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<<   作成日時 : 2010/12/20 04:00   >>

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Wacky Southern Current: Like The Wind Within The Hollow Tree
No Source Netlabel NS021

画像 ワッキー・サザン・カレント(Wacky Southern Current)の新作。非常に質の高いポストロックを展開していた、Petcordからのリリース作品“Ageless Calm In Times Of War”が、直近の前作であったとすると、約2年ぶりの新作ということになるだろうか。この新作は、なんとマサチューセッツ州ボストンに拠点を置くネットレーベル、No-Sourceからのリリースされている。リリース日は、10年12月6日。
 ワッキー・サザン・カレント(以下、WSC)は、イタリアのマルコ・チェルヴェリン(Marco Cervellin)によるソロ・プロジェクトである。そのサウンドの特徴は、ギター中心の実験アンビエント的なインスト・ポストロックである。チェルヴェリンは、イタリアの片田舎の、豊かな自然に囲まれた環境で、そのホンワカとしたやわらかい牧歌的なサウンドをクリエイトしている。おそらく田舎の農家か民家を改造したものであろう素朴なホーム・スタジオでのWSCのレコーディングには、チェルヴェリンの友人である、ギタリストのジャンニ・ガルボ(Gianni Garbo)や、ヴァイオリンとヴィオラを演奏するミルコ・ミキエレット(Mirco Michieletto)が、ゲストとして参加している。
 ただ、WSCとしての作品は約2年ぶりとなるチェルヴェリンであるのだが、この間には、エクスペリメンタル・ミュージックやアンビエント〜エレクトロアコースティック・サウンド専門のネットレーベル、Petcordより、シンフリクト(Synflict)としての作品をリリースしている。シンフリクトは、チェルヴェリンと、自らもノードペット(Nodepet)というソロ・プロジェクトで音楽活動を行っているオリヴァー・ウィッチマン(Olliver Wichmann)によって結成されたユニットである。
 この両者のコラボレーションは、最初の段階では、WSCがPetcordより発表した“Ageless Calm In Times Of War”のジャケットのデザインを行うことを目的に開始された。そして、その後も、シンフリクトの活動は、主としてPetcordのリリース作品のカヴァー・デザインをすることを中心に、継続して進められてゆく。
 しかしながら、このふたりの旺盛なクリエイティヴィティは、やはりデザイン作業だけに止まることはなかった。シンクリフトは、音の分野にも進出してゆくことになる。そして、その音楽的コラボレーションが、ひとつの作品として結実したものが、Petcordよりリリースされた“Prismatine”であった。これは、澄み切った電子音によって構成される、実験的なアンビエント作品となっていた。ただ、どちらかというと、ノードペットでアンビエント・エレクトロニカ系の音を指向しているウィッチマン色の強い作品でもあった。リリース日は、09年11月29日。
 当初、シンクリフトは、“Prismatine”の続編となる作品のリリースを予定していた。そして、この音楽プロジェクトとしての制作作業も、カヴァー・デザインの作業と並行して着実に進められていたようである。だが、結局のところ、予定通りに“Prismatine II”が、完成に至ることはなかったのだ。その後、チェルヴェリンは、10年夏にシンクリフトから正式に脱退する。現在、シンクリフトは、ウィッチマンのソロ・プロジェクトとして、Petcordのリリース作品のカヴァー・デザインの制作を中心に活動を続けている。
 WSCとしてのPetcordからの初リリース作品の制作段階から開始された、シンクリフトの一員としてのデザインと音楽の両面での約2年に及ぶ活動にピリオドが打たれたことにより、再びチェルヴェリンは自らのソロでの活動に集中して取り組んでゆくようになった。おそらく、このシンクリフトを脱退した10年の夏以降に、再びWSCでの本格的な創作活動が再開されたのではなかろうか。やはり、チェルヴェリンにとって、ひとりきりになった時に戻ってゆく場所にして、その音楽活動の最も基盤となる場所は、WSCであったのだ。その傍らには、常にWSCの活動を温かくサポートしてくれる友人たちもいる。全ては何も変わらずに放蕩息子の帰宅を待ち続けていてくれたのである。
 そうしたシンクリフトを巡る経緯によるものなのか、約2年という少々長めのインターヴァルを置いて登場したWSCの新作は、これまでの活動の拠点であったPetcordからのリリースではなくなっている。やはり、これまで通りにPetcordから、ウィッチマン(シンクリフト)のカヴァー・デザインで新作をリリースするのは、ちょっとばかしバツが悪かったのかも知れない。新たな活動の場を求めていたチェルヴェリンの視線は、イタリアから西方へと向かい、アメリカ東海岸のボストンへと流れ着いたようだ。
 No-Sourceは、09年にマサチューセッツ州ボストンに設立された新興のネットレーベルである。創設者は、ティム・ドワイアー(Tim Dwyer)。ドワイアーは、自らもオフ・ランド(Off Land)やフル・ソース(Full-Source)といったソロ・ユニットで音楽活動を行い、様々なネットレーベルより作品を発表してきたアーティストでもある。No-Sourceのリリースは、インディトロニカ/フォークトロニカなど、ローファイでエクスペリメンタルなフォーク〜ポップ〜ロック系のサウンドを中心に、ネットレーベル・シーンに棲息する世界各地のアーティストたちの作品を軸にして展開されている。
 09年9月28日に発表された記念すべき第一弾リリースのコンピレーション・アルバム“Hey You, Choose Your Own Adventure”から数えて、このWSCの新作“Like The Wind Within The Hollow Tree”は、早くもNo-Sourceにとって21作目のリリースとなる。まだ約1年あまりしか歴史のないレーベルであるが、これはなかなかのリリース量といえるだろう。No-Sourceは、設立以来、精力的にコンスタントなリリース活動を続ける、かなりの優良ネットレーベルなのである。
 これは、レーベル・オウナーのドワイアーが、多くのデモ作品を受け入れ、常に全世界のネットレーベル・シーンの動向に目を配り、真摯なレーベル運営を心がけているいることの賜物でもあるのだろう。そして、この度、遂にチェルヴェリンのWSCが、栄えあるNo-Sourceのロスターのリストに名を連ねることとなった。どちらも最初期の段階から注目してきた身としては、こうして両者の活動がリンクすることは、何やらとても嬉しいことである。
 “Like The Wind Within The Hollow Tree”は、全7曲を収録した作品である。作品全体の長さは、約30分。平均して3分から4分程度の、素朴でシンプルな楽曲が並んでいる。コンパクトにキッチリとまとまった、非常に統一感のある作品集に仕上がっている。曲数は7曲と少なくはないが、全体的な感じとしては、ミニ・アルバムと呼べる程度のヴォリューム感であろうか。フル・アルバムというほどに大上段に構えた重々しさは感じられない。すんなりと気楽に聴けるような佇まいが、この作品には確実にある。実際に、最初から最後まで通して聴いても、あまり約30分もあるようには感じられなかったりするのである。この全7曲は、そよ風のようにフッと立ち現れ、知らぬ間にスッと吹き抜けていってしまう。
 前作の“Ageless Calm In Times Of War”も、やはり全5曲で約22分というミニ・アルバム的な形式をもった一作であった。ただ、全体的な印象としては、そよ風を思わせるような自然な素朴さよりも、穏やかなポストロック的アンサンブルで表現された片田舎の情景の素朴さのほうが、より前面に出ていたように思われる。約2年間のインターヴァルを挟んで、WSCのサウンドからは、さらにギリギリのところまでロック的な要素が削ぎ落とされていったようにも感じられる。これは、チェルヴェリンの音楽が、日々を過ごすイタリアの片田舎の素朴な大自然の中に、より深く溶け込み、そよ風や小川のせせらぎの音などと一体化しつつあるということの表れであるのかも知れない。
 空洞になった樹木の穴の内側を吹き抜ける風のように。森の中の古い大きな木の幹に、ぽっかりと大きな空洞が口を開けていることがある。こうした空洞は、多くの場合、森に棲む小動物や鳥類の棲み家として利用されていたりする。また、昔話の「瘤とり爺さん」では、森に棲む鬼たちに見つからぬように瘤つきの翁が身を隠すのが、大木の幹に空いた穴であった。このように、木にできた空洞は、大いなる自然の暴力的な力が支配する森の中で、小さな生者が危険から身を護ることのできる、唯一の安全な場所でもあるのだ。そして、そのような空洞は、洞窟などと同様に、太古から子宮のメタファーでもある。その内部にいれば、決して危害が及ばない場所。この場合、空洞は、木の幹の穴でありながら自然界からは切り離され、死から生、生から死への再生の場としての聖なる意味をももつことになる。
 こうした木の幹の穴は、自然界の様々な要因によって形作られる。まず、木の皮や幹を食し、その樹液をすする寄生虫や昆虫、もしくはそれらの生物を捕獲する動物や鳥などの森の生物によって空けられてしまう穴がある。さらに、バクテリアやカビ、もしくは伝染病などの樹木の病気によって、木の幹が空洞化してしまうケースもある。そして、雨、落雷、熱波、山火事といった、過酷な気候・天候や環境が影響して、木の幹に空洞ができてしまうこともあるのだ。こうした要因のうちには、どうやら風の影響ということも考えうるようである。樹々の間を吹き抜けてゆく風が、乾いた木の幹に吹き付け、文字通りにそこに風穴を空ける形で、気が遠くなるほどに長い時間をかけて空洞を作ってゆく。
 つまり、この“Like The Wind Within The Hollow Tree”というタイトルは、WSCのやわらかなサウンドが、森に吹く穏やかな風となって、ただただひたすらに吹き付け続けることによって、いつしか木の幹に風穴を空けて空洞を作るということを、広義には意味しているのかも知れない。そして、その空洞は、森という自然界のあらゆる生と死の危機から隔絶された、穏やかな風に包まれた最も安全で平穏な隠れ家となるのである。
 そんな森を吹き抜ける風を思わせる新作ミニ・アルバムは、静かに“I Took A Journey”で幕を開ける。まず、旅についてのあれこれが、静かに語られる。そっと爪弾かれる、ギターの弦の響き。やわらかな熱と光が満ちてゆく中で、ギターがギターに呼応する。ゆったりとしたリズムは、これまでの長い旅路を回顧するかのように、淡々と歩みを進める。樹々の梢の合間で舞い踊る風。繊細なギターのアルペジオが、木漏れ日の中で優しく煌めいている。
 2曲目は、“Robinia”。ハリエンジュ。澄んだ空気を想わせるピアノの音色。揺らめくギターのささやかなフレーズ。木立の中でひっそりと咲いている、ニセアカシア。ピアノとギター絡みが、落ち着いたビートにのって、穏やかな風を運んでくる。明るい陽の光の下で、白い小さな花が、そよぐ風に微かに揺れている。
 3曲目は、“Painted Leaf”。季節は巡り、森に秋が訪れる。静かにゆっくりと降り注ぐ光。全てが、穏やかに漂い、息をひそめている。ただ、風だけが、黄金色の森を愛でるように吹いている。ギターとヴァイオリンの弦の響きが、ひっそりと語り合う。まるで、風に吹かれてクルクルと舞い落ちる、色づいた木の葉たちのように。
 4曲目は、“This Summer”。遥か遠くに過ぎ去ってしまった夏の日を想う。美しいギターの楽音のレイヤードに、そっとピアノが寄り添う。ひんやりと澄んだ空気の向こう側に、一瞬だけ、あの日の鮮やかな色彩が目に蘇る。だが、穏やかにたゆたうリズムは、しっとりとした秋の風に乗って、ただただ淡々と刻まれている。そこに、あの熱が戻ってくることは、もう二度とないかのように。
 5曲目は、“Unterkircher”。なだらかにうねる透明感のある音のアンビエンスが、森の木立の中に霧のように立ちこめる。やがて静かに孤独なギターが、ポツリポツリと語り出す。独白は、いつしか内面での対話となり、どこからともなくヴァイオリンまでもが現れて、その世界の奥行きを広げてゆく。樹々の合間を吹き抜ける、穏やかな風が、森に語りかけて廻る。風と風が、寄り添い静かに言葉を交わす。深い森の奥の、誰にも聞かれることのない、静かな語らい。
 6曲目は、“Ghost Pine Sonata”。物悲し気なピアノとギターの静かな歩みに、メランコリックにヴァイオリンが絡む。森の片隅に孤独に立つ、年老いた松の木。ゆるやかに風は止み、やがて陽の光が射し、あたたかな空気が、あたり一面を包む。そこに亡霊のように浮かび上がってくる、ひとつの影。欧州のトラッド・フォークの流れを汲む、叙情的なサウンドを、コンパクトな反復の中に凝縮させた小品。
 7曲目は、“Encore”。穏やかな語らいのエピローグ。アコースティックなギターの弦の響きが、まろやかなアンビエンスを形成する。その煌めき零れ落ちるサウンドを、低い位置で流れ続けるヴィオラが、そっと受け止める。そして、長い旅路の果てに辿り着いた風だけが、静かにいつまでも森の中にそよいでいる。
 “Like The Wind Within The Hollow Tree”は、ゆったりとしたテンポの、とても穏やかな楽曲によって構成された作品集である。そのサウンドが、昂り、白熱することは決してない。森の中の自然界の調和を崩さぬように、いずれの楽音も調和を乱すことはない。ゆったりと爪弾かれるギターは、ゆるやかな弧を描きながら旋回し、反復しつつ、まろやかなフレーズを前進させてゆく。そこを基点として、ミニマリスティックでメロウな、風と光が織りなす美しいサウンドスケープが、重層的にゆっくりと立ち現れてくる。どこまでも穏やかで、どこまでも静やかな音が、澄み切った空間に満ちてゆく。
 また、WSCの微かに響き満ちるサウンドにおいては、エレクトロニックとアコースティックも、実に細やかな調和をみせている。全ては、森や風といった自然が黙示する、空気の密度や光の量などが定めるバランスを掻き乱さぬように、とても美しく鳴る。一本一本の弦の響きから、ジンワリと広がってゆく、まろやかなサウンドのアンビエンス。その一音一音が形成してゆく、はかなくも豊かな音の世界。微かな振動までもが漏らさずに捕らえられ、煌めく音の粒子は、樹々の狭間に漂うように響き続けるのである。
 全編に森と自然の静けさが漂う本作においては、そうしたチェルヴェリンのささやかな音の響きに対する強い拘りを随所に感じ取ることができる。チェルヴェリンは、音を鳴らすということに非常に意識的なミュージシャンである。微かなギターの弦の響きの揺らぎが、様々なものの微細な動きを細かに描写してゆく。ギリギリまで絞り込まれた音の全てが、情景を彩るための重要な役割を果たしているのだ。
 アコースティック系やローファイ・フォークなどの作品を手がけながらも、やはり全体的にはエレクトロニカ色の強い印象があるNo-Source。しかしながら、WSCのエクスペリメンタルかつミニマルなポストロック・サウンドは、そんなレーベルのリリースの中にあっても、全くといってよいほど違和感を感じさせることはない。その自然派の穏やかなサウンドには、No-Sourceのサウンドの傾向と、絶妙に共振している部分があるようにも思われる。
 いろいろあって、かつての活動の拠点であったPetcordを離れることになってしまったチェルヴェリンであるが、もしかすると限りなくベストな、新たな所属先となるレーベルを選択したといえるのかも知れない。しっかりとしたレーベルとしての色をもち、丁寧に間違いのない作品のリリースを続けているNo-Sourceは、現在のネットレーベル・シーンにおける最も良質なレーベルのひとつである。今後もここを活動拠点としてリリースを重ねてゆくことは、真摯に音と音響を追求し続けるWSCにとっても最も好ましいことなのではなかろうか。個人的にも、この両者、かなりよい取り合わせであると確信している。
 ただし、気になる点が、実はひとつだけある、ギター、ピアノ、ドラム、ベース、エレクトロニクスを担当するマルチ・イストゥルメンタリストのチェルヴェリンは、WSCというプロジェクトの名実ともに中核をなす存在である。まさに、WSCの音世界を創造する存在だ。だが、これは本当に、どこまでもチェルヴェリンのソロ・プロジェクトといえるものなのであろうか。ガルボとミキエレットという、ほぼパーマネントな形での参加となりつつあるゲスト・プレイヤーたちの演奏も、ささやかではあるが、作品世界への貢献度は非常に大きい。これはもう、もはやこのトリオでのユニットといっても、おかしくはないようにも思えるのである。そういった部分で、WSCの今後のプロダクションの方向性や表現の形態に関して、何やら気になる要素は多少ある。
 とりあえず、次作は、2年もの長いインターヴァルを置かずに制作されリリースされることを願いたい。できれば、本作に引き続いて、No-Sourceから。そこでは、きっと、より静謐に深まった美しい響きをもつポストロック〜アンビエント作品となった本作を、さらに深化させた音世界に遭遇することができるだろう。ただひたすらにそよぎ続ける風が、いつか硬い木の幹に風穴を空ける。この美しい音楽的な流れのままにWSCが、その素朴でメロウな風のようなサウンドを、どこまでも磨き続けてゆくことを、静かに心から期待したいところである。(10年)

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