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20 K-POP Greats 2011 +

2011/12/25 03:00
20 K-POP Greats 2011

Davichi - Love Delight
2NE1 - 2nd Mini Album
Rainbow - SO女
Girl's Day - Everyday
T-ara - John Travolta Wanna Be
A Pink - Seven Springs of APink
Dal Shabet - Pink Rocket
Orange Caramel - Shanghai Romance
Gyuri (KARA) & Cho Hyun Young (Rainbow) - Indecisive
Dia with PD Blue - Me To You, You To Me
Kan Mi Youn - Obsession
Nine Muses - Figaro
Iny - Do You Have A Dream
JQT - PeeKaBoo
Kim Wan Sun - Super Lover
Han Groo - Groo One
Nuol, Beenzino, Dead P, Swings, San-E, Verbal Jint, L.E.O, Baby Bu, Dawn - Stand Up, Japan
YB - Blue Whale
C-Real - Round 1
Kahi - The First Mini Album

Best Album

KARA - Super Girl
Wonder Girls - Wonder World
SNSD - The Boys
IU - Last Fantasy
f(x) - Pinocchio
Miss A - A Class
Sistar - So Cool
Neon Bunny - Seoulight
Brown Eyed Girls - Sixth Sense
Secret - Moving In Secret

The Other Side of 20 K-POP Greats 2011

Hyorin (Sistar) - You Are The One For Me
Dia & Winter Garden - Four Seasons Garden
Kan Mi Youn - Good Love
Taru - Better Together
Girl's Day - New Trial
Luanne - Like That (Feat. Blueade)
Jeon Sung Cheo - Baby I Love You
Shin Goeun - Love Pop
Lady Jane - Jane, Another Jane
Koo Ji Sung - Bad Guy
HeORa - Love Love Love
Jane - Camping Boy
Rhyme-A - When I Feel Alone
Hyomin (T-ara) & Brave Brothers - Beautiful Girl
Women Power - Hate You, Hate You
GP Basic - Jelly Pop
Joo & Leeteuk (Super Junior) - Ice Cream
TwiNy - Flutter
Chi Chi - Don't Play Around
Lee Ji Hye - Rocket Power


11年のベスト作品を選びはじめて、すぐにあることに思い当たった。おそらく、この調子では、ベストの20作品をチョイスするなんてことは不可能に近いであろうと。とりあえず、ここ最近のK-POPの隆盛を考慮してベストの10曲ではなく、少し枠を広げて20作品まで選出できるようにしてはあったのだが、それでも到底追いつきそうにない。ベスト作成のため候補作を軽く挙げていっただけで、瞬く間にリストが長大なものになってしまったのである。そして、即座にベスト20を選び出すこともあきらめることにした。膨大なリストをベスト20へと絞り込んでゆくことは、相当に至難の業であるに間違いなさそうであったから。そんなことで下手にあれこれ思い悩むよりは、何かほかの解決策を考えた方が断然早そうであった。

そこで、何らかの方策を練るためにリストを少しばかり整理してみたところ、とりあえずアルバム作品だけでひとつのカテゴリーに分けられそうなことに気がついた。そこで、まずはアルバムのリストを独立させることにした。それだけ、11年は素晴らしいアルバムが多かったのである。まさに、豊作であった。ただし、そのアルバムの量に決して劣らぬほどにミニ・アルバムや配信のみでリリースされたシングル曲なども驚くほどに多かったのだが。いまだフル・アルバムのリリースにまで至っていない多くの若手〜中堅のグループやアーティストが、わんさとひしめいている現状にあっては、こうした小粒な作品で溢れかえってしまうのも、必定といえば必定か。実際、多くの素晴らしいアルバムがリリースされたのだが、コンスタントにヒット曲を放ちアルバム作品のリリースにまで漕ぎ着けられているのは、ほんの一握りのグループやアーティストのみなのだ。
11年のアルバム・リリースの傾向としては、ここ数年間に大活躍をしてきたK-POPのブームの立役者であるガールズ・グループの初めてのアルバムが多くリリースされたことが挙げられる。アフタースクール(After School)、f(x)、シークレット(Secret)、ミス・A(Miss A)、シスター(Sistar)などのアルバムが、これに該当する。ただ、韓国の歌謡界においては、これからますますアルバムというものが、そう簡単に出せるものではなくなってゆくのかも知れない。通常のマキシ・シングル的な扱いで発表されるミニ・アルバムや単発の配信限定曲を中心に、ヒットを狙って次々と勝負を賭けてゆく形式が、今後さらに本流となってゆきそうな予兆はすでにある。デビューから立て続けに三作のミニ・アルバムをリリースしてヒットを放ったダル・シャーベット(Dal Shabet)などは、そうした動きの最たるものである。そして、ベスト作品を選出するために出来上がってしまった、アルバム作品を除外した後の長大なリストもまた、きっとそうした流れを反映したものであるのであるに違いない。

一応、リストからアルバム作品とそうでないものを選り分けてみたのだが、やはりまだまだそこには20まで絞り込むのは相当に難義そうな膨大な数の作品が並んでいた。そこで、もう一度そのリストからベストの20作品を選び出すことをキッパリとあきらめることにした。とりあえず、絞り込みを断念したからには方向性を大幅に変更して、リストの内部で作品を二種類に分類してゆく作業を進めてみた。そして、その作業を通じて二種類のベスト20が、徐々に形をなしてきたのである。結局、最終的には、ベスト・アルバムと、ふたつのベスト20で、合計三編五十点のベスト選が完成することになってしまった。

ここで、ふたつのベスト20について、少しばかり説明しておきたい。簡単に言ってしまえば、これらは表のベストと裏のベストということになる。どちらもベストであることに違いはないが、少しだけその分類の仕方によって性質の違ったベストとなっている。表のベストは、大ヒットし話題になった作品、ならびに11年の韓国音楽を考える上で大きな意味のある所謂K-POPシーンを象徴する作品を中心にまとめてある。一部に、一般的にはそのどちらでもないと思われる(であろう)作品も混じってはいるが、そのあたりは全くの個人的な好みの表れであり、純粋に11年に愛聴した極めて愛着のある作品なのだと考えていただきたい。そして、裏のベストには、あまり大きな話題にはならなかったかも知れないが個人的には大変意義深いと感じている作品や、単純にノリがよく気に入っている作品などが重点的にまとめてある。形式的に裏ベストという括りにはなっているが、これらの作品の素晴らしさは、表のベストの作品と比較しても全く引けをとらないものである。大ヒットして話題になっているものだけが面白いK-POP作品だということは決してない。次々と刺激的なヒット曲が誕生するメイン・ストリームの周縁にも素晴らしい作品が数多く存在していることのほんの一端を、この裏のベストで少しでもお伝えできたらと考えていたりもする。ただし、面白いものを本気で網羅しようとしたら、こんな表の裏のベスト程度の量では到底追いつかないことは言うまでもない。

表のベストは、ご覧の通りお馴染みのグループやアーティストたちがズラリと並んでいる。ガールズ・デイ(Girl's Day)、レインボー(Rainbow)、2NE1、T-ara、ダヴィチ(Davichi)、オレンジ・キャラメル(Orange Caramel)といった顔ぶれによる作品は、全て11年のK-POPシーンを代表するヒット曲を生み出した重要作品である。そして、非常に多くの新人グループ/アーティストがデビューした11年の動きを反映するかのように、このベスト20にも、エイ・ピンク(A Pink)、ダル・シャーベット、C-Real、ハン・グル(Han Groo)、Inyといった、非常にフレッシュな顔ぶれが多数含まれている。なお、この新人の選出に関しては、今後の活躍に期待したい気持ちが多少込められていることは敢えて否定はしない。しかし、K-POPの未来を考えれば、有望な若手たちのさらなる成長は絶対に必要不可欠なことである。ここに挙げた新人や若手のアーティストたちには、そんなK-POPの明るい未来を感じさせてくれるような何かが確実に備わってもいる。やや個人的な強い思い入れも入りすぎているかも知れないが、11年はヴェテランやヒット常連組のみならず新人たちの作品に関しても思いきり豊作な年であったのだ。
画像そして、ここには11年という特別な年だからこそ生み出された、非常に忘れがたい作品も含まれている。それが、ニュオル(Nuol)やビーンジーノ(Beenzino)といったヒップホップ系のアーティストが大挙して参加した、シングル“Stand Up, Japan!”である。3月11日に起きた東日本大震災の救援活動を支援するためのチャリティ・シングルとして、4月5日に配信のみで急遽リリースされた作品だ。このシングルの売り上げの全収益は義捐金として寄附されたということだが、やはり何よりもニュース報道などを通じて甚大な津波被害の映像に接し、直ぐさまこうして多くのアーティストたちが直接的な行動を起こしてくれたことが非常に嬉しい。実際の楽曲のサウンドも、真正面から被災者や被災地を力づけ勇気づけるような一刻を争う緊迫感と、日本の人々の心情に出来る限り寄り添おうという情感が、ゴツゴツと入り混じったものとなっている。そして、スウィングス(Swings)やサニー(San-E)などの豪華な参加ラッパーたちのフリースタイルなライミングも、実に生々しく極めてリアルなものである。この海を越えて朝鮮半島にまで伝わった悲愴な空気感こそが、あの震災直後のわたしたちの内面にあったものをまざまざと物語ってくれているかのようでもある。この“Stand Up, Japan!”を聴くたびに、あの当時のことがはっきりと思い起こされる。さあ、今こそ立ち上がれ、日本。

ベスト・アルバムに関しては、ほぼ順当なところなのではなかろうか。11年に発表されたK-POPガールズ・グループの重要な作品は、全てここに網羅されているといってよい。惜しくも選から洩れてしまったのは、アフタースクールのファースト・アルバム“Virgin”ぐらいのものではなかろうか。実に惜しいことであるが、これが選外となってしまったのは、本当にギリギリのところで途轍もなく素晴らしい作品が滑り込んできたことによるものである。
そのアフタースクールを押し退けてしまった作品が、11月29日に発表されたIUの約二年半ぶりのセカンド・アルバム“Last Fantasy”である。このアルバムは、間違いなく韓国のポピュラー音楽史に残る一枚となるであろう。純粋にポップスのアルバムとしても、極めて完成度が高い。まさに、またひとつ大人の階段を上ったIUが、その才気を炸裂させた凄まじい一作となっているのである。これだけの快作を前にしては、さしものアフタースクールとしても、その場所を譲らざるを得なかったというわけだ。

KARAと少女時代に関しては、どちらのグループも11年に日本と韓国の両方でアルバムをリリースしており、それぞれそのうちの一枚のみをベストに選出した。いずれも二作品ともにベスト選に入っていても決しておかしくはない出来映えではあったのだが、ここで両グループの複数作品がエントリーしてしまうと、ベスト10のうちの四割がKARAと少女時代で独占されてしまうことになるので、ひとまずどちらかひとつに絞り込んである。

KARAは、9月6日に韓国で三作目のアルバム“Step”をリリースし、11月23日に日本での二作目のアルバムとなる“Super Girl”をリリースしている。11年のベスト・アルバムには、日本盤のアルバムの方を選出した。“Jet Coaster Love”、“Winter Magic”、“Go Go Summer!”というヒット・シングル曲の三連発で始まるこの“Super Girl”は、ポップ・ミュージックのアルバムとして、ほぼ完璧といってよいほどに充実した内容の作品に仕上がっている。終盤の詰めが少し甘い(序盤の濃密さと比較すると)くらいで、中盤あたりまではこの調子でいくと本当にとんでもない作品になるのではないかと、逆に心配になってきてしまうほどである(ただし、初回限定盤には“Mister”、“Jumping”、“Step”といった強力なボーナス・トラックが収録されており、最終盤まで極めて充実した内容のアルバムとなっている)。兎にも角にも、“Super Girl”は、今どき珍しいほどにストレートな歌謡曲を歌うガールズ・アイドル・グループとしてのKARAの魅力が目一杯に詰まったアルバムなのである。この独特の少々下世話すぎるほどに大衆歌謡的な味わいは、大物アイドル・グループとしてクールでスタイリッシュな側面も追求した、どちらかというと今風のK-POPのトレンドに近い様式の“Step”では、それほどどっぷりと堪能できないものであったりするのである。そうした意味では、この“Super Girl”とは、11年に制作された日本盤アルバムだからこそ聴くことのできた、大変に貴重な作品集であったのかも知れない。

少女時代は、6月1日に日本でのデビュー・アルバム“Girls' Generation”をリリースし、10月19日には韓国で通算三作目のアルバム“The Boys”をリリースしている。このうちベスト・アルバムには、韓国盤のアルバムを選出した。あまりにも全体的にクールでスタイリッシュな側面を強く打ち出しすぎている印象のあった“Girls' Generation”に対し、やはり少女時代のデビュー時からの大きな持ち味である少女的な可愛らしさを変わらずに感じ取れる楽曲が、“The Boys”においては比較的多めに聴くことができたのが、その選考の理由となる。どうしても“The Boys”というと、冒頭のテディ・ライリー(Teddy Riley)によってプロデュースされたタイトル曲にしてシングル曲に注目が集まりがちであるが、本来の少女時代らしさは、この少々異色な1曲目以降の流れにおいてこそ聴くことができる。現在はダル・シャーベットの専属プロデューサーとなっているE-Tribeによる作品は残念ながら見当たらないが、ケンジ(Kenzie)、ヒッチハイカー(Hitchhiker)、ファン・ソンジェ(Hwang Seong Je)といったお馴染みの作曲家陣による楽曲の数々は、きっちりとした安定感を誇っておりアルバムの流れをグッと引き締めている。どうしても、強く逞しい成長した大人の女性の面ばかりが強調され、本来の少女(時代)らしさが薄まってきてしまっているのが、昨年の“Run Devil Run”あたりからの活動の流れではある。それを自然な人間的な成長の軌跡なのだと捉える向きもあろうが、やはりあの過剰なほどのブリブリ感がむざむざと失われていってしまうのは非常に悲しい。それに、大人の可愛い女性が演ずるかわい子ぶりっこというものも、決して一概に悪いものでもないだろう。少女時代には、そのグループ名の通りに、いつまでもブリブリでキャピキャピな路線を厚かましく維持していってもらいたいものである。

画像そして、このベスト・アルバムには、韓国のインディ・シーンからも一作品が選出されている。それが、ネオン・バニー(Neon Bunny)の“Seoulight”である。このアルバムは、11年の韓国インディ・シーンの充実を代表する一枚というだけでなく、純粋にポップ・ミュージックのアルバムとしても非常に高い水準に達している作品である。よって、文句なしにここに選出されるに至った。そして、11年にはインディ・シーンとK-POPのシーンが、徐々に接近しつつあることを確かに感じ取れる動きも目についた。4月20日にリリースされたf(x)の待望のファースト・アルバム“Pinocchio”に収録されていた楽曲“Stand Up!”が、インディ・シーンから登場したポップ・ユニット、ペッパートーンズ(Peppertones)によって提供されたものであることは、ひとつの象徴的なトピックでもあった。今後、未来のK-POPシーンを面白くしてゆく先鋭的なサウンド・クリエイターが、アンダーグラウンドなインディ・シーンやクラブ・シーンから次々と登場してくることは大いに予想され得ることである。注目して見てゆきたい。

裏のベストは、ご覧の通りのライン・アップである。シスターのヒョリン(Hyorin)のソロ曲やT-araのヒョミン(Hyomin)とブレイヴ・ブラザース(Brave Brothers)のコラボレーション曲などの一部の人気アイドルの作品を除けば、ほとんどがあまり広く知られてはいない比較的マイナーなアーティストばかりという印象を受けるかも知れない。ただ、この裏のベストに関しては、最初から知名度の高さやヒットしたか否かという部分は完全に度外視して選考をしたので、このような結果となったのも、まあ当然の帰結ではある。ここで選考の基準となっているのは、純粋に楽曲のよさや楽曲としての面白さである。そして、それ以前に個人的な歌い手としての好みという点で大きく振り分けがなされていることは、まあ言うまでもない(これは、女性アイドル/女性歌手/女性アーティストが中心の全体的な傾向からも明白であるだろう)。ある意味では、個人的にとても気に入っている広く知られてはいない歌手や楽曲を紹介するために、この裏のベストがあるようなものだともいえなくはない。

ここで上位に名を連ねているヒョリンとディア(Dia)に関しては、やはり何といってもその桁違いの歌唱力に完全にノック・アウトされた。まさに本格派の確かな歌唱力(日本的な俗っぽい言い方でいうと歌力(ウタヂカラ)であろうか)というものを、これらの作品では聴くことができる。
ヒョリンのソロ楽曲“You Are The One For Me(Who You Are To Me)”は、人気ドラマ「Man Of Honor」のサウンドトラック用に制作された壮大なピアノ・バラード曲である。普段、シスターの一員として歌っているブレイヴ・ブラザース作のダンス・ポップ曲ではなかなか表に出てくることのない、ヒョリンのバラッディアとしての資質を思いきり前面に押し出した素晴らしい歌唱が、まるで渦を巻くかようにグワングワンと炸裂する一曲だ。まあ、デビュー時から分かっていたことであるが、この人は本当に驚くほどに歌がうまい。聴く者をぐいぐいと引き込むようなツボを押さえた情感の込め方などには、もはや職人芸的なものすら感じ取れたりもする。間違いなく、世界レヴェルで活躍できる逸材である。おそらく、今の日本の若手女性シンガーにヒョリンに太刀打ちできるような猛者はひとりとしていないであろう。

そして、そこに続くディアもまた、K-POPシーン(の一隅)で活躍する若き実力派シンガーのうちのひとりである。09年に女子高生シンガーとしてデビューしたディアは、現在最もメジャーな活躍が望まれている注目のタレントである(学業との両立のために、芸能活動/歌手活動だけに専念はしていない)。もしも、現在ブレイク中のIUに比類する同じ10代の本格派を挙げるとするならば、その筆頭は間違いなくこのディアであろう。すでに10年11月にファースト・アルバム“My Story”を発表しているが、その後も着実に歌手としての成長を遂げてきている。11年に発表した数々の作品でも、様々なスタイルの歌唱で、その才能の煌めきをまざまざと見せつけてくれた。その楽曲のうちのひとつは、表のベストにも選出されている。それが、ディア・ウィズ・PDブルー(Dia with PD Blue)としてリリースした“Me To You, You To Me”である。
画像ディア・ウィズ・PDブルーは、これまでに多くのヒット曲を手がけてきた人気作曲家、イ・ジュファン(Lee JooHwan)とのコラボレーション・ユニットである。11年に活動を開始し、この“Me To You, You To Me”が二作目のシングルとなる。そして、この楽曲は、03年に公開された映画「Love Story」のサウンドトラックに収録されてリヴァイヴァル・ヒットした、フォーク・トリオ、自転車に乗った風景の代表曲のリメイク作ともなっている。どこか70年代の韓国フォークの黄金期を彷彿とさせる優しくノスタルジックな香りのする名曲を、PDブルーが、オリジナルに忠実なフォーク・ロック的なサウンドにラップ・ヴォーカルをフィーチュアした、真摯に楽曲そのものをアップ・デイトさせたカヴァー・ヴァージョンに仕上げている。また、本来のソロとしての楽曲ではR&Bやポップなダンス曲を歌うことの多かったディアが、このオーソドックスすぎるほどにオーソドックスな韓国フォーク・スタイルのメロディを歌うことで、これまでにはなかったような新鮮味が感じられた部分も大いにあった。その透明感のある伸びやかな歌唱は、自転車に乗った風景の名曲に、新たな息吹を吹き込み再生させているようですらある。
そして、裏のベストには、二人組のポップ・ユニット、ウィンター・ガーデン(Winter Garden)とのコラボレーション作品となる“Four Seasons Garden”が選出されている。ここに収録された楽曲“Spring”に、ディアはヴォーカリストとしてフィーチュアされている。こちらもジワジワとこみ上げてくるタイプの落ち着いたAORバラード調の楽曲となっており、ある意味では自転車に乗った風景のカヴァーに挑むよりも以前の段階で、よりヴァーサタイルな歌手としての新たな境地を開拓するような作品ともなっていた。しかも、この“Spring”という楽曲もまた、かなりの名曲であり、ディアもその楽曲のクオリティに負けず劣らずの名唱で、見事なまでにこれに応戦してみせている。この作品自体、あまり広くは知られていないのだが、これは、このまま隠れた名曲としてしまうには実に惜しいとしか言い様のないような一曲なのである。
11年は、コラボレーション・ワークや客演などの他流試合を中心に、徐々にその活動の幅を広げつつある印象を残したディア。また、その活動の幅の広がりはK-POPのフィールドだけにとどまらず、ソウル・ポップ・オーケストラ(Seoul Pop Orchestra)の一員として参加した海外公演では、7月の末から8月の頭にかけて来日も果たしている。実際、かなりの本格派のシンガーであるディアが、今後も継続的にK-POPに近いフィールドでの活動を続けてゆくのかどうかは、今はまだちょっと未知数である。ただ、その類い稀なる歌手としての才能には、相当に高い可能性が秘められていることは確かであろう。豊かな音楽的素養やディーヴァ感満点の歌唱スタイル、そしてそのルックス的な相似から、ディアは、2NE1のパク・ボム(Park Bom)と比較されることが非常に多い。おそらく、本人も、そのあたりはかなり意識しているのではなかろうか。このIU世代のパク・ボムが、現在の知る人ぞ知る逸材から押しも押されぬトップ・スター/トップ・シンガーのひとりとして広く認知される日が、そう遠くはない未来に訪れることを心より願うばかりである。12年には、その素晴らしい歌唱をじっくりと堪能できる新たなソロ・アルバムのリリースがあるとよいのだが。楽しみにして待ちたい。

最後に、いくつか惜しくも選外となってしまったものなどを少しだけ簡単に紹介しておきたい。

まず、インディ系のアコースティック作品に良質のアルバムが立て続けてリリースされたことは、11年の韓国音楽においてひとつの大きな動きであったといえる。10cmの“1.0”、屋上月光(Dalmoon)の“28”、スギョン(Soo Kyoung)の“分割”、ハチ&エリ(Hachi & Aeri)の“Flower Bearing”など、本当に素晴らしい出来映えのアルバムが相次いだ。このソフトなムードのコリアン・ニュー・フォーク〜カフェ系アコースティック・サウンドの動きが、このまましばらく継続してゆくのか、それとも何らかの反動が押し寄せてくるのか、しばらく注目してゆきたいところである。

また、元ザ・メロディ(The Melody)のヴォーカリストでありインディ・シーンのアイドル的存在である、タル(Taru)もまた、素晴らしく音楽的成熟度の高い約二年ぶりのソロ・アルバム“100 Percent Reality”を発表した。これまでのダンス・サウンドなども取り入れたポップ・ロック路線の作品の音楽性と比較すると、一聴して非常に地味な印象の作品ではある。しかし、その地味さこそは聴き込むほどに味わいが増してくるような、とても深みのあるアルバムとなっていることの証しでもある。しっとりと落ち着いた歌と渋めのバンド・サウンドの奥底に、非常に多くのものが込められているのである。そのタイトル通りに、まさに等身大の素のままの歌の世界が展開される点も実に好感がもてる。キュートなインディ・シーンのアイドルが、一皮むけてインディ・シーンの女王へとさらに大きく成長を遂げつつある過程を、そこには聴くことができる。
画像また、裏のベストに選出されているタルの“Better Together”は、09年に発表されていた単発シングル曲の再発である。5月4日にリリースされた、このライト・タッチのエレクトロニック・ポップ曲は、ちょうど大震災直後の暗くなりがちであった気分に一条の明るく朗らかな光を投げかけてくれた。なぜ、この楽曲が、新しいアルバムがリリースされる直前という極めて中途半端な時期(この“Better Together”はアルバム収録曲ではない)に再発されることになったのかは、全く定かではない。しかしながら、個人的にはこれは絶妙なまでにタイムリーな再発曲のように感じられた。

そして、聴いて思わず震えてしまったのが、11月9日にリリースされたコミ(Gummy)の日本デビュー作“Loveless”である。この日本語版“Loveless”は、かなりグッとくるものとなっている。オリジナルの韓国語版を遥かに凌駕するミニ・ベスト曲集的な凄まじく濃い内容の一枚なのである。もしも間違って失恋の傷が癒えていない時などに聴いてしまったら、大号泣は必至であろう。こんなにも震えさせられるバラード作品は、そうそうない。特に、終盤の“忘れてほしい”から“きれいなあなた”への流れは、まさに猛烈だ。これを聴いて、何も感じないような人がいたら、その人は完全な不感症である。ノー・ダウト。

来年もまた、ベスト20が選べなくなるくらいに素晴らしい作品が数多くリリースされることを、心より願います。(11年)

追記
基本的に作品の評価は(単発のプロモーション・シングル曲を除いて)楽曲ごとではなく、作品全体を評価の対象としている。よって、EP作品やミニ・アルバムの場合は、シングル曲/タイトル曲/プロモーション活動曲のみではなく、全カップリング曲を含めた総合的な内容が評価の対象となっている。‡

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Baby V.O.X. Revisited ( II )

2011/12/01 05:00
Babylon Revisited

こうしてBaby V.O.X.というガールズ・グループの歴史を振り返ってみると、そこには、日本デビューに続いて米国へと進出し、さらには全世界の音楽市場に打って出ようとしている、現在の少女時代の姿と、どこか重なる部分があるようにも思えてくる。あの頃にBaby V.O.X.が実に心許ない足取りで恐る恐る歩いていた道を、今や少女時代が超大物アイドル・グループの貫禄を漂わせながらどっしりとした安定感のある足取りで突き進んでいるようにも見えるのである。
ただし、この両者の間に決定的な違いがあるとすれば、それはやはり所属する事務所の大きさということになってくるであろうか。Baby V.O.X.はレコード会社が母体となるDR Musicの所属であり、少女時代の所属する最大手の芸能事務所、SM Entertainmentほどには芸能界で発揮できる政治力も影響力ももっていなかったというのが現実であった。そして、最終的には、その後の韓国国内から活動の幅を広げるために事業を拡大してゆく過程において、この両者の計画遂行の段取りから実行力までの間には様々な差異が目につくようにもなる。このあたりのことになると、所属事務所の規模や資金力という根本的な部分での違いであるため、もはやグループのもつ力量云々ではどうしようもないことなのであろうが。また、海外進出に向けてのマーケティングやプロモーションということに関しては、時代そのものの違いも大きい。Baby V.O.X.の時代と現在とでは、インターネットの普及率と回線速度が決定的に違うのである。ほんの10年にも満たない時間的な差であるのだが、時代は本当に大きく変化した。SNSなどの各種ネットワーク・サーヴィスが発達した現在とそれ以前とでは、情報の伝達に関するスピードやスケールが格段に違う。そうしたツールを巧みに利用できる時代と全く利用できない時代とでは、エンターテインメントの世界は大きく様相を変化させている。また、SM Entertainmentとしても、自社の所属アーティストを含め過去のK-POPアイドルの海外進出における失敗例などから学んでいる部分は、少なからずあるはずである。当時のBaby V.O.X.の活動なども、きっと大いに参照されているに違いない。

Baby V.O.X.というグループは、当時の韓国歌謡界のガールズ・グループの序列においては、常に三番手の存在であった。その眼前には、SM EntertainmentのS.E.S.とDSP MediaのFin.K.Lが、いつもいたのである。歌唱の面でも楽曲やスタイルの面でも、そしてルックスの面でも、全てにおいてトップ・クラスであった、完成度の高い本格派のS.E.S.。天性のスター性を備えたリーダーのイ・ヒョリ(Lee Hyori)中心に常に新たな領域に踏み出し続けていたFin.K.L。この強力な二組のグループと競い合い、そしてその中で生き残ってゆくために、Baby V.O.X.はDR Musicと一丸となって、グループとしての独自の色を出してゆくべく様々な工夫を凝らしてゆくようになる。そんな、本格派やカリスマに対抗するための創意工夫から様々な曲調やスタイルを取り入れた、超ハイブリッドで(ある意味では継ぎ接ぎだらけの)極めてユニークなアイドル歌謡が生み出された。
Baby V.O.X.の初期のアルバムを聴くと、そこには韓国の大衆歌謡から欧米のダンス・ポップやR&B〜ヒップホップ、日本の歌謡曲やTKサウンドなど、かなり雑多な音楽要素が寄木細工状にミックスされているのを確認することができる。また、その歌詞の面でも英語詞が多用されており、現在では極普通のスタイルになりつつある韓国語と英語が入り混じったチャンポン歌唱の原点のような楽曲を確認することも可能だ。おそらく、こうしたBaby V.O.X.の楽曲におけるユニークで自由度の高いサウンドや多言語的な傾向が、S.E.S.やFin.K.Lも及ばぬくらいの海外での非常に高い評価と人気に繋がっていったに違いない。
そして、S.E.S.やFin.K.Lが単なるアイドル・グループの域にとどまらぬ、アーティスト性の高さをも大きく打ち出す姿勢を見せていたのと比較すると、Baby V.O.X.はルックスやスタイルを始めとしてよりポップなアイドル・グループ的フレイヴァーを前面に押し出し、独特の個性を発揮していたようにも思える。これが、ある意味では、韓国の歌謡界において初めてK-POPらしいK-POPの要素を強くにじみ出させる結果にも繋がった。つまり、この当時すでに(極めて今日的な感覚での)K-POPのスタイルを体現していたグループであったのだ。Baby V.O.X.とは、その後の00年代後半のK-POPのスタイルのパイオニアであり、非常に重要な先駆者的ガールズ・グループと位置づけることもできるのではなかろうか。そこには、まさに現在の韓国のアイドル歌謡のひな形を見てとることができる。
さらに興味深いことには、90年代後半の初期のカン・ミヨンの髪型やファッションは、後のモーニング娘。やAKB48のスタイルを完全に先取りしているようにも見えるのである。実際に、そのスタイルが何らかの影響を与えていたり、そのスタイリングに意識的に取り入れられているのかは定かではない。彼女の美的センスそのものが、大きく時代の先を行く先鋭的なアイドル感覚を表現したものであったということであろうか。こうした部分には、カン・ミヨンの表現者としての感覚の異様なまでの鋭さを感じずにはいられない。

S.E.S.やFin.K.Lなど90年代後半にデビューしたガールズ・グループの音楽性に共通していえることは、90年代の米国のR&Bに聴くことができた最先端のサウンドからの影響を強く受けているという点である。これは、一面においては、Baby V.O.X.の楽曲にも当てはまることである。特に活動最後期の04年のアルバム“Ride West”では、思いきりヒップホップ色の濃いサウンドが展開されている。本格的な米国の音楽市場への進出に向けて、より本気なサウンドに取り組んだ結果が、このアルバムであった。ちなみに、このアルバムには、ゲストとしてジェニファー・ロペス(Jennifer Lopez)が参加していたり、後に権利関係の不備によって裁判沙汰にまで発展することになる故2パック(Tupac Shakur)の未発表のフリースタイル・ラップが使用されていたりする。やや気合いが空回りしてしまった部分もあるのだが、韓国のアイドル・グループのアルバムにしては凄まじいまでに破格の内容となっていたのだ。プロダクション面でのゴチャゴチャした部分も含めて、何ともラフで怪し気な雰囲気を醸し出してもいる。そういう意味においては、この“Ride West”は、非常にヒップホップらしいヒップホップ臭をもつアルバムといえるのかも知れない。まさに、歴史的な名盤(迷盤?)だ。
当時、日本においても同様の音楽的な傾向は存在した。ただし、それは歌謡曲という形式の内部でではなく、よりアーティスト性の高い本物志向なスタイルとして追求されていた。この流れは、90年代に沖縄アクターズスクール出身の安室奈美恵(Amuro Namie)やSPEEDのブレイクによって盛り上がりをみせ、90年代最後半の宇多田ヒカル(Utada Hikaru)の出現によってひとつの頂点を迎える。また、S.E.S.は、00年に発表した四作目のアルバム“A Letter From Greenland”に、Misiaのヒット曲“つつみ込むように”を韓国語でカヴァーした“Show Me Your Love”を収録している。
Baby V.O.X.の楽曲においては、変則ビートのR&Bなどとともに、ソー・ソー・デフ・ベース・オール・スターズ(So So Def Bass All Stars)に代表される高速ブレイクビートを取り入れたベース・ミュージックやベース・ポップからの影響が聴き取れるのも、特徴的な傾向である。また、スパイス・ガールズ(Spice Girls)やエターナル(Eternal)などに近いユーロ・ダンス調のR&Bとダンス・ミュージックの中間をゆく路線の楽曲も、Baby V.O.X.が得意としていたスタイルである。さらに、特にバラード調の楽曲においては大衆歌謡的な韓国演歌調のメロディが匂い立っていたりもする。そうした楽曲群が詰め込まれたBaby V.O.X.のアルバムを聴いていると、内と外の音の果敢な融合により実に独特なアイドル歌謡の様式が生み出されていることを、ヒシヒシと実感させられる。Baby V.O.X.の音楽性の思いきり雑多な感じは、本当にユニークというしかない。独特でユニークなポップ音楽としてのK-POPの起源のサウンドを、初期〜中期のBaby V.O.X.のアルバムでは、そこかしこに聴くことができる。

カン・ミヨンはデビューから脱退時までグループのメイン・ヴォーカルというポジションで活躍していたが、その歌唱は、やや音程的に危なっかしく思えるような、微妙にふらつくナチュラルな揺らぎをもつのが特徴である。この15歳の少女のメイン・ヴォーカルへの起用は、グループのオリジナル・メンバーでリード・ヴォーカルを担当していたチャ・ユミ(Cha Yu Mi)が、膝の怪我によって活動できなくなった際に、その穴を埋めたことに由来している。ただ、この怪我を理由にしたユミの離脱は表向きな発表であり、実際にはDR Musicによる解雇であったようだ。どうやら、グループの中心的なメンバーであったキム・イジ、イ・ヒジンとチャ・ユミの間には相当な確執があったようなのだ。その後、ほどなくしてイジとヒジン以外のオリジナル・メンバーであるチャン・ヒョンジョン(Jang Hyun Jung)とチョン・シウン(Jung Shi Woon)も、まるでユミの後を追うようにグループから離脱してしまう(おそらく、こちらも所属事務所による事実上の解雇だったのだろう)。そして、このふたりに代わって二作目のアルバム“Ya Ya Ya”のリリース時にグループに加入したのが、新たなリード・ヴォーカル担当のシム・ウンジン(Shim Eun Jin)と、後に大きな物議を醸すことになるイ・ガイ(Lee Gai)であった。結果的には、この大幅なメンバー交代劇の直後のシングル曲“Ya Ya Ya”が、グループにとっての初のヒット曲となるので、DR Musicとしてはテコ入れに一応成功したことになるのであろう。また、この新たな編成での楽曲においては、カン・ミヨンの常に多少上ずっているような特徴的な歌声が、Baby V.O.X.ならではの独自の色合いや響きを醸し出させるものともなっていた。その微かに湿って粘り気のある声質のコケティッシュな歌唱は、どんな楽曲にも映えて浮き出るようにして目立つものであったのだ。そして、どんな時も決して力み過ぎずに適度な脱力感をたたえており、それでいて見かけによらずかなりの安定感を誇ってもいる。そんなカン・ミヨンのシンガーとしての個性や特性は、かなり唯一無二のものといえそうである。まさに、そのメインのヴォーカルによって、Baby V.O.X.の屋台骨を支え続けていたのである。

また、Baby V.O.X.といえば、K-POP黎明期ならではの珍騒動でも話題になった。それが、98年のメンバー交代の際にグループに加入したイ・ガイの年齢詐称事件である。当時30歳であったガイは、所属事務所のDR Musicに自らの年齢を20歳と偽って申告しタレント契約を結んでいたというのだ。この衝撃の事実が発覚すると、ガイはアルバム“Ya Ya Ya”期の活動に参加したのみで即刻事務所から解雇されてしまう。しかし、10歳も年齢を誤摩化してまでアイドル・グループの一員となろうとするとは凄まじい話である。それは、まだ10代半ばであったカン・ミヨンの約二倍の年齢であったのだから。
このように脱退と新加入が相次ぎ、初期のBaby V.O.X.は、実にメンバーの出入りが激しいグループであった。DR Musicは、この五人組をデビューさせた後にも、グループを完成形へと導くために苦心し続けたようである。そして、この時にイ・ガイに代わってBaby V.O.X.に加入したのが、当時15歳のユン・ウネ(Yoon Eun Hye)であった。DR Musicとしては、15歳のカン・ミヨンの加入がグループの成功の起爆剤となったことを受けて、その戦略を再び繰り返すことを決定したのであろう。すると、この策略が、またしても当たるのである。この可愛らしい永遠の末っ子の加入によって、Baby V.O.X.の五人のメンバーの顔ぶれは遂に落ち着くことになる。さらに、五人のメンバーの編成のバランスがとれたことにより、その人気も安定し、名実共にBaby V.O.X.は韓国の歌謡界においてS.E.S.やFin.K.Lと肩を並べる存在となってゆく。

ただし、この年齢詐称の問題に関しては、現在の感覚で冷静に振り返ってみると、それほど大騒ぎすることではなかったように思えてきたりもする。虚偽の申告による契約は問題外であるが、30歳でアイドル・グループの一員であることは、今では全く有り得ないことではない。喩えていうならば、カン・ミヨンが少女時代のメンバーとして“The Boys”を歌っているようなものである。実際のところ、これはそれほど違和感はないようにも思える。また、アフタースクールのカヒなどは、現実に常にそうした状態で活動を行っているのだ。10歳以上も年下の10代のメンバーとともに、アイドル・グループの一員として大活躍するアラサー世代は、逆にかっこよくもある。最近のK-POPの世界では、30代でアイドルであろうが全くおかしなことではないのである。日本では、国民的アイドル・グループのメンバーが、もうすぐ不惑の40代に突入しようとしていたりする。現在のアイドルをめぐる状況は、日本でも韓国でも高齢化と低年齢化が両極端な形で現れつつあるように思われる。
90年代の後半に15歳のカン・ミヨンとユン・ウネが相次いでBaby V.O.X.に加入し、その少女らしいルックスで爆発的な人気を博すと、韓国の歌謡界にアイドルの低年齢化の波が押し寄せる。そして、その時代の流れに即座に対応するようにSM Entertainmentが送り出したのが、BoAである。00年にアルバム“ID; Peace B”でデビューした時、BoAはまだ13歳の中学生であった。この極めてハイ・レヴェルに歌も踊りもこなす天才少女の出現が、韓国のアイドル低年齢化の流れの決定打となる。そして、その影響をモロに受けたのが、アイドルとしてデビューすることを目指して様々なトレーニングや勉強に励んでいたBoAよりも少し上の当時10代後半から20歳前後の世代の練習生たちであったのだ。時代の急激な変化で、この世代に対する注目度は一気に降下し、事務所の次期デビュー候補の枠からも、いつの間にか外されてしまう。この世代にとって、BoAの出現と大活躍は、この世の終わりに等しいものであったはずである。そして、ここにK-POPのロスジェネ世代が生まれることとなる。
00年代の前半の時点で、このロスジェネ世代は、完全にデビューへの道が閉ざされてしまったかのように見えた。つまり、この世代とは、アフタースクールのカヒやブラウン・アイド・ガールズのナルシャたちのことである(幸運にもBoAよりも早くデビューできていたカン・ミヨンも同世代に属す)。彼女たちは、この低年齢化の動きがおさまり、次の時代の波が訪れるまで水面下でジッと待たなくてはならない運命にあった。だがしかし、その次の波は思いもかけずすぐにやって来たのである。00年代後半の新韓流とK-POPの大ブームという、かつてなかったほどに巨大な波が。そして、このロスジェネ世代のサヴァイヴァーたちは、最後の最後の崖っぷちでデビューへの切符を掴み、歌謡界での成功を見事に手にしたのである。おそらく、彼女たちの成功は、途中で挫折し道半ばで夢を諦めた同世代の元練習生たちの希望の星にも必ずやなっているはずである。

現在、Baby V.O.X.の末っ子であったユン・ウネは、女優として大成している。05年にBaby V.O.X.を脱退した直後からタレントとしてTVの世界で活躍し、その後に女優業へと転向した。ただ、元アイドル歌手という前歴からか、最初はその演技の資質を疑問視する声も多かった。これは、韓国の芸能界における大衆歌謡の世界と映画・ドラマの映像制作の世界の位階の差を如実に表した意見でもある。アイドルと俳優・女優では活躍する世界が全く違うと見られている傾向は非常に根強い。徐々に、そうした偏見やふたつの世界を隔てる壁は崩れつつあるが、大衆芸能としての歌謡というものが、エンターテインメントの世界で不当に卑下される在り方は、文化的な伝統として確かにある。
だがしかし、そうした外野の声をはね返すように、ユン・ウネが出演した「宮〜Love in Palace」や「コーヒープリンス1号店」といったドラマは次々と大ヒットを記録する。そして、ユン・ウネは、一躍TVドラマのラヴ・コメディには欠かせない人気女優のひとりに数えられるまでになるのである。ただ、そうなると、まるで手のひらを返したように元アイドル歌手ではなく完全にドラマ女優という扱いになるのもまた、韓国の芸能の世界の慣しであったりもする。ユン・ウネは、90年代後半にデビューしたガールズ・グループのメンバーのうちで、その後のキャリアにおいて韓国の芸能界で最も成功を収めたひとりだといえる。おそらく、Baby V.O.X.の当時は、可愛らしい末っ子のユン・ウネにそんな未来が待ち構えていることなど、誰も予想だにしなかったであろうが。

画像ユン・ウネが初めて参加したBaby V.O.X.の三作目のアルバム“Come Come Come Baby”(99年)には、“Love and Ecstasy”という楽曲が収録されている。これは、極度にスピード・アップされた高速のブレイクビートによるダンス・チューンである。そんな突っ走るビートに、レイヴ〜トランス的なエレクトロニックなフレーズの意匠が加わり、そこにヌタヌタとしたユーロ・ダンス風の空気感なども加味されて、かなりエキセントリックなサウンドが展開される。そして、Baby V.O.X.によるウィスパー調の浮遊感のあるヴォーカルが、さらなる妖し気な雰囲気をかき立ててゆくのである。そんな、ちょっとワケの分からないことになっている一曲であるのだが、間違いなくいえることは、これはアイドル・グループの歌うアイドル歌謡にしては相当に先鋭的な音だということ。こうした、かなり実験的なアイドル歌謡の楽曲を残していることも、常に音楽的にも果敢に試行錯誤を繰り返していたBaby V.O.X.の特徴のひとつである。
この“Love and Ecstasy”には、今の感覚の耳で聴くと、ダブステップやシカゴのジューク〜フットワークと非常に近い風合いが感じ取れたりもする。ただし、99年の段階でこの音は、少しばかり早すぎた。ある意味では、実に革新的なサウンドを取り入れた楽曲なのだが、Baby V.O.X.の場合には、ちょっとした手違いや勘違いの積み重ねで、こうなってしまっているような雰囲気が強い。80年代前半のシカゴでアシッド・ハウスの奇抜な音が機材の誤った使用法から生まれたように、こうした手違いや勘違いは近代のポピュラー音楽において、非常に重要な意味をもっていたりするので侮りがたいものもあるのだが。もしかすると、この異様なまでの突発性を漂わせるBaby V.O.X.の“Love and Ecstasy”も、現在のダンス・ミュージックとの親和性や連続性の中で今こそ聴き返され評価されるべき楽曲であるのかも知れない。

03年3月、Baby V.O.X.はミニ・アルバム“Go”で、日本の音楽シーンへの進出を果たしている。この02年から03年にかけての時期、Baby V.O.X.は非常に積極的に海外での活動に取り組んでいた。当時、タイを中心とする東南アジア諸国や、中国や台湾の中華圏での人気には絶大なものがあり、Baby V.O.X.の作品はアジア各国でもリリースされていた。そうしたアジアでの活動の一環として、この日本盤が発表されたという経緯がある。結果的には、Baby V.O.X.が発表した日本盤のアルバムは、この一枚のみで終わってしまった。その理由としては、この作品が、高い人気を誇るタイや台湾と同じ程度にはヒットしなかったということが挙げられよう。また、この後にグループの新たな活動のターゲットが、一気にアジアを飛び越して、米国に定められたこともあるだろう。この頃、ちょうど日本ではTVドラマを中心とする韓流ブームが起きていた。いわゆる、「冬ソナ」現象である。だが、アイドル歌謡を中心としたK-POPの波は、まだまだ日本の市場にまで本格的には届いてきてはいなかったのだ。残念ながらBaby V.O.X.の日本語歌唱作品は、この作品のみとなってしまったのだが、カン・ミヨンの脱力系のアンニュイな歌声と、しっとりとした日本語詞の相性が、非常によかっただけに、全くもって惜しいというしかない。できることなら、カン・ミヨンのソロとしてでも再度この“Go”の日本盤をリリースしてもらいたいくらいである。
東南アジアを中心にアジア各国で高い人気を獲得している韓国のアイドル・グループというと、現在ではオレンジ・キャラメル(Orange Caramel)を、その筆頭に挙げることができるだろう。あらためて考えてみると、00年代前半に絶大な人気を誇ったBaby V.O.X.と、このオレンジ・キャラメルの間には、いくつかの共通点が存在しているようにも思われる。そして、その両者の特性が一致するあたりから、アジアの音楽市場で絶対的に支持されるアイドル・ガールズ・グループの形式が、はっきりと浮かび上がってくる。つまり、その第一の前提となるのは、やはり誰の目にも親しみやすく分かりやすい純然たる可愛らしさである。そして、グループの在り方としては、どこまでもアイドルらしいアイドルに徹し、純粋にアイドル的なスタイルを前面に押し出すということに尽きる。特に、そうしたアイドルらしいカタチに対する拘りを感じさせ、メタ・アイドル的な要素を強くもつオレンジ・キャラメルは、極めて意識的にアジアのアイドル市場を席巻している存在だともいえそうである。

後期のBaby V.O.X.は、ある程度の揺るぎない人気を誇っていたアジアから、新たに米国の音楽市場へと目標を設定し直したことに伴い、グループとしてのスタイルやイメージを大きく変化させる時期を迎えることになる。04年に発表された七作目のアルバム“Ride West”は、米国のメインストリームのヒップホップやR&B〜ソウル、ダンス系のサウンドを大幅に導入した、海外進出に対応した音楽性に積極的に取り組む意欲作となっていた。
ただ、そうしたアメリカナイズされた音へと向かうことで、伝統的な韓国の歌謡曲のスタイルと様々なポップ・ミュージックからの影響を融合して形成された独特のK-POPらしさが失われてしまうという怖れがないわけではない。しかし、少し角度を変えて見れば、このK-POPというものが独自の発展の道を歩んできた根幹の部分には、欧米のポップスやダンス・ミュージックのスタイルから学び取ったものがあることは確かであり、そうした音の傾向というのは一種の先祖帰りのように捉えることもできそうである。このように何かの拍子に突発的に影響を受けるものへの傾きと進化の速度や方向性のバランスが変化することで、また新たなK-POPの世界が広がってゆく可能性がないわけでもない。きっと、今後も音楽的にさらなる発展があるとすれば、そうしたこれまでの流れとは少しずれたクロスオーヴァーの地点から、何か全く新しいものが生まれてくるのではなかろうか。それとも、今の流れのまま独自の進化を遂げ続けるK-POPらしさを、どこまでも独自のものとして追求してゆくべきなのであろうか。これは、少しばかり、悩ましい問題ではある。
しかし、Baby V.O.X.の場合には、そのK-POPのアイドル歌謡としての新境地を開拓しようとする強い意気込みが、逆に徒となってしまったのかも知れない。挙げ句の果てには、アルバムのプロダクションの粗雑さを露呈するような裁判沙汰にまで発展する問題なども巻き起こり、これ以降のグループの活動は急速な失速を余儀なくされることとなる。そして、事務所との契約が切れたシム・ウンジンとユン・ウネが、再契約を結ぶことなく相次いでグループを脱退。Baby V.O.X.は、緩やかに崩壊へと向かい始める。
ただ、やはり今から考えると、全ての事の発端はアルバム“Ride West”においてR&B〜ヒップホップ系のヘヴィなビートのサウンドを大胆に導入したことで、それまでの軽やかなダンス・ポップ系のアイドル歌謡の楽曲の雰囲気が大きく失われてしまったことにあったようにも思われる。その重々しさこそが、まさに失速の第一の原因であったのではなかろうか。突然の大きな音の傾向の変化に、初期の頃からのファンがついてこれなくなってしまった部分もあるのだろう。また、時代そのものが、00年代前半の韓流ブーム期から00年代後半の新韓流の動きへと、大きく移り変わってゆく時期に差し掛かってもいた。その変化の季節の中で、97年にデビューしたBaby V.O.X.が、ひと世代前のやや古めかしいガールズ・グループとなっていってしまうことは致し方のないことでもあったのだろう。

11年10月19日、少女時代は通算三作目のアルバム“The Boys”をリリースした。このアルバムは、少女時代にとって初の全世界同時リリース作品にして、Interscopeからの全米デビュー作へと連なる一作である。まさに、日本を始めとするアジア各国での成功を経て、本格的に海外の音楽市場へ進出するためのアルバムなのだ。アルバムからのシングル曲は、80年代末から90年代初頭にニュー・ジャック・スウィングで一世を風靡したテディ・ライリーがプロデュースを手がけたタイトル曲の“The Boys”。太くラウドなビートが重々しくうなりを上げる、実に迫力のある一曲である。また、この楽曲のダンス・パフォーマンスは、これまでの少女時代にはなかったような力強さや逞しさを感じさせるものとなっている。
ただし、その重厚感には、何ともいえない不安をかき立てられたりもするのである。どうしても、これと非常に似通った状況下でリリースされたBaby V.O.X.のアルバム“Ride West”や、そこに収録されていた“Xcstasy”や“Play”といた楽曲のことが、思わず脳裏をかすめてしまうのだ。
しかしながら、ここ数年の間にK-POPというものを取り巻く状況は、マクロな面でもミクロな面でも大きく変化してきている。ひと世代前のK-POPアイドルであるBaby V.O.X.が、海外進出や全米デビューを目論んでいた頃とは、時の流れを感じずにはいられないことも確かにある。韓国から世界へ、アジアから世界への距離は、非常に近づいているのだ。それに、今の新韓流やK-POPのブームに、強烈な追い風が吹いていることも間違いないところである。そうした状況や環境だけでも、少し前の時代とは大きな違いであろう。

また、かつてはアジアのローカルなポップ・ミュージックの一部でしかなかったK-POPというものの受け止められ方も大きく変化した。11年10月、S.E.S.の中心メンバーであったパダ(Bada)は、主演ミュージカル「美女はつらいの」の日本公演のために来日し、朝日新聞の取材を受けている。そのインタヴュー記事の中で、当時S.E.S.として日本のTV番組に出演することに対し、非常に高い壁を感じていたことを述懐している。日本の芸能界では韓国の女性アイドル・グループは、とても物珍しいものという扱いを受け、韓国の歌謡界でもわざわざ日本にまで出向いて行って活動することに対して、あまり周囲の理解は得られなかったようである。ほんの約10年ほど前のことだが、まだまだその頃にはK-POPと日本の間には、少しばかり距離があったのだ。まさに、隔世の感ありである。
このミュージカル「美女はつらいの」の日本公演は、主役をパダとKARAのギュリ(Park Gyuri)がダブル・キャストで務めていることでも話題である。いわゆる、新旧のトップ・アイドルの競演が日本の地で実現しているわけである。ギュリの歌唱やダンスには、パダやFin.K.Lのイ・ヒョリなどに憧れて芸能の世界に足を踏み入れたことが、実によくわかる雰囲気が色濃くある。また、パダとギュリの澄んだ伸びやかな声質は、とても近いものなのだ。そんなどこか似通ったふたりが、ともにミュージカルの主演を務めていることは、非常に微笑ましい出来事であると同時に、確実に時代と世代を越えてK-POPアイドルの魂のようなものが継承されていっていることを実感させられるものでもある。

ここ数年、韓国のアイドル歌謡における表現の方法も、かなり変化してきている。約10年前の歌謡界で活躍していたガールズ・グループと比較すると、現在のK-POPブームの真っ直中でひしめき合うガールズ・グループの楽曲やパフォーマンスにおける表現は、より自由で大胆になり、伝統や形式にもとらわれなくなりつつあるようだ。ただし、厳しい倫理観をもつ文化の下で規制されてしまう部分も、確かにあるのだが。そことの折り合いをつけながら、既成の概念を少しずつ切り崩してゆくところもまた、新たな時代を象徴するK-POP文化の醍醐味となっているのではなかろうか。外の世界に向けて解放され始めた韓国の女性の凄まじいまでのパワーを、昨今のK-POPのガールズ・グループの勢いにも感じ取ることができる。そして、彼女たちは、そうした新時代のアイドル歌謡の表現に自信を抱いてゆくとともに、さらに決して媚びることのない強さや逞しさを身につけてもゆく。新曲“The Boys”での少女時代は、もはや愛想笑いのひとつさえも見せはしない。21世紀とは、強く逞しいアジアの女性が本格的に世界を動かしてゆく時代になるのかも知れない。
今、K-POPは、韓国の歌謡曲の伝統や文化としての大衆歌謡の香りを残しつつ、独自の独特な進化を遂げてきたサウンドで、より大きな音楽マーケットに打って出ようとしている。そして、間違いなく、その隆盛とは、S.E.S.やFin.K.L、Baby V.O.X.といった先達たちが、何もなかった時代からコツコツと積み重ねてきたものの上に築き上げられているのである。少女時代の全米デビューにしてみても、実は非常に大きなものを背負った一歩なのだ。そして、その一歩一歩の歩みが、新たなアジアから世界への架け橋の礎ともなってゆく。10年代のK-POPが、様々な変化の中で、いかに新たな時代を切り拓いてゆくのか、これからの動きにも大いに注目してゆきたいところである。(11年)

追記
11年11月23日に掲載されたAllkpopの特集記事、Way Back Wednesdayにおいて、Baby V.O.X.の偉大な足跡と功績が回顧されている。この記事の内容と、かなりジャストなタイミングで重なったことに、最初は少しばかり驚かされた。しかし、最近の韓国歌謡界に復帰したカン・ミヨンの活躍などを考えれば、当然の動きだと思える部分は確かにある。
11月21日にリリースされたエイ・ピンク(A Pink)のセカンド・ミニ・アルバム“Snow Pink”からのシングル曲“My My”には、往年のS.E.S.やFin.K.Lの楽曲を思わせる雰囲気があり、その王道のアイドル歌謡路線が大きな評判となってもいる。さらにいえば、非常に爽やかかつ清楚で軽快なアイドル・ポップ曲である、この“My My”の間奏部分は、いきなりビート感が変化し、ヒップホップ・ダンスを差し挟むパートとなっているのだ。この楽曲の展開は、明らかにBaby V.O.X.のヒット曲“Ya Ya Ya”の様式を忠実になぞったもののように聴こえなくもない。
今、90年代後半にデビューしたアイドル・グループに対して、これまでになく熱い注目が集まっているようにも感じられる。単なるアイドル歌謡の懐メロとしてではなく、現在のK-POPへと連なるある種のルーツとして聴き返されている側面などもありそうだ。どうやら、10年代初頭の歌謡界に、第一世代のK-POPガールズ・グループのリヴァイヴァルと再評価の大波が、本格的に訪れようとしているようなのである。これまで、常にS.E.S.やFin.K.Lの大きな影に隠れて、あまり正当に再評価されることのなかったBaby V.O.X.の過去の作品にも再び脚光があたることは、非常に喜ばしいことだといえる。‡

I - II

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Baby V.O.X. Revisited ( I )

2011/12/01 05:00
Baby V.O.X. Revisited

An introduction

11年10月30日に、こんなことをつぶやいた。
「本日のInkigayo。キム・ワンソンがいて、カン・ミヨンがいて、ソニョシデがいて、さらにその下の世代のC-REALがいる。考えようによっては、なんと豪華な競演であろうか。」
その出演者の顔ぶれの凄まじさに、思わず感動してしまったのである。そして、あらためて韓国の歌謡界の奥深さのようなものを思い知らされたりもした。

Four Generations Walking

毎週日曜日の夕方、韓国のSBSで放送されている音楽番組に「人気歌謡(Inkigayo)」という番組がある。最新のK-POPのヒット曲が生放送のスタジオで次々と披露される、KBSの「Music Bank」やMBCの「Music Core」などと並ぶ人気音楽番組のひとつである。
11年10月30日。この日の「Inkigayo」は、いつになく豪華で意味深い内容の放送となっていた。特に、この日の番組において特別な企画や催しがなされていたわけではない。逆に、いつも通りの極めて普通な番組進行の中において、全くありきたりではないことがサラリと行われてたことに、何ともいえない驚きを覚えたのである。この日も「Inkigayo」には約20組近いアーティストが出演し、その華やかなステージ上で最新のヒット曲が次々と歌われていた。しかしながら、この日は出演者の顔ぶれに、ちょっとただならぬものがあったのである。より具体的にいうと、そこに登場した一連の女性アーティストたちのプロフィールを冷静に考えてみた時に、思わず唸らされてしまったのである。
画像大ヴェテランのキム・ワンソン(Kim Wan Sun)は、ビースト(BEAST)のヨン・ジュンヒョン(Yong Jun Hyung)とコラボレートしたバリバリのエレクトロ・ダンス曲“Be Quiet”を力強く歌い上げた。今年に入り本格的に韓国の歌謡界に復帰したカン・ミヨン(Kan Mi Youn)は、十八番のノリのよいダンス・ポップ曲“Won't Meet You”を大人可愛くかつスタイリッシュに披露した。そして、今をときめく少女時代(SNSD)はテディ・ライリー(Teddy Riley)がプロデュースを手がけたヘヴィなビートが轟くダンスR&B曲“The Boys”を大物感たっぷりにキメてみせ、この10月にデビューしたばかりの新人、C-REALはポップR&B曲の“No No No No No”を実に初々しく歌い踊った。この何とも凄まじい顔ぶれに、思わず感動させられてしまったというわけなのだ。
80年代の半ばにデビューしたキム・ワンソン、90年代の後半にBaby V.O.X.のメンバーとしてデビューしたカン・ミヨン、00年代の後半にデビューし現在のK-POPブームの中心的存在となっている少女時代、10年代にデビューした次世代のK-POPを担う実力派アイドル・グループであるC-REAL。この日の「Inkigayo」の出演者の顔ぶれには、80年代から現在に至るまでの何と四つのディケイドに渡る女性アイドルたちが勢揃いしていたのである。ここまで揃うと、やはり壮観というしかない。おそらく、キム・ワンソンとC-REALのメンバーでは、親子といってもおかしくはない程の年齢差であるはずである。失礼かも知れないので実年齢について詳しくは触れないが、干支でいうとふた回り以上は確実に違うのではなかろうか。間違いなく、この日の「Inkigayo」のステージ上にあったのは、K-POPアイドルの歴史、もしくは80年代以降の韓国のアイドル歌謡の歴史そのものであった。

人気歌手の顔ぶれも、流行の音楽のスタイルも、常に目まぐるしく動き続ける韓国の歌謡曲/大衆歌謡の世界。まさしく激流並みにサイクルの速い歌謡界であることを思えば、この日の「Inkigayo」で観ることができたのは、間違いなく奇跡のようなステージであったのである。この世界の第一線で長く生き残り続けることは、至難の業なのだ。日常的に激しい競争が繰り広げられ、送り出す側も手を替え品を替え次々と凄まじい勢いで目新しいものを用意してくる。そこでは、少し古めかしくなったものは即座にお払い箱にされてしまう宿命にある。そんなステージの上で、芸歴が十年や二十年を越えるヴェテラン歌手とフレッシュな現役のアイドル・グループが、ごく普通に競演していることは、大変に驚異的なことのようにも見えてくるのである。キム・ワンソンが日本語で“ランバダ”を歌っていたのは、もうかれこれ20年以上も前のことなのだ。この息の長さは、ただごとではない。確かに、ワンソンはしっかりとした実力をもった歌い手ではある。しかし、決してそれだけで生き残ってゆける世界ではないはないような気もするのである。
この四世代に連なるアイドル歌手による豪華競演を日本の歌謡界に置き換えるとするならば、80年代組の松田聖子(Matsuda Seiko)と90年代組のSPEEDのメンバーのソロと、今のアイドル全盛時代を代表するAKB48と新人のフェアリーズ(Fairies)が、特別企画の音楽番組などではなく、通常放送の「ミュージック・ステーション」や「Music Japan」においてヒット中の新曲を歌って競演しているという感じになるであろうか。そう考えると、日本においては、こうしたいくつもの世代を超越した女性アイドルの競演は、もはやかなり有り得ない感じが濃厚に漂うものとなりつつあることがわかる。日本の歌謡界において(も)中心的存在になってヒット曲を放っているのは、(通常)現在進行形のアイドルのみなのだ。松田聖子もSPEEDのメンバーも決して歌謡界から消えてしまったわけではない。しかし、時間の流れとともに、いつしかヒット・チャートとも第一線の舞台とも縁遠くなっていってしまうものなのである。

この日の「Inkigayo」の放送は、少女時代が大ヒット中の“The Boys”で見事にテイク7のコンペティションを制し、ミュティズンを獲得して幕を閉じた。だが、そうしたこと以上に、時代と世代を越えてK-POPアイドルたちが顔を揃えた、何とも感慨深い豪華な内容が強く印象に残った番組となったのである。

A baby has the voices of expression

ここでは、カン・ミヨンとBaby V.O.X.を中心に90年代にデビューした女性アイドルたちと、その下の世代の00年代にデビューした現在のK-POPブームを背負って立つガールズ・グループについて、少しばかり考えていってみたい。

まずは、Baby V.O.X.のカン・ミヨンについて。正確に紹介すると、元Baby V.O.X.のカン・ミヨンである。Baby V.O.X.は、97年にデビューし06年に解散するまで約10年という長い期間に渡って活動を続けたガールズ・グループである。韓国の歌謡界ではアイドル・グループの人気のピークは極めて短いものであり、次々と顔ぶれが入れ替わってゆくのが常である。だが、そうした業界の流れに必死に逆らうかのようにBaby V.O.X.は、ある種の型破り/常識破りなアイドル活動を積極的に続けたともいえるだろうか。そんなガールズ・グループにカン・ミヨンは、97年に中途から加入する形で参加し、そのまま06年の解散の直前まで、グループのメイン・ヴォーカリストとして在籍した。
カン・ミヨンが参加する以前のBaby V.O.X.は、あらゆる面で今ひとつ足りない部分が露呈してるような状態で、目の覚めるようなヒット曲には恵まれていなかった。97年の時点で、斬新なサウンドのダンス・ポップ曲を元気に歌い踊るBaby V.O.X.のコンセプトやスタイルは、まだ少しばかり時代の先を行き過ぎていたという部分もあったのだろう。そんな、やや低迷し混迷のただ中にあったBaby V.O.X.に突如出現したのが、それまでの韓国の歌謡界にはなかったような親しみやすい可愛らしさをにじみ出させたルックスのカン・ミヨンであった。当初は、怪我をしたメンバーの代替としてステージに立ったのだが、この新メンバーの加入が、グループの溌剌としたポップな歌謡曲路線と思いもかけずにジャストにフィットして、かなりの好評を得ることになる。この劇的な変化を期に、Baby V.O.X.を取り巻く全てが一気に大きく動き出した。この時、新メンバーのカン・ミヨンは、まだ15歳という若さであった。

90年代後半にデビューした、この当時に大変な人気を獲得していた代表的なガールズ・グループには、SM Entertainmentに所属するS.E.S.とDSP Mediaに所属するFin.K.Lがいる。いずれも現在の少女時代とKARAの先輩グループにあたる。このS.E.S.とFin.K.Lのメンバーは、ほぼ80年前後の生まれであり、82年生まれの15歳のカン・ミヨンとは実際には二つか三つほどしか年齢的な差はなかった。これは、Baby V.O.X.の先輩メンバーたちと比較してみても同じことであった。だが、カン・ミヨンの純粋無垢な雰囲気のルックスは非常に少女的なものであり、周囲の女性アイドルたちと比較しても実年齢より格段に幼く見えたのである。
伝統的に歌謡の世界とは大人の芸能の世界であったため、当時はアイドル歌手たちにも社会的な礼節やある程度の成熟した大人っぽさが暗黙のうちに求められている雰囲気は色濃くあった。S.E.S.やFin.K.Lのメンバーは、基本的にまだ10代後半であったが、とても大人な面ももっていたのである。そこに突然ポッと登場した、とても幼い15歳の少女の存在によって、韓国の歌謡界の流れや構造は、その根底の部分で、ほんの少しだけだが確実に変化し始める。このカン・ミヨンのデビューは、現在のK-POPを考える上でもひとつの大きなターニング・ポイントであったといってよいだろう。

その後、Baby V.O.X.はカン・ミヨンを含めてデビュー時のオリジナル・メンバーから五人中三人が入れ替わった全くの新体制で、98年にセカンド・アルバムの“Ya Ya Ya”をリリースする。そして、このアルバムのタイトル曲“Ya Ya Ya”が、Baby V.O.X.にとっての初の大ヒット曲となった。ここで、ようやくBaby V.O.X.は、当時のトップ・アイドルであったS.E.S.やFin.K.Lと肩を並べる存在となるブレイクのキッカケを掴んだのである。そして、ここを皮切りにヒット曲を次々と放つ、Baby V.O.X.の黄金時代が実質的に幕を開ける。
02年には、S.E.S.とFin.K.Lが、約5年間の活動を全力で駆け抜けて相次いで解散や活動休止を発表する。時代を牽引してきた両グループが、この年にいきなりアイドル歌謡の第一線から姿を消してしまったのだ。そんな中でもBaby V.O.X.だけは、この90年代後半にデビューしたガールズ・グループからの多大なる影響の下に誕生した、後発のシュガー(Sugar)やジュエリー(Jewelry)などと競い合う形で活動を続けていた。ただし、この頃から、その活動の全てが決して順風満帆とはいかなくなる。そして、04年にBaby V.O.X.としてのラスト・アルバムとなってしまった通算七作目の“Ride West”を発表した後には、グループ内外で様々な問題が重なり、致命的なメンバーの脱退劇が続けざまに起きてしまう。これによって、常に五人組として活動してきたBaby V.O.X.は、遂にトリオ編成のグループにまでサイズ・ダウンしてしまうのである。
06年、人気の面でも歌唱の面でも大きな柱であったカン・ミヨンが、グループからの脱退を決意したことを機に、Baby V.O.X.の解散が決定された。奇しくも、この時に最後まで残ったのは、グループのオリジナル・メンバーであり、Baby V.O.X.の歴史を最初から最後まで見届けた、キム・イジ(Kim E-Z)とイ・ヒジン(Lee Hee Jin)のふたりであった。しかし、ある意味では、このBaby V.O.X.というグループは、カン・ミヨンの加入とともに本格的に始まり、カン・ミヨンの脱退とともに終わったグループであったといえるのかも知れない。この時点で、15歳でグループに加入したカン・ミヨンは、すでに24歳となっていた。元々が、かなりの童顔であるために、まだまだルックス面では少女っぽい雰囲気を多分に残してはいたが。
この06年といえば、ワンダー・ガールズ(Wonder Girls)やKARA、少女時代などの新たなガールズ・グループの一大勢力が相次いでデビューした07年の前年にあたる。まさに、00年代後半に興った新韓流のブームと新たなK-POPアイドルの時代が幕を開けようとする直前のことであった。Baby V.O.X.の解散は、一世を風靡した90年代デビュー組のガールズ・グループの時代が終焉したことを告げる、ひとつの象徴的なエポックであったともいえるであろう。

Baby V.O.X.以降のカン・ミヨンは、ソロ・シンガーとしての道を歩み始める。06年の秋には、初のソロ・アルバム“Refreshing”をリリースする。そこでは、それまでのアイドル・グループの一員として活動してきたイメージを一新するかのように、大人のバラード歌手という新たな一面が比較的強く打ち出される。だが、そうした路線が、従来のファンが求めていたものとは少しばかりすれ違ってしまっていた観は否めない。そして、ソロ・シンガーとしてのカン・ミヨンは、かねてより人気の高かった中華圏の音楽市場での活動に積極的に取り組んでゆくようになる。
その活動初期からBaby V.O.X.は、中国や台湾のみならず東アジア・東南アジアにおいて絶大な支持を獲得していたグループであった。楽曲の歌詞も韓国語だけでなく英語詞を多く取り入れるなど、国内のみならずよりインターナショナルな市場を意識しているような姿勢は、デビュー時から色濃く感じられてはいた。そして、そのポップなR&B〜ダンス系の楽曲が中心となる音楽スタイルも、国籍を問わずに受け入れられる素養を大いにもつものであったともいえる。
その後、カン・ミヨンは、07年頃から本格的に活動の拠点を中国へと移すことになる。急速な経済発展を遂げていた中国の活気に満ちたエンターテインメント界に単身進出することは、おそらく非常に大きなチャレンジであったに違いない。彼女は、Baby V.O.X.時代からの知名度を武器に、その計り知れない可能性を秘めた巨大な市場へと飛び込んでいったのである。先見の明があるといえば、先見の明が大いにある試みだといえるであろう。また、無謀だといえば、大いに無謀な試みであったのかも知れない。カン・ミヨンは、このために猛勉強して中国語を習得したという。見かけは必死の努力とは全く無縁そうな姫様キャラの人であるが、やはり人知れずに猛烈な努力はしているものなのだ。
08年には中国語版の“Refreshing”であるソロ・アルバムの“女人心”をリリースしており、中国の音楽市場においても簡美妍としてある程度の成功を収めるにいたった。また、TVの音楽番組だけでなくヴァラエティ番組などにも多く出演し、タレントとしても、そのやや浮世離れしたキャラクターで幅広く人気を博したようだ。さらに、ジャッキー・チェン(Jackie Chan)が主催した四川大地震復興支援プロジェクトには、アジアを代表する歌手のひとりとしてチャリティ活動に積極的に参加してもいる。

しかし、そんな中国での活動を足がかりにアジア全土へと大きく羽ばたきつつあったカン・ミヨンであったが、10年の夏に突如として韓国の歌謡界にカム・バックすることになる。多くのガールズ・グループたちがひしめき合うK-POPの大ブームを目の当たりにして、元Baby V.O.X.のメイン・ヴォーカルとして沸々とたぎり立つものがあったのであろうか。その確かな先見の明が、現在の新韓流の動きにコミットすることを強く望んだということであろうか。10年7月、約四年ぶりとなる韓国での新曲“Going Crazy”が、配信のみのシングルとしてリリースされた。
この“Going Crazy”には、ゲスト・ラッパーとしてエムブラック(MBLAQ)のミル(Mir)がフィーチュアされており、音楽番組のパフォーマンスでは、ふたりが身体を寄せ合いダンスするホットな絡みが話題となった。また、この楽曲のMVには、同じくMBLAQのイ・ジュン(Lee Joon)が出演しており、女主人公(カン・ミヨン)の偏質的な愛情の下に監禁状態で飼われる男の子役を演じている。ここでのカン・ミヨンは、若く見栄えのよいボーイズ・グループのメンバーたちを贅沢に周囲に侍らせる、セクシーな成人ドルのイメージを強く打ち出し、中国の芸能界で揉まれてきた約三年半の成長ぶりを強烈に印象づけることに成功している。久々に韓国の歌謡界に凱旋したカン・ミヨンは、ちょっと見違えてしまうほどにソロ・シンガーとしても女性としても大きくステップ・アップしていたのである。
90年代後半に15歳でデビューしたカン・ミヨンも、すでに20代後半に差し掛かるお年頃である。もはや成人ドルといっても全くおかしくはない年齢だ。自然に溢れ出す可愛らしさで全てを押し切ることが可能な若いアイドル歌手たちとは一線を画す、成人ドルならではの大人なキャラクター作りも当然必要となってくるだろう。そこで打ち出されたのが、韓国歌謡界への復帰作となった“Going Crazy”での年上女性が完全に主導権を握る逆ハーレムなイメージであった。実際、MBLAQのミルとは10歳近い年齢差があったりするのだから、冷静に考えると半ば犯罪行為なのではないかと思えたりもする(冗談です)。まさしく、セクシーなお姉さんが若い男の子をたぶらかして手玉に取っている雰囲気は満点だ。こうしたイメージやキャラクターが、現在のカン・ミヨンのルックスや佇まいと非常にマッチしたものであることは間違いない。ここにきて、カン・ミヨンは大人の女性の魅力を漂わせるキレイなお姉さん路線で新境地を開拓しつつある。

追記
11年8月22日、カン・ミヨンはSBSで放送されている人気音楽番組「キム・ジョンウンのチョコレート(Kim Jung Eun's Chocolate)」に出演した。この番組の収録には、カン・ミヨンの久々の韓国での新曲のプロモーションのためにBaby V.O.X.のメンバーたちが駆けつけ、解散以来初となる一日限りのグループの再結成が実現している。そして、全盛期のメンバー五人によって、“Ya Ya Ya”、“Killer”、“By Chance”といった往年のヒット曲のメドレーが披露された。‡

画像11年2月には、ソロ・シンガーとして初となるミニ・アルバム“Watch”をリリース。これは、韓国においては実に約四年半ぶりの新作のリリースであった。このミニ・アルバムからはアグレッシヴなダンス・ポップ曲の“Paparazzi”がシングル曲となり、ヒットを記録した。この楽曲のMVでは、熱狂的な女性ファン(カン・ミヨン)に偏質的につきまとわれる大スター役でSS501の末っ子キム・ヒョンジュン(Kim Hyung Jun)が出演している。ここでも、やはり年下の見栄えのよい人気アイドルが贅沢に起用されており、カン・ミヨンもお約束となりつつある粘着質のストーキング演技をコミカルに演じてみせる。
また、この楽曲においてラッパーとしてフィーチュアされているのは、神話(Shinhwa)のリーダー、エリック(Eric)である。神話といえば、Baby V.O.X.と同時期に韓国の歌謡界で活躍したSM Entertainmentに所属する大人気ボーイズ・グループであり、エリックとカン・ミヨンは、ともに90年代デビュー組の盟友ということになる。この“Paparazzi”では、90年代後半から00年代前半のK-POPシーンをきらびやかに彩った人気アイドルたちの豪華競演が実現しているのである。
その七ヶ月後の11年9月には、早くもセカンド・ミニ・アルバムの“Obsession”がリリースされた。ここからは、エレクトロなダンス・ポップ曲の“Won't Meet You”がシングル曲となり、前曲に続いてスマッシュ・ヒットとなる。この楽曲のMVでは、カン・ミヨンが白衣姿の精神科医と拘束衣をまとった患者の二役を演じている。“Going Crazy”と“Paparazzi”において偏質的な愛情表現を行っていた女性が、遂に鉄の格子のついた扉の奥の病室に隔離されているというストーリーの流れであろうか。しかし、どんなに精神科医が患者にカウンセリングを試みようとしても(同一人物なので)埒があかない。まるで、ひとりの女性の愛情の奥底に潜む正気と狂気の部分を描き出すかのような内容となっているのが、大変に興味深い。
そして、この“Won't Meet You”のプロモーション活動期間中に、あの11年10月30日の「Inkigayo」を迎えることになる。また、その少し前には音楽番組での競演を通じて、カン・ミヨンと少女時代のメンバーが初めてバック・ステージで顔を合わせたということも伝えられた。07年の夏に少女時代がデビューした頃には、カン・ミヨンはソロ歌手として中国に活動の拠点を移してしまっていたため、この両者が接点をもつ機会はこれまで皆無であったのだ。元Baby V.O.X.のメンバーとしては、かつてライヴァル関係にあったSM EntertainmentのS.E.S.の後輩にあたる少女時代のメンバーとの対面に、いかなる心情を抱いたのであろうか。歌謡界の大先輩として慕われることに関しては、決して悪い気はしないだろうが。自分よりも10歳近く下の世代のピチピチしたガールズ・グループのメンバーを前にして、やや複雑な思いもあったかも知れない。ただ、あの日の「Inkigayo」のスタジオには、カン・ミヨンよりもさらに10歳も上の世代の大ヴェテラン、キム・ワンソンがいたので、多少は安心していられた可能性は高い。きっと、カン・ミヨンも、韓国のアイドル歌謡の世界には、まだまだ上には上がいることを改めて確認することができたはずである。

昨年からの復活劇でカン・ミヨンは、元々のふんわりとした姫様キャラを活かしつつ、独特の自己言及的なセクシー成人ドルのイメージを形成していっている。そして、次々と畳み掛けるように発表されたダンサブルなヒット曲によって、それを視聴覚的にも巧みにアピールし、Baby V.O.X.時代からのファン層だけでない新たな若い支持層を獲得することにも成功した。ただ、90年代後半にデビューして韓国の歌謡界で大活躍した第一次韓流ブーム期のガールズ・グループのメンバーのうちで、現在も歌謡界の第一線に立ち続けているのは、残念ながらこのカン・ミヨンのみであったりもするのだ。やはり、その世界で一度トップに立ってしまうと、その地位を長年に渡ってキープし続けることは決して容易なことではないのであろう。
しかし、世代的に見てゆくと、82年生まれのカン・ミヨンは、アフタースクール(After School)のリーダー、カヒ(Kahi)や、ブラウン・アイド・ガールズ(Brown Eyed Girls)のジェア(Jea)、ミリョ(Miryo)、ナルシャ(Narsha)たちと、ほとんど同年代なのである。いや、実際には、カヒやナルシャたちよりもカン・ミヨンのほうが少しばかり年下であったりするくらいだ。そう考えてみると、90年代後半にデビューしたガールズ・グループのメンバーたちが、今もまだ現役バリバリな存在であったとしても、何ら違和感はないはずなのだが。
ただし、カヒやナルシャたちは、時代の流れに翻弄されて数奇な運命をたどり、00年代の半ば以降になってようやく日の目を見ることができたK-POPのロスジェネ世代に属す遅咲きの成人ドルなのだ。よって、すでに15歳で華々しいステージを経験していたカン・ミヨンとは、かなり歩んできた道も見てきた世界もかけ離れたものがあるといってよいだろう。アフタースクールやブラウン・アイド・ガールズがデビューし、スターダムを駆け上がっていた頃、カン・ミヨンは、元Baby V.O.X.のソロ・シンガーとして新天地を求めて韓国の歌謡界から巣立とうとする段階にあったのだから。
キム・ワンソンやカン・ミヨンのように、時代ごとに少しずつスタイルを変化させ、また自らの年齢に合わせた成長の歩みも緩めることなく、流行の移り変わりの激しい歌謡界の第一線で逞しく生き残り続けているというのは、非常にレアなケースなのだといってもよい。カン・ミヨンの場合は、しばらく韓国の歌謡界の喧噪を離れて空白の期間を設けたことが、逆によい方向へと作用したようにも思われる。それまではただのアイドル・グループの一員でしかなかった女の子が、ソロ・シンガーとして海外進出に挑戦し、新たなキャリアを築いて戻ってきたことは、本国韓国での活動を再開する際にも好意的に受け入れられるファクターとなった節は確かにあったはずだから。だからといって、闇雲に空白期間を設ければよいというわけでもない。空白は沈黙と同じであり、そのままフェイド・アウトという怖れも大いにある。大抵の旬をすぎたアイドルたちは、そうやって表舞台から身を引き、静かに消えてゆくのである。
K-POP界の元祖歌姫であるキム・ワンソンも、韓国の歌謡界においてトップ・アイドルの座に上り詰めた後には、しばらく台湾での歌手活動に専念したり、11年の春に“Super Love”でカムバックする前には米国の大学に留学するなど、幾度かの空白期間を経ながらも、この約25年間に築き上げてきたダンス・クイーンとしての地位を現在も守り続けているのである。どんなにブランクがあろうとも何事もなかったかのように戻ってきて無事にヒットを放ち続けるキム・ワンソンやカン・ミヨンとは、やはり特別な何かをもつ偉大なタレントであるのだろう。まさに、決して色褪せることのない永遠のアイドル歌手なのだ。
韓国の歌謡界に復帰し立て続けにヒットを飛ばしたカン・ミヨンが、この後にどういった方向へと進んでゆくのか、とても楽しみでもある。まだまだルックス的には非常に若々しいので、今後も当分の間はアイドル(成人ドル)路線をバリバリに続けられそうな気もする。できれば、再び日本語での歌唱にもチャレンジしてもらいところだが。さて、カン・ミヨンの第二次海外進出計画はあるのであろうか。すでに中国の音楽市場で活躍した後では、今さら日本どころではないかも知れないが。

I - II

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Vasteras: Made of Reeds

2011/11/28 04:00
Mizou mini netlabel proudly presents

Vasteras: Made of Reeds
ヴェステロース「メイド・オブ・リーズ」

画像



Artist: Vasteras
Title: Made of Reeds
Genre: Brit-pop/Alternative Rock/Indie Rock

Tracklist:
01. Jah
02. The Children of Birobidzhan
03. Adult Movies
04. On the Surface
05. Britney
06. From Dusk Till Dawn
07. You don't believe in tears (Shura cover)

Cover Image

Download (MP3 + Image)
Visit Archive.org (Free Download & Streaming)

Album Description:
This whole album is almost dedicated to the human stupidity. People understand many things wrong, and seriously try to find something where it is not or it can not be. In short, these songs involve to some serious problems in human life: As they choose their path of life, there is the complex relationships between man and woman, between the generations. In many cases, the adult persons (the situation in Russia is noticeable) often do not want to understand all of their children, therewith they are indifferent to the younger generations than themselves. But because of the driving sound which comes from the bottom of the songs, and because of the combination of music and lyrics, it turns out the music to unleash every tension. It become very thoughtful and sensitive music. And the final matter is what kind of the songs fit for the mental state of modern people?

Produced by Vasteras
Mix & Mastering by Denis
Artwork by Denis

Band members:
Denis - Guitar
Alex - Bass
Nastia - Vox
Slava - Drums

画像

(L→R) Denis, Alex, Nastia, Slava

For more information
vkontakte.ru/vasteras
twitter.com/VasterasRock
soundcloud.com/groups/vasteras/tracks
www.myspace.com/575073182
www.youtube.com/user/VasterasBand
vkontakte.ru/vasteras_public
www.vasteras.shurf.ru

Creative Commons License


Vasteras: Made of Reeds
Mizou MZ003

It is made ​​of reeds. If the judgment day and the end of the world even comes, it will surely survive. Because it is made ​​of reeds.

Vasteras is an alternative rock band based in Yaroslavl, Russia. Yaroslavl is also a city that fabulous one man post metal band Neko Nine based. In 2011, this old World Heritage city send out a new musical sensation, it is this fresh young four piece rock band.

Pushing hard noisy guitars, sharp driving tight rhythm and quite powerful vocals from very charming woman. Its sound style is simply candor and impulsive and charging through without any manipulation. The songs have been bubbling up from the bottom of their emotions spurt with a very solid straight sound.

This EP is a debut release from Vasteras. Here are contained seven songs that were played and recorded with young and straight will. These good rock songs of the school of nineties Britpop and traditional British rock, would attract and appeal so many people.

ヴェステロース(Vasteras)は、ロシア西部の古都、ヤロスラヴリを拠点に活動しているロック・バンドである。記憶力のよい人ならもうお気づきであろうが、ヤロスラヴリは、先日アルバムを発表したネコ・ナイン(Neko Nine)の活動拠点でもある。つまり、ヴェステロースとネコ・ナインは、ともにヤロスラヴリという街で活動するバンド仲間なのである。両バンドの間に多少の音楽的スタイルの違いはあるが、アンダーグラウンドなライヴ・シーン/ロック・シーンの内部においては、かなり活発な交流があるようである。
11年1月、ヤロスラヴリのディスコ・バー「カムシャーク」において、いつの間にか顔見知りになり遊び仲間となっていた四人の若者によって、ひとつのバンドが結成された。それが、このヴェステロースである。それぞれのメンバーの音楽の嗜好や、過去に在籍していたバンドのタイプには、やや異なるものがあったが、バンドとしてリハーサルを重ねてゆくうちに、この四人だからこそ生み出すことが可能なサウンドが次第に形成されてくる。
そんなヴェステロースの音作りを行ってゆく上でのひとつの根幹となっていたのが、四人のメンバーが世代的に幼少の頃から頻繁に耳にし、それぞれの音楽的なルーツのひとつにもなっていた、90年代のブリットポップや伝統的なブリティッシュ・ロックであった。そこに、エモコアやスクリーモなどのポスト・ハードコア的な分厚くハード・エッジなギター・サウンドを交えつつ、グルーヴィにドライヴする独特なポップさをもった音を追求していった先に、ヴェステロースというバンドならではのサウンドが姿を現したのである。
ヴェステロースのメンバーは、バンドの中心人物であり、音楽面でも軸となっているノイジーで小気味のよいリフを繰り出すギターを担当するデニス(Denis)、荒々しくも躍動感のあるタイトなリズムを叩き出すドラムのスラヴァ(Slava)とベースのアレックス(Alex)、そしてバンドの紅一点であり非常に魅力的な歌声をもつヴォーカリストのナスティア(Nastia)というライン・アップ。
やはり、ややハスキーな声質の、独特の力強さをたたえた太いトーンで響くナスティアの歌唱が、このバンドの顔といえるだろう。その歌声は、ノイジーでハードなバンド・サウンドの中にも決して埋もれてしまうことなく、素晴らしく輝いている。ルックス的にもひと際の光彩を放つブルネットのロシア美女である、ナスティアのヴォーカリストとしての天性の才能には、まさしく目を見張るものがある。タイプとしては、クリッシー・ハインド(Chrissie Hynde)やスージー・スー(Siouxie Sioux)の系譜に属するような、どこかスケールの大きさを感じさせてくれる歌声である。この初のミニ・アルバムでは、まだまだ荒削りでありながらも、そこかしこで凄まじいまでの原石の煌めきを感じさせてくれるヴォーカル・パフォーマンスを聴くことができる。
“Made of Reeds”は、全7曲を収録した作品となっている。アルバムのレコーディングは、前述の「カムシャーク」において行われている。ここは夜間にはディスコ・バーとしての営業を行っているが、リハーサルやレコーディング用の設備なども兼ね備えた多目的スペースでもあるようだ。アルバムのタイトルは、このヴェステロースと非常に縁の深いディスコ・バーの名にちなんでいる。カムシャーク(Камышах)とは、葦(Reeds)という意味のロシア語である。
楽曲の歌詞は、ほとんど全てロシア語で歌われている。よって、その歌の内容は、ロシア語圏以外のリスナーには伝わりづらいものであろう。個人的にも、全くロシア語には明るくはないので、ナスティアが何について歌い、激しくシャウトしているのか、さっぱり理解できなかったりする。しかし、ヴェステロースによる熱気のこもったタイトな演奏にしっかりと耳を傾ければ、そこからほとばしり出ている情感から、その渦巻き沸き立つような音楽表現へと向かった衝動など、きっと何かしらを感じ取ることができるのではなかろうか。また、楽曲のタイトルは、元々は全てロシア語であった。だが、今回のリリースでは、少しでもヴェステロースの音楽の世界を理解してもらうために、新たに英語表記のタイトルをつけている。“Made of Reeds”でナスティアの歌を聴く際には、このタイトルを参考にしていただきたい。微かなヒントにはなるはずである。
この“Made of Reeds”を通して聴くと、ヴェステロースというバンドが、ブリットポップの流れを汲むきっちりとタイトにまとまった90年代ロックのスタイリッシュな音と、北アイルランドのU2あたりを彷彿とさせるアーシーで骨太なオーセンティックかつトラディショナルなブリティッシュ・ギター・ロックのスタイルを、かなりナチュラルな感覚で融合させていることがよくわかる。独特なポップさを表出させつつも、ゴリゴリとしたハードでオルタナティヴなロック感覚を根底にもった、ヴェステロースのサウンドがしっかりと築き上げられているのである。そして、そこにナスティアの力強くも女性的なヴォーカルが、しっかりと聴く者の耳に残る、さらなるサウンドとしての魅力を加味していることはいうまでもない。
アルバムのラストを飾る7曲目に収録されている“You don't believe in tears”は、ロシアで90年代に絶大な人気を誇ったポップ・シンガー、シューラ(Shura)のダンス・ポップ曲のカヴァーとなる。この楽曲もまた、おそらく90年代のブリットポップと同様にヴェステロースのメンバーたちが幼少の頃から耳にしていたものなのであろう。ここでは、きっちりとまとまったヴェステロースらしいサウンドにリアレンジされた、硬派なロック・ヴァージョンのロシア産ポップスのメロディを聴くことができる。
来年の夏あたり、日本でもヴェステロースのライヴが観れるとよいのだが。とりあえず、サマーソニックあたりが狙い目だろうか。サウンドのスタイルからいっても、バッチリだろう。きっと、よいライヴを観せてくれるにちがいない。みなさん、ヴェステロースの応援をよろしくお願いします。そして、クリエイティブマンさん、ロシアのロック・バンドはいかがでしょう。是非とも、よろしくお願いいたします。ナスティアのヴォーカルは、最高に素晴らしいですよ。こちらは、地元ヤロスラヴリでのライヴの映像です。どうですか。そこはかとなく大器の片鱗を窺い見れたりしないでしょうか。

Liner notes by Masaru Ando

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Do you remember the 28th night of September (IV)

2011/11/01 05:00
11年の8月から9月にかけて、日本の音楽シーンではK-POPガールズ・グループによる注目のリリースが毎週のように続いていた。その一方で、やはり本国の韓国においても、相変わらず怒濤の如きリリース・ラッシュの状況は、当然のことのように継続されていたのである。

画像まず、8月29日に実力派美人デュオ、ダヴィチ(Davich)が、実に一年三ヶ月ぶりとなる新作の“Love Delight”をリリースしている。この通算三作目のミニ・アルバムからは、チョン・へソン(Jun Hye Sung)の書き下ろし曲となる極上のミディアム・バラード“Don’t Say Goodbye”が大ヒットを記録する。この楽曲は、優しいメロディのようでいて、歌いこなすにはかなりの技量が必要とされるの難曲である。だが、そのライヴ・パフォーマンスでイ・ヘリ(Lee Hae Ri)とカン・ミンギョン(Kang Min Kyung)は、あらためて二人の歌声の美しさと歌唱力の高さを強く印象づけることに成功している。

画像そして、9月9日には遂にKARAが騒動後の初のリリースとなる通算三作目のアルバム“Step”で華々しく復活を果たした。これは、本国韓国では10年11月の“Jumping”以来の約十ヶ月ぶりの新作となる。この空白期間に、日本では“ジェットコースターラブ”と“GO GO サマー!”の二枚のシングルがリリースされ、ともにヒットを記録している。まさに韓国のKARAファンにとっては、待ちに待ったカムバックであったのだ。アルバムからのシングル曲となったタイトル曲の“Step”は、非常にノリのよいアーバン・ファンクなダンス・ナンバーであり、大方の予想通りリリースとともに熱烈な反応で迎え入れられることになる。次の日本でのシングル“Winter Magic”の発表が間近に控えているため、韓国での活動はたった三週間のみであったが、この間に各音楽番組でチャートの一位を軒並み奪取し、復活したKARAの大物ぶりをアピールすることに成功している。契約騒動によってグループの存続が大きく揺らいだことにより、五人の結束力はより強まり、危機を乗り越えたことによって、グループとしてひと回りもふた回りも逞しくなったように感じられる。

画像さらに、9月23日にはブラウン・アイド・ガールズ(Brown Eyed Girls)が通算四作目のアルバム“Sixth Sense”をリリースしている。このK-POP界のロスジェネ世代に属する三名のヴェテラン・メンバーを擁する実力派カルテットが新作を発表するのは約二年ぶりのことである。その間には、ナルシャ(Narsha)とガイン(Ga In)のそれぞれのソロ活動や、日本やタイを始めとする海外での活動が主に行われていた。KARAに続いて、こちらもファン待望のカムバック作となったわけだが、やはりアルバムからのシングル曲となったタイトル曲は、異様な興奮とともに迎え入れられることになる。その歌唱の力強さをまざまざと見せつける、土着的なビートに唸りをあげるストリングスが絡む異色のファンク・ナンバーの“Sixth Sense”は、しっかりとKARAの大ヒットに割って入り各音楽番組のチャートにおいて栄冠を手にすることになる。

この9月から10月上旬にかけては、完全にダヴィチとKARA、そしてBEGによる、まさに三つ巴の一位争いという様相を呈すこととなった。これは、それだけこの三組がともに気合いの入った質の高いカムバック作で、この9月に勝負を賭けてきたことの証しでもあるだろう。それぞれに素晴らしい楽曲でしのぎを削り合う、K-POPシーンの大物同士のまさにヘヴィ級な激突が、この時期の各音楽番組では華麗に繰り広げられていた。

画像そして、10月に入ると、まずは12日に新人の五人組、C-REALがミニ・アルバム“Round 1”で鮮烈なデビューを飾っている。シングル曲の“No No No No No”は、このグループが今年の新人ガールズ・グループの中でも一二を争う実力をもっていることを、いきなり如実に示すような楽曲となっている。ミッド・テンポのモダンなR&Bナンバーを見事に歌いこなす五人の歌唱は、実に瑞々しく、新人とは思えぬほどに落ち着いた安定感を誇っている。やはり歌唱力は、非常に大きな武器だ。遂にエイ・ピンクとダル・シャーベットの最大の好敵手が登場したという感じであろうか。C-REALの今後の活躍に期待したい。

画像その翌日の13日には、アフタースクールのグループ内グループであるオレンジ・キャラメルが、新曲の“Shanghai Romance”をリリースしている。これは、今春にヒットした“Bangkok City”に続く、オレンジ・キャラメルが展開しているアジアの各都市をテーマにした楽曲を歌い継いでゆくOne Asia Projectの第二弾となる楽曲である。この中国風の旋律をアレンジしたポップ・ハウス曲では、スーパー・ジュニア(Super Junior)のキム・ヒチョル(Kim Heechul)が書き下ろした歌詞が、非常に大きな話題となっている。さらに、ヒチョルは、この楽曲の振り付けまでをも担当しているというのだから驚きである。かねてより、オレンジ・キャラメルのメタ・アイドル的なコンセプトに強い興味を示し、そこに積極的に絡んでいたヒチョルであったが、ここにきて遂にプロデュースまで手がけ始めてしまった。何という入れ込み具合であろう。しかし、それだけの面白さが、オレンジ・キャラメルというグループの存在には確かにある。この少し過剰なほどのアイドルっぽさには、ついついクセになる味があるのだ。個人的には、今回の楽曲では、ナナ(NANA)のラップ・パートが、非常に可愛らしくて気に入っている。

そして、その翌週も、やはりまた相次いで注目の新作がリリースされた。ただし、この週は、ちょっとこれまでとは様子が違っていたのである。全ては、少女時代が10月初旬であったアルバムのリリース予定を、全米デビューや全世界同時リリースのスケジュールと調整するために、しばらく延期させると発表したところから始まった。その今秋の目玉作品であるアルバムが、いきなりこの週にリリース日をずれ込ませてきたのである。この急な予定変更によって、さらに予期せぬ事態があちらこちらで引き起こされた。T-araの所属事務所は、少女時代のアルバムとの同時期のリリースを回避し、新作ミニ・アルバムのリリース予定日を遅らせることを即座に決定した。また、各音楽番組もアルバムのリリースに合わせて予定が組まれていた少女時代の出演が突然なくなり、いきなり生じてしまった穴を埋めるために、KARAの韓国でのプロモーション活動をスケジュールの許す限り延長したり、あたふたとその対応に追われた。

画像しかし、それでも敢えて当初のリリース予定日を頑として変更しなかったのがシークレットである。鳴かず飛ばずだったデビュー当初から雑草魂と反骨心をバネに着実に這い上がってきた、この四人組は、18日に遂に念願のファースト・アルバム“Moving in Secret”をリリースしている。ある意味では、この週のリリースを最初にセッティングした際には、少女時代との直接の対決を避けるために、約二週間ほど意図的に時期をずらしたという経緯もあったのであろう。しかし、その計画は、全て少女時代側の都合によって一方的に覆されてしまった。ただ、ヒットを狙うグループが、その動きに合わせてリリース計画を練り直す中で、なぜかシークレットだけは、そこを強行突破する姿勢を見せている。このところ連続して大ヒット曲を飛ばしており、グループとして安定した高い人気を誇っていることに対して、絶対の自信をもっているのだろうか。それとも、今回は最初からチャートの首位に立つことを諦めてしまっているのか。09年にデビューしてからしばらくの間は大きなヒットに恵まれなかったシークレットだけに、温かいファンの応援や声援に支えられて遂にこのファースト・アルバムを発表できるところまで辿り着けたことを、純粋に喜ばしく思っている部分もきっとあるのだろう。そんなシークレットの新曲を心待ちにしてくれている人たちの手に、一日も早くアルバムを届けたいという真摯な気持ちが、この週のリリース予定を決して曲げずに貫き通した頑固さの裏には強くあるような気もする。この四人組には、周囲が騒ぎ立てているような少女時代との直接対決などといった部分は、最初から完全に度外視してしまっているところがあるのではなかろうか。そんな常に我が道をゆく姿勢もまた、シークレットらしいといえばシークレットらしい。もしも、今回どこかの音楽番組でシークレットが多くのライヴァルたちを抑えて首位に立つようなことがあれば、それはそれで大事件となるだろう。だが、それも決して有り得ないことではないのではないかと思わせるだけの勢いが、実は今のシークレットにはあったりするのである。アルバムからの勝負曲は、またしても非常にノリのよいクラシック・ロック調のレトロ・ポップなダンス・ナンバー“Love is Move”である。

画像10月19日、遂に少女時代が通算三作目のアルバム“The Boys”をリリースした。元々は、10月4日もしくは7日のリリースとアナウンスされていたのだが、9月末に突然リリース日の延期が決定された。おそらくは全米デビューに関するSM EntertainmentとUniversal Music/Interscope Recordsとの間の契約の成立が、少しばかり遅れたことが、その原因だと思われるが、この約二週間の遅れは、K-POPシーン全体に様々な波紋を投げ掛けた。これだけ多くのガールズ・グループがひしめき合い、新作のリリースが立て込んでいる状況にあっては、ちょっとした遅れが、思いもかけぬほどに大きな影響を及ぼしてしまうことにもなりかねないのである。韓国国内での主なプロモーション活動の場となる音楽番組に出演できるグループの枠にしても、その数は限られている。そこでは、少女時代のスケジュールが急遽変更になったことで、予定されていた枠からはみ出してしまうことになるグループも当然出てくるだろう。かなりギリギリなパワー・バランスの上に成り立っている業界の暗黙の了解のようなものが、こうした事態から綻んでゆく可能性は非常に大きい。しっかりと先々まで予定が組まれ、やや予定調和的な趣きすらある韓国の歌謡界であるが、その根底が現段階で揺らぐことは、現在のK-POPの隆盛の勢いを削ぐことにもなりかねないのではなかろうか。ある種の保守的な側面は、これから大いに是正されてゆくべきであろうが、内部でのもめ事は、おそらく何も生み出さないに違いない。今回は最大手の事務所であるSM Entertainmentに所属する少女時代に関係することであるから、それほど大事にもならずに、すんなりと収まっているように見えている部分もあると思うのだが。
しかし、前段階ではあれこれと問題含みではあったものの、出るべきものは、しっかりと出た。そして、予想されていた通りに、アルバムからのシングル曲となる“The Boys”は、いきなり各音楽配信チャートで軒並みトップを独占してしまうのである。やはり、今の少女時代は、とんでもなく強い。アルバム“The Boys”は、本国韓国においては10年10月27日にリリースされた通算三作目のミニ・アルバム“Hoot”以来となる約一年ぶりの新作となる。そして、アルバムとしては、10年1月28日にリリースされた“Oh!”以来の約一年九ヶ月ぶりの一枚だ。この韓国歌謡界での空白の期間、やはり少女時代もまた日本での活動に、ある程度の重点を置いていたといえる。11年6月1日には初の日本語歌唱アルバム“Girls' Generation”がリリースされ、これに合わせる形で5月末から7月中旬にかけて7ヶ所全14公演をこなす初のアリーナ・ツアーも開催された。そして、こうした日本での新たな挑戦で、次々と大成功を収めていったのである。これが、少女時代というグループを、またひと回り大きくしたことは間違いない。この夏にも、新潟で開催されたK-POP All star Live in Niigataなど何度かステージに立ちメディアに登場する機会があったが、そこに現れた九人は、どことなくそれまでの少女時代とは全く違ったオーラを発しているようにも見えた。見るからに自信にみなぎり、まさに大物感をムンムンと漂わせている雰囲気だったのである。おそらく、この夏の時期に多くの人々が、全く新しい段階に突入した少女時代の出現を感じ取ったに違いない。アリーナ・ツアーにおいてライヴ・ステージの一発勝負な世界を経験したことが、元々質の高いものであった少女時代のパフォーマンスを、さらに実戦に強いものへと鍛え上げていったのであろう。そこへ来て、全米進出や全世界デビューということが現実のものとなる存在にまでなっているのだから、ちょっと格が違う雰囲気が濃厚に感じられるようになってきていたとしても、何らおかしくはない。明らかに、現在の少女時代は、韓国の歌謡界においてひしめき合っているK-POPのガールズ・グループの一群とは、ちょっと違う次元にある。
80年代後半にニュー・ジャック・スウィングで一世を風靡したテディ・ライリー(Teddy Tiley)をプロデューサーに迎えた“The Boys”は、かなり薹は立っているような気もするがさすがに御本家らしいジープでヘヴィなR&Bダンス曲となっていて、新境地に踏み出そうとする現在の少女時代に絶妙なほどにぴたりとマッチした楽曲だといえる。ズシリとくる重厚感とひたすらに前へグイグイと前進してゆく強靭さや勢いが、ここでは見事なまでに表現され尽くしている。11年版の少女時代のテーマ曲といっても決して過言ではなかろう。
ただし、勢いという点では、シークレットの“Love is Move”も決して大きく負けているわけではない。ある意味においては、これは実によい勝負だといえるかも知れない。まさに、現在のK-POPシーンにおけるレヴェルの高い競い合いを象徴するかのような二曲である。新韓流の立役者である少女時代と、それを追いかける09年デビュー組のシークレットが、これだけ見応えのある激突を繰り広げてくれているのだから、このK-POPシーンの層の厚みは、もはやただごとではないところまで到達していると考えてよいだろう。
シークレットが記念すべきファースト・アルバム“Moving in Secret”をリリースした10月18日と、少女時代が世界進出への狼煙を上げた“The Boys”をリリースした10月19日。間違いなくK-POPのガールズ・グループの歴史に残る名作アルバムが、何と二日連続でリリースされた10月の第四週は、本当にとんでもない一週間となった。きっと、この二日間のことは、長く人々の記憶の中に留められることであろう。韓国女性アイドルの戦国時代は、ますます激闘の色を濃くしてきている。

11月には、少女時代の騒動の余波を受けて10月27日のリリース予定を遅らせたT-araの新曲“Lovey Dovey”や“Cry Cry”を含む通算三作目のミニ・アルバム“Black Eyes”を筆頭に、若き実力派シンガー、IUの待望のセカンド・アルバム、米国でのプロモーション活動に勤しむワンダー・ガールズ(Wonder Girls)の韓国では約四年ぶりとなるアルバム、そして12月には、日本でのシングル“Ready Go”の発表も控えている4ミニッツの通算四作目のミニ・アルバムなどのリリースが予定されている。

追記
奇しくも、今回、KARAの日本でのシングルのリリース日と少女時代の韓国でのアルバムのリリース日が、同日ということとなった。重なる時は色々と重なるというが、これだけ様々な動きが日本と韓国で立て込んでいては、情報を追いかけるだけで本当にひと苦労であったりする。そして、この10月も半ばを過ぎる頃には、ひとつ前の月にリリースされた作品は、かなり前のものに思えてきてしまったりもするのである。やはり、あまりにも移り変わりのサイクルが早い。この流れの中で忘却を免れようとすることは、相当に至難のわざとなるであろう。K-POPのガールズ・グループの動きが、今後さらに加熱してゆくであろうことは、やはり目に見えているだけに、やや複雑な思いが交錯してしまう部分もある。‡

追記
さらに、KARAは、11月23日に日本での二作目のアルバム“Super Girl”をリリースする。9月に韓国でアルバム“Step”を出したばかりだというのに、今度は日本向けの日本語アルバムを出してくるというのだから、これはもう、凄まじいとしか言いようがない。いつの間にレコーディングしているのであろう。あれだけ忙しく日本と韓国を行き来して活動しているというのに。DSP Mediaは、KARAの四人を働かせすぎではなかろうか。またメンバーと事務所の間で揉めるようなことがなければよいのだが。ちょっと心配にもなってくる。‡

これだけ数多くのガールズ・グループが、それほど大きくはない市場規模の歌謡界にひしめき合っているのだから、ほぼ毎週のように誰かが新作を発表する慢性的なリリース・ラッシュの状況が出来上がってしまうのも、当然といえば当然のことである。そこでは、コンスタントにヒットを飛ばし、その存在を強く印象づけ(続け)るための、想像を絶する過酷な競争が日々繰り広げられることになる。アイドルとは、常に華々しくきらびやかな存在であり、ただ眺めているだけでも非常に心浮き立つものがある、はずのものである。しかしながら、当事者にしてみたら、今のこの状況は、あまり生きた心地がするものではないのかも知れない。本当に些細なことでも命取りになりかねない、張り詰めた空気が充満し続けているのだから。
これからもしばらくの間は、華々しくも激烈なK-POPシーン全体の拡大・膨張、混乱・混沌、そして淘汰へと向かう嵐は、激しく吹き荒れることであろう。今後は、サウンドやスタイルのトレンドの移り変わりのサイクルも、さらに加速してゆくに違いない。この激闘の季節を生き残ったトップ・アイドルたちを待ち構えているものとは、一体どのような高みであるのだろう。
おそらく、10年代の中盤あたりまでには、ほぼ00年代デビュー組と10年代デビュー組との間での世代交代も大方完了しているはずである。その時、K-POPシーンの覇権は、どのガールズ・グループが手にしているのか。ちょっと想像もつかない。現在ひしめき合っているガールズ・グループのほとんどは、すでに歴史の一部になってしまっているのかも知れない。そう考えると、これからの展開からは片時も目が離せなくなりそうだ。本当のサヴァイヴァルが、いよいよ幕を開けようとしている。

次々と新人グループがデビューする中で、現在10代中盤から後半にかけての全く新しい世代に属するアイドルたちが着実に力をつけ台頭してきている。だがしかし、そういった下からの突き上げなど物ともせずに、ヴェテランや大御所たちもコンスタントに良質な作品をリリースし、その健在ぶりを高らかにアピールする。今後も、このペースで新人のデビュー・ラッシュが続けば、韓国の歌謡界は、さらに混沌とし、その保守的な構造そのものまでも大きな変革の時を迎えることになるのではなかろうか。
そして、一時的には、知名度の低い新人グループがヒットを飛ばし、スポットライトの当たる場所へ出てゆくためには、これまで以上の努力が必要とされるようにもなってくるであろう。さらに、ヒット・チャートの常連組に名を連ねるためには、歌や踊りの技術を磨きに磨き、優れた楽曲を生み出す作曲家やプロデューサーの選択から、ステージ衣装やジャケット写真、MVでのイメージ作りまでを含めた、トータルなコンセプトの構築など、常に見るものを驚かせる超一流のレヴェルのものが要求されるようになる。これだけ多くの女性アイドル・グループがひしめき合っている中で、ほかのグループと異なる個性を際立たせることは並大抵のことではない。所属事務所の大きさやプロモーション能力の高さなどに関係なく、実際の作品の内容そのものが厳しく吟味される傾向も、次第に強まってゆくに違いない。すでに一定の評価と人気を獲得している大物でさえ、いつも同じことの繰り返しでは、飽きられてきてしまう恐れは多分にある。もはや、どんなに大物であっても、スターダムに居座り続けるためには血の滲むような必死の努力が欠かせなくなるだろう。ならば、まだ海のものとも山のものとも知れぬ無名の新人は、その何倍ものひたむきな努力をしなければ芽さえ出ずに終わってしまうこともあり得るのだ。
それでも、きっと、その深い混迷と混沌の奥底から、誰も予想だにしなかったような奇抜で斬新なアイドル歌謡のニュー・ブリードが、突然勢いよく飛び出してくるはずである。現在の華やかな舞台の裏側では、多くの明日のトップ・アイドルを目指す練習生たちが、日々血と汗と涙のにじむハードなレッスンに明け暮れているのだから。そうした革命的な進化への予感めいたものを大いに孕んでいるのが、このところのK-POPのシーンの全体的な活況であったりするのだ。いつどこで全く新しいものが暴発してくるかわからない。これはもう、決して気は抜くことができない状況である。全てが、ひたすらに真剣勝負な世界なのである。

ここ最近のアイドル歌謡を取り巻く状況を見ていると、女性アイドル・グループというものの在り方そのものが、以前とは大きく変わってきているようにも感じられる。それは、もはや男性ファンからのアイドルを見たい・聴きたいという欲望に応えるだけのものでは完全になくなってきているのである。だがしかし、そこに人間の抱く欲望が全く渦巻かなくなってしまったわけでは、決してない。角度を少し変えて見れば、以前よりもさらに様々な形の欲望が渦巻く世界になってきているようにも思われる。
そこでは、女性/少女たちのアイドルになりたい欲望が最大限に追求され、それが様々なチャネルを通じて具現化されているのだ。今では、日本各地の地方都市や観光地には、必ずといってよいほどご当地アイドル(ローカル・アイドル)が存在し、独自の地域に密着した幅広いアイドル活動を展開している。アイドルというものの様式が多様化してゆくことにより、アイドルというものが、演る側にとっても、見る側にとっても、限りなく身近な存在になってゆく。垣根はどこまでも低く、裾野はどこまでも広大なのである。それが、現在のアイドルを取り囲む現状であり、そこには、全く新しい21世紀型の女性アイドル・グループのスタイルや階層が形成されることになる。何とも興味深い動きを、そこに見出すことができるのである。
画像日本では、AKB48、パフューム(Perfume)、モー娘。やスマイレージ(S/mileage)などに憧れる少女たち(各地方都市に存在するタレント養成所の研修生なども当然含む)が、各種のオーディションに押し掛け、その中から自らもステージに立つ者が次々と現れてくる。韓国では、少女時代やKARAに憧れる少女たちが、幼いうちから芸能事務所のタレント・スクールに所属し、練習生として歌や踊りのトレーニングに勤しみ、いつの日か自分も眩いスポットライトの中に立つことを夢見ている。そして、現在のインターネット時代においては、そうした女性アイドル・グループが及ぼす影響は、その国内だけに止まらず、瞬く間に東アジアから全世界に伝播し、日々拡大していっている。

そして、現在の女性アイドル・グループのメンバーには、驚くほどにマニアックなアイドル通がいたりもする。これは、ある意味では00年代以降の女性アイドル像を象徴する、とても興味深い一形態といえるかも知れない。そうした傾向をもつアイドル・グループのメンバーは、基本的にアイドルに対する憧憬が極めて強く、その思いを遂げて自らアイドルとなってからも、アイドルという存在に対する思い入れは非常に強い。こうした全く新しい形の21世紀型アイドルたちの中では、理想とするアイドル像の純度が、急激に高められてゆくことにもなるであろう。そして、その延長でアイドルが自他ともにアイドルという存在を批判的に批評し、ステージに立つ度に、作品を発表する度に、絶えず発展的止揚が繰り返されてゆくことになる。

最近のアイドル・グループが表象する異様なまでに精度が上がり凝縮されつつあるアイドル歌謡の様式の裏側には、そういった背景なども関連しているようである。今や、アイドルとは、意識的にアイドルするアイドルへ大きく変貌を遂げつつある。実際、自らが突き進んでゆくべき進路が見定められていないアイドルは、もはや全くお話にならなくなっている雰囲気すらあるくらいなのだ。

このままゆくと、10年代の後半あたりには地球規模のアイドル戦国時代が出現しているというようなこともあり得るのかも知れない。現在の日本型や韓国型のアイドル・グループのスタイルが、世界的なスタンダードとなってゆく可能性は非常に高い。中国ではAK49が怪しく活動を開始し、そしてインドネシアのジャカルタを拠点とするJKT48や台湾の台北を拠点とするTPE48の結成が計画されていたりもする。おそらく、普通の女の子がアイドルへと成長してゆく過程を間近で見守り応援する、AKB48によって打ち出された「会いに行けるアイドル」というコンセプトは、そこそこの規模のある都市でならどこででも展開することは可能であろう。数年後には、急速に成長する東アジア/東南アジアの諸都市に幾つもの大所帯グループが乱立しているということも考えられる。そして、そこからハロプロ/モー娘。型や少女時代型といった細かな分派がなされて、さらに拡散してゆくことになる。今後、こうした21世紀型アイドルの様式を発展させたグローカルなアイドル・グループは、国内・国外に次々と登場してくるに違いない。
際限がないほどに極端に広い裾野から、次々と強烈な個性を放ちながらせり上がってくる、10年代以降の女性アイドル・グループは、どのような言葉で心情や感情を表現したアイドル歌謡を歌い、来るべき時代を彩ってゆくことになるのであろう。とても楽しみでもあり、少し恐ろしくもある。そこでは、きっとスカッと抜けきった空虚さと深すぎるほどに深い意味性が、今以上に複雑に入り混じっているのではなかろうか。歌謡曲は暗号化する。無意味なことにも意味があり、そこから意味をすくい取ろうとすれば無意味となる。アイドル歌謡の深淵を覗き込むことは、時代の皮相を裏側から眺めることと等しい。まさに、この21世紀とは(若き周縁に生きる)大衆の時代であり、(夥しい数のアイドルたちとアイドル歌謡を中心に回る)文字通りに少女時代であるのかも知れない。(11年)

追記
大ヒットしたドラマ「冬のソナタ」を制作したPan Entertainmentが、来年にも新人女性歌手とガールズ・グループをデビューさせる予定があることを発表した。Pan Entertainmentは、すでに約30人ほどの練習生を抱えており、レコーディングやダンス・レッスンを行える各種スタジオを備えた総合エンターテインメント施設を新たに建設中であるという。元々は音楽制作会社としてスタートしたが、ドラマや映画のサウンド・トラックを数多く手がけたことから映像制作の分野へと進んでいった、こういった会社が、再び音楽業界に足を踏み入れようとしていることは非常に興味深い事象であったりする。今や、海外への進出も十分に見込むことのできる、女性歌手やガールズ・グループなどのアイドル歌謡とは、ドラマ制作と比較しても決して見劣りしないほどに魅力的なマーケットになってきているということであろうか。ほんの少し前までは、韓国の芸能界のヒエラルヒーにおいて、ドラマや映画のフィールドと歌謡曲(大衆歌謡)のフィールドの間には、そう簡単には埋まらなそうなほどの歴然とした格差が存在していたのだが。おそらく、そうした部分も少しずつ(だが劇的に)変化しつつあるのかも知れない。‡

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Do you remember the 28th night of September (III)

2011/11/01 04:00
画像そして、9月最終週の水曜日、28日には、T-araがシングル“Bo Peep Bo Peep”で日本デビューを果たした。あの必殺のねこダンスという飛び道具をいきなり使ってくるとは、イメージ戦略的にも実に心憎いものがある。アイドル・グループの女の子たちに猫耳に猫の手でニャオニャオ踊られたら、どう考えても無条件に可愛らしくなるに決まっているのだから。
T-araは、この9月に日本でのリリースのあったガールズ・グループたちと同期の09年にデビューした七人組である。結成時には五人組であったが、活動初期にメンバーのうちの二人が脱退し、新たに三人が増員され六人組となる。この時に脱退したジウォン(Jiwon)は、元五少女のメンバーでもあった。また、この時に加入したソヨン(Soyeon)は、以前はSM Entertainmentの練習生であり、07年のデビュー直前まで少女時代(SNSD)のメンバーの一員としてリハーサルを重ねていた経歴をもつ。
このあたりの動きや相関関係は非常に入り組んでいるのだが、K-POPシーンにおける芸能事務所の練習生制度の内状や、アイドルの卵たちを取り巻く過酷な競争の現実などが、そこから垣間見れるようで大変に興味深い。後にソヨンは、アイドル・グループの一員としてデビューすることは、非常に大きな精神的なプレッシャーを被る経験であったと語っている。そして、少女時代のメンバーとしてほぼ八割方デビューすることが決定していながら、彼女はまだそのための心の準備が整っていないことを理由に、SM Entertainmentの練習生を突然辞めてしまうのである。きっと、相当に深く思い悩んだ末の決断であったのだろう。ひとりでは受け止め切れぬほどの様々なプレッシャーが、そこにはあったに違いない。
やはり韓国では、まだ幼い10代の少女がアイドル・グループの一員として眩いスポット・ライトの中に立つためには、想像を遥かに越える覚悟が必要となるということなのか。そうした諸々のことを踏み越えた上で、あのステージ上の華やかさがあるのだと思うと、全く重みが違って見えてくるようでもある。だが、そうした過酷な世界であるにも拘らず、11年に入ってからも夥しい数の女性アイドル・グループがデビューしているという紛れもない現実が、もう片方にはある。この事実が示す通り、そこは多くの少女たちにとって輝きに満ちた夢と憧れの世界なのである。そして、これだけ韓国の歌謡界でガールズ・グループが隆盛を極めているということは、その裏側では、これからも明日のトップ・アイドルを目指す多くの少女たちが練習生としてこの世界に足を踏み入れる状況が生み出されるということでもある。競争の過酷さは、今後さらに増してゆくかも知れない。しかし、時代の変遷とともに、韓国の芸能の世界において女性アイドル歌手の地位というものが次第に向上してゆく傾向も見られつつある。かつてソヨンが練習生だった頃とは、かなり内状は変わってきているのかも知れない。そこでは、今、様々な地殻変動が起きつつある。
その後、10年7月には新メンバーのファヨン(Hwayoung)が増員され、T-araは現在の七人のライン・アップとなった。ファヨンは双子の姉妹の妹であり、姉妹二人で出演した素人参加番組「スター・キング」において注目を集め、現在の芸能事務所にスカウトされた。姉のヒョヨン(Hyoyoung)は、T-araと同じCore Contents Mediaに所属する、男女共学(Co-Ed School)と5dollsのメンバーとして活躍中である。
このように、K-POPのシーンにおいては兄弟姉妹や従兄弟・従姉妹で揃って活動しているケースが、ちらほらと見受けられる。少女時代のジェシカ(Jessica)とf(x)のクリスタル(Krystal)のチョン姉妹や、2NE1のサンダラとMBLAQのサンダー(Thunder)のパク姉弟のように。これは、親が子供たちに幼い頃から歌やダンスなどの習い事を熱心にさせていることが影響しているのではなかろうか。おそらく、新しいアイドル歌謡の形が広く定着した90年代後半や「冬ソナ」に代表される第一次韓流ブームの00年代前半以降、こうしたエンターテインメント方面の総合的な教育に力を入れる家庭というのも、決して少なくはないのであろう。また、一概にそうとは言えないかも知れないのだが、チョン姉妹やパク姉弟が、ともに国外の韓国人コミュニティにおいて育っていることも気になるところではある。母国を離れ海外に移住した韓国人(コリアン・ディアスポラ)の家庭(特に80年代から90年代前半にかけて出国を余儀なくされた若い移住家族)では、もしかすると子供たちを芸術やスポーツなどの関係の方向へ進ませようとする傾向が比較的強かったりするのかも知れない。
T-araは、09年7月27日、配信のみで発表されたシングル“Lies”でデビューした。その後、9月15日に再び配信のみで発表されたシングル“TTL”(同じ事務所に所属するボーイズ・グループ、超新星(Supernova)とのコラボレーション曲)で、初のチャート第一位を獲得。そして、12月4日には、早くもファースト・アルバム“Absolute”をリリースし、ここからシングル・カットされた“Bo Peep Bo Peep”が、年をまたいでヒットする。この楽曲では、六人のメンバーが猫の手を付けたキュートな振り付けが、大きな話題となる。
このように、T-araは、デビュー当初から非常に順調にヒットを連発し、わずか半年の間にトントン拍子にスターダムへと駆け上がりブレイクにまで至っている。所属事務所のCore Contents Mediaは、韓国の芸能の世界に君臨する三大事務所に対抗する形で、00年代に登場した新興の勢力の最右翼である。このCore Contents Mediaという事務所は、ケーブルTV局のM.netを軸に放送からオンラインまでの各種メディアとエンターテインメント事業を幅広く手がけるMnet Media傘下の芸能部門となる。芸能事務所としての歴史はまだ浅いが、放送メディアの世界において大きな影響力をもつのが一番の強みであろうか。毎週木曜日のK-POPのチャート番組「M! Countdown」を放送している韓国音楽専門のケーブルTV局、M.netが、現在の世界的な新韓流の動きにおいて果たしている貢献度は極めて高い。そうした新韓流の大きな動きの中で、Core Contents Mediaが、最も力を入れて精力的に活動を展開させているガールズ・グループが、このT-araなのである。そして、国内的には、まさにこのT-araは、これまでの三大芸能事務所の牙城を突き崩す急先鋒でもある。
T-araが実に幅広い層に人気を博しているのには、いくつかの特別な理由があるように思われる。その中でも、最も大きい要因は、やはりその極めて親しみやすい楽曲の魅力にありそうだ。常にT-araの楽曲は、いかにも歌謡曲らしい歌謡曲なのである。多くのK-POPのガールズ・グループが、ヒップホップやR&B、レゲエなどのサウンド要素を取り入れた楽曲で、ほかにはない個性を打ち出そうと躍起になっているのを尻目に、T-araは、あくまでもアイドル・ポップな歌謡曲路線を貫き通している。実際、サウンド面ではエレクトロ・ポップやダンス・ポップ的な楽曲をメインに展開しているが、その歌そのものには、どうしようもなく大衆的な歌謡の匂いが感じ取れるのである。そんな世代を越えて親しむことが可能な歌謡曲のメロディこそが、T-araの人気の秘密であろうことは想像に難くない。特に、デビュー曲の“Lies”や、そのフォロー・アップ“TTL”、アルバム収録曲の“Apple is A”や“You You You”あたりの楽曲には、韓国大衆歌謡やポップ・トロットにも通じるノリが非常に色濃くある。こうしたアジアの土着的なネットリとしたメロディに、DNAのレヴェルで抗いがたいものがあることも事実であろう。T-araの成功の裏に、そんな老若男女問わずに親しめる大衆的な歌謡曲のノリがあることは、なかなかに興味深い。メディア寄りのマーケティングを展開するCore Contents Mediaとしては、やはり大衆歌謡の支持層の根強さは無視できないものであったのであろうか。このあたり、常に音楽面やサウンド面での最先端を追求し続ける大手の三大芸能事務所との戦略的な相違も、大変に面白いものがある。
10年の3月3日には、ファースト・アルバムの新装盤となる“Breaking Heart”がリリースされた。ここからは、フィソン(Wheesung)の手がけた新曲“I Go Crazy Because of You”がシングル・カットされ、大ヒットを記録している。この“I Go Crazy Because of You”では、“Bo Peep Bo Peep”のねこダンスで見せた可愛らしさとは全く異なる、椅子を使ったセクシーなパフォーマンスが大きな話題となる。その後は、グループでのブレイクを受けて、ウンジョン(Eunjung)やジヨン(Jiyeon)のドラマや映画への出演や、ドラマや映画のサントラ盤へのソロ楽曲での参加など、各メンバーの個別での活動が目立ってくる。そして、12月3日に、活動再開の復帰作にして、ファヨンが加入し七人組となってからの初の作品となるミニ・アルバム“Temptastic”が発表される。ここからは、レトロなズンタタ・ビートの“Why Are You Being Like This?”とノリのよさとユニークなコミカルさを併せもつダンス・ポップの“Yayaya”の二曲がプロモーション活動曲となり、これが同時ヒットとなる。いずれも、とてもT-araらしい直球の歌謡曲路線のヒット曲で10年を見事に締めくくることに成功している。
その勢いは11年に入ってからも、全く止まる気配がない。6月29日にミニ・アルバム“John Travolta Wannabe”をリリース。この作品のコンセプトは、そのタイトルにもある通り映画「サタデー・ナイト・フィーヴァー」のジョン・トラヴォルタに象徴される70年代後半のディスコ・ミュージック/ディスコ・ダンスである。これは、シークレットの“Shy Boy”あたりから始まった11年のトレンドであるレトロ・ポップの流行に、ぴったりとマッチした路線でもある。この作品からのシングル曲“Roly Poly”では、半ドラマ仕立ての約12分間の大作MVが制作され、そのディスコ・リヴァイヴァルのコンセプトが明確に打ち出された(このMVには、グループの最年長メンバー、ボラム(Boram)の父親で70年代から活躍するヴェテラン歌手のチョン・ヨンロク(Jeon Youngrok)が出演している)。そして、“Roly Poly”のパフォーマンスでの七人揃っての華やかなディスコ・ダンスは、11年の夏のディスコ・ブームの発火点にもなった(ダル・シャーベットの“Bling Bling”などが、このブームの流れに続いた)。また、この“John Travolta Wannabe”には、10年12月に発表された“Temptastic”の全5曲のダンス・リミックス・ヴァージョンが収録されてもいる。そして、大ヒット曲の“Roly Poly”を生んだ、盛り沢山の“John Travolta Wannabe”は、ミニ・アルバムには珍しく新装盤が8月22日にリリースされることになる。ここには、新たに“Roly Poly”をユーロ・ディスコ風にリアレンジした“Roly-Poly in Copacabana”が追加収録されている。ちなみに、ここでいうコパカバーナとは、78年にバリー・マニロウ(Barry Manilow)が同名の大ヒット曲で歌ったニューヨークのナイトクラブの名に由来するものではなく、かつてソウルの鍾路にあった有名ディスコのことであるようだ。おそらく、約30年ほど前に民主化運動と五輪開催に向けた大きなうねりの中にあったソウルの街で夜遊びをしていた世代にとっては、とても懐かしい響きをもつ名前なのであろう。ただ、そんな世代を越えたロングラン・ヒットとなっていた“Roly Poly”であったが、8月の末には全てのプロモーション活動が少し早めに切り上げられることになる。彼女たちには、その後の日本デビューに向けた準備作業が控えていたのである。
そして、9月28日、日本語版の“Bo Peep Bo Peep”で遂に日本上陸を果たす。K-POPガールズ・グループの最後の女王というやや大仰な触れ込みで登場したT-araであったが、このデビュー・シングルで、その触れ込みに違わぬ数々の偉業を達成することになる。“Bo Peep Bo Peep”は、外国人グループ/外国人女性アーティストとして史上初のデビュー曲でのチャート初登場第一位を獲得したのである。これは、09年デビュー組のグループたちが常にその背中を追いかけていた、10年に日本デビューした新韓流の中心的存在であるKARAや少女時代でさえも成し遂げられなかったことであった。ただ、そうしたいち早く日本のマーケットにチャレンジしたKARAや少女時代が切り拓いてきた道があり、先行したグループたちの幅広い活躍によって新韓流の波自体が大きな高まりを見せてきた時期だからこそ、今回のT-araのいきなりの成功があったのだともいえる。このK-POPブームの高まりは、これに続いて日本進出を狙っているグループやアーティストの勢いをも、さらに加速させてゆくことであろう。T-araが“Bo Peep Bo Peep”で偉業を成し遂げ、ひとつの金字塔を打ち立てたK-POPというものが、今後この日本でどのように受容され浸透してゆくことになるのか、具に注目してゆきたいところである。00年代に興った新韓流の動きは、ここにきて明らかに新たな局面へと突入しつつある。このままゆくと、ヒット・チャートの大半が韓国人アーティストで占められる日が来るのも、そう遠いことではないのではないかと思えてきたりもする。
そしてまた、この“Bo Peep Bo Peep”の歌唱が、これまでの日本語詞のK-POPとは比較にならないほどに安心して聴けるものとなっていることは、特筆すべき点である。この完全にしっくりと音と言葉が馴染んでいる感じは、ほぼ最近のKARAの日本語歌唱にも匹敵するレヴェルといってよいだろう。やはり、T-araとは、デビュー当初からずっと伝統的な大衆歌謡に通ずる、誰にでも親しみやすい歌謡曲らしい歌謡曲を歌い続けてきたグループなのだ。そうした音楽的な素地の部分から、アイドル歌謡のプロダクションには滅法強いDSP MediaのKARAやレインボーと同様に、日本の歌謡曲の世界とも非常に高い親和性をもつ力を自然に身につけていたのであろう。
また、その日本語詞そのものも、オリジナルの韓国語詞の語感や言葉の意味を最大限に活かしたものとなっていて、ほとんど違和感を感じさせないのである。サビのパートの「ナッテメイジェン」の部分は、日本語版では「こっち、向いて」と歌われているが、このあたりの言葉の響きが似通った日本語詞のあて方は、なかなかに心憎い。元々の歌詞に慣れ親しんだ耳にも、こうした日本語詞であれば実にすんなりと飛び込んでくる。そして、韓国語版では次第に心が離れてゆく恋人に向けて歌われる「ナッテメ」という言葉が何度も登場するのだが、日本語詞の中には、それに相当する「私のせい」という言葉が一度も登場しないのも面白い。原曲ではひとつのキーワードとなっている「ナッテメ」に一切頼らずに、オリジナルの歌詞の世界や流れを決して崩すことなく、新たな日本語詞の世界が築き上げられているのである。これは、K-POPの日本語詞には、原曲の歌詞の言葉を重視するよりも、実際に歌う際に無理のない言葉を用いた訳詞が必要となることを示す、よい手本のような作品なのではなかろうか。そういった意味でも、この日本語版“Bo Peep Bo Peep”は、かなりの傑作だといえそうだ。
このシングルのカップリングには、本国では10年の春にヒットした“I Go Crazy Because of You”の日本語版となる“LOVE ME ! 〜あなたのせいで狂いそう〜”が収録されている。こちらも、オリジナルの韓国語詞の雰囲気をそのままに翻訳したような、いかにも歌謡曲らしい日本語詞となっていて、なかなかの出来映えである。T-araのもつコケティッシュなセクシーさが、非常によく表現されている。
また、“Bo Peep Bo Peep”と“I Go Crazy Because of You”が実際にヒットしていた時期には、まだグループに加入していなかったファヨンのねこダンスなども、個人的にはとても注目したいところではある。ファヨンは、まだ高校生であるのだが、すでに身長はグループ内で一番高い。常にひとりだけ踵の低い(あまりオシャレではない)靴を履かされているにも拘らず、明らかにメンバーの中でひと際大きいのである。俗に93 Lineと呼ばれて一括りにされることのある、93年生まれのアイドル・グループのメンバーには(94年生まれのMiss Aのスジ(Suzy)やf(x)のソルリ(Sulli)、ダル・シャーベットのスビン(Subin)なども含めて)、なぜか身長の高い女の子が多い。もう見るからに基本的な体型からして、それまでの世代の平均的なアジア人の体型とは大きく異なっているのである。彼女たちを見ていると、まさに全く新しい世代の台頭をヒシヒシと感じずにはいられなくなる。エイ・ピンクの美貌の末っ子、オ・ハヨン(Oh Ha Young)などは、96年生まれの15才で、まだ中学生であるのだが、すでに身長は軽々と170センチに達しそうなほどであったりする。これから、まだまだグングンと伸びそうな気配は濃厚にある。この世代のアイドルたちが、このままスクスクと成長していったら、数年後にはかなり物凄いことになっているのではなかろうか。非常に楽しみだ。
間違いなく、T-araは、今最も勢いのあるガールズ・グループである。その眩いほどの輝きを放つ勢いには、“Gee”や“Genie”を大ヒットさせ、飛ぶ鳥を落とす勢いであった09年頃の少女時代を思わせるものすらある。ある意味では、現在のT-araは、あの当時の少女時代のレヴェルに、ほぼ追いつきつつあるのではなかろうか。しかし、昨年の日本デビュー以降さらにひと回り大きく成長し、初のコンサート・ツアーも経験して、そのパフォーアンスに自信を深めつつある少女時代は、すでにそこからもう一段も二段も上のレヴェルにまで到達してしまっているのだが。ただ、こうして、着実にステップ・アップしているT-araなどの存在によって、かつて少女時代がいた場所が埋めらてゆくことは、決して悪いことではない。この09年デビュー組のT-araにしても、より下の世代となるエイ・ピンクやダル・シャーベットによって、今や猛追されている状態にあるのだから。このように飽くなき上昇を続ける多くのガールズ・グループの存在は、K-POPシーンの全体的な質の向上をも担ってゆくことになるに違いない。また、日本を始めとする海外の市場への積極的な進出は、韓国の歌謡界における、より健全な競争を促してゆくことにもなるであろう。まさに、この10年から11年にかけての、かつてなかったような動きは、韓国の/日本の/東アジアの/ポップ・ミュージックにとって、ひとつの大きな節目を形成するものであるのかも知れない。

こうして、毎週水曜日に注目のK-POPガールズ・グループのリリースが続いた11年の9月は、最後に登場したT-araが新たな歴史を作って、これ以上ない形で締めくくられた。
4ミニッツの“Heart to Heart”は、3種類の形態でリリースされチャートの最高位は18位。これは、ほかのグループの成績と比較するとやや見劣りする順位であるかも知れないが、4ミニッツの日本での作品は、常にこれぐらいの成績を安定して叩き出してはいる。つまり、ある程度の規模の固定ファン層が、すでにしっかりと確立されているのである。あとは、この固い支持基盤を、いかに拡大させてゆけるかであろう。トップ10に頻繁に顔を出すくらいになると、また4ミニッツを取り巻く日本での状況も変わってくると思うのだが。日本では、ユニヴァーサル・ミュージック傘下の邦楽専門レーベル、Far Eastern Tribe Recordsに所属している4ミニッツ。あまりメディアでの大々的な露出がない割には、かなり健闘している方なのではなかろうか。ただ、日本でK-POP関連の大きなイヴェントが催される際には、必ずといってよいほど来日し出演しているので、そうした地道で着実な活動が実を結ぶ日も、そう遠くはないはずである。
レインボーの“A”は、4種類の形態でリリースされチャートの最高位は3位。このデビュー曲で、いきなり初登場3位という記録は、KARAの“Mister”での5位と少女時代の“Genie”での4位という記録を上回るものであった。全く申し分のない上々の滑り出しといえるであろう。リーダーのキム・ジェギョン(Kim Jae-kyung)は、日本でのレインボーの知名度が思いのほか高かったことに対し素直に驚きを隠さなかった。本人たちにしてみれば、KARAや少女時代などの先輩の大物グループと比べれば、まだまだレインボーは駆け出しの下っ端だという認識があったのだろう。しかし、日本でのデビュー・シングルを発表し、蓋を開けてみれば、レインボーの方が先輩たちよりよい成績を上げてしまったのだから、これは驚き以外の何物でもなかったに違いない。この日本デビュー曲の好成績によって、きっとレインボーの七人も相当に自信をつけたのではなかろうか。これからのレインボーの活躍が、とても楽しみになってくる。まだまだ秘められた可能性が眠っていそうなグループであるだけに、今後の飛躍にも大いに期待が高まるところである。
2NE1の“NOLZA”は、3種類の形態でリリースされアルバム・チャートの最高位は見事に第1位。海外の女性アーティストによるデビュー作で初登場首位の獲得は、03年のt.A.T.u.以来の史上二組目の快挙であるという。あの世間を騒がすだけ騒がせ社会現象にまでなったt.A.T.u.に比類するほどの記録であるのだから、これはもうちょっとした事件である。また、デビューに合わせて行われたコンサート・ツアー、Nolza in Japanでは、横浜、神戸、幕張の3ヶ所全6公演で約七万人の観客を動員している。もはや、完全に大物アーティスト並みである。これまで単独でのライヴ・コンサートですら全く行ってこなかった2NE1が、いきなりツアーまでこなしてしまったことは、少しばかり驚きでもあったが、結果的に大成功に終わったことは、様々な意味でとても大きい。日本でのプロモーション活動においては、メディアへの露出とともにコンサート・ツアーで全国を回ることは非常に大きな比重を占めてくる。5月から7月にかけて少女時代も大々的にアリーナ・ツアーを行っているが、TV出演や各種イヴェント、多数のアーティストが出演する企画モノのコンサートなどが中心の韓国での活動とは異なる、日本における音楽活動の様式にいち早く対応することが、K-POPのアーティストの日本での生存競争において重要視されてくる可能性は大だ。現在の「M! Countdown」や「Inkygayo」のような人気音楽番組がひしめく韓国でのTV事情と比較すると、日本においては、そうしたアイドル・グループが大挙して出演できる音楽番組は極端に少ないのである。2NE1の四人も、今回のツアーを大成功させグループとしてのパフォーマンスのポテンシャルに、あらためて自信をつけたのではなかろうか。このように、K-POPのガールズ・グループが、日本デビューを通じて、グングンとひと回りもふた回りも大きく成長してゆく様を目の当たりにするのは、何とも頼もしいものがある。きっと、1年後には2NE1も、今以上に無敵で唯我独尊なガールズ・グループとなっていることであろう。非常に楽しみだ。

このように、記録を打ち立てたT-araのみならず、K-POPのガールズ・グループの作品は、軒並み好セールスとなっている。やはり、そこで注目をしておきたいのは、この人気が、こうしたガールズ・グループのメンバーとほぼ同世代の女性を中心とした同性のファン層からの絶大な支持によって支えられている点である。韓国の女性アイドルは、どういう訳か世界中どこででも女性からの人気が高い。同性からも憧れの目で見られるアイドルというのは、それだけアイドルらしいアイドルともいえるのかも知れない。ただ異性の視線を集めるだけのアイ・キャンディとしてあるだけでは、もはやそれは本当の意味でのアイドルとはいえなくなりつつある。KARAや少女時代を筆頭に、今やK-POPのガールズ・グループは、ファッションやヘア&メイク、そして日々の生き方に至るまで、広く多方面に影響を及ぼしている。かっこよく、可愛らしく、強く逞しく、どこまでも自由で奔放に。そこに見出されるのは、現代を生きる女性にとってのいくつかのロール・モデルのヴァリエーションである。特に、2NE1などは、グループのトータルなイメージやコンセプトとして、そうした現代的な新たな女性像を表明することに対して非常に意識的な面をもっているといえる。逆に、日本のアーティストは、作品そのものを表現することを大切にする傾向が非常に強く、自己主張や生き様の部分までを表に出すことは稀で、どちらかというと控えめな印象である。こういった部分からも、K-POPのガールズ・グループの、その存在そのもので魅了し、滲み出す個性や醸し出す雰囲気で引きつける様式には、これまでにはなかったような新鮮味が感じられたりもするのではなかろうか。
とにかく、この11年の9月が、K-POPと日本の歌謡曲の歴史において、大きなエポックとなるひと月であったことは確かであろう。もはやK-POPは、一過性のブームなどではなく、日本の歌謡曲の一部に完全に溶け込んでしまっているともいえそうである。今、KARAよりも歌謡曲らしい歌謡曲を歌うガールズ・グループが、この日本に何組いるであろうか。

追記
この9月以降も、K-POPのガールズ・グループによる日本でのリリースは、続々と登場する予定である。
画像KARAは、10月19日に日本での五作目のシングルとなる“Winter Magic”をリリースしている。前作の“GO GO サマー!”に引き続き、しっかりと季節感を盛り込んだ完全に日本の歌謡曲マーケット仕様の楽曲である。今回は、秋冬向けの温かみのあるメロディの恋うたでヒットを狙う。これまでポップなダンス曲のシングルが中心であったKARAにとって、これは新たな挑戦でもあるだろう。しかし、あの契約騒動後のKARAの徹底した攻めの姿勢には、本当に物凄いものがある。まさにピンチをチャンスに変えた好例であろう。
11月には、今年の夏に日本デビューを果たしたグループたちが、次々と第二弾作品を発表する。まず、16日にシークレットが“Shy Boy”を、23日にはアフタースクールが“Diva”を、そして30日にT-araが“YaYaYa”をリリースする予定である。いずれも本国では大ヒットを記録した楽曲の日本語版であるため、いやが応にも期待感は高まる。この11月後半のヒット・チャートも、かなり物凄いことになりそうである。
そして、12月にはレインボーが、日本での第二弾シングルとして名曲“Mach”をリリースすることが、すでに決定している。あのヘヴィなアーバン・ファンキー・ハウス曲が、遂に日本上陸すると思うと今にもチビリそうである。できれば、日本盤の“Mach”には、フランキー・ナックルズ(Frankie Knuckles)によるリミックス・ヴァージョンなどを収録してほしいところだ。何とかならないだろうか。また、4ミニッツも、すでに10月から放映が開始されているテレビ東京系列のドラマ「ここが噂のエル・パラシオ」の主題歌“Ready Go”を12月にリリースする。これは、3月9日にリリースされたテレビ朝日系のドラマ「悪党〜重犯罪捜査班」の主題歌“WHY”に続いて、4ミニッツにとって2曲目の日本でのドラマ主題歌となる。この地道に、だが着実に、日本のお茶の間に進出してゆく戦略。かなりの独自な路線を開拓していて、面白い。
さらに、年明け後の12年の1月には、遂にf(x)が日本デビューするという。この状況であれば、いつ来てもおかしくはないのであるが、実際にそういった話が持ち上がり始めると妙に胸が高鳴るものがある。おそらく、いきなり“Chu~♡”の日本語版あたりで攻めてくるのではなかろうか。これもまた、物凄いことになりそうである。‡

(続く)

I - II - III - IV
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Do you remember the 28th night of September (II)

2011/11/01 03:00
11年の9月は、日本でのK-POPのガールズ・グループのリリースが毎週のように続く、これまでにないほどに話題が盛り沢山の一ヶ月となった。だが、これだけあれこれとスペシャルなものが続くと、新しいものばかりに注目してしまい、ひとつひとつのリリースに向けられる意識が、どうしても散漫になってしまったりもする。この9月の段階で、すでに前の月にリリースされたシークレットやアフタースクールのシングルは、かなり過去のことのように思えてしまってもいた。それぞれの山が相当の高さであるために、そう簡単に全体を眺められなくなっているのが、実際のところであろうか。この時期に何があったかを忘れないためにも、ひとつひとつのトピックを簡単にでもまとめて記録しておくことは、かなり重要なことであるのかも知れない。いつか、これが何らかの貴重な資料になる可能性だってある。まあ、逆にいうと、何の役にも立たない可能性だって、少なからずあるということなのだが。

画像9月7日、すでに10年の5月に早々と日本デビューを果たしていた4ミニッツが、早くも通算五作目となる日本版のシングル“Heart to Heart”をリリースしている。これは、本国韓国では3月29日に発表された三作目のミニ・アルバムのタイトル曲であり、その直後の4月5日に発表された韓国でのファースト・アルバム“4minutes Left”からのシングル曲“Mirror Mirror”とともに、今年の春のK-POPシーンを代表するヒット曲となったナンバーだ。4ミニッツというと、それまでは“Hot Issue”や“Muzik”などヒップホップ・ダンス系のややハード目なスタイルの楽曲が多く、グループの個性やイメージもそういった方向性を大きく打ち出している印象が、どちらかというと強かった。だが、この新曲では、かなり意表をついた4ミニッツ流のガーリーでかわいい系の側面が垣間見れるのである。そうした、これまでにない路線での新機軸という部分でも大きな話題となった楽曲であった。
すでに昨年の日本デビューから一年以上が経過しているせいか、この日本語版“Heart to Heart”での歌唱も、とてもスムーズである。おそらく、日本語でのレコーディング作業にも、かなり慣れてきているのではなかろうか。ボーイフレンドとの気持ちのすれ違いに焦燥感を募らせ、胸を痛める女の子の心情が、時に切なく時に力強く訴えかけるように歌いあげられている。また、ガユン(Ga Yoon)とジユン(Ji Yoon)が担当するサビのメロディラインは、オリジナルの韓国語版での歌唱よりも少しばかり大らかさが増しているようで、内面の情感が高まってゆく様子が非常によく伝わってくる。もしかすると、この日本語版の少し間延びした感じが逆にダメだという人もいるのかも知れないが。
また、三種類の形式でリリースされた、この日本版のシングルには、それぞれのタイプのリリースのカップリングに、“Heart to Heart”のオリジナル・ヴァージョンや、“Mirror Mirror”などの今春に韓国で発表されたミニ・アルバムとアルバムからの楽曲が収録されている。日本語版のリリースが優先され、韓国版の作品が、なかなか日本では紹介されない現状にあっては、こうしてシングルのカップリング曲で本国での音源に触れられるというのは、日本のファンにとっては大変に喜ばしいことであるのかも知れない。
4ミニッツは、日本での活動に対して非常に積極的な姿勢を見せているグループである。日本でのデビューを飾った時期も、KARAや少女時代よりも約三ヶ月ほど早い。さらに、リリースに関していえば、日本語版のアルバム“Diamond”は、10年12月15日に韓国でのファースト・アルバムよりも先に(約四ヶ月ほど先行して)発表されているのである。おそらく、リリース作品の量の面でも、すでに韓国と日本では同程度になっているのではなかろうか。これほどまでに日本での活動にも力を注いでいるK-POPアイドルというのは、ほかには00年代前半のBoAくらいしか思い浮かばない。
また、その日本語での歌唱において、かなり先駆的な4ミニッツ流のスタイルを打ち出していることも特筆に値する。ヒップホップ・ダンス系のビートにのる韓国語と英語を巧みに織り交ぜた原曲の歌詞のノリを最大限に活かし、新感覚な翻訳日本語詞の世界を展開しているのである。そこでは、日本語も英語も韓国語も、全ての言語がバラバラに分解され、ただただビートとグルーヴへのアジャストメントを最優先した、細切れの言葉の張り合わせ(カット・アップ)がなされているのである。よって、その大半の部分では、かしこまった文法は完全に無視され、文脈もズタズタにされたままに短いフレーズの積み重ねとして歌われてゆく。特に、“Muzik”や“I My Me Mine”の日本語版で聴くことのできた言葉のアヴァンギャルドさは、少々革命的ですらあった。4ミニッツは、常に日本でのリリース作品が非常に面白く、日本語での歌唱でも期待を決して裏切ることのないガールズ・グループの筆頭だといえる。

画像9月14日には、レインボーが、シングル“A”で日本デビューを果たした。この七人組のレインボーもまた、09年にデビューしたガールズ・グループである。つまり、シークレットや4ミニッツとは同期であり、これらのデビュー当時からライヴァル関係にあるグループが、ここにきてこぞって日本でもデビューを果たし、海外での活動でもしのぎを削り合っている状況が生まれつつあるということだ。
KARAと同じ事務所であるDSP Mediaに所属するレインボーであるが、やはり大手の事務所とはプロモーションの能力に少しばかり差があるせいか、最初から大きなヒットに恵まれて、一気にブレイクしたわけではない。09年11月17日に発表されたファースト・ミニ・アルバム“Gossip Girl”は、おおむね好意的に迎えられはしたが、タイトル曲でありシングル曲でもあった“Gossip Girl”は、相次ぐ大物グループによる大ヒット曲の狭間に埋もれて、いまいちパッとすることはなかった。同じ事務所の先輩であるKARAを手本にしてリハーサルを重ねてきたからなのか、どうしても律儀にKARAの妹分的な部分ばかりが前面に出てしまい、グループとしての個性を発揮できていなかったのが、多くのライヴァルたちの中で埋もれてしまった要因であったのかも知れない。そして、ここで一旦仕切り直しとなったのか、次にレインボーが新曲でカムバックするまでに、DSP Mediaは約九ヶ月にも及ぶインターヴァルと準備期間を設けることになる。
レインボーが、やっとブレイクのキッカケを掴むことができたのは、10年8月に配信のみでリリースされたシングル曲“A”のスマッシュ・ヒットによってであった。まさに、もう後がないような状況で繰り出された起死回生のパフォーマンスが、レインボーというグループの運命をガラリと百八十度転換させてしまったのである。シンプルなタンクトップにホットパンツ姿の七人が、ファンキー・ロック・スタイルのビートが唸るダンス・ポップ曲で、清々しい色香を放ちながら溌剌と歌い踊る姿は、実に鮮烈な印象を与えた。それはもう、先輩KARAの影を引きずっていた“Gossip Girl”の頃のグループとは全く違って見えるものでもあった。まさに、七人の個性を思い切り弾けさせた、蛹から蝶へと羽化したレインボーの勇姿であったのである。また、この“A”では、横並びになったメンバーが全員でシャツの裾をまくり上げるセクシーな振り付けが、放送倫理上あまり好ましくないと警告を受け、TV局によっては裾のまくり上げを自粛しなければならないという事態も生じることになる(この直前にヒットしたf(x)の“NU ABO”にもシャツの裾を軽くまくり上げる振り付けは存在していた。しかし、この時には特に大きな問題に発展することはなかった。このあたりにも、所属事務所の違いは影響を及ぼしているのだろうか)。ただ、こうした放送禁止の騒動は、逆に大きく芸能ニュース的な話題となったことで、結果的にはさらなるレインボーの初のヒットの後押しをするファクターとなったことも間違いないところである。こうしてレインボーの“A”は、10年の夏を代表するK-POPのヒット曲のひとつとなる。
この“A”のスマッシュ・ヒットの直後の10月に再び配信のみでリリースされた、ディスコ・ハウス・スタイルのダンス曲“Mach”は、前作での勢いのままに順当に連続ヒットを記録する。これによって、レインボーは一躍スターダムへとのし上がり、ヒット常連組の仲間入りを果たすことになる。同じく09年にデビューしたシークレットもまた、10年になってから飛び出した“Magic”と“Madonna”の連続ヒットによって、ようやく芽が出てブレイクを果たしている。ただし、日の目を見るまでに約一年を要したレインボーの方が、潜伏期間は桁違いに長いのだが。
そんな、レインボーにとってのエース的な切り札曲“A”が、日本での活動を開始する第一弾シングル曲となった。いきなり勝負曲をもってくる、攻めの日本デビューである。だが、すでに日本でも大きな成功を収めているKARAの日本語詞の楽曲によって見事なまでに証明されている通り、DSP Mediaが所属アーティストに用意する楽曲は、誰にでも親しみやすいノリをもった極めて歌謡曲的なものであり、日本語詞との親和性もとても高い。日本語版の“A”においても、無理に言葉を詰め込むことなく、平易な言葉による難なくゆったりと余裕をもって歌える歌詞があてられていて、伝統的なDSP Mediaらしさはしっかりと保持されている。また、とてもキャッチーなフックをもつサビのパートも非常によい仕上がりである。この日本デビュー・シングルを聴く限り、DSP Media勢の日本の歌謡曲マーケットにおける強さが相当なものであることは、やはり素直に認めざるを得ないものがある。レインボーもこのまま、先輩のKARAとともにアイドル歌謡としてのK-POPの最右翼を突っ走ってゆくことが大いに予想される。
そして、このシングルのカップリング曲には、あのあまり芳しい成績を残すことができなかった痛恨のデビュー曲“Gossip Girl”の日本語版が収録されているのだ。このあたりの選曲も、ちょっと見逃せないものがある。このようにやや執念深くリヴェンジを仕掛け続ける姿勢も、ある意味では伝統的なDSP Mediaらしさだといえよう。最近のKARAが、全く売れなかった初期のクールなR&Bダンス路線に、少しずつジワリジワリと回帰しつつあるのも、そうしたリヴェンジの一環であるようにも見えなくもない。こうして執念深くリヴェンジすることで、DSP Mediaは事務所としてのマーケティングやプロダクションの方向性が決して間違いではなかったことを証明し、全てを正当化しようとしているのではなかろうか。ただし、この日本語版の“Gossip Girl”もまた、しっかりとした日本語詞の上質な歌謡曲に仕上がっていることは、やはり素直に認めざるを得ない。このリヴェンジ戦は、完全にDSP Mediaの勝利であるのかも知れない。これだけポップスとしての質の高い楽曲であったのにも拘らず、あの当時に思ったほどの成果を挙げられなかったのは、もしもDSP Mediaの売り出し方に全く非がなかったのだとすれば、後はどれだけレインボーの七人に運がなかったのかという話にもなってきてしまうように思えるのだが。とりあえず、少し時間はかかってしまったが、レインボーという素晴らしいグループが、運に見離され続けたままになることがなくて本当によかった。
11年のレインボーは、4月6日にデビュー作の“Gossip Girl”以来となる約一年五ヶ月ぶりのセカンド・ミニ・アルバム“SO 女”を発表し、この作品のヒットを受けて、6月22日には“SO 女”の新装盤“Sweet Dream”を発表している。この両作品からは、ともに札幌のDJ、Daisi Danceによってプロデュースされた、クラブ・ハウス系のポップ・ダンス曲“To Me”と“Sweet Dream”のヒットが飛び出している。また、この安定した連続ヒットは、レインボーがチャートのトップに立つ日も、そう遠くはないことを告げるものともなった。特に、“To Me”は、大物の新曲が相次いだ大混戦の4月の状況の中で大変に善戦し、もう一歩でチャートを制覇するところまで肉薄したのである。これまでの流れからいっても、このキラキラでメロディックなハウス系のダンス路線の楽曲と、レインボーの七人の歌唱とラップの相性は、とてもよいようである。今後も、この路線をバリバリと突き進んでいってもらいたい。
今回の日本での売り出しの際には、まだいつものKARAの妹分という肩書きは、しっかりとついたままであった。だが、いつかはレインボーにも、そうした紹介のされ方が全く必要なくなる日がくるに違いない。現在、この七人は、選ばれし者だけが辿り着けるトップ・アイドルの座を目指して、長く険しい上り坂を全力で駆け上がっている真っ最中である。

画像9月21日には、遂に2NE1がミニ・アルバム“NOLZA”のリリースによって本格的な日本デビューを果たした。だが、ここに至るまでには、本当に様々なことがあった。しかし、このデビューまでの紆余曲折によって、十分すぎるほどに長い準備期間を取れたことは、2NE1にとって大きくプラスに作用した部分もあったのかも知れない。結果的に、最高の形で日本での活動のスタートを切れたのだから。
まず、10年の秋に2NE1が韓国でのファースト・アルバム“To Anyone”の日本盤で、年内に日本デビューするという情報が一瞬流れた。だが、まだ時期尚早という判断がなされたのか、すぐにそれは撤回され、全ては白紙に戻される。その後、2NE1は、11年春の日本デビューに向けて着々と準備を進め、後は実際のリリース・プロモーションを開始するだけというところまで全ては整いつつあった。しかし、そこで3月11日の東日本大震災という予期せぬ天災が起こり、これによって本格的な日本上陸のプランは再び大幅な延期を余儀なくされることになる。あの日、ちょうど午後八時からのテレビ朝日「ミュージック・ステーション」に生出演し、スタジオでパフォーマンスを披露する予定であった四人のメンバーは、滞在中の都内のホテルで震災に遭っている(報道特別番組のため、この日は番組の放送自体も中止)。そして、この突然の予定変更を受けて、2NE1は7月のセカンド・ミニ・アルバムのリリースに合わせた、今春から夏にかけてロング・ランで展開された密度の濃いプロモーション活動を韓国において開始することになる。ただ、その熱狂の最中に、今回の日本上陸へのカウント・ダウンも刻々と進められ、延期に延期を重ねて当初の予定より約一年近く遅れてしまった、まさに待望の日本デビューが遂に実現したのである。
2NE1は、09年にデビューした四人組グループ。ビッグ・バン(Big Bang)を擁する大手事務所のYG Entertainmentに所属し、元1TYMのテディ・パク(Teddy Park)によるプロデュースの下で、いきなりデビュー曲の“Fire”とそのフォロー・アップ“I Don't Care”を大ヒットさせている。当時、同期の多くのガールズ・グループたちが、何とかデビューはしたもののいまだ不遇の時代を過ごしていた頃に、2NE1は、その年の新人賞を総なめにし、眩いスポット・ライトを浴びて輝きを放っていたのである。常に斬新なイメージ・コンセプトを打ち出し、新しさと奇抜さを併せもつエレクトロなヒップホップ・ダンス系の楽曲で、韓国の歌謡界において群を抜いて尖った印象を与えていた2NE1。その流行の最先端を作り出すファッションや言動、立ち振る舞いは、同世代の若者を中心に大きな影響力を及ぼすようにもなる。
だが、ただ斬新なことをするだけであれば、それは誰にだって簡単にできることである。この2NE1が、そうしたスタイルだけの集団と決定的に異なっていたのは、そこに見る者や聴く者を納得させる確かな実力が備わっていたからにほかならない。これが、デビュー当初からこの四人が、全く新人グループとは思えない大物感を漂わせていた最大の理由でもあるだろう。YG Entertainmentの練習生時代からビッグ・バンの楽曲に客演していたCLとパク・ポム(Park Bom)の歌唱力は、彼女たちが少女時代を過ごした本場米国のR&Bやヒップホップのフレイヴァーをしっかりと吸収したものであるし、舞踏家の家系に育ったコン・ミンジ(Gong Min-ji)のシャープなダンスは、その血筋のよさをまざまざと感じさせる。そして、パク・サンダラ(Park Sandara)は、2NE1に加入する以前に、幼少期に移住したフィリピンにおいてアイドル歌手として“In Or Out”などのヒット曲を放ち、すでに大活躍をしていた実績をもっている。この四人は、こうした下地の部分からしても、ちょっとほかとは違う何かをもっているのである。2NE1のパフォーマンスは、誰もが一目見るだけで圧倒されてしまうようなエナジーに満ちている。特に、CLがステージ上で見せる強烈なカリスマ性には、まさに世界的なスーパー・スターの片鱗をも感じさせるものがある。
このようにデビュー直後から大ヒットに恵まれた2NE1であるが、やはりそこには展開されるプロモーションの規模の面などで、大手事務所に所属しているグループだからこそ得られる強みのようなものも端々に垣間見れた。そのデビュー前の話題作りからヒットまでの道程は、これまでのYG Entertainmentが行ってきた数々のアーティスト・プロモーションの経験を踏まえた、周到に計画され綿密に練られたものである。そして、10年9月9日に発表されたファースト・アルバム“To Anyone”のリリース時には、“Clap Your Hands”、“Go Away”、“Can't Nobody”という三曲のシングル曲のプロモーション活動を強力に展開し、この三曲でチャートの上位を完全に独占してしまう。こうした前代未聞の事態には、圧倒的な2NE1の人気と実力だけでなく、大手芸能事務所の企画遂行能力やプロモーション能力の凄まじさのようなものを、桁違いのスケールで見せつけられたような気もしたものである。そして、こうした実績を重ねてゆくことで新作を出すごとに2NE1のまとう大物感は、増々確固たるものになってゆくのだ。さらにまた、11年7月28日に発表されたセカンド・ミニ・アルバムからは、“I Am The Best”、“Hate You”、“Ugly”の三曲をシングル曲とするプロモーション活動が展開され、やはり三曲が同時に大ヒットとなり、全ての楽曲でチャートの首位を獲得してしまう。ここまでくると、まさに圧巻である。
今回、日本でのデビュー作となった“NOLZA”は、この7月に発表された韓国でのセカンド・ミニ・アルバムの日本盤となる。オリジナルのセカンド・ミニ・アルバムの全6曲の収録曲のうち、ボムのソロ曲“Don't Cry”を除く5曲の日本語ヴァージョンが、ここには収録されている。韓国語版のリリースからほぼ間を置かず約二ヶ月後に日本語版がリリースされているということは、例の三曲のシングル曲が大ヒット中であった8月に日本版の準備を進めるのは困難であっただろうから、どちらの作品の制作もほぼ同時進行で行われていたはずである。元々、今春に日本デビューの予定であったのだから、韓国語版よりも日本語版の楽曲の方が先に録音が進められていたということも十分に考えられる。2NE1の四人のメンバーは、幼い頃より様々な異文化に触れ、インターナショナルな感覚を養った下地をもち、それぞれに語学にも堪能である。中でもCLは、大学教授である父親の勤め先が数年ごとに変わることから幼少期に世界各地を移り住み、その当時に日本で暮らした経験ももつという。そういう意味では、2NE1にとって日本語での歌唱に対するハードルは、それほど高いものではなかったのではなかろうか。
“NOLZA”を聴いてみて、非常に特徴的だと思われるのが、ほとんどの楽曲の歌詞が、2NE1にとって最も大きな支持層であるメンバーと同年代の女性、いわゆるギャル系の女の子の話し言葉(口語体)に近いものになっているという点である。これには、少しばかり引っ掛かるものがあった。普段からあまりギャルな話し言葉に慣れ親しんでいない耳には、ついつい身構えさせてしまうものがあることは確かであろう。最初のうちは、聴きながら、思わずもう少し詩的な表現ができないものかなどといったことばかり気になってしまった。日常的な生々しさのある言葉遣いであるだけに、どうしてもやや強く突き刺さるような印象を受けてしまうのである。しかし、それも何度か繰り返し聴いているうちに不思議と慣れてくる。これは、ほとんどの日本語歌唱化されたK-POPにいえることであるのだが、必ずといっていいほどに最初は結構な違和感がある。だが、しばらくすると、決まって曲調のノリのよさやサビのキャッチーさに気を取られはじめてきて、いつの間にか妙な違和感は消えてなくなってしまうのだ。それだけ、韓国語版の原曲の楽曲としての魅力やパワーが強烈だということなのであろう。こうして言語の壁など余裕で突き破ってしまう浸透力や訴求力があるからこそ、これだけ全世界的にK-POPブームの波が拡大していっているのだとも考えられる。2NE1による日本語歌唱も、聴き返すごとに、次第にその話し言葉調の突き刺さるようなストレートさが、彼女たちならではの持ち味と感じられてくるのである。やはり、ここでも韓国語版のオリジナルの段階から強力に威力を発揮していた、根本的な楽曲のよさが光っていることは言う間でもない。日本語による歌唱においても2NE1は、しっかりとグループの個性とコンセプトを表現し、それを強くリスナーに印象づけることに成功している。
それぞれの楽曲では、ファッションや夜遊びや恋愛の話題、人間関係や自己同一性にまつわる葛藤など、誰もが青春時代に感覚するであろう内面の動きが、とてもわかりやすい日常的な話し言葉で歌われる。また、全体的に何事にも屈しない強く逞しい女の子のイメージを打ち出している点などは、同世代のリスナーや同性からの強い共感を得られるのではなかろうか。いずれにしても、2NE1の楽曲は、それを歌いかける対象が、非常にはっきりと見えるものである。このようにストレートに心情を言い放つ楽曲を歌い続けてゆくことで、2NE1は、若者世代の心の声を代弁するアイドル・グループとして、今後も国境も言語の壁も越えて幅広く活躍してゆくのだろう。韓国や日本だけでなく、アジア全域で。そして、ゆくゆくは地球規模のスケールで。
韓国でのセカンド・ミニ・アルバムからの三曲同時プロモーションの際にも常に最後の締めくくりの一曲として歌われた“Ugly”は、今年の夏のK-POPを代表するヒット曲だといえるであろう。従来のヒップホップ〜R&Bダンス路線だけでなく、アコースティック/エレクトリック・ギターを使用したロック的なサウンドの要素を大胆に導入している点が、このセカンド・ミニ・アルバム/“NOLZA”の特徴でもある。そして、そうした傾向が最も顕著に表れていたのが、この“Ugly”という楽曲であった。そのハードなロック・サウンドの開放感は、楽曲に込められているディープなメッセージのエクスプレッションやサビのパートでの情感のほとばしりに、さらなる力強さと説得力を与えているのである。
日本での本格的なデビューにおいても成功をおさめた2NE1には、この後には遂に全米デビューの予定が控えているようである。ザ・ブラック・アイド・ピーズ(The Black Eyed Peas)のウィル・アイ・アム(will.i.am)が、相当に2NE1の才能に惚れ込んでいることは、かねてよりよく知られている。全米進出の際にはウィルが強力な後ろ盾になることは、もはや確約済みでもあるようだ。2NE1の四人を軸にYGファミリーとBEPファミリーのヘヴィ・ウェイトなコラボレーションが展開されるのであろうか。実に楽しみだ。もしかすると、このままの勢いで本当に世界制覇してしまうのではなかろうか。そんな風に思えるだけの何かが、この四人にはある。いわゆる、生まれつき何かをもっているという、あれである。

(続く)

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