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zoom RSS Cindy Lee Berryhill: Naked Movie Star

<<   作成日時 : 2008/01/31 04:07   >>

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Cindy Lee Berryhill: Naked Movie Star
Rhino R1 70845

画像 89年にRhinoより発表されたシンディ・リー・ベリーヒルのセカンド・アルバム。プロデューサーは、パティ・スミス・グループのギタリストであり、70年代より現在にいたるまでVillage Voiceに寄稿をする有能な音楽ジャーナリストとしても活躍し、80年代中期にはスザンヌ・ヴェガのプロデュースを手がけて大ブレイクさせた、NYの音楽界が世界に誇る才人、レニー・ケイ。
 最小限のコンボとなるトリオ編成で録音に臨み、地に足のついた若き女性シンガーソング・ライター像を芯のある歌声を全面に押し出して表現していたデビュー作の『Who's Going To Save The World?』(87年)や、サード・アルバム以降で展開されるサンディエゴの砂埃にまみれたヘロヘロのビーチ・ボーイズといった雰囲気のガレージ・オーケストラを率いることで到達することができた、唯一無二なオーケストラル・フォーク・サウンドと並べてみると、ちょっぴりこのアルバムだけ多少趣きが異なっているような気がする。『Naked Movie Star』は、もしかするとベリーヒルのキャリアにおいて最も異色なアルバムといえるのかも知れない。しかしまあ、趣きが異なるとか異色だとかいっても、基本的なベリーヒルの歌の世界に、特別に大きな変化が見受けられるわけでは決してない。ただ、レニー・ケイというプロデューサーをその世界に迎え入れたことにより、ベリーヒルの歌の世界のバック・ドロップとなって演出をするサウンドのテクスチャーに、極めて微妙な方向性の転換がはかられた、というだけのことなのである。
 このアルバムの制作の過程において、ベリーヒルとケイが共謀して目論んでいたのは、ありきたりなフォーク・ソングやフォーク・ロックのスタイルからの可能な限りの脱却であったという。その方向性へのチャレンジを実現させるために、ケイはレコーディング・スタジオにNYで活躍する腕利きのミュージシャンたちを集結させ、生のジャズ・スタイルのジャム・セッションを何度も繰り返しながら録音を進めていった。結果として完成したものは、制作者と演奏者の思惑通りにジャジーなアプローチにシッカリとハマっている楽曲もあれば、演奏者の腕前が恐ろしく達者であるがゆえにか実にタフで渋い超一級品のフォーク・ロックに仕上がってしまっている楽曲などもあったりして、何ともいえないバラつきがあるのが妙に微笑ましい。やはりベリーヒルもケイも、そう簡単にフォークやロックの範疇から脱却できるタイプではないということなのであろう。骨の髄まで染み込んでしまっているものは、そう簡単に拭い去れるものではない。『Naked Movie Star』は、ムーディにスウィングするジャズからビートニク〜NYパンクを経由してグリニッジ・ヴィレッジの硬派なアンチ・フォークへと連なる、非常にヴァラエティ豊かな彩りを満載したアルバムとなっている。
 ハーモニカとオルガンのわななく咆哮に導かれて、ノッシと大きく立ち上がるタイトなバンド・サウンドが、転げるように一丸となって疾走してゆく“Me, Steve, Kirk And Keith”で幕を開ける『Naked Movie Star』。まるでストレイ・ゲイターズを思わせるイナタく渋い音なのだが、矢継ぎ早に短めのセンテンスからなるフレーズをポンポンと積み重ねてゆく、いつものベリーヒルの歌唱がそこにのると、それはまるでパティ・スミス・グループの再来のようにしか聴こえなくなってくるから不思議だ。この曲のコーラスでは、アメリカの娯楽と文化の象徴であるハリウッドへの愛憎渦巻く情感が、サラリと吐き出されていたりする。斜に構えた姿勢から静かに対象への視線を投げかけているようでいて、何気ない日常の風景やどこにでもいそうな人の些細なエピソードを繊細に描写しながらアメリカ社会の極めてディープな部分を的確にえぐり出して、シンプルだが深みのある歌に仕立て上げてゆく。そうしたベリーヒルの独特な詩作のレヴェルの高さには、常に心から感服させられる。しかし、どちらかというと極めてパーソナルな経験や感情をもとにして曲作りをするイメージの強い彼女にしては、本作に収められている楽曲の多くが私小説というよりも短編小説的でややフィクショナルな側面をもつものとなっているのは、少々通常とは毛色の違うセレクションといえるのかも知れない。そんなベリーヒルのルーツであるところの文系パンクな資質がやや多めに剥き出しになっている部分なども、この『Naked Movie Star』から漂い出す香りや雰囲気が、どこかパティ・スミスの詩や音楽を想起させてしまう大きな要因となっているのではなかろうか。それをスルリと引き出せてしまうのも、やはりレニー・ケイの手腕ということなのかも知れない。ジャズやブルース、南部系のゴスペルなどの要素がチラリと垣間見えるルーツ系のサウンド・アプローチが試みられている楽曲においても、ちょっとした瞬間にスミスの幻影がチラチラッと脳裏を横切るのだ。A面5曲目の“Trump”で披露される、喉を震わせるようにして絞り出されるガナり唱法などは、モロにスミス譲りのものである。B面1曲目“Turn Off The Century”でのアメリカ合衆国の歴史に毒づく迫力のある歌唱なども、本作以外のアルバムでは、ほとんどといってよいほど聴くことができない感じのもの。圧巻なのは、やはりB面3曲目の13分を越える大作“Yipee”であろうか。これはもう完璧にパティ・スミス・グループの世界だ。中盤以降に延々と続く即興パートでは、ベリーヒルが徒然なるままに言葉と言葉を繋ぎながらストーリーを紡ぎ出してゆく。何度聴いても、とってもスリリングな楽曲である。敢えて評するならば、これは、LAパンクの第一世代に属するベリーヒルより贈られた、憧れの女流詩人、パティ・スミスへの西海岸からの大陸を跨いだ壮大なる返答といったところであろうか。
 プロデューサーのレニー・ケイは、実はわざわざジョーンズ・ビーチ(Jones Beach)という変名を使用して、ギター・プレイヤーとしても積極的に『Naked Movie Star』のレコーディングに参加していたことが後に判明している。あちこちからパティ・スミス・グループ的なバンド・サウンドの成分が滲み出していたのは、きっとそのせいもあるのであろう。『Naked Movie Star』で見せたような、ちょっぴりヨソ行きの服を身にまとってヴィレッジ・ヴァンガードやスウィート・ベイジルの近辺をブラついているようなシンディ・リー・ベリーヒルには、これ以降の作品では全くといってよいほどお目にかかることはできない。94年発表のサード・アルバム『Garage Orchestra』からは、洗いざらしのちょっぴりヨレヨレでシワシワな普段着を身にまとった超自然体のベリーヒルが、肩の力の抜けた独特のユニークな歌声と歌唱で、我々をガレージ・オーケストラの世界へと迎え入れてくれる。また、07年に発表されたスタジオ・アルバムとしては約11年ぶりとなる新作『Beloved Stranger』(相当に長いブランクであったが、その間に随分と歌も音楽も深く熟成されたような感じがする、掛け値なしの傑作である)では、収録曲の一曲“Make Way For The Handicapped”にレニー・ケイがゲスト・ギタリストとして参加しており、おそらく『Naked Movie Star』のレコーディング以来となるであろう久々の共演を果たしている。

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