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zoom RSS 東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる(一)

<<   作成日時 : 2012/06/30 02:00   >>

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「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」

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12年5月20日の東京女子流



2012年3月14日、五人組のガールズ・グループ、東京女子流(Tokyo Girls' Style)は、セカンド・アルバム“Limited addiction”をリリースした。このリリースを受けて、4月の末より全国の大都市六箇所(札幌、仙台、大阪、名古屋、福岡、東京)をまわるライヴ・ツアー、『東京女子流 2nd Japan Tour 2012 〜Limited addiction〜』が開催された。そして、この列島を縦断したツアーの最終公演となったのが、5月20日の東京日比谷野外音楽堂におけるコンサートであった。この東京女子流にとって三度目のコンサートとなる公演には、Concert*03『Rock you!』という特別なタイトルがつけられてもいた。
この日の日比谷野外音楽堂公演は、東京女子流が行う初の3000人規模の大会場でのソロ・コンサートとなった。今回で三回目のコンサートであるので、過去にも二度のコンサートが行われたことになる。昨年10月22日の品川天王洲銀河劇場と、12月24日の中野サンプラザでのクリスマス・ライヴが、それである。定員746名の天王洲銀河劇場では二回公演を行い、初のコンサートで約1500人のファンを動員した。そして、中野サンプラザは、会場の定員が2222名。コンサートを重ねるごとに着実に会場のキャパシティは大きくなってきてはいたが、この日比谷野音でのワンマン・ライヴというのは、間違いなく格段のスケール・アップであった。
3000人規模の会場での公演を成功させたとなれば、観客動員の面でも(現在の日本の音楽業界の状況を考えれば)もはやトップ・アーティスト並みのレヴェルにまでほぼ手が届きつつあるといっても決して過言ではない。この上のレヴェルとなると、万単位の動員を必要とするアリーナ・クラスの会場や、より巨大なスタジアムのみとなる。よって、今やほとんどのアーティストは、小さめのホールかライヴハウスで公演を行うことが当たり前の世界なのである。今回の東京女子流の日比谷野外音楽堂での単独公演が、客観的に見ても相当に特別なコンサートであったことは間違いない。
また、この日比谷野音でのコンサートは、全編がバック・バンドによる生演奏で歌われるということも普段のライヴとは違う特別な試みのひとつであった。定期的にライヴハウスやイヴェント・スペースなどで行われている公演や今回の全国ツアーの他会場においては、全て事前に用意されたオケのトラックをバックにメンバーが歌い踊るというスタイルがとられている。生バンドをバックに従えた特別なステージは、通常のライヴとは異なるコンサートと題された公演のみで観ることのできる東京女子流のスペシャルなパフォーマンスなのである。
二度目の全国ツアーのツアー・ファイナルを飾った日比谷野外音楽堂での公演は、これまでよりもワン・ランク上の規模の会場での生バンドを従えた野外ライヴという、まだデビューから約二年ほどしか経っていない東京女子流にとっては、非常に大きなチャレンジとなるコンサートでもあったのだ。ただし、こうした常に少し高めに設定されたハードルをひとつずつしっかりとクリアしてゆかなくては、現在の全国で群雄が割拠するアイドル戦国時代を勝ち抜きメジャーな存在のアイドル・グループへと伸し上がってゆくことはできない。そういう意味でも、今回のコンサートは、そのステージの広さや客席を含めた会場の大きさ、たった五人のみで真正面から対峙しなくてはならないオーディエンスの数、そして屋根のないオープンなスペースでのバンド編成での本格的なライヴ・パフォーマンスなど、東京女子流にとっては実にスペシャルな未踏の次元ばかりが用意されていたともいえる。

そんな5月20日の日比谷野外音楽堂でのコンサートは、約3000席を埋め尽くした満員の観客を前に五人のメンバーが白熱のステージを繰り広げる、歓喜と興奮が渦巻く感動的な公演となった。まだまだ明るい時間帯に、コンサートのタイトル曲である、3月7日にセカンド・アルバムからの先行シングルとして発表された“Rock you!”で、まさにロック・スタイルなバンド形式のライヴは華々しく幕を開けた。その後、夕刻から夜の時間へと刻々と色と明るさを変化させてゆく都会のビルの谷間の空の下でコンサートは、みっちりと約三時間ほどの長丁場となり、アンコールの3曲目“ゆうやけハナビ”で心地よい風を感じながら幕を降ろした。生バンドをバックに披露された楽曲は、全部で22曲。シングル曲からアルバム収録曲まで満遍なく、ほぼ持ち歌の全てが代表曲である東京女子流らしい、とても濃密なセット・リストとなった。
この野音でのコンサートを何とか無事に成功させたということは、セカンド・アルバム“Limited addiction”が高い評価を受け、12年のアイドル界における大注目株となりつつある東京女子流の、止めどない勢いを感じさせるほどに完全に上り調子の真っ直中にある現在を、内外に向けて目に見える形で示したものとなったともいえるだろう。これは、織田信長でいえば桶狭間である。日比谷野外音楽堂で天下統一に向けた最初の狼煙があげられたのだ。その野音のステージに立った五人の勇姿と健闘ぶりは、確実に高まりつつある東京女子流の人気と実力のほどを証明するにありあまる堂々たるスケールのものであった。

そして、この日のコンサートでは、着実に一歩ずつ階段を上りつつある東京女子流の現在の上り調子ぶりを如実に示すような重大発表が、ふたつほどなされている。そのひとつ目が、今回の全国ツアーの終了とともに、しばらくの活動休止期間を設けるというものであった。これまで定期的に行われてきたライヴやイヴェントの活動を一旦すべてストップし、その空白の期間をさらなる飛躍のための準備に充てようというのが、その活動休止の主目的となる。休止期間は6月から7月にかけての二ヶ月間であり、五人のメンバーが学校の夏休みに入る8月にはグループの活動を再開するという。東京女子流は、この二ヶ月間に歌やダンスのトレーニングを集中的に重ね、より完成度の高いステップ・アップしたガールズ・グループとして、アイドル戦国時代の最前線に復帰することになる。
これまで通りの週末にライヴやイヴェントなどが詰まっているスケジュールでは、目前に迫ったライヴやイヴェントのための準備やリハーサルを行うだけで手一杯な状態であったのだろう。そのサイクルの中では、少しでも日程に隙間があったとしても、そこでそれ以上のことはなかなかできなかったのではないかと思われる。次代を担う新進気鋭のアイドル・グループとして注目を集めてきた、ここ半年ほどは、目の前のライヴやイヴェントをこなし、その合間に新曲のレコーディングや振り付けのレッスンを行うというスケジュールを、ただただ消化してゆくだけの状態が続いていたとしても決しておかしくはない。もしも、ここよりもさらなる高みを目指すのであれば、もう一度基礎の部分から歌やダンスを見直し強化する時間は、遅かれ早かれ必要となったに違いない。それが、今年前半の一大イヴェントであった全国ツアーが一段落した、このタイミングの二ヶ月間となったということなのだろう。
実際のところ、現時点の東京女子流には、歌の面でもダンスの面でも今のうちに強化しておきたいポイントは、いくらでもあるのが現実であったりする。そうした部分が、計らずも露呈してしまったのが、ひとつの大きなチャレンジとして彼女たちの前に立ちふさがった今回の日比谷野外音楽堂での公演であったのだ。コンサートそのものは、多くの観客を集め大きなトラブルもなく終了し大成功であった。しかしながら、東京女子流というアイドル・グループ自体には、まだまだ全体的に力不足なところがあり、かなり粗さが目立つ場面が所々に見受けられたりもしたのである。

そして、もうひとつの重大発表が、12月22日に日本武道館で行われる単独公演のスケジュールが決定したというお知らせであった。これは(おそらく形式的には)完全にサプライズな発表であったようで、ステージ上には衝撃と歓喜の涙があふれ、会場全体をどよめきが包み込んだ。つい先日までライヴハウスの小さなステージに立っていた東京女子流が、東京を代表するコンサート会場の日本武道館でワンマン公演を行うというのである。これには、ちょっと感慨深いものがあった。
リーダーの山邊未夢(通称、隊長)は、この発表の際に、まるで全身の力が抜けてしまったかのような泣き崩れる反応を見せた。この日、全国各地を飛び回るライヴやイヴェント等のプロモーション活動に勤しみ、準備に準備を重ねて、ようやく日比谷野外音楽堂で3000人規模のコンサートを成し遂げたばかりであったのだから、そこでいきなり日本武道館といわれても俄には信じられないものがあったのだろう。そんな東京女子流が、日本の音楽興行史上にその名を深く刻む、もはや芸能の聖地とも呼べるコンサート会場のステージへと進出しようとしている。これは、さらなる大きな挑戦である。一万人規模の大会場である日本武道館での単独公演を成功させることは、決して生易しいことではない。この目標に向けてのステップ・アップのための踏み段は、これまでのそれとは桁違いだといってもよい。単純に収容可能な座席数を比較してみても、武道館は野音の三倍以上なのだから。
ちょうど6月から活動を休止することになっている東京女子流は、日本武道館の大きなステージに相応しい一流のアイドル・グループとなるためにも、この強化期間を最大限に活用して全てを根本から鍛え直すぐらいの気概を発揮することが要求されるのではなかろうか。二ヶ月の活動休止期間を有意義に過ごして、どれくらい大きく成長して戻って来れるかで、東京女子流の未来が占えるのかも知れない。このほとんど公の場に登場しない6月と7月は、五人にとって非常に重要なチャレンジの日々となるであろう。端的にいっても、日本武道館公演に向けた準備の期間も、もうすでに約半年しかないのだ。そして、間違いなく、この12月22日は、12年の最後を締めくくる全てを賭けた大勝負の一日となる。そこからさらに上のアリーナ・クラスの会場で大観衆をエンターテインできるアーティストとなってゆけるか、それともホールやライヴハウスが似合うこれまで通りの戦国時代を戦うアイドル・グループらしいアイドル・グループとしての活動を続けてゆくのか。東京女子流は、いま大きな運命の分かれ道へと刻一刻と近づきつつある。



日比谷野外音楽堂という屋外の大会場で、生のバンドの演奏をバックに行われた、初の本格的なコンサート。そんな初めての大舞台でのギリギリの大熱演であったからこそ、現在の東京女子流が内包しているいくつかのウィーク・ポイントも、そこでははっきりと浮かび上がってきてしまっていた。そのひとつが、どうしても裏目にも出てくることとなってしまうことにもなる彼女たちの絶対的な若さや幼さであったように思われる。東京女子流のメンバーは、まだまだ五人ともに非常に若く幼い。それは多くの場面ではグループのストロング・ポイントになるとともに、時には思わぬ弱点として露見してしまうことになったりもする。そして、日比谷野音での約三時間にも及ぶ公演は、その後者の部分を垣間見させるものとなってしまったようなのだ。そこは普段のライヴやイヴェントのステージに立つ五人の姿とは、大きく違っていたように思われる。やはり日比谷野外音楽堂は、少しばかり勝手が違ったのであろう。
五人のメンバーの若さや幼さは、その言動などの面ではなく、明らかに体力面の乏しさという形で今回は特に目についた。年齢の割には、びっくりするほどに大人な彼女たちであるので、どちらかというと悪い点が言動に表れたりする可能性は極めて低い。しかしながら、いやだからこそだろうか、かえって体力面での若さや幼さが目立つことになってしまったのかも知れない。10代前半から中盤にかけての年代のメンバーたちであるので、身体的にはまだまだ幼く、五人の華奢な体格は今まさに大人への成長過程にあることを示すものでもある。よって、若く幼い五人に体力的に大人並みのものを求めるのは酷であろうし、大人でも息切れしそうな約三時間にも及ぶコンサートをこなすだけのスタミナが備わっていないことだって当然といえば当然であろう。
ただし、この若く幼い彼女たちにとっては非常にタフなものとなった日比谷野外音楽堂での公演は、現時点での東京女子流の偽らざる姿を、ひとつの体力面での限界という形で可視化させたという点においては、実は積極的な意味を見出せるものであったのかも知れない。ほとんど周囲からの反響がなく音がこもらないオープン・エアの会場で、太く重い出音の音圧たっぷりな生バンドの演奏と、熱狂する3000人の観客の歓声に負けないように、しっかりと声を張り上げて歌い続けることは、ただでさえ容易なことではないだろう。この日の東京女子流のパフォーマンスには、そんな彼女たちが今後も相対さねばならない、会場の規模や生バンドや多くの観客と互角に渡り合うための、さらなる成長やステップ・アップの必要性を実感させられる部分もかなり見えてしまっていたのである。
実際のコンサートでは、オープニング曲の“Rock you!”から“Attack Hyper Beat POP”、“Don't Be Cruel”と、冒頭から非常にノリのよいダンサブルな楽曲が立て続けに披露された。一気に会場全体の空気を掴んで、東京女子流の側に引き寄せようという意図もあったのであろうが、有り体にいえば明らかに最初から飛ばし過ぎであった観は否めない。そして、コンサートの中盤あたりからは、徐々にステージ上に背後からも前面からも押し寄せてくるバンドの演奏の音の波や大きな歓声の波を、きっちりと押し返せなくなってしまってもいた。かなり体力的に限界に近づいていたせいもあったのか、パフォーマンスの中でバンドと観客のどちらに対しても、やや追いついてゆけていない瞬間も目につくようになってきた。その結果、段々と残った気力を振り絞るような形へと追い込まれ、普段のライヴではあまり見せることのない荒削りさが歌やダンスに表れ出てしまう場面もあったのだ。こうしたあたり、やはり年齢的な部分からくる、どうしようもない五人の体力面での若さや幼さであったのだろう。

また、公演の進行とともに気力と体力を振り絞るような形でのパフォーマンスとなっていってしまったことで、あらためて東京女子流というグループが、小西彩乃(通称、あぁちゃん、しーこにさん)と新井ひとみ(通称、ひっと、ひーちゃん)の二頭体制を基本形としていることが、あからさまなまでに浮き彫りになることにもなった。歌唱の面では、常にこのふたりが全体を引っ張り、五人をまとめあげ、きっちりグループとして引き締めている。野音では、最初から五人が気合いを入れて飛ばしていったせいもあり、そんな普段のライヴではあまり表立って見えてこないグループの骨格の部分までもが目につくようになってしまったのである。しかし、この事実を裏返せば、いかにこのふたりが突出し過ぎないように普段から常に東京女子流というグループの歌唱を引っぱりまとめ上げているかが分かる。五人の歌唱がいびつにならないように、見事に調和を図っているのである。ただ、明らかに野音公演の終盤は、東京女子流の歌唱はこのふたりに頼りっきりの状態となってしまっていた。大きな会場での生バンドの演奏による長丁場の本格的なコンサートで、体力面やスタミナ面での不安が露骨に出てしまい、相当に歌唱の面では限界に近づいていたといえるであろう。

ただ、12年の頭に右足を骨折した小西彩乃には、ほぼ2月いっぱいは治療のためにグループの活動から離れ、復帰後もひとり椅子に座った状態での歌唱のみでライヴへの参加を余儀なくされるというブランクの期間があった。この間の東京女子流は、あぁちゃんの歌パートを他のメンバーそれぞれに振り分けてカヴァーしたり、怪我で動けないあぁちゃんを除いた四人によるダンス・フォーメーションに切り換えたりと、少しばかり変則的な形態での活動となららざるを得なかった。しかし、このグループの大黒柱でもあるあぁちゃんの不在期間が、残された四人のメンバーに思わぬ発奮を促したことは、まさに怪我の功名でもあった。特に、この時期の中江友梨(通称、ゆりゆり、ゆりちゃん)の歌唱の急成長には目を見張るものがあり、必ずやこの大きな進歩は今後の東京女子流にとってプラスになる要素であるに違いない。中江の低音から高音までをカヴァーできるレンジの広い歌声には、豊かな将来性が感じられる。
こうした全面的にグループの活動に参加できない数ヶ月間があったあぁちゃんが、ステージでのダンスにも加わり完全復活を遂げたのは、3月末から4月の頭にかけての時期であっただろうか。この時点で、もうすでに日比谷野外音楽堂でのコンサートは約一ヶ月半後に迫ってきていたのである。おそらく、今回のコンサートの準備期間は、あぁちゃんにとって非常に短いものであったに違いない。自分の足で立って動くことが出来ず、ステージで歌い踊る活動からもしばらく遠離っていたことからくる、身体的なブランクは相当なものがあったはずである。もしかすると、今回の日比谷野外音楽堂公演に関して、体力面で最も不安を感じていたのは、怪我からの復帰開け間もないあぁちゃんであったのかも知れない。
確かに、野音でのあぁちゃんは、まだ万全な状態といえるパフォーマンスではなかったように思われる。さすがのあぁちゃんも、コンサートの終盤では少しばかり疲労の色が見えていたし、みんなを引っ張ってゆくというよりも自分の歌とダンスをこなしてゆくだけで手一杯であったようにも見えてしまった。だからこそであろうか、終始満面の笑みを絶やさず、しっかりと表情を作り、レヴェルの高いパフォーマンスを繰り広げていた新井ひとみの余裕綽々さは、すさまじく際立って見えてくることにもなった。今回の節目の日比谷野外音楽堂公演とは、この東京女子流の不動のセンターガール、新井ひとみの孤高のポテンシャルをあらためて見せつけるために設えられたかのような大ステージでもあったのである。



新井ひとみの天才が大きく輝き出す瞬間を演出した、5月20日の日比谷野外音楽堂のステージは、まさにひとつの大きな節目として位置づけられるものであったのかも知れない。ひーちゃん以外の四人のメンバーは、初めて経験する大きな会場の広いステージで約3000人の観客を前にした緊張感もあったのか、渦巻くような音や熱気の流れに飲み込まれてしまったようである。それゆえ、体力的なペース配分もなかなかうまく掴めず、いつもとは勝手が違う大舞台で早々に余力を使い果たしてしまうことにもなったのだろう。
しかし、新井ひとみだけは、明らかに他の四人とは雰囲気が違っていた。全く異なるオーラを発していたとでもいおうか。五人のうちでもひと際小柄で華奢な新井ひとみが、野音のステージの上では、とても大きく見えたのだ。その姿には、まさに絶対的なセンターの存在感の大きさが漂い出していた。どうやら、舞台の大きさにも、観客の数にも、全く臆することころがないようなのである。いや、まるで、戦場の最前線をも思わせる東京女子流の本当の力量が試されている舞台に立ち、そこで自らが対峙しているものの確かな手応えを、余裕の表情で楽しんでいるようですらあった。この日の大観衆を前にした堂々たるパフォーマンスで、新井ひとみは、その底知れぬ大器ぶりをまざまざと見せつけたのである。
この天才少女は、もしかすると、これからもステージが大きくなればなるほどに、その輝きを増してゆくのではなかろうか。実際、新井ひとみとは、スター性、アイドル性、カリスマ性といった輝く存在となるべきタレントの資質を全て併せもっているかのようにも見える。東京女子流のパフォーマンスを、少しでも彼女の歌と踊りだけに注目して見てみれば、それは誰の目にも明らかであろう。自分のソロ・パートを歌っている時も歌っていない時も、センターで踊っている時も後方で踊っている時も、常に新井ひとみは新井ひとみであり、その動きひとつひとつにおいて確かな輝きを放っているのである。特に、楽曲中のばっちりと決めるべき瞬間で、見る者を一撃するような決めの顔や決めの動作を作り出す才能は本当にズバ抜けている。今回の日比谷野外音楽堂公演では、そんな彼女がもつ才能の輝きの片鱗が、いかに眩しいものであるかが遂に露見することになったともいえる。

新井ひとみの天才は、やはりその歌唱においてまず顕著に表れる。声質そのものは、やや蓄膿気味であり、残念ながら聴く者全てを瞬く間に魅了してしまうような澄み切った美しい歌声だとは決していえない。だが、その独特のクセのある歌声だからこそ出せる味も確実にある。そういった自らの声に宿った機微の部分を巧みに活かす技量にも、新井ひとみは非常に長けているように思えたりもする。まだ10代前半という年齢でありながら、そうした魅せる、聴かせることに関するセンスには、本当に天性のものを感じずにはいられないのだ。もしも、こうした全てのことが完全に把握され、完璧に全てがコントロールされているものなのだとしたら、それはそれで末恐ろしいものがあるが、おそらくそうではないのだろう。だからこそ、新井ひとみのパフォーマンスには天性の天才を感じさせられてしまうのである。
また、新井ひとみの歌唱には、発声にも非常に独特なものがある。よく腹の底から声を出すといわれるが、彼女の場合は、腹だけでなく身体全体を使って声を出しているような発声となっているのである。いわゆる、自らの身体を楽器のように使用して、声を楽音のように響かせるタイプの歌唱だといえる。新井ひとみは、舞台上で激しいダンスを行いながら、まるで全身で歌を奏でるかのように歌う。声質は、かなり蓄膿っぽいため、通常ならばややこもりがちな歌声になるはずなのだが、その歌声には、実にえも言われぬような深みと張りがある。そうした独特な響きを生み出しているのが、新井ひとみの天才的な発声であることはことは間違いないところであろう。このようなダイナミックな身体的発声法が天賦のものとして身についているシンガーは、そうそうざらにいるものではない。まさしく、彼女は何十年に一人というレヴェルの逸材なのであろう。
ただし、やはりそこで気になってくるのが、新井ひとみが、その自らに備わっている能力に対して意識的なのか、もしくはかなり無意識的にその才能を煌めかせているのかという部分である。この子には、実は相当に天然なところがある。よって、その才能に関しても、本物の天然モノである可能性は充分すぎるほどにあるのだ。

新井ひとみの歌やダンスは、東京女子流の活動初期に急激な成長を遂げている。YouTubeで初期のライヴの映像などを見ると、やはりしっかりとした声質で大人びた歌唱力を身につけているあぁちゃんが、ひとり群を抜いている。当時の新井ひとみの歌には、まだ自らのスタイルを見出そうと手探りしているような面が多分にあった。逆に言うと、自らの類い稀なる才能を活かす唱法を、まだ完全には見つけ出せていなかったということだろう。時折、眩く輝く瞬間はある。だが、それはほんの一瞬の瞬きでしかない。全体的には、終始あぁちゃんの太くどっしりと存在感ある声に、完全に押されてしまっている。
だが、新井ひとみは、そうしたステージ上の実戦の中で、自らに備わっている天性の資質を最大限に活かす方法を、次第に直感で掴んでゆくのである。こうしたあたりのプログレスにも、彼女の天然さは非常によく表れている。
今や新井ひとみは、歌手としても、ダンサーとしても、そしてアイドルとしても、キラリとした輝きを放ち、それぞれの瞬間で見る者/聴く者を存分に魅了する顔をもっている。その豊かな才能は、実に幅広く、常に新鮮な驚きに満ちた底知れぬ可能性の香りすら漂わせている。そして、その輝きが、直感的な閃きや動物的な本能のようなものによって下支えされていることは、やはり彼女ならではの特異な点であり、絶対的な強みでもあるだろう。新井ひとみというパフォーマーは、かなり無意識的でありながらもスーパーナチュラルに意識的な天才なのだ。まさに天然モノの類い稀なるタレントだといえよう。

日比谷野外音楽堂公演で垣間見せた、煌めくような新井ひとみのもつ才能の大きさは、それがリアルな天然モノであるせいであろうか、一般的なアイドル歌手が放つ輝きとは、かなり異質なものであるようにも見えた。勿論、五人のメンバーの中でも、素材そのものの違いは明らかであった。東京女子流というグループが、今後よりステップ・アップをしてゆく中で、周囲のメンバーが新井ひとみの大きさにどこまで追いついてゆけるかが、もしかするとポイントとなってくるのかも知れない。
ダンサーとしては屈指のキレをもつリーダーやグループ内でも最もアイドルらしいアイドルである庄司芽生(通称、めいてぃん)だけでなく、正統派でオールマイティなタレント性に恵まれたあぁちゃんと比較しても、その輝きの質はとても異なっている。ステージが大きくなれば大きくなるほどに、その天才を活き活きと発揮させる新井ひとみと他のメンバーの間に、目に見える形で差が生じてきてしまうようなことは、これからも度々あるのかも知れない。その段差が必要以上に肥大してしまうと、グループ内のバランスを崩してしまいかねないような事態を招くことも大いに予想される。ただし、新井ひとみは相当に天然な人物であるので、そこで自分から出力をセーヴして他のメンバーとのペースを合わせたりはしないだろう。いや、ちょっと見た感じでは、そうした器用なことが出来そうなタイプでは決してない。ほぼ無意識的に輝き出している才能であるのだから、ひとたび舞台の上で歌い出し踊り出してしまったら、たとえ本人であろうとも、それをどうすることもできないのではなかろうか。

東京女子流という五人組が、これからどんなアイドル・グループになってゆくのか、とても楽しみでもあり、少し不安でもある。センターの新井ひとみが、その生まれながらに備わったスターのオーラで全てを背負い込み、引っ張ってゆく形となるのだろうか。それとも、多少のデコボコがあったとしても、それもまた東京女子流というグループならではの個性ととらえて、あぁちゃんと新井ひとみの二頭体制でそのまま突っ走ってゆくのだろうか。
そうした興味の側面からも、今回の突然の活動休止から復活する8月の東京女子流の五人が、約二ヶ月間でどれだけスケール・アップしているのかも大変に見物であったりする。現実に、彼女たちはまだ10代半ばという年齢であり、まさに成長期の真っただ中にある。たかが二ヶ月、されど二ヶ月。ブログの記事などを見ていると、メンバーたちはそれぞれにランニングを行ったり基礎的な体力面の向上に勤しんでいるようである。大きく成長しステップ・アップした東京女子流の、目を見張るような変化に期待したいところである。物語の新章は、ここから始まろうとしている。


東京女子流に聞こえるもの

東京女子流のセカンド・アルバム“Limited addiction”は、発表から早々に非常に高い評価を獲得している。おそらく、今年のアイドル・アルバムの中でも屈指の傑作であることは間違いないであろう。その凄さの一端のようなものは、今どき珍しいほどにしっかりとした音楽性を感じさせてくれる、とてもよく練られた質の高いサウンドがアルバム全体を貫いている点からも窺い知ることができるだろう。ピコピコしたエレクトロ・ポップやお手軽なトランス調など極めてライト・タッチな音が横行しているアイドル歌謡の世界であるが、この東京女子流のアルバムで聴くことが出来るのは、簡単にアイドル歌謡などと分類するのが憚られそうなほどに本格的でド渋なダンス・サウンドであったりするのである。
そのディスコ、ラテン、フュージョン、ジャズ・ファンクなどの要素をふんだんに取り入れた、80年代のアーバンなニューヨーク系ダンス・サウンドと、ジャパニーズ・ポップスの叙情を融合させた音楽性は、アイドル歌謡の世界のみならず現在の日本の音楽界においても、かなり唯一無二のものだといえそうだ。そうしたクオリティの高い音作りの中心となっているのが、ややオールドスクールな職人気質の音楽感覚をもつアレンジャーの松井寛である。この特異なセンスをもつ達人の今どきの音との微妙なズレかたが、東京女子流のサウンドにおいては絶妙な鮮烈さをもって見事に反映されることになる。ここでは、かなり意識的に、よい意味でレトロ調なダンス系サウンドのコンセプトをアルバム単位で凝縮させ、周囲とは一線を画す東京女子流の音楽性を統一感のある形で際立たせることに成功している。
この間違いなく90年代以降に生まれた世代である五人組が、全く接点はないであろう本人が生まれる遥か以前の80年代的なダンス・サウンドで歌い踊るという点にも、パラドキシカルな妙味を感じ取れたりもする。別の見方をするならば、この若く瑞々しい五人が、今から20年以上も前の過ぎ去ってしまった時代のダンス・サウンドに、フレッシュな息吹を吹き込み見事に再生させているともいえるであろうか。東京女子流の“Limited addiction”とは、まさにザ・リバース・オブ・アーバン・ディスコ・サウンドな一枚なのである。

また、そうしたサウンドにのる東京女子流の歌そのものにも、懐かしめのダンス・グルーヴとはまた違った感覚で深く鋭く突き刺さるものがある。五人の少女に歌声には、えも言われぬほどに琴線を震わせ情感のとても深い部分に訴えかけてくる響きが含まれているのである。その楽曲のほとんどで10代の微妙に揺れ動く感情を絶妙にとらえた歌詞が歌われている。それは、感情の襞の奥底にあるものを掘り起こす、誰の心の襞にも入り込んでくるような歌なのだ。
誰の心の中にもある誰かに恋する気持ち、そして傷心や諦め、理由なき不安と根拠なき自信、自己否定と自己肯定の乱高下。こうした揺れ動く感情の動きというものは、10代の頃の特に思春期に誰もが必ず通ってきた道であろう。それを絶妙に切り取って歌詞にした楽曲を、あらためて聴くことによって、懐かしいあの頃の気持ちや感情が鮮やかに蘇り、たちまちにそのど真ん中を真正面から撃ち抜かれてしまうことになる。
こうした歌と歌唱の魅力といった部分が、この東京女子流のセカンド・アルバムが非常に高い評価を獲得している、ひとつの大きな理由でもあろう。つまり、この五人の少女の非常に無垢な歌声は、かなり汚れ果ててしまった大人たちの耳にも非常によく効くのである。若き日の心の中の葛藤とは、それが誰もが経験することだけに、永遠に普遍な表現のテーマとなる。それを実に瑞々しく歌い上げて作品化している東京女子流の歌は、若い世代にも、もう若くはない世代にも、共感・共振できるものとなるのである。

しかし、実際のところ彼女たちが、そうした世代を超越して影響を及ぼし、共感や共振を呼び起こすような歌を歌っている自覚があるのかという点については、かなり怪しいところがある。はたして、思いきり天然なところのある新井ひとみは、自分がどれだけの感動を与えてしまう歌を歌っているのか分かっているのだろうか。
6月にCS放送で放映された特別番組「東京女子流 5.20野音 密着スペシャル」の宣伝映像において、しっかり者のあぁちゃんは「歌じゃないと伝えられない気持ちがある/そういう気持ちを歌にのせて皆さんに伝えてゆきたい」と自らの歌に対する思いを真摯に語っていた。おそらく、五人は五人なりに、自分たちが何を歌っているのか、歌を通じて何を伝えようとしているのか、その歌を感情を込めて歌うためにも歌詞の意味するところを理解しようとはしているようである。ただ、まだ10代前半の少女たちであるから、全てを完全に理解するのは、かなりの難題であるのかも知れないが。
そうだとしても、彼女たちの歌唱の歌声そのものが、どのように聴き手の心情の深いところに影響するかというところまでは、全く意識は及んではいないのではなかろうか。しかし、そんな本人たちが理解できていないことだからこそ、そこで歌われている言葉のもつ意味が、真っ直ぐでピュアな歌唱によって聴く者の心の奥底により強烈に響くということもあり得るだろう。下手に表現者の固定観念や自我意識によって捩じ曲げられていない歌だからこそ、そこで歌われている言葉が、あるがままに真っ直ぐに深く突き刺さるのだ。そういう意味では、東京女子流の歌唱や歌声には、全くもって嘘がないように聴こえる響きがある。

この五人の少女による若年期の普遍のテーマを歌いあげる歌唱が、世代を越えて共感・共振できる歌となっている背景には、それらを歌っているメンバーたちのあまりにも瑞々しい声質に感じられる独特の耳ざわりという部分も深く関係していると思われる。年代的にはロー・ティーンからミドル・ティーンに属する五人の歌声は、当然の如くまだ完全には大人の声になりきってはおらず、子供らしい幼さや不安定さを多分に残しているものでもある。それゆえに、彼女たちが全力で歌い込む歌唱は、その全く曇りなく澄んだ声質から、どこか少年の心の声や心の叫びのように聴こえてくる雰囲気を色濃くもっていたりもするのである。
そんな脆さや儚さをも垣間見せる、どこまでも真っ直ぐな情感をたたえた歌声が、もう若くはない世代にとっては、自らの少年時代の心の声や心の叫びの反響/こだまのように聴こえたとしても、決しておかしくはないだろう。ただ、実際は、それは10代前半から半ばにかけて年齢の少女たちによる歌唱であり、そこには年齢的な幼さとともに思春期の女の子らしい揺れやか弱さを感じさせる部分が内包されている。そして、そういう部分でもまた、それを聴くすでに汚れ果て/疲れ果ててしまった世代の側にも、実際の心の中には今も弱々しくも女々しい気持ちが遥か遠い10代の頃と変わらずに存在していたりするのである。こうして東京女子流による若年期の揺らぎをありのままに表出させた歌唱は、そこに照射することのできる自らの内面にある遥か遠い過去の自分と、現在も変わらずに自分の内面にある幼さや弱さの部分を重ね合わせることのできる交錯点となり、それらを一瞬にして貫いて共感・共振を呼び起こす歌として感じ取れるものとなるのである。
五人の少女の歌声は、どこまでも純粋に少女的で女性性をもつものであるとともに、どこか少年的な女性性をも併せもつものとなっている。そうした声の響きを媒介にして、思春期に誰もが誰かに対して抱く恋心の甘酸っぱさやほろ苦さを見事なまでに多面的かつ鮮明に描き出し、世代や性別を越えてシンクロすることが可能になる歌の世界が構築されてゆくのである。そうした老若男女を問わずに効果を発揮する、とてつもなく射程が広く長い東京女子流の歌唱の真骨頂を聴くことができるのが、奇跡的な歌声の記録でもあるセカンド・アルバム“Limited addiction”なのである。

どこか中性的な雰囲気や響きをもつ歌声というのは、やはり現在の彼女たちがロー・ティーンやミドル・ティーンという年代であるからこそのものなのであろう。また、そこには、東京女子流の楽曲に、男の子の目線から歌われる歌と、女の子目線から歌われる歌、そしてそのどちらとも受け取れそうな歌が混在しているという背景も少なからず関係しているものと思われる。
五人の少女たちが、自らの内面にあるものとは対角に位置する少年の心情や気持ちを、一歩踏み込み引き寄せるように歌うことで、そこに少年と少女の感情が揺れ動きながら入り混じる、ほとんど性別を無化して響くような歌が生まれる。東京女子流のもつ独特の歌唱の味わいとは、こうした彼女たちの歌声という部分から引き出されてきているともいえるのである。そこでは、意識的/無意識的に、男女が逆転した/男女を逆転させた、聴こえ方/聴き方も可能になるであろうし、あらゆるものが曖昧に混濁して多様な接続が可能となる文脈での聴取も実現することになるのである。絶妙なバランスの上に成り立つ共感や共振やシンクロを現出させる歌唱が、現在の東京女子流のひとつの大きな魅力であり、その一瞬の強烈な煌めきのようなものが、そこに感じ入る経験を非常に特別なものにしてくれる。

これからハイ・ティーンとなってゆく五人の少女たちの歌唱は、その肉体的・精神的な成長に伴い、より色濃く女性性を感じさせる歌声に変化してゆくことになるのだろう。そうなってくると、現時点で歌われている楽曲も、年齢の変化とともに、かなり違って聴こえてくるようになるに違いない。10代前半の少女と10代後半の少女では、真っ直ぐで純な恋心を歌う歌詞ひとつをとってみても、その受け止め方は当然違ってくるであろうし、歌唱の際の感情の込め方にも自然と変化が生じてくるはずだ。今後、彼女たちがすくすくと成長し、その歌唱がより女性らしさをまとったものとなってゆくに従い、そこに感じられていた少年的な部分はあっさりと脱ぎ捨てられてしまうのかも知れない。今この時点で、とても高いレヴェルで完成していると思われている到達点は、一瞬にして消え去り、過ぎ去った時間に存在した痕跡のひとつに変わってしまうのである。
東京女子流という将来有望なアイドル・グループのことを考えれば、そうした変化は実に喜ばしいこととして大いに歓迎すべきものであるのだろう。日比谷野外音楽堂でフィナーレを迎えたデビュー二年目の活動も、そうしたさらなる向上を目指して繰り広げられてきたものであり、そこで五人が歌とダンスに真剣に取り組んできた結果が、今の時点での眩いばかりの完成度であったのだ。だからこそ、この奇跡的なまでに瑞々しく10代の少年少女の情感の揺れ動きを歌う東京女子流は、間違いなく決して誰にもどうすることの出来ない時間の流れとともに終わりを迎えることになる。そしてまた、そのひとつの到達点のさらに向こう側に新しい東京女子流の歌とダンスが始まるのである。その最初の大きな第一歩が、12月22日に決定している日本武道館での単独コンサートなのだ。
現在の東京女子流は、正統派のアイドル・グループとして大きく成長してゆく過程にある。そんな彼女たちが、10代前半の成長期のほんの一瞬に、少女性と少年性が交錯するような中性的で奇跡的な風合いの歌唱表現の煌めきを見せ、長きに渡り歴史的名盤として語り継がれてゆくであろう“Limited addiction”という作品をしっかりと残した。そして、その東京女子流は、5月20日に日比谷野外音楽堂で開催されたコンサートで、ひとつの大きな嶺となる到達点を通過し、もう二度と後戻りできない区切りとなるロー・ティーン期のファイナルの時を迎えたのかも知れない。

こうした変化にともなう問題とは、おそらくどんなアイドル・グループにもつきまとうものであるはずである。特に、メンバーのデビュー時の年齢が極めて低年齢化してきた、00年代以降のアイドル・グループにとっては。その活動を継続してゆくということは、決して同じところには留まれないということでもある。そうした変化を肯定的にとらえ常に新しいものへと前向きに変わり続けてゆくものもあれば、あまり変わろうとせずに遂には破綻を来してしまうものもある。また、そこには様々な浮き沈みもあったりするのだろう。そして、そうした絶え間のない変化と激しい浮き沈みをくぐり抜けてきたグループとして真っ先に思い浮かぶのが、ハロー!プロジェクトの五人組、℃-uteであったりする。
12年の東京女子流は、非常に完成度の高いアルバムを完成させ、日比谷野外音楽堂での単独コンサートを成功させるなど、10代の若いアイドル・グループがあらゆる面でぐんぐんと急激な成長を遂げてゆく際の、誰にも手が付けられないような上り調子の真っただ中にあるといえる。そして、それとほとんど同じような猛烈な勢いを目に見えるような形で発散し、アイドル街道のど真ん中を突っ走っていたのが、06年から07年にかけての初期の℃-uteであった。当時の℃-uteのメンバーの大半は、ちょうどロー・ティーンからミドル・ティーンに差し掛かる時期にあり、限界ギリギリまで目一杯に振り絞って放たれるような、心身ともに充実しきった大変に目覚ましい活動を繰り広げていたのである。そして、07年の年末には日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たしている。
しかしながら、その直後から℃-uteは激しい変化の季節の到来に直面することになる。度重なるメンバー・チェンジによるグループの表面的な変化と、10代の少女ならではの肉体的な成長からくる声質面などの変化。そうした様々な変化を前にして、グループのメンバーだけでなくそれを見守る側にも、かなり戸惑いを隠せない状況が生じ始めてしまっていた。ただし、この急激な上り調子の後に訪れた激しい落ち込みの時期に、その成長と変化に見合った新しい℃-uteというグループの形が必死に模索されたといってもよい。この時期に℃-uteの五人は、コツコツと積み重ねられる地道な活動の中で歌手としてもダンサーとしても確かな実力を身につけていったのである。ただの若さや勢いだけで押し切ってしまうアイドル・グループから脱却し、本当の意味で変化を遂げた新たな℃-uteが、ここから始動したのである。
この低迷期から抜け出しジワリジワリと盛り返してきた℃-uteは、現在では日本のアイドル歌謡の世界では最高峰ともいえる質の高いパフォーマンスを展開するグループとなっている。グループ結成時からの様々な紆余曲折や浮き沈みがあったからこそ、℃-uteは日本のアイドル史上においても屈指の強く逞しいグループへと成長することができたのかも知れない。
東京女子流もゆくゆくは、現在の℃-uteのような高いレヴェルのパフォーマンスで見る者全てを魅了するようなアイドル・グループになってゆくのであろう。この五人の少女には、それだけの高みを目指せる才能が確実にあり、グループとしての歌とダンスの基礎的なポテンシャルにも申し分ないものがある。ただし、様々な変化の中で、少しばかり停滞してしまう時期も、もしかするとあるのかも知れない。メンバーそれぞれの成長の個人差から生ずる歌やダンス等のレヴェルのバラつきも覚悟しなくてはならないだろうし、その足並みが段々と揃ってくるまでにはグループとしての調和がガタガタになってしまうこともあるだろう。その苦しい時期を乗り越えることは、決して容易なことではないはずだ。きっと、超一流のアイドル・グループとして大きく花開くということは、そうしたいくつもの困難を乗り越えなくてはならないということなのである。数年後、大きなアリーナのステージに立つ東京女子流の五人の姿は、どれほどまでに逞しく成長を遂げているのであろうか。


「東京女子流が終わって、そしてまた東京女子流が始まる」(
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女子流の導師達
女子流に関しては新参者の翁は、気になり始めてから、暇を見つけてはネットで情報収集 しておった。 しかしYoutubeのエントリを除くとそんなに情報が多い訳ではなかったのじゃ。 以下は色々探して、ファンの方ならずとも必読に値すると思われる記事やブログです。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ◎CD Jornal   【東京女子流】2ndアルバム『Limited addiction』ロング・インタビュー    http://www.cdjournal.... ...続きを見る
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