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zoom RSS 2011, Back To Black III - ii

<<   作成日時 : 2011/06/30 16:00   >>

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2011, Back To Black

III - ii

続いて取り上げるのは、パンク〜ニュー・ウェイヴ期に多くの輝かしいタレントを輩出した、リヴァプールの音楽シーンから現れたフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(Frankie Goes To Hollywood)の名曲“Two Tribes”である。
フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(以下、FGTH)は、82年に元ビッグ・イン・ジャパン(Big In Japan)のホリー・ジョンソン(Holly Johnson)によって結成されている。当初は、彼の地のポスト・パンク・シーンで活動する、数多のローカル・バンドのうちのひとつに過ぎなかった。

ちなみに、ビッグ・イン・ジャパンには、後にThe KLFの一員として大活動するビル・ドラモンド(Bill Drummond)、デフ・スクール(Deaf School)のクライヴ・ランガー(Clive Langer)、後にザ・ライトニング・シーズ(The Lightning Seeds)としてヒットを飛ばすキングバード(Kingbird)ことイアン・ブローディ(Ian Broudie)、後にスージー&ザ・バンシーズ(Siouxsie And The Banshees)のドラマーとして活躍するバッジー(Budgie)といった、錚々たる面々が在籍していた。しかし、その約2年という短い活動期間中に、この伝説のバンドは、僅か7曲の録音しか残していない。
当時のリヴァプールには、その音楽シーンの中核となっていたEric'sなどのクラブでのライヴを中心に活動し、全く録音物を残すことなく消えていった幻の名バンドが多数存在した。ビッグ・イン・ジャパンのように一枚でもシングルを残せたバンドは、かなり幸運な部類に属するバンドであったといえるのかも知れない。

このFGTHもまた、星の数ほどひしめき合っていた幻の名バンドたちと同じ運命を辿っていたとしても、決しておかしくはなかったのである。その証拠に、ジョンソンがFGTHを結成する以前に組んでいたバンド、ホリーコースト(Hollycaust)は、何ひとつとして作品を残すことなく消滅しているのだ(その後、FGTHと改名し復活)。
しかし、どうやらFGTHには、ちゃんと幸運の女神がついていたようなのだ。バンド結成から約半年が経った、82年の10月に、大きくFGTHの運命は動き出すことになる。

このリヴァプールの無名の新バンドは、英国国営放送のBBC Radio1において名物音楽プログラムを担当するDJ、ジョン・ピール(John Peel)によって、番組のセッションに招かれたのである。パンク〜ニュー・ウェイヴ期に多くの若きタレントを発掘したピールの番組で紹介されたことで、FGTHは、一躍注目の若手バンドとして広く認知されるようになる。
そして、偶然にも、その演奏が、スター性のあるニュー・ウェイヴ・バンドを探していた、大物プロデューサーの目に留まることになるのだ。そのプロデューサーこそが、ザ・バグルス(The Buggles)のトレヴァー・ホーン(Trevor Horn)であった。間もなく、FGTHは、新たにホーンが設立したレコード会社、ZTTとの契約を交わすことになる。このバンドが、後に辿ることとなった悲喜こもごもの命運は、全てこの瞬間から転がり出したといっても過言ではないだろう。

画像83年11月、FGTHはZTTよりデビュー曲“Relax”をリリースする。それまで特に目立った活動をしていた訳でもない、北部リヴァプールからやって来たニュー・カマーのデビュー曲が、いきなりヒットするようなことはなく、当初はチャートでの反応も鈍かった。しかし、次第にSM趣味が垣間見れるジャケットのアート・ワークや、そこに記されている過激な性的行為を連想させる言葉などが話題となり、デビューから約二ヶ月後に出演したBBCの音楽番組「Top Of The Pops」の放映をキッカケにFGTHは一気に大ブレイクすることになる。
ただ、このブレイクによって、却って過激なジャケットへの注目が集まり、突然BBCを始めとする殆どの放送局において“Relax”は放送禁止処分となってしまう。そこにあったのは、隠語めいたポルノグラフィックな表現による記述であったにも拘らず、度を越して扇情的だと判断されてしまったのである。しかし、この騒動が、よりセンセーショナルな話題を呼んで、遂に84年の1月の末に“Relax”はナショナル・チャートのトップを奪取することになる。

まさに、この成功は、最初からしっかりと話題の種を仕込んでおいた、プロデューサーのホーンとZTTのブレイン陣の大勝利だといえよう。
さらにいえば、この“Relax”という楽曲に、FGTHのバンド・メンバーは殆ど参加してはいないのだ。元々のリヴァプールのローカル・バンドによる演奏は、全てホーンとジ・アート・オブ・ノイズ(The Art Of Noise)のメンバーによるセッションによって生み出されたリッチなエレクトロニック・サウンドに差し替えられているのである。“Relax”は、最初からポスト・プロダクションが中心の所謂リミックス・ヴァージョンでリリースされたことになる。
見事にチャートを制したFGTHのシングルであったが、そこで聴くことのできた実際のFGTHによるサウンドとは、ほぼジョンソンのヴォーカルのみであったというのは、実に皮肉な話である。ホーンとZTTによって、周到にひとつのパッケージとして作り上げられたFGTHの“Relax”は、まさしく作られたヒット曲として、驚愕の記録的セールスを叩き出すことになる。

画像そんな、突如英国の音楽シーンに現れた(ように見えるように作り上げられた)、かなり人騒がせな音楽集団(フロントマンのジョンソンとポール・ラザフォード(Paul Rutherford)は、彼らが同性愛者であることを決して隠すことはなかった)、FGTHが、放送禁止でありながらも大ヒットしてしまった“Relax”に引き続いて、84年の5月にリリースしたセカンド・シングルが“Two Tribes”であった。
完全にFGTHという存在に全国津々浦々に至るまで話題騒然となっていた状況下に登場した新曲であったために、この“Two Tribes”は、デビュー曲を凌ぐほどの記録的な大ヒット曲となる。いきなりナショナル・チャートのトップに躍り出ると、そのまま9週間もの長きに渡り延々と首位に居座り続けたのである。まさに英国全土がFGTH旋風にすっぽりと包まれていた。

“Two Tribes”は、その名の通りにふたつの種族の対立を歌った楽曲である。時代は、まさに東西冷戦状態からくる緊張のピークのただ中にあり、いつ起こるとも知れぬ全面核戦争に対する恐怖が、辺り一面を包み込んでいたのだ。当時、世界終末時計の長針は、この世の終わりの3分前を指していた。
そんな日常に迫る巨大な緊張と恐怖の感覚を、FGTHは、この“Two Tribes”という楽曲において、(プロデューサー、ホーンの適切な導きに従って)スピーディでダンサブルなビートによるタイトでクリアなファンク・ロック・サウンドで、見事に描き出してみせた。
放送禁止となったデビュー曲とは違い、ここでのFGTHは、楽曲そのものの内容で、まず多くの人々の関心を惹き付けた。冷戦下の重苦しい時代にあって、やはり核戦争というものは、多くの人々にとっての一大関心事であったのだ。
紛れもなくそこに存在する、ふたつの陣営の対立を、まるで焚き付けるかのようにパラドキシカルに歌い表現することで、“Two Tribes”は、時代が最も怖れる不安と恐怖の形をクッキリと浮き彫りにしてみせる。そして、脅威の9週連続一位という桁外れの大ヒットを記録したのである。
この楽曲に限っては、またしてもスキのない鉄壁のプロデュースを手がけたホーンとZTTとともに、ピタリと時代を捉えたテーマで作詞と作曲を手がけることのできたFGTHの勝利だといってもよいであろう。

個人的にも、この“Two Tribes”のシングルを貸レコード店から借り出してきて、最初に聴いたときのことを克明に覚えている。
輸入盤の新譜を定期的に入荷していた貸レコード店に頻繁に通いつめ、新作のチェックを欠かすことがなかった当時(85年9月のプラザ合意以前は、輸入盤は国内盤よりも格段に高値であり、おいそれと購入できるものではなかった)、全世界で話題沸騰中であり何やら新時代のスター性を感じさせてくれるFGTHの新しいシングルを見かけたら、やはり即座に手を伸ばさずにはいられなかった。
すでに、その時点で、前作の“Relax”も借りて聴いていたと思う。ホーンのプロデュースする、まさにZTT的な、しっかりと作り込まれたパワフルで太く分厚いエレクトロニック・サウンドに、何かただならぬものも感じてはいた。そこには、ちょっと、それまでに聴いたことがなかったような独特のスタイリッシュなグルーヴ感をもったサウンドがあったのである。

まず、借りてきた“Two Tribes”を聴きながら(正確には、カセット・テープにダビングをしながらだが。Home Taping Is Killing Music?)したことといえば、ジャケットの裏側にところ狭しとプリントされているクレジットなどの英文の解読を、必死になって試みることであった。そして、そこには、超大国の核兵器の保有量や、それが使用された際の影響や作用についての情報が、細かに記されていることが読み取れた。
それは、前作で倒錯した性行為やセクシャルな内容を露骨に連想させる表現を行っていたFGTHと同じバンドのものとは思えぬほどに、かなりシリアスな記述が並ぶジャケット裏となっていたのである。今から思えば、そうした硬軟のギャップを前面に出す展開もまた、ZTTのブレイン(アート・オブ・ノイズのポール・モーリー(Paul Morley))による周到に仕込まれた戦略であったことは明白であるが。
だがしかし、これには、かなり真に受けざるを得ないものがあったことも確かなのである。反戦・反核は、80年代前半のパンク少年にとっては、かなりの重大な問題であったのだ。当時、日本にも、反戦・反核のメッセージを掲げて活動するパンク・バンドやハードコア・パンク・バンドは、非常にマイナーな存在であったがインディ・シーンに数多く見受けられた。しかしながら、ここまで世界的にセンセーショナルな話題となっているロック・バンドが、これほどまでにストレートに核戦争や核兵器についての詳細な情報を、自らの作品のジャケットの大部分を割いて伝えようとしている事実は、かなり衝撃的なものであった。

現実に、世界は人類を何度も滅亡させることができる程の大量の核兵器で溢れかえっていたし、もしも全面的な核戦争が一度起きれば、放射能で汚染された地上で再び人間が生活できるようになるまでに気が遠くなるほどの長い年月がかかる。地表で生きる危険が全て消え去るまで、人類は何世代も地下のシェルターでの生活を余儀なくされるのであろうか。そんなことは、まさに、この地球という星にとっての最悪の悲劇以外の何物でもない。
“Two Tribes”のジャケット裏の記載と必死になって格闘していると、そんな恐ろしい核戦争が、すぐ間近にまで迫っていることを、本当に現実感をもって示されているような気分になってきた。ふたつのトライブの深刻な対立が、戦争にまで発展する時、全てが終わる。当時、その終末の時が、ほんの3分後に訪れたとしても、何もおかしくはない世界に、わたしたちは生きていたのだ。
その12インチ・シングルの黒を基調としたジャケットには、キッパリと「We Don't Want To Die」というメッセージが記されており、FGTHの核戦争に対する態度が表明されている。

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