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<<   作成日時 : 2009/07/19 21:00   >>

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Simon Whetham: Ratcha Anachak Thai
CONV cnv55

画像 ブリストルを拠点に活動するサウンド・アーティスト兼デザイナー、サイモン・ウェタム(Simon Whetham)の新作。リリース元は、スペインはマドリッドのエクスペリメンタル・ミュージック専門のネットレーベル、CONVである。リリース日は、09年6月25日。
 CONVは、それほど頻繁に作品のリリースを行っているネットレーベルではない。地味に、コツコツとリリースを積み重ねてゆくタイプの、とても堅いネットレーベルだ。どちらかというと、通好みなタイプのネットレーベルであるといえるかも知れない。明確に音的な高い水準を設けた、確固たるレーベル・ポリシーのもと、鋭い目と耳によって選ばれたアーティストの選ばれた作品のみが、そのレーベルのリリース作品として、世に送り出されてゆく。CONVからは、これまでに、トーマス・エーケルンド(Thomas Ekelund)、ブライアン・ラヴェル(Brian Lavelle)、アッシャー(Asher)、ジェフ・ジャーマン(Jeph Jerman)などの、古くから活動する大ヴェテランからフレッシュな新鋭にいたるまで、実に多彩かつ豪勢な顔ぶれが、作品を発表してきている。そして、そのいずれもが、非常にレヴェルの高い、エクスペリメンタル・ミュージック作品となっているということは、もはや言うまでもないであろう。CONVのリリース作品に、ほぼ駄作は見当たらない。
 この“Ratcha Anachak Thai”は、もはやウェタムのライフ・ワークであるともいえそうな、(旅行などで実際に現地を訪れた)世界各地の(ありのままの)自然音を採取したフィールド・レコーディング作品である。タイトルを英訳すると、“Kingdom Of Thai”となる。つまり、そのままズバリ、タイ王国という意味である。本作は、ウェタムが旅行で訪れたタイにおいてフィールド・レコーディングされた音源をもとに制作された作品だ。ウェタムの手によって切り取られた、タイの風景/光景の、サウンド・ポートレイト作品という言い方もできるだろうか。とりあえずは、そのままズバリな、タイ王国の音そのもの。まさに、現地においてフィールド・レコーディングされた音そのものなのである。
 ブリストル在住のウェタムが、親しい友人が住んでいる、タイのバンコクを旅行で訪れた。もちろん、旅行時の必需品である、ポータブル・レコーダーやコンデンサー・マイク、コンタクト・マイクなどの、録音機材一式を携えて。そして、そのタイ滞在中に、現地の友人に連れられて見て回った、様々な場所で、携行した録音機材を作動させ、そこにある、ありのままのタイの音、自然音や物音/雑音を、可能な限り記録しまくったのである。それらの録音データを、ブリストルに持ち帰ったウェタムは、早速、その膨大なる音源の編集作業に取りかかった。そして、その作業の果てに完成したのが、この約60分にも及ぼうかという、豊かなタイ王国の風土と大自然をテーマにした、フィールド・レコーディング大作なのである。
 “Ratcha Anachak Thai”は、二部構成の作品となっている。前半部と後半部では、全く異なるロケーションにおいてフィールド・レコーディングされた音源を編集した、音(サウンド・ポートレイト)に、それぞれ触れることができる。以下では、それらの楽章で聴くことのできる、その音について、簡単な解説を行う。なお、この解説文は、ウェタムによって、本作品の制作途上か、もしくは完成時であろうと思われる、09年3月という日付けとともにしたためられた、“Ratcha Anachak Thai”に関するテクストをベースにして、構成されている。
 第一部のタイトルは、“Kwai Pontoons”。クウェー川のはしけ。バンコク在住の友人に連れられて、ウェタムは、クウェー川流域の小さなモン族の村を訪れた。モン族は、紀元前からタイの地に移り住み、いくつかの王国を建国に携わってきた民族集団である。また、モン族は、インドから中国を経てタイに仏教を伝えた。その後、仏教の生活圏への流入とともに、モン族もまたタイの地の住民と長い年月をかけて同化をしていった。現在、タイ国内に確認できる伝統的な生活様式を保持しているモン族の村落とは、そのほとんどが、隣国のミャンマーより軍事政権からの抑圧と迫害を逃れて国境を越えてきた、タイ政府に認可されたモン族難民の居留地のことである。おそらく、ウェタムが訪れたのも、そうしたミャンマーからのモン族の難民の村落のひとつであったのではなかろうか。新たにタイに入植してきたモン族の住居は、クウェー川に大きく突き出す形で河岸に繋がれた、鉄製のはしけの上に貼り付いている。悠々と流れる大河にプカプカと浮かぶ、その小さく質素な住居は、まるで波間の小舟のように常に上へ下へと微かに揺れ動いているのである。
 “Kwai Pontoons”は、ウェタムのマイクが拾った、はしけ付近のカタカタという物音で幕をあける。ディープな反響音とガサゴソしたノイズの反復。突然、虫の鳴き声が聞こえてくる。どうやら、ウェタムは、モン族の村の中へと足を踏み入れたようだ。人々の話し声、バイクの排気音、どこかの家から漏れてくる音楽のベース音が、遠くのほうから響いている。虫の声と水音。村落の生活は、とてものどかだ。そんな空気が、あたりを包んでいる。はしけの下部に、突き上げるようにぶつかってくる波の音。繋がれたはしけとはしけが、川の流れに揺れて、低く泣き呻くように軋んでいる。村人たちの生活は、こうした物音や雑音の上に、常にある。はしけの上に暮らすということは、クウェー川の流れとともに揺れながら生きることである。絶え間ない水音や波音が、現在のモン族の難民たちの生活のリズムそのものとなっている。はしけの軋みは、どこかモン族の悲痛な叫び声のようでもある。このタイ政府に認可された居留地だけが、何者にも脅かされずにモン族が伝統的な生活様式を維持してゆくことのできる、地球上で最後の場所なのだ。川に浮かんだ鉄のはしけの上の、小さな小さな場所だけが。最終盤に、モン族の住居の内部の音が記録されている。女性や子供たちの、のどかで楽しそうな会話。ここでも、やはり水音は聞こえている。川とともに生きているモン族とは、いまや紛うことなき水の民となりつつある。
 第二部のタイトルは、“Swimming With The Medusa”。メドゥーサとともに泳ぐ。次に、ウェタムが訪れたのは、タイ南部の西岸地域、アンダマン海に浮かぶ小さな島、クラダン島である。この国定公園にも指定され、国から保護されてもいる、非常に美しい離島は、知られざる穴場的なリゾート・アイランドとして、多くの観光客たちを惹きつけてやまない。砂浜は金色に輝き、サンゴ礁の海はエメラルド・グリーンに煌めく。緑が生い茂るジャングルの合間には、簡素なバンガローがひっそりと建ち並んでいる。いつしか、このクラダン島の奇跡的に美しい浜辺は、人々からパラダイス・ビーチと呼ばれるようになっていた。まさに、地上の楽園そのもの、誰からも愛される浜辺であった。しかし、この海に浮かぶ宝石のようなパラダイスに、突然の悲劇が襲いかかる。それが、04年のスマトラ沖地震による大津波であった。押し寄せた津波は、クラダン島の美しい浜辺にも、容赦なく襲いかかり、甚大なる被害をもたらしたという。ウェタムが、ここを訪れた際も、すでに津波被害から数年が経過していたにも拘らず、まだまだかつての地上の楽園は復興の途上にあったようだ。そして、いまだ未曾有の自然災害の爪痕が、あちこちに残る浜辺に立ち、そこに大自然の猛威に晒されながらも様々な小さな生命が、変わらずに息づいていることに、ふと気づく。楽園と呼ばれた観光客たちの(ための)リゾート・ビーチは、いまや、蚊や蜂などの小さな昆虫、ウニ、カニ、クラゲなどの小さな海の生き物たちの楽園に、すっかりと様変わりしつつある。いや、このタイ西岸の沖合に浮かぶ小さな無人島は、元々こうした小さな生物たちの楽園であったのだ。クラダン島に後からやって来て、大きな顔でのさばっていた人間が、津波によって追い払われたというだけのことであるのかも知れない。
 “Swimming With The Medusa”は、ウェタムのマイクが拾った、虫やカエルなどの鳴き声で幕をあける。鬱蒼と茂るジャングルから、生き物たちの大合唱が響いてくる。人間たちの会話や生活の物音は、その中で、今にもかき消されてしまいそうだ。二度目の大きなくしゃみ。場面が転換して、今度は昼間であろうか。鳥の鳴き声が聞こえる。そして、再び夕刻。虫たちが、さらに騒がしい。小刻みに振動し、擦り合わされ、一定のトーンで持続する羽根の音。夜の闇の中で、様々な物音がドローン化してゆく。深い振動音が、繰り返し茂みの奥からやってくる。ザワザワとしたノイズ。クラダン島のジャングルには、どこか人を寄せつけぬ異様さが漂っている。茂みに湧き出す泉の水音。ウェタムは、コンタクト・マイクを水中に潜らせて、その潤みの奥を探ってゆく。その水の流れを辿ってゆくと、すぐにアンダマン海へと出る。押し寄せる波。渦巻く波音が、次々と小さなマイクをのみ込んでゆく。しかし、いきなり場面は、再び虫たちの声が響く、鬱蒼とした茂みへと切り替わる。そこで微かな物音をたてているのは、カニであろうか。夜のクラダン島には、小さな生き物たちが発する鳴き声や物音、そして水音と、遠くから聞こえてくる波音だけが、静かに止むことなく響き渡っている。ラストを締めくくってくれるのは、耳をつんざくような、大いに儚き生を謳歌する、蝉たちの大合唱である。
 ここで、少し思い起こしておきたいのが、08年10月5日にUKのエクスメリメンタル・ミュージック専門レーベル、Compost And Heightより発表された、ウェタムのフィールド・レコーディング音源“Ko Kradan Hermit Crab”についてである。これは、クラダン島の夜のビーチで遭遇した、砂浜を我が物顔で悠々と歩く巨大ヤドカリの物音を録音した、約4分ほどの小品であった。立派な爪をうごめかせ、密集した脚で大地を掻いて、半身にまとった住処を重々しく引き摺りながら、ビーチから茂みへと、ゆっくりと移動してゆく。この巨大ヤドカリの物音と、“Ratcha Anachak Thai”の“Swimming With The Medusa”において聴くことのできる、夜のクラダン島のジャングルに生きる小さな生き物たちの発する物音は、非常に似通っている。いや、録音が行われたロケーションが同じであるのだから、これらは、もはや、ほとんど同じクラブ(Crab)の物音の別ヴァージョンであるといってしまってもよい。いいや、同じセッションの別テイクといったところであろうか。おそらく、ウェタムが、バンコクに住む友人を訪ねてタイ王国へと飛び、そこでフィールド・レコーディングを行ったのは、この“Ko Kradan Hermit Crab”が発表された08年10月より以前の、08年の夏頃だったのではないかと思われる。そして、その際に、後に“Ratcha Anachak Thai”という作品へとまとめられる、クウェー川やクラダン島での膨大なる音の採取も敢行されたのだろう。巨大ヤドカリの歩みを収録した“Ko Kradan Hermit Crab”が、随分早めに発表された予告編であったとすれば、この“Ratcha Anachak Thai”こそが、ウェタムによるタイ王国縦断フィールド・レコーディング大紀行の、遂に登場した本編作品だということになるであろうか。
 また、ウェタムは、同じくCompost And Heightより、“Night Of The Owl”という作品も発表していた。こちらの作品のリリース日は、09年2月8日。これは、リヴァプールの〈A Foundation〉で行われた、ライヴ・パフォーマンスの模様を記録した、21分22秒の音源であった。この梟の森/夜の森をコンセプトに据えた、素晴らしいライヴ・パフォーマンスが披露されたのは、08年11月15日のこと。つまり、“Ko Kradan Hermit Crab”が発表された10月の翌月である。そして、それは、こちらの推察が正しければ、この“Ratcha Anachak Thai”を制作するためのフィールド・レコーディング音源が採取された、08年夏のタイ訪問よりも時系列的に後のこととなる。この“Night Of The Owl”は、夜の森の鳥や虫の鳴き声、ディープな水音などが、とても印象的な作品であった。そう考えると、今回の“Ratcha Anachak Thai”で聴くことのできる、クウェー川のはしけの音や水音、クラダン島の夜のジャングルの虫たちの鳴き声や泉の音などの物音や雑音は、08年11月の“Night Of The Owl”においてもライヴ・パフォーマンス用の音素材として、いくつか使用されていたのではないかという気がしてくる。どうも、この“Night Of The Owl”というライヴ作品は、“Ko Kradan Hermit Crab”から“Ratcha Anachak Thai”へといたる流れ(タイ王国縦断フィールド・レコーディング大紀行シリーズ)の、ある種の番外編として位置づけられるものであるように思えてならない。それぞれ、ほぼ共通のフィールド・レコーディング音源から派生している作品であるという意味において。
 この“Ratcha Anachak Thai”は、タイ王国において採取された膨大な物音や雑音を編集して制作された、フィールド・レコーディング作品である。そして、その物音や雑音の響きに耳を傾けていると、難民問題や地球環境の問題など、様々な我々の生活する社会が直面している根深い問題が、静かに浮き彫りになってくるのが感じ取れる。それは、ただの物音や雑音でしかないのに、実に深く心に響く。この深さの現出は、かなりレヴェルの高い、フィールド・レコーディング作品の傑作の証だといってしまってもよいかも知れない。ただし、ウェタムは、国際社会の最も先鋭化した現場に赴いて、録音機材を作動させ音を拾ってきたわけでは決してない。ウェタムがマイクを向けたのは、ただ単に旅行で訪れたタイの観光地の、非常に素朴な風景であったなずなのだ。しかしながら、それでも、その物音や雑音からは、じんわりと素朴な風景の裏側に貼り付く社会問題の色合いがにじみ出してきてしまう。言い換えれば、もはやいたる所に、疲弊し破綻した社会の裂け目が存在し、そこから様々な問題が噴出しつつあるということだ。録音機材を作動させれば、どうしてもマイクは、その匂いを敏感に嗅ぎ取り、ありのままに拾っていってしまう。いまや、この地球上は、どこもかしこも問題だらけなのである。
 前述した通り、この“Ratcha Anachak Thai”よりも先行して発表された、“Ko Kradan Hermit Crab”と“Night Of The Owl”の二作品を、一連の流れの関連作品として、本作とあわせて聴取することで、きっと音の向こう側に見えてくるものも、自然に倍増してくるに違いない。ウェタムによるタイ王国三部作とまではいわなくとも、それぞれがそれぞれの姉妹作というぐらいに認識されたとしても、決しておかしくはないであろう。全三作品ともに、ともに聴かれて然るべき内容の作品である。そして、その一連の流れを総括する決定版として存在するのが、この“Ratcha Anachak Thai”なのである。タイの素朴な風景の中でフィールド・レコーディングされた物音や雑音が、失われてしまったユートピアやパラダイスの幻影をあぶり出してゆく。見なれた風景に、見なれた未来は約束されていないのである。マイクによって拾われた、物音や雑音は、残酷なまでに、ありのままの現実を切り取り、記録された音響として、それをさらけ出す。記録には、もはやロマンが入り込む余地はない。ただただ、水は波になり繰り返し打ちつけ、小さな生き物たちは微かに物音を発し、茂みの奥で賑やかに鳴き喚くのみなのだ。極めて単純なことの繰り返してある、この現実世界。その反復のリズムを狂わしているものとは、いったい何なのであろうか。(09年)

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