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<<   作成日時 : 2010/10/10 04:00   >>

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モモヨ: 百夜独演音曲集
Super Fuji Disc FJSP-104

画像 この作品は、85年秋から86年春にかけて3枚の7インチ・シングルの連作という形式で発表された、「百夜独演音曲集」と題されたシリーズ作品を一枚のアルバムにまとめたものである。オリジナル盤のリリースから25年の時を経て、新たにリマスタリングが施され、三部作を集成した完全版としてのアルバム化が、遂に実現されたのだ。リリース日は、10年9月8日。現在、Super Fuji Discが展開している、80年代前半に多くの名盤を世に送り出した名門インディ・レーベル、テレグラフ・レコードの再発シリーズ、テレグラフ・コレクションの6番としてリリースされた。(※)厳密には、「百夜独演音曲集」の7インチ・シングルは、このシリーズ作品のリリースのため(だけ?)にテレグラフ・レコードの傘下に開設された、Tea-Ceremony Recordsより発表されている。
 今回の再リリースのためのリマスタリング作業を行ったのは、菅原保雄。クレジットの表記は、よく知られた菅原庸介とは異なっているものの、これは紛れもなくモモヨ当人である。オリジナルの音源をレコーディングした本人が、そのリマスタリングも手がけるのは、やはりベストな選択だといえるだろう。その人物が、サウンド・エンジニアリングの確かな技術をもっているならば、の話だが。その点、70年代末より音楽プロデューサーとしても活躍し、自宅にスタジオ設備をもつ音のスペシャリストであるモモヨであれば、全くといってよいほど問題はない。第三者では至難の業となると思われる、25年以上も昔に録音された作品の、マスター・テープの奥に埋もれてしまっている音の発掘が、制作者本人の手によって行われたことは、誠に喜ばしいことである。そして、そんな気が遠くなるような年月を隔てながらも、モモヨが、この作品を最後の最後まで自らの手で仕上げたことは、非常に大きな意味をもつことであるようにも思われるのである。(※)マスタリングのクレジットは、モモヨの本名がそのまま使用されている。これは制作や創作を行う際の名義とは、明確に線引きがなされているということなのであろう。プロのスタジオ技術者として、このリマスタリング作業に臨んだ心構えのようなものが、このクレジットには表されているのではなかろうか。
 おそらくは、あまり詳しく説明する必要はないと思われるが、この作品集を発表したモモヨとは、ロック・バンド、リザード(The Lizard)のヴォーカルを務める人物のことである。形式的には、この「百夜独演音曲集」の連作シリーズが、これまでにモモヨが発表した、唯一のソロ作品となる。リザードは、70年代末から80年代初頭にかけて大きな盛り上がりを見せた東京ロッカーズのムーヴメントを、フリクション(Friction)とともに牽引した、シーンの中心的なグループであり、ライヴハウス・シーン/アンダーグラウンド・シーンから登場した日本のパンク・バンドの草分け的存在でもある。
 79年には、UKパンクの急先鋒として“No More Heroes”のメッセージとともに当時日本でも絶大なる人気を誇っていたザ・ストラングラーズ(The Stranglers)のベーシスト、ジャン=ジャック・バーネル(Jean-Jacques Burnel)をプロデューサーに迎えて、ロンドン録音が敢行されたアルバム“リザード”をキング・レコード(製作・流通のみ。原盤権は、インディのChange 2000が保有)よりリリースしている。(※)昭和初期に講談社のレコード部として創設されたキング・レコードは、第二次世界大戦中の43年(昭和18年)には英語での表記を廃止し、富士音盤と改称している。これが、本作を含むリザード関連の再発を行っているSuper Fuji Discと、かなり名称的にリンクしたものであるということは、たぶん偶然の一致なのだろう。だがしかし、運命の悪戯とは、全くもって奇なものである。
 日本のパンク・ロックの輝かしい曙光として、それを外国文化の単なる物真似や猿真似ではない、ひとつの音楽スタイルとして構築してゆくことに意識的であったリザードは、間違いなく日本のロック史にその名を残す伝説的なロック・バンドである(正確には生ける伝説か)。そして、その伝説のバンドの紛れもない中心人物であったモモヨは、新しい世代の日本のロック/オルタナティヴ・ロック/インディ・シーンが輩出した最大のカリスマでもあった。80年代初頭にテレグラフ・レコードより発表されたオート・モッド(Auto-Mod)の初期の楽曲のタイトルを捩るならば、まさに日本における最初で最後のオリジナル・パンク・ヒーロー(あらかじめ徒花として散ることを宿命づけられていた)であったのかも知れない。
 この「百夜独演音曲集」が録音・制作された83年から85年にかけての時期、リザードは事実上の活動休止状態にあった。81年にトリオ・レコードより発表されたサード・アルバム“Gymnopedia”以降、この80年代の新しいロックの波の到来を告げる華々しい活躍ぶりをみせたパンク・バンドは、大きな時代の流れから遠離り、表立った活動の場からも次第に後退しつつあった。そして、シーンを牽引していた大きな影響力を持つ中心バンドの失速とともに、東京ロッカーズのムーヴメント(元々、意図的に仕掛けられ雪崩式に転がっていった性格の強い動きではあったが)もまた、足早に収束へと向かってゆくことになる。
 ちなみに、日本のパンク・シーンにセンセーショナルに登場したザ・スターリン(The Stalin)は、81年末にアルバム“Trash”を発表している。この時期、リザードとザ・スターリンの間の確執の噂は、様々な場面で取り上げられていた。多くの人々にとって、このふたつのバンドが旧勢力と新勢力の象徴のように思われたからであろう。だが、実際には、ザ・スターリンが、ネタの一部として一方的に噛みつく構図を作り出し、それを巧みに利用していただけのような気もする。しかし、時代の流れは、パンクはハードコアに、シーンの形は東京ロッカーズのように限定的ではない、よりぼんやりとして実体を掴みづらいインディーズのムーヴメントへと、この時期を分水嶺として変節してゆくことになる。(※)NHKで『インディーズの襲来』が放映されるのは、85年8月8日のこと。しかし、それに先立つこと半年、85年2月21日に調布大映撮影所で行われたラスト・ライヴをもって、ザ・スターリンは解散している。そして、さらにインディーズ・ブームの主役の座は、ラフィン・ノーズ(Laughin' Nose)やザ・ウィラード(The Willard)へと移ってゆく。
 ここに収録されている3枚の7インチ・シングルの音源は、モモヨの自宅において、ほぼひとりで録音されたものである(いくつかの楽曲に、最後まで残ったもうひとりのリザード、ワカ(若林一彦)がベースで参加している)。歌も演奏も独演された、文字通りのソロ作品。初期リザードのアルバム三部作以降の数年間に構想された新たな音楽の方向性が、斬新な手法や方法を交えて展開された、とても実験的なシリーズ作品だ。逆に考えると、かつてあれほどまでに暴れ回ったリザードが沈黙し、緩やかな下降期を迎えていた時期だからこそ可能となった作品集であるともいえそうだ。この当時、80年代半ばのモモヨは、まさに深く沈潜し思索する人であった。そこで蓄積され練り上げられた音楽や言葉についてのアイディアが、この連作プロジェクトにおいて、ひとつの問いへの答えとして具現化されているのである。
 そうしたリザード沈黙期のソロ活動を通じて得られた成果を受け、80年代後半にはDIWより新生リザードの作品がリリースされている。それが、86年のEP“The Book Of Changes”と、88年のアルバム“岩石庭園”である。これらの2作品は、この「百夜独演音曲集」において実験されていた方法や手法と明確に連なる音楽観によって貫かれたものである。そのような意味においては、極めてモモヨ色が強調されたリザード作品であったといえるだろう。ただ、渾身の力作であった“岩石庭園”は、80年代のモモヨ/リザードの活動を総括するアルバムでもあった。そして、その後の20年以上もの長きに渡り、この伝説の蜥蜴は、東都の片隅でひっそりと休眠することになるのである。
 個人的には、この80年代半ばの時期に、スーパー・ヘッド・マガジン『Doll』でモモヨが連載していた「百夜弾琴録」を、とても一生懸命になって読んだ記憶がある。まだ10代半ばの子供であったので、とても難解な文章にたじろいだりもしたが。とにかく、少しでも理解しようと思い、必死になって食い下がった。あまりよく分からなくても、子供の頭で勝手に解釈して、なんとなく分かったつもりになっていた気もする。日本の文学や詩歌の世界とパンク・ロックが、どのように結びついているのか。そうした部分にも、強く興味をそそられるものがあった。また、『Doll』の誌面には珍しく山口誓子や小林秀雄といった国文学系の人物の名前が、そこに登場していたことも、とても新鮮な文章として感じられる要因となっていたと思う。
 その連載は、常々ぼくの頭の中にあった「パンクとは何なのであろうか?」という疑問に対して、何らかのヒントや答えを与えてくれるのではないかと、直感的に思えたのである。そんな微かな期待を寄せて、必死になって読んだ。だがしかし、その文章は、やはり子供の頭にはチョットばかし難しすぎた。当時のぼくには、そこに書かれていたことを、全て理解するなんて到底不可能な話であった。まあ、それもそのはずである。それを書いている人物は、その頃すでにパンク・ロックとは完全に別の次元を歩いていたのだから。
 ただ、「百夜独演音曲集」のシリーズが、連載「百夜弾琴録」で展開されていた文章の世界との連続性や連動性を強くもつものであることは、感覚的に理解できた。その禅や能などに言及される言葉は、パンクかぶれの少年には普段あまり馴染みのないものであっただけに、逆に強烈に引っ掛かる部分があり、それが無意識のうちに反応したのかも知れない。そして、そこに、非常に濃密までに日本的な感覚をモティーフとする、和風の侘び寂びが感じられるサウンドを聴いていたような印象がある。
 しかし、あらためて今の感覚で聴き返すと、音楽的にも、音色的にも、とても80年代らしいサウンドだという印象を強く受ける。エコーやリヴァーブを利かせた音の処理も、まさに80年代の質感だ。和のテイストも確かにあるが、25年前に接した時ほど耳に妙な違和感を残すほど強く感じることはない。不思議である。だがしかし、これだけの時間的な隔たりがあれば、ある程度の感覚の変化があって当たり前だろう。あの頃のように中高生の感覚で音楽に接することは、もはや不可能な所業なのだ。今回の再発CDでシリーズ全体を通して眺めてみると、実に繊細な雰囲気をもつエレクトロニックなロック・サウンドに仕上がっていることが分かる。集団で生演奏されるバンド・サウンドとは全く異なる、決して熱くならないクールな抑制された音の手触りは、ソロ・レコーディングならではな感触であるといえよう。それだけに、薄ら寒いほどの個の世界の暗い深みを、そこに覗き込むこともできる。ここでは、そうした非ロック的な部分をもったパラドキシカルなロック・サウンドが、徹底して展開されている。
 リリースの順番通りにシリーズ第一作目となった“聖家族(事件・改題)”の音源で、本作は幕を開ける。この最初の7インチ・シングルは、70年代に書かれた古い楽曲を3曲(73年の“聖家族”とそのリプライズ、そして75年の“リサ”)を含む、全5曲(残りの“逆髪”と“事件(ブルー・バス・ブルース)”の2曲は、83年夏の作品となる)で構成されている。聖なる家族の幻影と事件が『蝉丸』を軸に巡る形で、ひとつの繰り返し廻る小宇宙をなす。その根幹に流れるのは、笑う逆髪の女(能の『蝉丸』においては琵琶の達人、蝉丸の実の姉)による「ナゼ、ワタシハ、コノマチニ、ナガレツイタノカ?」という呪いの言葉だ。そして、あのブルーなバスが走っていたのは、くすんだ工場が建ち並ぶ、見慣れたはずのマチの眩しい夕陽に照らされた川沿いの道であったことが明かされる。
 シリーズ第二作目の7インチ・シングルは“虚空遍歴(ソラメグリ)”。ここには、83年夏に録音された全5曲が収録されている。作品の中心に据えられている“マモノマチ”は、三幕からなるワルツ組曲であるため、実質的には全3曲だろうか。また、そこに登場する「遮断機とざした踏切り」というフレーズには、リザードの名曲“王国”を容易に連想させるものがある。“マモノマチ”と“王国”は、明らかに地続きなのだ。そして、この楽曲で聴けるノイジーな電子音もワカのベースも、本当に素晴らしい。明らかにそこでは何かが炸裂している。その後、“マモノマチ”の混沌は、ゆっくりと沈殿してゆき“キ・カ・イ・マ・チ”へと連なる。全てを捨て去った果てに、とっくに色褪せていたはずの懐かしいマチの景色が、ぼんやりと見えてくる。工場の錆びかけたオイルまみれの歯車は、いまも軋みながら歌っている。かつての少年の目の前に、一条の光が差し込んでくる。もう、あの白馬は降りてこない。
 シリーズのラストを飾る第三作目は“空花(石庭・改題)”。ここには、84年に録音された“FALL”と、85年の録音となる4曲(実質的には三部構成の表題曲“空花”と“ロンサム・ルシファー”の2曲)の全5曲が収録されている。この終幕においては、まず孤独なロックンロール・スター(ロンサム・ルシファー)の香しき墜落が、スピーディなビートにのせて歌われる。そして、シリーズを締めくくることになる、鎌倉時代の禅僧、道元が物した大著『正法眼蔵』において語られている「空華」を引用した、“空花”が最後の主題として登場する。空花は頭上に開き、僕は山を降りる。作品のライナーノーツにおいて、モモヨは「夢と現実は僕の内部において相反するものではない」と書いている。開いた眼に73年からの10年以上に渡る時の流れが映る。幕切れの“空花”本歌が、夢と現実が入り交じったヒストリー(ヒズ・ストーリー)にひとつの転換点をもたらす「ソノ時」が訪れたことを告げて、「百夜独演音曲集」のシリーズ三部作は閉幕となる。
 “虚空遍歴”のライナーノーツにおいて、モモヨは「この9月上旬、僕の部屋2台のテープ・レコーダーを使用して録音した」と、当時の制作環境について書き残している。おそらく、テープ・デッキとマルチトラック・レコーダ(MTR)、そして電子機材(ローランド社のTR-808、TB-303)を、さんざんぱら使い倒して、ひとつひとつのパートが録音されていったのだろう。そして、それは、やはりここにあるのが、あの時代でなくては作り出させなかった音であることをまざまざと伝えてくれる。機材の面では、個人のレヴェルで所有できる電子楽器類は、まだ市場に出始めたばかりの黎明期にあった。ユーザーの選択肢は非常に限定されていたが、その限界の中で可能な限りの最先端の音(音楽的にもサウンド的にも)の獲得が、血のにじむような試行錯誤とともに目指されていたのである。
 当時のヨーロッパやアメリカのエレクトロニック・ダンス・ミュージックが、期せずしてそうであったように、その新たな領域を模索する方向性は、実に実験的な試みであったが、そういった実験が果敢になされること自体に大きな意味もあったのだ。エレクトロニックなサウンドを導入し、生楽器の生演奏によるアンサンブルとは、全く違った地平に意図的に立つことで、眠たい70年代のサウンドとロック以降の音楽への新たな可能性を切り拓くことができると、そのフォロンティアたちは強く信じていたのである(そして、巨視的に眺めれば、現実にそうなっていった)。さらなる高みへと到達し、より遠くまで行くために。
 しかし、そうした野心的な試みには、やはり80年代ならではの失敗もつきものであった。当時のごく限られた黎明期の機材では、完全に突き抜けて、それまでの流れを完全に振り払うところまで辿り着くのは、やはりそう簡単なことではなかったのだ。そこでは、しばしばサウンド・プロダクションの理想と現実がかけ離れてしまう、如何ともし難いギャップが生じてしまっていた。
 この再発CDの解説において、モモヨは「この音曲集の果てに見つけたのは、ただのロックンロール」であり、この三部作は「あきらかな失敗作である」と書いている(後に、20年以上の年月を経て、このシリーズ作品の音がもつ独特の『軽み』と、そこにある意味を再発見することになる)。機材の面では電子楽器をプロダクションのメインに据えて、従来のロック的な形態から少なからず距離を置いてみたものの、音楽の面においては、いまだ従来のロックンロールの域を越え出るところまで行けていなかった。プロデューサーとして、イメージ通りの納得できるサウンドを生み出せなかったことに、少し落胆した部分もあったのだろう。電子楽器を使用したロックンロールの模造品では、残念ながら失敗作とするしかなかったのだ。高い理想と野望があっただけに。
 ある意味、この時期のエレクトロニック・サウンドとは、まだ長い助走路を駆けている段階でしかなかった。エレクトロニック・ミュージック/コンピューター・ミュージックが飛躍的な発展を遂げるのは、さらに時代を下って80年代末から90年代中期にかけてのことである。この当時に新しく登場したパーソナルな電子機材を使って、来るべき時代のフューチャリスチックな音楽を生み出そうとすることは、少しばかり早過ぎた挑戦であったともいえようか。ただし、それゆえに極めて独特で独創的な音が創出されてもいる。後にも先にも存在しない、この時代にしか生み出されなかった音楽が、ここにはある。
 また、様々なコンパクトな機材が出揃ってきたことで可能となった、自宅に設えた簡易スタジオにおいて、ひとりで殆ど全ての作業を行ってしまう制作スタイルは、ローファイ系の宅録アーティストのハシリと位置づけられるものであるかも知れない。(※)ちなみに、宅録の帝王、ダニエル・ジョンストン(Daniel Johnston)は、82年頃からカセット作品の発表を開始している。また、ジャンデック(Jandek)がザ・ユニッツ(The Units)としてファースト・アルバム“Ready For The House”を発表したのは、78年のことである(しかし、その作品の存在が知られるようになったのは80年代に入ってからであった)。
 そして、その作品のサウンドは、かなりクローズドで密室性の高い感触の音という特性をもっている。実際に、自宅の部屋という密室で録音されたのだから、それがそのまま表出したサウンドとなっているのも頷けるものだといえよう。初のソロ名義の作品にして、コンセプチュアルな三部作。そこには全てを完璧に掌握してコントロールしようとする、相当な気負いもあったのであろう。高い理念を掲げ、形式的にも、様式的にも、様々な新しい試みを一遍になそうとしたために、やや頭でっかちな作品になってしまったのかも知れない。ただ、いくら作者が出来上がった作品を失敗作と称そうと、その作品に対して最終的な裁定を下す権利は、当然ながら作者だけが有するものではない。聴き手の耳に、面白く意味深い音楽として響くならば、その聴き手は、この作品を失敗作と呼ぶようことは決してないはずだ。
 ローランドのリズム・マシーンがクールにビートを叩き出す中を、アーティスティックなロックンロールとオリエンタルな日本の古典的な言葉や旋律を融合させた、和洋折衷の幻惑的なサウンドが展開される「百夜独演音曲集」は、年代物のアヴァンギャルドな電子音楽として聴くこともできる(特に80年代を知らぬ若い世代とっては)だろう。これを簡単に均していうと、80年代のプログレッシヴな打ち込みロックとなるであろうか。
 そういえば、70年代のイタリアン・プログレッシヴ・ロックを代表するバンドであるゴブリン(Goblin)のキーボーディスト、クラウディオ・シモネッティ(Claudio Simonetti)も、80年代に入ると最新の電子機材を駆使して、独特のエレクトロニックなグルーヴ感をもつイタロ・ディスコ/ユーロ・ディスコのプロデューサーとして新たな音楽キャリアを開拓している。80年代前半に黎明期のエレクトロニック・サウンドに大きく舵を切ることは、新しい音・音楽に対して極めて意識的な行為であり、ある意味で70年代までの従来のロック・サウンドと決別をする、まさにニュー・ウェイヴの最先端をゆくアーティストとしてのひとつの在り方そのものであったのだともいえるのだ。
 今の感覚をもった耳には恐ろしくチープに響く部分もある、そのエレクトロニック・サウンドは、様々な技術革新を経た80年代だからこそ可能となった革新的な音でもあった。当時は、一台のシンセサイザーで、ひとつのオーケストラを演奏することも可能だと宣伝されていたのだから。実に夢のある話だ。そこに音楽の未来そのものが、目に見えそうな形で存在していたのである。それが当時の時代の空気だった。本作は、そうした80年代半ばの空気感を、とてもよく伝えてくれる作品だといえる。
 最後に、やや余談となるが、この作品を聴いていて、あらためてモモヨのヴォーカルが、オート・モッドのジュネ(Genet)のそれと非常に似通っている部分をもつことに至る所で気づかされた。声の質、スタイル、唱法、いずれも何ともいえないほどに近い。まるで兄と弟のようにも思えてくる。リザードとオート・モッドの間の浅からぬ縁を考えると、そこには、やはり運命めいたものすら感じられてしまう。そして、このふたりの強烈に個性的なヴォーカリストを中心とするふたつのバンドが、今もともに現役で活躍しているということは、ちょっとした驚きである。25年後にもリザードとオート・モッドがコンスタントにライヴを行い、新作のCDをリリースしていることを、85年当時に誰が予想できただろうか。
 この当時の感覚や心境の変化について、モモヨは『Doll』27号(85年6月号)に掲載されたインタヴュー記事において、それは「目から鱗が落ち」る経験だというようなことを語っている。そうした、ガチガチに凝り固まっている既成概念の痼りから何かしらがスルッと落ちてゆく感覚は、この作品の根底にも隠れたテーマとして流れていると考えて間違いはないであろう。現代人にとって鱗を落とさなければ見えてこないものは必ずある。夢と現実を超越した世界。空花。そして、その境地に到達するまでの、事件と虚空遍歴。忘却の河を越えてもまだ、また再びひとつの意味が明白となる。そんな迷路のようにうねる行程が、東西の文化の狭間で揺らぎつつも、一筋の光明を見出してゆく物語として、一枚の音のタペストリーに織り込まれてゆく。深い闇の中を手探りで進み、手繰り寄せた、剥き出しのエクペリメンタリズムが、全15曲の結晶となって輝いている。
 頭上に頂いた空なる花こそが、ふりそそぐ希望の光だ。鱗が落ちた目には、もはや音曲のカタチしか映らない。ゆえに、そこでカバンにつめ込んだ全てを託せるとすれば、やはり己のロックンロール/音楽というカタチで表せるものでしかなかったのだ。この作品では、そんな新しい輝ける音の境地への道筋が、独特の告白体によって綴られている。そして、その道が、現在に至るまで途切れることなく連なっていることは、09年に発表されたリザードの復活アルバム“リザード IV”に、この作品の2曲(“ブルー・バス・ブルース”と“ロンサム・ルシファー”)が新録ヴァージョンで収録されていることからも窺い知ることができるはず。モモヨのソロ三部作は、新たな蜥蜴の時代の幕開けを飾る作品でもあった。たとえ、壮大なる失敗作であったとしても(もしくは、インディ・レーベルから発表された知られざる名盤であったとしても)、この「百夜独演音曲集」が、東京ロッカーズ以降の日本のロックの歴史において非常に意義のある作品であったことに変わりはない。変わり続ける変わらぬもの、不易流行の音。そんなリザードの原点となる音が、ここにはある。(10年)

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