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zoom RSS New Dawn and Fades(二)

<<   作成日時 : 2014/01/01 03:24   >>

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New Dawn and Fades



13年は、こうしたKARAに訪れた大きな変節の到来に代表されるように、Kポップ界におけるひとつの時代の移り変わりと世代の交代の流れが、あちこちで顕在化する段階に突入しはじめた一年であったように思われる。かつて新韓流といわれた韓流第二世代(Kポップ・ブームの第一世代)と、それに続いて登場したKポップの第二世代の面々が、華やかな舞台の上で緩やかに入れ替わってゆこうとしている。00年代後半に次々と挙ってデビューし新韓流というKポップ・ブームの立役者となったアイドル・グループたちは、その高い人気と拡大する支持層や支持範囲に呼応するように韓国国内の歌謡界だけでなくアジアの各国においても並行して活動を行い積極的な海外展開を繰り広げるようになってきている。そして、それらの海外においても大きな成功を収めているグループは、その実績から韓国国内の歌謡界においてはワン・ランク上の大物と暗黙のうちに選別され、それなりの敬意を払われるとともに、海外でのプロモーション活動やイヴェントやコンサート開催の合間をぬって、年に一度か二度だけしか本国での本格的な活動ができなくなってきてしまっていたのが、昨今の状況であった。
KARAの場合は、11年には9月にアルバム“Step”をリリースしたのみであり、12年には8月にミニ・アルバム“Pandora”をリリースしたのみ、そしてまたそのちょうど一年後となる13年9月にアルバム“Full Bloom”をリリースするといった状況であった。韓国で五人のメンバーが揃ってKARAとしてのまとまった芸能活動を表立って行うのは、ここ数年は常に年に一度のみのことであり、それもたった数週間の新作のプロモーション期間だけという形になってしまっていたのである。その間に、日本では年に二枚〜三枚のシングルをコンスタントに発表し、アルバムも毎年欠かさずに一枚ずつリリースしている。また、それとともに日本ではKarasiaと題したアリーナ級の会場を巡る大規模なコンサート・ツアーを12年と13年に行ってもいるのである。KARAというグループとしてのまとまった活動としては、本国においてよりも日本やアジア諸国の海外における活動の方が、比重としては格段に大きくなってきていたのである。ただし、こうした活動の領域の広がりは、21世紀に入りグローバリゼーションと本格的なソーシャル・ネットワーキングの時代となった00年代に国際的な人気を獲得したKポップ・アイドル・グループとしては、決して避けては通れぬ宿命的なものであったともいえるのだろう。
00年代後半にデビューしたKポップ・ブーム第一世代の成功組が、Kポップの世界のど真ん中に君臨し居坐り続けてきた勢力地図に段々と変化が見られるようになってきている。それが、大きな岐路に立たされることになったKARAに象徴されるような13年の特徴的な動きのひとつであった。新旧のふたつの層が、ゆっくりと大きく動き、全体的に静かに揺らぎながら、撹拌されるように入れ替わりはじめている。最上の階層に巨大なネーム・ヴァリューを盾に胡座をかき続けてきた一握りのトップ・アイドルたちが、国内での芸能活動の比重を減じてゆかざるを得なくなっていることで、その背中を追いかけ続けてきたフォロワーたちの目の前には、それまでの頭打ちな状況を脱する絶好の兆しが見えはじめているというのが、10年代初頭のKポップ界の状況でもある。

ブームを作り上げたトップ・アイドル・グループは、むしゃらに覇を競い合って先頭を引っ張ってゆく牽引車的な存在から、そのギラギラした部分を抑え少し引いて二列目に控えながらも大物の存在感を発揮する存在になりつつある。それによって、Kポップのシーンは上方から全体的な流れをみている限りは、かなり緩やかなものになってきているといえるのかも知れない。まずは、13年の大物グループの少しずつ変化しつつある活動の状況をチェックしてゆきたい。

1月1日に四作目のアルバム“I Got a Boy”をリリースした少女時代は、韓国でのアルバムのプロモーション活動が終了するとともにGirls & Peaceと題した約三ヶ月にも及ぶ日本各地を回るアリーナ・ツアーを行い、その後はすぐにGirls & Peaceのコンサートを韓国、台湾、インドネシア、シンガポール、香港にて開催する大規模なアジア・ツアーに取りかかっている。13年の少女時代は、韓国でのアルバムと日本での二枚のシングルのリリースがあったものの、ほぼアジア各国でのライヴ・コンサートを中心に活動したといってもよいであろう。これは、彼女たちがアジア各国で安定した高い人気と集客力を誇っているということの証でもある。アジアの多くのファンたちと直接触れ合う機会をもつためには、やはり国境を越えて広範囲を巡って一ヶ所で複数回の公演を行う規模の大きいコンサート・ツアーを企画してゆくしかない。こうしたツアーは、準備期間も含めると数ヶ月から半年近くかかるものにもなる。よって、少女時代は、Kポップのアイコン的存在でありながら、かつてのように韓国国内のKポップのシーンに頻繁に登場することは困難になりつつあるのである。もはや、韓国だけにとどまらぬアジア全体のKポップのアイコン的存在となっているといった方が適切であるのかも知れない。清廉な少女の可愛らしさを前面に押し出したり、噎せ返るほどの大人っぽい雰囲気を醸し出したり、時にはスタイリッシュに、時にはドレス・アップして、またある時はカジュアルに、新曲をリリースする毎に新しい少女時代の像を見せることができているうちは、この九人の美少女集団はこのままどこまでもどこまでも突き進んでゆくであろう。

常にフレッシュな魅力を提示し続ける少女時代に対して、もう一方のKポップ・ブームの立役者であったKARAは、10年2月に発表したミニ・アルバム“Lupin”の時点で、ほぼ五人のメンバーがもつ色が混ざり合うことによって生み出されるグループとしての個性を確立し完成させていたといってもよいであろう。KARAは何かグループとしての新しい個性を求めて奇矯なことをすることはないし、奇抜な活動コンセプトで周囲を驚かせることもない。ただただひたすらに個性的な五人のメンバーだからこそ生み出せるKARAというグループのカラーを、とことんまで突き詰めて洗練させ磨きあげてゆくという方向に向かった。常にKARAはKARAそのものであり、そのKARAらしさを繰り返し前面に出し続けてきたのである。そして、そこに熱烈な支持層が生まれることにもなった。韓国だけでなく、日本やアジアの各国にも。その活動のひとつの到達点として13年9月にリリースしたアルバム“Full Bloom”では、KARAは全てが満開となる季節を迎えたことを宣言したのである。ほぼその完成体へと限りなく近づいているKARAは、どんなに新作をリリースし続けたとしても、そこで作り上げられたKARAというグループの様式を守り、常にKARAとしてKARAをなぞり反復して繰り返してゆくしかなくなる。そういう意味では、このままその満開状態をできるだけ長引かせて維持させてゆくよりは、美しい花はその宿命に従って美しく散る方が、自然な道であったといえるのかも知れない。ただ、13年のKARAにおいては、コンサート・ツアーで数多くのライヴの舞台を経験したことが歌やダンスの自信につながったのか、TVドラマへの出演を通じて演技力や表現力に厚みが増してきたのか、スンヨンの存在感が、これまで以上に大きなものになってきていたことも確かであった。元々、歌唱の能力は高いメンバーであったが、そこにさらに安定感が増し、歌声もハリがあり力強いものとなってきていたのである。また、それだけでなくパフォーマンスの面においては、眉や目許、口許のちょっとした表情の動きだけで感情表現に説得力をもたせる、卓抜した技量を兼ね備えるようになってきてもいた。そんなちょっとした凄まじさを感じさせるほどのレヴェルにまで達しつつあったスンヨンが、五人のメンバーの個性の絶妙なバランスによってグループとしての色合いを生み出していたKARAの中で、今後どうな位置を占めていったのか、ほかの四人のメンバーにどのような影響を及ぼしてゆくのかが、実は気にはなるところではあった。もう現在の五人体制のKARAの新曲を聴くことができないと思うと、かなり寂しいものはある。

10月10日、T-araがミニ・アルバム“Again”をリリースした。韓国では12年9月の“Mirage”以来、約一年ぶりのリリースであった。また、12年7月のファヨンの脱退騒動以降では初の新作でもあり、永い沈黙の末に13年も10月に入ってようやくグループとしての初のプロモーション活動が行われることととなったという形である。ファヨンの脱退にまつわるグループ内の人間関係のゴタゴタや問題が表面化すると同時に即座にファヨンのタレント契約だけを解除してしまった専横的な所属事務所のやり方に対して、強い反感や反発を引き起こす反応がT-araのファンの間にも吹き荒れたことは確かである。そんな喧々囂々な状況の中でT-araは思うような活動を展開することができず、ただ静かに黙って批判の嵐をやり過ごすことしかできない状態が続くこととなってしまった。ただし、韓国国内では窮地に追い込まれているT-araであったが、日本や中国などアジア諸国では変わらぬ根強い人気に支えられてはいたのである。長く厳しいバッシングに曝されているT-araの姿を見ているからこそ、今こそ熱烈に応援して後押ししなくてはならないというメンタリティが芽生え、アジアの各地のT-araのファンを一致団結させ奮い立たせたという面もあったのかも知れない。13年にT-araは日本において二枚のシングルと一枚のアルバムをリリースし、日本武道館公演とアルバムと同じTreasure Boxと題したコンサート・ツアーを行っている。そして、韓国においてはグループ全体での本格的な活動再開に先がけてサブ・グループのT-ara N4としての楽曲“Jeon Won Diary”が13年4月にリリースされた。この新ユニットに参加したのは、ウンジョン、ヒョミン、ジヨン、アルムという四人のメンバー。しかし、このT-ara N4にも参加していた、12年の夏にファヨンの脱退と入れ替わるようにグループに新加入したアルムが、13年の7月にラッパーや女優などでのソロでの活動を目指してT-araから脱退してしまうのである。この動きにより、T-araの新規加入メンバーは、ファヨンもアルムも相次いでグループを離脱してしまう結果となった。T-araというグループには、どこか外部の新たな人間をなかなか受け入れないような雰囲気があるのではないかと、その裏にあるものを勘繰りたくもなってくる。現在のT-araは、ほぼデビュー当時からの顔ぶれである六人のメンバーで活動を行っている。ある意味では不動の六人組ともいえるメンバーでの久しぶりのパフォーマンスとなったミニ・アルバム“Again”のタイトル曲“Number Nine”では、グループの出世作となった09年の“Bo Peep Bo Peep”と同じシンサドン・ホレンイ(新沙洞の虎)がプロデュースしたダンス曲ということもあって、変わらぬT-araらしさを存分に発揮していた。この六人こそが、このグループの核なのだということをあらためて思い知らされた感じだ。また、日本でのコンサート・ツアーなどで大きなステージでのパフォーマンスの経験を積んだことで、この六人の動きには歌って踊って魅せることに対する自信がみなぎりつつあることもはっきりと感じ取れる。しばらく韓国での活動はままならなかった部分もあったが、その間にもT-araというグループは決して立ち止まることなく活動を続け、Kポップ・アイドルとしての大物感を確実に増してきていたのである。しかし、新曲“Number Nine”のプロモーション活動中には、またしてもジヨンの脚の怪我があったり、今後は12年に所属事務所より追加メンバーとして発表されているものの様々な騒動などの諸事情があったためか未だにグループに参加できていない新メンバー、ダニの(新規メンバーがなかなか定着しない)T-araへの合流があったりと、まだまだ先行きに不安要素と不透明さが残っていたりもする。そんな幾つもの爆弾や火種を抱えつつもグローバルなKポップの世界をひらりひらりと生き抜いてゆくのが、六つの芯をもつがゆえに決して中心が定まることく柔軟に状況に対応してゆけるT-araというグループの真骨頂であるのかも知れないが。

09年にモーニング娘。の99年の大ヒット曲“LOVEマシーン”を韓国語でカヴァーした“Dream Girl”を歌っていたのが、デビュー当時のアフタースクール(After School)であった。このデビュー時には五人組として活動していたが、長らく中心メンバーとして活躍していたベカと絶対的なリーダーであったカヒを含めて現在ではオリジナル・メンバーのうちの三人がグループを卒業してしまっている。しかし、二期メンバーとして09年4月にグループに加入したユイに始まり、12年の春からグループの活動に参加しているカウンまで、こまめに新メンバーの増員が繰り返されているため、二人のオリジナル・メンバーと総勢で六名のデビュー以降の新規加入組を合わせて、現時点ではアフタースクールは八人組のグループとして活動を行っている。また、10年からは新規加入組のナナ、レイナ、リジの三人がグループ内グループのオレンジ・キャラメル(Orange Caramel)として独自のアイドル路線での活動を展開していたり、11年7月にはグループを紅組と青組のふたつの別動ユニットに分割しA.S. RedとA.S. Blueとしてそれぞれに楽曲を発表して同時に活動を展開するようなこともあった。こうしたメンバーの卒業と増員を繰り返しつつ、グループから派生した別ユニットやスペシャル・ユニットでの活動なども適時交えて、常にグループの内外を動かし続けることでフレッシュな魅力を保持してゆく方法は、まさにモーニング娘。譲りのものだといってもよいだろう。そして、この手法は、現在ではAKB48にも引き継がれている。こうした事実は、この様式こそが、アイドル・グループを長く第一線に立たせ続ける最も有効な手法のひとつであることを如実に示すものでもある。アフタースクールは、Kポップの世界では最も原型に忠実にモーニング娘。型のサヴァイヴァル術を実践しているのではなかろうか。このまま順当に活動を続けてゆくとオリジナル・メンバーが全員卒業してしまった後にも、若いフレッシュなメンバーが中心のアフタースクールが、Kポップ界の第一線で華々しい活躍を続けてゆくであろう可能性は充分にある。そして、さらにはグループを卒業したOGのメンバーたちが再結集したドリーム・アフタースクールなどというスペシャル・ユニットでの活動なども有り得そうだ。ただし、実際にはデビュー時からリーダーとしてグループを巧みにひとつにまとめて牽引してきたカヒが、12年に卒業した後のアフタースクールは、絶対的な核となるリーダーを軸として古参のメンバーが新メンバーに道を示しつつ全てがバランスよく回っていた状態から、大きな求心力を失ったことによるポテンシャルの下落が危ぶまれる状況にはあった。そして、前作から約一年という長い準備期間を経て13年6月にマキシ・シングル“First Love”をリリースして、ようやくアフタースクールは本格的なグループとしての活動を再開したのである。この勇敢な兄弟をプロデューサーに迎えたオールドスクールなヒップホップ・ソウル調のR&Bダンス曲“First Love”では、妖艶なポール・ダンスを取り入れた画期的なパフォーマンスを展開し、大物グループならではの存在感をあらためて誇示することに成功した。また、13年10月にリリースされた日本においての約一年四ヶ月ぶりのシングル“Heaven”では、モンド・グロッソの大沢伸一をプロデューサーに迎えたディープでファンキーなネオ・ディスコ曲を展開し、完全にKポップ・アイドル・グループの枠を超越しているハイブリット・ダンス・ポップの新境地を開拓してもいる。カヒ卒業後の新体制での活動が確かな流れにのりつつある13年のアフタースクールは、一時期の周囲の不安をきれいさっぱりと払拭し、まだまだフレッシュな存在であることを強くアピールしたのである。アフタースクールは、これからも進化し続け、変化し続けるであろう。

13年の2NE1は、5月末にCLがソロ楽曲“The Baddest Female”をリリースし、グループとしては7月に“Falling in Love”、8月に“Do You Love Me”と立て続けにシングル曲をリリースした。元々は2NE1の新曲が四ヶ月連続でリリースされるといった発表がなされていたが、“Do You Love Me”以降の新曲は未だにリリースされていない(※)。おそらくは、2NE1と同時期にデビューしたライヴァル・グループがあまり韓国国内での活動を行わなくなっている傾向を逆手にとり、こまめに新曲を発表してゆくことで音楽チャートでの圧倒的な強さや音楽番組出演でオーディエンスからの支持の高さなどを誇示して見せようとする意図が所属事務所にはあったのだろう。確かに、その思惑と降りに連続リリースによってチャートも音楽番組も完全に席巻し変わらぬ高い人気の誇示には十二分に成功した。ただし、今の2NE1にとっては、そうしたドメスティックなチャートやメディアでの成功には、もはやそれほどの高い価値を見出せなくなっているような面も確実にだがあったのである。大物は表に出てゆけばゆくほどに喝采を浴びるが、その喝采の大きさのゆえにそれが逆効果を招くこともある。TVの音楽番組に頻繁に出れば出るほどに、その実体がそこに実際にあることを見せることでの親近感やファンとの距離の近さの感覚は増すことになるが、大物ならではのプレムアム感は薄れ、折角の大規模なな海外展開で積み重ねてきたワン・ランク上のイメージを自らの手で引き下ろしてしまうことにもなる。そんな商品的な価値の下落にも繋がりかねない動きに早めに歯止めをかけるために新曲の連続リリースの計画を変更したのであるならば、それはそれで所属事務所の打った手は正しいものであったと言わざるを得ない。やはりKポップ・ブームの第一世代のグループは、韓国国内では年に一曲か二曲の強く人々の印象に残る決定的なヒット曲を放ち、大物の存在感を広く知らしめるという活動形態が、あらゆる面で最適なものとなってきているのかも知れない。

13年7月、f(x)がセカンド・アルバム“Pink Tape”をリリースした。これに合わせてグループはアルバムのタイトル曲“Rum Pum Pum Pum”をパフォームするプロモーション活動を開始している。アルバム“Pink Tape”は、12年6月に発表されたミニ・アルバム“Electric Shock”以来の約一年ぶりのリリースであり、アルバムとしては12年6月に発表されたファースト・アルバム“Pinocchio”のリパッケージ盤“Hot Summer”以来の約二年ぶりの作品となる。f(x)は、09年にデビューしたKポップ・ブーム第一世代のグループのひとつであるが、どこかほかのKポップ・アイドルとは根本的に異なる独自の路線を歩み続けているようなところがある。多くのグループが常に話題を振りまいて忙しなく動き回り少しでも注目を浴びてライヴァルたちよりも一ミリでも先んじようと悪戦苦闘を繰り返している中で、なぜかf(x)だけが慌てず騒がず常にマイペースなのである。これまで作品のリリースは、ほぼ年に一作というペースであり、グループとしての活動の頻度は決して高くはない。しかし、そうなっているのは、ほかの大物グループのように海外でのリリースのプロモーションやコンサート・ツアーによってスケジュールが過密だからというわけではないのである。f(x)の海外展開は、非常に限定的なものである。数年前から本格的な日本デビューの話が何度も浮上してきてはいるが、今のところまだ実現されてはいないし、近い将来に日本での活動があるような気配も全くない。12年の夏に“Hot Summer”の日本語版が発表されたが、それを受けて特に目立った日本でのプロモーション活動があったわけでもない。13年にリリースされた新曲“Rum Pum Pum Pum”(初めての親知らず)の日本語版に関しては、それが制作されるという噂すら聞こえてこない状態である。f(x)というグループには、目まぐるしく移り変わるKポップの世界の動きからは常に一歩退いた地点で、じっくりと時間をかけてコンセプトなどの戦略を練って緻密な制作の作業を行っているようなところがある。そして、さらにはリハーサルの期間を十二分に確保して、全てが納得ゆく形に完成された状態にいたって初めて表舞台に登場するのである。これは数多のライヴァル・グループとの競争三昧の渦中において、慌ただしい周囲の動きに追い立てられる形で余白に詰め込むように活動のスケジュールが組まれ、ほとんど準備もそこそこにステージに立つということの繰り返しが常態化している状況と比較すれば、格段にストレスの少ないヘルシーな状態を保つことができる活動形態なのではなかろうか。また、f(x)のグループとしての活動の頻度が極めて低く抑えられているため、年に一曲程度の新曲のプロモーションを行う一定の期間と何か特別なイヴェントがある時でなくては、五人のメンバーが揃ったグループのパフォーマンスは見ることができないのである。それでも常に一定の存在感は保ち続け、たまにリリースされる作品ではさすがf(x)と思わせる鋭いエッジのある部分を十二分に見せつけて、どっしりと落ち着いた大物でも、新鮮さが褪せてきた中堅でも青臭い若手でもない、このグループならではのKポップの世界での独特な所在や位置を作り出している。このように徹底的に独特さを極めて別格な存在となることも、常に激しい過当競争が繰り広げられているKポップ界の生き残りの戦略としては、かなりオルタナティヴな方向性ではあるが正しい道だといえるのかも知れない。

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