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<<   作成日時 : 2008/11/09 21:00   >>

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溝!だより

「イチキュウキュウニイ、ランアウェイ」

【三】

 そして、ようやく話は、冒頭の92年12月のとある日の、何の変哲もない午後のダラダラとした時間へ戻ることになる。12月といえば師走。パール・ハーバーに討入りにクリスマスに紅白歌合戦にと、何かと慌ただしいことこのうえない1ヶ月だ。この、いよいよ押し迫った時期になると、決まって音楽好きの間で話題になるのが、年間ベストについてである。そうと相場は決まっている。12月には、誰も彼もが自分の年間ベスト作品を決定するために、いろいろと頭を悩ませることになるのである。この日も、いつしか話題は、知らず知らずのうちに、年間ベストのシングル盤の選択という方向へと流れだしていた。そこで、小林君が、単刀直入にぼくの年間ベスト・シングルをたずねてきたのである。だが、こういう類いの非常にデリケートな問いに対する答えというものは、その問いが唐突であればあるほど、なかなかすぐには思い浮かばなかったりするものなのである。
「えーっと、そうだなあ。何だろう。何かなあ。何があったっけなー」
 ぼくは、必死になって猛烈な勢いで記憶の糸を手繰り寄せ、その一年間に印象に残ったシングル盤を、頭の中に片っ端から並べ立ててみた。そして、使い勝手のよさや作品としての満足度などの様々な角度からの評価を一枚一枚にあてはめ、それらを次々とソートし整頓していったのである。だが、頭の中だけで優劣をつけて、きっちりと順位通りに即座に並べてゆこうとしても、いつの間にか全てがごちゃごちゃになってしまって、記憶の糸などももつれにもつれてこんがらがり、もう完全に訳が分からなくなってくる。途方に暮れてしまったぼくは、部屋の中を見渡し、あたり一面を占有している山のようなレコードの中から、めぼしいものを見つくろってゆく方法を試みてみた。しばらく悩んでいると、ある一枚のレコードのイメージが、はっきりと頭の中に浮かび上がってきたのである。モヤモヤと頭の中にかかっていた真っ白い霧が、スーッと一気に晴れてゆくかのように。
「そうそう、あれだあれ。あの、ディー・ライトのマスターズ・アット・ワークのやつ」
 ありがたいことに、とても辛抱強く、小林君は、ぼくの回答を待ってくれていた。きっと、共感ができ、納得のゆくアーティスト名や曲名が、ぼくの口から発せられることを、無意識のうちに多少は期待をしていたのではないかと思う。だがしかし、実際には、そのぼくの返答は、全くの期待外れであったようだ。
「えー、うそー?あんなのがベストなの?冗談じゃなく、本気で?」
 ぼくのDJミックスを、しばしば耳にする機会があった小林君は、きちんと曲名を挙げなくても、どのレコードがベストに選出されたのか、すぐさま理解できたようだった。それは、そのレコードを、ぼくがそれほどまでに頻繁にターンテーブルにのせてミックスしていたということでもある。使った回数が多ければ、それすなわち聴いた回数も必然的に多いということになる。そんなレコードこそが、年間ベスト・シングルに最もふさわしいと、ぼくは記憶と印象を頼りに判断したのだ。強く印象に残り、作品的な質も高いと評価するがゆえに、頻繁に手に取り、使う頻度も高くなる。また、頭の中にパッと、瞬間的にそれが閃いたという部分も結構大きかった。ぼくは、その直感を、どこまでも信用してみることにしたのである。
「いや、全然本気だったんだけど。なんか、意外だった?」
 どちらかというと、小林君は、かなりガラージ寄りな志向性をもつ耳の持ち主であった。そういったこともあり、90年代以降に出現した新たなハウス・ミュージックの波や流れに対しては、それをあまり積極的に高く評価することはなく、時にはやや否定的な意見を述べることも少なくはなかった。一世を風靡したスティーヴ“シルク”ハーレイなどによるID Productionsのサウンドは「どれもみんな同じ、ただの使い回し」とバッサリ斬り捨て、インターセプター(Interceptor)のヒット曲“Together”で地を這うように出現したラルフ・ファルコン(Ralph Falcon)とオスカー・ゲイタン(Oscar Gaetan)によるマーク(Murk)のセンセーショナルな音楽性は「どこがいいのか、さっぱり分かんない」とあっさり一蹴してしまった。この傾向は、ともにNYへと飛び、あのヒューバート通り6番地の第一期〈The Shelter〉で、あのティミー・レジスフォード(Timmy Regisford)の怒濤のような鬼気迫るDJプレイを目の当たりにしてしまったことで、さらに加速度を強めていったような気もする。それくらいに、ぼくらが生で体験した〈The Shelter〉は、本当に凄まじいものであった。
 小型の体育館ぐらいの広さのガランとした仄暗いスペース。ブウォンブウォンと胃のあたりに響く、轟音の重低音ビート。しばらくして闇に目がなれてくると、やや縦長のダンスフロアの両脇に、山積みにされた巨大なスピーカー・システムがいくつも立ち並んでいるのが見えてくる。そして、その一番奥の右手には、こちら側を小窓を通して上から見渡すようにDJブースが存在している。ぼくらは、極度に興奮して、はやってしまう気持ちを抑えきることができず、かなり早い時間に〈The Shelter〉に到着してしまっていた。ほぼドアのオープンと同時に入場し、ダンスフロアに足を踏み入れたのだが、やはり、まだDJブースには、お目当てのカリスマDJの姿は見あたらない。昂った気分を落ち着かせるように、まばらに人が集まり始めたダンスフロアの片隅に陣取って、その時が来るのを静かに待つ。すると、真っ黒い大きな人影が、ジッと真っ直ぐに前方を見据えながら、ダンスフロアをゆっくりと斜めに横切っていった。ティミー・レジスフォードである。ただ、タオルを腕にかけ、音響をチェックするかのように真剣な表情で歩いているだけなのだが、一種近寄りがたいような独特のオーラが、めらめらと全身から放射されている。ダンスフロアのハードコアなダンサーたちも、御大に気安く声をかけるような不躾な真似はしない。DJ云々という以前に人間的な部分での圧倒的なまでの存在感。強烈であった。一発で打ちのめされた。その後、しばらくすると巨大スピーカーから鳴っていた音の感じがガラリと一変する。一気にサウンドの濃度と密度がグンと上昇したのだ。ふと、DJブースのほうへ目を向けると、こちらを見下ろす監視窓の薄暗がりの奥に、真っ黒な大きな人影が見える。それこそが、鬼の形相でダンスフロアを睨みつけながら、熱く黒いDJプレイを繰り広げる、ぼくらが待ち望んでいたティミー大先生の勇姿であった。
 その夜の〈The Shelter〉は、格別にものすごかった。今から思うと、それがブラック・ヒストリー・マンスであったせいも多少はあったのかも知れない。御大がDJブースに入ってからは、NYのアンダーグラウンド・クラブ・カルチャーの歴史を彩ってきた珠玉のクラシックスが、延々と放たれ続けたのだ。ダイナソー・L(Dinosaur L)の“Go Bang”は幾度となくプレイされ、その度に無数のダンスフロアの狂犬たちが遠吠えをするナスティな雰囲気が醸し出され、ゴツゴツとした爆音でJBの名曲が連発される時間帯には、激しく真剣にステップを踏むダンサーたちの汗が、そこら中に飛び散った。何度も衣装を着替えて軽く手拍子をしながらダンスフロアの周囲を楽しげにスキップしてまわるオカマちゃんがいたり、小柄で痩せっぽちな冴えない感じの青年の臀部に音楽に合わせて腰をねっとりと擦り付けている長身で鍛え上げられた体格の見るからに妖しげな美貌をもつゲイ・ボーイがいたりと、いつの間にか人であふれかえり、かなりの混雑ぶりを呈していた場内では、誰もが自由に思い思いのスタイルで〈The Shelter〉を最大限に楽しんでいた。ダンスフロアとは、まさに全てを解放し、発散しつくす場として機能すべきものである。そこでダンサーたちは、どこまでも自由な、限りある貴重な時間を、とことんまで味わって満喫する。そうした同じ価値観を共有できる親密なる仲間たちと、その解放と発散の深い喜びを分かち合うために、人々は週末の〈The Shelter〉のダンスフロアへと足を運び、集い、そしてまた次の週末に必ずそこへ戻ってくるのである。〈The Shelter〉とは家であり、そこにいるダンサーたちは、全員が家族のようですらあった。
 阿鼻叫喚な人間芋洗い地獄と成り果てているダンスフロアを、ティミーは、ギロリと光る鋭い眼差しでDJブースの監視窓から見守っていた。やや細めの4本の柱が、正方形の小さなスペースを取り巻くように約5メートル間隔で四角く立ち並ぶ、ダンスフロアのほぼ中央に位置する週末の祝祭の心臓部では、多くの汗まみれのダンサーたちが入り乱れ、しなやかに身をくねらせ、ステップのキレ具合を競い合うように迫真のダンスを繰り広げていた。ぼくも、その周辺で、完全に時間の感覚を無くしながら、ただひたすらに音の世界に没入し、延々と踊り続けた。お互いの姿を全く見つけることができず、いちいち確認はしなかったが、たぶん小林君も、あの近辺で黙々と踊り続けていたはずである。ぼくらは、〈The Shelter〉の音と音楽の凄まじいパワーに骨の髄まで圧倒され、もはや何ものも目に入らぬ状態となってしまっていた。ただただ、巨大で強大な音を全身で浴び、それに対して無意識のうちに手足を躍動させて反応することしかできない。まさにリズムの奴隷と成り果てていたのである。そう、スレイヴ・トゥ・ザ・リズムだ。
 極上のサウンドシステムから放たれる低音は、暴力的なまでに太く力強く、足腰にまとわりつくようにズンズンと分厚く響き渡った。その正反対に、ハンド・クラップなどの弾ける高音域は、スコーンと抜けるようなクリアな音で、ちょうどこめかみを直撃するぐらいの高さを真っ直ぐに飛んできて、ビシバシと脳髄にダイレクトに響く。容赦のない激烈なDJプレイをクールに続けるティミー司祭は、音楽でダンサーたちをダンスフロアに縛りつけ、捕らえたまま、誰ひとりとしてそこから逃さぬ心づもりのようですらあった。一度、そのグルーヴにハマってしまったら、もはやそこから抜け出すことは不可能だ。本気で、そう思えた。朦朧とする意識の片隅で「次の曲でテンションが下がるようだったら、少し休もう」と考えていても、実際に次の曲が始まってしまうと、それは全く聴いたことのないような凄まじい曲で、「ああ、前の曲のうちに少し休んでおくんだった」と軽く後悔させられるパターンの繰り返し。ステップを止められる適当な地点が、なかなか見つけられないのである。朝方をとうにすぎて、ようやく人影がまばらになり始めた時間帯に、クール&ザ・ギャング(Kool & The Gang)の“Summer Madness”がプレイされた。真っ青な照明が一斉にダンスフロアを包み、ねっとりとしたシンセサイザーのフレーズに合わせるように幻想的なライト・ショーが荘厳に展開される。さすがに、この時ばかりは、疲労が蓄積し棒状になっていた足も止まった。そして、その場に立ち尽くし、澄みきった青い光に包まれながら、その夢か幻のような光景を、ぼんやりと眺め続けたのである。あまりにも美しい青一色の別世界が、そこには確かに存在していた。音楽と照明効果だけで、人間は十二分に深い感動にひたることができることを、ぼくは、その時初めて身をもって思い知らされた。

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