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<<   作成日時 : 2008/11/11 21:15   >>

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「イチキュウキュウニイ、ランアウェイ」

【四】

 何もかもが、とてつもなく衝撃的で強烈な体験だった。クラブもレコード屋も地下鉄も1ドル・ピザもフライド・チキンもハーレムもセントラル・パークもロウワー・イーストサイドも、NYで体験し経験した全ての事柄は、どこまでも新鮮な驚きと発見に満ちたものばかりであった。特に、週末の〈The Shelter〉は、ぼくらの音楽観そのものにまで影響を与える、凄まじいほどの巨大なインパクトを及ぼした。帰国後に遊びにいった芝浦のゴールド〈Gold〉が、それまでのスペシャルな印象からガラリと一変してしまい、全然しょぼく貧弱で薄っぺらなものに感じられてしまうほどだった。当時、日本随一と謳われていた、芝浦の倉庫街一帯に低く轟く強力なサウンドシステムも、やはり本場とは音の迫力や厚みの面で雲泥の差があることを、まざまざと実感させられた。ぼくらは、〈The Shelter〉での貴重な体験を通じて、アンダーグラウンド・ダンス・ミュージックの文化の最も輝かしい瞬間のひとかけらを、思いもかけずに味わうことができてしまったのだろうか。本場NYの生粋のガラージ・サウンドの、その歴史と伝統に裏打ちされた奥深い世界を、達人による怒濤のごときDJプレイによって、いやというほどに浴びせかけられる幸運に恵まれたのだから。小林君が、それまで以上に、さらに本格的にガラージの虜となり、次々と移り変わる90年代の新しいハウス・ミュージックのトレンドに、全く興味を失ってしまったとしても、それはそれで仕方がないことのようにも思われた。その気持ちは、筋金入りのハウス・フリークであったぼくとしても、完全に理解できないものではなかったから。第一期の〈The Shelter〉は、それくらいに強烈で影響力大であった。そのダンスフロアには、極めてラフな形でではあったが、80年代のガラージの文化や伝統の燃えカスや燃え残りが、確実に継承されていて、絶えることなく息づいていた。間違いなく、ガラージの篝火は、まだそこにちゃんと灯っていたのである。
「あれって、そんなにいい?おれは、それほどでもないんだけど」
 あれとは、つまりディー・ライトのマスターズ・アット・ワークのやつのこと。正確には、ディー・ライト(Deee-Lite)のシングル“Runaway/Rubber Lover”。そして、そのマスターズ・アット・ワークのやつというのは、この盤に収録されていた“Runaway”のマスターズ・アット・ワーク(Masters At Work)によるダブ・リミックス・ヴァージョン(Masters At Work Dubb)のことを指す。やはり、小林君は、あのチマチマとしたハウス・サウンドが、あまりお気に召してはいなかったようだ。まあ、ある意味、何の変哲もないダブ・リミックスされた半インスト形式のハウス・トラックではある。軽くサラッと聴いた感じでは、たぶん誰もがそうした印象を受けるかも知れない。だが、細部までキッチリと聴き込めば、それがダンス・トラックとして徹底的に計算しつくされた、緻密なサウンド・プロダクションが展開されている楽曲だと、いやでも気づかされることになるであろう。その本質に触れることができたならば、もうそれが何の変哲もないシングル盤だとは決して思えなくなるはずなのだ。とても細やかに構築されている、跳ね上がり弾むような軽やかでカラッとしたファンキーなミニマル・ビート。パーカッシヴでグルーヴィな、いくつもの短いフレーズのループたちは、絶えず展開するトラックの上に、絶妙のタイミングで折り重なりながらちりばめられ、ちょこまかと出入りをする。そして、主に断片的なヴォーカルのフレーズのループやコーラスの部分のみを使用したダブ・ヴァージョンでるため、長めのミックスがしやすく、非常に使い勝手がよい。また、後にニューヨリカン・ソウル(Nuyorican Soul)名義での作品で完成をみることになる、徹底的にライヴ・フィーリングを活かしたドラム・プログラミングの、最も初期の形態ともいえそうな細やかに作り込まれた半生スタイルのハウス・トラックも、かなりユニークな音に仕上がっているといえる。往時、90年代初頭のマスターズ・アット・ワークの作品には、実験精神を旺盛に発揮していた“リトル”ルイ・ヴェガ("Little" Louie Vega)が主導する形で制作されたと思わしき、奇抜かつ革新的な音響のハウス・トラックが、実は数多く存在している。おそらく、ディー・ライトの“Runaway”のダブ・リミックスは、その中でも一二を争う名作なのではなかろうか。この時期に制作された、ヒット作品や、後々まで高く評価されている作品には、90年代後半のニューヨリカン・ソウルでのスタイルに直接繋がりそうな、生っぽい風合いが感じ取れるハイブリッドなトラックを採用したものが、やはり極めて多い。しかるに、この“Runaway”のようなハウス・ミュージックの枠の内側で独自のマスターズ・アット・ワークらしい色を醸し出そうとしているトラックというのは、逆にかえって珍しく、それゆえに出色の作だと思えてならない部分も多分にあるのだ。90年代初頭のマスターズ・アット・ワークによる、とても90年代初頭らしいスタイルの実験的なハウス・トラックが聴ける作品、それがこの一枚なのである。
「まあ、なんかパッと思いついたんだよね。結構、自分でもよく使った気がするし。印象にも残ってるから。今年を代表する曲なんじゃない?たぶん…」
 とっさに思いついてベストに挙げたシングルであったため、この時点では、まだ自分でもその選考理由についての詳細な分析はできていなかった。良い悪いという作品としての質の部分を最重視して選択したわけではなく、ただ現実的に自らの手でターンテーブルにのせた回数が多かったという、揺るぎなき経験値のみを最優先させた結果が、たまたまそれになったということだけであったのだ。しかしながら、この92年12月の一瞬の判断は、それが完全なるとっさの思いつきであったにもかかわらず、かなりいい線をいっていたように感じられる面も実はあったりする。きっと、92年の年末の時点で、ほとんど誰も“Runaway”をベスト・シングルに選出した人はいなかったと思う。また、現在でも「92年のハウス・シングルといったらコレ!」と思う人は、おそらくほとんどいないのではなかろうか。それでも、個人的には、“Runaway”は常に耳にするたびにフレッシュな感覚をもたらしてくれる、紛うことなき大クラシックスだ。これは、ある意味、本当に特別な思い入れのあるシングルとなっている。あの日の他愛もない会話や冬の午後の部屋の中の独特の空気感まで、今でも鮮明に覚えている。ここまで深く記憶に残る作品ということは、やはり特別な何かがそこに備わっているからなのであろう。それが、極めて個人的なエピソードに由来する特別さであるとしても、そうした作品がひとつでも決して消えずに胸の中に存在し続けているという事実は、非常に大きい。巷の評価や他人の評価、もしくは訳知り顔の音楽評論家たちによる評価などとは、全く無関係の、自分の耳による評価だけを頼りにした、自分だけのクラシックスをもつということは、そう悪いことではないはずである。誰もが自分だけのクラシックスをいくつもいくつももつべきだ。独りよがりと言われようと感覚を疑われようと、気にしない気にしない。誰にも理解できなかった楽曲の本質的なよさを、自分の耳だけが奇跡的に聴き取ることができたと、堂々と胸を張っているぐらいがちょうどいい。今の耳で“Runaway”のダブ・リミックスを聴いても、92年12月の自分が直感で下した判断は、決して間違っていたとは思わない。そして、全くもって喜ばしいことに、これは、まだまだ十二分に聴けて、使える音でもあるのである。まさしくエヴァーグリーンな一枚。緻密に作り込まれたプロダクションのクオリティの高さ、貪欲で旺盛な実験精神から生み落とされた奇抜なハウス・サウンドのユニークさ、そして流れるように展開し続けるきめ細やかなグルーヴ感と、どの部分をとってみても、いまだに全く色褪せてはいない。あの何の変哲もない冬の日の記憶と同様に。

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