New Dawn and Fades(六)

New Dawn and Fades



現段階において、ある程度の成功をおさめている先行世代を猛烈な勢いで後継世代が追い上げてゆく動向の図式の中にあまり食い込めていない、やや中途半端な位置にいるグループは、今後さらに積極的な仕掛けを打って結果を残し印象に残るプロモーション活動を展開して、Kポップの世界での生き残りの道を探ってゆかなくてはならなくなるだろう。その中でも、最も過酷な境遇に晒されそうなのが、そこそこ活動歴が長く、そこそこの人気を獲得しているが、なかなかフォロワー的な位置付けから抜け出せずに、さらに上を狙ってゆかなくてはならない層(それが期待されている層)であるのかも知れない。レインボーやナイン・ミューゼスも、大まかな分類としては、ここの層に属しているといえる。だが、これらのグループは、13年の目覚ましい活躍で、その最初のハードルをクリアすることにはひとまず成功した。停滞したものを一変させて巻き返しを図り、そうした活動の成果が安定した形で、それなりに表れているか表れてこないかが今後の命運を決する大きな分かれ道となってくるであろう。パンチのあるファンク曲と正統派のガールズ・ポップ曲というふたつのスタイルのヒット曲を飛ばしてきているシークレットは、その異なるセクシーなイメージと可愛いイメージの狭間で、どうにもグループ全体としてのイメージがぼやけて定まらなくなってきているようにも感じられる。また、ソン・ジウンのソロ活動ばかりが目立ち、その他のメンバーの活躍の場が少ないのも寂しいところである。シスターの場合には、完全にヒョリン頼みで成り立っているという印象が拭いきれないものがある。Kポップの世界でも一二を争うヴォーカル・パフォーマンスを披露するグループであり、安定した熱烈な人気を誇ってもいる。だが、シスターでもグループ内グループのシスター19でも、結局はヒョリンとその他のメンバーという形となってしまっていて、その並外れた歌唱の実力に接するためのシスターやシスター19でしかないようにも感じられるのだ。11月26日にヒョリンがソロ・アルバム“Love Hate”を発表し、このところずっと真しやかに囁かれていた本格的なソロ・デビューが遂に現実のものとなってしまった今、これまで以上にシスターのヒョリン以外のメンバーの影は薄れていってしまうことになるのではなかろうか。4minuteも、このところ今ひとつ殻を突き破れていない頭打ちの状態に陥ってしまっているように思えてならない。初期の頃は、クールでスタイリッシュなバッド・ガール感を強烈に打ち出しており、その動静全てにおいて非常に勢いがあった。ただし、そうした若々しい勢いというのも、いつまでも衰えずに継続してゆくものではない。その4minuteらしいイメージというものが定着し様式化してきたところで、どのようにそこから巧みに前進をしイメージを更新して時には思い切って過去の様式を打ち破ってゆくのかが重要になってくる。4minuteの場合には、野心的にナチュラルな可愛らしさといった要素も打ち出す方向性を選択したのだが、そうした新機軸が逆に元々の4minuteらしいイメージというものをぼやけさせ、どこか焦点の定まらぬものにしてしまった印象は多少ある。やはり、あの猛烈に勢いがあった初期のイメージに少し強すぎるものがあったのだろう。そうした路線ではない4minuteを打ち出してゆくことが、とても難しくなってきているような気もする。もし、そうであるならば、どんなにワン・パターンだといわれようとも、その4minuteらしいイメージを突き詰めてゆくほかに道はないと思われるのだが。そして、4minuteの場合にもメンバーのジユンとガユンによるグループ内グループの2Yoonといったサブ・ユニットでの活動もあるが、やはりKポップの世界でも随一のセクシー・アイコンであるヒョナのソロ活動やBeastのヒョンスンとのユニット、トラブル・メイカー、そしてPSYの大ヒット曲“Gangnam Style”のMVへの出演など単独での活躍ばかりが目立ってしまっている傾向は確実にある。また、ヒョナにしてもソロや別ユニットでの活動では思いきり羽を広げて自分の魅力をアピールできているが、逆にそれが母体となるグループに戻ると思った通りに出し切れない窮屈さを感じてしまったりもするのではなかろうか。今後は4minuteとしてどのように最大の切り札であるヒョナの個性を活かしてゆけるかが、もしかすると最大の鍵になってくるのかも知れない。すでにデビューから十三年目を迎えているジュエリーは、11年より新たな四人体制で活動を続けており、古き良き歌謡曲の香りを残した独特のKポップを展開して完全復活をアピールするとともに全力で巻き返しを図っている。00年代中盤の次々とヒット曲を放っていた当時のメンバーは、もはや現在のジュエリーには一人も残ってはいない。しかし、そんな新生ジュエリーであるが、90年代後半に形成された伝統的なKポップのスタイルやいにしえの韓国の歌謡曲のDNAのようなものを意識的に継承してゆこうとしている雰囲気は、かなり色濃くある。単なるレトロ・ポップスという言葉では片付けきれないような、ほのかに泥臭さのある味わいが、ここ最近のジュエリーの楽曲の最大の魅力である。現在の四人のメンバーでの初のアルバムのリリースが待たれる。独特のセクシーKポップ路線で韓国だけでなく中国や東南アジアの各国でも高い人気を誇るラニア(RaNiA)であるが、このところはメンバーの休業や怪我(交通事故)などの度重なるアクシデントにより本来のペースでの活動ができていない。13年には待望のファースト・アルバム“Just Go”をリリースし、その勢いで念願のアメリカ進出を果たす予定であったようだが、ラニアのこれまでの足跡を総括したようなアルバムは出たもののアメリカでのデビューは現時点では延期されたままである。活動初期には八人いたメンバーも現在では五人にまで減ってしまっている。このあたりで、今後のさらなる飛躍を睨んで、何か決定的な起爆剤となる動きが欲しいところである。いざとなったら相当に思い切りのよさそうなラニアによる起死回生の一手には大いに期待したいところだが。

f(x)は、あまり頻繁に作品のリリースをせず、それゆえにグループが活動を行う間隔は比較的長い。だが、その作品のリリースに合わせた活動は常に印象に残るものであり、その時々のf(x)のメンバーのファッションや髪型、タイトル曲の曲調などの断片的イメージの集積としてリリース作品そのものもまた強く記憶に刻み込まれることになる。“Nu ABO”のf(x)も“Danger”のf(x)も“Hot Summer”のf(x)も“Electric Shock”のf(x)も“Rum Pum Pum Pum”のf(x)も、それぞれに異なるイメージのf(x)であり、それぞれの楽曲と結びついたイメージがf(x)の全体的なイメージを形成し、新たな作品をリリースするごとに新しい楽曲に合わせたイメージの創出によってそれがさらに大きく膨らんでゆくのである。こうした巧みなイメージ戦略の裏側にはf(x)の所属する大手芸能事務所、S.M. Entertainmentのしっかりと筋の通ったマネージメント力も大き関与している。大手の芸能事務所に所属しているタレントは、アイドル・グループとしての作品を発表していない時期にも、商業施設の新オープンや映画の試写会などのレセプションに出席して芸能ニュースやインターネットの芸能専門サイトに記事として取り上げられたり、アパレル・ブランドの広告やファッション雑誌でスタイリング・モデルを務めるなど、こまめに人前に出る機会や人目に触れる機会、話題を提供する機会を絶やさぬことで人々の記憶の中にあるイメージをあまり長く途切れさせることなく繋ぎ止め続ける。f(x)は、グループとして集中的に活動を行うのはヒット曲のプロモーション期間だけであるが、いつでもイメージとしてはすぐ近いところに存在し続けているのである。その一方で、13年にCLのソロ活動も含めて頻繁に新曲をリリースした2NE1は、そうした活動を通じてのメディアへの露出の多さによってイメージの過剰な供給につながってしまったのか、あまりこれといった決定打がなかったような印象を受ける。連続リリースという企画自体は積極的に仕掛けている感じが前面に出ており非常に勇ましくて好ましいものがあるが、その反面においては作品の供給過多によって、それぞれのリリース作品の小粒感が醸し出されてしまい、ひいてはグループ全体のイメージの希薄化にまでつながってしまうことになる。この13年のリリースの結果を踏まえて2NE1もまた、より絞り込んだ活動のスタイルにシフトしてゆくのではなかろうか。そうなるとハイパー・アクティヴなこれまでの2NE1というグループのイメージが、少しばかり大人っぽい方向へと変化してゆくということもあるのかも知れない。いずれにしても所属事務所のYG Entertainmentが、今後の2NE1のマネージメントの方向性をどのように判断するのかは、気になるところだ。

ミスA(Miss A)は、13年10月にセカンド・アルバム“Hush”をリリースした。これは、12年10月のミニ・アルバム“Independent Women Part III”以来となる約一年ぶりの新作であった。四人のメンバーのうち二人が中国出身というインターナショナルな構成からもうかがえる通り、ミスAはデビュー当初から韓国だけでなく中国や台湾をはじめとする中華圏~アジアでの活躍をしっかりと見据えていたグループである。これまでにもヒット曲の中国語歌唱のヴァージョンを収録した中国盤のリリースを度々行っていているが、今回もアルバム“Hush”の台湾盤がリリースされている。10年代のアジアの音楽文化は、Kポップや韓流エンターテインメントのスタイルが大前提として浸透した上に展開されるのとなってゆくだろう。そこでは、ミスAのように中華圏を中心に海外展開しているKポップ・アイドル・グループが牽引車的な役割を担い、大きな影響力を及ぼす存在となってゆくに違いない。そういう意味では、もはや00年代後半の韓流エンターテインメントのアジア攻勢の新たな足場を築いたKポップのブーム以降の流れに目を向けてゆかなくてはならない時期であるのかも知れない。今後、Kポップが、いかに中華圏進出への最後の分厚い壁を乗り越えてゆくのかという点にも注目してゆきたい。はたしてミスAがアジアを制覇する日は、近い将来に訪れるであろうか。

00年代後半のKポップ・ブームが加速してゆく動きと同調するかのように、エレクトロニック・ダンス・サウンドを大胆に取り入れた“Abracadabra”などのヒット曲を放っていたブラウン・アイド・ガールズ(BEG)は、ここにきて以前のようなイケイケでギラギラな路線から一歩退いて、質の高い楽曲とヴォーカル・パフォーマンスを中心とする路線に戻ってきている。13年7月29日にリリースされた、約一年十ヶ月ぶりの新作(配信シングルなどは除く)となる通算五作目のアルバム“Black Box”では、その名の通りに漆黒の箱に黄金に輝く文字でグループ名とタイトルが記された非常にシンプルなジャケット・デザインが採用されている。ジャケットに四人のメンバーが登場していないアルバムは、06年3月に発表されたファースト・アルバム“Your Story”以来となる。そして、その外装のシンプルさによって表立って表明されている通りに、盤上でも同様に初期の音楽性とヴォーカルを重視した方向性への回帰が図られているのである。そのサウンドの特徴は、エレクトロニックな音素を下地や隠し味として巧みに忍ばせたジャズ・ファンクやソウルを中心とするアダルト・オリエンテッドな風合いに仕上げられたものといえる。その一方で、BEGの四人のメンバーは、それぞれにソロでも活動を行っており、そこでは自由に各々の好きなスタイルや路線が追求されている。ガインは、タンゴを歌い、パク・ジニョンやチョ・グオンなどJYP勢とデュエットし、PSYのヒット曲“Gentleman”のMVにゲスト出演している。そして、ナルシャは趣味性を全開にしてエレクトロニカ系に走り、ジェアは歌い上げ、ミリョはラッパーに徹したソロ作品でThe Koxxなどとも共演している。また、13年11月からはミリョとナルシャによる別ユニット、M&Nの活動もスタートした。こうした個々の個性を活かし、その表現の幅を広げてゆくような意欲的な課外活動は、そのまま翻ってBEGというグループに持ち帰られ四人のメンバーに備わった才能の多様性を閃かせるものともなってゆく。今回のBEGとしてのアルバムは約二年もの間隔をあけてのリリースとなっていたが、それぞれの課外活動や別ユニットでの動きも含めて、グループとしては全体的にバランスがよく非常にスムーズな活動を展開できるようになってきているといえる。そのような独自のペースでの活動を可能なものとしているのは、所属事務所のNega Networkによるマネージメントが、その時々での時節を適切に見極めたクレヴァーな駒の進め方をしているという点にも多くを負っているはずである。周囲のKポップ・ブームなどの動きにはあまり惑わされず、とにかくやりたいことを目一杯に全力でやって、リスナーの耳と感覚に直接に訴えかける。ただただ、ひたすらにそういうことなのであろう。こうしたBEGの実に健全な活動のスタイルは、長く固定されたメンバーでグループを継続してゆく際の良き手本になりそうだ。しかし、このように理想的な形でグループが発する熱量の高低や成熟の度合いにあわせて活動を展開してゆけるというのは、非常に珍しいケースであるのかも知れない。それは、それだけBEGが能力やポテンシャルの高いメンバーが奇跡的な巡り合わせによって結びついた特別な存在であるということの表れでもあるのだろう。ただし、そうした遥か高いレヴェルにある稀有な足跡であるからこそ、多くの後に続く世代が目指してゆくべきひとつの形ともなるのである。10年代後半のKポップの世界に、大人のアイドル・グループばかりがひしめき合うという状況が訪れていたとしてもおかしくはないのかも知れない。

New Dawn and Fades(五)

New Dawn and Fades



メイン・ストリームの外側からさらに外縁や下部の層へと目を転じてみれば、そこには虎視眈々と上昇の機会をうかがっている若手のグループが、うようよとうごめいている状況を見ることができる。そのほとんどはKポップのインターナショナルなブームが確立された後の10年代以降にデビューした若い世代のアイドル・グループである。00年代後半のKポップの世界には様々なメンバーの編成や構成で結成された多くのガールズ・グループが登場したが、その流れを受けていることもあって、10年代にデビューする新人グループにもまた、よりオリジナルなカラーや個性やキャラクターの作り込みが求められているような部分は多分にある。もうすでにKポップ・アイドルは飽和状態にあるといわれて久しい。だが、それでもデビューする新人グループは後を絶たず、大御所からチャート常連組に新鋭までが入り混じるKポップ・シーンの混迷は深まるばかりである。そんな混沌とした状況に最も下っ端の新人グループとして足を踏み入れるには、それなりに取っ掛かりとなるような特徴が必要となってくる。どんな小さなトピックでもよいし、少し変わった名前でもプロフィールでもよい。そこに新たなグループがデビューしたということを、少しでも多くの人に気づいてもらい、ちょっとでもその存在を気にしてもらうことが重要なのである。とにかく、まずは何でもよいから興味をってもらうことなのである。どんな入口からでもよいから。そこから全ては始まるのだ。しかし、そこでほんの少しでもグループとしての特徴を出してゆこうとすればするほどに、デビュー当初から細やかに個性やカラーの設定がなされるようにもなる。所属事務所やレコード会社によるセールスのための戦略として。ただ、最初からあまりにもグループのコンセプトに沿ってガチガチになってしまっていると、未知なる部分を秘めた大らかさに乏しく、その見た目以上の広がりがほとんどなく、クール系やカワイイ系などの大まかなタイプごとの分類で済まされて、逆に同じような顔ぶればかりの小粒感が漂ってきてしまう弊害も発生することになる。だがしかし、そのような大混戦の中からでも這い上がり頭角を現してくるものがあれば、それはそれなりに実力者であるということに即決でなりもするだろう。13年のガールズ・デイやクレヨン・ポップのように。新人や若手の生き残りをかけた予選会はすでに幕を開けている。この大熱戦のファースト・ラウンドの結果は、14年の後半期までにはほぼ明らかになってくるであろう。
その激しくしのぎを削り合っている若手グループのほんの一部をここに列記しておくことにする。T-araのメンバー、ボラムの妹、ウラムを擁するガールズ・トリオのD-Unit。シンサドン・ホレンイ(新沙洞の虎)がプロデュースを手がける五人組グループ、EXID(13年はメンバーのソルジとハニによるサブ・ユニット、ダソニとしての活動が目立った)。12年春のEXIDのデビュー直後にグループを脱退した三人のメンバーを中心に結成された四人組グループのBESTie。デビュー以来、なかなかメンバーが定まっていないが東南アジアなど海外で高い人気を獲得している五人組グループ、Tahiti(Raniaのフォロワー的な要素も強くもつ)。13年デビュー組の中では最も鮮烈な印象を残したといえる“Pretty Pretty”をスマッシュ・ヒットさせた五人組グループ、Ladies' Code。正統派アイドル・グループのスタイルを型通りに受け継いでいる五人組の新人グループ、BP POP。4minuteやシスターの路線を受け継ぎつつ新たなクールでかっこいい女の子像を打ち出そうとする四人組グループ、GLAM。アイドル・ポップス路線で2NE1のスタイルを継承している五人組グループの2EYES。初期の2NE1やガールズ・デイのクールでありつつ可愛らしいお転婆な女の子路線の新局面を開拓しようとする小柄な四人組グループ、Tiny-G。直球のダンス~R&B系のヴォーカルが心地よい実力派の五人組グループ、Two X。韓国、中国、米国と異なるバックボーンをもつ六人のメンバーによるグローバル時代のKポップをリプリゼントするFiestar。バンド編成のときは五人組、アイドル・グループのときは七人組とふたつの異なる編成で多面的な活動を展開するAOA。初期のガールズ・デイを思い起こさせる素朴な可愛らしさがグッとくる制服系の四人組グループ、Playa。2NE1や4minuteの路線をよりヒップホップ寄りのスタイルでアップデートさせた五人組グループのGI。ヒップホップやダンスホール・レゲエなど最新のベース・ミュージックの要素を盛り込んだ七人組グループ、Wa$$up。ザッと挙げていってみただけでも軽く10組以上のグループが詰め込まれる状態となってしまったが、この多くの若手グループが所狭しと乱立している様相こそが、13年のKポップの世界の特徴のひとつであったことは間違いないところである。これらのグループこそが現在のKポップの広い底辺を力強く支えている存在であり、おそらくは輝かしいKポップの近い未来そのものなのである。

そんな過酷な生存競争が繰り広げられている動きの中で、まず注目しておきたいのがMiss $である。Miss $は、歌唱面において非常にバランスがよく、及第点を遥かに上回る十二分すぎるほどの実力と安定感を備えたグループである。まあ、それもそのはずで、Miss $は08年にデビューした最早ヴェテランの域に達している三人組グループなのだ。すでに09年に“S Class”と11年に“Miss. Terious”という二枚のアルバムをリリースしている。ラップ~ヒップホップを軸にダンス/R&B系のスタイルでクールな音楽性を展開し、本格的に歌えてラップもこなせるグループとして(どちらかというとKポップの世界よりもR&Bやヒップホップのリスナーの間で)注目を集めていた。ただし、トリオ編成ながらも、なかなか固定されたメンバーでの活動が継続できない期間が続いてもいたのである。一枚目のアルバムのリリースの後にメンバーの変更があり、そこで新加入したメンバーは二枚目のアルバムの制作作業に取りかかる前に脱退と、しばらくはデュオ形式で活動しなくてはならない状態であったようだ。だが、12年10月にリリースされたミニ・アルバム“Miss US?”より再びトリオ編成のグループとなったようだ。ここでMiss $に新加入したのが、ソロ・シンガーとしての活動歴もあるカン・ミニである。このミニが、グループ加入後の初めての作品となる“Miss US?”で、いきなり複数の楽曲で作詞と作曲、そしてプロデュースまで手がける破格の活躍ぶりをみせることになる。その上で歌とラップも非常に高いレヴェルでこなしてしまうのだから、本当にとんでもない新メンバーをMiss $は迎えることになったといえる。この当時のミニはまだ20歳という若さであったのだから、何から何までオールマイティにこなしてしまえる溢れかえるほどの才能は、まさに驚くべきものでもあった。この驚愕の新メンバーの加入と新作のリリースによってMiss $は、一躍Kポップの世界の新たな注目株として浮上してくることになる。13年に入ってからも人気ラッパーのVerbal Jintの“Good Start”にシンガーとしてフィーチュアされ、ソロ・シングル“It's You”を発表するなど、ミニの才能と実力に対する評価は高まるばかりであった。そして、Miss $としては、7月にヒップホップ~R&B~ジャズ~ファンクとジャンルを野心的に横断する三曲入りシングル“Lo$t & Found”をリリースしている。ミニ加入後のMiss $の周辺は、一気に華やかで賑やかなものになりつつある。間違いなくミニは、現在のKポップの世界を代表する才能のうちのひとりである。また、これほどまでに将来が嘱望されている若手女性シンガー/ラッパーというのも、なかなかほかには見当たらない。そして、そこにソング・ライターやプロデューサーとしての期待感も十二分に込められている点は、まさにミニならではなところであろう。そのうちにMiss $のミニから楽曲を提供されプロデュースまで手がけてもらってヒットを飛ばすガールズ・グループなども出現することになるのかも知れない。こうしたMiss $の例が示しているように、グループのメンバー・チェンジとは必ずしもマイナスに作用してしまうことばかりではない。それはグループを大きく変化・進化させるための非常によい機会であり、さらなる上の段階を目指してゆく集団をまとめあげてゆくための外部からの大鉈を振るうような梃入れが可能となるまたとないチャンスでもあるのである。すでにデビューしてしまっているグループの根本となるコンセプトの部分を建て直し再建する際にとられる最も有効な手段が、グループのメンバー・チェンジだともいえようか。フレッシュな新メンバーや才能豊かな新メンバーを迎え、新たな血や肉となる要素を取り入れてゆくことで、グループは何度でも生まれ変わることができるのだ。70年代にプエルト・リコで結成された少年アイドル・グループ、メヌードには、16歳でメンバーはグループから卒業しなくてはならない規則があった。年齢制限に達したメンバーの代わりに新たなメンバーを迎え入れてゆくという期間を限定した活動のメソッドを採用することで、常に新鮮な若々しい魅力をもったグループとして息の長い活動を続けたのである。これが、少し形を変えて卒業や増員の制度としてモーニング娘。やABK48といった日本のアイドル・グループに取り入れられ、積極的にグループに変化と進化をもたらす手法として実践されてきている。長距離を走ってきた自動車も新しいエンジンやタイヤに交換してメンテナンスをすれば、スピードも馬力も格段にアップするだろう。Miss $へのミニの加入は、そうしたプラスに作用するメンバー・チェンジの成功例のひとつだといえる。今のところは。現時点では、ある程度の話題にもなり、評価も高い。だが、最も重要なことは、この破格の才能をもつ新メンバーを擁して、どれほどの輝かしい戦績をあげてゆくことができるかというところであろう。Kポップの世界は、ある意味では結果だけがものを言う世界でもあるのだから。そうした意味でも、今後のMiss $の動きには具に注目してゆきたい。

13年8月19日、N-Whiteがシングル“My Sunshine”をリリースした。このスヒョン、リナ、ハギョン、スビンというメンバーからなる四人組グループにとって、このシングルはKポップの世界へと足を踏み入れるデビュー曲であった。毎年、数多くの新人グループがデビューしているが、その多くはタレント事務所の練習生として鍛錬を積み何年もかけて準備をしてアイドルとしての素養を十分に養ってきた上で、ようやくデビューを果たしスポット・ライトの中に立つのである。その工業製品のようにスーパー・アイドルを作り出してゆく厳格なまでのシステムこそが、Kポップ・アイドルが誇るとてつもないパフォーマンス力を支えてきたといってもよいだろう。そして、そうした練習生の制度や長い期間の日々の鍛錬の繰り返しの中で、多くの落伍者や脱落者を生み出してきたということも華やかなKポップの世界の厳格さの一面であったのだ。ただ、そのような00年代後半的なきっちりとした作り上げられ方をしたKポップ・アイドルというものも、最早過去のものとなりつつあるように思われる。そんなKポップの世界の時代の変化のようなものを朧げに感じさせてくれるのが、このN-Whiteというグループであったりするのである。N-Whiteというグループには、歌にもダンスにもまだまだ拙さやおぼつかない部分がかなりある。大手の芸能事務所の練習生には、おそらくN-Whiteのメンバーたちよりも上手に歌って踊れる女の子たちは山ほどいるだろう。そうした大手の芸能事務所に所属していたとしたら、まだまだデビューには程遠く、もしかしたらデビューにまでは辿り着けずに途中で挫折してアイドルになる夢を諦めてしまっていたかも知れないような女の子たちが、このN-Whiteというグループで見事にデビューを果たしているのである。そういう意味でも、このN-Whiteというグループは逆に目立つ存在であり、思わず注目したくなる要素がそこここに感じられたりもするのだ。間違いなくN-Whiteには、どこか垢抜け切っていない素朴な魅力がある。長い練習生としての下積みの期間に、Kポップ・アイドルになるための美しいルックスや見事なプロポーション、しなやかな身のこなしといったものを厳しいトレーニングの中で身につけていった、大手芸能事務所に所属するアイドル・グループのメンバーにはないような、どこかほんわかとしたムードをN-Whiteのメンバーからは感じ取れる。クールでかっこいいKポップ・アイドルには決してないような、とてもナチュラルな可愛らしさこそがN-Whiteのメンバーの魅力なのだ。そして、そこにどこか日本のアイドル的な雰囲気や特に日本のロコドル的なアマチュア感に通ずるようなものが垣間見えたりもするのである。N-Whiteから受ける印象は、T-Palette RecordsのNegiccoやTomato n' Pineあたりに非常に近いものがある。女子大生アイドル・グループが学園祭のステージで歌っているような、しっかりとトレーニングを積んだ緻密に作り込まれたティピカルなKポップ・アイドルとは異なる、本当にどこにでもいそうな普通の女の子の雰囲気が、N-Whiteの四人のメンバーからは、そこはかとなく漂いまくっているのである。そんな部分に、Kポップの世界に吹き込みはじめた新しい風のようなものを感じてしまうのだ。これはN-Whiteだけに限ったことではなく、揃いの学校の制服風の衣装で普通の女の子らしさを表出させているPlayaや上下ジャージ姿など日本のロコドルに通ずるような泥臭い話題作りに長けたクレヨン・ポップにも感じ取れるものである。Kポップの世界の外縁では、今明らかに新しい動きが胎動しつつある。地方の都市の公民館や公会堂、公園の野外ステージ、音楽堂、ライブハウス、大学のキャンパスなどから、次々とこうした素人臭く野趣にあふれるアイドル・グループが登場してくると、韓国のアイドル文化全体も裾野が大きく広がり、それが旧来のKポップの世界の勢力などといろいろ混ざり合って、もっともっとおもしろい状況が形成されてゆくことになるのではなかろうか。

そして、ここ最近はアイドル・グループだけでなくソロの女性アイドル歌手として活動する新鋭も目立つようになってきた。08年にデビューしたIUが、10年12月にリリースした“Good Day”の大ヒット以降、完全に独走状態で突っ走っている観もあったが、大ブレイクするスターが生まれるところには必ずフォロワーが現れるのも、この世界の常である。しかしながら、IUと互角に張り合ってゆくためには、相当に安定した歌唱力と類い稀なるアイドル性を兼ね備えていなくてはならない。だが、それでも韓国の芸能事務所の練習生には驚くほど上手く歌える女の子たちはいくらでもいるし、「Super Star K」などの未来のスターを発掘する素人参加型のオーディション番組からも続々と若い実力者が登場してくることもあって、実に豊かな才能を輩出する土壌が確実に存在している事実も現実としてある。
米国出身のエイリ(Ailee)は、自らの歌唱やラップを記録したYouTubeの動画が話題となったことを通じて韓国の芸能事務所、YMC Entertainmentの練習生となって、12年2月9日にシングル“Heaven”でソロ歌手としてデビューした。そして、13年11月6日にはデビュー曲“Heaven”の日本語ヴァージョンで日本デビューも果たしている。エイリの魅力は、やはりその圧倒的な歌唱力にある。そして、本場米国のソウルやゴスペルの歌唱マナーが身に染み込んでいる繊細な表現力もズバ抜けている。まさに、エイリは、その歌のすごさで先行するIUを追従する存在となっている。ただし、そのエイリをも脅かす存在が、素人参加型のオーディション番組から出現した。それが「K-pop Star」の準優勝者であったイ・ハイ(Lee Hi)である。オーディション番組での活躍で大きな話題となったイ・ハイは、大手芸能事務所のYG Entertainmentと契約し、12年10月28日にシングル“1.2.3.4”でデビューした。このデビュー曲では、まだ16歳とは思えぬ大人びた落ち着いた歌唱を披露し、その歌手としての類い稀なる才能の一端をいきなり見せつけた。そして、13年3月28日には早くもファースト・アルバム“First Love”をリリースした。ここからは、タイトル曲の“Rose”がヒットを記録している。イ・ハイはまだ年齢的にも若く、芸能事務所に所属して本格的な歌やダンスのトレーニングを受けるようになってからも日が浅い。天性の歌唱力はデビューからの記録的なヒット曲の連続で誰もが認めるところであろうが、そのプロのシンガーとしてのタレント性という部分に関しては、いまだ未知数の部分も多い。だが、それだけにダイヤの原石のようにとんでもない可能性を秘めているともいえるのである。これから、いかにYG Entertainmentが、この若き天才歌手の才能を上手に磨きあげてゆくかというところにも大きな注目が集まってゆきそうである。そして、13年5月13日には、ソロ・シンガーのZ.Heraがミニ・アルバム“Z.Hera Born”でデビューした。このミニ・アルバムからはタイトル曲の“Peacock”がスマッシュ・ヒットを記録している。Z.Heraは、小学生の頃に娘をアクション映画で活躍する女優にしたいという両親の思いを受けて中国に少林寺拳法を単身学びにゆくTVドキュメンタリーに出演しており、お茶の間では「少林少女」として少し知られた存在であった、ちょっと変わった経歴をもつ新人シンガーである。その後、本人の将来の夢は女優から歌手に変わり、現在にいたる。ただし、幼い頃に少林寺拳法を身につけるために中国へ渡ったことは決して無駄にはならなかったようである。Z.Heraは韓国語だけでなく中国語でも会話できるようであるし、非常に語学に堪能であるのかデビュー作のミニ・アルバムには“Peacock”の英語ヴァージョンも収録されている。この語学力は、これからZ.Heraが中国やアジア各国など海外の音楽シーンに進出してゆく際には、必ずや大きな武器となることであろう。そして、ちょっと変わった個性の持ち主といったら、やはりアンダミロ(Andamiro)を避けて通るわけにはいかない。アンダミロは、12年4月にシングル“Except”でデビューし、9月にはミニ・アルバム“Hypnotize”を発表、13年は7月24日にシングル“Waiting”をリリースしている。身長171センチのモデル並みのスタイルをもつ美女であるアンダミロが、ほぼ全身タイツな個性的な衣装を身にまといファンキーなエレクトロ・ディスコ曲の“Except”で歌い踊る姿は、かなりインパクトの強いものであり、このデビュー曲でいきなり一部の熱狂的な支持を獲得することになる。そうした個性的な美貌や圧倒的なパフォーマンス力といったものが国外でも高く評価されたのか、タイトル曲“Hypnotize”の英語ヴァージョンも収録したミニ・アルバム“Hypnotize”はヨーロッパの各国でもリリースされており、中国を始めとするアジアだけでなく、よりグローバルなプロモーション活動を展開する存在にすでになりつつある。エイリやアンダミロなどの例を見ても明らかであるが、個人として並外れた実力や高い資質をもつものの方が、グループとして足並みを揃えて踏み出してゆくよりも、身軽に小回りを利かせて海外へと飛び出してゆきやすい面はあるのだろう。マイク一本や本人のパフォーマンス一発で勝負できてしまうのだから。今後は、アイドル・グループだけでなく、ソロ歌手の国内外での活躍も目立ったものになってくるに違いない。IUを追随する動きの中から、どんどんとおもしろい新鋭が現れ出てくることに期待したい。

New Dawn and Fades(四)

New Dawn and Fades



8月27日、五人組グループのスピカがシングル“Tonight”をリリースした。12年にデビューしたスピカは、末っ子のジウォンでさえも、00年代後半に五少女(Five Girls)の一員としてデビューする予定(五少女のメンバーは、G.Na、シークレットのヒョソン、アフタースクールのユイ、ワンダーガールズのユビン、そしてジウォン)であったがマネージメント側の諸事情により直前で計画が流れ、その後はT-araに結成初期のメンバーとして参加したが本格的なデビューの前の選考で契約解除という波瀾万丈で紆余曲折な経歴をもつ、長年に渡って歌手デビューの夢を追い続けてきた知る人ぞ知る苦労人ばかりを集めた日陰のスーパー・グループである。表立っては知られていないが業界内では名の知れた実力派ばかりが顔を揃えているため、その歌唱のポテンシャルは群を抜いている。しかし、歌は抜群にうまいが逆にうますぎてアイドル・グループとしての可愛らしさには欠けてしまっているのか、全員が苦労人ばかりであり平均年齢が二十代半ばと少し高めなところがアイドル・グループとしてのフレッシュさに欠けるのか、12年はデビューとともにリリース攻勢をかけ二枚のミニ・アルバムと一枚のリパッケージ盤、その他にも配信シングル曲などを次々と発表しまくったのだが、一部の熱狂的なファンは獲得できたものの、いまいちパッとした結果に結びつくことはなく終わった。そこで13年のスピカは、早くもKポップの世界の崖っぷちに立たされている状況からの巻き返しを図るべく、その道の達人の門を叩いたのだ。シングル“Tonight”の総合プロデューサーに元Fin.K.Lのイ・ヒョリを迎えて、五人はアイドル道のイロハを一から学び直したのである。実際のところは、両者は同じB2M Entertainmentに所属する先輩と後輩という関係であり、なかなか確かな芽が出てこないスピカの新曲のプロモーションに梃入れをするためにKポップ界の大御所の威光が拝借されたわけである。ただ、このインパクトのあるプロモーション戦略が功を奏したのか、“Tonight”はスマッシュ・ヒットを記録し、スピカはKポップの世界の崖っぷちに踏み止まることに成功した。有り余るほどに歌唱に実力があり、元五少女のジウォンを筆頭にルックスも決して悪いわけではないスピカ。何かきっかけさえ掴むことができれば、Kポップの世界のメイン・ストリームにどっかりと腰を落ち着ける存在になってしまうことも決して不可能ではないはずである。

13年にブレイクしたKポップ・アイドル・グループといえば、やはり真っ先に名前が挙がるのはクレヨン・ポップであろう。6月20日、配信シングル曲として“Bar Bar Bar”をリリースし、これがジワジワと話題になり、7月末から8月にかけて突如猛烈な勢いで熱い支持を集めはじめて、プチ社会現象となるような大ヒットを記録してしまった。クレヨン・ポップのメンバーが“Bar Bar Bar”のMVで見せた、五人が横一列に並び三人と二人ずつ交互に垂直ジャンプする通称「直列5気筒ダンス」のおもしろさが噂になり、遂にはYouTubeなどの動画投稿サイトに世界中からカヴァー・ダンスの動画が殺到するというような事態にまで発展したのである。アイドルのブレイク現象には、どこで火がつくかわからない部分が確実にある。12年春にデビューした五人組グループは、そのデビューの時点から日本と韓国の両国でプロモーション活動を開始していた。ただし、そのデビューは決して華々しいものではなく、日本でのプロモーションも大々的なKポップ・アイドルの日本進出といったものとは程遠い誰もクレヨン・ポップというグループのことを知っている人はいない状況からの非常に地味な武者修行的な形のものであった。その12年には韓国において二枚のミニ・アルバムをリリースし、日本と韓国を行き来して手探り状態のプロモーション活動を続けながら、次第にクレヨン・ポップは、日本における地下アイドルやローカル・アイドル(ロコドル)の方法論やセールス戦略にも通じるようなストリート・プロモーションのスタイルやグループとしてのコンセプトなどを身につけてゆくようになる。そして、日本の女子高生の短い制服のスカートの下にジャージを穿く独特のファッションなどを目敏く衣装に取り入れて、Kポップ・アイドルとしては斬新な日本的なカワイイの感覚をネタ的に吸収してみたり、都会的なアイドルの様式を田舎の感覚の中で意識的に再構成する日本のロコドルのメタ的な性質を盛り込んでみたりと、Kポップの世界では全く前例のないような、とても風変わりなスタイルを打ち出す少々主流から逸脱した変わり種アイドルという位置づけへとぐいぐいと貪欲に食い込んでいったのである。また、ソウルの繁華街を揃いのジャージ姿で大きなラジカセで楽曲を流しながら練り歩き、街角のありとあらゆるスペースで路上ライヴを行う、ゲリラ・プロモーションの模様など、知名度向上のために奮闘する五人の映像をYouTubeで次々と公開したりと、話題作りの積み重ねもその裏で休みことなく地道に続けられていた。そんなグループがブレイク・スルーする下地が徐々に出来上がりつつあったところに登場したのが、シングル“Bar Bar Bar”であった。そして、あのMVで話題となりTVの音楽番組でも繰り返し披露された「直列5気筒ダンス」によって、クレヨン・ポップの底抜けのおもしろさが韓国のお茶の間でようやく広く発見され、その人気に一気に火がついたのだ。クレヨン・ポップのような、まさに新進気鋭のアイドル・グループが、様々なメディアにまたがった多方面に展開される新しい形のプロモーションを通じて、これまでにはなかなかなかったようなブレイクを成し遂げた例は、Kポップの世界では全く新しいものであるといえる。業界の周縁に追いやられている地下アイドルが精一杯に知恵を振り絞りながら戦国時代的な状況の中で奮闘して這い上がってゆく(かなり日本的なスタイルの)方法論を、旧来の歌謡界の様式や慣例が色濃く残り続けていたKポップのフィールドに持ち込んで、鮮やかにクレヨン・ポップ流に実践してみせてしまったのである。そういう意味でも、クレヨン・ポップがデビュー時から果敢にそれまでの常識の枠から飛び出して日韓で同時にプロモーション展開をしたことは、決して無駄なことではなかったといえるだろう。今後は、そうしたクレヨン・ポップの新しいブレイクへの道を追従する、型にはまったスタイルにとらわれずに、日本の地下アイドルやロコドルの販促方法や収益のあげ方を積極的に取り入れたり、より斬新なプロモーションのアイディアを凝らした活動を展開するグループが、次々と登場してくることになるのかも知れない。これは非常に楽しみだ。Kポップの世界の未来に、クレヨン・ポップを遥かに凌駕する、いかなる変わり種アイドルが現れることになるのであろうか。

2月13日、レインボーがファースト・アルバム“Rainbow Syndrome”をリリースした。だが、ここで発表されたのは、アルバムの前半部となる“Rainbow Syndrome”のPart 1であり、実際の形式としては全六曲を収録したミニ・アルバムであった。そして、このPart 1からはタイトル曲の“Tell Me Tell Me”がスマッシュ・ヒットを記録している。これは、レインボーにとって11年6月にリリースしたミニ・アルバム“SO 女”のリパッケージ盤“Sweet Dream”以来の、約一年八ヶ月ぶりのリリース作品であり、久々のアイドル・グループとしての歌って踊るまとまった活動であり、そしてヒット曲であった。この約一年八ヶ月にも及ぶ空白の期間には、メンバーのうちのスンア、ジスク、ヒョニョンの三人トリオによるサブ・グループ、レインボー・ピクシー(Rainbow Pixie)としての活動や、日本での三枚のシングルとアルバム“Over the Rainbow”のリリースなどもあった。しかし、韓国においては、レインボーとしてのリリースは全くなく、この艶やかで華やかなイメージに包まれていた七人組グループは完全にKポップの世界から姿を消してしまっていたといってもよい。その存在感だけでオーディエンスを圧倒し歓喜させることができる大物アイドル・グループであれば、なんだかんだで一年ほど空白があったとしても待望の新曲を発表してカムバックを果たせば、その多くのファンがジリジリと焦れるように待ちわびていた分だけ熱狂的に迎えられるということもあるだろう。だがしかし、やはりこれほどの長い空白期間というのは、どんなに大物であったとしても、次々と新人がデビューし、毎週のようにアイドル・グループが新曲を発表する、目まぐるしく動き続けるKポップの世界においては、ほぼマイナスの要素しかないものと思われる。6月5日には、ファースト・アルバム“Rainbow Syndrome”の後半部となるPart 2が、全七曲を収録したミニ・アルバムの形式でリリースされた。そして、このPart 2からはタイトル曲の“Sunshine”がスマッシュ・ヒットを記録している。このアルバム“Rainbow Syndrome”に収録された楽曲は、いずれも瑞々しくフレッシュなサウンドのものとなっており、ポップでダンサブルな楽曲を得意とするレインボーらしさが溢れかえっているものばかりだ。そこには、長いブランクの影響は微塵も感じられない。その盛り沢山な内容の全十三曲の新曲群は、かつてのレインボーよりさらに一段高いレヴェルにステップ・アップしたクオリティをまざまざと感じさせもする。13年のレインボーは、アルバム“Rainbow Syndrome”のリリースによって太陽のように明るく溌剌とした魅力を振りまき、美しさと可愛らしさを併せもった七人組の完全復活を強く印象づけた。09年11月、ミニ・アルバム“Gossip Girl”でデビューしたレインボーは、デビューから四年目でようやく待望のフル・アルバムのリリースにまで漕ぎ着けることができた。だが、そのアルバムを前半と後半のPart 1とPart 2に分割し、二部構成という形で発表したことには、少しばかり妙に腑に落ちない部分も残る。これでは、二枚のミニ・アルバムを約四ヶ月の合間を置いてリリースしたのと同じことであり、これまでの“Gossip Girl”や“SO 女”などのリリースと形態的には変わりがなく、どうも待望のファースト・アルバムをリリースしたというフレーズと実際に受ける感覚との間には微妙に隔たりがあるようにも思えるのである。なぜ、アルバム“Rainbow Syndrome”は、Part 1とPart 2に分割されたセパレートなリリース形態となってしまったのであろうか。長いブランクを置いての久々のリリースであったため所属事務所のDSP Mediaが、一枚のアルバムで出すことに二の足を踏んだということなのであろうか。すっかりKポップの世界から消えてしまっていたレインボーが、ただ普通にアルバムをリリースしたとしても、新人から大御所までの多くのアイドル・グループによるリリース作品がひしめき合う状況を前にしてはアッサリと埋もれてしまう可能性がある。そうした、せっかくのレインボーの復活作があまり注目を集めずに簡単にスルーされてしまう危険性を敢えて回避するために、ひとつのアルバムをPart 1とPart 2に分割して非常に珍しいセパレートなリリース形態としたということか。こうした理由で一枚のアルバムとしてリリースされなかったのだとしたら、しばらくブランクのあったレインボーのアルバムは、現在のKポップの世界においては最初から苦戦することが予想され、華々しい成功からは程遠いと思われていたということなのだろう。所属事務所の判断では、それほどまでにこのグループがもつセールス・ポテンシャルに対する信頼が薄れてきてしまっていたのであろうか。もしくは、長いブランクの間に評価が下落してしまったという状況分析であったのだろうか。いずれにしても、アルバム“Rainbow Syndrome”のリリースに関しては、かなり弱気なマーケッティングがなされていた雰囲気が濃厚に漂ってもいる。ただし、ミニ・アルバム二枚を少し間を置いて連続でリリースする形式の方が、レインボーというグループの復活やそのアルバムに対して関心や興味をもたれる機会が増え、それが少しでも多くのセールスにつながってゆく可能性があると考えることもできる。アルバムとしてはひとつの作品であるが、実際のリリースとしては二作品に分けられていることで、そこに“Tell Me Tell Me”と“Sunshine”という複数のタイトル曲が結果的に生じ、“Tell Me Tell Me”が終わったら次は“Sunshine”と、ほとんど合間を置かずにアルバム“Rainbow Syndrome”の楽曲を数々の音楽番組に出演してパフォームする、長期間に渡ったプロモーション活動が可能になるのである。メディアでの露出度が期間的にも頻度的にもアップすれば、それだけ宣伝効果も向上してゆくことになるだろう。だがしかし、このアルバム“Rainbow Syndrome”には、そうしたセールスのための戦略としてのセパレート・タイプでのアルバム・リリースであったとは思えない面までも見えてくるものがある。そこには、ただ単にアルバムを前半部と後半部に分割して二枚のミニ・アルバムとしてリリースしただけではない、リリース側の複雑な態勢による役割分担といったようなものが透けて見えていたりもするのだ。アルバム“Rainbow Syndrome”のPart 1とPart 2には、どうにも捩じれた裏事情のようなものがありそうなのである。アルバムのリリース元は所属事務所のDSP Mediaであるのだが、それぞれの作品の制作や流通に関しては、Part 1をCJ E&Mが、Part 2をLOEN Entertainmentが別個に手がけている。これは、レインボーというグループのリリース活動に関しては一本に絞ってストレートに進めることのできない何か契約上の制限でもあるのではないかと勘繰りたくもなってくる形式である。どう見ても何かここには捩れたものがある。もしかすると個々のメンバーの所属事務所やレコード会社とのタレント契約や活動契約の形態に関しても、そうした交錯し捩じれたものが存在しているのではなかろうか。それによりそれぞれの契約内容を調整してゆく必要があり、グループとしてのまとまった活動が長い期間に渡りできなくなってしまっていたのではないかとも考えられる。おそらくはそうしたことはないのかも知れないが、事あるごとに様々な裏側の問題でゴタゴタし続けているDSP Mediaであるから、何があったとしてもおかしくはないと疑念を抱いてしまう部分も残念ながらあるのである。そうしたどうにも問題含みなDSP Mediaに所属するレインボーであるが、はたしてこの七人組グループにはいかなる未来が待ち構えているのであろうか。個々のメンバーのレヴェルが総じて高くバランスが取れておりアイドル・グループとしてのポテンシャルには申し分ないものを有していても、それを有効に何の制約もなく活かす場所がないのでは如何ともしがたい。そのあたりに明らかにレインボーのディレンマがある。そう考えると、KARAのニコルの意見ではないが、レインボーというグループがそのまま別の事務所に移籍した方が、この七人がもっている能力を、よりよく発揮することができるのではなかろうか。DSP Mediaに所属していることで、その光り輝く才能を無駄に消耗させてしまうのは非常にもったいない気もするのである。13年に変則的な形ではあったが、遂に韓国においてもファースト・アルバムをリリースし、そこから二曲の久々のヒット曲を放ったレインボー。この内容的には非常に充実していた作品を足がかりに、約一年八ヶ月の遅れを取り戻すような今後の巻き返しが期待される。だがしかし、所属事務所のDSP Mediaが、14年春以降にメンバーの交代の可能性が大きい新生KARAの活動に全力をあげて集中してしまうようなことがあると、またレインボーが開店休業のような形で放置されてしまう怖れもなきにしもあらずだ。なんというタイミングの悪さであろうか。念願の復活を果たしたと思ったら所属事務所の先輩グループの契約をめぐる騒動の余波を受けて、先行きが不透明になってしまうとは。レインボーとは、そうした悪い星のめぐりの下に生まれついてしまったグループなのであろうか。このまま00年代から10年代にかけてのKポップ・ブームに乗り切れそうで乗り切れなかった悲劇のガールズ・グループとして人々の記憶の片隅に残り続けることになってしまうのであろうか。じっくりと浮上のタイミングを待って二年近いブランクを跳ね返して復活する脅威の粘り腰をもつ実にタフなグループであるだけに、まだまだレインボーの七人は決して諦めずに、Kポップの世界に食らいつき続けてゆくに違いない。彼女たちには、すでに実績は充分にある。また、海外での知名度や人気もある。そして、日本での活動歴もアルバム・リリースもある。あとは、もうひとつ大きなヒットを放って、最後の壁を突き破るだけなのであろう。レインボーにもブレイク・スルーの可能性は多いに残されている。ただ、それを可能にするのも潰えさせてしまうのも、ある意味ではDSP Media次第であるのは、この七人組グループにとって幸運なことなのか不運なことなのか。その答えは、今はまだ皆目見当もつかない。

13年、遂に本腰を入れて巻き返しをかけてきたのがナイン・ミュージスである。1月24日、シングル“Dolls”をリリース。これは前作のミニ・アルバム“Sweet Rendezvous”からの“Ticket”以来となる約十ヶ月ぶりの新曲であった。この“Dolls”のヒットの後を受けて、5月9日にはミニ・アルバム“Wild”をリリース。この作品からはタイトル曲の“Wild”がスマッシュ・ヒットを記録する。そして、10月9日には遂にファースト・アルバム“Prima Donna”をリリースした。このアルバムからは、タイトル曲の“Gun”がスマッシュ・ヒットを記録している。これは、10年8月にシングル“Let's Have a Party”でデビューしたナイン・ミュージスにとっては活動四年目にして初のアルバム・リリースとなった。シングルにミニ・アルバムにフル・アルバムと三作品の怒濤の連続リリースでヒット曲を連発したナイン・ミュージスだが、これはどう見ても本気の猛チャージである。所属事務所のStar Empire Entertainmentは、間違いなくここが勝負の分かれ道だと読んで、短いインターヴァルで作品を送り出し、このハイ・レヴェルなルックスと実力を兼ね備えた九人組グループをメディアに登場させ続けることで、人気爆発へとつながるブレイク・スルーへの階段を駆け上がらせようとしている。10年のデビュー当時、そのグループのネーミング通りの少女時代に匹敵する九人の大所帯なメンバー構成とアフタースクールに対抗するようなメンバー全員の身長が170センチ以上というモデル顔負けのルックスとプロポーションを誇るというコンセプトが話題となり、Kポップの世界で大いに注目を集め、まさに大型グループとしてその活躍が期待されていた。しかしながら、実際にデビューして活動を開始してみると、アイドル・グループ以外の芸能活動に専念するなどの理由で脱退者が相次ぎ、なかなか正式なメンバーが定まらず暫定的に七人組グループとして活動する期間がしばらく続いていた。だが、12年のミニ・アルバム“Sweet Rendezvous”のリリース以降にようやく態勢を建て直し再び九人組グループとして活動してゆく目処がたったようだ。そして、13年1月のシングル“Dolls”のリリースからナイン・ミュージスは、その名の通りの九人組グループとしての活動を再開している。そんな13年のナイン・ミュージスは、まさに九人のモデルドル(モデル+アイドル)たちによる猛烈なパワーと圧力で“Dolls”、“Wild”、“Gun”という連続ヒットを送り出し、Kポップの世界に怒濤の攻勢をかけたといえる。音楽面やパフォーマンスの面では、どちらかというと可愛らしさよりもクールでスタイリッシュな女性的な魅力を前面に出す、ひとつのKポップ・アイドルの系譜をグループのコンセプトとして消化して継承し、それを最も洗練されたスタイルで打ち出しているのが、現在のナイン・ミュージスである。そこには、まさに有無を言わせぬ完成度の高い美を打ち出すKポップらしさが充満しており、圧倒的なまでの説得力をもって押し迫ってくるものがある。活動初期にはメンバーが定まらず少々躓いてしまった観もあったが、そこから盛り返して、粘り強く時期が来るのを待って再浮上してきたナイン・ミュージス。その浮上のひとつの要因としては、ヒット・メイカーであるSweetuneの手がける楽曲も大きく関与していると思われる。ハン・ジェホとキム・スンスのコンビからなるプロデューサー・ティーム、Sweetuneは、11年8月に発表されたシングル“Figaro”以来、一貫してナイン・ミュージスのプロモーション活動曲の制作を手がけてきている。ナイン・ミュージスは、華やかでダンサブルでキャッチーなポップスとしてのクオリティの非常に高い、この天才コンビによる楽曲でヒットを連発し、快進撃を続けて、13年には遂にKポップの世界のど真ん中にまで躍り出たのである。これまでにもSweetuneは、“Mister”、“Lupin”、“Jumpin'”、“Step”といった一連のヒット曲の制作を手がけてKARAの大ブレイクの影の立役者となっている。そんな世界的な視座で見たとしても現在のポップ音楽の世界でこのコンビに勝る鋭い才能はおそらくそうはいないだろうと思われるSweetuneが、ほぼ専属プロデューサーのような形でナイン・ミュージスの楽曲に携わっていることは、やはりただごとではない。また、その事実の裏を返せば、所属事務所はブレイク請負人でもある超一級のプロデューサーによる超一級品の楽曲をリリースの度ごとに準備して、常に万全の態勢で売り出しているのだから、それ以降のことは、もはや全面的にナイン・ミュージスというグループのメンバーがもつスターとしてのポテンシャル次第であるともいえる。13年9月にもSweetuneが手がけた“Damaged Lady”でヒットを放っているKARAが、メンバーの脱退騒動などによりひとつの大きな変節の時を迎えようとしている今、再び九人のメンバーが揃いデビュー四年目にして最も良い状態で活動を行っているナイン・ミュージスが、まさにKARAというダイナスティに勝負を挑むかのようにSweetuneによって制作された優れた楽曲でヒットを連発し、さらなる上のレヴェルへと浮上してゆこうとしている。この快進撃が14年にも継続されてゆくようであれば、Kポップの世界全体でも連鎖的にいろいろなものがひっくり返ってゆく可能性は大である。Sweetuneによる華やかな楽曲で00年代以降のKポップにおけるひとつの完成形を作り上げたKARAの路線を受け継ぎ、それを九人組グループという利点や特性を活かして骨太にヴァージョン・アップし、10年代のKポップの世界のメイン・ストリームに食い込んでゆくことをナイン・ミュージスは狙っている。そのための下準備は、13年の三曲の連続ヒットでほぼ完了した。14年のナイン・ミュージスが、どのような飛躍ぶりを見せつけてくれるのか、非常に楽しみである(※)。

New Dawn and Fades(三)

New Dawn and Fades



13年は、Kポップ・ブーム第一世代に属する大物グループたちに代わって、その後継の第二世代とも呼べそうな新世代のグループたちが、Kポップの檜舞台の中央にわらわらと押し寄せてきた一年であった。これらのグループたちは、00年代後半の空前のブームにより、すでにKポップ人気というものがしっかりと根付き定着していた10年以降にまるで雨後の竹の子の如くデビューしている。業界のフロント・ランナーである大手芸能事務所が送り出してくる強力にプロモートされるアイドル・グループが、ほぼ出揃った後で、この第二世代のグループ群が、それらの巨木の間隙を縫い隙間を埋めるかのように次々と芽吹いてきたのである。最初は、どれもこれも小粒な存在であり、大木の根元で根強く生き残ってゆくには貧弱すぎるように見えた部分もあった。だが、その新世代の中から、粘り強く着実に活動を続けて、次第に枝葉を伸ばし始める存在が、数年が経ってようやく現れるようになってきたのだ。第二世代の小物たちから見れば怪物並みに巨大な大物グループの足許で、うろちょろするだけであった状態から、少しずつ実績を積み重ね成長を遂げ、ささやかではあるが人気に支えられて花を咲かせ、その存在を大きく誇示できるまでになりつつある。そんな第二世代の台頭の兆しが、はっきりと目に見える形で実感できるようになってきたのが、13年のKポップのシーンであった。かつては下の方でちょろちょろしていたちっぽけな存在たちが、今では人気の面も実力の面でもかなり高い位置にまで這い上がってきており、もはや十二分に先行世代の代わりを務められるほどの存在にまでなりつつあるのである。

13年3月、ガールズ・デイが待望のファースト・アルバム“Expectation”をリリースした。この“Twinkle Twinkle”や“Hug Me Once”、“Oh! My God”、“Don't Forget Me”といった、これまでのヒット曲の数々を収録したアルバムからは、タイトル曲の“Expectation”がヒットを記録している。そして、その三ヶ月後の6月にはリパッケージ・アルバム“Female President”がリリースされ、ここからはタイトル曲の“Female President”がヒットを記録した。また、この楽曲でガールズ・デイはSBSの音楽番組、Inkigayo(人気歌謡)のにおいてグループ史上初の第一位を獲得してもいる。10年7月に“Tilt My Head”で五人組グループとしてデビューしたガールズ・デイであったが、デビューして間もなく二名のメンバーがグループから脱退するという緊急事態に見舞われた。その後、ユラとヘリの二人の新メンバーがグループに加入し、再び五人組グループに戻る。しかし、12年10月にはデビュー時からのメンバーであったジヘがグループから脱退し、現在は四人組グループとして活動している。デビュー当初から大きなメンバーの交代があり、まさに前途多難な船出であったが、ガールズ・デイというグループは、そうした苦境を常に笑顔と弾けるような明るさで元気に乗り越えてきた。10年10月に発表された新メンバー加入以降の再始動曲となった“Nothing Lasts Forever”では、典型的な2NE1フォロワー的スタイルでスマッシュ・ヒットを放ち、一部で高い評価を得る。しかし、11年3月にリリースした“Twinkle Twinkle”では、前曲のクールでかっこいいイメージから一転してキャピキャピとかわいらしい女の子的なコンセプトを大々的に打ち出すことになる。この時期にはまだ所属事務所としてもガールズ・デイというグループの売り出し方に関して、非常に大きな迷いがあったように思われる。突然のメンバー交代などがあってグループの個性が定まらず、デビュー当初に構想していたグループのコンセプトとは全く一致しなくなってきてしまっていた部分もあったのだろう。この時期のガールズ・デイはまだグループとしても大いにブレていた。Kポップ・ブーム第一世代の功績から何とかネタを得て、よろよろと手探りで進んでいたようなところがあったのだ。だが、ほとんどお子様向けポップ・ソングとしても通用しそうなガーリーな可愛らしさを分かりやすくコテコテに打ち出した“Twinkle Twinkle”が、この年の春を代表するスマッシュ・ヒットとなったことで、ガールズ・デイとしてもひとつ吹っ切れたような節が確かにあったのである。これ以降は、この妙に押しの強い独特のコミカルさをもつカワイイ路線を軸として突き進んでゆくことになる。そして、そうした流れの中で誕生したのが、“Hug Me Once”、“Oh! My God”といったヒット曲であった。その後、二度目のメンバー脱退という突然の緊急事態を無事に乗り越えて、13年春に遂にファースト・アルバムのリリースにまで漕ぎ着けた四人は、このアルバムから“Expectation”と“Female President”というガールズ・デイらしい非常にアクの強いカワイイを凝縮させたヒット曲を立て続けに放つことになる。そして、あのデビュー時からごたつき前途多難な船出をしたガールズ・デイは、独特なグループの個性を全開にした連続ヒットの勢いにのって遂にKポップ界の頂点にまで登り詰めることに成功した。こうして、ガールズ・デイはデビューから四年目にして、ようやく大きく飛躍することができた。デビュー当初から様々なスタイルをこなすことができ、グループとしてのポテンシャルにも高いものがあった。だが、そう簡単にKポップの世界はガールズ・デイというグループの前に真っ直ぐに進む道を開くことはなかったのである。しかし、数多の苦労と苦節を踏み越えて大きく回り道をしながら、幾つもの小ブレイクの実績を積み重ねてきた上で掴んだ成功だけに、現在のガールズ・デイには並々ならぬ安定感が備わっているようにも見える。この成功の裏側には、今や二人のみとなってしまったオリジナル・メンバーのソジンとミナの強固な意地と忍耐と踏ん張りが存在していたであろうことは、想像に難くない。この二人の何としても少しでも上のレヴェルへと這い上がろうとするガッツによって、現在のガールズ・デイがあるといっても過言ではないだろう。いつも笑顔で元気いっぱいのガールズ・デイであるが、その肚はしっかりと据わっている。だからこそ、ガールズ・デイは強いのである。

6月20日、六人組グループのダル・シャーベットがミニ・アルバム“Be Ambitious”をリリースした。そして、このミニ・アルバムからは、タイトル曲の“Be Ambitious”がヒットを記録している。また、この作品では、メンバーのカウン、ジユル、セリが、個別に“Summer Break”、“Hey Mr. Chu~♥”、“Let It Go”という収録曲の作詞に携わり、12年に加入した新メンバーのウヒはミニ・アルバムのクロージング・ナンバー“Maybe”においてひとりで作詞と作曲を手がけるなど、それぞれに多才な一面を垣間見せている。こうしたグループのメンバーが、作品の制作に携わってゆく事例は、これからも増加してゆくのではなかろうか。ファンは、Kポップのアイドルに歌って踊るだけではない、従来のアイドル像のさらに上をゆくプラスαな部分を求めてもいる。上手に歌えて美しく踊れるということは、すでにKポップ・アイドルにとって当たり前のようにクリアされていなくてはならない段階であるのかも知れない。その上で何ができるかという部分が、アイドルやスターに求められる重要な条件となってくるのではなかろうか。

4月23日、七人組グループのエイ・ピンクからメンバーのユギョンが脱退することが突如発表された。脱退の理由は、学業に専念するため。ユギョンは、メンバーの中でも最もグループのコンセプトである清楚で上品なお嬢さま系のイメージに合致したキャラクターの持ち主であったため、この突然の脱退に対しては惜しむ声が多く寄せられた。そして、やはり所属事務所とユギョン(の家族)の間に待遇など契約条件をめぐって確執があり、それが拗れた末のグループ脱退であったというような憶測が乱れ飛ぶことにもなった。すでにユギョンは芸能活動から身を引いてしまっているため、何が真相であったのかは今後もおそらくは明らかにされることはないであろう。本当にひとりの大学生として将来の目標に向けて勉学に集中するためであったのかも知れないし、もしかすると所属事務所のA Cube Entertainmentとの間に契約をめぐって何かしら問題があったのかも知れない。そして、このユギョンの脱退は、ほかのエイ・ピンクのメンバーたちにとっても突然降って湧いたような大事態であったであろう。12年5月にファースト・アルバム“Une Année”を発表し、13年はさらに上の段階へとステップ・アップしてゆくことを全員で目標としていたはずである。しかし、そこから全く予想だにしていなかった離脱者が出てしまった。かなり強いショックを受けたメンバーもいたに違いない。だが、エイ・ピンクにそこで立ちすくんでいられる時間はなかった。厳しいKポップの世界を生き抜くアイドル・グループとして、予め定められたスケジュール通りに前に進んでゆかなくてはならなかったのである。そして、エイ・ピンクは、そのまま新たに六人組グループとして活動を継続し前進してゆくことを選択した。7月5日、ミニ・アルバム“Secret Garden”がリリースされる。この作品では、六人のメンバーのナチュラルな魅力と飾らぬ可愛らしさをより前面に押し出し、清純派の王道アイドルとしてのスタイルをがっちりと押し進めるような楽曲群を聴くことができる。また、11年に“My My”を手がけているシンサドン・ホレンイ(新沙洞の虎)をプロデューサーに迎えたタイトル曲“NoNoNo”は、そのポップで親しみやすい曲調もあって音楽番組での第一位を獲得するほどのヒットを記録している。13年のエイ・ピンクは、突然のメンバーの脱退というグループとして初めて直面することとなった大きな障害による危機的状況をたくましく乗り越えて、より高く大きく羽ばたくことに成功した。この山あり谷ありな数ヶ月間の各メンバーのエイ・ピンクとしての活動への集中度からは、まだまだこのグループが大きく成長してゆく可能性を大いに秘めていることを直感させられた。七人組から六人組になって初めて発表した楽曲であった“NoNoNo”のパフォーマンスでは、メンバーが一人減ったら一気にこぢんまりとしてしまったと思われてたまるかという気概と正統派アイドルとしてのプライドが、その歌からもダンスからもビシビシと放たれていたのである。このエイ・ピンクの六人は、まだまだ上のレヴェルを目指して貪欲に成長を続けてゆくはずである。

5月2日、六人組グループのハローヴィーナスがミニ・アルバム“Would You Stay For Tea?”をリリースした。このミニ・アルバムからは、タイトル曲の“Would You Stay For Tea?”がヒットを記録している。そして、そのヒットの余韻も冷めやらぬ6月22日には、ソウルの西江大学の講堂においてハローヴィーナスのファースト・コンサートが開催された。この大盛況に終わったコンサートの模様は、8月13日にライヴ・アルバム“Hello Venus Live Album 2013”という形で配信のみではあるが正式にリリースされている。これは、前売りチケットが発売と同時に完売し、翌6月23日の追加公演のチケットも即日完売となってしまったため、コンサートを見たくてもコンサート会場に入れなかった多くのファンのための緊急措置的なリリースでもあった。12年のデビュー以来、これまでに三枚のミニ・アルバムをリリースしているハローヴィーナスであるが、今のところまだフル・アルバムは一枚も発表していない。そんな駆け出しのグループが、いきなり追加公演のおまけまでついたソロ・コンサートを開催し、それを成功させ、正規のアルバムの前にライヴ・アルバムをリリースしてしまったのだから、これはちょっとした事件である。まさにハローヴィーナスは、新韓流Kポップ・アイドル第二世代ならではの新しい試みを実践しているグループだといえる。こうした、これまで通りの常道を敢えてゆかずに、あまり新奇すぎない手法で新鮮さと特異性をアピールしてゆく試みは、13年のハローヴィーナスの存在を際だたせることに十二分につながったといえる。ハローヴィーナスは、歌の面でもダンスの面でも衣装の面でも特にこれといった奇抜なことを試みることはない。これは、どこにでもいる普通の女の子のような親しみやすいグループの個性やコンセプト(とはいっても、六人のメンバーは全員がモデルか女優のような卓抜したプロポーションや可愛いルックスの持ち主であり、そうそうそのへんにいるような雰囲気ではないが)に沿ったものでもある。よって、通常のグループの佇まいとしては普通の女の子っぽさからは決して逸脱することがない分だけ、コンサート開催や定石通りではないリリースなどの実地の活動を通じて、より近くに感じられるアイドル・グループとしてのハローヴィーナスならではの独自性を発揮させてゆく方向へと進んでいったのであろう。ある意味では、この選択はとても正しいものだといえる。ここ最近のKポップの世界のゆっくりと大きく動き出している時流の中では、とにかく何かを実際に(的確に時節を読んで効果的に)アピールしてゆくことが何よりも大切なのである。

この11年にデビューしたダル・シャーベットとエイ・ピンクの二組と12年にデビューしたハローヴィーナスは、これまでコンスタントにヒットを飛ばし続けており、順調に活動実績を積み重ね、すでにKポップの世界において一定の地位を築きつつある。後は、その人気を内外で決定的なものとする強烈に印象的なヒット曲の登場を待つばかりだ。ただし、この最後の分厚い壁を打ち破るのが、最も困難な作業であるのかも知れない。だが、この各メンバーの個性もルックスもグループとしてのポテンシャルも非常に高いものをもつ三組であれば、その可能性は十二分にあるはずである。

New Dawn and Fades(二)

New Dawn and Fades



13年は、こうしたKARAに訪れた大きな変節の到来に代表されるように、Kポップ界におけるひとつの時代の移り変わりと世代の交代の流れが、あちこちで顕在化する段階に突入しはじめた一年であったように思われる。かつて新韓流といわれた韓流第二世代(Kポップ・ブームの第一世代)と、それに続いて登場したKポップの第二世代の面々が、華やかな舞台の上で緩やかに入れ替わってゆこうとしている。00年代後半に次々と挙ってデビューし新韓流というKポップ・ブームの立役者となったアイドル・グループたちは、その高い人気と拡大する支持層や支持範囲に呼応するように韓国国内の歌謡界だけでなくアジアの各国においても並行して活動を行い積極的な海外展開を繰り広げるようになってきている。そして、それらの海外においても大きな成功を収めているグループは、その実績から韓国国内の歌謡界においてはワン・ランク上の大物と暗黙のうちに選別され、それなりの敬意を払われるとともに、海外でのプロモーション活動やイヴェントやコンサート開催の合間をぬって、年に一度か二度だけしか本国での本格的な活動ができなくなってきてしまっていたのが、昨今の状況であった。
KARAの場合は、11年には9月にアルバム“Step”をリリースしたのみであり、12年には8月にミニ・アルバム“Pandora”をリリースしたのみ、そしてまたそのちょうど一年後となる13年9月にアルバム“Full Bloom”をリリースするといった状況であった。韓国で五人のメンバーが揃ってKARAとしてのまとまった芸能活動を表立って行うのは、ここ数年は常に年に一度のみのことであり、それもたった数週間の新作のプロモーション期間だけという形になってしまっていたのである。その間に、日本では年に二枚~三枚のシングルをコンスタントに発表し、アルバムも毎年欠かさずに一枚ずつリリースしている。また、それとともに日本ではKarasiaと題したアリーナ級の会場を巡る大規模なコンサート・ツアーを12年と13年に行ってもいるのである。KARAというグループとしてのまとまった活動としては、本国においてよりも日本やアジア諸国の海外における活動の方が、比重としては格段に大きくなってきていたのである。ただし、こうした活動の領域の広がりは、21世紀に入りグローバリゼーションと本格的なソーシャル・ネットワーキングの時代となった00年代に国際的な人気を獲得したKポップ・アイドル・グループとしては、決して避けては通れぬ宿命的なものであったともいえるのだろう。
00年代後半にデビューしたKポップ・ブーム第一世代の成功組が、Kポップの世界のど真ん中に君臨し居坐り続けてきた勢力地図に段々と変化が見られるようになってきている。それが、大きな岐路に立たされることになったKARAに象徴されるような13年の特徴的な動きのひとつであった。新旧のふたつの層が、ゆっくりと大きく動き、全体的に静かに揺らぎながら、撹拌されるように入れ替わりはじめている。最上の階層に巨大なネーム・ヴァリューを盾に胡座をかき続けてきた一握りのトップ・アイドルたちが、国内での芸能活動の比重を減じてゆかざるを得なくなっていることで、その背中を追いかけ続けてきたフォロワーたちの目の前には、それまでの頭打ちな状況を脱する絶好の兆しが見えはじめているというのが、10年代初頭のKポップ界の状況でもある。

ブームを作り上げたトップ・アイドル・グループは、むしゃらに覇を競い合って先頭を引っ張ってゆく牽引車的な存在から、そのギラギラした部分を抑え少し引いて二列目に控えながらも大物の存在感を発揮する存在になりつつある。それによって、Kポップのシーンは上方から全体的な流れをみている限りは、かなり緩やかなものになってきているといえるのかも知れない。まずは、13年の大物グループの少しずつ変化しつつある活動の状況をチェックしてゆきたい。

1月1日に四作目のアルバム“I Got a Boy”をリリースした少女時代は、韓国でのアルバムのプロモーション活動が終了するとともにGirls & Peaceと題した約三ヶ月にも及ぶ日本各地を回るアリーナ・ツアーを行い、その後はすぐにGirls & Peaceのコンサートを韓国、台湾、インドネシア、シンガポール、香港にて開催する大規模なアジア・ツアーに取りかかっている。13年の少女時代は、韓国でのアルバムと日本での二枚のシングルのリリースがあったものの、ほぼアジア各国でのライヴ・コンサートを中心に活動したといってもよいであろう。これは、彼女たちがアジア各国で安定した高い人気と集客力を誇っているということの証でもある。アジアの多くのファンたちと直接触れ合う機会をもつためには、やはり国境を越えて広範囲を巡って一ヶ所で複数回の公演を行う規模の大きいコンサート・ツアーを企画してゆくしかない。こうしたツアーは、準備期間も含めると数ヶ月から半年近くかかるものにもなる。よって、少女時代は、Kポップのアイコン的存在でありながら、かつてのように韓国国内のKポップのシーンに頻繁に登場することは困難になりつつあるのである。もはや、韓国だけにとどまらぬアジア全体のKポップのアイコン的存在となっているといった方が適切であるのかも知れない。清廉な少女の可愛らしさを前面に押し出したり、噎せ返るほどの大人っぽい雰囲気を醸し出したり、時にはスタイリッシュに、時にはドレス・アップして、またある時はカジュアルに、新曲をリリースする毎に新しい少女時代の像を見せることができているうちは、この九人の美少女集団はこのままどこまでもどこまでも突き進んでゆくであろう。

常にフレッシュな魅力を提示し続ける少女時代に対して、もう一方のKポップ・ブームの立役者であったKARAは、10年2月に発表したミニ・アルバム“Lupin”の時点で、ほぼ五人のメンバーがもつ色が混ざり合うことによって生み出されるグループとしての個性を確立し完成させていたといってもよいであろう。KARAは何かグループとしての新しい個性を求めて奇矯なことをすることはないし、奇抜な活動コンセプトで周囲を驚かせることもない。ただただひたすらに個性的な五人のメンバーだからこそ生み出せるKARAというグループのカラーを、とことんまで突き詰めて洗練させ磨きあげてゆくという方向に向かった。常にKARAはKARAそのものであり、そのKARAらしさを繰り返し前面に出し続けてきたのである。そして、そこに熱烈な支持層が生まれることにもなった。韓国だけでなく、日本やアジアの各国にも。その活動のひとつの到達点として13年9月にリリースしたアルバム“Full Bloom”では、KARAは全てが満開となる季節を迎えたことを宣言したのである。ほぼその完成体へと限りなく近づいているKARAは、どんなに新作をリリースし続けたとしても、そこで作り上げられたKARAというグループの様式を守り、常にKARAとしてKARAをなぞり反復して繰り返してゆくしかなくなる。そういう意味では、このままその満開状態をできるだけ長引かせて維持させてゆくよりは、美しい花はその宿命に従って美しく散る方が、自然な道であったといえるのかも知れない。ただ、13年のKARAにおいては、コンサート・ツアーで数多くのライヴの舞台を経験したことが歌やダンスの自信につながったのか、TVドラマへの出演を通じて演技力や表現力に厚みが増してきたのか、スンヨンの存在感が、これまで以上に大きなものになってきていたことも確かであった。元々、歌唱の能力は高いメンバーであったが、そこにさらに安定感が増し、歌声もハリがあり力強いものとなってきていたのである。また、それだけでなくパフォーマンスの面においては、眉や目許、口許のちょっとした表情の動きだけで感情表現に説得力をもたせる、卓抜した技量を兼ね備えるようになってきてもいた。そんなちょっとした凄まじさを感じさせるほどのレヴェルにまで達しつつあったスンヨンが、五人のメンバーの個性の絶妙なバランスによってグループとしての色合いを生み出していたKARAの中で、今後どうな位置を占めていったのか、ほかの四人のメンバーにどのような影響を及ぼしてゆくのかが、実は気にはなるところではあった。もう現在の五人体制のKARAの新曲を聴くことができないと思うと、かなり寂しいものはある。

10月10日、T-araがミニ・アルバム“Again”をリリースした。韓国では12年9月の“Mirage”以来、約一年ぶりのリリースであった。また、12年7月のファヨンの脱退騒動以降では初の新作でもあり、永い沈黙の末に13年も10月に入ってようやくグループとしての初のプロモーション活動が行われることととなったという形である。ファヨンの脱退にまつわるグループ内の人間関係のゴタゴタや問題が表面化すると同時に即座にファヨンのタレント契約だけを解除してしまった専横的な所属事務所のやり方に対して、強い反感や反発を引き起こす反応がT-araのファンの間にも吹き荒れたことは確かである。そんな喧々囂々な状況の中でT-araは思うような活動を展開することができず、ただ静かに黙って批判の嵐をやり過ごすことしかできない状態が続くこととなってしまった。ただし、韓国国内では窮地に追い込まれているT-araであったが、日本や中国などアジア諸国では変わらぬ根強い人気に支えられてはいたのである。長く厳しいバッシングに曝されているT-araの姿を見ているからこそ、今こそ熱烈に応援して後押ししなくてはならないというメンタリティが芽生え、アジアの各地のT-araのファンを一致団結させ奮い立たせたという面もあったのかも知れない。13年にT-araは日本において二枚のシングルと一枚のアルバムをリリースし、日本武道館公演とアルバムと同じTreasure Boxと題したコンサート・ツアーを行っている。そして、韓国においてはグループ全体での本格的な活動再開に先がけてサブ・グループのT-ara N4としての楽曲“Jeon Won Diary”が13年4月にリリースされた。この新ユニットに参加したのは、ウンジョン、ヒョミン、ジヨン、アルムという四人のメンバー。しかし、このT-ara N4にも参加していた、12年の夏にファヨンの脱退と入れ替わるようにグループに新加入したアルムが、13年の7月にラッパーや女優などでのソロでの活動を目指してT-araから脱退してしまうのである。この動きにより、T-araの新規加入メンバーは、ファヨンもアルムも相次いでグループを離脱してしまう結果となった。T-araというグループには、どこか外部の新たな人間をなかなか受け入れないような雰囲気があるのではないかと、その裏にあるものを勘繰りたくもなってくる。現在のT-araは、ほぼデビュー当時からの顔ぶれである六人のメンバーで活動を行っている。ある意味では不動の六人組ともいえるメンバーでの久しぶりのパフォーマンスとなったミニ・アルバム“Again”のタイトル曲“Number Nine”では、グループの出世作となった09年の“Bo Peep Bo Peep”と同じシンサドン・ホレンイ(新沙洞の虎)がプロデュースしたダンス曲ということもあって、変わらぬT-araらしさを存分に発揮していた。この六人こそが、このグループの核なのだということをあらためて思い知らされた感じだ。また、日本でのコンサート・ツアーなどで大きなステージでのパフォーマンスの経験を積んだことで、この六人の動きには歌って踊って魅せることに対する自信がみなぎりつつあることもはっきりと感じ取れる。しばらく韓国での活動はままならなかった部分もあったが、その間にもT-araというグループは決して立ち止まることなく活動を続け、Kポップ・アイドルとしての大物感を確実に増してきていたのである。しかし、新曲“Number Nine”のプロモーション活動中には、またしてもジヨンの脚の怪我があったり、今後は12年に所属事務所より追加メンバーとして発表されているものの様々な騒動などの諸事情があったためか未だにグループに参加できていない新メンバー、ダニの(新規メンバーがなかなか定着しない)T-araへの合流があったりと、まだまだ先行きに不安要素と不透明さが残っていたりもする。そんな幾つもの爆弾や火種を抱えつつもグローバルなKポップの世界をひらりひらりと生き抜いてゆくのが、六つの芯をもつがゆえに決して中心が定まることく柔軟に状況に対応してゆけるT-araというグループの真骨頂であるのかも知れないが。

09年にモーニング娘。の99年の大ヒット曲“LOVEマシーン”を韓国語でカヴァーした“Dream Girl”を歌っていたのが、デビュー当時のアフタースクール(After School)であった。このデビュー時には五人組として活動していたが、長らく中心メンバーとして活躍していたベカと絶対的なリーダーであったカヒを含めて現在ではオリジナル・メンバーのうちの三人がグループを卒業してしまっている。しかし、二期メンバーとして09年4月にグループに加入したユイに始まり、12年の春からグループの活動に参加しているカウンまで、こまめに新メンバーの増員が繰り返されているため、二人のオリジナル・メンバーと総勢で六名のデビュー以降の新規加入組を合わせて、現時点ではアフタースクールは八人組のグループとして活動を行っている。また、10年からは新規加入組のナナ、レイナ、リジの三人がグループ内グループのオレンジ・キャラメル(Orange Caramel)として独自のアイドル路線での活動を展開していたり、11年7月にはグループを紅組と青組のふたつの別動ユニットに分割しA.S. RedとA.S. Blueとしてそれぞれに楽曲を発表して同時に活動を展開するようなこともあった。こうしたメンバーの卒業と増員を繰り返しつつ、グループから派生した別ユニットやスペシャル・ユニットでの活動なども適時交えて、常にグループの内外を動かし続けることでフレッシュな魅力を保持してゆく方法は、まさにモーニング娘。譲りのものだといってもよいだろう。そして、この手法は、現在ではAKB48にも引き継がれている。こうした事実は、この様式こそが、アイドル・グループを長く第一線に立たせ続ける最も有効な手法のひとつであることを如実に示すものでもある。アフタースクールは、Kポップの世界では最も原型に忠実にモーニング娘。型のサヴァイヴァル術を実践しているのではなかろうか。このまま順当に活動を続けてゆくとオリジナル・メンバーが全員卒業してしまった後にも、若いフレッシュなメンバーが中心のアフタースクールが、Kポップ界の第一線で華々しい活躍を続けてゆくであろう可能性は充分にある。そして、さらにはグループを卒業したOGのメンバーたちが再結集したドリーム・アフタースクールなどというスペシャル・ユニットでの活動なども有り得そうだ。ただし、実際にはデビュー時からリーダーとしてグループを巧みにひとつにまとめて牽引してきたカヒが、12年に卒業した後のアフタースクールは、絶対的な核となるリーダーを軸として古参のメンバーが新メンバーに道を示しつつ全てがバランスよく回っていた状態から、大きな求心力を失ったことによるポテンシャルの下落が危ぶまれる状況にはあった。そして、前作から約一年という長い準備期間を経て13年6月にマキシ・シングル“First Love”をリリースして、ようやくアフタースクールは本格的なグループとしての活動を再開したのである。この勇敢な兄弟をプロデューサーに迎えたオールドスクールなヒップホップ・ソウル調のR&Bダンス曲“First Love”では、妖艶なポール・ダンスを取り入れた画期的なパフォーマンスを展開し、大物グループならではの存在感をあらためて誇示することに成功した。また、13年10月にリリースされた日本においての約一年四ヶ月ぶりのシングル“Heaven”では、モンド・グロッソの大沢伸一をプロデューサーに迎えたディープでファンキーなネオ・ディスコ曲を展開し、完全にKポップ・アイドル・グループの枠を超越しているハイブリット・ダンス・ポップの新境地を開拓してもいる。カヒ卒業後の新体制での活動が確かな流れにのりつつある13年のアフタースクールは、一時期の周囲の不安をきれいさっぱりと払拭し、まだまだフレッシュな存在であることを強くアピールしたのである。アフタースクールは、これからも進化し続け、変化し続けるであろう。

13年の2NE1は、5月末にCLがソロ楽曲“The Baddest Female”をリリースし、グループとしては7月に“Falling in Love”、8月に“Do You Love Me”と立て続けにシングル曲をリリースした。元々は2NE1の新曲が四ヶ月連続でリリースされるといった発表がなされていたが、“Do You Love Me”以降の新曲は未だにリリースされていない(※)。おそらくは、2NE1と同時期にデビューしたライヴァル・グループがあまり韓国国内での活動を行わなくなっている傾向を逆手にとり、こまめに新曲を発表してゆくことで音楽チャートでの圧倒的な強さや音楽番組出演でオーディエンスからの支持の高さなどを誇示して見せようとする意図が所属事務所にはあったのだろう。確かに、その思惑と降りに連続リリースによってチャートも音楽番組も完全に席巻し変わらぬ高い人気の誇示には十二分に成功した。ただし、今の2NE1にとっては、そうしたドメスティックなチャートやメディアでの成功には、もはやそれほどの高い価値を見出せなくなっているような面も確実にだがあったのである。大物は表に出てゆけばゆくほどに喝采を浴びるが、その喝采の大きさのゆえにそれが逆効果を招くこともある。TVの音楽番組に頻繁に出れば出るほどに、その実体がそこに実際にあることを見せることでの親近感やファンとの距離の近さの感覚は増すことになるが、大物ならではのプレムアム感は薄れ、折角の大規模なな海外展開で積み重ねてきたワン・ランク上のイメージを自らの手で引き下ろしてしまうことにもなる。そんな商品的な価値の下落にも繋がりかねない動きに早めに歯止めをかけるために新曲の連続リリースの計画を変更したのであるならば、それはそれで所属事務所の打った手は正しいものであったと言わざるを得ない。やはりKポップ・ブームの第一世代のグループは、韓国国内では年に一曲か二曲の強く人々の印象に残る決定的なヒット曲を放ち、大物の存在感を広く知らしめるという活動形態が、あらゆる面で最適なものとなってきているのかも知れない。

13年7月、f(x)がセカンド・アルバム“Pink Tape”をリリースした。これに合わせてグループはアルバムのタイトル曲“Rum Pum Pum Pum”をパフォームするプロモーション活動を開始している。アルバム“Pink Tape”は、12年6月に発表されたミニ・アルバム“Electric Shock”以来の約一年ぶりのリリースであり、アルバムとしては12年6月に発表されたファースト・アルバム“Pinocchio”のリパッケージ盤“Hot Summer”以来の約二年ぶりの作品となる。f(x)は、09年にデビューしたKポップ・ブーム第一世代のグループのひとつであるが、どこかほかのKポップ・アイドルとは根本的に異なる独自の路線を歩み続けているようなところがある。多くのグループが常に話題を振りまいて忙しなく動き回り少しでも注目を浴びてライヴァルたちよりも一ミリでも先んじようと悪戦苦闘を繰り返している中で、なぜかf(x)だけが慌てず騒がず常にマイペースなのである。これまで作品のリリースは、ほぼ年に一作というペースであり、グループとしての活動の頻度は決して高くはない。しかし、そうなっているのは、ほかの大物グループのように海外でのリリースのプロモーションやコンサート・ツアーによってスケジュールが過密だからというわけではないのである。f(x)の海外展開は、非常に限定的なものである。数年前から本格的な日本デビューの話が何度も浮上してきてはいるが、今のところまだ実現されてはいないし、近い将来に日本での活動があるような気配も全くない。12年の夏に“Hot Summer”の日本語版が発表されたが、それを受けて特に目立った日本でのプロモーション活動があったわけでもない。13年にリリースされた新曲“Rum Pum Pum Pum”(初めての親知らず)の日本語版に関しては、それが制作されるという噂すら聞こえてこない状態である。f(x)というグループには、目まぐるしく移り変わるKポップの世界の動きからは常に一歩退いた地点で、じっくりと時間をかけてコンセプトなどの戦略を練って緻密な制作の作業を行っているようなところがある。そして、さらにはリハーサルの期間を十二分に確保して、全てが納得ゆく形に完成された状態にいたって初めて表舞台に登場するのである。これは数多のライヴァル・グループとの競争三昧の渦中において、慌ただしい周囲の動きに追い立てられる形で余白に詰め込むように活動のスケジュールが組まれ、ほとんど準備もそこそこにステージに立つということの繰り返しが常態化している状況と比較すれば、格段にストレスの少ないヘルシーな状態を保つことができる活動形態なのではなかろうか。また、f(x)のグループとしての活動の頻度が極めて低く抑えられているため、年に一曲程度の新曲のプロモーションを行う一定の期間と何か特別なイヴェントがある時でなくては、五人のメンバーが揃ったグループのパフォーマンスは見ることができないのである。それでも常に一定の存在感は保ち続け、たまにリリースされる作品ではさすがf(x)と思わせる鋭いエッジのある部分を十二分に見せつけて、どっしりと落ち着いた大物でも、新鮮さが褪せてきた中堅でも青臭い若手でもない、このグループならではのKポップの世界での独特な所在や位置を作り出している。このように徹底的に独特さを極めて別格な存在となることも、常に激しい過当競争が繰り広げられているKポップ界の生き残りの戦略としては、かなりオルタナティヴな方向性ではあるが正しい道だといえるのかも知れない。

New Dawn and Fades(一)

New Dawn and Fades



2013年10月4日、数日前から日本の芸能メディアを通じてグループの解散が間近であることが報道されていたKARAについて、所属事務所のDSP Mediaは、そうした噂を完全に否定する発表を行った。だが、それと同時に、グループ自体は解散しないものの事務所とのタレント契約の更新を行っていないメンバーのニコルが、14年1月をもってグループから脱退することが発表された。また、かねてより海外留学を希望し芸能活動よりも学業を優先する意向をもつジヨンも14年4月に事務所との契約が切れる予定であり、その後の契約の更新が行われない場合には、そのままグループから脱退してしまう可能性が濃厚であるという。
現在の五人組グループとなってからは、これが大きく表面化した二度目の所属事務所との契約をめぐる騒動となった。前回の11年1月に起きたメンバーの所属事務所離脱未遂騒動では、グループのリーダーであるギュリを除く四人のメンバーが事務所の待遇(主に金銭面での)に対して異議を申し立てた。ほどなくしてハラだけは(徒に事を荒立てることは賢明ではないと判断したのか)所属事務所とグループに戻ることを表明したが、残りの三名(ニコル、ジヨン、そしてスンヨン)は徹底的に事務所側と対立する姿勢を見せ続けた。その後、約三ヶ月に及ぶ調停を経て、両者はようやくもとの鞘に収まることになる。
だが、今回は(前回の蟠りも長く尾を引いていたためか)容易に事態が収まることはなかったようである。このまま契約問題で事務所と当該メンバーたちが決裂してしまうことになると、14年の春にはKARAは二人のメンバーが脱退し三人組のグループとなってしまうことになる。これは、KARAにとって二度目のメンバーの脱退劇となる。07年に四人組ガールズ・グループとしてデビューしたKARAであったが、08年の初頭にはメイン・ヴォーカリストであったキム・ソンヒが突如脱退している。この時もKARAは残された三人組のグループとなってしまったのである。これによりデビュー当初の四人組グループとしてのKARAはアルバム“The First Blooming”での活動のみに止まり、08年以降は新メンバー(ハラ、ジヨン)を加えた五人組の新生KARAとしての活動を行ってゆくことになる。そして、その直後の“Pretty Girl”や“Honey”といった女の子の可愛らしさを前面に押し出したヒット曲によって、この五人組は00年代後半のKポップ・ブームを代表するトップ・アイドル・グループの座を築き上げることになるのだ。
13年8月28日、KARAは日本での四作目のアルバム“Fantastic Girls”をリリースした。そして、その翌週の9月2日には、韓国での四作目のアルバムとなる“Full Bloom”をリリースしているのである。ほとんど期間を空けずに日本と韓国で、ほぼ同時期にアルバムをリリースするということは、そこから遡って約数ヶ月間に渡って日本と韓国で同時期に(日本と韓国の録音スタジオを行き来しながら?)アルバムの制作活動を行っていたことになる。そして、その間にはTVドラマの出演などの通常の芸能活動も各メンバーが個別に若しくはグループで並行して行っていたのだから、相当なハードワークの日々が続いていたであろうことは想像に難くない。また、今から考えると遅かれ早かれ表面化することになるメンバーとの契約問題の拗れが明るみに出てしまう前に、まるで駆け込みで日本と韓国で立て続けにほぼ同時期にアルバムをリリースすることにしたようにも思える。おそらく“Fantastic Girls”と“Full Bloom”は、KARAを日本と韓国で押しも押されぬトップ・アイドル・グループにした五人のメンバーによる最後のスタジオ録音アルバムとなるであろう。韓国においては07年に第一集アルバム“The First Blooming”のリリースとともにデビューしたKARAが、13年に第四集アルバム“Full Bloom”をリリースすることで、アイドル・グループとしてのひとつの物語を完結させたということになるのであろうか。

ここに9月中旬頃に書いたアルバム“Full Bloom”のレコード評の文章がある。諸般の事情などがあり公表されなかったものであるが、ここにひとつの資料として掲載しておくことにする。重ねて説明しておくと、この文章は、所属事務所からメンバーの脱退についての発表がなされる前に書かれたものである。

KARA: Full Bloom
LOEN Entertainment L-100004767
 八月末に日本で四作目のアルバムをリリースした翌週に、韓国でリリースされた第四集。本国でのアルバムは二年ぶり。早いものでもうデビューから七年目を迎えているが、Kポップ界を代表するトップ・アイドル・グループとしての勢いはまだまだ加速している。タイトル曲「淑女になれない」が放つ、ハイパーな満開感も生半可ではない。これまでにも数々のヒット曲を送り出してきた巨匠コンビ、ハン・ジェホ&キム・スンス(スウィーチューン)が手がける、こってりとロック要素を盛り込んだ鮮烈なエレクトロニック・ポップ曲である。クールな大人の女性からピュアでキュートな乙女まで、全七曲でそれぞれに異なる表情を演じ分ける豊かな芸域の幅には、なるほど淑女も真っ青な大女優の強かさをも感じさせる。全体的に歌唱に余裕があり、自信にみなぎり非常に伸びやか。この五人だからこその味わいを満載した、今まさに咲き誇る満開の五弁の花である。

満開の花は、とても美しい。しかし、満開の花には、もはや散る運命しか残されてはいないのである。花の季節の後には実りの季節があり、花の花弁は実を結び、種という形となって次の世代へと命が受け継がれてゆくことになる。満開の花が散ってしまうのは、ひとつの実を結ぶために決して避けては通れない道であり、それは全ての花にとっての宿命であり運命なのである。そして、ここに“Full Bloom”というタイトルを冠したアルバムを発表し、まさに名実共に満開の時を迎えた五人組グループとしてのKARAが、その花の季節に幕を閉じ、やがて来る結実の時を迎えようとしている。やはり、そうしたKARAという名の花の宿命と運命を最大限に美しく全うするためには、その満開に咲き誇る花をどこまでも美しく咲かせ、そして時の訪れとともに潔く美しく散るしかなかったということなのであろう。

9月末、約一ヶ月に及んだ数々のメディア出演のスケジュールを全てこなし、アルバムのタイトル曲“Damaged Lady”(「淑女になれない」)をパフォームするKARAの“Full Bloom”をプロモートする活動は無事に終了した。そして、その表立った活動に一段落がつくタイミングを、まるで待ち構えていたかのように、KARAのメンバーと所属事務所の間で繰り返されている契約更新の問題が再度一気に表面化してきたのである。ただし、その一ヶ月前の“Damaged Lady”でカムバックする直前の段階では、所属事務所のDSP Mediaは、(数ヶ月後にタレント契約が切れてしまうメンバーがいることから周辺に漂い出していたグループ解散の噂を打ち消すように)わざわざメンバーとの契約更新の交渉が順調に進行していることを公表していたのだ。おそらく、ほとんどの韓国と日本のファンは、この事務所による発表を信じ込んでしまったに違いない。日本でのコンサート活動も順調にこなし、ここにきてひと回りもふた回りも大きなアイドル・グループへと飛躍を遂げているKポップ界の大物が、このまま呆気なく解散してしまうなどということは絶対に有り得ないと勝手に納得してしまっていたのである。所属事務所との契約更新の話し合いが良好な方向に向かっているのであれば、現在の五人組グループとしてのKARAの活動は、しばらくの間は安泰に継続されるであろうと。
だが、その後の急な激動の展開を考えると、あの新曲リリースの前段階でのDSP Mediaのメンバーと所属事務所の間の良好な関係性を殊更にアピールするような発表は、かなり怪しいものであったのではないかと考えざるを得ない。所属事務所側は近いうちにタレント契約が切れるメンバーとの再契約・契約延長の交渉が何とか良好に進行していると思っていたのかも知れないが、実際のところは決してその通りではなかったのではなかろうか。もしくは、ある程度はメンバーとの交渉は順調に進行していたものの、9月に入ってからの一ヶ月間での交渉が、有り得ないくらいに不調であったのだろうか。結論としては、DSP Mediaによる前段階での発表以降に契約問題に関する事態は急展開し、両者の間の主張は合意にはいたらず拗れに拗れたまま決裂という形で決着がついてしまったようである。
揺れに揺れた11年1月の大騒動の際に問題点として明らかになったことであるが、KARAのメンバー(とその周辺の人々)には所属事務所から受け取るギャランティに関して相当に根強い不信感が抱かれているようである。10代から20代にかけての若く可愛らしい女の子が人生のうちで最も輝かしいものであるはずの青春時代の全てを投げ打ってトップ・アイドルとしての芸能活動に全身全霊で取り組んでいるにも拘わらず、その条件面でも待遇面でも過酷過ぎるほどに過酷な労働に見合う分だけの報酬が必ずしも受け取れていないという主張を常にメンバー側は続けている。ただし、これは主としてメンバー本人というよりも日夜トップ・アイドルとして活動することの大変さを間近で見ている親や家族が、心も体もすり減らしているメンバーの心身の状態を心配して所属事務所側にタレントの待遇・処遇の改善をかけ合っているという側面が、かなり強いようだ。だが、当の本人たちの気持ちとしては、ファン・ミーティングやコンサート、海外でのイヴェントなどを通じて、とても熱心にKARAを応援してくれる多くのファンたちと直接に触れ合うことで、その多くの人々の思いや声援に応えてゆきたいという意思を常に新たにし、基本的には継続的にグループのメンバーとしての活動を行ってゆくことを希望しているようでもある。
今回の契約更新の交渉に関しても、該当メンバーと所蔵事務所の間ではギャラや待遇の問題をめぐって拗れに拗れてしまったのであろう。やはり、このシビアな問題については、どうも両者の間で完全な合意には決していたっておらず、双方の言い分を受け入れようとする状態からもほど遠く、全くスムーズに事が運ぶという感じにはなっていないのではなかろうか。11年1月に起きた騒動が三ヶ月の時間を要して終息した際に、徹底的に両者の間で話し合いが行われ、かなりそこに横たわっていた大きな蟠りは解消されたかのように思えたのだが、実際には問題の火種は燻ったままであったようだ。この約二年間に、事務所のメンバーに対する待遇が改善され問題の解消に向けた動きが、何らかの実感をもって得られるほどになされてこなかったことが、再びメンバーの周囲の人々の不信感を焚き付けてしまったのではなかろうか。そして、それだけに溜まりに溜まった蟠りも大きく膨れ上がることになり、ここにきて遂にそれが限界を越えてしまい最悪の結果である決裂にまでいたってしまったということなのであろう。
DSP Mediaによってタレント契約の終了とともにグループから脱退することが発表された、KARAのオリジナル・メンバーのひとりであるニコルは、現行のマネジメント体制を離れて新たなエージェントの下でという条件であれば、現在の五人組グループとしての活動を継続してゆくことを望んでいるという主張をツイッター・アカウントを通じて行っている。ただし、このニコルの希望する条件を実現させるためには、それぞれのメンバーの側にも越えてゆかなくてはならない高い壁が存在する。DSP Mediaを離れて今のままのKARAの芸能活動を継続してゆくという荒技を現実のものとするためには、相当なウルトラC級の離れ業が必要とされるであろうし、実現は非常に困難であるといわざるを得ない。再三に渡り契約延長の交渉が拗れに拗れ、そう簡単には沈静化することのなさそうな蟠りを抱えているニコル陣営(おそらくは、ジヨンの陣営も)と事務所の間の、確執や不協和音やすれ違いには、やはりとてもとても深い根があるのであろう。
だがしかし、これをまた異なった視点から見てみると、KARAというグループにとってのメンバーの脱退などの変動は、まだたった二度目でしかないのである。01年にデビューしたガールズ・グループ、ジュエリー(Jewelry)は、度重なるメンバーの脱退や新加入といった変遷や解散の危機などを乗り越えて、すでに十二年に及ぼうかという非常に息の長い活動歴を誇りつつ、まだまだKポップ界の第一線で活躍を続けている。すでにデビュー当時のオリジナル・メンバーは、現在のライン・アップにひとりも残ってはいない。メンバーの顔ぶれはガラリと変わり、全く異なる新しい世代にバトンを受け渡しながら、ジュエリーというガールズ・グループの看板はずっと途切れることなく守られ続けてきたのである。日本でもモーニング娘。やAKB48などのアイドル・グループは、メンバーの卒業や脱退、新加入などを繰り返し、少しずつ世代交代することでいつまでも新鮮味を保ちながら、息の長い活動を展開している。そう考えると、デビューから七年目を迎えているKARAが、今後もトップ・アイドル・グループとして息の長い活動を続けてゆくためには、今回のようなメンバーの脱退騒動などの大きな変動をもグループにとっての何らかのプラスな動きへと変えてゆけるような強かさのようなものも必要とされてくるのかも知れない。今のところ来春には三人組グループとなってしまう可能性が高いKARAが、新たなメンバーを加入させるといったような話は全く聞こえてきてはいない。しかし、もしかすると、その新メンバーこそが次代のKポップ界を担うような大エースへと成長してゆく可能性だって、全くないわけではないのである。ここで安易に解散という道を選択しないことでKARAのメンバーたちの手の中には、まだまだ多くの輝かしい可能性が残されることにもなるのだ。
しかしながら、KARAという類い稀なる個性をもったグループが、ひとつの時代を築き上げた五人のメンバーからオリジナル・メンバーでありグループのムード・メイカーでもあるニコルを失うことは、とても大きな損失となるであろう。本国の韓国だけでなく日本やアジアの各国でも高い人気を獲得しているKARAは、現在の五人によるグループとして広く認知され、その五人のメンバーがもつそれぞれの個性のバランスのよさから幅の広い人気を獲得しているともいえる。ゆえに、そこから誰かメンバーが欠けてしまったときに、どのような反応をもって迎えられるのかという部分には、ちょっとした不透明さもなきにしもあらずである。さらなる厚い支持を受けることになるのか、それとも一気に全てのバランスを欠いてしまうことになるのか。また、グループの末っ子であり、最も愛されるキャラクターの持ち主でもあったジヨンの14年4月以降の活動状況が、全く見えない状態であるというのも、KARAにとっては少々痛手である。14年1月にニコルが脱退し、それに続いてジヨンの身の振り方が決定していないという状態では、グループとしての活動を行おうにもなかなか思うようにまとまった活動ができない状況が続くことになるのではなかろうか。13年の年末以降、KARAはしばらく活動を休止せざるを得なくなる可能性が大きいと思われる。いずれにしても、ここが大きな岐路であり、良くも悪くもひとつの大きな曲がり角に直面しているということだけは、間違いないであろう。新たな体制となるKARAというガールズ・グループにとっても、そのKARAというガールズ・グループを育て上げてきたDSP Mediaにとっても。14年は、まさに正念場となるはずである。

誰が孤独を歌うのか(三)

誰が孤独を歌うのか



60年代には、泣けるほどに孤独であっても、それを誰かに悟られないように「涙がこぼれないように」上を向いて「にじんだ星をかぞえて」歩く、いわゆる強がりややせ我慢の美学のようなものが存在していた。そうした、古き良き日本人の心や、古き良き時代の美意識のようなものは、もはや完全に失われてしまったといわれて久しい。だが、実際には、上を向いているよりも、前を向いて涙を流してしまった方がよい部分もあるのである。
涙を流すことは、人間的な弱さを露呈することでも、恥となることでも全くない。それは、とても人間らしい行為である。時として、人間は、人間らしさを無理に故意に押し殺してしまう。人間らしい行為を自分自身を抑制し統制して行うことによって、よりよく人間として生きることができ、人間らしさが高まると錯覚してしまっている部分があるために。ただし、その統制も抑制も完全に行うことは不可能であり、いくら自分自身を握りつぶし削り取り矮小化して人間らしさを極めてみたとしても、それを徹底することによっては人間の生は決して高まりはしないのだ。
溢れる涙を流すことを誰にも悟られないように隠さなくてはならないのは、人間らしい感情を押し殺して生きることであり、人間らしく生きることの否定でもある。上を向いて「涙がこぼれないように」堪えることは、人間が辛抱強く歯を食いしばって生きる姿に重ね合わされて、長らく美徳であるかのように解釈されてきた。そして、それは古き良き時代の人間の生き方の鏡のような姿勢として、かなり人間の感覚の中心にしっかりと定着してしまってもいた。
だがしかし、暗い夜道を「一人ぽっち」で歩きながら涙を堪えている人は、実際にはあまりいない。孤独に打ち拉がれて「泣きながら」歩いている人も、上を向いて「にじんだ星を」数えながら歩いている人も、ほとんどいない。そうした美学や美徳は、人間の胸中に存在する、とても感覚的なものにほかならないから。多くの人々は、心の中でそうしているのである。みんな辛抱強く歯を食いしばって生きている。だが、これは感覚の部分での人間らしさというものを押し殺してしまう方向性に向かうことにも繋がりかねない。誰もが本当の自分の感情を隠して、平静さを装って生きている。仮の顔である仮面をつけていれば上を向く必要はない。そしてその正面を向いている仮面の下にも感情の仮面があり、その仮面の下に本当の自分の泣き顔と涙が隠されているのである。

仮面を被っていると、その下の本当の表情や素顔は隠されて正面からは見えなくなる。つまり、誰もが仮面を被ったままの社会では、真っ直ぐでダイレクトな意思や感覚の疎通はとても難しいものとなるということである。そうした仮面の存在によって、ともに手を取り合って困難や苦悩を乗り越えようとしても、そうした思いは仮面によって素顔が隠されてしまっていることで、なかなか伝わらないということもある。きっと間違いなく、誰もが誰かとともに戦って前に進みたいと思っている。生きるということには、幾つもの困難と大きな苦悩が満ちているから。だが、仮面は、そうした思いをも巧妙に隠してしまう。そうした隣人や他者へ伝播するものを被い隠すものとして仮面はできているのだから。誰もが誰かに仮面の下の素顔を見せず、誰もが誰かの仮面の下の素顔を見通せないことで、一人ぽっちの孤独者たちは、さらに社会という枠の中で孤立し、より深く(肉眼で目視できない深さにまで)孤独の淵に沈み込んでゆくことにもなる。

誰も上を向いて歩かなくなって、思わず泣けてくるほどのどうしようもない孤独は、ほとんど歌われなくなってしまった。そして、いつしか楽しく手と手を取り合って前向きに生きようという歌が、完全に主流を占めるようになってしまっている。そこでの楽しく前向きにという状態は、「一人ぽっち」ではないことを前提としている。周囲に手を差し出してくる誰かがいなければ、どんなに手と手を取り合いたいと思っていたとしても手を取ることはできないのだが。誰も周りにいない本当の孤独者は、最初からそうした歌に歌われるような世界からは除外されている。もしくは、その世界においては目に見えない存在とされているのである。
暗い時代に、努めて明るく歌うこと/明るい歌を聴くことで、鎮静剤的に瞬間的にでも楽しい気分に浸れればそれでよいということだろうか。生きることとは忘れることであり、人間は次々と忘れ続けてゆかなければ決して生きてゆくことはできない。だが、無理矢理にでも暗いものを明るくし、強制的に楽しい気分に浸らせてくれる歌には、何か(瞬間的にでも)ひとつにまとまるべき社会にとって不都合な部分を積極的に切り捨て、隠匿しようとしているような意志が感じられもするのである。
おそらく、国民的アイドル・グループのAKB48は、どうしようもない孤独を決して歌わないであろう。彼女たちは、どんなときにも、みんなで力を合わせて頑張ろうと歌いかけてくる。それは、(国民的アイドル・グループという看板を背負った)AKB48そのものを力強く前進させてゆくための掛け声であり、AKB48のファンやその楽曲を聴くものへの力強いメッセージとなって響き渡る。どこまでも前向きに困難や苦悩を乗り越えてゆくことが、彼女たちの歌のひとつの大きな主題なのだ。そこでは、誰もが自分の中にある「一人ぽっち」な暗さを抜け出して、ポジティヴな境地へと歩き出しているところから歌がスタートする。前に進まないもの/前に進めないものは、そうしたみんなで一緒に頑張るポジティヴなノリから歌のイントロが始まる前から追い出されてしまっている。そのノリに乗り遅れてしまっているものの生は、まるで好ましくない生を体現しているものであるかのように認識されることになるのだ。そして、どうしようもない暗さを隠匿し努めて明るく振る舞う社会の最底辺や外側にオートマティックに位置づけられてしまうのである。そこに立ち止まっているだけで、全体の前進を妨げる悪行であるかのように扱われることになるのも、そのためである。そして、そうした前向きに前進してゆこうとする感覚の一方向に整流された広まりを、前向きに進もう/力を合わせて頑張ろうと歌うヒット曲が強く後押しし、人々の耳にその正当性を刷り込むように吹き込みながら、捩じれて歪んだ認識を押し進めてゆくことになるのである。
ともに力を合わすことのできぬ/合わせることすら望まれない「一人ぽっち」な孤独者は、そこでそうした歌を聴いて、どう反応すればよいのだろう。最初から「一人ぽっち」が除外されている場所で、頭の中に思い浮かべた空想の誰かと空しく力を合わせていればよいということであろうか。実際、本当の孤独者とは、常にそういうイマジナリーな音楽の聴き方しかできないのであるけれど。

だが、本当のところは、どうなのであろうか。上を向いて歩く人がいなくなったから、どうしようもない孤独が歌われなくなったのだろうか。どうしようもない孤独者がいなくなってきたから、孤独は歌の主題にならなくなってしまったと考えることもできるのではなかろうか。本当に「一人ぽっち」な人は、そうそういないのかも知れない。一面的で極めて表層的な見方では、そのように見えないこともない。ただし、それでも今この時にもひとりきりで孤独のただ中に沈んでいる人は、確実に存在しているであろうし、ひとりきりで生きる辛さに耐えきれず、今すぐ逃げ出してしまいたいと考えている人も少なからずいるに違いない。そして、今この時に、ひっそりとひとり寂しく死んでゆく人だって、実際には少なからずいるのである。だが、そうした、本当のどうしようもない孤独は、とても見え難いものになってきてしまっている。しかしながら、それ以外の孤独な人の周囲には、もしかすると誰かしらがいるのではなかろうか。現代の大半の孤独者は、文字通りの「一人ぽっち」ではないのかも知れない。だが、孤独は孤独なのである。孤独者が孤独であることに違いはないのである。
今の時代には、携帯電話もインターネットもツイッターもフェイスブックもある。そこには、直接的なものとは異なる、間接的な人と人との結びつきや繋がりがある。しかし、ツイッターのフォロワーやフェイスブックに友達が何人いたとしても、様々なコミュニケーション・ツールを使って沢山の間接的な繋がりがあったとしても、それは本当に「一人ぽっち」ではないということを意味しているのであろうか。逆に、周囲に間接的にでも繋がりのある人がいるからこそ、かえって「一人ぽっち」を感じてしまうということもあるのではなかろうか。誰かが確実にそこにいるはずであるのに、数多くのフォロワーや友達のうちの誰一人として、自分に対して本気で関心をもってくれることはない。そのどうしようもない状況が、現代の孤独者の心により深い孤独感を募らせてゆくことにもなるだろう。

現在では、もし夜道で上を向いて歩いていてる人がいても、ほとんど誰も「涙がこぼれないように」堪えている人だとは察してくれないのではなかろうか。行き交う多くの人は、ちゃんと前を見て歩かない人にぶつかられることがないように足早に上を向いて歩く人を避けて行き過ぎてゆくだけであろう。もはや、上を向いて歩いているくらいじゃダメなのだ。その行為からは、ほとんど何も伝わらないし、そこから何も汲み取られることはない。21世紀の人々は、そうしたかつての60年代的な人と人との暗黙のコミュニケーションの作法からは、とてもとても遠いところまできてしまっている。
そして、そうした現代の人々の輪の中に入るために適当な仮面を被り、その下に涙を隠し、表情を隠し、孤独を隠し、哀しみを隠してしまう。そんな幾重にも隠されているものからは、やはり何も伝わらないし、何も汲み取られることはない。そこにある本物の深刻な孤独は、誰にも気づかれることなく感情の襞の奥に埋もれてゆくだけである。本当の孤独者は、ますます孤独を深め、いつまでも救われることはない。果たして、孤独とは、上を向いて歩いたり胸の奥底に秘めたりして、ただただ耐え忍ばなければならぬものなのであろうか。

本物の孤独者が、その孤独の淵から一歩踏み出すことは、そうそう容易なことではない。だからといって、内側へと籠りきって逆に突き抜けてしまうのも、そうそう容易な道のりではないだろう。暗い闇の中で孤独者は、ただ「一人ぽっち」で立ちすくんでいる。立ちすくんだままでいると、その道を前に進むのも後ろに進むのも簡単なことではなくなってくる。どこにも明かりが見えない中で何かを乗り越えて進まなくてはならないのは、とても辛く難しいことである。そして、前にも後ろにも進めないというのもまた、とても辛い状況なのである。
だがしかし、ただ単に辛いというだけで進まない/進めないのでは、そこに何の解決の糸口も見つけ出せはしない。闇の中で立ち尽くす孤独者も、自分の周囲に何らかの動きがあるということは直接的にも間接的にも見えているし、しかも動き出すこと/動くことの重要さは痛いほどに認識してはいるのである。しかし、そう簡単に全てをクリアできてしまうほどに、この問題は単純なものでも底の浅いものでもない。ただ、何かのきっかけとなる出来事がなくては、その先へと動いてゆくことに繋がる動き出しの動きは生まれないだろう。だが、その出来事とは、果たして何なのか。それは、どこにいかにして生ずるものなのか。そして、そのどうしようもないほどの出来事の見通せなさや決定的な出来事を思う浮かべることの重苦しさに、孤独者にとっての大いなるジレンマが生じてくることにもなるのである。

孤独な状態とポジティヴな方向へと向かう動きは、完全に絶縁してしまっているものなのであろうか。暗い場所ですっぽりと深い穴にはまってしまったような孤独な状態とは、明るく前向きに動いてゆこうとする生き方とは決して相容れないものなのであろうか。
どんなに孤独な状況にあっても、そうした人生の辛さや苦みをバネにして頑張ってゆこうとするのが、坂本九の大ヒット曲「上を向いて歩こう」を生んだ昭和という時代にあったメンタリティであった。寂しさや侘しさに打ち拉がれて、上を向いて「にじんだ星をかぞえて」歩いていても、その周囲を見渡してみれば、そこには頑張っている人がいっぱいいたのである。それは、頑張っている人たちが、逃げも隠れもせずに真正面から頑張っている時代であった。そして、頑張っている人たちが、頑張っている姿を隠すことなく頑張っていた時代でもあった。頑張っている人たちは、そうした一緒に同じ時代を生きる頑張っている人たちの存在を、とても身近なものとして感じながら頑張れたのである。
どんなに孤独であったとしても、どこかに自分と同じように感じている人がいて、それぞれに孤独の淵に沈んでいながらも、みんなで寂しさや悲しさや辛さと戦って乗り越えていこうとしているような感覚をもてたのであろう。近くに存在を感じられる目に見えて頑張っている人たちの中のどこかにいる、どうしようもない孤独と孤独に戦っているものと、その孤独の感情を共有することが実感をもってできていたのである。
現在では、周囲にいる頑張っている人たちの存在もまた、非常に見えづらくなってきている。おそらく、頑張っている人そのものは今も変わらずに存在しているのだろう。かつての「上を向いて歩こう」の時代の頑張りを、遥かに凌ぐほどに真剣に頑張りながら。だが、その頑張っている人たちは、とてもとても静かに頑張るようになってきている。頑張っている人たちのがむしゃらに頑張っている姿が、実際に見れることは極めて稀である。静かに穏やかに、さも普通のことをしているかのように、頑張っている人たちは極めて平然と頑張っている。
生のままの感情が隠されるように、頑張りもまた見えないように隠されてしまっている。頑張っている人たちは、自分の意思で頑張っている自分を隠そうとする。がむしゃらに頑張る人を見かけることが稀なのは、頑張っている人たちが頑張る自分を各層としているからなのではなかろうか。いつ頃から、静かに穏やかに頑張る人たちばかりになってしまったのだろうか。だが、なぜに自分の頑張る心持ちや表情や姿を見えないように隠してしまうのだろうか。この現在の世の中や社会の中に、がむしゃらになれない要因でもあるのだろうか。頑張っている人たちが、頑張っている本当の自分を表に出せないのは、なぜなのだろう。今ここで、どんなに頑張っても、それは大抵の場合が意味のないものになってしまい、もはやどこにも到達しないことが殆どであることを、誰もが薄々感づいてしまっているからなのだろうか。頑張っている本当の自分を隠すというよりも、あからさまには頑張れない気持ちというものが、どこかにあるのではなかろうか。
おそらく、こんなところで頑張っているということそのものが、とても空しいことに感じられているのではなかろうか。こんなことろで頑張ってしまう自分を、非常に空しいことだと最初から思ってしまっているのではなかろうか。だから、曲がりなりにも頑張ってしまうことがあったとしても、その表情や姿を、あまり表に出してしまってはいけないのである。頑張っている人たちは、静かに自分の頑張りを主張しないように頑張るものなのである。その本当の自分を押し殺した仮の姿は、見方によっては黙々とひたむきに頑張っているように見えてしまうこともあるだろう。だがしかし、そこに見えているのは、頑張っている人の本当の表情や感情を仮面の下に隠した、仮の姿にほかならないのである。まさに、見せかけの黙々と頑張っている姿であり、本当の自分を押し殺した後の死後の姿でもあるのだ。それは、自分の内面や心持ちを前面に出したがむしゃらに頑張っている姿とは、実際にはほど遠いものなのである。
本当の自分を押し殺して、こんなところで頑張っていてはいけないと感じてしまうのは、ここではないどこかに自分が本当に頑張れる場所があるはずだと思っているからにほかならない。自分の能力を最大限に活かして、がむしゃらに頑張れる場所が、どこかに必ずあるはずなのだ。人間とは、前向きに歩み続けるものである。歩き続ける目的があるからこそ歩き続けられる。そのためには、自分が最適な形で生きられる場所が、歩き続ける先のどこかになくてはならない。だがしかし、そうした本当に頑張れる場所は、この今の世界から見渡しているだけでは、なかなか見つけられないものなのである。でも、ひとつだけ確かなことは、それが絶対にこの今の世界ではないということこと。なぜならば、ここは自分で本当の自分を押し殺さなくてはならず、全く最適な形で生きられる/頑張れる場所だとは感じられないから。
いつか自分が自分らしく頑張れる場所でならば、仮面を被ったり自分を押し殺したりすることなく本当にがむしゃらに頑張れるであろう。そこでは、自分の頑張りは、その先にあるものへとしっかりと繋がっていることが、常にありありと実感できるはずである。頑張りが空しさには直結することは、決してないのだ。でも、ここには、それとは真逆の状況がある。だから今は、無駄にがむしゃらに頑張ったりはせずに、ただただ自分を押し殺して時間をやり過ごしている。
こうした、ここではないとどこにもないの悪循環は、仮面を被り自分を押し殺す自己否定の感情しか生み出さない。前向きに頑張る気持ちを突き動かす、ポジティヴな希望はどこにあるのだろうか。本当に、もはや頑張ってもどこにも到達することはないのだろうか。自分を押し殺して、自己否定の日々をやり過ごしているうちに、かつては見えているように思えた光をも見失ってしまうことになるのではなかろうか。そして、気がつけば、そこは深い闇の中である。光のあるべき場所からは、とてもとても遠い。そして、前向きに生きるための希望からも、どんどんと遠離ってしまうことになるのである。
自己否定は孤独な感情の停滞を生み、その孤独な状態で自己否定の状況をさらに突き詰めてゆくことによって、そこで本当の自分を発見する契機を逆に掴むことになる。仮面をつけて孤立してしまった人々が、自己を否定し続けることで生きることのポジティヴィティとは断絶され、次々と暗く深い本物の孤独の淵へと落ちてゆく。そして、その闇の奥底で、仮面の下の本物の自分と対面し、どうしようもなく孤独なひとりのちっぽけな人間の姿を、初めてまじまじと見つめることになるのである。

前向きに生きることのできる場所や時間というものは、どこにあるのだろうか。暗い孤独の闇の中にいる者に、それを探し出すことは可能なのであろうか。希望という名の微かな明かりを、どこに見出せるというのだろう。そして、そもそもそこに辿り着ける保証などどこにあるのだろうか。
暗闇で立ちすくんでいるだけのように見える孤独者にだって、何らかの希望をもつことはあるはずである。そして、それを自らの手で掴むために前向きになれる場所へと突き進んでゆきたいという願望もある。そんな、いつの日か自分が辿り着けるはずの場所こそが、自分が自分らしく頑張れる眩いばかりの希望に満ちた場所であるはずなのだから。まだ見ぬ希望という名の微かな明かりを頼りに、がむしゃらに突き進んだ先には、自己実現というひとつの頂があり、そこで自分の夢を叶えることができるのだ。
しかし、深い闇の中に留まったままでいては、いつまでも頂へと走り出すためのスタート地点にすら立てていない状態ということになる。叶えたい夢や実現したい自分のイメージや姿は、どんどんぼやけて霞んでゆくだろう。胸の内に秘めて、自分の中にあったはずのものなのに、次第に像が見えなくなっていってしまう。夢も希望の光も見失われ、自分自身すらをもを見失う。いつかなりたい自分や実現したい自分を諦めざるを得なくなる。自分に対して否定的になる。自分というものを打ち捨てざるを得なくなる。
こうした悪循環が続くと、スタート地点にも立てていない自分を、もはや哀れむことすらできなくなってしまうだろう。すでに否定し尽くされた自分の中で哀れみを募らせたところで何にもならない。哀しみも空しさもない無感覚な状態である。暗闇で立ちすくんだまま、自分に対して何の感情も湧いて来なくなる。完全に動きは止まる。全く動きのないところには、新たな動きは生じ難くなる。こうして、さらにスタート地点に立って動き出すことから、どんどん遠くなってしまう。あとは、ただ深い闇の底へとゆっくりと落ちてゆくだけなのであろうか。
それでも、孤独者は闇の中で立ちすくんだまま何もしていないわけではない。一般的な意味での歩みと見なされる一歩と比べたら、微々たるものであるかも知れないが、少しだけ足を動かしていたりする。しかし、その足元はとてもジメジメとしていて滑りやすく、動かした足はすぐにズルズルと元の場所に戻ってしまう。微かに動かしては元に戻る。毎日が、その小さな動きの単調な繰り返しになる。何も生産的な結果を生むことのない、どこまでも不毛な繰り返しである。ひたすらに繰り返しているうちに、その情けない結果に対しても、ちっとも苛立ちや空しさを覚えなくなる。意味があるのか意味がないのかすら分からないことを繰り返すだけの毎日の中で、何も変わらず何も目に見える動きがない状況が、慢性的な無感動と無感情を引き起こして反復されてゆく。
決して目に見える形では動き出すことができなかったとしても、毎日少しは前向きになろうと足掻いてはいる。だがしかし、そのささやかな動きは、誰からも注視されることなく、ただ無駄な徒労に終わるだけなのだ。誰かに見てもらいたくて/認めてもらいたくて足掻いているわけではないが、その闇の奥底で頑張ろうとしている人間がいることに誰かに気づいてもらわなくては何も始まらない部分は、確かにある。不毛な足掻きを繰り返しているだけでは、本当の意味での動きは何も起きはしないであろうから。
ただし、そもそもの話として、孤独者に何かが起こることや何か希望らしきものがあると孤独者が思い込むことこそが、ただの幻想であるのかも知れないが。

孤独者の視点から、活き活きと前向きに頑張って生きている人たちを眺めていると、あれは自分と同じ人間なのだろうかと思えてくることがある。それは、ただ単に遥か下の方から人間の生のよい部分だけを眺め見ているからなのであろうか。つまり、その孤独者が見上げる角度のせいで、よい部分しか見えてこないということなのだろうか。そもそもが、そこに見えているのは、孤独者の生とは全く違う次元の人間の生なのであろうか。あまりにも違いすぎて上からは下がはっきりと見通せないし、下からも上がはっきりと見通せなくなってしまっているのではなかろうか。
これらふたつの生の形状の間には、とても大きな隔たりがあるように孤独者には感じられる。また、そう思うことで、さらに孤独者の気持ちは萎み無気力や無感動が増長されることになる。明るい場所にいる人がどういった生を生きているのか、闇の底の孤独者には朧げに想像することしかできない。おそらく、そこは孤独者が立ちすくんでいるような深い闇に包まれた場所とは全く違う場所なのであろう。遥か下層の闇の奥底からでは、うまく理解も想像もできないほどに違ってしまっているのだ。違いすぎて詳しく実態が分からないせいで、そこまでの距離感をうまく掴むこともできない。上の人間と下の人間を大きく隔てているものとは、一体何なのだろうか。
明るい場所と暗い場所の違いは、どこから生じているのか。それは、ただ孤独者には我慢できなかったものを、ほんの少しだけ頑張って我慢して、ちょっとした人生の分かれ目となる関門をかいくぐった場所というだけの、ちょっとした違いなのであろうか。そこにいる人々の顔を見ても何も分からない。誰もが同じような表情で行き過ぎてゆくだけである。本当の表情は内面の奥深くに隠されてしまっていて、それを覗き込むことすらできない。仮面によって防御されていて、本当の表情や感情は全く見えなくなっているのだ。それが、現代の世界であり、現代社会というものなのである。見えているのは何でもないものばかりであり、本当のことは何も見えないし、誰も何も見せようとはしないのである。
中には仮面を取り払って自分を見せている人もいる。だが、それは何らかの形で腹を括っている人か、全てを見せてしまったとてもどうということのない人たちである。自分を売り物にして商売を行っている人は、そうやって仮面を剥ぎ取り身を削って生きてゆかねばならない運命にある。ただ、はっきりとそれを見せることを前提としている生であるので、それは安定した明るい場所での生き方ということになるだろう。周囲が真っ暗な場所では、誰もそれを見ることはできないのだから。
全てが安定している明るい場所には、足許がぬかるんで滑りやすい暗い場所とは、全く異なる生き方がある。ただし、いずれにしても暗い闇の奥底から、この明るい場所のことをハッキリと見ることは出来ない。そこは、あまりにも明るすぎて、闇に沈む孤独者にとっては眩しすぎる世界なのである。

そこに人間の顔がある。だが、その人間の本当の表情は見えない。目の前にいる、あの前向きに労働に勤しむものは、ただただ無心になって働いているだけのように見える。そのまるで仮面のような表情からは、何も読み取ることはできない。仮面の下に何を隠しているのだろうか。それとも何も隠してはいないのだろうか。本当は何かとても辛いことが昨日の夜にあったのではなかろうか。もしかすると、あの前向きに頑張っている姿というのは、自らの意に反することなのではなかろうか。仮面のような表情からは、何も伝わってくるものはない。仮面を被ったままで生きていると、いつしか仮面越しに事物を眺めることに慣れてしまい、本当に何も感じなくなってしまうのではなかろうか。
それでも彼らは前向きに自らの生き方に満足をし、そこに生き甲斐を感じたりしているだろうか。仮面で隠されてしまっているせいで、その満足感を表に出せていないだけなのか。何も感じていないような表情に見えるのは、そこに大きな幸せがあって常に満ち足りた状態にあるからなのだろうか。何も感じていないような表情に見えるのは、そこに大きな幸せが欠乏しているからなのだろうか。前向きな生であっても、未来への希望を感じられないようなこともあるのだろうか。日々の生活の中の小さな幸せも、あまりにささやかなものになりすぎてしまって、それを幸せだと感じられなくなってくることもあるのだろうか。
毎日トラックで配送をする人。家のポストにチラシを投函して回る人。営業で朝から晩まで歩き回る人。机で細かな計算だけを繰り返す人。スーパーマーケットで棚に商品を補充し続ける人。メガネを売り続ける人。コンタクトレンズを売り続ける人。回転寿しを回し続ける人。コンビニでレジを打ち続ける人。駄菓子を卸売りする人。電話でアンケートをとる人。バスの運転をする人。電車の運転をする人。タクシーの運転をする人。病人を診察する人。病人を看護する人。葬儀を行う人。野菜を売る人。散髪する人。畳を作る人。公園のベンチでずっと座っている人。駐車場に停めた車で眠っている人。畑を耕す人。稲刈りをする人。漁船にのる人。絵を描く人。文章を書く人。詩を書く人。
人間が生きているということは、どういうことであるのだろう。今ここで生きている人がすべきこととは、つまらない労働なのであろうか。より多く(つまらない)労働するものが、よりよく人間らしく生きているということなのだろうか。表情も感情もなくなるまで(つまらない)労働をすることが、人間が生きているということの主目的であるのだろうか。労働というのは、表情も感情もなく生きる人間にしかできないものなのだろうか。労働が、生きる人間から表情も感情も奪い去ってしまうのだろうか。
おそらく、そうした労働らしい労働こそが、人生の全てという人間も少なからずいるのだろう。そういった人間にとって、労働というものが人生から取り去られてしまったら、残りの人生はどのような意味をもつものなのであろうか。それは、全く意味の無いものになってしまうのではなかろうか。(労働以外に)意味のない人生を人間は生きられるのであろうか。生きながら死ぬことは可能だろうか。死んだまま生きることは可能だろうか。
人間が生きるということは、その人間が生きることのできる人生を最大限に生きるということではないのだろうか。人間が人生を最大限に生きようとする意志をもつことは、とても当たり前のことのように思われる。だが、全ての人間が思いきり最大限に生きようとしたら、この世の中はもはや人間の住めるところではなくなってしまうのかも知れない。
だから、人間は本当の自分を隠し、自分を押し殺し、表情もなく、感情もなく、無の状態になって生きなければならないのだろうか。人類の歴史や文明の繁栄は、人間に対して生きながらに死んでいるような生き方を強いるような方向に流れてきているのではなかろうか。上手に生きながらに死ねるものには、それに見合ったこの世界で生きてゆくための許可が下りる。前向きに人間らしく死ねないものや、世の中や社会が許容する以上に存分に生きたいと思うもの、人間らしく生きようとする意志が過剰に強いものは、この界隈では逆に人間らしく生きてゆくことが出来なくなる。ここでは、人間らしく生きないことによって、人間らしく生きることが許可されるようになるのである。
人間らしく生きないもの/人間としては死んだ状態で生きるものが、最も人間らしく生きてゆくことができるのが、この明るく光りに満ちた場所なのである。そこにいるのは、無事にスタート地点に立つことができ、頑張って前向きに走っている(つまらない労働に勤しむ)人間たちである。
その道の行き着く先のきつい坂を上りきった先には、また違った生き方があるのだろうか。もっと眩い光に包まれるような場所があるのだろうか。人間らしさをかなぐり捨て、人間らしく生きることすら諦めて、頑張って前向きに生きる人々。生きながらに死に、死んだように生きている、平然と感情を押し殺して走り続けなくてはならない人々。彼らは自分を亡きものにした自分の顔を隠すために仮面を被っている。
前向きに頑張って生きる人々のいる世の中の両極には、全く動かずに止まってしまっている人々がいる。一方の極は、光の中にあり、もう一方の極は、闇の中にある。表情も感情もなく忙しなく動いているのは、その両極の中間にいる止まることのできない人々のみである。その生きながらに死んでいる/死んだように生きている人々のいる場所が、光と闇の世界を大きく隔てている。ふたつの極の間の距離は、とても遠く、そこには大きな断層が横たわってる。生きながらに死んでいる/死んだように生きている人々の労働が労働を膨れ上がらせ、その極の距離と段差をさらに大きく広げてゆく。