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zoom RSS The Fine Fifteen 2008

<<   作成日時 : 2009/01/10 21:00   >>

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The Fine Fifteen 2008

Ada: Kink-A-Jou (International Records Recordings)
Adonis presents Pop Dell'Arte: No Way Back - Tribute E.P. (Mathematics)
Allez Allez: Allez Allez (Aeroplane Remix) (Eskimo)
Baaz: Few Days EP (Elevate)
Matthew Bandy & Duane: Harlem Groove (Muak Music)
Challenge: Thirst (K2)
Downtown Party Network: Days Like These (Eskimo)
Eva Be feat. Pegah Ferydoni: She Walks Alone (Marcus Worgull Remix) (Sonar Kollektiv)
Marcello Giordani: Respect Yourself (Mule Musiq)
Putsch 79: Gibson (Clone/White)
Quixote feat. Lisa Li-Lund: Before I Started To Dance (Versatile)
Ilija Rudman: Burning Of The Midnight Minds EP (Electric Minds)
Runaway: Brooklyn Club Jam (Rekids)
Think Almost Twice: Chikiba (Supra)
Wow & Flutter: Tape Replay (Fresh Meat)

画像 『Sports Illustrated』誌のピーター・キング(Peter King)による名物コラム「Monday Morning QB」は、世界で最も面白い読み物のうちのひとつであろう。その中のパワー・ランキング・コーナー、The Fine Fifteenにちなんで、08年の(とりあえず)ベストだと思われるものを15点ばかり選び出してみた。キング大先生、とてもとても尊敬しています。全て、アナログ盤の12インチ・シングル。並びは、アルファベット順。音楽の良し悪しに、こんなとこで順位をつけてあれこれ云々しても特に何の意味もないと思われるので、そうした浅ましい行いは慎むことにした。グッド・ミュージックとは、どれもこれもみなベストなのである。
 08年、最も印象に残っている動きは、夏場あたりから90年代初頭の割と渋めのハウス・ミュージックを再発掘する大ブームが、にわかにわき起こったことだろうか。最初は、全くの個人的なレヴェルでのブームでしかなかった。だがしかし、秋口に世界的な金融危機の兆候が目に見える形で現れはじめ、坂道を転がり落ちるようにグローバル経済が破綻をきたしだすと、どうもそれは妙に大きな時代の動きとリンクしたものでもあるように思えてきたのである。あの当時のディープな歌物ハウスの歌詞の世界の奥底に、べっとりとこびりついた、フラストレーションやデプレッション、もしくはリセッションというキーワードを聴き取り、それをリアルなものとして感じ取ることが、08年的な再発掘作業の大きな主旨にもなっていたのだ。そうした迫りくる危機への予兆めいたものは、07年に米国でサブプライム・ローンの問題が表面化してからというもの、きっと誰の胸の内にも明確に燻っていたのではなかろうか。明日という日は、間違いなく今日よりもさらに下降したところにある。一寸先は真っ暗闇で、もうどんなことが起こっても、さほど驚きはしないだろう。大手の銀行がいつ倒れても、世界的な大企業がいつ潰れても、全然おかしくはない。もっともっと悲惨さを増してゆくであろう現実を、目の当たりにすることに対する気持ちの準備はすでにできている。それほどまでに、時代に蔓延する空気感は、急激に冷え込み、陰鬱な閉塞状況へと落ち込みつつある。あのブラック・マンデイ以降の大不況、その過酷極まる冬の時代のダンスフロアを包み込み、奈落の底へと沈み落ちそうになる人々を優しくすくいあげていた、アンダーグラウンドから発信されたアンダーグラウンドのためのハウス・ミュージックは教えてくれる。最終的に、最も重要となるのは、愛(隣人愛)とユニティ(コミュニティにおける団結)であると。やはり、結局は、そこなのだ。つまり、愛と平和、だ。単純な話ではあるのだが、実はこれは、非常に奥が深い。状況が悲惨で過酷になればなるほどに、隣人への愛や、家族と地域社会(様々な社会階層における小規模な共同体)の団結力の強さや深さが試される場面も多々生じてくることになるであろう。90年代初頭のハウス・ミュージックには、来るべき未来へのささやかだけど大切な教訓が込められて(隠されて)いる。今こそ、再発掘され、聴き返されるべき、その時なのではなかろうか。ラヴ・イズ・ジ・オンリー・ウェイ。
 08年後半、次第に時代の雲行きが怪しくなってくると、それまでそこそこ面白味が感じられていた、奇抜なサウンドのミニマル・ハウスに対する意識にも、だんだんと曇りがちなムードが漂い始めてきた。ジギー・キンダー(Ziggy Kinder)“Flipflop Crash”(Souvenir)、トゥー・アルマディロス(Two Armadillos)“Hamlin”(Dessous)、プロシューマー&ムラット・テペリ(Prosumer & Murat Tepeli)“Turn Around”(Ostgut Ton)、ロバク・ヴルーメ(Robag Wruhme)によるゼムロック(Themroc)の“Dash Shopper”(Freude Am Tanzen)といった、かなりモッサリとしたハウス寄りな音の作品でないと、どうも耳が受け付けなくなってきてしまったのである。もしくは、“El Alma”(Joke)などの、パーカッシヴで極度にシンプルなスカスカのトラック物とか。無闇に神経を逆撫でする畳み掛けてくるフレーズや、奇をてらった構成、そして無駄に高揚感を煽り立てるサウンドに、生理的な部分で嫌気がさしてきたのだろう。ちっとも空気を読めていない、から騒ぎ/ばか騒ぎについてゆけなくなり、全てがうざったくなってきてしまった、という別な言い方をしても、まあ当てはまるかも知れない。そこで、そうしたモサいハウスを志向する傾向の最大の決定打となったのが、アダ(Ada)の“Kink-A-Jou”(International Records Recordings)であった。このビックリするほど素晴らしい一枚の登場によって、時代の動きは(地下のはるか奥底で)確実にディープなハウス・ミュージックへと向かって流れつつあることを確信できた。今年は、ドイツとその周辺の地域からも、ひっそりポツポツと飛び出してくるであろう、地味なハウス作品のリリースにも、さらに注目してゆきたいところである。もっともっと時代の動きを敏感に察知し、時代の空気感を目一杯に吸い込んだ、世界的にとてつもなく困難な局面を迎えつつある、この00年代最終盤ならではの感覚がヒシヒシと感じ取れるハウス・ミュージックを聴きたいのだ。アンダーグラウンドのハウスとは、時代の奥底に沈殿したものをありありと反映する、一種の鏡のようなジャーナリスティックな役割をも果たすことのできる音楽であるはずだろうから。もはや、ダンスフロアは、現実逃避のためだけの場ではない(のかも知れない)。
 そして、ドイツあたりのミニマル・ハウスやテック系のサウンドに、ピクリとも動かなくなってしまった食指が、何に反応するようになったのかといえば、やはりオーセンティックな風合いのディスコ・サウンドやら、ベーシックなスタイルのハウス・ミュージック〜エレクトロ・ハウスであった。まあ、結局のところ、いつだって落ち着く先は、ここなのである。そんなチェンジの風が吹き荒れた季節にあって、その後の原点回帰的な方向性がハッキリと見えはじめる大きな端緒となったのが、マシュー・バンディ(Matthew Bandy)とデュエイン(Duane)による“Harlem Groove”(Muak Music)との出会いであった。少々アクの強いピアノのソロ・プレイを全面的にフィーチュアした、ごくごく普通の淡々としたディープ・ハウス・トラック。これに手がのびたことは、個人的には、ちょっとした事件であった。あの当時、こんな感じのものは飽きるほど聴いたはずだから。ゆえに、もうこういうタイプの盤には当分の間は手が出ないだろうと思っていた。しかし、そんな浅はかな思い込みを、この一枚は、あまりにも軽やかに打ち砕いてくれたのだ。後になって、ちょっと気になったので、その素姓を調べてみたら、バンディとは、かつてCommunity Recordingsから“Hazed & Infused”をリリースしていた、ベースライン・ロード(Bassline Road)の片割れであることが判明した。何のことはない。実は、昔からの知った顔であったのだ。つまり、どんなに遠く離れようと思っても、ただグルグルと堂々巡りを繰り返しているだけで、いつも最後に落ち着く先は、この系列に連なる音の流れのどこかしらということになるのである。さんざん浮気をして回り道を繰り返したって、いつだってハウスとディスコは、優しく温かく帰還を歓迎してくれる。全くもって、ありがたい。さあさあ、大いなる父よ、母よ、この親不孝者の放蕩息子が遂に帰ってきてしまいましたよ。今年からまた、どうぞよろしくね。
 08年には、もはや定番となりつつある、怪しい再発やリエディット物のリリースも、止まることを知らぬかのように枯れ木に花を的な活況を見せた。それらの中でも特に印象に残ったのが、突如出現したH-Trackのシリーズだった。シリーズとはいっても、ポコポコとDisk 1とDisk 2が出ただけで、その後は一向に続いていないのが現状ではあるのだが。内容的には、いずれもマニアックすぎず、作り込みすぎずといった塩梅で、ちょうどよい湯加減の仕上がりとなっていた。ややぬるすぎて物足りないとおっしゃる諸兄も多いかと思われるが、今後もこのシリーズが続いてゆくことを個人的には切望している。これ以外にも、ピート・ハーバート(Pete Herbert)のL.S.B.による“Super Discoteca”の新シリーズ、ファントム・スラッシャー(Phantom Slasher)の“Skullvolley”、ジェピー&ジェピー(Gepy & Gepy)“African Love Song”のスティーヴ・コティ(Stevie Kotey)によるエディット、ディミトリ・フロム・パリ(Dimitri From Paris)の“Southside Edits Vol 1”、ピロースキー(Pilooski)によるホルガー・ヒラー(Holger Hiller)“Das Feuer”のエディット、ユーリーズミックス(Eurythmics)“Take Me To Your Heart”をディスコ・デヴィル(Disco Devil)がリエディットした“Take Me”、ダニエル・バルデリ(Danile Baldelli)とマルコ・ディオニジ(Marco Dionigi)によるDisco & Co“Cold Coke”のリエディットなど、面白いものは多数あった。つらつらと挙げ出したら、きりがなくなるくらい。勿論、いまさら言うまでもなく、定番中の定番であるFlexxからの再発シリーズも、9番から11番まで、とても良質なリリースがコンスタントに続いた。おそらく、今後もこの賑わいぶりは、しばらく収束することはないだろう。70年代から80年代にかけての超マニアックな音源から90年前後のハウス・クラシックスまで、実にヴァラエティに富んだエディット作品が入り乱れるなど、ますます面白い状況が表出しつつあることも、確かであるから。リエディットという伝統的な音楽の再編集/再構築/再解釈手法を、最大限に活用することによって、ほぼ恒久的に古典の再生は可能となる。リデュース。リユース。リサイクル。
 08年の個人的な流行語大賞は、ワイルドキャット・フォーメーション(Wildcat Formation)に決定。これには、ちょっと度肝を抜かされた。ワイルドキャット・フォーメーションとは、今季のマイアミ・ドルフィンズ(Miami Dolphins)が突然多用しだした変則的な攻撃陣形のこと。何が飛び出してくるのか、ボールがスナップされてみなければわからない、野生の山猫のような予測不能の目まぐるしい動きから、その名がつけられたと言われている。ランニング・バックへのダイレクト・スナップを基本とする、このプレイ・システムは、相手の守備を十分に混乱させ惑わすことができなければ、大きな効果は望めない。本来、スナップを受ける役割を果たすはずのクォーターバックが、プレイの核となる部分に関与しない場合(ドルフィンズの陣形では、クォーターバックは最初から遠く開いたワイド・レシーヴァーのポジションについている)、攻撃の駒の数は必然的にひとつ少なくなり、相手の守備側に数的有利な状況が生じるためだ。キッチリと準備をし相当な覚悟を決めて取り組まないと、このフォーメーションでの攻撃は、非常にリスキーなものにもなりかねない。それに、相手の守備だってプロフェッショナルである、そうそう変則的な陣形からの奇襲攻撃に、まんまと引っかかりはしないだろう。だがしかし、ドルフィンズの山猫大作戦は、なぜか面白いように決まることが多かったのである。実際に、これは、見ていて大変に面白い。ワイルドキャット・フォーメーションからのプレイには、一級品のエンターテインメント性が詰まっているといってもよいかも知れない。ランニング・バックのロニー・ブラウン(Ronnie Brown)が、ショットガンの位置でセンターからダイレクト・スナップを受け、そのままボールを持って自ら走ったり、ハンド・オフでオフ・タックルのランニング・プレイやリヴァース・プレイへと展開したり、はたまたボールを投げてパスを決めたりと、もう要するに何でもありなのである。面白いように決まる奇策ほど面白いものはない。どこまでも平然と一試合のうちに何度も多用されるワイルドキャットは、結果的に平均して約7ヤード以上のゲインをドルフィンズの攻撃にもたらしたという。これだけ進むのであれば、大成功といって差し支えないだろう。この成功の裏に、ブラウンのもつアスリートとしての飛び抜けた能力の高さがあったことは確実である。どこまでも俊敏で、脚力と走力があり、ダウン・フィールドのレシーヴァーへ的確にパスを投げ込むこともできる。それに加えて、ブロックを行う際やボールをキャリーする際に守備選手のタックルを押し返すパワーや、自らがレシーヴァーとなってダウン・フィールドにかけ込んだ際にパスを巧みにキャッチするセンスも求められもするだろう。ワイルドキャット・フォーメーション旋風以降のランニング・バックには、ブラウンのような、全方位型の高度な運動能力が、さらに要求されるようになるはずである。走って、投げて、捕る。そして、パワーとスピード。残念ながら、もはや巨体を武器に前へ突き進むだけのビッグ・バックがもてはやされる時代ではないようだ。時代は、鋭敏にすばしこく野性的に動き回る山猫を求めている、ということなのかも知れない。ここにも、前時代的なグローバル経済という巨木が立ち行かなくなり傾き倒れかかっている現代社会のイメージと、見事に重なる状況が存在していた。ワイルドキャットの台頭が暗示しているものとは、いったい何か。これには少なからず考察をする価値がありそうだ。混迷の時代を生き残るためには、練りに練った奇策を、あたかも正攻法であるかのように用いるのが、最も効果的ということか。リスクを恐れるな。山猫のように生きよう。
 08年、せっかく購入したのに、まだ聴いていないCDが何枚かある。別段、特に忙しくもないくせに、それらを聴く時間を作れなかったのは何故だろう。何事も後回しにする悪癖が身に染みついてしまっているせいかも知れない。よくない傾向である。今年は、もう少し余裕をもって、ガツガツと貪欲にゆきたいところである。(09年)

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