新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉(一)

新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉

(一)

Electric Shock

画像


“Electric Shock”は、SMエンターテインメントに所属する五人組ガールズ・グループ、f(x)が12年6月13日にリリースしたセカンド・ミニ・アルバムである。11年6月14日にリリースされたファースト・アルバム“Pinocchio”(4月20日リリース)の新装盤“Hot Summer”以来、ほぼ一年ぶりの新作となる。
多くのK-POPアイドルたちがシングル中心のリリースを重ね、ヒット曲量産態勢で駆けずり回っている状況(まるで馬車馬のように)の中で、意図しているものであるのか結果的にそうなってしまっているものなのかは判然としないが、09年にデビューした中堅どころのグループであるf(x)が一年に一作のペースで悠然とリリース活動を行っている様は、やはり妙に異彩を放ってはいる。新人から大御所までが入り乱れ、移り変わりの激しい韓国歌謡界での生き残りをかけた真剣勝負が日々繰り広げられているにもかかわらず、この五人組だけは、そうした熱いバトルのフィールドから少しばかり距離を置いているようにも見えるのである。f(x)とは、実にクールなガールズ・グループであり、その佇まいには、どこかこれまでにはなかったような新世代感が漂っていたりもする。
だがしかし、かなり寡作でありながらも、f(x)が発表する作品のポップスとしての質は極めて高い。そしてまた、昨年のファースト・アルバムあたりからポップスとしての洗練の度合いも、かなりのレヴェルにまで研ぎすまされつつある。いや、f(x)はデビュー時から音楽的に非常にレヴェルの高いポップな楽曲で評価され人気を獲得していた存在であり、そうした新しい世代の新しい感覚のポップ音楽としてのスタイルが、昨年のアルバム“"Pinocchio”~“Hot Summer”あたりからよりしっかりと確立されきたといったほうが、正確であろうか。本作に収録された全六曲も、硬軟織り交ぜた非常にヴァラエティ豊かで耳に楽しい音作りがなされた楽曲ばかりとなっている。

f(x)の楽曲の特徴的な点としては、言葉遊びのようにフレーズが転がる歌詞・歌唱のユニークさを挙げることができる。これは、かねてより彼女たちの楽曲に顕著に見られた、いわゆるf(x)節でもある。本作の冒頭を飾るタイトル曲の“Electric Shock”では、まさにビビビと身体の中を突き抜けて走る恋の電流に痺れるかのように、歌詞のフレーズの頭の部分が意図的に重ねられて歌われている。たとえば、電流を意味する「전류」(チョンリュ)という歌詞を歌う場合には、頭の「전」(チョン)の部分だけをダブらせてリズミカルに「전 전 전류」(チョンチョンチョンリュ)と歌うといった具合に。この語の繰り返しの形式が、Aメロのフレーズの全ての頭の部分で登場するのである。
また、「딩동딩동」(ディンドンディンドン)や「빙그르르르르」(ビングルルル)、「찌릿찌릿」(ジリジリ)といった、同じ語を反復させる畳語や擬音語/擬態語などもふんだんに盛り込まれており、エレクトロ・ビートのグルーヴにシンクロするエレクトリックに痺れる言葉の様式という、お見事な対応ぶりをそこに聴くことができる。そうした中でも、落ちる状態を意味する語である「떨어져」(トロジョ)というフレーズの後に、物が落ちた時のバタンという物音に相当する「쿵」(クン)という擬音までが歌い込まれるパートがある。これなどは、まるで音までもが見えてくるようなマンガ的な表現がなされていて非常におもしろい。
こうした歌詞の言葉の意味性よりも転がる/グルーヴする語感の心地よさを優先させた歌が、トライバル~エスノ系(“ジグザグ”)やディープなファンク調(“Let's Try”)のエレクトロなダンス・サウンドと渾然一体となって迫りくる感じには、どこかきゃりーぱみゅぱみゅの新世代感を満載したエレクトロ・ポップとの同時代性も香っているように思えたりもするのである。実際、きゃりーぱみゅぱみゅとf(x)のメンバーの大半は、90年代前半生まれのハイ・ティーンという同世代でもある。そこに同じ時代を同じ世代として生きる共通感覚のようなものが存在していたとしても決しておかしくはないのかも知れない。

また、f(x)というグループは、多国籍なメンバー構成となっており、K-POPの枠だけに収まりきらぬインターナショナルなフィーリングを醸し出す歌唱に特徴をもってもいる。それぞれのメンバーのもつ個性が豊かに発揮された、内部で互いに被ることなく外側へと大きく広がってゆくようなヴォーカルのバランス感にも非常に絶妙なものがある。
中国の山東省青島出身のヴィクトリア(Victoria)は、長身でスタイルがよくお姉さんキャラがぴったりとハマるグループのリーダー。米国カリフォルニア州ロスアンゼルス出身のアンバー(Amber)は、台湾系の米国人であり主にラップのパートを担当しマニッシュなかっこよさを全身から漂わせている。ソウル出身のルナ(Luna)は、完全無欠のディーヴァ・タイプ。朝鮮半島の南東部ヤンサン出身のソルリ(Sulli)は、幼い頃から子役としても活動していた天性のかわいらしさの持ち主であり、正統派アイドルのポジションにおさまる。米国カリフォルニア州サンフランシスコ出身のクリスタル(Krystal)は、グループ内の末っ子にもかかわらず大人っぽい洗練された美貌でクールなティーン・アイドルとして多くの同世代の女の子たちの憧れの的となっている。また、韓国系米国人の帰国子女であるクリスタルは、少女時代(Girls' Generation)のジェシカ(Jessica)の実妹でもある。こうした国籍もバックグラウンドもキャラクターも全く異なる五人が、ひとつのf(x)というグループとして歌うとき、そこには五つの歌声による美しい歌唱のレンジの広いグラデーションを聴くことができる。
00年代以降のK-POPの世界では、在外韓国人・朝鮮人の二世/三世/四世のメンバーなども少なくはなく、比較的に国際色が豊かであり、どのグループにも韓国以外の出身者や韓国以外で育った帰国子女が大抵は含まれていたりする。これには、20世紀の歴史状況の中で拡散・拡大することとなったコリアン・ディアスポラの問題も密接に関係している部分もあるが、逆にグローバル時代に先がけてK-POPが国際化の動きに対応してゆく下地となっていたのも、間違いなくこうした民族的かつインターナショナルな要素を積極的に取り入れていたからだともいえる。そして、こうした流れをさらに押し進めた形態として、外国人のメンバーを加入させる動きも出始めてくる。その中でも最も目立つ存在となっているのが、二人の中国人メンバーを擁する四人組のMissAと、中国人のメンバーや台湾系のメンバー、そして米国出身の帰国子女などが混在しているf(x)なのである。
21世紀初頭の世界の状況を鑑みれば、遂に分厚いヴェールが剥ぎ取られつつある中国・中華圏の音楽市場は誰の目にも広大なフロンティアと映ずるはずである。今やこの中華圏への進出と成功こそが、これからの音楽業界(業界全体が再編され、既存の音楽業界は消え去っているかも知れないが)を生き抜いてゆくのための必須条件ともなりつつある。昨今のK-POPグループにおける中国人メンバーの取り込みは、こうした時代の動きと少なからずリンクしたものであると考えて間違いはない。ここ数年間に大挙して日本進出してきているK-POPグループに日本人メンバーがほとんどいないことを考えれば、こちらの大陸方面へのアジア進出計画は、かなり長期的な視座で見立てた、より真剣な取り組みなのだと思わざるを得ない。

こうして見てゆくと、アジアのポップ・ミュージックの未来は、相当におもしろいことになってゆきそうである。どちらかというと、このままアジア全体をK-POPが席巻してしまうかも知れないという動きが、今は優勢であるように思える。だが、それよりも、f(x)やきゃりーぱみゅぱみゅなどの現在10代後半のアイドルたちが共通して醸し出している新しい世代の全く新しい様式のポップ感覚といったようなものに、今後は実におもしろそうな展開がありそうに思えてならないのだ。
全てがものすごいスピードでボーダーを越えて動く、高度に情報化されたグローバル時代に、最もアクティヴで多感な輝かしい10代の日々を生きる世代が、ボーダーを越えて通じ合い、ものすごいスピードでおもしろいもの・カワイイものに感染・伝播し繋がってゆく。そんな若い世代の生活そのものやライフスタイルそのものと密接に連関しているポップな感覚。そこには、同じ時代を生きる同じ世代の間だからこそ成立する、言葉を越えて/もはや言葉を必要とせず、瞬間的・感覚的に繋がってゆく新しい時代/世代の以心伝心のフィーリングが存在している。
ダグラス・クープランド(Douglas Coupland)は、かつて「ぼくは自分のことを全地球的だと思っている。全地球的な活動に参加しているんだ。ジェットに乗り込み、コンピューターに語りかけながら、小さな幾何学状の食べ物を頬張り、そして携帯電話で打ち合わせする。そんなことを考えるのがすきだ。ぼくみたいに何百万人もの人間が地下室やファッションプラザや学校や街角やカフェなどいたるところにいて、みんなおなじような事を考え、静かに連帯意識と愛を互いに送りあっている」と書き、この70年代後半以降に誕生した世代(若年期にインターネットと携帯電話を両方手にした第一世代)をグローバル・ティーンズと命名している。90年代半ば以降に誕生した現在10代後半のきゃりーぱみゅぱみゅたちの世代は、このグローバル・ティーンズをさらに光速化させ、皮膚感覚レヴェルでデジタル・データのバイトすらをも察知し共感しあうことが可能な、非常に高度化したコミュニケーション能力を備えているのかも知れない。こうなるともう新世代というより、もはやニュー・タイプと呼んだほうがよさそうな感じもするが。

こうした全く新しい世代のポップ感覚を伝えてくれるような、あらゆる先鋭的なビートと音要素を消化したエレクトロニックなダンス・サウンドや、多国籍で異種混合なメンバーによるボーダーレスな佇まいのポップ・アイコンとしての存在感を、f(x)のセカンド・ミニ・アルバム“Electric Shock”には聴くことができる。これからの時代の最先端を切り拓いてゆく全く新しい世代によるグローバル・ポップの最新型のひとつが、2012年のf(x)によってここに提示されているのである。

ぱみゅぱみゅレボリューション

画像


“ぱみゅぱみゅレボリューション”は、12年5月23日にリリースされたきゃりーぱみゅぱみゅのファースト・アルバムである。きゃりーぱみゅぱみゅは、93年生まれの現在19歳。11年7月20日にシングル“PONPONPON”でデビューした、日本のポップ・ミュージック界に久々に現れた希代の新星である。その全く新しいスタイルの到来を感じさせてくれるアーティスト/アイドルとしての佇まいには、何か時代全体を大きく揺り動かしそうな得体の知れないパワーが秘められているようにも感じられたりする。

きゃりーぱみゅぱみゅの新しさは、そのやや奇妙な芸名からも読み取ることができる。かつて平仮名だけで綴られた十文字にも及ぶ長い芸名を名乗ったアーティスト/アイドルがいただろうか。新聞のラジオ欄やテレビ欄に明快にそれが誰だか特定しやすいように記載されるために、 できるだけタレントが簡潔な名前(芸名)を名乗った時代は、もはや過去のものとなったということなのかも知れない。そういう意味では、きゃりーぱみゅぱみゅは、紛れもなくポスト・ラテ欄時代のアーティスト/アイドルなのである。おそらく、その歌手デビュー初期に多くの人がきゃりーぱみゅぱみゅの存在を知ったのはネットでの情報を通じてであったであろうし、その姿を初めて見たのもYouTubeを通じてであったと思われる。きゃりーぱみゅぱみゅにとって、テレビというメディアは完全に後を追いかけてくる存在であったのである。
また、かなり慣れてこないと、その長い芸名をすらすらと発音することすら困難であったりもする。この場合、長さが問題というよりも「ぱみゅぱみゅ」という日常の会話の中では滅多に使用されないであろう言葉/語の連なりがネックになってくる。この「ぱみゅぱみゅ」というフレーズは、非常に言いづらい。その発音しづらさに比較すると、その前の「きゃりー」は誰でも身構えることなく発声できる平易な単語/固有名詞であったりする。よって、このふたつを「きゃりーぱみゅぱみゅ」と全部通して言おうとする際には、「きゃりー」の部分と「ぱみゅぱみゅ」の部分で発音・発声のスピードの差が生じ、前半部と後半部ではガクッと速度が落ちてしまうことになるのだ。この長い芸名は、その発音・発声の困難さゆえに、なかなかスラッとストレートに言うことができないのである。こうした、わざわざ微妙に言いづらい芸名を名乗るところなどは、やはりちょっぴり確信犯的な匂いもする。いや、これは半ば無意識的な愉快犯といったほうが、きゃりーぱみゅぱみゅらしさによりピタリと当てはまるであろうか。
この「きゃりーぱみゅぱみゅ」という芸名は、こうした誰にでも共通して感覚できる微妙な言いづらさを内包しているところに、何ともいえぬおもしろさがある。これをNHKのアナウンサーのような口調で、簡単にスラッと言えてしまったら台無しである。何度繰り返して発音してみても「ぱみゅぱみゅ」のところで少し吃るようにつかえてしまう。そんな、どうしても思い通りに言えないところにおもしろさやおかしみがあり、何度も「きゃりーぱみゅぱみゅ」と言っているうちに、知らず知らずその芸名とその特異な存在が脳内にクッキリとインプットされてしまうことになるのである。
さらにいえば、こうした平仮名の表記のみによる芸名とは、昨今のコンピュータの変換機能に頼りきり自分の手では書くことのできない難しい漢字を使用してコミュニケートする人々に対する無言の当てつけのように思えたりもする。「きゃりーぱみゅぱみゅ」という十文字は、難読漢字よりも読むのが難しい平仮名のフレーズかあることを教えてくれる。こうした難しい漢字を捨てて、より単純明快で通じやすい平仮名でのコミュニケートへと回帰してゆく動きは、きゃりーぱみゅぱみゅたちの世代の意識として明確に存在しているのかも知れない。今、日本語そのものが大きく変わろうとしているのではなかろうか。

まるで幼児語のような「ぽんぽん」や「うぇいうぇい」という半ば意味性を放棄しているフレーズが執拗に反復されるデビュー曲“PONPONPON”は、欧州を中心とする各国のダンス・チャートでも上位にランクされるなど世界レヴェルで非常に高い評価を獲得している。弾むような丸みのある円やかな日本語のリフレインと、ピコポコした手の平サイズのオモチャのようにかわいらしいテクノポップ。おそらくこの楽曲は、とても日本的なカワイイを感じさせるエレクトロニック・サウンドによる楽しげでダンサブルなポップ・ソングとして、海外の人々の耳にはとらえられているのであろう。
だが、ただそれだけではないところに、この“PONPONPON”という楽曲のおもしろさや新しさはある。ここで聴くことのできる、思わず一緒に口ずさみやたくなるノリのよい言葉の反復や、耳に飛び込んでくるエレクトロ・サウンドの楽しさやおもしろさは、外国人だけでなく日本人にとっても非常に目新しいタイプのポップ感覚を感じ取れるものであったりもするのである。今までに誰も味わったことのないような「ぽんぽん」や「うぇいうぇい」という変てこりんなフレーズでノリノリになれる感覚こそが、この“PONPONPON”という楽曲の最大の醍醐味でもある。
こうした幼児語にも似た意味不明な言葉たちは、きゃりーぱみゅぱみゅによって考案された実際に日常語の一部として使用される「きゃりー語」という新たな言語として認識されてもいる。ただ、「ぽんぽん」や「うぇいうぇい」と言っていても、そこで何か意味のある内容が相手に伝わるわけでは決してない。特定の世代やトライブの内部で、ポップで楽しい気分を共有し分かち合うために、こうしたフレーズは存在していると考えてよいだろう。そういう意味では、こうしたフレーズの数々は、もはや日本語でもなく外国語でもなかったりする。一種の現代版の方言ともいえるであろうか。通じる場所では通じ、通じる人々の間では通じる言葉なのだ。それゆえに、この“PONPONPON”は、インターナショナルにしてグローバルなヒット曲となったのだとも考えられる。楽しくおもしろい「きゃりー語」を解する、全く新しい感覚をもつトライブが、ネットの情報網を通じて増殖し全世界的に感覚を共有しながら相互に繋がっているのである。それが、今の若い世代におけるポップ感覚の世界的な動きであり、そのムーヴメントを動かし続けているものなのである。

こうしたことを踏まえて、きゃりーぱみゅぱみゅの“ぱみゅぱみゅレボリューション”の革命性について、少しばかり詳しく見てゆきたい。一体、これの何がレボリューションなのであろうか。革命とは、「物事が急激に発展・変革すること」だという。どこかの一点から、何かがガラリと変わることが瞬間的なレボリューションなのだとしたら、大きな動きとしての革命とは、新しい何かが動きだし、それがそのまま動き続けることをいうのであろう。ここでの、その基点となる一点とは、紛れもなくきゃりーぱみゅぱみゅのファースト・アルバムのリリース日である。そして、それは、ある世代とともに発展・変革してゆく時代を、その動きの前と後に区切り出来事として位置づける。きゃりーぱみゅぱみゅの“ぱみゅぱみゅレボリューション”は、12年5月23日にそれぞれの時代の間に明確に一線を引いたのである。

まずは、そこで歌われている言葉の意味が、通じるか通じないかが、その線引きの位置のひとつの目安となるであろう。「きゃりー語」がポップで楽しい言語だと感じ取れるかどうか。そこが、ひとつめの大きなハードルとなる。アルバムの曲でいうと10曲目の“ぎりぎりセーフ”で歌われているような状況や内容を理解できるかというところが、それなりに目安となるのではなかろうか。
この“ぎりぎりセーフ”では、きゃりーぱみゅぱみゅや彼女と同世代の女の子たちにとってのひとつのホームグラウンドであり聖地でもある原宿へ電車に乗って急いで向かう、という場面が描写されている。その主人公は、原宿駅で山手線を降りて、目的の場所へ向かって「混み始めた竹下通りを/駆けて駆けて/ 駆け抜けきった」と思ったら、「足を止めた/お店で結構/夢中/夢中/夢中になっちゃ」ったりもする。
その歌詞の字面だけを見ていては、その歌の意味するところは誰の目にも耳にも不明であるかも知れない。タイトルは“ぎりぎりセーフ”でありながら、楽曲のサビの部分では「間に合った?/間に合った?/ギリギリセーフ?/ギリギリアウト?」と繰り返されるだけで、実際に間に合ったのか間に合わなかったのか、セーフだったのかアウトだったのかは、全く歌われることはない。そもそも、そこで何がどうなるとセーフで何をどうするとアウトになるのかという根本的な部分も、最初から何も説明されていはいないのだ。「信号/渡った先」で待っている「みんな」や、休日に会える「キミ」との明確な待ち合わせ時間などは、何ひとつとして示されていないのだから、聴き手がそこで何かを判断することさえできはしない。
ここでは、極めて感覚的に、そこで起きていること、その状況が、理解できるか否かが問題となってくる。ギリギリセーフで間に合っているようでも「みんな」や「キミ」がアウトだと感じれば、それはアウトになるし、その逆にギリギリアウトのようでもその場のノリで何となく間に合っていることになったりもする。時間通りに動いている電車とは違って、ギリギリのセーフかアウトかは、ただ時計の針の動きやその位置だけでは計ることができないのだ。不思議な「エネルギー」に満ちた「宝箱みたい」な「この街」では。まるで、原宿駅で電車を降りた途端に、時間の流れ方までもが一転し、一定方向に等質的に流れゆくものではなくなってしまうかのように。
要するに、すでにその竹下通りを駆けて駆け抜ける時間感覚的な変わり目に、ひとつの線が引かれているのである。また、こうした原宿に集う世代の感覚に共感し、それを共有することができるかの分かれ目にも、レボリューションの線は引かれる。この“ぎりぎりセーフ”が、空虚で全く意味不明な歌にしか聴こえないとしたら、それはすでに動き出しているレボリューションに完全に乗り遅れてしまっている動かぬ証拠であるかも知れない。

全く新しい世代は、全く新しい世代のみに通ずる感覚に貫かれた言葉で喋り、そして歌う。古い耳には意味不明にしか聴こえない歌は、それそのものが急激な発展としてのレボリューションの動きとして浮かび上がってきたものなのである。そうした特定の世代の交流・交感の場では、何かが確実に起きている。当事者にとっては、全ては極めて日常的なことであるかも知れないが。会話や歌やテキスト/メッセージやLikeボタンで繋がり、感覚を共有し、そうしたコミュニケーションの中で、より強固に新世代としての世代性が形成されてゆく。原宿というひとつの象徴的な場所を越えて、ネットワークを通じた全世界的な広がりの中で、繋がっている場所であれば、どこもかしこも原宿に連結する。
こうした交流や交感の根幹にある、テキストやワードそしてそれに類するものは、時代が生んだ暗号としてもとらえることができそうである。線引きされ切り離されてしまった旧い時代の人々にとっては、それはどこまでも解読することのできない理解不能なものであろう。これに対して、新世代に属する者にとっては、それはどこまでも感覚的・直感的に共有・共鳴できるものであり、ただの共通して認識することが可能な記号のようなものでしかない。そして、これよりも後の時代の人間にとっては、それは特に意識する間でもなくすでにそこに存在していたものとなり、どこまでも当たり前にそこにある日常的な言葉/語/フレーズとなってゆくのである。(中には、無惨にも朽ち果ててしまうものもある。)

YouTubeは、きゃりーぱみゅぱみゅをグローバルなポップ・アイドルにした。しかし、きゃりーぱみゅぱみゅという新たな個性は、そこから生み出されたわけではない。ここでは、きゃりーぱみゅぱみゅを輩出した原宿や青文字といったものが、どのようにレボリューションであったのかという点もみてゆかなくてはならないであろう。
まず、青文字系と呼ばれるものが誕生する以前に、そもそも赤文字というひとつの括りがあった。この系統は、「JJ」「ViVi」「Ray」「CanCam」といった表紙に赤い文字で誌名が大きく記載されているファッション雑誌に由来している。こうした赤文字雑誌が季節ごとに打ち出すモードにリードされる若い女性のファッション傾向のことを総称して、赤文字系といった。この赤文字系のファッション文化は、80年代より若い女性のライフスタイルのひとつの主流をなしてきたといってよい。だが、主流があれば自ずとそこに対抗する勢力も生まれ出てくることになる。
90年代半ばあたりから「Zipper」や「CUTiE」などのストリート(街角)の傾向を大きく取り入れた若者向けのファッション誌を中心に、赤文字系のコンサバ路線とは全く路線の異なる、カジュアルでより自由度が高く独創的なファッションが、ひとつの様式としてまとめられ新しい動きとしての盛り上がりをみせはじめる。そこで注目を集めたのが、裏原の小規模なブティックなどから興りつつあった新しいスタイルの原宿のファッション文化であった。それは、赤文字系に代表される主流文化へのカウンターであり、原宿という古くからのファッションの街が育んだ新時代のオルタナティヴでもあった。また、そこには、青文字系のファッション誌のモデルたちの表情に顕著に見られる「あひる口」や「困り顔」などの完全に脱力しきった自然体なオシャレの感覚が、全く新しいスタイルで息づいてもいた。90年代後半から00年代にかけて原宿という街は、コンサバな世界に溶け込むために無理に笑顔を作ったり異性にウケる服装をしなくてもよい、青文字のファッション文化やライフスタイルの象徴的な中心地となってゆく。

きゃりーぱみゅぱみゅは、元々こうした「Zipper」や「KERA」といった青文字系のファッション誌でモデル(読者モデル)として活躍していた女の子のひとりであり、その独特のファッション・センスで同世代の女性読者から熱烈な支持を受けてもいた。そんな、原宿が生んだ新たなカリスマ的なファッション・リーダーがソロ歌手として発表したのが、デビュー作の“もしもし原宿”であり、そこからシングル・カットされたのが“PONPONPON”であったのだ。
この楽曲のMVを見れば明らかであるが、飛び出す眼球や回転する脳や臓器、骸骨、舌など、体液的なねちょねちょしたグロい要素をもカワイイに組み込むのが、きゃりー世代もしくはぱみゅぱみゅ流派の特徴だといえるであろうか。これは、青文字系の特徴のひとつである脱力の極致なのであろう。あらゆる力が抜けた結果として、オシャレの感覚は最も人間臭いレヴェルにまで突き抜けてしまう。
とりあえずは、小綺麗に整った可愛らしさや美しさを追求し、それをものの見事に形にし続けてきた赤文字系のファッション文化へのカウンター・アクションを極限までアグレッシヴに押し進めた果てに到達した地点に、より自由度が高く無限の可能性を感じさせるカワイイやオシャレの領域が開拓されたことは間違いない。原宿的なセンスによってエロやグロな領域までをオシャレやカワイイに変換してしまおうというきゃりーぱみゅぱみゅの表現世界が、その根底に確信犯的なもの/確信的なもの/革新的なものをもつことになったとしても全くおかしくはないだろう。

赤から青へ、90年代半ばから時代はゆっくりと細かな変遷を繰り返しながら動いてきた。そして、その動きの最後の仕上げとしてレボリューション的な激動が起こり、一気に裏表をひっくり返してしまうこととなった。物事が急激に発展してゆく契機となる革命とは、こうした価値転倒の現象にほかならない。原宿発の青文字系のオシャレ感覚やポップ感覚は、若者のファッション文化の表層に、確実に新たな生息域/領域を獲得し、光速の繋がりで不定形な広がりを繰り広げつつ、その領土を維持し続けている。そうした青文字系のセンスが表層を被い尽くしている限りは、一連のレボリューションは長く尾を引いて続行していると考えてよいだろう。

アジアのカワイイ

画像


今年、台湾でデビューした新人歌手のキンバリー・チェン(Kimberley Chen)もまた、間違いなく全く新しい世代に属するアーティスト/アイドルである。彼女は、94年5月23日生まれの現在18歳。デビューした時点ではまだ17歳という若さであった。93年生まれのきゃりーぱみゅぱみゅよりはひとつ年下であり、韓国の芸能界でいう94lineに連なるアイドル黄金世代の一員である。
オーストラリアのメルボルン生まれのキンバリーは、幼い頃より天才少女としてエンターテインメントの世界で活動してきた驚きの経歴をもっている。すでに芸能の道においてはかなりヴェテランな新人歌手なのである。デビュー作の“Kimberley”では、表現力・歌唱力ともに申し分ない堂々たる歌声を披露し、作詞などの制作作業にも積極的に携わるなど、まさに10代の新人歌手とは思えぬ堂々たる完成度を誇る作品を作り出していた。
そんな本格派のシンガーであるキンバリーは、その大人びたタレント性とはやや相反する10代の可愛らしい女の子そのものなルックスやファッションで、台湾や上海・香港といった中華圏の大都市を中心にアイドル的な人気を博してもいる。すでにそのファッションだけでなく、言動やライフスタイルまでもが同年代の女の子たちの日常生活に影響を与える、まさにきゃりーぱみゅぱみゅ的なアイドル人気を獲得しているのだ。
また、どこかグロ要素までをカワイイに変換してしまう、かなり脱力した青文字系のファッション感覚に共通するものを、一種独特な雰囲気をもつキンバリーのカワイイやオシャレの方向性からも嗅ぎ取ることができる。
キンバリーは、かなりこまめにFacebookに自分の写真をアップしている。その大半は、本当に何気ない日常の一コマを切り取ったスナップショットである。そこでは、実に無防備なまま素の部分を表に出したキンバリーの表情を垣間見ることができる。彼女はそこで、全くもってアイドルらしからぬ表情の写真までをも躊躇することなく公開してしまうのである。こうしたあたりからもキンバリーが、どこまでも肩の力の抜けた飾らぬ自然体な人物であることが分かる。そこでは、可愛らしいキュートな服装でも、何の変哲もないダラッとした部屋着でも、全てが自然体のオシャレとして表れ出されることとなる。
まだ10代でありながらも長い芸能生活を生き抜いてきたために相当に肝が据わっているという部分もあるのかも知れないが、イケてる表情もイケてない表情も、全てがキンバリーの表情であることに変わりはないのだ。ならば、全てをありのままに見せてしまったとしても、そこに特に何も問題はないはずである。完成された(=作り上げられた)可愛いを突き抜けて人間臭いグロ要素にまで到達したきゃりーぱみゅぱみゅのように、キンバリーもあらゆる無駄な装飾を自ら率先して剥ぎ取って見せている。こうした飾らない自分をありのままに見せ、それをカワイイの表現にまで昇華させてしまうところに、この両者の非常に似通っている部分はある。そこには、全く新しい感覚のカワイイのモードが存在している。そして、そこから、そのオシャレ感覚が共有されることで、全く新しい共感のスタイルで繋がり、ネットワークを通じて互いの存在を同世代として認識する、ひとつの世代が形成されてゆくことになる。

台湾では、キンバリーはS世代を代表するアーティスト/アイドルという位置づけがなされている。S世代とは、90年代以降に誕生した現在の主に10代前半から20代前半にかけての世代のことをいうようだ。現在18歳(94line)のキンバリーは、ちょうどその中心的な世代といってよいだろう。スマートフォンとSNSという頭文字がSのツールを自在に使いこなして新しいタイプのコミュニケーションの形を生み出しているS世代とは、新世紀の初頭に一番最初に登場した全世界的な10代、つまり21世紀型のグローバル・ティーンズなのである。彼らは、きゃりー語のような独特の様式をもった新言語によるコミュニケーションに精通し、さらには特に意味をもたないがゆえに意味をもつ言葉のやり取りにおいても、そこにある空気感を通じて大いに交感をしてみせ、いいねボタンやリツイート、お気に入りに登録といった、もはや言葉を介さぬ/言葉を越えた繋がりを通じても強い仲間意識を育んでゆける。これは、海外でも高い人気を誇るきゃりーぱみゅぱみゅのグローバルなファンダムのネットワーク形成のベースにあるものとも、まさに合致している。全世界的な10代/グローバル・ティーンズにとって、ボーダー/境界とは、もはや過去の遺物となりつつある。

ダンスする音

個と個の繋がりは、言葉の通じないところ/共通の言語を前提としないところにも生じる。
そこでは、音(サウンド)そのものが、共通の言葉/言語の役割を肩代わりすることもある。また、細かく切り刻まれた言葉が分子的データによる記号や信号といったものにまで変換されることで、言葉/言語を越えた疏通が可能となる場合もある。
言葉として伝わるのではなく、音(サウンド)として伝わる感情や気持ちがある。言葉の意味は理解し得なくとも、その理解の領域を越えて、言葉のもっている音(サウンド)の強度やテクスチャーで雰囲気が伝わる。同じ言語体系に属する近接した地域(欧州、アジア、アフリカ等)では、こうした傾向が強くなることが大いにあり得るであろう。記号や信号の強度は理解のレヴェルを超越する。
何かの状態を明確に表現する擬音を用いた伝達は、言葉を前提としない前言語的なコミュニケーションの定形でもある。そうした擬音よりもさらに意味がなく、非常に曖昧であるがイメージの広がる言葉の連なりというものがある。リズミカルな短い語の連続が繰り返し反復されることで、そこに発語・発声・聴取の楽しさ・心地よさが生ずる。そこでは、発話する者と聞き取る者の間に同期・同調する波長が生まれ、共通する感情の動きを見出せるようにもなる。言葉遊び的な語の連なりは、最も原始的な形態でありながらも、現代的な電子ネットワークにおいても極めて有効な、同族(トライブ)的な繋がりを形成しやすいコミュニケーションの形となる。
新しい時代の到来は、そこに属するトライブ内部のみで流通する新しい言葉・造語をも生み出してゆく。時代の暗号として機能する新造語は、常に新しいものとしてそこにある。それは、特定の(若い)世代だけに通ずる隠語であり、今までになかったようなフレッシュな語感覚を、そこに宿してもいる。記号や信号となった語を感覚的に共有することが、新しい時代を作り出す共通世代感覚の基礎構造を固めてゆく。記号や信号の新しさではなく、そこにある感覚の新しさこそが、そこでは問題となる。
ポップでフレッシュな感覚から生み出された新しい記号や暗号としての言葉/言語/語と、若者向けのエレクトロニックなビートのきいた音楽は、常にとても近い場所で流用されており、それらはアイドル・ポップスやアイドル歌謡という場において宿命的に接近し交じりあうこととなる。そんな10年代初頭の新しい感覚の音楽的な交錯点として現れた/表されたのが、きゃりーぱみゅぱみゅの“ぱみゅぱみゅレボリューション”やf(x)の“Electric Shock”である。こうした音楽作品は、新しい世紀の新しい世代のための新しいポップ・ミュージックとして受容される。

新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉(二)
新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉(三)



Radiomaniac: 1st Transmission EP

Mizou mini netlabel proudly presents

Radiomaniac: 1st Transmission EP
レディオマニアック「第一トランスミッション EP」

画像



Artist: Radiomaniac
Title: 1st Transmission EP
Genre: Post-Rock/Experimental/Electronic/Shoegaze/Noise

Tracklist:
01. Gulliver (Side Effects Of Modern Psychotropic Substances)
02. It
03. You're On Air!
04. PS: Hallelujah
05. Radiomaniac (bonus)

Cover Image

Download (MP3 + Image)
Visit Archive.org (Free Download & Streaming)

Album Description:
1st Transmission - is our first EP, which include 4 diverse instrumental compositions of rich in dirty guitar sounds with plenty of ambient effects, it combined with overdriven bass and powerful rhythm section. Everything is mixed with synthetic sound and electronic noise.

Produced by Radiomaniac
Mix & Mastering by Radiomaniac
Artwork by Radiomaniac

Band members:
Andrey R - Bass Guitar, Guitar
Yuri Che - Guitar, Bass Guitar, Keybords
DevilDetailz - Guitar, Keybords
Andrey Tryastsin - Drums, Samples

画像


«In our time, it is difficult to be astonished by a combination of aggressive distorted guitars and elements of club electronics. Some artists have live component as a dominating foundation and combine it with synthetic sounds. However, they are a sort of rockers who use electronics. Others have electronic beats and melodies as basis, and try to give some liveliness to their music by using guitars, bass, even bagpipe sounds. But they are electronics in fact.
And it is close to impossible to determine the basis of some others. Radiomaniac might be labeled as these "others". Sometimes it is not clear whether it is a guitar or not - so unusual sounds it was made to emit. High technologies are connected with slightly underground quality. Was it done intentionally or not - doesn't matter - everything sounds organically.
Some unique madness is woven into all four tracks - as a protest against the music canons, and at the same time using them.» © “Lestnica” Sakhalin journal.

For more information
http://www.lastfm.ru/music/Radiomaniac/
http://www.facebook.com/pages/Radiomaniac/319451094811325
http://www.facebook.com/groups/274072889367290/
http://vk.com/1st_transmission
http://www.youtube.com/user/RadiomaniacOnAir

Creative Commons License


Radiomaniac: 1st Transmission EP
Mizou MZ005

Radiomaniac, live transmission. Listen to the silence, let it ring on.

Radiomaniac is a post rock band formed by four young dudes, based in Sakhalin. This five songs EP is the very first release from them.

South Sakhalin belongs to none of the nation/state on the international law even today. Since the end of WWII, the southern half of this vast island has been left in blank on the map. We had forgotten this island? Sakhalin was missing from the modern world, and it had to plunge this island to the post modern period from about 60 years ago. Whether it was fate of Sakhalin, the island located in the gap between eastern and western world and the opposite shore of mass consumption society. Maybe rock music created in that post modern land is going to be post rock, it is inevitability.

The sound expand with changing protean and never stop in one place. There is no song, but the musical sound sings in loquacious. Distorted noisy guitar sounds break through the extent of spatial. Band ensemble radiates stammering freaky phrase in endlessly. Unified bass and drums run intensively and shake off the gravely billows. Experimental sound with electronics also makes it one of their characteristics.

The voiceless screaming is given from far eastern blank ground.

No language, just sound, that's all we need know, to synchronize. And we could dance. Dance, dance, dance, dance, dance, to the Radiomaniac.


サハリンは、近くて遠い。ただし、サハリンというよりも、樺太と呼んだほうが、多少は身近に感じられるようにも思える。サハリンと樺太。ふたつの名称をもつ、この場所。感覚としては、それぞれに全く異なる別の場所のように思える部分もある。
このふたつの名をもつ島は、北海道の北端、宗谷岬のさらにその北にある。東のオホーツク海と西の日本海の狭間に南北1000キロにも渡ってのびる、とても巨大な島だ。この島の南端と北海道の間に横たわる宗谷海峡は、わずか約43キロほどの距離しかない。晴れた日には、宗谷岬から肉眼で島影を眺めることも可能であるという。樺太は、日本に非常に近い。しかし、そこに見えているのは樺太ではなく、ロシア人が暮らすサハリンという島なのである。
サハリンの南半分、日本の統治時代には南樺太と呼ばれていた地域は、現在もまだ帰属未定地域のままである。地図上でも国際法上でもサハリンの南半分は、ロシアでも日本でもないどこの国家にも帰属していない白紙のままの地域にされている。まるで、激動の近代史に翻弄され、ロシアと日本の間での兵士の命と弾薬のやり取りの果てに帰属先が決定される領土となって、そのまま世界の歴史のブラックホールに取り残されてしまったかのように。
この島の歴史は、中世以降のロシアや中国や日本といった帝国や列強の歴史と密接な関わりをもつ。元々はアイヌなどの北方の先住民族の土地であったが、歴史のうねりの中で日中露の三国の狭間で常に揺れ続けた。また、日本の統治時代やその後のゾヴィエト連邦による支配の時代には、朝鮮半島より多くの朝鮮人が労働力として徴用され出稼ぎ労働者として移住(強制的に/自主的に)している。このうち、第二次世界大戦での日本の敗戦後に母国に帰国することがかなわず、サハリン(南樺太)に取り残されてしまった朝鮮人を残留在樺コリアンという。
このようにサハリンは、いくつもの国家と民族の歴史が入り組み複雑に絡み合っている場所でもある。帰属未定地域として実質的に全く手が付けらずに放置されていることもあり、この島が抱える多くの民族的/歴史的/領土的な問題は、20世紀までの歴史の薄暗がりの中に今もまだ取り残されたままとなっている。

レディオマニアック(Radiomaniac)は、サハリンのユジノサハリンスクを拠点に活動する四人組のポストロック・バンドである。ユジノサハリンスクは、ロシアのサハリン州の州都であり、人口は約18万人の島内でも最大の都市である。また、ここは日本統治時代には樺太庁の中心地として栄えた豊原市があった場所でもある。つまり、レディオマニアックは、白紙の状態のままの帰属未定地域において活動していることになる。バンドのメンバーは、全員がロシア人であり、ユジノサハリンスクの市民であるが、彼らはかつて南樺太と呼ばれた今はどこでもない場所で音楽活動を行っている。
バンドのメンバーは、主にベースを担当するアンドレイ・R(Andrey R)、主にギターを担当するユーリ・チェ(Yuri Che)、ギターとキーボードを担当するデヴィルディテイルズ(DevilDetailz)、ドラムスとサンプラー等を担当するアンドレイ・トリアストシン(Andrey Tryastsin)という四名。その名前からもわかる通り、メンバーのユーリ・チェは在樺コリアンである。帰属未定地域に暮らすコリアン・ディアスポラだが、すでにユーリたちの代の在樺コリアンで朝鮮語/韓国語を話すものはほとんどいないという。しかし、実際にはユーリはロシア人としての名前とは別にハングルでの名前ももっており、自らの中に流れる朝鮮民族(ディアスポラ)としてのアイデンティティをしっかりと受け継いでもいる。
このバンドの活動が開始されたのは、09年のことであった。サハリンの芸術大学の学生であったユーリは、アルバイトで学校の夜間警備員もつとめていた。このあまり真面目ではないアルバイト学生は、禁止事項を守ることなく夜間に親しい友人を学校に呼び寄せ、リハーサル室を勝手に使用してバンドの練習に勤しむようになる。こうした無断のリハーサル・セッションから誕生したユーリを中心とする音楽集団が、後にレディオマニアックとなる。初期のバンドのドラマーは、アルテミー・ヒーリック(Artemiy Hellic)であり、現在ドラムスを担当しているアンドレイ・トリアストシンは、少し遅れてセカンド・ドラマーとしてセッションに参加した。この当時のレディオマニアックは、ツイン・ドラムの編成で相当にパーカッシヴでプリミティヴなロック・サウンドを鳴らしていたようである。また、そのサウンドには、かなりピュアなエクスペリメンタル系の要素も色濃く反映されていたようだ。
深夜に内密に進められた半年間のリハーサル・セッションの後にレディオマニアックは、地元の街でデビュー・パフォーマンスを行っている。しかし、このライヴ・ステージを最後にユーリとアルテミーはユジノサハリンスクを離れ、アンドレイ・Rは兵役に就き、デビューしたてのバンドはいきなりしばらくの活動休止を余儀なくされてしまう。ここまでが、第一期のレディオマニアックの全活動であった。
約一年後、ユーリが街に戻り、バンドは活動を再開する。モスクワに移住してしまったアルテミーに代わり、アンドレイ・トリアストシンがメインのドラマーとなった。こうして、レディオマニアックは現在の四人組のバンドへと落ち着くことになる。ただし、深夜の学校のリハーサル室でこっそりと活動を開始した実験的な音楽コレクティヴというバンドの出自そのものは変わりようがなく、四人組となってもドラマー以外は楽曲ごとにギターとベースとキーボードの担当パートを入れ替え、幾通りもの編成で演奏を行う姿勢は崩していない。
レディオマニアックは、とても自由度の高いバンドである。音楽とサウンドの実験/おもしろい試みを行うために学校のリハーサル室に忍び込んだ四人は、別にただのありがちなロック・バンドを組むために集まったわけではない。仲間内の集団での真摯な表現の一環として、ドラムでリズムを鳴らし、楽器を手にとり轟音をかき鳴らしているにすぎないのだ。よって、その方向性は、自ずと実験的でオルタナティヴなポストロックへとディープに向かってゆくこととなった。
活動初期には、ユーリが作詞・作曲した楽曲をバンドで再構成して演奏していたようである。しかし、それもたった数曲で取りやめとなり、以降はバンド・メンバー全員でのセッションを基本に楽曲を制作してゆく方法がとられている。また、こうしたバンド内での創作に関する動きに合わせて、ユーリはバンドで歌うための既成のロック的な様式に連なる詩作への疑問を抱くようになり、一行も歌詞を書かなくなってしまう。これにより、レディオマニアックの楽曲は、ほぼインストゥルメンタル曲が中心のものとなる。
帰属未定地域という土地に住み、その白紙のままの土地で音楽表現を行うとは、いかなることなのであろうか。サハリンの南半分、かつての南樺太は、帝国と列強が覇を競い合った20世紀の歴史の波間にぽつんと取り残されてしまっているように見える。だが、これをまた違った角度から眺めると、この帰属未定地域とは、その後の世界の潮流に先がけて20世紀的近代の枠を越えていたという意味で、いち早くポスト・モダン期に突入していたのだとも考えられる。そんなユジノサハリンスクにおいて意識的にロックするものが表出させる音は、やはりどうしてもポストロックにならざるを得ないのではなかろうか。サハリンの白紙の大地では、もはやロックンロールは全く転がりようがないのである。
レディオマニアックのメンバーは、ユジノサハリンスクという場所はTVや映画で見るアメリカの田舎の地方都市と何も変わらないという。集合住宅と工場の間を広い道路が繋ぐように走る、味気のない非常に殺伐とした風景。そこは、ヨーロッパの文化の中心から遠く離れた、かつての流刑地であり、アジアの文化圏からも完全に断絶し、太古からの先住民族の土地でなくなったときに大地に息衝く精霊たちも姿を消した。まさに、白紙になってしまった場所なのだ。もしくは、帰属未定地域となった時点で、文化的にも完全に漂白されてしまったということであろうか。

“1st Transmission EP”は、レディオマニアックにとって初のレコーディング作品である。スロッビング・グリッスルの「第二活動報告書」に着想を得て、Mizouからのリリースには「第一トランスミッション EP」という邦題をつけている。この作品のために、10年から活動を行っている四人組となってからの第二期レディオマニアックがライヴ・パフォーマンスなどで披露してきた代表曲の全四曲がレコーディングされている。全編に渡りダークで冷たい空気が充満している中を鋭利でハードなエッジをもつバンドのサウンドが刺すように迫りくる、レディオマニアックの四人によるアンサンブルのアグレッシヴさが非常によく表現された作品集となっている。

ソニック・ユース、ニルヴァーナ、レディオヘッド、ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ピンク・フロイド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、テレヴィジョンといった古典的なオルタナティヴ・ロック・バンドや、プロディジー、モグワイ、65デイズオブスタティック、HTRK、ナイン・インチ・ネイルズといったポストロック・バンドやエレクトロニック・アクトの音楽からの影響をレディオマニアックの面々は表明している。いずれもオルタナティヴ系のロックではあるが、年代的にもスタイル的にもかなり幅は広い。そして、同時代に生きているのだから当たり前のことであるのかも知れないが、欧米や日本のオルタナティヴ・ロック・ファンが聴いているものと全く変わりはない。
レディオマニアックの四人は、こうしたバンドのレコードやCDをユジノサハリンスクで聴き込みながら、特にどれか既成のサウンドに入れ込んだり偏ったりすることなく、様々なバンドからの多様な影響をしっかりと咀嚼し、自由なジャム・セッションの中からレディオマニアック的なオリジナルな音を生み出すことに成功している。
そして、そうしたレディオマニアック的な音とは、やはり彼らの住むサハリンという場でしか鳴らすことのできないものであるようにも感じられるのである。それこそ、白紙な土地における生粋のポストロックとでもいうのだろうか。どんなに欧米のプログレッシヴ・ロックやオルタナティヴ・ロックを聴き込んで吸収しようとも、このポスト・モダンな帰属未定地域では、大地に足をつけてロックしようとすればするほどに、そのサウンドはオルタナティヴな方向に突き抜けてポストロック的シニシズム/スノビズムに不時着するしか道はなくなってしまうのではなかろうか。

一曲目は、“Gulliver (Side Effects Of Modern Psychotropic Substances)”。これはもう「現代の向精神薬の副作用」というサブ・タイトルが全てを物語っている。現代人の精神とは、いったいどこへ向かおうとしているのだろうか。いや、はたして現代人とは己の精神というものをもっているのであろうか。薬物によって成型される人間の精神とは、いかなる精神性をもち得ているのだろうか。捻れ捩れながらもドライヴし一気に天高く突き抜け、そのまま出口なき混沌へと頭から突っ込んでゆく、ハードでキレ味のよいバンド・サウンド。そこにエレクトロニックでポスト・インダストリアルな風味がまぶされる。とてもレディオマニアックらしい楽曲である。
二曲目は、“It”。これはスティーヴン・キングの同名小説から着想を得ている楽曲なのであろうか。深層心理にひそむ、もう一人の自分(It)にまで沈潜してゆく醒めた視点。日常の生活のリズムの中で平静を取り繕いながらも不安定な足取りで駆け続けるギター。どうにかして自分というものを取り戻そうと必死の努力を繰り返すが、なぜかそれ掻き乱すノイズが飛び込んできて邪魔をする。邪魔をしているのは誰か。自分か、それとも“It”か。前半は規則的なドラムンベース的なビートによって導かれていた曲調が、中盤以降は直情的でハードなビートが中心の構成となり、そこに荒々しいもうひとつの人格が顔を出し始める。
三曲目は、“You're On Air!”。ライヴでも演奏されるレディオマニアックの代表曲のひとつ。この楽曲のタイトルは、目の前にいる人物が宙に浮いていることを驚きをもって指摘するフレーズと読み取ることができる。はて、この人物は実際に空中に浮かび上がっているのであろうか。それとも、ただまるで地に足が付いていないような振る舞いをしているだけなのか。逆に、全く宙に浮きそうもない堅い人物に向かって皮肉まじりに逆説的な驚きのフレーズを語っているとも考えられる。前につんのめりながら錐揉みするように疾走するフリーキーなギターを軸にした二分ちょっとの非常にシンプルな楽曲である。手数の多い野性的なドラムと唸りをあげるベースの演奏のスピード感も聴きどころだ。
四曲目は、“PS: Hallelujah”。ハレルヤとは、キリスト教教会で使用される「主をたたえよ」というヘブライ語のフレーズである。この言葉のうちの後半部分、ヤハ/ジャー(Jah)が主のことを指し、ヤハウェつまり唯一の絶対神を意味する。ちなみに、ラスタファリアニズムにおけるジャーも、このヤハ/ヤハウェからきている。ヘヴィなリズムがのたうちながら蜷局を巻き、鮮烈なトーンのギターがノイジーかつサイケデリックに天空を駆け巡る。雄大でアトモスフェリックな開放感に満ちたサウンドであるが、どこか不吉で不穏なムードがつきまとってもいる。鈍い鉛色の雲がわき、全ての光を遮ろうとしてる。ハレルヤ。白紙の大地の祈りは、とてもとても重苦しい。
五曲目は、“Radiomaniac”。レディオマニアックのテーマ曲。これは正式に“1st Transmission EP”の収録曲として録音された楽曲ではない。四曲入りのEPにボーナス・トラックとして追加収録された音源である。ライヴ会場かリハーサル・スタジオにてマイクを一本立てて一発録音したような非常にラフな音質が、なかなか臨場感があってよい。ペシャペシャなドラムや平坦でジリジリなノイズと化したギター、そしてほとんど聴き取れないベースなど、どこか80年代の日本のインディーズ・バンドによるチープなインディーズ盤を思わせるサウンドが懐かしくもあり、今も昔も変わらぬリアルなアンダーグラウンド・ロックの香りを発散させてくれてもいる。レディオマニアックのどこまでも真っ直ぐな、熱くほとばしる演奏が素晴らしい。

決してひとつところに立ち止まることなく変幻自在に変化し展開してゆくレディオマニアックのサウンドにおいて、最も饒舌に語り多様な表情を見せてくれているのが実に個性的なギター・プレイではなかろうか。ひしゃげるようにノイジーに歪み、突き抜けるような空間的な広がりをもち、捩れたフリーキーなフレーズを吃るように放射する。そんなギターのプレイを軸としながらドラムスとベースとエレクトロニクスが一体となって、重々しく立ちこめる鬱屈したものを何とか振り払い、まとわりつくものを払いのけようとするように突っ走り、突然減速し、もんどりうつように転げ回るのが、レディオマニアックのサウンドの基本的なスタイルとなる。
やはり、それはかなりオリジナルな感覚をもったサウンドであるともいえる。レディオマニアックの楽曲は、独特の音で鳴り、特異な展開をしながら進行してゆく。その音に染み込んでいる明確な意思に基づいた実験性が、サウンドの鳴りそのものに速度の変化をもたせる。質量と重量によって歪む音。レディオマニアックのバンド・アンサンブルの塊からほとばしり出てくるものが、微妙な緩急を伴うタイムラグを交えて、次々とそれに対峙する者に突き刺さってくるのである。そして、そこには、強烈なまでに研ぎすまされた鋭利な音もあれば、ただ朴訥に掴み出してきたままの粗野な響きもあったりする。

まだまだレディオマニアックの手許には、繰り返されるリハーサル・セッションを通じて生み出された楽曲の素材となる断片が山ほどあるという。また、主に活動初期にライヴ等でプレイしていた楽曲もストックとして残してあるようだ。そうした初期の楽曲の再構築や新たな楽曲の制作にレディオマニアックが現在取り組んでいるのは、彼らが“1st Transmission EP”に続いて正式なファースト・アルバムをリリースする計画を進めていることに由来している。今年に入り本作をセルフ・リリースしたのに引き続いて、しばらくの間、バンドはライヴ活動を中断してアルバムの制作と録音に集中しているという。
そして、このファースト・アルバムが完成したあかつきには、“1st Transmission EP”に続いて、このMizouより全世界に向けてリリースされることがほぼ決定している。帰属未定地域のサハリンから届けられるレディオマニアックのファースト・アルバム。これは、実に楽しみである。とりあえず、今のところは彼らからの名刺代わりでもある「第一トランスミッション EP」を聴いて、来るべき日に備えておいていただきたい。白紙の大地からの声なき叫びが、いま挙げられようとしている。

Liner notes by Masaru Ando

「K-POPかけ込み寺」 2012夏

「K-POPかけ込み寺」 @ 241FM
夏祭りスペシャル (2012.08.02)



Video streaming by Ustream

Tracklist:
Beast - Beautiful Night
B.A.P - No Mercy
Money Maker$ - $W△g
Olltii - Rigaolltiis
Nassun - I'll Be The Key (Hero) (feat. Viki, Audiotrack)
Nassun - Nothing (feat. Kikaflo, BEN Of BeBe Mignon)
Eluphant - What's Different (feat. Jung In)
Sunny Days - Don't Touch Me
ProfoundPaper - 素敵な大人になりたい
Muzie - Love At First Sight (feat. Dynamic Duo)
Zion - 二番目の女
aT - Slowly
Nam Soo Rim - Drive Me To The Moon
Kim Haru - 風よ雲よ
Hi To Him - 好き
屋上月光 - Love Cocktail
Kim Jisoo, Vanilla Acoustic - Sunglass
Park Soyun - Fly High
Evening Glow - ときめき
Yoon Hyung - Love Me, Babe!
Mongoose - Together Forever (Dj Soulscape Mpc Boogie Mix)
PD Blue - ウラルララ
Lumi-L - POPOPO
NS Yoon-G - I Got You
Tahiti - Tonight
Crayon Pop - Saturday Night
AOA - ELVIS
Loen Tree (IU & Fiesta) - Sea of Moonlight
Jevice - I Will Love
Davichi - 男も泣くの?
Brown Eyed Girls - 真夏の夜の夢
Suzy (miss A) - I Still Love You
Ina Band - Deep In My Heart
Olltii - Blue Sky


「K-POPかけ込み寺」 2012夏
~特別編~



Video streaming by Ustream

No tracklisting


「K-POPかけ込み寺」 @ MizoUstream
2012年8月16日放送分(再)



Video streaming by Ustream

Tracklist:
Desperazi - 面倒だ
Goga & Peanut - I Told Ya
Nia - Sensation
RoundBurn - Mr. AcE
T-Angel - イエローカード
So Myung - ボディガード
Park Hyun Bin - チュンヒャンア
Kim So I - 愛の鬼ごっこ
Sunny Hill & Zia - 勇敢な彼女たち
D-Unit - I'm Missin' You
EvoL - We Are A Bit Different
Neon Bunny - 初恋
Lil Cham - In my office
JA (feat. Nam Soo Rim) - 私はあなた
Verbal Jint - I Get Weak
The K.H - Drifting Apart
Sung Yeon - なぜ


「K-POPかけ込み寺」 @ 241FM
(2012.08.30)



Video streaming by Ustream

Tracklist:
Kirin - New Jack Swing
YuRi - Ding A Ring A Ring
Clover - テジクッパ
李博士 - アスラバルバルタ
李博士 - ほかのお兄さん
SolBi - オットギ
Jessica & Krystal - Butterfly
Skarf - Oh! Dance
Tiny-G - Tiny-G
Two X - Double Up
Fiestar - Wicked
EXID - I Feel Good
KARA - Pandora
U-Ami - マスカラ
Mood Salon - ソウルのお嬢さん
Kim Haru - 涙が急にぽたぽた
Shin Jae Hyung and Friends - If you love me
Deli Spice - Be Open
Deli Spice - Rainmaker

東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる(二)

「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」

画像


原典/源流をたずねて

5月20日の東京女子流の日比谷野外音楽堂でのコンサートでは、全22曲のセット・リストのうち、ただ一曲だけ新曲として披露された楽曲があった。それが、“LolitA☆Strawberry in summer”である。この楽曲は、03年に発表された五人組アイドル・グループ、SweetSのデビュー曲のカヴァー・ヴァージョンであった。実は、これ以前にも東京女子流は、このSweetSの楽曲をカヴァーして発表している。それが、11年2月に五作目のシングルとしてリリースされた“Love like candy floss”である。こちらの原曲は、04年にSweetSの三作目のシングル曲として発表されている。この流れからいうと、この“LolitA☆Strawberry in summer”が、二ヶ月の活動休止開けの8月に東京女子流の復帰後の初シングルのタイトル曲もしくはカップリング曲となる可能性は非常に高い。
東京女子流の“Love like candy floss”は、11年5月4日に発表されたファースト・アルバム“鼓動の秘密”の収録曲でもある。10代の淡い恋愛感情の揺れ動きを、捕まえようとしても手の中で溶けて消えてしまう甘く淡い夢のような綿菓子に準えた、正統派の甘酸っぱいアイドル系メロディアス・ポップスの秀曲である。この東京女子流の新ヴァージョンは、基本的にオリジナルのSweetSのヴァージョンの様式を踏襲した非常に原曲に忠実なアレンジに仕上げられている。これは、04年のSweetSのヴァージョンも11年の東京女子流のヴァージョンも、ともに松井寛がアレンジャーを務めていることが、その最大の理由と考えて決して間違いではないだろう。
ファースト・アルバム“鼓動の秘密”のリリースからセカンド・アルバム“Limited addiction”のリリースまでのインターヴァルは、わずかに約十ヶ月あまり。ただし、この間に東京女子流は、音楽的な方向性を大きく舵を切るかのように路線変更させている。正確には、より明確にサウンドの傾向を絞り込み、方向性を定めて、ひとつの東京女子流らしいアイドル歌謡のスタイルを確立したというべきだろうか。サウンド面のブレインである松井寛が得意とする、まだライヴ・インストゥルメンツが主体であった頃の80年代のダンス・ミュージックのグルーヴ感を前面に押し出した音楽性が、よりはっきりとグループの音のコンセプトとして打ち出されるようになってきたのである。
“Love like candy floss”のカヴァー・ヴァージョンが収録されたファースト・アルバムは、さわやかでストレートなアイドル・ポップスや昭和歌謡のフレイヴァーを漂わすナンバー、そして少女たちが丹精込めて歌いあげるバラード曲など、なかなかに多種多様なサウンドが盛り込まれた作品であった。また、そのそれぞれがそれぞれにアイドル・グループのデビュー・アルバムとしてはかなりのレヴェルにまで達したものとなっており、東京女子流の五人がもつ豊かなタレント性とグループとしてのポテンシャルの高さをまざまざと伝えてくれていた。ただ、この時点ではまだ、オールドスクール調のディスコ系のダンス曲というのは、そうした多様な方向性の中のひとつのヴァリエーションに過ぎなかったのである。
シングル曲としてリリースされた“Love like candy floss”のカヴァー・ヴァージョンは、今では東京女子流の代表曲のひとつにまでなっている。今回、再びSweetSの楽曲からチョイスされた“LolitA☆Strawberry in summer”もまた、新たに松井寛のアレンジによってオリジナルの風合いを残しつつも東京女子流らしさを感じさせてくれるアッパーなノリの一曲に生まれ変わることであろう。おそらく、今後のライヴ・パフォーマンスには欠かせぬ一曲になってゆくに違いない。

また、東京女子流のカヴァー曲としては、11年8月(10年後の8月)に発表されたZONEのトリビュート・アルバム“ZONEトリビュート~君がくれたもの~”に収録された“僕の手紙”がある。ここに東京女子流は、中川翔子(Shoko Nakagawa)、SCANDAL、ステレオポニー、bump.y、Tomato n'PineなどといったアーティストたちとともにZONEの楽曲をカヴァーする側として参加している。そこで東京女子流がトリビュート曲にチョイスしたのが、03年10月にZONEがシングル曲として発表した“僕の手紙”であった。この少年があふれ出る思いを綴った手渡すことのできぬ手紙をモティーフにした非常に切ないロック・バラード曲を、ド渋なジャズ・ロック調に新たにアレンジしたカヴァー・ヴァージョンで、東京女子流の五人は原曲のよさをさらに引き立てる切々と歌い込む奇跡的名唱を録音している。この楽曲が、ZONEのトリビュート・アルバムの中でも出色の出来であったことは言う間でもない。
また、この10代の淡い恋心や揺れる気持ちを歌った楽曲は、東京女子流のオリジナル楽曲とも主題的にとても近いものがあり、非常に親和性が高い。この名カヴァー・ヴァージョンは、後にセカンド・アルバム“Limited addiction”に再収録されることになるが、ライヴなどで度々披露されてきた影響もあったのか、アルバム全体の流れの中にもしっくりと馴染んでいる。現在では、もはや東京女子流の持ち歌のひとつとして完全に定着しているといってもよいであろう。
SweetSは06年に解散し、ZONEは05年に解散し現在再結成しているが五人のオリジナル・メンバー全員での活動は行っていない。こうした解散してしまったグループの楽曲を、東京女子流が歌い継いでゆくことにも少なからず意味があるものと思われる。オリジナルを歌ったグループが消滅するとともに、そのグループが歌っていた名曲の数々も、もう二度と歌われることなく、いつしか忘れ去られ消えていってしまうのだとしたら、誰かの手でそれを阻止するしか、その楽曲を忘却から救い出す手だてはない。東京女子流のカヴァー曲は、00年代に誕生した数々のアイドル歌謡の遺産を引き継ぐものという意味合いももっているようである。
こうして、新たなアレンジで過去の名曲を見事に現代に蘇らせるカヴァー・ヴァージョンは、もはや東京女子流の十八番となりつつある。その楽曲のよさをより引き立てる丁寧に情感を歌い込む歌唱は、この若き実力派の五人組ならではのものといえるであろう。東京女子流が身につけた名曲再生術には、かなり高度なものがある。

SweetSと東京女子流は、ともに大手レコード会社のエイベックスが主催する総合育成スクール、エイベックス・アーティスト・アカデミー出身のグループである。つまり、両者は先輩と後輩の間柄にあたる。現在、こうした幼いうちから本格的に歌やダンスをトレーニングするタレント育成スクールの存在は、次代のアイドル歌謡界の担い手を輩出する広い裾野を形成する下部構造として、ほぼなくてはならぬものとなってきている。それゆえに、こうしたスクールの場において、先輩から後輩へと間接的にでも伝統として受け継がれてゆくものが生ずることも大いにある。
おそらく東京女子流のメンバーたちはレッスン曲として、SweetSの楽曲をアカデミーのスタジオで何度となく歌い踊ってきたのではなかろうか。そういう意味では、こうしたエイベックス系列の先輩たちの楽曲が、彼女たちのパフォーマンスの原点になっているといっても過言ではないはずだ。SweetSと東京女子流の音楽的な傾向や方向性は少しずつ異なってきているが、同じ育成スクールで学んだことから育まれたパフォーマンスの伝統は、いつまでも同じ血筋として継承されてゆくことになるのではなかろうか。東京女子流は、新たなサウンドと歌唱によって時代を越えて蘇ったSweetSの楽曲のカヴァー・ヴァージョンの中で、そのルーツの部分をチラリと垣間見せてくれている。
また、東京女子流は、そうしたアカデミー時代から歌い踊り込んできていると思われるアーティストのカヴァー曲を、定期ライヴの場で数多く披露している。そこで取り上げられているのは、TRF、SPEED、Folder5、Dream、玉置成実(Nami Tamaki)、SweetSなどの楽曲である。そして、最近のものでは、K-POPアイドルのKARAの“ジェットコースターラブ”や少女時代の“Kissing You”を度々歌っていたりもする。
だがしかし、そうした中でも、やはりSweetSというグループは、東京女子流にとって非常に特別な存在であるといえるだろう。両者のデビューには約7年のタイムラグがあるが、このSweetSこそが後の東京女子流を生み出すことになる直接のひな形であったといってよい。SweetSの作品には、後の東京女子流の作品の中で発展してゆく要素の芽をいくつも聴き取ることができる。東京女子流は、かつてSweetSが模索を試みた00年代以降のアイドル・ポップスの新たな音楽スタイルやアイドル歌謡の歌唱面での質の向上といった部分を、より凝縮して、それをさらに先まで押し進めているといえる。また、ほぼ志し半ばで解散することとなったSweetSの方向性や活動面での失敗から学んでいる部分というのも多々あるのではなかろうか。
そうした先達が活動を通じて残してきたものからデビュー以前のアカデミー時代より継承してきたものが、東京女子流というグループならではの特異性の一部を間違いなく形作っている。そのような実践によって検証され裏打ちされた部分が、同じ育成スクール出身というこれ以上にない強固な繋がりを通じて伝えられ、現在の多くのグループがひしめき合うアイドル戦国時代と呼ばれる状況の中でも、他の勢力とは被らない立ち位置を占める東京女子流の独特の個性や絶対的な強みを生み出す源となっているに違いない。

あらためてエイベックス・アーティスト・アカデミー出身者を含むエイベックス系列のガールズ・グループの流れを見てゆくと、東京女子流やSweetSよりもひとつ前の世代にFolder5を見出すことができる。
Folder5は、97年にデビューした七人組の男女混成グループ、Folderを母体として、ここから女性陣五名が独立する形で00年にデビューしたグループである。Folderは、安室奈美恵(Namie Amuro)、MAX、SPEEDなど多くのタレントを輩出した沖縄アクターズスクール出身のグループとしても大いに注目を集めた。このことは、00年デビューのFolder5もまた、90年代後半に時代を席巻した沖縄アクターズスクール世代のガールズ・グループの流れに属する五人組であることを意味する。よって、細かい系統を見ていった場合には、00年代以降のSweetSなどのガールズ・グループとは、少しばかり異なる系譜に属しているといえるのかも知れない。沖縄アクターズスクールの流れを汲むFolder5までと、エイベックス・アーティスト・アカデミーから誕生したSweetS以降では、巨視的な視点で見れば非常に近い流れではあるのだろうが、やはり受け継ぎ継承しているものは自ずと違ってきているのである。
この沖縄アクターズスクール勢の活躍によって先鞭をつけられ、その後に全国的に広まり活況を呈してゆくことになる大小のタレント育成スクール。こうした動きの中でシンガー/ダンサー育成の土壌がしっかりと形成され、00年代以降にはそこから数多くのアイドルたちが生まれている。札幌のスタジオ・ランタイム出身のZONEやアクターズスクール広島出身のPerfumeを筆頭に、モーニング娘。などのハロー!プロジェクトのオーディション合格者やAKB48を始めとするその系列グループのメンバーなどにも、幼い頃よりアイドルを目指して育成スクールに通いトレーニングを重ねてきたという者も多いのであろう。また、こうしたタレント育成スクールの出身者によって、現在の大変に層が厚くヴァラエティ豊かなローカル・アイドル・シーンの全国的な盛り上がりが形作られている現実にも決して見逃せないものがある。列島各地に群雄が割拠するアイドル戦国時代の乱戦模様は、00年代以降に全国展開していったタレント育成スクールが盛況であり続けていることと決して無縁ではないのだ。
現在、このSweetS直系のエイベックス・アーティスト・アカデミーの伝統の流れは、過酷なアイドル戦国時代を生き抜くために少しばかり新たな路線へと向かっていった東京女子流をひとつ飛ばして、11年にデビューした四人組のPrizmmy☆へと受け継がれつつある。こうしてそれぞれのルーツから流れ出る伝統の系譜は、いくつもの傍流を形作りながらも、アイドル歌謡の時代が続く限りどこまでも流れてゆくのである。

SweetSが活動を行っていた03年から06年にかけての時期とは、00年代のアイドル歌謡が少しばかり谷間に落ち込んでいる時代であった。この時期のモーニング娘。は、ちょうど00年代初頭にヒット曲を連発していた当時の主力メンバーが次々と卒業し、世代交替が進行するとともに、やや戦力的には衰退へと向かう下降線を辿る過程にあった。また、後に一世を風靡するAKB48が、秋葉原の秋葉原48劇場で活動を開始したのは05年12月のことである。彼女たちの存在が社会現象にまでなるには、あと数年を待たなくてはならなかった。そういう意味では、SweetSというグループは活動する時代に恵まれなかった、非常に不運な五人組であったのかも知れない。歌唱面でもダンスの面でも充分すぎるほどの実力を備えていただけに、これは本当に惜しいとしか言いようがない。SweetSの元メンバー、瀧本美織は、現在は女優としてTVドラマ等で活躍している。
そんなアイドル・グループにとってのいわゆる冬の時代であったからこそ、SweetSというグループは、かなり本格的でアーティスティックなサウンドの音楽性や、10代前半という年齢にしては非常に大人びた歌唱による、極めて質の高い作品を作り上げることで勝負に挑んでいた節がある。これは、ある意味では、宇多田ヒカル以降のポップス/ティーンエイジ・ポップスの形としては、まさにあるべき姿であったように思われる。しかしながら、少しばかり時期が悪すぎたようである。時代の趨勢に逆らって健闘を続けたSweetSであったが、結局はそれに押し切られる形で大輪の花を一度も咲かせることなく散ってしまうことになる。
現在、東京女子流の作品では専属のアレンジャー状態となっている松井寛は、いくつかのSweetSの楽曲に編曲者として携わっている。当時、既成のアイドル歌謡の枠から大きく一歩踏み出したSweetSのクオリティの高い作品で、白けた世間を唸らせ頷かせようという、あまり勝ち目のなさそうな大勝負を挑んでいた制作陣のひとりに名を連ねていたのが松井であったのだ。もしかすると、このSweetSでやり残したことを東京女子流で存分に吐き出しているという部分も、どこかにはあるのではなかろうか。これは、もはや7年越しの時代を超越したリマッチである。そうした背景があるからこそ、この東京女子流では過去に掴み損ねたものを何としてでももぎ取らねばならないのであろう。今ここで東京女子流が本格的なダンス・サウンドを導入した音楽的な方向性で大きな成功を収めることで、松井たちが00年代前半からSweetSというグループで行ってきた音作りが、決して間違いではなかったことをやや迂回する形で証明することにもなるのだから。
SweetSが04年に発表したシングル“Grow into shinin' stars”に収録されたカップリング曲に“Never ending story”という楽曲がある。松井寛が編曲を手がけた、バリバリに正統派のディスコ・フュージョン系のサウンドで展開される軽快かつ爽快な青春讃歌である。恋したり悩んだりを繰り返す毎日の中で、ひとつひとつ物事を学びながら、少しずつ大人になってゆく10代の少年少女の未来に向かって大きく開かれた終わることのない物語。それを、SweetSの五人が溌剌と歌いあげる。希望という風を受け大きく帆を膨らませながら青春の日々を真っ直ぐに突き進んでゆくような、実に清々しい一曲である。その輝かしい日々と小さな胸に秘められた大いなる物語には、決して終わりはないように少年少女たちの瞳には映る。まさに「ひたむきなら/It's never ending story」なのである。
奇しくも、10年5月5日に発表されたデビュー・シングル“キラリ☆”の中で、東京女子流は「物語はここから始まる」、そして「物語は永遠に続く」と高らかに宣言するように歌っている。SweetSが紡ぎ出した物語は、グループは解散して消滅しても、やはり終わってはいなかったのである。東京女子流の五人は、このデビュー曲の中で先輩のSweetSからしっかりと“Never ending story”の物語の続きを引き継いでいることを溌剌と歌い上げている。つまり、一度終わりかけたかのように見えた物語は、東京女子流の“キラリ☆”とともに再び動き出したのである。そして、その物語を、五人の少女たちが今どこまでも大きく膨らませようとしている。大いなる希望の風を受けて、遂に進路は12月22日の日本武道館へと定められたのである。


始まりの2010年5月

10年5月5日。この日、ももいろクローバー(現在はももいろクローバーZ)はシングル“行くぜっ!怪盗少女”を発表し、念願のメジャー・デビューを果たした。09年にインディーズより2枚のシングルをリリースし、メジャーのアイドル戦線に殴り込みをかける勢いで登場したももクロは、この“行くぜっ!怪盗少女”でオリコン週間チャートの第3位を獲得している。
東京女子流のデビュー・シングル“キラリ☆”は、妙な巡り合わせで同日のデビューとなったももクロの“行くぜっ!怪盗少女”のスマッシュ・ヒットの陰で、オリコン週間チャートの第30位に何とか食い込むのがやっとであった。チャート・アクションの面から見れば、東京女子流のメジャーのアイドル戦線における滑り出しは決して好調と呼べるようなものではなかった。その“キラリ☆”では「物語はここから始まる」と歌われているが、そこで何らかの新しい物語が実際に始まっていることに気づいていたのは、まだほんの一握りの人のみであったのである。
そして、その三週間後の5月26日には、ハロー!プロジェクトに所属するスマイレージ(Smileage)がシングル“夢見る15歳”でメジャー・デビューを果たしている。09年から10年の春にかけてインディーズで4枚のシングルを発表し、デビュー前の事前キャンペーンも念入りに行ったスマイレージは、このデビュー・シングル“夢見る15歳”でオリコン週間チャートの第5位にランク・インしている。

非常に奇妙な因縁というべきであろうか、この10年5月に相次いで三つのガールズ・アイドル・グループがデビュー・シングルを発表し、アイドル戦国時代の初陣を飾っているのである。ももクロと東京女子流、そしてスマイレージの間のライヴァル関係は、ある意味では生まれついての宿命であるのかも知れない。
この同期三組の先陣争いにおいて、明らかに東京女子流はスタートの時点から思いきり出遅れてしまっていた。メジャー・デビュー以前にもインディーズでシングルを発表し、すでにライヴのステージにも立って活発に活動を行っていたもももクロやスマイレージと、完全にまっさらな状態でデビューした東京女子流では、かなり知名度・認知度の点で差があったことは確かなのだが。このデビューからの約二年間は、東京女子流の五人にとって、ずっとライヴァルたちの背中を追いかけて懸命に走り続ける日々であったのだ。

まず、この宿命のライヴァル関係の中で一歩先行したのはスマイレージであった。ハロー!プロジェクトが設立した実質的な研修生制度である、ハロプロエッグの第一期メンバーの中でも特に目立った活躍をしていた四人によって結成されたスマイレージは、デビュー前から研修生中心の新人公演や他のハロー!プロジェクト所属のアーティストのコンサートに出演したりと、比較的大きめの舞台に立つ経験をそれなりに積んでいたせいか、このメジャー・デビュー時には、ほとんどアイドル・グループらしいアイドル・グループとして完成されていた観があった。また、ハロー!プロジェクト所属というしっかりとした肩書きや後ろ盾があった点も大きくプラスに作用していたのであろう、10年にデビューした新人グループの中ではちょっぴりだけ飛び抜けていた。そして、そのスタート・ダッシュの勢いのまま、この年の年末の第52回日本レコード大賞では最優秀新人賞を獲得している。
ただし、このまま順調にアイドル戦国時代を勝ち抜けてゆくかのようにみえたスマイレージであったが、その翌年の11年には大きな変節の時を迎えることとなる。8月にシングル“有頂天LOVE”をリリースした直後に、オリジナル・メンバーの小川紗季がグループから卒業してしまう。この初期メンバーの四人でのラスト・シングルとなってしまった“有頂天LOVE”でみせたスマイレージ流のハイパーなアイドル・ポップの完成度の高さには、相当にすさまじいものがあっただけに、ここから一気にもう一段上へとブレイク・スルーしてゆきそうな兆しが見え始めていた矢先の小川の卒業はグループにとって非常に大きな痛手となった。しかしながら、激震はこれだけで終わりではなかったのだ。その後、12月に発表するシングル“プリーズ ミニスカ ポストウーマン!”を最後に前田憂佳がグループから卒業することとなる。突如としてオリジナル・メンバーが半分の二人(和田彩花と福田花音)のみになってしまうという事態に見舞われたスマイレージであったが、この間に並行してオーディションを行い四人の新メンバーを迎え入れることで、この大きな危機に対処している。ただし、オリジナル・メンバーでのパフォーマンスの完成度がかなりの高さまで達していただけに、このわずか数ヶ月間での大きなメンバー交替が、相当な戦力低下に繋がってしまった印象は否めない。11年は、前年の最優秀新人賞グループであるスマイレージにとって計らずも試練の一年となってしまった。
現在のスマイレージは、様々な新しいことを経験するごとにメキメキと力をつけてゆく新メンバーの成長を待ちながら、グループとしてのまとまりや総合力の立て直しの時期にある。新メンバーのうちの最年少である田村芽実は、まだ13才という幼さ年齢であったりするのだ(ただし、世代的には東京女子流の新井ひとみと同年代となる)。この新メンバーたちが、これから年齢的にミドル・ティーンからハイ・ティーンへと成長しグループとしてのパフォーマンスも変化してゆくことを考えると、四人組から六人組へとスケール・アップしたスマイレージがアイドル・グループとしてのピークを迎えるのは、もう少し先のことになるのではなかろうか。

そんなスマイレージの思わぬ停滞とは対照的に、11年に怒濤の勢いで最前線に踊り出し大ブレイクしてしまったのが、ハチャメチャな弾けっぷりでは他の追随を許さないももクロであった。この年は3月に東日本大震災があり、その翌月の4月にはももクロの結成初期からのメンバーであった早見あかりが突然グループから脱退している。東北地方太平洋沿岸部を襲った大津波の計り知れぬほどの被害、福島第一原子力発電所で起きた大事故、計画停電などなど、あの3月11日を境にして日々の生活の風景はガラリと変わってしまった。そんな中、早見あかりの脱退により新たに五人組のグループとして再出発することとなったももクロは、ももいろクローバーZへと改名し再出発を図っている。そして、社会全体が大きく揺らぐ不安に満ちた暗い危機の時にあっても、その運命に真っ向から立ち向かい全力で瞬間瞬間を駆け抜けてゆく強く逞しい少女たちの姿が、多くの人々の共感を生み、項垂れがちな人々の心を勇気づけることになったのであろう。7月にシングル“Z伝説 ~終わりなき革命~”と“D'の純情”、そしてファースト・アルバム“バトル アンド ロマンス”を立て続けに発表する頃には、ももクロZを取り巻くフィーヴァーは、ほぼ沸点を迎えつつあった。
11年8月20日、ももクロZは、よみうりランドの野外ステージにおいてコンサート「サマーダイブ2011~極楽門からこんにちは~」を開催し、約6000人の観客を動員している。そして、その約四ヶ月後の12月25日にはさいたまスーパーアリーナにおいて「ももいろクリスマス2011」と題したクリスマス・コンサートを行い、約三万人の観客を動員したのである。このわずかな期間にコンサート会場の規模が、何と五倍に膨れ上がっているのだ。これは、まさしく11年のももクロZの人気の爆発ぶりをよく示すエピソードであるといえるだろう。震災後にももクロZと改名したあたりから、にわかに周囲がさざめき立ち、あれよあれよという間にアリーナ級の会場を超満員にするほどの存在へと階段を駆け上がっていってしまったのだ。そして、12年4月21日と22日には、横浜アリーナにおいて「ももクロ春の一大事2012~横浜アリーナまさかの2DAYS」を開催。両日合わせて、のべ約三万五千人を動員している。
ここにきてももクロZは、本格的にアイドル戦国時代と呼ばれた共同戦線を張ってシーン全体を盛り上げてきたマイナー・アイドルの集団からひとりだけ勝ち抜けた観がある。今、たった五人でアリーナ級の会場を沸騰させることのできるアイドル・グループが、彼女たちのほかにいるであろうか。これはまた、ここ数年大混戦となっていたアイドル戦線を征したももクロZが、これまたひとり勝ち状態にあったAKB48への挑戦権を確実に手にしたことを意味しているともいえる。12年の後半期以降、この両者の間にいかなるバトルが静かに展開されてゆくのか、実に楽しみである。

東京女子流は、12月22日に日本武道館での単独公演を行うことが決定している。この一万人規模の会場でのコンサートを成功させることで、大きく先行しているももクロZとの距離を少しは縮めることができるのではなかろうか。グループの態勢を立て直し猛烈な勢いで追い上げを図ろうとしているスマイレージとともに、この宿命づけられた三つ巴のライヴァル関係は、今後もしばらくは続いてゆきそうである。東京女子流にも、スマイレージにも、ももクロZの華々しい活躍に刺激を受け、鼓舞される部分は大いにあるであろうから。

スマイレージが“夢見る15歳”でメジャー・デビューした10年5月26日にリリースされ、桁違いの売り上げ枚数でオリコン週間チャートの第1位に輝いていたのが、AKB48の“ポニーテールとシュシュ”であった。この“ポニーテールとシュシュ”の通常盤は、第2回選抜総選挙の投票に必要なシリアル・ナンバー付きであったため、発売初週に50万枚を越える売り上げを記録している。後に様々な物議を醸すことになるAKB商法の弊害の部分が大きく前面に出てき始めたのが、この加熱する総選挙の投票と絡んだ“ポニーテールとシュシュ”のリリースあたりであったのではなかろうか。
ささやかに三組の新人ガールズ・グループがメジャー・デビューした10年5月、すでにAKB48はアイドル・グループというよりも周辺の諸々をも巻き込んだひとつの社会現象になりつつあった。その三組が飛び込んで行ったアイドル戦国時代の動きとは、ひとり勝ち状態にあるAKB48の動きとは無縁のものであるのだろうか、それともAKB48へと連なる業界のヒエラルキーを多分に意識したものであったのであろうか。今やももクロZは「“ポストAKB48”の一番手」とも称される存在となりつつある。アイドル戦国時代の混戦から抜け出し、ももクロZが、東京女子流が、スマイレージが、頂点に立つAKB48に肉薄してゆくこととは、いかなる意味をもつことなのであろう。はたして、その先にあるものは、アイドル・グループとしての最終目標になり得るものなのだろうか。


生のものと火を通したもの

AKB48の総合プロデューサーである秋元康は、「『偶像としてのアイドル』を『そこに生きているアイドル』に変えたい」と語っている。AKB48とは、アイドルとして、ひとりの人間として、リアルな部分をすべてさらけ出すことで、そこに実際に今生きていることを(身近に)感じ取れる様態を前提にした極めてコミュニカティヴな繋がりの上に成り立っているアイドル・グループである。そのコンセプトは「会いに行けるアイドル」であり、秋葉原の専用劇場・AKB48劇場に足を運べば毎日公演を(身近な距離で)見ることができる(お気に入りのアイドルに会える)というのが、そのグループとしての当初の最大の売りであった。
05年に秋元康がAKB48のプロジェクトを開始した時、そこで第一に宣告されていたのが『偶像としてのアイドル』の絶対否定であったことは間違いないところであろう。裏側に隠れた誰かが何から何まで設計図を描き、そこで決められた通りにしか振る舞うことを許されない、完全に作り物のアイドルでは面白くも何ともない。確かに芸能の世界というのは、やけに注文が多く、実に息苦しい部分があるものである。ほんのちょっとした雑誌に載る小さな写真でも、事前にいくつものチェックが入り、突然に差し替えになるようなこともしばしばである。秋元康は、こうした『偶像としてのアイドル』の形や、それを生み出し必要としている古い芸能の世界のシステムに対して、常に反旗を翻してきた人物でもあった。

そんな『そこに生きているアイドル』のプロデュースが最初に試みられたのは、85年に結成されたおニャン子クラブにおいてである。おニャン子クラブは、秋元康が企画したTV番組『夕やけニャンニャン』の番組内で毎週行われるオーディション・コーナーから誕生し、その合格者が増えるに従って増員や卒業が繰り返され、最終的には50人を越えるメンバーがグループに在籍した。そして、やはりおニャン子クラブが、何にも増して画期的だったのは、昨日までその辺を普通に歩いていた女の子が一週間のオーディションを通じて次々とアイドルになってゆく、実に型破りで素人参加型なアイドル・グループそのものを生み出すプロセスにあった。TVの画面は、アイドルが誕生する瞬間を毎日/毎週のように放映していたのである。
これは、まさにレコード会社や芸能事務所の製品として作られる『偶像としてのアイドル』に対抗する、非常に過激なチャレンジであった。おニャン子クラブを作り出すことで秋元康が行った『そこに生きているアイドル』による芸能の世界へのカウンターの試みは、ある部分では成功したといえるだろう。ただし、そのほとんどの部分は、ただのやりっぱなしや、やりかけのまま投げ出されて、中途半端なままで終わってしまった。この試みを通じて、秋元康は既成の業界の内部でどんなに画期的なアイドルをプロデュースしたとしても、それは『偶像としてのアイドル』の対角に位置する新たな偶像を作り上げていってしまうことに繋がることを、身をもって学んだのではなかろうか。
そんな秋元康が総合プロデューサーとして、おニャン子クラブの結成から20年を経た節目の年となる05年に生み出したのが、AKB48であった。そこでは、やはり、またしても『偶像としてのアイドル』があらためて全否定されることになる。そして、そのグループを生み出し発展させてゆくプロセスや仕組みに関しても、アイドル・グループの偶像化を回避するような回線を綿密に用意することも怠ってはいなかった。
しかし、わざわざそんな大層な仕掛けをあらためて張り巡らせなくとも、それまでの20年間の時代の変遷の中で、業界の体質もアイドルを取り巻く環境も大きく変化し、旧来の『偶像としてのアイドル』といったものは、もはやほとんど破壊し尽くされていたのではなかろうか。その決定打ととして機能したのが、秋元康のおニャン子クラブの画期的な様式と異様なまでの盛り上がりをリアルタイムに体験した世代であるつんく♂がプロデュースするモーニング娘。であったことは間違いないところであろう。どこにでもいる素人の女の子が、TVの画面の中で進行してゆく過酷でシビアなオーディションを勝ち抜いて、華やかな舞台に立つアイドルになる。素人からアイドルになってゆく過程を視聴者/ファンが毎週の番組を通じて応援し続けることで、とても身近な存在として感じられる、アイドルになってからも継続して応援したくなる『そこに生きているアイドル』が誕生するのである。
まさに、モーニング娘。とは、おニャン子クラブのスタイルや様式を時代を越えて継承したグループであった。そして、モーニング娘。は常に『偶像としてのアイドル』に備わる製品としての完成度を打ち破り霞ませるほどの破壊力を生む、決して拭い去れないような素人臭さを漂わせていることを少しも隠そうとはしなかった。そうした素人アイドル的な要素を逆手にとった一級品の娯楽となるパフォーマンスの形式を、モーニング娘。とハロー!プロジェクトにおいて編み出したところに、プロデューサー=つんく♂の炯眼があったといえるのかも知れない。

秋元康がAKB48に対置してみせようとする『偶像としてのアイドル』なんて、今どきどこを探せば見つけ出せるのだろうか。それは、もはや偶像ではなく幻想なのではなかろうか。
現在のアイドルたちは、アイドル戦国時代と呼ばれる空前の混戦状況の中で必死にもがき足掻き、SNSやブログ、そしてUstreamなどの配信を通じてリアルな生き様をそのままさらけ出しつつ、日々過酷な過当競争に明け暮れている。そんな彼女たちが、イヴェント会場やライヴ会場の小さなステージで見せる一瞬の眩い輝きを放つ姿こそが偶像なのだとしたら、現在の『偶像としてのアイドル』とは、とても痛々しく儚いものであるといわざるを得ないであろう。
そうした現在のアイドルの現状を眺めていると、もしかすると今最も作り物臭いリアルな生き様をメディアを通じて見せてくれているのが、AKB48の中心的な存在となっている一部の売れっ子のメンバーたちであるような気もしてくる。だがしかし、そのすべてリアルなままを見せているはずの『そこに生きているアイドル』が、少しばかりリアルの枠組みををはみ出して「そこに生きている」生々しさを露にしてしまうと、なぜか激しいバッシングの対象となり、全くシャレじゃ済まなくなってしまう事態を招くことにもなる。『そこに生きているアイドル』がリアルな恋愛感情をもつことは、そこにあった偶像性に対する酔いを一瞬にして醒してしまうようである。
ただ、ひとりの「そこに生きている」人間として非常にリアルな感情を抱くことが原因で、そこで生きているものとして見なされなくなるというのは、非常に奇妙な事態である。はたして、『そこに生きているアイドル』は、そこで生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。多くの禁止事項によって俗なる生の世界から聖別されること、それこそが偶像を生み出してゆくことになるのではなかろうか。
現在のアイドル・ヒエラルキーの頂点に君臨しているAKB48は、間違いなく偶像としての輝きを燦然と放っているといえる。それは、リアルにそこに生きることのシャレにならない部分も引っ括めて聖別された『偶像としてのアイドル』の輝きなのである。
しかし、だからといってAKB48に対抗する位置にある多くのマイナー・アイドルたちの側が、それ即ち『そこに生きているアイドル』となるということではない。そうしたアイドル戦国時代の混戦にひしめき合っている対抗勢力は、まだ巨大な渦の中でリアルな偶像にまで聖別されていない、プチ偶像の集合体と考えて間違いないであろう。やはりアイドルと呼ばれるものは、全てフェティッシュな商品・製品であり「偶像」であることに変わりはないのである。
新しい枠組みと手順を作り、新しい場所を用意し、新しい新自由主義的なスター・システムを採用して、それがそれまでにあった何かをぶち壊したとしても、結局のところは、それは新しい偶像を奉りあげる世界の創造にしか結びつかない。『偶像としてのアイドル』は壊され、より新しい形の時代の空気を吸収した『偶像としてのアイドル』が生まれた。ただ、それだけのことなのである。
安っぽく、薄っぺらな、総体的に低級で、質の悪い、プチ偶像。あまりよく撮れているとはいえない携帯電話やスマホで撮影した粗い画像を貼付した、誤字脱字の多いブログでファンに語りかけ、拙くもささやかな従来型のアイドル・マナーに則った親密さを感じさせるコミュニケーションを日々展開している。それはそれで、実に朗らかかつ和やかな世界ではある。しかし、やはりそれはどこまでもプチ偶像的であり、偶像らしい偶像を準備するものでしかないのだ。
では、秋元康の言うような『そこに生きているアイドル』とは、一体どこを探せば見つけ出せるのだろうか。いや、そんなアイドルは、実はもうどこにもいない。すべてリアルなままでは、それはアイドルにも偶像にもなれはしない。アイドル/偶像とは、素人の集合体のリアルな生から弾き出されることで生まれるのだから。多くの禁忌が偶像を作り上げ、それと同じ禁忌が偶像の穢れを暴きたてる。『そこに生きているアイドル』とは幻想でしかない。たぶん、それを自らの手で作り出そうとしている者が、そのことを一番よく知っているのではなかろうか。

意識的に偶像らしい偶像を作り上げては、それを大仰にぶち上げてみせる、メタ偶像としてのももいろクローバーZ。第一期のモー娘。から伝統的にメタ・アイドル的な路線を根底にもち続けるハロー!プロジェクト。そして、その最たるものとしてハロプロ・スタイルを凝縮させたスマイレージ。では、東京女子流の位置づけは、どのあたりになるのであろう。正統派のメタ『偶像としてのアイドル』といったところか。
偶像が偶像らしく俗なる生のレヴェルから隔てられ、メディアが創造する神性とともに強化されれば強化されてゆくほどに、有象無象の集団でもあるプチ偶像の群れは、そのメタな領域において、どこまでも奔放に多様化してゆくことになる。アイドル戦国時代という状況は、時間の経過とともにホリゾンタルにも急速に広がり、ヴァーティカルにも急激に深まり、プチ偶像アイドルたちの好き放題な試行錯誤の場として、奇妙なまでに興味深い場となってきているのだ。
見た目にはアイドルらしいアイドルであり、その実体はアイドルらしからぬアイドルでもある、東京女子流は、そんな絶妙かつメタな立ち位置をキープしつつ、アイドルや偶像という存在のその先にあるものに向けて大きくステップ・アップしてゆこうとしている。彼女たちが目指しているのは、常に中江友梨が強調するように一流のダンス&ヴォーカル・グループであり、アイドル・グループとしてではなくアーティストとして認められることなのだ。まずは、12月22日の日本武道館での単独公演が、彼女たちの実力がどれほどに大会場でも通用するかをはかる、大きな試金石となることは間違いない。五人の少女たちの物語は、またここから始まる。(12年)


「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」(
「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」(

東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる(一)

「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」

画像


12年5月20日の東京女子流



2012年3月14日、五人組のガールズ・グループ、東京女子流(Tokyo Girls' Style)は、セカンド・アルバム“Limited addiction”をリリースした。このリリースを受けて、4月の末より全国の大都市六箇所(札幌、仙台、大阪、名古屋、福岡、東京)をまわるライヴ・ツアー、『東京女子流 2nd Japan Tour 2012 ~Limited addiction~』が開催された。そして、この列島を縦断したツアーの最終公演となったのが、5月20日の東京日比谷野外音楽堂におけるコンサートであった。この東京女子流にとって三度目のコンサートとなる公演には、Concert*03『Rock you!』という特別なタイトルがつけられてもいた。
この日の日比谷野外音楽堂公演は、東京女子流が行う初の3000人規模の大会場でのソロ・コンサートとなった。今回で三回目のコンサートであるので、過去にも二度のコンサートが行われたことになる。昨年10月22日の品川天王洲銀河劇場と、12月24日の中野サンプラザでのクリスマス・ライヴが、それである。定員746名の天王洲銀河劇場では二回公演を行い、初のコンサートで約1500人のファンを動員した。そして、中野サンプラザは、会場の定員が2222名。コンサートを重ねるごとに着実に会場のキャパシティは大きくなってきてはいたが、この日比谷野音でのワンマン・ライヴというのは、間違いなく格段のスケール・アップであった。
3000人規模の会場での公演を成功させたとなれば、観客動員の面でも(現在の日本の音楽業界の状況を考えれば)もはやトップ・アーティスト並みのレヴェルにまでほぼ手が届きつつあるといっても決して過言ではない。この上のレヴェルとなると、万単位の動員を必要とするアリーナ・クラスの会場や、より巨大なスタジアムのみとなる。よって、今やほとんどのアーティストは、小さめのホールかライヴハウスで公演を行うことが当たり前の世界なのである。今回の東京女子流の日比谷野外音楽堂での単独公演が、客観的に見ても相当に特別なコンサートであったことは間違いない。
また、この日比谷野音でのコンサートは、全編がバック・バンドによる生演奏で歌われるということも普段のライヴとは違う特別な試みのひとつであった。定期的にライヴハウスやイヴェント・スペースなどで行われている公演や今回の全国ツアーの他会場においては、全て事前に用意されたオケのトラックをバックにメンバーが歌い踊るというスタイルがとられている。生バンドをバックに従えた特別なステージは、通常のライヴとは異なるコンサートと題された公演のみで観ることのできる東京女子流のスペシャルなパフォーマンスなのである。
二度目の全国ツアーのツアー・ファイナルを飾った日比谷野外音楽堂での公演は、これまでよりもワン・ランク上の規模の会場での生バンドを従えた野外ライヴという、まだデビューから約二年ほどしか経っていない東京女子流にとっては、非常に大きなチャレンジとなるコンサートでもあったのだ。ただし、こうした常に少し高めに設定されたハードルをひとつずつしっかりとクリアしてゆかなくては、現在の全国で群雄が割拠するアイドル戦国時代を勝ち抜きメジャーな存在のアイドル・グループへと伸し上がってゆくことはできない。そういう意味でも、今回のコンサートは、そのステージの広さや客席を含めた会場の大きさ、たった五人のみで真正面から対峙しなくてはならないオーディエンスの数、そして屋根のないオープンなスペースでのバンド編成での本格的なライヴ・パフォーマンスなど、東京女子流にとっては実にスペシャルな未踏の次元ばかりが用意されていたともいえる。

そんな5月20日の日比谷野外音楽堂でのコンサートは、約3000席を埋め尽くした満員の観客を前に五人のメンバーが白熱のステージを繰り広げる、歓喜と興奮が渦巻く感動的な公演となった。まだまだ明るい時間帯に、コンサートのタイトル曲である、3月7日にセカンド・アルバムからの先行シングルとして発表された“Rock you!”で、まさにロック・スタイルなバンド形式のライヴは華々しく幕を開けた。その後、夕刻から夜の時間へと刻々と色と明るさを変化させてゆく都会のビルの谷間の空の下でコンサートは、みっちりと約三時間ほどの長丁場となり、アンコールの3曲目“ゆうやけハナビ”で心地よい風を感じながら幕を降ろした。生バンドをバックに披露された楽曲は、全部で22曲。シングル曲からアルバム収録曲まで満遍なく、ほぼ持ち歌の全てが代表曲である東京女子流らしい、とても濃密なセット・リストとなった。
この野音でのコンサートを何とか無事に成功させたということは、セカンド・アルバム“Limited addiction”が高い評価を受け、12年のアイドル界における大注目株となりつつある東京女子流の、止めどない勢いを感じさせるほどに完全に上り調子の真っ直中にある現在を、内外に向けて目に見える形で示したものとなったともいえるだろう。これは、織田信長でいえば桶狭間である。日比谷野外音楽堂で天下統一に向けた最初の狼煙があげられたのだ。その野音のステージに立った五人の勇姿と健闘ぶりは、確実に高まりつつある東京女子流の人気と実力のほどを証明するにありあまる堂々たるスケールのものであった。

そして、この日のコンサートでは、着実に一歩ずつ階段を上りつつある東京女子流の現在の上り調子ぶりを如実に示すような重大発表が、ふたつほどなされている。そのひとつ目が、今回の全国ツアーの終了とともに、しばらくの活動休止期間を設けるというものであった。これまで定期的に行われてきたライヴやイヴェントの活動を一旦すべてストップし、その空白の期間をさらなる飛躍のための準備に充てようというのが、その活動休止の主目的となる。休止期間は6月から7月にかけての二ヶ月間であり、五人のメンバーが学校の夏休みに入る8月にはグループの活動を再開するという。東京女子流は、この二ヶ月間に歌やダンスのトレーニングを集中的に重ね、より完成度の高いステップ・アップしたガールズ・グループとして、アイドル戦国時代の最前線に復帰することになる。
これまで通りの週末にライヴやイヴェントなどが詰まっているスケジュールでは、目前に迫ったライヴやイヴェントのための準備やリハーサルを行うだけで手一杯な状態であったのだろう。そのサイクルの中では、少しでも日程に隙間があったとしても、そこでそれ以上のことはなかなかできなかったのではないかと思われる。次代を担う新進気鋭のアイドル・グループとして注目を集めてきた、ここ半年ほどは、目の前のライヴやイヴェントをこなし、その合間に新曲のレコーディングや振り付けのレッスンを行うというスケジュールを、ただただ消化してゆくだけの状態が続いていたとしても決しておかしくはない。もしも、ここよりもさらなる高みを目指すのであれば、もう一度基礎の部分から歌やダンスを見直し強化する時間は、遅かれ早かれ必要となったに違いない。それが、今年前半の一大イヴェントであった全国ツアーが一段落した、このタイミングの二ヶ月間となったということなのだろう。
実際のところ、現時点の東京女子流には、歌の面でもダンスの面でも今のうちに強化しておきたいポイントは、いくらでもあるのが現実であったりする。そうした部分が、計らずも露呈してしまったのが、ひとつの大きなチャレンジとして彼女たちの前に立ちふさがった今回の日比谷野外音楽堂での公演であったのだ。コンサートそのものは、多くの観客を集め大きなトラブルもなく終了し大成功であった。しかしながら、東京女子流というアイドル・グループ自体には、まだまだ全体的に力不足なところがあり、かなり粗さが目立つ場面が所々に見受けられたりもしたのである。

そして、もうひとつの重大発表が、12月22日に日本武道館で行われる単独公演のスケジュールが決定したというお知らせであった。これは(おそらく形式的には)完全にサプライズな発表であったようで、ステージ上には衝撃と歓喜の涙があふれ、会場全体をどよめきが包み込んだ。つい先日までライヴハウスの小さなステージに立っていた東京女子流が、東京を代表するコンサート会場の日本武道館でワンマン公演を行うというのである。これには、ちょっと感慨深いものがあった。
リーダーの山邊未夢(通称、隊長)は、この発表の際に、まるで全身の力が抜けてしまったかのような泣き崩れる反応を見せた。この日、全国各地を飛び回るライヴやイヴェント等のプロモーション活動に勤しみ、準備に準備を重ねて、ようやく日比谷野外音楽堂で3000人規模のコンサートを成し遂げたばかりであったのだから、そこでいきなり日本武道館といわれても俄には信じられないものがあったのだろう。そんな東京女子流が、日本の音楽興行史上にその名を深く刻む、もはや芸能の聖地とも呼べるコンサート会場のステージへと進出しようとしている。これは、さらなる大きな挑戦である。一万人規模の大会場である日本武道館での単独公演を成功させることは、決して生易しいことではない。この目標に向けてのステップ・アップのための踏み段は、これまでのそれとは桁違いだといってもよい。単純に収容可能な座席数を比較してみても、武道館は野音の三倍以上なのだから。
ちょうど6月から活動を休止することになっている東京女子流は、日本武道館の大きなステージに相応しい一流のアイドル・グループとなるためにも、この強化期間を最大限に活用して全てを根本から鍛え直すぐらいの気概を発揮することが要求されるのではなかろうか。二ヶ月の活動休止期間を有意義に過ごして、どれくらい大きく成長して戻って来れるかで、東京女子流の未来が占えるのかも知れない。このほとんど公の場に登場しない6月と7月は、五人にとって非常に重要なチャレンジの日々となるであろう。端的にいっても、日本武道館公演に向けた準備の期間も、もうすでに約半年しかないのだ。そして、間違いなく、この12月22日は、12年の最後を締めくくる全てを賭けた大勝負の一日となる。そこからさらに上のアリーナ・クラスの会場で大観衆をエンターテインできるアーティストとなってゆけるか、それともホールやライヴハウスが似合うこれまで通りの戦国時代を戦うアイドル・グループらしいアイドル・グループとしての活動を続けてゆくのか。東京女子流は、いま大きな運命の分かれ道へと刻一刻と近づきつつある。



日比谷野外音楽堂という屋外の大会場で、生のバンドの演奏をバックに行われた、初の本格的なコンサート。そんな初めての大舞台でのギリギリの大熱演であったからこそ、現在の東京女子流が内包しているいくつかのウィーク・ポイントも、そこでははっきりと浮かび上がってきてしまっていた。そのひとつが、どうしても裏目にも出てくることとなってしまうことにもなる彼女たちの絶対的な若さや幼さであったように思われる。東京女子流のメンバーは、まだまだ五人ともに非常に若く幼い。それは多くの場面ではグループのストロング・ポイントになるとともに、時には思わぬ弱点として露見してしまうことになったりもする。そして、日比谷野音での約三時間にも及ぶ公演は、その後者の部分を垣間見させるものとなってしまったようなのだ。そこは普段のライヴやイヴェントのステージに立つ五人の姿とは、大きく違っていたように思われる。やはり日比谷野外音楽堂は、少しばかり勝手が違ったのであろう。
五人のメンバーの若さや幼さは、その言動などの面ではなく、明らかに体力面の乏しさという形で今回は特に目についた。年齢の割には、びっくりするほどに大人な彼女たちであるので、どちらかというと悪い点が言動に表れたりする可能性は極めて低い。しかしながら、いやだからこそだろうか、かえって体力面での若さや幼さが目立つことになってしまったのかも知れない。10代前半から中盤にかけての年代のメンバーたちであるので、身体的にはまだまだ幼く、五人の華奢な体格は今まさに大人への成長過程にあることを示すものでもある。よって、若く幼い五人に体力的に大人並みのものを求めるのは酷であろうし、大人でも息切れしそうな約三時間にも及ぶコンサートをこなすだけのスタミナが備わっていないことだって当然といえば当然であろう。
ただし、この若く幼い彼女たちにとっては非常にタフなものとなった日比谷野外音楽堂での公演は、現時点での東京女子流の偽らざる姿を、ひとつの体力面での限界という形で可視化させたという点においては、実は積極的な意味を見出せるものであったのかも知れない。ほとんど周囲からの反響がなく音がこもらないオープン・エアの会場で、太く重い出音の音圧たっぷりな生バンドの演奏と、熱狂する3000人の観客の歓声に負けないように、しっかりと声を張り上げて歌い続けることは、ただでさえ容易なことではないだろう。この日の東京女子流のパフォーマンスには、そんな彼女たちが今後も相対さねばならない、会場の規模や生バンドや多くの観客と互角に渡り合うための、さらなる成長やステップ・アップの必要性を実感させられる部分もかなり見えてしまっていたのである。
実際のコンサートでは、オープニング曲の“Rock you!”から“Attack Hyper Beat POP”、“Don't Be Cruel”と、冒頭から非常にノリのよいダンサブルな楽曲が立て続けに披露された。一気に会場全体の空気を掴んで、東京女子流の側に引き寄せようという意図もあったのであろうが、有り体にいえば明らかに最初から飛ばし過ぎであった観は否めない。そして、コンサートの中盤あたりからは、徐々にステージ上に背後からも前面からも押し寄せてくるバンドの演奏の音の波や大きな歓声の波を、きっちりと押し返せなくなってしまってもいた。かなり体力的に限界に近づいていたせいもあったのか、パフォーマンスの中でバンドと観客のどちらに対しても、やや追いついてゆけていない瞬間も目につくようになってきた。その結果、段々と残った気力を振り絞るような形へと追い込まれ、普段のライヴではあまり見せることのない荒削りさが歌やダンスに表れ出てしまう場面もあったのだ。こうしたあたり、やはり年齢的な部分からくる、どうしようもない五人の体力面での若さや幼さであったのだろう。

また、公演の進行とともに気力と体力を振り絞るような形でのパフォーマンスとなっていってしまったことで、あらためて東京女子流というグループが、小西彩乃(通称、あぁちゃん、しーこにさん)と新井ひとみ(通称、ひっと、ひーちゃん)の二頭体制を基本形としていることが、あからさまなまでに浮き彫りになることにもなった。歌唱の面では、常にこのふたりが全体を引っ張り、五人をまとめあげ、きっちりグループとして引き締めている。野音では、最初から五人が気合いを入れて飛ばしていったせいもあり、そんな普段のライヴではあまり表立って見えてこないグループの骨格の部分までもが目につくようになってしまったのである。しかし、この事実を裏返せば、いかにこのふたりが突出し過ぎないように普段から常に東京女子流というグループの歌唱を引っぱりまとめ上げているかが分かる。五人の歌唱がいびつにならないように、見事に調和を図っているのである。ただ、明らかに野音公演の終盤は、東京女子流の歌唱はこのふたりに頼りっきりの状態となってしまっていた。大きな会場での生バンドの演奏による長丁場の本格的なコンサートで、体力面やスタミナ面での不安が露骨に出てしまい、相当に歌唱の面では限界に近づいていたといえるであろう。

ただ、12年の頭に右足を骨折した小西彩乃には、ほぼ2月いっぱいは治療のためにグループの活動から離れ、復帰後もひとり椅子に座った状態での歌唱のみでライヴへの参加を余儀なくされるというブランクの期間があった。この間の東京女子流は、あぁちゃんの歌パートを他のメンバーそれぞれに振り分けてカヴァーしたり、怪我で動けないあぁちゃんを除いた四人によるダンス・フォーメーションに切り換えたりと、少しばかり変則的な形態での活動となららざるを得なかった。しかし、このグループの大黒柱でもあるあぁちゃんの不在期間が、残された四人のメンバーに思わぬ発奮を促したことは、まさに怪我の功名でもあった。特に、この時期の中江友梨(通称、ゆりゆり、ゆりちゃん)の歌唱の急成長には目を見張るものがあり、必ずやこの大きな進歩は今後の東京女子流にとってプラスになる要素であるに違いない。中江の低音から高音までをカヴァーできるレンジの広い歌声には、豊かな将来性が感じられる。
こうした全面的にグループの活動に参加できない数ヶ月間があったあぁちゃんが、ステージでのダンスにも加わり完全復活を遂げたのは、3月末から4月の頭にかけての時期であっただろうか。この時点で、もうすでに日比谷野外音楽堂でのコンサートは約一ヶ月半後に迫ってきていたのである。おそらく、今回のコンサートの準備期間は、あぁちゃんにとって非常に短いものであったに違いない。自分の足で立って動くことが出来ず、ステージで歌い踊る活動からもしばらく遠離っていたことからくる、身体的なブランクは相当なものがあったはずである。もしかすると、今回の日比谷野外音楽堂公演に関して、体力面で最も不安を感じていたのは、怪我からの復帰開け間もないあぁちゃんであったのかも知れない。
確かに、野音でのあぁちゃんは、まだ万全な状態といえるパフォーマンスではなかったように思われる。さすがのあぁちゃんも、コンサートの終盤では少しばかり疲労の色が見えていたし、みんなを引っ張ってゆくというよりも自分の歌とダンスをこなしてゆくだけで手一杯であったようにも見えてしまった。だからこそであろうか、終始満面の笑みを絶やさず、しっかりと表情を作り、レヴェルの高いパフォーマンスを繰り広げていた新井ひとみの余裕綽々さは、すさまじく際立って見えてくることにもなった。今回の節目の日比谷野外音楽堂公演とは、この東京女子流の不動のセンターガール、新井ひとみの孤高のポテンシャルをあらためて見せつけるために設えられたかのような大ステージでもあったのである。



新井ひとみの天才が大きく輝き出す瞬間を演出した、5月20日の日比谷野外音楽堂のステージは、まさにひとつの大きな節目として位置づけられるものであったのかも知れない。ひーちゃん以外の四人のメンバーは、初めて経験する大きな会場の広いステージで約3000人の観客を前にした緊張感もあったのか、渦巻くような音や熱気の流れに飲み込まれてしまったようである。それゆえ、体力的なペース配分もなかなかうまく掴めず、いつもとは勝手が違う大舞台で早々に余力を使い果たしてしまうことにもなったのだろう。
しかし、新井ひとみだけは、明らかに他の四人とは雰囲気が違っていた。全く異なるオーラを発していたとでもいおうか。五人のうちでもひと際小柄で華奢な新井ひとみが、野音のステージの上では、とても大きく見えたのだ。その姿には、まさに絶対的なセンターの存在感の大きさが漂い出していた。どうやら、舞台の大きさにも、観客の数にも、全く臆することころがないようなのである。いや、まるで、戦場の最前線をも思わせる東京女子流の本当の力量が試されている舞台に立ち、そこで自らが対峙しているものの確かな手応えを、余裕の表情で楽しんでいるようですらあった。この日の大観衆を前にした堂々たるパフォーマンスで、新井ひとみは、その底知れぬ大器ぶりをまざまざと見せつけたのである。
この天才少女は、もしかすると、これからもステージが大きくなればなるほどに、その輝きを増してゆくのではなかろうか。実際、新井ひとみとは、スター性、アイドル性、カリスマ性といった輝く存在となるべきタレントの資質を全て併せもっているかのようにも見える。東京女子流のパフォーマンスを、少しでも彼女の歌と踊りだけに注目して見てみれば、それは誰の目にも明らかであろう。自分のソロ・パートを歌っている時も歌っていない時も、センターで踊っている時も後方で踊っている時も、常に新井ひとみは新井ひとみであり、その動きひとつひとつにおいて確かな輝きを放っているのである。特に、楽曲中のばっちりと決めるべき瞬間で、見る者を一撃するような決めの顔や決めの動作を作り出す才能は本当にズバ抜けている。今回の日比谷野外音楽堂公演では、そんな彼女がもつ才能の輝きの片鱗が、いかに眩しいものであるかが遂に露見することになったともいえる。

新井ひとみの天才は、やはりその歌唱においてまず顕著に表れる。声質そのものは、やや蓄膿気味であり、残念ながら聴く者全てを瞬く間に魅了してしまうような澄み切った美しい歌声だとは決していえない。だが、その独特のクセのある歌声だからこそ出せる味も確実にある。そういった自らの声に宿った機微の部分を巧みに活かす技量にも、新井ひとみは非常に長けているように思えたりもする。まだ10代前半という年齢でありながら、そうした魅せる、聴かせることに関するセンスには、本当に天性のものを感じずにはいられないのだ。もしも、こうした全てのことが完全に把握され、完璧に全てがコントロールされているものなのだとしたら、それはそれで末恐ろしいものがあるが、おそらくそうではないのだろう。だからこそ、新井ひとみのパフォーマンスには天性の天才を感じさせられてしまうのである。
また、新井ひとみの歌唱には、発声にも非常に独特なものがある。よく腹の底から声を出すといわれるが、彼女の場合は、腹だけでなく身体全体を使って声を出しているような発声となっているのである。いわゆる、自らの身体を楽器のように使用して、声を楽音のように響かせるタイプの歌唱だといえる。新井ひとみは、舞台上で激しいダンスを行いながら、まるで全身で歌を奏でるかのように歌う。声質は、かなり蓄膿っぽいため、通常ならばややこもりがちな歌声になるはずなのだが、その歌声には、実にえも言われぬような深みと張りがある。そうした独特な響きを生み出しているのが、新井ひとみの天才的な発声であることはことは間違いないところであろう。このようなダイナミックな身体的発声法が天賦のものとして身についているシンガーは、そうそうざらにいるものではない。まさしく、彼女は何十年に一人というレヴェルの逸材なのであろう。
ただし、やはりそこで気になってくるのが、新井ひとみが、その自らに備わっている能力に対して意識的なのか、もしくはかなり無意識的にその才能を煌めかせているのかという部分である。この子には、実は相当に天然なところがある。よって、その才能に関しても、本物の天然モノである可能性は充分すぎるほどにあるのだ。

新井ひとみの歌やダンスは、東京女子流の活動初期に急激な成長を遂げている。YouTubeで初期のライヴの映像などを見ると、やはりしっかりとした声質で大人びた歌唱力を身につけているあぁちゃんが、ひとり群を抜いている。当時の新井ひとみの歌には、まだ自らのスタイルを見出そうと手探りしているような面が多分にあった。逆に言うと、自らの類い稀なる才能を活かす唱法を、まだ完全には見つけ出せていなかったということだろう。時折、眩く輝く瞬間はある。だが、それはほんの一瞬の瞬きでしかない。全体的には、終始あぁちゃんの太くどっしりと存在感ある声に、完全に押されてしまっている。
だが、新井ひとみは、そうしたステージ上の実戦の中で、自らに備わっている天性の資質を最大限に活かす方法を、次第に直感で掴んでゆくのである。こうしたあたりのプログレスにも、彼女の天然さは非常によく表れている。
今や新井ひとみは、歌手としても、ダンサーとしても、そしてアイドルとしても、キラリとした輝きを放ち、それぞれの瞬間で見る者/聴く者を存分に魅了する顔をもっている。その豊かな才能は、実に幅広く、常に新鮮な驚きに満ちた底知れぬ可能性の香りすら漂わせている。そして、その輝きが、直感的な閃きや動物的な本能のようなものによって下支えされていることは、やはり彼女ならではの特異な点であり、絶対的な強みでもあるだろう。新井ひとみというパフォーマーは、かなり無意識的でありながらもスーパーナチュラルに意識的な天才なのだ。まさに天然モノの類い稀なるタレントだといえよう。

日比谷野外音楽堂公演で垣間見せた、煌めくような新井ひとみのもつ才能の大きさは、それがリアルな天然モノであるせいであろうか、一般的なアイドル歌手が放つ輝きとは、かなり異質なものであるようにも見えた。勿論、五人のメンバーの中でも、素材そのものの違いは明らかであった。東京女子流というグループが、今後よりステップ・アップをしてゆく中で、周囲のメンバーが新井ひとみの大きさにどこまで追いついてゆけるかが、もしかするとポイントとなってくるのかも知れない。
ダンサーとしては屈指のキレをもつリーダーやグループ内でも最もアイドルらしいアイドルである庄司芽生(通称、めいてぃん)だけでなく、正統派でオールマイティなタレント性に恵まれたあぁちゃんと比較しても、その輝きの質はとても異なっている。ステージが大きくなれば大きくなるほどに、その天才を活き活きと発揮させる新井ひとみと他のメンバーの間に、目に見える形で差が生じてきてしまうようなことは、これからも度々あるのかも知れない。その段差が必要以上に肥大してしまうと、グループ内のバランスを崩してしまいかねないような事態を招くことも大いに予想される。ただし、新井ひとみは相当に天然な人物であるので、そこで自分から出力をセーヴして他のメンバーとのペースを合わせたりはしないだろう。いや、ちょっと見た感じでは、そうした器用なことが出来そうなタイプでは決してない。ほぼ無意識的に輝き出している才能であるのだから、ひとたび舞台の上で歌い出し踊り出してしまったら、たとえ本人であろうとも、それをどうすることもできないのではなかろうか。

東京女子流という五人組が、これからどんなアイドル・グループになってゆくのか、とても楽しみでもあり、少し不安でもある。センターの新井ひとみが、その生まれながらに備わったスターのオーラで全てを背負い込み、引っ張ってゆく形となるのだろうか。それとも、多少のデコボコがあったとしても、それもまた東京女子流というグループならではの個性ととらえて、あぁちゃんと新井ひとみの二頭体制でそのまま突っ走ってゆくのだろうか。
そうした興味の側面からも、今回の突然の活動休止から復活する8月の東京女子流の五人が、約二ヶ月間でどれだけスケール・アップしているのかも大変に見物であったりする。現実に、彼女たちはまだ10代半ばという年齢であり、まさに成長期の真っただ中にある。たかが二ヶ月、されど二ヶ月。ブログの記事などを見ていると、メンバーたちはそれぞれにランニングを行ったり基礎的な体力面の向上に勤しんでいるようである。大きく成長しステップ・アップした東京女子流の、目を見張るような変化に期待したいところである。物語の新章は、ここから始まろうとしている。


東京女子流に聞こえるもの

東京女子流のセカンド・アルバム“Limited addiction”は、発表から早々に非常に高い評価を獲得している。おそらく、今年のアイドル・アルバムの中でも屈指の傑作であることは間違いないであろう。その凄さの一端のようなものは、今どき珍しいほどにしっかりとした音楽性を感じさせてくれる、とてもよく練られた質の高いサウンドがアルバム全体を貫いている点からも窺い知ることができるだろう。ピコピコしたエレクトロ・ポップやお手軽なトランス調など極めてライト・タッチな音が横行しているアイドル歌謡の世界であるが、この東京女子流のアルバムで聴くことが出来るのは、簡単にアイドル歌謡などと分類するのが憚られそうなほどに本格的でド渋なダンス・サウンドであったりするのである。
そのディスコ、ラテン、フュージョン、ジャズ・ファンクなどの要素をふんだんに取り入れた、80年代のアーバンなニューヨーク系ダンス・サウンドと、ジャパニーズ・ポップスの叙情を融合させた音楽性は、アイドル歌謡の世界のみならず現在の日本の音楽界においても、かなり唯一無二のものだといえそうだ。そうしたクオリティの高い音作りの中心となっているのが、ややオールドスクールな職人気質の音楽感覚をもつアレンジャーの松井寛である。この特異なセンスをもつ達人の今どきの音との微妙なズレかたが、東京女子流のサウンドにおいては絶妙な鮮烈さをもって見事に反映されることになる。ここでは、かなり意識的に、よい意味でレトロ調なダンス系サウンドのコンセプトをアルバム単位で凝縮させ、周囲とは一線を画す東京女子流の音楽性を統一感のある形で際立たせることに成功している。
この間違いなく90年代以降に生まれた世代である五人組が、全く接点はないであろう本人が生まれる遥か以前の80年代的なダンス・サウンドで歌い踊るという点にも、パラドキシカルな妙味を感じ取れたりもする。別の見方をするならば、この若く瑞々しい五人が、今から20年以上も前の過ぎ去ってしまった時代のダンス・サウンドに、フレッシュな息吹を吹き込み見事に再生させているともいえるであろうか。東京女子流の“Limited addiction”とは、まさにザ・リバース・オブ・アーバン・ディスコ・サウンドな一枚なのである。

また、そうしたサウンドにのる東京女子流の歌そのものにも、懐かしめのダンス・グルーヴとはまた違った感覚で深く鋭く突き刺さるものがある。五人の少女に歌声には、えも言われぬほどに琴線を震わせ情感のとても深い部分に訴えかけてくる響きが含まれているのである。その楽曲のほとんどで10代の微妙に揺れ動く感情を絶妙にとらえた歌詞が歌われている。それは、感情の襞の奥底にあるものを掘り起こす、誰の心の襞にも入り込んでくるような歌なのだ。
誰の心の中にもある誰かに恋する気持ち、そして傷心や諦め、理由なき不安と根拠なき自信、自己否定と自己肯定の乱高下。こうした揺れ動く感情の動きというものは、10代の頃の特に思春期に誰もが必ず通ってきた道であろう。それを絶妙に切り取って歌詞にした楽曲を、あらためて聴くことによって、懐かしいあの頃の気持ちや感情が鮮やかに蘇り、たちまちにそのど真ん中を真正面から撃ち抜かれてしまうことになる。
こうした歌と歌唱の魅力といった部分が、この東京女子流のセカンド・アルバムが非常に高い評価を獲得している、ひとつの大きな理由でもあろう。つまり、この五人の少女の非常に無垢な歌声は、かなり汚れ果ててしまった大人たちの耳にも非常によく効くのである。若き日の心の中の葛藤とは、それが誰もが経験することだけに、永遠に普遍な表現のテーマとなる。それを実に瑞々しく歌い上げて作品化している東京女子流の歌は、若い世代にも、もう若くはない世代にも、共感・共振できるものとなるのである。

しかし、実際のところ彼女たちが、そうした世代を超越して影響を及ぼし、共感や共振を呼び起こすような歌を歌っている自覚があるのかという点については、かなり怪しいところがある。はたして、思いきり天然なところのある新井ひとみは、自分がどれだけの感動を与えてしまう歌を歌っているのか分かっているのだろうか。
6月にCS放送で放映された特別番組「東京女子流 5.20野音 密着スペシャル」の宣伝映像において、しっかり者のあぁちゃんは「歌じゃないと伝えられない気持ちがある/そういう気持ちを歌にのせて皆さんに伝えてゆきたい」と自らの歌に対する思いを真摯に語っていた。おそらく、五人は五人なりに、自分たちが何を歌っているのか、歌を通じて何を伝えようとしているのか、その歌を感情を込めて歌うためにも歌詞の意味するところを理解しようとはしているようである。ただ、まだ10代前半の少女たちであるから、全てを完全に理解するのは、かなりの難題であるのかも知れないが。
そうだとしても、彼女たちの歌唱の歌声そのものが、どのように聴き手の心情の深いところに影響するかというところまでは、全く意識は及んではいないのではなかろうか。しかし、そんな本人たちが理解できていないことだからこそ、そこで歌われている言葉のもつ意味が、真っ直ぐでピュアな歌唱によって聴く者の心の奥底により強烈に響くということもあり得るだろう。下手に表現者の固定観念や自我意識によって捩じ曲げられていない歌だからこそ、そこで歌われている言葉が、あるがままに真っ直ぐに深く突き刺さるのだ。そういう意味では、東京女子流の歌唱や歌声には、全くもって嘘がないように聴こえる響きがある。

この五人の少女による若年期の普遍のテーマを歌いあげる歌唱が、世代を越えて共感・共振できる歌となっている背景には、それらを歌っているメンバーたちのあまりにも瑞々しい声質に感じられる独特の耳ざわりという部分も深く関係していると思われる。年代的にはロー・ティーンからミドル・ティーンに属する五人の歌声は、当然の如くまだ完全には大人の声になりきってはおらず、子供らしい幼さや不安定さを多分に残しているものでもある。それゆえに、彼女たちが全力で歌い込む歌唱は、その全く曇りなく澄んだ声質から、どこか少年の心の声や心の叫びのように聴こえてくる雰囲気を色濃くもっていたりもするのである。
そんな脆さや儚さをも垣間見せる、どこまでも真っ直ぐな情感をたたえた歌声が、もう若くはない世代にとっては、自らの少年時代の心の声や心の叫びの反響/こだまのように聴こえたとしても、決しておかしくはないだろう。ただ、実際は、それは10代前半から半ばにかけて年齢の少女たちによる歌唱であり、そこには年齢的な幼さとともに思春期の女の子らしい揺れやか弱さを感じさせる部分が内包されている。そして、そういう部分でもまた、それを聴くすでに汚れ果て/疲れ果ててしまった世代の側にも、実際の心の中には今も弱々しくも女々しい気持ちが遥か遠い10代の頃と変わらずに存在していたりするのである。こうして東京女子流による若年期の揺らぎをありのままに表出させた歌唱は、そこに照射することのできる自らの内面にある遥か遠い過去の自分と、現在も変わらずに自分の内面にある幼さや弱さの部分を重ね合わせることのできる交錯点となり、それらを一瞬にして貫いて共感・共振を呼び起こす歌として感じ取れるものとなるのである。
五人の少女の歌声は、どこまでも純粋に少女的で女性性をもつものであるとともに、どこか少年的な女性性をも併せもつものとなっている。そうした声の響きを媒介にして、思春期に誰もが誰かに対して抱く恋心の甘酸っぱさやほろ苦さを見事なまでに多面的かつ鮮明に描き出し、世代や性別を越えてシンクロすることが可能になる歌の世界が構築されてゆくのである。そうした老若男女を問わずに効果を発揮する、とてつもなく射程が広く長い東京女子流の歌唱の真骨頂を聴くことができるのが、奇跡的な歌声の記録でもあるセカンド・アルバム“Limited addiction”なのである。

どこか中性的な雰囲気や響きをもつ歌声というのは、やはり現在の彼女たちがロー・ティーンやミドル・ティーンという年代であるからこそのものなのであろう。また、そこには、東京女子流の楽曲に、男の子の目線から歌われる歌と、女の子目線から歌われる歌、そしてそのどちらとも受け取れそうな歌が混在しているという背景も少なからず関係しているものと思われる。
五人の少女たちが、自らの内面にあるものとは対角に位置する少年の心情や気持ちを、一歩踏み込み引き寄せるように歌うことで、そこに少年と少女の感情が揺れ動きながら入り混じる、ほとんど性別を無化して響くような歌が生まれる。東京女子流のもつ独特の歌唱の味わいとは、こうした彼女たちの歌声という部分から引き出されてきているともいえるのである。そこでは、意識的/無意識的に、男女が逆転した/男女を逆転させた、聴こえ方/聴き方も可能になるであろうし、あらゆるものが曖昧に混濁して多様な接続が可能となる文脈での聴取も実現することになるのである。絶妙なバランスの上に成り立つ共感や共振やシンクロを現出させる歌唱が、現在の東京女子流のひとつの大きな魅力であり、その一瞬の強烈な煌めきのようなものが、そこに感じ入る経験を非常に特別なものにしてくれる。

これからハイ・ティーンとなってゆく五人の少女たちの歌唱は、その肉体的・精神的な成長に伴い、より色濃く女性性を感じさせる歌声に変化してゆくことになるのだろう。そうなってくると、現時点で歌われている楽曲も、年齢の変化とともに、かなり違って聴こえてくるようになるに違いない。10代前半の少女と10代後半の少女では、真っ直ぐで純な恋心を歌う歌詞ひとつをとってみても、その受け止め方は当然違ってくるであろうし、歌唱の際の感情の込め方にも自然と変化が生じてくるはずだ。今後、彼女たちがすくすくと成長し、その歌唱がより女性らしさをまとったものとなってゆくに従い、そこに感じられていた少年的な部分はあっさりと脱ぎ捨てられてしまうのかも知れない。今この時点で、とても高いレヴェルで完成していると思われている到達点は、一瞬にして消え去り、過ぎ去った時間に存在した痕跡のひとつに変わってしまうのである。
東京女子流という将来有望なアイドル・グループのことを考えれば、そうした変化は実に喜ばしいこととして大いに歓迎すべきものであるのだろう。日比谷野外音楽堂でフィナーレを迎えたデビュー二年目の活動も、そうしたさらなる向上を目指して繰り広げられてきたものであり、そこで五人が歌とダンスに真剣に取り組んできた結果が、今の時点での眩いばかりの完成度であったのだ。だからこそ、この奇跡的なまでに瑞々しく10代の少年少女の情感の揺れ動きを歌う東京女子流は、間違いなく決して誰にもどうすることの出来ない時間の流れとともに終わりを迎えることになる。そしてまた、そのひとつの到達点のさらに向こう側に新しい東京女子流の歌とダンスが始まるのである。その最初の大きな第一歩が、12月22日に決定している日本武道館での単独コンサートなのだ。
現在の東京女子流は、正統派のアイドル・グループとして大きく成長してゆく過程にある。そんな彼女たちが、10代前半の成長期のほんの一瞬に、少女性と少年性が交錯するような中性的で奇跡的な風合いの歌唱表現の煌めきを見せ、長きに渡り歴史的名盤として語り継がれてゆくであろう“Limited addiction”という作品をしっかりと残した。そして、その東京女子流は、5月20日に日比谷野外音楽堂で開催されたコンサートで、ひとつの大きな嶺となる到達点を通過し、もう二度と後戻りできない区切りとなるロー・ティーン期のファイナルの時を迎えたのかも知れない。

こうした変化にともなう問題とは、おそらくどんなアイドル・グループにもつきまとうものであるはずである。特に、メンバーのデビュー時の年齢が極めて低年齢化してきた、00年代以降のアイドル・グループにとっては。その活動を継続してゆくということは、決して同じところには留まれないということでもある。そうした変化を肯定的にとらえ常に新しいものへと前向きに変わり続けてゆくものもあれば、あまり変わろうとせずに遂には破綻を来してしまうものもある。また、そこには様々な浮き沈みもあったりするのだろう。そして、そうした絶え間のない変化と激しい浮き沈みをくぐり抜けてきたグループとして真っ先に思い浮かぶのが、ハロー!プロジェクトの五人組、℃-uteであったりする。
12年の東京女子流は、非常に完成度の高いアルバムを完成させ、日比谷野外音楽堂での単独コンサートを成功させるなど、10代の若いアイドル・グループがあらゆる面でぐんぐんと急激な成長を遂げてゆく際の、誰にも手が付けられないような上り調子の真っただ中にあるといえる。そして、それとほとんど同じような猛烈な勢いを目に見えるような形で発散し、アイドル街道のど真ん中を突っ走っていたのが、06年から07年にかけての初期の℃-uteであった。当時の℃-uteのメンバーの大半は、ちょうどロー・ティーンからミドル・ティーンに差し掛かる時期にあり、限界ギリギリまで目一杯に振り絞って放たれるような、心身ともに充実しきった大変に目覚ましい活動を繰り広げていたのである。そして、07年の年末には日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしている。
しかしながら、その直後から℃-uteは激しい変化の季節の到来に直面することになる。度重なるメンバー・チェンジによるグループの表面的な変化と、10代の少女ならではの肉体的な成長からくる声質面などの変化。そうした様々な変化を前にして、グループのメンバーだけでなくそれを見守る側にも、かなり戸惑いを隠せない状況が生じ始めてしまっていた。ただし、この急激な上り調子の後に訪れた激しい落ち込みの時期に、その成長と変化に見合った新しい℃-uteというグループの形が必死に模索されたといってもよい。この時期に℃-uteの五人は、コツコツと積み重ねられる地道な活動の中で歌手としてもダンサーとしても確かな実力を身につけていったのである。ただの若さや勢いだけで押し切ってしまうアイドル・グループから脱却し、本当の意味で変化を遂げた新たな℃-uteが、ここから始動したのである。
この低迷期から抜け出しジワリジワリと盛り返してきた℃-uteは、現在では日本のアイドル歌謡の世界では最高峰ともいえる質の高いパフォーマンスを展開するグループとなっている。グループ結成時からの様々な紆余曲折や浮き沈みがあったからこそ、℃-uteは日本のアイドル史上においても屈指の強く逞しいグループへと成長することができたのかも知れない。
東京女子流もゆくゆくは、現在の℃-uteのような高いレヴェルのパフォーマンスで見る者全てを魅了するようなアイドル・グループになってゆくのであろう。この五人の少女には、それだけの高みを目指せる才能が確実にあり、グループとしての歌とダンスの基礎的なポテンシャルにも申し分ないものがある。ただし、様々な変化の中で、少しばかり停滞してしまう時期も、もしかするとあるのかも知れない。メンバーそれぞれの成長の個人差から生ずる歌やダンス等のレヴェルのバラつきも覚悟しなくてはならないだろうし、その足並みが段々と揃ってくるまでにはグループとしての調和がガタガタになってしまうこともあるだろう。その苦しい時期を乗り越えることは、決して容易なことではないはずだ。きっと、超一流のアイドル・グループとして大きく花開くということは、そうしたいくつもの困難を乗り越えなくてはならないということなのである。数年後、大きなアリーナのステージに立つ東京女子流の五人の姿は、どれほどまでに逞しく成長を遂げているのであろうか。


「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」(
「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」(

aym: kodomodamashi

aym: kodomodamashi
MiMi Records mi191

画像


aymが新しいアルバム“kodomodamashi”をリリースした。リリース日は、12年4月21日。aymとしては、前作の“franshitai”のリリースから数えて約一年四ヶ月ぶりの新作ということになる。リリース元は、その前作と同様にポルトガルのコインブラを拠点にリリース活動を行っているネットレーベル、MiMi Recordsである。
いつの間にか、このMiMi Recordsも二百タイトル近い作品をリリースする、老舗中の老舗といえる名門ネットレーベルとなりつつある。ここ数年の間にネットレーベルをめぐる状況や環境は、大きく変化した。だが、こうしたMiMi Recordsのような変化の季節の以前からあるレーベルが、泰然自若とした姿勢でリリースを重ねていることは、非常に大きな意味をもっている。まだまだネットレーベルにできることは大いにある。まだまだネットレーベルは、その役割を終えてはいないのである。
また、エクスペリメンタルなエレクトロニック・ミュージックを専門的にリリースしているMiMi Recordsが、日本のアンダーグラウンドなアーティストの作品を世界に向けて紹介してゆくという姿勢を全く変えずに活動を続けていることも非常に心強い。まだまだ日本のアンダーグラウンドなミュージック・シーンには、世界を驚かせるに足りるだけの希有な才能をもつアーティストがゴロゴロしているのだ。その事実を、わざわざMiMi Recordsが遠くポルトガルの地から、その質の高いリリース作品で証明してくれているようでもある。
そんなMiMi Recordsから本作が二作目のリリースとなるaymもまた、そうした才能あるアーティストたちのうちのひとりであることは間違いない。aymの音楽とは、実に希有で類い稀なる創作の才能から生み出されたものである。そして、きっと世界中の誰もが一聴した瞬間に、何かが普通の音楽とは違うと感じ取れるようなものでもある。おそらく、正真正銘のオルタナティヴ・ミュージックとは、こうした類いのもののことをいうのだと思う。

aymとは、岡山を拠点に活動しているアユミ・ドイ(Ayumi Doi)によるソロ・プロジェクトだ。ドイは、翳という別の名義を名乗ることもある。aymとしては、このアルバム“kodomodamashi”が、10年12月13日にMiMi Recordsより発表された前作の“franshitai”に続く二作目のリリースとなる。しかし、翳のBandcampのページを確認してみると、この翳という名義では10年11月1日に“franshitai”がリリースされており、その翌年の11年8月1日には5曲入りのミニ・アルバム“musikera”がリリースされている。そして、翳としては、この“kodomodamashi”も、すでに12年1月24日にリリースされているのである。つまり、この翳のサイドから見ると、アルバム“kodomodamashi”は、三作目のリリースということになるのである。
11年のミニ・アルバム“musikera”は、なぜMiMi Recordsよりaymの名義でリリースされなかったのだろう。その理由は、わからない。ただ、aymと翳はどちらも同じ作品のアウトプットを行う、ドイにとってのソロ・ユニットであるという点でほとんど違いはないようなので、このアルバム“kodomodamashi”が、これまでにリリースされた“franshitai”と“musikera”に続く三作目として把握されるのは至極妥当な線であると思われる。
ただし、そこでMiMi Recordsより作品を発表するaymが表の活動で、Bandcampを活動の場とする翳が裏の活動などと、両者を分け隔ててとらえてしまうのは少し短絡的すぎるような気もする。aymと翳を、まるで光と影というように位置づけてみたところで、そこに何が見えてくるというわけでもない。実際にリリースしているものは、結局のところ同じ作品であるのだから。全ては希有なアーティスト性をもつアユミ・ドイの手によって生み出されたものであり、それがたまたまaymや翳といった名義のもとでリリースされているにすぎない。MiMi Recordsからはリリースされてはいないが、ミニ・アルバムの“musikera”もまたaymの作品としてとらえることは、決して間違いではないはずである。

では、そんな希有な才能をもつアユミ・ドイによるアルバム“kodomodamashi”を少しばかり詳しく見てゆこう。今回の作品は、全10曲を収録した、まさにアルバムと呼べる作品となっている。これまでの作品と比較しても、最も収録曲数が多く、最も収録時間の長い作品である。これは、かなり充実した内容の作品となっているといえるであろう。最初は、恐る恐る差し出されるように表に出されていたドイの音楽が、ここにきて、ようやく堂々と作品として突き出されるようになってきたようにも感じられる。おそらく、ドイの中でも自らの芸術表現や音楽制作に対して、相当に自信がついてきているのではなかろうか。きっと、本人はそういった自信の念などはおくびにも出さないようなタイプであると思うが。これだけ出来のよい素晴らしいアルバムに“kodomodamashi”(子供騙し?)などというタイトルをつけてしまうくらいなのだから。
そんな“kodomodamashi”であるが、この作品においてドイの音楽の形態は少しばかり変化を遂げているように思われる。その音/音楽のテクスチャーや質の面では、さほど変化はない。しかし、その様態や形態の面では、実は驚くほどの変化が認められたりもするのである。
これまでの“franshitai”や“musikera”といった作品におけるドイの音楽とは、ドロドロとした漆黒の精神の闇から漏れ出てくるようなローファイ・フォーク~エクスペリメンタル・ローファイ・エレクトロニック・ミュージックの極致そのものであった。それは、おそらくお世辞にも誰の耳にとっても聴きやすいタイプの音楽ではなかったであろうし、そもそもかなりローファイな音響すぎてほとんどドイが何を歌っているのか/何を訴えかけようとしているのか/何を表現しようとしているのかが全く聴き取れないという部分も多分にあった。アコースティック・ギター/エレクトリック・ギターをつま弾き/かき鳴らしながら、チープでささやかな電子音がゆらめく、エコーとリヴァーブの海の底で、ドイがつぶやきともささやきともつかぬ歌唱を、(誰かに自らの歌を聴かせようとする意思を半ば拒絶しているかのような深く靄のかかったサウンドで)どこまでも孤独にこぼし続ける、どちらかというとかなり独りよがりの面が際立った音楽であったのだ。
そこに、どのような変化が起きたのか。ただし、その音楽性が、基本的にローファイ・フォークに属するものであるという点においては、完全に揺るぎないものはある。ドイは、その音楽/表現のスタイルを決して崩すことはない。そんな質的な面では決して変わることがなくとも、今回の作品では、その音の様態や形態において、ささやかな変化を聴くことができるのである。つまり、あれだけ独りよがりで孤独の絶頂であったようなドイの歌に、バッキングの演奏がついているのである。これは、ある意味では、とてつもなく大きな変化である。
本作の楽曲では、独り言か独白のようであったドイの歌とギターから生み出される世界に、ドラムスや鍵盤楽器、エレクトリック・ギターなどの演奏が、多彩な彩りを添えている。ほとんどバンド・スタイルで録音されていると思われる楽曲も、いくつか聴くことができる。ただし、それらの録音は、過激なポスト・プロダクションによって加工され、多彩な彩りを脱色されたり、バンド・スタイルならではの生気を抜き取られたりして、あくまでもドイのソロ・プロジェクトらしい音響でアウトプットされているのだが。作品の制作過程や録音そのものは独りよがりで孤独の極みではなくなったようであるが、その音楽の聴き取り辛さや聴こえ難さという面では、これまで通りの方向性が何ら曲げられることなく貫かれてはいるのである。
バンド・スタイルで録音したものをベースに、そこに様々な加工を施して仕上げたアコースティック系の音楽というと、一般的にはポストロックやフォークトロニカといったサウンドになるはずであるが、ドイの場合にはそうした公式はほとんど当てはまらない。この“kodomodamashi”でも、これまでと変わらずに、その音楽は究極のローファイ・フォークとして鳴っている。やはり、これはドイがぽつぽつとこぼす素朴で朴訥とした歌と、かさかさなギターの演奏に込められているアクが、とても強いものであるからなのかも知れない。その強烈な個性の塊である歌とギターそのものが、もはやがっちりとドイ流のローファイ・フォークのスタイルを確立しているともいえるだろう。また、バックの演奏がついているにも拘らず、相変わらずの極度にローファイ・フォーク的なサウンドとなっているという点からは、どんな状況においても周囲の人や物事と断絶してしまうドイの個性が浮き彫りになってくるようで、逆にその音楽が内包している深く色濃い孤独感が際立ってしまうようにも感じられるのである。

11年の夏にミニ・アルバム“musikera”をリリースしたドイは、その年の10月から四人組バンド、サンズノ・リヴァーサイド(sanzuno riverside)のヴォーカリストとしての音楽活動も並行して行っている。この岡山で結成されたバンドは、ヴォーカルのaym、ベースのキム(Kim)、ギターのスティーヴ(Steve)、ドラムスのロヴォ(Rovo)というメンバー構成となっており、非常に国際色豊かなライン・アップであるようだ。まさに、グローバル時代のローカル・バンドなのである。これまでドイはソロ・ユニットではポルトガルのネットレーベルからリリースをするなどインターナショナルな活動を行ってきていたが、これからはバンドの一員としても国際的な舞台で活躍するようになってゆくのではなかろうか。
おそらく、このサンズノ・リヴァーサイドというバンドに加入したことと、ソロ・ユニットでの三作目となる“kodomodamashi”のサウンド・プロダクションに認められた微かな変化は、密接に関連しているものと思われる。Bandcampでアルバム“kodomodamashi”が発表されたのは、12年1月24日のことであった。このことを踏まえると、アルバムの制作時期は、ほとんどドイがサンズノ・リヴァーサイドのヴォーカリストになってから以降であったと考えて差し支えはないであろう。であるならば、アルバム“kodomodamashi”の楽曲のいくつかがバンド・スタイルでの録音となっているのにも合点がゆく。ともに音楽活動を行うサンズノ・リヴァーサイドのメンバーが、この“kodomodamashi”にもサポート・ミュージシャンとして参加したとしても何ら不思議ではない。この作品には、楽曲のベースとなる演奏をサンズノ・リヴァーサイドが担当しているものも数曲含まれているのではなかろうか。

アルバムの1曲目は、“idle”。ゆったりと反復するドラムスのビートに、カントリー~ブルースの香りのするオルガンと、やたらとノイジーに歪んだベース。淡々としたポストロック的なバックの演奏が進む中、青白く澄んだ歌声のドイの歌唱が、ぽろぽろと言葉をこぼしてゆく。その第一声は「おはよう」という朝の挨拶である。しかし、そこに新しい朝を迎えた清々しさは、少しも感じられない。この「世界はぼくらの墓場」であり、そこでは「夢は今日も死んでゆく」だけなのだから。この世界に生きることは、徹底的に打ちのめされることに等しい。しかし、夜が来て眠るたびに、悲しいかな私たちは「本当も嘘も希望も失望も」全てを少しずつ忘却してゆくようにできているようである。そして、ただただ空回りするだけのアイドル状態のままで、この世界の中で思うままに操られることになる。全体的に靄がかかったような、ドイの作品に共通する独特の超ローファイ音響は、ここでも健在である。コチコチにか細くされたドラムスのビートの音質などは、まるで別世界から聴こえてきているような印象すら与える。間奏では、古いレコードのプチプチいうノイズ音が、そこに大きく被さり、楽曲で表現される「世界」の重苦しさに静かな圧迫感を加味している。私たちは、ここでただひたすらに毎日「壊れるまで人のふり」を強いられる。よって、そこでは「おはよう」の朝の挨拶は、とても物悲しいのだ。ドイの歌声も、徐々に途切れ途切れとなり、最後には「溺れ」るように力なく消え入ってしまう。

2曲目は、“zanzo”。この楽曲にもバンドの演奏によるバッキングがついている。だが、さらにそのサウンドを圧縮するような加工は強烈に施され、もはや演奏というよりもノイズや物音に近いレヴェルにまで達してしまっている。特に、バシャバシャした微かな音のうごめきにまで後退させられているドラムスの音響は象徴的だ。ほぼ、その元の音の残像が聴き取れそうなのは、穏やかに鳴るエレクトリック・ギターのみである。そのように背後のサウンドが、より奥深くへと引っ込むことにより、独りぽつんと取り残されたかのようにドイの歌唱が際立ってくることにもなる。しかし、ローファイな音質でエコーの海に沈みがちな、その純粋無垢な響きをもつ歌声は、だからといって、それほど鮮明に聴き取れるようなものともなってはいない。それでも、この楽曲は、ドイの中に渦巻く情感が、奔流となって今にもほとばしり出しそうな予兆を感じさせてくれる一曲にはなっている。とてもめずらしく、楽曲の後半では喉奥から振り絞るようなハイ・トーンのどこか熱っぽい歌唱を聴かせてくれる場面もあるのだ。私と対峙する世界。何も信じられず、何もしてあげられない。ただ「逃げるように泥のように眠る」だけだ。淡々と自己の邪悪さや醜さを苛む言葉を綴り立てた歌の最後に、ドイの口からは「あなたの眼がこれ以上余計な汚れた世界みないように/私の掌で永遠に目隠ししてたい」というとても強い願いがついて出る。「どこにいっても続いてく悪夢」の残像の中で、全てはわたしとあなただけが対峙する世界へと収斂されてゆく。

3曲目は、“uonome”。とてもオーソドックスなスタイルのフォーク・ロック。ゆったりとした歩調でギターのストロークに合わせて静かに楽曲が進んでゆく。途中でノイジーなエレクトリック・ギターが行儀よく乱入し、ちょっとしたシューゲイザー的な展開をみせたりもする。このあたりは、かなり往年のCreation Recordsのバンドを思わせるサウンドである。80年代後半のタームで表現すれば、ノイズ・ギター入りのネオ・サイケデッリック・ロックといったところであろうか。今回のアルバム中では、この楽曲が、最もわかりやすい形でロック・バンドしている一曲であるかも知れない。ふんわりやわらかに漂うドイのハミング、ローファイ感たっぷりのギター、そして微かな電子音のハーモニーが、独特のアトモスフィアを生み出してゆく。そのあたりのサウンドは、今回のアルバム中でも、最も儚くも美しい瞬間であるだろう。この楽曲には、前曲の“zanzo”で歌われていた「犠牲にしてきた過去」の香りが濃密に込められているようにも思える。やや舌足らずなドイの歌声が、辿々しく弱々しく「すべてがくだらない」行き詰まりの状況を淡々と歌い込んでゆく。この楽曲のラストは、「どこまでいくのぼくは」という問いかけとなっている。そして、それに対する回答が、おそらくは前曲の“zanzo”での「どこにいっても続いてく悪夢/それのなかでまた殺されるだけで結局なにも変わらない」という一節なのである。

4曲目は、“albino”。こちらは、バンド形式ではなく、アコースティック・ギターとふわふわゆらゆら揺らめく微かな電子音による、ストレートなローファイ・フォーク・スタイルで歌われる一曲。ただし、それが、これまでの楽曲よりも、ほとんど聴き取れないぐずぐずにノイズまみれなローファイ寄りではなく、真っ当なフォークのスタイルへと大きく傾いたローファイ・フォーク・スタイルのサウンドである点は、ここに明記しておいてよいであろう。ドイの音楽は、確かに変わった。いや、ようやくドイの音楽が、音楽らしい音楽の形に近づいてきたといってもよいのではなかろうか。曇りも濁りもない澄み切った天使のような歌声で、この世界の中で「なにもできない/動けない」自分に対するアンビヴァレンスな感情が、実にいじらしいまでに切々と歌い上げられてゆく。ドイの書く楽曲には、聴く者をただただたじろがせるような名曲が数多いが、これはその中でもメロディの美しさとモヤモヤとした情感の表出という面において、まさに一二を争う傑作であろう。あちらからこちらへ、こちらからあちらへ、全てがものすごい速度で行き過ぎてゆくのを、ぼんやりと眺めている。ただ、それだけで、ずぶずぶと「曖昧に濁した言葉を吐き出すことさえままならぬ」気分の奥底に沈んでゆくようだ。そして、頭の中に渦巻くのは、今日も明日も「なにもできない/動けない」という呪文のようなフレーズだけ。ここでは、深い深い諦めの境地が吐露され続ける。ドイは、「選ばれなかった私たち/最初から負け戦だった」と歌う。はたして、最初から負けだと決していたのだろうか、その無惨にも敗れ去ってしまった現実を素直に受け入れることができないから、「選ばれなかった私たち」は、ここでいつまでも鬱屈した毎日をもがき苦しみながら生きているのではなかろうか。いつか、「淡々とこなしてく日々」を「情けない」と感じなくなるような日が訪れるのだろうか。そんな分別のあるオトナな生き方ができないから、この世界があまりにも見たくないものばかりだから、「呪文となえて」「もう目覚め」ることのないように「とざして」しまうことを決意する。

5曲目は、“gypsophila”。ここでは、前曲からの流れを引き継いで、より深くシンプルでストレートなローファイ・フォークのスタイルへの沈潜が展開される。序盤は、歌とギターだけの音の構成であるが、途中からそこに電子音などが流れ込んできて、モヤモヤしたエコーの海の底へと歌もギターも全てが沈み込み、段々と何も聴き取れなくなってゆく。そっと静かに歌われる、ささやかな小曲であるが、これは前曲の“albino”で「後悔はあとで待っていてそればかりみえてしまう」と歌われた時点の、遠い過去の時間を振り返った一曲としても聴くことができそうである。つまり、今現在は、その暗く深い後悔の真っ直中にある。また、その遠い過去の時間には、2曲目の“zanzo”で「あなたとうまくやりすごせるように/いびつなただしさを信じたかった」と歌われていた、わたしとあなた(だけ)の間でなら信じられそうだった「優しい永遠」すらもがあったのだ。しかし、後悔の真っ直中では、聴き取れなかった「最後の言葉」や、言えなかった「感謝の言葉」に、全てが集約されてゆくだけである。無限にすれ違う解放と墜落の物語。何もかもがぼんやりと霞んでゆく。最後にドイは、「どうして」と歌う。しかし、もう誰にもどうすることもできない。

6曲目は、“akibare”。この楽曲は、エレクトリック・ギターとピアノの演奏によって形成される透徹した音のアンビエンスが美しい、ちょっとしたローファイ・モダン・ロック的なスタイルの一曲となっている。ちなみに、この“akibare”という楽曲は、サンズノ・リヴァーサイドでも録音されており、彼らのSoundcloudのページでそれを聴くことができる。こちらは、完全にバンド・スタイルでの別ヴァージョンとなっている。こうしてソロとバンドの両方でそれぞれ録音されていることを考えると、この楽曲もまたドイの書いた名曲のひとつといえるかも知れない。いや、もはやドイにとっての代表曲のひとつであろうか。おそらくは、ソロでの初期ヴァージョンがあったのだろう、それが、その後バンドにおいて取り上げられ、新たなアレンジメントで演奏された。そして、今回のアルバムにおける別録音ヴァージョンは、このバンド・スタイルでのアレンジを通過しているもののように思えるのである。それだけ様々な変節を遂げてきただけの、しっくりとこなれた感じが、この楽曲には漂っている。ドイの歌唱も、いつになく非常に聴き取りやすい。それだけ歌い込まれたメロディということなのであろう。また、ここでのピアノやギターのフレーズも、全て絶妙にハマっていて、かなりよい。まるで秋晴れの空のようにか、その歌の世界は、もはや深い後悔や諦念を通り越して、達観の境地にまで達してしまっているようだ。しかし、だからといって、そこにこびりついた惨めさや情けなさの塊は、少しも拭い去られるようなことはない。現実の世界の外側に追いやられて、「点滅信号」や「ゆらめくサルビア」の花を、まるでよい知らせの到来を告げる前兆の「蜃気楼」であるかのように、ただただ眺めている。そんな虚しき者にできることといえば、「せめて終わる今日に後悔しないように」と静かに願うことぐらいである。

7曲目は、“gomi”。この楽曲では、再びバンドの演奏によるバッキングをつけたスタイルでの録音がなされいる。しかし、そのサウンドは完全にペシャンコな状態になるまで押しつぶされ、微かな物音かノイズのさざめきのような音像にまで減退させられている。ドラムスはカシャカシャとビートを刻み、ギターはサラサラとゆらめき、鍵盤は微かに周辺に漂い、そしてベースはもはやどこにあるのかわからない。そんな今にも崩れ落ちそうで消え入りそうな演奏とともに、ドイの歌唱もまたペナペナに加工されている。そこで歌われているのは、尽きぬことのない内面の葛藤である。それは、「ありふれた嘘」を平気でつき「心のともなわないきれいな言葉だけをあつめて」並べ立てる大人になることに対する、鈍い「痛み」を伴う拒絶でもある。だが、そんな葛藤に苦しむ者は、すでに充分に大人の部分を内面にもっているともいえるだろう。もうすでに自分の置かれている状況に駄々をこねているだけの子供ではないということでもあるのだから。要するに、全てを「悪い夢のせい」にしてしまえるほどには大人なのだ。しかし、そのことこそが、もはや子供ではなくなった目線から見ても到底許容できないほどに、醜く人間離れしているように思えてしまう部分なのだ。どんなに汚く理不尽で「楽に」なれなくても「このままで生きてたい」のだ。これ以上、この「世界に染まってく」ことには堪えられない。葛藤する大人の決して叶えられることのない願い。

8曲目は、“resless”。パッと見た感じではレストレス(restless)の綴り違いにも思えるが、おそらくは返信(レス/res)がほとんどない(レス/less)ことを意味する造語/新語であろう。ギターと歌声だけで構成された、クラシック・スタイルのローファイ・フォークが展開される一曲である。そのサウンドは、今にも消え入りそうで、ほとんど聴き取れない。まさにローファイ・フォーク・スタイルの極北がここにある。かなりエクスペリメンタルな音響だ。ドイの歌声は、まるで異界か異次元から響いてくるようにも聴こえる。そして、そこで歌われているのは、こちらの世界とは無縁の、向こう側の世界の歌である。「考えたところでおんなじ結果なら/のまれてなくなる前に/なにももたずにお外へいこうよ」。その世界とは、「お外」、つまり外部・外縁にある。そこでは、全ての関係性は断ち切られている。よって、何もかも「必要がないならそのまま」にしておけるのである。虚空に、たったひとり。今にも孤独に押しつぶされそうな、誰にも聴こえない歌。ドイは歌う、「無敵な毎日恐れるべきものなどない」と。これは、きっと聴こうと思う意志のない者にとっては、決して歌として聴き取ることのできない歌である。まずは、「お外へ」と一歩踏み出し、真っ暗闇の中で耳をそばだてる。そこに、世界からこぼれ落ちた歌が聴こえたら、そこでそのまま「明日のことなど考えず/ひとりで踊っていればいい」。

9曲目は、“ayatori”。そして、この楽曲においても「お外」から聴こえてくる消え入りそうな歌は続いている。しかし、ここで展開されているサウンドは、いつものローファイ・フォークではない。微かなエレクトロニックなビートとシンプルな鍵盤の伴奏。そこにギターの弦の音はない。エクスペリメンタルなローファイ・フォークトロニカ・スタイルとでもいおうか。歌とやわらかな電子音の微かな音響が、まるで戯れるかのように共存している。ほとんどつぶやきか独白のような状態の歌唱で、ぽつりぽつりと言葉をこぼしてゆくドイ。その歌声は、ここまでくるともう何もかもが抜けきっているようにも聴こえる。まさにピュアで澄んだ天使の歌声のように、閉ざされた小さな空間にゆらゆらふわふわと漂うのだ。どこか賛美歌のような神々しさすらある。醜さと汚さ、惨めさや情けなさ。その極限まで堕ちきって聖性すらまとってしまった歌が、ここにある。もはや、「痛みを忘れた愚かな私のいいわけはきみに届かない 」のだから、「きれいな嘘にみちた記憶の海を泳いで」ゆくしかない。重く重くのしかかる孤独。「むげんの罠におち」た、私は「情報を遮断」し、ただただひたすらに世界に閉じこもる。中途半端な「優しさ」は「罠」だ。これ以上、優しくされたら「だめになる」だけだから、もう二度と「触れないで」いて欲しい。「誰の手も借りずに生きていけるように傷つかないふりを身につけ」る。まるで憑いていたものが落ちたように、ごっそりと生気が抜けきった生。この世界で人間として/人間らしく生きることのパラドクス。今日も「生温い怒りをとどめ」た人々が、「眠れない日々」にしがみついて、今にも消えてなくなってしまうほどに生をすり減らして生きている。

10曲目は、“thend”。一見すると傾向があるという意味のテンド(tend)かスレッド(thread)の綴り違いのようにも思えるが、これは終わりを意味するジ・エンド(the end)を一語に省略して表記したものなのではなかろうか。実際、この楽曲はアルバムの最後の曲となっている。そして、今にも消え入りそうであったドイの歌は、ここにはもうない。これは、こうして正式に発表されるものとしては初のドイのインストゥルメンタル曲となる。しかも、7分を越える大作曲でもある。ほとんどイントロも後奏もないようなシンプルな歌ばかりを書くドイにしては、これは大変に珍しい作品といえるかも知れない。そして、さらに特筆すべきは、この楽曲は純粋にエレクトロニック・ミュージックとしても、非常に出来がよいのである。可憐に咲き誇った花が美しく静かに散ってゆく様を、まるでスロー・モーションで捉えたかのような、実に映像的なサウンドがゆったりと展開されてゆく。とても微かにそっと揺らめく電子音響ではあるが、その繊細さ儚さが逆に強烈な印象をともなって、いつまでも耳に残り続けるのである。ドイの作曲家ならびにサウンド・プロデューサーとしての才能の豊かさを、あらためて認識することのできる一曲となっている。

MiMi Recordsのフェルナンド・フェレイラ(Fernando Ferreira)による分類では、本作もまた前作に引き続いてドリームポップやインディトロニカということになる。少なくともサイトでは、そうした紹介がなされている。また、このブログでも前作の“franshitai”に関する記事において、決して納得のゆく説明のつかない、本当におかしなことが必ず起こる、ほとんど現実感のない奇妙な夢を思わせる音楽としてのドリームポップとしてならば、これほどこの音楽に相応しいラヴェルもないように思えると書いた。終始、その音も歌もぼんやりとしていて、全くこことは違う次元から(ほとんど聴き取れないくらいに微かに)聴こえてくるという印象が非常に強かったのであろう。
しかし、本当にこれは夢の中で奏でられているようなポップ音楽なのであろうか。実際には、もはや全く夢見心地になれるような音楽とはいえないし、ただ不条理な夢の中の世界のことばかりを歌っているわけでもないように思える。その霞がかかったようなサウンドは、確かにはっきりとは聴き取り辛い。こことは違う別の世界から聴こえてきているような印象も与えるだろう。だが、現実の世界だって、本当は霞がかかったようなことばかりであり、聴き取り辛いものばかりではないか。ハッキリとした明確なものばかり、などということは決してない。ドイの音楽とは、そうした世界のよくできた複写として、ありのままを描き出してもいるのである。
また、こことは違う別の世界も存在するのが、実は本当の現実であったりもする。世界には外側もある。内側だけが世界ではない。これは、そんな外側・外縁・周縁の世界において奏でられ/歌われた、「お外」の音楽であり、「お外」の歌である。苦しいこじつけと欺瞞に満ちた内に固執し、外にあるもの/外があることが見えなくなっている状態のほうが、もしかすると現実という世界の夢に深く埋没していることの帰結だとはいえないであろうか。こうなると、本当に夢見心地のままでいるのはどちらなのかという問題にもなってくる。世界には、目を閉ざすからこそ見えてくる夢もあるし、目覚めた状態で見続けさせられる夢もある。

では、本作“kodomodamashi”において、ドイは覚めているのであろうか。ここで聴けるのは、どんな夢の中の歌なのだろう。はたして、現実感のない奇妙な夢のようなドリームポップであるのだろうか。そして、もしもそうではないとすれば、一体それは何なのだろう。エクスペリメンタルなサウンド・プロダクションによるオルタナティヴ・ポップであろうか。ただ、本作を聴いてみてひとつだけ明らかなことは、ドイの音楽表現が、ここにきて非常に微かにではあるが劇的に何かに目覚めつつあるということである。
いくつかの楽曲においては、これまでにはついぞなかったほどにドイの歌は聴きやすい/聴き取りやすいものとなっているのだ。その世界を見つめる視線そのものも非常に鮮明となり、音楽としても、はっきりとした自己の内面の表現へと昇華されつつあるように思える。それは、もはや夢見心地にはほど遠く、この現実世界に対する居心地の悪さを明らかに表明するものである。そして、目を瞑り歯を食いしばって夢中で社会関係の中で生きる大人が完全に遮断する、いわゆる「お外」の世界へと広がってゆく歌でもある。もしかすると、ここにドリームポップを聴いている人というのは、今のような大人になる前の遥か遠い過去の自分に対するノスタルジーから、ここに異次元や異界としての夢の世界の歌を(意識的に・積極的に)聴こうとしているのではなかろうか。

この作品を聴いていると、あちこちにダブル・ミーニングの匂いがする箇所があることに気づかされる。特に、“resless”や“thend”といった楽曲のタイトルの綴りには、何か意図的なものが感じられる。また、“gypsophila”の終盤に登場する「かすみそう」という歌詞には、実際の「霞草」という植物と、霞んで消え入りそうな状態を切実に訴える「かすみそう」という言述の、ふたつの(意味の)面の表出を聴き取ることもできる。これ以外にも、細かい部分で臭い場所はあれこれある。“kodomodamashi”というアルバムのタイトルそのものが、子供騙しなのか子供魂なのか判然としないところなども、そのひとつである。
全ての物事には、ふたつ以上の意味がある。ひとつの意味しかもたぬような絶対的なものが、何かあるだろうか。そもそも意味というものは、常に揺らぐ余地を残した、とても曖昧なものであったりする。実際は、見かけとは違う。本当の意味は、見えないところに隠れている。そこに見えているものは、その裏には必ず何かを隠している。
ひとつの表面にふたつ以上の意味をもたせる、ダブル・ミーニングとは、形而上学的な世界の子供騙しなからくりを暴き出すための、ひとつの有効なやり口だともいえるだろう。フクロウは見かけと違う。見えている姿とは違う意味が、そこには隠されている。奥底に潜んでいるものは、自ずからは決して語り出さない。表面に見えているもののように、無駄に饒舌ではないのだ。深く沈み込んでいるものは、そこに微かな光を投げかけられることで、ようやく何かを明るみに出し、重い口を開く。
ドイの音楽とは、そんな物事の深奥にあるものを気づかせてくれる重要なヒントを含んでいるのではなかろうか。綴りや意味をズラすのは、そうしたゲリラ的な戦術の一部だ。そしてまた、その音楽は、深く沈み込んでいるものを明るみに出す、微かな光そのものでもある。

ドイのBandcampのページをつぶさにチェックしてゆくと、そこでは楽曲のダウンロードだけでなく、じっくりと歌詞(全作品の)を読むこともできる。そして、これが、かなりの驚きの連続という類いのものなのだ。間違いなく、ドイの目にはこの世界の有り様がきっちりと見えているし、その目はしっかりと見開かれており、決して眠ってなどはいない。歌詞の世界は、とてもとても深い。また、美しさすらをも感じさせられてしまうほどに綺麗に屈折していて、手の施し様がないほどに孤独の極みにまで突き進んでいる。
人間とは、より人間らしくなるためには動物のように生きなくてはならないのか。それが、かつて人間化した動物が帰り着く先とでもいうのだろうか。やはり世界は最初に見られた風景(起源)に立ち返ってゆくということか。何も考えずに人間らしく生きる。人間になることは、汚いことであり醜いことなのか。人間になろうとしないことが、汚いことであり醜いことなのか。その世界の外側には何があるのか。なぜ、その境界の内側に踏み止まらなくてはならないのか。社会に歩み入るということは、人間になることなのか、動物になることなのか。こぎれいに人間らしく装った動物たちの行き交う社会。あさましい動物性を剥き出しにした人間が行き交う社会。
ドイの歌は、大人と子供/人間と動物の狭間で揺らめきながら、この世界に蔓延している不条理を告発し、嘆き、悲嘆に暮れ、諦め、暗い孤独の底にゆっくりと沈んでゆく。内面を繊細に描出する、そのどこまでもピュアな言葉の連なりには、本当にドキリとさせられる。どんなに惨めで情けない境地に沈み込んでゆこうとも、決して世界から目を背けることはない。これは、今ここで言葉にしておかないと、やり過ごせない思いでもある。鬱屈して、降下してゆく気持ちを、少しでも軽く解き放つために。そして、まさに「お外」の世界から人間を人間のままに解放するために歌われる歌でもある。

ドイの音楽の世界は、昨年秋からのサンズノ・リヴァーサイドでのバンド活動を経て、やはり大きく変化しているように思われる。これまでソロでのアウトプットはローファイ・フォーク一辺倒であったのが、直接にそれとは違うサウンドのスタイルや、ひとりでの音楽制作とは全く異なる世界に触れて、音楽そのものに対する意識の変化のようなものがあったのだろう。より具体的には、歌うということに対して、とても積極的になってきているようにも思える。自らが書いた歌詞を歌い、それを他者へと届けようとすることに意識的になりつつあるともいえようか。ちょっとずつだが何かを伝えたい思いが込められた歌に変化してきているようにも感じられるのだ。
だが、ドイはただ歌を歌うぐらいで、自分の内面にあるものが誰かに伝わったりするとは思っていないかも知れない。物事の意味を取り違えずに他者と分かり合うことが、そう簡単ではないことは充分に承知しているであろうから。この世界の中で様々な葛藤を抱えて生きている種類の人間にならば、もしかしたら伝わるかも知れない形で、内面にあるものを外に出せるようになったということだろうか。だが、実際には、そうした希望を託せるほど、世界そのものは明らかに良い方向へは変化していないのだが。
ドイの内面には、明らかに微かな変化があった、それが、その音楽の世界にも、前向きな影響を及ぼした。ただし、この世界に、その「お外」の音楽をちゃんと聴き取れる人間の耳をもつ人間が、どれくらいいるのかは皆目見当もつかない。

個人的には、本作でのドイの数曲での歌唱には、ちょっとD-Dayの川喜多美子の透明感のある歌声を彷彿とさせるものがあるようにも感じられた。声の線が細く頼りなげで決して上手いといえる歌手ではないが、独特の何ともいえない抗い難い魅力がある。ひとそれぞれに好みはあるであろうが、個人的には、とても心地よく聴けるタイプの歌声であったりする。

おそらく、こんなにも真正面から「お外」の世界に生きる私を歌にできているシンガー・ソングライターは、なかなかいないであろう。まさに唯一無二の才能である。そんな、ドイのような希有なアーティストが、海外のネットレーベルからも作品を発表し、洋の東西を問わずに幅広い評価を受けていることは、非常に意義のあることだと思える。言葉は通じなくとも、その音楽の世界から何かを感じ取れる人々は必ずいるはずなのだから。そんな、現在の社会の中で生きることに違和感を感じ、本当の孤独というものを見つめたことのある人種が、今にも消え入りそうなともしびのようにそこここで揺らめいている。実は、そうした人々は、これから爆発的に増加してゆくことが予想されていたりもする。進行するグローバリズムの波に押しやられて、「お外」の世界は、物凄い勢いで不可視化されていっている。世界を形作る真っ当な理性は、全てを境界で食い止め、あらゆる多層化した意味を単一化し統制しようとする。そして、向こう側の世界は容赦なく抹殺されてしまうのだ。今後、こうしたドイのような才能がひっそりと生み出す痛みに満ちた音楽に耳を傾けることは、さらに大きな意味をもつようになってゆくであろう。(12年)

MiMi Records
http://www.clubotaku.org/mimi

http://franshitai.bandcamp.com
sanzuno riverside
http://sanzunoriverside.xxxxxxxx.jp

Kimberley Chen: Kimberley

陳芳語 (Kimberley Chen): Kimberley

画像


台湾を拠点に活動するキンバリー・チェン(Kimberley Chen)のデビュー・アルバム“Kimberley”。キンバリーは、今年の5月23日で18歳になる、すでに今年の歌謡界を代表する超大型新人として話題のアイドル歌手である。いや、もはやアイドルというよりも、ひとりのシンガーとして大いにその活躍が期待されている新星といった方がよいのかも知れない。それくらいに、このデビュー・アルバムには、何かただならぬ雰囲気が、濃密に漂っている。特に、何かが突出してすごいというわけではない。全体的に非常にレヴェルが高いから。そして、そのどこまでも自然体で肩の力の入っていない余裕綽々な佇まいには、何ともいえない凄みのようなものが感じられたりもするのである。

アルバムは、4月27日に台湾のSony Music(台灣索尼音樂)よりリリースされた。プロの歌手としてのデビューの地は台湾となったが、この若き才能あふれるシンガーにとって、その活躍の場が台湾だけにとどまらぬことは、すでにこのデビュー・アルバム発表の時点から目に見えている節もある。その証拠に、すでにSony Musicは台湾だけでなくアジア圏の全体で、この大型新人歌手のプロモーションを猛烈な勢いで展開している。こうした動きには、新しいアジアを代表するアイドル歌手、もしくは新たなアジアの歌姫の誕生を予感させるものすらある。このデビュー・アルバム“Kimberley”は、そんな新たな時代を切り拓く、まだ10代の若きシンガーの登場を、まざまざと感じさせるような一枚でもあるのだ。

すでに台湾の音楽シーンのみならず、東アジアの各国で大きな注目を集める作品となっている、このアルバム。ただし、それには、それだけの理由がある。キンバリー・チェンは、まだやっと18歳になるという若さでありながら、その歌手/エンターテインナーとしてのキャリアには、すでに10年以上にも及ぶものがあったりする。また、その抜きん出た実力やタレント性も、これまでに立った数多くの舞台などでのパフォーマンスを通じて、申し分ないほど十分にあることがすでに実証されているのである。この本格的なデビューの前から、歌や踊りや演技に才能を発揮するキンバリーの名は台湾だけでなく、上海や香港などでもかなり知られたものであった。ゆえに、このアルバムが、東アジアの中華圏において超大型新人の待望のデビュー作という非常に熱烈な迎えられ方をしてもいるのである。

キンバリー・チェンは、94年5月23日にオーストラリア南東部の大都市、メルボルンで生まれた。そして、彼女は、このメルボルンにおいて幼少期を過ごしている。また、彼女が、初めて人前で歌ったのも、この街においてであった。
おそらく両親ともに中国系の家庭に生まれ育ったのだと思われるが、後にエンターテインメントの世界で活躍することになる彼女にとっては、このメルボルンという都市の英語圏の社会と文化の中で幼い頃を過ごしたことは、非常に大きなプラスになっているのではなかろうか。家庭内で接する中国語と自らのルーツである中国の文化、そして家庭の外の世界で接することになる英語と英国の影響を今なお色濃くもつオーストラリアの文化。幼少期から自然と異文化に対して開かれた認識や価値観を育むことのできる環境にあったことは、この全てがグローバルに越境し光速で行き交う時代に必要な多様性というものを受け入れる心性や精神性を養うという意味でも、必ずや今に繋がるものが大いにあったはずである。また、もちろん言語的な面でも、中国語と英語の両方に身近に触れて育ったことで、マルチリンガルなパーソナリティを培えたことは、21世紀のシンガーに最も要求される国境やボーダーを越えてその歌声を届けることのできる資質や才能を身につけるうえで大いなる助けになっているはずである。キンバリーというシンガーのもつ天性のスケールの大きさは、こうした生まれながらに越境する環境に置かれていた彼女の出自からきているものと思われる。

キンバリー・チェンのプロフィールによると、彼女は4歳の頃から歌のトレーニングを受けていたという。最初は、家庭内での父親によるレッスンであったようだが、この時点ですでに彼女の歌の力量が相当な物であったのか、すぐに当時のメルボルンの交響楽団でタクトを振っていたウラジミール・ヴァイス(Vladimir Vais)に師事することになる。ヴァイスは、ボリショイ劇場の指揮者を11年間に渡ってつとめた世界的に活躍するマエストロである。いきなり、まだ小学校にも行っていないような小さな子供が、こんな大物指揮者の元で音楽の勉強をできるようになるなんて、かなり異例中の異例といえるのではなかろうか。やはり、このキンバリーという子は、小さい頃からちょっとタダモノではなかったようだ。

また、キンバリーは、この頃にはすでにメルボルン市街の街頭やクラブにおいて実際に歌い始めていたという。繁華街のど真ん中でのバスキングや定期的に催されるチャリティ・コンサートに出演し、集めたお金を寄付するなど子供ながらに積極的にチャリティ活動に参加していたようである。こうした活動も、やはり最初は父親からの導きを受けて開始したようだ。しかし、99年にオーストラリアにとっては最も隣国のインドネシアと東ティモールの間に起きた、東ティモールの独立をめぐる紛争の際には、当時まだ5歳であったキンバリーは率先して街角に立って歌い、東ティモールの難民救済のための多額の寄付を行ったという記録が残っている。
また、03年にメルボルンの王室子供病院への寄付を募るチャンネル7のチャリティTV番組「Good Friday Appeal」に当時まだ8歳であったキンバリーが出演した際の映像は、現在もYouTubeで見ることができる(http://youtu.be/aWMvL8mB0p0)。この番組では、彼女はスーパー・キッズ・バスカーとして紹介されているが、その歌とステージ・パフォーマンスは、すでにプロの歌手も顔負けな堂々たるものである。これを見て、やはり最初に思い浮かぶのは、“東京キッド”を歌い踊る幼少期の美空ひばりの姿である。ここでのキンバリーと美空に共通している点は、子供ながらに非常に完成度の高いレヴェルにある並外れた歌唱力とパフォーマーとしてのタレント性である。

ただし、キンバリーは、その大人びた歌の才能とは別に、子供らしい可愛らしさのある容姿の面でも大きな注目を集めていた。メルボルンを拠点にキッズ・モデルとして活動する傍ら、TVのCMなどにも度々出演していたようだ。当時の中華圏を中心にアジア地区で広く放映されていたマクドナルドのTVCMには、幼き日のモデル時代の彼女の姿を確認できるようである
また、03年からは、当時Nine Networkで放送されていた人気ゲーム番組「The Price is Right」に、子供モデルとして約二年半に渡ってレギュラー出演し、お茶の間の小さな人気者としても親しまれていた。

そして、この「The Price is Right」にレギュラー出演していた11歳の時にキンバリーの歌手キャリアにとって、早くもひとつの大きな転機が訪れることになる。05年7月からキンバリー・チェンは、メルボルンの由緒あるリージェント・シアターで上演されていたディズニー・ミュージカル「The Lion King」にヤングナラ役で出演することになったのである。世界的に人気のあるミュージカルの役柄であるので、このキャストに選ばれるには非常に厳しいオーディションをパスしなくてはならなかったはずである。キンバリーは、この難関を突破して、見事に大役を勤め上げたのだ。
すると、ここでの熱演が高い評価を受け、その翌年の06年夏には上海のグランド・シアター(上海大劇院)で上演される「The Lion King」にも、彼女はキャストの一員として招かれることになる。そして、この公演期間中にミュージカルのキャストの中にとびきり歌の上手い中国系の少女がいることが次第に巷の話題となってゆく。これがTVのニュース番組のトピックや情報番組で相次いで取り上げられたことでキンバリーの知名度は、さらに高まってゆくことになった。そして、この頃から彼女はミュージカルの出演の合間をぬって、上海のTV局のヴァラエティ番組や音楽番組などに頻繁に出演するようになる。
こうして上海でもお茶の間の小さな人気者となったキンバリーは、グランド・シアターでのミュージカル「The Lion King」が終幕した後も、そのままその地にしばらく滞在し、歌って踊れる子供タレントとしてTVの世界で活躍を続けていた。わずか12歳でありながら、すでにキンバリーはメルボルンと上海を拠点に、エンターテインナーとしてのグローバルな活躍を開始していたのである。

さらに、キンバリーが13歳となる年に、ふたつ目の大きな転機が訪れることになる。この時、彼女はメルボルンでも上海でもなく、エンターテインメント業界の中心地、ニューヨークにいた。この街で彼女は、08年の4月から11月にかけての約半年間を、韓国の人気プロデューサー、パク・ジニョン(Park Jin Young)が率いる芸能事務所、JYP Entertainmentの練習生として過ごすことになる。おそらく、キンバリーの上海での目覚ましい活躍ぶりに目をつけたJYPが、将来の韓国~アジアでのデビューを見越して、事務所の練習生としてニューヨークへと音楽留学させたのではなかろうか。
10年の夏に四人組ガールズ・グループ、Miss Aの一員としてデビューした、JYP Entertainmentの秘蔵っ子であるミン(Min)ことイ・ミニョン(Lee Min Young)も、残念ながら実現することのなかった米国でのデビューの準備のために、これとほぼ同時期にニューヨークで練習生としてトレーニングを重ねていた可能性が高い。もしかするとキンバリーとミンは、ニューヨークでともにJYP Entertainmentの練習生として顔見知りであったのかも知れない。ミンは、キンバリーよりも三つほど年長となる。
また、Miss Aというグループは、韓国人のミンとスジ(Suji)と、中国人のフェイ(Fei)とジア(Jia)からなる多国籍なメンバー構成の、韓国国内だけでなく東アジア全体での活動を見据えた展開を念頭に置いて結成されたアイドル・グループでもある。これを考えると、中国系オーストラリア人であるキンバリーが、そのままJYP Entertainmentの練習生としてリハーサルを続けていた場合、こうした韓国のガールズ・グループの一員としてデビューしていた可能性は相当に高かったのではなかろうか。しかしながら、彼女はほどなくして(おそらくは自らの意思で、約半年の音楽留学期間の後に)JYP Entertainmentから離脱することになる。
この時、14歳となっていたキンバリー・チェンは、そのままエンターテインメントの聖地であるニューヨークに残り、より本格的な指導者を求めてシンガー兼女優として活躍するヨランダ・ワインズの門を叩いている。このワインズに師事したキンバリーは、09年の6月までの約半年間をみっちりと歌と踊りと演技の稽古に費やすことになる。また、このニューヨーク滞在時にキンバリーは、数多くのR&Bヒットを生み出してきたゴードン・チェンバース(Gordon Chambers)とバリー・イーストモンド(Barry Eastmond)の黄金コンビとともにスタジオ入りし、楽曲のレコーディングを行っていることが伝えられているが、その詳細はいまだに明らかにされてはいない。いつの日か、まだデビュー前の15歳の頃の初々しいキンバリーの幻の録音物が、どこからか発掘されて日の目を見ることがあったりするのかも知れない。

そして、10年の春を迎える頃には、15歳になったキンバリー・チェンは台湾にいた。約一年間のニューヨークでの音楽修行を終えてアジアへと戻った彼女は、ここでCTVにおいて放送されていた新人発掘公開オーディション番組「One Million Star」に参加していたのである。ここでも、並み居る喉自慢のオーディション参加者たちに紛れて、まだ10代半ばのあどけなさの残る少女が次々とラウンドを勝ち抜いてゆく姿が、視聴者たちの間ですぐに大きな話題となる。
しかし、結果として好成績を収めたもののキンバリーは、この番組で最後まで勝ち残ることができなかった。これには、やはり彼女が番組で英語の楽曲ばかりを歌い、全く中国語の歌を歌わなかったことに最も大きな要因があったように思われる。台湾の番組であるにも拘らず、中国語(国語)で一曲も歌わないのは、やはり致命的であったとしか言いようがない。おそらく、オーストラリア育ちである彼女にとって、公開オーディションという場で正確な中国語の発音が求められる歌唱を行うことは、非常に大きなネックとなっていたのではなかろうか。
現在、YouTubeにおいて、この番組に出演した際のキンバリーの映像をいくつか見ることができる。そこでは、ウィットニー・ヒューストン(Whitney Houston)やケリー・クラークソン(Kelly Clarkson)の楽曲を、15歳とは思えぬ大人っぽさで歌いあげる姿がしっかりと記録されている。その現在よりも、ややぽっちゃりとした印象のルックスは、どこか韓国の四人組ガールズ・グループ、2NE1のパク・ボム(Park Bom)を思わせる雰囲気がある。
しかし、このTV番組「One Million Star」への出演がきっかけで、キンバリーの並外れたタレント性は台湾のSony Musicの目に留まることとなった。そして、この大手レコード会社との間に本格的なアーティストとしてのデビューへの契約が交わされることになる。

僅か4歳の頃から路上やTV番組、そしてミュージカルの舞台などで、ずっと歌い続けてきたキンバリー・チェンの待望のデビュー・アルバムが、この“Kimberley”である。おそらく、本人にとってもプロのシンガーとなることは小さな頃からの夢であったであろうから、これは本当に待ちに待ったアルバム・デビューなのではなかろうか。メルボルンから始まり上海、ニューヨーク、台湾と、長い武者修行の旅は続いたが、18歳にして、遂にこの天才少女の大きな夢は、まずひとつ叶えられたのである。

アルバムの1曲目は、キンバリーのデビュー曲でもある“愛你”。タイトルを英訳すると“Love You”となる。この楽曲は、韓国のアイドル・グループ、SS501のメンバー、パク・ジョンミン(Park Jung Min)が出演する、台湾のCTVにて放送中の人気ドラマ「翻糖花園」のエンディング・テーマ曲としてすでに幅広く親しまれている。シンプルでストレートなロック調のラヴ・バラード。キンバリーの伸びやかな歌唱と色彩感豊かに変化するヴォーカルのうま味をたっぷりと堪能できる楽曲である。

2曲目は、“星際旅行”。このタイトルにある“星際旅行”とは、文字通りにスター・トレックのことである。この楽曲には、台湾のパイワン族という少数民族出身の人気歌手、プリンセス・アイ(Princess Ai)ことダイ・アイリン(戴愛玲)が、ゲスト・シンガーとして参加している。いきなり強力な助っ人の登場で、キンバリーのデビュー・アルバムはさらに華やかさを増してくる。このゆるやかなノリの四つ打ちポップ・ロック曲では、キンバリーの小気味よくも可愛らしいラップをふんだんに聴くことができる。プリンセスとの絡みも、なかなかの相性のよさだ。アイリン姉さんに優しく見守られながら、内面から溢れ出てくるような若さを存分に炸裂させる可愛い妹といった感じであろうか。キンバリーの澄んだ伸びやかな歌声が、広大なる宇宙空間に響き渡る。

3曲目は、“Satellite”。心躍るようなスター・トレッキングを経て、キンバリーを乗せた宇宙船は、とある衛星に到着した。懐かしのトリップ・ホップ的な浮遊感のあるエレクトロニックなサウンドをまとったR&Bポップ。スウィートなハーモニーの海で、様々な表情をもつ多彩なヴォーカルが自由に泳ぎ回る。しかし、決して一辺倒になることのないキンバリーの豊かで懐の深い歌唱の表現力には、本当に恐れ入る。そこには、これからやっと18歳になろうとする女の子の歌とは、到底思えないものがある。まだデビュー作であるはずなのに、実に深い歌だ。

4曲目は、“Wonderland”。ここは、21世紀初頭という時代を心の故郷とする、現在の10代の若者たちにとっての楽園。Googleで検索し、YouTubeからあらゆる情報を吸収する、スマートフォンを片手に、ソーシャル・ネットワークの人間関係と現実世界を行き来しつつ生きる、いわゆるS世代の若者たち。彼らは、かつてSFの世界で夢想されていたような近未来のライフ・スタイルを複合的かつ多層的に生きている。そこは、完全なる異空間であり、全く新しい人間の在り方が追求された新時代の楽園でもある。キンバリーたちの世代は、そんな世界を彼女たちのワンダーランドとして目一杯に楽しみ遊び尽くしながら生きているのだ。楽曲は、ユルくトランシーなハウス調のエレクトロニック・ポップ。全世界のS世代の若者たちに、今すぐこの楽園に飛び込んでくることを呼びかけるような歌となっている。

5曲目は、“沒有辦法沒有你”。タイトルは、“あなたなしでは生きられない”というような意味である。ピアノの演奏をバックにした、胸を締め付けるようなメロディが歌われるバラード。トリップ・ホップ的なピートにのせて、情感の高まりとともにキンバリーの非常にディープな歌唱が次々と溢れ出してくる。このあたりの感じは、もはやヴェテランのソウル歌手のようだ。本当に、この子はまだ10代なのだろうか。

6曲目は、“不可以沒有我”。タイトルは、“私たちは私抜きでは成り立たない”というような意味であろうか。明らかに、5曲目の“沒有辦法沒有你”と対になっている一曲である。つまり、私たちはふたりでひとつということ。なかなかにディープなラヴ・ソングである。中華風のオリエンタルな滑らかにうねる旋律に粗いヒップホップ・ソウル風のビート、そして浮遊感のある電子音のアトモスフェアといった要素を融合した、ドリーミーなミッドテンポ・バラード。しっとりとした横ノリの歌唱のあちらこちらで、キンバリーの持ち味のひとつである熱いR&B魂が噴出する。

7曲目は、“Friday”。ここでは、21世紀初頭の現実/仮想現実世界を生きるS世代の若者たちが眺める週末の景色が歌われる。そこでは、情報が行き交い、人が行き交い、感情が行き交う。光速で。眩いばかりの煌めきを放ちながら。前世紀にはダンスフロアや広いリヴィングルームで開かれていたパーティは、今ではスマートフォンをもつ掌の中やPCのディスプレイの前でも開かれている。全世界に網の目の如く張り巡らされたネットワークで繋がる金曜日の夜の巨大なパーティ。サウンドは、昔懐かしいニュー・ジャック・スウィングと四つ打ちエレクトロの融合。S世代の若者らしい、とても軽やかな情感の動きを表現したキンバリーの歌唱が、実に瑞々しい一曲である。

8曲目は、“Nike Air”。おそらく説明するほどでもないと思われるが、“Nike Air”とは、ナイキ社が開発した空気のクッション=エア・バッグをソールの内部に埋め込んだ、着地時の地面との衝撃を靴底が吸収する軽く動きやすいスニーカーの名称である。80年代に人気に爆発的に火がつき、現在でもファッショナブルなスポーツ・シューズの定番となっている。ここでは、そんなナイキのスニーカーを履いて軽快に街を闊歩する10代の少女たちのしなやかかつ力強い内面性が、高らかに歌い上げられる。繊細なピアノの調べをベースにしたエモーショナルなR&Bバラード。グローバルに繋がるS世代らしく、愛の告白の言葉は日本語を含む様々な言語で歌われる。ただ、この楽曲でのキンバリーの歌声は、かなり鼻声っぽい。これは、何か意図したものなのであろうか。

9曲目は、“GPS”。このタイトルの“GPS”とは、グローバル・ポジショニング・システムの略。宇宙空間の人工衛星(“Satellite”)を利用して地球上のどの位置でも位置情報を測定することのできる全地球測位システムのことである。この機能は、スマートフォン、携帯電話、カー・ナヴィゲーションなどに搭載されており、現在では普通に誰もが街中を歩く際やドライヴに出かける際に利用するサーヴィスとなっている。ここでは、まるで衛星からの測位システムの電波が途切れてしまったかのように繋がらなくなってしまったS世代の恋人たちの気持ちのすれ違いが、淡く霞むようなピアノの伴奏に乗せて、しっとりと歌われる。キンバリーの切ない歌唱が光る。

10曲目は、“So Good”。この楽曲は、人気ドラマ「翻糖花園」の挿入歌となっている一曲である。かなり正統派のエレクトロ・ポップの流れを汲んでいるサウンドが、現代的な電子音のコーティングをを施されてキラキラと煌めく。キンバリーのヴォーカルも、S世代のグローバルな愛と共感を讃えるかのように溌剌と瑞々しい弾けっぷりをみせる。また、この楽曲中には、いくつかの60年代的なキーワードを聴き取ることができる。これは、この10年代に再び愛の夏が訪れることを予言するものなのであろうか。確かに、今の時代に最も必要なものは、あの頃と全く同じで、溢れかえるほどの愛と平和であったりするのだが。

アルバムのラストを飾る11曲目は、“Never Change”。アコースティック・ギターの調べをバックに歌われる、アルバム中でも最もシンプルで、最もソウルフルで、最も真っ直ぐに突き刺さってくる楽曲だ。作詞は、キンバリー本人が担当している。ありのままの彼女の思いが綴られている楽曲といってよいだろう。その歌は、初心をいつまでも忘れずに、キンバリー・チェンという歌手の本質を変えることなく、大いなる未来へと羽ばたいてゆこうとする、静かな決意表明のようにも聴くことができる。非常にシンプルだが、深く熱い一曲である。

キンバリー・チェンのファースト・アルバムは、全体的に10代のアイドル歌手のデビュー・アルバムというよりも、かなり本格的なヴォーカル・アルバムとなっている。曲調も、エレクトリックなダンス・ナンバーからしっとりめのピアノ・バラード、そしてアコースティック調の切々と歌い込まれる楽曲まで、とても幅広い。まさに、どんな楽曲でも見事に歌いこなすキンバリーのオールマイティなヴォーカルの魅力を、アルバム全体を通じてたっぷりと味わうことのできる一枚となっているのである。
しかし、アルバムの所々には、10代の少女らしいキュートさを前面に押し出したアイドル歌謡的な要素も聴くことができる。おそらく、そうした部分こそが、レコード会社としてキンバリー・チェンという10代の新人歌手を大々的に売り出す際に練っていた第一次的な戦略の名残りなのではなかろうか。アルバムのジャケット写真の雰囲気などにも、そういった趣きのようなものは微かにだが感じ取れる。だが、そうしたレコード会社の思惑のようなものは、少しばかり現実とはズレてしまっていたようだ。キンバリーの歌は、もはやアイドル歌手の枠だけに収まりきるようなものでは全くなかったのである。彼女は、僅か4歳の頃から長年に渡り本格的なトレーニングを積んできた、かなりしっかりと歌える歌手なのだ。そこらのアイドルとは、やはり年季が違う。よって、そんなキンバリーがひとたび歌えば、そうした下地や資質の部分がどうしてもにじみ出てきてしまうのは仕方のないことなのであろう。

また、このアルバム中には、94年生まれのキンバリーが属しているS世代の世代感を強く意識し、それを前面に押し出している楽曲が非常に多い。この作品を聴くには、そのあたりのスマートフォンとソーシャル・ネットワークに代表されるSなツールを使いこなし、グローバルな繋がりの中で青春を謳歌する新世代の世代感覚のようなものを、ある程度理解していたほうがよさそうである。
S世代とは、諸説様々あるが、年代的には現在の10代後半から20代の若者のことをいうようだ。ちょうど、20世紀末の80年代後半から90年代にかけて誕生した世代である。日本でいうと、いわゆるバブル崩壊以降の失われた20年が、そのこれまでの人生そのものという(バブル崩壊以前の日本を知る者から見ると非常に不幸な/絶望の国の幸福な)若者たちだ。また、世界的にみても、この世代の若者たちは、90年代後半のアジア通貨危機や00年代後半の世界金融危機といった比較的大きな沈み込みを、いくつか立て続けに経験してきている。だが、やはりアジアのS世代は、とりわけ非常にタフな時代を生きてきたことになるであろう(ただし、中国だけは全く別の意味でタフな時代となっていたのだが)。ただ、それだからこそ、彼らは彼らなりの強かさを身につけてもいる。世紀をまたいでテロ事件や戦争・紛争、そして経済危機が続いた時代に生まれ育ってきたことで、これまでのどの世代にはなかったような、厳しい時代を生き抜く感覚が、自然と備わるようにもなったのであろう。S世代とは、グローバルな資本主義経済の浮沈に翻弄される世界で強く逞しく育った、この時代に最も適応している世代でもあるのだ。その特徴は、多様な形の人と人との繋がりを大切にするという点にもよく表れている。まさに、スマートフォンとソーシャル・ネットワーク、ツイッターやフェイスブックを巧みに使いこなし、賢く逞しくサヴァイヴしてゆく世代なのである。

キンバリー・チェンは、そんなS世代を代表するアジア発の本格派のアイドル歌手として、世界的な舞台へと大きく羽ばたいてゆく資質を十二分にもっている。あらゆる情報がグローバルな広がりの中で交錯し、全てがグローバルに繋がり連鎖している時代。そこで求められるのは、やはり新しい時代の担い手であるS世代の歌手によるS世代の言葉で歌われるS世代のための歌であることは間違いない。そして、それこそが、きっとここで聴くことのできるような広さと深さをもつ歌なのであろう。
今や時代は、グローバル化する情報と商品の流れを受けて、アジアを拠点に世界的に活躍するアイドル歌手の登場を待ち望んでいるかのように思える。現時点では、海外での評価の高い少女時代(Girls' Generation)やパフューム(Perfume)あたりが、その位置に最も近い存在であるのかも知れない。また、S世代を代表する逸材としては、93年生まれのきゃりーぱみゅぱみゅ(kyarypamyupamyu)という完全に突き抜けたポップ・アイコンがいることも忘れてはならないだろう。しかし、アジアの歌姫としてグローバルに通用するシンガーという意味では、このキンバリー・チェンが、やはり最右翼なのではなかろうか。
天才少女として4歳の頃から歌い続けてきたキンバリーだけに、その歌唱力にはかなり絶対的なものがある。そのことは、本作を通して聴けば誰の耳にも明らかであろう。ただ、あまりにも成熟した歌唱が所々に顔を出してしまい、ちょっと18歳の新人アイドル歌手が歌っているとは俄には信じられない瞬間が多々あったりもするのだが。
これまでアジアの歌手の前には、常に言葉の壁というものが、世界へと飛び出す手前に高く立ちはだかっていた。ただし、こうした壁は、S世代の感覚では最初から極めて低いものである。幼い頃からインターネット環境に親しんでいた世代だけに、多言語でコミュニケートすることは、もはや日常の一部分となっているのである。また、幼少期から音楽の勉強と修行、そしてミュージカル公演のために、洋の東西を行き来していたキンバリーにとっては、英語圏も中国語圏も、いずれも彼女のテリトリーであることに違いはないのである。それを証明するかのように、このデビュー・アルバムは、英語での歌唱曲と中国語での歌唱曲が、ほぼ半々の構成となっている。それが、実に当たり前のことであるかのように。

遅かれ早かれS世代の時代は訪れるだろう。その先陣をきって、ここに遂にデビューを果たしたキンバリー・チェンが、21世紀のアイドル歌手の新しいひな形を作り出してゆこうとしている。この記念すべきファースト・アルバムは、その最初の一歩である。彼女のしっかりと肝の据わった歌唱からは、何か大いなる可能性のようなものが感じ取れはしないであろうか。まだ18歳ながらも歌い手としての10年以上のキャリアをもつ、キンバリー・チェン。土台は、これ以上ないほどに堅固である。あとは、アジアから世界に向けて飛び立つだけだ。その飛翔のための翼の準備も整いつつある。今こそグローバリズムの潮流を飛び越えて、まだ見ぬ対岸を目指して羽ばたくときだ。キンバリー・チェンとは、そんな大いなる期待を寄せたくなる素晴らしいシンガーなのである。(12年)

(追記)
ただし、このアルバムにひとつだけ重大な欠点があるとすれば、いくつかの楽曲でキンバリーの歌声がひどい鼻声のように聴こえるという点が挙げられるだろうか。おそらく、この春のリリースに向けて、いくら温暖な台湾といえども冬の最も寒い時期にレコーディングが行われたのであろう。しかし、歌入れの際に主役の歌手が風邪気味であったら、再レコーディングをしてもよさそうなものなのだが。それほどまでに時間的に余裕のない制作作業であったということなのか。もしくは、ここに収録されているものが、最もベストな症状の軽いテイクだったということか。やや理解に苦しむものがある。次回の作品では、万全の状態でのキンバリーの歌唱をばっちりと記録してもらいたいものだ。‡