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zoom RSS 新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉(三)

<<   作成日時 : 2012/09/30 23:00   >>

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新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉

(三)

ティアラティック・マジック・ミュージック

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楽曲の歌詞において、言葉のもつ意味よりも語感のよさやリズム/ビートにのったときの調子のよさを第一に考慮しているような言葉/フレーズを敢えて選択し、新しい時代の到来を感覚させる新しい感覚の親しみやすくノリのよいヒット曲を数多く放ってきたK-POPのアイドル・グループといえば、やはりT-araが真打ちということになるのではなかろうか。T-araは、芸能・歌謡界の流行の動きに非常に敏感で、かつまた自らそうしたトレンドを果敢に生み出してゆくグループでもある。ゆえに、楽曲の歌詞の面での新しい時代の新しい感覚に則った新しい試みの痕跡を、非常に早い時期の作品から確認することができたりするのである。
これまでの活動でT-araが打ち出してきた斬新なフィーリングの一端は、“Bo Peep Bo Peep”(ポピポピ)、“yayaya”(ヤヤヤ)、“Roly-Poly”(ロリポリ)、“Lovey-Dovey”(ラヴィダヴィ)といった一連のヒット曲のタイトルからも窺い知ることができるだろう。いずれの楽曲も、同じ語もしくは似通った語を反復するだけの単純明快にしてポップなタイトルであり、その曲調もエレクトロなダンス系/ディスコ系の完成度の高いアイドル・ポップスが中心となっていて、サビのパートでは言葉の意味よりもノリが最優先された、楽曲のタイトルにもなっているフレーズが調子よく何度も繰り返されている。その楽曲を一度でも聴けば、そのタイトルも、同じフレーズが繰り返されるサビのパートの歌詞もいっぺんに覚えられてしまう、もしくは耳にこびりついて離れなくなるという仕掛けになっているのである。

09年にデビューしたT-araにとっての出世作となった、記念すべき一曲が“Bo Peep Bo Peep”だ。この楽曲は、09年11月27日に発表されたファースト・アルバム“Absolute First Album”よりシングル・カットされ、この年の暮れから翌10年の年始にかけて大ヒットを記録している。そこでは、日本における同曲でのデビュー時にも話題になった、メンバーが猫耳と猫の手をつけて踊る「猫ダンス」の振り付けでカワイイ路線を強烈にアピールするという奇策も功を奏した。そのダンスに「ポピポピ」と可愛く繰り返される歌詞のフレーズが追い打ちをかけるのだから、この仕掛けはかなり周到なものである。とても単純明快な、やや子供じみたところもある仕掛けかも知れない。しかし、だからこそ一旦火がついたときの火の回りも恐ろしいほどに早く、爆発度も桁違いであったりする。
“Bo Peep Bo Peep”は、心変わりし始めている恋人の気を惹こうとして子猫のように甘えてみせる健気な女の子の心情を歌った楽曲である。しかし、その過剰な甘えぶりが気変わりしている恋人には余計に暑苦しく感じられて、実はかなりの逆効果であったりするのだ。それでも構わずに周囲のことは全く目に入らなくなった猫まっしぐら状態で甘えまくってしまう様子を、猫耳と猫の手を装着した可愛い衣装と猫っぽい手の動作を取り入れた可愛い振り付けで、見事なまでに過剰なアピールの形として表現する。さらに、そのキュートな振り付けとエレクトロなダンス・ビートにのる「ポピポピ」と繰り返す幼児語を思わせる印象的なフレーズとの相乗効果で、視聴覚的な可愛さが倍増してしまうという仕組みだ。
ここで何度となく繰り返される「ポピポピ」というフレーズには、全くといってよいほど特別な意味はない。ただ、カワイイを表現する態度や仕草を生むためのフレーズとしてだけ、それはそこにある。実際のところ、元々のフレーズは「ピポピポ」であったようである。しかし、この楽曲のレコーディング時にメンバーたちが遊びで「ピポピポ」の言葉を入れ替えて「ポピポピ」と歌ってふざけ合っていたところ、これを耳にしたおそらく作詞・作曲者の新沙洞の虎(Shinsadong Tiger)が咄嗟の閃きで、レコーディングの直前に歌詞を変更し「ポピポピ」という新たなフレーズでの録音が行われたというのだ。この逸話からもわかる通り、この楽曲で歌われる歌詞は、エレクトロ・ダンス系のビートと子供っぽく甘えるメロディにピタリとハマる可愛らしいフレーズであれば、何でもよかったのである。そして、その楽曲中で最もカワイイ要素が必要とされる猫ダンスが行われるパートに、絶妙なまでにマッチしたのが、この「ポピポピ」という偶然にもお遊びの中で誕生したフレーズであったのだ。
ここで「Bo Peep Bo Peep Bo Peep Bo Peep Bo Peep Bo Peep Bo Peep Oh/Bo Peep Bo Peep Bo Peep Bo Peep Bo Peep Bo Peep Oh Oh」とただただひたすらに繰り返す形で歌われる「ポピポピ」というフレーズだが、歌えば歌うほどに繰り返せば繰り返すほどに言葉そのものの輪郭がすり減り角が丸くなってゆくようにも思える。そして、最終的には、それはただただ可愛い響きをもつ語の繰り返しとして、ポピポピしたエレクトロ・ビートに合わせたキュートな「猫ダンス」を構成する一部分へと埋没してゆくまでに記号化してゆくことになる。こうして「ポピポピ」のカワイイは、言葉の域を越えて音楽/楽曲(ダンス・ビートとメロディ、そして猫ダンスなど)と一体化して、楽しい/おもしろい/クセになるという感覚とともに急速に伝播してゆくことになる。つまり、この「ポピポピ」というフレーズは、きゃりーぱみゅぱみゅの「ぽんぽん」や「うぇいうぇい」と相通ずる性質をもつ、新しいポップ感覚に基づくカワイイのグローバルな交流を生み出しうるものなのである。そういう意味においては、このT-araによる「ポピポピ」が、きゃりーぱみゅぱみゅのきゃりー語と同様に若い世代の日常の何気ないお遊び/言葉遊びの中から湧き出てきたフレーズであることは、実に興味深い。

そして、11年の夏の大ヒット曲となったのが、映画『Sunny』の大ヒットとともに盛り上がった80年代リヴァイヴァルとディスコ・サウンド・ブームの決定打となった“Roly-Poly”である。この“Roly-Poly”は、11年6月29日にリリースされたミニ・アルバム“John Travolta Wannabe”の収録曲であり、このタイトルからしてレトロなディスコ・ミュージックの世界を意識した作品からのシングル・カットとして大ヒットを記録することになる。ちなみに、この“Roly-Poly”もまた“Bo Peep Bo Peep”を手がけたヒット・メイカー、新沙洞の虎(シンサドン・ホンレイ)が書き下ろした楽曲である。流行の最先端を的確にとらえ、最高の制作陣を揃えて、ゴージャスなドラマ仕立ての12分を越える長編MVまで制作し、まさに大ヒットがほぼ約束された形でリリースされたのが、この“Roly-Poly”であった。
“Roly-Poly”は、一目見て気に入った異性を自らのもつ魅力を武器に仕留めようとする、とても積極的に行動する女の子について歌った一曲である。楽曲の舞台となるのはナイト・クラブであり、ダンスフロアでの猛禽系女子の生態をリアルかつ克明に描写したような歌となってる。だが、実際に、ここに登場する主人公が獲物を見事に仕留めることができたのかまでは歌われていない。よって、これが本物の猛禽系女子についての歌であるのかは定かではない。聴き様によっては、チラリと見かけた気になる異性を目で追いながら、急激に高まる恋心に胸を熱くしている奥手な臨死系女子が、ひとりで勝手に猛禽系の妄想を脳内で暴走させている歌としても聴くことはできる。まあ、いずれにしてもドキドキと熱くなる恋する女の子の胸の内を歌っていることは間違いないところであろう。年頃の女の子であれば誰でも必ず経験するはずの恋の感情や胸の高まりが、この楽曲の主要テーマであり、ある意味では普遍的な一目惚れの恋の歌であるともいえる。つまり、誰もが楽曲の中で歌われている感情に共感することができ、その情感や状況を共有しやすい歌なのである。
“Roly-Poly”とは、小さくて丸くてころころしているもの、例えば赤ん坊や幼い子供や小動物のぷっくりしてころっとした佇まいを形容する言葉である。丸くころっとした対象の状態を音で表した語をそのまま言葉にした原初的な形容詞であるので、日本語にするならば「ころんころんの」や「まんまるの」といったようなフレーズが当てはまるであろうか。どちらかというと、「わんわん」や「にゃんにゃん」といった幼児語に系統的には近い、単純な語の反復からなる擬声語/擬態語的な言葉である。この“Roly-Poly”(ロリポリ)というフレーズの響き自体が、すでに子供や小動物等の可愛い姿形を表現し意味している、小さくて丸々としたカワイイを言い表す言葉であるのだ。
また、丸いものやクルクル回るものというのは、遥か遠い昔からディスコ・ミュージックとは切っても切り離せない関係にある。キラキラと光を反射してダンスフロアに彩りを降り注ぐミラーボール、DJブースのターンテーブルの上で回り続ける12インチ・シングルのレコード、グルグルと永遠に続くように反復するディスコ・サウンドのグルーヴ。その全てが回転する円や円形にまつわるものなのである。“Roly-Poly”とは、こうした全てのものに当てはまる形容詞であり、そのイメージ的にディスコの時代や文化、そしてディスコ・サウンドと結びついたフレーズであるともいえる。
そして、この“Roly-Poly”(ロリポリ)というフレーズが楽曲の中でダンサブルなディスコ・ビートにのせて「Roly Poly Roly Roly Poly」と繰り返し歌われるとき、この擬声語/擬態語的な言葉は、その原初の音(まるまる/ころころ)そのものへ意味(非意味)を後退させ、単なるカワイイの表現へと収斂されてゆくのである。また、その直感的にダンスを促すビート/リズムにのる際には、フレーズがシンコペートするように「ロリポリロリロリポリ」と言葉を分断し順序を組み替える反復がなされてもいる。これによって、「ロリ」と「ポリ」にズタズタにされた語は、細切れになって記号化し、より小さく細やかでプチなカワイイの感覚や気分を共有するための媒介分子となってゆくことになる。このようにして“Roly-Poly”という楽曲には、ノリノリできらびやかなディスコ・サウンドにのる「ロリ」「ポリ」「ロリ」「ロリ」「ポリ」という小さくて可愛らしい語がころころ転がり跳ね回っているように連なるサビのフレーズを一度でも聴くと、聴覚的にもイメージ的にも耳に脳にこびりついて離れなくなってしまう巧妙な仕掛けが仕込まれているのである。

Thee Electronic Tribe

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T-araが放ってきた一連のヒット曲をあらためて振り返ってみると、その源流にあるものは何だったのかと記憶の糸を手繰ってみたくもなる。すると、どうしても、とある楽曲に思い至ることになるのである。それが、少女時代の“Gee”だ。“Bo Peep Bo Peep”(ポピポピ)や“Roly-Poly”(ロリポリ)などの新しい時代の新しい感覚を含有した歌やサウンドをフィーチュアした、音楽的にも音的にも斬新なポップ音楽のトレンドをK-POPの世界に切り拓いたのは、やはりどう考えても、この楽曲なのである。

09年1月7日に発表された少女時代にとっての初のミニ・アルバム“Gee”のタイトル曲であり、同日にシングル・カットされた“Gee”は、その強烈にポップ性の高い曲調と耳に残る歌が爆発的な人気を呼び空前の大ヒット曲となる。KBSで放送されている音楽番組「Music Bank」では九週間に渡ってチャートの1位を独占するなど、まさにこの楽曲のリリースとともに韓国の歌謡界は嵐のような“Gee”旋風に一気に席巻されてしまったのである。また、この“Gee”の登場のタイミングは、新韓流の動きの原動力ともなったK-POPの大ブームの到来のタイミングともピタリと一致していた。全く新しい時代の全く新しいK-POPが生み出されていることを、主にYouTubeを通じて“Gee”という楽曲は、たった3分20秒で全世界に向けて知らしめ、その大ブームの規模と強度と多角的な方向性を一瞬にして決定づけてしまったのである。さらに、この年を代表するヒット曲が、1月初頭の時点ですでに出てしまったことも当時は話題になった。驚異的なまでの“Gee”の人気ぶりを見ていると、これを越えるヒット曲はそう簡単には出てこないであろうと思えた。そして、実際にそうなってしまったのだ。
少女時代の“Gee”とは、新韓流の時代の幕開けを飾る、時代の流れそのものを新しい感覚のK-POPの台頭の動きへと大きく引き寄せるような特大のホームランであった。やはり、今から振り返ってみても、この強烈なインパクトをもつ楽曲とともに新たな歴史の一頁が開いたという印象は非常に強くある。そう、この“Gee”は、まさにレボリューションな一曲であったのである。

楽曲のタイトルとなっている“Gee”とは、主に米英など英語圏・キリスト教圏において驚きの感情を表現する際に使われるフレーズである。この言葉は、“Oh my goodness”や“Oh my god”という三つの単語を使用する表現から誕生している。ただし、突然の驚きや瞬間的な驚きの状況に対応するためには、悠長に三つの単語を言っていては追いつかない。そこで、ただ単に“God!”や“Jesus!”とひとつの単語に切り詰めて発話される形式が、やがて定着するようになり、さらにそこからその頭文字だけをとって短縮形にした“Gee”が、咄嗟のときに口走るフレーズとして派生してきた。つまり、この“Gee”という言葉は、「おや」「まあ」「あれ」「わお」といった、基本的に言葉にならない、もしくは言葉/言語として精製される以前の驚きの感情を発声/発話したものに他ならないのである。
極めてシンプルで原初的な心の叫びに非常に近い驚きの感情を表す語であるから、“Gee”とは、それそのもので特定の意味をもつ言葉や複数の語の集合体であるところのフレーズではないといってよい。形式としては、驚きの感情を表現する感嘆符(!)を、口をついて飛び出してくる生の感情を記号化したものとして発声しているにすぎない。そして、この楽曲のサビのパートでは、その“Gee”という語がエレクトロニックなダンス・ビートにのって、ひたすらに繰り返されることになる。その記号と化した語の反復からは、もはや単純な驚きの感情がポンポンと飛び出してくるだけで何の意味的な広がりも発生しはしないのだ。そこでは、ただただ感嘆符が並べ立てられているのと同等の記号/語が歌われているだけなのだから。
この“Gee”という楽曲は、基本的には恋の歌である。とても普遍的なテーマを扱った、どこにでもあるタイプのアイドル歌謡といえるだろう。そこでは、突然の恋愛の感情に襲われた女の子の戸惑いや胸のときめきが歌われている。憧れの異性に向けられた息ができなくなるくらいに熱烈な恋心は、全く予測していなかったものだけに、胸の鼓動が高鳴れば高鳴るほどに驚きの感情とともに次々と押し寄せてくる。
そして、そんな恋の始まりとともに全く制御できなくなってしまった感情を実際に描写し表現している楽曲の歌詞の面でも、とても独特な言葉の使い方を聴くことができる。これは、恋する女の子ならではの言葉遣い/言語表現ともいえるものである。

激しく高鳴る胸の内の「ドキドキドキ」を表す「두근 두근 두근」(トゥグントゥグントゥグン)や、なかなか思い描く通りにはならない恋の進捗状況や相手の行動に対し「知らない知らない知らない」と頭を振る「몰라 몰라 몰라 몰라」(モラモラモラ)など、ありのままのストレートな表現で等身大の恋する女の子のままならぬ感情が歌い込まれる。そして、燃え上がる恋心が作用することによってキュートでカワイイ乙女と化してゆく内面は、「キラキラ」を意味する「반짝반짝」(パンチャパンチャ)、「ビックリ」を意味する「깜짝깜짝」(カムチャカムチャ)、「ピリピリ」を意味する「짜릿짜릿」(チャリチャリ)といった可愛らしさが前面に出たフレーズによって歌い表されている。
こうした同じ言葉を繰り返す語からは、感覚的な若さや瑞々しさが溢れ出すのを感じ取ることもできる。これは一種の若者言葉的なフレーズであり、新しい時代の新しい世代が共有している感覚からストレートに飛び出してきた新感覚の言語(の使用法)でもある。同じフレーズを繰り返す言葉自体は、擬声語や擬音語・擬態語として古くからあるものだ。だが、そのように慣用句としてあるだけでは、決して新しい感覚の言葉にはならない。しかし、それが少女時代やT-araやきゃりーぱみゅぱみゅによって歌われるとき、現代的なエレクトロ・ダンス・ビートや新韓流時代のK-POPの斬新なサウンドにのるとき、全く新しい時代の暗号や記号として機能する語へとアップデートされることになるのである。
そうした「ドキドキ」と動揺し「キラキラ」「ピリピリ」と舞い上がる感情を繰り返しの語で表現する流れの極めつけとして、こんなにも熱烈に恋している自分に対する驚きを率直に表す「Gee Gee Gee Gee Gee」(「おや」「まあ」「あれ」「わお」)という感嘆の語が羅列される、決定的な反復によるサビ・パートが歌われるのである。

この“Gee”という楽曲の歌い出しは、「너무 너무 멋져 눈이 눈이 부셔」(ノムノムモッチョ/ヌニヌニプッショ)といった一節からスタートする。いきなり「とっても素敵で/目が眩しい」と、好きになった異性が眩しすぎて直視できない状態にあることが歌われるのだ。普通に考えれば、何を寝ぼけたことを言っているのかと思わざるを得ないような告白である。しかしながら、それが、こんなにも可愛らしい言葉で歌われると、一気に乙女度が急上昇して聴こえるから不思議だ。そして、そのあまりにもバッチリな押韻は、ほとんど言葉遊びのように聴こえたりもする。この「너무너무」(ノムノム)や「눈이눈이」(ヌニヌニ)といった歌い出しで、この“Gee”という楽曲が、とても可愛くポップなアイドル歌謡曲であることを強烈に印象づけているともいえるだろうか。こうした先制パンチによって、その後に続く繰り返しのフレーズを多用するカワイイ歌がより引き立ち強調され、さらには「Gee Gee Gee Gee Gee」という耳にこびりつくような摩訶不思議な魅力をもつサビのパートが飛び出してきて、一種の猛烈なカタルシスへと至る。この一連の流れにより“Gee”は、歌い出しからサビまで一気に駆け上がってゆく、全てのラインにカワイイを凝縮した一曲となる構成を完成させているのである。

09年初頭のK-POPの世界に一大レボリューションをもたらした強烈な楽曲“Gee”は、プロデューサー・ティームのE-Tribeによって作詞・作曲された作品であった。アン・ミョンウォン(Ahn Myung-won)とキム・ヨンドゥク(Kim Young-deuk)のコンビからなるE-Tribeは、00年代の半ば頃からK-POPのシーンで次々とヒット曲を飛ばしてきた。そんな彼らの出世作となったのが、08年に発表されたイ・ヒョリ(Lee Hyo-ri)のヒット曲“U-Go-Girl”である。そして、その質の高い楽曲制作の実績によって名声が高まってきた中で、少女時代の大ヒット曲“Gee”が飛び出し、ヒット・メイカーとしての地位を決定づけた。
明快かつ耳ざわりがよく清々しいまでに底抜けにノリのよいダンス・ポップが、E-Tribeの作風の特徴である。10年12月3日にリリースされたT-araのヒット曲“Yayaya”もまた、E-Tribeが手がけた作品であった。そのまるで幼稚園のお遊戯にも使用できそうなポップで楽しくノリノリな曲調は、まさにE-Tribeならではのサウンドであり、そのキュートな歌と振り付けによってT-araの新たなカワイイ一面を見事に引き出してもいた。E-Tribeは、新韓流時代のK-POPにおける新たなポップ感覚や新たなカワイイを生み出してゆく、全く新しいタイプのプロデューサー・ティームとして新しい動きの先頭をひた走っていたのである。
そんな時代の勢いにのるE-Tribeが、総合プロデュースを手がけ手塩にかけて育成しデビューさせたガールズ・グループが、11年1月に“Supa Dupa Diva”で登場したダル・シャーベットであった。ダル・シャーベットは、このデビュー以来かなり短いスパンでコンスタントにヒット曲を放ち続け、今やヒット・チャート常連組の中堅ガールズ・グループという存在にまで成長してきている。この目覚ましい活躍ぶりを見る限り、ヒット・メイカーとしてのE-Tribeの勢いはまだまだそう簡単には衰えそうにない。

E-Tribeによる“Gee”という楽曲の大ヒットがなかったら、T-araの“Yayaya”はなかったかも知れないし、ダル・シャーベットも存在しなかったかも知れない。また、少女時代が“Gee”で大ブレイクし成功を手にしていなければ、もしかしたらガールズ・デイやエイ・ピンクも現在のような親しみやすい可愛い系のグループとして登場することはなかったかも知れない。この“Gee”という全くこれまでにはなかったような可愛らしい歌とダンス・サウンドを融合した楽曲が、この絶妙なタイミングでK-POPシーンから飛び出していなければ、その後を追って生み出された新世代/新感覚のカワイイを表現するアイドル・ポップスの流れは、これほどまでに大きくグローバルな広がりをもつものにはなっていなかったかも知れないのだ。そういった意味において、少女時代の“Gee”とは、とてつもなく大きなレボリューションであった。この極めて斬新でありながらもどこかエキゾティックで懐かしさすら感じさせてくれるヒット曲から、21世紀のカワイイの革命は間違いなく確実に一気に動き出したのである。
そして、きゃりーぱみゅぱみゅの“PONPONPON”もまた、少女時代の“Gee”のレボリューションの延長線上にあるレボリューションであったといってよいだろう。新しい時代/新しい世代によって編み出される言語感覚は、若者文化を反映するアイドル・ポップスの世界のコミュニケーション語として音楽と密接に結びついている。アイドルが、ありのままの感情や日常の遊びの中から派生したキラキラ/パンチャパンチャ/ウェイウェイした言葉を歌うとき、そこに新しい時代への扉が開く。そして、それがSNSのネットワークを通じて瞬く間に拡散し、ある世代に共通するポップ感覚へと押し上げられてゆく。おそらく、10年代のアイドル・ポップスを聴くとき、そこにいくつもの大変に重要な意味をもつ楽曲を耳にすることができるであろう。さらに新しいタイプの可愛らしい歌とサウンドへとアップデートされた10年代の“Gee”が出現するのも、そう遠い未来のことではないはずだ。

新感覚とレボリューション

21世紀、もはやどんなに新しいものといえども、うずたかく積み上げられた古くなったものを乗り越えることは極めて困難になりつつある。よって、それは、乗り越えず、ただ適当な場所をみつけて積み重なってゆく。そして、古くなったものから再生できそうな要素を拾い上げ、忘れ去られた竪坑を掘り起こして素材を発掘し、さらに新しいものが次々と魔法のように飛び出してくる。常に新しいものは、古いものの積み重なりの上に出現する。すると、その新たに積み重ねられたものの圧力と重みで古いものの構造は壊れ、やがて粉々に崩壊して、文字通りの過去の遺物と成り果てる。そして、文化と消費経済の表層でブームとなって増殖し続ける新しいものたちによって踏み固められ、次の新しいものたちが立ち上がるための土台となる固い地盤を形成し、いつしか遺物たちは、地層になって歴史の奥底へと沈潜してゆくのである。新しいのものは、時間の経過とともに各々の速度で古くなり、次に現れた新しいものは、そのかつて新しかったものの新しさの上に積み重なる。かつて新しかった古いものが、さらなる新しいものに押しつぶされ、土台や地盤や地層となり、拾い上げられる形で要素や素材を提供しながら新しいものの出現を支え続ける。新しいものは、古いものなしには成り立たない。
新しく登場したものが、その立場を確立するために自らの場所を奪取するという形での、新旧の場所争奪戦/領土紛争はもう起こらない。どれだけ古いものを被い尽くし、幅広くカヴァーすることができるかが、新しいものにとっての新しさを顕示するためのファクターとなる。できるだけ広く被い尽くし、できるだけ深く誰も予想だにしなかった場所から要素や素材を引き上げてくることで、新しいものの新しさは成り立つ。古い地層や新しい地層を縦横無尽に横断縦断し、時代の流れに見合った再生可能なものを、絶妙なタイミングで引き抜いてくるセンスが問われることになる。
地層の奥底にある化石は、研究の対象となるよりも、専ら再利用される。しかし、化石にも、地層にもなっていない、何にも被われることなくむき出しのままの大地の亀裂もいたるところに存在している。そこから熱いままの煮えたぎったマグマが噴き上げることもあるだろう。そのマグマの溶岩が表層を被い尽くすとき、今までに見えていた景色は一瞬にして変化する。まさに、これこそ最高のレボリューションであるのかも知れない。しかし、そうしてできた新しいものも、いつしか時代の経過とともに景色を変えてしまうことであろう。乗り越えず積み重ねる。過ぎ去ったレボリューションは、要素となり資材となって、次のレボリューションを準備する。

そうした全く新しい部分をもつものとして10年代初頭の世界の表層にはっきりと現れ出てきたのが、現在の10代後半を中心とするS世代や94lineの自然体なライフスタイルから表出してきたポップ感覚である。この独特の新しさをもつカワイイ文化は、光速ネットワークというスピーディで全地球規模の基盤をもって密接に連携し、瞬く間に横に拡散し、ネットワークの内と外のいたるところを被い尽くしてゆくのである。そして、そのネットワークの内と外のいたるところに、新時代の新世代によるポップ・カルチャー〜ポップ・ミュージックが確立される。90年代と00年代に溢れかえった消費のための物質が過去の遺物となって築きあげた土台と地盤と地層の上に。
21世紀、ポップ文化のレボリューションの中心地が、アジア地域へと移動してくるであろうことは間違いない。やはり、どう考えても今後の直近の世界において、何か新しいもののが誕生する可能性が最も高いのは、中国を中心とする中華圏の東アジア諸国である。21世紀初頭、この長らく発展途上にあった地域には、怒濤の如き人口爆発によって発生した若き群衆の発するエネルギーが猛烈な勢いで渦巻いている。あらゆるものが混濁し、古きも新しきも東も西も南も北も地層もマグマもゴチャゴチャに入り乱れているケイオティックな状況が、そこにはある。全く新しいタイプの文化の生成とは、こうした誰にも予想のつかない動きの中から起こるものなのである。
そして、今やその熱くうねる流れの中でどのように動いてゆくのかということも、それ自体が時代の中での表現の一部となりつつある。きゃりーぱみゅぱみゅは、旧世代的な価値観からくるアジアのエスニシティやエキゾティズムを表面的に受け入れるよりも、独自のルーツである原宿文化に根差した読モあがりのポップ・アイコンとしてのアイデンティティを前面に押し出し、ネットワークを通じてグローバルにダイレクトにコネクトしてゆく。その一方で、新時代の熱と伝統的な芸能の作法の両方のバランスとってゆく方法論もある。こうした方向性に意識的な、多国籍・多民族のメンバー構成によって文化と歴史的バックボーンの多様性を内包しているf(x)やmiss AといったK-POPのグループは、非常におもしろい存在だといえる。
アジアの若い世代が形成する混沌から噴き出すポップ文化やポップ感覚が、どのようにグローバルな21世紀の文化の大潮流へと繋がり、そこで共振する世界的10代世代との共鳴によって、いくつもの変奏を生みながら広まってゆくのか、非常に興味深いものがある。
このS世代/ネオ・グローバル・ティーンズの動きが、ポップ・ミュージックの世界にリアルなグローバル・レボリューションを巻き起こす可能性は大いにある。今すぐに何かが噴出するように現れて一気に時代の風景が変わってしまうようなことはなくとも、これまでに積み重ねられてきたものが、これからも数年/数十年に渡って影響を及ぼし続けてゆくことで、何かが起こりうる下地や環境は、かなりしっかりと整ってゆくことになるはずだから。
何か斬新なものが、時代の移り変わりに押し流されず/押し潰されずに、パックリと開いたままになっている深い裂け目の奥深くの熱いままのマグマと接触するとき、きっと想像を絶するようなとんでもないものが、そこから噴出してくるに違いない。

現在のカワイイをじっくりと眺めてみれば、それは全面的に新しいものでは決してない。きゃりーぱみゅぱみゅの“PONPONPON”も、E-Tribeによる少女時代の“Gee”も、どこかノスタルジックな部分を決定的に有している。
過去数十年間の原宿を舞台にしたポップ文化・芸能文化の香り、そのノスタルジーとセンチメンタリズムを内包しつつもアンビヴァレンスに展開する“PONPONPON”のメロディは、全く新しいポップでオシャレな感覚が、実は全く新しくはないポップとオシャレの感覚と共存している(共存しうる)ものであることを教えてくれる。また、“Gee”の旋律には、明らかにアジア大陸の伝統的なメロディが息衝いているのを感じ取ることができる。これらは現代的な新しい文化・流行であるものの、やはりどこかしら過去の芸能や伝統文化/ポップ文化の、最新型の焼き直しという部分も絶対的にもつのなのである。
21世紀のカワイイは、こうした新しいものと古いものの枠組みを越えて、そうしたものの流れをも組み替え/読み替えながら、日常に埋没しているもののリクリエーションや、ずっと以前よりそこにあるもののポスト・プロダクションといった作業の中からも確実に生み出され、地球規模の共通世代感覚へと着実に育まれてゆくはずである。カワイイは毎日いたるところで発見され、その感覚が共有され拡大・拡散してゆく。そして、その動きが激しく熱を帯びてゆく場所に、新しい時代の新しいポップ文化が湧き出してくるのだ。
カワイイの素となるものは、いたって何の変哲もないものである。それは、わたしたちの日常生活の(地層化した部分の)あちこちに点在・散在している。それを、何かおもしろいものとして拾い上げることができるのが、感覚の若さであり、ある特定の世代に備わったセンスである。それこそ感覚が錆ついてしまっては、そこに何もおもしろいものは見えてこないだろう。次に、現在の10代の若き感覚が、ポンコツの大量消費社会が生み出したガラクタやオンボロの中から拾い上げてきて素材や要素とするものは何なのであろうか。興味は尽きない。(12年)

追記
21世紀のカワイイは、とても儚いものでもある。カワイイとは、どこにあるものなのであろうか。どこにでもあるものは、どこにもないものでもある。原宿から生まれるカワイイ。新大久保から生まれるカワイイ。明洞から生まれるカワイイ。台北から生まれるカワイイ。上海から生まれるカワイイ。シンガポールから生まれるカワイイ。ジャカルタから生まれるカワイイ。そこにあって、ここにはないものの出現。それが、カワイイの感覚が生み出されるということでもある。そして、そこから目にも止まらぬ速さで広がってゆくカワイイの動きとは、目に見えないネットワークの極めて脆弱な繋がりから成り立っている。そこには現実感のない(共感という)部分も、多分に含まれていたりする。全世界的なカワイイの感覚は、あらゆる場と場面において強度の差を有しているといえる。そして、本当にリアルに感じられるものというのは、実はそれほど多くはないのかも知れないのである。共感や共鳴は、目に見えるものではない。それがそこにあると思い込むことを前提としている。その確信が得られなくなるとき、カワイイの大前提は脆くも揺らぎ始めるだろう。
音楽やそこで歌われている歌詞は、目には見えないものである。しかし、その音が聴こえているとき、それが極めてすぐそばにまでやって来ていることを感じることができる。実際、聴こえるということは、音が空気の振動となって直接に接触していることなのだから。音楽やそこで歌われている言葉は、目に見えるものではないし、音が通り過ぎ空気の振動がおさまるとき消滅してしまうものでもある。しかし、聴こえるという接触を経ることによって、リアルにそこにあると確信できることにもなる。そして、それはリアルに同じものを聴いている他の誰かのところにもあるものであり、感覚的な繋がりが実感できるものとなってゆく。音楽と言葉は、そこで共感と共鳴の媒介物となる。そこに出現する一瞬の思い込みと確信の裏打ちをするという意味において。
また、儚さとともに、グローバルな資本主義経済とそれを支える大量消費社会との兼ね合いも問題となってくる。カワイイは、そこからどれだけ抜け出せるのであろうか。21世紀のカワイイもまた、商品となって消費し尽くされるものでしかないのか。では、時代の暗号であったり記号化しているものは何のためにそうなっているのであろう。細切れになったコロコロと小さくカワイイものは、まんまと網の目をかいくぐってゆくようにも思えるのだが。間違いなくアイドル・ポップスとは、音楽産業の一部である。商品として、その中に組み込まれており大量消費される宿命にある。常に100万枚以上売れるAKB48のシングルの消費期限は、極めて短い。しかし、21世紀のアイドル・ポップスが、その枠組みの中から、少しずつはみ出してきていることも事実である。それは加速する期限付きの消費のサイクルと明確に闘うものとなりつつある。そこでは何かが少しずつズレ、少しずつ変化している。グレーゾーンも拡大している。デジタル・ネットワークを通じて、アイドル歌謡が拡散しボーダーを越えて広がってゆくこと、それはグローバリズムの一部としての広がりであり、それとは別のグローバリズムの表れとしての広がりでもある。10年代、ふたつのグローバリズムは大きく相反しながらも重なり合い、より強力な動きとなって全世界を飲み込んでゆくであろう。その時、反グローバリズムの動きは、どのようなものになるべきなのだろうか。“PONPONPON”や“Gee”が、圧倒的に新しいようでいて、実はそれほど新しくはないものをも含有しているのは、何もかも流通しやすい型にはめて画一や均質へと引き寄せるグローバリズムに対抗する動きであるともいえるだろう。新しい時代の扉をひらくアイドル・ポップスとは、無意識のうちに反グローバリズム的な性質も備えている。そして、それは、決してとらえられず、かいくぐり続けるものなのである。
本当に革命的なものとは、既成の枠組みを突き破る強烈な突破力をもつ。そして、そこにあった枠組みすらをも新たなものに作りかえてしまうことになる。現在のS世代や94lineが手にしている最先端のテクノロジーは武器になる。その両者の関わり方が、旧来の想像力を遥に越えてゆく限りにおいては。若い世代は、どこまでもどこまでも先行する旧世代に追いつかれないように逃げてゆく。そして、どうしても逃げ切れなくなったとき、衰えと老化が始まる。古臭いルールにとらわれずに突っ走り続ける、突き抜けたオシャレやオモシロやカワイイを感覚する若さは、やはりあらゆるものに対して有効な武器なのである。
今はまだ土台作りの時代である。やがて、機が熟す時がくる。そこでこれまでに積み重ねられてきたものから跳び上がるのだ。強力な重力に反して、どれくらい跳べるのであろうか。それとも跳び上がることができずに、これまでの地表・地層の上にそのまま立ち続けることになるのか。ロードス島はどこだ。そこで跳べ。歴史の終焉の果ての抜けるような透明感とカワイイに貫かれたアイドル・ポップスを耳にすることを夢想しながら。

新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉(一)
新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉(二)



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新しいポップ文化とカワイイ感覚〈序説〉(三) 溝!/BIGLOBEウェブリブログ
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