溝!

アクセスカウンタ

zoom RSS Entertainment For The Braindead: Hydrophobia

<<   作成日時 : 2009/02/11 21:00   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

Entertainment For The Braindead: Hydrophobia
Aerotone/Aaahh aer014/aaahh002

画像 08年のネットレーベル・シーンにおいて、おそらく、最も高い評価を獲得したのではないかと思われる作品。だが、実際には、その評価そのものは、驚くほどとても静かになされていたがために、あまり表立った形となって現れることは、ついぞなかった。そんな極めて局所的に穏やかにさざ波うっていた賞賛の動きが、ようやく微かに表面化しだしたのは、08年の年末、あちこちのネットレーベル専門のサイトやブログに掲載されていた、年間ベストのリストに、頻繁にそのアーティスト名と作品タイトルを確認できるようになってきてからのことであった。ただ、そこでも、決して声高に高評価や賛辞が叫ばれていたわけではなかった。ただただ、いくつかの年間ベストのリストのあまり目立たぬ場所に、ひっそりと紛れ込んでいるといった感じであった。常に、どこまでも静かで穏やかな評価のされ方だったのである。それは、かなり地味で、決して目につく存在ではなかったが、何となくそれなりに心ある多くの人の耳にとまって、その記憶の片隅にしっかりと刻み込まれる確かな印象を残していたということの表れのようでもあった。リリース作品の数も容易には把握しきれないほど多く、サウンド面での多様化も驚異的な速度で進むネットレーベルの世界において、ひとつの作品を複数の選者が年間ベスト作品に挙げるという事態は、もはや稀なことになり初めてきている。そこそこ高度な内容であるにも関わらず、大した評価の声も聞こえてこない。どうも誰もリストに挙げる気配はなさそうだ。ならばと、そのまま無視するのも忍びないので、ひっそりこれをリストに紛れ込ませた。そんな奇特な人が、複数人いたというだけのことなのかも知れない。まあ、真相はどうあれ、本作は、そのリリース以来、とても静かにひっそりと局所的にではあるが、確実な音楽的評価の対象として捉えられていた。そのことだけは間違いないところなのであろうと思われる。
 これは、エンターテインメント・フォア・ザ・ブレインデッド(Entertainment For The Braindead)による、全10曲収録のEP“Hydrophobia”である。エンターテインメント・フォア・ザ・ブレインデッド(以下、EFTB)は、ドイツはケルン在住の21才の芸大生、ユリア・コトヴスキー(Julia Kotowski)によるソロ・プロジェクト。この“Hydrophobia”は、08年3月にセルフ・リリースされた全13曲収録のEP“Hypersomnia”に続く、EFTBにとっての2作目の作品集となる。また、セルフ・リリースという形態で人知れずリリースされていた前作とは大きく異なり、本作は、Aaahh RecordsとAerotoneというドイツに拠点を置くふたつのネットレーベルによる共同リリースという形で、そこそこ華々しく発表された。リリース日は、08年8月29日。つまり、前作から約半年という非常に短いインターバルでの新作ということになる。コトヴスキーにとって曲作りとは、日々の生活の中で感じたことや考えたことを、その瞬間瞬間にスナップショットでも撮るように、ありのままに切り取ってゆく作業であるという。ゆえに、半年で10曲の新曲というのも、取りたてて驚くべき数ではないのかも知れない。何気ない日常生活の中で微かにでも心を動かされることがあれば、その度に新たな作品の芽が誕生するのであるから。それに、21才という、まだまだ多感な年頃であれば、いくらでも身の回りに楽曲の種を見いだすこともできるであろう。実際、本作に収録された全10曲は、全て08年の4月から8月の間に、コトヴスキーによって彼女の自宅の居間や寝室において書き下ろされ録音されたものであるという。録音作業は、USBマイクを使用し、コトヴスキーによる歌と様々なインストゥルメンツの演奏を、ダイレクトにラップトップPCに取り込んでゆく形でなされているようだ。EFTBの音楽にホームメイドな手作り感覚が色濃く漂っているのは、まさにその通りのものであるからなのであろう。その楽曲は、極めてD.I.Y.的でユニークなサウンドをもつものであり、その歌は、凄まじいほどに私的で線の細い内密さを露顕させるものとなっている。その音の世界は、とても儚げに見え、少しでも触れた途端に崩れ、跡形もなく消え去ってしまいそうにも感じられる。
 EFTBの音楽とは、サウンド・スタイル的には、オルタナティヴ系のフォークや、ローファイ・フォークと分類することができそうなものである。ただし、コトヴスキーが演奏するギターやウクレレ、フルートなどのアコースティックな楽器を中心に構築されるサウンドは、多分にフォーク的な要素の強いものにはなっているのだが、そこにヨーロピアンなトラッドやフォークロア・ミュージックからの影響というものは、あまり濃密には感じ取れない。音の手触りは、かなりエクスペリメンタルなものであり、コトヴスキーの感情と創作意欲のおもむくままに自由奔放に展開された、不可知な動きをみせるものにもなっている。そうした異様にパーソナルな響きをもつ音楽には、どこか触れることすらためらわれるような雰囲気すらある。聴く者は、それに対して影響を及ぼすことがなさそうな十分な距離を置き、ただただ外側からジッと眺めるしかない。まさに、かなりオルタナティヴなフォーク・ミュージックである。コトヴスキーの音楽は、それほどまでに、とても繊細なものとなっている。ギターやウクレレの弦は、優しくそっと爪弾かれ、その歌声は、いまにも消え入りそうな囁き声である。そして、EFTBのすぐ傍には、巨大な空洞のような静寂が、常に寄り添っている。コトヴスキーは、その日常に忍び寄る空虚な空間に押し潰されそうになりながらも、ギリギリのところで踏みとどまって歌を紡ぎだす。これは、とても静かな音楽であり、その歌声そのものは、凄まじく小さい。しかし、そこには、コトヴスキーが音楽という形でアウトプットして表現せずにはいられぬ感情や思考が、確かに込められている。その囁きや呟きは、歌にして歌わずにはいられぬ言葉たちなのである。ゆえに、聴く者は、それにじっくりと耳を傾け、聴き込み、その音楽の世界のひそやかな動きに、惹き込まれずにはいられなくなってくる。そのとても穏やかなアコースティックな響きには、儚きものが放つ抗しがたい魅惑的な輝きが満ちあふれている。
 EFTBのサウンドは、コトヴスキーによるギターやウクレレ、フルートなどの演奏と、メロディとコーラスの歌唱を、USBマイクでラップトップPCに次々と多重録音してゆく形で構築されてゆく。また、リズム・パートの音作りには、台所から持ってきたペッパーミルやガラス瓶を叩いたり、手拍子を録音したサウンドが使用されているようである。そして、それらの録りためていった音源を、ハードディスク上で切り貼りし編集してゆくのだ。サウンドのソースは、全てアコースティックなものであるが、音楽制作の手法自体は、いわゆるエレクトロニカのそれである。専門的な用語でいえば、これは、フォークトロニカやインディトロニカといったスタイルの典型だといえるであろうか。かつまた、身近にある生活用品を楽器に転用するという手法は、ある意味、古くからの伝統的な宅録派やローファイ音響系が好んで使用してきた常套手段でもある。コトヴスキーのラップトップPCでの多重録音は、かつて宅録アーティストたちがシコシコとMTRと格闘しながら行っていた地味な作業を、簡素にディジタル化したものにほかならない。だが、使用する機材の形態は変わろうとも、極めて地味で孤独な作業という部分だけは、全く変わってはいない。その作業を続ければ続けるほど、ハードディスク上に構築されてゆく音楽は、おそろしくパーソナルな響きを持つものへと限りなく純化されてゆく。音源を編集し音の輪郭をあらわにしてゆくことで、そこに含有されているコトヴスキーの感情や思考の輪郭までもが極限まで剥き出しになってゆく。そして、多重録音された全ての音から、コトヴスキーの内面を満たしているものが色濃くにじみ出してくるのである。すると、逆に、そのコトヴスキーだらけの音世界の中心には、実際にはポツンとコトヴスキーひとりしか存在していないという、とてつもなく侘しげな光景までもが、まざまざと浮き彫りになってきてしまう。EFTBの音楽がもつ音の幅や奥行きとは、自宅の居間でひとりUSBマイクに向かうコトヴスキーが、音の編集を重ねながら拡大させていったイマジネーションの世界の深みや広がりと比例する。それは、コトヴスキーが自らの周囲に張り巡らした音で構築した、ある種の幻想世界のようなものでもあるのかも知れない。だが、全ては一瞬にして消えてしまううたかたの幻影であり、その中核部分にあるのは、コトヴスキーが呟き囁くように歌う、無防備なまでに剥き出しにされた極めてパーソナルな歌のみなのだ。どこまでも拡大してゆくイマジネーションと、とこまでも微細に繊細に研ぎ澄まされてゆく個的な感情と思考の、紙一重の部分で隔絶された絶対的両極の対比。その、突き詰められた部分に泰然と横たわる、どうしようもなくひとりぼっちな感覚。誰に聴かれることもない小さな歌声。冷ややかに漂う寂寞感。EFTBの音楽を聴く時に、目の前に突きつけられ、まざまざと眺めさせられることになる、この光景は、もしかすると誰もが背中に背負い込んでいる暗く巨大な孤独の感覚そのものの写しであるのかも知れない。コトヴスキーの今にも消え入りそうな歌声は、見事なまでに、全てを押し潰してしまいそうなほどに肥大化した現代社会に巣食う個々の孤独の感覚を照射する。孤独の淵の奥底で呟き囁くことしかできないのは、実は、ワタシであり、アナタである。決して、それはコトヴスキーだけが味わっている特異な孤独ではないのだ。そう考えると、脳死者のための娯楽というユニット名は、実に辛辣でアイロニカルなものであるような気もしてくる。EFTBの音楽とは、現代人の感覚の正常さをはかるリトマス試験紙なのではなかろうか。さて、脳死者の耳に、呟き囁くようなコトヴスキーのか細い歌声は、はたしてきちんと届くのだろうか。
 EFTBのローファイ・フォーク/フォークトロニカ的な楽曲には、大きく分けてふたつの様式をみとめることができる。まずは、かなりストレートな弾き語りスタイルの楽曲だ。ここに分類されるのは、いわゆるローファイ・フォーク的な作品である。“Hydrophobia”においては、2曲目の“Colours”や6曲目の“Fences”、8曲目の“What You Get”あたりが、その系統に該当するだろうか。この手の楽曲は、さほど多くはない。だが、その曲調からは、コトヴスキーの歌が基本的には弾き語りスタイルをベースにして生み出されていることを明らかに見て取ることができる。非常にベーシックなスタイルの素朴な歌が、そこにはある。そして、もうひとつの様式は、細かいフレーズの反復を幾重にも積み重ねてゆくことで、密度の濃い情感の渦巻きを立ちのぼらせてゆく、ややエクスペリメンタルなサウンドが構築されている楽曲である。こちらは、どちらかというと、いわゆるフォークトロニカ的な要素をもつ作品だといえる。“Hydrophobia”では、3曲目の“Resolutions”や7曲目の表題曲“Hydrophobia”、10曲目の“Maybe”などが、それに相当する。爪弾かれるギターやウクレレの弦、フルート、コーラス、手拍子など、コトヴスキーによって生み出された繊細な音のループが、パッチワーク状にチマチマと張り合わされ、ひとつのアコースティックな音楽的集合体となって実に豊潤なる響きを放つ。いずれも、非常に美しい煌めくようなメロディが、満遍なくちりばめられた楽曲ばかりだ。その根底部分に見えているのは、実際には、とてつもなく深く暗い孤独感と隣り合わせの切なさや侘しさばかりであったとしても、だ。
 実はEFTBは、08年の秋頃から、非常にひっそりとではあるがライヴ活動を開始している。その初ライヴ・パフォーマンス(08年10月18日、ケルン〈Motoki Wohnzimmer〉)の模様を、Aaahh Recordsによって動画サイトにアップロードされた映像で確認してみたが、これが、何とも興味深いものであった。コトヴスキーは、サポート・メンバーによるバック・アップを受けることなく、本当にひとりぼっちでEFTBの音楽をステージ上で再現していたのである。それは、まさに、どこまでも静的なワン・ピース・バンドとでも呼べそうな、圧倒的な存在感を放つパフォーマンスであった。ステージ中央の椅子に腰掛けたコトヴスキーは、足元に置いたサンプラーを操作しながら、ギターやフルート、そしてコーラスなどのフレーズをライヴ・サンプリングしてループさせ幾層にも積み重ねてゆく。“Hydrophobia”では、凄まじくか細く聴こえていた歌声も、ライヴでは、生命力に満ちあふれ波打つように躍動しながら響き渡る。これは、最も印象的な部分でもあった。コトヴスキーが、たったひとりで奏でるEFTBの音楽は、とんでもない濃厚なパワーを秘めていたのだ。ライヴでのEFTBには、聴く者の魂を揺さぶり激しく突き動かす、グサリと突き刺さるような音の説得力が確実に感じられた。渦巻くフレーズのループ群がカオス状態寸前の音塊となって吹きすさぶ中を、コトヴスキーだけが淡々と冷静にマイクに向かって歌を囁いているだけなのである、が。その姿は、きっと、自宅の居間や寝室でUSBマイクに向かって録音作業をしていた際の姿と、寸分も変わらぬものでもあるのだろう。コトヴスキーは、決して己を見失うことなく、自らが紡ぎ出した歌の旋律を、ただ静かに歌い続ける。そこが、自宅の居間であろうと、どこかの街のライヴスペースのステージの上であろうと、全く姿勢を変えることなく。サンプラーを相方に、コトヴスキーは、いつでもどこでもEFTBの音楽に生命を吹き込み、うたかたの幻想世界を築き上げることができるのだ。09年2月、EFTBは、初のライヴ・ツアーでドイツ国内7ヶ所において公演を行っている。どうやら、コトヴスキーは、ライヴ活動に対して非常に前向きかつ積極的であるらしい。不特定多数のオーディエンスと、自らの音楽を共有するという経験を、至上の喜びのようにも感じているという。実に頼もしい。今後のさらなる活動に大いに期待したいところである。
 EFTBの“Hydrophobia”は、08年のネットレーベル・シーンにおける、最も優れた作品にして最も高く評価された作品だといってしまっても、おそらく全くの見当違いではないであろう。これ以上のものを、そう簡単には見つけることができないから。たぶん、異論を唱える人も多いであろうが、それはそれ、これはこれだ。EFTBの音楽にはEFTBにしか作り出せない独特の音世界の深みや広がりが確実にある。この極限まで突き詰められた繊細な音のとてつもない強度には、そうそう太刀打ちできるものでもないだろう。他に比類なき音楽というのは、おそろしく強いのである。コトヴスキーの脳内で生成されたEFTBの音楽が色濃くもつ、抗いがたいひとりぼっちの感覚。このまま、コトヴスキーには味わい深い細やかな感情の動きを綴ったささやかな歌を次々と紡ぎ出し、どこまでも我が道を歩んでいってもらいたい。硬直する現代社会の脳死者たちに娯楽を提供することは、もはや時代からの早急なる要請であるようにも思えなくはない。EFTB万歳だ。(09年)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
Entertainment For The Braindead: Hydrophobia 溝!/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる