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<<   作成日時 : 2010/03/22 03:00   >>

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Milhaven: Milhaven
12rec 12rec.061
Valeot Records valeot #007

画像 ポスト・ロックという非常に曖昧な括りの音楽ジャンルがある。はたして、その括りの中で、音楽的な発展を押し進めてゆくことは、可能なのであろうか。括りが曖昧であるということは、そこでは、先へ進もうとするものも、留まり続けようとするものも、後ろを振り返ろうとするものも、全てが雑多に混ざり合うことになる。だが、本当の意味でのポスト・ロックであれば、それは、音楽として発展を続けるロックの歴史の終末点の先にあるはずのものであろうから、もはや、いかなる発展とも無縁なレヴェルにあるものなのではなかろうか。もしも、ポスト・ロックが、何らかの音楽的な発展の運動を試みようとするならば、それはもうポスト・ロックとして、雑多なものたちとともに括られるべきものではないだろう。ただ、現実的には、どうしようもない曖昧さゆえに、それらも曖昧な括りの中に、すんなりと絡めとられてしまうのだろうが。しかし、それは、厳密にはポスト・ロックのその向こう側へと進み出てしまっている、ポスト・ポスト・ロックとでもいうべきものなのである。
 ドイツ西部の都市、ボーフムを拠点に活動する四人組バンド、ミルへイヴン(Milhaven)は、しばしばジャーマン・ポスト・ロックの雄として紹介される。その、複数のエレクトリック・ギターが緻密に熱っぽく絡み合い、じっくりと視覚的でエモーショナルなストーリーを組み立ててゆくインストゥルメンタル・サウンドは、音楽的な系統から、テキサスのエクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイ(Explosions In The Sky)やトロントのドゥ・メイク・セイ・シンク(Do Make Say Think)などと比較されることも多い。ただし、ミルへイヴンをポスト・ロックという曖昧な括りに繋ぎ止めているのは、そうした頻繁に引き合いに出されるポスト・ロックのバンドと、サウンドの面でのいくつかの共通項があるという、非常に客観的な事実だけであるようにも思われる。エクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイのメンバーも、自らのバンドのサウンドをポスト・ロックであると考えたことは一度もないと明言している。この発言は、ポスト・ロックの括りと囲い込みが、第三者によって意識的に線引きされた、外部のみからの観照によって形作られているということを、明らかにするものである。よって、ミルへイヴンをジャーマン・ポスト・ロックの雄と位置づけるのも、非常に狭く限定的で曖昧な括りの上に立つ見方であることは間違いない。だがしかし、ミルへイヴンのサウンドが、ロックの系譜のどこに括られるかといったレヴェルの話を、ここでは一旦度外視するとしても、このバンドに、何らかの雄と呼ばれるだけの、計り知れぬ器の大きさと圧倒的な貫禄が備わっていることは、確かだ。この際、アヴァンギャルド・ロックでも、エクスペリメンタル・ロックでも、ニュー・ロックでも、何でも構わない。ミルへイヴンは、間違いなく、ある種のオルタナティヴなロック・ミュージックの括りにおける、紛れもない雄なのである。
 ミルへイヴンのロックは、進化し、発展し続ける。そのような意味において、それは、最初から厳密にはポスト・ロックの括りの外側に踏み出してしまっているものなのだ。きっと、エクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイのメンバーと全く同じようなポスト・ロックに対する見解を、少なからずミルへイヴンのメンバーも持っているのではなかろうか。本来的に進化し発展してゆくものとは、枠や括りなどには一切の拘りをもたず、常に脇目も振らずに新たな領域へと飛び出し踏み出してゆくものである。これに対し、小刻みに一進一退の発展を遂げるロックの流れとは、もはや構造化した段階的な進化の手続きを、ただ積み重ねているだけのものになりつつある。然るに、その一定の流れを掻き乱し、混乱させるものは、既成の枠の中から、自然とはじき出されてしまう。ミルへイヴンのロックとは、その自由な音のスタイルの生成へと向かう進化と発展の方向性から、既存のロックの流れからは、排除されざるをえないタイプのロックであるといえるだろう。これを、既成の枠組みの中へ落とし込もうとすると、曖昧な括りのポスト・ロックとして括られてしまうことになる。だがしかし、ミルへイヴンは、そのサウンドをポスト・ロックと括られることを、拒絶するような志向性も有している。ロックの終着点で行き止まらずに、どこまでも進化し発展してゆこうとするサウンドは、そのことを如実に示すものである。では、ここにある、ロックの流れからも排除され、ポスト・ロックと括られることも拒むロックとは、一体何なのだろう。既存のロックの先の先の領域に属するポスト・ポスト・ロックだろうか、もしくは全くの新種のニュータイプのロックなのであろうか。
 ミルへイヴンがボーフムにおいて結成されたのは、01年のこと。当初は、三人組のトリオ編成のロック・バンドであった。そのライン・アップは、ギター担当のクリストフ・フロイデンベルク(Christoph Freudenberg)、ドラムス担当のイェンス・ライヒェルト(Jens Reichelt)、ベース担当のハンネス・ツァーゲルマン(Hannes Zagermann)。初期のミルへイヴンは、古い廃校の建物の中にある、なかば崩れかけたリハーサル・ルームにおいて、ひたすらに曲作りとリハーサルに打ち込んでいたという。この数年にも及ぶ潜伏期間に、ミルへイヴンは、その特異なサウンド・スタイルとバンド・アンサンブルの基礎を築き上げていったのだ。その後、もう一人のギタリスト、アンドレアス・ファンテル(Andreas Fanter)が、バンドに新加入する(おそらく、03年頃だろう)。ここで、ようやくミルへイヴンは四人組となり、バンドとしての形が固まってゆくことになる。この変化の季節が、ちょうどミルへイヴンが、幼生から成体へとメタモルフォーゼする時期であったといえる。リハーサルを重ねてゆくうちに、バンドが表出させようと意思している音楽の方向性が、非常に高いレヴェルのものとなり、次第に、アンサンブルは複雑化し、サウンド全体のスケール感も増していった。そうした上昇を志向する動きの中で、徐々に一本のギターだけでは、表現の限界の壁に直面してしまう事態となったのであろう。そこで、ミルへイヴンのバンド・サウンドを完成形へと導くために、ツイン・ギターの体制をとる必要性が生じ、ファンテルが新メンバーとして迎え入れられた。だが、四人目のメンバーを加え、ツイン・ギターでの高度なアンサンブルを完成させてゆくにつれて、その形態だけでなくミルへイヴンというバンドの活動そのものにも、大きな変化の節目が訪れることになる。
 ミルへイヴンは、結成から約三年以上にも及ぶ入念な助走期間を経て、遂に初のライヴ・パフォーマンスを敢行した(04年1月30日、ハッチンゲンのYMCA)。人目につかぬ場所で錬成された高度なバンド・サウンドは、崩れかけの薄汚れたリハーサル・ルームの外に出て、初めて聴衆の前に姿を現すこととなったのである。その緻密してリリカルな、克明に情景を描き出してゆくサウンドと、まるで隅々まで制御されているかのように自在に変化する轟音ノイズの圧巻の爆発力。そして、驚くほどの深みを組成させる、極限まで練り上げられた楽曲の構成。長い潜伏期間に磨き上げられた廃墟のロックは、明らかに既存のロックの枠から突出してしまっているものであった。そして、このボーフムから突如現れた、オルタナティヴなインストゥルメンタル・ロックを奏でるバンド、ミルへイヴンは、いきなり一部のライヴ・シーンにおいてカルト的な人気を獲得することになる。そこに、謎の新人バンドの噂を耳聡く聞きつけ、強く興味を抱いたひとりの男が現れた。この人物こそが、後にミルへイヴンの存在を広く世界に紹介する役割を担うことになる、スヴェン・スウィフト(Sven Swift)である。
 スヴェン・スウィフトは、ソロ・プロジェクトのザ・ラヴ・ソングス(The Love Songs)でベルリンのネットレーベル、Resting Bellなどから作品をリリースし、またDJとしてもOp3n.net、Mixotic、Audiotalaiaといった複数のネットレーベルからミックス作品を発表、そして自ら率いるError BroadcastにおいてはIDMヒップホップを手がけるなど、シーンにおける幅広い活躍ぶりで知られているエクスペリメンタル・エレクトロニック・ミュージックのアーティストである。また、スウィフトには、ドルトムントにおいてシム・スレン(Sim Sullen)とともに、エレクトロニック・ミュージックとポスト・ロックを専門に扱うネットレーベル、12recを共同で運営するレーベル・オウナーとしての顔もある。斬新な音楽性をもつ画期的なアーティストを捜していた、ふたりのレーベル・エグゼクティヴは、一部で騒然とした噂となっている、ボーフムの驚異的な新人バンドの評判を聞きつけた。そして、早速スウィフトは、ミルへイヴンとコンタクトを取り、彼らが根城としている崩れかけた廃校のリハーサル・ルームへと赴いた。そこで、12recはバンドの演奏に惚れ込み、バンドは12recからのデビューの話を承諾する。この瞬間に、スヴェン・スウィフトは、21世紀を代表するロック・バンドを見いだし、発掘した、伝説のA&Rとなる権利を手にすることとなったのだ。
 05年2月4日、デビュー作“Bars Closing Down”が、12recよりリリースされた。これは、ミルへイヴンにとってのファースト・リリース作品であり、全6曲を収録した、いきなりのファースト・アルバムでもある。新人バンドにとっての名刺代わりとなる先行シングルなどの、在り来たりな手続きは全て吹っ飛ばして、一気に勝負に打って出た形といえようか。それはまた、スウィフトとスレンが、ミルへイヴンの音楽性の高さに、絶大なる自信を持っていたことの紛うことなき表れでもあるだろう。ミルへイヴンは、12recがネットレーベルとして世界に向けて発信する、ある種の決定打でもあったのだ。アルバムのレコーディングは、スウィフトとスレンによって、ボーフムの廃校のリハーサル・ルームで行われた。全曲ともに4トラックのアナログ・ポータブル・レコーダーでの一発録音。ミルへイヴンのホーム・グランドでの、肩肘を張らぬ普段通りの演奏を収めた、ライヴ・レコーディング作品である。細密な紙細工を思わせるヨーロピアン・トラッド・スタイルのフォーキーなサウンドから、壮麗なプログレッシヴ・ロック的濃密さで描き出されてゆくシアトリカルでシネマティックな叙情性、そして轟音渦巻く分厚いグルーヴィな展開、天まで突き抜けそうなほどに鋭利なギター・ノイズ。そこには、ライヴ・レコーディングならではの、ほどよい緊張感の中で、鮮やかに繰り広げられる緩急のコントラストがある。中でも群を抜いて圧巻なのが、作品のラストに収録されている16分を越える大作“A Simple Plan”である。いきなりファースト・アルバムに収録されていた大作というと、テレヴィジョン(Television)の“Marquee Moon”やザ・ドアーズ(The Doors)の“The End”といった、歴史的な名作の存在が、すぐに思い起こされる。この“A Simple Plan”も、それらの伝説の楽曲に負けず劣らずの、いずれは語り草となってゆくような名作であるのだろう。歴史に名を刻むロック・バンドというものは、往々にして、早くもファースト・アルバムの時点で、きっちりと何かしらの大きな足跡を残しているものなのだ。静かに抑制を利かせながら、高く大きく燃え上がってゆくような“A Simple Plan”は、ミルへイヴンの最初のマイルストーンとして記憶しておくに相応しい楽曲である。
 06年11月2日、通算二作目となる“I.M. Wagner EP”が、前作に引き続き12recよりリリースされる。いきなり発表されたファースト・アルバムでネットレーベル・シーンを席巻し、一躍12recを代表するアーティストとなったミルへイヴンにとって約1年半ぶりのリリース作品。これは、全4曲を収録したEP作品である。ただし、曲数としては4曲とコンパクトなサイズであるのだが、実際のところは、収録曲中の3曲が10分を優に越える大作という猛烈な構成となっている。トータルで約43分にも及ぼうかという、ヴォリューム満点の限りなくアルバムという形式に近いEPなのである。まだ二作目のリリースにも拘らず、何とも言えぬ唯我独尊の傍若無人さを発揮しているミルへイヴン。もはや大物の貫禄すら漂う佇まいである。このEPのレコーディング作業を取り仕切ったのも、前作に引き続きスウィフトである。今回は、ルール地方の丘陵地帯に、新たなリハーサル・スペースを確保できる物件を見つけ出し、そこへの移動を完了させてから制作作業に取りかかったという。あのミルへイヴンを生み出した廃校の建物を利用したリハーサル・ルームは、どうやら倒壊の危険性が出てきたために、バンドは退去を余儀なくされてしまったようなのだ。きっとリハーサルを繰り返すミルへイヴンが、あまりにも強烈に轟音を響かせすぎたせいもあるのだろう。そのヘヴィなサウンドは、建物を揺さぶり、崩れ落とすほどの威力と破壊力をもつのである。また、この作品の録音のために、スウィフトは、新たに10チャンネルのデジタル・レコーダーを用意したという。自らの主宰するレーベルの看板アーティストの新作のレコーディングだけに、スウィフトとしても、これには相当に気合いが入っていたようだ。その証拠に、レコーディングのエンジニアとしてだけでなく、ピアノとシンセサイザーを担当するゲスト・ミュージシャンとしても、スウィフトは、このEPに参加しているのである。そうした熱烈なサポート体制の下で制作されたEPだけに、やはり、かなり凄まじいまでに気迫がみなぎる作品と相成っている。ミルへイヴンにとっては、前作で鳴り響かせていた細密で繊細なサウンドなどは、まだほんの序の口の小手調べ程度のものでしかなかったのではないかと思えてくるくらいに、とてつもなくスケールの大きい、重厚感たっぷりの楽曲が、実に優雅かつ勇壮に展開されてゆく。この劇的なまでの変容ぶりこそが、約1年半の間に積み重ねられてきた、廃校を揺るがすほどの鍛錬による、バンドの音楽性の成長の跡なのであろうか。特に大作志向の強い、“Oh! Great Pacific”、“Lord Of Birds”、“Clean Room”といった楽曲における、濃密なバンド・サウンドは、もはや異常なまでに張りつめており、その一瞬の隙もない精緻な音響には、本当に息をのまされる。そして、それらの迫真の大作とは極めて対照的な優しいサウンドが展開される、ラストのフォークロア系のアコースティック曲“Firnis”では、その美しい弦の響きが余計に際立つようでもある。
 この脅威のサウンドをまざまざと見せつけたEP作品の発表から約3年の年月は、ミルへイヴンにとって、表面上は、とても静かに流れていった。表立った動きは、ほとんどなく、まるで休眠しているようでもあった。この間の活動は、一年に数回あるライヴ・パフォーマンスのみ。その際に熱烈なオーディエンスの前に姿を見せるだけで、後はリハーサール・スペースにこもって、ひたすらにバンドの音を磨き続けた。ミルへイヴンとは、音楽に対して、どこまでも、真摯で、求道的なバンドのようである。
 そんな、待ちに待たされ、やや待ちくたびれかけていた頃に、いきなりミルへイヴンが新作のレコーディングを開始するというニュースが飛び込んできた。09年5月、リハーサール・スペースでの研鑽を重ねてきたミルへイヴンは、ケルンの南東に位置するトロイスドルフのスタジオ、BluBoxに入った。このBluBoxは、オルタナティヴ・ロック系のスタジオとしては、非常に広く名の知られた存在である。プロデューサー兼エンジニアとしてスタジオの顔となっている、ギド・ルーカス(Guido Lucas)の辣腕の下では、これまでにインターナショナル・フレンドシップ・ソサエティ(International Friendship Society)、デッド・ギターズ(Dead Guitars)、プリスティン(Pristine)といった数々のバンドが、作品のレコーディングを行ってきている。そして、これが初の本格的なスタジオでのレコーディングとなる、ミルへイヴンにとっても、これほど作業に適した場所はなかっただろう。経験豊富なルーカスであれば、いかなる事態に陥ろうとも、速やかに的確な処置ができるであろうから。12recからのデビュー当初、ミルへイヴンの作品が、全てライヴ・レコーディングされていたのには、実はバンドのテクニカル面での問題もあったようなのだ。リハーサル・ルームでの鍛錬に明け暮れ、その地道な勤行の積み重ねの中で築き上げられてきたのが、ミルへイヴンのバンド・サウンドであった。それゆえにか、どうも全体で一体となり熱を放出させてゆく、有機的な絡みのある演奏にばかり、少し慣れすぎてしまっていたようなのである。つまり、ミキシングやオーヴァーダブのためのパーツのレコーディング用に、それぞれのパート毎の演奏を個別に録音しようとしても、どうしても各メンバーが100パーセントの力を発揮できないという、異常な事態が発生してしまったらしいのだ。そのために、スウィフトは、細かな作業を諦め、全曲をライヴ・レコーディングしてしまうという方法を選択した。あちこちに小さなミスがあろうとも、それも生の醍醐味と前向きに解釈し、克明なライヴ演奏の記録を残す方向に重点が置かれることとなったのだ。そんなミルへイヴンが、遂にスタジオでのレコーディングに挑んだのである。バンド結成から8年、緩やかで不器用で朴訥とした歩みであったが、真摯に前進を続けてきた確固たる証しを、BluBoxにおいて作品に昇華させ、余すところなく表現する真剣勝負の時がやって来たのだ。
 そうした09年5月のレコーディングから約半年、遂に完成したのが、この“Milhaven”である。これは、ミルへイヴンにとって、約3年ぶりの新作となる。そして、通算三作目にしての、セルフ・タイトルを冠したセカンド・アルバムだ。初の本格的なスタジオ録音作品であり、セルフ・タイトルのアルバムと、しばらくのブランクがあった後の久々のリリースでありながら、何やら初物づくしな賑やかな状況ともなっている。こうした作品を取り巻く状況を見ても、ミルへイヴンとしても、本作の制作に関して、相当に気合いが入っていたであろうことが、ありありと窺える。
 だが、本作“Milhaven”に関する目新しいことは、それだけではない。まず、この作品は、10年2月8日に、オーストリアはウィーンのインディ・レーベル、Valeot Recordsより、500枚の限定CDアルバムとしてリリースされたのだ。これまでの二作品も、限定盤のCDRが発表されていたが、ミルへイヴンが、正式にフィジカルなCDアルバムをリリースするのは、これが初めてのこと。そして、その直後の2月17日に、今度はネットレーベルの12recより、全くの同内容のアルバムがリリースされたのである。ほとんど間を置かずに、フィジカルとデジタルでのリリースが、立て続けになされたのだ。ふたつのリリース日の間隔は、約10日であるが、これはもう、ほぼ同時のリリースといってしまってもよいだろう。普通の感覚で考えれば、これはとても奇妙な話であるはず。正規にCDとしてリリースされたばかりのアルバムが、すぐにインターネットを通じて正規にダウンロードできてしまうようになったのだから。だが、このことの、何が、そんなに奇妙なのか。ただ、あまり類例のないことであるから、奇妙に感じるというだけのことなのではなかろうか。
 ここでは、フィジカルとデジタルのリリースの間にある境界と、そこにあったはずの(あるべきはずのものである?)差異は、限りなくゼロに近いものになってきている。それぞれのリリースに、もはや大した違いはないである(広い視野で捉えれば)。これは、メディア・フォーマットとしてのCDの盤そのものの価値が、表向きには、大きく低下しつつあることと、密接に関連している。実際に価値があるのは、盤そのものではなく、その中身であるところの、音のデータなのである。まあ、これは、当然といえば、当然のことだ。だが、音のデータは、それだけで価値のあるものではあるが、目で見て触れられる形状をもたないだけに、自由に動き回り、勝手に一人歩きをしはじめるなどの、様々な厄介な問題も、そこに付きまとってしまうことになる。だからといって、今さら元通りに盤の中へと戻して、そのままそこに閉じ込めてしまおうとしても、もはや現状では、それも難しい。また、その現状をつぶさに検証してみれば、一枚のCDアルバムの周辺に、その盤の直接の購入者以外にも不特定多数のリスナーが存在する可能性は、非常に大きく、しかも増大してゆく傾向にある。ひとたび盤から引き離された音のデータは、コピーされ、ファイルとして共有・転送されうるものとなる。ただし、その不可視的な流布の過程では、不特定多数の膨大な量のリスナーを生み出す、正のヴェクトルの可能性がないわけではない。こうした秘匿された音のデータの流通の道筋は、表向きには、完全なる違法な行為であり、様々な問題含みのものだといえる。だがしかし、これは、リスナーの側から見ても、作者の側から見ても、決して完全なる悪でも、負の要素だらけのことでもないのである。
 たとえ、どんなに法に適わぬことでも、その法以前のところにまで遡ってみれば、そこにある問題を根本から解消する鍵が見つかることもある。実際、音楽の記録メディアが市場に登場してから、まだ約150年ほどしか経っていない。歴史は、極めて浅い。従って、そこにまつわる法も若い。それは、まだまだこれからいくらでも更新されるべき余地のあるものであるだろう。だが、ここでは、その法の以前の地平にまで遡って再考察してみる。そこで問題となってくるのは、問題となっていた行為が、その当事者の自律性に基づいているかどうかだ。そして、そこでは、それぞれの権利が問われてくる。作品の作者には、それを聴かせる権利があり、不特定多数のリスナーには、おしなべてそれらの作品を聴く権利がある。音のデータのコピーの増殖は、それが違法であるとされる段階においては、それぞれの権利の行使に少なからず支障を来す、いくつかの不意なノイズが、そこに発生してしまう。そこでは、全ての違法行為が、黙認され、看過されなければならず、作者の権利も、リスナーの権利も、十全に満たされることはない。だが、これが、デジタルの(音のデータでの)リリースである場合には、全く様相は異なるものとなる。そこには、両者の権利が、そのまま純粋に満たされうる構図が生ずる。音のデータの作品を間にはさんで、その両端が等価につり合っている状態である。つまり、作者とリスナーの間での、互酬の関係が成り立つのだ。
 純粋なる芸術作品を取り巻く、純粋なる互酬。それは、自律に基づく等価性の正義が成立することによって可能となる。それぞれの権利が満たされる関係性には、限りなく広がる交換の可能性を見ることができる。これは、売り上げ枚数や売り上げ金額などの有限な報酬と、限定された経済の運動の中にとどまる交換の構図とは、大きく趣きを異にする。この場合、どこに等価の水準があるのかが、非常に見定めにくくなってしまうことも大きな問題である。デジタルのリリースでは、そうした交換の構図において秘密にされていた部分が、よりシンプルに鮮明な形で浮かび上がり露見することになる。それを可能にしているのが、クリエイティヴ・コモンズによるライセンスの存在である。
 音のデータのコビーの横行に歯止めをかけることは、もはや不可能に近いだろう。まず最初にオリジナルがある。だが、遅かれ早かれ、恐ろしい速度で増殖してゆくコピーの氾濫・大洪水の前に、ごく少数のオリジナルは、埋もれ、沈んでいってしまうことになる。膨大な量のコピーが、オリジナルそのもののオリジナルとしての価値を、その増殖の猛威によって、どんどんと引き下げてゆく。しかし、音のデータそのものには、オリジナルとコピーの区別は、ほとんどない。テクノロジーは、ほとんど劣化することのない、デジタルなデータの交換と共有を可能にした。これが、音楽作品のリリースの在り方に、フィジカルという主流の形態以外の、新たな様式の確立を促すことにつながったのだ。つまり、テクノロジーとクリエイティヴ・コモンズが、ネットレーベルという、新しいオルタナティヴな音楽作品のリリースのプラットホームを可能にしたのである。
 デジタルのリリースは、突き詰めてゆくと、純粋に互酬だけのものとなる。いや、その基本には、それしかないと言ってしまったほうが、正しいだろうか。それは、作者とリスナーの間に、アイディアリスティックには、ネットレーベルという両者の仲介を務めるプラットホームをはさみ、テクノロジーとクリエイティヴ・コモンズの媒介を受け、等価の関係性が築き上げられる構図である。作者の権利は、クリエイティヴ・コモンズによるライセンスによって護られる。リスナーは、音のデータの交換と共有を究極的にノイズレスにするテクノロジーの恩恵に浴する。無断での複製に歯止めがかからぬのであれば、最初から、オリジナルとコピーの区別を限りなくゼロにしてしまえばいい。ネットレーベルという存在は、そうした暗黙のうちの認識の上に立つものである。世界は、無尽蔵に増殖するコピーだらけだ。そこでは、オリジナルの所在を、もはや誰も気にかけることはなくなるであろう。クリス・アンダーソンは言う。「デジタルのものは、遅かれ早かれ無料になる」と。それを押し進めるのは、自律と等価と互酬にほかならない。
 今回のミルへイヴンの“Milhaven”の場合には、作者とリスナーが等価につり合うための、フィジカルとデジタルのふたつのリリースの形態が準備され、実践されている。Valeot Recordsからの限定盤は、大前提としてのクリエイティヴ・コモンズのライセンスを踏まえた、互酬を成り立たせるフィジカルなリリースである。テクノロジーとクリエイティヴ・コモンズは、作者とリスナーが、よりダイレクトにつながりあうための交換を生み出す。デジタルな音のデータとして、もしくはフィジカルな盤として、純粋な作品の交換が成立するのであれば、もはや商品を間にはさんだ凸凹の交換にこだわり続ける必要は、ほとんどないだろう。自律と互酬によるつながりは、限定的な商品の交換よりも、より大きな可能性と広がりを孕んでいる。
 “Milhaven”は、全8曲を収録した、素晴らしく完成度の高いアルバムだ。もはや達観してしまっているかのような穏やかで広漠としたムード、ゆったりと宙を舞うメロディ。そして、濃密なクライマックスへ向けて、じりじりとせり上がってゆくアンサンブル。名エンジニアであるルーカスの手腕が、いかんなく発揮されたサウンドは、非常にライヴ感が高く、一寸の掛け違いも許されぬほどに緊迫している。熱を帯びた空間もろとも捩れてゆくような動きのある音に、押し切られ、ねじ伏せられる。強烈な存在感をたたえた二本のギターの絡みが、雄大なスケールで描き出してゆく、静と動、柔と剛の両極を、自在に行き来する展開に、耳が奪われっぱなしになる。凄まじくリリカル。濃厚で、分厚く、深い。約三年間におよぶ潜伏期間のうちに、またもやミルへイヴンは、計り知れぬほどに成長を遂げ、とんでもない高みにまで到達してしまったようである。
 では、ここで“Milhaven”の内容を、駆け足でザッと眺めてゆくことにしよう。
 1曲目は、“On And On”。日々の単調な営みの繰り返しを模したような、42秒の導入部。嵐の前の静けさ。一瞬の静寂が、素知らぬ顔で通り過ぎてゆく。
 2曲目は、“Supervulkan”。静かに忍び寄る、豪雨の気配。中盤以降、その叩き付けるような雨脚が、一気に激しさを増してゆく7分43秒。ブラジリアン柔術に関連しているようなタイトルからは、微かに、格闘の匂いがする。これが、ヴァルカン砲にも関連しているとなると、さらに戦争の匂いも漂い出す。ただ、いずれも語源としては、ローマ神話の憎しみと復讐に燃える火神、ウルカヌスに由来しているものであろうから、どちらの匂いがしても、そう遠くはないに違いない。また、これが、ヨーロッパの火薬庫と呼ばれ、多くの戦争や紛争の発火点や舞台となった、バルカン半島にまで結びつくようなことになると、その匂いは、より確実に血なまぐさい戦いの色を帯びたものとなってくるはず。辺り一面に立ちこめる火薬の匂い。降りしきっていたのは、飛び散った瓦礫であったのだろうか。
 3曲目は、“Barnabas”。吹き荒んでいた嵐は、長く尾を引きながら居座り続けている。長いトーンの間隔が狭まってゆき、じわじわと繊細なサウンドが燃え上がりはじめる。平原を焼き尽くす野火のような7分49秒。一旦、消えかかったように見えても、しぶとくまた火の手は上がり、さらに燃え広がる。タイトルは、バスを燃やすという意味であろうか。ストレートに解読すると、魚のバスや低音のバスを貯えるという意味にも受け取れる。もしくは、バスを車庫に入れるということか。極めて隠語的で、その真意は奥底に隠れてしまっており、なかなか見定めることができない。だが、楽曲のイメージとしては、じわじわと燃え広がる野火に連関して、バリケードが築かれた荒廃した街にレジスタンスの炎があがる光景のようでもある。バスに火をかける、デモ隊の蜂起。暴動。都市部におけるゲリラの抗戦。重く分厚い、闘争のアンサンブル。
 4曲目は、“Miami Jesus”。マイアミのイエス。ゆったりとしたペースの長いイントロに続いて、じっくりとエンジンの回転数を上げながら疾走してゆく8分57秒。途中でスピードを緩めて、きらめく夜景を横目に眺めながら街路をクルーズする。ひんやりと湿った夜風が心地よい。この楽曲は、ドラマ『CSI: Miami』にアデル・セヴィリア刑事役で出演していたワンダ・デ・ヘスース(Wanda De Jesus)と何か関連があるのであろうか。謎めいたタイトルだけに、いろいろ深読みしたくなる。欲望と悪徳と犯罪の香りが渦巻く夜の街。雨に濡れ、ねっとりと光の輪郭をにじませるネオン。虚飾に覆われたマイアミの街路を、素知らぬ顔で行き交うヴィークル。
 5曲目は、“Count To Infinity, Twice”。無限大まで二度数えろ。足元を確かめながら、ゆらりゆらりと歩みを進めてゆく6分13秒。細やかなギターのアルペジオが、滑るように走る中を、所々で、瞬間的な暴発が何度も繰り返される。そして、終盤に向かうにつれ、歩みは、一気に険しい山道の登坂へと突き進んでゆく。どこまでも、遠くの尾根を目指して駆け登る。ひとつの頂の先に、まださらに上の頂がある。それは、限界のない山。無限は二度訪れる。数えきれないものを、際限なく数え続ける、遥かなる縦走。
 6曲目は、“Animal 3K”。つむじ風のような、哀感と焦燥感が、刺すように吹き荒れる5分14秒。3000年代、もうすでに人間は、完全に動物化してしまっているのかも知れない。その本能的で軽やかな疾駆は、どこか哀しみに満ちている。捩れるような哀愁のメロディが、止めどなく溢れ出す。そして、擦り切れそうなほどに突き上げてくるラストでは、決して誰にも聞き入れられず、どこにも届くことのない獣の慟哭が、長く長く響き渡り続ける。はたして、未来の動物たちは、人間の夢を見るであろうか。
 7曲目は、“The Trees Are In Misery”。打ち拉がれた樹々たちが、痛々しいほどの惨状を訴えかけてくる3分37秒。暗い闇が、森を覆い尽くす。深く沈み込んでゆく空気。低くのたうつ歪みきったギターの響きが、目の粗いヤスリのように心の表面を引っ掻いてゆく。
 8曲目は、“Hunter”。ハンター。暗く沈む森で、獲物を探し求める狩人の9分26秒。オーセンティックなクラシック・ロックのスタイルを思わせる、どこか映画的な語り口。長めの薄暗いイントロの細道を静かに抜けると、空を覆い尽くすように飛び回る、鳥の群れが目に飛び込んでくる。だが、その夥しい数の黒い影の旋回とともに、世界そのものまでも、ぐるぐると回りはじめる。激しく揺らぎながら回転する大地。ひとりの狩人の周りを、世界が、ものすごい勢いで回っている。このまま世界が終わるのか、断末魔の叫びとともに森が死に絶えるのか。それとも、人間的な欲望に突き動かされている狩人が、ただ黒い森の中で錯乱しただけなのだろうか。
 アルバム“Milhaven”は、この作品に賭ける生半可ではないミルへイヴンの意気込みや気合いが、全く空回りすることなく、音楽として結晶化した、ちょっと凄みのある快作となっている。この異様なまでの落ち着きは、どこからくるのであろう。完全に腹の据わったドッシリとしたサウンドが鳴っている。早くも大物の貫禄が漂いまくる、何とも言えぬ風格のあるセカンド・アルバムである。
 突如として襲いかかってくる野火のように、静かに燃え上がるレジスタンスの闘争の焔。剥き出しの欲望と悪徳に曝され、際限のない苦悶と苦痛に苛まれる黒い森。燃え尽きた焼け野を、獣のごとき慟哭を轟かせながら駆けてゆくハンター。全ては、一旦、立ち止まり、また動き出す。ミルへイヴンは、駆けずり回り、いくつもの山に登り、理不尽な抑圧に戦いを挑む。これは、美しくもハードでメロディアスな最前線のサウンドである。純粋にして真正な、21世紀のプログレッシヴ・ポスト・ロックといったところであろうか(つまり、ニュータイプである)。そこには、サイケデリック、クラウトロック、ギター・ポップ、エクスペリメンタルなどの様々な音の要素が、緻密にきっちりと織り込まれている。
 セカンド・アルバムにしてセルフ・タイトルの“Milhaven”。この極めて完成度の高い、強烈な一作によって、ミルへイヴンにとっての、新たなスタンダードのラインは、凄まじく高い位置に再設定されることとなった。それと同時に、ミルへイヴンの伝説の、第一頁目への書き込みは、この“Milhaven”の完成によって、ここに完了したのである。次頁で繰り広げられるであろう新たな展開にも大いに期待したい。さあ、心の準備をととのえて。孤高の王者、ミルへイヴンとともに、さらなる頂の制覇を目指してピーク・ハンティングに出かけよう。(10年)

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