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<<   作成日時 : 2009/05/19 20:00   >>

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溝!だより

RCサクセション『Yeahhhhhh... AT 武道館』を聴く
〜追悼・忌野清志郎〜

 09年5月2日午前0時51分。忌野清志郎が、癌性リンパ管症のため他界した。享年58。
 あの人は、死んでしまった。もうこの世にはいない。あの独特の粘り気のある歌声が、この地球上に響くことは、もうない。そう考えると、なんだか、すごくイヤな気分になってくる。漠然と、もっともっと先のことだろうと思っていた。いくつもの時代を駆け抜けてきたヒーローに、現実的な死は全く似合わない。間寛平のアース・マラソンのスタートの時の、とても元気そうな姿は、いったい何だったのだろう。
 テレビでは、どこのチャンネルのニュース番組でも、突然の忌野清志郎の死について、かなり詳しく、それなりの時間を割いて伝えていた。68年のRCサクセションの誕生、70年のデビューから、癌との闘病の果ての最期の日までの、約40年以上にも及ぶ足跡が、様々なエピソードとともに画面に映し出されていた。
 それを見ていたら、とても複雑な気持ちになってきた。もう死んでしまったのに、今さら詳しく知ろうとしたって遅いじゃないか、という気持ちと、こんな数分間のサラッとした紹介で、全てを伝えきれるのだろうか、という気持ちが、ない交ぜになって、頭の中や胸の内をグルグルと渦巻いた。
 テレビの画面をぼんやりと眺めていて、とてもシャイな日本のロック界の大御所、はにかんだ笑顔がかわいいお父さんキャラ、発売禁止になってもストレートにメッセージを歌にするロック歌手らしいロック歌手といった、(わかりやすく、受け入れられやすい)正のイメージが、いつしか完全に定着していたのだということを、あらためて痛感させられた。一連のテレビの報道は、世間が悼むところの、そんなロックシンガー/ロックスターとしてのキヨシローさんの死について、詳細に伝えていたのではなかろうか。
 かつて忌野清志郎と呼ばれたサザン・ソウル狂のプランクスターは、いつしかキヨシローという、愛すべきロック・アイコンと化していた。サザンやユーミンやドリカムと同系列の、カタカナで省略表記される、国民的ロックシンガーである。まろやかな親和性を身にまとったキヨシローは、その憎めない真っ直ぐなキャラクターで、当たり前のようにテレビの世界にまで浸透していった。その反面、かつての忌野清志郎という存在は、どこかに忘れ去られてきてしまったようである。
 何度となく放送禁止や発売禁止となる過激なメッセージ性を打ち出す、信念に貫かれた音楽活動を行っていたと、どのニュース番組でも繰り返し紹介されていた。だが、別に、そんなのは、過激でも何でもなかったに違いない。ただ、心に思ったことを、ストレートに歌っただけだったのだろう。ユーミンやドリカムが、等身大の愛や恋の物語をストレートに歌い。サザンが、話し言葉の羅列を巧みに記号化させ、もっともらしいことを(含みをもたせつつ)ストレートに浴びせかけるように歌うのと、全く同じことだ。また、かつての忌野清志郎が、いつもつまらなそうに煙草を吸っている職員室が嫌いな美術部顧問の担任教師について、「たばこと絵の具のにおいの/ぼくの好きなおじさん」と歌ったのとも、全く同じことである。それは何の偽りもない、ストレートな歌なのだ。ちっとも過激なんかじゃない。
 どこかに消えてしまった忌野清志郎を探して、YouTubeで古い映像を掘り返してみた。すると思った通り、やはりそこには、キヨシロー化する前の忌野清志郎の姿が、ちゃんと残っていた。どぎついアイ・メイクや口紅を塗りたくり、髪を逆立て、ガラクタのようなアクセサリーを耳や首や手首に装着し、派手な女物(?)の服をヒラヒラさせ、ガムを噛みながら歌う。痩せた小柄な身体を、奇妙にうごめかせるステージ・アクション(それは、時に極めてユーモラスで、変にいやらしくはあるが、なぜか度を越してセクシャルではない。不思議と)。その尖った異形の姿は、どこか病的にすら見える(ほとんどビョーキ)。まさに、時代の先端を猛烈なスピードで駆け抜けていた頃の、毒々しい忌野清志郎である。その猛烈さは、明日をも知れぬ暴走のように感じられた。一挙手一投足からほとばしる、痛快なヤケクソ感。どこまでも型破りな忌野清志郎には、既存の規範なんてものは一切通用しない。その奇抜な化粧や服装や言動や行動が、無茶苦茶であればあるほどに、忌野清志郎は忌野清志郎らしくなってゆくのである。
 カタカナ表記のアイコンといえば、『笑っていいとも!』の国民的司会者、タモリを忘れてはならない(この場合には、省略形ではなく語の倒置による隠語化であるが)。現在では、絶妙に脱力したインテリジェンスが香るキャラクターで、テレビの世界に、シックリと浸透しきっているが、やはり、かつては、全くそんな存在ではなかったのである。その既存のテレビの世界の笑いとは一線を画す、ねちっこくギトギトヌメヌメした肌触りの独特の芸風は、完全に型破りなものであった。テレビの前の子供の頭では、ちっとも理解できないディープなギャグの連発。そんなところにも今までにない斬新さが感じられた。そして、異様さを凝縮したようなタモリのイカサマ師っぽい風体は、明らかに良識ある人々が眉をひそめそうなものでもあった。その存在そのものがアンチ・テーゼであるかのような雰囲気は、テレビの前の子供にも皮膚感覚的に受け止めることができた。あのヘンテコな中洲産業大学の人は、どうも相当にヤバそうだぞ、と。だからだろうか、あの頃のタモリの出演番組は、もしかすると親に叱られてしまうのではないかと、ちょっとビクビクしながら観ていた記憶がある(いや、小学生時代は、夜遅くまでテレビを観てはいけないことになっていたので、それでビクビクしていたのかも知れない)。
 あの当時の、テレビ画面から伝わってきそうなタモリのギトギトヌメヌメ感と、ギラギラと暴走気味に突っ走っていた頃の忌野清志郎の佇まいには、とても似通ったものがあったように思われる。そう、良識あるオトナが眉をひそめ、鼻を摘みそうな感じだ。子供ながらに、そうした型破りでフリースタイルな芸風や存在感に、いつしか惹かれてゆくようになっていた。オトナに理解できないものこそが、自分たち側の領域のものだと、自然に/勝手に了解すべきであるとするような道筋が、すでにそこには明確にあったから。その頃、時代の表舞台には、新人類と呼ばれる新たな人種が、むくむく台頭しはじめていた。子供ながらに、その新人類たちが開拓して通っていった道の在り処を探り当て、少しずつ探索をし始めていたのだと思われる。
 タモリのモダン・ジャズと、忌野清志郎のリズム&ブルース。その本質部分は、そう簡単に子供に深く理解できるようなものでは決してなかった。ただし、タモリには、強烈な一発ギャグがあった。妙にリアルなイグアナの物真似やクッキリと浮き立たせた首の筋を指で弾いてベースの模擬演奏など、その際立って珍妙な芸は、一瞬にして子供の心を虜にしてしまったのだ。まあ、忌野清志郎の比較的わかりやすい平易な言葉で綴られる、駄々をこねて道端で泣いている子供を思わせる歌も、それなりに十分に子供の心に響くものはあったのだけれど。これは、今から思うと、どぎつい忌野清志郎の歌の中に、カタカナ表記のキヨシロー的なものを、皮膚感覚レヴェルで聴き取っていたということなのかも知れない。
画像 『Yeahhhhhh... AT 武道館』は、82年4月にカセット・テープのみで発表されたライヴ作品である。その名の通り、81年12月24日(クリスマス・イヴ)に行われた、RCサクセションの初の日本武道館における単独公演の模様を収録した一本だ。78年に本格的にロック・バンド化し、ライヴ・ハウスから中規模のホールへと急激に動員数を増大させ、遂に武道館ライヴにまで昇りつめた、出世物語のひとつの完結編である。その熱狂的な人気は、この聖なる夜のコンサートにおいて沸点に達しようとしていた。そんな何かが爆発的に弾けるような瞬間が、ここには克明に記録されている。この大きな区切り/節目となるライヴは、ある意味において、アングラから這い上がってきた忌野清志郎が、国民的ロックシンガー/ロックスターのキヨシローと化してゆく過程における、ひとつの明確な原点であったようにも思われる。
 81年のクリスマス・イヴのRCサクセションの演奏には、かなりギトギトでヌメヌメとした手触りがある。何の小細工もせずに、RCサクセションの音楽のエキスを、原液のままぶちまけている感じだ。ねっとりとしたブギー、コンパクトだが小気味いい和製R&B、お得意のバラード、ザラついたロックン・ロールに切れ味のよい(王道の教科書的な)ポップ・センス。一万人規模のライヴだからといって、決して大味な演奏になることはなく、実にタイトに引き締まっている。それは、このレヴェルの広い会場でのライヴにしては、ちょっとこじんまりし過ぎているのではないかと、心配になってきてしまうほどに。貫禄とロック・バンドのダイナミズムを溢れかえらせる、キング・オブ・ロックとして日本の音楽シーンに君臨するより以前の、一丸となって突進するシンプリシティに貫かれたRCサクセションが、この夜の武道館のステージ上にはいた。そして、忌野清志郎の歌唱にもまた、いつにも増して丁寧にシッカリと歌い込んでいるような雰囲気がある。この日の初の武道館ライヴは、映像の録画や録音などが、バッチリとなされていた。そんな、いつまでも記録として残ってしまうということを、多少は意識をしていたのかも知れない。実に生真面目な人である。
 カセット・テープには、全11曲が収録されている。ここには、武道館ライヴの曲目の、ほぼ全曲が収められている(完全収録ではない)。序盤の“ロックン・ロール・ショー”からアンコールの“スロー・バラード”と“雨あがりの夜空に”まで、81年当時のRCサクセションのライヴの代表曲は、ほぼ網羅されているといっていい。収録時間は、約60分。この破格のボリュームこそが、カセット・テープのみの発売となった、ひとつの要因なのであろうか。この長さでは、通常のLPレコードには到底収まりきらない。しかし、いくら人気沸騰中のロック・バンドだからといっても、そう簡単に2枚組のライヴ・アルバムが出せるはずもないだろう。そこで白羽の矢が立ったのが、カセット・テープというメディアであったに違いない。79年にソニーがウォークマンを発売して以来、携帯型のステレオ・カセット・プレーヤーは、爆発的な人気を博し、街中でヘッドフォンで音楽を聴きながら歩くことは、流行に敏感な若者たちの間でオシャレなスタイルとなっていた。ゆえに、カセット・テープなのだ。その頃のRCサクセションの人気を支えていたのが、まさにそんな初代ウォークマン世代の(ごく普通の)若者たちであったことを、この『Yeahhhhhh... AT 武道館』という作品は、まざまざと伝えてくれているようでもある。
 チャボ(仲井戸麗市)のギターは、いつものように絶好調である。とても滑らかに太いブルージーなフレーズを次々と決めてゆく。存在感のある軽快なゴンタ2号(G2)の鍵盤さばき。小林和生のベースと新井田耕造のドラムスによる鉄壁のリズムは、派手なステージングにかまけすぎて度々足元がおぼつかなくなるヴォーカルとギターの弾けっぷりを優しく受け止めながら、RCサクセションのサウンドの根底をしっかりと支えている。そして、梅津和時を中心とする豪勢な燻し銀のホーン・セクションが、ノリのよりバンドの演奏に、華やかな色を添えてゆく。こうしたバンドの体制は、どうもパーラメント/ファンカデリック(Parliament-Funkadelic)っぽい感じを匂わせる部分もある。ギラギラでゴチャゴチャでハチャメチャなところなど、ほぼ共通しているのではなかろうか。ならば、この81年当時、すでに忌野清志郎は、プリンス(Prince)を聴いていたのだろうか。あの衝撃的な毒々しい密室のファンクから、何らかの影響を受けているようには、ちっとも感じられないが。やはり、聴いていようが、聴いていまいが、そんなことは、大した問題ではないということなのか。時代の移り変わりとは完全に無関係に、常に素晴らしきサザン・ソウルの世界にどっぷりであってこそ、永遠のソウル・マン=忌野清志郎であるのだろう。やっぱり。
 このライヴでのハイライトは、中盤の“多摩蘭坂”や“あきれて物も言えない”あたりであるように思われる。どちらの楽曲も、とても渋く、情感と迫力がみなぎる演奏で、実に聴かせるものがある。特に“あきれて物も言えない”での、静かにバーストしてゆき、気迫もろとも大きくうねり回る感じは、とても素晴らしい。ただし、“Sweet Soul Music”や“トランジスタ・ラジオ”、アンコールの2曲など、ライヴでは定番中の定番である名曲の演奏も、決して悪いわけではない。このあたりの楽曲の演奏は、あえて言うまでもなく、常によい仕上がりなのである。時代が移り変わっても、ライヴ会場の規模が違っても、特に大きな変化はない。RCサクセションの楽曲のライヴでのアレンジメントは、ほとんど完全な形に練り上げられおり、カッチリと完成されている。その基本フォームを、どこまでも律儀に生真面目に、ステージ上で繰り返し再現してゆく。ゆえに、全てのライヴは名演となり、大外しするようなことは滅多になくなる。まさに、ライヴ演奏の職人集団といった雰囲気である。ハチャメチャに暴走しているようで、実はそこではほとんど逸脱は許されていないのである。このあたりは、かなりジェイムズ・ブラウン(James Brown)のJBズ(The J.B.'s)っぽくもある。
 カセットのケースの表面に収まるジャケットには、平凡な円いちゃぶ台に載せられた山盛りの白米をよそった茶碗と箸の写真が使用されている。初の武道館単独公演の記録ということで、和の雰囲気を醸し出そうとしたのであろうか。しかし、その裏面を見ると、ただそれだけでは済まないことが、瞬時に判明する。明日のことなどお構いなしに暴走する、危ない忌野清志郎が率いるRCサクセションであるから、そう簡単に一筋縄でゆくようなことはないのだ。裏ジャケットの写真には、表のジャケットに使用されていたのと同じ円いちゃぶ台の上に、御丁寧にも蝿が一匹たかった、テカテカの茶色のウンコが載っているのである。物事の使用前と使用後の対比ということであろうか。山盛りの白米は、摂食され、消化され、排泄されれば、いずれ必ずテカテカのウンコとなる。白米とウンコは、表裏一体の関係にあるといえる。それぞれは、互いに紙一重の存在でしかない。ちゃぶ台とは、日本の(和の)お茶の間の象徴だ。白米もウンコも隣り合わせに位置するはずの同等のものであるのなら、茶碗によそられた白米が載っていた場所に、テカテカのウンコがあったとしても、何もおかしくはないじゃないか、という強烈な主張が、このジャケットの2枚の写真には込められているような気がする。そして、茶碗の白米の存在を、決して毒づくことなく、すんなり日本のお茶の間(ちゃぶ台の上)に進出/浸透してゆく、ユーミンやサザンに代表される口当たりのよいニューミュージック系のメタファーとして捉えてみるとどうだろう。蝿のたかった茶色いウンコは、良識あるオトナたちが眉をひそめ、鼻を摘む、RCサクセションということになるのではなかろうか。そこからは、鼻つまみ者のウンコだってお茶の間に進出させろよ、という、既成の価値観をグラグラと揺さぶる、激しいメッセージ性が感じ取れる。そして、そのさらに裏側には、この作品に収録されている通り、日本の音楽業界におけるひとつのステイタスである武道館公演を大成功させたという、揺るぎない自信のようなものもクッキリと透けて見えているのだ。
 この『Yeahhhhhh... AT 武道館』が発表されたのと同じ年、82年の10月4日より『笑っていいとも!』がスタートした。月曜から金曜のお昼に放送される、生放送のバラエティ番組である。総合司会者は、それまでギトギトヌメヌメの権化であったはずの、タモリ。そう、これこそが、鼻つまみ者のウンコが、日本のお茶の間のど真ん中に進出した、歴史的な瞬間であった。これ以降、25年以上に渡って、タモリは、そこに君臨し続けている。現在では、かつての怪しさや臭みやエグみがムンムンと漂いまくる姿を、そこに見いだすことは、ほとんど不可能である。もはやギトギトヌメヌメの影すらないのだ。かつての毒々しいタモリは、能動的に忘却され、そこにすっぽりと、日本のお昼の代名詞となった、にこやかなタモさんの顔(仮面)がおさまっている。いずれにせよ、この82年とは、それまでに定着していた様々な(共同幻想的な)価値観がひっくり返り(転倒し)、ガラリと社会や風俗の様相が変わってゆく季節の真っただ中でもあったのである。その動きの中における、最も重大なエポックが、タモリが司会を務める『笑っていいとも!』のスタートであったように思う。
 82年2月、まだ小学生のガキだったぼくは、小遣いを握りしめてレコード屋(丸広百貨店川越店の山野楽器)に胸を高鳴らせながら走っていた。忌野清志郎と坂本龍一のシングル“い・け・な・いルージュマジック”を買うために。このシングルのリリースは、ぼくのような小学生の子供にとっても、ちょっとした事件だった。化粧品のCMでテレビからもガンガンに流れていたし、男同士でキスをするという良識あるオトナたちが揃って眉をひそめそうなセンセーショナルな話題性にも、異常にワクワクさせられた。ケバケバしく化粧をし、都会の遊牧民のように着飾った忌野清志郎は、教授とともにいくつもの歌番組に出演し、お茶の間に向けて、苦みばしったアングラ臭が入り混じった怪しげな毒を、好き勝手にまき散らしていた。この根深く染みついたアングラ臭は、『Yeahhhhhh... AT 武道館』の武道館公演の時点で漂っていたものと、全く同じ匂いのものであったといってよい。アングラから登場した、得体の知れない斬新さと反権威主義的な何かが、そこには確実に存在していた。その後、その行きつけのレコード店で『Yeahhhhhh... AT 武道館』を購入した。そして、毎日のように聴きまくった。それらとほぼ同時期に、RCサクセションの本「愛しあってるかい」も(山野楽器のすぐ横の紀伊国屋書店で)購入し、何度も繰り返し隅々まで読みまくった。
 小学校高学年から中学にかけてぐらいの(10代前半の)子供が、なぜに、こんなにもRCサクセションと忌野清志郎に夢中になったのだろう。決して、その存在自体は、音楽性も含めて、あまり子供向きといえるものではなかったと思うのだが。小学校高学年の頃、すでに教室の中の何人かの音楽好きの間では、ニューミュージック派のオフコースのファンと、RCサクセションのファンというように、クッキリとふたつの派閥に分かれてしまっていた記憶がある。やはり、新しもの好きのRCサクセション派には、クラスの中でも目立つタイプの、活発なとてもかわいい女の子が含まれていた。毒々しい忌野清志郎は、アイドル歌手かと見紛うほどに、うら若き女の子たちから黄色い歓声を浴びせられる存在となっていたのである。その嬌声は、常に「キヨシロー」の連呼であった。
 ぼくら子供たちは、そんなRCサクセションというバンドを、優等生的で品行方正なニューミュージック派にはない、ちょっと危ない匂いとツンとくるアングラ臭を、そこに嗅ぎ取りつつ、全ての常識を蹴散らしなぎ倒してゆく特異性に共振し、80年代的な新しいポップ感覚で、アイドル視していた節がある。『Yeahhhhhh... AT 武道館』が収録された、初の武道館単独公演に駆けつけた、ロック・バンド化以降の活動を支えた熱狂的なファン層よりも、ひとつかふたつほど下の世代にあたる、ぼくらのような(当時)小中学生のRCサクセションのファンこそが、鼻つまみ者であったはずの忌野清志郎を国民的ロックシンガーのキヨシローへと変貌させてゆく過程を、力強く後押した大元となる世代だったのではなかろうか。ぼくらにとっては、最初から忌野清志郎は、ある種アイドル的な素養を見いだせる存在としてのキヨシローであったのである。よって、そんなテカテカと輝くキヨシローのようなウンコであれば、いくらだってちゃぶ台に載せても構わないと、大真面目に思い込んでいた。そうした世代の子供たちが成長してゆくに従って、かつての毒々しい忌野清志郎は、能動的に忘却され、幾重にもふわふかの親和性で包み込まれた、カタカナで表記されるポップ・アイコンとしてのキヨシローと化してゆくことになったのだろう。一度、消し去られてしまったものは、もはやそう簡単には戻ってはこない。そして、さらに下の世代にとっては、キヨシローとユーミンやサザンやドリカムの間に本来は存在するはずの、地殻的断裂や隔絶を示す大きな断層が、明らかに見えづらいものとなっていたとしても、全く不思議ではない。ウンコをちゃぶ台に載せて、いつしか白米にすり替えたのは、ほかでもない、生意気な糞ガキだったぼくらであったのだ。
 83年の元旦、ぼくらは、テレビの画面を通じて、ひとつの決定的な瞬間を目撃することになる。それは、NHKで放送された、糸井重里が司会を務める若者向けの人気番組「YOU」の新春スペシャルにおいてのことだった。ここに、RCサクセションは、スペシャル・ゲストとして登場し、スタジオの収録に詰めかけた熱烈なファンの前で数曲をライヴ演奏した。そして、衝撃的な事件は、そのエンディング近くに起こった。前年の12月にリリースしたばかりのシングル曲“つ・き・あ・い・た・い”をノリノリで演奏している途中に、糸井をはじめとする司会陣や、この日のほかのゲストたちが、ステージ上になだれ込んできたのだ。そのゲストの顔ぶれは、坂本龍一、ビートたけし、そしてアントニオ猪木など。まさに、若者たちの神々が一堂に会したかのような、とんでもない前代未聞のステージ(いや、今となっては空前絶後だろうか)であった。そこで、忌野清志郎は、近くに立っていた猪木に何やら耳打ちをし、自分を肩車させたのである。そのままずっと肩車された状態で、歌い、ギターを弾いた。猪木は、明らかに困惑したような表情を浮かべていたが、それでも暴走するロックシンガーは最後まで肩の上から降りることはなかった。テレビで観ていて、とんでもなくハラハラしたことを記憶している。だが、これは、それ以上に、すさまじく象徴的な意味をもつ、衝撃の数分間でもあったのだ。この時、忌野清志郎は、プロレス界の四角いリングに君臨するスーパースター、アントニオ猪木を、ただの自らのステージングをド派手に演出するための舞台装置のひとつであるかのように利用したのである。文字通り、スーパースターの肩を借りて、踏み台にでもするような形で、スーパースターより目立ってみせたのだ。この瞬間こそが、放送メディアが伝えた、白米とウンコの位置が逆転した決定的場面であったといえるのではなかろうか。本来ならば上にあるべきものが下になり、下のものが上に乗ってマイクをもって喚き、ギターをかき鳴らしていた。その姿は、もはやアングラで毒々しい忌野清志郎ではなく、スポットライトを浴びて、きらびやかに光り輝くロックスターのキヨシローそのものであった。その華奢で小柄な身体が、とても大きく見えた。そして、この時のステージの上にいた、ほかの若者たちの神々と比較しても全く引けを取らないほどに、どこまでも自由で奔放なキヨシローは、神々しく光り輝いていたのである。時代の流れは、大きくうねりながら、劇的に変わりつつあった。元旦から、こんなに痺れる番組を放送していたのだから、NHKもどうかしていたとしか思えない。本当に、いい時代だった。
 低能な山師と信念を金で売ってしまうお偉方が動かす世の中を嘆き、忌野清志郎が毒づいて歌にしたのは、80年のことであった。もはや、今から約30年も前のことである。それなのに、社会にはびこる低能な山師や信念を金で売ってしまうお偉方は、一向に表舞台からも裏舞台からも姿を消しそうな気配がない。こんなことでは、いつまで経っても、この世の中はよくはならないだろう。今ごろ、あの人は、やっぱり、空の上から薄汚れた下界を見下ろして、嗄れた声で「あきれて物も言えない」と歌っているのだろうか。
 そして、きっと、次の曲を歌う前の曲間のMCでは、こんなことを言うに違いない。「オーイェー!オーイェー、こっちは、まるで天国だぜ、ベイべェ!」と。(09年)

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