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zoom RSS 2011, Back To Black V

<<   作成日時 : 2011/07/30 06:00   >>

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2011, Back To Black

V

こうして眺めてゆくと、ここ最近ずっと聴き返していたものが、80年代前半の音楽に大きく偏っていたことにあらためて気づく。つまり、何かが大きく変わってしまう前の時代に耳にした音楽ばかりということになるであろうか。
85年前後をひとつの境にして、時代の流れの潮目が変わった。それが、音楽を取り巻く世相や環境にも影響し、時代とともに動いている音楽そのものの質をも、少しずつ変えていった。さらには、そうした時代の変化が、音楽の聴こえ方や、音楽の聴き方に対しても、根底の部分で徐々に影響を及ぼしていったと考えられる。
今現在の心理状態や気分を基準にして接すると、その節目よりも以前のものに、より強く反応してしまうことになるのは、当時の時代の空気の中で感じられていた危機意識や終末観といったものが、この3月11日以降の現実と、ある種の地続きであるかのように思えるからなのかも知れない。確かに、あの頃の意識と今の意識には、何か共振するものがあるように感じられる。

そのように眺めてゆくと、86年4月26日のチェルノブイリの大事故より以前の世界の音楽には、やはり何かを強く感覚させてくれるものがある。そこには、迫りくる巨大で不気味な危機の時代に対して、警鐘を鳴らし、異議や違和感をストレートに訴えかける音楽があった。FGTHの“Two Tribes”は、その典型にして、最大のヒットを記録した楽曲といえるであろう。
あの当時の誰もが、核兵器や核戦争、原子力に対するモヤモヤとした不安や恐怖を、国際情勢や日常的な社会問題から嗅ぎ取り、肌で感じ取っていた。そうした曰く言いがたい重苦しさや暗さを孕んだ時代の気分が、ある種の嗅覚に敏感な人々の制作する音楽作品に反映され、世界中のあちこちから噴出していたのである。

当時の日本のインディーズ・シーンにおいても、先きに触れたオート・モッドとも関係の深い二組のアーティストが、そういった性質を顕著に表した作品をこの時期に残している。

まず取り上げたいのは、ジャパニーズ・ハードコア・パンクの雄、ギズム(G.I.S.M.)である。この徹底して権力に対するディスオビーディエンスな姿勢を貫き続けるアーバン・ゲリラ集団もまた、その音楽において(勿論、作品のアート・ワーク等でも)常に強烈なメッセージを打ち出していることで知られている。
どうしてもギズムというとヴァイオレンス(暴力)のイメージと結びつきがちであるが、それはゲヴァルトに訴えかけねばならぬ程に、即座に打ち倒さねばならない対象が、現実に存在するということの表れにほかならない。ゆえに、その表現も、自ずと権力という理不尽な暴力に対抗するために徹底してヴァイオレントに研ぎすまされたものとなる。
画像そんなギズムの楽曲の中でも、突出してストレートに強い意思を表明しているものがある。それが、82年にCity Rocker Recordsより発表された、オムニバスのライヴ・アルバム“Outsider”の収録曲“AAHB”である。この“Outsider”は、80年代初頭のエクストリームなアンダーグラウンド・パンク・シーンの息吹を生々しく伝える、歴史的な名盤と名高いアルバムだ。そのアルバムの冒頭に収録されている、ギズムの圧巻のパフォーマンスのうちの一曲が、“AAHB”となる。
この楽曲の日本語タイトルは、公式なものではないかも知れないが“原水禁”という。つまり、この“AAHB”とは、原水爆反対を意味する「Anti Atomic and Hydrogen Bombs」の略ということ。また、ヴォーカルの横山SAKEVIは、曲中でハッキリと「原水禁」というフレーズを連呼してもいる。これは、実に直接的なプロテストである。無駄に弁を弄することは一切なく、どこまでもストレートに自らの主張を突きつける。そこには、一命を賭けた訴えというような迫真さすら漂っている。
このアルバムには、ザ・カムズ(The Comes)、ラフィン・ノーズ、ガーゼ(Gauze)、マスターベーション(Masturbation)、マダム・エドワルダ(Madame Edwarda)などの演奏が収められているが、やはり“AAHB”から感じられる強烈なメッセージ性は、傑出している。
この単刀直入なプロテスト以上に、直裁に核兵器廃絶を訴えかけている楽曲は、おそらく世界中を探してもそうそうないであろう。

そして、もう一組は、今は亡き北村昌士(Masashi Kitamura)が率いていたモンスター級のトリオ・バンド、YBO2(正式な表記は、YBO²。呼称は、イボイボ、ワイビーオーツーなど)である。
84年、プログレッシヴ・ロック〜ニュー・ウェイヴ専門の音楽雑誌『Fool's Mate』の編集長であった北村を中心にYBO2は結成された。そして、それと同じ84年に北村は、インディ・レーベルのTrans Recordsを設立している。
画像このTrans Recordsより86年1月に発表された、YBO2のデビュー・シングルが“Doglamagla”である。表題曲は、同名の夢野久作の怪作小説「ドグラ・マグラ」に登場する「キチガイ地獄外道祭文」の一節をアレンジした、まさに奇々怪々な名曲だ。
当時の吉田達也(Tatsuya Yoshida)(ドラムス)、K.K. Null(ギター)、北村(ベース)という強烈な布陣から叩き出される、太く分厚い轟音サウンドの異様なまでのキレのよさは、どう考えてもちょっと尋常ではなかった。ノイズと音楽の境界を電光石火の如く駆け抜ける、ある種の奇跡的な音を、この初期のYBO2には聴くことができる。
しかし、ここで取り上げたいのは、その“Doglamagla”ではない。そのシングルのB面に収録されていた“Ural”という楽曲に、注目したいのである。

ウラルとは、ロシア(旧ソビエト連邦)の中西部に位置する管区の名称である。
東西冷戦期、米国とソ連の二国間において、止まるところを知らぬ核兵器の製造競争が起きていた。そんな死の香りに満ちた恐怖の時代の真っただ中の57年、カザフスタンとの国境に近いウラル地方のチャビリンスクにあった核兵器に転用するためのプルトニウムを抽出するプラントにおいて、放射性廃棄物の貯蔵タンクが冷却装置のトラブルによって冷温を保てなくなり爆発事故が起きた。
この爆発によって、大量の放射性物質が大気中に飛散することになる。この事象は、原子力事故の国際的な尺度ではレヴェル6と評価されている。ただ、このプラント周辺では、爆発を起こした大事故よりも以前から、放射性廃棄物の垂れ流しによって、河川や貯水湖の水質汚染や土壌の汚染などの深刻な被害がもたらされていたともいう。
しかし、極めて秘密主義的に進められていた冷戦下の核兵器製造計画の性質上、この多数の被曝者を出した大事故や汚染の実態は、約20年以上に渡り極秘事項のまま謎のヴェールの内に包まれ続けることになる。

YBO2の“Ural”は、この度を越した軍拡競争に端を発する杜撰な放射性廃棄物の管理によって発生してしまった核の大惨事で、大量の放射性物質の漏出や飛散を被り、深い闇の底に突き落とされてしまった土地の名をタイトルに冠している。
また、この曲の中には、ウラル地方とともに、ビキニ環礁、広島、デス・ヴァレーといった場所の名前も歌い込まれている。いずれも核兵器の実戦使用や核実験によって、大量殺戮を目的とした核爆弾・核爆発の脅威の標的となり、死の灰の降下などによって、核の恐怖に晒された土地の名称である。
この楽曲で描き出されているのは、核戦争や核実験によってもたらされる核の冬や、その先にある終末の光景である。その曲調は、終始拗れるように重々しい。北村は、頭上から降り注ぐ大量の死の灰を、慈悲深き神の愛の顕現と重ね合わせる。
禁断の核の力を手にした人類にとって、その決して扱い切れぬ程の大きな力は、破滅への道そのものであった。そして、そのおぞましき魔の力の前に屈した全人類が、自ら死へと至る運命を選択した時、そこに天上から神の恩恵の如く放射性降下物が静かに舞い落ちる。もしも、この世に神が存在するのなら、罪深き人類を地球上から絶滅させるという形で、救済の手を差し伸べるであろうから。
ドイツの哲学者、マルティン・ハイデッガー(Martin Heidegger)は、かつて「かろうじてただ神のようなものだけがわれわれを救うことができるのです」と語った。ならば、その慈愛に満ちた死の灰を降らせる神こそが、最後の神なのであろう。

北村は、悲痛な響きをもった歌声で切々と歌いあげる。「ビキニ、ヒロシマ、ウラル、デス・ヴァレー/降り注げ、死の灰、神の愛/最後の人が死んだ/朽ちおち、爛れおちる国よ/僕の声が聞こえるか/風と海と砂に帰る/唇、押し当てて、血まみれの/裂けた世界から、言葉が落ちる」。
この歌詞は、長い長い年月を経た後の、死した棺と化した福島第一原子力発電所の光景を、どこか連想させるものがある。吹きつける潮風と波に洗われ、全てが朽ち果て崩れ落ち、浸食されて、人類の負の遺産が、青い太平洋に面した広大な何もない白い砂地へと還ってゆく光景を。最後の人も死に絶えた、その罪深き土地に、もはやかつてあった国はない。とてもゾッとさせられる夢想である。
しかし、現在の感覚で、この楽曲を聴くと、冒頭で歌われる「ビキニ、ヒロシマ、ウラル、デス・ヴァレー」といった象徴的な地名は、チェルノブイリを経由して、どうしてもフクシマへとイメージ的に結びついてしまうのだ。

ちなみに、この“Ural”を収録したYBO2のシングル“Doglamagla”は、チェルノブイリの原発事故の約三ヶ月前にリリースされている。
それから25年の年月を経て、3月11日以降の世界で、あのチェルノブイリが再び俄に身近に感じられるようになったのと同じように、この“Ural”もまた、強烈な現実味をもって耳と胸に響き始めた。何という巡り合わせであろうか。

やはり、あの頃に誰もが感覚していた不安や恐怖は、決してどこにも去ってはいなかったということなのであろう。そう、ただただ都合よく忘却されていただけだったのだ。
一度、大きく変わってしまった時代の潮目は、そう簡単には元には戻らない。今から振り返ると、あの転換点から、容赦なきポスト・モダンの時代が本格的に幕を開けたようにも思える。そして、内心では核戦争や原発事故にひどく怯えながらも、空虚さと妙な白々しさにすっぽりと包み込まれた時代の流れに、ズルズルと引きずられていってしまうことになったのである。
そしてまた、新たな大きな節目を迎えた今、少しだけ瞑っていた目が再び開き始め、さらに時代が悪化してしまっていることを現実に感覚し始めている。それでも、わたしたちは、またしても様々なことを都合よく忘却して、このままズルズルと再び流されていってしまうのであろうか。

チェルノブイリと福島。世界を不安と恐怖に怯えさせた、ふたつの象徴的な事故。制御不能のレヴェル7は、ハッキリと核と原子力の猛威を前にした時の、か弱き人類の限界をまざまざと示している。目に見えぬ放射線は、ただただ理由なき不安を増幅させ掻き立てるのみである。誰が本当に正しい安全と危険の裁定を下せるのか。いつまで、わたしたちは、この放射性物質をまき散らす危険な大量殺戮施設を容認し続けるのであろう。

最後に、チェルノブイリ以降に発表された作品を、ひとつ取り上げておきたい。

これは、パブリック・イメージ・リミテッド(Public Image Limited)のオリジナル・ギタリストであった、キース・レヴィン(Keith Levene)が、PIL脱退後にソロ・アーティストとしてリリースした一作である。
84年、PIL名義のブートレッグ・アルバム“Commercial Zone”がリリースされる事件があった。これは、83年にレヴィンがバンドを脱退する直前まで行っていた録音セッションのマスター・テープを持ち出して、勝手にプレスしたものであることが発覚している(後に、このセッションの楽曲のうちの数曲はレヴィン脱退後のメンバーで再録音され、84年にPILの六枚目のアルバム“This Is What You Want... This Is What You Get”の収録曲として発表された)。
ギタリストとしての非凡な才能をもつ天才肌のアーティストであるレヴィンにとって、次第に結成当初のコンセプトとは大きく異なるポップで商業主義的な路線へと傾いてゆくPILが、どうにも我慢のならないものになってしまっていたようだ。そこで画策されたPILに対する単独でのレジスタンスとなるテロ行為が、“Commercial Zone”であった。しかし、それにしても実に皮肉たっぷりで辛辣なタイトルである。
画像そんな思いきり繊細で鋭い感性と思いきり尖った個性をもつレヴィンが、87年に発表した初のソロ・ミニ・アルバムが“2011 - Back Too Black”だ。
そのA面には、“Back Too Black”と“2011”の二曲が収録されている。かなりキレた即興的なギターとファンキーなベースを中心とする、スタジオ・セッションの断片のような“Back Too Black”。そして、インダストリアル系のリズムの壊れかけの反復やメタリックなベースラインの彼方から、亡霊たちのざわめきの如きギターのノイズが木霊のように深く響き渡る“2011”。
どちらの楽曲にも、やはり分かりやすいポップさに通ずる部分は、欠片もない。べっとりとした暗さとノイズとミニマリスティックな反復のみが、そこにはある。
そして、この二曲のタイトルを眺めていると、どうしても、あるひとつの読みが脳内に浮かび上がってきてしまうのである。深いさらなる暗黒へと戻る、2011年。実に不気味でゾッとさせられる読み解きではある。まるで、何かを予言しているかのようではないか。
この80年代後半の時点でレヴィンは、11年に再びわたしたちが、言いようのない不安と恐怖が日常へと迫りくる、深い暗さに包まれた時代へと回帰することを知っていたのであろうか。異常に鋭い感覚をもつレヴィンであるから、何かが見えていたとしても不思議ではない。それとも、これは、ただの偶然が重なっただけなのだろうか。そもそも、この読み自体が、最初から大きな誤りでしかないのか。
それでも、何もかもが絶対とは思えなくなってしまった現在の感覚で眺めると、この“2011 - Back Too Black”が、恐ろしく暗示的なタイトルであるように思えて仕方がなかったりもするのである。

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