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<<   作成日時 : 2009/02/01 21:00   >>

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Pet Slimmers Of The Year: Pet Slimmers Of The Year EP
Lost Children LostChildren060

画像 UKのエクスペリメンタル〜ポスト・ロック専門のネットレーベル、Lost Childrenからの60番目の作品。これは、ペット・スリマーズ・オブ・ジ・イヤー(Pet Slimmers Of The Year)による、全3曲を収録したデビューEPである(リリース日は、09年1月15日)。ペット・スリマーズ・オブ・ジ・イヤー(以下、PSOTY)は、イングランド中央部に位置するピーターバラを拠点に活動する、スリー・ピースのポスト・メタル・バンド。リリース元のLost Childrenが、PSOTYを紹介する際に何気なく使用している、このポスト・メタルという用語だが、要するに、ヘヴィ・メタルをポスト・ロック的なスタイルで再解釈し再構築させたバンド・サウンドという風に捉えてしまって全く差し支えはないであろう。往年のヘヴィ・メタルのサウンドから自慰行為的なギター・ソロなどの装飾や虚飾を全て削ぎ落とし、シンプルで重いギター・リフを軸に、ただただひたすらに反復を繰り返すことで様式の壁に風穴を開け、前時代的な暑苦しく湿っぽいロックから脱却し、より自由な広大なる未開の地平への脱出/逃走を試みる。ここでのポスト・メタルのサウンド・スタイルには、予定調和的な非常に安っぽいカタルシスを促すための装置となる、劇的な展開というものは、ほぼ存在しない。その代わりに、そのサウンドの流れは、常に全く予期せぬ地点でいきなり方向を転換したり、予想だにしなかった展開へとなだれ込んでいったり、唐突に思いもかけぬエンディングの場面を突きつけてくることがあったりする。PSOTYによるポスト・ロック版のヘヴィ・メタル、ポスト・メタルとは、大まかに言うと、そうした音楽的な特徴をもつものである。従来のヘヴィ・メタルのスタイルを念頭において接すると、かなり肩すかしを喰らわされることになるかも知れない。どちらかというと、そのサウンド・スタイルは、大きくポスト・ロック寄りに傾いているといえる。そこに既成のカタルシスを求めることは不毛だ。だが、その極めて重い徹底した反復を繰り返す奔放な音楽は、聴く者の内面に、一種の強烈な浄化作用をもたらすことであろう。そう、PSOTYのポスト・メタル・サウンドは、かなり強烈に効くのである。
 ここに収録されている全3曲は、いずれも約10分程度という長尺な楽曲となっている。PSOTYのサウンドの特性として、じっくりと反復を繰り返す分厚く重いリフレインを軸とした、徹底的に安易さを回避した展開が常に試みられているため、楽曲の尺が尋常ではない長さに膨張してしまうのは、まあ致し方がないところなのであろう。約10分程度というのは、PSOTYの楽曲としては、もしかすると、かなりコンパクトにまとまっているほうなのかも知れない。放っておくと、一曲を何時間でも延々と精根尽きるまで演奏していそうな雰囲気が、この連中にはある。そう、そのサウンドからは、どこか鬼気迫る、ただならぬ気配がメラメラと感じ取れるのだ。PSOTYの楽曲は、何もない無の状態を手探りで這い回り、小さな音の断片をひとつずつ拾い上げてゆくところから始まる。そして、ある程度の音のピースが出揃い、駆動するエンジンが完全にあたたまりきったところで、初めて大きくうねりながら疾駆を開始するのだ。ギターとベースとドラムが、ひとつの音の塊となって熱に浮かされたようにフレーズを反復させながら、天を衝き高みへと駆け上がってゆく際のサウンドの壮絶さには、かなりの迫力が感じられる。解き放たれた野獣のような疾走感。あかあかと燃え上がる劫火の如き一種の神秘性。そして、その奥底に横たわる、決して逃れることのできぬ因業が渦を巻く暗く深い淵。目眩がするような果てしない反復の繰り返しに、グネグネとあらゆる感覚がこね回され掻き回され、様々なイメージが走馬灯のように目の前に立ち現れては消えてゆく。その楽曲の佳境部分では、まるで聖と俗の両極端を同時に味わわされているような甘美な疼きをともなう感覚が、天頂の高みから襲いかかってくる。PSOTYによる執拗な反復サウンドは、強制的に脳を洗い、無我の境地へとやや乱暴に突き落としてくれるのだ。そして、約10分程度の楽曲が、完全に終わるまで、鷲掴みにされ引きずり回される神経と意識は、決してこちら側に戻って来れない。PSOTYの音楽とは、一種の麻薬的効果をもたらすものでもある。そこには、何ともいえない危険な香りが濃厚に燻っている。
 PSOTYの楽曲は、基本的に全てインストである。そのポスト・メタルなバンド・サウンドにとって、言葉とは全くの余分な要素であると、わざわざ表明しているところをみると、これからもたぶん歌入りの楽曲を制作する気は、さらさらないのであろう。ただ、重厚にして鮮烈なギター・リフを軸とする反復中心のサウンドに、メロディアスな旋律をのせることは、極めて困難な作業となるであろうことは間違いない。また、じわりじわりとフレーズの繰り返しの中で展開してゆく楽曲の流れにあわせて、細やかに歌唱を対応させてゆくスタイルというのも、相当に至難の業となるであろう。もしも、このPSOTYのサウンドにヴォーカルを付帯させるとするのならば、反復の中で抑揚を限りなく抑えた平坦な読経のようなものにするか、激しい轟々たる音の流れの中で不規則に言葉にならないプリミティヴな奇声を発するかの、いずれかの形式にせざるをえないのではなかろうか。だが、PSOTYは、そうしたまどろっこしい選択や試行錯誤の紆余曲折は、一切すっ飛ばして、脇目もくれずに歌唱や言葉を捨て去る方向へと一気に舵をきったようだ。歌と演奏が一応の折り合いをつけて共生し馴れ合いの展開を余儀なくされる音楽など、もはや前時代的なロックというしかない。新たな地平を模索する新生ロックとは、かつてロックをロックたらしめていた形式/形態からすらも、あっけらかんと積極的に脱却をしてしまう。PSOTYとは、ひとつの反復する音の塊となることで何かを語ることを試みる猛者たちの集団である。ゴワン(Gowan)、ヴィンテン(Vinten)、マッケンナ(McKenna)とシンプルに名乗る3人のメンバーは、極めて没個性的であり、誰がどのインストゥルメンツを担当しているのかさえも明らかにはされていない。確かに、誰がどの楽器を弾こうが、そんなことは大した問題ではない。世界的な名手が弾いても、ズブの素人が弾いても、ギターはギターの音色しか出さないのだから。その技術的な部分を、あれこれするというのも、もはや前時代的でしかない。それに、技術などというものは、努力して鍛錬さえすれば、基本的に誰にだって身につくものである。問題となるのは、結局のところセンスだ。どんなに技術的な面で卓越していたとしても、全くセンスがなければ、その演奏は非常に味気ないものとなるであろう。また、技術的な面では救いようもなく拙くとも、抜群のセンスが備わっていたならば、その演奏は素晴らしく味のあるものになることだってある。PSOTYの3名は、ただただ楽器の奏でる楽音だけで語るがために、曖昧であやふやな印象や変な先入観を与えかねない演奏者の個性などというものは、最初から分厚いヴェールの向こうにしまい込んでしまっているのである。無駄に個性をひけらかすセルフィッシュな行いがまかり通っていた、伝統芸能的なロックの無邪気な幼稚さを、ポスト・ロックは断固として拒絶する。ここでは個性も言葉も、全く意味をなさない。その主体は、純粋に音楽そのものなのである。
 本作は、全3曲を収録した約30分の作品である。いずれの楽曲も、そのサウンドの展開がクライマックスに到達した場面では、ひたむきに突進を続ける各楽器によって弾き出される音色が渾然一体となり、徹底したストイシズムをたたえた荘厳なるバンド・アンサンブルは、どこまでも熱く煮えたぎり天高く焔立ち目映いばかりの閃光を放つ、何とも凄まじいものへと変異する。だが、そうした展開の詳細を、それぞれの楽曲について、ここでいちいち言葉で説明するというのは、ちょっと野暮なことになってしまうおそれがある。もとより、PSOTYの側では、極めて曖昧で不確実な言葉による表現というものを、その音楽作品の中では完全に放棄してしまっているのだから。それでも、ここには、PSOTYによる頑強なまでの拒絶を免れた言葉が、実は、確かに存在している。ただ、それは音楽の内部にではなく、その外側にだけ。PSOTYは、それぞれの楽曲にタイトルをつけるところまでは、言葉というものを放棄してはいないのである。1曲目は“A Letter To His Father”。私でもなく、アナタでもない、彼の父親への手紙。微妙だが、かなりの隔たりを介在していそうな関係性ではある。何故に第三者の親に宛てて手紙をしたためなくてはならないのであろうか。その手紙が知らせる事柄とは何か。あまりよい知らせではなさそうな予感だけは、ありありと漂っている。2曲目は“World Without Stars”。星なき世界。ここでの星々とは、何かのメタファーであるのかも知れない。ひとつも星のない、恐ろしいまでに真っ暗な夜空。深い絶望に支配された、進むべき方向すら見えてこない決して明けることのない闇夜。それは、まさに現代の社会そのもののことではなかろうか。3曲目は“One Down”。一死。ひとつの死を乗り越えての新たなスタートということか。自らの決定的な失敗を確実に自覚しながら、傷や欠損を内面に抱えたまま、あらためて生死をかけた勝負を挑む。次の死で完全に勝敗は決してしまうかも知れない。もう後はない。崖っぷちの綱渡りだ。一寸先は闇。みなぎる緊迫感。響きと怒り。大いなる危機は、もうすぐそばにまで迫ってきている。こうして、ザッと見ていっただけでも、どれもこれも、妙に謎めいたイメージをまとったタイトルばかりである。おそらく、それだけを頼りに、全てを理解しようとしても、さらに意味不明な落とし穴に陥り、深く暗い思考の森の奥で迷子になるだけであろう。それぞれの楽曲につけられたタイトルは、PSOTYが聴く者に与えてくれた唯一のヒントであり、その特異な音楽世界の入口に残しておいてくれた部外者のための小さな取っ掛かりにしかすぎない。もしくは、ちっぽけな道標だろうか。これだけを手がかりや足がかりとして、その謎めいた音の深淵と狂熱の世界に足を踏み入れることは、まさに一種のアドヴェンチャーである。約30分間の旅路において、いかなるものと遭遇することになろうとも、もはや後戻りすることはできない。PSOTYの道は、一本道なのだ。
 ドイツはドルトムントのネットレーベル、12rec.を拠点に活動するミルへイヴン(Milhaven)は、流麗なるリリシズムを漂わせるサウンドを得意とする孤高のポスト・ロック・バンドである。だが、ここ2年あまり全く新作をリリースしていない。そして、新作の噂も、全く聞こえてこない。これは歴然たる事実。ちょうど、そろそろ何か新しい動きがほしいところだったのだ。そんなところに、こつ然と登場したのが、このPSOTYである。重々しいメタリックかつ堅牢なギター・リフと、その執拗な反復からなる展開によって醸成される、超然バースト・ポスト・ロック・サウンドを引っさげて、PSOTYは浮上してきた。まだまだ、この程度の突き抜け具合では、王座に君臨するミルへイヴンの足元にも及ばないと見るむきもあるであろう。しかしまだ、PSOTYは、この世界に生まれ落ちて最初の一歩を踏み出したばかりなのである。そう考えれば、これは、最初の一歩にしては、なかなかにしっかりとした一歩であるといえやしないであろうか。このまま確実に歩を進めてゆけば、PSOTYが、ミルへイヴンの後継と目されるようになる日も、そう遠くはないはずだ。ミルへイヴンの待望の新作が、いつになったら発表されるのかも気になるが、PSOTYの今後の動向も、かなり気になって仕方がない。重厚なるポスト・メタル・スタイルを標榜するスリー・ピースのバンド・サウンドが、これからいかなる進化/深化を遂げてゆくのか、とても興味深い。PSOTYは、その音の魔力で、どれほどまでに、一線を越えた彼岸の世界の底無しな深淵を覗き込ませてくれるのであろう。そこに、滅びゆく魂を救済する希望の光など一切存在しなくたって構わない。ポスト・ロックが目指すところは、全く新しい類型に属する価値観の創造である。理性か、野蛮か。一気に突き抜けて渡りきってしまうのならば、今が絶好の好機だろう。闘争の世紀の果てに待ち構えているのは逃走の世紀か。反復は、偉大なる正義である。(09年)

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