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みんなの「Japanese Pop」ブログ


誰が孤独を歌うのか(七)

2014/04/01 02:00
誰が孤独を歌うのか



近代の社会は、本質的にそれをひとつの社会として成り立たせている根幹の部分に決定的な歪みを孕んでいる。人間の集団の中に芽生える歪みを補正しつつ、集団の構成員としての民衆/人間たちを隙間なく配置・併置してひとつのまとまりを形成し、閉じた運動体としての機能を辛うじて達成させたものが、近代の社会というものであった。その根本にある、どこまでも痼りとして残り続ける歪みの存在は、この人間世界の近代化以降の250年間にずっと指摘され続けてきた悪性の腫瘍だといってもよいだろう。近代の社会は、その始まりから現在にいたるまで、常に歪んでおり、いびつであり続けてきたのである。人間と人間の関係/(近代の)社会的(人間)関係には、何らかのいびつさが、常に伴っているといってもよい。そこにある小さないびつさの上に(それをいびつだと見なすことなく)さらに(見過ごされた)いびつさを重ねてゆくことで形作られるのが、この社会というものなのである。
その時々の症状や症例に合わせて、社会は自らの孕んでいる歪みを巧妙に覆い隠す術を身につけてきた。その一時的な覆い隠しの動き/働きが、さらなる新たな歪みの種を生み出すことになるのは、最初からその社会の機構にとっては計算済みのことである。みすみすそこにある歪みを悪化させて露呈したままにしてしまうよりは、新たな歪みの種の状態にまで社会の中の歪みを一旦縮減させておき、その歪みの種が目に見える歪みへと膨らみ出してきた際に、再び一時的な覆い隠しをしておけばよいだけの話なのである。この、歪みを覆い隠し続ける機能は、社会の中の歪みが大きな壊滅的亀裂に発展することを抑えるのには非常に効果的なものであった。こうして巧みにその場しのぎを行い、小さな歪みや歪みの種には目を瞑って(時間的な猶予を作り出し)先へ先へと進んでゆく機構や機能こそが、近代社会のシステムの発展/巨大化を支える大きな特徴であった。
だが、ここ十数年の急激で急速な時代の変化の中で、絶えず進化と進歩を遂げてきた近代の社会は、そうした歪みやいびつさをあまり巧みに覆い隠せなくなってきてしまっているようにも思える。これまでは、あまり目につかないものであった無惨で悲惨な歪みが、社会の至る所で露になってきているのである。自浄能力をもつ社会の仕組みによって巧妙に覆い隠されて、あまり目につくものではなかった歪みやいびつさであるから、現代に生きる人々は、それほどそうした社会の表層に露呈している歪みやいびつさに真正面から目を向けることには慣れていない。それは、少し前までは見えても(社会の歪みやいびつさには)見えないものであったのだ。道端の石ころや雑草を見ても、ただの石や草にしか見えず、それが何を意味しているものであるのか/何の徴であるのかに全く思い至ることがないように。そうした歪みやいびつさの露呈を目の当たりにしても、それが何であるのかを正しく明確に認識することは(まだ)できていないのであろう。または、それを見て、何か社会的な違和感のようなものに思い当たったとしても、自分ひとりの力ではどうすることもできないと(その歪んでいびつな社会の常識に照らし合わせて)思考をし、ついつい見て見ぬ振りをしてしまったりするのである。
近代以降の時代に生きる人間は常に前に進んでいないと言い様のない不安に苛まれてしまうという変な性質を身につけるようになってしまったようである。何かを乗り越えて前に進むということが、人間の生の活動にとって非常に重要なことと(見なされるように)なったのである。とりあえず歪みを応急処置的に覆い隠しておくような前進でも、その歪みを不安に思って一歩も前に進めなくなってしまうよりは大分ましなのである。人間とは、より生きやすい、よりよい環境を求めて、あくまでも前に進むものなのだ。より自由に活動できる環境を作り出すために、限定的な特権と人間の人間による封建的な支配体制を廃止し、次々と人間を縛り限定する規制が緩和されていった。こうして近代の(自由な主体性をもつ人間による)社会へと解き放たれた近代人たちが形作る社会は、より社会化が進み、民主主義化されたものになってゆくこととなった。それまでにあったよいものは、より風通しの良いところに引っ張り出されることによって、多くの人々の手に支えられて、さらによいものとなってゆく。そうした人間の生におけるよさの拡大により、人間は少しずつでも前に進んでいることを実感する。このような人間の生の形態の進化と前進こそが、集団や共同体を成立させていた規制を緩和することを通じて現代の社会が到達を夢見る民主主義的理想の追求の形態そのものなのだもといえる。
だが、現実には理想通りには決してなってはいない。厳しい規制によって不可侵のままに保たれていた人間を人間らしくしていたものが、その規制の緩和とともに一斉に地べたへと勢いよく引き下ろされてしまった。そこでは、これまでには考えられなかったような大量の粗雑なものが生み出され、それまでにあったよいのものを数と量で圧倒して蹴散らして蔓延るようになる。規制緩和の動きは、新しい時代の病理の素を広く津々浦々までまき散らす役割を全うするというあまりありがたくない機能をも果たしたようである。これによって、本格的に深刻な近代の病が一気に発症した。そして、病で免疫力を失い露になった歪みやいびつさから溜まっていた膿が噴き出すと、社会の動きは著しく滞り、硬直し、そのまま死に至るということにもなりかねない。新たな歪みの種をまき散らしながらもしぶとく蘇生して、何度も生き返った/何度も生き返らせられた近代社会のシステムが、ここにきて本当に立ち行かなくなりつつあるのである。

そんな現在の社会において、そうした社会のあり方をある意味で象徴するかのような形で国民的な人気を獲得しているアイドル・グループがある。それが、言わずと知れたAKB48である。年末も、年始も、そして3月11日の前後も、特別な日も普通な日も関係なく、彼女たち(のうちの誰か)の姿をテレビ等のマス・メディアを通じて見かけない日は、もはやない。いつどこを見てみても、当たり前のように、そこにAKB48はいる。テレビでCMばかりが流れる時間帯であれば、一分間のうちに複数回その姿を見ることだって可能であろう。
AKB48というアイドル・グループは、ひとつの大きな経済活動や現代型のビジネスのモデルとして、この社会のもつ消費と快楽の欲望を最大限に有効に引き出し、それに律儀に経済原理に則して応対し、大衆の消費行動の有り様に最も的確に幅広くフィットすることで、非常に大きな成功を収めるにいたった。いまやリリースするシングルは、軒並み100万枚以上の売り上げを記録(12年5月23日に発表された“真夏のSounds good !”は、選抜総選挙に投票するためのシリアルナンバーカードが特典としてついていたこともあり182万枚を売り上げている)し、11年と12年の年末には二年連続で日本レコード大賞を獲得している。
選抜総選挙と呼ばれるメンバーの人気投票への投票権や握手会イベントへの参加券などが特典としてついた1600円のCDを短期間に大量に売りさばくのが、いわゆるAKB商法といわれているものの特徴である。そこでは、もはやCDは、歌や音楽を記録した半永久的な再生用の媒体というよりも、そのパッケージに封入されている幾つものヴァリエーションのある特典と抱き合わされることよって賞味期限/消費期限つきの生ものの一部に変質させられてしまっているといってよい。そして、その商品の価値を安いものにするのも高いものにするのも消費者の消費行動次第となる。特典付きCDの価値は、それを手にした消費者がそれをどれくらい消費するかという意思や行動によって決定されるのだ。そこではCDは買って聴くだけのものではなく、消費者に多くの楽しみをもたらす予約券のようなものになる。購入したCDを聴く必要は、もはやない。よりよい特典を手にするために同一のCDを大量に購入したとしても、聴くためのCDは一枚あれば十分だろう。全ての選択の自由は消費者側に委ねられている。そして、その選択肢に多くの幅を設けて消費者の消費欲望を煽るだけ煽るのが、売る側の巧みや戦略でもある。目の前にズラリと並べられた商品を積極的に消費すればするほどに、AKB48というアイドル・グループが提示する娯楽性をエンターテインメントとして楽しむことのレヴェルも相対的に上昇する。ただし、それによって消費者にとってのその消費行動がもつ価値は高まるが、それと同時に、その商品のCDとしての価値は破壊的なまでに下落することになる。しかし、それは、旧来の伝統的な音楽を聴くという単一的な娯楽性しかもたないCDの価値でしかないのだ。AKB48は、音楽CDに新しい時代の娯楽性と消費者向けの価値を付加してみせたのである。AKB48のCDとは、もはや音楽CDなどという時代遅れのものとは根本的にその性質を異にしているのである。
だが、そうしたAKB48型のエンターテインメントのあり方は、あまりにも歪みやいびつさが露になった現代的な経済原理と密接に寄り添い、それを反映し俗悪なまでに増長するものでありすぎるようにも思える。大きく成長するために(狡賢いまでに頭を働かせ)真っ直ぐに前に進むことが近代社会の基本的な精神原理であるからには、このやり口は確かに正しい。だが、明らかにいびつな様相をもつものでもある。こうした巨大な規模の特典商法を繰り返し行うことで、莫大なまでに膨れ上がった消費者の消費欲望は一時の快楽を伴う娯楽とダイレクトに交換される金銭という形で生々しく引き抜かれ続ける。そして、AKB48は、その大衆向けサーヴィス産業の最も素朴で高度な超商業主義的集金モデルによって、徹底的に日本のアイドルというものをおもしろくないものにしてしまったともいえるのである。70年代に始まり、80年代に黄金期を迎えた、日本的な「かわいい」の感覚をひとつのスター・システム的な形で発露させたアイドル現象やアイドル文化というものが、そのシステムが当初からもっていた戦略的運営のメソッドを極限まで押し進められて、末端の末端にまで高度資本主義的/新自由主義的イデオロギーを行き渡らせた形態として完成させられたAKB48の大成功/大勝利によって、完全に焼け野原と化してしまったのだ。AKB48が通った後には、もはやしばらくは新たに草木は育つ気配さえなくなってしまうのではなかろうか。郊外の大型量販店的な雰囲気消費にも対応しているABK48は、それまでのアイドル現象やアイドル文化が孕んでいた「かわいい」を特権化し商品化して猛烈な勢いで消費する閉じた歪みやいびつさというものを、まるで抉り出すかのように露にしてエグい記号化の果てに拡大再生産させてしまった観がある。
始まりの時から存在していた歪みを一気に露にしてしまうことで、それ以前にはそれが当たり前のこととして少々ウネリながらも流れ続けていたものが根底から破壊され歪みがバイパス化されて危機に瀕することになる。AKB48以降のアイドル現象やアイドル文化は、思いきり開き直るかひたすらコンセプチュアルでマニアックな在り方に偏るかのふたつにひとつの選択を迫られている。そこでは、完全にメタメタな別ものに突き進んでゆく傾向が強まっており、もはやそれまでの素朴なアイドルらしいアイドルの様式は取り戻せなくなってしまったといってよい。100万単位で売ろうとする機能に長けたAKB48だけが大量に蔓延り、過当競争に敗れた弱小アイドルたちは蹴散らされ駆逐され華々しい成功の影の土台とされてしまう。これは、アイドルの世界のことであるが、まるで社会の縮図を見るようでもある。

何が、こうした歪んだ社会の構造を明るみに出し、それを増長させているのか。あらゆるものが多様化し多層化してゆくにつれて規制緩和で開けた道にできた泥濘のスレスレをすり抜けて巧妙に儲けようとする商業マシーンが、なりふり構わぬ動きを見せるつつあるように思われる。そして、そうした動きは、一旦ぬかるみに足を奥にまで踏み入れてしまうと後戻りできなくなり、ジワジワとその動きを進行させ、激化する競争の中でぬらぬらと一気にその動きをエスカレートさせてゆくことになる。こうした雪崩式に無茶苦茶なものなりつつある社会/経済活動の動向おいて、実に当たり前のものにして有りがちな人間の欲求や欲望にダイレクトに訴え、巧みに広範囲から小銭を掠めとるように儲け続けている狡猾な大人たちが存在していることは、間違いなく(とてもそうは見え難い部分もあるが)大きな問題である。現代の社会/経済のシステムは、強者のための勝利の方程式を強化する仕組みとして、巧みに使い回されるだけのものとなりつつある。狡猾なものたちは、上の方にも下の方にも明るいところにも暗いところにも(あらゆる階層に)潜んでいる。つまり、その詐取/搾取/詐欺の手口の基底にあるものは、近代社会とその社会の中に巣食い/強化されていった透徹された資本主義経済が生み出した「声の大きい」詐欺師(いかさま師)が、その体質を肥やしながら(大衆/万人にとって分かりやすい形で)前進する動きを稼働させる(社会における正当性をまとった)規範(ルール)そのものなのである。それが、いびつな社会の正当性に裏付けされた方向性を確信して、この社会全体に深く(根深く)浸透しきっているのだ。

どこまでも前進して今の自分より成長した自分になりいと願いつつ、今あるものは決して失いたくはない。それゆえに、次第にあまり変わりたくないという思いの方が大きくなってくる。だが、そのように思えてくるのは、今ここに永続的に保持したいものがあり、今この社会に生きるメリットのようなものを何かしら現状において得ているからにほかならない。絶対に手放したくないものが、今現在その手の中には、しっかりと握られているのである。そして、そうした前進し続けようとする社会の周縁部には、変わりたくても変われない人々が存在している。積極的に生きようとする意志を不可抗力的に挫かれ、消極的に静かにひっそりと貧しく生きる生活から変わってゆけなくなっている階層が、そこにはある。そんな、変われずにもがいている層にも様々な様態があることに目を向けること。そこにある目に見えないものを見ることこそを、この問題の解決へ向けての第一の突破点とするべきであろう。社会のデコボコの穴に小さく弱いものたちを押し込めているのは誰なのか。この社会の構造を固定化させる動きに騒々しく賑やかにエネルギーを注ぎ続けているのが、上から下まで様々な階層に存在している宣伝と広告の技術に長けた声の大きい詐欺師たちでることは間違いない。そこで景気のよい掛け声とともに振り回されているのが、過去の成功モデルだろうが、現在の成功モデルだろうが、それらの粗雑なミックスであろうが、このいびつな社会構造をある意味では狡猾に利用して、詐取システムをピンポイントで稼働させ、巧みに搾り取ってゆく機構が堅持されていることに全く変わりはないのだ。そして、その底辺では乾涸びているものたちが、ますますカスカスになってゆくことになるのである。

AKB48を批判することは、決して間違ったことではない(正確には、AKB48の音楽以外の部分を主として批判することであろうか)。その極端な商売のやり方の面からのみでなく、文化や娯楽・芸術といった側面からも猛然と批判がなされなくては、この国の社会も大衆もこのまま恐ろしいほどの勢いで没落してゆくことになるだろう。そのグループ/集団の社会的/経済的な成功というものが、「声の大きい」いかさま師たちが策を弄して練り上げた壮大な詐取構造の道具でしかなくなっている現状では、そこら中をただ美味しそうに見える撒き餌だらけにする仕掛けは残念ながら非常に有効であるといわざるをえない。その後は、まさに濡れ手に粟の如く策略の規模を膨れ上がらせられるだけ膨れ上がったいびつな商法そのものが、えげつないエンターテインメント性をまといながらもエスカレートしてゆくことになるのだ。こうした根本の部分から決定的ないびつさや歪みを内包している黒い娯楽産業に対しては、殊更に厳しい批判に晒しておくことが必要なのではなかろうか。その体質や構造は、根本的な部分から批判され(具に省みられ)なくてはならない。それによって、独自の進化を遂げてきた日本の芸能文化やアイドル文化というものが徹底的におもしろくないものになってしまうとしても。そこには最初からある程度の歪みやいびつさが存在し、それを承知で文化的な娯楽性が毒々しいまでの花を咲かせ押し進められてきたのだから。
資本主義の基本的精神に則したある種の社会的要請でもある狡猾な手口を最大限に機能させることで、欲望の消費が加速する現代においては、その社会そのものの機構の流れをも巻き込んで爆発的に売れるものが出現することも稀ではない。その最も売れているものこそが、その社会をある意味では映すものともいえるだろう。だが、絶対的に正しいものが、最も売れるものになるとは限らない。大衆の感情の方向性を何となく納得させる真正さのようなものを巧妙にパッケージ化して大々的に売り出される(何となく良さげな)商品が、消費の欲望を刺激し着実に売り上げを伸ばしてゆくのである。最も売れるものは、社会に広く行き渡ることで、そこにある(上と下の)歪みを一時的に覆い隠し、新たな(内と外の)小さな歪みの種を広範囲に渡って植え付けてゆく。そしてまた、その商品が引き出す消費者の消費欲望の尋常ではない強烈さが、すでに露になっている歪みやいびつさを、さらに抉り出す作用因となることもある(上と下/内と外の隔絶)(上と下/内と外の水平化)。
「AKBを批判するから日本は衰退し続ける」というけれど、あのいびつさには真正面から批判されなければならない部分が確実にあるはずである。どことなくグレイだが「何となく良さげ」「何となく楽しげ」をふんわりと肯定してしまうことの危険性に、今この時代だからこそ意識的にならなくてはいけない。社会のあちこちに歪みやいびつさ、そしてほつれや破綻・瓦解の様相が露になってきていることは、何を意味しているのか/何をわたしたちに知らせようとしているサインであるのかを、しっかりと考えてゆかなくてはいけないだろう。実際のところは、AKB48を批判しようと批判しまいと、今のままでいてはこの国は確実に衰退し続けるのである。現在のこの社会の無茶苦茶さの結果として、異常に明るい光が照るところの真下に、異常に暗い影の部分ができている。その暗い場所に鍋底の汚れやシミのようにこびりついた石ころや雑草たちに、何らかの方法で光を届けなくてはいけないのではなかろうか。このまま道端で乾涸びさせて/萎びさせてしまえば、ゆくゆくは何事もなかったかのように済ませてしまえるのかも知れない(後に残るのが草木も生えない砂漠であったとしても)。おそらくは、それが最も簡単で最も手っ取り早い対処法なのであろう。だが、それは、これまでのように石ころや雑草が静かにひっそりと黙り続けていればの話である。道端で「どんな気分だい」と問いかけられた石ころや雑草が、ただ冷たく厳しい風に吹かれているだけの屈辱をはね返して一斉に猛烈に唸り声を挙げて異議を唱え始めたら、このガタガタでデコボコな社会は、どのように対処/対応するのであろうか。それらの声を全て聞き取ることのできる上等な耳を、この社会に生きる人々は持ち合わせているであろうか。必死に生きようとする本物の血の通った人間の切実な声を、今でも彼らの耳は聞き取ることができるであろうか。今こそ孤立したものたちが孤独の歌を歌うべきときである。誰かに聴かせるために歌うのではない。そして、その歌には投票権も握手券も付くことはない。それは、どうしようもない本当の孤独の歌だ。道端の転がる石ころたちが歌い、雑草たちが精一杯に広げた青い葉が闇の奥底から語り始める。(13年)(14年改)


〈メモ〉
そもそもAKB48に孤独を歌うことは不可能である。基本的にAKB48のパフォーマンスは、まばゆい光に満ちあふれる明るい場所での仲間たちとの連帯や団結を見せる/魅せることによって成り立っている。その熱く賑やかで華々しい場所からは、道端の石ころや雑草は決して見えることはない。
そもそもAKB48は孤立無業者に歌いかけることはない。この160万人がAKB48のCDを大量購入するような積極的な消費活動に参加する確率は極めて低い。AKB48が消費行動・投票に参加しないものの欲望を満たすことは決してないだろう。
現在、AKB48が新たなターゲットとして狙っているのは、まず最初にデフレ状況から脱却して賃金が上昇し始めるはずの企業勤めをする20代から50代の男性会社員たちだと思われる。すでに缶コーヒーのCMではAKB48のメンバーが若いOL役で会社組織の内部への潜入を開始している。そのうちに日本経済の成長戦略を後押しをするという謳い文句のもとに、一生懸命に働く人々(サラリーマン)のための応援歌を次々と(お茶の間向けに)ユニゾンで歌い始めるはずである。

空回りのサイクル。同じことだけを繰り返す毎日。ただ何となく動いているけれど、それがほかの何かにエネルギーを伝えて新たな動きを生み出しているようには思えない。毎日ひたむきに頑張っているのだが、全く前進しているようには見えないのである。繰り返される規定の時間内の労働によって社会のシステムを決して止めずに動かし続けることだけには辛うじて貢献しているようだが。代わり映えのしない毎日に、次第に意味らしきものは薄れてゆく。半分眠ったままでもこなせるようになる毎日の行動/活動。社会はそれを熟練と呼ぶこともある。そこでは、必要以上に頭脳を使うことはなくなってゆく。予め決められたことの決められた範囲内での繰り返しであるから、頭脳というものの必要性は極限まで減縮されてゆくことになるのである。動いて余暇、また動いて余暇。その繰り返し。意味のない労働と意味のないストレス発散。意味のないリフレッシュ。人間の毎日の生活は、とても簡単に非常に楽に生きられるものとなってゆく。どこまでも軽く小さくなる人間。水面に浮いたまま、もう二度と沈むことはない。

最底辺に落ち込んでしまったものたちをも救うことができるようになるとき、何としてでも前へと猛進しようとする近代の社会を見限って人間は、そのまま緩やかに没落へと向かいはじめるのかもしれない。前に進み上り続けようとする栄光を求める本能は、決して人類全体を最終的に幸福にすることはないのだろう。人類の歴史とは、そうした試みの失敗の連続そのものでもあった。近代社会を生きる個々人にとっての幸福とは根本的に異なるものであるらしい本来の人間にとっての幸福をどのように認識できるかが、これからの人類が生きてゆくことのできる未来の射程の長さを決定することになる。栄光からの没落が、人間らしさの回復に接続される。ギリギリのところで。


【参考】
孤立無業者「SNEP」が急増中
http://blogs.wsj.com/japanrealtime/2013/02/19/ranks-of-unseen-unemployed-sneps-growing/
AKBを批判するから日本は衰退し続ける
http://blogos.com/article/53435/
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誰が孤独を歌うのか(六)

2014/03/01 02:00
誰が孤独を歌うのか



補論

特に何も誰かの役に立つようなことができてはいないような気がしているので、とてもとてもおこがましくて恐縮してしまうのだが、今年も何とか無事に誕生日を迎えることができた。ひとつ歳をとるということは、年齢の一の位の数字がひとつ先に進むことであり、この変化は、まだ自分がこの世に生きてここにいるということの(極めて確かな)証でもある。誕生日とは、生きている人間が毎年必ず通ってゆかなくてはならない一里塚のようなものだ。そんな、常に一里塚が傍らにあるような変に特別な感覚を24時間ずっと味わわされることになる一日が、今年もやってきたのである。そしてまた、今年もその日を妙にふわふわと浮ついたままの状態で過ごした。誕生日という日は、この世界の内部に自分という人間が存在しているということを、じっくりと噛みしめるのには最適な一日である(それ以外に特にこれといってすることがなければの話だが)。さらにいえば、この世界の中に自分も実際にひとりの生きる人間として存在させていただいているのだというような、妙に改まった気分にさせられるのも、この誕生日という一日の大きな特徴である。
静かないつもと変わらぬ二月上旬のとある一日。毎年のことであるが、それはとても二月らしい寒い一日であった。さすがに母親は、その日が自分の息子の誕生日であることを忘れてはいなかったようだ。最近は物忘れがひどく多少ボケ始めているような気配もあったので、何とか忘れずに覚えていてくれたことに、こちらがひと安心させられた。そして、Facebookでは高校時代の同級生が誕生日を祝うメッセージを書き込んでくれた。かなり長いこと実際には会っていないが、やはり同級生という存在には、非常に特別なものがある。10代の三年間の毎日を同じ場所で過ごしたというだけであるが、無条件で深い親近感を抱くことができる。会えばすぐに昔の感覚に戻れてしまうという感覚も、そうした同級生だけがもつ特別な関係性によるものなのであろう。それゆえに現在のソーシャル・ネットワーキング・サーヴィスなどの場においても、昔の10代の頃の感覚のままにコミュニケーションがとれたりする。とても不思議なことである。ただし、そんな感覚でコミュニケーションのとれる同級生も今ではそのひとりだけなのであるが。
今年の誕生日は、母親とたったひとりの心優しい高校の同級生を除けば、ほとんど誰にもそれと気づかれることなく、ひっそりと過ぎていった。自分からそのことについて誰かに向かって言及することは全くないので、誰も気づかなくて当然といえば当然なのである。いや、そんなことは知らなくて当然であるのだから、ひっそりと過ぎてゆかない方がおかしいとも言える。自分の誕生日のことなどは、取り立てて誰かに自分から言うほどのことではないと思っている。誰かがそれを知ったとしても、それが何かの役に立つようなことは決してないであろうから。何の使い道もない無駄な情報ほど不必要なものはない。広く名前が知れ渡っているような有名人であれば、自分の誕生日が多くの人に知られていたとしてもおかしくはないだろう。しかし、別に有名人ではないのだから、誕生日がいつであるかなんてことは誰もが知っている必要は全くないのだ。それに、有名であるかそうでないかには関係なく、決して多くの人たちに誕生日をお祝いされるほどの傑出した大層な人物でもない。だから、その一日がひっそりと通常通りに過ぎてゆくのは当然すぎるほどに当然のことなのである。ただし、そういったことぐらいは充分に承知していたつもりであってもなお、実際には、あまりにも通常通りすぎると、この社会の中で全く誰からも存在を知られずに生きているような心細い気分にさせられてしまい、とても重苦しく沈み込むような気分にとらわれる瞬間が幾度もあった。まあ、おそらくは、本当ににその通りなのである。ほとんど誰からも気に留められず、誰の目から見ても存在しているのかいないのか皆目わからないような存在なのだ。しかし、それを現実のものとして自覚することは、さすがに自分のことながらも自らの境遇の侘しさに身につまされるものがある。それも、極めて確かな現実として受け止めることは。
かつてボブ・ディランは、あの甲高く上ずった人間離れした歌声で「誰にも相手にされず、道端に転がる石のように生きるのは、どんな感じだい」と歌った。道端の石ころにだって、道端の石ころが道端の石ころとして生存してゆくための世界がある。道端の石ころの目の前には、道端の石ころにしか見えない景色がある。だが、大きな視点から眺めれば、そんな道端の石ころなど存在していてもいなくても特に変わりはないようなものである。道の真ん中を前向きに歩くものの目には、ちっぽけな道端の石ころの存在なんて決して目に入ることはないだろう。だが、ディランはわざわざ足を止めて道端に視線を送り、執拗に問いかけてみせる。道端に転がる石ころに「どんな気分だい」と。しかし、そんな問いかけに対して、答えとして返せる言葉が石ころの側にあるであろうか。そもそも道端の石ころは、毎日ほとんど言葉を発することなく、静かに孤独にひっそりとそこに佇んでいるだけなのだから。その凄まじく静かな佇まいゆえに、道の真ん中を忙しく通り過ぎてゆく人たちには全く気にされることもないのである。誰も気にかけられず、誰もその言葉を聞こうという素振りをみせるなんてこと全くなかったというのに、いきなり質問を投げかけられた時にだけ、それに応じなければならないなんて、ちょっと理不尽な話ではなかろうか。まさか、石ころが喋る言葉をもっているなんて思いもつかないことなのではなかろうか。質問をしてみたところで、その答えが返ってくることはないと最初から踏んでいるということか。まあ、道端の石ころの存在を気にも留めていなかった人たちは、そこで静かにひっそり生きているものたちが言葉を発している場面など、これまでに一度も見たことも聞いたこともなかったのかも知れないが。それぐらいに、道端の石ころは、この広い世界の中で忘れ去られた存在となっている。

連続する二日間(48時間)に家族以外の人間との関わりの全くない生活を過ごしている(とても孤独な)人々を、どうやら最近はSNEPという括りでひとまとめにして、ボンヤリとその不気味な存在をあぶり出そうとする動きがあるようである。SNEPとは、Solitary Non-Employed Personsのそれぞれの語の頭文字をとった略語であり、日本語では孤立無業者という見るからにすさまじい五文字が並ぶフレーズがその名称に適用されている。これは文字通りに、社会の中で孤立している無業のものということだ。日常の中で人間との接触が全くなく、仕事がなく、金がなく、ひとりきりで暗く寂しく貧しく静かにひっそりと暮らしているもののことである。今、そんな人々が、この国には162万人以上もいるという。まさに道端の石ころや雑草のように、静かにひっそりと社会から孤立して生きている人が、そこら中にいっぱいいるのである。SNEPな人々は、ほとんど誰からも生きていることを知られずに、巨大な生きることに対する言い様のない不安だけを抱え込んで、暗く乾涸びた毎日を侘しくきゅうきゅうとしながらやり過ごしている。
家族以外の人間ということになると、道でばったり近所の人と会った時ぐらいにしか実際に誰かと言葉を交わすことはない。だが、そんな誰も知っている人に会わない孤独な48時間を過ごすことは、あまり稀なことではないのかも知れない。そういう意味では、ほぼ完全にSNEPそのものの毎日を生きているということになるだろう。つまり、社会の中で孤立してしまっている、ほぼ無業のものということだ。そんな自分と同じような毎日を過ごしている人間が、この国には今160万人以上もいるのである。実に驚くべき数字だ。これは、(あまりにも己のことを棚に上げたような言い方であるが)大変に由々しき問題である。この輝かしきものであるはずの人生への漠然とした灰色な大いなる不安が、約160万以上もこの国に渦巻いているとは。はっきり言って、ただごとではない。
孤立無業という状態は、それが時間的に長引けば長引くほど、経済的な困窮の度合いは増し、精神衛生的にも非常にまずいものとなってゆく側面がある。孤立して完全に生産的な活動からは隔絶された蚊帳の外の日々を生きる。そんな境遇の真っただ中にあると、人間というものは、ひとたび落ち込む気になれば際限なく落ち込むことができてしまう。もう二度と戻ってこれなくなってしまうのではないかと思えるほどに。そして、基本的に誰かとの接点がない状態がしばらく続いていると、その何らかの接点への糸口さえもが急激に遠離っていってしまうものなのだ。一度遠くなった接点は、なかなか手を伸ばしても手が届かないものになってゆく。孤立した無業のものたちは、道端の石ころや雑草のように社会の中で忘れ去られ、この世界の中での自分の存在意義/存在意味というものをも見出せなくなってしまう。そうしたものは、闇の中で一旦見失ってしまうと、なかなか再び見つけ出すことができないものなのである。元々が、とても薄ぼんやりとしていた実感のあまりないものであったがゆえに。
なぜ、この世界に自分が存在しているのかということの意味が分からなければ、生きるということ自体に対しての希望が全くもてなくなってくる。道端の石ころや雑草なんてものは、大きな社会の中にあっては取り立てて何かの役に立つようなものではないし、そんなものをいちいち注意して見ている人は滅多にいない。まあ、ザックリといってしまえばあってもなくてもそう大差はないものなのである。道端に、石ころが転がっていようがいまいが、雑草が生えていようがいまいが、道の真ん中を真っ直ぐに進んでいる人間にとっては、その先々の出来事に対してそれは何らかの影響を(直接的に)及ぼすということはほとんどないのである。道端の一角の非常に狭い世界と何らかの関わりをもつというようなことがない限りは。普通に考えて、石ころにも雑草にも未来も希望も(見出せ)ないのが当たり前といえば当たり前のことなのだ。そこには、明るい光が差し込むことは全くない。今、この国は、そんなSNEPという将来の自殺者予備軍ともいえそうな人生の破滅を目前にしている160万以上の人間を、その根底に抱え込んでいる。さて、この問題をどうするべきか。この160万人以上の人々は、孤立して無業のまま暗く侘しく貧しく静かにひっそりと野垂れ死んでゆけばよいのであろうか。

このまま、こうした状態が放置されたままであれば、この状況はさらに悪化してゆくであろうし、今現在の160万人以上の孤立無業な人々の行く末も暗く貧しく侘しくとことんまで先細りしていってしまうであろう。社会から見捨てられ/見離されて本当にどうしようもないことになっている、ひたすらに暗黒な未来しか目に見えていない人は、本当に沢山いるはずなのだ。そうした人々が、社会の片隅や奥底に、ひっそりと息をひそめるようにうずくまっている。こうした孤独者たちの周囲に形成されている人間関係は、実に希薄で範囲が狭く脆弱なものである。人間同士の繋がりがあまりなく、目立った活動もないために、その人の姿は誰の目にも見えないものとなっていってしまう。でも、社会的な動きが全くなく、生きている人間の気配が全くないところにも、そんな人々は確実に存在しているのである。おそらくは、誰にとってもとても身近な場所に、想像しているよりも遥かに大勢が。そして、間違いなくこれから猛烈な勢いで、その数はさらに増加してゆくはずなのだ。孤立して無業な、暗黒色に塗りつぶされた不幸な将来だけが確約されている人たちが。
孤立した無業者は、なぜかこれだけは誰の人生にも平等に割り振られている勢いよく流れ去ってゆく時間を、ただ無為にやり過ごしながら、どうしようもない不安だらけの灰色の今を抱え込むようにして生きている。そこに最後の希望への糸口が見出せるとでも思っているかのように。その今という瞬間の先にある将来の時間の流れの中に、何も希望が見出せなくなっている。そこに待ち構えているものは、今はまだ暗黒に包まれていて、漠然としか眺めることはできないが、それは確実にくる。そのことだけは、確実に分かっている。孤立して無業な状態が、そう簡単には好転しないことも、すでに痛いほど思い知っている。だからこそ、そこで感じられる不安は、とてつもなく大きく深く重くなる。そして、それは片時も離れずに胸の中にあり、ずしりとのしかかり続けている。ただ、最悪の暗黒に包み込まれてしまう将来というのは、今から5年後のことかも知れないし、もしかすると10年後のことかも知れない。そう考えると、少しばかりの猶予があるようにも思える。だがしかし、やや極端なことをいうならば、それはすぐ先の明日か今のその次の瞬間のことかも知れないのである。社会の片隅や奥底で孤立している無業者たちの重苦しい不安の中では、明日も10年後もそう大差はない。そこには、重苦しい不安だけが、ただただ膨れ上がり渦巻いているだけなのだ。

暗く深い竪穴のような場所に落ち込んでしまったままで、何もできなくなってしまう。自分でも、自分の落ち込んでしまっているそうした状況が、とてももどかしい。だがしかし、決して何かを諦めてしまったわけではないのだ。人間らしく生きることを諦めてしまっているわけではないし、自分では誰よりも人間らしく生きようと思っているつもりではいる。だけど、どんなにそう強く思っていたとしても、なかなかそう全体的には思った通りにうまくはゆかないものなのである。うまくできてないのは、自分の力が全く足りていないせいかも知れない。だからといって、諦めてしまっているわけではないのである。そして、もう何をしても無駄だと思っているわけでもない。何もかもうまくゆかないことに対して、ただただ底知れぬ無力感に浸りきっているわけでも、何かをする自信を完全に喪失してしまっているわけでもない。この暗く深い穴の底から自力で這い出そうとして、精一杯に尖らせたかぎ針のついたロープを投げ上げようとしているのだが、それを引っ掛けるための適当な場所が全く見当たらないだけなのだ。そのための適当な場所を探し続けるだけで、ただただ毎日が過ぎてゆく。突然、状況が一変するようなことは滅多にないだろうから、見当たらないものはいつまで経っても見当たらないままだ。ただ目を凝らして、ぼんやりと辺りを見回すだけの日々が続く。おそらく、その姿は端から見れば、ただただずっとそこに突っ立ってぼんやりしているだけにしか見えないかも知れない。かぎ針を引っ掛ける適当な場所が見当たらないのならば、ロープなど投げずに、腕と脚を使って壁面を這い上がってこいといわれるかも知れない。だが、それは決して容易なことではない。もしも、誰かがそのやり方の手本を見せてくれたとしても、そんなことが誰にでもできるとは限らない。そんな頼みの綱すらない状況に直面させられることで、さらにまたただただずっとそこに突っ立ってぼんやりしているだけしかできなくなってしまう。

社会の中での存在感がなくなればなくなるほどに孤独で孤立してしまっている状況に光は届かなくなり暗さは色濃さを増してゆく。そして、そうした日陰になった部分に、とても貧しく寂しい階層が、ゆっくりと確かに広大な裾野をもって形成される。もうすでに、それはすぐそこにある。まるで壁や天井に点在するシミのように、知らないうちに社会のあちこちで小さな黒い点となって静かに佇んでいる。そのシミは、それぞれに硬直し凝固して、社会の奥底にこびりついている。強力な洗剤で洗い流そうとしても、そう簡単に一掃して洗い流せるものではない。そのシミのそれぞれは孤立していて、社会の中での存在感がまるでなく、なかなか目には全体像が見えないものである。まるで頑固な焦げ付きのように、社会の鍋底にびっしりとこびりついているシミ汚れ。ひっそりと、実に静かに。そのシミは、このひとつの大きな鍋の底に160万以上も息をひそめるようにこびりついているのである。これほどの数になったら、たかが鍋の底の汚れやシミだとしても、もはや見て見ぬ振りはできないはずである。そのこびりつきは、あまりにも大量でひとつひとつが深刻な問題を孕んでいるのである。さて、どんな高度な技術をもった天才料理人であれば、この汚れきった鍋を使って、おいしい料理を作ることができるであろうか。
この鍋底に汚れのようにこびりついた孤立無業者の階層は、これから時間の経過とともに確実に社会という大鍋にとっての致命的な重しとなってゆくであろう。この硬直し凝固していながらも、どんどんと膨れ上がってゆく、社会の中では存在感の全くない底辺の階層の存在によって、社会はその重みに耐えきれずに正常には立ち行かなくなり、全く前進することができなくなる。そんな社会全体にとっての悲劇が現前化してしまう前に、すっぱりと汚れた鍋底を切り捨てて前に進んでしまうのもひとつの手であろう。静かにひっそりと暗闇に落ち込んでしまっているものたちは、道端の石ころや雑草と同然の存在である。そんな塞ぎ込んでいたずらに停滞している階層などは、絶えず高みを目指して前進してゆこうとする人類の未来にとっての重荷であり、飽くなき幸福の追求にとっての障害でしかないのだから。思い切って見捨てて切り捨ててしまったとしても、何の問題もなく、かえって(前向きな)社会にとってはプラスとなることであるのかも知れない。鍋底なんて、また新しいものを用意すればよいのだ。孤立無業者たちよりも、もう少しそれなりに動けて旨味を搾り取れる使い勝手のよい層から。

豊かで賑やかで色鮮やかな日常がある。真っ当な人間の人間らしい生の在り方としての。だが、どうやら現在の社会が設けたルールにおいては、人間であれば誰でもそうした真っ当な人間らしい生が無条件に生きられるわけではないようだ。人間が人間らしく(現代人らしく)生きるためには、それなりの条件をクリアしなくてはならないらしい。そうした条件というものは、いつの時代にも(その時代なりの条件として)あったものなのであろう。だが、この社会においては、その条件のハードルは、とても高い位置に設定されている。ただし、真っ当に飛べる能力と従順さがあれば、そのハードルの高さは、それほど高いと感じられるものではないのかも知れない。しかし、誰もが、そのように真っ当に飛べる人間ばかりとは限らない。人間の中には、とても重いものたちが存在している。もしかすると、現代の社会においては、誰もが真っ当な人間らしく生きる条件を楽々とクリアしてしまっては、ちょっとまずいことでもあるのではなかろうか。踏みつけるための大量の石ころや雑草の存在を切実に必要としている社会が、もうすでに今ここにあるということなのかも知れない。
豊かで賑やかで色鮮やかな日常とは、孤立した暗いものたちにとっては完全に無縁な世界としてそこにある。闇の底の生には、賑やかさも色鮮やかさもない。豊かで賑やかで色鮮やかな日常では、大量消費社会の高度に発達した機能が、そのプログラムそのままに最大限に謳歌されている。その日常の生活を旺盛に生きようとする生のサイクルが、社会に備わっている消費と生産の機能を正しく前進させる機動力/原動力となって、それが大量に消費される商品の流れによって色鮮やかに彩られれば彩られるほどに前進のための推進力は強力になり加速度を増してゆく。そして、そうした絶えず速度を増してゆく社会の道端に、石ころや雑草のように孤立した無業者たちが、賑やかな動きとは全く関係なくジッとこびりついているのである。
大量消費社会は、ありとあらゆる需要に応じるためにありとあらゆる商品を経済の場の隅々にまで行き渡らせる機構を、人体における血管のように張り巡らしている。そして、その機構は、自らの内部の根幹部分を強固にしてゆくための要請として、機構そのものである張り巡らされた血管からごっそりと栄養分を吸収し続け、再びそれを機構の隅々にまで吐き出して、その莫大なサイクルを拡大させてゆくことで、より強固な機構を構築してゆくシステムのムーヴメントを完遂させる。高いものは高いものを購入する層へ。安いものは安いものを購入する層へ。採取的には、あらゆる商品が大量消費のサイクルという動きと速度を渇望する大きな口に(的確に狙いを定めて)飲み込まれてゆく。この終わることなき消費行動への欲動による循環こそが資本主義のシステムが先行投資したものを消費者の懐から取り返すための(終わりなき)機会となる。社会を構築している機構は、消費者による大量の消費(活動)を通じて、出来るだけ多くの投資分と利益を掴み取ろうと加速してゆくサイクルを、その機構そのものの(構築/再構築の)ために大きく勢いよく回し続けるのである。
加速する部分は、どこまでも加速してゆく。だが、その周縁では、中心の加速度が増せば増すほどに、溢れてしまった層が猛烈に堆積してゆくようにもなるだろう。消費社会を加速させてゆく機構は、その速度を落とさぬために、高いものを高く大量に消費する層を中心にして効率よく回り続ける形に明確にシフトしつつある。機構は、うまく潤いながら賑やかに回り続けることが出来れば、その消費が高いものを大量に購入する豊かな層のみをターゲットとしたサイクルであったとしても、何の後ろめたさや疚しさを感じることはない。最初から、システムそのものには人間らしさなどは微塵もないのだから。それは、あくまでもシステムなのだ。そこでは、溢れるものは率先して(加速したサイクルから)切り捨てられてゆくだけなのだ。
また、長年に渡りデフレ的な状況が続いたことで、ジリジリと物価が降下を進行させたために、あまり多くを支払わずに、かつてと同じ分量の満足を手にすることが可能になっていた面は確実にある。経済のデフレ傾向における最もエクストリームな経済活動は、(手持ちが少ないゆえに)出来る限り安いものを(貪欲に)購入しようという層において急速に進行する。それが、賑やかで色鮮やかなはずの大量消費社会の中にあっても、貧しくても貧しいなりに安価なものを大量に飲み込んでゆく色褪せた(低価格品の大量)消費行動の維持を可能にするように(できる限り)貧しいものたちを繋ぎ止めることになる。さらに、大量消費の賑やかさの影には、全く大量には消費しない薄暗い層も出現してくることになる。彼らは、出来る限り安いものを購入しようという層をターゲットとして生産された低価格商品を、ほんの少しだけ消費して、極めて慎ましやかに生きている。そうした層の大部分を占めているのが、孤立無業者たちであることは言う間でもないであろう。
そのような、資本主義経済の(排泄する)汚れやカスのように鍋底に溜まっている、活動の範囲の狭さや規模の小ささからマクロな視点からは全く見通されず、ほとんど社会全体にとっては目立った大きな波風を起こすことも何らかの影響を及ぼすこともない、貧しさと侘しさに静けさとともに沈んでいる160万以上の人々は、本当に(社会的に/経済的に)どこまでも無意味な層でしかないのであろうか。静かに慎ましく暮らして、豊かさや賑やかさや色鮮やかさとは無縁に生きて(乾涸びて)、それなりの時間が経過したら、ひっそりと目立たぬように社会から退場してゆけばよいのであろうか。

ひっそりと多くを求めずに這いつくばるように生きている層が底辺にあるからこそ、豊かに潤う満ち足りて色鮮やかな層の存在が可能となっている面は少なからずある。貧しい層から広く薄く掠めとってゆくことで豊かな生活を成り立たせている層が、そこには確実にあるのである。貧しい層が薄暗い場所から浮かび上がろうとする緩慢なのろのろした動き(本能的な動き)に先んじて、その浮上の場所を予め(予測・特定し)奪い去ってしまうことで自らの生活に潤いを得ている層がある。道端で身動きとれずうずくまったままの孤立無業者たちの存在は全く目に入らず、彼らの存在が今のところ目に見えた影響を何ら及ぼしていないとそこでは感じられている。そうだとしても、有り余るほどの富や日々の生活の快適さや人間らしい生の満足を求めて上昇してゆこうと旺盛に活動する階層の下に、それを支えるための土台となる足場が山ほどに必要とされていることは、紛れもない事実なのである。
また、今まさに上層にいるものが、さらに上方へと伸び上がってゆこうとすればするほどに、さらに多くの高く積み上げられた広い裾野をもつ土台が必要になってくる。上層部は十分すぎるほどに潤うために下部の層から本能的に生活動のための養分を常に吸い上げている。その吸い上げられることになった下部の層は、そのさらに奥底の下部の層から活動のために必要なものを補うために吸い上げる。様々な段階の多くの上層部が豊かさと潤いを求めて栄養分を吸い上げる本能的な生活動の行為を行うことによって、広く薄く掠めとられる摂理に従ってほんの僅かなもつものを容赦なく吸い上げられるためだけに存在する最下部の層が形作られる。そして、効率よく効果的に栄養分を吸い上げるシステムと機構の要請によって活発に活動を繰り広げる、それぞれの階層が巨大な土台の上に土台を重ねて、上に立つものが下にいるものを踏み潰すようにして社会という名目を与えられて形成されたピラミッドが堆く積み上げられてゆくのである。このピラミッド状のシステムの大半が、ごく僅かな頂上付近の富裕層の莫大な豊かさと潤いを下から(それぞれの)生の本能によって支えているのである。掠めとられ吸い上げられるだけ吸い上げられて全く余剰をもたない最底辺の最貧困層は、巨大なピラミッド状の重しの下に組み敷かれ、そこにしっかりと貼り付けられたまま固定されてしまう。まるで、鍋底にこびりついた汚れのように。それもまた、本能的な人間の生き方のひとつなのであろうか。
貧しく侘しい160万の石ころや雑草のような階層を、今よりも確実に数段は豊かにするだけの余剰は、この巨大で豊かな社会には充分に備わっているはずである。だが、その潤いは暗い奥底の乾ききった土地にまで行き渡ることはない。人間本来の本能に従って有効に再分配されるはずの社会的な富は、幾層もの上方に位置する層を通過する際に、巧妙に少しだけ多く掠めとられてしまい、その上部の階層の中だけでひたすらに循環して、最終的に乾いた土の上に落ちてくるころには雀の涙ほども残ってはいない。利益/利潤を少しでも多く追求するという前進や成長を正義とする言い分がまかり通り、そこで正統とされる活動のための詐欺まがいのやり口が資本主義経済の原理として徹底的に完遂され全く隙がないほどに強化されているがために、最下層の石ころや雑草たちの地平には少しも(それを分け与えられて然るべきはずの)社会的な富の潤いは降り注いでくることはないのである。その地平は、(社会というピラミッドの重要など大部分でありながら)もはや社会的には社会階層のその下のそれに準ずるものとしてしか見なされてはいないのだろう。それゆえに、それらの富と豊かさは、全て賑やかに生の活動をする正当な経済人たちの手によって吸い上げられてしまうのである。この搾り取るものと搾り取られるものを分け隔てる摂理こそが、片時も休まずに公然と行われている資本主義経済の道徳観に則ったある種の搾取と欺きの手口の一端をなすものでもあるのだ。そして、この詐欺行為は、それと気づかれることなく巧妙により多くの利潤を流れの中から引き抜くことができればできるほどに賞賛を受けることにもなる。
社会の上層で快適に悠々と暮らす大量消費のサイクルを軸となって支えている層としては、いつまでも静かにひっそりと(賑やかさや色鮮やかさとは無縁に)貧しく慎ましく暮らしていてほしい現行の社会の土台をなしている層(これからもずっと社会の土台となってゆく層)がある。そんな個々に孤立した貧しいものたちの僅かな経済活動の中からこぼれ落ちる、ATMの手数料やローンの金利をかき集めて豊かに潤いを手にしている人間たちは間違いなくどこかに存在しているのである。ほとんど詐欺まがいの正当性をまとった手口で搾り取り、貧乏人の経済行動のパターンを予測しきった狡猾な機構を駆使して、そこからさらに可能な限り広く薄く吸い上げる。この社会/経済のシステムが延々と(少しずつ狡賢い知恵を働かせながら)繰り返される限り、静かに生きる侘しく貧しい層は、さらにひっそりとした暗い暮らしを余儀なくされてゆくことになるだろう。そして、その苦しい暮らしには徐々に全く余裕がなくなってゆき、その細々とした活動は薄っぺらで微小なものとなってゆかざるを得なくなり、次第にそこでは人間としての身動きらしい身動きはとれなくなる。まさに道端の石ころや雑草のように、そこにうずくまっていることしかできなくなってしまうのだ。
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誰が孤独を歌うのか(五)

2014/02/01 23:00
誰が孤独を歌うのか



今ここに生きる人間は、欲望と欲求を満たして、できるだけ人間らしく生きようとするならば、その人間は死んだように生きなくてはならないことになる。どんなにひとりの人間が、できるだけありのままに人間らしく生きようとしても、その人間は自らの人間らしさというものを決してひとりでは抱えきれないであろう。人間は人間のもつ人間らしさに押し潰されてしまい、生きながらに死んでしまう。どんなにありのままに人間らしく生きようとしても、生きることの重さに耐えられず人間は決して人間らしくは生きられないのだ。
よって、できるだけ人間らしく生きようとする人間は、自らのありのままの人間らしさを殺してゆく生き方を選ぶようになる。生きながらにして死んでしまうのではなく、人間は自らのありのままの人間らしさを殺すことで、死んでしまった人間らしさを切り捨てて死とともに生きてゆくのである。『葉隠』における武士道では、あまりにも人間らしい生から一歩退くことが、人間らしくよく生きるための道であることが説かれていた。これは、人間というものが自らの(身の丈に合った)人間らしさをより生かすために、一歩ありのままの人間の生から踏み出して、自らの生の余剰部分を切り捨てることで道を見極めやすくなり真っ直ぐに生きてゆけるということである。
人間は人間を殺し、人間が人間に殺される。人間が殺す人間は、死んでも生きている。人間は、何度殺しても人間を生かしておくことができる。殺された人間は、殺された人間の中でゾンビとなる。それは、殺しても殺しても決して死ぬことはない。人間が人間らしさとして考える人間の生は、人間のありのままの人間らしさのゾンビであり、それをいくら殺しても人間そのものちっぽけな人間らしさは死んでしまうことはないのである。だが、その厄介な人間らしさを瞬間的に殺して、きっちりと処分しておくことは、人間の生にとって、とても必要なことであると『葉隠』の一文は述べている。
もはやどこにも神が存在する余地はない。神を作り殺害した人間が、自らも自らを殺害し死んだように生きている。自らのありのままの人間らしさを殺した人間は、その人間らしさを事あるごとに殺し続けることでより人間らしくなり、人間の生を犠牲にしながら一歩一歩進み続けている。そして、そのちっぽけでか細くなってゆく人間の生は、どこに向かってゆくのだろう。殺されずに生きながらえている人間の生は、何度も切り捨てられ少しずつすり減ってゆく。いつしか、人間は人間の生を生きるだけではなく、人間の死をも生きるようになってしまうのではなかろうか。そして、その切り替わる地点が、旧次元と新次元の境い目となる。
前向きにがむしゃらに頑張るのでも、生きるために足掻くのでも、平穏な生へと沈降するのでもない、正しく人間らしさを突き詰めようとすることで削り取られすり減ってしまう人間の生。ありのままの人間らしさの死の犠牲の上で、よりよく生きようとする人間が、人間の生を生き、人間の死をも生きる。欲望と欲求に突き動かされて、人間は人間を殺して前に進み続ける。それが人間がありのままの人間の生を前にして本能的に導き出した究極的な正しさでもあるから。そして、そこに合理性と正当性を見出し、あるラインよりも一歩前に進み出てしまったものは、もう二度と後戻りはできないのである。

人間のありのままの人間らしさが人間が人間らしく生きるために殺され、その死んでしまったありのままの人間らしさの屍の上で人間は生きる。もはや、そんな人間の人間性の大部分はゾンビ化してしまっているといってもよい。ゾンビ化した人間性に圧迫されて死んでいる自分を亡きものとして生きている人間は、生きた人間らしさや本当の人間性を取り戻すことができるのであろうか。殺害されゾンビとして生き返ったものは、どんなに蘇生して生き返ったとしても、ゾンビのままではもはや生きているものではない。死者だけがゾンビとなる。では、人間のありのまま人間性は、このまま人間が生きてゆくために死滅してゆくままにしまってよいのであろうか。
人間が自らの手で人間のありのままの人間らしさや人間性を犠牲にする以前には、その役割は神や神的な存在に委ねられていた。それらが、人間の生に苦痛と不安を与えるありのままの人間の人間らしさを取り上げ、人間の人間性を殺し、人間が世界において人間であることに苦しむことなく人間を人間らしく生きられるようにした。その場所では、人間が自然にもつ人間性の全てが、全ての個人に割り振られることはない。それらを取り上げ引き受けるからこそ、そこに神や神的な存在が出現する。人間は人間の世界に人間にされたものとしてある。人間が自然や必然を放棄することで作り出された超越的存在が、人間が抱え込むありのままの人間らしさを手放させ、そこに示される人間らしい生の道を真っ直ぐに歩み出させるのである。
そこには常に神々しいものがいた。いつでも、どこにでも。神が奉り立てられるところに、全ての人間らしい人間が歩み出る。絶対的な超越的存在の前では、人間は常に全員であった。誰かが「一人ぽっち」のとき、全員が超越的存在の前では「一人ぽっち」であった。そこでは、人間がひとりきりにさせられることはない。誰もが「一人ぽっち」にはならず、あるがままの人間らしさや自然な人間性に直面せずにいられた。そして、それゆえに極端な不安や苦悩も個々の人間の上には直接降りかかってはこなかった。そこで超越的存在に示された神の領域と悪魔の領域のその間に、全ての善と悪のバランスを包み込むことができていたのだ。
しかし、人間は神の領域から人間らしさや人間性を取り戻した。人間は自ら人間らしく生きる道を探り、そして自分の足で立つようになった。そして、そこに深くどうしようもない孤独が穿たれた。だが、そんな人間が、また「死ぬ事」を見つけて、そこに神を蘇らせようとする。死んだ神に代わって新たな神を打ち立てることは、明らかに後退であり、迂回であろう。だがしかし、入れ物ごと上下をひっくり返すことができるほどにバランスを狂わせることができるのは、その新しい神だけであるのかも知れない。人間の人間らしさを見失った生のあり方を瞬時にして変えることができるのも、もしかするとその新しい神だけであるのかも知れないのだ。

生と死とは、何であろうか。それは、ひとつのコインの裏表のようなものであろうか。真逆なもののようでいて、実は一体であるものなのではなかろうか。生きているのは、ただ死んでいないというだけのことであり、死んでいるのは、ただ生きていないというだけのことでしかない。生きているものは、ここにいる。死んでいるものは、もうここにはいない。死というものが無な存在としてあるのであれば、ここに存在するということは決して有り得ないことである。もし、死が無であれば、もはや生きてはいないものが、こちら側からコインの裏側の死の領域へと移行したとしても、そこには無しかないのである。全てが無なのであれば、そこには時間も存在することはない。よって、生きているものの側の観点から見て、そのもはや生きてはいないものがどんなに長い時間を死んでいたとしても、死んだものにしてみれば、ほんの一瞬でコインの裏側から再び生の領域へと戻ってくることも可能なのである。今ここで生きている人間が死んだとしても、その人間は死んで無の存在となって人間らしさや人間性の全てを失うことになるが、死の領域に入った瞬間に再び人間として人間らしく飛び出してくることになるのである。生きた人間が生きた人間ではなくなり、死んでいる状態で存在できるのは、限りなくゼロ/無に近い一瞬でしかないのである。
人間は、死という無を生きられるであろうか。人間として存在するものが、無として存在することは可能であろうか。では、人間が人間らしく生きるということは、それがそのままありのままの人間らしさや人間性の全てを失った死んでいる状態なのであろうか。人間は生きながらに死んで無になれるのだろうか。コインがひっくり返り、あらゆるものが転倒した世界では、死は生になり生は死になる。
武士道とは、死してよく生きるという、人間が人間らしく生きるための道であった。そして、死とともに生きる人間の生と生きながらに死ぬ人間の生は、人間が人間らしく生きることにつきまとう不安や苦悩から人間を解き放つことになる。死すことが人間の人間らしい生と重ね合わされてゆくに従って、死は生となり生は死となって、人間は生きながらにして生死の境を越えてしまうことになるのかも知れない。コインには表も裏もなくなり、表だけしかないコイン、もしくは裏だけしかないコインとなってしまう。
表だけのコインと裏だけのコインとは、死となった生と生となった死が、ただひたすらに回帰する無限世界である。三次元からは見通せない次の次元の世界もまた、無限の世界である。そこでは、あらゆる形の組み合わせの道筋の線が、今ここの瞬間を基点に全方位に走り出している。そして、その次の瞬間には、また新たな無限の組み合わせが目前に立ち現れることになる。そこには、無限に無限の道が生成し続ける。そして、その組み合わせの中心点を死という無が横切るのは、ほんの一瞬にも満たないのだ。生者を死が襲った次の瞬間には、その生は再び最初の地点から、無限に錯綜する線の組み合わせの中で寸分違わずに繰り返されることになる。
あらゆる組み合わせが可能となる世界では、全てが一定の方向へ向かって流れてゆくことはない。あらゆるものは、前も後ろも上も下もなく飛び散り、ごろごろと転がり回る。動き出したものは、延々と転がり回り続ける。その動き出しの力にあわせて、それぞれに個別のペースで、それぞれの速度を保持しながら。延々と転がり回り続けていると、どこかで回転が噛み合うものに出会ったり、滅多に回転が噛み合うものに出会わなかったりする。回転が噛み合うもの同士の間では、波長や周波数の同調が起こり、そこに交感や共感が生じる。回転が噛み合うもの同士はくっつき、速度に変化が起こり回転が噛み合わなくなると離れ、またばらばらに延々と転がり回り続け、そしてまたどこかで回転が噛み合うものに出会う。
延々と転がり回り続けているものの中には、ゆっくりと動いていて静物ように止まって見えるものがある。そして、おそろしく速く動いていて、それが何なのかよく見えないものもあるだろう。だが、いずれの動きであっても回転が噛み合うものに出会う確率は全く同じなのである。それぞれに延々と転がり回り続けながら、それぞれにくっついたり離れたりするだけなのだから。

死んでしまった神を生き返らせることはできるのであろうか。だが、わざわざ人間が神を生き返らせるまでもなく、そこら中に神的なものは自然発生している。人間の目に見えているものといえども、突き詰めて考えてゆけば、どうにも訳の分からないものだらけだ。ただ目に見えているものの、目に見えている部分を見れているだけで、そこに見えているものの何を理解し何が把握できるというのであろうか。実際に目に見えている部分を見ているだけでは、それを表面的に認識し分析し把握することぐらいしかできないのではなかろうか。
そこら中で訳の分からないものは自然に発生していて、それは超越的存在の神的なものとして表面的に認識し把握されている。そこでは、あらゆるものが神なのである。どんなに目を凝らして見ても、どんなに奥深くまで把握しようとしても、どうしても掴み取れない部分をもつものばかりであるという意味において、全ては訳の分からない/得体の知れないものばかりなのだ。あらゆる人/あらゆる物/あらゆる事柄は、超越的な神的な部分/側面をもっている。
何かが起きるとき、それが快いことでも快くないことでも、あらゆる人や物や事柄は、超越的な部分や側面をもつ神的なものとして受け入れられることになる。あらゆることの組み合わせとして起こる出来事が、全てが自然で必然なこと/ものとして処理されるとき、その時々に、神的なものはその超越性によって逃走するであろう。そこでは、生きることも死ぬことも、もはや不安でも苦痛でもない。全ては、超越的な訳の分からない/得体の知れないものばかりだ。全ては超越性をもって漂うのみの神的なものであり、全ては巡り巡って快をもたらすものとなる。
悪行ですらもまた快いものとなる。そこに罪の意識は生じない。善と悪の認識や把握もまた意味をもたぬものとなる。そもそも意味をもたぬことは、行為の目的としても意識されなくなる。そして、殺害された神もまた神的なもののゾンビとしてそこにあり続ける。生きることで引き受けなければならなくなる罪もまた快いものである。全てのことは引き受けられて快いものとならなくてはならない。
全ての事柄は、無限の組み合わせの中から偶然という必然によって選択され、そこに現れる。それが、そこにあること自体が、すでに快であり、喜びである。もしも、そこで起きたこととは全く真逆のことが選択されていたとしても、そこではそれは快なるものとして受け入れられるであろう。あらゆる組み合わせを受け入れることは、全ての組み合わせの無限の可能性の一瞬の結晶を、そこあるもの/そこにあったかも知れないもの/そこにないもの/そこにあるべきであったもの/そこにないはずであったものとして、受け入れて快とすることである。
全ての出来事は、それすなわち快であり、喜びである。それは、その瞬間に一回限りでしか起きないものであり、どれほどその瞬間が繰り返し生きられたとしても、それはその瞬間に戻ってきてそこで起こることになる。それは、いつまでもどこまでも回帰する出来事として、目の前で最善にして最快なものとして選択され/選択されていたのである。偶然という必然に命運をまかせ切ることによって。

人間らしく生きようとする人間が密集している過密地帯で生きている人間の生は、どんどんとか細いものにならざるを得なくなる。殺害した自らのありのままの人間らしさの死臭に圧迫されて、迫りくる死の気配に押し潰されそうになりながら、今ここで生きている。だが、その大半の部分は死んだままであり、生きながらにして死んでいるようにも見える。実際、人間としてよりよく生きるためには、ありのままの人間らしさや本来の人間性といったものは、大変に邪魔になる。その人間としてよりよく生きようとする生においては、本当はそこにあるべきものである人間性というものは、殆ど窒息して死んでしまっているといってよい。人間は生きれば生きるほどに、生きている自分というものを失ってゆく。
ただ前だけを向いて頑張って突き進み続ける人間の生は、どんどんと(無駄なありのままの人間らしさが削り取られ研ぎすまされて)細く尖った一面的なものになってゆく。ただ生きるために生きる生が、そこにはある。自分で何とか処理のできる範囲内で、よりよく生きようとする人間によって、その人間の人生は設計される。その道を歩んでゆくためには、人間らしさも、人間性も、人間としての可能性も、全てが放棄されることもある。そして、単純な欲望や欲求を満たすことに自己実現のための生の大部分は費やされるのだ。目の前に見えているものだけが全てであり、それ以外のことについては考えを及ばせない。ただ生きるのである。本当に死んでしまわないように。足許の細い道を一歩でも踏み外せば転げ落ちてしまう。考えも及ばないような下級の生へ。そして、そこに待っているのは死だ。何も考えずに死んだように生き続けるために、余計なことはせずに、ただひたすらに死者の仮面とともに生きるのみだ。自分で何とか遣繰りできる生を、細々と生き繋いでゆく。
仮面の奥底に小さく縮こまっている本当の自分をひた隠しにして生きる人間の生は、どんどんと(本当のありのままの人間生との接触がないままに)それぞれにバラバラなものになってゆく。とてもとても小さな人間たちが縮こまって生きてゆく社会。その硬直した状況が極限まで行き着いた先に、大きな転換の時が訪れるのだろう。しかし、その大いなる時が訪れる前に、今ここにいる人間というものは過酷な人間の生というものに耐えられなくなって絶滅/消滅してしまっているのではなかろうか。人間としてよりよく生きるための完成された生を生きる道を見出し、それを突き詰めていった先で人間は滅亡して、そんな人間らしさというものを全く意識的に省みることのない人間以降のものが生まれでる瞬間が、その来るべき転換の時ということなのであろうか。

はたして、どこまで人間が極限まで近づけば、どうしようもない孤独は、ポジティヴなものへと変換されることになるのであろうか。孤独であることが、それだけで浮上や上昇につながる瞬間とは、いつになったら訪れるのであろうか。そして、そうした動きが常態的に起こりうる社会の形とは、いかなるものであろうか。その変節の到来は、あらゆる組み合わせの動きが動き出すきっかけとして(世界から退場してゆく)人間らしい人間の耳に告げられることであろう。
研ぎすまされた生を生き続けるものたちは、その生のあまりに真っ直ぐなか細さによってゆっくりと没落してゆく。その終わりのない降下が継続して続くことによって、孤独なものたちはぬかるんだ地盤ごと下から持ち上げられる。黙々と前向きに生きる仮面のものたちによって支えられて、重く沈んでいたものたちが上昇する。二足歩行によって前進を続けていた人間の、その大切な足許を支えていたものが崩れ去り、よりよく生きようと欲していた人間たちも人間以下のものとなる(その場にしゃがみ込み地面に這いつくばる)。その大いなる時へと向けて備えるために、前進してゆく動きから隔絶されていた孤独なものたちは、極限の変節点に差し掛かる遥か以前からもはや人間とは見なされなくなっていた(その場にしゃがみ込み地面に這いつくばっていた)のかも知れない。人間以下になり人間として認められなくなっていたものたちが、絶滅へと突き進む幾重もの死にまとわりつかれた人間たちの場所の外側で/内側で/中核地点で、新たな時代の太陽の如く浮上してゆくことになる(人間らしい人間以降の何かとして)のである。

どうしようもない孤独なものたちは、どこを向いて歩くべきなのであろうか。少なくとも、上を向いて頭上にあるものを見上げるというような、無意識のうちに自分を低い位置に置いてしまうような行いは避けるべきであるのかも知れない。もっとも、上を向いて歩いていたとしても、そこに見えるのは、ただの空だけなのだが。人間は空の下しか歩いてゆけない。涙がこぼれそうになったなら、無理して上を向いて我慢などせずに、そのまま溢れ出るにまかせて、後できれいなハンカチで拭えばいい。もしかしたら、その溢れ出る涙を拭ってくれる心優しき人が、そばに現れるかも知れない。大概の場合、「一人ぽっち」な孤独なものに、そんなに優しく接してくれる人はいないのが当たり前のことではある。まあ、そんな孤独者にとっての宿命は、すでに十分に痛いほど承知されていることと思う。もはや、それはそれとして受け入れるしかないのである。そのために、いついかなる時も溢れ出して止まらなくなる涙を拭うためのハンカチは、自分でちゃんと用意しておかなくてはならないのだ。
人間にとっての幸せや悲しみは、空の上や星の影になどには決してありはしない。そんなものは、大抵はそのへんの地面の上に落ちているものなのである。だからこそ、しっかりと目の前に何があるかを見定めて歩かなくてはならない。「にじんだ星をかぞえ」て上を向いている場合ではないのである。どうしようもなく孤独なものたちは、暗い道を「一人ぽっち」で歩いているがために、どうしても悲しみの種ばかりを踏んづけて拾い上げてしまいがちである。その辺に転がっている幸せは、とても小さくて人目につかないものばかりなのだ。それは、光に満ちた明るい道を歩いていたとしても、なかなか見つけられないものなのである(おそらく)。だが、たとえひとつも幸せの種を拾い上げられなかったとしても、暗い夜道で悲しみばかりを踏んづけてしまうよりは、幸せの欠片さえ見つけられない方がよっぽどよいのではなかろうか。だからこそ、しっかりと足許を見て、慎重に進むべきなのである。
幸せだった過去の日々の思い出に浸ることは、とても後ろ向きな行いではあるが、それはそれで悪いことではない。だが、それと同じものを現在に取り戻そうとするのは、意欲することからして無駄である。そうした幸福な話が可能になるのは、小説や映画の中だけである。現在という瞬間に舞い込んでくるのは、いつだって真新しい幸せや悲しみなのである。上を向いてみたり後ろを振り返ってみるよりは、ちゃんと今現在に手の中にあるものを吟味している方がいいだろう。ただし、それをじっくりと行うには、春の日や夏の日や秋の日に感じた実際の幸せや悲しみというものを参照しなくてはならない。本当の幸せを知るためには、深い悲しみの感覚を忘れ去ってはいけない。あまりにも辛い時に涙をこぼすことも決して悪いことではない。全ての喜びや悲しみの味とは、的確に幸せの種を手に取ってゆくために、前もって噛みしめられていなくてはならぬものなのである。
誰が孤独の歌を歌うのか。今ではもう誰も本当の孤独を歌わなくなってしまったようである。それならば、どうしようもない孤独の淵に沈むものが、それを声高に歌うしかない。そんな孤独者の歌などというものは、誰の耳にも届かないかも知れない。だが、深い深い闇の底からは何を歌っても誰にも聴こえないのが当然のことなのだ。誰かに聴かせるためにではなく、ただただ降り掛かり続ける不安と苦痛の在り処を確かめて、それを刻み付けるために本物の孤独の歌を歌えばよい。光のあるところでは目も当てられないような、真っ赤な血の涙を流しながら、誰にも見られることなく、誰にも聴かれることなく、地上の詐欺詩人には歌えないような生きた苦悩する人間の言葉で歌え。孤独者の痛々しい歌は、その不安や苦痛を和らげ癒すようなものでは決してない。それは、そんな不安や苦痛がありのままの自然でであり必然であることを実感し、それらがどこからやってくるのかを真っ直ぐに見据えて、その苦々しさを真正面から味わい尽くすための歌である。(13年)

〈メモ〉

どこかに自分と同じように孤独を感じている人がいても、なかなかその存在を感じることはできない。孤独は見えづらい。孤独なものは隠れている。孤独なものは孤独を隠している。孤独なものの孤独は見えづらいがゆえに、その孤独はどうしようもないほどに深まる。孤独なものが誰からも見えなくなってしまっているのは、それはきっとそれが特殊なことだからではないからなのである。きっと、どこかで同じように孤独を感じているものが、誰からも見えづらくなり、同じように隠れて/隠されてしまっているはずなのだ。その姿は決して見えないため、通じ合えているような実感をもてるような気配は全くないであろう。だが、きっとそうなのだ。どうしようもな孤独は、この暗い底辺のあちこちにごろごろと転がっているのである。

生きることに疲弊し、自らの生を自らの手ですり減らしてゆく。前向きに生きることは、生きる苦しみとの直面の連続である。立ち止まり立ちすくんでいる孤独者はじっと動かない。生きることに疲弊しきっているが、その生をすり減らしはしない。むしろ、次々と降り掛かってくる不安や苦痛に埋もれながら様々なことに考えを巡らし、自らの生にたくさんの瘤をつくり、それどんどんと膨れ上がらせてゆく。そして、そのいびつな膨張や突起した部分には、孤独者の有り余る力や生のエネルギーが蓄積される。

人間を没頭させることのできる気晴らしは、とても優れた気晴らしである。優れた気晴らしの前では、どんな不安も苦痛も跡形もなく霧散せざるを得ない。気晴らしに没頭することで、生に思い悩んでいた自分を極限まで小さく萎ませることができる。それを極限まで小さくすることができないならば、気晴らしが気晴らしとして成り立ったとはいえない。気晴らしもまた人間を人間らしくする無感覚を誘発する。気晴らしを日常的に行うことで孤独者は自分の孤独を省みなくなる。気晴らしを日常的に行うことで人間は自分の人間性を省みなくなる。瞬間的に。そして、慢性的/継続的に。

世界の極と極とその間。これらの全ては、ひとりの人間の内部にあるものでもある。ある時は、当面の欲求が満たされて凪のような平穏の中にいる人間。ある時は、明るく柔らかな光に包まれて前向きに進んでいる人間。そして、その次の瞬間には、暗い深い闇の底で孤独に浸りきっている。

不安や苦痛は、孤独者を弱らせたりはしない。孤独者は疲弊しきってはいるが、その生は少しもすり減ってはいない。厳しく苛まれるほどに強く増大してゆく生命力。生命のインフレ危機と隣り合わせにして成り立つ社会は、全ての人間をバラバラに砕いて、孤独なものたちの存在を肉眼には見えないほどに小さくしてゆく。だが、その弱さや小ささゆえに、限界を越えようと(立ちすくんだままに)奮い立つ動きが生ずることにもなる。バラバラな小さいものほど強くなる。バラバラな小さいものほど強く生きようとする。

人間にとって好ましくないと見なされる生を生きることは堕落であろうか。怠惰であろうか。非人間的であろうか。より意識的に肯定的に生を前向きに生きることで、人間は人間を堕落させる巨大な落とし穴を乗り越えることができるのだろうか。だが、それを乗り越えてしまった先では、好ましい生も好ましくない生ももはやなくなるのではあるまいか。好ましくない生を乗り越えてしまったら、ここでは好ましいと思われているような生は、そこではその意味を失ってしまうだろう。それと同時に、すでに人間の生にとって好ましくないとされるものもまた乗り越えられしまってているのだ。好ましい生とは、傍らに好ましくない生があって、はじめて好ましい生となる。人間にとっての好ましい生とは、今ここで好ましくないと思われている生と一対であり、その好ましくない生の一部でもあるのではなかろうか。それは、コインの裏表のようなものなのではなかろうか。

そのまま人間らしい前向きの生の道を突き進んでゆくと、どこに辿り着くと思いますか。全てを振り絞って全速力でゴールラインを駆け抜けると、そこには次元の異なる生が到来しているかも知れない。あらゆることの無限の組み合わせが、意識する前に意識される/見る前に見えている/知覚する前に知覚できる世界である。わたしたちの目をくもらせるものは、そこには何もない。そこでは、全てのことが正解となり、全てのことが誤りともなる。選択は無限に可能である。最善のものが最悪の道となることもあれば、最悪のものが最善の道となることもある。あらゆることが見えている目には、もはや今の先にある何かを特別に意識するということはなくなるであろう。意識をする前に全ての行いはなされる。意識は後からついてくる。そこには意識的な選択はない。だがしかし、何も意識しないでいるということもできなくなる。

孤独者は救われなくてはならない。孤独者が救われるとは、いかなることなのであろうか。孤独者が(一時的にでも)孤独でなくなれば、孤独者は救われたことになるのであろうか。人間は本質的な部分において誰もが孤独なのではなかろうか。全ての面で誰かとずっと一緒に生き続けられる人間は誰もいないであろう。孤独者を孤独の淵から掬いあげて、もう二度と孤独を感じないように誰かしらを全面的にそばに置いておくだけでは、孤独者の救済にはならない。こうした荒療治を好む人間は非常に多いのであろうが。それでも、やはり孤独者は根本的に本質的に救われなくてはならないのだ。孤独者が、その生に染みついた孤独とともに人間らしく生きることは、全く不可能なことなのであろうか。

ちっぽけな人間のちっぽけな人間らしさのいくらかを前面に出して生きることすら許容できない世の中や社会へと、前向きな人間たちは率先して向かっている。ちっぽけな人間のちっぽけな人間らしさのいくらかを前面に出して生きることすら許容できない世の中や社会へと、前向きな人間たちは追いやられている。ほとんど人間らしい人間らしさのない人間として生きることを、人類の歩みの突端で人間たちは激しく欲望しているのだ。

ある程度のこの世の中や社会の成り立ちへの貢献をすると、その分だけ他者に対して不寛容になってもよいようだ。それが、この世の中や社会のルールのひとつでもある。

それを見えなくしているものは何か。暗いところに隠れ込んでいるから見えないのか。だが、そこにそれを追い込んでいるのは誰なのか。暗い狭い場所にしか居場所を与えていないのは誰か。厄介なものたちは厄介払いしておくのが一番だと考えているのだろう。見えなくされているのではない。最初から見ようとしていないのだ。

どうしようもなく孤独である。本当に、どうしようもない。
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誰が孤独を歌うのか(四)

2014/01/01 22:00
誰が孤独を歌うのか



江戸時代に書かれた書物『葉隠』に「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」という有名な一節がある。この『葉隠』とは、武士の心得を仔細に渡って記述した膨大な書物であるが、この一節は、そのうちのほんの一文でしかない。よって、『葉隠』の全巻を読み通さなくては武士について/武士道についての全容は読み取れないであろうし、この一文の前後の文脈を慎重に読み込まなくては、ここで説かれている武士道というものについての本質も、受け取り方を誤ったり取り違えてしまう可能性は大きいであろう。
この「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」という一文は、武士と武士が剣と剣を交えて戦い、その真剣勝負の最中で天命を全うするのが武士の生きる道=武士の真髄であるというようなことを意味しているのではない。このような解釈からは、武士たるものは潔く敵と戦い全力を振り絞って最後には戦場の花と散ることが美徳であるというような誤った考え方が導かれがちである。これは、臣下として武士たちを戦わせる側にとっては実に都合の良い解釈であるといえるだろう。ひとりでも死ぬ気で戦う武士が多い方が、戦い全体で勝利を収める確率は高まるであろうから。その戦いで50人の武士が死んだとしても、その50人が死ぬ気で大立ち回りを演じ、それぞれに10人の敵を切り捨てていたら、敵方にとっては500人の武士を失わせる(10倍も)大きなダメージを与えることになる。そうした戦わせる側からみた効率性のよさを主眼とする解釈が(戦わされる側にも)定着することで、いつしか主君のために死ぬこと/お国のために死ぬことが武士に限らず戦いに赴くものにとっての最高の美徳であるかのように吹聴されるようになっていった。そして、20世紀に人類が経験した大きな戦争では、そうした間違った武士の心得の解釈による誤った考え方の下に、多くの命が無下に失われる事態を招いてしまったことは記憶に留めておく必要がある。
ここでは「死ぬ事」こそが武士の道であるかのように述べられているのだが、これは実際に生命が絶たれて死ぬということについていっているのではなく、寧ろこれは生きることの本質を見極めることのできた人間によって述べられた言葉であることに注意すべきなのである。つまり、真剣による戦いと隣り合わせに生きる武士の生死についてというよりも、より広範な意味での人間の生き方・生き様を説いた言葉として受け取った方が、この一文の意を理解しやすいのではなかろうか。「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」とは、人間にとっては「死ぬ事」こそが生きることなのだと、生と死の思考を突き詰めた先で思い至った、純粋な驚きを表している言葉だといえるであろう。
実際の死と「死ぬ事」は、全く違うことである。この「死ぬ事」を、生きた人間の状態で表すとすれば、それは確固たる(生きる)自分を失うということに当てはまるであろうか。人間が整然と正しい行いをする時、その人間の中に自分というものはない。要するに、その人間の中に自分という意識は全くなく、ただその行いだけがあるという状態である。そこに、自分というものが入り込む隙は殆どないのだ。そのような生の状態のことを、『葉隠』では「死ぬ事」と書き記しているのである。自分の中の自分を制して、あたかも死んでいるもののように生きる。何事かをなす人間というのは、死んだままに生きることによって、真っ直ぐに突き進むことができるのである。この「死ぬ事」という境地を見つけられずに生きようとしてしまうものは、必ず曲がりくねってしまうことになるだろう。そして、自分で自分のゆく道を邪魔立てして(立ち往生して)しまうことになる。
こうした人間の生き方のあるべき姿を説いた教訓は、武士にとっての生死を賭けた行動である太刀を扱う際にも、より研ぎすまされた形で用いられることが可能となるのである。武士と武士の真剣勝負の場においては、そこでいかに自分の中で自分の意識を殺し、生臭い生に執着した迷いをなくせるかが最後の決め手になったりする。「死ぬ事」を見つけて、死んでいるもののように無心となることによって、太刀はそれ揮うものの思い通りに真っ直ぐに揮うことが可能となるのである。
刀を交えて戦うことを生業とする武士は、その生と死を極限まで突き詰めた観点から観想し、人間の生の根幹にあるものは「死ぬ事」と発見した。そして、それは、あらゆる枝葉を削ぎ落とした非常にシンプルな一文で表されることとなった。それが、極めてシンプルな考え方からなるものであるから、それゆえにこの優れた一文は、死ぬ気で生きる、死んだ気で生きる、死んだつもりで生きる、などの様々な角度からの解釈によって言い換えることが可能となってしまっているのである。
だが、これは死ぬために生きるという考え方とは決定的に違うものである。人間が生きる道においては、死ぬことは決して目的にはならない。「武士道と云ふは、死ぬ事と見付けたり」とは、よりよく真っ直ぐに生きるための人間の生の在り方を説いた言葉なのである。武士として人間として死を思い生を思い、「死ぬ事」とともによりよく生きるということを『葉隠』の一文は説いている。
「死ぬ事」とは、自分を殺してしまうことである。人間が自らの手で自らの人間的な部分を殺すことで、その人間が生きる場所に適応した人間として、人間らしく生きることができるようになる。真っ直ぐに前向きに生きるものは、その人間としての生の多くの部分を殺してもいる。それは、本来の人間性を抑制し/限定し、死という生とは真逆にあるものを生の中に持ち込むことによって、自分の生を圧縮して、自らの手で自らの生を自らのものとして扱いやすくしているということを意味する。逆に言うと、野放しにしたままの生は、そう簡単には扱いきれないのである。限定し、選択し、決断することで、人間は人間の生というものに合理的に適応することが可能になる。思考してその思考を突き詰めた人間が、その思考を放り出すことで、人間本来に備わった自然な生ではない人間の生を作り出したのである。『葉隠』流にいえば、武士が人間の生きる道としてのそれを見付けた/発見したのである。
頑張って生きる。がむしゃらに生きる。ただただひたすらに生きる。生きるために生きる。死なないために生きる。死から逃れるために生きる。前向きに真っ直ぐに生きれば生きるほど、自分を殺さねばならなくなる。すると、自分の生の中に、自分によって殺されて死んだ自分が蓄積されてゆくことになる。そして、押し寄せるように迫りくる死んだ自分に圧縮されて、どんどんと自らの人間としての生はか細いものとなっていってしまうだろう。人間が人間として生きるということにおいては、活き活きとした生の部分は否定の対象となる。そこでは、全く活き活きとしていない死んでいる自分を大量に抱え込んだ生が、前向きな人間らしい生の在り方となるのである。生きることは、殺すこと死ぬことを前提としている。あまりにも生きようとするものは、この世界では人間らしくは生きられないのである。

闇の中にいる孤独者たちは、微かにではあるが必死に人間の生を生きようと足掻いている。今の状態のままで「一人ぽっち」の寂しい死を迎えたくはないから。そのすっぽりと落ち込んでしまっている深みは、光の中で作り出された「死ぬ事」の影を全く寄せ付けようとはしないかのようでもある。静かで平穏な暗がりの中の生が、そこには存在している。
その抱えきれないほどに溢れかえる生への渇望は、孤独者にとってのさらなる苦悩となり、終わりなき悪循環の中で身動きをとらせずに停滞を余儀なくさせる重しとなる。そして、その強烈なまでに重い生の重しは、動き出そうという心持ちを起こすことすら失わせてしまうのである。その停滞する静けさの中では、自分を殺してまで生きる不安も苦悩もない。だが、それゆえに静かに微動だにせず生きることが、その生の全てとなり、かえって人間らしい生からは遠離ってしまうことにもなる。

生きることは「死ぬ事」によって始まる。生きることは、それすなわち死への跳躍でもある。生きながらに死ぬことは、自らの人間らしさを抱え込んだ自分を殺しながら生き続けることである。そして、内在化され蓄積された死が、いつしかその生の表面へと滲み出してくる。それが、死に顔のような仮面となる。だがしかし、そうやってよりよく「死ぬ事」によって、生きるという重苦しい足掻きから人間は解放されているのである。
闇の奥底では、死が忍び寄ってきて生を圧迫したりはしない。そこでは、常に死は突然に襲いかかる。殺されることのない生は、そのままにそこに生きてある。だから、手に負えない。生の重苦しさから解放されるには、そこから飛び退くしか方法はないのだ。生を諦めて直接的/間接的な死へと移行する。死んで/殺して生から解放されるのにも、そこに飛び出すには重苦しい選択が待ち構えている。だが、死んでも生きたい/死んでしまいたいという切実なる思いから、あまりの苦しさに耐えかねて人間としての生そのものを諦めてしまうものも少なくはないのだ。「死ぬ事」を見極め、それを見出すことは、とても難しい。
それでも、どこまでも孤独に、降り掛かり続ける苦悩と苦痛の中で足掻き続けるものもいる。もっと自分らしく、もっとありのままに、苦悩と苦痛にまみれながらも、もっと楽しく生きてゆけるはずであるから。だから足掻くのである。限界まで。その限界を越えてしまったら、そこには孤独な生者にとって最も厭うべき死しかない。だが、それこそが、苦悩や苦痛からの最も手早く簡単な解放の手段でもある。生きたいと強く思うものほど、その誘惑に強くとらわれる。人間には、死んだふりをするか本当に死んでしまうかしか、よりよく生きる道はない。

自己実現とは、何のことであろうか。それは、人間であれば誰もがもっている欲求であろう。生きている人間が前に進むのは、この自己実現の欲求を満たすためである。空気を吸い込み、水を飲み、物を食べることも、呼吸して喉の乾きを癒し空服を満たした自分を実現させるための行動にほかならない。だが、簡単に実現できる欲求とそう簡単には実現できない欲求が、人間の生には存在する。そうした、なかなか自己実現できない大きな欲求が存在するからこそ、人間は生きて前に進み続けなくてはならないのである。
際限なく生じる自己実現の欲求によって、自分がなりたいと思う自分になるという行為は、終わりの見えない自己実現のための行動のシリーズとして継続されてゆく。自己を実現する行動は、自分が自分らしく生きるということへと繋がっている。それを欲求し満たすことの繰り返しが、人間の生の殆どの部分をなしているといってもよいだろう。
そこで実現したい自己として欲求されている、人間の中にある自分というものは、全ての人にとって同じ自分なのであろうか。人間それぞれが自分の中でとらえている自分というものが、それぞれに微妙に異なるレヴェルにあるのであれば、その行動で実現される自分/自己というものにも、自ずと差異が生じてくるはずである。
また、そこで行動する人間に追い求められるものにも、それの大小に関係なく、崇高な欲求もあれば極めてささやかなものもあるだろう。そして、自分を殺してか細く縮減された人間の生を生きているものは、生に思い悩み「一人ぽっち」で立ちすくんでいる孤独者よりも、なりたい自分になるという自己実現を実現しやすい生を生きているのかも知れない。前に進むために抱え込むものを少なくしていることによって、そこでは欲求が満たされるレヴェルも相対的に低くなっているであろうから。死んだように生きるものの方が、(どちらかというと)満たされた気分に到達しやすい生を生きている。
ただし、人間は簡単に自己実現が可能な行動の連鎖の中だけで生きているわけではない。実際には、この自己実現の欲求というものを完全に満たすことのできるものは、世界のうちに一握りもいないであろう。だから、それをいつまでもどこまでも欲求し続けることになるのである。赤ん坊の行動も老人の行動も、それを追い求めることの表れにほかならない。生きるということは、自己実現の欲求の追求そのものなのある。
そこで究極的に欲求されるのは、完全に自己を実現し、自分の生に対して苦痛や不安を覚えることのない状態へと至ることである。ひとりの人間として自分らしく生きるということを突き詰めてゆくと、安心と安らぎに満たされた、とても平穏な生というものに行き着くはずである。そこでの生は、行動を起こさせる渇望というものをもはや何も知らない、全く動きのないものとなる。動じない生。揺らがない生。それこそが、自己が実現されているという状態だといえる。
この全く動きのない生の状態というのは、実は孤独者の生とも通じ合うものがある。孤独な生は、深い闇の中で立ちすくむことで自ずと動きのないものとなってゆく。暗い場所で、前にも後ろにも進めなくなり、孤独者は身動きとれずに静止した状態となってしまうのだ。そこで、頑張って前向き生きることや、がむしゃらに生きることから、すっぱりと解放されてしまうのである。だが、それは自己を実現する遥か以前の解放なのである。なりたい自分に全くなることはなく、そこに一ミリも近づいてはいない状態/段階での停止による解放だといえる。孤独者は、闇の中で、スタート地点に立つ以前に、人間らしい生の源泉である自己実現の欲求の追求から切り離され、その欲求実現のレースからつまみ出され退場させられてしまう。それは完全なる自己の非実現状態であり、自己実現不可能性の中での異常な解放だといえよう。
孤独者は、自己実現の達成とは反対側にある平穏さに埋没した生を生きている。そこに安心や安らぎは全くないが、闇の中で動きがとれないがために、全く動きのない生がひたすらに安定して続いてゆかざるを得なくなっているのである。静かに微かに足掻き続けるだけで、前にも後ろにもどちらにも動けないので、じっとしたまま動かなくなる。闇の中の穏やかな動きのない生が、静かに孤独者の毎日を覆い尽くしてゆくのだ。
それは、決して人間らしく生きる欲求が何も満たされることはなく、自己実現からもほど遠い場所にあるが、波風が立つことのない厄介ごとのない生でもある。そして、それは、孤独者が人間らしく自らの生を全て受け止めて生きようとした行動/行為の帰結としての静止と平穏でもある。人間は、人間らしく生きようとすればするほど人間らしく生きられなくなってしまう。それは、孤独者が闇の中で前方の光を見ることができず、積もり積もった自らの苦痛や不安とだけ向き合い、それ以外のことに対しては無感覚になってしまっていることとも無縁ではなかろう。自分のことだけを見つめすぎて、その向こう側にあるものが見えなくなる。闇の中の穏やかさは、(自分以外の物事が)何も見えず何も感じなくなっていることに由来してもいる。立ち止まり「一人ぽっち」になっているものには、何も起こりはしない。そんな溢れかえる自らの生の不安を見つめ、ただじっとそれに寄り添うだけの変化のない日々が、そのまま静かに流れてゆくだけなのである。

人間らしい生を生きようとすることへの正反対の反応から生じた穏やかで動きのない生が、光と闇のふたつの極と極に分かれてそれぞれに存在している。この静止状態を動かすとするならば、もはや入れ物ごと全部ひっくり返して、上と下を一気に寄せてしまうしかないのかも知れない。それが、深い闇の中に落ち込んでしまっている孤独者を救い出すための、ひとつの道/ひとつの方法であるはずである。
何もすることができないままに厄介ごとから解放されて、そこに落ち着いてしまったものは、そう簡単には動かすことができないだろう。何らかの刺激や自己実現のための欲求から自ら動き出すものもいる。しかし、全てのものたちが一斉に動き出すような、そんな強烈な刺激が、どこにあるというのだろう。もしも、それが現実のものとしてあるのだとしたら、それは本当に完全に全てをひっくり返してしまうような、驚くべき劇的な変化でなくてはならない。それほどのものでなくては、いつまでも闇の中のものたちに、そこから動き出すタイミングは訪れることはないだろう。
全てがひっくり返るとは、世界のあらゆるものが一気に転換することである。それは、この世界がひとつの極限にまで行き着いた先に起こるものである。秤の両端に錘がついている状態で、ちょっとでもバランスが崩れた際に、全てが一瞬にしてひっくり返るというイメージであろうか。あらゆる変化は、自然のうちに起こる。それは、とても自然なことであって、全ては必然のうちにあることであるから。人間に自然なものとして備わっている自己実現の欲求を満たそうとする行為/行動が、あらゆるものを前に進めるのであるならば、その自然な欲求を満たす行動によって前進を続けた先に、自然な変化が必然的なものとしてあるのは当然のことであろう。全てがひっくり返るような大きな変化は、あらゆるものが極限まで行き着いた先で自然な必然の変化治して起こるはずのものなのである。
そのギリギリの極限にまで行き着いている、そうした状態までゆくということが、どういうことであるのかは、とても自然なこと過ぎて、その先までいってみないと分からないものであるのかも知れない。二次元の世界が、三次元の世界を見渡せないように、この三次元の世界からは、その先の次元の世界の景色は見通すことも思い描くこともできはしないのである。そこは、三次元の世界では存在しえないものと、今ここにあるものとの、ありとあらゆる組み合わせが可能となっている次元である。この三次元に住む人間にとっては、想像を絶する世界であることだけは、少なくとも間違いないはずだ。
今ここでなされているような、ちょっとした何気ない行為は、実は無限の可能性へと開かれているはずなのである。その無限の可能性への開けを、三次元の世界では隠れてしまっていて見ることのできない面と今ここにある世界との組み合わせとして、全感覚的に把握できるようになるのが、その先にある次元なのではなかろうか。そこは、無限に開けている世界である。今という瞬間を貫いて、ありとあらゆることがありとあらゆるヴェクトルへと向かって開かれている。そして、その無限に全方位へと開かれた今が、全方位に無限に連なっていっているのである。
そうした事物/時間の無限の組み合わせのひとつとして、全てが入れ物ごとひっくり返ってしまう転換がある。そして、その転換を境に次元が切り替わり、この世界の光と闇は、もはや光でも闇でもなくなってしまう。今現在の世界の、その先にある世界では、そんな大きな変化すらも簡単に想定のつく極めて当たり前の可能事であるに違いない。

その先の世界においては、あらゆるものが、(今ここでいうところの)神懸かったような性質・性格をもつものとなるのであろう。そして、その時々に、そうした神懸かりなものは自然で必然なものとして殺され葬られるのだ。また、神懸かりなものは、その神的な力で人間を殺すこともある。人間は神懸かりなものを殺し、そして神懸かりなものを殺した人間が神懸かりなものに殺される。そこでは、苦痛や不安もまた快いものとなる。生きることも死ぬことも快いものであり、快いものは苦痛でもあり不安でもある。そしてまた、殺し葬ることも快いものである。罪の意識も罪の捉え方も根本か裏返されている。起こりうる全てのことを必然として受け入れるためには、そこにある罪すらも自然で必然なものとして快いものと見なさなくてはならない。
あらゆる組み合わせを引き受けなければならない世界は、今ここにあるような表面的な認識や一面的な認識を、それそのものとしては決して許容しないであろう。それらは、表面的で一面的すぎるために撥ね付けられ、起こりうる全てのことの中で、その軽々しさゆえに埋没してゆくことになるであろう。
今ここでは見えない部分までが見通せる世界では、仮面も意味をなさなくなるだろう。あらゆる組み合わせを引き受けることで人間は、あらゆる仮面を手に入れて装着することが可能になる。だが、全ての人間のあらゆる仮面の組み合わせを見通せてしまう世界では、仮面そのものの意味が全くなくなってしまうことにもなるだろう。また、あらゆる組み合わせを引き受けることで人間は、あらゆる苦痛や不安も快いものとして受け入れざるを得なくなる。そこでは、快くないものは、もはや快いもの一部としての意味しかもち得ないのである。快くない状態とは、快いもの全体のほんの一部でしかないのだ。どうしようもなく孤独であることも、快いこと全体のごく一部の非常に些細なことでしかない。全ての人間が孤独であることは、とても自然なことであり、人間であるからには必然なことなのである。孤独者が闇の中の孤独の淵に立ちすくんでいたとしても、あらゆる組み合わせによって世界のあらゆるものが密接に繋がっていることは、そこからはっきりと見通せるのである。孤独とは、「一人ぽっち」のことであり、世界の全員が実は「一人ぽっち」なのである。そこにいる全員が「一人ぽっち」であるとき、その孤独は全く快くないものではなくなる。基本的に全ての人間は孤独であり、全員があらゆる孤独な状態の組み合わせを全て見通しながら全て当たり前のこととして引き受けることができているのである。そこでは、今ここでいわれているような孤独な状態は、あまりにも軽々しく独善的な孤独の感情の漏出の一例として全く意味をなさなくなるであろう。
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誰が孤独を歌うのか(三)

2013/12/01 10:00
誰が孤独を歌うのか



60年代には、泣けるほどに孤独であっても、それを誰かに悟られないように「涙がこぼれないように」上を向いて「にじんだ星をかぞえて」歩く、いわゆる強がりややせ我慢の美学のようなものが存在していた。そうした、古き良き日本人の心や、古き良き時代の美意識のようなものは、もはや完全に失われてしまったといわれて久しい。だが、実際には、上を向いているよりも、前を向いて涙を流してしまった方がよい部分もあるのである。
涙を流すことは、人間的な弱さを露呈することでも、恥となることでも全くない。それは、とても人間らしい行為である。時として、人間は、人間らしさを無理に故意に押し殺してしまう。人間らしい行為を自分自身を抑制し統制して行うことによって、よりよく人間として生きることができ、人間らしさが高まると錯覚してしまっている部分があるために。ただし、その統制も抑制も完全に行うことは不可能であり、いくら自分自身を握りつぶし削り取り矮小化して人間らしさを極めてみたとしても、それを徹底することによっては人間の生は決して高まりはしないのだ。
溢れる涙を流すことを誰にも悟られないように隠さなくてはならないのは、人間らしい感情を押し殺して生きることであり、人間らしく生きることの否定でもある。上を向いて「涙がこぼれないように」堪えることは、人間が辛抱強く歯を食いしばって生きる姿に重ね合わされて、長らく美徳であるかのように解釈されてきた。そして、それは古き良き時代の人間の生き方の鏡のような姿勢として、かなり人間の感覚の中心にしっかりと定着してしまってもいた。
だがしかし、暗い夜道を「一人ぽっち」で歩きながら涙を堪えている人は、実際にはあまりいない。孤独に打ち拉がれて「泣きながら」歩いている人も、上を向いて「にじんだ星を」数えながら歩いている人も、ほとんどいない。そうした美学や美徳は、人間の胸中に存在する、とても感覚的なものにほかならないから。多くの人々は、心の中でそうしているのである。みんな辛抱強く歯を食いしばって生きている。だが、これは感覚の部分での人間らしさというものを押し殺してしまう方向性に向かうことにも繋がりかねない。誰もが本当の自分の感情を隠して、平静さを装って生きている。仮の顔である仮面をつけていれば上を向く必要はない。そしてその正面を向いている仮面の下にも感情の仮面があり、その仮面の下に本当の自分の泣き顔と涙が隠されているのである。

仮面を被っていると、その下の本当の表情や素顔は隠されて正面からは見えなくなる。つまり、誰もが仮面を被ったままの社会では、真っ直ぐでダイレクトな意思や感覚の疎通はとても難しいものとなるということである。そうした仮面の存在によって、ともに手を取り合って困難や苦悩を乗り越えようとしても、そうした思いは仮面によって素顔が隠されてしまっていることで、なかなか伝わらないということもある。きっと間違いなく、誰もが誰かとともに戦って前に進みたいと思っている。生きるということには、幾つもの困難と大きな苦悩が満ちているから。だが、仮面は、そうした思いをも巧妙に隠してしまう。そうした隣人や他者へ伝播するものを被い隠すものとして仮面はできているのだから。誰もが誰かに仮面の下の素顔を見せず、誰もが誰かの仮面の下の素顔を見通せないことで、一人ぽっちの孤独者たちは、さらに社会という枠の中で孤立し、より深く(肉眼で目視できない深さにまで)孤独の淵に沈み込んでゆくことにもなる。

誰も上を向いて歩かなくなって、思わず泣けてくるほどのどうしようもない孤独は、ほとんど歌われなくなってしまった。そして、いつしか楽しく手と手を取り合って前向きに生きようという歌が、完全に主流を占めるようになってしまっている。そこでの楽しく前向きにという状態は、「一人ぽっち」ではないことを前提としている。周囲に手を差し出してくる誰かがいなければ、どんなに手と手を取り合いたいと思っていたとしても手を取ることはできないのだが。誰も周りにいない本当の孤独者は、最初からそうした歌に歌われるような世界からは除外されている。もしくは、その世界においては目に見えない存在とされているのである。
暗い時代に、努めて明るく歌うこと/明るい歌を聴くことで、鎮静剤的に瞬間的にでも楽しい気分に浸れればそれでよいということだろうか。生きることとは忘れることであり、人間は次々と忘れ続けてゆかなければ決して生きてゆくことはできない。だが、無理矢理にでも暗いものを明るくし、強制的に楽しい気分に浸らせてくれる歌には、何か(瞬間的にでも)ひとつにまとまるべき社会にとって不都合な部分を積極的に切り捨て、隠匿しようとしているような意志が感じられもするのである。
おそらく、国民的アイドル・グループのAKB48は、どうしようもない孤独を決して歌わないであろう。彼女たちは、どんなときにも、みんなで力を合わせて頑張ろうと歌いかけてくる。それは、(国民的アイドル・グループという看板を背負った)AKB48そのものを力強く前進させてゆくための掛け声であり、AKB48のファンやその楽曲を聴くものへの力強いメッセージとなって響き渡る。どこまでも前向きに困難や苦悩を乗り越えてゆくことが、彼女たちの歌のひとつの大きな主題なのだ。そこでは、誰もが自分の中にある「一人ぽっち」な暗さを抜け出して、ポジティヴな境地へと歩き出しているところから歌がスタートする。前に進まないもの/前に進めないものは、そうしたみんなで一緒に頑張るポジティヴなノリから歌のイントロが始まる前から追い出されてしまっている。そのノリに乗り遅れてしまっているものの生は、まるで好ましくない生を体現しているものであるかのように認識されることになるのだ。そして、どうしようもない暗さを隠匿し努めて明るく振る舞う社会の最底辺や外側にオートマティックに位置づけられてしまうのである。そこに立ち止まっているだけで、全体の前進を妨げる悪行であるかのように扱われることになるのも、そのためである。そして、そうした前向きに前進してゆこうとする感覚の一方向に整流された広まりを、前向きに進もう/力を合わせて頑張ろうと歌うヒット曲が強く後押しし、人々の耳にその正当性を刷り込むように吹き込みながら、捩じれて歪んだ認識を押し進めてゆくことになるのである。
ともに力を合わすことのできぬ/合わせることすら望まれない「一人ぽっち」な孤独者は、そこでそうした歌を聴いて、どう反応すればよいのだろう。最初から「一人ぽっち」が除外されている場所で、頭の中に思い浮かべた空想の誰かと空しく力を合わせていればよいということであろうか。実際、本当の孤独者とは、常にそういうイマジナリーな音楽の聴き方しかできないのであるけれど。

だが、本当のところは、どうなのであろうか。上を向いて歩く人がいなくなったから、どうしようもない孤独が歌われなくなったのだろうか。どうしようもない孤独者がいなくなってきたから、孤独は歌の主題にならなくなってしまったと考えることもできるのではなかろうか。本当に「一人ぽっち」な人は、そうそういないのかも知れない。一面的で極めて表層的な見方では、そのように見えないこともない。ただし、それでも今この時にもひとりきりで孤独のただ中に沈んでいる人は、確実に存在しているであろうし、ひとりきりで生きる辛さに耐えきれず、今すぐ逃げ出してしまいたいと考えている人も少なからずいるに違いない。そして、今この時に、ひっそりとひとり寂しく死んでゆく人だって、実際には少なからずいるのである。だが、そうした、本当のどうしようもない孤独は、とても見え難いものになってきてしまっている。しかしながら、それ以外の孤独な人の周囲には、もしかすると誰かしらがいるのではなかろうか。現代の大半の孤独者は、文字通りの「一人ぽっち」ではないのかも知れない。だが、孤独は孤独なのである。孤独者が孤独であることに違いはないのである。
今の時代には、携帯電話もインターネットもツイッターもフェイスブックもある。そこには、直接的なものとは異なる、間接的な人と人との結びつきや繋がりがある。しかし、ツイッターのフォロワーやフェイスブックに友達が何人いたとしても、様々なコミュニケーション・ツールを使って沢山の間接的な繋がりがあったとしても、それは本当に「一人ぽっち」ではないということを意味しているのであろうか。逆に、周囲に間接的にでも繋がりのある人がいるからこそ、かえって「一人ぽっち」を感じてしまうということもあるのではなかろうか。誰かが確実にそこにいるはずであるのに、数多くのフォロワーや友達のうちの誰一人として、自分に対して本気で関心をもってくれることはない。そのどうしようもない状況が、現代の孤独者の心により深い孤独感を募らせてゆくことにもなるだろう。

現在では、もし夜道で上を向いて歩いていてる人がいても、ほとんど誰も「涙がこぼれないように」堪えている人だとは察してくれないのではなかろうか。行き交う多くの人は、ちゃんと前を見て歩かない人にぶつかられることがないように足早に上を向いて歩く人を避けて行き過ぎてゆくだけであろう。もはや、上を向いて歩いているくらいじゃダメなのだ。その行為からは、ほとんど何も伝わらないし、そこから何も汲み取られることはない。21世紀の人々は、そうしたかつての60年代的な人と人との暗黙のコミュニケーションの作法からは、とてもとても遠いところまできてしまっている。
そして、そうした現代の人々の輪の中に入るために適当な仮面を被り、その下に涙を隠し、表情を隠し、孤独を隠し、哀しみを隠してしまう。そんな幾重にも隠されているものからは、やはり何も伝わらないし、何も汲み取られることはない。そこにある本物の深刻な孤独は、誰にも気づかれることなく感情の襞の奥に埋もれてゆくだけである。本当の孤独者は、ますます孤独を深め、いつまでも救われることはない。果たして、孤独とは、上を向いて歩いたり胸の奥底に秘めたりして、ただただ耐え忍ばなければならぬものなのであろうか。

本物の孤独者が、その孤独の淵から一歩踏み出すことは、そうそう容易なことではない。だからといって、内側へと籠りきって逆に突き抜けてしまうのも、そうそう容易な道のりではないだろう。暗い闇の中で孤独者は、ただ「一人ぽっち」で立ちすくんでいる。立ちすくんだままでいると、その道を前に進むのも後ろに進むのも簡単なことではなくなってくる。どこにも明かりが見えない中で何かを乗り越えて進まなくてはならないのは、とても辛く難しいことである。そして、前にも後ろにも進めないというのもまた、とても辛い状況なのである。
だがしかし、ただ単に辛いというだけで進まない/進めないのでは、そこに何の解決の糸口も見つけ出せはしない。闇の中で立ち尽くす孤独者も、自分の周囲に何らかの動きがあるということは直接的にも間接的にも見えているし、しかも動き出すこと/動くことの重要さは痛いほどに認識してはいるのである。しかし、そう簡単に全てをクリアできてしまうほどに、この問題は単純なものでも底の浅いものでもない。ただ、何かのきっかけとなる出来事がなくては、その先へと動いてゆくことに繋がる動き出しの動きは生まれないだろう。だが、その出来事とは、果たして何なのか。それは、どこにいかにして生ずるものなのか。そして、そのどうしようもないほどの出来事の見通せなさや決定的な出来事を思う浮かべることの重苦しさに、孤独者にとっての大いなるジレンマが生じてくることにもなるのである。

孤独な状態とポジティヴな方向へと向かう動きは、完全に絶縁してしまっているものなのであろうか。暗い場所ですっぽりと深い穴にはまってしまったような孤独な状態とは、明るく前向きに動いてゆこうとする生き方とは決して相容れないものなのであろうか。
どんなに孤独な状況にあっても、そうした人生の辛さや苦みをバネにして頑張ってゆこうとするのが、坂本九の大ヒット曲「上を向いて歩こう」を生んだ昭和という時代にあったメンタリティであった。寂しさや侘しさに打ち拉がれて、上を向いて「にじんだ星をかぞえて」歩いていても、その周囲を見渡してみれば、そこには頑張っている人がいっぱいいたのである。それは、頑張っている人たちが、逃げも隠れもせずに真正面から頑張っている時代であった。そして、頑張っている人たちが、頑張っている姿を隠すことなく頑張っていた時代でもあった。頑張っている人たちは、そうした一緒に同じ時代を生きる頑張っている人たちの存在を、とても身近なものとして感じながら頑張れたのである。
どんなに孤独であったとしても、どこかに自分と同じように感じている人がいて、それぞれに孤独の淵に沈んでいながらも、みんなで寂しさや悲しさや辛さと戦って乗り越えていこうとしているような感覚をもてたのであろう。近くに存在を感じられる目に見えて頑張っている人たちの中のどこかにいる、どうしようもない孤独と孤独に戦っているものと、その孤独の感情を共有することが実感をもってできていたのである。
現在では、周囲にいる頑張っている人たちの存在もまた、非常に見えづらくなってきている。おそらく、頑張っている人そのものは今も変わらずに存在しているのだろう。かつての「上を向いて歩こう」の時代の頑張りを、遥かに凌ぐほどに真剣に頑張りながら。だが、その頑張っている人たちは、とてもとても静かに頑張るようになってきている。頑張っている人たちのがむしゃらに頑張っている姿が、実際に見れることは極めて稀である。静かに穏やかに、さも普通のことをしているかのように、頑張っている人たちは極めて平然と頑張っている。
生のままの感情が隠されるように、頑張りもまた見えないように隠されてしまっている。頑張っている人たちは、自分の意思で頑張っている自分を隠そうとする。がむしゃらに頑張る人を見かけることが稀なのは、頑張っている人たちが頑張る自分を各層としているからなのではなかろうか。いつ頃から、静かに穏やかに頑張る人たちばかりになってしまったのだろうか。だが、なぜに自分の頑張る心持ちや表情や姿を見えないように隠してしまうのだろうか。この現在の世の中や社会の中に、がむしゃらになれない要因でもあるのだろうか。頑張っている人たちが、頑張っている本当の自分を表に出せないのは、なぜなのだろう。今ここで、どんなに頑張っても、それは大抵の場合が意味のないものになってしまい、もはやどこにも到達しないことが殆どであることを、誰もが薄々感づいてしまっているからなのだろうか。頑張っている本当の自分を隠すというよりも、あからさまには頑張れない気持ちというものが、どこかにあるのではなかろうか。
おそらく、こんなところで頑張っているということそのものが、とても空しいことに感じられているのではなかろうか。こんなことろで頑張ってしまう自分を、非常に空しいことだと最初から思ってしまっているのではなかろうか。だから、曲がりなりにも頑張ってしまうことがあったとしても、その表情や姿を、あまり表に出してしまってはいけないのである。頑張っている人たちは、静かに自分の頑張りを主張しないように頑張るものなのである。その本当の自分を押し殺した仮の姿は、見方によっては黙々とひたむきに頑張っているように見えてしまうこともあるだろう。だがしかし、そこに見えているのは、頑張っている人の本当の表情や感情を仮面の下に隠した、仮の姿にほかならないのである。まさに、見せかけの黙々と頑張っている姿であり、本当の自分を押し殺した後の死後の姿でもあるのだ。それは、自分の内面や心持ちを前面に出したがむしゃらに頑張っている姿とは、実際にはほど遠いものなのである。
本当の自分を押し殺して、こんなところで頑張っていてはいけないと感じてしまうのは、ここではないどこかに自分が本当に頑張れる場所があるはずだと思っているからにほかならない。自分の能力を最大限に活かして、がむしゃらに頑張れる場所が、どこかに必ずあるはずなのだ。人間とは、前向きに歩み続けるものである。歩き続ける目的があるからこそ歩き続けられる。そのためには、自分が最適な形で生きられる場所が、歩き続ける先のどこかになくてはならない。だがしかし、そうした本当に頑張れる場所は、この今の世界から見渡しているだけでは、なかなか見つけられないものなのである。でも、ひとつだけ確かなことは、それが絶対にこの今の世界ではないということこと。なぜならば、ここは自分で本当の自分を押し殺さなくてはならず、全く最適な形で生きられる/頑張れる場所だとは感じられないから。
いつか自分が自分らしく頑張れる場所でならば、仮面を被ったり自分を押し殺したりすることなく本当にがむしゃらに頑張れるであろう。そこでは、自分の頑張りは、その先にあるものへとしっかりと繋がっていることが、常にありありと実感できるはずである。頑張りが空しさには直結することは、決してないのだ。でも、ここには、それとは真逆の状況がある。だから今は、無駄にがむしゃらに頑張ったりはせずに、ただただ自分を押し殺して時間をやり過ごしている。
こうした、ここではないとどこにもないの悪循環は、仮面を被り自分を押し殺す自己否定の感情しか生み出さない。前向きに頑張る気持ちを突き動かす、ポジティヴな希望はどこにあるのだろうか。本当に、もはや頑張ってもどこにも到達することはないのだろうか。自分を押し殺して、自己否定の日々をやり過ごしているうちに、かつては見えているように思えた光をも見失ってしまうことになるのではなかろうか。そして、気がつけば、そこは深い闇の中である。光のあるべき場所からは、とてもとても遠い。そして、前向きに生きるための希望からも、どんどんと遠離ってしまうことになるのである。
自己否定は孤独な感情の停滞を生み、その孤独な状態で自己否定の状況をさらに突き詰めてゆくことによって、そこで本当の自分を発見する契機を逆に掴むことになる。仮面をつけて孤立してしまった人々が、自己を否定し続けることで生きることのポジティヴィティとは断絶され、次々と暗く深い本物の孤独の淵へと落ちてゆく。そして、その闇の奥底で、仮面の下の本物の自分と対面し、どうしようもなく孤独なひとりのちっぽけな人間の姿を、初めてまじまじと見つめることになるのである。

前向きに生きることのできる場所や時間というものは、どこにあるのだろうか。暗い孤独の闇の中にいる者に、それを探し出すことは可能なのであろうか。希望という名の微かな明かりを、どこに見出せるというのだろう。そして、そもそもそこに辿り着ける保証などどこにあるのだろうか。
暗闇で立ちすくんでいるだけのように見える孤独者にだって、何らかの希望をもつことはあるはずである。そして、それを自らの手で掴むために前向きになれる場所へと突き進んでゆきたいという願望もある。そんな、いつの日か自分が辿り着けるはずの場所こそが、自分が自分らしく頑張れる眩いばかりの希望に満ちた場所であるはずなのだから。まだ見ぬ希望という名の微かな明かりを頼りに、がむしゃらに突き進んだ先には、自己実現というひとつの頂があり、そこで自分の夢を叶えることができるのだ。
しかし、深い闇の中に留まったままでいては、いつまでも頂へと走り出すためのスタート地点にすら立てていない状態ということになる。叶えたい夢や実現したい自分のイメージや姿は、どんどんぼやけて霞んでゆくだろう。胸の内に秘めて、自分の中にあったはずのものなのに、次第に像が見えなくなっていってしまう。夢も希望の光も見失われ、自分自身すらをもを見失う。いつかなりたい自分や実現したい自分を諦めざるを得なくなる。自分に対して否定的になる。自分というものを打ち捨てざるを得なくなる。
こうした悪循環が続くと、スタート地点にも立てていない自分を、もはや哀れむことすらできなくなってしまうだろう。すでに否定し尽くされた自分の中で哀れみを募らせたところで何にもならない。哀しみも空しさもない無感覚な状態である。暗闇で立ちすくんだまま、自分に対して何の感情も湧いて来なくなる。完全に動きは止まる。全く動きのないところには、新たな動きは生じ難くなる。こうして、さらにスタート地点に立って動き出すことから、どんどん遠くなってしまう。あとは、ただ深い闇の底へとゆっくりと落ちてゆくだけなのであろうか。
それでも、孤独者は闇の中で立ちすくんだまま何もしていないわけではない。一般的な意味での歩みと見なされる一歩と比べたら、微々たるものであるかも知れないが、少しだけ足を動かしていたりする。しかし、その足元はとてもジメジメとしていて滑りやすく、動かした足はすぐにズルズルと元の場所に戻ってしまう。微かに動かしては元に戻る。毎日が、その小さな動きの単調な繰り返しになる。何も生産的な結果を生むことのない、どこまでも不毛な繰り返しである。ひたすらに繰り返しているうちに、その情けない結果に対しても、ちっとも苛立ちや空しさを覚えなくなる。意味があるのか意味がないのかすら分からないことを繰り返すだけの毎日の中で、何も変わらず何も目に見える動きがない状況が、慢性的な無感動と無感情を引き起こして反復されてゆく。
決して目に見える形では動き出すことができなかったとしても、毎日少しは前向きになろうと足掻いてはいる。だがしかし、そのささやかな動きは、誰からも注視されることなく、ただ無駄な徒労に終わるだけなのだ。誰かに見てもらいたくて/認めてもらいたくて足掻いているわけではないが、その闇の奥底で頑張ろうとしている人間がいることに誰かに気づいてもらわなくては何も始まらない部分は、確かにある。不毛な足掻きを繰り返しているだけでは、本当の意味での動きは何も起きはしないであろうから。
ただし、そもそもの話として、孤独者に何かが起こることや何か希望らしきものがあると孤独者が思い込むことこそが、ただの幻想であるのかも知れないが。

孤独者の視点から、活き活きと前向きに頑張って生きている人たちを眺めていると、あれは自分と同じ人間なのだろうかと思えてくることがある。それは、ただ単に遥か下の方から人間の生のよい部分だけを眺め見ているからなのであろうか。つまり、その孤独者が見上げる角度のせいで、よい部分しか見えてこないということなのだろうか。そもそもが、そこに見えているのは、孤独者の生とは全く違う次元の人間の生なのであろうか。あまりにも違いすぎて上からは下がはっきりと見通せないし、下からも上がはっきりと見通せなくなってしまっているのではなかろうか。
これらふたつの生の形状の間には、とても大きな隔たりがあるように孤独者には感じられる。また、そう思うことで、さらに孤独者の気持ちは萎み無気力や無感動が増長されることになる。明るい場所にいる人がどういった生を生きているのか、闇の底の孤独者には朧げに想像することしかできない。おそらく、そこは孤独者が立ちすくんでいるような深い闇に包まれた場所とは全く違う場所なのであろう。遥か下層の闇の奥底からでは、うまく理解も想像もできないほどに違ってしまっているのだ。違いすぎて詳しく実態が分からないせいで、そこまでの距離感をうまく掴むこともできない。上の人間と下の人間を大きく隔てているものとは、一体何なのだろうか。
明るい場所と暗い場所の違いは、どこから生じているのか。それは、ただ孤独者には我慢できなかったものを、ほんの少しだけ頑張って我慢して、ちょっとした人生の分かれ目となる関門をかいくぐった場所というだけの、ちょっとした違いなのであろうか。そこにいる人々の顔を見ても何も分からない。誰もが同じような表情で行き過ぎてゆくだけである。本当の表情は内面の奥深くに隠されてしまっていて、それを覗き込むことすらできない。仮面によって防御されていて、本当の表情や感情は全く見えなくなっているのだ。それが、現代の世界であり、現代社会というものなのである。見えているのは何でもないものばかりであり、本当のことは何も見えないし、誰も何も見せようとはしないのである。
中には仮面を取り払って自分を見せている人もいる。だが、それは何らかの形で腹を括っている人か、全てを見せてしまったとてもどうということのない人たちである。自分を売り物にして商売を行っている人は、そうやって仮面を剥ぎ取り身を削って生きてゆかねばならない運命にある。ただ、はっきりとそれを見せることを前提としている生であるので、それは安定した明るい場所での生き方ということになるだろう。周囲が真っ暗な場所では、誰もそれを見ることはできないのだから。
全てが安定している明るい場所には、足許がぬかるんで滑りやすい暗い場所とは、全く異なる生き方がある。ただし、いずれにしても暗い闇の奥底から、この明るい場所のことをハッキリと見ることは出来ない。そこは、あまりにも明るすぎて、闇に沈む孤独者にとっては眩しすぎる世界なのである。

そこに人間の顔がある。だが、その人間の本当の表情は見えない。目の前にいる、あの前向きに労働に勤しむものは、ただただ無心になって働いているだけのように見える。そのまるで仮面のような表情からは、何も読み取ることはできない。仮面の下に何を隠しているのだろうか。それとも何も隠してはいないのだろうか。本当は何かとても辛いことが昨日の夜にあったのではなかろうか。もしかすると、あの前向きに頑張っている姿というのは、自らの意に反することなのではなかろうか。仮面のような表情からは、何も伝わってくるものはない。仮面を被ったままで生きていると、いつしか仮面越しに事物を眺めることに慣れてしまい、本当に何も感じなくなってしまうのではなかろうか。
それでも彼らは前向きに自らの生き方に満足をし、そこに生き甲斐を感じたりしているだろうか。仮面で隠されてしまっているせいで、その満足感を表に出せていないだけなのか。何も感じていないような表情に見えるのは、そこに大きな幸せがあって常に満ち足りた状態にあるからなのだろうか。何も感じていないような表情に見えるのは、そこに大きな幸せが欠乏しているからなのだろうか。前向きな生であっても、未来への希望を感じられないようなこともあるのだろうか。日々の生活の中の小さな幸せも、あまりにささやかなものになりすぎてしまって、それを幸せだと感じられなくなってくることもあるのだろうか。
毎日トラックで配送をする人。家のポストにチラシを投函して回る人。営業で朝から晩まで歩き回る人。机で細かな計算だけを繰り返す人。スーパーマーケットで棚に商品を補充し続ける人。メガネを売り続ける人。コンタクトレンズを売り続ける人。回転寿しを回し続ける人。コンビニでレジを打ち続ける人。駄菓子を卸売りする人。電話でアンケートをとる人。バスの運転をする人。電車の運転をする人。タクシーの運転をする人。病人を診察する人。病人を看護する人。葬儀を行う人。野菜を売る人。散髪する人。畳を作る人。公園のベンチでずっと座っている人。駐車場に停めた車で眠っている人。畑を耕す人。稲刈りをする人。漁船にのる人。絵を描く人。文章を書く人。詩を書く人。
人間が生きているということは、どういうことであるのだろう。今ここで生きている人がすべきこととは、つまらない労働なのであろうか。より多く(つまらない)労働するものが、よりよく人間らしく生きているということなのだろうか。表情も感情もなくなるまで(つまらない)労働をすることが、人間が生きているということの主目的であるのだろうか。労働というのは、表情も感情もなく生きる人間にしかできないものなのだろうか。労働が、生きる人間から表情も感情も奪い去ってしまうのだろうか。
おそらく、そうした労働らしい労働こそが、人生の全てという人間も少なからずいるのだろう。そういった人間にとって、労働というものが人生から取り去られてしまったら、残りの人生はどのような意味をもつものなのであろうか。それは、全く意味の無いものになってしまうのではなかろうか。(労働以外に)意味のない人生を人間は生きられるのであろうか。生きながら死ぬことは可能だろうか。死んだまま生きることは可能だろうか。
人間が生きるということは、その人間が生きることのできる人生を最大限に生きるということではないのだろうか。人間が人生を最大限に生きようとする意志をもつことは、とても当たり前のことのように思われる。だが、全ての人間が思いきり最大限に生きようとしたら、この世の中はもはや人間の住めるところではなくなってしまうのかも知れない。
だから、人間は本当の自分を隠し、自分を押し殺し、表情もなく、感情もなく、無の状態になって生きなければならないのだろうか。人類の歴史や文明の繁栄は、人間に対して生きながらに死んでいるような生き方を強いるような方向に流れてきているのではなかろうか。上手に生きながらに死ねるものには、それに見合ったこの世界で生きてゆくための許可が下りる。前向きに人間らしく死ねないものや、世の中や社会が許容する以上に存分に生きたいと思うもの、人間らしく生きようとする意志が過剰に強いものは、この界隈では逆に人間らしく生きてゆくことが出来なくなる。ここでは、人間らしく生きないことによって、人間らしく生きることが許可されるようになるのである。
人間らしく生きないもの/人間としては死んだ状態で生きるものが、最も人間らしく生きてゆくことができるのが、この明るく光りに満ちた場所なのである。そこにいるのは、無事にスタート地点に立つことができ、頑張って前向きに走っている(つまらない労働に勤しむ)人間たちである。
その道の行き着く先のきつい坂を上りきった先には、また違った生き方があるのだろうか。もっと眩い光に包まれるような場所があるのだろうか。人間らしさをかなぐり捨て、人間らしく生きることすら諦めて、頑張って前向きに生きる人々。生きながらに死に、死んだように生きている、平然と感情を押し殺して走り続けなくてはならない人々。彼らは自分を亡きものにした自分の顔を隠すために仮面を被っている。
前向きに頑張って生きる人々のいる世の中の両極には、全く動かずに止まってしまっている人々がいる。一方の極は、光の中にあり、もう一方の極は、闇の中にある。表情も感情もなく忙しなく動いているのは、その両極の中間にいる止まることのできない人々のみである。その生きながらに死んでいる/死んだように生きている人々のいる場所が、光と闇の世界を大きく隔てている。ふたつの極の間の距離は、とても遠く、そこには大きな断層が横たわってる。生きながらに死んでいる/死んだように生きている人々の労働が労働を膨れ上がらせ、その極の距離と段差をさらに大きく広げてゆく。
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誰が孤独を歌うのか(二)

2013/11/01 23:00
誰が孤独を歌うのか



2012年12月22日、五人組のガールズ・グループ、東京女子流は、日本武道館での初の単独公演を行った。このコンサートは、グループのメンバーの平均年齢が15歳であったことから、史上最年少での日本武道館での単独公演の開催という記録を打ち立てたことでも話題となった。
この若きアイドル・グループは、10年5月5日にシングル“キラリ☆”でデビューしている。そして、それからほぼ一年後の11年5月4日にファースト・アルバム“鼓動の秘密”をリリースした。当初のアルバムのリリース予定日は4月19日であったが、3月11日に起きた東日本大震災とその後の福島第一原子力発電所事故の影響で、発売日は約二週間ほど延期され、ちょうどデビュー一周年というタイミングでのアルバム・リリースという形となった。
また、五人のメンバーのうち宮城出身の新井ひとみと山形出身の庄司芽生の二名は、震災後の混乱で地元の東北地方と活動の拠点である東京を結ぶ交通機関が通常の状態ではなかったこともあり、東京から自宅に戻ることができず首都圏に足止めされ、しばらくの間は親許を離れて東京の合宿所に滞在することを余儀なくされてもいる。そして、11年の春に予定されていた公演は自粛という形で中止/延期となるなど、大震災の影響は、こうしたアイドル・グループの活動にも様々な暗い陰を落とすこととなった。
震災と原発事故から受けた精神的な衝撃には、極めて大きなものがあった。それに、加えて毎日のように鳴り響く緊急地震速報の警告音と大きな余震に怯え、さらには計画停電や原発事故によって飛散した放射線量のニュースにも振り回された。そんな、大小の混乱がまだ多くの人々の日常の大部分を占めていた時期に発表されたのが、東京女子流のアルバム“鼓動の秘密”であったのだ。関東にも甚大なる被害と影響をもたらした大地震と大事故から約二ヶ月、まだまだ世の中はショックから立ち直れず暗く沈み込んだままであった。若い五人組ガールズ・グループのファースト・アルバムは、それほど大きな話題になることはなかった。本来であれば、アルバムを発表して、全国のCDショップやイヴェント会場をプロモーションで周り、コンサート・ツアーを行い、ブレイクへ向けての足がかりとしたいところであったが、突如襲った自然の猛威の前に全ての計画は変更を余儀なくされてしまった。
しかし、このアルバム“鼓動の秘密”は、作品としての質はなかなかに高く、アイドル・ガールズ・グループのデビュー・アルバムとしては極めて高い完成度を誇る作品に仕上げられていたことは間違いないところである。当時はまだ中学生であった五人のメンバーも、記念すべき初のアルバムということで、少女らしい幼さを多分に残しながらも、かなり意気込んだ溌剌とした歌唱を披露している。そして、その気合いの入った迫真の歌唱を受け止める各楽曲のプロダクションも実に多彩でヴァラエティに富んでおり、しっかりと作り込まれたサウンドでアルバム全体に華やかさと格調を添えている。東京女子流の“鼓動の秘密”は、どこか安っぽい即席のサウンドでお手軽に歌うようなアイドル・グループの作品とは、明らかに一線を画すアルバムであった。ある意味では、五人の中学生のグループのアルバムとして想像されるようなアイドル・ポップスの域を、すでに少しばかり越え出た作品であったともいえる。これは、当時の彼女たちの年齢を考えると、全体として相当に大人っぽい仕上がりのデビュー・アルバムでもあった。

アルバム“鼓動の秘密”の10曲目には、“孤独の果て〜月が泣いている〜”という楽曲が収録されている。この楽曲は、ビッグバンド・ジャズ的なサウンドによるブギウギ調のアレンジがなされた、どこか往年の昭和歌謡やキャバレー・ソングを思わせる賑やかさや華やかさを漂わせる、アルバム中でも少しばかり異色な曲調の一曲となっている。そして、その賑やかさや華やかさの裏に一抹の物悲しさが滲んでいるあたりからは、若さで突っ走ったり楽しく弾けるだけでは決してない東京女子流というグループの年齢に似合わぬ表現力の幅の広さの一端をまざまざと見せつけられるのである。
“孤独の果て〜月が泣いている〜”は、そのタイトルからも窺い知ることのできる通り孤独を歌った楽曲である。ただ、ここで歌われている孤独は、あの“上を向いて歩こう”において「一人ぽっちの夜」と歌われた、誰にも気づかれず/誰にも気づかれないように、深い悲しみに打ち震えながら涙を流す孤独感の表れとは、かなり趣きを異にしている。それは、月明かりだけが差し込み空には星が瞬く暗い夜道においてではなく、きらびやかにネオンが瞬く都会の夜の「右左行き交う人の群れ」の中で噛みしめるタイプの孤独なのである。決して一人ぽっちではなく、目の前を多くの人々がただただ行き交っている。そんな、人と人が近づいたり離れたりを繰り返す単純であり複雑な人間の関係のただ中において、ひとりだけぽつんと孤立している。猛烈に孤独でありながらも、誰かが近くにいることを目で見て気配で感覚できる状況が、そこにはある。
夜の都会の雑踏の中に足を踏み入れれば、そこでは多くの人々が自らの目的の場所に向かって移動している姿を目にすることができる。しかし、ほとんどの場合は、そこにいる人々の中に誰ひとりとして知っている顔はないし、それぞれの人がどこに向かって急ぎ足で歩いているのかも分からない。家に帰る途中だろうか、職場に向かっているのだろうか、待ち合わせの時間に遅れそうなのか、ただあてもなく歩き回っているだけなのか。そして、そこで行き交っている人々もまた、誰もこちらのことを何も知ってはいないのである。あの足早に通り過ぎてゆく人たちの目には、こちらのことは見えているのだろうか。自分が向かっている目的の場所のことやこれからしなくてはならないことについて、あれこれ考えている人の目には、その人の群れの中にいる誰の顔も全く見えてはいないのではなかろうか。人間たちが群れになって、その中でバラバラに右に左に行き交ってはいるが、そこにいる見ず知らずの者に対しては特別の注意が払われることはない。
そんな状況が“孤独の果て〜月が泣いている〜”では、「誰にも見えないこのワタシ/捕まえる事は出来ないよ」と歌われている。ひとたび都会の雑踏に紛れてしまえば、瞬くネオンの海の底で人の群れの中でその一部となることで、打ち拉がれそうになる孤独感を少しだけ和らげることができる。自分のことを知らない人間/自分に対して特別な注意を払わない人間たちで溢れかえる、賑やかな夜の街で、「誰にも見えない」存在になることで、孤独の果てへと逃避することが可能になるのである。
この楽曲における語り手である少女は、誰にも見られることなく、しばらくはひとりきりの時間を過ごしたいと思っている。その原因は、やはり失恋にある。「花の命は儚くて/散り急ぐ淡い夢」という冒頭の歌詞が、少女が恋に破れた状況にあることを暗に示している。花のように儚く散った恋。それを振り切るように、少女は夜の街の雑踏を歩き出す。胸の内の痛みを誰にも覗き込まれることのない、ただただ人の群れが行き交っているだけの夜の街へ。密な人間関係の中でもたらされた喪失感や虚無感は、逆に無関係な人間ばかりの人ごみの中に紛れることで緩和されるということか。ただし、今はそんな現実の雑踏に紛れなくとも、インターネットやSNSの世界に飛び込むことで、ある種の気晴らしや気散じをすることもできる。今やネットの世界でも空虚で希薄な人間関係からなる雑踏に紛れることは可能であるのだ。
恋に破れた少女は、ネオンサインと雑踏のただ中で、ちょっとだけ背伸びをしてみせる。自ら進んで思いを断ち切ろうとするように「ありふれた気休めの恋なんて/永遠にいらない」「馴れきって冷めきった恋なんて/迷わずさよなら」と、まるで大人の女性を思わせる捨て台詞を、ひとり繰り返し呟いている。だが、夜の街の人の群れの中では、その言葉は誰にも聞き届けられることはない。また、それがSNSという場であれば、投稿のプライバシー設定を全体公開にせずに思いきり吐き捨てられているだけである。
ひとつの恋が終わってしまった後の寂しさや侘しさといった感情が、61年の“上を向いて歩こう”では、「にじんだ星をかぞえ」ながら暗い夜道を「一人ぽっち」で「涙がこぼれないように/泣きながら歩く」情景を描き出すことで巧みに表現されていた。そして、この“孤独の果て〜月が泣いている〜”でも、胸を締め付けるような寂しさに溢れ出てくる涙を堪えて雑踏の中で夜空を見上げる、全く同じような情景が歌われている。そこでは、止めどなく涙が溢れてきてしまうのは、「星の明りが切なくて/溢れ出すこの涙」と星の瞬きのあまりの切なさのせいにされている。だが、これが精一杯の虚勢であることは、「零れ落ちそうな満月が/溶けて消えた」という一節からも察せられる。ここでは、「にじんだ星」ならぬ「溶けて消えた」満月という表現で少女の瞳に溢れる涙が歌われているのである。
また、「傷跡のような三日月が/笑っていた」という一節は、夜空にぽっかりと浮かんでいる笑っているようにも見える三日月を、それを眺める角度を強引に捩じ曲げて、失恋によって心に受けた傷の深さを見上げた夜空にそのまま投影しているようでもある。その「笑って」いながらも「傷跡のよう」であるものが、少女の心情や心中に去来しているものを、そのまま窺い知らせるような暗喩となっているのだ。その「溶けて消え」そうな三日月は、どこか冷たい悲しみをたたえた微妙な笑顔で微笑んでいるようにも、少女の潤んだ瞳には見えたのであろう。胸の内の三日月のような「傷跡」は、夜の街の雑踏の中では誰にも気づかれることはない(目的地へと急ぐ人々は誰も三日月を見上げてはいない)。しかし、どこか寂しく笑いながら夜空の月だけが、少女のことを見ている。どんなに賑やかな雑踏の中にいても、人の群れは少女の孤独を紛らわせつつも少女をさらに孤独にさせる。涙が溢れる瞳で夜空の月を、ネオンの海の底でひとり見上げるとき、「一人ぽっち」の少女の孤独はさらに深まってゆく。
しかしながら、その孤独とは、本当の孤独が存在するはずの暗い奈落の底とはほど遠いところにある孤独の感覚でもある。失恋して、突然それまで常に近くにいた誰かを失って一人ぽっちになり、全てのものから見離されて孤立無援の状態になってしまったように感じてはいるが、それは非常に一面的で一時的な喪失の感覚であり、本当の深く暗い孤独の淵に立たされているわけでは決してない。夜の街の雑踏の人の群れのような、誰も自分のことを見てくれない周囲の人間がいるからこそ成り立つ孤独でもある。「右左行き交う人の群れ」は名前も顔も知らない自分とは無関係な人間ばかりであるが、その雑踏の中で孤立しているような感覚を与えてくれるという部分でわたしと密接に関係してもいる。この少女の孤独は、孤独の果てではなく、実際には本当の孤独の遥か手前にある孤独なのである。

シンガー・ソングライターの植村花菜は、現在では10年に発表した“トイレの神様”が社会現象を巻き起こすほどの大ヒットとなったことによってその名が知られている。元々は弾き語りのストリート・ミュージシャンであり、インディーズでの地道なライヴ活動を経て、05年にシングル“大切な人”でメジャー・デビューを果たした苦労人でもある。
そんな植村花菜が07年11月7日にリリースしたのが、通算三作目となるアルバム“愛と太陽”である。このアルバムは、あの“トイレの神様”でブレイクする以前の鳴かず飛ばずであった時期に植村が発表した最後のアルバムとなる。おそらく、このアルバムもあまり芳しいセールスには結びつかなかったのであろう。三作目の“愛と太陽”以降の植村は、散発的にシングルやミニ・アルバムをリリースするだけの本格的な低迷の時期に突入することになる。四作目のオリジナル・アルバム“手と手”がリリースされたのは、“愛と太陽”のリリースから四年以上が経過した12年1月7日にことであった。しかし、そんなアルバムの発表予定の全くない不遇の時代の真っただ中である10年3月10日に発表されたミニ・アルバム“わたしのかけらたち”から、あの“トイレの神様”という起死回生の大ヒット曲が飛び出すことになるのである。
アルバム“愛と太陽”は、念願のメジャー・デビューを果たし幼い頃からの歌手になるという夢を叶えた植村が、コツコツと地道に活動しひとりでも多くの人に自分の歌を聴いてもらおうと努力をいくら重ねても、なかなか作品のセールスや知名度の向上、そして楽曲のヒットという目に見える結果に結びつかぬ状況を前にして、苦悩する内面を楽曲の所々でストレートに吐露したような作品となっている。おそらく、植村の音楽キャリアにおいて最も思い悩み迷っていた時期のアルバムであったのだろう。
そうした植村の内面を象徴するかのように、アルバムは一曲目の“太陽さえ孤独”という楽曲でスタートする。この楽曲の作詞を担当しているのは、元ゴーバンスの森若香織である。この時期の植村に“太陽さえ孤独”という楽曲を歌わせた森若のセンスには、かなりただならぬものを感じ取れる。実際に、なかなか思う通りにならない音楽活動に関して、植村がひとり思い悩む姿を間近に見てそれを知りながら、森若はこの楽曲の作詞を行ったのであろうか。そのあたり、少し気になるところではある。ただし、アルバム全体としては、これは苦悩や孤独のことばかりが歌われる湿っぽい作品では決してなく、そうした絶望の淵から自らを奮い立たせて飛翔しようとする前向きな気持ちを歌った楽曲が中心のアルバムにはなっている。
この“太陽さえ孤独”という楽曲のサウンドの雰囲気も、非常に明るくさっぱりとしていて朗らかである。つまり、孤独な太陽ほど愛に満ちた存在はないことを思い知り、「ひとりの寂しさを/言い訳にしないで」どこまでも「笑って行こう」というポジティヴに生きる姿勢が歌われるのが、“太陽さえ孤独”でありアルバム“愛と太陽”なのだ。そして、“太陽さえ孤独”で森若が書いた「必要な力はいつも/涙を流した/そのあとで/生まれた」という歌詞は、それを歌う植村本人とアルバムを聴くもの全てを勇気づける言葉でもある。

アルバムの四曲目には、植村本人が作詞作曲を手がけた“孤独なソルジャー”という楽曲が収録されている。こちらも基本的には孤独をテーマにした人生の応援歌的な楽曲となっている。しかし、その滔々と言葉を吐き出してゆくスタイルの歌は、より植村の内面の奥底からの心情の吐露に近いものであると思われる。それは、どこかとても重々しい感触をもつものでもある。歌詞には、非常に実直で率直な表現がなされている言葉が並ぶ。とても印象的な「汚れかけた/夢が叫んでる」「今日も一人/嘘に抱かれ眠る」といった歌詞は、そのまま当時の植村の胸中にあった思いを歌っているものなのだろう。ひとり思い悩み、孤独に打ち拉がれ、今にも引きちぎれそうになってしまっている心持ちが、ヒシヒシと伝わってくる歌詞である。
だが、その孤独の闇の奥底でいつまでもうじうじと踏み止まっていてはいけないという思いが、不遇時代のただ中にあった時期にも植村の基本姿勢には確固としてある。大きな夢に向かって、どんなに傷ついても(「冷たい視線のナイフが私を/刺しても」)自ら選んだ道を前に進むしかない。いや、叶えたい大きな夢があるからこそ、いつまでも踏み止まってばかりいてはいけないのだ。いつか必ず夢は叶うと植村は信じている。だから、その信念を心から信じきれなくなる瞬間の「自分の弱さが何より怖いと/知ったよ」という感情を、ストレートに告白するのだ。自分にとって一番怖いと感じられるのは、道の半ばで歩みを止め、来た道を引き返してしまうような自分の弱さである。決して夢を諦めてはいけない。そして、この楽曲のハイライトとなるパートでは、「逃げ出さずに/死ぬ気で立ち向かえ」と自らを力強く鼓舞し、ハートに火を点すような痛切な叫びをぶちまけてみせる。

だがしかし、“孤独なソルジャー”たちは、次々と降り掛かってくる様々な困難に本当に打ち勝てるのであろうか。暗い孤独の淵に沈み込みながらも、決して弱気にならずに諦めずに歩き続けることは、なかなか容易なことではないだろう。いくら勇敢で強い信念をもったソルジャーといえども、たったひとりの力だけでは、日々押し寄せてくる難題や困難や障壁の全てに打ち勝てるとは思えない。植村は、「嵐の中で戦い続ける/人はみな孤独なソルジャー」と歌っている。それぞれのソルジャーは孤独で、ひとりひとりで戦っているのだとしても、そうした自分にとっての戦場でひとり戦い続けているソルジャーは、この世界に無数にいるのだ。そして、それぞれがそれぞれの夢に向かって絶えず歩み続けているのである。「嵐の中で戦い続ける」ソルジャーは、決してひとりきりで戦っているのではない。孤独なソルジャーの戦いとは、夢は必ず叶うと信じる全ての者にとっての連帯での戦いでもあるのである。その戦場には一緒に戦っている仲間がいる。だから戦い続けられる/歩き続けられる。だから戦いに勝てる/いつか必ず夢は叶うと心から信じられるのである。
ただし、いくらソルジャーが周囲を隈無く見回してみても、そこにひとりも仲間らしきものが見当たらないこともあるだろう。ともに同じ場所で戦っているという思いを共有できる仲間がひとりもいない、本当に孤独な戦いを血が滲むような痛みの中で続ける、本物の「孤独なソルジャー」に勝利の日は訪れるのであろうか。植村は「逃げ出さずに/死ぬ気で立ち向かえ」と歌っているが、本当の深い孤独の淵に沈み込んでいるものを、ただその心持ちを言葉で鼓舞することぐらいで、次々と降り掛かる困難や苦悩の毎日を無事に切り抜けさせることができるのだろうか。生来的に心持ちの強いものは「死ぬ気で立ち向かえ」と簡単にいうことができるのかも知れない。しかし、そうやって死というものと立ち向かわずに逃げ出すことを繋ぎ合わせて並列に語られてしまっては、本当に逃げ出したいほど辛くなった時に、もはや死を選ぶ道しか戦場から退く道はなくなってしまうことも考えられる。
おそらく、本当の「孤独なソルジャー」にとっては、その孤独な戦場での自らの無惨な敗戦は初めから目に見えている。だからこそ、その戦いの日々は、余計に痛々しいものとなる。生来的に心持ちの強いものであっても、一緒に戦う仲間の存在を身近に感じ、その存在に勇気づけられなければ戦い続けられないような戦いであるのだから。本当に孤独なものにとっては、その戦いは全く勝つ見込みのない本当に「一人ぽっち」の侘しく惨めな戦いとなるだろう。孤独に戦い続ける辛さや孤独に死を選ばなくてはならない辛さが、孤独者の上に日々のしかかる。どんなに「傷つきながら/自分が目指す場所まで/行こう行こう行こう/行けるさ」と歌いかけられたとしても、それは戦場という死だけが待ち構えている燃え盛る炎の中へ足を踏み入れろと嗾けられているようにしか聴こえない
ひとりの“孤独なソルジャー”として、なかなか日の目を見ることのできない不遇の時代を決して諦めることなく戦い抜いた植村は、アルバム“愛と太陽”から数えて約二年四ヶ月後にリリースしたミニ・アルバム“わたしのかけらたち”の収録曲“トイレの神様”で大きな注目を浴びることになる。まず有線放送やラジオ番組で紹介され大きな話題となった“トイレの神様”は、植村の今は亡き祖母との思い出を綴った楽曲であり、その心温まる祖母と孫の心と心の結びつきを歌う歌詞が多くの人々の共感を呼び、空前の大ヒットへと繋がっていった。そして、この年の12月31日、紅白歌合戦に出場した植村は、オリジナルのレコーディング・ヴァージョンは約10分という長さがある“トイレの神様”をほぼフルサイズで歌いきった。まさしく、この“トイレの神様”という楽曲を生み出したことで、植村は「自分が目指す場所まで」辿り着くことができたのであろう。自らの手で自らのために書き下ろした“孤独なソルジャー”で歌ったように、信じ続けることで大きな夢が叶えられたのである。
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誰が孤独を歌うのか(一)

2013/10/01 02:00
誰が孤独を歌うのか



2012年7月15日、韓国のラッパー兼シンガー、PSYが通算六作目のアルバム“PSY 6, Part 1”をリリースした。このアルバムのリード曲としてプロモーション用トラックとなっていたのが、アルバムの三曲目に収録されている“Gangnam Style”という楽曲であった。
“Gangnam Style”は、ミニマルでトランシーなダンス・ビートとシンプルで覚えやすいサビのパートの歌詞の繰り返しからなる非常にノリのよい楽曲である。そして、手綱をもつように両手を体の前で交差させリズムに合わせて体全体を上下に跳ね上げながら少しガニ股気味に肩幅ほどに広さに開いた両脚で交互にステップを踏む、通称「馬ダンス」に代表されるコミカルなダンスと、お世辞にもスマートとはいえないスタイルのPSYが間違った方向にソウルのアップタウン=江南地区のオシャレを解釈して繰り広げるコミカルなシーンを満載したMVの内容の楽しさの相乗効果で、インターネットの動画サイト、YouTubeを中心に、その人気が一気に爆発することになる。こうしてコンテンツのおもしろさそのもので話題が話題を呼び、高速で大容量のデータ情報が行き交うインターネットの網の目のように張り巡らされた繋がりの上に成り立つソーシャル・ネットワーク時代の21世紀初頭を象徴する全世界的なヒット曲となった“Gangnam Style”は、リリースから約半年の時点ですでにYouTubeで12億回を越える再生がなされた。現時点では、この楽曲が、人類とインターネットの歴史上で、最も多く再生され視聴されたMVということになっている。
インターネットを通じて大きな話題となり猛烈な勢いで燃え上がった“Gangnam Style”の人気は、世界各国のヒット・チャートやダンス・チャート、ラジオのエア・プレイ・チャートを席巻するという形で、次第に目に見えて現れてくるようになる。楽曲単位では、音楽配信サイトからのダウンロードのみのリリースであったが、オーストラリアやニュー・ジーランド、オランダ、イギリス、ロシア、ベルギー、ドイツなどの多くの国々で、軒並み12年を代表する大ヒット曲のひとつとなった。そして、全世界の最新ヒットと流行音楽の指標となる、アメリカのビルボード(Billboard)社が発表する歴史と由緒あるヒット・チャート、Hot 100では、10月から11月にかけて七週間に渡って第二位の座に居坐るロング・ヒットを記録している。その後、遂に一度も首位に立つことなく緩やかにチャートを下降してゆくことになったが、お世辞にもルックスは見栄えのよい方だとはいえない韓国人のラッパーが放った一曲が、世界で最も注目されるビルボードのヒット・チャートで第一位に肉薄するような特大ヒットとなったということは、まさに偉業というしかない。おそらく、誰も予想だにしていなかったような事態が、実際に地球規模で起きてしまったのである。
PSYの“Gangnam Style”は、韓国語で歌われるオリジナルのヴァージョンのままで、全米ならびに全世界で聴かれる大ヒット曲となった。地図上では世界の端っこである極東の東アジアから言葉と文化の壁を超越して、ワールド・ワイドなセンセーションを巻き起こしたのである。このことは、特筆に値する。
全米で吹き荒れる驚異的な「馬ダンス」人気の嵐の中で、ビルボードのヒット・チャートにおいて二位の座に食らいつき続ける“Gangnam Style”が、いつ史上初の全米チャートで首位に立つKポップのヒット曲になるのかが話題になっている頃、約50年前に世界的な大ヒット曲となった、ある日本の歌謡曲にも再び脚光があたることとなった。その“Gangnam Style”の大ヒットによって、遠い半世紀も前の過去のヒット・チャートから掘り返されて再び注目を浴びることとなった楽曲が、坂本九の“上を向いて歩こう”である。

坂本九の“上を向いて歩こう”は、1961年10月15日に東芝レコードよりリリースされている。シングル盤のレコードが発売される以前から、NHKで放映されていた坂本九が出演する人気ヴァラエティ番組「夢であいましょう」において、毎回紹介されていたこともあり、楽曲の評判はすでに人々の間で大変に高いものとなっていた。そして、その前評判通りにレコードがリリースされるとともに、即座に空前の大ヒット曲となったのである。
第一回の日本レコード大賞(59年)を受賞した水原弘の“黒い花びら”などの作品を世に送り出してきた、作詞家の永六輔と作曲家の中村八大のヒット・メイカー・コンビが手がけた“上を向いて歩こう”は、その優しく流れるようなメロディや円やかな歌詞の語感などの美しさと親しみやすさから爆発的な反響を呼び、大人から子供まで幅広い年代の人々に受け入れられた。当時まだ19歳であった少年時代の面影を残す人気者の坂本九が歌う“上を向いて歩こう”は、どこか昔ながらの日本の雰囲気を漂わせる童謡や童歌のような懐かしさや郷愁の念をかき立てる部分を持ち合わせながらも、その反面それまでの日本の歌謡曲にはなかったような新しいタイプのヒット・ソングという印象を与える側面をももつ、実に多彩な魅力に溢れた楽曲であった。
その楽曲のサウンドは、非常にシンプルな編成のバックのバンドの演奏によるムーディなスタンダード調ポップス的な形式となっており、細かなミスト状の夜霧が立ちこめる情景を思い起こさせるひんやりとしていながらもスウィートなエコーが全体的にきいた録音が特徴的である。そして、若き坂本九の歌も、40年代や50年代に一世を風靡したビング・クロスビーやフランク・シナトラを意識したような、まったりとしたクルーナー調の歌唱で、日本の大衆歌謡的な湿っぽさを排したサクッと軽く淡々と歌い上げてゆくスタイルで貫かれている。61年当時は、この坂本九の歌唱は、極めてモダンでお洒落で若々しく、60年代という新しい時代の日本の歌・歌謡曲の到来を告げるようなものであったはずである。
“上を向いて歩こう”という楽曲は、バックのシンプルな楽音を注意深く聴いてみればすぐにわかることであるが、ジャズのスウィング感とは少し異なるシンコペートするリズム&ブルース的なサウンドの要素を強く感じ取ることができる曲調となっている。ゆったりと落ち着いていながらも、どこか跳ねるように微かに動き、縦方向の揺らぎをもつメロディ・ラインは、日本の伝統的な謡や歌謡のスタイルにはないモダンな響きと抑揚をもっているようにも聴こえる。そして、サビのパートでヴォーカルのメロディに微かに被さりながら並走するストリングスは、まるでドゥーワップ調のコーラスを思わせるアレンジメントがなされていることにも気づかされる。こうした細部や骨格の部分においても、実に洒落た、どこか日本人離れした感覚をもつサウンドが、しっかりと構築されているのが見えてくる。
日本において大ヒット曲となっていた62年、この“上を向いて歩こう”は、58年に創設されたばかりのイギリスのポップス専門のレコード・レーベル、Pye Recordsを通じて、早くも海外の音楽シーンに紹介されることになる。まずは、ケニー・ボール&ヒズ・ジャズメン(Kenny Ball and his Jazzmen)によってインストゥルメンタル・ジャズに編曲/リメイクされたカヴァー・ヴァージョンがリリースされ、たちまち大きな話題を集めて全英チャートを駆け上がるスマッシュ・ヒットとなる。Pye Recordsは、坂本九の歌う日本語の歌はイギリスでは意味が通じず、全く理解されないと考え、代わりにケニー・ボールの演奏するトランペットに旋律を歌わせるインストゥルメンタル曲とし、その楽曲のタイトルも“上を向いて歩こう”では日本語に馴染みのないイギリス人には覚えてもらえない恐れがあるために、全く楽曲の内容とは関係ない日本食の名前である「すき焼き」をそのままタイトルに冠した“Sukiyaki”と改めてリリースしている。このPye Recordsの独断によってなされた措置で、ひとつだけよかった点を挙げるとすれば、海外のマーケットにおいては先ずはインストゥルメンタル曲としてヒットを記録したことで、中村八大が書いた楽曲が世界で通用する良質なポップスとしての普遍性をもったメロディの名曲であることが、第一に証明されたことぐらいであろうか。
イギリスにおいてインストゥルメンタル版の“Sukiyaki”が、チャートの上位に食い込むヒット作となると、その楽曲にオリジナルのヴァージョンが存在し、それが遠く離れた日本の地で誕生したヒット曲であることも次第に広く知られるようになってゆく。すると、今度はイギリスの老舗レコード・レーベルであるHMVが、坂本九が歌う“上を向いて歩こう”のオリジナル・ヴァージョンを、すでにイギリス国内で親しまれ浸透していた“Sukiyaki”というタイトルでリリースし、この純日本産の名曲が、ヨーロッパの地に正式に紹介される運びとなったのである。そして、坂本九の独特のソフトネスをもつ歌声は、ラジオの電波に乗り欧米で一大センセーションを巻き起こすことになる。
63年5月には、遂にアメリカの西海岸に拠点を置くCapitol Recordsより坂本九が歌う“Sukiyaki”のシングルがリリースされた。この時点ではすでにイギリスのヒット・チャートでスマッシュ・ヒットを記録しており、最新の流行に敏感なラジオ局のDJたちによってインポート盤でヘヴィ・プレイされていた“Sukiyaki”は、国内盤シングルのリリースとともに爆発的な反響をもって迎えられる。そして、あれよあれよという間にヒット・チャートを駆け上がり、6月15日から三週間に渡ってビルボードのHot 100の首位に立ち続けたのである。日本語で歌われた楽曲がビルボードのチャートで第一位を獲得したのは、これが史上初めてのことであり、アジアのポップスが全米/全世界で最も支持される楽曲となることもまた前代未聞の事態であった。この約50年後に韓国語で歌われたPSYの“Gangnam Style”がHot 100の首位に肉薄するほどの大ヒット曲となったが、アジア圏で誕生した楽曲で全米のチャートを制覇したのは、後にも先にも坂本九の“Sukiyaki”のみなのである。この事実からも、いかに“上を向いて歩こう”という楽曲が、世界を舞台にとんでもないことを成し遂げてしまった稀代の名曲であるかがわかる。
すでにポップ音楽としてリズム&ブルースやドゥーワップを聴く習慣が身についてきていた欧米のラジオのリスナーにとっては、坂本九の“Sukiyaki”という楽曲のサウンドは、すんなりと受け入れることのできる耳馴染みのよいものであったのであろう。そして、そこでは中村八大による繊細で美しいメロディが、若く瑞々しい歌声の坂本九によって歌われている。その極めてシンプルであるが素晴らしく完成度の高い楽曲は、当時の英語圏のヒット曲と比較しても決して見劣りするものではなかったはずである。いや、それらを遥かに凌駕する出来映えのものであったからこそ、ビルボードのHot 100で首位を獲得するまでの歴史的大ヒット曲となったといってもよいのであろう。
そんな欧米のヒット曲との近似性が感じられるサウンドに、全く耳慣れないものであったであろう日本語の歌がのり、そのところどころに坂本九の歌唱に染みついた日本の歌ならではの歌い回しが顔を出す。そうした部分に欧米のリスナーは「なんじゃこりゃ」的な驚きとおもしろさを感じ、西欧文化の外側の世界のエキゾティシズムに初めて触れて、その魅力を大いに楽しんだのであろう。“Sukiyaki”の世界的な大ヒットの裏側では、そうした西洋と東洋の近さと遠さとが生み出す文化的な妙味がスパイスとして作用していたことは間違いない。これは、第二次世界大戦を経ながらも順調に発展を遂げてきた20世紀後半の欧米の市民の娯楽の文化が、自国内だけでなく外側の世界に対しても興味や関心をもち、旺盛な好奇心と飽くなき消費への欲求から、それらを果敢に試して受け入れる、文化的・精神的な余裕をもち始めたということでもある。世界には、まだまだこんなにもおもしろく興味深いものがあるという好例として、真っ先に海の向こうから手っ取り早く取り寄せられたのが、日本で大きな話題となり大ヒットしていた坂本九の“上を向いて歩こう”であったのだ。そこには後期近代の時代的特色であるグローバリゼーションの動きのはしりのような現象を見出すこともできるだろう。そして、21世紀のPSYの“Gangnam Style”の世界的な大ヒットも、その背景にあるものは“Sukiyaki”と大して変わりはないことに思い当たったりもする。約50年前に耳慣れない日本語の歌が「なんじゃこりゃ」なものであったのと同様に、今度は耳慣れない韓国語の歌が「なんじゃこりゃ」という驚きとおもしろさをもたらす対象となったということなのではなかろうか。ただし、ここでのグローバリゼーションの動きは、ふたつの異なる方向を向いており、そこに双方向型のソーシャル・ネットワークが存在し大きな影響をもっていることは、21世紀のヒット曲ならではの特筆すべき特徴である。

“上を向いて歩こう”は、そのタイトル通りに上を向いて歩くこと/歩こうとすること、ただその行動についてだけが歌われる楽曲である。歌の周囲にある情景や歌の背景は、ほんの少しだけあっさりと歌われるのみである。楽曲を構成する楽音やサウンドも非常にシンプルな作りとなっている“上を向いて歩こう”であるが、その歌詞の面でも極めてシンプルな言葉と言葉遣いがなされ、そして印象的なフレーズの繰り返しや反復から成り立っている一曲だといえる。とてもシンプルで隙間のある作りとなっているがゆえに、それを様々な形で解釈することが可能となる。聴く者がそれぞれにそれぞれの思いを、その隙間の部分に込めることができるのだ。
坂本九という実に人の良さそうな好青年が歌う“上を向いて歩こう”は、恋に破れた若者が身をもって痛感する、思いを交わす相手を失った喪失感と突然ひとりきりになってしまった現実を、ひしひしと噛みしめている感情を歌った一曲であると解釈するのが、ほぼ通説となっている。作詞家の永六輔は、60年5月の国会での強行採決によって成立することなった日米安全保障条約をめぐって吹き荒れた抗議活動の嵐が、結局は何の結果にもつながらなかったことの大きな虚脱感や無力感の中で、この楽曲の歌詞を書き上げたという。そこでのひとりの人間の非力さや空虚感に強く苛まれた感情が、“上を向いて歩こう”に登場する人物が人間というものの「一人ぽっち」な境遇を実際にひとりきりになって深く思い知るという状況と、詩的に重ね合わせて綴られているとでもいえるであろうか。
ひとりきりで歩く、誰もいない暗い夜道。何もかも思うままにならない、とてもとてもちっぽけな自分と向かい合う時、自然に瞳には熱い涙が溢れ出してくる。涙が頬を伝って流れ落ちないように、懸命に顔を上に向けて泣くのを堪えてみる。ここで泣いてしまうと、余計に一人ぽっちであることを痛感させられ、もっともっと悲しい気分になってしまうから。堪えに堪えて夜空を見上げながら歩いていると、瞬く星々がみるみるうちに涙で滲んでゆく。それでも、この大空のどこか、あの雲の上に、幸福な未来を見つけ出せるのではないかと信じて、夜空を見上げながらひとり歩み続ける。この胸の中にいっぱいに詰まっている悲しみを、夜空の彼方の星の向こう、月の向こう側に明日は追いやってしまうことができるのではないかと信じて、夜空を見上げながらひとり歩み続ける。一人ぽっちで上を向いて、心の中で泣きながら夜道を歩いて帰る。
どんなに悲しいことがあっても、前向きに耐えて堪えてひたむきに歩き続ける。こぼれ落ちる涙を拭いて、もう涙がこぼれないように、上を向いて歩く。この歌に込められている、どんな困難や災難にもへこたれずに、一人ぽっちでも気持ちを奮い立たせて前進してゆこうという思いは、2011年3月11日におきた東日本大震災とその後の福島第一原子力発電所事故で被った東北地方の甚大な被害からの復興と復興支援への思いとも重なった。3.11以降、“上を向いて歩こう”は被災地で日本全国で何度も繰り返し歌われている。失恋の喪失感やままならぬ現実への無力感を歌った言葉が、約50年の時を経て力強い歩みのためのメッセージを発する震災復興のテーマ・ソングとなって再生したのである。これもまた、この楽曲がもつ優れた隙間の部分によってもたらされた(作詞家、永六輔の)功績のひとつといってよいだろう。

ただし、基本的には“上を向いて歩こう”という楽曲は、ひとりの人間の孤独の感情を主として歌っているものだといえる。その孤独の感情の度合いがとてもとても深いからこそ、そこから派生する解釈も様々な多彩なヴェクトルをもつ極めて射程の長いものとなる。歌詞の中では「一人ぽっちの夜」というフレーズが六回も登場し、各ヴァースを締めくくる結びの部分でひとりきりで過ごす夜の侘しさや寂しさを強く印象づけるように繰り返されるのだ。そして、そのフレーズを軸に作詞家の永六輔は言葉をめぐらせ、どうしようもなくひとりであること、どうしようもなくひとりである状況を、“上を向いて歩こう”の歌詞の全体に滲み出させてゆく。
まだ携帯電話もインターネットもなかった時代の孤独とは、現代において感じられている孤独とは自ずと性質や特質を異にしていたに違いない。楽しい思い出に溢れていた輝かしい季節のことを思い出しては、ひとりで歩く暗く寒く心細い夜道で涙ぐむ。全ての「幸せ」は、今や遥か遠くに過ぎ去ってしまった。もうここには、そのひと欠片も残ってはいない。その代わりに、ここには山と積まれた「悲しみ」だけがある。こんなにも出口の見えない闇の中に陥っているのは、この広い世界の中で自分ひとりだけなのではなかろうか。そんなどうしようもない境遇に気持ちを抑えきれなくなり、たったひとり肩を落として歩きながら泣き出してしまいたくなる。“上を向いて歩こう”の歌詞は、孤独者が孤独を感じる際に覗き見るとてつもない深い闇というものを見事なまでに伝えてくれる。
孤独者とは、いつも活気に満ちてにぎやかな喧噪に包まれている世の中から、(理不尽にも)隔絶・疎外され、人間たちの生命力やヴァイタリティの顕現の如く目に映じる世の中の様々な動きから、たったひとり取り残されてしまっているような感覚に陥るものである。携帯電話もインターネットもなかった時代の孤独者が、自分以外の人々が属する(別の)世界とコミュニケートを試みることは並大抵のことではなかっただろう。自分以外の全ては、ただ自分の目の前を素知らぬ顔で通り過ぎてゆくだけなのだ。あらゆる道筋は遮断されている(ように思える)。そこに孤独者が取りつく島を見出せる機会なんてものは、滅多なことがない限りなかったに違いない。
60年代初頭という時代は、現在の矢のように様々な情報が目まぐるしく乱れ飛ぶ時代の動きとは、また違ったスピードでの目まぐるしい変化が、人々の穏やかな生活を急き立てていたのである。誰もが初めて経験するものであった高度経済成長時代の急な坂道を、全力疾走で駆け上がり続けさせられるような時代の変化と更新のスピードの最中にあって、きっと人々はあまりよく周りのことを見渡せなくなっていたのではなかろうか。薄暗闇の中で全てが猛スピードで突き進んでいる感覚が、ずっと継続しているような状態であったと思われる。
誰もが急激に移り変わってゆく変化と上昇の運動に乗り遅れまい/振り落とされまいと必死に駆け続けているから、すぐ近くにいる人に対しても視線は届き難くなる。走行中の電車の窓から外を眺めると、線路近くの景色は遠くの景色に比べて猛烈な早さで眼前を通り過ぎ、次々と後方へと流れ去っていってしまうのと同様に。暗く寒い冬の夜道で、上を向いて立ち止まっている人/上を向いて歩いている人がいたとしても、なかなか誰かの視界に入ることはなかったのかも知れない。猛スピードで動き続ける群衆・大衆の前では、どうしても一人ぽっちの孤独は、あまりにも小さくか弱いため見え難くなるのだ。
そうした社会や世の中においては、一人ぽっちの孤独が、大勢の人々のわたしたちの孤独として日常的に実感・共感されることは限りなくなくなってゆく。自分の中にある孤独が、自分以外の人の中にも同じ孤独としてあるのかどうかを確かめる術がないのだ。ここにある孤独とそこにある孤独は、決して目に見えるものとして人々の視界に現れて、相互に交わったりすることはない。そして、そのまま個別に薄暗闇の中で、冷たく凝固し固定化されていってしまうことになる。そこにあるのは、深く個人の中へと沈潜してゆくというよりも、べったりと表皮の裏側にこびりついているような孤独だ。だがしかし、薄暗闇でよく見えないだけで、孤独な人間はすぐ近くに大勢存在しているのである。“上を向いて歩こう”が歌われた61年の孤独とは、恋人を失い、大衆レヴェルでの政治的闘争に倦み疲れ、暗い夜道を一人ぽっちで肩を落として歩いているような、とても切ない非常に情緒的な孤独でもあった。
現代の高度に情報化された社会では、技術の進化と進歩とともに目に見えるものも目に見えないものも物凄いスピードで決して止まらずに動き続けている。上昇している動き、下降している動き、同じ場所を堂々巡りしている動き。あらゆるものが高速化する動きに巻き込まれて、それぞれにそれぞれの動きの中に絡めとられて、その終わることなき(もののように思える)疾走のただ中にある。ある意味では、あまりにもその動きが早く、加速度も高まりつつある中で、どんなに必死になって駆け続けようとも最早誰もが乗り遅れてしまっている状態であるのかも知れない。そこでは何周回分の乗り遅れかの違いだけが問題とされることになる。しかし、ただ堂々巡りを繰り返しているだけの動きであれば、かなりの周回分を乗り遅れていたとしても実際には大して問題になるような差にはならなかったりするのである。
また、その逆に、複雑に入り組んだ社会や世の中の構造の間隙を縫うように動く、凄まじいスピードの変化によって生じてくる差は、瞬時にして莫大な距離の隔たりを作り出したりもする。そして、時間の経過とともに(もしくは一瞬にして)、そのふたつの事物や地点は遠く遥か彼方にまで引き離され、それらの違いを距離から把握して理解したり感覚することは不可能になってしまう。あまりに遠く隔たった距離に、そのふたつのものを同時に見て把握することができなくなるのである。
こうした社会や世の中においては、かつての時代とは孤独感というものにも差が生じてくるのは当然のことであるだろう。そして、孤独である者と孤独でない者の間にある差も感覚しづらいものになってきてもいる。そうした孤独を感覚することそのものに差が生じてきてしまう根本には、現代に特有の病である、個々人の中における諸感覚の麻痺というものも非常に大きく作用していると思われる。
現代の社会における孤独にも、大きなものからささやかなものまで様々な様態のものがあるはずである。だがしかし、それら全てを漠然と存在する孤独としてしか感じ取ることができなくなってしまっている。よって、孤独感に苛まれて本当に危険な状態にある他人のことも、じっくりと正視して深いところまで覗き込んで理解することは、どうにも不可能なこととなってしまう。とても表面的で一面的な表層付近に現れ出ている相だけを斜め読みした不完全な理解のみで、孤独にあっさりと始末をつけようとする風潮がある。だが、実際のところは、その目に見えているものは、表面的な孤独の相ですらなかったりするのである。自分で自分勝手に理解できていると解釈している、自分自身がその世界のただ中で作り上げた尺度でとらえた孤独が、もしかしたら自分以外の誰かの深刻な孤独とは似ても似つかないものであるかも知れないことすら直感的に判断がつかなくなってしまっているくらいに、わたしたちの目はこの世界の中で見えなくされてしまっているのである。
世の中のあらゆるものを把握する全ての感覚が麻痺してきてしまっているがために、どの尺度もとても大雑把で稚拙なものにならざるを得なくなってくる。稚拙な尺度は、それが使われることによって、さらにそれを基準としたより稚拙な尺度を生むことになる。そして、そうした極めて狭い了見から成り立つ、とてもとても狭い世界が出来上がってくるのである。高速のジェットコースターに無理矢理に乗せられている者の目には、次から次へと視界に飛び込んでくるものが見えているようでいて、実は何もはっきりとは見えていないのである。
加えて、現在は携帯電話やインターネット/SNSなどの、孤独感を紛らわせることができるものも日常の生活の中に沢山溢れている。そうした気晴らしのための装置が次々と生み出されたことによって、かつてほどの実感をもって孤独者の中においても深い孤独を孤独そのものとして噛みしめることができなくなってしまってきているのではなかろうか。これは、とても危険なことでもある。自らを剥き出しにして自らをあからさまに見つめることでもある苦々しい孤独の感覚すらもが鈍化させられてきてしまっているのだから。これは、人間が人間性を失いつつあるということにも等しい。
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新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉(四)

2013/08/28 04:00
新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉

菅谷梨沙子とカワイイ

ハロー!プロジェクトに所属する七人組アイドル・グループ、Berryz工房の最年少メンバー、菅谷梨沙子の実に思い切った髪の毛の色が、このところ度々話題になることがある。とにかく、ごく一部でではあるが、あれこれと頻繁に騒がれるのである。今度はああしたこうしたと事あるごとに騒ぎになるくらいであるので、それなりにその都度かなり凄いことになっていたことだけは確かなのである。
唐突に(であろうか?)、いろいろと思い切ったことをし始めると、その唐突さの分だけ周囲の驚きの反応も深く大きなものになってしまうことがある。熱心なファンの中には、その急激な変化の様を目の当たりにして、菅谷梨沙子が菅谷梨沙子ではなくなってしまったと、悲嘆に暮れた者も少なくはなかったようである。
しかし、ただ髪の色が変わったぐらいで菅谷梨沙子が菅谷梨沙子でなくなってしまうようなことは、実際にはない。現実には、それまでに知っていた菅谷梨沙子が、突飛な髪の色にしてしまったせいで、それまでの菅谷梨沙子のように見えなくなってしまったというだけのことである。ただし、そのような思い切ったイメージ・チェンジの裏側で、菅谷梨沙子の中でも何かが少しずつ変化していたことだけは間違いなさそうではあるが。
それ以前までの菅谷梨沙子というと、少しはにかんだような笑顔が印象的なあどけない可愛らしさをもつ美少女というイメージが、すでに定着していたように思える。とても可愛らしく無邪気で、そこに一点の曇りも見出せない。ルックスの面だけ見れば、まるで人形が動き出したかのような、とてもアイドルらしいアイドルであったのである。だが、実際には、そんな可愛らしい人形のような面だけが菅谷梨沙子であったわけではない。言う間でもなく彼女は人形ではなく生きた人間であり、そんな普通の人間の少女が、たまたま可愛らしく生まれついたために、オーディションで選別されてアイドルをしているというだけなのである。
人形のように可愛らしい菅谷梨沙子を可愛らしい人形のように愛おしく思うファンと、そうしたファンの純粋な気持ちや期待にできる限り応えようとする菅谷梨沙子。それぞれの思いが、真っ直ぐに呼応し合い、うまく噛み合っているうちは、ほとんど全てのことが平和な状態で進んでいた。だが、そこに時間の経過とともにさまざまな変化が訪れ、少しずつズレが生じてくる。りーちゃんの愛称で親しまれていた菅谷梨沙子も、いつまでも小学生の女の子のままではないのである。だが、それでも、当たり前のようにアイドルとして活動し、どこに行っても可愛いともてはやされる。しかし、それだけで満足というわけには、段々といかなくなってくる部分もあったのであろう。おそらく、かなり根が真面目なタイプであるだけに、アイドルとしても人間としてもさらなる向上を遂げてゆきたいという欲求が、いつからか菅谷梨沙子の中に芽生えてきていたのではなかろうか。
そこで、お人形さんのようなアイドルとしての菅谷梨沙子に求められる可愛らしさではなく、自分にとってのカワイイを追求した結果としてのひとつの表現が、思い切った髪色という形で、いきなり噴出してきてしまったのかも知れない。そうした突拍子もなさには、生真面目な性格であるが故の、やる時は思い切ってやる決して手を抜かない徹底ぶりのようなものも感じ取れたりするのだが。

ただし、最初はどんなに大きな驚きであったものも、見慣れてくると最初の驚きは簡単にどこかにいってしまうものである。思い切った突拍子もない髪色をしている女の子が菅谷梨沙子だという、新たなイメージがじわじわと定着してくる。正確にいえば、そこに見えているものは、かつてと同じ菅谷梨沙子の姿などではなく、それまでにはなかったような新しいイメージを身につけている菅谷梨沙子なのである。
しかし、そこにある見かけはイメージ・チェンジしていたとしても、そこに見えているイメージが新しかろうと古かろうと菅谷梨沙子が菅谷梨沙子であることに変わりはないし、菅谷梨沙子が菅谷梨沙子でなくなってしまったわけでもない。実際には、そこにいる菅谷梨沙子は、少しだけ大人になった、かつての菅谷梨沙子よりもより菅谷梨沙子になった菅谷梨沙子なのである。菅谷梨沙子は菅谷梨沙子へと変化したのだ。
まるで人形のような存在のアイドル歌手としてだけでなく、ひとりの人間として現実に生きているアイドルとして、より自分らしさを表現しようとする方向へと向かったということは、菅谷梨沙子にとっても、決して悪いことではないだろう。一部の古くからのファンにとって、アイドルの理想像に極めて近い存在であった菅谷梨沙子の姿は、その突然の変化によって永遠に何かを失ってしまったのかも知れないが。
時間が経過し様々なものが変化してゆく中で、ファンにとっての理想と、菅谷にとっての理想が、少しずつかけ離れてきてしまっていた。そして、そのどうしようもなく広がってゆくズレを埋め合わせてゆく気が、遂に全くなくなってしまったというところこそが、ここ最近の菅谷梨沙子の中での一番大きな変化であったようにも思われる。

菅谷梨沙子の髪の色の問題に関しては、ファンの間でも賛否両論が入り乱れている。それを目の当たりにした全てのファンが悲嘆に暮れているということは決してない。ただ、あまりにも唐突な変化であったために、その原因を探ろうとする様々な憶測が乱れ飛んだことだけは確かである。
常に過去の幼い頃の自分と今現在の自分が比較されることへの潜在的な反発心が、急激なイメージ・チェンジの引き金になったのではないか、という意見がある。また、大人になりつつある自分と子供のままにいたい自分の狭間で揺れる、ちょうど18歳前後という微妙な年齢ならではの一過性の病だという、意見もある。
確かに、世間で18歳といったら高校三年であり、普通にの受験生として過ごしていれば大学進学や今後の人生の進路について本気で真剣に考えている時期でもある。菅谷梨沙子もまたアイドルであるとともに、ひとりのハイティーンの少女でもあるのだ。ふとした瞬間に、自らの将来のことを考えて人知れず不安な気持ちに苛まれ精神的に不安定になることだってあるだろう。
だが、そこで何があって、何が原因でイメージ・チェンジにいたったのかは、当の本人しか知らないことである。ただし、そうした極めて個人的な悩みや葛藤が理由で、明らかに所属グループの内部でも異質な髪色になってしまっているのだとしたら、それはそれで少しばかり由々しき問題であるような気もする。しかしながら、Berryz工房とは、そういった部分では独特のユルさを兼ね備えているグループでもある。よい意味では各々の個性を尊重し、あまりよくない意味では基本的にバラバラな、メンバーたちの間ではそれほど大した問題にはなっておらず、最年少メンバーの突飛な行動も「まあ、そんなこともあるよね」的な暖かい目で見守られている節がある。
菅谷梨沙子の髪の色は、先ずいきなり全体的に真っ赤になったと思ったら、その後一旦落ち着いてアッシュ系のブラウンになり、ここ最近はアッシュ系のパープルへと移行してきていた。そして、また再びパープルから赤っぽくなってきている。(現時点では、アッシュ系の明るいブロンドのように見える。)
かなりコロコロと髪の色を変えているので、それによる印象やイメージの変化を楽しんでいるようにも見えるし、リリースするシングルの曲調や衣装の色に合わせて、ネイルや口紅の色を変えるように髪の色を変えているようにも見える。いずれにしても、かなり好き勝手に、ほとんど野放し状態で髪色を変えていっている雰囲気はある。そこで所属事務所への相談や他のメンバーの意見を聞いているような素振りは全くなく、菅谷梨沙子が主体的に本当に自分の好きなように髪色を自由に変化させているようなのである。こういった部分もまた、Berryz工房というグループのもつ独特のユルさの表れだといえよう。

アッシュ系の髪色というと、青文字系の読者モデルの代表格であり若い女の子から絶大な支持を受けているカリスマ・モデルのAMOのヘア・スタイルが、すぐに思い浮かぶ。一時期のアッシュ系のパープルの髪色で厚く前髪を下ろしたロングという菅谷梨沙子の髪型は、ほぼAMOとお揃いのスタイルであったといってもよい。
紫というと見た目にも少し奇抜に映るため、なかなか誰でもというわけにはいかない髪色ではある。それでもカリスマ・モデルのAMOは、原宿的なフワフワのファッションを合わせて、甘くカワイイ着こなしをキメていた。菅谷梨沙子も、シングル曲の少し派手めの衣装にも負けないほどの強烈な個性を髪色で主張していた。ほぼ同時期に全く同じような髪色と髪型にしていた、このふたりには、もしかするとカワイイを感覚する方向性に、かなり近いものがあるのかも知れない。
くすんだ光沢感のあるアッシュ系の髪色の場合は、たとえば金髪や茶髪にしたとしても、これまでのカラーリングとはかなり質感が異なるものとなる。いかにも金髪っぽい金髪や、いかにも茶髪な茶髪ではなく、より落ち着いた自然な輝きのあるブロンドやブラウンに近づくのである。
これまで金髪や茶髪というと、どうしてもギャル系の女の子のトレードマークというような髪色であった。しかし、アッシュ系の金髪や茶髪は色合いや質感が通常の金髪や茶髪とは大きく異なっているために、非ギャル系の女性の間でも幅広く受け入れられるようになってきてもいるようである。ナチュラルなトーンの色合いから文字通り灰色に近い強めのアッシュまで、髪色の質感に関しても非常にヴァラエティが豊かなことから、年齢的にも10代だけでなくその上の世代でも気軽にトライできるものであるようだ。
また、AMOのようにフワフワなゴシック・ロリータ系のファッションと合わせると、まさに頭から爪先までがまるで人形であるかのように見えるようになる。このような、可愛らしい髪色からしっかりと作り込んで、全身のファッションをコンセプチュアルにコーディネートしてゆく感覚は、どこかアバウトさのあったギャルのカジュアルなスタイルや文化からは非常に遠いものがある。

ちょっと濃いめの作り込んだメイクをばっちりと施し、長い髪を思い切った髪色に染めあげ、体格も小さく華奢であった幼少期と比べると一段と大人っぽく成長してきた。最近の菅谷梨沙子のかなり迫力のある容姿には、青文字系のオルタナティヴなカワイイ文化に共振し、それを極めて自己流にアレンジした痕跡が見受けられる。だが、そうした容姿の面だけではなく、アイドル歌手の本業である歌唱やダンスの面でも、最近の菅谷梨沙子には大きな成長・進化・変化を確認することができるのである。
歌唱面での変化の兆しが見え始めたは、08年頃からであっただろうか。08年3月12日に発表されたBerryz工房にとっての16枚めのシングル“ジンギスカン”(70年代後半に大ヒットしたのユーロ・ディスコ曲のリメイク/カヴァー)と、それに続く08年7月9日に発表された17枚めのシングル“行け行けモンキーダンス”(この年の8月に開催された北京オリンピックの日本選手団への完全非公式応援ソングのような楽曲)のあたりが、明らかにひとつの転換点であったと思われる。ハロー!プロジェクトの十八番でもある底抜けに明るく楽しいダンス・ミュージック〜ディスコ路線のシングル曲が続いたこの時期に、菅谷梨沙子の歌唱においても何かが吹っ切れたような感じが見受けられるようになってきたのである。
最初は、ライヴのステージにおいて、こうしたノリノリの楽曲を歌う時に、スタジオでの録音物とは少々異なるスタイルの、やや太めのドスのきいた歌声による勇ましい歌唱をぶちかますところから始まった。小さい頃からのBerryz工房での活動で鍛えられてきた部分もあったのであろう、菅谷梨沙子はグループの最年少ながらも声量がたっぷりとあり、かなり歌唱力の面でも安定した実力を発揮できるようになってきていたのである。可愛い顔には似合わず、とても低く太くよく響く声で歌えるのである。小さい頃から多くの楽曲でセンターのメイン・ヴォーカルを務めてきたことから生じた確かな自信を裏打ちするように、次第に自分としても納得のできるレヴェルの歌える実力がついてきたと感じられるようになってきたのが、ちょうどこの時期であったのではなかろうか。
そうなると、無理してアイドルらしい幼く可愛らしい歌い方を作ってまでファンに歌を披露するということに、それほど妥当性や必然性を感じなくなってしまったとしても無理はないのかも知れない。もしかすると、変に可愛くするよりも、ただ自分の好きなよう楽に楽しく歌いたいだけであったとも考えられなくはない。ライヴという多くのファンと真正面から対面して歌える場であるからこそ、本来の自分らしい素のままの歌声を聴いてもらいたいという気持ちも強くあったのではなかろうか。
この08年から09年にかけての時期(年齢でいうと14歳から15歳)に、菅谷梨沙子の中で新しい菅谷梨沙子が目覚め始めたことは間違いなさそうである。小学生や中学生として学生生活を過ごす合間に放課後のクラブ活動のようにアイドルとしての活動をしていたりーちゃんの中に、本当のアイドルとしてのりーちゃんが顔を出し始めたということだろうか。天然のアイドルらしいルックスのポテンシャルによって華々しいアイドルとしてのステージに立つ菅谷梨沙子では表現し切れない、本当の菅谷梨沙子がもつ潜在的ポテンシャルの部分が、まずは歌声や歌唱という形で表に見えてきたということなのだろう。
その後、そうした歌唱は、徐々にレコーディングされたシングルやアルバムの楽曲でも聴くことができるようになってくる。そして、おそらく、それが最初に極めて顕著な形で現れ出てきたのが、10年3月3日に発表されたBerryz工房の22枚めのシングル“雄叫びボーイWAO!”であったのではなかろうか。このムチャクチャにアグレッシヴなスペース・ロック調の楽曲は、オリコンの週間チャートにおいてグループにとっての史上最高位となる第三位を獲得するスマッシュ・ヒットを記録している。ソロ・パートでべらんめえ調の巻き舌で捲し立てる、菅谷梨沙子のぶち切れた歌唱を最初に聴いた時は、一体Berryz工房に何が起こったのかと本当に驚かされたものである。
こうした10代の中盤から後半という年齢にかけての変化を、自我(アイデンティティ/自己同一性)の目覚めといってしまえば、それまでなのかも知れない。だがしかし、菅谷梨沙子の場合は、Berryz工房の一員として活躍する現役アイドルでもあるのだ。そこでは、公的な自我(とペルソナ)と私的な自我が複雑に絡み合い、様々に移り変わってゆく変化の中で折り目正しく折り合いを付けてゆくだけでも一苦労なはずだ。よって、そう簡単に自我が目覚めたからどうこうと割り切れるものでもないのであろう。
揺れ動き移り変わり続けるミドル・ティーンの時期に、頑張って可愛いアイドルとして活動をすることに、あまり意味を見出せなくなってきてしまったということもあるのだろうか。アイドルとして過剰なまでに可愛さを演出することに、どれほどの意味があるのだろう。どんなに可愛らしくしていても、それは仮の姿(仮象)でしかない。本当の素のままのりーちゃんを希求してくれないのであれば、それは本当のりーちゃんのファンではないのではないか。この時期に菅谷梨沙子の中でアイドルとしての自我がはっきりと目覚めたということであろうか。より強く、より確かに、アイドル菅谷梨沙子を求められることを求めるようになったという意味において。

青文字系の読者モデルから日本を代表するポップ・アイドルのひとりへと羽ばたいたきゃりーぱみゅぱみゅが、菅谷梨沙子の大ファンであり、このふたりが非常に仲のよい友人でもあることもよく知られている。ネトネトやドロドロなグロいものを好み、凶暴なサメをこよなく愛することでも有名なきゃりーが、もしかするとそうしたものたちと同列にアイドル菅谷梨沙子を並べて熱を上げているのではないかと推測するのは、少し考えすぎというものであろうか。海の生物である肉食のサメと同系列の好きではないかも知れないが、最近のあまりアイドルらしくないアイドル(オルタナ・アイドル)としての部分に多少のグロ要素に近いものを感じ取っていると考えるのは、あながち完全に的外れでもないのではなかろうか。
93年生まれのきゃりーは、菅谷梨沙子よりも一歳年上(学年ではふたつ違いか)であるが、ほぼ同年代・同世代なのである。おそらく、りーちゃんが小学二年生(8歳)でハロー!プロジェクト・キッズのオーディションに合格し、アイドルとしての活動を始めた頃からその存在を知っていて、共に成長してきたような感覚もあるのかも知れない。そして、青文字系のカワイイ文化のコアな部分に触れている同世代として、きっと多くを語らずとも感覚的に通じ合う部分などもあるのだろう。
きゃりーぱみゅぱみゅが菅谷梨沙子に感じ/見出し/求めるカワイイが、菅谷梨沙子にとってのカワイイの感覚と合致する。そして、そのカワイイこそが、菅谷梨沙子がファンに求めてもらいたいカワイイでもあるのだろう。きゃりーぱみゅぱみゅとは、菅谷梨沙子とって仲のよい友人であるとともに、最も理想的なファンのひとりであるのかも知れない。

94年4月4日生まれの菅谷梨沙子は、わずか8歳でオーディションに合格(02年6月30日)し、ハロー!プロジェクト・キッズ(ハロプロ・キッズ)の一員となっている。この時に合格した15名のハロプロ・キッズのメンバーのうち、菅谷梨沙子と同学年であったのは後に℃-uteのメンバーとなる鈴木愛理と岡井千聖のふたりであり、そして最年少は当時小学一年生の後に℃-uteのメンバーとなる萩原舞であった。このハロプロ・キッズから8名が選抜され04年にBerryz工房が結成される。菅谷梨沙子は、このグループに最年少のメンバーとして参加し、04年3月3日にシングル“あなたなしでは生きてゆけない”でCDデビューを果たしている。まだ小学三年生の9歳という幼さでのデビューであった。
このBerryz工房でCDデビューする以前に、菅谷梨沙子はテレビ東京系列で放映されたドラマ『湘南瓦屋根物語』に単独で出演している。この深夜枠のミニ・ドラマは、02年の秋から約四ヶ月に渡って放送された。まだ菅谷梨沙子がハロプロ・キッズのオーディションに合格して間もない時期である。
一応、このドラマは、湘南の瓦屋根屋に居候している菅谷梨沙子が演ずる詩子を中心とする内容であった。だが、それまでに演技の経験もテレビの出演経験もない小学二年生の女の子に、いきなりドラマの中心人物を演じさせるのは、どう考えても無茶苦茶な企画である。よって、『湘南瓦屋根物語』は詩子のセリフの量を極力少なめにし、菅谷梨沙子の素人感丸出しの演技をスパイス的に散りばめる構成を採用した少々妙なノリのホーム・ドラマに仕上げられることとなった。
おそらく、ドラマの内容などは二の次で小学二年生の菅谷梨沙子の可愛らしさを撮ることができれば、きっとそれでよかったのであろう。実際、菅谷梨沙子が登場するシーンは、それだけで成り立っているような映像となっていたし、それだけで充分だと思わせてしまうほどに菅谷梨沙子はただ突っ立っているだけでも抜群に可愛らしかった。『湘南瓦屋根物語』は、そんな菅谷梨沙子の衝撃的なまでの可愛らしさを伝えるために企画制作されたようなドラマであったのだ。いまだに、この当時の非常に小柄なまるでお人形さんのように可愛らしいイメージは、多くのファンの脳裏にくっきりと焼き付いていたりするのであろう。

12年6月30日、あのハロプロ・キッズのオーディション合格日から10年が経過した。菅谷梨沙子は、18歳にして、すでに10年以上のアイドルとしての活動歴を誇り、その人生の半分以上をアイドルとして生きていることとなった。その堂々たる芸歴の長さから考えれば、まだ10代でありながらも芸能の世界ではヴェテランといってよいほどである。ハロー!プロジェクトの一員として数多くの舞台に立ってきたこの10年間に蓄積してきた経験や知識にも相当なものがあるはずである。
現在のハロー!プロジェクトでは、ハロプロ・キッズから誕生したBerryz工房と℃-uteの12名が、最も古株のメンバーとなっている。名実ともに、すでに10年以上のキャリアを誇るハロプロ・キッズ世代が、ハロー!プロジェクト全体を引っ張っているのである。

菅谷梨沙子の可愛らしさは、それまでにはあまりなかったような部類に属する可愛いらしさであった。ただ、活動開始当初はカメラの前でなかなか本来の自分らしさを上手く出せずに、常に固まったような表情をしていたようにも思われる。
そんなカメラの前に立つ緊張感からくる、常に自分の全力を出そうとする生真面目な性格の空回りが、まるで置き物の可愛らしいお人形さんを思わせる菅谷梨沙子のイメージを、いつしか固定させてしまっていたのかも知れない。菅谷梨沙子のハロプロ・キッズ〜Berryz工房での活動とは、そのルックスから連想されるただの人形のように可愛らしいアイドルとは異なる部分や異なる素質をもつことを示し証明し続ける10年間であったようにも思われる。
突然の突飛な髪色の変化は、アイドルとしての新たな路線や領域を開拓するものであったのだろうか。可愛いを捨ててカワイイへと向かうことで、実際のところ何が変わるのだろうか。もはやかつてのようなお人形さんもどきではないと、りーちゃんが人間宣言をしたということか。
だがしかし、そこで追求されているカワイイに、そこまで人間臭さが感じられるであろうか。髪色を変えて、メイク・アップの方法を研究して、オシャレに興味が湧く年代らしく新しい刺激的なファッションに身を包んだだけなのかも知れない。りーちゃんの人間宣言とは、東京女子流が“Sparkle”で歌う「人間だもの当たり前」なレヴェルをちょっとばかし開示してみせたに過ぎないものであるのかも知れない。

03年のM-1グランプリで優勝したお笑いコンビ、フットボールアワーののんちゃんこと岩尾望は、Berryz工房の初期の頃からの菅谷梨沙子の大ファンであることを公言している。そんなかなり気合いの入ったファンであるはずののんちゃんでも、ここ最近の菅谷梨沙子の急激な進化や変化には、ちょっとついてゆけないものがあると愚痴をこぼしたりもするのである。誰よりも大好きな菅谷梨沙子のことであるにも拘わらず。
のんちゃんのような古くからのファンは、突然の変節の前の幼い頃のりーちゃんの映像を見返しては、現在の菅谷梨沙子を生み出した人形のように可愛らしい土台の部分がそこにあったことを何度も確認してホッと胸を撫で下ろしている。そして、菅谷梨沙子の姿に小さかった頃のりーちゃんの面影ばかりを探し求め、それがまだ確認できることを頼みの綱にかろうじてファンであり続けているのだ。
格段に大きなスケールのものへと拡大し続ける菅谷梨沙子のアイドルとしての幅や奥行きを前にしながらも、自らの究極の理想としている今はもうない小学生の頃のりーちゃんの姿を追い求めて、その実像の周辺を彷徨う、非常に屈折したファン心理が存在しているのである。そういった捩じれたファン心理をも抱かせてしまうほどに、りーちゃん/菅谷梨沙子は、アイドルとしての強烈な魅力や特異性/異常性をもっているということであろうか。

かなり熱心に追いかけているファンでさえも、ここ最近の唐突で突飛な動きをしっかりと受け止めることができずに、菅谷梨沙子が今どこにいるのかを見失ってしまうくらいなのである。そして、そうした菅谷梨沙子の行動は、これからの菅谷梨沙子がどこへ向かおうとしているのかを、さらに見えづらくしてゆくことにもなる。過剰なまでの突飛さは、周囲を不安に陥れるものでしかなかったりもするのである。
その行動は意識的なものなのだろうか。もしくは、無意識のうちに、そうした結果を招いてしまっているだけなのか。おそらく、菅谷梨沙子としては、自分の髪色を変えることに関して、それとファンの存在は全く関係ないものだと考えているのであろう。そうした考え方は、たぶん間違いではない。だが、菅谷梨沙子は、多くのファンという存在の支持によって支えられているアイドル歌手でもある。よって、その存在と完全に断絶してしまうことはできないのである。どのような行動においても。
菅谷梨沙子は、どこまでも自然体な自分というものを貫きたいと思っているのであろう。とにかく、純粋に、決して飾ることなく。後先のことなどは、あまり考えずに。ただそれだけのことなのである。そんな菅谷梨沙子のただただ自分のことだけを考えている振る舞いに、純度の高い多くのファンたちが肉体的にも精神的にも振り回され続けているということなのである。
ただし、いくら奉り上げられるアイドル/偶像だからといっても、常に支持者/ファンの求めるものであり続ける必要はどこにもない。アイドルとは、時間の経過とともに変わり続ける偶像という独特の宿命を背負っているものでもあるのだから。しかしながら、できるだけ変わらずに、いつまでも変わらずにいて欲しいという心性が、いつの頃からか日本のアイドル界には強烈に浸透していたことは確かであろう。アイドルという偶像は、より偶像らしく偶像視され、それを見守っている者の夢や希望や理想を全面的に託される存在となっている。
ひとりのアイドルに永遠に変わらずに出会った日のままのアイドルでいてもらいたいというファンの心理が、まずある。そして、その心理と並走をする、いつまでもアイドルのままで居続けたいと願うアイドルの思いが、それに可能な限り応えようとする。だが、そのアイドルの思いが極端に強くなると、いつしかそこから先行して覚醒したアイドルのオーラを放ちつつ突っ走り続けることになるのだ。こうしたアイドルとファンの間を行き交う切実な思いや願望が交錯し、それが日本の(独特な)アイドル文化というものを成り立たせてきたともいえる。
そうしたステレオタイプな日本のアイドルの形には収まりきらない存在へと、このところの菅谷梨沙子は急激に近づきつつあるのかも知れない。りーちゃんは、人形のような可愛らしさを脱し、新しい時代の魅力的な女の子像であるカワイイに突き抜けた菅谷梨沙子を自ら提示しようとしている。それはこれまでのアイドルのオーラを振り切った少し型破りなアイドル像であり、そうしたオルタナティヴなアイドルの系譜における最新世代に属するのが菅谷梨沙子なのではなかろうか。
80年代中期のアイドル黄金時代の最盛期にトップ・アイドルのひとりであった小泉今日子は、当時のある意味において神聖化されていたアイドルの(まやかしの)偶像性を自らの手で破壊してみせた。アイドルとは演じさせられるものでも演じるものでもなく、もっと生身の人間やひとりの可愛い女の子の実像に近いものであるはずであることを、小泉今日子は自らの身をもってアイドルという枠の中で素の部分をさらけ出してゆくことで表明したのである。そして、そうした意識的で自己言及的なアイドル(メタ・アイドル)にとって、アイドルすることとは、ひとつの遊戯でありながら自己表現の場でもあるようなものとなっていった。
現在にまで通じているオルタナティヴなアイドルの系譜とは、明らかに80年代の小泉今日子という存在から始まったものである。ただし、ここ最近の21世紀のアイドルは、プロデューサーやプロモーターの意向に沿って、よりしっかりと管理されたものとなってきている傾向が非常に強い。自由奔放なアイドルの振舞いさえも、実は堅い管理下に置かれたものであるというのが現状なのである。
初期のモーニング娘。などにおいては、そうした部分での年少メンバーの素人っぽさゆえの規格外な噛み合わなさからくる管理しようとしても管理しきれないせめぎ合いといった非常におもしろい動きも見られたりもした。だが、最近ではそうしたものもかなり鎮まってきている。これは、00年代中盤よりハロプロエッグという研修生の制度が確立され、そうした下部組織から昇格してきたメンバーが現在のモーニング娘。には多く在籍していることと決して無関係ではないだろう。そうしたメンバーたちは、歌やダンスのレッスンに励む研修生時代に、ハロプロの伝統的な流儀や芸能界のイロハを、見よう見まねながらもしっかりと学んで身につけてきているのである
11年9月にわずか11歳でモーニング娘。の10期メンバーとなった工藤遥などは、そうした新しいタイプに分類されるモー娘。メンバーの代表格であろう。ハロプロエッグ時代から注目株であった工藤は、モー娘。の最年少メンバーでありながらもMCの仕切りやキレのあるトークなどの技量をしっかりと身につけていることでも驚きの的となっている。こうしたタレント性には、かなり天性の素質のようなものもあるのであろうが、ハロプロエッグの一員として実地訓練を兼ねて研修する期間があったことは、工藤にとっても極めて大きな財産となったに違いない。
菅谷梨沙子の場合は、どこまでアイドルというものに対して意識的であるのかが読めない部分があったりもする。髪色やファッションなど自分にまつわることに関しては非常に意識を向いているようにも見えるのだが。そこでは、HARAJUKU的なカワイイの革新性とハロプロ的なアイドルらしいアイドルの伝統と様式を継承した保守性が、うまく交わりきらずにそれぞれの面を表に出しながら同居している。菅谷梨沙子とは、どうにもつかみ切れない摩訶不思議なところがある摩訶不思議な(脱アイドル的)アイドルなのだ。

突き放されて、ぷっつりと切り離され、もはや手が届かぬだけでなく、追いつくこともできない。そして、そこでのアイドルは、必然的に仰ぎ見るしかない対象となる。これは、いつでも気軽に「会いに行けるアイドル」としてファンのいる位置にまで降りてきて(営業して)くれる、現在のアイドルを取り巻く垣根を下げたセールス活動の動向とは、完全に逆行しているといえるかも知れない。決して縮まることのない開くだけの距離というのは、なかなかに斬新なものがある。
ファンとアイドルの間に横たわる距離を開くだけ開かせておいて、変化や進化についてこれない者たちを無惨にもそこに置き去りにしてしまう。だがしかし、そういうややサディスティックなファンのあしらい方の中にも、菅谷梨沙子という人間らしい個性を見出しているからこそ、どこか開くだけの距離を楽しみながらも一定の距離を保って無理をせずに追いかけ見守り続けることができるともいえるであろうか。
突き放されたファンたちは、映像に記録された猛烈に可愛らしかった過去の姿を振り返っては思い出に浸りつつ、頭のどこかでかつての天使のようなりーちゃんが突然戻ってきてくれることを夢想したりする。その思いが決して届かぬことも、そんな後ろ向きなファンをりーちゃんっは冷たく一瞥するだけであろうことも、大いに承知の上で。それが、どんなに屈折した思いであろうと、本人の前では密かに隠し続けなくてはならない思いであろうと、ファンにとってりーちゃんが天使のような特別な存在であることは変わることはない。どんなに変化しても、それが同じ人であるだけに見守り続けることを決して諦めきれないのである。
しかし、現実の菅谷梨沙子は、決して天使ではない。おそらく、今も昔も。唐突に突飛な髪色にするような、どこまでもとてもとても人間臭い部分をもった、ひとりの10代の少女なのである。ある意味では、天使にはほど遠い、人間的な、あまりに人間的な存在なのだ。そうした人間臭い内面に抱えた葛藤やジレンマのようなものが、髪色や表情や態度に目に見える形で表れているからこそ、少し距離を置いてでも見守っていたいという、ファンとアイドルの間の、どこか古くもありどこか新しくもある関係性が築ける素地も生まれてきているのだともいえる。
これは、偽りの優しさを媒介とした、なあなあの関係に決して陥ることのない関係性でもある。ファンとアイドルの間柄でありながらも、そこには妙な緊張感が常に孕まれているのである。菅谷梨沙子のあまりに人間的な部分に反発をしたり惹き付けられたり(菅谷梨沙子自身もファンの自分への対応に対して分かりやすく好悪の反応を示したりする)と、全く通り一遍ではない関係ともいえそうである。
はたしてりーちゃんは、こうした現状のただ中において、いまだアイドルといえる存在なのだろうか。アイドルという肩書き・名称・言葉が、過剰なまでのサーヴィス精神の固まりと同義語になりつつある現代において。おそらく、りーちゃんは本当の意味での完全なるアイドルとはいえないのであろう。だがしかし、完全なるアイドルなんていうものは、どこにもいないのである。本当は。もはやそれは偶像ではないだろうから。
菅谷梨沙子は、これまでに存在したあらゆるアイドルの形というものを、そのちょっとした髪色の変化やその内面の奥底に渦巻いているであろう隠された葛藤を通じて、大きく揺るがせているともいえる。あらかじめ決められた型にはまらないことで、何かを全体的に大きく揺さぶってみせているのである。もちろん、当の本人もまたアイドルであるがゆえに、その揺さぶりによって足許から大きく揺らぎ続けているのであるが。

アイドルであってアイドルではないような存在。とても中途半端な位置にある存在であるのだが、これはアイドルというものをひとつの決められた枠の中に押し込めようとするために生じてきてしまう矛盾でもある。そして、このアイドルというものが多様化し多層化してきている時代にあっては、ますますアイドルという存在をひとつの枠の中だけで捉えることは困難になってゆくに違いないのである。
現在の菅谷梨沙子のパフォーマンスには、本格的に歌える歌手という一面も見え始めている。アーティストと見紛うような歌唱のクオリティとルックスの存在感をもちながら、その実体はアイドル・グループの一員であるということに、妙な違和感が感じられることもあったりする。
だが、そんな菅谷梨沙子が、どんなに異質な方向へと向かおうとも、すんなりと暖かく迎え入れてしまえる空気感や底知れぬ懐の深さがBerryz工房というグループにはあるのだ。メンバーたちは、8歳の頃からりーちゃんの成長を誰よりも近くで見守り、ともにアイドル道を切磋琢磨して歩んできた盟友なのである。もしかすると、ここ最近の菅谷梨沙子の突拍子もない劇的な進化や変化を、一番身近な位置で楽しみ頼もしくも感じているのは、このメンバーたちであるのかも知れない。
ただし、ここ最近の菅谷梨沙子は、本来は可愛らしさの権化であるはずのアイドルでありながら、俄にはアイドルとは思えぬような本物っぽい貫禄を明らかに身につけつつあるのである。また、その努めてアイドルらしい可愛らしさを追求しようとしない姿勢からは、全くもって通常の意味でのアイドルらしさの対極にあるものしか感じ取れないのである。
幼少期の姿を振り返ってみれば一目瞭然のように、菅谷梨沙子は、何もしなくても格段に可愛い女の子である。元々の土台の出来が飛び抜けて普通以上なのだと言い換えてもよいだろう。そして、このところかなり型破りなファッションの趣味へと傾いているりーちゃんであるが、その素顔は、とても純真な今どき珍しいくらいの真っ直ぐさをもった18歳の女の子であったりするのである。
小学二年生の頃からハロプロに所属し、多くの年長のメンバーや先輩たちに囲まれてきたせいか、実に折り目正しく礼儀正しい部分をもっている。また、アイドルとしての仕事を通じて、業界の大人たちと関わることが多かったせいなのだろうが、とてもまだ10代とは思えぬような落ち着きが備わった一面ももっている。
とてもドライでシヴィアな部分もある大人の芸能の仕事の世界を、小学校低学年の頃から具に見てきたのだから、普通の10代よりも大人びている部分があっても当然なのであろう。ただ、そうしたハロプロのメンバーとして10年以上も活動している芸能界のヴェテランとしてのりーちゃんと実際の18歳のりーちゃんとの間に、いつからか埋めがたいほどに亀裂が広がり、精神的なギャップが生じてきてしまっていたとしても何ら不思議ではない。
それなりのキャリアをもつアイドルとしてひとり歩きしている仮象としての自分は、もはや自分の意志ではどうすることもできはしない。それでも自分の目に映ずるアイドルとしての自分は、本当の自分の方へと引き寄せずにはいられない。そうした芸能人・アイドルとしての諦めの部分とできる限り自分らしくいたい本能の狭間で、どうも突飛な髪色で自分というものを際だたせ自分の位置を再確認しようとする行動が増長されていたような気がしてならない。
そして、そんな行為や行動が、新しいカワイイの感覚を装備した新しい菅谷梨沙子を現出させることにもなる。だがしかし、そこにいる菅谷梨沙子は、自分の目には本当の自分らしく映じるものであったとしても、それがアイドルとしての像である以上は、どこかに新たな仮象としての部分が混入しているように見えたりもするのである。

新しくもあり古めかしくもあり、突出した個性と実力を兼ね備えてもいる菅谷梨沙子は、これまでにアイドルといわれてきたものの枠組みを越えてゆけるだけの大いなる可能性をもったアイドルであるようにも思われる。これまでの消費される商品としてのアイドルの型に絡めとられぬように、りーちゃんは進化し(変化し)続けているようにも見えるのである。逆に、菅谷梨沙子の存在やスタイルが、新たにアイドルというものの枠を大きく押し広げ、その先行者に追いついてゆけるくらいではないと、従来型のアイドルというものも、もはやこれまでだともいえるであろうか。
新しい時代のアイドル像の起源のひとつとなり(もしくは、これまでのアイドル像を突き崩して)、新たな領域を切り拓いてゆく存在。それが、菅谷梨沙子なのであろうか。りーちゃんのカワイイが、さらに新しいカワイイをポップ文化の内部で前進させてゆく。様々なシチュエーションで振れ幅の非常に大きいカワイイを表出させている、りーちゃんの(脱アイドル的)アイドル像が、可愛い/カワイイを統合して、次の次元へとつながる新たな扉を開くのである。
これまでの可愛いには収まりきらなかったようなオルタナティヴな可愛いが、これからのカワイイの範疇にはど真ん中で含まれることになる。これまでの一般的な可愛いは、カワイイの一形態に過ぎなくなる。そして、可愛いを狙わないカワイイが、普通の可愛いと同等にカワイイの一形態として認知されることになる。そこでは、あまりにも必死な可愛いは、最も低いレヴェルのカワイイに格付けされることもあるであろう。
技術や技量で作り出すよりもアイディアや発想の転換が重視される時代がやってくる。新しいカワイイは、旧来の凝り固まった感覚で眺めると全く可愛くないものであることも多いだろう。カワイイの追求とは、自分にとってのカワイイを追い求めることである。カワイイは、自分以外の誰かにとっても可愛いである必要は全くない。
りーちゃんの髪色の変化から見えてくる、新旧のアイドル像や可愛い/カワイイの在り方は、新しい時代のカワイイの到来(カワイイの革命)を考えるうえで実に示唆に富んだ事例だといえる。菅谷梨沙子は、21世紀のアイドル像に、ただの偶像や人形ではない人間らしい/人間臭い/人間的な(カワイイの)感覚を持ち込む。そして、それとともにそこに全く新たな偶像性の匂いも漂わせるのである。
これからも、今や古いメディアになりつつあるテレビの画面の中では、これまで通りの旧来型のアイドルが活躍する姿を見ることができるだろう。だが、そうした形とは全く異なる新しいアイドルが、古い限定された枠を越え出たフィールドに存在するということも、もはや当たり前のこととしてあってよいはずである。菅谷梨沙子は自らの身でもって、その場所をこじ開け、何か全く新しいものへと確実ににじりよりつつある。アイドル菅谷梨沙子のスタイルから、カワイイの未来が見えてくるようである。

菅谷梨沙子は、もしかすると類型的にはアウトロー型の人間であるのかも知れない。集団に属していながらも、そこから常にはみ出そうとする意志を感じさせる動きを時折あからさまに見せたりもする。そして、少しずつ菅谷梨沙子らしさの部分が垣間見られてきた現在でも、何かをまだ内面に秘めていそうな雰囲気を濃厚にもっていたりもするのである。
本当の本物の菅谷梨沙子が素の表情を見せるのは、これからのことなのではなかろうか。そうなった時に初めて、菅谷梨沙子がどれくらいアウトローで型破りな存在なのかが、はっきりと見えてくるはずである。逆に言えば、それまでは菅谷梨沙子という人間の本質部分を見極めることは、なかなかに難儀なこととなるであろうということだ。
そんなりーちゃんのことをこよなく愛するきゃりーぱみゅぱみゅは、その新しい時代のカワイイの感覚を表出させた存在そのものが目新しかったこともあって一躍話題の人物となり、第63回紅白歌合戦への出場を果たし、もはや青文字系などといった地平を軽く飛び越えたアイドルとも色物ともつかぬキッチュなファッション・アイコンという地位を確立している。また、菅谷梨沙子と同じハロプロ・キッズ出身でありBerryz工房のメンバーである嗣永桃子は、読者モデルというバックグラウンドをもつきゃりーぱみゅぱみゅとは、また別種の曖昧さをもったアイドルとも色物ともつかぬ自らのペルソナとしてのももちというキャラクター設定を最大限に活用して、テレビのヴァラエティ番組の世界へと活動の場を精力的に広げていっている。
そして、それ以外にもかつてはアイドルらしいアイドルの牙城であった界隈の周縁から、様々なカワイイの感覚を装備したアウトローや型破りな者たちが、次々と飛び出しつつある。ぱすぽ☆、でんぱ組.inc、Dorothy Little Happyなど、オーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドのぎりぎりの境界線上で地道なアイドル活動を続けるグループに、そうした独自のカワイイを前面に押し出している(オルタナ・アイドル系の)メンバーをちらほらと目にすることができる。このあたりの動向にも、これまで以上に注視してゆきたいところである。
旧型のアイドルと新型のアイドル、そして可愛いとカワイイが、それぞれ入り組み入れ子状になって密かに激突するとき、そこから何が生まれ出てくることになるのであろうか。新しい時代の創出に繋がってゆきそうな地殻変動は、すでにあちらこちらで静かに、だが確実に生起しているのである。

12年12月19日、菅谷梨沙子の所属するBerryz工房はシングル“Want!”をリリースした。この“Want!”は、Berryz工房にとって04年3月のデビュー曲“あなたなしでは生きてゆけない”から数えて通算30枚めの節目を飾るシングルである。
シングルのジャケット写真を眺めてみると、菅谷梨沙子の髪色がちょっと前のような真っ赤な色に戻っているのを確認できる。前髪を揃えたストレート・ロングの赤い髪は、どこか韓国のアイドル・グループ、2NE1のメンバー、パク・ボム(Park Bom)のヘア・スタイルを思わせるものがある。これは、ボムが可愛らしいだけでない完全無欠の歌唱力を武器にしたディーヴァ・タイプのシンガーであることを考えると、もしかすると菅谷梨沙子の同じような路線へと移行しようとしていることを宣告するサインのように読めたりもする。とにかく、真っ赤な髪色で誇らしげな表情を決める菅谷梨沙子は、さらに強く逞しく進化してきているように見える。
目まぐるしく変化するりーちゃんの動向は、本当に予断を許さぬものになってきている。菅谷梨沙子のカワイイは、まだまだ現在進行形で進化し続けるはずである。そのことを証拠づけるかのように、シングルのリリースの直後には、シングルのジャケットの撮影時とは異なるアッシュ系の明るいブラウンに変化していたりする。
この“Want!”は、疾走感のあるメロディとフックのあるノリが入り混じった現代的なフィーリングをもつエレクトロニック・ダンス・ミュージックの楽曲となっている。こうしたフレッシュな曲調の楽曲を歌い踊ることによって、すでにデビューから9年が経過しているBerryz工房というグループ自体が、どこか全体的に少し若返ったように見えたりもする。この楽曲は、ある意味では、その歌詞の内容や言い回しや言葉遣いなどを含め、とても10代の女の子らしいまだ初々しさの残る恋愛の感情を表現した歌である。だが、実際には、Berryz工房はすでにヴェテランのアイドル・グループであり、七人のメンバーのうち五人が20歳以上になってしまっている。よって、この楽曲は、どちらかというと10代前半から中盤にかけての若いメンバーが中心となっている、現在のモーニング娘。あたりが歌いそうな恋の歌なのである。
ただし、現在18歳でグループの最年少メンバーの菅谷梨沙子にとっては、曲調も歌詞の内容も年相応な楽曲だといえるのではなかろうか。しかし、その菅谷梨沙子のソロ・パートで飛び出してくる、どっしりとした逞しい歌声を耳にすると、そうした思いは一瞬にして吹き飛んでしまう。Berryz工房の中でも一番初々しい恋の歌に年相応であるはずのメンバーが、若々しく可愛らしい歌声を聴かせてくれる年上のメンバーたちには全くお構いなく、ひと際異彩を放つ落ち着き払った歌声で歌唱しているのである。りーちゃんは、いつだって我が道をゆくのだ。
こうした、それぞれのメンバーが思い思いの方向を向いて、それぞれの個性を表現している自由さにこそ、Berryz工房らしさを見出すこともできる。それでも、最近のりーちゃんには、Berryz工房の内部でもひと際浮いてしまっているように感じられる瞬間が度々あることも確かなのである。こうした事態が続くようでは、これまでユルく絶妙にまとまってきたBerryz工房のグループとしてのよさの部分を、そのうちに乱してしまうことにもなるのではなかろうか。
プロデューサーを含めた制作の担当者たちは、その異質さをおもしろいと思い、その一風変わった(非調和の中の)調和を現出させる希有なグループの存在そのものを楽しんでいるのであろうか。そうした、このグループならではのおもしろさをできる限り活かしてゆくためには、少しぐらい和が乱れることさえも犠牲にしてゆかなくてはならないということなのか。もしくは、この個性のばらけ方こそがBerryz工房にとっては正解ということなのだろうか。それとも、その強烈ないびつさを均すことは不毛であると、すでに判断を下していて、そのことを承知してあるがままの姿を見せているのだろうか。それはそれで、どうしても管理が強化されオーヴァー・プロデュースになりがちなアイドル・グループの現状に対する、ひとつのオブジェクションになるのかも知れないが。
菅谷梨沙子というひとりの18歳の少女についての考察を重ねていると、複雑に入り組んだ構造をもつ集団において異質な存在をどのように取り扱うべきなのかということを、いろいろと考えさせられる場面に直面することになる。ここまでの10年間の坂道を一気に駆け上がってきたりーちゃんには、急いで変に大人になったりせずに、このまま己のカワイイの道をどこまでも好き勝手に若々しい感覚で突っ走っていってもらいたい。Berryz工房の菅谷梨沙子としてできることは、まだまだたくさんあるはずであるから。(12年)(13年改)
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東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる(二)

2012/06/30 03:00
「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」

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原典/源流をたずねて

5月20日の東京女子流の日比谷野外音楽堂でのコンサートでは、全22曲のセット・リストのうち、ただ一曲だけ新曲として披露された楽曲があった。それが、“LolitA☆Strawberry in summer”である。この楽曲は、03年に発表された五人組アイドル・グループ、SweetSのデビュー曲のカヴァー・ヴァージョンであった。実は、これ以前にも東京女子流は、このSweetSの楽曲をカヴァーして発表している。それが、11年2月に五作目のシングルとしてリリースされた“Love like candy floss”である。こちらの原曲は、04年にSweetSの三作目のシングル曲として発表されている。この流れからいうと、この“LolitA☆Strawberry in summer”が、二ヶ月の活動休止開けの8月に東京女子流の復帰後の初シングルのタイトル曲もしくはカップリング曲となる可能性は非常に高い。
東京女子流の“Love like candy floss”は、11年5月4日に発表されたファースト・アルバム“鼓動の秘密”の収録曲でもある。10代の淡い恋愛感情の揺れ動きを、捕まえようとしても手の中で溶けて消えてしまう甘く淡い夢のような綿菓子に準えた、正統派の甘酸っぱいアイドル系メロディアス・ポップスの秀曲である。この東京女子流の新ヴァージョンは、基本的にオリジナルのSweetSのヴァージョンの様式を踏襲した非常に原曲に忠実なアレンジに仕上げられている。これは、04年のSweetSのヴァージョンも11年の東京女子流のヴァージョンも、ともに松井寛がアレンジャーを務めていることが、その最大の理由と考えて決して間違いではないだろう。
ファースト・アルバム“鼓動の秘密”のリリースからセカンド・アルバム“Limited addiction”のリリースまでのインターヴァルは、わずかに約十ヶ月あまり。ただし、この間に東京女子流は、音楽的な方向性を大きく舵を切るかのように路線変更させている。正確には、より明確にサウンドの傾向を絞り込み、方向性を定めて、ひとつの東京女子流らしいアイドル歌謡のスタイルを確立したというべきだろうか。サウンド面のブレインである松井寛が得意とする、まだライヴ・インストゥルメンツが主体であった頃の80年代のダンス・ミュージックのグルーヴ感を前面に押し出した音楽性が、よりはっきりとグループの音のコンセプトとして打ち出されるようになってきたのである。
“Love like candy floss”のカヴァー・ヴァージョンが収録されたファースト・アルバムは、さわやかでストレートなアイドル・ポップスや昭和歌謡のフレイヴァーを漂わすナンバー、そして少女たちが丹精込めて歌いあげるバラード曲など、なかなかに多種多様なサウンドが盛り込まれた作品であった。また、そのそれぞれがそれぞれにアイドル・グループのデビュー・アルバムとしてはかなりのレヴェルにまで達したものとなっており、東京女子流の五人がもつ豊かなタレント性とグループとしてのポテンシャルの高さをまざまざと伝えてくれていた。ただ、この時点ではまだ、オールドスクール調のディスコ系のダンス曲というのは、そうした多様な方向性の中のひとつのヴァリエーションに過ぎなかったのである。
シングル曲としてリリースされた“Love like candy floss”のカヴァー・ヴァージョンは、今では東京女子流の代表曲のひとつにまでなっている。今回、再びSweetSの楽曲からチョイスされた“LolitA☆Strawberry in summer”もまた、新たに松井寛のアレンジによってオリジナルの風合いを残しつつも東京女子流らしさを感じさせてくれるアッパーなノリの一曲に生まれ変わることであろう。おそらく、今後のライヴ・パフォーマンスには欠かせぬ一曲になってゆくに違いない。

また、東京女子流のカヴァー曲としては、11年8月(10年後の8月)に発表されたZONEのトリビュート・アルバム“ZONEトリビュート〜君がくれたもの〜”に収録された“僕の手紙”がある。ここに東京女子流は、中川翔子(Shoko Nakagawa)、SCANDAL、ステレオポニー、bump.y、Tomato n'PineなどといったアーティストたちとともにZONEの楽曲をカヴァーする側として参加している。そこで東京女子流がトリビュート曲にチョイスしたのが、03年10月にZONEがシングル曲として発表した“僕の手紙”であった。この少年があふれ出る思いを綴った手渡すことのできぬ手紙をモティーフにした非常に切ないロック・バラード曲を、ド渋なジャズ・ロック調に新たにアレンジしたカヴァー・ヴァージョンで、東京女子流の五人は原曲のよさをさらに引き立てる切々と歌い込む奇跡的名唱を録音している。この楽曲が、ZONEのトリビュート・アルバムの中でも出色の出来であったことは言う間でもない。
また、この10代の淡い恋心や揺れる気持ちを歌った楽曲は、東京女子流のオリジナル楽曲とも主題的にとても近いものがあり、非常に親和性が高い。この名カヴァー・ヴァージョンは、後にセカンド・アルバム“Limited addiction”に再収録されることになるが、ライヴなどで度々披露されてきた影響もあったのか、アルバム全体の流れの中にもしっくりと馴染んでいる。現在では、もはや東京女子流の持ち歌のひとつとして完全に定着しているといってもよいであろう。
SweetSは06年に解散し、ZONEは05年に解散し現在再結成しているが五人のオリジナル・メンバー全員での活動は行っていない。こうした解散してしまったグループの楽曲を、東京女子流が歌い継いでゆくことにも少なからず意味があるものと思われる。オリジナルを歌ったグループが消滅するとともに、そのグループが歌っていた名曲の数々も、もう二度と歌われることなく、いつしか忘れ去られ消えていってしまうのだとしたら、誰かの手でそれを阻止するしか、その楽曲を忘却から救い出す手だてはない。東京女子流のカヴァー曲は、00年代に誕生した数々のアイドル歌謡の遺産を引き継ぐものという意味合いももっているようである。
こうして、新たなアレンジで過去の名曲を見事に現代に蘇らせるカヴァー・ヴァージョンは、もはや東京女子流の十八番となりつつある。その楽曲のよさをより引き立てる丁寧に情感を歌い込む歌唱は、この若き実力派の五人組ならではのものといえるであろう。東京女子流が身につけた名曲再生術には、かなり高度なものがある。

SweetSと東京女子流は、ともに大手レコード会社のエイベックスが主催する総合育成スクール、エイベックス・アーティスト・アカデミー出身のグループである。つまり、両者は先輩と後輩の間柄にあたる。現在、こうした幼いうちから本格的に歌やダンスをトレーニングするタレント育成スクールの存在は、次代のアイドル歌謡界の担い手を輩出する広い裾野を形成する下部構造として、ほぼなくてはならぬものとなってきている。それゆえに、こうしたスクールの場において、先輩から後輩へと間接的にでも伝統として受け継がれてゆくものが生ずることも大いにある。
おそらく東京女子流のメンバーたちはレッスン曲として、SweetSの楽曲をアカデミーのスタジオで何度となく歌い踊ってきたのではなかろうか。そういう意味では、こうしたエイベックス系列の先輩たちの楽曲が、彼女たちのパフォーマンスの原点になっているといっても過言ではないはずだ。SweetSと東京女子流の音楽的な傾向や方向性は少しずつ異なってきているが、同じ育成スクールで学んだことから育まれたパフォーマンスの伝統は、いつまでも同じ血筋として継承されてゆくことになるのではなかろうか。東京女子流は、新たなサウンドと歌唱によって時代を越えて蘇ったSweetSの楽曲のカヴァー・ヴァージョンの中で、そのルーツの部分をチラリと垣間見せてくれている。
また、東京女子流は、そうしたアカデミー時代から歌い踊り込んできていると思われるアーティストのカヴァー曲を、定期ライヴの場で数多く披露している。そこで取り上げられているのは、TRF、SPEED、Folder5、Dream、玉置成実(Nami Tamaki)、SweetSなどの楽曲である。そして、最近のものでは、K-POPアイドルのKARAの“ジェットコースターラブ”や少女時代の“Kissing You”を度々歌っていたりもする。
だがしかし、そうした中でも、やはりSweetSというグループは、東京女子流にとって非常に特別な存在であるといえるだろう。両者のデビューには約7年のタイムラグがあるが、このSweetSこそが後の東京女子流を生み出すことになる直接のひな形であったといってよい。SweetSの作品には、後の東京女子流の作品の中で発展してゆく要素の芽をいくつも聴き取ることができる。東京女子流は、かつてSweetSが模索を試みた00年代以降のアイドル・ポップスの新たな音楽スタイルやアイドル歌謡の歌唱面での質の向上といった部分を、より凝縮して、それをさらに先まで押し進めているといえる。また、ほぼ志し半ばで解散することとなったSweetSの方向性や活動面での失敗から学んでいる部分というのも多々あるのではなかろうか。
そうした先達が活動を通じて残してきたものからデビュー以前のアカデミー時代より継承してきたものが、東京女子流というグループならではの特異性の一部を間違いなく形作っている。そのような実践によって検証され裏打ちされた部分が、同じ育成スクール出身というこれ以上にない強固な繋がりを通じて伝えられ、現在の多くのグループがひしめき合うアイドル戦国時代と呼ばれる状況の中でも、他の勢力とは被らない立ち位置を占める東京女子流の独特の個性や絶対的な強みを生み出す源となっているに違いない。

あらためてエイベックス・アーティスト・アカデミー出身者を含むエイベックス系列のガールズ・グループの流れを見てゆくと、東京女子流やSweetSよりもひとつ前の世代にFolder5を見出すことができる。
Folder5は、97年にデビューした七人組の男女混成グループ、Folderを母体として、ここから女性陣五名が独立する形で00年にデビューしたグループである。Folderは、安室奈美恵(Namie Amuro)、MAX、SPEEDなど多くのタレントを輩出した沖縄アクターズスクール出身のグループとしても大いに注目を集めた。このことは、00年デビューのFolder5もまた、90年代後半に時代を席巻した沖縄アクターズスクール世代のガールズ・グループの流れに属する五人組であることを意味する。よって、細かい系統を見ていった場合には、00年代以降のSweetSなどのガールズ・グループとは、少しばかり異なる系譜に属しているといえるのかも知れない。沖縄アクターズスクールの流れを汲むFolder5までと、エイベックス・アーティスト・アカデミーから誕生したSweetS以降では、巨視的な視点で見れば非常に近い流れではあるのだろうが、やはり受け継ぎ継承しているものは自ずと違ってきているのである。
この沖縄アクターズスクール勢の活躍によって先鞭をつけられ、その後に全国的に広まり活況を呈してゆくことになる大小のタレント育成スクール。こうした動きの中でシンガー/ダンサー育成の土壌がしっかりと形成され、00年代以降にはそこから数多くのアイドルたちが生まれている。札幌のスタジオ・ランタイム出身のZONEやアクターズスクール広島出身のPerfumeを筆頭に、モーニング娘。などのハロー!プロジェクトのオーディション合格者やAKB48を始めとするその系列グループのメンバーなどにも、幼い頃よりアイドルを目指して育成スクールに通いトレーニングを重ねてきたという者も多いのであろう。また、こうしたタレント育成スクールの出身者によって、現在の大変に層が厚くヴァラエティ豊かなローカル・アイドル・シーンの全国的な盛り上がりが形作られている現実にも決して見逃せないものがある。列島各地に群雄が割拠するアイドル戦国時代の乱戦模様は、00年代以降に全国展開していったタレント育成スクールが盛況であり続けていることと決して無縁ではないのだ。
現在、このSweetS直系のエイベックス・アーティスト・アカデミーの伝統の流れは、過酷なアイドル戦国時代を生き抜くために少しばかり新たな路線へと向かっていった東京女子流をひとつ飛ばして、11年にデビューした四人組のPrizmmy☆へと受け継がれつつある。こうしてそれぞれのルーツから流れ出る伝統の系譜は、いくつもの傍流を形作りながらも、アイドル歌謡の時代が続く限りどこまでも流れてゆくのである。

SweetSが活動を行っていた03年から06年にかけての時期とは、00年代のアイドル歌謡が少しばかり谷間に落ち込んでいる時代であった。この時期のモーニング娘。は、ちょうど00年代初頭にヒット曲を連発していた当時の主力メンバーが次々と卒業し、世代交替が進行するとともに、やや戦力的には衰退へと向かう下降線を辿る過程にあった。また、後に一世を風靡するAKB48が、秋葉原の秋葉原48劇場で活動を開始したのは05年12月のことである。彼女たちの存在が社会現象にまでなるには、あと数年を待たなくてはならなかった。そういう意味では、SweetSというグループは活動する時代に恵まれなかった、非常に不運な五人組であったのかも知れない。歌唱面でもダンスの面でも充分すぎるほどの実力を備えていただけに、これは本当に惜しいとしか言いようがない。SweetSの元メンバー、瀧本美織は、現在は女優としてTVドラマ等で活躍している。
そんなアイドル・グループにとってのいわゆる冬の時代であったからこそ、SweetSというグループは、かなり本格的でアーティスティックなサウンドの音楽性や、10代前半という年齢にしては非常に大人びた歌唱による、極めて質の高い作品を作り上げることで勝負に挑んでいた節がある。これは、ある意味では、宇多田ヒカル以降のポップス/ティーンエイジ・ポップスの形としては、まさにあるべき姿であったように思われる。しかしながら、少しばかり時期が悪すぎたようである。時代の趨勢に逆らって健闘を続けたSweetSであったが、結局はそれに押し切られる形で大輪の花を一度も咲かせることなく散ってしまうことになる。
現在、東京女子流の作品では専属のアレンジャー状態となっている松井寛は、いくつかのSweetSの楽曲に編曲者として携わっている。当時、既成のアイドル歌謡の枠から大きく一歩踏み出したSweetSのクオリティの高い作品で、白けた世間を唸らせ頷かせようという、あまり勝ち目のなさそうな大勝負を挑んでいた制作陣のひとりに名を連ねていたのが松井であったのだ。もしかすると、このSweetSでやり残したことを東京女子流で存分に吐き出しているという部分も、どこかにはあるのではなかろうか。これは、もはや7年越しの時代を超越したリマッチである。そうした背景があるからこそ、この東京女子流では過去に掴み損ねたものを何としてでももぎ取らねばならないのであろう。今ここで東京女子流が本格的なダンス・サウンドを導入した音楽的な方向性で大きな成功を収めることで、松井たちが00年代前半からSweetSというグループで行ってきた音作りが、決して間違いではなかったことをやや迂回する形で証明することにもなるのだから。
SweetSが04年に発表したシングル“Grow into shinin' stars”に収録されたカップリング曲に“Never ending story”という楽曲がある。松井寛が編曲を手がけた、バリバリに正統派のディスコ・フュージョン系のサウンドで展開される軽快かつ爽快な青春讃歌である。恋したり悩んだりを繰り返す毎日の中で、ひとつひとつ物事を学びながら、少しずつ大人になってゆく10代の少年少女の未来に向かって大きく開かれた終わることのない物語。それを、SweetSの五人が溌剌と歌いあげる。希望という風を受け大きく帆を膨らませながら青春の日々を真っ直ぐに突き進んでゆくような、実に清々しい一曲である。その輝かしい日々と小さな胸に秘められた大いなる物語には、決して終わりはないように少年少女たちの瞳には映る。まさに「ひたむきなら/It's never ending story」なのである。
奇しくも、10年5月5日に発表されたデビュー・シングル“キラリ☆”の中で、東京女子流は「物語はここから始まる」、そして「物語は永遠に続く」と高らかに宣言するように歌っている。SweetSが紡ぎ出した物語は、グループは解散して消滅しても、やはり終わってはいなかったのである。東京女子流の五人は、このデビュー曲の中で先輩のSweetSからしっかりと“Never ending story”の物語の続きを引き継いでいることを溌剌と歌い上げている。つまり、一度終わりかけたかのように見えた物語は、東京女子流の“キラリ☆”とともに再び動き出したのである。そして、その物語を、五人の少女たちが今どこまでも大きく膨らませようとしている。大いなる希望の風を受けて、遂に進路は12月22日の日本武道館へと定められたのである。


始まりの2010年5月

10年5月5日。この日、ももいろクローバー(現在はももいろクローバーZ)はシングル“行くぜっ!怪盗少女”を発表し、念願のメジャー・デビューを果たした。09年にインディーズより2枚のシングルをリリースし、メジャーのアイドル戦線に殴り込みをかける勢いで登場したももクロは、この“行くぜっ!怪盗少女”でオリコン週間チャートの第3位を獲得している。
東京女子流のデビュー・シングル“キラリ☆”は、妙な巡り合わせで同日のデビューとなったももクロの“行くぜっ!怪盗少女”のスマッシュ・ヒットの陰で、オリコン週間チャートの第30位に何とか食い込むのがやっとであった。チャート・アクションの面から見れば、東京女子流のメジャーのアイドル戦線における滑り出しは決して好調と呼べるようなものではなかった。その“キラリ☆”では「物語はここから始まる」と歌われているが、そこで何らかの新しい物語が実際に始まっていることに気づいていたのは、まだほんの一握りの人のみであったのである。
そして、その三週間後の5月26日には、ハロー!プロジェクトに所属するスマイレージ(Smileage)がシングル“夢見る15歳”でメジャー・デビューを果たしている。09年から10年の春にかけてインディーズで4枚のシングルを発表し、デビュー前の事前キャンペーンも念入りに行ったスマイレージは、このデビュー・シングル“夢見る15歳”でオリコン週間チャートの第5位にランク・インしている。

非常に奇妙な因縁というべきであろうか、この10年5月に相次いで三つのガールズ・アイドル・グループがデビュー・シングルを発表し、アイドル戦国時代の初陣を飾っているのである。ももクロと東京女子流、そしてスマイレージの間のライヴァル関係は、ある意味では生まれついての宿命であるのかも知れない。
この同期三組の先陣争いにおいて、明らかに東京女子流はスタートの時点から思いきり出遅れてしまっていた。メジャー・デビュー以前にもインディーズでシングルを発表し、すでにライヴのステージにも立って活発に活動を行っていたもももクロやスマイレージと、完全にまっさらな状態でデビューした東京女子流では、かなり知名度・認知度の点で差があったことは確かなのだが。このデビューからの約二年間は、東京女子流の五人にとって、ずっとライヴァルたちの背中を追いかけて懸命に走り続ける日々であったのだ。

まず、この宿命のライヴァル関係の中で一歩先行したのはスマイレージであった。ハロー!プロジェクトが設立した実質的な研修生制度である、ハロプロエッグの第一期メンバーの中でも特に目立った活躍をしていた四人によって結成されたスマイレージは、デビュー前から研修生中心の新人公演や他のハロー!プロジェクト所属のアーティストのコンサートに出演したりと、比較的大きめの舞台に立つ経験をそれなりに積んでいたせいか、このメジャー・デビュー時には、ほとんどアイドル・グループらしいアイドル・グループとして完成されていた観があった。また、ハロー!プロジェクト所属というしっかりとした肩書きや後ろ盾があった点も大きくプラスに作用していたのであろう、10年にデビューした新人グループの中ではちょっぴりだけ飛び抜けていた。そして、そのスタート・ダッシュの勢いのまま、この年の年末の第52回日本レコード大賞では最優秀新人賞を獲得している。
ただし、このまま順調にアイドル戦国時代を勝ち抜けてゆくかのようにみえたスマイレージであったが、その翌年の11年には大きな変節の時を迎えることとなる。8月にシングル“有頂天LOVE”をリリースした直後に、オリジナル・メンバーの小川紗季がグループから卒業してしまう。この初期メンバーの四人でのラスト・シングルとなってしまった“有頂天LOVE”でみせたスマイレージ流のハイパーなアイドル・ポップの完成度の高さには、相当にすさまじいものがあっただけに、ここから一気にもう一段上へとブレイク・スルーしてゆきそうな兆しが見え始めていた矢先の小川の卒業はグループにとって非常に大きな痛手となった。しかしながら、激震はこれだけで終わりではなかったのだ。その後、12月に発表するシングル“プリーズ ミニスカ ポストウーマン!”を最後に前田憂佳がグループから卒業することとなる。突如としてオリジナル・メンバーが半分の二人(和田彩花と福田花音)のみになってしまうという事態に見舞われたスマイレージであったが、この間に並行してオーディションを行い四人の新メンバーを迎え入れることで、この大きな危機に対処している。ただし、オリジナル・メンバーでのパフォーマンスの完成度がかなりの高さまで達していただけに、このわずか数ヶ月間での大きなメンバー交替が、相当な戦力低下に繋がってしまった印象は否めない。11年は、前年の最優秀新人賞グループであるスマイレージにとって計らずも試練の一年となってしまった。
現在のスマイレージは、様々な新しいことを経験するごとにメキメキと力をつけてゆく新メンバーの成長を待ちながら、グループとしてのまとまりや総合力の立て直しの時期にある。新メンバーのうちの最年少である田村芽実は、まだ13才という幼さ年齢であったりするのだ(ただし、世代的には東京女子流の新井ひとみと同年代となる)。この新メンバーたちが、これから年齢的にミドル・ティーンからハイ・ティーンへと成長しグループとしてのパフォーマンスも変化してゆくことを考えると、四人組から六人組へとスケール・アップしたスマイレージがアイドル・グループとしてのピークを迎えるのは、もう少し先のことになるのではなかろうか。

そんなスマイレージの思わぬ停滞とは対照的に、11年に怒濤の勢いで最前線に踊り出し大ブレイクしてしまったのが、ハチャメチャな弾けっぷりでは他の追随を許さないももクロであった。この年は3月に東日本大震災があり、その翌月の4月にはももクロの結成初期からのメンバーであった早見あかりが突然グループから脱退している。東北地方太平洋沿岸部を襲った大津波の計り知れぬほどの被害、福島第一原子力発電所で起きた大事故、計画停電などなど、あの3月11日を境にして日々の生活の風景はガラリと変わってしまった。そんな中、早見あかりの脱退により新たに五人組のグループとして再出発することとなったももクロは、ももいろクローバーZへと改名し再出発を図っている。そして、社会全体が大きく揺らぐ不安に満ちた暗い危機の時にあっても、その運命に真っ向から立ち向かい全力で瞬間瞬間を駆け抜けてゆく強く逞しい少女たちの姿が、多くの人々の共感を生み、項垂れがちな人々の心を勇気づけることになったのであろう。7月にシングル“Z伝説 〜終わりなき革命〜”と“D'の純情”、そしてファースト・アルバム“バトル アンド ロマンス”を立て続けに発表する頃には、ももクロZを取り巻くフィーヴァーは、ほぼ沸点を迎えつつあった。
11年8月20日、ももクロZは、よみうりランドの野外ステージにおいてコンサート「サマーダイブ2011〜極楽門からこんにちは〜」を開催し、約6000人の観客を動員している。そして、その約四ヶ月後の12月25日にはさいたまスーパーアリーナにおいて「ももいろクリスマス2011」と題したクリスマス・コンサートを行い、約三万人の観客を動員したのである。このわずかな期間にコンサート会場の規模が、何と五倍に膨れ上がっているのだ。これは、まさしく11年のももクロZの人気の爆発ぶりをよく示すエピソードであるといえるだろう。震災後にももクロZと改名したあたりから、にわかに周囲がさざめき立ち、あれよあれよという間にアリーナ級の会場を超満員にするほどの存在へと階段を駆け上がっていってしまったのだ。そして、12年4月21日と22日には、横浜アリーナにおいて「ももクロ春の一大事2012〜横浜アリーナまさかの2DAYS」を開催。両日合わせて、のべ約三万五千人を動員している。
ここにきてももクロZは、本格的にアイドル戦国時代と呼ばれた共同戦線を張ってシーン全体を盛り上げてきたマイナー・アイドルの集団からひとりだけ勝ち抜けた観がある。今、たった五人でアリーナ級の会場を沸騰させることのできるアイドル・グループが、彼女たちのほかにいるであろうか。これはまた、ここ数年大混戦となっていたアイドル戦線を征したももクロZが、これまたひとり勝ち状態にあったAKB48への挑戦権を確実に手にしたことを意味しているともいえる。12年の後半期以降、この両者の間にいかなるバトルが静かに展開されてゆくのか、実に楽しみである。

東京女子流は、12月22日に日本武道館での単独公演を行うことが決定している。この一万人規模の会場でのコンサートを成功させることで、大きく先行しているももクロZとの距離を少しは縮めることができるのではなかろうか。グループの態勢を立て直し猛烈な勢いで追い上げを図ろうとしているスマイレージとともに、この宿命づけられた三つ巴のライヴァル関係は、今後もしばらくは続いてゆきそうである。東京女子流にも、スマイレージにも、ももクロZの華々しい活躍に刺激を受け、鼓舞される部分は大いにあるであろうから。

スマイレージが“夢見る15歳”でメジャー・デビューした10年5月26日にリリースされ、桁違いの売り上げ枚数でオリコン週間チャートの第1位に輝いていたのが、AKB48の“ポニーテールとシュシュ”であった。この“ポニーテールとシュシュ”の通常盤は、第2回選抜総選挙の投票に必要なシリアル・ナンバー付きであったため、発売初週に50万枚を越える売り上げを記録している。後に様々な物議を醸すことになるAKB商法の弊害の部分が大きく前面に出てき始めたのが、この加熱する総選挙の投票と絡んだ“ポニーテールとシュシュ”のリリースあたりであったのではなかろうか。
ささやかに三組の新人ガールズ・グループがメジャー・デビューした10年5月、すでにAKB48はアイドル・グループというよりも周辺の諸々をも巻き込んだひとつの社会現象になりつつあった。その三組が飛び込んで行ったアイドル戦国時代の動きとは、ひとり勝ち状態にあるAKB48の動きとは無縁のものであるのだろうか、それともAKB48へと連なる業界のヒエラルキーを多分に意識したものであったのであろうか。今やももクロZは「“ポストAKB48”の一番手」とも称される存在となりつつある。アイドル戦国時代の混戦から抜け出し、ももクロZが、東京女子流が、スマイレージが、頂点に立つAKB48に肉薄してゆくこととは、いかなる意味をもつことなのであろう。はたして、その先にあるものは、アイドル・グループとしての最終目標になり得るものなのだろうか。


生のものと火を通したもの

AKB48の総合プロデューサーである秋元康は、「『偶像としてのアイドル』を『そこに生きているアイドル』に変えたい」と語っている。AKB48とは、アイドルとして、ひとりの人間として、リアルな部分をすべてさらけ出すことで、そこに実際に今生きていることを(身近に)感じ取れる様態を前提にした極めてコミュニカティヴな繋がりの上に成り立っているアイドル・グループである。そのコンセプトは「会いに行けるアイドル」であり、秋葉原の専用劇場・AKB48劇場に足を運べば毎日公演を(身近な距離で)見ることができる(お気に入りのアイドルに会える)というのが、そのグループとしての当初の最大の売りであった。
05年に秋元康がAKB48のプロジェクトを開始した時、そこで第一に宣告されていたのが『偶像としてのアイドル』の絶対否定であったことは間違いないところであろう。裏側に隠れた誰かが何から何まで設計図を描き、そこで決められた通りにしか振る舞うことを許されない、完全に作り物のアイドルでは面白くも何ともない。確かに芸能の世界というのは、やけに注文が多く、実に息苦しい部分があるものである。ほんのちょっとした雑誌に載る小さな写真でも、事前にいくつものチェックが入り、突然に差し替えになるようなこともしばしばである。秋元康は、こうした『偶像としてのアイドル』の形や、それを生み出し必要としている古い芸能の世界のシステムに対して、常に反旗を翻してきた人物でもあった。

そんな『そこに生きているアイドル』のプロデュースが最初に試みられたのは、85年に結成されたおニャン子クラブにおいてである。おニャン子クラブは、秋元康が企画したTV番組『夕やけニャンニャン』の番組内で毎週行われるオーディション・コーナーから誕生し、その合格者が増えるに従って増員や卒業が繰り返され、最終的には50人を越えるメンバーがグループに在籍した。そして、やはりおニャン子クラブが、何にも増して画期的だったのは、昨日までその辺を普通に歩いていた女の子が一週間のオーディションを通じて次々とアイドルになってゆく、実に型破りで素人参加型なアイドル・グループそのものを生み出すプロセスにあった。TVの画面は、アイドルが誕生する瞬間を毎日/毎週のように放映していたのである。
これは、まさにレコード会社や芸能事務所の製品として作られる『偶像としてのアイドル』に対抗する、非常に過激なチャレンジであった。おニャン子クラブを作り出すことで秋元康が行った『そこに生きているアイドル』による芸能の世界へのカウンターの試みは、ある部分では成功したといえるだろう。ただし、そのほとんどの部分は、ただのやりっぱなしや、やりかけのまま投げ出されて、中途半端なままで終わってしまった。この試みを通じて、秋元康は既成の業界の内部でどんなに画期的なアイドルをプロデュースしたとしても、それは『偶像としてのアイドル』の対角に位置する新たな偶像を作り上げていってしまうことに繋がることを、身をもって学んだのではなかろうか。
そんな秋元康が総合プロデューサーとして、おニャン子クラブの結成から20年を経た節目の年となる05年に生み出したのが、AKB48であった。そこでは、やはり、またしても『偶像としてのアイドル』があらためて全否定されることになる。そして、そのグループを生み出し発展させてゆくプロセスや仕組みに関しても、アイドル・グループの偶像化を回避するような回線を綿密に用意することも怠ってはいなかった。
しかし、わざわざそんな大層な仕掛けをあらためて張り巡らせなくとも、それまでの20年間の時代の変遷の中で、業界の体質もアイドルを取り巻く環境も大きく変化し、旧来の『偶像としてのアイドル』といったものは、もはやほとんど破壊し尽くされていたのではなかろうか。その決定打ととして機能したのが、秋元康のおニャン子クラブの画期的な様式と異様なまでの盛り上がりをリアルタイムに体験した世代であるつんく♂がプロデュースするモーニング娘。であったことは間違いないところであろう。どこにでもいる素人の女の子が、TVの画面の中で進行してゆく過酷でシビアなオーディションを勝ち抜いて、華やかな舞台に立つアイドルになる。素人からアイドルになってゆく過程を視聴者/ファンが毎週の番組を通じて応援し続けることで、とても身近な存在として感じられる、アイドルになってからも継続して応援したくなる『そこに生きているアイドル』が誕生するのである。
まさに、モーニング娘。とは、おニャン子クラブのスタイルや様式を時代を越えて継承したグループであった。そして、モーニング娘。は常に『偶像としてのアイドル』に備わる製品としての完成度を打ち破り霞ませるほどの破壊力を生む、決して拭い去れないような素人臭さを漂わせていることを少しも隠そうとはしなかった。そうした素人アイドル的な要素を逆手にとった一級品の娯楽となるパフォーマンスの形式を、モーニング娘。とハロー!プロジェクトにおいて編み出したところに、プロデューサー=つんく♂の炯眼があったといえるのかも知れない。

秋元康がAKB48に対置してみせようとする『偶像としてのアイドル』なんて、今どきどこを探せば見つけ出せるのだろうか。それは、もはや偶像ではなく幻想なのではなかろうか。
現在のアイドルたちは、アイドル戦国時代と呼ばれる空前の混戦状況の中で必死にもがき足掻き、SNSやブログ、そしてUstreamなどの配信を通じてリアルな生き様をそのままさらけ出しつつ、日々過酷な過当競争に明け暮れている。そんな彼女たちが、イヴェント会場やライヴ会場の小さなステージで見せる一瞬の眩い輝きを放つ姿こそが偶像なのだとしたら、現在の『偶像としてのアイドル』とは、とても痛々しく儚いものであるといわざるを得ないであろう。
そうした現在のアイドルの現状を眺めていると、もしかすると今最も作り物臭いリアルな生き様をメディアを通じて見せてくれているのが、AKB48の中心的な存在となっている一部の売れっ子のメンバーたちであるような気もしてくる。だがしかし、そのすべてリアルなままを見せているはずの『そこに生きているアイドル』が、少しばかりリアルの枠組みををはみ出して「そこに生きている」生々しさを露にしてしまうと、なぜか激しいバッシングの対象となり、全くシャレじゃ済まなくなってしまう事態を招くことにもなる。『そこに生きているアイドル』がリアルな恋愛感情をもつことは、そこにあった偶像性に対する酔いを一瞬にして醒してしまうようである。
ただ、ひとりの「そこに生きている」人間として非常にリアルな感情を抱くことが原因で、そこで生きているものとして見なされなくなるというのは、非常に奇妙な事態である。はたして、『そこに生きているアイドル』は、そこで生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。多くの禁止事項によって俗なる生の世界から聖別されること、それこそが偶像を生み出してゆくことになるのではなかろうか。
現在のアイドル・ヒエラルキーの頂点に君臨しているAKB48は、間違いなく偶像としての輝きを燦然と放っているといえる。それは、リアルにそこに生きることのシャレにならない部分も引っ括めて聖別された『偶像としてのアイドル』の輝きなのである。
しかし、だからといってAKB48に対抗する位置にある多くのマイナー・アイドルたちの側が、それ即ち『そこに生きているアイドル』となるということではない。そうしたアイドル戦国時代の混戦にひしめき合っている対抗勢力は、まだ巨大な渦の中でリアルな偶像にまで聖別されていない、プチ偶像の集合体と考えて間違いないであろう。やはりアイドルと呼ばれるものは、全てフェティッシュな商品・製品であり「偶像」であることに変わりはないのである。
新しい枠組みと手順を作り、新しい場所を用意し、新しい新自由主義的なスター・システムを採用して、それがそれまでにあった何かをぶち壊したとしても、結局のところは、それは新しい偶像を奉りあげる世界の創造にしか結びつかない。『偶像としてのアイドル』は壊され、より新しい形の時代の空気を吸収した『偶像としてのアイドル』が生まれた。ただ、それだけのことなのである。
安っぽく、薄っぺらな、総体的に低級で、質の悪い、プチ偶像。あまりよく撮れているとはいえない携帯電話やスマホで撮影した粗い画像を貼付した、誤字脱字の多いブログでファンに語りかけ、拙くもささやかな従来型のアイドル・マナーに則った親密さを感じさせるコミュニケーションを日々展開している。それはそれで、実に朗らかかつ和やかな世界ではある。しかし、やはりそれはどこまでもプチ偶像的であり、偶像らしい偶像を準備するものでしかないのだ。
では、秋元康の言うような『そこに生きているアイドル』とは、一体どこを探せば見つけ出せるのだろうか。いや、そんなアイドルは、実はもうどこにもいない。すべてリアルなままでは、それはアイドルにも偶像にもなれはしない。アイドル/偶像とは、素人の集合体のリアルな生から弾き出されることで生まれるのだから。多くの禁忌が偶像を作り上げ、それと同じ禁忌が偶像の穢れを暴きたてる。『そこに生きているアイドル』とは幻想でしかない。たぶん、それを自らの手で作り出そうとしている者が、そのことを一番よく知っているのではなかろうか。

意識的に偶像らしい偶像を作り上げては、それを大仰にぶち上げてみせる、メタ偶像としてのももいろクローバーZ。第一期のモー娘。から伝統的にメタ・アイドル的な路線を根底にもち続けるハロー!プロジェクト。そして、その最たるものとしてハロプロ・スタイルを凝縮させたスマイレージ。では、東京女子流の位置づけは、どのあたりになるのであろう。正統派のメタ『偶像としてのアイドル』といったところか。
偶像が偶像らしく俗なる生のレヴェルから隔てられ、メディアが創造する神性とともに強化されれば強化されてゆくほどに、有象無象の集団でもあるプチ偶像の群れは、そのメタな領域において、どこまでも奔放に多様化してゆくことになる。アイドル戦国時代という状況は、時間の経過とともにホリゾンタルにも急速に広がり、ヴァーティカルにも急激に深まり、プチ偶像アイドルたちの好き放題な試行錯誤の場として、奇妙なまでに興味深い場となってきているのだ。
見た目にはアイドルらしいアイドルであり、その実体はアイドルらしからぬアイドルでもある、東京女子流は、そんな絶妙かつメタな立ち位置をキープしつつ、アイドルや偶像という存在のその先にあるものに向けて大きくステップ・アップしてゆこうとしている。彼女たちが目指しているのは、常に中江友梨が強調するように一流のダンス&ヴォーカル・グループであり、アイドル・グループとしてではなくアーティストとして認められることなのだ。まずは、12月22日の日本武道館での単独公演が、彼女たちの実力がどれほどに大会場でも通用するかをはかる、大きな試金石となることは間違いない。五人の少女たちの物語は、またここから始まる。(12年)


「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」(
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東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる(一)

2012/06/30 02:00
「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」

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12年5月20日の東京女子流



2012年3月14日、五人組のガールズ・グループ、東京女子流(Tokyo Girls' Style)は、セカンド・アルバム“Limited addiction”をリリースした。このリリースを受けて、4月の末より全国の大都市六箇所(札幌、仙台、大阪、名古屋、福岡、東京)をまわるライヴ・ツアー、『東京女子流 2nd Japan Tour 2012 〜Limited addiction〜』が開催された。そして、この列島を縦断したツアーの最終公演となったのが、5月20日の東京日比谷野外音楽堂におけるコンサートであった。この東京女子流にとって三度目のコンサートとなる公演には、Concert*03『Rock you!』という特別なタイトルがつけられてもいた。
この日の日比谷野外音楽堂公演は、東京女子流が行う初の3000人規模の大会場でのソロ・コンサートとなった。今回で三回目のコンサートであるので、過去にも二度のコンサートが行われたことになる。昨年10月22日の品川天王洲銀河劇場と、12月24日の中野サンプラザでのクリスマス・ライヴが、それである。定員746名の天王洲銀河劇場では二回公演を行い、初のコンサートで約1500人のファンを動員した。そして、中野サンプラザは、会場の定員が2222名。コンサートを重ねるごとに着実に会場のキャパシティは大きくなってきてはいたが、この日比谷野音でのワンマン・ライヴというのは、間違いなく格段のスケール・アップであった。
3000人規模の会場での公演を成功させたとなれば、観客動員の面でも(現在の日本の音楽業界の状況を考えれば)もはやトップ・アーティスト並みのレヴェルにまでほぼ手が届きつつあるといっても決して過言ではない。この上のレヴェルとなると、万単位の動員を必要とするアリーナ・クラスの会場や、より巨大なスタジアムのみとなる。よって、今やほとんどのアーティストは、小さめのホールかライヴハウスで公演を行うことが当たり前の世界なのである。今回の東京女子流の日比谷野外音楽堂での単独公演が、客観的に見ても相当に特別なコンサートであったことは間違いない。
また、この日比谷野音でのコンサートは、全編がバック・バンドによる生演奏で歌われるということも普段のライヴとは違う特別な試みのひとつであった。定期的にライヴハウスやイヴェント・スペースなどで行われている公演や今回の全国ツアーの他会場においては、全て事前に用意されたオケのトラックをバックにメンバーが歌い踊るというスタイルがとられている。生バンドをバックに従えた特別なステージは、通常のライヴとは異なるコンサートと題された公演のみで観ることのできる東京女子流のスペシャルなパフォーマンスなのである。
二度目の全国ツアーのツアー・ファイナルを飾った日比谷野外音楽堂での公演は、これまでよりもワン・ランク上の規模の会場での生バンドを従えた野外ライヴという、まだデビューから約二年ほどしか経っていない東京女子流にとっては、非常に大きなチャレンジとなるコンサートでもあったのだ。ただし、こうした常に少し高めに設定されたハードルをひとつずつしっかりとクリアしてゆかなくては、現在の全国で群雄が割拠するアイドル戦国時代を勝ち抜きメジャーな存在のアイドル・グループへと伸し上がってゆくことはできない。そういう意味でも、今回のコンサートは、そのステージの広さや客席を含めた会場の大きさ、たった五人のみで真正面から対峙しなくてはならないオーディエンスの数、そして屋根のないオープンなスペースでのバンド編成での本格的なライヴ・パフォーマンスなど、東京女子流にとっては実にスペシャルな未踏の次元ばかりが用意されていたともいえる。

そんな5月20日の日比谷野外音楽堂でのコンサートは、約3000席を埋め尽くした満員の観客を前に五人のメンバーが白熱のステージを繰り広げる、歓喜と興奮が渦巻く感動的な公演となった。まだまだ明るい時間帯に、コンサートのタイトル曲である、3月7日にセカンド・アルバムからの先行シングルとして発表された“Rock you!”で、まさにロック・スタイルなバンド形式のライヴは華々しく幕を開けた。その後、夕刻から夜の時間へと刻々と色と明るさを変化させてゆく都会のビルの谷間の空の下でコンサートは、みっちりと約三時間ほどの長丁場となり、アンコールの3曲目“ゆうやけハナビ”で心地よい風を感じながら幕を降ろした。生バンドをバックに披露された楽曲は、全部で22曲。シングル曲からアルバム収録曲まで満遍なく、ほぼ持ち歌の全てが代表曲である東京女子流らしい、とても濃密なセット・リストとなった。
この野音でのコンサートを何とか無事に成功させたということは、セカンド・アルバム“Limited addiction”が高い評価を受け、12年のアイドル界における大注目株となりつつある東京女子流の、止めどない勢いを感じさせるほどに完全に上り調子の真っ直中にある現在を、内外に向けて目に見える形で示したものとなったともいえるだろう。これは、織田信長でいえば桶狭間である。日比谷野外音楽堂で天下統一に向けた最初の狼煙があげられたのだ。その野音のステージに立った五人の勇姿と健闘ぶりは、確実に高まりつつある東京女子流の人気と実力のほどを証明するにありあまる堂々たるスケールのものであった。

そして、この日のコンサートでは、着実に一歩ずつ階段を上りつつある東京女子流の現在の上り調子ぶりを如実に示すような重大発表が、ふたつほどなされている。そのひとつ目が、今回の全国ツアーの終了とともに、しばらくの活動休止期間を設けるというものであった。これまで定期的に行われてきたライヴやイヴェントの活動を一旦すべてストップし、その空白の期間をさらなる飛躍のための準備に充てようというのが、その活動休止の主目的となる。休止期間は6月から7月にかけての二ヶ月間であり、五人のメンバーが学校の夏休みに入る8月にはグループの活動を再開するという。東京女子流は、この二ヶ月間に歌やダンスのトレーニングを集中的に重ね、より完成度の高いステップ・アップしたガールズ・グループとして、アイドル戦国時代の最前線に復帰することになる。
これまで通りの週末にライヴやイヴェントなどが詰まっているスケジュールでは、目前に迫ったライヴやイヴェントのための準備やリハーサルを行うだけで手一杯な状態であったのだろう。そのサイクルの中では、少しでも日程に隙間があったとしても、そこでそれ以上のことはなかなかできなかったのではないかと思われる。次代を担う新進気鋭のアイドル・グループとして注目を集めてきた、ここ半年ほどは、目の前のライヴやイヴェントをこなし、その合間に新曲のレコーディングや振り付けのレッスンを行うというスケジュールを、ただただ消化してゆくだけの状態が続いていたとしても決しておかしくはない。もしも、ここよりもさらなる高みを目指すのであれば、もう一度基礎の部分から歌やダンスを見直し強化する時間は、遅かれ早かれ必要となったに違いない。それが、今年前半の一大イヴェントであった全国ツアーが一段落した、このタイミングの二ヶ月間となったということなのだろう。
実際のところ、現時点の東京女子流には、歌の面でもダンスの面でも今のうちに強化しておきたいポイントは、いくらでもあるのが現実であったりする。そうした部分が、計らずも露呈してしまったのが、ひとつの大きなチャレンジとして彼女たちの前に立ちふさがった今回の日比谷野外音楽堂での公演であったのだ。コンサートそのものは、多くの観客を集め大きなトラブルもなく終了し大成功であった。しかしながら、東京女子流というアイドル・グループ自体には、まだまだ全体的に力不足なところがあり、かなり粗さが目立つ場面が所々に見受けられたりもしたのである。

そして、もうひとつの重大発表が、12月22日に日本武道館で行われる単独公演のスケジュールが決定したというお知らせであった。これは(おそらく形式的には)完全にサプライズな発表であったようで、ステージ上には衝撃と歓喜の涙があふれ、会場全体をどよめきが包み込んだ。つい先日までライヴハウスの小さなステージに立っていた東京女子流が、東京を代表するコンサート会場の日本武道館でワンマン公演を行うというのである。これには、ちょっと感慨深いものがあった。
リーダーの山邊未夢(通称、隊長)は、この発表の際に、まるで全身の力が抜けてしまったかのような泣き崩れる反応を見せた。この日、全国各地を飛び回るライヴやイヴェント等のプロモーション活動に勤しみ、準備に準備を重ねて、ようやく日比谷野外音楽堂で3000人規模のコンサートを成し遂げたばかりであったのだから、そこでいきなり日本武道館といわれても俄には信じられないものがあったのだろう。そんな東京女子流が、日本の音楽興行史上にその名を深く刻む、もはや芸能の聖地とも呼べるコンサート会場のステージへと進出しようとしている。これは、さらなる大きな挑戦である。一万人規模の大会場である日本武道館での単独公演を成功させることは、決して生易しいことではない。この目標に向けてのステップ・アップのための踏み段は、これまでのそれとは桁違いだといってもよい。単純に収容可能な座席数を比較してみても、武道館は野音の三倍以上なのだから。
ちょうど6月から活動を休止することになっている東京女子流は、日本武道館の大きなステージに相応しい一流のアイドル・グループとなるためにも、この強化期間を最大限に活用して全てを根本から鍛え直すぐらいの気概を発揮することが要求されるのではなかろうか。二ヶ月の活動休止期間を有意義に過ごして、どれくらい大きく成長して戻って来れるかで、東京女子流の未来が占えるのかも知れない。このほとんど公の場に登場しない6月と7月は、五人にとって非常に重要なチャレンジの日々となるであろう。端的にいっても、日本武道館公演に向けた準備の期間も、もうすでに約半年しかないのだ。そして、間違いなく、この12月22日は、12年の最後を締めくくる全てを賭けた大勝負の一日となる。そこからさらに上のアリーナ・クラスの会場で大観衆をエンターテインできるアーティストとなってゆけるか、それともホールやライヴハウスが似合うこれまで通りの戦国時代を戦うアイドル・グループらしいアイドル・グループとしての活動を続けてゆくのか。東京女子流は、いま大きな運命の分かれ道へと刻一刻と近づきつつある。



日比谷野外音楽堂という屋外の大会場で、生のバンドの演奏をバックに行われた、初の本格的なコンサート。そんな初めての大舞台でのギリギリの大熱演であったからこそ、現在の東京女子流が内包しているいくつかのウィーク・ポイントも、そこでははっきりと浮かび上がってきてしまっていた。そのひとつが、どうしても裏目にも出てくることとなってしまうことにもなる彼女たちの絶対的な若さや幼さであったように思われる。東京女子流のメンバーは、まだまだ五人ともに非常に若く幼い。それは多くの場面ではグループのストロング・ポイントになるとともに、時には思わぬ弱点として露見してしまうことになったりもする。そして、日比谷野音での約三時間にも及ぶ公演は、その後者の部分を垣間見させるものとなってしまったようなのだ。そこは普段のライヴやイヴェントのステージに立つ五人の姿とは、大きく違っていたように思われる。やはり日比谷野外音楽堂は、少しばかり勝手が違ったのであろう。
五人のメンバーの若さや幼さは、その言動などの面ではなく、明らかに体力面の乏しさという形で今回は特に目についた。年齢の割には、びっくりするほどに大人な彼女たちであるので、どちらかというと悪い点が言動に表れたりする可能性は極めて低い。しかしながら、いやだからこそだろうか、かえって体力面での若さや幼さが目立つことになってしまったのかも知れない。10代前半から中盤にかけての年代のメンバーたちであるので、身体的にはまだまだ幼く、五人の華奢な体格は今まさに大人への成長過程にあることを示すものでもある。よって、若く幼い五人に体力的に大人並みのものを求めるのは酷であろうし、大人でも息切れしそうな約三時間にも及ぶコンサートをこなすだけのスタミナが備わっていないことだって当然といえば当然であろう。
ただし、この若く幼い彼女たちにとっては非常にタフなものとなった日比谷野外音楽堂での公演は、現時点での東京女子流の偽らざる姿を、ひとつの体力面での限界という形で可視化させたという点においては、実は積極的な意味を見出せるものであったのかも知れない。ほとんど周囲からの反響がなく音がこもらないオープン・エアの会場で、太く重い出音の音圧たっぷりな生バンドの演奏と、熱狂する3000人の観客の歓声に負けないように、しっかりと声を張り上げて歌い続けることは、ただでさえ容易なことではないだろう。この日の東京女子流のパフォーマンスには、そんな彼女たちが今後も相対さねばならない、会場の規模や生バンドや多くの観客と互角に渡り合うための、さらなる成長やステップ・アップの必要性を実感させられる部分もかなり見えてしまっていたのである。
実際のコンサートでは、オープニング曲の“Rock you!”から“Attack Hyper Beat POP”、“Don't Be Cruel”と、冒頭から非常にノリのよいダンサブルな楽曲が立て続けに披露された。一気に会場全体の空気を掴んで、東京女子流の側に引き寄せようという意図もあったのであろうが、有り体にいえば明らかに最初から飛ばし過ぎであった観は否めない。そして、コンサートの中盤あたりからは、徐々にステージ上に背後からも前面からも押し寄せてくるバンドの演奏の音の波や大きな歓声の波を、きっちりと押し返せなくなってしまってもいた。かなり体力的に限界に近づいていたせいもあったのか、パフォーマンスの中でバンドと観客のどちらに対しても、やや追いついてゆけていない瞬間も目につくようになってきた。その結果、段々と残った気力を振り絞るような形へと追い込まれ、普段のライヴではあまり見せることのない荒削りさが歌やダンスに表れ出てしまう場面もあったのだ。こうしたあたり、やはり年齢的な部分からくる、どうしようもない五人の体力面での若さや幼さであったのだろう。

また、公演の進行とともに気力と体力を振り絞るような形でのパフォーマンスとなっていってしまったことで、あらためて東京女子流というグループが、小西彩乃(通称、あぁちゃん、しーこにさん)と新井ひとみ(通称、ひっと、ひーちゃん)の二頭体制を基本形としていることが、あからさまなまでに浮き彫りになることにもなった。歌唱の面では、常にこのふたりが全体を引っ張り、五人をまとめあげ、きっちりグループとして引き締めている。野音では、最初から五人が気合いを入れて飛ばしていったせいもあり、そんな普段のライヴではあまり表立って見えてこないグループの骨格の部分までもが目につくようになってしまったのである。しかし、この事実を裏返せば、いかにこのふたりが突出し過ぎないように普段から常に東京女子流というグループの歌唱を引っぱりまとめ上げているかが分かる。五人の歌唱がいびつにならないように、見事に調和を図っているのである。ただ、明らかに野音公演の終盤は、東京女子流の歌唱はこのふたりに頼りっきりの状態となってしまっていた。大きな会場での生バンドの演奏による長丁場の本格的なコンサートで、体力面やスタミナ面での不安が露骨に出てしまい、相当に歌唱の面では限界に近づいていたといえるであろう。

ただ、12年の頭に右足を骨折した小西彩乃には、ほぼ2月いっぱいは治療のためにグループの活動から離れ、復帰後もひとり椅子に座った状態での歌唱のみでライヴへの参加を余儀なくされるというブランクの期間があった。この間の東京女子流は、あぁちゃんの歌パートを他のメンバーそれぞれに振り分けてカヴァーしたり、怪我で動けないあぁちゃんを除いた四人によるダンス・フォーメーションに切り換えたりと、少しばかり変則的な形態での活動となららざるを得なかった。しかし、このグループの大黒柱でもあるあぁちゃんの不在期間が、残された四人のメンバーに思わぬ発奮を促したことは、まさに怪我の功名でもあった。特に、この時期の中江友梨(通称、ゆりゆり、ゆりちゃん)の歌唱の急成長には目を見張るものがあり、必ずやこの大きな進歩は今後の東京女子流にとってプラスになる要素であるに違いない。中江の低音から高音までをカヴァーできるレンジの広い歌声には、豊かな将来性が感じられる。
こうした全面的にグループの活動に参加できない数ヶ月間があったあぁちゃんが、ステージでのダンスにも加わり完全復活を遂げたのは、3月末から4月の頭にかけての時期であっただろうか。この時点で、もうすでに日比谷野外音楽堂でのコンサートは約一ヶ月半後に迫ってきていたのである。おそらく、今回のコンサートの準備期間は、あぁちゃんにとって非常に短いものであったに違いない。自分の足で立って動くことが出来ず、ステージで歌い踊る活動からもしばらく遠離っていたことからくる、身体的なブランクは相当なものがあったはずである。もしかすると、今回の日比谷野外音楽堂公演に関して、体力面で最も不安を感じていたのは、怪我からの復帰開け間もないあぁちゃんであったのかも知れない。
確かに、野音でのあぁちゃんは、まだ万全な状態といえるパフォーマンスではなかったように思われる。さすがのあぁちゃんも、コンサートの終盤では少しばかり疲労の色が見えていたし、みんなを引っ張ってゆくというよりも自分の歌とダンスをこなしてゆくだけで手一杯であったようにも見えてしまった。だからこそであろうか、終始満面の笑みを絶やさず、しっかりと表情を作り、レヴェルの高いパフォーマンスを繰り広げていた新井ひとみの余裕綽々さは、すさまじく際立って見えてくることにもなった。今回の節目の日比谷野外音楽堂公演とは、この東京女子流の不動のセンターガール、新井ひとみの孤高のポテンシャルをあらためて見せつけるために設えられたかのような大ステージでもあったのである。



新井ひとみの天才が大きく輝き出す瞬間を演出した、5月20日の日比谷野外音楽堂のステージは、まさにひとつの大きな節目として位置づけられるものであったのかも知れない。ひーちゃん以外の四人のメンバーは、初めて経験する大きな会場の広いステージで約3000人の観客を前にした緊張感もあったのか、渦巻くような音や熱気の流れに飲み込まれてしまったようである。それゆえ、体力的なペース配分もなかなかうまく掴めず、いつもとは勝手が違う大舞台で早々に余力を使い果たしてしまうことにもなったのだろう。
しかし、新井ひとみだけは、明らかに他の四人とは雰囲気が違っていた。全く異なるオーラを発していたとでもいおうか。五人のうちでもひと際小柄で華奢な新井ひとみが、野音のステージの上では、とても大きく見えたのだ。その姿には、まさに絶対的なセンターの存在感の大きさが漂い出していた。どうやら、舞台の大きさにも、観客の数にも、全く臆することころがないようなのである。いや、まるで、戦場の最前線をも思わせる東京女子流の本当の力量が試されている舞台に立ち、そこで自らが対峙しているものの確かな手応えを、余裕の表情で楽しんでいるようですらあった。この日の大観衆を前にした堂々たるパフォーマンスで、新井ひとみは、その底知れぬ大器ぶりをまざまざと見せつけたのである。
この天才少女は、もしかすると、これからもステージが大きくなればなるほどに、その輝きを増してゆくのではなかろうか。実際、新井ひとみとは、スター性、アイドル性、カリスマ性といった輝く存在となるべきタレントの資質を全て併せもっているかのようにも見える。東京女子流のパフォーマンスを、少しでも彼女の歌と踊りだけに注目して見てみれば、それは誰の目にも明らかであろう。自分のソロ・パートを歌っている時も歌っていない時も、センターで踊っている時も後方で踊っている時も、常に新井ひとみは新井ひとみであり、その動きひとつひとつにおいて確かな輝きを放っているのである。特に、楽曲中のばっちりと決めるべき瞬間で、見る者を一撃するような決めの顔や決めの動作を作り出す才能は本当にズバ抜けている。今回の日比谷野外音楽堂公演では、そんな彼女がもつ才能の輝きの片鱗が、いかに眩しいものであるかが遂に露見することになったともいえる。

新井ひとみの天才は、やはりその歌唱においてまず顕著に表れる。声質そのものは、やや蓄膿気味であり、残念ながら聴く者全てを瞬く間に魅了してしまうような澄み切った美しい歌声だとは決していえない。だが、その独特のクセのある歌声だからこそ出せる味も確実にある。そういった自らの声に宿った機微の部分を巧みに活かす技量にも、新井ひとみは非常に長けているように思えたりもする。まだ10代前半という年齢でありながら、そうした魅せる、聴かせることに関するセンスには、本当に天性のものを感じずにはいられないのだ。もしも、こうした全てのことが完全に把握され、完璧に全てがコントロールされているものなのだとしたら、それはそれで末恐ろしいものがあるが、おそらくそうではないのだろう。だからこそ、新井ひとみのパフォーマンスには天性の天才を感じさせられてしまうのである。
また、新井ひとみの歌唱には、発声にも非常に独特なものがある。よく腹の底から声を出すといわれるが、彼女の場合は、腹だけでなく身体全体を使って声を出しているような発声となっているのである。いわゆる、自らの身体を楽器のように使用して、声を楽音のように響かせるタイプの歌唱だといえる。新井ひとみは、舞台上で激しいダンスを行いながら、まるで全身で歌を奏でるかのように歌う。声質は、かなり蓄膿っぽいため、通常ならばややこもりがちな歌声になるはずなのだが、その歌声には、実にえも言われぬような深みと張りがある。そうした独特な響きを生み出しているのが、新井ひとみの天才的な発声であることはことは間違いないところであろう。このようなダイナミックな身体的発声法が天賦のものとして身についているシンガーは、そうそうざらにいるものではない。まさしく、彼女は何十年に一人というレヴェルの逸材なのであろう。
ただし、やはりそこで気になってくるのが、新井ひとみが、その自らに備わっている能力に対して意識的なのか、もしくはかなり無意識的にその才能を煌めかせているのかという部分である。この子には、実は相当に天然なところがある。よって、その才能に関しても、本物の天然モノである可能性は充分すぎるほどにあるのだ。

新井ひとみの歌やダンスは、東京女子流の活動初期に急激な成長を遂げている。YouTubeで初期のライヴの映像などを見ると、やはりしっかりとした声質で大人びた歌唱力を身につけているあぁちゃんが、ひとり群を抜いている。当時の新井ひとみの歌には、まだ自らのスタイルを見出そうと手探りしているような面が多分にあった。逆に言うと、自らの類い稀なる才能を活かす唱法を、まだ完全には見つけ出せていなかったということだろう。時折、眩く輝く瞬間はある。だが、それはほんの一瞬の瞬きでしかない。全体的には、終始あぁちゃんの太くどっしりと存在感ある声に、完全に押されてしまっている。
だが、新井ひとみは、そうしたステージ上の実戦の中で、自らに備わっている天性の資質を最大限に活かす方法を、次第に直感で掴んでゆくのである。こうしたあたりのプログレスにも、彼女の天然さは非常によく表れている。
今や新井ひとみは、歌手としても、ダンサーとしても、そしてアイドルとしても、キラリとした輝きを放ち、それぞれの瞬間で見る者/聴く者を存分に魅了する顔をもっている。その豊かな才能は、実に幅広く、常に新鮮な驚きに満ちた底知れぬ可能性の香りすら漂わせている。そして、その輝きが、直感的な閃きや動物的な本能のようなものによって下支えされていることは、やはり彼女ならではの特異な点であり、絶対的な強みでもあるだろう。新井ひとみというパフォーマーは、かなり無意識的でありながらもスーパーナチュラルに意識的な天才なのだ。まさに天然モノの類い稀なるタレントだといえよう。

日比谷野外音楽堂公演で垣間見せた、煌めくような新井ひとみのもつ才能の大きさは、それがリアルな天然モノであるせいであろうか、一般的なアイドル歌手が放つ輝きとは、かなり異質なものであるようにも見えた。勿論、五人のメンバーの中でも、素材そのものの違いは明らかであった。東京女子流というグループが、今後よりステップ・アップをしてゆく中で、周囲のメンバーが新井ひとみの大きさにどこまで追いついてゆけるかが、もしかするとポイントとなってくるのかも知れない。
ダンサーとしては屈指のキレをもつリーダーやグループ内でも最もアイドルらしいアイドルである庄司芽生(通称、めいてぃん)だけでなく、正統派でオールマイティなタレント性に恵まれたあぁちゃんと比較しても、その輝きの質はとても異なっている。ステージが大きくなれば大きくなるほどに、その天才を活き活きと発揮させる新井ひとみと他のメンバーの間に、目に見える形で差が生じてきてしまうようなことは、これからも度々あるのかも知れない。その段差が必要以上に肥大してしまうと、グループ内のバランスを崩してしまいかねないような事態を招くことも大いに予想される。ただし、新井ひとみは相当に天然な人物であるので、そこで自分から出力をセーヴして他のメンバーとのペースを合わせたりはしないだろう。いや、ちょっと見た感じでは、そうした器用なことが出来そうなタイプでは決してない。ほぼ無意識的に輝き出している才能であるのだから、ひとたび舞台の上で歌い出し踊り出してしまったら、たとえ本人であろうとも、それをどうすることもできないのではなかろうか。

東京女子流という五人組が、これからどんなアイドル・グループになってゆくのか、とても楽しみでもあり、少し不安でもある。センターの新井ひとみが、その生まれながらに備わったスターのオーラで全てを背負い込み、引っ張ってゆく形となるのだろうか。それとも、多少のデコボコがあったとしても、それもまた東京女子流というグループならではの個性ととらえて、あぁちゃんと新井ひとみの二頭体制でそのまま突っ走ってゆくのだろうか。
そうした興味の側面からも、今回の突然の活動休止から復活する8月の東京女子流の五人が、約二ヶ月間でどれだけスケール・アップしているのかも大変に見物であったりする。現実に、彼女たちはまだ10代半ばという年齢であり、まさに成長期の真っただ中にある。たかが二ヶ月、されど二ヶ月。ブログの記事などを見ていると、メンバーたちはそれぞれにランニングを行ったり基礎的な体力面の向上に勤しんでいるようである。大きく成長しステップ・アップした東京女子流の、目を見張るような変化に期待したいところである。物語の新章は、ここから始まろうとしている。


東京女子流に聞こえるもの

東京女子流のセカンド・アルバム“Limited addiction”は、発表から早々に非常に高い評価を獲得している。おそらく、今年のアイドル・アルバムの中でも屈指の傑作であることは間違いないであろう。その凄さの一端のようなものは、今どき珍しいほどにしっかりとした音楽性を感じさせてくれる、とてもよく練られた質の高いサウンドがアルバム全体を貫いている点からも窺い知ることができるだろう。ピコピコしたエレクトロ・ポップやお手軽なトランス調など極めてライト・タッチな音が横行しているアイドル歌謡の世界であるが、この東京女子流のアルバムで聴くことが出来るのは、簡単にアイドル歌謡などと分類するのが憚られそうなほどに本格的でド渋なダンス・サウンドであったりするのである。
そのディスコ、ラテン、フュージョン、ジャズ・ファンクなどの要素をふんだんに取り入れた、80年代のアーバンなニューヨーク系ダンス・サウンドと、ジャパニーズ・ポップスの叙情を融合させた音楽性は、アイドル歌謡の世界のみならず現在の日本の音楽界においても、かなり唯一無二のものだといえそうだ。そうしたクオリティの高い音作りの中心となっているのが、ややオールドスクールな職人気質の音楽感覚をもつアレンジャーの松井寛である。この特異なセンスをもつ達人の今どきの音との微妙なズレかたが、東京女子流のサウンドにおいては絶妙な鮮烈さをもって見事に反映されることになる。ここでは、かなり意識的に、よい意味でレトロ調なダンス系サウンドのコンセプトをアルバム単位で凝縮させ、周囲とは一線を画す東京女子流の音楽性を統一感のある形で際立たせることに成功している。
この間違いなく90年代以降に生まれた世代である五人組が、全く接点はないであろう本人が生まれる遥か以前の80年代的なダンス・サウンドで歌い踊るという点にも、パラドキシカルな妙味を感じ取れたりもする。別の見方をするならば、この若く瑞々しい五人が、今から20年以上も前の過ぎ去ってしまった時代のダンス・サウンドに、フレッシュな息吹を吹き込み見事に再生させているともいえるであろうか。東京女子流の“Limited addiction”とは、まさにザ・リバース・オブ・アーバン・ディスコ・サウンドな一枚なのである。

また、そうしたサウンドにのる東京女子流の歌そのものにも、懐かしめのダンス・グルーヴとはまた違った感覚で深く鋭く突き刺さるものがある。五人の少女に歌声には、えも言われぬほどに琴線を震わせ情感のとても深い部分に訴えかけてくる響きが含まれているのである。その楽曲のほとんどで10代の微妙に揺れ動く感情を絶妙にとらえた歌詞が歌われている。それは、感情の襞の奥底にあるものを掘り起こす、誰の心の襞にも入り込んでくるような歌なのだ。
誰の心の中にもある誰かに恋する気持ち、そして傷心や諦め、理由なき不安と根拠なき自信、自己否定と自己肯定の乱高下。こうした揺れ動く感情の動きというものは、10代の頃の特に思春期に誰もが必ず通ってきた道であろう。それを絶妙に切り取って歌詞にした楽曲を、あらためて聴くことによって、懐かしいあの頃の気持ちや感情が鮮やかに蘇り、たちまちにそのど真ん中を真正面から撃ち抜かれてしまうことになる。
こうした歌と歌唱の魅力といった部分が、この東京女子流のセカンド・アルバムが非常に高い評価を獲得している、ひとつの大きな理由でもあろう。つまり、この五人の少女の非常に無垢な歌声は、かなり汚れ果ててしまった大人たちの耳にも非常によく効くのである。若き日の心の中の葛藤とは、それが誰もが経験することだけに、永遠に普遍な表現のテーマとなる。それを実に瑞々しく歌い上げて作品化している東京女子流の歌は、若い世代にも、もう若くはない世代にも、共感・共振できるものとなるのである。

しかし、実際のところ彼女たちが、そうした世代を超越して影響を及ぼし、共感や共振を呼び起こすような歌を歌っている自覚があるのかという点については、かなり怪しいところがある。はたして、思いきり天然なところのある新井ひとみは、自分がどれだけの感動を与えてしまう歌を歌っているのか分かっているのだろうか。
6月にCS放送で放映された特別番組「東京女子流 5.20野音 密着スペシャル」の宣伝映像において、しっかり者のあぁちゃんは「歌じゃないと伝えられない気持ちがある/そういう気持ちを歌にのせて皆さんに伝えてゆきたい」と自らの歌に対する思いを真摯に語っていた。おそらく、五人は五人なりに、自分たちが何を歌っているのか、歌を通じて何を伝えようとしているのか、その歌を感情を込めて歌うためにも歌詞の意味するところを理解しようとはしているようである。ただ、まだ10代前半の少女たちであるから、全てを完全に理解するのは、かなりの難題であるのかも知れないが。
そうだとしても、彼女たちの歌唱の歌声そのものが、どのように聴き手の心情の深いところに影響するかというところまでは、全く意識は及んではいないのではなかろうか。しかし、そんな本人たちが理解できていないことだからこそ、そこで歌われている言葉のもつ意味が、真っ直ぐでピュアな歌唱によって聴く者の心の奥底により強烈に響くということもあり得るだろう。下手に表現者の固定観念や自我意識によって捩じ曲げられていない歌だからこそ、そこで歌われている言葉が、あるがままに真っ直ぐに深く突き刺さるのだ。そういう意味では、東京女子流の歌唱や歌声には、全くもって嘘がないように聴こえる響きがある。

この五人の少女による若年期の普遍のテーマを歌いあげる歌唱が、世代を越えて共感・共振できる歌となっている背景には、それらを歌っているメンバーたちのあまりにも瑞々しい声質に感じられる独特の耳ざわりという部分も深く関係していると思われる。年代的にはロー・ティーンからミドル・ティーンに属する五人の歌声は、当然の如くまだ完全には大人の声になりきってはおらず、子供らしい幼さや不安定さを多分に残しているものでもある。それゆえに、彼女たちが全力で歌い込む歌唱は、その全く曇りなく澄んだ声質から、どこか少年の心の声や心の叫びのように聴こえてくる雰囲気を色濃くもっていたりもするのである。
そんな脆さや儚さをも垣間見せる、どこまでも真っ直ぐな情感をたたえた歌声が、もう若くはない世代にとっては、自らの少年時代の心の声や心の叫びの反響/こだまのように聴こえたとしても、決しておかしくはないだろう。ただ、実際は、それは10代前半から半ばにかけて年齢の少女たちによる歌唱であり、そこには年齢的な幼さとともに思春期の女の子らしい揺れやか弱さを感じさせる部分が内包されている。そして、そういう部分でもまた、それを聴くすでに汚れ果て/疲れ果ててしまった世代の側にも、実際の心の中には今も弱々しくも女々しい気持ちが遥か遠い10代の頃と変わらずに存在していたりするのである。こうして東京女子流による若年期の揺らぎをありのままに表出させた歌唱は、そこに照射することのできる自らの内面にある遥か遠い過去の自分と、現在も変わらずに自分の内面にある幼さや弱さの部分を重ね合わせることのできる交錯点となり、それらを一瞬にして貫いて共感・共振を呼び起こす歌として感じ取れるものとなるのである。
五人の少女の歌声は、どこまでも純粋に少女的で女性性をもつものであるとともに、どこか少年的な女性性をも併せもつものとなっている。そうした声の響きを媒介にして、思春期に誰もが誰かに対して抱く恋心の甘酸っぱさやほろ苦さを見事なまでに多面的かつ鮮明に描き出し、世代や性別を越えてシンクロすることが可能になる歌の世界が構築されてゆくのである。そうした老若男女を問わずに効果を発揮する、とてつもなく射程が広く長い東京女子流の歌唱の真骨頂を聴くことができるのが、奇跡的な歌声の記録でもあるセカンド・アルバム“Limited addiction”なのである。

どこか中性的な雰囲気や響きをもつ歌声というのは、やはり現在の彼女たちがロー・ティーンやミドル・ティーンという年代であるからこそのものなのであろう。また、そこには、東京女子流の楽曲に、男の子の目線から歌われる歌と、女の子目線から歌われる歌、そしてそのどちらとも受け取れそうな歌が混在しているという背景も少なからず関係しているものと思われる。
五人の少女たちが、自らの内面にあるものとは対角に位置する少年の心情や気持ちを、一歩踏み込み引き寄せるように歌うことで、そこに少年と少女の感情が揺れ動きながら入り混じる、ほとんど性別を無化して響くような歌が生まれる。東京女子流のもつ独特の歌唱の味わいとは、こうした彼女たちの歌声という部分から引き出されてきているともいえるのである。そこでは、意識的/無意識的に、男女が逆転した/男女を逆転させた、聴こえ方/聴き方も可能になるであろうし、あらゆるものが曖昧に混濁して多様な接続が可能となる文脈での聴取も実現することになるのである。絶妙なバランスの上に成り立つ共感や共振やシンクロを現出させる歌唱が、現在の東京女子流のひとつの大きな魅力であり、その一瞬の強烈な煌めきのようなものが、そこに感じ入る経験を非常に特別なものにしてくれる。

これからハイ・ティーンとなってゆく五人の少女たちの歌唱は、その肉体的・精神的な成長に伴い、より色濃く女性性を感じさせる歌声に変化してゆくことになるのだろう。そうなってくると、現時点で歌われている楽曲も、年齢の変化とともに、かなり違って聴こえてくるようになるに違いない。10代前半の少女と10代後半の少女では、真っ直ぐで純な恋心を歌う歌詞ひとつをとってみても、その受け止め方は当然違ってくるであろうし、歌唱の際の感情の込め方にも自然と変化が生じてくるはずだ。今後、彼女たちがすくすくと成長し、その歌唱がより女性らしさをまとったものとなってゆくに従い、そこに感じられていた少年的な部分はあっさりと脱ぎ捨てられてしまうのかも知れない。今この時点で、とても高いレヴェルで完成していると思われている到達点は、一瞬にして消え去り、過ぎ去った時間に存在した痕跡のひとつに変わってしまうのである。
東京女子流という将来有望なアイドル・グループのことを考えれば、そうした変化は実に喜ばしいこととして大いに歓迎すべきものであるのだろう。日比谷野外音楽堂でフィナーレを迎えたデビュー二年目の活動も、そうしたさらなる向上を目指して繰り広げられてきたものであり、そこで五人が歌とダンスに真剣に取り組んできた結果が、今の時点での眩いばかりの完成度であったのだ。だからこそ、この奇跡的なまでに瑞々しく10代の少年少女の情感の揺れ動きを歌う東京女子流は、間違いなく決して誰にもどうすることの出来ない時間の流れとともに終わりを迎えることになる。そしてまた、そのひとつの到達点のさらに向こう側に新しい東京女子流の歌とダンスが始まるのである。その最初の大きな第一歩が、12月22日に決定している日本武道館での単独コンサートなのだ。
現在の東京女子流は、正統派のアイドル・グループとして大きく成長してゆく過程にある。そんな彼女たちが、10代前半の成長期のほんの一瞬に、少女性と少年性が交錯するような中性的で奇跡的な風合いの歌唱表現の煌めきを見せ、長きに渡り歴史的名盤として語り継がれてゆくであろう“Limited addiction”という作品をしっかりと残した。そして、その東京女子流は、5月20日に日比谷野外音楽堂で開催されたコンサートで、ひとつの大きな嶺となる到達点を通過し、もう二度と後戻りできない区切りとなるロー・ティーン期のファイナルの時を迎えたのかも知れない。

こうした変化にともなう問題とは、おそらくどんなアイドル・グループにもつきまとうものであるはずである。特に、メンバーのデビュー時の年齢が極めて低年齢化してきた、00年代以降のアイドル・グループにとっては。その活動を継続してゆくということは、決して同じところには留まれないということでもある。そうした変化を肯定的にとらえ常に新しいものへと前向きに変わり続けてゆくものもあれば、あまり変わろうとせずに遂には破綻を来してしまうものもある。また、そこには様々な浮き沈みもあったりするのだろう。そして、そうした絶え間のない変化と激しい浮き沈みをくぐり抜けてきたグループとして真っ先に思い浮かぶのが、ハロー!プロジェクトの五人組、℃-uteであったりする。
12年の東京女子流は、非常に完成度の高いアルバムを完成させ、日比谷野外音楽堂での単独コンサートを成功させるなど、10代の若いアイドル・グループがあらゆる面でぐんぐんと急激な成長を遂げてゆく際の、誰にも手が付けられないような上り調子の真っただ中にあるといえる。そして、それとほとんど同じような猛烈な勢いを目に見えるような形で発散し、アイドル街道のど真ん中を突っ走っていたのが、06年から07年にかけての初期の℃-uteであった。当時の℃-uteのメンバーの大半は、ちょうどロー・ティーンからミドル・ティーンに差し掛かる時期にあり、限界ギリギリまで目一杯に振り絞って放たれるような、心身ともに充実しきった大変に目覚ましい活動を繰り広げていたのである。そして、07年の年末には日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしている。
しかしながら、その直後から℃-uteは激しい変化の季節の到来に直面することになる。度重なるメンバー・チェンジによるグループの表面的な変化と、10代の少女ならではの肉体的な成長からくる声質面などの変化。そうした様々な変化を前にして、グループのメンバーだけでなくそれを見守る側にも、かなり戸惑いを隠せない状況が生じ始めてしまっていた。ただし、この急激な上り調子の後に訪れた激しい落ち込みの時期に、その成長と変化に見合った新しい℃-uteというグループの形が必死に模索されたといってもよい。この時期に℃-uteの五人は、コツコツと積み重ねられる地道な活動の中で歌手としてもダンサーとしても確かな実力を身につけていったのである。ただの若さや勢いだけで押し切ってしまうアイドル・グループから脱却し、本当の意味で変化を遂げた新たな℃-uteが、ここから始動したのである。
この低迷期から抜け出しジワリジワリと盛り返してきた℃-uteは、現在では日本のアイドル歌謡の世界では最高峰ともいえる質の高いパフォーマンスを展開するグループとなっている。グループ結成時からの様々な紆余曲折や浮き沈みがあったからこそ、℃-uteは日本のアイドル史上においても屈指の強く逞しいグループへと成長することができたのかも知れない。
東京女子流もゆくゆくは、現在の℃-uteのような高いレヴェルのパフォーマンスで見る者全てを魅了するようなアイドル・グループになってゆくのであろう。この五人の少女には、それだけの高みを目指せる才能が確実にあり、グループとしての歌とダンスの基礎的なポテンシャルにも申し分ないものがある。ただし、様々な変化の中で、少しばかり停滞してしまう時期も、もしかするとあるのかも知れない。メンバーそれぞれの成長の個人差から生ずる歌やダンス等のレヴェルのバラつきも覚悟しなくてはならないだろうし、その足並みが段々と揃ってくるまでにはグループとしての調和がガタガタになってしまうこともあるだろう。その苦しい時期を乗り越えることは、決して容易なことではないはずだ。きっと、超一流のアイドル・グループとして大きく花開くということは、そうしたいくつもの困難を乗り越えなくてはならないということなのである。数年後、大きなアリーナのステージに立つ東京女子流の五人の姿は、どれほどまでに逞しく成長を遂げているのであろうか。


「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」(
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真野恵里菜: More Friends Over
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2012/04/30 02:00

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