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zoom RSS 誰が孤独を歌うのか(二)

<<   作成日時 : 2013/11/01 23:00   >>

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誰が孤独を歌うのか



2012年12月22日、五人組のガールズ・グループ、東京女子流は、日本武道館での初の単独公演を行った。このコンサートは、グループのメンバーの平均年齢が15歳であったことから、史上最年少での日本武道館での単独公演の開催という記録を打ち立てたことでも話題となった。
この若きアイドル・グループは、10年5月5日にシングル“キラリ☆”でデビューしている。そして、それからほぼ一年後の11年5月4日にファースト・アルバム“鼓動の秘密”をリリースした。当初のアルバムのリリース予定日は4月19日であったが、3月11日に起きた東日本大震災とその後の福島第一原子力発電所事故の影響で、発売日は約二週間ほど延期され、ちょうどデビュー一周年というタイミングでのアルバム・リリースという形となった。
また、五人のメンバーのうち宮城出身の新井ひとみと山形出身の庄司芽生の二名は、震災後の混乱で地元の東北地方と活動の拠点である東京を結ぶ交通機関が通常の状態ではなかったこともあり、東京から自宅に戻ることができず首都圏に足止めされ、しばらくの間は親許を離れて東京の合宿所に滞在することを余儀なくされてもいる。そして、11年の春に予定されていた公演は自粛という形で中止/延期となるなど、大震災の影響は、こうしたアイドル・グループの活動にも様々な暗い陰を落とすこととなった。
震災と原発事故から受けた精神的な衝撃には、極めて大きなものがあった。それに、加えて毎日のように鳴り響く緊急地震速報の警告音と大きな余震に怯え、さらには計画停電や原発事故によって飛散した放射線量のニュースにも振り回された。そんな、大小の混乱がまだ多くの人々の日常の大部分を占めていた時期に発表されたのが、東京女子流のアルバム“鼓動の秘密”であったのだ。関東にも甚大なる被害と影響をもたらした大地震と大事故から約二ヶ月、まだまだ世の中はショックから立ち直れず暗く沈み込んだままであった。若い五人組ガールズ・グループのファースト・アルバムは、それほど大きな話題になることはなかった。本来であれば、アルバムを発表して、全国のCDショップやイヴェント会場をプロモーションで周り、コンサート・ツアーを行い、ブレイクへ向けての足がかりとしたいところであったが、突如襲った自然の猛威の前に全ての計画は変更を余儀なくされてしまった。
しかし、このアルバム“鼓動の秘密”は、作品としての質はなかなかに高く、アイドル・ガールズ・グループのデビュー・アルバムとしては極めて高い完成度を誇る作品に仕上げられていたことは間違いないところである。当時はまだ中学生であった五人のメンバーも、記念すべき初のアルバムということで、少女らしい幼さを多分に残しながらも、かなり意気込んだ溌剌とした歌唱を披露している。そして、その気合いの入った迫真の歌唱を受け止める各楽曲のプロダクションも実に多彩でヴァラエティに富んでおり、しっかりと作り込まれたサウンドでアルバム全体に華やかさと格調を添えている。東京女子流の“鼓動の秘密”は、どこか安っぽい即席のサウンドでお手軽に歌うようなアイドル・グループの作品とは、明らかに一線を画すアルバムであった。ある意味では、五人の中学生のグループのアルバムとして想像されるようなアイドル・ポップスの域を、すでに少しばかり越え出た作品であったともいえる。これは、当時の彼女たちの年齢を考えると、全体として相当に大人っぽい仕上がりのデビュー・アルバムでもあった。

アルバム“鼓動の秘密”の10曲目には、“孤独の果て〜月が泣いている〜”という楽曲が収録されている。この楽曲は、ビッグバンド・ジャズ的なサウンドによるブギウギ調のアレンジがなされた、どこか往年の昭和歌謡やキャバレー・ソングを思わせる賑やかさや華やかさを漂わせる、アルバム中でも少しばかり異色な曲調の一曲となっている。そして、その賑やかさや華やかさの裏に一抹の物悲しさが滲んでいるあたりからは、若さで突っ走ったり楽しく弾けるだけでは決してない東京女子流というグループの年齢に似合わぬ表現力の幅の広さの一端をまざまざと見せつけられるのである。
“孤独の果て〜月が泣いている〜”は、そのタイトルからも窺い知ることのできる通り孤独を歌った楽曲である。ただ、ここで歌われている孤独は、あの“上を向いて歩こう”において「一人ぽっちの夜」と歌われた、誰にも気づかれず/誰にも気づかれないように、深い悲しみに打ち震えながら涙を流す孤独感の表れとは、かなり趣きを異にしている。それは、月明かりだけが差し込み空には星が瞬く暗い夜道においてではなく、きらびやかにネオンが瞬く都会の夜の「右左行き交う人の群れ」の中で噛みしめるタイプの孤独なのである。決して一人ぽっちではなく、目の前を多くの人々がただただ行き交っている。そんな、人と人が近づいたり離れたりを繰り返す単純であり複雑な人間の関係のただ中において、ひとりだけぽつんと孤立している。猛烈に孤独でありながらも、誰かが近くにいることを目で見て気配で感覚できる状況が、そこにはある。
夜の都会の雑踏の中に足を踏み入れれば、そこでは多くの人々が自らの目的の場所に向かって移動している姿を目にすることができる。しかし、ほとんどの場合は、そこにいる人々の中に誰ひとりとして知っている顔はないし、それぞれの人がどこに向かって急ぎ足で歩いているのかも分からない。家に帰る途中だろうか、職場に向かっているのだろうか、待ち合わせの時間に遅れそうなのか、ただあてもなく歩き回っているだけなのか。そして、そこで行き交っている人々もまた、誰もこちらのことを何も知ってはいないのである。あの足早に通り過ぎてゆく人たちの目には、こちらのことは見えているのだろうか。自分が向かっている目的の場所のことやこれからしなくてはならないことについて、あれこれ考えている人の目には、その人の群れの中にいる誰の顔も全く見えてはいないのではなかろうか。人間たちが群れになって、その中でバラバラに右に左に行き交ってはいるが、そこにいる見ず知らずの者に対しては特別の注意が払われることはない。
そんな状況が“孤独の果て〜月が泣いている〜”では、「誰にも見えないこのワタシ/捕まえる事は出来ないよ」と歌われている。ひとたび都会の雑踏に紛れてしまえば、瞬くネオンの海の底で人の群れの中でその一部となることで、打ち拉がれそうになる孤独感を少しだけ和らげることができる。自分のことを知らない人間/自分に対して特別な注意を払わない人間たちで溢れかえる、賑やかな夜の街で、「誰にも見えない」存在になることで、孤独の果てへと逃避することが可能になるのである。
この楽曲における語り手である少女は、誰にも見られることなく、しばらくはひとりきりの時間を過ごしたいと思っている。その原因は、やはり失恋にある。「花の命は儚くて/散り急ぐ淡い夢」という冒頭の歌詞が、少女が恋に破れた状況にあることを暗に示している。花のように儚く散った恋。それを振り切るように、少女は夜の街の雑踏を歩き出す。胸の内の痛みを誰にも覗き込まれることのない、ただただ人の群れが行き交っているだけの夜の街へ。密な人間関係の中でもたらされた喪失感や虚無感は、逆に無関係な人間ばかりの人ごみの中に紛れることで緩和されるということか。ただし、今はそんな現実の雑踏に紛れなくとも、インターネットやSNSの世界に飛び込むことで、ある種の気晴らしや気散じをすることもできる。今やネットの世界でも空虚で希薄な人間関係からなる雑踏に紛れることは可能であるのだ。
恋に破れた少女は、ネオンサインと雑踏のただ中で、ちょっとだけ背伸びをしてみせる。自ら進んで思いを断ち切ろうとするように「ありふれた気休めの恋なんて/永遠にいらない」「馴れきって冷めきった恋なんて/迷わずさよなら」と、まるで大人の女性を思わせる捨て台詞を、ひとり繰り返し呟いている。だが、夜の街の人の群れの中では、その言葉は誰にも聞き届けられることはない。また、それがSNSという場であれば、投稿のプライバシー設定を全体公開にせずに思いきり吐き捨てられているだけである。
ひとつの恋が終わってしまった後の寂しさや侘しさといった感情が、61年の“上を向いて歩こう”では、「にじんだ星をかぞえ」ながら暗い夜道を「一人ぽっち」で「涙がこぼれないように/泣きながら歩く」情景を描き出すことで巧みに表現されていた。そして、この“孤独の果て〜月が泣いている〜”でも、胸を締め付けるような寂しさに溢れ出てくる涙を堪えて雑踏の中で夜空を見上げる、全く同じような情景が歌われている。そこでは、止めどなく涙が溢れてきてしまうのは、「星の明りが切なくて/溢れ出すこの涙」と星の瞬きのあまりの切なさのせいにされている。だが、これが精一杯の虚勢であることは、「零れ落ちそうな満月が/溶けて消えた」という一節からも察せられる。ここでは、「にじんだ星」ならぬ「溶けて消えた」満月という表現で少女の瞳に溢れる涙が歌われているのである。
また、「傷跡のような三日月が/笑っていた」という一節は、夜空にぽっかりと浮かんでいる笑っているようにも見える三日月を、それを眺める角度を強引に捩じ曲げて、失恋によって心に受けた傷の深さを見上げた夜空にそのまま投影しているようでもある。その「笑って」いながらも「傷跡のよう」であるものが、少女の心情や心中に去来しているものを、そのまま窺い知らせるような暗喩となっているのだ。その「溶けて消え」そうな三日月は、どこか冷たい悲しみをたたえた微妙な笑顔で微笑んでいるようにも、少女の潤んだ瞳には見えたのであろう。胸の内の三日月のような「傷跡」は、夜の街の雑踏の中では誰にも気づかれることはない(目的地へと急ぐ人々は誰も三日月を見上げてはいない)。しかし、どこか寂しく笑いながら夜空の月だけが、少女のことを見ている。どんなに賑やかな雑踏の中にいても、人の群れは少女の孤独を紛らわせつつも少女をさらに孤独にさせる。涙が溢れる瞳で夜空の月を、ネオンの海の底でひとり見上げるとき、「一人ぽっち」の少女の孤独はさらに深まってゆく。
しかしながら、その孤独とは、本当の孤独が存在するはずの暗い奈落の底とはほど遠いところにある孤独の感覚でもある。失恋して、突然それまで常に近くにいた誰かを失って一人ぽっちになり、全てのものから見離されて孤立無援の状態になってしまったように感じてはいるが、それは非常に一面的で一時的な喪失の感覚であり、本当の深く暗い孤独の淵に立たされているわけでは決してない。夜の街の雑踏の人の群れのような、誰も自分のことを見てくれない周囲の人間がいるからこそ成り立つ孤独でもある。「右左行き交う人の群れ」は名前も顔も知らない自分とは無関係な人間ばかりであるが、その雑踏の中で孤立しているような感覚を与えてくれるという部分でわたしと密接に関係してもいる。この少女の孤独は、孤独の果てではなく、実際には本当の孤独の遥か手前にある孤独なのである。

シンガー・ソングライターの植村花菜は、現在では10年に発表した“トイレの神様”が社会現象を巻き起こすほどの大ヒットとなったことによってその名が知られている。元々は弾き語りのストリート・ミュージシャンであり、インディーズでの地道なライヴ活動を経て、05年にシングル“大切な人”でメジャー・デビューを果たした苦労人でもある。
そんな植村花菜が07年11月7日にリリースしたのが、通算三作目となるアルバム“愛と太陽”である。このアルバムは、あの“トイレの神様”でブレイクする以前の鳴かず飛ばずであった時期に植村が発表した最後のアルバムとなる。おそらく、このアルバムもあまり芳しいセールスには結びつかなかったのであろう。三作目の“愛と太陽”以降の植村は、散発的にシングルやミニ・アルバムをリリースするだけの本格的な低迷の時期に突入することになる。四作目のオリジナル・アルバム“手と手”がリリースされたのは、“愛と太陽”のリリースから四年以上が経過した12年1月7日にことであった。しかし、そんなアルバムの発表予定の全くない不遇の時代の真っただ中である10年3月10日に発表されたミニ・アルバム“わたしのかけらたち”から、あの“トイレの神様”という起死回生の大ヒット曲が飛び出すことになるのである。
アルバム“愛と太陽”は、念願のメジャー・デビューを果たし幼い頃からの歌手になるという夢を叶えた植村が、コツコツと地道に活動しひとりでも多くの人に自分の歌を聴いてもらおうと努力をいくら重ねても、なかなか作品のセールスや知名度の向上、そして楽曲のヒットという目に見える結果に結びつかぬ状況を前にして、苦悩する内面を楽曲の所々でストレートに吐露したような作品となっている。おそらく、植村の音楽キャリアにおいて最も思い悩み迷っていた時期のアルバムであったのだろう。
そうした植村の内面を象徴するかのように、アルバムは一曲目の“太陽さえ孤独”という楽曲でスタートする。この楽曲の作詞を担当しているのは、元ゴーバンスの森若香織である。この時期の植村に“太陽さえ孤独”という楽曲を歌わせた森若のセンスには、かなりただならぬものを感じ取れる。実際に、なかなか思う通りにならない音楽活動に関して、植村がひとり思い悩む姿を間近に見てそれを知りながら、森若はこの楽曲の作詞を行ったのであろうか。そのあたり、少し気になるところではある。ただし、アルバム全体としては、これは苦悩や孤独のことばかりが歌われる湿っぽい作品では決してなく、そうした絶望の淵から自らを奮い立たせて飛翔しようとする前向きな気持ちを歌った楽曲が中心のアルバムにはなっている。
この“太陽さえ孤独”という楽曲のサウンドの雰囲気も、非常に明るくさっぱりとしていて朗らかである。つまり、孤独な太陽ほど愛に満ちた存在はないことを思い知り、「ひとりの寂しさを/言い訳にしないで」どこまでも「笑って行こう」というポジティヴに生きる姿勢が歌われるのが、“太陽さえ孤独”でありアルバム“愛と太陽”なのだ。そして、“太陽さえ孤独”で森若が書いた「必要な力はいつも/涙を流した/そのあとで/生まれた」という歌詞は、それを歌う植村本人とアルバムを聴くもの全てを勇気づける言葉でもある。

アルバムの四曲目には、植村本人が作詞作曲を手がけた“孤独なソルジャー”という楽曲が収録されている。こちらも基本的には孤独をテーマにした人生の応援歌的な楽曲となっている。しかし、その滔々と言葉を吐き出してゆくスタイルの歌は、より植村の内面の奥底からの心情の吐露に近いものであると思われる。それは、どこかとても重々しい感触をもつものでもある。歌詞には、非常に実直で率直な表現がなされている言葉が並ぶ。とても印象的な「汚れかけた/夢が叫んでる」「今日も一人/嘘に抱かれ眠る」といった歌詞は、そのまま当時の植村の胸中にあった思いを歌っているものなのだろう。ひとり思い悩み、孤独に打ち拉がれ、今にも引きちぎれそうになってしまっている心持ちが、ヒシヒシと伝わってくる歌詞である。
だが、その孤独の闇の奥底でいつまでもうじうじと踏み止まっていてはいけないという思いが、不遇時代のただ中にあった時期にも植村の基本姿勢には確固としてある。大きな夢に向かって、どんなに傷ついても(「冷たい視線のナイフが私を/刺しても」)自ら選んだ道を前に進むしかない。いや、叶えたい大きな夢があるからこそ、いつまでも踏み止まってばかりいてはいけないのだ。いつか必ず夢は叶うと植村は信じている。だから、その信念を心から信じきれなくなる瞬間の「自分の弱さが何より怖いと/知ったよ」という感情を、ストレートに告白するのだ。自分にとって一番怖いと感じられるのは、道の半ばで歩みを止め、来た道を引き返してしまうような自分の弱さである。決して夢を諦めてはいけない。そして、この楽曲のハイライトとなるパートでは、「逃げ出さずに/死ぬ気で立ち向かえ」と自らを力強く鼓舞し、ハートに火を点すような痛切な叫びをぶちまけてみせる。

だがしかし、“孤独なソルジャー”たちは、次々と降り掛かってくる様々な困難に本当に打ち勝てるのであろうか。暗い孤独の淵に沈み込みながらも、決して弱気にならずに諦めずに歩き続けることは、なかなか容易なことではないだろう。いくら勇敢で強い信念をもったソルジャーといえども、たったひとりの力だけでは、日々押し寄せてくる難題や困難や障壁の全てに打ち勝てるとは思えない。植村は、「嵐の中で戦い続ける/人はみな孤独なソルジャー」と歌っている。それぞれのソルジャーは孤独で、ひとりひとりで戦っているのだとしても、そうした自分にとっての戦場でひとり戦い続けているソルジャーは、この世界に無数にいるのだ。そして、それぞれがそれぞれの夢に向かって絶えず歩み続けているのである。「嵐の中で戦い続ける」ソルジャーは、決してひとりきりで戦っているのではない。孤独なソルジャーの戦いとは、夢は必ず叶うと信じる全ての者にとっての連帯での戦いでもあるのである。その戦場には一緒に戦っている仲間がいる。だから戦い続けられる/歩き続けられる。だから戦いに勝てる/いつか必ず夢は叶うと心から信じられるのである。
ただし、いくらソルジャーが周囲を隈無く見回してみても、そこにひとりも仲間らしきものが見当たらないこともあるだろう。ともに同じ場所で戦っているという思いを共有できる仲間がひとりもいない、本当に孤独な戦いを血が滲むような痛みの中で続ける、本物の「孤独なソルジャー」に勝利の日は訪れるのであろうか。植村は「逃げ出さずに/死ぬ気で立ち向かえ」と歌っているが、本当の深い孤独の淵に沈み込んでいるものを、ただその心持ちを言葉で鼓舞することぐらいで、次々と降り掛かる困難や苦悩の毎日を無事に切り抜けさせることができるのだろうか。生来的に心持ちの強いものは「死ぬ気で立ち向かえ」と簡単にいうことができるのかも知れない。しかし、そうやって死というものと立ち向かわずに逃げ出すことを繋ぎ合わせて並列に語られてしまっては、本当に逃げ出したいほど辛くなった時に、もはや死を選ぶ道しか戦場から退く道はなくなってしまうことも考えられる。
おそらく、本当の「孤独なソルジャー」にとっては、その孤独な戦場での自らの無惨な敗戦は初めから目に見えている。だからこそ、その戦いの日々は、余計に痛々しいものとなる。生来的に心持ちの強いものであっても、一緒に戦う仲間の存在を身近に感じ、その存在に勇気づけられなければ戦い続けられないような戦いであるのだから。本当に孤独なものにとっては、その戦いは全く勝つ見込みのない本当に「一人ぽっち」の侘しく惨めな戦いとなるだろう。孤独に戦い続ける辛さや孤独に死を選ばなくてはならない辛さが、孤独者の上に日々のしかかる。どんなに「傷つきながら/自分が目指す場所まで/行こう行こう行こう/行けるさ」と歌いかけられたとしても、それは戦場という死だけが待ち構えている燃え盛る炎の中へ足を踏み入れろと嗾けられているようにしか聴こえない
ひとりの“孤独なソルジャー”として、なかなか日の目を見ることのできない不遇の時代を決して諦めることなく戦い抜いた植村は、アルバム“愛と太陽”から数えて約二年四ヶ月後にリリースしたミニ・アルバム“わたしのかけらたち”の収録曲“トイレの神様”で大きな注目を浴びることになる。まず有線放送やラジオ番組で紹介され大きな話題となった“トイレの神様”は、植村の今は亡き祖母との思い出を綴った楽曲であり、その心温まる祖母と孫の心と心の結びつきを歌う歌詞が多くの人々の共感を呼び、空前の大ヒットへと繋がっていった。そして、この年の12月31日、紅白歌合戦に出場した植村は、オリジナルのレコーディング・ヴァージョンは約10分という長さがある“トイレの神様”をほぼフルサイズで歌いきった。まさしく、この“トイレの神様”という楽曲を生み出したことで、植村は「自分が目指す場所まで」辿り着くことができたのであろう。自らの手で自らのために書き下ろした“孤独なソルジャー”で歌ったように、信じ続けることで大きな夢が叶えられたのである。

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