Neko: My Stars

Neko: My Stars
Mimonot Records

画像 ロシア南西部のオレンブルクに拠点を置くネットレーベル、Mimonotからの一作。アレクセイ・ニグマテヤノウィム(?)によって、08年に設立されたMimonotは、ポストロック、インディトロニカ/エレクトロニカ、シンセ・ポップといった様々なスタイルの作品を幅広くリリース展開しているネットレーベルである。
 しかし、このMimonotには、そうした音楽の面以外にも、もうひとつ大きな特徴がある。09年の秋よりMimonotは、レーベルの運営の形態を、MP3ファイルでの音楽の配布・配給そのものに力点を置く形に、大きく方針転換を図っている。これに伴い、リリース作品の全てにレーベルのカタログ番号を付帯させる作業も停止してしまった。
 これは、クリエイティヴ・コモンズでライセンスされた作品が、リリース元のレーベルとは関係なく、作品を発表したアーティスト(作者)の名の下に、広く二次的、三次的に広まってゆくことを、念頭に置いた変化なのであろう。Mimonotにとって、ネットレーベルというものの存在とは、もはや、自由に音楽が流通してゆく過程での、世界各地に散在するベース・ステーション的な中継点のひとつでしかないということなのかも知れない。
 ZIP形式に圧縮されたデータ・ファイルとして、地球上を覆い尽くすデジタル・ネットワークの網の目を、無限に増殖しながら漂流・漂泊する自由な音楽。そこにおいては、それがどこの国の何というネットレーベルからリリースされたものかなどといったことは、その作品を音楽/情報の大洪水の中で峻別する際に、ちょっとだけ役に立つ、ひとつの付属情報でしかない。しかも、そこにレーベルのカタログ番号が付与されていなくても、誰も困ることはないのだ。アーティスト名と作品のタイトルで検索をかければ、その作品を最初にリリースしたネットレーベル(起源)の情報は、すぐに確認可能なはずなのだから。おそらく、カタログ番号によって検索されるケースというのは、これまでにも殆どなかったのではなかろうか。カタログ番号とは、そもそもレーベルが、その運営に際して、合理的にリリース作品を番号順に整理し、ひとつずつリリースを重ねてゆく楽しみのためだけに付与されているものでしかないのである。
 ネコ(Neko)の“My Stars”がリリースされたのは、10年4月24日前後のこと。リリース日が曖昧な記述になってしまうのは、Mimonotのサイトに、このリリース作品に関する情報が、まさしく必要最低限のことのみしか掲載されていないためである。そこで確認することができるのは、アーティスト名と作品のタイトル、そしてジャケットのアートワークと簡単な音楽スタイルの分類(ポストロック/インストゥルメンタル)だけだ。それらの非常に簡素な情報の記載の下部には、試聴用の簡易プレイヤーとダウンロード用のリンク・ボタンがある。これらのことが、リリース元のMimonotのサイトが明らかにしている、この作品に関する全てである。もし、この作品が気になり、ここで試聴して、よいと思ったら即座にダウンロードして、たっぷりと聴いてくれ、ということなのだろう。
 その中途半端さの一切ない徹底的に簡素化された様式からは、本当にMimonotがレーベルとして音源の配布・配給だけに力点を置いているということが、まざまざと見てとれる。しかし、困ったことに、この作品について、何かそれ以上のことを知りたいと思った時には、このリリース元のサイトは、全く役に立ってくれないのである。ただ、Mimonotのサイトには、ダウンロード用のZIP形式のファイル内部に、MP3の音源とアートワーク、そしてレーベルによるプレス・リリースがパッケージされていると明記されてはいる。しかしながら、この作品に関して(?)は、そのデータ・ファイルを解凍しても、どこにもプレス・リリースらしきものは見当たらないのである。
 よって、本作に関してMimonotのサイトから知ることができるのは、本当に(作品のダウンロードのために)必要最低限の、そこに掲載されている情報のみでしかない。そのうえに、さらに困った事態も生じてきた。このネコというアーティスト名も作品のタイトルも、非常に在り来たりのものであるために、ネットワーク上で検索を試みても、該当する情報を探し当てることは、かなり困難なこととなりそうなのだ。
 “My Stars”は、全4曲を収録したEP作品である。全く派手さはない。とてもシンプルで落ち着いた佇まいのEP作品である。何かを声高に主張する素振りもみせずに、夜空の星々のように、ひっそりとそこに存在している。独特の重みをもつ存在感を、じんわりとにじませながら。
 ネコは、ロシア西部のヤロスラヴリを拠点とするアーティストがプロデュースしている、ワンマン・バンドであるようだ。ロシアの母なる川といわれるヴォルガ川沿いに中世より栄えてきた、壮麗なる大聖堂や修道院が建ち並ぶこの古い要塞都市の中心部は、05年にユネスコによって世界文化遺産に登録されている。そんな歴史ある街において、たったひとりのマルチ・インストゥルメンタリストの手によって、このネコの音楽は制作されているという。これは、実に驚くべきことである。ネコが繰り広げているサウンドは、完全にバンド編成でのライヴ演奏であるのだから。これはもはや、ロシアのトッド・ラングレン(Todd Rundgren)ともいうべき才能であるかも知れない。
 ネコの楽曲は、全てイントゥルメンタル曲である。インストのポストロック・サウンドとは、ある意味、言葉の面でも語彙の面でも、極めて無国籍でボーダーレスな音楽だといえるだろう。また、その声なき音楽的なアティチュードは、悪しきしがらみと化した古いロックの伝統から断ち切れようと欲するものでもある。ネコは、その軽妙な足取りで、徹底して音楽そのものを重視するMimonotの運営姿勢を、ある種の隠れ蓑にして、まんまとポストロック・バンドに成り済ましてしまったようだ。そして、素知らぬ顔で、正体や素性を少しも明かすことなく、ポロッと“My Stars”をリリースしたのである。
 しかし、リリース元のMimonotのサイトが、リリース作品や当該アーティストについての知りたい情報を知るということに関しては、全く役に立たないものであったがために、ネコの正体や素性を調べ上げてゆく作業は、予想通り非常に困難なものとなった。ネコという簡素過ぎるアーティスト名であるために、Googleでの検索もままならない。これだけ雑多な情報が膨大に溢れ返っている状況では、その只中に紛れ込んで正体を消してしまうことも、いとも簡単なことなのだと、あらためて思い知る。
 そして、もっと紛らわしいことには、フランスのリールにもネコという名前のポストロック系のサウンドを奏でているバンドが存在していたのである。こちらは、トリオ編成での正真正銘のバンドであるようだ。しかしながら、そこで完全に情報が錯綜してしまった。色々と調べを進めてゆくうちに、ロシアのネコとフランスのネコが、ゴチャゴチャに入り混じり、混同してきてしまったのである。そして、遂には、この両者を完全に取り違えて、フランスのネコの過去のリリース作品を、ロシアのネコのものだと、てっきり思い込んでしまうことに相成った。こうした失敗に見事に陥った経緯もあって、結局のところ、ロシアのネコに関する有力な情報は何もつかめずに終わったのである。
 ただ、このネコの追跡は、(音楽に付帯する)情報というものの必要性について、あらためてじっくりと考える、よい経験にはなった。はたして、情報とは、どこまで必要なものなのであろう。音楽は、それだけで十分な情報にはなり得ないのだろうか。音楽は、それ自体では、何も語らないのだろうか。もしかすると、音楽に付帯する周辺情報のほうが、現在の音楽においては、音楽そのものよりも重要視されているのかも知れない。音楽そのものについて書くだけなのに、どうして、そのアーティストのプロフィールを、ある程度まで知っていないと、全くそれらしきことが書けなくなってしまうのだろう。どうして、このネコの音楽について少し書くためだけのために、必死になって使えそうな情報を追いかけ回してしまうのか。そして、いとも簡単に、誤った情報に振り回されたりもしてしまう。そもそも、音楽について書きたいのか、音楽の情報について書きたいのか、どちらなのであろう。
 Mimonotが、その音楽中心主義/ダウンロード至上主義的な、非常に硬派な姿勢で示しているように、やはり究極的には、全ての根幹である音源とそれにまつわる必要最低限の情報があれば、それでよいはずなのだ。基本的には、そう思える。画期的なMimonotの運営哲学にも賛同できる。それでも、必要最低限以上を、もっと知りたくなってしまう欲求が生ずるのは、なぜなのだろう。その音源を気に入るや否や、どこを活動の拠点にしているのか、誰がメンバーなのか、他にどんな作品を発表しているのかといった、本当は(その)音楽そのものにとっては、ただの関連情報でしかないことを物凄く知りたくて仕方がなくなってくる。音楽・音源があるだけでは物足りなくなってしまうのは、なぜなのだろう。
 もしかすると、音楽に付帯する周辺情報を含めて受け止める/受け入れることを、これまでの聴取習慣の中で、音楽を聴く行為だと繰り返し刷り込まれ/思い込まされてきてしまっているせいなのかも知れない。それが、そこにきっと強く影響を及ぼしているのであろう。よって、ある程度の周辺情報が付帯していない音楽は、不十分にしか理解できないものと自動的に判断されて、その全てをそのまま受け入れることは、不可能となってしまう。これは、完全に音楽を聴く(音楽を聴いて、音楽を理解する)能力の低下である。音楽そのものを聴取するだけでなく、目で音楽を識別し、読む情報を聴き込んでいる。音楽は情報とともに理解されるものであり、そこでは、音楽は情報による補完を絶対的に必要とするものとなる。よって、必要最低限の情報だけでは、どうしても物足りなく、満足ができなくなってしまうのだ。
 ネコが、これまでに正式に作品を発表したという形跡は、残念ながら、どこにも見つけ出すことはできなかった。それはつまり、もしかすると、この“My Stars”が、ネコにとってのデビュー作であるということを意味するのかも知れない。おそらく、その可能性は高いのではなかろうか。そんな初のリリース作品が、必要最低限の情報のみしかサイトに掲載せず、専らダウンロードのための場としてのみ存在しているかのようなロシアのネットレーベル、Mimonotからのリリースとなったことは、なかなかに興味深い。
 おそらく、ネコの“My Stars”は、ロシアのポストロック・バンドによる作品だと完全に思い込まれながらダウンロードされ、多くの人々に聴かれているのだろう。そして、その大半の人たちは、たぶん、ずっとそう思い込んだままでいるに違いない。誰も、これがひとりの才能あるアーティストによるユニットだとは、思いもよらないであろうから。しかし、きっと、それでもよいのだ。ネコの音楽を気に入って、ダウンロードして聴く。その能動的で実践的な行為こそが、そこでは最も重要なことなのである。
 音楽を聴いて、もっとネコについて詳しく知りたいと思えば、何とか手を尽くして、か細い情報の糸を手繰り寄せるように必死にあれこれ調べ上げるであろうし、そうでない場合には、プロフィールやバックグラウンドとは関係なく、その音楽のみを純粋に楽しむだけであろう。極めて単純な話なのだ。音楽というものは、そうやって自由に聴かれ、自由に楽しまれるべきものなのである。そこに決まった形式などは、全くなくてよい。常に一回限りの聴取形式をもち、無限の多様性へと開かれているものこそが、音楽を聴くという体験や行為であるはずなのだから。
 それでは、そんなネコの“My Stars”の作品内容、その音楽について、簡単にではあるが紹介してゆくことにしよう。
 1曲目は、“Shining”。清らかながらも力強いピアノを全面的にフィーチュアした、優雅でドラマティックな一曲である。流れるようなストリングス等のアレンジメントも、壮大なムードを演出するのに一役買っている。序盤は、どこかU2(もしくは、U2を模倣したコールドプレイ(Coldplay)だろうか)を思わせる滑り出しであるが、中盤に飛び込んでくる思い切り歪んだギターの音色が合流するあたりからは、ラフでパワフルなネコらしい個性が強く前面に押し出てくる。満天の星空を見上げて、遠い宇宙の彼方から地上へと届けられる、星々の悠久なる瞬きに思いを馳せる。地に足をつけていながらも、どこかセンチメンタルに揺らぐような3分35秒である。
 2曲目は、“Colours Of Universe”。広大な世界の真ん中で、ぽつりと孤立し、周囲の全てのものが遠く離れてゆくようで、どこまでも寒々しく感じられてくる。見る見るうちに色を失ってゆく、取り巻く景色。ため息まじりににじみ出す哀感と、奥底からわき上がってくる熱い情感。導入部を抜けたところから一気に駆け上がり、渦巻くように熱量をキープするエモーショナルなアンサンブルが、圧巻である。ゴリゴリと突進するギターと地を這う骨太のベース、そして豪快に轟くドラムスの機械的なビート感。それらとは好対照をなして、ひんやりとしたエレクトロニクス・サウンドが、静かにサウンドの根底を流れ続ける。うねるような泣きの旋律が次々と突き上げてくる、実にネコらしい深みと厚み豊かな演奏が繰り広げられる4分2秒である。
 3曲目は、“My Stars So Cold”。再び、ピアノを大胆にフィーチュアした、壮麗なるサウンドで幕を開ける。ここでは、よりメランコリックかつ濃密なサウンドが展開される。確実に一歩ずつ足許を確かめながら、ストップ&ゴーを繰り返しつつ、高い頂を目指して登り詰めてゆくアンサンブル。あたりを電子音が飛び交う。空気が揺らめきながら煌めく。天上へと突き抜けるに従って、俗世間とはかけ離れた幻想的な景色が、周囲に広がり始める。かつて、あまりにも寒々と感じられた星々の瞬きは、遥か彼方に霞んでしまう。優美に漂うメロディが、脳裏を掠めて、滝のように内側に流れ込んでくる。どこかから誰かを招き、呼ぶような歌声が、微かに聴こえる。あたたかでやわらかな光に包まれた世界。真っ直ぐに異界へと続く道。ハードかつヘヴィでありながらも、しっとりとした叙情性の横糸もしっかりと織り込まれた、おそろしく濃厚な3分40秒である。
 4曲目は、“Birds Come Home (ft. Siren)”。この楽曲のタイトルは、どこかフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche)の晩年の詩「鴉」(「孤独のうちに」原田義人訳)を思い起こさせるものがある。その詩において偉大な哲人は、バサバサと騒々しく羽音を立てて、思い思いに鳴きながら、暮れかけた冬の夕空を、仄かに灯りの点りはじめた街の方角へと飛んでゆく鴉の群れを眺めやりながら、「幸いなるかな、今なお、故郷を持つものは!」と歌っている。孤独の極みに立ち続け、世紀末のヨーロッパをあてもなく彷徨い続ける、漂泊の身である己と、気心の知れた仲間たちとともにあたたかな街の寝床へと帰ってゆかんとする鴉たちの身の上を対比させた、悲壮なまでの魂の叫びが、この詩には痛いほど溢れ出している。しかし、天高く飛翔するニーチェの魂に、もはや帰るべき場所などはない。己が身を焔と燃やし、冬の寒さに耐えるしかないのである。氷のように澄んだギターのアルペジオに、天女の如き女性コーラスが優美に絡む。中盤からは、そこにピアノも加わって、厚みのあるゆったりとした、神々しいまでのアンサンブルが展開されてゆく。そして、その優美な流れを保持したままに、さらなる終盤の高みへと、一歩ずつせり上がるのである。濃密でヘヴィなネコのサウンドが、優しい光に包まれてフワリと浮かび上がる。深く冷たい闇を突き抜けた、孤独な魂の焔が、ゆっくりとゆっくりと天に昇ってゆく。皮肉にも、あれほどまでに辛辣に呪いの言葉を吐きかけ続けた、大いなるものの懐に優しく抱かれるように。すさまじくメランコリックな調べに導かれて、神々しい光の中で全てが一体化してゆくかのような、美しくも感動的な4分1秒である。
 ネコによる、星の物語。“My Stars”は、約15分半の、実に劇的な作品となっている。大々的にピアノの演奏やストリングスの調べが導入され、ポスト・オルタナティヴ~ポストロック的なゴリゴリにハードでヘヴィなアンサンブルに、瑞々しくも鮮やかな彩りと映像的で深みのあるアンビエンスがサウンドに添えられる。とても完成度の高い音だ。もし、これが、本当にネコの第一作目であるならば、相当な驚きの才能である。そしてまた、全4曲で約15分半とは決して思えないような、ズッシリとしたヴォリューム感もある。通して聴くと、EPではなく重厚なアルバム作品を一作聴き終えたような強い印象が残るのである。
 全4曲の収録曲に、それぞれのストーリーがあり、それぞれに連鎖しあいながら、作品全体で、ひとつのドラマが描き出される。満天の星々だけが瞬く夜の闇の底で、根源的な存在の孤独に打ち震えていた魂が、大いなる意志の力とともに陽炎のように天高く突き抜ける。そして、光に満ちた統一と調和の中で、孤独な魂は一なるものの懐へと回帰する。闇から光へ、そしてまた真夜中へ。
 また、この作品は、ひとつの恒星の誕生から死までの悠久なる物語として聴くこともできるかも知れない。星は、孤独である。そして、各楽曲は、それぞれが恒星としての瞬きを放ち、全体でひとつの星座を構成する。つまり、それが、ネコの“My Stars”(星座物語)となるというわけだ。ネコの音楽には、かなりの深みがある。
 ポストロックとは、ロック以降の自由な地平に無限に開かれているようで、実は、とてもステロタイプ化しやすい表現スタイルでもある。伝統的なロック音楽との明確な線引きを、意識的に自らに課すことによって、ポストロックという音楽スタイルそのものの幅を、自らの手で狭めていってしまうことにもなりかねないから。ゆえに、その地平にひとつの定型らしきものが生ずると、一気にそこを突破口として絶え間のない参照がなされ、皮肉にも画一化に向けたドミノ倒しが発生することにもなる。そんなフォロワーばかりのポストロックでは、もはや洒落にもなりはしない。
 本作でのネコは、ハードかつタイトな(擬似的な)バンド・アンサンブルに、メロディアスな叙情性を盛り込むことで、独自の表現スタイルを編み出してゆこうと、精一杯に苦闘している。そうした試行錯誤のサウンドもまた、ある意味では、極めてポストロック的な在り方だといえるのかも知れない。その地平では、終わることのない暗中模索が繰り返され、捻り出されたロック音楽の可能性に線が引かれ、それを次々と新たに切り取り続けてゆくことが重要となってくる。どこにも完成形のないポストロックにとって、もはや安住の地などは決して存在しないのだから。(10年)

追記 先日、Mimonotのサイトがダウンしているというニュースが伝えられた。実際に、それらしき告知もなされていたが、現在は元通りに復旧しているようである。ロシアのネットレーベルは、基本的にThe Internet Archive(Archive.org)などのサーヴィスをあまり利用していないので、大本のレーベルのサイトがダウンすると、リリース作品の音源の入手が非常に困難になってしまう危険性が極めて高い。この点に関しては、ちょっとした注意が必要である。つまり、気に入ったら、即ダウンロードが原則となるということである。

追記 11年3月、このネコの作品に関する記事のコメント欄に、文章の内容に関する指摘があった。どうやら、ロシアのネコとフランスのネコは全くの別のネコであるらしいのだ。そのコメントを寄せてくれたのは、本家のロシアのネコであると思われる。もしくは、その関係者であろうか。とりあえず、文中においてフランスのネコに絡めて論述されていた部分は全て削り取り、いまだ謎多きロシアのネコの音楽を紹介する文章に書き換え、新たに組み立て直した。よって、最初の記事よりも多少コンパクトな内容となったが、その分だけ多少は焦点を絞り込み凝縮されたものになっているのではなかろうか。この文章が、多少なりともロシアのネコの音楽の真の姿を世界に広め伝える手助けになるとしたら、誠に嬉しい限りである。コメント欄で貴重な指摘をしてくれたネコに、心より感謝したい。ありがとうございます(Спасибо)。(11年・改)

この記事へのコメント

Neko
2011年03月02日 06:58
There are at least two artists named "Neko"
1) Band from France
2) One-man-band from Yaroslavl, Russia. Russian Neko is composing post-rock/alternative music. Tracks named 窶彜hining窶�, 窶廚olours of Universe窶�, 窶廴y stars so cold窶�, 窶廝irds come home窶� are from his album 窶廴y stars窶�. You can check it on Last.fm

Everything written in this article is cool, but it is all about russian "Neko" :3

Please! Spread this info, tell everyone about it
溝!
2011年03月05日 04:35
I confused with two respective band. French Neko is the another Neko. That's right? I will rewrite the part of making reference to French Neko.
Neko
2011年03月24日 06:59
Thank you very much! You worked a lot with this article. It seems that your text became 2x bigger =) Unfortunately I can understand only a few sentences (Google-translate works terrible with japanese).But I enjoyed it though ^_^
If you are interested in russian music, you can wrigtht me some e-mail - sagoth-x@yandex.ru or ICQ-message - 426-342-428.
溝!
2011年03月25日 03:13
Thanks for the reply. I will write e-mail.:)

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