ出してきた大家中の大家である。80年、松田聖子は二作目のシングル“青い珊瑚礁”の大ヒットにより、一躍トップ・アイドルの座を確立したのだが、この歴史的な楽曲も三浦の作品であった。
そんな三浦の書く歌詞が、真野の楽曲のもつ昭和歌謡的な香りやレトロなアイドル歌謡的なノリの源泉となっているように、これまでは非常に強く感じられていた。だが、これだけ三浦作品の占める比率が低下してきているにも拘らず、本作でも変わらずに、というかこれまで以上に濃密かつ高度な完成度でそうしたエッセンスを感じ取れるというのは、何やら不思議な感じもする。
真野の歌う楽曲は、本物のアイドル歌謡の歌詞の世界から、いつしか完全にシュミラークルなアイドル歌謡の世界に移行していたようである。そして、それはまた真野の歌唱そのものが、三浦の書く歌詞が体現していた昭和アイドル歌謡のエッセンスを吸収し、それを完全に会得したアイドル的なアイドルの完成形に近づいているということでもあるのだろう。つまり、この三作目のアルバムで、制作の体制も大きく変化したとともに、アイドル歌手としての真野も大人になり、ひと回り大きく成長し、頼もしいほどの変化を遂げた歌唱を吹き込んでくれているのである。

真野というアイドル歌手の独特さは、おそらく自然にしていても際立ってしまうであろう天然モノのキャラクターに由来している。そして、その歌唱の面からいえば、妙に甲高く線は細いが真っ直ぐに伸び(多少蓄膿気味ながらも)非常によく通る独特の声質が、その一度ハマると病みつきになる魅力を形成している部分は非常に大きいだろう。
また、真野は、アイドル歌手としての活動を行う傍ら、演ずるということに対しても並々ならぬ熱意を抱いている。これまでに、TVドラマ、映画、舞台への出演を通じて、数々の女優としての経験も積んできた。ただ、こうした経験を重ねて、演技することへの意識が高まってゆくことで、そこから本業の歌手としての活動にフィードバックされてくるものも少なからずあるのである。楽曲の中の物語の主人公を歌手が演ずることは、まさに女優としての資質が求められるものでもある。ゆえに、上手に演じられない歌手の歌は、どうしても薄っぺらなものとなってしまう。そもそも、歌謡の真髄とは、演技であり、芝居そのものでもあるのだ。
歌手としても、女優としても、これからますます多くのことを学び、経験し、深めてゆくことになるに違いない。今後の真野が歩み進めてゆく道には、たくさんの輝かしい可能性の数々が待ち構えているはずである。そして、すでに21歳になっている真野が、どのようにオトナ化してゆくのかという点も今後という意味では大変に気になるところでもある。脱アイドル路線へと進み、アイドル歌手ではなくアーティストとなってゆくのか。それとも、いつまでも天然モノのアイドル性を堅持し、大人のアイドル歌手として活動を続けてゆくのだろうか。
そういった面からも、真野というアイドル歌手は、そろそろ真剣にオトナ化の道を模索してゆかなければならない時期に差し掛かってきているようにも思えるのである。だが、そんな状況であるにも拘らず、今回のこのアルバムの内容は、路線として妥当なものであるのだろうか。これで、本当に、その成長ぶりを(分かりやすく)示すことができているのであろうか。
擬音やクイズに無邪気に興じる、お喋りコーナーのような企画を所々に差し挟むことによって、真野のピュアで子供っぽい素顔が思いきり露呈し、作品の流れが何度も寸断されて、アルバム全体の色合いが多少ぼやけた感じになってしまってはいないだろうか。真野が熱演する歌唱によって形作られてきていた独特のアイドル歌手像が、常にミチコの登場によって台無しにされてしまっているような感じもするのだ。様々な経験を積み、ぐんと深まってきた歌唱に焦点をあてた、より真野の歌そのものを全面展開する、アルバムの構成でもよかったような気がするのである。

昭和の歌謡曲の香りを漂わせるレトロなアイドル像を演ずることで、今どきのアイドル歌手とは一線を画す真野の特異性を内と外からあぶり出す。それもまた、アイドル歌手としての表現力の深まりを必要とするであるのだろう。どんな真野恵里菜でもヴィヴィッドに演ずることができる、真野がもつ女優としての資質が、そこでも大いに活かされることになる。歌唱力、表現力、演技力の総合的な向上によって、全ての要素のアウトプットが、真野の特異な個性とキャラクターの表出のレヴェルにようやく追いついてきたともいえるであろうか。
21世紀のアイドル歌手としての実像と虚像と、昭和歌謡の風味をたたえたアイドル歌手の実像と虚像が、重なり合いつつ交錯する作品というひとつの場所に、混沌としたイメージの集合体として立ち現れる真野恵里菜。そんな、虚と実、素顔と演技が、入り混じるところに、その最大の面白さと醍醐味がある。
また、非常に整った顔立ちの美人であるが、雰囲気的にはあまりデビュー当時と印象の変わらない極めて童顔なルックスにも、子供と大人が奇妙に入り混じっているようにも感じられる。こうした様々なギャップを演技者として操ってゆくことで、さらに個性的なキャラクターをもつ真野恵里菜という像(イメージ)を形作ってゆけるのではなかろうか。

どこか昭和のアイドル歌謡の香りを漂わせ、レトロな80年代アイドルのリヴァイヴァル的な色合いももつ真野であるが、そこに新しさはあるのだろうか。
取りも直さず、新しいのか古いのかということであるならば、やはり真野恵里菜は新しい。少なくとも、この正統派のアイドル像を衒いもなく演じきり、かつまた変に作り込むことなく自然体のままでも天然のアイドル性を発揮することができるのは、どこを見渡しても真野しかいないのである。これは、それだけ、現在のアイドル歌手に変化球投手が多くなっているということの裏返しであるのかも知れない。もはや、アイドル歌手とヴァラエティ・タレントの境界線が相当に怪しくなってきていたりもするのが現状であったりするのである。
こんなにも天然モノで真っ当なアイドル歌手というのは、ハロプロにも一連のAKB系列のグループにも、ちょっと見当たらない特異すぎるほどに特異な個性なのだ。真野恵里菜は、まさに真野恵里菜でしかない。そして、これからもずっと、これまでに誰も歩んでいない真新しい道を突き進み続けて行くのである。

将来の真野恵里菜は、もしかすると日本のスティーヴィ・ニックス(Stevie Nicks)というようなタイプのシンガーに成長してゆくのかも知れない。この両者は、どこか深窓のお嬢さま系で、やや奇妙な鼻にかかった声質と独特な唱法という、とても似通った特徴の持ち主でもある。
全盛期のフリートウッド・マック(Fleetwood Mac)の中心的なヴォーカリストであり、ソロ・シンガーとしても活動したニックスは、自らのイメージを自らの手で作り上げてゆく、セルフ・プロデュースの能力に非常に長けたアーティストだといえる。そして、そのスティーヴィ・ニックスという独特の存在感をもつシンガーのイメージを、常に巧みに自然に演じきる芸能のノリという部分も持ち合わせていた。
きっと、真野も、女優としての経験などを生かしながら、自ら真野恵里菜というシンガー/俳優をプロデュースし、独特の存在感をもつアーティスト・イメージを作り上げてゆくことになるのではなかろうか。真野が真野を演ずることが、それだけで芸能となるのである。歌と演技を両立させてゆくことで、これからの真野は、独特の表現世界を作り上げてゆくようになるはずだ。そして、それが作品の中で真野が巧みに自然に演じきる物語世界の表出へと昇華され、作品ごとに舞台と役柄を変える非常に深く面白い歌世界が生み出されるのではなかろうか。そんな真野のニックス化は、将来の真野が、永遠のアイドルとして輝き続けるアーティスト活動を行ってゆくうえでの、ひとつの個人的な理想形でもある。(12年)
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Rainbow: Over The Rainbow

2012/04/15 02:00
Rainbow: Over The Rainbow

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12年3月28日、韓国の七人組アイドル・ガールズ・グループ、レインボー(Rainbow)が、ファースト・アルバム“Over The Rainbow”を、日本の所属レコード会社であるUNIVERSAL SIGMAよりリリースした。このアルバムは、レインボーにとっての日本でのデビュー・アルバムというだけでなく、彼女たちにとって韓国での活動も全て含めた初のアルバム作品となる。韓国のガールズ・グループが、本国でのアルバム・デビューよりも先に日本においてファースト・アルバムを発表するのは、KARAや少女時代よりも早く10年の5月から日本での活動を開始した4ミニッツ(4minute)が、その年の12月に発表したアルバム“Diamond”以来となるであろうか。
“Over The Rainbow”は、全10曲を収録したアルバムとなっている。ここには、これまでに日本で発表された三作のシングルのタイトル曲すべてが含まれており、アルバムの冒頭の1曲目から3曲目までをがっちりと固めている。そして、そのシングルに収録されていたカップリング曲も、3曲すべて本アルバムで聴くことができる。よって、アルバム中の既発曲は、これらのシングルの収録曲の全6曲となる。このうち4曲が、元々は韓国語で歌われていた楽曲の日本語ヴァージョンである。このアルバムのために新たに制作された新曲は、それらの既発曲を除いた全4曲。これらの新曲は、現時点では日本向けの作品用に制作された日本語歌唱ヴァージョンのみで聴くことのできるオリジナル楽曲となる。

09年11月にデビューしたレインボーは、KARAや少女時代たちのブレイクと成功を受けて登場した、先行するK-POP(新韓流)ガールズ・グループ・ブームのパイオニアたちに続く、ひとつ下の世代に分類されるアイドル・グループのひとつである。少女時代の“Gee”とKARAの“Mr.”が大ヒットを記録した、この年にデビューしたガールズ・グループには、レインボーのほかに、2NE1、4ミニッツ、アフタースクール(After School)、f(x)などがいる。それぞれ今や大物グループといってしまってもおかしくはないほどの活躍ぶりをみせている、錚々たる顔ぶれである。この年は新人グループも質・量ともに大豊作であった。まさに、新韓流と呼ばれるK-POPブームが大爆発した一年だったのである。

レインボーのデビュー作は、ミニ・アルバムの“Gossip Girl”。この作品からは、タイトル曲の“Gossip Girl”と“Not Your Girl”の2曲のスマッシュ・ヒットが生まれた。これには、所属事務所のDSP Mediaが当時セカンド・アルバム“Revolution”からのシングルの連続ヒットによって大ブレイク中であったKARAの妹分グループとして巧妙に売り出した、デビュー時期のタイミングの設定など戦略面での勝利という部分が非常に大きかった。新人グループのレインボーとしてヒットを飛ばしたというよりも、ただ単にKARAの妹分として言葉は悪いが「お尻ダンス」で社会現象を巻き起こした“Mr.”の大ヒットからの流れの中でどさくさに紛れて売れてしまった感じであったのだ。
しかし、この思いがけぬ幸運な出だしがレインボーという新人グループにとっては、逆に足かせともなってしまった。何をしても先輩のKARAを追従する動きと見なされてしまい、なかなかレインボーならではのグループの特徴や色が見出されなかったのである。七人のメンバーがもつそれぞれの個性やカラーが一体となって、七色の虹のような美しさを表現するところから命名されたグループ名であったはずなのだが、この当時はまだ先輩のKARAが放つ強烈な後光によって全ての色が霞んでしまっている状態であった。

その後、しばらくのグループとしてのイメージやコンセプトの見直しや練り直しの期間(約半年)をはさんで、レインボーが風雲急を告げるK-POPのシーンに舞い戻ってきたのは10年の8月のことであった。この年の夏から秋にかけて、レインボーは配信シングルとして発表した“A”と“Mach”を立て続けに大ヒットさせる。
ノー・スリーヴのシャツの裾を身体の前でクロスさせた両手で持ち上げてチラリとお腹を露出させる、いわゆる「お臍ダンス」でセンセーショナルな話題を振りまいた“A”のヒットによって、ようやくレインボーは事務所の先輩KARAの後光から抜け出し、グループとしての色と顔が見える段階に突入した。つまり、この両曲をヒットさせたことによって、ようやく本当の意味でのレインボーの活動の幕が開けたといってもよい。
09年にデビューした新人ガールズ・グループの中では、このレインボーとシークレット(Secret)だけが、コンスタントにヒット曲を飛ばし日の目を見るまでにしばらく時間がかかっている。レインボーとシークレットは、近頃のK-POPのグループにしては珍しく売れるまでの下積みの苦労の期間を経験しているグループだといえる。

そして、11年4月には約一年半ぶりのフィジカルなリリース作品となるセカンド・ミニ・アルバム“SO女”が発表される。この作品からは“To Me”が、そしてその約二ヶ月半後の6月にリリースされたリパッケージ盤からは“Sweet Dreams”が、それぞれヒットを記録した。いずれも日本人のハウスDJ兼ダンス系プロデューサー、DAISHI DANCEを制作に起用した、メロディアスでポップなピアノ・ハウス調の楽曲であったことも大きな話題となった。10年に“A”と“Mach”の連続ヒットでようやくブレイクを果たしたレインボーが、その勢いを維持したままセカンド・ミニ・アルバムからの“To Me”と“Sweet Dreams”という再びの連続ヒットをものにしたのである。そこに聴くことのできた、この七人組ならではの華やかなテイストをもったダンス・ポップ路線の展開には、少しばかり頼もしさも覚えたものである。この時期のレインボーは、KARAや少女時代のようなトップ・アイドル・グループへの階段を着実に上り、その扉を確実に叩きつつあるように見えた。

こうして、韓国国内での人気が安定し勢いがついてきたところで、その余勢をかってレインボーは、一気に日本でのデビューまで果たすことになる。11年9月14日、彼女たちにとっての出世作でもある験のいい“A”の日本語版シングルがリリースされた。これが、いきなりオリコンの週間チャートで3位にランクされる記録的なヒットとなる。そして、12月7日には“A”からの流れを受け、得意の連続ヒットを狙って、日本語版の“マッハ”が第二弾シングルとしてリリースされた。このシングルもオリコンの週間チャートでは9位にランクされるヒットとなり、レインボーの日本での人気が、TV出演時に常に話題となった「お臍ダンス」のチラリズムにリードされた一過性のものでは決してなく、きっちりと定着したものになりつつあることを印象づけた。

さらに、12年に入ってからは、3月14日に第三弾シングルとなる初の日本オリジナル楽曲によるシングルの“ガナガナGO!”がリリースされている。そして、このシングルもまたオリコンの週間チャートで7位にランクされるヒットを記録する。これで、レインボーは日本デビューから三作連続でシングルをオリコンの週間チャートの10位以内に送り込んだことになる。まだ、本格的な日本進出から約半年でありながら、すでにかなり安定した人気を誇っていることを、この事実は見事に証明している。この日本では、七人のメンバーの絶対的なルックスやスタイルのよさから、若年層の男女を中心に性別に関係なく幅広いファン層を獲得している印象がある。雰囲気的には、オシャレでキレイなお姉さんというイメージを強く打ち出していることで、K-POPアイドルというよりも普通に見栄えのよいアイドル・ポップスとしてウケている部分は多分にあると思われる。

こうしたシングルのヒットが続く好調な流れを受けて、“ガナガナGO!”のリリースの二週間後に登場したのが、このアルバム“Over The Rainbow”となる。まさに日本デビューから約半年で畳み掛けるようにファースト・アルバムまで漕ぎ着けたという感じである。09年に韓国でデビューした当時、レインボーらしさを模索して、しばらく苦難の道を歩むことになってしまったことを思えば、これは格段の成長ぶりといえるだろう。日本でのシングルのチャートでの健闘は、ほぼKARAや少女時代といった先輩グループと肩を並べるほどまでに肉薄したものであったのだから。

韓国の歌謡界は、基本的にシングル・ヒットを中心に動いている世界である。制作のコストが割高であり、また国内音楽市場の規模の小ささからも、そしてそれに輪をかける違法ダウンロードによってコピーされたファイルの氾濫などの面からも、アルバムが売れない状況が慢性的にある韓国では、あまりにも費用とセールスが見合う見込みのないアルバム作品は(比較的)敬遠され、よりシングル偏重型へと固定化してゆく流れができてしまう傾向が強い。しかしながら、このあたりのことに関する日本における状況は、全く真逆に近いものがある。日本では、数曲しか聴くことのできないアッサリとしたシングルよりは、一度に多くの曲を聴くことができ、当該アーティストの音楽(や人柄)を深く知ることができるアルバムを、特別な作品として尊重する傾向が古くからある。
かつては、韓国でも、アルバムを中心とするリリースがずっとなされていた。不幸な日本による統治時代から20世紀末までの流行音楽の主流を担っていた、民謡、歌謡、トロット、ロック、フォークなどのジャンルの作品には、歴史的名盤とされるアルバムが多く存在している。しかし、00年代以降に第一次韓流ブームの余波を受けてK-POPのブームが一気に加熱し、歌謡界が若いアイドルたちで溢れかえる頃には、市場の原理や音楽業界の置かれた環境、時代の変化などの様々な問題との兼ね合いから、シングルのリリースを中心として目まぐるしく展開されるシーンへと急速に変化してゆくことになってしまったのである。
それに比較すれば、最盛期よりもかなり縮減してきているとはいえ、日本の音楽市場でならば、K-POPアイドルであってもアルバムのセールスをある程度は見込むことができる。そして、基本的には、日本の音楽業界のほとんど全ての事柄は、このアルバムのリリースを中心にして動いているといってもよいのだ。また、大局的にはアーティストの評価の対象となるものもシングルではなく、まとまった形でじっくりと制作されるアルバム作品となるのが通例なのである。つまり、シングルが売れるだけでなくアルバム作品のセールスでも成功して、はじめて一流のアーティストとして認められる傾向があるということ。これは、日本の音楽業界で活動する限りK-POPアイドルであっても同じことである。
そのような意味では、日本においては先にシングルを数枚発表して(その反応を見てレコード会社側が判断を下し)、それらの先行した作品もまとめた形でのアルバムの制作プロジェクトが動き出すという、アーティストの制作活動形態や活動環境が、すでに形式として出来上がっているともいえるだろうか。これは、アイドル歌謡の世界に限らず、ロックでも、アニソンや声優歌手の世界でも、ほとんど同様の形態がとられる。そうした日本の商業音楽の市場や業界の構造的な部分も、本国ではまだアルバムを発表していないK-POPアイドルが、日本において一足先にアルバム・デビューを果たすことの、ひとつの大きな要因ともなっているのではなかろうか。

アルバム“Over The Rainbow”は、前述した通り日本盤シングルからヒット曲の三連発で、かなり派手目に幕を開ける。“A”、“マッハ”、“ガナガナGO!”と、非常にノリのよい楽曲が次々と繰り出され、嫌が応にも気分は盛り上がる。典型的な一番おいしいところをド頭にもってくるアルバムの構成といえるだろう。まさに、CD店の試聴機に入れられた時に最も聴かれる確率の高い、冒頭のパートをイヤー・キャッチーで購買意欲をそそるヒット曲で固める手法を、あからさまに展開させたようなアルバムとなっているのである。
そんな先制パンチの後には、ライトなディスコ調のダンス・ポップ曲“Kiss! Kiss! Disco!”、軽いダブステップ風の導入部がついたポップ・トランス曲“Alright”、R&B調のタメの利いたエレクトロ・ポップ“Energy”と、レインボーの十八番のスタイルでもあるポップなダンス系の楽曲を中心とした流れが続く。だが、そんなアルバムの中で、ひと際異彩を放っているのが、何とも切ない雰囲気のセミ・バラード曲“Touch me, Feel me, Love me”である。ザ・フー(The Who)の“See Me, Feel Me”を思わせるタイトルの楽曲であるが、特にこれといった関係性や引用などのつながりは両曲の間に見当たらない。ただ、似た感じのタイトルになってしまっただけなのだろう。

この“Touch me, Feel me, Love me”は、レインボーとしては非常に珍しいダンス系以外のスタイルの楽曲となる。おそらく、ここまでバラード寄りの楽曲をレインボーとして歌うのは、これが初めてなのではなかろうか。普通であれば、どんなアイドル・グループでも平均して5曲か6曲を収録するミニ・アルバムを制作する際に、そのうちの1曲ぐらいはバラード系の楽曲を録音するものである。これには、韓国の歌謡界では伝統的にバラード曲の人気が非常に高いために、そうした作品の構成が好んで組まれているという理由が考えられる。
それとともに、現在のアイドル・グループのメンバーのほとんどは、所属事務所の練習生として歌やダンスのトレーニングを重ねる期間を非常に長く過ごしてきているのである。幼い頃から歌の上手かった少年少女は、この時期にその喉と歌唱力を徹底的に鍛え上げられることになる。そのため多くのアイドル・グループには、デビュー時からしっとりとしたバラード曲を歌いこなすスキルが身に付いているメンバーが含まれているのが、今やほぼ当たり前のこととなっている。しかしながら、レインボーの場合は、そうした突出したディーヴァ系のメンバーが七人のうちに一人もいなかったことが、良くも悪くも大きな分かれ道となった。全員が平均的な歌唱力をもつメンバーであったために、特定のシンガーにスポット・ライトの当たりやすいバラード系の楽曲は、これまで暗黙のうちにレインボーの作品では回避されてきた節がある。
そして、この初のアルバム作品で、ようやくその長らくの禁が解かれたのだ。その裏には、やはりレインボーというグループの変化が間違いなくある。デビュー当初は、とにかく綾瀬はるか似ということで早くから日本でも人気に火がついたリーダーのキム・ジェギョン(Kim Jae Kyung)が、歌の面でもダンスの面でも必死になって引っ張っている印象が強かった。その後、“A”と“マッハ”の連続ヒットの頃からは、曲中でラップを担当するコ・ウリ(Koh Woo Ri)にも少しずつ脚光が大きく当たりはじめ、リーダーのジェギョンが全てを背負い込んでいた状態からは、ようやく脱することになる。やはり、“A”と“マッハ”で立て続けにヒットを飛ばし、レインボーというグループのもつカラーが鮮明になってきたことで、それぞれのメンバーにとっても、この七人での活動に自信がつき精神的にも余裕ができてきたのであろう。まさに七色の虹の如く、七人のメンバーが色鮮やかな個性を発揮し始めたのだ。そんな中でグングンと伸びたのが、メンバー中でも最も年少のふたり、キム・ジスク(Kim Ji Sook)とチョ・ヒョニョン(Cho Hyun Young)である。元々、歌手としての資質には大いに恵まれていたふたりが、デビュー当初と比較すると格段に歌って踊るアイドル・シンガーとしての成長を遂げ、さらに歌唱の実力をめきめきと向上させてきたことは、レインボーにとっての大きな変化であったといってよい。それは、今回の初バラード曲“Touch me, Feel me, Love me”の録音にも間違いなく繋がっているはずである。

そして、アルバムの終盤には、これまで日本で発表されたシングルに収録されていたカップリング曲、3曲すべてが収められている。このうちの“A”のカップリング曲“ゴシップガール”と“マッハ”のカップリング曲“ノットユアガール”の2曲は、いずれも09年に発表されたレインボーのファースト・ミニ・アルバム“Gossip Girl”収録曲の日本語歌唱ヴァージョンとなる。レインボーにとっての韓国でのデビュー作に収録されていた、彼女たちの活動の原点ともなった楽曲が、このファースト・アルバムにも収められているということは、それなりにとても意味深いものがあるような気もする。

このアルバム“Over The Rainbow”は、発売直後にオリコンの週間アルバム・チャートで10位にランクされている。韓国のアイドル・グループの作品は、軒並み日本の音楽市場において好調なセールスを記録しているが、このレインボーのファースト・アルバムも、その例に漏れず上々の成績を残したといってよいであろう。
しかし、新韓流のブームが到来してからやや時間も経ち、すでにK-POPであれば出せば何でも売れるという状況では完全になくなりつつある。これからは、基本的に、アーティストとしてのポテンシャルが高くネーム・ヴァリューのあるもの、作品としての質の高いものだけが、音楽市場のメイン・ストーリームで生き残ってゆくことになるはずである。そして、それら以外は、基本的に、韓国音楽やK-POPを好むマニアたちによるシッカリと定着した根強い支持を基盤に、決して大きなヒットには結びつかなくとも、地道なセールス結果をあげてゆく形に落ち着いてゆくことになるであろう。
これは、現在の日本国内における、いわゆるアイドル戦国時代といわれる乱戦状況でのアイドル歌謡の受容の在り方と、ほぼ等しいと考えて間違いない。AKB48などの一部のメジャーなアーティストを除けば、それ以外の多くのアイドル・グループは、滅多にTV出演することはなく、地道な営業ライヴや小規模のイヴェントなどを中心に活動するマイナー・アイドルという大きな枠に属するアーティストということになってしまっている。このメジャーとマイナーは、かなりはっきり色分けされていると考えて間違いはない。だが、これが決してアーティスト性や音楽性の質の優劣によって色分けされているのではないことは忘れてはならない。もしも、そこに違いがあるとすれば、それはただ単に売れる量の桁が違っているということだけにしか過ぎないのである。
レインボーは、今回のデビュー・アルバムのセールスやランキングの結果で、そこそこの成績は残しはした。だが、まだまだグループそのものの立ち位置としては、先行するKARAや少女時代とともに並び立つようなメジャーな存在と呼ぶには時期尚早であるようにも思える。日本デビューから約半年という現時点のレインボーは、そうした日本の音楽業界/アイドル歌謡の動きにおける、メジャーとマイナーの両極を分け隔てるギリギリの線にいるような気がしてならない。

そんなレインボーが発表した初アルバムであるが、それぞれの収録曲は粒揃いでありながらも、全体として少しパンチに欠ける感じがするのが、実はかなり気になるところである。5曲目のセミ・バラード曲“Touch me, Feel me, Love me”などは、とてもよい曲であるものの、周囲を取り囲んでいるアップ・テンポの楽曲のクオリティがもっと高ければ、さらに本アルバム中で映えることになったのではなないかと思えてしまったりもするのだ。シングル曲、ダンサブルな新曲、バラードなど、局所的にポツポツと耳をとらえるポイントが散在しているような印象のアルバムなのである。
やはり全体的に、やや軽いのではなかろうか。あまりにもサクッと通して聴けてしまうアルバムであるような気がしてならない。ポップ・ミュージックのアルバムなのだから、本当はそうした徹底した軽さこそが高く評価される部分であるのかも知れない。しかし、時代は決定的に変わりつつある。もはや、アイドル歌謡は、軽いポップ・ミュージックとして聴き流されるべきものではなくなってきてもいるのだ。事実、AKB48の楽曲は、常に非常に重い。よって、旧態依然のアイドル歌謡では、もはや現代のアイドル歌謡としての体をなさないのである。使い捨てのポップスから使い捨てることのできない部分をピック・アップする新しい時代のポップ・ミュージックの聴き方が、静かに定着しつつある。
より強烈なフックをもつ、聴く者の耳にぐさぐさと引っ掛かるような楽曲が、本アルバムにはもっと欲しかった。聴いた後にほとんど何も残らないようなアルバムは、間違いなく三ヶ月後には、もうその存在をすっかり忘れ去られてしまう。賞味期限は、とても短い。今の時代、そんなアルバムで本当によいのだろうか。ポップ・ミュージックのアルバムが、大量生産され大量消費されていた時代であれば、それでもよかったのだろうが。多くのファンが待ち望んだファースト・アルバムであるだけに、もっとギュッと凝縮された、ガツンとくる作品であってほしかった部分はある。
まるで聴き流されるためにあるような気が抜けた曲を歌うアイドルやアーティストは、まだまだ日本にもたくさんいる。だが、なにもレインボーが、そこらへんの普通の歌謡曲と敢えて歩調を合わせることはないだろう。日本の音楽市場向けに、アルバム全体をあっさり味に仕上げることが狙いだったのだろうか。もっとギラギラでギトギトな、ピリッと辛みのあるK-POP/韓国スタイルのアイドル歌謡を大上段に構えて展開して欲しかったのだが。本国向けと海外向けのスタイルを使い分けるような、そんな器用なことする必要は、全然ないのだ。

日本での三作目のシングル曲“ガナガナGO!”には、元ゴーバンズ(GO-BANG'S)の森若香織が日本語詞の制作者のひとりとして関わっている。かつてKARAのアルバム収録曲“スウィートデイズ”の日本語詞を手がけていた森若であるから、同じDSP Mediaに所属するレインボーの日本盤シングルの制作にも引き続き起用されることとなったのであろう。しかし、ここでは、このヴェテラン・ポップ職人の歌詞のよさを、いまいち活かしきれていないのである。少しばかり曲そのものスケールの大きさが、歌詞が描き出すイメージの広がりに負けてしまっているようにも感じられる。やはり、ここでもパンチに欠けるのだ。作曲は、KARAの初期のヒット曲を手がけた(“GO GO サマー!”や“ガールズ パワー”などの日本でのシングル曲の作曲も行っている)ことで知られるハン・サンウォン(Han Sang Won)なのだが、この“ガナガナGO!”ではどうも完全にパワー不足だ。もっと弾けるようなポップさがあってもよかったのではなかろうか。そのタイトル通り、その歌詞の通りに、新しい世界へと勢いよく飛び出してゆくような。

この全体的な弱さは、突き詰めて考えてゆくと、韓国語歌唱曲と日本語歌唱曲の差や、韓国制作曲と日本制作曲の差といった次元の話ではないようにも思えてくる。どうも、韓国でも日本でもヒットを記録したレインボーの代表曲でもある冒頭のシングル曲の2曲と、それ以降の楽曲とでは、歌謡曲としてもポップ・ミュージックとしても、パワーやポテンシャルの面で決定的に違うものがあるようなのだ。
やはり、ハン・ジェホ(Han Jae Ho)とキム・スンス(Kim Seung Soo)の黄金コンビによる楽曲じゃないとダメなのだろうか。ジェホとスンスは、数々のKARAの大ヒット曲の作曲を手がけてきた、もはやヒット請負人とも呼べるような作曲家ティームである。このふたりによる質の高い楽曲なくして、09年のKARAの大ブレイクはなかったであろう。また、レインボーにしてもジェホとスンスによる“A”と“Mach”というヒット曲に恵まれていなければ、今ごろまだ飽和状態の韓国アイドル歌謡界の下層で燻ったままであったかも知れない。
そんな魔法のような高度なポップ性をもつジェホとスンスによる楽曲であるから、やはり冒頭の燦然と輝く2曲を頂点として、それ以降の少々趣きを異にする質感の流れとでは、やや大きな落差を感覚させられたりもしてまうのである。そんな風にアルバムを聴き進めてゆくにつれて、少しずつ気持ちが萎えていってしまうのは、なんとも残念なことというしかない。

しかしながら、楽曲は多少弱くとも、レインボーの七人の歌唱そのものは、実にしっかりしていてよいのだ。それぞれの個性をもつ七人が歌声を重ねて描き出す虹色の歌唱は、一聴してすぐにそれがレインボーとわかるものとなりつつある。かつて色濃くあったKARAの妹分的な面を、DSP Media所属のグループの良質な遺伝子として引きずっているような部分もあるが、完全にグループとしての歌唱の色は確立されているといってよい。
その中でも、やはりひと際際立って個性的な印象を与えてくれるのが、実にクールな質感をもつウリのラップである。なかなかこうした落ち着いた声のトーンで据わりのよいラップを披露する女性アイドルはいないだけに、この個性は非常に貴重である。この凛としたラップのスタイルが、そのシャープでクール・ビューティなルックスと、実によくマッチしている点も見逃せない/聴き逃せないところである。

ただ、このファースト・アルバム“Over The Rainbow”は、どうも全編に渡ってパワーと気合いでみなぎったものとはなっていないのだ。そんなアルバムのもつ雰囲気が象徴するかのように、現在のレインボーというグループ自体にも、あの“A”から“SO女”にかけての時期にあった、駆け上がるような勢いが感じられなくなってきているのが、正直なところであったりするのである。日本でリリースされた三枚のシングルは、オリコンのチャートのランキングにおいて、そこそこの成績を残してはいるのだが。
日本でのデビューとコンスタントなシングルのリリースによって、こちらから眺めている分にはあまり目立ってはいないが、この間に本国の韓国では11年6月22日に発表されたセカンド・ミニ・アルバムのリパッケージ盤“Sweet Dreams”以降にレインボーとしてのリリース(ドラマ等のサントラ盤への参加は除く)は、実は一作品もないのである。すでに約十ヶ月近く、全くグループとしての活動のないブランク期間が続いているのだ。
これは、次々と新しい顔が登場し、ヴェテランから中堅、若手までが入れ替わり立ち替わり目まぐるしくヒット曲を繰り出している韓国のアイドル歌謡界においては、その人気を維持してゆく面で大きなダメージとなるのではなかろうか。数ヶ月に一度は新曲をリリースしてヒットを放ち、衣装や振り付け、MVの内容などでホットな話題を提供し、常にポップ・ミュージックを消費する層の前に露出し続けることがアイドル(アイドル・グループ)の継続的な活動にとっては、大変に重要な前提条件となっている。芸能事務所としても、巷で所属アーティストの話題が途切れることを最も嫌うはずなのだ。

だが、それにも拘らずレインボーのグループとしての活動に関しては、本格的な日本デビュー直前の昨年の夏から全く音沙汰がない状態のままなのだ。このブランクの期間に本国の韓国であった大きな動きといえば、12年1月に突如としてグループ内グループとなる三人組ユニット、レインボー・ピクシー(Rainbow Pixie)の結成がアナウンスされ、1月12日に配信のみのシングル曲“Hoi Hoi”がリリースされたぐらいであろうか。このレインボー・ピクシーのメンバーは、オ・スンア(Oh Seung A)とジスク、ヒョニョンの三名。どちらかというとグループの中でも妹系のキャラクターのフレッシュな顔ぶれが揃った別ユニットとなった。
軽いトランス・ハウス調のダンス・ポップ曲となっている“Hoi Hoi”は、フリフリな衣装の妖精に扮した三人組が可愛らしく歌い踊る、ちょっと気恥ずかしくなってしまうくらいに直球のアイドル歌謡であった。そのカラフルな雰囲気には、どこかかつてのハロー!プロジェクトのシャッフル・ユニットを思わせるものがある。
そして、このレインボー・ピクシーでの活動においても、このところ急成長しているジスクのヒョニョンのふたりが、目を見張るほどの高度なタレント性を発揮しているのが目立った。七人組の大所帯グループでの協調性が求められる活動から解放されて、まさに活き活きと羽を伸ばしている感じなのである。ふたりともに表情がとても多彩であり、身体全体を使って瞬時に自分を表現する能力にも非常に長けている。さらには、コミカルなアクションを得意としている点もポイントが高い。まさに、歌って踊れて笑いのツボまでも心得ているのである。このおふたりさん、アイドル歌手としてだけでなくTVタレントとしても将来かなり有望なのではなかろうか。

そんな韓国での長いブランク期間に(実質的に)突入してしまっているレインボーであるが、かといって、この間に日本での活動に専念しているという風でもない。大抵は、特別なイヴェントやメディア出演のたびに来日をして数日滞在しスケジュールをこなすという程度である。これはもう、日本での活動のスケジュールを除けば、ほとんどレインボーとしてのまとまった活動は休止状態にあると考えてもよいのではなかろうか。
このグループとしての活動休止状態の裏には、もしかすると所属事務所との個別のタレント契約が更新時期を迎えているメンバーがおり、その交渉が難航していたりするような事情があるのではないかといった、憶測や疑念が湧いてきてしまったりもするのである。実際、レインボーが国内でまとまった形での活動ができていない状況については、すでに様々な噂が渦巻いている。もしも、こうした契約の問題が裏で絡んでいるのであれば、主な活動が、事務所との契約の更新時期を迎えていないメンバーによる別ユニットや、韓国国内での契約条項には抵触しない日本におけるシングルやアルバムのプロモーションだけとなっている現状に対しても、ほぼ説明がつくようにも思われるのである。
古来より火のないところに煙は立たないともいう。この目まぐるしいほどに動きの早い韓国の歌謡界にありながらも、不自然なまでに長いブランクであることを考えると、やはり本当に何かあるのではないかとも思えてくる。所属事務所のDSP Mediaは、この期間を各メンバーがソロ活動に専念する時期だと表明しているようである。しかし、ここで目立った活動をしているのは、TVのヴァラエティ番組にレギュラーとして参加していたウリや、TVドラマへの出演が決定しているリーダーのジェギョン、そしてレインボー・ピクシーのメンバーの数名のみであり、明らかにメンバーの全員が活発なソロ活動を行っている事実はなかったりする。よって、このブランク期間に関する事務所側の説明は、どうにも不自然なものがあり、逆に怪しく思えてきてしまうものがあるのである。

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そんな、どうも煮え切らない状態にあるレインボーとは完全に対照的な、実にK-POPアイドルらしい押しの強さや強烈な勢いを感じさせてくれるのが、YG Entertainmentに所属する四人組ガールズ・グループの2NE1だ。レインボーと2NE1は、ともに09年に韓国歌謡界にデビューした同期のグループでもある。そして、レインボーがファースト・アルバムの“Over The Rainbow”をリリースした12年3月28日に、2NE1もまた日本におけるファースト・アルバムとなる“Collection”をリリースしている。このアルバム“Collection”は、オリコンの週間アルバム・チャートにおいてレインボーのアルバムよりも上位の5位にランクされた。

2NE1は、11年9月21日にミニ・アルバム“Nolza”を発表し、本格的に日本での活動を開始している。これもまたレインボーの日本デビューとほぼ同時期となる。“Nolza”は、オリコンの週間アルバム・チャートにおいて初登場首位を獲得する、空前の大記録を打ち立てた。また、この“Nolza”のリリースに併せて、いきなり同タイトルの全国ツアーが敢行されるなど、YG Entertainmentと2NE1らしいド派手なプロモーションが展開された。まさに、鳴り物入りの日本デビューであったのである。その後もこまめに日本の音楽番組などへの出演を重ね、11月16日には日本でのデビュー・シングルとなる“Go Away”をリリースしている。このシングルは、オリコンのデイリー・チャートで9位にランクされるヒットとなった。

そんな何とも華々しい日本デビューからの約半年間の活動を経て、ここに登場したのがアルバム“Collection”だ。これは、日本における初アルバムであるのだが、そのタイトルが物語っている通り、09年以来の2NE1の過去のヒット曲を日本語歌唱ヴァージョンでコレクションしたベスト・アルバム的な内容の強烈な一枚となっている。最初のアルバムから普通に楽曲をコレクトしただけでベスト盤のような作品集となってしまう、この四人組がもっているポテンシャルの高さや音楽的なアウトプットの濃さが、とにかくすさまじい。

2NE1の日本語歌唱は、もはや(一般的な意味での)歌謡曲という枠を越えてしまっているようにも感じられる。その独特の雰囲気をもつ歌は、単なる歌謡曲というよりも、どこか対話や会話、普通のお喋りの一部のようにすら聴こえるのである。それは、元々の意味での歌謡=謳いとしてだけでなく、ある意味ではほとんどメッセージとしても機能しているのだ。そこでは、日本語の歌詞が歌われているというよりも、明らかに言葉がむき出しのままに投げかけられている。
おそらく、彼女たちにとっては外国語である日本語での歌唱は、まだその全ての歌詞の意味や言葉のニュアンスを深く理解しているものではないのだろう。そんな、完全には操れていない言語だからこそ、逆にその発声や発話において、その言葉がもつ意味が真っ直ぐに際立つことがある。全く意図しない発音・発声の力ほど強靭なものはない。そうした際立った言葉の数々の連なりが、2NE1の日本語歌唱を独特で面白いものとしている。
また、その日本語詞そのもののつくりも、基本的に彼女たちと同世代の同性のリスナーに向けて話しかけ、語りかけるような形式のものとなっている。そんなリスナーに向けて直接投げかけるメッセージとしての言葉の連なりによって、2NE1は同世代の女性の気持ちを見事なまでに掬いあげ代弁してみせる。実に特徴的な歌なのだ。そして、若い女性の内面の強さや弱さ、楽しいこと悲しいことムカつくことに乱高下する気持ちの機微を表現した2NE1の歌唱は、多くの共感を呼ぶものでもある。リスナーは、その気心の知れた友人とのお喋りのような音楽と歌の世界に、とても入り込みやすい。間違いなく、これは2NE1の日本語歌唱がもつ、ある種独特の特徴であると思われる。

そして、その音楽的な面にも目を向けてみると、それは、エレクトロ、R&Bダンス、ハード・ロック、レゲエ、ハウス、トランスなど様々な要素を果敢に飲み込んだ、とても色鮮やかで先鋭的なK-POPとなっている。ほとんど、これまでのK-POPの枠組みを突き抜けるほどに尖っている、その音楽性は、やはりもはや単なる歌謡曲ではなくなっているともいえるだろう。ただただ、やりたいことだけを徹底的にやっているような、実に奔放なサウンドなのだ。それは、まさに現代を生きる若い世代の女性の元気のよさを、そのまま映し出したようなサウンドでもある。こうした音楽性もまた、彼女たちの楽曲が熱い支持を受けている大きな要因なのである。そこには、リスナーが耳で感じ取ることのできる同時代性の響きが色濃くある。

2NE1というグループは、今やその音楽性からも、パワフルな歌唱からも、個々の際立ったキャラクターからも、新たなトレンドを生み出すファッション性からも、大きな注目を集める存在となっている。彼女たちは、そうした様々なチャネルを通じて2NE1というグループがもつ先進性に満ちた魅力を発信し、熱烈な支持を獲得している。そしてまた、それを支えているのが、2NE1の四人のメンバーに備わった、少々押し付けがましいくらいに、その独特な個性を外に向けて直球でアピールすることのできる唯我独尊な地力の強さなのである。
その奔放なファッションや佇まいを、正統派アイドルの系統から眺めると、2NE1というグループは、かなりその流れの真ん中からは外れたところにいるともいえるだろう。だが、それだからこそ、本当の意味での新しさを追求できているのではなかろうか。2NE1の奇抜なファッションは、決して押し着せられたものに見えることはない。逆に、そこからは、好きなことを好きにやるアティチュードが、全身からにじみ出しているように見えることすらある。これだけの戦国状態/飽和状態を迎えている日韓のアイドル歌謡の世界であるから、こうした根っこの部分からの新しさや、フレッシュな刺激を展開することのできるタレント性や個性こそが、とても重要な鍵を握る部分となってくる。


そうした目新しさや刺激といった部分が、現在のちょっと減速気味なレインボーには、やや欠けてしまっているようにも感じられるのである。

所属事務所の先輩のKARAのように、歌謡曲の王道を突き進むのであるならば、もっと音楽的な快を貪欲に追求したパワーのある楽曲で、聴く者をぐいぐいと引き込んでゆかなくてはならないだろう。しかし、レインボーの場合には、ヒット・メイカーのハン・ジェホとキム・スンスが書き下ろした強力な楽曲“A”で刺激的な「お臍ダンス」を展開し、起死回生のヒットを飛ばしてブレイクしたという過去をもつ。つまり、その出自からして、レインボーは歌謡曲のノリに飛び道具をプラスしたスタイルをとっていたのである。その飛び道具とは、その話題性を集める振り付けやダンス、それらを可能にするビートの利いたダンス・サウンドによって構成される。
レインボーは、歌謡曲の王道をゆくよりも、ダンス・ミュージック寄りのサウンドに活路を見出したのである。そして、その路線を突き進むことを端的に示したものが、ミニアルバム“SO女”での日本人ハウスDJ、DAISHI DANCEのプロデューサーとしての起用であったといえる。だが、そうした方針そのものが、逆に彼女たちが突き進む道の道幅を狭め、その前進を困難なものとしているような気もするのだ。所属事務所のDSP Mediaは、やはりどちらかというと韓国の歌謡曲の世界を生き抜いてきた芸能事務所なのである。よって、レインボーが展開しようとするダンス・ミュージックも、いまいち振り切れていないダンス歌謡的なものになりがちなのだ。まあ、それはそれである種の新鮮味をもつものでもあるのであろうが。

ただ、ひとたび階段を一段上がってしまったら、もう下には引き下がれないのが、アイドル歌謡の世界であり、現在のガールズ・グループに課された宿命だといえるかも知れない。ならば、レインボーは、お臍までまくり上げたシャツを、それ以上まくり上げ続けなけれなばらないということであろうか。例外となるのは、完全に一番上まで上がりきってしまった場合だけである。それ以前に階段から下りてしまうのは、周囲からはそれすなわち戦意喪失の撤退としか目されない。
絶え間なき上昇(エスカレート)と上書きのみを宿命づけられた、アイドル業界内部の熾烈な競い合い。それに加えて、毎月のように続々と新人がデビューし続けている韓国の歌謡界は、もはや完全に飽和状態を超過しているといわざるを得ない。そこで、現在のレインボーのように低調な勢いでぐずぐずと低空飛行を続けていては、ゆくゆくはそのまま人気も先細りしていってしまうであろう。

韓国ではグループでの活動に関して長いブランクがあり、日本では微妙に早い段階から中堅アイドル的な落ち着きを見せ始めてしまったことで、どうにもパワーと勢いに欠ける状態に陥りつつあるレインボー。このあたりで、今後のプロモーションの戦略や作品の売り出し方、日本市場向けのグループのコンセプトなどを、しっかりと仕切り直しておいたほうがよいのではなかろうか。これからのレインボーのことを考えれば考えるほどに、少々心配になってくる。
レインボーとは、それぞれのメンバーがもっているポテンシャルには間違いなくとても高いものがある七人組である。だからこそ、それを最大限に発揮して、もっと全速力でレインボーならではのアイドル道を突っ走ってもらいたいところなのだが。このまま日陰の位置に定着してしまうようなグループでは決してないはずなのである。

昨年から約半年間に渡ってレギュラーをつとめたTVのバラエティ番組「青春不敗 2」を、この改変期に降板することになったコ・ウリは、その番組内で「レインボーでの活動に専念するため」と降板理由を語っている。これが真実であるならば、レインボーのグループとしての活動再開も、そう遠い日のことではないと考えてよいのではなかろうか。完全復活を遂げたレインボーが、あのギラギラしていた“A”や“Mach”の頃のような勢いを取り戻し、華々しい活躍ぶりを再び見せつけてくれることを、心より祈りたい。(12年)

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Cherry Belle: Love Is You

2012/03/30 03:00
Cherry Belle: Love Is You

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チェリー・ベル(Cherry Belle)は、インドネシアを拠点に活動する九人組アイドル・ガールズ・グループである。11年にデビューしたばかりの新人グループだが、すでに本国インドネシアでは爆発的な人気を誇っている。いや、もはやその人気は、東南アジア地域全体にジワジワと広まりつつあるといってもよいのかも知れない。
メンバーは、リーダーのシャーリー(Cherly)、アニサ(Anisa)、エンジェル(Angel)、デヴィ(Devi)、ウェンダ(Wenda)、フェリィ(Felly)、クリスティ(Christy)、リン(Ryn)、ジジ(Gigi)の九名。全員が10代後半から20代前半という年齢であり、平均すると二十歳前後のメンバーで構成されたグループとなっている。今のところまだインドネシアでは、10代前半や中盤のメンバーを中心とするジュニア・アイドル・グループは、それほど多く活動していない。

チェリー・ベルは、インドネシア国内で行われたタレント発掘のオーディションによって選抜されたメンバーによって結成されている。まず、多くの応募者の中から歌とダンスに関して優れた資質をもつ約20人の第一次候補者が選び出された。その後、この候補者による合同のリハーサルに入り、ここでプロのアイドルとなるための厳しいトレーニング期間が設けられた。そして、この時に、それについてゆけなくなった数名の落伍者が出た。その欠員を補充するための第二次と第三次の追加オーディションが並行して行われ、ここで敗者復活のチャンスを掴んだのが現在のグループのメンバーであるデヴィ、ジジ、アニサの三名であるようだ。11年1月から約二ヶ月に及ぶ候補者たちによるデビュー直前の過酷なリハーサルを通じて、最終的に九名のメンバーが絞り込まれた。そして、2月27日に正式にチェリー・ベルの結成が発表され、これと同時にオーディション合格者となるメンバーの名前が公表された。
こうしたオーディションやトレーニングを行っていたグループを、かつてどこかで見た覚えがないであろうか。このチェリー・ベルを生み出したオーディションから合格者の発表までの流れは、あのモーニング娘。の追加メンバーのオーディションを思わせる部分が色濃くある。詳細はよくわからないが、このオーディションからグループ結成〜デビューまでの道のりは、「ASAYAN」のようにインドネシア国内で番組となって放送されていたようである。また、この期間中に候補者が巻き起こす悲喜こもごものエピソードを公のものにすることによって、デビュー前から視聴者の関心をこのグループに惹きつけるプレ・マーケティングの手法もほぼ同じだといってよいだろう。チェリー・ベルの結成・デビューまでの過程には、モーニング娘。とハロー・プロジェクトがこの約15年間に成果をあげてきた方法論が、大いに参考にされていると考えて間違いないのではなかろうか。

チェリー・ベルは、6月にシングル曲“Dilemma”を発表し、歌番組への出演などの本格的なグループとしての活動を開始した。そして、これに続いて発表されたのが、このチェリー・ベルにとってのファースト・(ミニ・)アルバムとなる“Love Is You”である。このアルバムには、全五曲が収録されている。現時点では、これがチェリー・ベルの持ち歌の全てとなる。

1曲目は、デビュー曲の“Dilemma”。全体的に、ふんわりとソフトな質感で貫かれたポップなダンス曲となっている。このデビュー曲の雰囲気からしてみてもチェリー・ベルが、あまりアグレッシヴなエレクトロ・ビートを導入したダンス歌謡でガンガンと煽り立てるような扇情的なタイプのグループではないことが分かる。グループのコンセプトとしては、普通のどこにでもいるような女の子が九人集まった、誰からも親しまれ愛される(嫌味のない)可愛らしさを前面に押し出したグループとして設定されているようだ。
メンバー全員が、オーディションの前にはほぼアイドル歌手や芸能界とは無縁のどこにでもいる普通の女の子だったのだから(一部、ティーン・モデルや子役などの活動をしていたメンバーも含まれているのかも知れない)、一次審査の通過以降にいくら過酷なトレーニングを積んできたといっても、ほんの数ヶ月で素人っぽさが完全に抜けてしまうことはないであろう。とりあえず、チェリー・ベルのセールス・ポイントとは、そうしたすぐに誰にでも手が届きそうなくらいの親近感や素人っぽさだといってよい。
九人のメンバーは、同世代の女の子たちにとっては純粋に憧れの対象となる。だが、そこにあるつい先日まで彼女たちも自分たちと同じ側にいたという厳然たる事実は、特殊な親近感を生み、もしかすると自分も彼女たちと同じステージに立てる(立てた)かも知れないという揺るぎ難い可能性を、その憧れの感情の内部に濃密に含有させることになったりもする。チェリー・ベルと女の子のファンの間には、そうした独特の親近感のこもった憧れの感情が横たわっているのだ。そして、そんな自分たちだって彼女たちのようになれるのだという近さが、チェリー・ベルの九人を若い世代の女の子たちのファッション・リーダーに押し上げもする。また、同世代の男の子たちにとっては、九人のメンバーは学校の同級生や近所に住む可愛い女の子に近い感覚で見られているといえるだろう。とても身近に感じられる存在であり、すぐにでも友達やガール・フレンドになれそうなアイドル・グループとして熱心に応援したくなる対象となる。
この“Dilemma”だが、楽曲としては非常にデビュー曲らしく、全体的にグループの歌唱の拙さや粗さが目につく。終始、その歌唱は、ふわふわと浮ついたような印象を与えて止まないのである。こうした傾向は、もしかするとインドネシアの伝統的な民謡や歌謡にも通ずる、現地のローカルな歌いの特徴ととらえることもできるのかも知れない。関西人が標準語を話す時、なかなか関西弁のイントネーションを完全に抑えるのが困難なように、生きる環境の中で育まれた普段のノリというものは、そう簡単に隠しきることはできないものである。そんな血や骨に染み込んでいる歌唱のピッチやグルーヴ感が、ここでは、これといった抑制しようとする意識も感じられないままに普通に前面に出てきてしまっている。やはり、これはチェリー・ベルの九人がもつ極めて天然な素人っぽさ故であり、それがまた、そのどこにでもいる普通の女の子的な魅力をさらに引き立てる要素ともなっているのではなかろうか。
“Dilemma”とは、相反するふたつの事柄の間で板挟みになることである。この楽曲では、好きになった男の子が自分の友人を好きなことを知ってしまった女の子の揺れる胸の内が歌われる。つまり、自分の大切な友人と好きな男の子の間で、友情と恋愛感情の板挟みになっている状態のディレンマについての歌なのである。誰もが一度や二度は必ず経験することであろう決してかなうことのない恋心を歌った楽曲ともいえるであろうか。おそらくインドネシアの若者たちにとっても、日常生活において普通に出くわす非常に身近なトピックを歌った楽曲として聴かれているに違いない。そして、同世代の女の子たちは、自らの恋愛や片思いの経験をそこに重ね合わせて、この楽曲を聴くたびに歌中の主人公の女の子とともに揺れ動く気持ちとほろ苦い恋愛の切なさを味わうことになるのだ。そこにはチェリー・ベルに対する親近感を越えて、楽曲の内容そのものへの強い共感の感情が生まれるはずである。
そんな胸が苦しくなるような板挟みの状態にある女の子は、最終的には「すぐに彼のことは忘れます/彼への気持ちを忘れます」と、一歩引き下がるあまりにも奥ゆかしい選択をする。大切な友人のために、大好きな彼のために。ここで、泥沼のように拗れ縺れる(韓流ドラマやトレンディ・ドラマのような)三角関係などに決して発展しないところが、実に清々しい。正統派のアイドル歌謡としては、王道中の王道の展開と結末だともいえるだろうか。また、チェリー・ベルの九人にとっては本来ならばウィーク・ポイントとなるであろうはずの全編ふわふわと揺れるような一点に定まらない歌唱は、複雑な恋模様に揺れ動く少し内気な少女の気持ちを表現する楽曲に絶妙にマッチしているようにも思えてくるのだ。その、そう簡単には抜けそうにない素人っぽさは、チェリー・ベルが多くのリスナーにとって身近に感じられる楽曲を歌う際の強力な武器にもなっているのである。

2曲目は、“I'll Be There For You”。こちらは、よりゆったりとしたテンポのポップ・バラード曲。こうした楽曲では、九人の内でもきっちりとソロのとれる技量をもったメンバーの歌唱が、やはりどうしても目立ってくる。基本的にメンバー全員にソロのパートを割り振って順々に回していっているようだが、楽曲中でも肝となる部分は、必然的にどちらかというと歌の上手い子に割り振られることになる。そこでは、のど自慢のメンバーたちが、それぞれにかなり米国のR&B系のシンガーに多大な影響を受けていると思われる独特の節回しの歌を披露してくれている。そのサラッと平然としていながらもどこかこれ見よがしな感じのする歌声が、逆に抜けきらない素人っぽさを臆面もなくさらけ出しているようで、妙にチェリー・ベルらしかったりもするのである。そして、そうした本気の歌唱のバックに、残りのメンバーたちによるふわふわとしたコーラスがつく。この凄まじいまでのコントラストを浮かび上がらせる浮遊感をたたえたコーラスに、チェリー・ベルならではのスタイルを明確に感じ取ることができる。これは、もはやこの九人の歌唱だからこそ出すことのできるスペシャルな味わいであるともいえるのではなかろうか。

3曲目は、“Beautiful”。本アルバム中でも最も清々しい印象を与えてくれる極上のポップ・ナンバーである。アイドル歌謡としてはもはや少し古臭くも感じられてくるくらいに定番なズンタタ系のビートに、いつも通りの全く気負いのないほわほわしとたチェリー・ベルの歌唱がのる。誰もが一度聴けばすぐに一緒に口ずさめそうなサビのコーラスのリフレインは、ささやかなハーモニーが添えられた実にアップリフティングなものとなっている。ライヴ・パフォーマンスでは、会場のオーディエンスと一体となった大合唱の様相を呈すこと間違いなしな最高のキラー・チューンだ。

4曲目は、アルバムのタイトル曲でありセカンド・シングル曲ともなっている“Love Is You”。かなりノリのよいエレクトロニック・ポップ調のダンス曲である。ただ、ノリノリだとはいっても、そこはチェリー・ベルのことであるから、決してイケイケなエレクトロ・ビートが鳴り響くような楽曲ではない。そこでは、ダンサーたちを煽り立てるようなパワフルなシンセのフレーズの代わりに、どこかキッズ向けのゲーム音楽を思わせるようなほのぼのとした可愛らしい電子音が鳴っている。元気よくユニゾンで歌われるサビのコーラスは、単純明快で分かりやすく、やはりすぐに一緒に口ずさめそうなものである。前曲の“Beautiful”とならんで、この“Love Is You”はチェリー・ベルのライヴにおけるアンセム的な楽曲といえるであろう。

ラストの5曲目は、“Best Friend Forever”。まるで放課後の教室のような雰囲気のポップなダンス歌謡曲である。楽し気でノリのよいビートにのせて、九人のメンバーの仲良し度と絶えることなき友情、グループとしての固い団結をアピールする歌唱が展開される。その大半のパートは全員で一緒に歌う合唱スタイルとなっている。九人の仲良しグループから発せられる熱く朗らかな友情オーラが、全てのリスナーとチェリー・ベルのファン全体に広まり感染して、皆が毎日を明るく前向きに生きることができるようになるという図式であろうか。また、チェリー・ベルのファンは、九人のメンバーたちと家族同然の存在であり、それぞれが兄弟姉妹として最も近しい存在である双子の片割れだと自らの立ち位置を認識している。女の子のファンはグループのメンバーの双子の姉や妹としてチェリー・ベルの活動を見守り応援し、男の子のファンはグループのメンバーの双子の兄や弟としてチェリー・ベルの活動を見守り応援する。この“Best Friend Forever”は、そんな兄弟姉妹のごとき親しい友である熱烈なチェリー・ベルのファンのために歌われる楽曲でもあるのだ。

チェリー・ベルのファースト・アルバム“Love Is You”は、アイドル・ポップスとしては少し古臭く感じられてしまうくらいに王道感に満ち満ちた雰囲気が充満している作品である。特にこれといった驚くべき挑戦的な試みもなければ、奇抜な仕掛けもない。ただ、ありのままのチェリー・ベルの歌唱だけが、そこにはある。そういう意味では、変に背伸びをしない、等身大かつほぼ素のままのチェリー・ベルを魅せることに、この作品は見事に成功しているともいえるだろう。まだ結成されたばかりの新人グループであるから、小細工することも完璧に作り上げられたアイドル像を演ずることもままならず、結果としてこれしかできなかったという部分も当然あるのかも知れないが。
原宿や渋谷の街でスカウトされた可愛い女の子がポッと出でデビューしまった、まさに素人に毛が生えた程度の佇まいで終始ふわふわと宙に浮いていた80年代のアイドル歌手を思わせるようなムードが、このチェリー・ベルにはある。その芸能界そのものにまだ慣れていない非常にぎこちない表情や仕草の全てが、逆説的にもピュアなアイドル性をもって見えてしまった時代のことである。いわゆる、アイドル黄金時代だ。そして、チェリー・ベルのこのアルバムは、そうした時代のアイドル歌謡が21世紀にリヴァイヴァルしつつあることを告げているようにも感じられる。今まさに、再びあのような黄金時代が訪れようとしているのかも知れない。
それは、このチェリー・ベルの活動するインドネシアに限った話というわけでは決してない。日本においても地方のローカル・アイドルなどの活動に、そうした動きは確実に見え始めている。そして、さらにいえば、このような動きは日本やインドネシアだけでなく、東アジア〜東南アジア全体で巻き起こりつつもあるのだ。そんな新たな黄金時代の到来のひとつの先駆けとなっているのが、インドネシアにおけるチェリー・ベルの出現であり、その目覚ましい活躍ぶりであるのだ。

こうしたチェリー・ベルのようなアイドル・ガールズ・グループが誕生した背景には、インドネシアにおけるK-POPなどの外国産のアイドル歌謡に対する異常なまでの人気の高まりという動きが、間違いなくある。こうした、若い世代に国内の音楽よりも日本や韓国の歌謡曲が受け入れられ、熱心に聴かれているという傾向は、ここ数年の間に加速度的に進行している。また、人口の比率において近年爆発的に膨張し続けている若年層は、国内において巨大な音楽市場を形成してもいるのである。よって、この世代の音楽聴取の動向は、レコード会社を始めとする音楽産業としても決して無視できるものではなくなってきている。そこでは、そうした若者が好んで聴く新しいタイプの歌謡曲やアイドル歌謡を国内で制作し、売り出してゆこうとする気運が利潤追求の本能から自然と高まってもくるだろう。要するに、K-POPやJ-POPを明らかに手本にし、ひな形とする、新しいタイプのインドネシア産のアイドル・ポップスを生み出してゆく流れが出来つつあるわけである。それを受けて開催された、全国規模のオーディションで選出されたメンバーにより結成されたのが、このチェリー・ベルであるのだ。
アルバムの5曲目に収録されている“Best Friend Forever”は、どう聴いても明らかに少女時代(Girls' Generation)の楽曲を意識したものである。そして、そこでの九人のメンバー間の厚い友情を外に向けてアピールする楽曲のコンセプトそのものも、これまで折りにふれて少女時代が繰り返してきたものでもある。ここでのチェリー・ベルは、完全にそのグループとしてのスタイルやコンセプトが、少女時代のそれをなぞったものであることを半ば潔いほどに露呈させている。また、ミニ・スカートやホット・パンツで生脚の脚線美を強調するステージ衣装や、カラフルでガーリーな印象で統一されたお嬢さま系のファッション性なども、ほぼそのまま少女時代のものをアレンジして使い回している印象がとても強い。ここまでくると、もはやインスパイアされているというよりも、ほぼ模倣だといってしまったほうが妥当であるのかも知れない。少女時代(소녀시대/ソニョシデ)は、07年のデビュー以来ずっとファンの間でソシ(소시)の愛称で親しまれてきている。そして、チェリー・ベルの略称もこれに倣ってチビ(ChiBi)とされており、すでにファンの間ではすっかり定着をしている。
先行する完成度の高いものを先ずは真似して、それをさらに発展させてゆくところから、全く新しい何かが始まったりすることがある。チェリー・ベルは、間違いなく少女時代の影を追うところから歩み始めたグループである。それも、インドネシアという遠く遠く離れた地点から。きっと、そこからどれだけ遠くまで歩んでゆけるかが、これからの課題となるのだろう。そこが、このグループの評価を決定する際の焦点となってくるはずだ。最終的に問題となるのは、踏切りのフォームではなく、到達地点として目に見える形で示される結果なのである。

そんな新人グループ、チェリー・ベルにとっての目下の最大のライヴァルが、七人組のガールズ・グループ、7アイコンズ(7Icons)である。10年10月にデビューした7アイコンズは、その翌年に結成されデビューしたチェリー・ベルよりも少しだけ先輩グループということになる。
7アイコンズのデビュー曲“Playboy”は、アップ・テンポなエレクトロ・ダンス・ミュージックとなっており、それまでのインドネシアのアイドル歌謡にはなかったようなスタイルのサウンドを初めて展開したグループとして、かなりセンセーショナルな話題をデビュー時から振りまくことになった。その扇情的な振り付けやセクシーな衣装など、保守的なイスラム文化が色濃く影を落とすインドネシアの社会においては、ある種のタブーとされていた部分を打ち破るような強烈なインパクトが、7アイコンズの登場にはあったのである。
また、この7アイコンズのスタイルやグループのコンセプトの背景にも、やはりK-POP(のガールズ・グループがもつ現代における女性解放のアティチュード)からの多大なる影響が存在していることは言う間でもない。そして、チェリー・ベルや7アイコンズの音楽に熱狂するファンの中には、実はヒジャブ姿の若い女性の姿も少なくないのだ。インドネシアの社会においては、K-POPから影響を受けたアイドル歌謡という新しいスタイルの音楽文化の力が、確実にこれまでには固く閉ざされていた自由な地平への扉をこじ開けつつある。おそらく、こうした若い世代の動向に眉をひそめる保守層からの陰険な抵抗なども少なからずあるのであろうが。
チェリー・ベルは、直近のライヴァルである7アイコンズが展開する少しアダルトでセクシーなイメージ戦略との明確な差異化を図るために、より可憐でガーリーな少女時代的スタイルを敢えて意図的に取り入れているのだとも考えられる。現在はまだ、このチェリー・ベルと7アイコンズによる両極端なスタイルが表立った形で旋風を巻き起こしているが、今後はインドネシアのアイドル歌謡もより多様化へと向かって加速してゆくはずである。この事実上の二大グループを脅かすような新勢力が次々と登場してきてくれると、さらに面白いことになってゆくのだが。

11年秋、AKB48のプロデューサー、秋元康によって、インドネシアのジャカルタを拠点とする海外では初となるAKB48の姉妹グループの誕生が発表された。それまでは名古屋の栄や大阪の灘波といった東京の秋葉原と同様に国内の都市の繁華街に専用の劇場をもつ「会いに行けるアイドル」のローカル版グループを各地に増殖させてゆく形で展開されてきたプロジェクトであったが、いきなり国外のインドネシアのジャカルタにおいて新たなグループが結成されることが決定され、少なからず周囲の度肝を抜いた。
なぜ、唐突にインドネシアのジャカルタなのか。しかし、これは現地の最近のアイドル歌謡の劇的なまでの変革期を迎えている動きを視野に入れておけば、それほど驚くべきことではなかったのかも知れない。ここ数年の異常なまでのK-POP人気の高まりを受けて、その韓国産のサウンドやスタイル、ファッション性を明らかにひな形とした7アイコンズやチェリー・ベルといった全く新しいタイプのガールズ・グループが相次いでデビューし、これまた爆発的な人気を獲得している。こうした現地の状況を考えるならば、プロデューサーの秋元康がいち早く動いたことも、さもありなんと思えてくる。近年の爆発的な人口増加によって、インドネシアの都市部には莫大な数のアイドル歌謡に熱中/熱狂する若年層が居住している。この空前のゴールド・ラッシュに沸いている輝かしいフロンティアを、当代随一の100万枚売るスキルをもつ敏腕プロデューサーが黙って見過ごしてしまうわけがないだろう。
オーディションによって選出された28名の第一期生によって11年11月に結成され、12年1月から本格的にTVやラジオ、CM出演など各メディアと連動した活動を開始したJKT48であるが、やはりまだインドネシアのアイドル歌謡の世界では、突然登場した外来種的な受け止められ方をしている雰囲気が強い。これに対し、7アイコンズやチェリー・ベルは、(すでに定着しつつある圧倒的なK-POP人気を背景とする、外来のスタイルや文化を大胆に取り入れた)全く新しい形のアイドル歌謡を歌って踊る、純国産アイドル・グループとしてとらえられている感覚は強くある。同じようにローカルなインドネシアでのタレント発掘オーディションによって誕生したガールズ・グループであるのだが。
そういう意味では、日本型の素人っぽい親しみやすさを前面に押し出したAKB48の「会いに行けるアイドル」コンセプトの流れを汲むJKT48は、今のところまだ市場での馴染みが薄いせいか、やや苦戦強いられているようにも見える。ここにきて、日本のポップ・カルチャーを紹介するイヴェントやAKB48を招聘したJ-POPのコンサートが開催され、日本的なアイドル文化の紹介が、まさにAKB48ブランドを中心になされる動きなども、ちらほらと出てきつつあるのだが。現地インドネシアでのJKT48のプロモーションにも、ようやく本腰が入りつつあるところであるのかも知れない。
12年にはデビュー・アルバムと同タイトルの「Love Is You」と題されたチェリー・ベルの映画が公開される予定である。これは、チェリー・ベルのメンバーたち本人を主人公にした、トップ・アイドル・グループの舞台裏や素顔までを描き出すような内容のノン・フィクション系のアイドル映画となるようだ。こうした売れたらいきなり映画という流れは、どこか日本の80年代アイドル的でもある。さらにいえば、このアイドル活動のドキュメンタリー的な映画の製作は、現在日本でAKB48が展開している手法をインドネシアにおいて先取りしている形だともいえるだろうか。これは、インドネシアのアイドル歌謡の世界が、どこまでも貪欲に新しいものを吸収している確かな証拠でもあるだろう。この素早い動きには、日本型のアイドル文化を海外展開することを目論むJKT48側としても、ちょっと一本とられてしまった感じではなかろうか。おそらく、そのうちにJKT48の誕生から成功までを追ったドキュメンタリー映画も公開される予定なのであろうが。
このようにインドネシアのアイドル歌謡の新時代は、まだまだ黎明期だけに、かなり混沌としたものとなっている。とりあえず、現在は7アイコンズやチェリー・ベルが人気の面で先行しているが、秋元康プロデュースのJKT48が次々と大きめのプロジェクトに関わり猛追してくるであろうことは、すでに目に見えている。このあたりのJKT48が、どういったAKB48の手法を踏襲した戦略的な動きを新たにインドネシアの地で展開し、ぐいぐいと巻き返してくるのかという点も大いに見物である。
ちょっと傍目に見ても、このJKT48には、何やら得体の知れない勢いが感じられたりもする。さすがに歌詞はインドネシア語となっているが楽曲そのものもステージ衣装も振り付けも、ほぼAKB48と同様のスタイルとなっており、現在の日本のアイドル文化のど真ん中を、そのまんま海を越えて運んできたようなJKT48の在り方には、少しばかり衝撃的なものすらある。ローカルな文化や伝統に深く根差した独特のゆるさを特徴としてもつインドネシアの歌謡曲に長年親しんで目や耳には、妙にちゃきちゃきしたアイドル・ポップスでJKT48が歌い踊る光景は、相当なカルチャー・ショックを受けるものであるに違いない。
こうした新奇なものに対する反応というのは、きっと様々であるのだろう。現地では激しい拒絶反応も存在しているはずだ。ただ、すでにJKT48の登場以前にはあまり見られなかったようなペンライトをかざして集団で統一感のあるコールをする、極めて日本的(〜韓国的)なアイドルの応援スタイルをいち早く取り入れている熱狂的なファン層も、ちらほらと目につきつつある。しかしまあ、そうした肯定派と否定派が入り乱れる状況も含めて、JKT48とは、インドネシアのポピュラー音楽の歴史において、まさに黒船とよべるような特異な存在のガールズ・グループだといえそうである。

ここで取り上げたチェリー・ベルを筆頭とするインドネシアのガールズ・アイドル・グループは、かつてのモーニング娘。が度重なる増員の際に試みてきたメンバーのデビュー前からの軌跡を詳細に追うリアリティ・ショー的な見せ方の方法論、アジアで絶大な人気と影響力を誇る少女時代を模範とするK-POP流儀のサウンドやヴィジュアル/イメージの打ち出し、そして秋元康がプロデュースする表面的に素人っぽさを残しつつ手の届く距離感の憧れの対象としてのアイドル像を周囲が作り上げてゆくAKB48型のスター・システムなどを、あまり咀嚼せずそのままの形で取り入れミックスして、結果として全く新しい形のインドネシア型のアイドル歌謡の文化を形成しようとしているようにも見受けられる。
しかし、その混ぜ具合や仕上げのタッチが、まだ十分にこなれたものになっていないのが、紛うことなき現状である。そして、そこに実に興味深い独特な面白味が生まれきていたりするのだ。どうしてもインドネシアという場所ならではのユルさや伝統的な大らかな精神性のようなものが、時代の最先端をゆこうとするアイドル文化やアイドル歌謡のプロダクトに顔を出してくるのである。決定的にふわふわとした歌唱や極めてユルい整合をみせる振り付けなどのチェリー・ベルがもつグループの持ち味は、そういったインドネシア人としての根っこの部分からにじみ出してくる特徴であるようにも思われる。
ただ、間違いなくいえることは、こうしたインドネシアの新しいアイドル歌謡の文化は、まだそのほんの入口に立ったばかりであるということである。それは、ここからすくすくと成長してゆくであろうし、インドネシアの社会や文化の中で思いがけぬ多様化もしてゆくことになるであろう。まさにインドネシアのアイドル歌謡とは、これからのものなのである。80年代〜90年代にかけて日本/韓国/台湾/香港で培養されてきたアイドル歌謡の文化が、中華圏の都市部への浸透を経由して、一気に東アジア全土に拡大してゆこうとしている。
現在、チェリー・ベルや7アイコンズ、JKT48などの新鋭グループたちがひしめき合う21世紀型のアイドル歌謡の動きが形成されているインドネシアは、いち早くこのアジアの一大アイドル文化革命の流れに敏感に反応したことで、今後の動きの中で非常に重要な位置を占める地域になってゆくことは間違いない。いつの日か、このチェリー・ベルが、アジアを代表するトップ・アイドル・グループのひとつとなっていたとしても、決しておかしくはないのである。(12年)

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New Pants: Sex Drugs Internet

2012/03/15 03:00
New Pants: Sex Drugs Internet
摩登天空 M060

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2011年11月18日にリリースされた新裤子(New Pants)の通算七作目のアルバム。リリース元は、彼らがデビュー時から拠点としている北京のインディ・レーベル、Modern Sky(摩登天空)である。
New Pantsは、96年から活動を続ける北京のインディ・ロック・シーンにおける古株中の古株バンドだ。この新作アルバム“Sex Drugs Internet”は、そんな彼の地のシーンの重鎮バンドである彼らのデビュー15周年記念盤となる作品でもある。この作品のリリースに合わせて、本作を含むこれまでの七枚のアルバムを全てパッケージしたスペシャル・ボックス・セットも発表されている。

ギター&ヴォーカルのパン・レイ(彭磊)を中心にスリー・ピースのパンク・バンドとして結成されたNew Pants。結成当初からシンプルでポップなパンク・ロックを演奏する若い世代を代表するバンドとしてライヴハウス・シーンで人気を博し、メキメキと頭角を現していった。
そのサウンドは、明らかにニューヨーク・パンクの雄にして永遠のパンク・キング、ラモーンズ(Ramones)からの影響を大いに受けているものであった。だが、そのカラリと抜けるように明るい等身大の若者の日常を歌ったパンク・ロックは、鬱屈した空気が充満する北京の街のアンダーグラウンドに棲息するパンクスからの絶大なる支持を得たのである。90年代という時代が、北京にもラモーンズのようなシンプルなサウンドで息苦しさの元凶である壁を突き破るようなロックを歌う存在を求めていたということなのであろう。
しかし、バンドのデビューから15年が経った今では、彼らを90年代と変わらずにポップ・パンク・バンドだと認識している北京のロック・オーディエンスは、おそらくひとりもいないのかも知れない。生真面目なパンクスにとっては、今やNew Pantsというバンドは(パンクスにとっての基準で)厳密にいうパンク・バンドという範疇に収まる存在では、最早ないのではなかろうか。それだけ、この15年の間にNew Pantsは、バンドとしても、その音楽性の面でも刻々と変化を遂げてきた。
長い時間をかけて活動を継続していれば、どんなバンドであっても演る側がそれだけ年齢を重ねてゆくのだから音楽的にも深まり成長してゆくのが、至極当たり前のことだと考えるのが普通であるのかも知れない。だが、音楽というものは、そう簡単に深まるものではない。俗にいう、音楽性の進化や成長というものは、極めて表面的で表層的な音楽スタイルの微かな変化でしかないことが実はほとんどであったりする。

現在のNew Pantsに結成時のオリジナル・メンバーは、グループの中心人物であるギター&ヴォーカル担当のパン・レイしか残ってはいない。彼らは、ラモーンズ直系のシンプルなポップ・パンクからスタートし、これまでにどこにもなかったようなオリジナルなロック音楽の形成を目指して、そのバンドのメンバーや形態そのものを少しずつ変化させながら、着実に歩みを進めてきた。文化的・音楽的な立脚点をしっかりと見つめ直し、ポップ・パンクのその先へと進み始めたNew Pantsが志していたのは、北京のインディ・シーンにおける史上初の真の意味でのオルタナティヴ・ロックの確立であったのではなかろうか。
パンク/ロックのスタイルに中国の伝統音楽や民謡から引っ張ってきた旋律や庶民的な歌謡曲のノリを盛り込むなど、次第にNew Pantsは予測不能でかなりヘンテコリンな音楽性を剥き出しにしてリスナーをアトラクトするバンドへと変身していった。面白そうなアイディアであれば、どんなことにも果敢にチャレンジしてゆく姿勢が、結果としてNew Pantsというバンドの音楽性をパンク/ロックの領域だけに決して収まりきらぬ幅の(振り幅の)広いものにしていったことは間違いない。
ただし、本来的な意味からすれば、こうした常に存在として革新的であり続ける姿勢は、実にパンクらしいパンクであるともいえるだろう。ひとつところに安寧として、ひたすらに停滞し続けるパンクとは、もはやパンクと呼べるものではない。そんなところにも、このNew Pantsが、いまだに多くのメディアにおいては北京のパンク・バンドとして(もしくは、ディスコ・パンク・バンド、シンセ・パンク・バンドとして)紹介される、ひとつの大きな要因があるように思われる。きっと、このバンドが、その根幹の部分にもっているアティチュードの部分が強く作用して、そうした印象をかき立てずにはいられなくさせるのであろう。

バンドにとって、ひとつの大きな転機となったのが、当初はサポート・メンバーとしてNew Pantsの活動に関わっていた鍵盤奏者のパン・クアン(龐ェ)が正式にメンバーとしてバンドに加入した編成の変化(99年)であった。この三人組から四人組への動きによって、彼らはスリー・ピースの形態でのポップ・パンクという音楽的な拘束からも解放されることになる。また、強烈にエキセントリックなキャラクターの持ち主であり、音楽的にも非常に才能豊かなパン・クアンを迎え入れて、結成当初/デビュー当初から染みついていたポップ・パンクのイメージを徐々にだが払拭してゆくことは、このバンドが停滞(固定化)を振り切り前へ進むための強力な推進力ともなった。
さらに、その後の音楽性の変化の中でNew Pantsの活動形態が実質的にパン・レイとパン・クアンの双頭体制となってゆくに従って、このバンドがもつ真のポテンシャルがジワジワとあぶり出されてきたという部分もある。電子楽器をシンプルなバンド・サウンドへ導入することによって、打ち込みの四つ打ちビートによるディスコ・パンクや、よりエレクトロニックな方向へ音楽性を押し進めたシンセ・ポップなど、旧来型のパンク一辺倒なだけではない多彩な音楽スタイルを獲得することでバンドの表現そのものの幅も大きく広がっていったのだ。
オリジナルのパンクからポスト・パンク〜ニュー・ウェイヴへ。ある意味では、こうした音の変遷は歴史的な事象と照らし合わせてみても宿命といえる流れであるのかも知れない。そして、この間違いなくシーンを象徴するバンドのひとつであるNew Pantsが、決して止まることなく動き続けることは、北京のアンダーグラウンドのロック音楽が、(ひとつの時代的・歴史的な反抗運動や反骨精神の象徴でもある)ラモーンズ型の原パンクのスタイルから脱却し、新たな時代の(新たな形のプロテストに対応した)新たな音楽へと突入してゆくために必要不可欠な変化であったとも考えられる。より自由に音楽のスタイルが模索されてゆくことで、そこに清廉な空気が流れ込み、閉じたシーンの壁は突き破られ外側へと広がりのあるものとなってゆくはずだ。

00年代の半ばからは、ほぼパーマネントなドラマーとしてダーハン(徳恆)がライヴ活動などに参加し、さらに09年には、オリジナル・メンバーの脱退以来しばらく空席となっていたベースのパートに女性メンバーのチャオ・モン(趙夢)が正式に加入して、現在の四人組のライン・アップへと至る。New Pantsは、このパン・レイとパン・クアンを中心とする四人の編成によって、これまでの15年の歴史を振り返ってみても最も安定感のあるバンド形態へ到達していると見ることもできるかも知れない。
ただし、現在のNew Pantsは、確かにひとつのバンドという形にはなっているが、より自由度の高い多様なフォーメーションでの展開が可能な音楽/芸術集団というようなものともなりつつある。もはや昔ながらのロック・バンド然としたバンドではなく、ロック音楽というアート・フォームにおける実験を試みるためのひとつの場・サークルのようなプロジェクト/ユニットとなってきているのだ。楽曲によっては、パン・レイとパン・クアンがリード・ヴォーカルの役割を交代して分け合い、時にはメンバー以外のゲストがメインを務めることもある。そこでは、ロック・バンドとしての活動/演奏形態における定型というものが徐々に希薄になってきている。そうした意味でも、彼らは、北京のインディ・シーンにおいて、最も特異で、かなり掴み所のない軟体動物的な楽団となりつつあるといえるであろう。

このNew Pantsにとって通算七作目となるアルバムには、“Sex Drugs Internet”というタイトルが冠されている。おそらく、ほとんどの人が、これがある種の不良性に基づきそれを助長・増長させるロック音楽の世界におけるクリシェ、“Sex & Drugs & Rock & Roll”というフレーズを、彼らなりの感覚で捩ったものであることに気がつくであろう。
この元々のフレーズが、ロックの世界で大きな注目を集めるようになったのは、ロンドンのパンク・ロックの直接的なルーツのひとつであるパブ・ロックの雄、イアン・デューリー(Ian Dury)が77年に同名のタイトルの楽曲を発表し、センセーショナルなイメージを振りまいたことに由来するとされている。“Sex & Drugs & Rock & Roll”は、近代末期の都市において極限まで加速したオルタナティヴな日常を生きる若者像と倦怠を打ち破るロンドン・パンクの精神性を(図らずも)結びつける重要な役割を果たした歴史的な楽曲であった。
そして、デューリーの楽曲から約35年後の現代の世界(ネット社会)において、New Pantsは“Sex Drugs Internet”という少々ベタなフレーズを、この新たな時代(ネット時代)を生きる者たちのためのスローガンとして高々と掲げてみせる。この言葉は、現代を生きる精神的に空虚な世代に属する全ての人々に捧げられている。一見すると駄洒落かギャグのようなタイトルであるが、そこに込められている意味は非常に辛辣で深い。
今や全世界を、エンターテインメントを含め、あらゆる面で覆い尽くしているのは、間違いなくインターネットである。かつて目も眩むほどに性急なビート感を伴って若者文化の中心に位置していたロック音楽は、光速のインターネット回線のネットワークを駆け巡る情報とデータの量に完全に凌駕されている。いや、それはもはや、その情報とデータのほんの一部でしかない。また、中国という国においては、これまで歴史的に一度も本物の生きたロックが文化や娯楽として存在していたことはなく、そうした青臭い反抗と反骨の精神を根底にもつ若者文化が開花することのないままに、そのまま全世界的な動きに巻き込まれるようにネット時代に突入してしまった(中国政府は非常に執念深く新時代の自由の名の下に民衆の本音の言論が溢れかえるネット世界の動きを規制しようとしているが)という(全く異なる)経緯がある。
インターネットが万能神の如く君臨する世界・社会に生きる、現代の若者の生とは何と空虚なものなのであろうか。たとえセックスとドラッグにまみれていたとしても、まだ反骨と不良性に満ちたロック音楽/文化というものが明確に存在していた時代の若者の生は、極めて刹那的ではあったが実にキラキラと人間的で強烈な輝きを(極めて人間的な臭みとともに)放ってはいた。
しかし、今やセックスもドラッグも全てがインターネット経由という時代である。情報とデータの移動だけが全てという世界・社会は非常に空虚であるが、そうした現状をNew Pantsは全否定しているわけではない。このアルバムのタイトルとなっている“Sex Drugs Internet”という言葉は、今という時代を深い洞察でとらえたスローガンであり、現代の若者の生を(ややシニカルに)称揚し讃えるフレーズでもある。もはやインターネットなしには何も始まらないような、ネット世界/ネット社会を、そしてこの空虚さを、極限まで生ききるのが21世紀的な生の在り方ということなのであろう。

アルバムを再生すると、1曲目の“戲劇開始的時候”と2曲目の“你還記得那個電影演員嗎?”が、いきなりあまりにもジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)やニュー・オーダー(New Order)を思わせるサウンドとなっており、ちょっと度肝を抜かれる。しかし、ここまできっちりと細かいツボを押さえてやってくれると、こうした音に対する強い思いがヒシヒシと伝わってきて何か無条件に共感できるような部分も生じてきたりするから不思議だ。やはり、あの音を心から愛していたら、ここまでやってみたくなるのは当然のことだとも思われる。
そして、この微妙に余白を残しつつ巧妙に模倣してみせるプロダクションの質には、アジア的な香りを嗅ぎ出さずにはいられないものもある。日本も韓国も中国も、やはり皆やることは同じで、それぞれに全く同じ道を歩んでいることがよくわかる。アジアは兄弟だとはよくいったものだ。どうしたって血は争えない。元来、我々は外来の文化を(良くも悪くも)次々と丸呑みしてしまえる民族なのである。そして、反芻と咀嚼を繰り返し、独特の風合いをもつ排泄物を生み落としてゆく。そのようにして我々は近代の世界の遠い東の果てで遅ればせながら(目覚ましい)発展を遂げてきた。(そして、今そのアジアが近代最末期/ポスト近代期の世界の中心になろうとしている。)
ここにあるNew Pantsのサウンドもまた、極めてアジア的なニュー・ウェイヴ・リヴァイヴァルといえるであろうか。また、そのシンセ・ポップやディスコ・パンクな音として噴き出すこととなった明らかなポスト・パンクのテイストには、90年代にパンク的な初期衝動とともに産声を挙げた中国・北京のアンダーグラウンドなインディ・シーンが、00年代以降に(インターネット時代の)フレッシュな空気感を取り込み、一部で(やや歪ながらも)極端な形をとって活性化つつあることを感じさせてくれるものがある。そうした意味では、本作でのNew Pantsのサウンドや表現は、実にストレートに今という時代を浮き彫りにさせているといえる。

また、2曲目の“你還記得那個電影演員嗎?”は、そのタイトルを直訳すると「あの映画女優のことまだ覚えてる?」となる。これには、元ザ・スミス(The Smiths)のモリッシー(Morrissey)が、今では世間から完全に忘れ去られてしまった往年の子役スターの悲哀を皮肉と愛を込めて歌った楽曲“Little Man, What Now?”(88年に発表されたファースト・ソロ・アルバム“Viva Hate”に収録)を、どこか思い起こさせるものがある。曲の主題としては、ほぼ同じだと考えてよいのだろう。ジョイ・ディヴィジョンにニュー・オーダーときて、さらにマンチェスターつながりでザ・スミスのモリッシーということであろうか。そう考えると、実に洒落ているように思えてくる。これは、形式とモティーフと地域性や系統までをも引いてきた本歌取りという手法だといえるであろうか。
ただし、New Pantsの楽曲には、どこまでがネタで、どこからが大真面目なのかが、全く判断つかない部分は多分にある。こうした傾向は、このアルバムのほとんど全ての楽曲に該当するといってよい。大真面目なのか、ふざけているのか、確固たる確信をもってどちら側にも色分けすることはできない。それは常に両極の間をふわふわと曖昧な色で漂い続けている。おそらく、そこにこそ、New Pantsの楽曲の面白さはあるのだ。それは本気の歌として聴くこともできれば、何かの冗談のように聴くこともでき、そこに妙な裏があるのではないかと勘繰りながら聴くこともできる。アルバムのタイトルの“Sex Drugs Internet”だって、ただこのフレーズだけをポンと差し出されたら、きっと誰もが異様なまでに安っぽいシャレか語呂合わせだとしか思わないであろう。

3曲目の“不放開”(Never Let Go)では、打って変わってギター中心のストレートでアグレッシヴなパンク・ロックが展開される。この楽曲のMVには、北京のライヴハウス「MAO」のステージに立つ若い三人組のバンドのラフな演奏シーンがフィーチュアされている。
薄暗い「MAO」の店内に人影はまばらだ。そのステージを見つめているのは、メンバーのガールフレンドとその友人など数名のみ。ステージ上の人数とフロアにいる人数に、そう大差はない。ただただパンクな演奏に徹するスリー・ピース・バンドの青臭いまでの若さだけが無謀なまでにほとばしっている。闇雲にステージの上から解き放たれた煮えたぎるような感情は、ヒンヤリとしたライヴハウスの閑散たる空間に行き場もなく響くだけだ。そして、楽曲の演奏が終わると、横縞のカーディガンを羽織ったギター&ヴォーカルのメンバーは、在りし日のカート・コバーン(Kurt Cobain)よろしく後方のドラム・キットに走り寄り不格好にダイヴを決めてみせる。そのまま情けないほどにグダグダの状態となって、MVは終わる。
このMVの映像は、一心不乱にパンクだった頃の初期のNew Pantsの日常やライヴ演奏を再現しているものなのであろう。ただ、そこに今はもう遥か遠くに過ぎ去ってしまった時代へのノスタルジーは、微塵も感じられない。カメラは、まさに出口なしな状況の中で悶々とパンクする若者の姿だけをとらえている。全く救いようのない若きロックする魂だからこそ、眩く輝くのだ。デビュー15周年を迎えたNew Pantsは、そんな決して取り戻すことも八方塞がりでドコにも行き着くこともない、どうしようもない若さというものを、やや冷ややかに突き放した地点からとらえて演ずるように歌ってみせる。そういう意味でも、この楽曲のMVは、かなり秀逸な一本だといえよう。

また、7曲目の“After Party”のMVでは、“不放開”のMVに登場していたバンドのメンバーのガールフレンドをメインに据えて、この女の子の視点から見られ感じられた北京のアンダーグラウンドなロック・シーンの空気感や何の変哲もない退屈と気晴らしの繰り返しの日々を送る若者たちの日常が、実に淡々と描き出されてゆく。
ここで少女は、ボーイフレンドのスリー・ピース・バンドに参加し、ヴォーカルを担当して少し舌足らずな可愛らしいヴォーカルを披露している。撮影が行われているのは、やはりライヴハウス「MAO」である。先ほどまで観客であったガールフレンドまでもがステージに上がってしまったら、もはやフロアにはほとんど誰もいない状態となる。ここでの彼らは、そんな些細なことはお構いなしに、ただただ自分たちの音楽を純粋に楽しんでいるように見える。ステージの向こう側に広がる空間は、全く底が見えないくらいに真っ暗だ。だが、彼らは眩いライトに照らし出されたこの場所と自分たちの音楽が鳴っているこの一瞬だけが全てだと、それぞれがそれぞれに全身で味わっているかのようですらある。ただし、そんな少女の表情/笑顔からは、いつも少しばかりの悲しみと憂いの色が垣間見れるのだ。一緒に「MAO」にライヴを観に行った友人と、ふたりカラオケをしている時も、だらだらとボーイフレンドとともに過ごす時間も、そして目の前でボーイフレンドが友人にちょっかいを出す瞬間を目撃してしまうときも。それでも、少女とバンドマンの付かず離れずの曖昧な関係は続く。ややこわばったような表情で、北京の土色の裏道や引っ切りなしに自動車が行き交う夜の高架橋をひとり黙々と歩く少女。人知れずひっそりと咲く可憐な花のようだが、その芯にはしっかりとした強さと覚悟が備わっていることがわかる。仲間内のバンドで歌っていても、友人と遊んでいても、ボーイフレンドと一緒にいても、彼女はいつだってひとりぼっちだ。人間は、誰だってひとりで歩いてゆかなくてはならない。ラスト近くのシーンでの、少女とボーイフレンド以外には誰も乗客の乗っていないガランとした路線バスの最後部座席で、ともに肩を寄せ合い互いの頭にもたれ掛かりながら、つかの間の眠りに落ち、つかの間の(それぞれの孤独な)幸福に包まれている姿が、とても印象的だ。走るバスの車窓の向こう側を夜の北京の街の灯りが、ゆるやかにゆるやかに後方へと流れてゆく。
この“After Party”で展開されているサウンドは、シンプルなシンセポップ・スタイルのニュー・ウェイヴ系ロックである。そして、やはりその音がもつ雰囲気には、初期のニュー・オーダーとの近さを決して否定できないものがある。ただ、ここではヴォーカルを担当しているのがキュートな歌声の女性であるためか、他の楽曲よりも少しばかり甘いポップ感覚が割り増しされているようにも感じられる。

また、このNew Pantsの“After Party”を、K-POPの人気アイドル・ガールズ・グループ、2NE1の“Let's Go Party”と聴き比べてみるのも面白い。“Let's Go Party”は、2NE1が09年に発表したファースト・ミニ・アルバム“2NE1”に収録されていた楽曲である。そのサウンドは、エレクトロニックなヒップホップ〜R&Bスタイルであり、ややNew Pantsの“After Party”とは系統的に異なる。しかし、この両曲には、コーラスのメロディなどに非常に近いものがあるのだ。同じパーティという言葉を同じようなタイミングでビートに乗せているため、ただ単に譜割り的にもどうしても近くなってしまうという部分はあるのだろう。だが、片方はすでにパーティが終わった後の歌であり、もう片方はこれからパーティに出かけようとしている歌となっている。主題的には、全く正反対なものである。ゆえに、これらの相似と相違が入り混じる楽曲を対比させて聴くことには、なかなかに面白いものがあるような気もしてしまう。
2NE1の“Let's Go Party”は、いざこれから遊びに出かけようという歌であるにも拘らず、そのメロディ・ラインはややメロウで決してイケイケなムードではない。ここには、もはやパーティに行って気心の知れた仲間たちとともに騒ぎ楽しいひとときを共有することが、そのライフ・スタイルの一部として当たり前のこととなっているような雰囲気がある。2NE1が歌う世界では、パーティに出かけること(パーティがあること)自体が、決して特別ではないのである。
一方、New Pantsの“After Party”においては、すでにパーティは終わっているにも拘らず、何かその熱のようなものがまだハッキリとそこに残っている。どこか“Blue Monday”風の打ち込みのビートを導入したシンセポップな曲調は、やや祭りの後のような寂寥感をたたえている(サビのコーラスでは「It's too late」と連呼される)が、全体的にはどちらかというと(パラドキシカルに)アッパーな響きをもつものでもある。
ここでは、パーティとはいつまでも続いていてもらいたいものであり、パーティが終わった後には、その対極にある味気なく退屈な日常が大きく口を開けて待ち構えているのである。何もかもを忘れて楽しむことのできるパーティは日常とはかけ離れた場所にあり、その特別な時間を生きることは一種の都市のオルタナティヴなライフ・スタイルに他ならない。まさにライヴハウス「MAO」のステージ上に存在した、あの一瞬のようなものこそが、彼らにとっての最上のパーティであり、眩いライティングの電源が落ちれば、そこは一瞬にして底知れぬ深い暗闇に変わってしまうのだ。そして、パーティの後の静けさの最中では、耳鳴りのような打ち込みのビートの残響だけが頭の中に残り続ける。
ここでNew Pantsが、K-POPのアイドル・グループである2NE1の楽曲を実際に意識しているのかいないのかは、全くもって判然としない。おそらく、ほぼ意識しているようなことはないのであろう。だが、これらの両曲をならべて対比させて聴いた時に、そこに何か関連があるように聴くことができるというのは、実に興味深い事実であったりする。

そして、9曲目には“I’m Not Gay”という楽曲が収録されている。何とも直球というか身も蓋もないというか、それでいて何かその裏にあるのではないかと頭を捻りたくなってしまうタイトルの楽曲である。そのサウンドは、やや珍しく硬質な質感をもったエレクトロニック調のロックとなっている。そこには、どこかキャバレー・ヴォルテール(Cabaret Voltaire)やザ・ヒューマン・リーグ(The Human League)を輩出したポスト・パンク期のシェフィールドのエレクトロ・ポップ〜エレクトロ・パンクを思わせる部分もある。
ちなみに、ミニストリー(Ministry)のアル・ジョーゲンセン(Al Jourgensen)が手がけるハードコア・エレクトロニック・ボディ・ミュージック・バンド、リヴォルティング・コックス(Revolting Cocks)が、09年に発表したアルバム“Sex-O Olympic-O”にも、これと全く同名の楽曲が収録されている。おそらく、これも偶然の一致だとは思われる。それでも、このNew Pantsの“I’m Not Gay”においても、まるでリヴォルティング・コックスの楽曲に通ずるかのような、かなり辛辣なメッセージ性を含んでいると思われる歌詞が歌われているのである。
この楽曲では、「俺はシンセポップが嫌いだ、俺はK-POPが嫌いだ、俺は軟派男じゃない、俺はゲイじゃない」という、どこか両義的な響きももちそうな独白が何度も吐き捨てるように繰り返される。そして、サビのコーラスは「I’m Not Gay! Gay, Gay, Gay, Gay, Gay!」の連呼となる。ある意味では、相当にムチャクチャな歌である。逆にいえば、完全に深い意味を放棄している(身振りの)歌と受け止めることもできるであろうか。
また、この楽曲は、レイド・バック(Laid Back)によるエレクトロ・ディスコの古典的名曲“White Horse”(83年)を連想させるような雰囲気ももっている。この“White Horse”という楽曲では、「もしお前がリッチになりたいのなら、まずはビッチになれ」という印象的なフレーズが実に淡々と諭すかのように何度となく歌われる。このフレーズ、どうしようもない駄洒落のようでいて、妙な含蓄をもっていそうな物言いではなかろうか。今風に言い換えれば、世の中の富の約80%以上を独占しているたった1%の富裕層と呼ばれる金持ち野郎共なんて、みんな糞ビッチじゃねえか、といった感じになるだろうか。まあ、言い得て妙ではある。
こうした、ある種のナンセンスさを前面に押し出した歌詞というものには、これが万人向けに商品化された型にはまったポップ・ミュージックでは決してなく、徹底してエスタブリッシュメントに反するロックする精神性や意思を明確に表明したものと見ることができる部分が含まれている。ロックであるためには、時には全く思ってもみないような突飛なことを口走ることも必要なのだ。たとえ、それが単なる強がりや虚勢であったとしても、それもロックするためには必要不可欠な要素であったりする。

パン・レイは、本作に関するインターヴューにおいて、以下のような主旨のことを語っている。
中国には、もともとロック音楽が育つ土壌もなければ、それを若い世代が音楽的なルーツにする環境も存在しなかった。そして、ロック音楽にエレクトロニックなサウンドを取り入れ、打ち込みのビートでダンス・ミュージックやディスコ・ミュージックを演奏するにしても、わたしたちは残念ながら同性愛者ではないのです。それゆえ、その音楽の本質を本当に理解して演奏することはできないのかも知れない。欧米で誕生した文化の概念が、そのまま中国人の生活や文化にあてはまるとは思えない。東洋と西洋には確実に隔たりがある。それならば、まずはストレートな中国人としての自分というものを、とことんまで見つめ直して、己に正直に音楽をやらなくてはならないのではないか。そうした音楽活動の指針や指向性に従って前進してゆくことで、New Pantsのバンド・サウンドもこの15年の間にゆるやかに大きく変化してきた。個人的には、海外で流行しているサウンドをただ模倣しただけの多くの中国のロック・バンド群と現在のNew Pantsの音楽性は、完全に一線を画すものだと確信している。と。
どうやら、こうしたやや複雑な思いが“I’m Not Gay”という楽曲の裏にはあるようなのだ。そんな様々な感情や思考が交錯して、入り組み絡みもつれた果てに噴出したものが、サビでの「I’m Not Gay! Gay, Gay, Gay, Gay, Gay!」というぶっ壊れたコーラスのリフレインであったのかも知れない。

ただ、この楽曲の歌詞の中で、わざわざシンセポップと並んでK-POPについて触れられていることは、それなりに注目に値するのではなかろうか。同じ中国語圏の歌謡曲やポップスであるカント・ポップやマンダ・ポップではなく、韓国のポップ・ミュージックを槍玉に挙げている点には、やはり何らかの意味があると考えざるを得ない。
こうした形で真正面からそれについて言及するということは、それすなわちその存在を認めているということでもある。もはやアジアの大衆音楽/大衆歌謡の世界において、ここ最近の全世界を巻き込んだK-POPの異様なまでの隆盛は誰もが無視できないものとなりつつある。インターネット時代に絶対的な強みを発揮するのが、完全無欠の視聴型プロダクトとしてのアイドルであることは疑い様のない事実である。動画共有サイトのYouTubeを介してインターナショナルな人気を獲得した、ジャスティン・ビーバー(Justin Bieber)やきゃりーぱみゅぱみゅ(Kyary Pamyu Pamyu)などのティーン・アイドルが活躍する、現在の欧米やアジアのポップ音楽の状況を見れば、それは火を見るよりも明らかであろう。
21世紀には、インターネット時代のアイドル歌謡がロック音楽を完全に凌駕する。パン・レイは、そうした時代の流れを直感的に確信しているはずである。そして、それに対する肯定と批判が入り混じった反応が、非常に捩じれた形で表れたものが、この楽曲“I’m Not Gay”であり、そこで象徴的に槍玉に挙げられなくてはならない存在がK-POPであったのだ。さらには、パンクからポスト・パンクへと向かってきたNew Pantsの音楽性を、よりその先へと突き抜けてゆこうとする動きへと突き動かしているのも、そうした冷静で鋭敏な時代考察に対する反応に基づくものであるに違いない。

8曲目には、本作のハイライトとなるであろう重要曲“我不想模仿你”が収録されている。英文でのタイトルは“I Don't Want To Follow You”であり、翻訳するとすれば「あんたの真似なんかしたくない」といったところか。ここでは、前述のインタヴューでパン・レイが語っていた中国のロック音楽や模造品についての激しい思いが、より鋭利でストレートな歌詞となって歌われている。しかしながら、そんなやや棘のある辛辣な言葉たちが吐き出されるにも拘らず、この楽曲におけるサウンドは、どこか奥深い優しさをたたえているかのような清廉にしてソフトなシンセポップとなっており、ここにあるものが決して一筋縄ではゆかぬものであることを目に見える形で示唆しているようでもある。
この楽曲の歌詞は、まるで静かにステイトメントを読み上げているかのような柔らかで淡々としたメロディにのせて繰り返される。その序の部分となるセンテンスでは、「わたしたちは、ラモーンズではない/わたしたちは、ジョイ・ディヴィジョンではない/わたしたちは、ポップ・ミュージックを聴かない/わたしたちは、カラオケなんてしない/わたしたちは、アーティストではない/わたしたちは、インターネット上にはいない」とキッパリと宣告している。ここで、わざわざまたラモーンズとジョイ・ディヴィジョンに言及しているところが、かなり痛く自虐的な言い様になっているような気もする。しかし、そこがまたNew Pantsらしさでもあるのだ。その鋭い歌詞の矛先は、自と他に分け隔てなく向けられているのである。そして、これに続くコーラス部では、「わたしは、あなたの真似をしたくない/わたしは、あなたになりたくない/わたしは、あなたの後を追いかけたくはない/わたしは、あなたになりたくない」と繰り返される。
安易な物真似をして満足する西欧の音楽文化の盲目的な追従では、まるでダメなのである。そこにあるものは、アジア圏に生きる中国人を形作っているものとは、もともとの土台からしてあらゆる部分で大きく異なっているものなのだから。文化的にも、社会環境的にも、政治体制的にも、経済システム的にも。ゆえに、この“我不想模仿你”においてパン・レイは、穏やかな表情を装いつつも(MVの中では巨大な四角いロボットの頭部をすっぽりと被り顔を覆っている)、キレ味の鋭い言葉を振りかざして熱く熱く吠え続けるのである。
本物っぽくコピーして悦に入るのではなく、どんなに歪な仕上がりだとしてもオリジナリティを誇ること。それこそが、最も重要なのである。ゆえに、常に変わったこと(変化・変態)をするのが、このバンドの活動における最も重視されるコンセプトのひとつとなっていった。ただし、そんな道であっても、常に何々風と揶揄されることを避けられない部分も間違いなくあるであろう。本当に新しいものなど滅多にないのだから(また、本当に新しいものというのは往々にして尖りすぎていて娯楽性にも乏しい)。そこでは、多少の開き直りと決して折れない覚悟が必要となる。おそらくは、それがロックというものの本質でもあるはずなのだ。ロックとは、そのようにしてブルースやカントリー音楽の中から発生し、常に変化と進化を遂げながら歴史を刻んできたのだから。
過去の欧米のロック音楽の名作カタログを参照し、それをただなぞっているだけでは中国でロックをやっていることには決してならない。そんな後ろ向きになっている物真似(コピーキャット)の姿勢を180度転回するに至って、中国のロックは初めて動き始めることになる。この15年間に渡り北京のアンダーグランドなライヴ・シーンで活動を続けてきたNew Pantsは、まだ中国のロックは始まってさえいないと感じている。分厚い壁を突き破る戦いの道のりは、まだまだ長いものとなりそうだ。中国でロックすることの根幹を掴み、それを強く揺さぶり続けること、それがNew Pantsの15年間に及ぶ戦いの歴史であった。そんな彼らが仕掛けた七つめの大きな戦こそが、このアルバム“Sex Drugs Internet”なのである。

さらにもう少しだけ突っ込んでみると、この楽曲の“我不想模仿你”/“I Don't Want To Follow You”というタイトルには、またしても2NE1の楽曲との妙な相関関係のようなものを見出すことができるのである。10年に2NE1が発表したシングル・ヒット曲に“날 따라 해봐요”/“Try To Copy Me”という楽曲がある。常に新しい流行を作り出し続けるイケてる私たちのスタイルを遠慮せずに真似してごらんよと、完全に上から目線で多くのフォロワーやワナビーたちに向けて歌いかける、かなり攻撃的なエレクトロ・ヒップホップ曲である。
この“我不想模仿你”においては「わたしたちは、ポップ・ミュージックを聴かない」と歌い、この次に収録されている“I’m Not Gay”では「俺はK-POPが嫌いだ」と歌うNew Pantsであるから、やはり何かしら意識しているものがあるのではないかと深読みもしたくなってきてしまう。聴き様によっては、“I Don't Want To Follow You”は、“Try To Copy Me”へのアンサー・ソングのように聴くこともできそうだ。このあたりのNew Pantsと2NE1の関係性には、何とも興味深いものがあるような気がしてならない。たぶん、そこを探ってみても何もないのであろうが。

最後に、9曲目の“別再問我什麼是迪斯科”について、軽く触れておきたい。この楽曲の英文のタイトルは“No Question Of Disco”となっており、これらを翻訳すると「もう二度とディスコに関する質問はしないでくれ」となる。何ともアイロニックな香りのするタイトルではないか。そして、実に真っ直ぐな意思表明だ。これは、ポップ・パンク・バンドとしてキャリアをスタートし、その後次第にシンセポップなどのエレクトロニックなサウンドへと接近してゆき、打ち込みビートによるダンサブルなディスコ・ミュージック的なプロダクションへと向かっていったNew Pantsが、長年に渡りインタヴュワーたちに浴びせかけられてきた質問への返答でもあるのだろう。
バンド・サウンドの表層的な部分の変化だけを見ていると、なぜディスコ音楽をやるのか、そもそもディスコ音楽とは何なのかなど、根底の部分からして噛み合わないズレた質問を投げかけてしまうことになる。そんな問いの数々が、常に変化するNew Pantsに降りかかり続けた15年間であったのだ。ディスコについて知ろうとする質問では、何も詳らかにすることはできない。まずは、彼らがどうして変わり続けるのかという部分を、徹底的に掘り下げてみるところから始めなくてはならないということなのであろう。

その活動姿勢や、歌詞に込められている意図やメッセージ、投げかける言葉の裏にあるものなど、パン・レイという男の存在からは、深いインテリジェンスと豊かな才能を色濃く感じ取れる。そのことを証明するかのように、今やその活動範囲は音楽の世界の外にまで飛び出しつつある。パン・レイは、北京のインディペンデント映画界において注目を集める新進の映画監督でもあるのだ。その監督作品は、ロンドンのレインダンス映画祭(Raindance Film Festival)において招待作品として上映されている。また、由緒ある北京展覧館劇場において公開されたロック・ミュージカル公演の監督総指揮を務めた経歴ももつ。間違いなく、パン・レイは、中国インディ・ロック界の巨人である。
そして、その傍らで常に捩じれたキレキレのキャラクターを炸裂させているパン・クアンもまた、相当な知性派であることは疑いようのない事実だ。こちらは、中国インディ・ロック界の裏の最重要人物といったところであろうか。
こうした音楽表現に対して非常に意識的なバンドが存在する限り、中国のロック音楽はきっと大丈夫だろうと思えるものがある。それくらいに、New Pantsの既成概念にとらわれぬ強烈な音楽の力を生み出し続けるふたりの類い稀なる才能には、とても頼もしいものがある。

目まぐるしく大量の情報が動き続けるインターネット時代。次々と立ち現れる最新の流行のトレンドや、過去数十年のポップ文化の歴史のアーカイヴに蓄積されてきた膨大なカタログが、全て綯い交ぜになって止まることなく各端末に押し寄せる。そうした情報を処理・解析し切れなくなり、全てが安易な欧米の文化の再生産となってしまうとき、文化のグローバリズムは完結するということなのかもしれない。おそらく、その動きの最後にして最大の標的が、中国を始めとする巨大な中華圏なのである。こうしている間にも中国の地では、まるでドミノを倒すように肥沃な大地に育まれた文化が根こそぎにされる動きが猛烈なスピードで進行している。その顕著な例が、パン・レイが指摘していた若い世代に頻出している欧米のロックの安直なコピーキャットたちである。しかし、こうした時代の流れを食い止めようとし、さらにはそれを乗り越えて行こうとしているバンドも、確かに存在しているのである。その一群の先頭にずっと立ち続けているのが、パン・レイたちなのだ。欧米からブリックス(BRICS)へと押し寄せる猛烈な勢いのグローバリゼーションの流れに果敢に逆らい、New Pantsは中国から世界へと力強く立ち向かってゆく、逆のグローバリズム運動の急先鋒とならんとさえしている。しかも、実に飄々と、高度なシニシズムとアイロニーを抱え切れぬほどに小脇に携えながら。

これまでにNew Pantsは、国内のライヴ・ツアーだけでなく、海外でのライヴ活動にも可能な限り前向きに取り組んできている。シンガポールやオーストラリアなどのアジア・オセアニア地域や、イギリスを始めとする欧州などにおいてライヴ演奏を行い、現地のオーディエンスに熱狂的な反応をもって迎えられた。そして、11年にはカリフォルニア州インディオのエンパイア・ポロ・クラブにおいて毎年4月に開催されている、現在では全米屈指の著名なフェスティヴァルとなったCoachella Festivalに中国を代表するバンドとして招待され、ゴビ・テントのステージに立っている。この時のライヴの模様はYouTubeにアップされた映像などで確認することができる。
こうした海外での高い評価は、かなり妙な枝ぶりで奔放に伸び続けたNew Pantsの音楽性が、中国のオリジナルなスタイルのオルタナティヴ・ロックとして、認められ、認知されていることの、確かな証拠であるともいえる。変わり続けること、変化し続けることで、ロック・バンドとしては世界的にも在り来たりさの全くない変てこな形態や様式へと向かうことになってしまったが、そのクリエイティヴィティは確実に世界レヴェルへと突き抜けていたということだろうか。
ふたりの思慮深き意識的なアーティスト、パン・レイとパン・クアンによって率いられるNew Pantsが、これからどこへどのように向かってゆくのかも楽しみである。大いに期待したいところだ。ニューヨークにはニューヨークの、そしてロンドンにはロンドンのものがあったように、中国には中国ならではのパンク・アティチュードというものがある。それを初めて北京のインディ・シーンにおいて生み出し、弛まず発展させ続けてきたのが、このバンド、新裤子/New Pantsなのである。(12年)

追記
ここに本文への関連記事として、中国のインディ・ロックの注目アルバムの紹介文を一本併録しておきたい。これは、もともと『ミュージック・マガジン』誌(12年4月号)の輸入盤レヴュー用に準備していたものである。

Duck Fight Goose: Sports
Maybe Mars Maybe 36.1

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 上海を拠点に活動する四人組バンドのファースト・アルバム。メンバーは、ドラムのダーメンとベースの33からなる女性リズム隊に、ハン・ハンとパンダの男性陣がギター&エレクトロニクス担当という構成。結成は09年。独特のキッチュなセンスが閃くポストロック〜マス・ロック的アンサンブルで、彼の地のインディ界ではすでに高い評価を獲得している。
 これは世界を驚かせるに十二分な内容の堂々たる一枚だ。全11曲を収録。朴訥としつつも太く据わったドラムとベースが轟き、キレのよいギターと捩れる電子音が色鮮やかな線を自在に走らせる。そして、巨木の如くそびえるハン・ハンのチングリッシュな歌声が、そこにリリシズムの雨霰を降らせる。時にサイケデリックで、時に痺れるほどに醒めた音。その、これまでに誰も聴いたことのないロックを追求しようとする音楽性には、往年のエコー&ザ・バニーメンあたりと相通ずる手触りがある。

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The Cell #4: Scorching Heat

2012/02/19 02:00
Mizou mini netlabel proudly presents

The Cell #4: Scorching Heat
ザ・セル・#4「スクーチング・ヒート」

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Artist: The Cell #4
Title: Scorching Heat
Genre: Visual-Core/Post-Hardcore/Nu-Metal

Tracklist:
01. 011010#Error#
02. Grave of firefly
03. White curtain
04. Cutting edge
05. Dead past
06. Paper crane
07. Forgotten
08. Velvet dream on a water smooth surface

Cover Image

Download (MP3 + Image)
Visit Archive.org (Free Download & Streaming)

Album Description:
This is the first album from Russian Visual-core/Nu-metal band called The Cell #4. It consists of 5 vocal songs and 3 synthetic tunes.
This album contains pretty hard & heavy fast guitar riffs, high-speed drum parts, deep and rich bass line, melodic rhythm, and extraordinary vocals/voices. - This is Scorching Heat. Enjoy.

Produced by The Cell #4
Mix & Mastering by Semen 'Venomous' and GASWRENCH RECORDS
Artwork by Irina Guseva

Band members:
Stas 'Shinda' - Voice
Vitali - Guitar
Egor - Bass Guitar
Mixail - Drums
Semen 'Venomous' - Sample, Synth

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(L→R) Vitali, Semen 'Venomous', Stas 'Shinda', Mixail, Egor

For more information
Facebook page
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vk.com/the_cell_4

Creative Commons License


The Cell #4: Scorching Heat
Mizou MZ004

Visual-kei is already the universal language. This movement began with a group of bands was particular about the productions of the visual surface that appeared in the indie rock scene of Japan in the late 1980s. When the whole world was in the midst of the grunge boom, everyone was wearing the dirty damaged jeans and the nel shirt. However, around the same time the visual-kei rock band in Japan erected the dyed colorful hair towards heaven.

The Cell #4 is a Russian quintet band who were influenced from Japanese visual-kei rock. They were formed in Rybinsk in 2006, went close to the style of visual-kei from around 2009. Its musical style fusions the fast and heavy aggressive rock sound such as hardcore punk, heavy metal, and electronic sounds. They deploy a new generation of visual-kei rock spectacularly. In addition, their visuals are the fusion of the traditional style of European and the alternative style of Far Eastern Asia.

This is the first album for The Cell #4. This collection has five main songs and three experimental instrumental songs. It is the eight tracks album. The guitar with heavily distorted tone, plays out the grand twisted riffs. That beat mixed the mechanical industrial sound and the hasty hardcore punk, shows a variety of facial expression. The vocal expresses a deep melancholia and psychedelia, uses both growl and high tone. The pieces of instrumental interlude are making us feel an affinity and closeness for the european progressive rock and the modern electronica.
They mentioned that Japanese bands such as Dir En Grey, X Japan, Mucc, D'espairsRay affected them greatly. And also they have such experiences to share the stage with Japanese band, The Black Love Fantom and The Royal Dead, that visited Russia in live tour. In February, they perform the live on stage with the young-star visual-kei band Plunklock, at their first show of the European tour, in Moscow.

ヴィジュアル系(Visual Kei)のロックというと、髪を逆立て、皮ジャケット等にスタッズを打ちまくった、80年代のパンク系やメタル系のファッションを極端な方向へ押し進めたショッキングなルックスと、メロディックでハードなメタル・コアの迫力あるサウンドというものが、まず思い浮かぶ。大昔の「天才・たけしの元気が出るテレビ」や「上海紅鯨団が行く」に出演していた頃のX(X Japan)や、マイナー雑誌だった頃の「Fool's Mate」の誌面に度々登場していたColorといった、奇抜な風体をしていたバンド群が、この日本のロック史上におけるひとつの特異な種族/流派のはしりであろう。
これは、80年代後半のインディーズ・ブーム最末期の爛熟したメジャー寄りのアンダーグラウンド・ロック・シーンにおいて、ある意味湧き起こるべくして湧き起こった動きでもあった。そして、その動きが次第に大きくなってゆくにつれて、あまりメタルの様式美に固執することのなくなったバンドのサウンドは瞬く間にアングラ臭を消し、聴きやすくノリのよいビートを基本とするポップでメロディアスなロック・ミュージックへと向かってゆくことになる。
ケバケバしいヴィジュアル・イメージに特化することで、既存のバンド・ブームの流れに属する一群とは、やや一線を画しながら、X Japanのメジャー・デビューとその後の大ブレイクとともに、ヴィジュアル系ロックは90年代の前半には新たな日本のロック(J Rock)の一ジャンルとしてしっかりと確立されるに至る。この頃からヴィジュアル系ロックの一部は大きく路線を変更してポップス化し、その(商品として均質化された)ヴィジュアル面を武器に高い人気を博し、一般的なポピュラリティの高まりとともに次々とヒット・チャートを賑わすようにもなった。
その後も何度かの大きな波のうねりを経つつ、現在に至るまでヴィジュアル系ロックのムーヴメントは脈々と生き残り続けている。いや、もはやすでにひとつの音楽スタイル/ジャンルから派生した総合的な文化として定着しているといっても過言ではなかろう。

今やヴィジュアル系ロックは、アニソン(Anison, Anime Song)、アイドル・ポップス(J Pop, Idol Pops)などと並び、日本国内だけでなく海外においても高く評価され、絶大な人気を誇る日本のポピュラー・ミュージックのジャンルのひとつでもある。
ディル・アン・グレイ(Dir En Grey)やディスパーズレイ(D'espairsRay)などのように、欧米での海外公演やコンサート・ツアー、また巨大ロック・フェスティヴァルへの出演を成功させているバンドも少なくはない。ただし、近年はYouTubeやSoundCloudといったネットワークを介したグローバルな光速のコミュニケーションを可能にするツールが登場したことにより、まだメジャー・デビューをしていないインディ・シーンのヴィジュアル系バンドが、海外においていち早く人気を沸騰させ、欧州などでライヴ・ツアーを行うというケースも見受けられつつある。
こうした部分を見るにつけ、どうしてもメジャーな資本が絡みがちなアニソンやアイドルと比較すると、ヴィジュアル系ロックの方が元々の出自であるインディ・シーンという下地をもつ分だけ、よりフットワークの軽い状態での草の根的なレヴェルにおける海外進出に対する適合性をもっているようにも思われる。ヴィジュアル系のロックは、今後さらにより幅が広く層の厚い海外の音楽シーンや音楽文化との交流を通じて、独自の発展を遂げてゆくことが予想される。

こうして日本のヴィジュアル系ロックというものが世界的に浸透し、言語の壁などを軽々と越えて世界各地に多くのマニアックなファンやリスナーを獲得しているということは、そこから何らかの影響を受けた音楽が誕生しているということでもあるだろう。その奇抜なルックスやヴィジュアル面とともに、その日本独特のロック・シーンにおいて特異な発展・進化を遂げたサウンド面においても、ヴィジュアル系のロックは全世界で多様な影響力を発揮していることが予想される。実際、ドイツやロシアなどのヨーロッパを中心に、その音に触発された音楽性を打ち出すバンドは数多く存在しているのである。
そこでは、ヘヴィ・メタル、ハードコア・パンク、ゴシック・ロック、ダーク・サイケなどのオルタナティヴなロック・サウンドや、ヨーロピアン・プログレッシヴ・ロックの伝統的な様式などと共振する形で、様々な実験的交配が繰り広げられ、欧州ならではの感覚をもつヴィジュアル系ロックが産声をあげつつある。こうした新たな流れを作り出しつつあるバンドたちは、日本におけるヴィジュアル系のサウンドとは、また少し違った形での進化を遂げてゆくに違いない。
だがしかし、彼らの音楽的姿勢として共通していえるのが、日本のヴィジュアル系ロックのオリジナリティに対して並々ならぬリスペクトの感情をもっている点である。ヴィジュアル系ロックとは、極東の島国から伝来したある種の全く新しいスタイルのサウンドやコンセプトとして認識されているのだ。欧米におけるロック・ミュージックの感覚からすると、それは完全なる異文化でもあるのかも知れない。そうした部分では、歌舞伎のような古来からの日本文化と極めて近い受容のされ方をしているともいえるだろうか。

ザ・セル・#4は、06年にルイビンスクで結成されたバンド、ザ・ダーク・コーナー(The Dark Corner)を母体として誕生した。結成当初はスティグマタ(Stigmata)などのロシアのニュー・メタルやハード・ロックから影響を受けたサウンドを鳴らしていたが、日本のヴィジュアル系ロックの熱心なリスナーであったバンドのフロントマン、スタス(Stas)が周囲を巻き込んでゆく形で、次第にその音楽性やステージでのヴィジュアル面を変化させてゆくことになる。そして、09年の夏に現在の五人組バンドの体制が整ったのを機に、ザ・セル・#4と改名した。そのメンバーとは、ヴォーカルのスタス・シンダ(Stas 'Shinda')、ベースのイゴール(Egor)、シンセ&サンプリングのシーメン・ヴェナマス(Semen 'Venomous')、ギターのヴィタリ(Vitali)、ドラムのミハイル(Mixail)。この新たなライン・アップで10年に録音が行われたバンドにとっての初の作品が、本作“Scorching Heat”となる。
このファースト・アルバムには、全8曲の楽曲が収録されている。ヴォーカルの入ったメインの楽曲は5曲、その合間に実験的なインスト・トラックが3曲ほど挟み込まれている。伸びやかかつ緻密なフレーズで構成された、捩れるようなリフを繰り出す重く歪んだ音色のギター。ハードコアの性急さと機械的なインダストリアル・サウンドが入り混じる、多彩な表情をもつビート。メリハリのある楽曲を巧みに演出する、柔軟性に富んだ躍動感のあるリズム・セクション。高いトーンの歌声と獣的なグロウルを使い分け、深いメランコリアとサイケデリアを表出させてゆくシアトリカルなヴォーカル。また、インタールード的に散りばめられたインストゥルメンタルの小曲におけるサウンドには、伝統的なヨーロピアン・プログレッシヴ・ロックや今日的なエレクトロニカとの親和性を感じ取れる雰囲気が色濃くある。

タイトルの“Scorching Heat”は、焼け焦げるような熱、つまり「灼熱」を意味している。また、収録曲のいくつかにはハッキリと「広島」と聴き取れるサンプル・ソースが使用されているのを確認することができる。こうした部分からは、このアルバムが核兵器というものについて何らかの言及をしている作品だと考えることができそうだ。さらにいえば、そこに原子力や核エネルギーというものに対する何らかのメッセージを読み取ることも可能であろう。ロシアは、86年にチェルノブイリの原子力発電所事故を経験している国である。そして第二次世界大戦中に広島と長崎に原子力爆弾を投下された日本は、世界で唯一の被爆国であり、昨年の東日本大震災と大津波によって福島第一原子力発電所においてチェルノブイリと同レヴェルの原子力発電所事故を経験してもいる。ここには、ロシアのロック・バンドが日本のヴィジュアル系ロックを奏でているという音楽的/文化的な繋がりや関係性だけでなく、それ以上の何か共通する世界感覚のようなものが存在しているような気もする。灼熱の光と影。個人的には、学生時代に修学旅行で行った広島の平和公園で見た、「原爆の子の像」に大量の折り鶴が手向けられていた光景を思い出した。

ザ・セル・#4は、影響を受けた日本のバンドとして、ディル・アン・グレイ、X Japan、ディスパーズレイ、ムック(Mucc)といったバンドの名を挙げている。そして、実際に現在でもこうしたバンドの楽曲をライヴにおいてカヴァーしているようである。また、ロシアをライヴ・ツアーで訪れたザ・ブラック・ラヴ・ファントム(The Black Love Fantom)やザ・ロイヤル・デッド(The Royal Dead)といった日本のバンドとは、そのステージを共にした経験ももつ。さらに来たる2月24日には、現在人気急上昇中のプランクロック(Plunklock)の欧州ツアー初日のモスクワ公演に対バンとして出演する予定である。

こうした日本のバンドとのライヴでの共演などを多く経験し、直接的な刺激を受けることでザ・セル・#4は、今後より進化したロシアン・ヴィジュアル系ロックを展開してゆくようになるのではなかろうか。これからが、とても楽しみなバンドだ。とりあえず、まずはこの処女作で、その大器の片鱗ぶりを是非とも確認してもらいたい。彼らのYouTubeのチャンネルにアップされているライヴ映像なども必見である。
スウェーデンのYOHIOだけがヨーロッパのヴィジュアル系ではない。ロシアのShinda様が率いるザ・セル・#4のことも、どうかお見知り置きを。

Liner notes by Masaru Ando

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20 K-POP Greats 2011 +

2011/12/25 03:00
20 K-POP Greats 2011

Davichi - Love Delight
2NE1 - 2nd Mini Album
Rainbow - SO女
Girl's Day - Everyday
T-ara - John Travolta Wanna Be
A Pink - Seven Springs of APink
Dal Shabet - Pink Rocket
Orange Caramel - Shanghai Romance
Gyuri (KARA) & Cho Hyun Young (Rainbow) - Indecisive
Dia with PD Blue - Me To You, You To Me
Kan Mi Youn - Obsession
Nine Muses - Figaro
Iny - Do You Have A Dream
JQT - PeeKaBoo
Kim Wan Sun - Super Lover
Han Groo - Groo One
Nuol, Beenzino, Dead P, Swings, San-E, Verbal Jint, L.E.O, Baby Bu, Dawn - Stand Up, Japan
YB - Blue Whale
C-Real - Round 1
Kahi - The First Mini Album

Best Album

KARA - Super Girl
Wonder Girls - Wonder World
SNSD - The Boys
IU - Last Fantasy
f(x) - Pinocchio
Miss A - A Class
Sistar - So Cool
Neon Bunny - Seoulight
Brown Eyed Girls - Sixth Sense
Secret - Moving In Secret

The Other Side of 20 K-POP Greats 2011

Hyorin (Sistar) - You Are The One For Me
Dia & Winter Garden - Four Seasons Garden
Kan Mi Youn - Good Love
Taru - Better Together
Girl's Day - New Trial
Luanne - Like That (Feat. Blueade)
Jeon Sung Cheo - Baby I Love You
Shin Goeun - Love Pop
Lady Jane - Jane, Another Jane
Koo Ji Sung - Bad Guy
HeORa - Love Love Love
Jane - Camping Boy
Rhyme-A - When I Feel Alone
Hyomin (T-ara) & Brave Brothers - Beautiful Girl
Women Power - Hate You, Hate You
GP Basic - Jelly Pop
Joo & Leeteuk (Super Junior) - Ice Cream
TwiNy - Flutter
Chi Chi - Don't Play Around
Lee Ji Hye - Rocket Power


11年のベスト作品を選びはじめて、すぐにあることに思い当たった。おそらく、この調子では、ベストの20作品をチョイスするなんてことは不可能に近いであろうと。とりあえず、ここ最近のK-POPの隆盛を考慮してベストの10曲ではなく、少し枠を広げて20作品まで選出できるようにしてはあったのだが、それでも到底追いつきそうにない。ベスト作成のため候補作を軽く挙げていっただけで、瞬く間にリストが長大なものになってしまったのである。そして、即座にベスト20を選び出すこともあきらめることにした。膨大なリストをベスト20へと絞り込んでゆくことは、相当に至難の業であるに間違いなさそうであったから。そんなことで下手にあれこれ思い悩むよりは、何かほかの解決策を考えた方が断然早そうであった。

そこで、何らかの方策を練るためにリストを少しばかり整理してみたところ、とりあえずアルバム作品だけでひとつのカテゴリーに分けられそうなことに気がついた。そこで、まずはアルバムのリストを独立させることにした。それだけ、11年は素晴らしいアルバムが多かったのである。まさに、豊作であった。ただし、そのアルバムの量に決して劣らぬほどにミニ・アルバムや配信のみでリリースされたシングル曲なども驚くほどに多かったのだが。いまだフル・アルバムのリリースにまで至っていない多くの若手〜中堅のグループやアーティストが、わんさとひしめいている現状にあっては、こうした小粒な作品で溢れかえってしまうのも、必定といえば必定か。実際、多くの素晴らしいアルバムがリリースされたのだが、コンスタントにヒット曲を放ちアルバム作品のリリースにまで漕ぎ着けられているのは、ほんの一握りのグループやアーティストのみなのだ。
11年のアルバム・リリースの傾向としては、ここ数年間に大活躍をしてきたK-POPのブームの立役者であるガールズ・グループの初めてのアルバムが多くリリースされたことが挙げられる。アフタースクール(After School)、f(x)、シークレット(Secret)、ミス・A(Miss A)、シスター(Sistar)などのアルバムが、これに該当する。ただ、韓国の歌謡界においては、これからますますアルバムというものが、そう簡単に出せるものではなくなってゆくのかも知れない。通常のマキシ・シングル的な扱いで発表されるミニ・アルバムや単発の配信限定曲を中心に、ヒットを狙って次々と勝負を賭けてゆく形式が、今後さらに本流となってゆきそうな予兆はすでにある。デビューから立て続けに三作のミニ・アルバムをリリースしてヒットを放ったダル・シャーベット(Dal Shabet)などは、そうした動きの最たるものである。そして、ベスト作品を選出するために出来上がってしまった、アルバム作品を除外した後の長大なリストもまた、きっとそうした流れを反映したものであるのであるに違いない。

一応、リストからアルバム作品とそうでないものを選り分けてみたのだが、やはりまだまだそこには20まで絞り込むのは相当に難義そうな膨大な数の作品が並んでいた。そこで、もう一度そのリストからベストの20作品を選び出すことをキッパリとあきらめることにした。とりあえず、絞り込みを断念したからには方向性を大幅に変更して、リストの内部で作品を二種類に分類してゆく作業を進めてみた。そして、その作業を通じて二種類のベスト20が、徐々に形をなしてきたのである。結局、最終的には、ベスト・アルバムと、ふたつのベスト20で、合計三編五十点のベスト選が完成することになってしまった。

ここで、ふたつのベスト20について、少しばかり説明しておきたい。簡単に言ってしまえば、これらは表のベストと裏のベストということになる。どちらもベストであることに違いはないが、少しだけその分類の仕方によって性質の違ったベストとなっている。表のベストは、大ヒットし話題になった作品、ならびに11年の韓国音楽を考える上で大きな意味のある所謂K-POPシーンを象徴する作品を中心にまとめてある。一部に、一般的にはそのどちらでもないと思われる(であろう)作品も混じってはいるが、そのあたりは全くの個人的な好みの表れであり、純粋に11年に愛聴した極めて愛着のある作品なのだと考えていただきたい。そして、裏のベストには、あまり大きな話題にはならなかったかも知れないが個人的には大変意義深いと感じている作品や、単純にノリがよく気に入っている作品などが重点的にまとめてある。形式的に裏ベストという括りにはなっているが、これらの作品の素晴らしさは、表のベストの作品と比較しても全く引けをとらないものである。大ヒットして話題になっているものだけが面白いK-POP作品だということは決してない。次々と刺激的なヒット曲が誕生するメイン・ストリームの周縁にも素晴らしい作品が数多く存在していることのほんの一端を、この裏のベストで少しでもお伝えできたらと考えていたりもする。ただし、面白いものを本気で網羅しようとしたら、こんな表の裏のベスト程度の量では到底追いつかないことは言うまでもない。

表のベストは、ご覧の通りお馴染みのグループやアーティストたちがズラリと並んでいる。ガールズ・デイ(Girl's Day)、レインボー(Rainbow)、2NE1、T-ara、ダヴィチ(Davichi)、オレンジ・キャラメル(Orange Caramel)といった顔ぶれによる作品は、全て11年のK-POPシーンを代表するヒット曲を生み出した重要作品である。そして、非常に多くの新人グループ/アーティストがデビューした11年の動きを反映するかのように、このベスト20にも、エイ・ピンク(A Pink)、ダル・シャーベット、C-Real、ハン・グル(Han Groo)、Inyといった、非常にフレッシュな顔ぶれが多数含まれている。なお、この新人の選出に関しては、今後の活躍に期待したい気持ちが多少込められていることは敢えて否定はしない。しかし、K-POPの未来を考えれば、有望な若手たちのさらなる成長は絶対に必要不可欠なことである。ここに挙げた新人や若手のアーティストたちには、そんなK-POPの明るい未来を感じさせてくれるような何かが確実に備わってもいる。やや個人的な強い思い入れも入りすぎているかも知れないが、11年はヴェテランやヒット常連組のみならず新人たちの作品に関しても思いきり豊作な年であったのだ。
画像そして、ここには11年という特別な年だからこそ生み出された、非常に忘れがたい作品も含まれている。それが、ニュオル(Nuol)やビーンジーノ(Beenzino)といったヒップホップ系のアーティストが大挙して参加した、シングル“Stand Up, Japan!”である。3月11日に起きた東日本大震災の救援活動を支援するためのチャリティ・シングルとして、4月5日に配信のみで急遽リリースされた作品だ。このシングルの売り上げの全収益は義捐金として寄附されたということだが、やはり何よりもニュース報道などを通じて甚大な津波被害の映像に接し、直ぐさまこうして多くのアーティストたちが直接的な行動を起こしてくれたことが非常に嬉しい。実際の楽曲のサウンドも、真正面から被災者や被災地を力づけ勇気づけるような一刻を争う緊迫感と、日本の人々の心情に出来る限り寄り添おうという情感が、ゴツゴツと入り混じったものとなっている。そして、スウィングス(Swings)やサニー(San-E)などの豪華な参加ラッパーたちのフリースタイルなライミングも、実に生々しく極めてリアルなものである。この海を越えて朝鮮半島にまで伝わった悲愴な空気感こそが、あの震災直後のわたしたちの内面にあったものをまざまざと物語ってくれているかのようでもある。この“Stand Up, Japan!”を聴くたびに、あの当時のことがはっきりと思い起こされる。さあ、今こそ立ち上がれ、日本。

ベスト・アルバムに関しては、ほぼ順当なところなのではなかろうか。11年に発表されたK-POPガールズ・グループの重要な作品は、全てここに網羅されているといってよい。惜しくも選から洩れてしまったのは、アフタースクールのファースト・アルバム“Virgin”ぐらいのものではなかろうか。実に惜しいことであるが、これが選外となってしまったのは、本当にギリギリのところで途轍もなく素晴らしい作品が滑り込んできたことによるものである。
そのアフタースクールを押し退けてしまった作品が、11月29日に発表されたIUの約二年半ぶりのセカンド・アルバム“Last Fantasy”である。このアルバムは、間違いなく韓国のポピュラー音楽史に残る一枚となるであろう。純粋にポップスのアルバムとしても、極めて完成度が高い。まさに、またひとつ大人の階段を上ったIUが、その才気を炸裂させた凄まじい一作となっているのである。これだけの快作を前にしては、さしものアフタースクールとしても、その場所を譲らざるを得なかったというわけだ。

KARAと少女時代に関しては、どちらのグループも11年に日本と韓国の両方でアルバムをリリースしており、それぞれそのうちの一枚のみをベストに選出した。いずれも二作品ともにベスト選に入っていても決しておかしくはない出来映えではあったのだが、ここで両グループの複数作品がエントリーしてしまうと、ベスト10のうちの四割がKARAと少女時代で独占されてしまうことになるので、ひとまずどちらかひとつに絞り込んである。

KARAは、9月6日に韓国で三作目のアルバム“Step”をリリースし、11月23日に日本での二作目のアルバムとなる“Super Girl”をリリースしている。11年のベスト・アルバムには、日本盤のアルバムの方を選出した。“Jet Coaster Love”、“Winter Magic”、“Go Go Summer!”というヒット・シングル曲の三連発で始まるこの“Super Girl”は、ポップ・ミュージックのアルバムとして、ほぼ完璧といってよいほどに充実した内容の作品に仕上がっている。終盤の詰めが少し甘い(序盤の濃密さと比較すると)くらいで、中盤あたりまではこの調子でいくと本当にとんでもない作品になるのではないかと、逆に心配になってきてしまうほどである(ただし、初回限定盤には“Mister”、“Jumping”、“Step”といった強力なボーナス・トラックが収録されており、最終盤まで極めて充実した内容のアルバムとなっている)。兎にも角にも、“Super Girl”は、今どき珍しいほどにストレートな歌謡曲を歌うガールズ・アイドル・グループとしてのKARAの魅力が目一杯に詰まったアルバムなのである。この独特の少々下世話すぎるほどに大衆歌謡的な味わいは、大物アイドル・グループとしてクールでスタイリッシュな側面も追求した、どちらかというと今風のK-POPのトレンドに近い様式の“Step”では、それほどどっぷりと堪能できないものであったりするのである。そうした意味では、この“Super Girl”とは、11年に制作された日本盤アルバムだからこそ聴くことのできた、大変に貴重な作品集であったのかも知れない。

少女時代は、6月1日に日本でのデビュー・アルバム“Girls' Generation”をリリースし、10月19日には韓国で通算三作目のアルバム“The Boys”をリリースしている。このうちベスト・アルバムには、韓国盤のアルバムを選出した。あまりにも全体的にクールでスタイリッシュな側面を強く打ち出しすぎている印象のあった“Girls' Generation”に対し、やはり少女時代のデビュー時からの大きな持ち味である少女的な可愛らしさを変わらずに感じ取れる楽曲が、“The Boys”においては比較的多めに聴くことができたのが、その選考の理由となる。どうしても“The Boys”というと、冒頭のテディ・ライリー(Teddy Riley)によってプロデュースされたタイトル曲にしてシングル曲に注目が集まりがちであるが、本来の少女時代らしさは、この少々異色な1曲目以降の流れにおいてこそ聴くことができる。現在はダル・シャーベットの専属プロデューサーとなっているE-Tribeによる作品は残念ながら見当たらないが、ケンジ(Kenzie)、ヒッチハイカー(Hitchhiker)、ファン・ソンジェ(Hwang Seong Je)といったお馴染みの作曲家陣による楽曲の数々は、きっちりとした安定感を誇っておりアルバムの流れをグッと引き締めている。どうしても、強く逞しい成長した大人の女性の面ばかりが強調され、本来の少女(時代)らしさが薄まってきてしまっているのが、昨年の“Run Devil Run”あたりからの活動の流れではある。それを自然な人間的な成長の軌跡なのだと捉える向きもあろうが、やはりあの過剰なほどのブリブリ感がむざむざと失われていってしまうのは非常に悲しい。それに、大人の可愛い女性が演ずるかわい子ぶりっこというものも、決して一概に悪いものでもないだろう。少女時代には、そのグループ名の通りに、いつまでもブリブリでキャピキャピな路線を厚かましく維持していってもらいたいものである。

画像そして、このベスト・アルバムには、韓国のインディ・シーンからも一作品が選出されている。それが、ネオン・バニー(Neon Bunny)の“Seoulight”である。このアルバムは、11年の韓国インディ・シーンの充実を代表する一枚というだけでなく、純粋にポップ・ミュージックのアルバムとしても非常に高い水準に達している作品である。よって、文句なしにここに選出されるに至った。そして、11年にはインディ・シーンとK-POPのシーンが、徐々に接近しつつあることを確かに感じ取れる動きも目についた。4月20日にリリースされたf(x)の待望のファースト・アルバム“Pinocchio”に収録されていた楽曲“Stand Up!”が、インディ・シーンから登場したポップ・ユニット、ペッパートーンズ(Peppertones)によって提供されたものであることは、ひとつの象徴的なトピックでもあった。今後、未来のK-POPシーンを面白くしてゆく先鋭的なサウンド・クリエイターが、アンダーグラウンドなインディ・シーンやクラブ・シーンから次々と登場してくることは大いに予想され得ることである。注目して見てゆきたい。

裏のベストは、ご覧の通りのライン・アップである。シスターのヒョリン(Hyorin)のソロ曲やT-araのヒョミン(Hyomin)とブレイヴ・ブラザース(Brave Brothers)のコラボレーション曲などの一部の人気アイドルの作品を除けば、ほとんどがあまり広く知られてはいない比較的マイナーなアーティストばかりという印象を受けるかも知れない。ただ、この裏のベストに関しては、最初から知名度の高さやヒットしたか否かという部分は完全に度外視して選考をしたので、このような結果となったのも、まあ当然の帰結ではある。ここで選考の基準となっているのは、純粋に楽曲のよさや楽曲としての面白さである。そして、それ以前に個人的な歌い手としての好みという点で大きく振り分けがなされていることは、まあ言うまでもない(これは、女性アイドル/女性歌手/女性アーティストが中心の全体的な傾向からも明白であるだろう)。ある意味では、個人的にとても気に入っている広く知られてはいない歌手や楽曲を紹介するために、この裏のベストがあるようなものだともいえなくはない。

ここで上位に名を連ねているヒョリンとディア(Dia)に関しては、やはり何といってもその桁違いの歌唱力に完全にノック・アウトされた。まさに本格派の確かな歌唱力(日本的な俗っぽい言い方でいうと歌力(ウタヂカラ)であろうか)というものを、これらの作品では聴くことができる。
ヒョリンのソロ楽曲“You Are The One For Me(Who You Are To Me)”は、人気ドラマ「Man Of Honor」のサウンドトラック用に制作された壮大なピアノ・バラード曲である。普段、シスターの一員として歌っているブレイヴ・ブラザース作のダンス・ポップ曲ではなかなか表に出てくることのない、ヒョリンのバラッディアとしての資質を思いきり前面に押し出した素晴らしい歌唱が、まるで渦を巻くかようにグワングワンと炸裂する一曲だ。まあ、デビュー時から分かっていたことであるが、この人は本当に驚くほどに歌がうまい。聴く者をぐいぐいと引き込むようなツボを押さえた情感の込め方などには、もはや職人芸的なものすら感じ取れたりもする。間違いなく、世界レヴェルで活躍できる逸材である。おそらく、今の日本の若手女性シンガーにヒョリンに太刀打ちできるような猛者はひとりとしていないであろう。

そして、そこに続くディアもまた、K-POPシーン(の一隅)で活躍する若き実力派シンガーのうちのひとりである。09年に女子高生シンガーとしてデビューしたディアは、現在最もメジャーな活躍が望まれている注目のタレントである(学業との両立のために、芸能活動/歌手活動だけに専念はしていない)。もしも、現在ブレイク中のIUに比類する同じ10代の本格派を挙げるとするならば、その筆頭は間違いなくこのディアであろう。すでに10年11月にファースト・アルバム“My Story”を発表しているが、その後も着実に歌手としての成長を遂げてきている。11年に発表した数々の作品でも、様々なスタイルの歌唱で、その才能の煌めきをまざまざと見せつけてくれた。その楽曲のうちのひとつは、表のベストにも選出されている。それが、ディア・ウィズ・PDブルー(Dia with PD Blue)としてリリースした“Me To You, You To Me”である。
画像ディア・ウィズ・PDブルーは、これまでに多くのヒット曲を手がけてきた人気作曲家、イ・ジュファン(Lee JooHwan)とのコラボレーション・ユニットである。11年に活動を開始し、この“Me To You, You To Me”が二作目のシングルとなる。そして、この楽曲は、03年に公開された映画「Love Story」のサウンドトラックに収録されてリヴァイヴァル・ヒットした、フォーク・トリオ、自転車に乗った風景の代表曲のリメイク作ともなっている。どこか70年代の韓国フォークの黄金期を彷彿とさせる優しくノスタルジックな香りのする名曲を、PDブルーが、オリジナルに忠実なフォーク・ロック的なサウンドにラップ・ヴォーカルをフィーチュアした、真摯に楽曲そのものをアップ・デイトさせたカヴァー・ヴァージョンに仕上げている。また、本来のソロとしての楽曲ではR&Bやポップなダンス曲を歌うことの多かったディアが、このオーソドックスすぎるほどにオーソドックスな韓国フォーク・スタイルのメロディを歌うことで、これまでにはなかったような新鮮味が感じられた部分も大いにあった。その透明感のある伸びやかな歌唱は、自転車に乗った風景の名曲に、新たな息吹を吹き込み再生させているようですらある。
そして、裏のベストには、二人組のポップ・ユニット、ウィンター・ガーデン(Winter Garden)とのコラボレーション作品となる“Four Seasons Garden”が選出されている。ここに収録された楽曲“Spring”に、ディアはヴォーカリストとしてフィーチュアされている。こちらもジワジワとこみ上げてくるタイプの落ち着いたAORバラード調の楽曲となっており、ある意味では自転車に乗った風景のカヴァーに挑むよりも以前の段階で、よりヴァーサタイルな歌手としての新たな境地を開拓するような作品ともなっていた。しかも、この“Spring”という楽曲もまた、かなりの名曲であり、ディアもその楽曲のクオリティに負けず劣らずの名唱で、見事なまでにこれに応戦してみせている。この作品自体、あまり広くは知られていないのだが、これは、このまま隠れた名曲としてしまうには実に惜しいとしか言い様のないような一曲なのである。
11年は、コラボレーション・ワークや客演などの他流試合を中心に、徐々にその活動の幅を広げつつある印象を残したディア。また、その活動の幅の広がりはK-POPのフィールドだけにとどまらず、ソウル・ポップ・オーケストラ(Seoul Pop Orchestra)の一員として参加した海外公演では、7月の末から8月の頭にかけて来日も果たしている。実際、かなりの本格派のシンガーであるディアが、今後も継続的にK-POPに近いフィールドでの活動を続けてゆくのかどうかは、今はまだちょっと未知数である。ただ、その類い稀なる歌手としての才能には、相当に高い可能性が秘められていることは確かであろう。豊かな音楽的素養やディーヴァ感満点の歌唱スタイル、そしてそのルックス的な相似から、ディアは、2NE1のパク・ボム(Park Bom)と比較されることが非常に多い。おそらく、本人も、そのあたりはかなり意識しているのではなかろうか。このIU世代のパク・ボムが、現在の知る人ぞ知る逸材から押しも押されぬトップ・スター/トップ・シンガーのひとりとして広く認知される日が、そう遠くはない未来に訪れることを心より願うばかりである。12年には、その素晴らしい歌唱をじっくりと堪能できる新たなソロ・アルバムのリリースがあるとよいのだが。楽しみにして待ちたい。

最後に、いくつか惜しくも選外となってしまったものなどを少しだけ簡単に紹介しておきたい。

まず、インディ系のアコースティック作品に良質のアルバムが立て続けてリリースされたことは、11年の韓国音楽においてひとつの大きな動きであったといえる。10cmの“1.0”、屋上月光(Dalmoon)の“28”、スギョン(Soo Kyoung)の“分割”、ハチ&エリ(Hachi & Aeri)の“Flower Bearing”など、本当に素晴らしい出来映えのアルバムが相次いだ。このソフトなムードのコリアン・ニュー・フォーク〜カフェ系アコースティック・サウンドの動きが、このまましばらく継続してゆくのか、それとも何らかの反動が押し寄せてくるのか、しばらく注目してゆきたいところである。

また、元ザ・メロディ(The Melody)のヴォーカリストでありインディ・シーンのアイドル的存在である、タル(Taru)もまた、素晴らしく音楽的成熟度の高い約二年ぶりのソロ・アルバム“100 Percent Reality”を発表した。これまでのダンス・サウンドなども取り入れたポップ・ロック路線の作品の音楽性と比較すると、一聴して非常に地味な印象の作品ではある。しかし、その地味さこそは聴き込むほどに味わいが増してくるような、とても深みのあるアルバムとなっていることの証しでもある。しっとりと落ち着いた歌と渋めのバンド・サウンドの奥底に、非常に多くのものが込められているのである。そのタイトル通りに、まさに等身大の素のままの歌の世界が展開される点も実に好感がもてる。キュートなインディ・シーンのアイドルが、一皮むけてインディ・シーンの女王へとさらに大きく成長を遂げつつある過程を、そこには聴くことができる。
画像また、裏のベストに選出されているタルの“Better Together”は、09年に発表されていた単発シングル曲の再発である。5月4日にリリースされた、このライト・タッチのエレクトロニック・ポップ曲は、ちょうど大震災直後の暗くなりがちであった気分に一条の明るく朗らかな光を投げかけてくれた。なぜ、この楽曲が、新しいアルバムがリリースされる直前という極めて中途半端な時期(この“Better Together”はアルバム収録曲ではない)に再発されることになったのかは、全く定かではない。しかしながら、個人的にはこれは絶妙なまでにタイムリーな再発曲のように感じられた。

そして、聴いて思わず震えてしまったのが、11月9日にリリースされたコミ(Gummy)の日本デビュー作“Loveless”である。この日本語版“Loveless”は、かなりグッとくるものとなっている。オリジナルの韓国語版を遥かに凌駕するミニ・ベスト曲集的な凄まじく濃い内容の一枚なのである。もしも間違って失恋の傷が癒えていない時などに聴いてしまったら、大号泣は必至であろう。こんなにも震えさせられるバラード作品は、そうそうない。特に、終盤の“忘れてほしい”から“きれいなあなた”への流れは、まさに猛烈だ。これを聴いて、何も感じないような人がいたら、その人は完全な不感症である。ノー・ダウト。

来年もまた、ベスト20が選べなくなるくらいに素晴らしい作品が数多くリリースされることを、心より願います。(11年)

追記
基本的に作品の評価は(単発のプロモーション・シングル曲を除いて)楽曲ごとではなく、作品全体を評価の対象としている。よって、EP作品やミニ・アルバムの場合は、シングル曲/タイトル曲/プロモーション活動曲のみではなく、全カップリング曲を含めた総合的な内容が評価の対象となっている。‡

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