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zoom RSS 2011, Back To Black IV - ii

<<   作成日時 : 2011/07/15 03:00   >>

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2011, Back To Black

IV - ii

オート・モッドは、元マリア023(Maria 023)のヴォーカリストであったジュネによって、80年6月にオートマティック・モッド(Automatic Mod)として結成された(翌月に行われたデビュー・ライヴの際には、すでにオート・モッドと名乗っている)。
画像ちょうど、70年代後半に盛り上がりをみせた東京ロッカーズの動きも次第に沈静化しつつある中、その停滞を打ち破る80年代的な新しい動きが、まさに胎動し始めていた時期であった。東京のライヴハウス・シーンでは、次々と登場した若きテクノ・ポップ・バンドたちが、けたたましく電子音を鳴り響かせ、新時代と新世代の動きを形成していた。
一方、パンク系のバンドは、よりハードでアグレッシヴなサウンドを身につけ、よりシリアスなメッセージをシャウトし、よりアンダーグラウンドな方向へと、その根を深く広げてゆくようになる。極めて過激なパフォーマンスでセンセーショナルな話題を振りまいたザ・スターリン(The Stalin)や、ジャパニーズ・ハードコア・パンクの代名詞的存在であるギズム(G.I.S.M.)が、その活動を開始したのも、この80年のことである。
ようやく本格化してきたインディペンデントなシーンのあちこちで、若くフレッシュでオルタナティヴな音楽が少しずつ芽吹き始める中に、オート・モッドも誕生したのである。

暫く滞在したロンドンでポスト・パンクとニュー・ウェイヴな時代の空気を吸収し、日本に戻ってきたばかりであったジュネもまた、新たなパンク・バンドのサウンドを模索し、それをオート・モッドにおいて具現化させようとしていた。だが、現地のニュー・ウェイヴ・シーンでは当たり前のようになされていた様々な実験的な試みも、ようやく新たな時代の扉を開けたばかりの東京では、キワモノ的な扱いをされることもしばしばであったようである。
ジュネのエキセントリックなステージ・アクションと、演劇的な要素を盛り込んだライヴの構成、そして映像や小道具の使用など、そのライヴでは常に斬新な実験が試みられていた。しかし、そうした音楽面に対するプラス・アルファの部分で魅せるためには、まずは肝心のバンドのサウンドの基礎をしっかりと構築しておくことが、とりあえずの大前提ではあった。だが、当時のオート・モッドは、なかなかバンドのメンバーが固定されず、サウンド面での安定には程遠い状態にあったのが、その実態であったのだ。
そんな苦しい状況への苛立ちを抑え切れずに、ジュネが一時的にバンドから脱退するなど、初期のオート・モッドは解散や分裂と隣り合わせの、かなり重度の困難を抱え込んだ形での活動を余儀なくされていた。

画像そんな中でも、地引雄一によって新たに設立されたインディ・レーベル、Telegraph Recordsより81年4月にシングル“Love Generation”を発表し、レコード・デビューを果たしたオート・モッドは、このレーベルから何とかコンスタントに計三枚のシングルをリリースしてゆくことになる。
そして、82年には、ベースの渡邉貢(後にパーソンズ(Personz)にも加入)、ギターの布袋寅泰(ボウイ(BOØWY)との掛け持ち)、ドラムスの高橋まこと(布袋と同じくボウイとの掛け持ち)が、相次いでバンドに参加(渡邉のみが正式メンバー扱い)し、オート・モッドのバンド・サウンドと音楽性は、急激に格段の向上を見せてゆくことになる。

強力なサポートのメンバーを得て、華麗に復活を遂げたジュネとオート・モッドは、その脅威の上り調子の真っただ中にあった83年5月に、あの古典的名作“東京Rockers”を生んだ伝説のライヴハウス、新宿ロフトにおいて、ファースト・アルバムのライヴ・レコーディングを敢行する。
画像そして、完成したのが、歴史的な名盤と名高い“Requiem”である。このアルバムは、83年の8月にTelegraph Recordsよりリリースされた。まさに、オート・モッドならではの艶かしさをもったサウンドが、異様に生々しい質感を伴って躍動し、じっとりと染み入ってくる、異空間と化した新宿ロフトのステージを追体験させるかのような、「ストリート・シーンの核心に迫る」一枚であった。
個人的にも、これを初めて聴いた時は、相当にぶっ飛ばされた。とにかく、日常的な常識が何ひとつとして全く常識でなくなる程に、あらゆるものグチャグチャに撹拌され表現されるのが、オート・モッドが構築する世界観であった。そして、極めて独特な語り口をもつジュネの歌が、善と悪、美と醜、真と偽、貴と賤、光と闇、聖と俗といった、固定化されていたはずの価値観そのものを根底から思いきり揺さぶってくるのである。それは、あまりにも妖しく危険な魅力を放つアルバムであった。この作品が、どんなパンク・バンドが喚き散らしていたメッセージよりも衝撃的に響いたことは言うまでもない。
また、日本のロック界を代表する腕利きのプレイヤーたちによる、キレのあるタイトな演奏も、もちろんこのアルバムの聴きどころである。特に、鮮やかな手さばきで直感的にフレーズを繰り出す布袋の卓越したギター・ワークは、本当に凄まじいとしか言いようがない。

そして、83年の末には、シリーズ・ギグ「時の葬列」がスタートする。これは、第十三夜でのオート・モッドの解散を前提に、共鳴する周囲のバンド群をも巻き込んで展開されてゆく、実に大胆極まりない活動企画であった。
ファースト・アルバムをリリースした直後に、いきなり解散に向けて走り出すとは、既成の価値観の転換を歌うオート・モッドらしいといえばらしい。だが、この刻々と残された時間が少なくなってゆく活動が、逆に異様な緊迫感を生み出していった部分は、確実にあった。「時の葬列」は、次第に演る側にも見る側にも独特な真剣さをもたらしてゆくものとなってゆく。
ただ、実際の問題としては、ジュネ以外は他にメインで活動するバンドをもつサポート・メンバー的な扱いであったため、なかなか長く継続した形で活動してゆくことは難しいという側面もあったのであろう。ならば、最初から活動期間を限定し、自らの手でオート・モッドに対して華麗にケリをつけてしまうほうが潔い。そのために用意された舞台が、この「時の葬列」であったのだ。
そして、このコンセプチュアルなシリーズ・ギグが進行してゆく中で、次第にオート・モッドは、東京のポジティヴ・パンク〜ゴス(ゴシック)・ロックのムーヴメントの中心的な存在となってゆく。
当時のロンドンでは、スペシメン(Specimen)が主催するアンダーグラウンドなクラブ・イヴェント、Bat Caveが、大きな盛り上がりを見せており、その周辺で活動するエイリアン・セックス・フィーンド(Alien Sex Fiend)やサザン・デス・カルト(Southern Death Cult)、セックス・ギャング・チルドレン(Sex Gang Children)、ザ・ヴァージン・プルーンズ(The Virgin Prunes)、クリスチャン・デス(Christian Death)などの白塗りで黒尽くめの衣装の一群による、一大ゴシック・ロック・ムーヴメントが形成されつつあった。
期せずして「時の葬列」は、こうしたロンドンの動きに対し同時代的に呼応するものともなっていたのである。まさに、この時期にオート・モッドやマダム・エドワルダ(Madame Edwarda)を軸にして、日本におけるゴス・シーン黎明期の幕が開かれたのだ(そして、驚くべきことに、今もなおオート・モッドとマダム・エドワルダはその中心にいる)。

また、84年には、Telegraph Recordsの傘下にオート・モッドが主宰するレーベル、Wechselbalgが設立されている。このレーベルからは、「時の葬列」の放つ強烈な引力に引き寄せられ、その動きの一角を担うようになっていった、G-シュミット(G-Schmitt)、サディ・サッズ(Sadie Sads)、ソドム(Sodom)、ニウバイル(Nubile)といった周辺のバンドの作品が、積極的にリリースされてゆくようになる。

そして、東京の地下音楽シーンにおいても黒尽くめな一群が蠢くポジティヴ・パンクの動きが顕在化しつつある中で、遂に解散を間近に控えた運命の85年が幕を開ける。
画像1月、セカンド・アルバム“Deathtopia”をリリース。アポロン系列のSMSより発表された本作は、一応形式的にはオート・モッドのメジャー・デビュー盤となる。棺桶に寄り添う妖し気な人影が茂みの奥に潜んでいるジャケットも、インタールード的な楽曲とともに朗読劇や寸劇が曲間に挟まれる実験的な内容も、あまりメジャーらしくない一枚なのだが、形式にとらわれずに自らのやり方を貫くところこそは、まあこのバンドらしさともいえるであろう。
デストピアとは、死のユートピア。つまり、死の理想郷、もしくは死の楽園のことである。光なき生の終着点である死を、最高の輝きを放つものとして捉えなおす、まさに大逆転の発想といえるだろう。オート・モッドは、その闇が光となる、全てが転倒した止めどなき混沌のただ中でロックする。
この作品のレコーディングに参加しているのは、ジュネ、布袋、渡邉の三人のみ。オート・モッドというバンドでの作品というよりも、オート・モッドというユニットでのスタジオでの実験作品といった色合いの強いサウンドが、全編に渡って展開されている。
輪郭のはっきりとしたエレクトリックなビートを軸とするタイトなリズムに、シャープで澄み切った音色のギターが絡み、そこに逆しまの楽園への水先案内人を演ずるトリックスター的な妖しいヴォーカルがのる。
全体的な印象としては、作品の音作りの大半を手がけた布袋の才気が、やはり大いに光る。硬質なビートによるマシーナリーな響きをもったインダストリアル・ロックのハシリのようなサウンドは、後に布袋が自らプロデュースするサウンドの原点ともいえそうだ。85年の段階で、これほど高いレヴェルで極めて斬新な音作りを行っていた日本のロック作品があったことは、まさに驚きである。やはり、オート・モッドは、常に少しばかり時代の先を行き過ぎていたということなのであろう。
ちなみに、ボウイとの掛け持ちであったふたりの脱退が正式に決定したために、布袋が関わったオート・モッドの作品は、これが最後になる。オート・モッドのサポート・メンバーとして活動した約2年間に、この類い稀なる才能は、二枚の素晴らしいアルバムという形で、日本のロック史に残る偉大な足跡を残した。
まあ、実際のところは、オート・モッド以外の布袋の作品については、あまりよく知らないので、特に他と比較はできないのだが。個人的には、この時期にオート・モッドのサポート・メンバーとして何の制約もなく自由に凄まじいまでの煌めきをみせつけた作品こそが、布袋のベスト・ワークであろうと確信をしている。

画像セカンド・アルバムの発表から半年後の7月には、早くも新しいアルバムが登場することになる。それが、バンドとして、より音楽面での実験を果敢に繰り広げた“Eestania”である。リリースは、前作に引き続きSMSより。
この作品のレコーディングに参加しているのは、ジュネと渡邉の固定メンバーに、ギターの友森昭一(後にレベッカ(Rebecca)などに参加)、キーボードの朝本浩文(後にRam Jam Worldとして活躍)、ドラムスに浜一輝、サックスに河野利昭という面々を加えた、「時の葬列」の最終夜に向けての機動力と即戦力を重視した、オート・モッド史上で最もバンドらしいバランスと均整がとれたライン・アップ。
この“Eestania”においては、完全に捩じれきったグラマラスなポップ感覚と、民族音楽/古典音楽/儀礼音楽などの要素を導入した実験サウンドを合体させた、かなりオルタナティヴなロックが展開される。ここで非常に大きな役割を果たしているのが、ゲストの藤井将登によるタブラの演奏である。ひとつのバンドとしての音楽的な深みという観点から見るならば、この作品が、80年代のオート・モッドにおける最高到達点といえるであろう。あまりにも斬新で前衛的な音要素の組み合わせと編集感覚によって、ちょっと尋常ではないレヴェルにまで突き抜けてしまっている楽曲が、ちらほらと見受けられるのが、この“Eestania”の最大の醍醐味である。
また、この作品のテーマとなっているイースタニアとは、「時の葬列」の行き着く先で自らを葬るオート・モッドによって、そこで新たに建国されることとなる王国(死の楽園=死後の王国=逆しまなるユートピア)の名称である。オート・モッドの活動初期から様々な形で歌われてきた、既成の価値観の転換。その現実の世界を形作るものの徹底的な破壊と、犠牲の死の果てにおいて、全てが無に帰すのでない限りは、新たな価値の尺度をもった世界が打ち立てられることになるはず。そうした、ひとつの高みに至るまでオート・モッドが描き出すヴィジョンは、このアルバムにおいて凝縮され研ぎ澄まされてきている。
ただし、これらが全て、自らの死(バンドの解散に伴うオート・モッドの完全なる消滅)を前提としているところに、このメッセージのはらむ最大のユニークさがある。イースタニアの建国の夢と幻想を、今はなき王の葬列を見送った後に残される選ばれし民の手に託そうというのである。そして、これまで地下の世界で蠢いていた者たちは、その伝説の物語のうちに、自らが主役となる新たな楽園/王国/ユートピアの夢を見る。伝説に突き動かされた夢想の力が作用するとき、ひとつの大きな転換の時を迎えた世界は、新たに生まれ変わるための儀式の舞台となる。
その生まれ変わりのための象徴的な儀式が執り行われるのが、つまり「時の葬列」の第十三夜なのである。そこでは、ひとりの偉大な王が死に、ひとつの幻想の王国が生まれる。

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