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zoom RSS 東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる(二)

<<   作成日時 : 2012/06/30 03:00   >>

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「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」

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原典/源流をたずねて

5月20日の東京女子流の日比谷野外音楽堂でのコンサートでは、全22曲のセット・リストのうち、ただ一曲だけ新曲として披露された楽曲があった。それが、“LolitA☆Strawberry in summer”である。この楽曲は、03年に発表された五人組アイドル・グループ、SweetSのデビュー曲のカヴァー・ヴァージョンであった。実は、これ以前にも東京女子流は、このSweetSの楽曲をカヴァーして発表している。それが、11年2月に五作目のシングルとしてリリースされた“Love like candy floss”である。こちらの原曲は、04年にSweetSの三作目のシングル曲として発表されている。この流れからいうと、この“LolitA☆Strawberry in summer”が、二ヶ月の活動休止開けの8月に東京女子流の復帰後の初シングルのタイトル曲もしくはカップリング曲となる可能性は非常に高い。
東京女子流の“Love like candy floss”は、11年5月4日に発表されたファースト・アルバム“鼓動の秘密”の収録曲でもある。10代の淡い恋愛感情の揺れ動きを、捕まえようとしても手の中で溶けて消えてしまう甘く淡い夢のような綿菓子に準えた、正統派の甘酸っぱいアイドル系メロディアス・ポップスの秀曲である。この東京女子流の新ヴァージョンは、基本的にオリジナルのSweetSのヴァージョンの様式を踏襲した非常に原曲に忠実なアレンジに仕上げられている。これは、04年のSweetSのヴァージョンも11年の東京女子流のヴァージョンも、ともに松井寛がアレンジャーを務めていることが、その最大の理由と考えて決して間違いではないだろう。
ファースト・アルバム“鼓動の秘密”のリリースからセカンド・アルバム“Limited addiction”のリリースまでのインターヴァルは、わずかに約十ヶ月あまり。ただし、この間に東京女子流は、音楽的な方向性を大きく舵を切るかのように路線変更させている。正確には、より明確にサウンドの傾向を絞り込み、方向性を定めて、ひとつの東京女子流らしいアイドル歌謡のスタイルを確立したというべきだろうか。サウンド面のブレインである松井寛が得意とする、まだライヴ・インストゥルメンツが主体であった頃の80年代のダンス・ミュージックのグルーヴ感を前面に押し出した音楽性が、よりはっきりとグループの音のコンセプトとして打ち出されるようになってきたのである。
“Love like candy floss”のカヴァー・ヴァージョンが収録されたファースト・アルバムは、さわやかでストレートなアイドル・ポップスや昭和歌謡のフレイヴァーを漂わすナンバー、そして少女たちが丹精込めて歌いあげるバラード曲など、なかなかに多種多様なサウンドが盛り込まれた作品であった。また、そのそれぞれがそれぞれにアイドル・グループのデビュー・アルバムとしてはかなりのレヴェルにまで達したものとなっており、東京女子流の五人がもつ豊かなタレント性とグループとしてのポテンシャルの高さをまざまざと伝えてくれていた。ただ、この時点ではまだ、オールドスクール調のディスコ系のダンス曲というのは、そうした多様な方向性の中のひとつのヴァリエーションに過ぎなかったのである。
シングル曲としてリリースされた“Love like candy floss”のカヴァー・ヴァージョンは、今では東京女子流の代表曲のひとつにまでなっている。今回、再びSweetSの楽曲からチョイスされた“LolitA☆Strawberry in summer”もまた、新たに松井寛のアレンジによってオリジナルの風合いを残しつつも東京女子流らしさを感じさせてくれるアッパーなノリの一曲に生まれ変わることであろう。おそらく、今後のライヴ・パフォーマンスには欠かせぬ一曲になってゆくに違いない。

また、東京女子流のカヴァー曲としては、11年8月(10年後の8月)に発表されたZONEのトリビュート・アルバム“ZONEトリビュート〜君がくれたもの〜”に収録された“僕の手紙”がある。ここに東京女子流は、中川翔子(Shoko Nakagawa)、SCANDAL、ステレオポニー、bump.y、Tomato n'PineなどといったアーティストたちとともにZONEの楽曲をカヴァーする側として参加している。そこで東京女子流がトリビュート曲にチョイスしたのが、03年10月にZONEがシングル曲として発表した“僕の手紙”であった。この少年があふれ出る思いを綴った手渡すことのできぬ手紙をモティーフにした非常に切ないロック・バラード曲を、ド渋なジャズ・ロック調に新たにアレンジしたカヴァー・ヴァージョンで、東京女子流の五人は原曲のよさをさらに引き立てる切々と歌い込む奇跡的名唱を録音している。この楽曲が、ZONEのトリビュート・アルバムの中でも出色の出来であったことは言う間でもない。
また、この10代の淡い恋心や揺れる気持ちを歌った楽曲は、東京女子流のオリジナル楽曲とも主題的にとても近いものがあり、非常に親和性が高い。この名カヴァー・ヴァージョンは、後にセカンド・アルバム“Limited addiction”に再収録されることになるが、ライヴなどで度々披露されてきた影響もあったのか、アルバム全体の流れの中にもしっくりと馴染んでいる。現在では、もはや東京女子流の持ち歌のひとつとして完全に定着しているといってもよいであろう。
SweetSは06年に解散し、ZONEは05年に解散し現在再結成しているが五人のオリジナル・メンバー全員での活動は行っていない。こうした解散してしまったグループの楽曲を、東京女子流が歌い継いでゆくことにも少なからず意味があるものと思われる。オリジナルを歌ったグループが消滅するとともに、そのグループが歌っていた名曲の数々も、もう二度と歌われることなく、いつしか忘れ去られ消えていってしまうのだとしたら、誰かの手でそれを阻止するしか、その楽曲を忘却から救い出す手だてはない。東京女子流のカヴァー曲は、00年代に誕生した数々のアイドル歌謡の遺産を引き継ぐものという意味合いももっているようである。
こうして、新たなアレンジで過去の名曲を見事に現代に蘇らせるカヴァー・ヴァージョンは、もはや東京女子流の十八番となりつつある。その楽曲のよさをより引き立てる丁寧に情感を歌い込む歌唱は、この若き実力派の五人組ならではのものといえるであろう。東京女子流が身につけた名曲再生術には、かなり高度なものがある。

SweetSと東京女子流は、ともに大手レコード会社のエイベックスが主催する総合育成スクール、エイベックス・アーティスト・アカデミー出身のグループである。つまり、両者は先輩と後輩の間柄にあたる。現在、こうした幼いうちから本格的に歌やダンスをトレーニングするタレント育成スクールの存在は、次代のアイドル歌謡界の担い手を輩出する広い裾野を形成する下部構造として、ほぼなくてはならぬものとなってきている。それゆえに、こうしたスクールの場において、先輩から後輩へと間接的にでも伝統として受け継がれてゆくものが生ずることも大いにある。
おそらく東京女子流のメンバーたちはレッスン曲として、SweetSの楽曲をアカデミーのスタジオで何度となく歌い踊ってきたのではなかろうか。そういう意味では、こうしたエイベックス系列の先輩たちの楽曲が、彼女たちのパフォーマンスの原点になっているといっても過言ではないはずだ。SweetSと東京女子流の音楽的な傾向や方向性は少しずつ異なってきているが、同じ育成スクールで学んだことから育まれたパフォーマンスの伝統は、いつまでも同じ血筋として継承されてゆくことになるのではなかろうか。東京女子流は、新たなサウンドと歌唱によって時代を越えて蘇ったSweetSの楽曲のカヴァー・ヴァージョンの中で、そのルーツの部分をチラリと垣間見せてくれている。
また、東京女子流は、そうしたアカデミー時代から歌い踊り込んできていると思われるアーティストのカヴァー曲を、定期ライヴの場で数多く披露している。そこで取り上げられているのは、TRF、SPEED、Folder5、Dream、玉置成実(Nami Tamaki)、SweetSなどの楽曲である。そして、最近のものでは、K-POPアイドルのKARAの“ジェットコースターラブ”や少女時代の“Kissing You”を度々歌っていたりもする。
だがしかし、そうした中でも、やはりSweetSというグループは、東京女子流にとって非常に特別な存在であるといえるだろう。両者のデビューには約7年のタイムラグがあるが、このSweetSこそが後の東京女子流を生み出すことになる直接のひな形であったといってよい。SweetSの作品には、後の東京女子流の作品の中で発展してゆく要素の芽をいくつも聴き取ることができる。東京女子流は、かつてSweetSが模索を試みた00年代以降のアイドル・ポップスの新たな音楽スタイルやアイドル歌謡の歌唱面での質の向上といった部分を、より凝縮して、それをさらに先まで押し進めているといえる。また、ほぼ志し半ばで解散することとなったSweetSの方向性や活動面での失敗から学んでいる部分というのも多々あるのではなかろうか。
そうした先達が活動を通じて残してきたものからデビュー以前のアカデミー時代より継承してきたものが、東京女子流というグループならではの特異性の一部を間違いなく形作っている。そのような実践によって検証され裏打ちされた部分が、同じ育成スクール出身というこれ以上にない強固な繋がりを通じて伝えられ、現在の多くのグループがひしめき合うアイドル戦国時代と呼ばれる状況の中でも、他の勢力とは被らない立ち位置を占める東京女子流の独特の個性や絶対的な強みを生み出す源となっているに違いない。

あらためてエイベックス・アーティスト・アカデミー出身者を含むエイベックス系列のガールズ・グループの流れを見てゆくと、東京女子流やSweetSよりもひとつ前の世代にFolder5を見出すことができる。
Folder5は、97年にデビューした七人組の男女混成グループ、Folderを母体として、ここから女性陣五名が独立する形で00年にデビューしたグループである。Folderは、安室奈美恵(Namie Amuro)、MAX、SPEEDなど多くのタレントを輩出した沖縄アクターズスクール出身のグループとしても大いに注目を集めた。このことは、00年デビューのFolder5もまた、90年代後半に時代を席巻した沖縄アクターズスクール世代のガールズ・グループの流れに属する五人組であることを意味する。よって、細かい系統を見ていった場合には、00年代以降のSweetSなどのガールズ・グループとは、少しばかり異なる系譜に属しているといえるのかも知れない。沖縄アクターズスクールの流れを汲むFolder5までと、エイベックス・アーティスト・アカデミーから誕生したSweetS以降では、巨視的な視点で見れば非常に近い流れではあるのだろうが、やはり受け継ぎ継承しているものは自ずと違ってきているのである。
この沖縄アクターズスクール勢の活躍によって先鞭をつけられ、その後に全国的に広まり活況を呈してゆくことになる大小のタレント育成スクール。こうした動きの中でシンガー/ダンサー育成の土壌がしっかりと形成され、00年代以降にはそこから数多くのアイドルたちが生まれている。札幌のスタジオ・ランタイム出身のZONEやアクターズスクール広島出身のPerfumeを筆頭に、モーニング娘。などのハロー!プロジェクトのオーディション合格者やAKB48を始めとするその系列グループのメンバーなどにも、幼い頃よりアイドルを目指して育成スクールに通いトレーニングを重ねてきたという者も多いのであろう。また、こうしたタレント育成スクールの出身者によって、現在の大変に層が厚くヴァラエティ豊かなローカル・アイドル・シーンの全国的な盛り上がりが形作られている現実にも決して見逃せないものがある。列島各地に群雄が割拠するアイドル戦国時代の乱戦模様は、00年代以降に全国展開していったタレント育成スクールが盛況であり続けていることと決して無縁ではないのだ。
現在、このSweetS直系のエイベックス・アーティスト・アカデミーの伝統の流れは、過酷なアイドル戦国時代を生き抜くために少しばかり新たな路線へと向かっていった東京女子流をひとつ飛ばして、11年にデビューした四人組のPrizmmy☆へと受け継がれつつある。こうしてそれぞれのルーツから流れ出る伝統の系譜は、いくつもの傍流を形作りながらも、アイドル歌謡の時代が続く限りどこまでも流れてゆくのである。

SweetSが活動を行っていた03年から06年にかけての時期とは、00年代のアイドル歌謡が少しばかり谷間に落ち込んでいる時代であった。この時期のモーニング娘。は、ちょうど00年代初頭にヒット曲を連発していた当時の主力メンバーが次々と卒業し、世代交替が進行するとともに、やや戦力的には衰退へと向かう下降線を辿る過程にあった。また、後に一世を風靡するAKB48が、秋葉原の秋葉原48劇場で活動を開始したのは05年12月のことである。彼女たちの存在が社会現象にまでなるには、あと数年を待たなくてはならなかった。そういう意味では、SweetSというグループは活動する時代に恵まれなかった、非常に不運な五人組であったのかも知れない。歌唱面でもダンスの面でも充分すぎるほどの実力を備えていただけに、これは本当に惜しいとしか言いようがない。SweetSの元メンバー、瀧本美織は、現在は女優としてTVドラマ等で活躍している。
そんなアイドル・グループにとってのいわゆる冬の時代であったからこそ、SweetSというグループは、かなり本格的でアーティスティックなサウンドの音楽性や、10代前半という年齢にしては非常に大人びた歌唱による、極めて質の高い作品を作り上げることで勝負に挑んでいた節がある。これは、ある意味では、宇多田ヒカル以降のポップス/ティーンエイジ・ポップスの形としては、まさにあるべき姿であったように思われる。しかしながら、少しばかり時期が悪すぎたようである。時代の趨勢に逆らって健闘を続けたSweetSであったが、結局はそれに押し切られる形で大輪の花を一度も咲かせることなく散ってしまうことになる。
現在、東京女子流の作品では専属のアレンジャー状態となっている松井寛は、いくつかのSweetSの楽曲に編曲者として携わっている。当時、既成のアイドル歌謡の枠から大きく一歩踏み出したSweetSのクオリティの高い作品で、白けた世間を唸らせ頷かせようという、あまり勝ち目のなさそうな大勝負を挑んでいた制作陣のひとりに名を連ねていたのが松井であったのだ。もしかすると、このSweetSでやり残したことを東京女子流で存分に吐き出しているという部分も、どこかにはあるのではなかろうか。これは、もはや7年越しの時代を超越したリマッチである。そうした背景があるからこそ、この東京女子流では過去に掴み損ねたものを何としてでももぎ取らねばならないのであろう。今ここで東京女子流が本格的なダンス・サウンドを導入した音楽的な方向性で大きな成功を収めることで、松井たちが00年代前半からSweetSというグループで行ってきた音作りが、決して間違いではなかったことをやや迂回する形で証明することにもなるのだから。
SweetSが04年に発表したシングル“Grow into shinin' stars”に収録されたカップリング曲に“Never ending story”という楽曲がある。松井寛が編曲を手がけた、バリバリに正統派のディスコ・フュージョン系のサウンドで展開される軽快かつ爽快な青春讃歌である。恋したり悩んだりを繰り返す毎日の中で、ひとつひとつ物事を学びながら、少しずつ大人になってゆく10代の少年少女の未来に向かって大きく開かれた終わることのない物語。それを、SweetSの五人が溌剌と歌いあげる。希望という風を受け大きく帆を膨らませながら青春の日々を真っ直ぐに突き進んでゆくような、実に清々しい一曲である。その輝かしい日々と小さな胸に秘められた大いなる物語には、決して終わりはないように少年少女たちの瞳には映る。まさに「ひたむきなら/It's never ending story」なのである。
奇しくも、10年5月5日に発表されたデビュー・シングル“キラリ☆”の中で、東京女子流は「物語はここから始まる」、そして「物語は永遠に続く」と高らかに宣言するように歌っている。SweetSが紡ぎ出した物語は、グループは解散して消滅しても、やはり終わってはいなかったのである。東京女子流の五人は、このデビュー曲の中で先輩のSweetSからしっかりと“Never ending story”の物語の続きを引き継いでいることを溌剌と歌い上げている。つまり、一度終わりかけたかのように見えた物語は、東京女子流の“キラリ☆”とともに再び動き出したのである。そして、その物語を、五人の少女たちが今どこまでも大きく膨らませようとしている。大いなる希望の風を受けて、遂に進路は12月22日の日本武道館へと定められたのである。


始まりの2010年5月

10年5月5日。この日、ももいろクローバー(現在はももいろクローバーZ)はシングル“行くぜっ!怪盗少女”を発表し、念願のメジャー・デビューを果たした。09年にインディーズより2枚のシングルをリリースし、メジャーのアイドル戦線に殴り込みをかける勢いで登場したももクロは、この“行くぜっ!怪盗少女”でオリコン週間チャートの第3位を獲得している。
東京女子流のデビュー・シングル“キラリ☆”は、妙な巡り合わせで同日のデビューとなったももクロの“行くぜっ!怪盗少女”のスマッシュ・ヒットの陰で、オリコン週間チャートの第30位に何とか食い込むのがやっとであった。チャート・アクションの面から見れば、東京女子流のメジャーのアイドル戦線における滑り出しは決して好調と呼べるようなものではなかった。その“キラリ☆”では「物語はここから始まる」と歌われているが、そこで何らかの新しい物語が実際に始まっていることに気づいていたのは、まだほんの一握りの人のみであったのである。
そして、その三週間後の5月26日には、ハロー!プロジェクトに所属するスマイレージ(Smileage)がシングル“夢見る15歳”でメジャー・デビューを果たしている。09年から10年の春にかけてインディーズで4枚のシングルを発表し、デビュー前の事前キャンペーンも念入りに行ったスマイレージは、このデビュー・シングル“夢見る15歳”でオリコン週間チャートの第5位にランク・インしている。

非常に奇妙な因縁というべきであろうか、この10年5月に相次いで三つのガールズ・アイドル・グループがデビュー・シングルを発表し、アイドル戦国時代の初陣を飾っているのである。ももクロと東京女子流、そしてスマイレージの間のライヴァル関係は、ある意味では生まれついての宿命であるのかも知れない。
この同期三組の先陣争いにおいて、明らかに東京女子流はスタートの時点から思いきり出遅れてしまっていた。メジャー・デビュー以前にもインディーズでシングルを発表し、すでにライヴのステージにも立って活発に活動を行っていたもももクロやスマイレージと、完全にまっさらな状態でデビューした東京女子流では、かなり知名度・認知度の点で差があったことは確かなのだが。このデビューからの約二年間は、東京女子流の五人にとって、ずっとライヴァルたちの背中を追いかけて懸命に走り続ける日々であったのだ。

まず、この宿命のライヴァル関係の中で一歩先行したのはスマイレージであった。ハロー!プロジェクトが設立した実質的な研修生制度である、ハロプロエッグの第一期メンバーの中でも特に目立った活躍をしていた四人によって結成されたスマイレージは、デビュー前から研修生中心の新人公演や他のハロー!プロジェクト所属のアーティストのコンサートに出演したりと、比較的大きめの舞台に立つ経験をそれなりに積んでいたせいか、このメジャー・デビュー時には、ほとんどアイドル・グループらしいアイドル・グループとして完成されていた観があった。また、ハロー!プロジェクト所属というしっかりとした肩書きや後ろ盾があった点も大きくプラスに作用していたのであろう、10年にデビューした新人グループの中ではちょっぴりだけ飛び抜けていた。そして、そのスタート・ダッシュの勢いのまま、この年の年末の第52回日本レコード大賞では最優秀新人賞を獲得している。
ただし、このまま順調にアイドル戦国時代を勝ち抜けてゆくかのようにみえたスマイレージであったが、その翌年の11年には大きな変節の時を迎えることとなる。8月にシングル“有頂天LOVE”をリリースした直後に、オリジナル・メンバーの小川紗季がグループから卒業してしまう。この初期メンバーの四人でのラスト・シングルとなってしまった“有頂天LOVE”でみせたスマイレージ流のハイパーなアイドル・ポップの完成度の高さには、相当にすさまじいものがあっただけに、ここから一気にもう一段上へとブレイク・スルーしてゆきそうな兆しが見え始めていた矢先の小川の卒業はグループにとって非常に大きな痛手となった。しかしながら、激震はこれだけで終わりではなかったのだ。その後、12月に発表するシングル“プリーズ ミニスカ ポストウーマン!”を最後に前田憂佳がグループから卒業することとなる。突如としてオリジナル・メンバーが半分の二人(和田彩花と福田花音)のみになってしまうという事態に見舞われたスマイレージであったが、この間に並行してオーディションを行い四人の新メンバーを迎え入れることで、この大きな危機に対処している。ただし、オリジナル・メンバーでのパフォーマンスの完成度がかなりの高さまで達していただけに、このわずか数ヶ月間での大きなメンバー交替が、相当な戦力低下に繋がってしまった印象は否めない。11年は、前年の最優秀新人賞グループであるスマイレージにとって計らずも試練の一年となってしまった。
現在のスマイレージは、様々な新しいことを経験するごとにメキメキと力をつけてゆく新メンバーの成長を待ちながら、グループとしてのまとまりや総合力の立て直しの時期にある。新メンバーのうちの最年少である田村芽実は、まだ13才という幼さ年齢であったりするのだ(ただし、世代的には東京女子流の新井ひとみと同年代となる)。この新メンバーたちが、これから年齢的にミドル・ティーンからハイ・ティーンへと成長しグループとしてのパフォーマンスも変化してゆくことを考えると、四人組から六人組へとスケール・アップしたスマイレージがアイドル・グループとしてのピークを迎えるのは、もう少し先のことになるのではなかろうか。

そんなスマイレージの思わぬ停滞とは対照的に、11年に怒濤の勢いで最前線に踊り出し大ブレイクしてしまったのが、ハチャメチャな弾けっぷりでは他の追随を許さないももクロであった。この年は3月に東日本大震災があり、その翌月の4月にはももクロの結成初期からのメンバーであった早見あかりが突然グループから脱退している。東北地方太平洋沿岸部を襲った大津波の計り知れぬほどの被害、福島第一原子力発電所で起きた大事故、計画停電などなど、あの3月11日を境にして日々の生活の風景はガラリと変わってしまった。そんな中、早見あかりの脱退により新たに五人組のグループとして再出発することとなったももクロは、ももいろクローバーZへと改名し再出発を図っている。そして、社会全体が大きく揺らぐ不安に満ちた暗い危機の時にあっても、その運命に真っ向から立ち向かい全力で瞬間瞬間を駆け抜けてゆく強く逞しい少女たちの姿が、多くの人々の共感を生み、項垂れがちな人々の心を勇気づけることになったのであろう。7月にシングル“Z伝説 〜終わりなき革命〜”と“D'の純情”、そしてファースト・アルバム“バトル アンド ロマンス”を立て続けに発表する頃には、ももクロZを取り巻くフィーヴァーは、ほぼ沸点を迎えつつあった。
11年8月20日、ももクロZは、よみうりランドの野外ステージにおいてコンサート「サマーダイブ2011〜極楽門からこんにちは〜」を開催し、約6000人の観客を動員している。そして、その約四ヶ月後の12月25日にはさいたまスーパーアリーナにおいて「ももいろクリスマス2011」と題したクリスマス・コンサートを行い、約三万人の観客を動員したのである。このわずかな期間にコンサート会場の規模が、何と五倍に膨れ上がっているのだ。これは、まさしく11年のももクロZの人気の爆発ぶりをよく示すエピソードであるといえるだろう。震災後にももクロZと改名したあたりから、にわかに周囲がさざめき立ち、あれよあれよという間にアリーナ級の会場を超満員にするほどの存在へと階段を駆け上がっていってしまったのだ。そして、12年4月21日と22日には、横浜アリーナにおいて「ももクロ春の一大事2012〜横浜アリーナまさかの2DAYS」を開催。両日合わせて、のべ約三万五千人を動員している。
ここにきてももクロZは、本格的にアイドル戦国時代と呼ばれた共同戦線を張ってシーン全体を盛り上げてきたマイナー・アイドルの集団からひとりだけ勝ち抜けた観がある。今、たった五人でアリーナ級の会場を沸騰させることのできるアイドル・グループが、彼女たちのほかにいるであろうか。これはまた、ここ数年大混戦となっていたアイドル戦線を征したももクロZが、これまたひとり勝ち状態にあったAKB48への挑戦権を確実に手にしたことを意味しているともいえる。12年の後半期以降、この両者の間にいかなるバトルが静かに展開されてゆくのか、実に楽しみである。

東京女子流は、12月22日に日本武道館での単独公演を行うことが決定している。この一万人規模の会場でのコンサートを成功させることで、大きく先行しているももクロZとの距離を少しは縮めることができるのではなかろうか。グループの態勢を立て直し猛烈な勢いで追い上げを図ろうとしているスマイレージとともに、この宿命づけられた三つ巴のライヴァル関係は、今後もしばらくは続いてゆきそうである。東京女子流にも、スマイレージにも、ももクロZの華々しい活躍に刺激を受け、鼓舞される部分は大いにあるであろうから。

スマイレージが“夢見る15歳”でメジャー・デビューした10年5月26日にリリースされ、桁違いの売り上げ枚数でオリコン週間チャートの第1位に輝いていたのが、AKB48の“ポニーテールとシュシュ”であった。この“ポニーテールとシュシュ”の通常盤は、第2回選抜総選挙の投票に必要なシリアル・ナンバー付きであったため、発売初週に50万枚を越える売り上げを記録している。後に様々な物議を醸すことになるAKB商法の弊害の部分が大きく前面に出てき始めたのが、この加熱する総選挙の投票と絡んだ“ポニーテールとシュシュ”のリリースあたりであったのではなかろうか。
ささやかに三組の新人ガールズ・グループがメジャー・デビューした10年5月、すでにAKB48はアイドル・グループというよりも周辺の諸々をも巻き込んだひとつの社会現象になりつつあった。その三組が飛び込んで行ったアイドル戦国時代の動きとは、ひとり勝ち状態にあるAKB48の動きとは無縁のものであるのだろうか、それともAKB48へと連なる業界のヒエラルキーを多分に意識したものであったのであろうか。今やももクロZは「“ポストAKB48”の一番手」とも称される存在となりつつある。アイドル戦国時代の混戦から抜け出し、ももクロZが、東京女子流が、スマイレージが、頂点に立つAKB48に肉薄してゆくこととは、いかなる意味をもつことなのであろう。はたして、その先にあるものは、アイドル・グループとしての最終目標になり得るものなのだろうか。


生のものと火を通したもの

AKB48の総合プロデューサーである秋元康は、「『偶像としてのアイドル』を『そこに生きているアイドル』に変えたい」と語っている。AKB48とは、アイドルとして、ひとりの人間として、リアルな部分をすべてさらけ出すことで、そこに実際に今生きていることを(身近に)感じ取れる様態を前提にした極めてコミュニカティヴな繋がりの上に成り立っているアイドル・グループである。そのコンセプトは「会いに行けるアイドル」であり、秋葉原の専用劇場・AKB48劇場に足を運べば毎日公演を(身近な距離で)見ることができる(お気に入りのアイドルに会える)というのが、そのグループとしての当初の最大の売りであった。
05年に秋元康がAKB48のプロジェクトを開始した時、そこで第一に宣告されていたのが『偶像としてのアイドル』の絶対否定であったことは間違いないところであろう。裏側に隠れた誰かが何から何まで設計図を描き、そこで決められた通りにしか振る舞うことを許されない、完全に作り物のアイドルでは面白くも何ともない。確かに芸能の世界というのは、やけに注文が多く、実に息苦しい部分があるものである。ほんのちょっとした雑誌に載る小さな写真でも、事前にいくつものチェックが入り、突然に差し替えになるようなこともしばしばである。秋元康は、こうした『偶像としてのアイドル』の形や、それを生み出し必要としている古い芸能の世界のシステムに対して、常に反旗を翻してきた人物でもあった。

そんな『そこに生きているアイドル』のプロデュースが最初に試みられたのは、85年に結成されたおニャン子クラブにおいてである。おニャン子クラブは、秋元康が企画したTV番組『夕やけニャンニャン』の番組内で毎週行われるオーディション・コーナーから誕生し、その合格者が増えるに従って増員や卒業が繰り返され、最終的には50人を越えるメンバーがグループに在籍した。そして、やはりおニャン子クラブが、何にも増して画期的だったのは、昨日までその辺を普通に歩いていた女の子が一週間のオーディションを通じて次々とアイドルになってゆく、実に型破りで素人参加型なアイドル・グループそのものを生み出すプロセスにあった。TVの画面は、アイドルが誕生する瞬間を毎日/毎週のように放映していたのである。
これは、まさにレコード会社や芸能事務所の製品として作られる『偶像としてのアイドル』に対抗する、非常に過激なチャレンジであった。おニャン子クラブを作り出すことで秋元康が行った『そこに生きているアイドル』による芸能の世界へのカウンターの試みは、ある部分では成功したといえるだろう。ただし、そのほとんどの部分は、ただのやりっぱなしや、やりかけのまま投げ出されて、中途半端なままで終わってしまった。この試みを通じて、秋元康は既成の業界の内部でどんなに画期的なアイドルをプロデュースしたとしても、それは『偶像としてのアイドル』の対角に位置する新たな偶像を作り上げていってしまうことに繋がることを、身をもって学んだのではなかろうか。
そんな秋元康が総合プロデューサーとして、おニャン子クラブの結成から20年を経た節目の年となる05年に生み出したのが、AKB48であった。そこでは、やはり、またしても『偶像としてのアイドル』があらためて全否定されることになる。そして、そのグループを生み出し発展させてゆくプロセスや仕組みに関しても、アイドル・グループの偶像化を回避するような回線を綿密に用意することも怠ってはいなかった。
しかし、わざわざそんな大層な仕掛けをあらためて張り巡らせなくとも、それまでの20年間の時代の変遷の中で、業界の体質もアイドルを取り巻く環境も大きく変化し、旧来の『偶像としてのアイドル』といったものは、もはやほとんど破壊し尽くされていたのではなかろうか。その決定打ととして機能したのが、秋元康のおニャン子クラブの画期的な様式と異様なまでの盛り上がりをリアルタイムに体験した世代であるつんく♂がプロデュースするモーニング娘。であったことは間違いないところであろう。どこにでもいる素人の女の子が、TVの画面の中で進行してゆく過酷でシビアなオーディションを勝ち抜いて、華やかな舞台に立つアイドルになる。素人からアイドルになってゆく過程を視聴者/ファンが毎週の番組を通じて応援し続けることで、とても身近な存在として感じられる、アイドルになってからも継続して応援したくなる『そこに生きているアイドル』が誕生するのである。
まさに、モーニング娘。とは、おニャン子クラブのスタイルや様式を時代を越えて継承したグループであった。そして、モーニング娘。は常に『偶像としてのアイドル』に備わる製品としての完成度を打ち破り霞ませるほどの破壊力を生む、決して拭い去れないような素人臭さを漂わせていることを少しも隠そうとはしなかった。そうした素人アイドル的な要素を逆手にとった一級品の娯楽となるパフォーマンスの形式を、モーニング娘。とハロー!プロジェクトにおいて編み出したところに、プロデューサー=つんく♂の炯眼があったといえるのかも知れない。

秋元康がAKB48に対置してみせようとする『偶像としてのアイドル』なんて、今どきどこを探せば見つけ出せるのだろうか。それは、もはや偶像ではなく幻想なのではなかろうか。
現在のアイドルたちは、アイドル戦国時代と呼ばれる空前の混戦状況の中で必死にもがき足掻き、SNSやブログ、そしてUstreamなどの配信を通じてリアルな生き様をそのままさらけ出しつつ、日々過酷な過当競争に明け暮れている。そんな彼女たちが、イヴェント会場やライヴ会場の小さなステージで見せる一瞬の眩い輝きを放つ姿こそが偶像なのだとしたら、現在の『偶像としてのアイドル』とは、とても痛々しく儚いものであるといわざるを得ないであろう。
そうした現在のアイドルの現状を眺めていると、もしかすると今最も作り物臭いリアルな生き様をメディアを通じて見せてくれているのが、AKB48の中心的な存在となっている一部の売れっ子のメンバーたちであるような気もしてくる。だがしかし、そのすべてリアルなままを見せているはずの『そこに生きているアイドル』が、少しばかりリアルの枠組みををはみ出して「そこに生きている」生々しさを露にしてしまうと、なぜか激しいバッシングの対象となり、全くシャレじゃ済まなくなってしまう事態を招くことにもなる。『そこに生きているアイドル』がリアルな恋愛感情をもつことは、そこにあった偶像性に対する酔いを一瞬にして醒してしまうようである。
ただ、ひとりの「そこに生きている」人間として非常にリアルな感情を抱くことが原因で、そこで生きているものとして見なされなくなるというのは、非常に奇妙な事態である。はたして、『そこに生きているアイドル』は、そこで生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。多くの禁止事項によって俗なる生の世界から聖別されること、それこそが偶像を生み出してゆくことになるのではなかろうか。
現在のアイドル・ヒエラルキーの頂点に君臨しているAKB48は、間違いなく偶像としての輝きを燦然と放っているといえる。それは、リアルにそこに生きることのシャレにならない部分も引っ括めて聖別された『偶像としてのアイドル』の輝きなのである。
しかし、だからといってAKB48に対抗する位置にある多くのマイナー・アイドルたちの側が、それ即ち『そこに生きているアイドル』となるということではない。そうしたアイドル戦国時代の混戦にひしめき合っている対抗勢力は、まだ巨大な渦の中でリアルな偶像にまで聖別されていない、プチ偶像の集合体と考えて間違いないであろう。やはりアイドルと呼ばれるものは、全てフェティッシュな商品・製品であり「偶像」であることに変わりはないのである。
新しい枠組みと手順を作り、新しい場所を用意し、新しい新自由主義的なスター・システムを採用して、それがそれまでにあった何かをぶち壊したとしても、結局のところは、それは新しい偶像を奉りあげる世界の創造にしか結びつかない。『偶像としてのアイドル』は壊され、より新しい形の時代の空気を吸収した『偶像としてのアイドル』が生まれた。ただ、それだけのことなのである。
安っぽく、薄っぺらな、総体的に低級で、質の悪い、プチ偶像。あまりよく撮れているとはいえない携帯電話やスマホで撮影した粗い画像を貼付した、誤字脱字の多いブログでファンに語りかけ、拙くもささやかな従来型のアイドル・マナーに則った親密さを感じさせるコミュニケーションを日々展開している。それはそれで、実に朗らかかつ和やかな世界ではある。しかし、やはりそれはどこまでもプチ偶像的であり、偶像らしい偶像を準備するものでしかないのだ。
では、秋元康の言うような『そこに生きているアイドル』とは、一体どこを探せば見つけ出せるのだろうか。いや、そんなアイドルは、実はもうどこにもいない。すべてリアルなままでは、それはアイドルにも偶像にもなれはしない。アイドル/偶像とは、素人の集合体のリアルな生から弾き出されることで生まれるのだから。多くの禁忌が偶像を作り上げ、それと同じ禁忌が偶像の穢れを暴きたてる。『そこに生きているアイドル』とは幻想でしかない。たぶん、それを自らの手で作り出そうとしている者が、そのことを一番よく知っているのではなかろうか。

意識的に偶像らしい偶像を作り上げては、それを大仰にぶち上げてみせる、メタ偶像としてのももいろクローバーZ。第一期のモー娘。から伝統的にメタ・アイドル的な路線を根底にもち続けるハロー!プロジェクト。そして、その最たるものとしてハロプロ・スタイルを凝縮させたスマイレージ。では、東京女子流の位置づけは、どのあたりになるのであろう。正統派のメタ『偶像としてのアイドル』といったところか。
偶像が偶像らしく俗なる生のレヴェルから隔てられ、メディアが創造する神性とともに強化されれば強化されてゆくほどに、有象無象の集団でもあるプチ偶像の群れは、そのメタな領域において、どこまでも奔放に多様化してゆくことになる。アイドル戦国時代という状況は、時間の経過とともにホリゾンタルにも急速に広がり、ヴァーティカルにも急激に深まり、プチ偶像アイドルたちの好き放題な試行錯誤の場として、奇妙なまでに興味深い場となってきているのだ。
見た目にはアイドルらしいアイドルであり、その実体はアイドルらしからぬアイドルでもある、東京女子流は、そんな絶妙かつメタな立ち位置をキープしつつ、アイドルや偶像という存在のその先にあるものに向けて大きくステップ・アップしてゆこうとしている。彼女たちが目指しているのは、常に中江友梨が強調するように一流のダンス&ヴォーカル・グループであり、アイドル・グループとしてではなくアーティストとして認められることなのだ。まずは、12月22日の日本武道館での単独公演が、彼女たちの実力がどれほどに大会場でも通用するかをはかる、大きな試金石となることは間違いない。五人の少女たちの物語は、またここから始まる。(12年)


「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」(
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東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる(二) 溝!/BIGLOBEウェブリブログ
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