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zoom RSS Kimberley Chen: Kimberley

<<   作成日時 : 2012/05/13 11:00   >>

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陳芳語 (Kimberley Chen): Kimberley

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台湾を拠点に活動するキンバリー・チェン(Kimberley Chen)のデビュー・アルバム“Kimberley”。キンバリーは、今年の5月23日で18歳になる、すでに今年の歌謡界を代表する超大型新人として話題のアイドル歌手である。いや、もはやアイドルというよりも、ひとりのシンガーとして大いにその活躍が期待されている新星といった方がよいのかも知れない。それくらいに、このデビュー・アルバムには、何かただならぬ雰囲気が、濃密に漂っている。特に、何かが突出してすごいというわけではない。全体的に非常にレヴェルが高いから。そして、そのどこまでも自然体で肩の力の入っていない余裕綽々な佇まいには、何ともいえない凄みのようなものが感じられたりもするのである。

アルバムは、4月27日に台湾のSony Music(台灣索尼音樂)よりリリースされた。プロの歌手としてのデビューの地は台湾となったが、この若き才能あふれるシンガーにとって、その活躍の場が台湾だけにとどまらぬことは、すでにこのデビュー・アルバム発表の時点から目に見えている節もある。その証拠に、すでにSony Musicは台湾だけでなくアジア圏の全体で、この大型新人歌手のプロモーションを猛烈な勢いで展開している。こうした動きには、新しいアジアを代表するアイドル歌手、もしくは新たなアジアの歌姫の誕生を予感させるものすらある。このデビュー・アルバム“Kimberley”は、そんな新たな時代を切り拓く、まだ10代の若きシンガーの登場を、まざまざと感じさせるような一枚でもあるのだ。

すでに台湾の音楽シーンのみならず、東アジアの各国で大きな注目を集める作品となっている、このアルバム。ただし、それには、それだけの理由がある。キンバリー・チェンは、まだやっと18歳になるという若さでありながら、その歌手/エンターテインナーとしてのキャリアには、すでに10年以上にも及ぶものがあったりする。また、その抜きん出た実力やタレント性も、これまでに立った数多くの舞台などでのパフォーマンスを通じて、申し分ないほど十分にあることがすでに実証されているのである。この本格的なデビューの前から、歌や踊りや演技に才能を発揮するキンバリーの名は台湾だけでなく、上海や香港などでもかなり知られたものであった。ゆえに、このアルバムが、東アジアの中華圏において超大型新人の待望のデビュー作という非常に熱烈な迎えられ方をしてもいるのである。

キンバリー・チェンは、94年5月23日にオーストラリア南東部の大都市、メルボルンで生まれた。そして、彼女は、このメルボルンにおいて幼少期を過ごしている。また、彼女が、初めて人前で歌ったのも、この街においてであった。
おそらく両親ともに中国系の家庭に生まれ育ったのだと思われるが、後にエンターテインメントの世界で活躍することになる彼女にとっては、このメルボルンという都市の英語圏の社会と文化の中で幼い頃を過ごしたことは、非常に大きなプラスになっているのではなかろうか。家庭内で接する中国語と自らのルーツである中国の文化、そして家庭の外の世界で接することになる英語と英国の影響を今なお色濃くもつオーストラリアの文化。幼少期から自然と異文化に対して開かれた認識や価値観を育むことのできる環境にあったことは、この全てがグローバルに越境し光速で行き交う時代に必要な多様性というものを受け入れる心性や精神性を養うという意味でも、必ずや今に繋がるものが大いにあったはずである。また、もちろん言語的な面でも、中国語と英語の両方に身近に触れて育ったことで、マルチリンガルなパーソナリティを培えたことは、21世紀のシンガーに最も要求される国境やボーダーを越えてその歌声を届けることのできる資質や才能を身につけるうえで大いなる助けになっているはずである。キンバリーというシンガーのもつ天性のスケールの大きさは、こうした生まれながらに越境する環境に置かれていた彼女の出自からきているものと思われる。

キンバリー・チェンのプロフィールによると、彼女は4歳の頃から歌のトレーニングを受けていたという。最初は、家庭内での父親によるレッスンであったようだが、この時点ですでに彼女の歌の力量が相当な物であったのか、すぐに当時のメルボルンの交響楽団でタクトを振っていたウラジミール・ヴァイス(Vladimir Vais)に師事することになる。ヴァイスは、ボリショイ劇場の指揮者を11年間に渡ってつとめた世界的に活躍するマエストロである。いきなり、まだ小学校にも行っていないような小さな子供が、こんな大物指揮者の元で音楽の勉強をできるようになるなんて、かなり異例中の異例といえるのではなかろうか。やはり、このキンバリーという子は、小さい頃からちょっとタダモノではなかったようだ。

また、キンバリーは、この頃にはすでにメルボルン市街の街頭やクラブにおいて実際に歌い始めていたという。繁華街のど真ん中でのバスキングや定期的に催されるチャリティ・コンサートに出演し、集めたお金を寄付するなど子供ながらに積極的にチャリティ活動に参加していたようである。こうした活動も、やはり最初は父親からの導きを受けて開始したようだ。しかし、99年にオーストラリアにとっては最も隣国のインドネシアと東ティモールの間に起きた、東ティモールの独立をめぐる紛争の際には、当時まだ5歳であったキンバリーは率先して街角に立って歌い、東ティモールの難民救済のための多額の寄付を行ったという記録が残っている。
また、03年にメルボルンの王室子供病院への寄付を募るチャンネル7のチャリティTV番組「Good Friday Appeal」に当時まだ8歳であったキンバリーが出演した際の映像は、現在もYouTubeで見ることができる(http://youtu.be/aWMvL8mB0p0)。この番組では、彼女はスーパー・キッズ・バスカーとして紹介されているが、その歌とステージ・パフォーマンスは、すでにプロの歌手も顔負けな堂々たるものである。これを見て、やはり最初に思い浮かぶのは、“東京キッド”を歌い踊る幼少期の美空ひばりの姿である。ここでのキンバリーと美空に共通している点は、子供ながらに非常に完成度の高いレヴェルにある並外れた歌唱力とパフォーマーとしてのタレント性である。

ただし、キンバリーは、その大人びた歌の才能とは別に、子供らしい可愛らしさのある容姿の面でも大きな注目を集めていた。メルボルンを拠点にキッズ・モデルとして活動する傍ら、TVのCMなどにも度々出演していたようだ。当時の中華圏を中心にアジア地区で広く放映されていたマクドナルドのTVCMには、幼き日のモデル時代の彼女の姿を確認できるようである
また、03年からは、当時Nine Networkで放送されていた人気ゲーム番組「The Price is Right」に、子供モデルとして約二年半に渡ってレギュラー出演し、お茶の間の小さな人気者としても親しまれていた。

そして、この「The Price is Right」にレギュラー出演していた11歳の時にキンバリーの歌手キャリアにとって、早くもひとつの大きな転機が訪れることになる。05年7月からキンバリー・チェンは、メルボルンの由緒あるリージェント・シアターで上演されていたディズニー・ミュージカル「The Lion King」にヤングナラ役で出演することになったのである。世界的に人気のあるミュージカルの役柄であるので、このキャストに選ばれるには非常に厳しいオーディションをパスしなくてはならなかったはずである。キンバリーは、この難関を突破して、見事に大役を勤め上げたのだ。
すると、ここでの熱演が高い評価を受け、その翌年の06年夏には上海のグランド・シアター(上海大劇院)で上演される「The Lion King」にも、彼女はキャストの一員として招かれることになる。そして、この公演期間中にミュージカルのキャストの中にとびきり歌の上手い中国系の少女がいることが次第に巷の話題となってゆく。これがTVのニュース番組のトピックや情報番組で相次いで取り上げられたことでキンバリーの知名度は、さらに高まってゆくことになった。そして、この頃から彼女はミュージカルの出演の合間をぬって、上海のTV局のヴァラエティ番組や音楽番組などに頻繁に出演するようになる。
こうして上海でもお茶の間の小さな人気者となったキンバリーは、グランド・シアターでのミュージカル「The Lion King」が終幕した後も、そのままその地にしばらく滞在し、歌って踊れる子供タレントとしてTVの世界で活躍を続けていた。わずか12歳でありながら、すでにキンバリーはメルボルンと上海を拠点に、エンターテインナーとしてのグローバルな活躍を開始していたのである。

さらに、キンバリーが13歳となる年に、ふたつ目の大きな転機が訪れることになる。この時、彼女はメルボルンでも上海でもなく、エンターテインメント業界の中心地、ニューヨークにいた。この街で彼女は、08年の4月から11月にかけての約半年間を、韓国の人気プロデューサー、パク・ジニョン(Park Jin Young)が率いる芸能事務所、JYP Entertainmentの練習生として過ごすことになる。おそらく、キンバリーの上海での目覚ましい活躍ぶりに目をつけたJYPが、将来の韓国〜アジアでのデビューを見越して、事務所の練習生としてニューヨークへと音楽留学させたのではなかろうか。
10年の夏に四人組ガールズ・グループ、Miss Aの一員としてデビューした、JYP Entertainmentの秘蔵っ子であるミン(Min)ことイ・ミニョン(Lee Min Young)も、残念ながら実現することのなかった米国でのデビューの準備のために、これとほぼ同時期にニューヨークで練習生としてトレーニングを重ねていた可能性が高い。もしかするとキンバリーとミンは、ニューヨークでともにJYP Entertainmentの練習生として顔見知りであったのかも知れない。ミンは、キンバリーよりも三つほど年長となる。
また、Miss Aというグループは、韓国人のミンとスジ(Suji)と、中国人のフェイ(Fei)とジア(Jia)からなる多国籍なメンバー構成の、韓国国内だけでなく東アジア全体での活動を見据えた展開を念頭に置いて結成されたアイドル・グループでもある。これを考えると、中国系オーストラリア人であるキンバリーが、そのままJYP Entertainmentの練習生としてリハーサルを続けていた場合、こうした韓国のガールズ・グループの一員としてデビューしていた可能性は相当に高かったのではなかろうか。しかしながら、彼女はほどなくして(おそらくは自らの意思で、約半年の音楽留学期間の後に)JYP Entertainmentから離脱することになる。
この時、14歳となっていたキンバリー・チェンは、そのままエンターテインメントの聖地であるニューヨークに残り、より本格的な指導者を求めてシンガー兼女優として活躍するヨランダ・ワインズの門を叩いている。このワインズに師事したキンバリーは、09年の6月までの約半年間をみっちりと歌と踊りと演技の稽古に費やすことになる。また、このニューヨーク滞在時にキンバリーは、数多くのR&Bヒットを生み出してきたゴードン・チェンバース(Gordon Chambers)とバリー・イーストモンド(Barry Eastmond)の黄金コンビとともにスタジオ入りし、楽曲のレコーディングを行っていることが伝えられているが、その詳細はいまだに明らかにされてはいない。いつの日か、まだデビュー前の15歳の頃の初々しいキンバリーの幻の録音物が、どこからか発掘されて日の目を見ることがあったりするのかも知れない。

そして、10年の春を迎える頃には、15歳になったキンバリー・チェンは台湾にいた。約一年間のニューヨークでの音楽修行を終えてアジアへと戻った彼女は、ここでCTVにおいて放送されていた新人発掘公開オーディション番組「One Million Star」に参加していたのである。ここでも、並み居る喉自慢のオーディション参加者たちに紛れて、まだ10代半ばのあどけなさの残る少女が次々とラウンドを勝ち抜いてゆく姿が、視聴者たちの間ですぐに大きな話題となる。
しかし、結果として好成績を収めたもののキンバリーは、この番組で最後まで勝ち残ることができなかった。これには、やはり彼女が番組で英語の楽曲ばかりを歌い、全く中国語の歌を歌わなかったことに最も大きな要因があったように思われる。台湾の番組であるにも拘らず、中国語(国語)で一曲も歌わないのは、やはり致命的であったとしか言いようがない。おそらく、オーストラリア育ちである彼女にとって、公開オーディションという場で正確な中国語の発音が求められる歌唱を行うことは、非常に大きなネックとなっていたのではなかろうか。
現在、YouTubeにおいて、この番組に出演した際のキンバリーの映像をいくつか見ることができる。そこでは、ウィットニー・ヒューストン(Whitney Houston)やケリー・クラークソン(Kelly Clarkson)の楽曲を、15歳とは思えぬ大人っぽさで歌いあげる姿がしっかりと記録されている。その現在よりも、ややぽっちゃりとした印象のルックスは、どこか韓国の四人組ガールズ・グループ、2NE1のパク・ボム(Park Bom)を思わせる雰囲気がある。
しかし、このTV番組「One Million Star」への出演がきっかけで、キンバリーの並外れたタレント性は台湾のSony Musicの目に留まることとなった。そして、この大手レコード会社との間に本格的なアーティストとしてのデビューへの契約が交わされることになる。

僅か4歳の頃から路上やTV番組、そしてミュージカルの舞台などで、ずっと歌い続けてきたキンバリー・チェンの待望のデビュー・アルバムが、この“Kimberley”である。おそらく、本人にとってもプロのシンガーとなることは小さな頃からの夢であったであろうから、これは本当に待ちに待ったアルバム・デビューなのではなかろうか。メルボルンから始まり上海、ニューヨーク、台湾と、長い武者修行の旅は続いたが、18歳にして、遂にこの天才少女の大きな夢は、まずひとつ叶えられたのである。

アルバムの1曲目は、キンバリーのデビュー曲でもある“愛你”。タイトルを英訳すると“Love You”となる。この楽曲は、韓国のアイドル・グループ、SS501のメンバー、パク・ジョンミン(Park Jung Min)が出演する、台湾のCTVにて放送中の人気ドラマ「翻糖花園」のエンディング・テーマ曲としてすでに幅広く親しまれている。シンプルでストレートなロック調のラヴ・バラード。キンバリーの伸びやかな歌唱と色彩感豊かに変化するヴォーカルのうま味をたっぷりと堪能できる楽曲である。

2曲目は、“星際旅行”。このタイトルにある“星際旅行”とは、文字通りにスター・トレックのことである。この楽曲には、台湾のパイワン族という少数民族出身の人気歌手、プリンセス・アイ(Princess Ai)ことダイ・アイリン(戴愛玲)が、ゲスト・シンガーとして参加している。いきなり強力な助っ人の登場で、キンバリーのデビュー・アルバムはさらに華やかさを増してくる。このゆるやかなノリの四つ打ちポップ・ロック曲では、キンバリーの小気味よくも可愛らしいラップをふんだんに聴くことができる。プリンセスとの絡みも、なかなかの相性のよさだ。アイリン姉さんに優しく見守られながら、内面から溢れ出てくるような若さを存分に炸裂させる可愛い妹といった感じであろうか。キンバリーの澄んだ伸びやかな歌声が、広大なる宇宙空間に響き渡る。

3曲目は、“Satellite”。心躍るようなスター・トレッキングを経て、キンバリーを乗せた宇宙船は、とある衛星に到着した。懐かしのトリップ・ホップ的な浮遊感のあるエレクトロニックなサウンドをまとったR&Bポップ。スウィートなハーモニーの海で、様々な表情をもつ多彩なヴォーカルが自由に泳ぎ回る。しかし、決して一辺倒になることのないキンバリーの豊かで懐の深い歌唱の表現力には、本当に恐れ入る。そこには、これからやっと18歳になろうとする女の子の歌とは、到底思えないものがある。まだデビュー作であるはずなのに、実に深い歌だ。

4曲目は、“Wonderland”。ここは、21世紀初頭という時代を心の故郷とする、現在の10代の若者たちにとっての楽園。Googleで検索し、YouTubeからあらゆる情報を吸収する、スマートフォンを片手に、ソーシャル・ネットワークの人間関係と現実世界を行き来しつつ生きる、いわゆるS世代の若者たち。彼らは、かつてSFの世界で夢想されていたような近未来のライフ・スタイルを複合的かつ多層的に生きている。そこは、完全なる異空間であり、全く新しい人間の在り方が追求された新時代の楽園でもある。キンバリーたちの世代は、そんな世界を彼女たちのワンダーランドとして目一杯に楽しみ遊び尽くしながら生きているのだ。楽曲は、ユルくトランシーなハウス調のエレクトロニック・ポップ。全世界のS世代の若者たちに、今すぐこの楽園に飛び込んでくることを呼びかけるような歌となっている。

5曲目は、“沒有辦法沒有你”。タイトルは、“あなたなしでは生きられない”というような意味である。ピアノの演奏をバックにした、胸を締め付けるようなメロディが歌われるバラード。トリップ・ホップ的なピートにのせて、情感の高まりとともにキンバリーの非常にディープな歌唱が次々と溢れ出してくる。このあたりの感じは、もはやヴェテランのソウル歌手のようだ。本当に、この子はまだ10代なのだろうか。

6曲目は、“不可以沒有我”。タイトルは、“私たちは私抜きでは成り立たない”というような意味であろうか。明らかに、5曲目の“沒有辦法沒有你”と対になっている一曲である。つまり、私たちはふたりでひとつということ。なかなかにディープなラヴ・ソングである。中華風のオリエンタルな滑らかにうねる旋律に粗いヒップホップ・ソウル風のビート、そして浮遊感のある電子音のアトモスフェアといった要素を融合した、ドリーミーなミッドテンポ・バラード。しっとりとした横ノリの歌唱のあちらこちらで、キンバリーの持ち味のひとつである熱いR&B魂が噴出する。

7曲目は、“Friday”。ここでは、21世紀初頭の現実/仮想現実世界を生きるS世代の若者たちが眺める週末の景色が歌われる。そこでは、情報が行き交い、人が行き交い、感情が行き交う。光速で。眩いばかりの煌めきを放ちながら。前世紀にはダンスフロアや広いリヴィングルームで開かれていたパーティは、今ではスマートフォンをもつ掌の中やPCのディスプレイの前でも開かれている。全世界に網の目の如く張り巡らされたネットワークで繋がる金曜日の夜の巨大なパーティ。サウンドは、昔懐かしいニュー・ジャック・スウィングと四つ打ちエレクトロの融合。S世代の若者らしい、とても軽やかな情感の動きを表現したキンバリーの歌唱が、実に瑞々しい一曲である。

8曲目は、“Nike Air”。おそらく説明するほどでもないと思われるが、“Nike Air”とは、ナイキ社が開発した空気のクッション=エア・バッグをソールの内部に埋め込んだ、着地時の地面との衝撃を靴底が吸収する軽く動きやすいスニーカーの名称である。80年代に人気に爆発的に火がつき、現在でもファッショナブルなスポーツ・シューズの定番となっている。ここでは、そんなナイキのスニーカーを履いて軽快に街を闊歩する10代の少女たちのしなやかかつ力強い内面性が、高らかに歌い上げられる。繊細なピアノの調べをベースにしたエモーショナルなR&Bバラード。グローバルに繋がるS世代らしく、愛の告白の言葉は日本語を含む様々な言語で歌われる。ただ、この楽曲でのキンバリーの歌声は、かなり鼻声っぽい。これは、何か意図したものなのであろうか。

9曲目は、“GPS”。このタイトルの“GPS”とは、グローバル・ポジショニング・システムの略。宇宙空間の人工衛星(“Satellite”)を利用して地球上のどの位置でも位置情報を測定することのできる全地球測位システムのことである。この機能は、スマートフォン、携帯電話、カー・ナヴィゲーションなどに搭載されており、現在では普通に誰もが街中を歩く際やドライヴに出かける際に利用するサーヴィスとなっている。ここでは、まるで衛星からの測位システムの電波が途切れてしまったかのように繋がらなくなってしまったS世代の恋人たちの気持ちのすれ違いが、淡く霞むようなピアノの伴奏に乗せて、しっとりと歌われる。キンバリーの切ない歌唱が光る。

10曲目は、“So Good”。この楽曲は、人気ドラマ「翻糖花園」の挿入歌となっている一曲である。かなり正統派のエレクトロ・ポップの流れを汲んでいるサウンドが、現代的な電子音のコーティングをを施されてキラキラと煌めく。キンバリーのヴォーカルも、S世代のグローバルな愛と共感を讃えるかのように溌剌と瑞々しい弾けっぷりをみせる。また、この楽曲中には、いくつかの60年代的なキーワードを聴き取ることができる。これは、この10年代に再び愛の夏が訪れることを予言するものなのであろうか。確かに、今の時代に最も必要なものは、あの頃と全く同じで、溢れかえるほどの愛と平和であったりするのだが。

アルバムのラストを飾る11曲目は、“Never Change”。アコースティック・ギターの調べをバックに歌われる、アルバム中でも最もシンプルで、最もソウルフルで、最も真っ直ぐに突き刺さってくる楽曲だ。作詞は、キンバリー本人が担当している。ありのままの彼女の思いが綴られている楽曲といってよいだろう。その歌は、初心をいつまでも忘れずに、キンバリー・チェンという歌手の本質を変えることなく、大いなる未来へと羽ばたいてゆこうとする、静かな決意表明のようにも聴くことができる。非常にシンプルだが、深く熱い一曲である。

キンバリー・チェンのファースト・アルバムは、全体的に10代のアイドル歌手のデビュー・アルバムというよりも、かなり本格的なヴォーカル・アルバムとなっている。曲調も、エレクトリックなダンス・ナンバーからしっとりめのピアノ・バラード、そしてアコースティック調の切々と歌い込まれる楽曲まで、とても幅広い。まさに、どんな楽曲でも見事に歌いこなすキンバリーのオールマイティなヴォーカルの魅力を、アルバム全体を通じてたっぷりと味わうことのできる一枚となっているのである。
しかし、アルバムの所々には、10代の少女らしいキュートさを前面に押し出したアイドル歌謡的な要素も聴くことができる。おそらく、そうした部分こそが、レコード会社としてキンバリー・チェンという10代の新人歌手を大々的に売り出す際に練っていた第一次的な戦略の名残りなのではなかろうか。アルバムのジャケット写真の雰囲気などにも、そういった趣きのようなものは微かにだが感じ取れる。だが、そうしたレコード会社の思惑のようなものは、少しばかり現実とはズレてしまっていたようだ。キンバリーの歌は、もはやアイドル歌手の枠だけに収まりきるようなものでは全くなかったのである。彼女は、僅か4歳の頃から長年に渡り本格的なトレーニングを積んできた、かなりしっかりと歌える歌手なのだ。そこらのアイドルとは、やはり年季が違う。よって、そんなキンバリーがひとたび歌えば、そうした下地や資質の部分がどうしてもにじみ出てきてしまうのは仕方のないことなのであろう。

また、このアルバム中には、94年生まれのキンバリーが属しているS世代の世代感を強く意識し、それを前面に押し出している楽曲が非常に多い。この作品を聴くには、そのあたりのスマートフォンとソーシャル・ネットワークに代表されるSなツールを使いこなし、グローバルな繋がりの中で青春を謳歌する新世代の世代感覚のようなものを、ある程度理解していたほうがよさそうである。
S世代とは、諸説様々あるが、年代的には現在の10代後半から20代の若者のことをいうようだ。ちょうど、20世紀末の80年代後半から90年代にかけて誕生した世代である。日本でいうと、いわゆるバブル崩壊以降の失われた20年が、そのこれまでの人生そのものという(バブル崩壊以前の日本を知る者から見ると非常に不幸な/絶望の国の幸福な)若者たちだ。また、世界的にみても、この世代の若者たちは、90年代後半のアジア通貨危機や00年代後半の世界金融危機といった比較的大きな沈み込みを、いくつか立て続けに経験してきている。だが、やはりアジアのS世代は、とりわけ非常にタフな時代を生きてきたことになるであろう(ただし、中国だけは全く別の意味でタフな時代となっていたのだが)。ただ、それだからこそ、彼らは彼らなりの強かさを身につけてもいる。世紀をまたいでテロ事件や戦争・紛争、そして経済危機が続いた時代に生まれ育ってきたことで、これまでのどの世代にはなかったような、厳しい時代を生き抜く感覚が、自然と備わるようにもなったのであろう。S世代とは、グローバルな資本主義経済の浮沈に翻弄される世界で強く逞しく育った、この時代に最も適応している世代でもあるのだ。その特徴は、多様な形の人と人との繋がりを大切にするという点にもよく表れている。まさに、スマートフォンとソーシャル・ネットワーク、ツイッターやフェイスブックを巧みに使いこなし、賢く逞しくサヴァイヴしてゆく世代なのである。

キンバリー・チェンは、そんなS世代を代表するアジア発の本格派のアイドル歌手として、世界的な舞台へと大きく羽ばたいてゆく資質を十二分にもっている。あらゆる情報がグローバルな広がりの中で交錯し、全てがグローバルに繋がり連鎖している時代。そこで求められるのは、やはり新しい時代の担い手であるS世代の歌手によるS世代の言葉で歌われるS世代のための歌であることは間違いない。そして、それこそが、きっとここで聴くことのできるような広さと深さをもつ歌なのであろう。
今や時代は、グローバル化する情報と商品の流れを受けて、アジアを拠点に世界的に活躍するアイドル歌手の登場を待ち望んでいるかのように思える。現時点では、海外での評価の高い少女時代(Girls' Generation)やパフューム(Perfume)あたりが、その位置に最も近い存在であるのかも知れない。また、S世代を代表する逸材としては、93年生まれのきゃりーぱみゅぱみゅ(kyarypamyupamyu)という完全に突き抜けたポップ・アイコンがいることも忘れてはならないだろう。しかし、アジアの歌姫としてグローバルに通用するシンガーという意味では、このキンバリー・チェンが、やはり最右翼なのではなかろうか。
天才少女として4歳の頃から歌い続けてきたキンバリーだけに、その歌唱力にはかなり絶対的なものがある。そのことは、本作を通して聴けば誰の耳にも明らかであろう。ただ、あまりにも成熟した歌唱が所々に顔を出してしまい、ちょっと18歳の新人アイドル歌手が歌っているとは俄には信じられない瞬間が多々あったりもするのだが。
これまでアジアの歌手の前には、常に言葉の壁というものが、世界へと飛び出す手前に高く立ちはだかっていた。ただし、こうした壁は、S世代の感覚では最初から極めて低いものである。幼い頃からインターネット環境に親しんでいた世代だけに、多言語でコミュニケートすることは、もはや日常の一部分となっているのである。また、幼少期から音楽の勉強と修行、そしてミュージカル公演のために、洋の東西を行き来していたキンバリーにとっては、英語圏も中国語圏も、いずれも彼女のテリトリーであることに違いはないのである。それを証明するかのように、このデビュー・アルバムは、英語での歌唱曲と中国語での歌唱曲が、ほぼ半々の構成となっている。それが、実に当たり前のことであるかのように。

遅かれ早かれS世代の時代は訪れるだろう。その先陣をきって、ここに遂にデビューを果たしたキンバリー・チェンが、21世紀のアイドル歌手の新しいひな形を作り出してゆこうとしている。この記念すべきファースト・アルバムは、その最初の一歩である。彼女のしっかりと肝の据わった歌唱からは、何か大いなる可能性のようなものが感じ取れはしないであろうか。まだ18歳ながらも歌い手としての10年以上のキャリアをもつ、キンバリー・チェン。土台は、これ以上ないほどに堅固である。あとは、アジアから世界に向けて飛び立つだけだ。その飛翔のための翼の準備も整いつつある。今こそグローバリズムの潮流を飛び越えて、まだ見ぬ対岸を目指して羽ばたくときだ。キンバリー・チェンとは、そんな大いなる期待を寄せたくなる素晴らしいシンガーなのである。(12年)

(追記)
ただし、このアルバムにひとつだけ重大な欠点があるとすれば、いくつかの楽曲でキンバリーの歌声がひどい鼻声のように聴こえるという点が挙げられるだろうか。おそらく、この春のリリースに向けて、いくら温暖な台湾といえども冬の最も寒い時期にレコーディングが行われたのであろう。しかし、歌入れの際に主役の歌手が風邪気味であったら、再レコーディングをしてもよさそうなものなのだが。それほどまでに時間的に余裕のない制作作業であったということなのか。もしくは、ここに収録されているものが、最もベストな症状の軽いテイクだったということか。やや理解に苦しむものがある。次回の作品では、万全の状態でのキンバリーの歌唱をばっちりと記録してもらいたいものだ。‡

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Kimberley Chen: Kimberley 溝!/BIGLOBEウェブリブログ
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