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<<   作成日時 : 2010/11/10 22:00   >>

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Chico Mann: Analog Drift
Wax Poetics WPR010

画像 チコ・マン(Chico Mann)は、ブルックリンのホットなライヴ・シーンから登場した大所帯のアフロ・キューバン・ファンク・バンド、アンティバラス・アフロビート・オーケストラ(Antibalas Afrobeat Orchestra)のギタリスト、マルコス・ガルシア(Marcos Garcia)によるソロ・プロジェクトである。本作は、07年にオランダのKindred Spiritsより発表された“Manifest Tone Vol. 1”に続く、チコ・マンにとっての二作目のアルバムとなる。元々は、ガルシアのウェブサイトなどを通じてセルフ・リリースされ、08年に限定のツアーCD(当時のタイトルは“Analog Drift : Muy Esniqui”)としてライヴ会場で販売されていた音源であるが、この度、正式にWax PoeticsよりフィジカルなCDアルバムとして再リリースされることとなった。リリース日は、10年10月26日。
 ガルシアは、“Manifest Tone”と題されたEP形式の楽曲集を、これまでに第三弾までBandcampを通じて発表している。こうした非常にインディペンデントでDIY寄りな活動姿勢からは、チコ・マンにおける音楽制作が、ガルシアにとって極めてパーソナルな作業であることが窺えもする。ガルシアは、ニュー・ジャージー州ジャージー・シティの自宅スタジオ、Furious Panther Studioにおいて、ギター、ベース、そして子供の頃から愛用しているカシオトーンを始めとする多くのヴィンテージ・シンセサイザーやキーボードの演奏、リズム・トラックのプログラミングまでを、全てひとりでこなしてレコーディング作業を行っている。
 そこで純粋に創作意欲の赴くままに録りためられていった作品が、何らかの節目に際して“Manifest Tone”という楽曲集にまとめられてゆくのだろう。それらは基本的にコマーシャルなリリースを目的として録音された楽曲ではない。ゆえに、完全に自らの手と目の届く範囲での、究極のインディともいえるセルフ・リリースという形で世に送り出されている。作品のCD化とはガルシアの創作活動において、ある種のオマケのようなものであるのかも知れない。外部のレーベルとリリース契約を交わすことで、次の作品を制作するための足がかり(活動資金)を作り出す。それ以上でもそれ以下でもないのではなかろうか。
 ただし、今回のWax Poeticsからのリリースが、チコ・マンの音楽活動において、大きな飛躍のキッカケとなる可能性は大である。このフィジカルなリリースを受けての多くのメディアへの浮上は、これまでの良くも悪くもパーソナルなレヴェルに止まっていた評価を、一気に押し広げ、チコ・マンの音楽が大きなポピュラリティを獲得する絶好のチャンスとなるであろうから。近い将来には10年の本作のリリースの以前と以後を分岐点として、チコ・マンの音楽活動の変遷が語られるようになるに違いない。この先のチコ・マンは、必ずや目に見えて大きくステップ・アップしているであろうから。
 ガルシアが、チコ・マンとしての音楽制作活動を開始したのは、04年頃のことであるという。アンティバラスの一員として各地をライヴ・ツアーで飛び回る多忙な日々の中で、ガルシアの内面に、よりパーソナルな音楽志向にフォーカスした創作活動への欲求が高まっていったようである。また、ひとりで何でも楽器をこなしてしまうマルチ・インストゥルメンタリストである身にとっては、大所帯バンドの一隅でギターのみと格闘するばかりのライヴ活動は、少なからず欲求不満が溜まってしまう部分もあったのかも知れない。それでなくても本格的にアフロ・ファンクを演奏するアンティバラスであるから、ライヴでは10分を越える楽曲を立て続けに、ほぼノン・ストップでプレイすることもザラである。その熱くファンクするアフロなグルーヴの中で、演奏家たちは延々とワン・フレーズを反復して弾き続けることを要求されるのだ。何しろ果てしない反復から湧き立ってくるアフロ感覚の渦こそが、そこでは何にも増して胆となるのだから。チコ・マンとは、そうしたアフロ・ファンクの迫真のグルーヴからゴッソリと脱落してしまっている、ポップでライトな洒落の利いたサウンドを掬いあげるところから生まれたオルター・エゴであるのかも知れない。そして、そうした音の志向こそは、ガルシアにとっての音楽的ルーツの重要な一部をなしているサウンドでもあったようだ。
 ニューヨークのヒスパニック・コミュニティにおいて、ガルシアの音楽体験の基礎は強烈に刻みつけられていった。ガルシアの父親は、マンハッタンのミッド・ウェストにおいてラテン音楽専門のレコード・レーベルを所有し、自らもメレンゲのレコーディング・プロデューサーとして活躍していたようだ。そして、母親はピアニストであり、ディスク・ジョッキーなどとしても活動していたという。ガルシアは、こうしたヒスパニック系の音楽一家において、人並外れて幅広く新旧のラテン音楽に親しむことのできる環境で育ったのである。母親の弾くピアノや、父親のスタジオに出入りするミュージシャンたちの本物のラテンな演奏を身近に感じながら、ガルシアも幼い頃からピアノとギターの練習に精を出していた。
 だが、若き日のガルシアにはラテン音楽や楽器演奏のほかにも、熱心に取り組んでいたものがあった。それが、ブレイクダンスである。80年代のニューヨークの街角は、ダウンタウンよりもさらに下に位置するブロンクスから押し寄せてきた、掟破りなまでに斬新な感覚から生み出された、全く新しい世代の音楽の波にどっぷりと飲み込まれていた。ガルシア少年も、そんな時代の大きなうねりの中で、ヒップホップの洗礼を受けたのである。
 ズールー・ネイション(Zulu Nation)を率いるDJのアフリカ・バンバータ(Afrika Bambaataa)は、82年にエレクトロ・ヒップホップの古典“Planet Rock”を大ヒットさせ、サルサの大御所であるウィリー・コローン(Willie Colon)は、86年に大胆にエレクトロニックなダンス・ビートを取り入れた“Set Fire To Me”をクラブ・ヒットさせた。そして、リサ・リサ&カルト・ジャム(Lisa Lisa & Cult Jam)、スティーヴィ・B(Stevie B)、TKA、サファイア(Sa-Fire)、インフォメーション・ソサエティ(Information Society)、ノエル(Noel)、エクスポゼ(Expose)といった多くの若いアーティストたちが、ラテン音楽のうねり跳ねるグルーヴ感とヒップホップのエレクトロ・ビートを融合させたラテン・フリースタイルのダンス・ヒットを連発させていた。
 こうした80年代を通じて巻き起こり続けた、新しいサウンドの隆盛を最も震源地に近い場所で胸を躍らせながら体感し、そのビートでブレイクダンスを踊り倒す。それが、ヒップホップという紛れもない自らの世代の音楽文化を発見した、ガルシア少年が過ごした80年代であった。
 ただ、音楽面での影響という意味では、やはりアフリカ・バンバータやクール・ハーク(Kool Herc)、グランドマスター・フラッシュ(Grandmaster Flash)といったヒップホップDJから感覚的に学び取ったものが、非常に大きかったのではなかろうか。
 ヒップホップDJたちは、2台のターンテーブルを使い、2枚の同じレコードのドラムのビートのみが演奏されている部分(ブレイクス)を、スリップ・キューイングや専用のミキサーといった全く新しい技術や機材を駆使して、交互に途切れることなく連続してプレイし、画期的なブレイクビートという音楽様式を生み出した。このDJの革新的なターンテーブルの演奏方法から誕生したブレイクビートに、街角の詩人であるラッパーがライム(押韻詩)をのせて歌うことでヒップホップという音楽のスタイルが確立され、その終わることのないビート・ジャグリングのテクニックを下地として、B-ボーイと呼ばれるダンサーたちが延々とブレイクダンスの技量を競い合うダンス・バトルの形式が作り上げられていった。
 しかし、そうしたDJたちの革命的な音作りの方法論から、ブレイクビートの演奏が発明され、ヒップホップという音楽文化の基層が形成されていったわけであるが、その歴史的瞬間にDJたちが2台のターンテーブルに載せていたのは、決して新しい音楽などではなく、その時点ですでに世に出回っていた過去のレコードであったことは、ややアイロニカルな現象ではあるが、とても興味深い事実である。
 アフリカ・バンバータやクール・ハークは、ブレイクビートの素となる使えるブレイクスを求めて、古いジャズやソウルやR&B、ファンク、フュージョン、ディスコ、ロック、電子音楽など、手に入る限りのありとあらゆるレコードを聴き漁り、ラッパーやダンサーの想像力や創造性を刺激するフレッシュなビートを供給し続けた。この過去にレコード化された音楽を、古典音楽から民族音楽まで何から何まで2台のターンテーブルに載せて、その素材にしてしまえる巨大すぎるほどに巨大な可能性と、旺盛すぎるほどに旺盛な雑食性、そしてレコードを手で扱って演奏する技法に伴う有用性に特化した編集感覚に、ヒップホップという音楽文化がもつ凄まじい奥深さの秘密がある。
 そこでは、2台のターンテーブルが回転させる2枚のレコードとミキサーを、DJの2本の腕が高度な技術で操作することにより、そのひとつの身体を媒介としてブレイクビートが演奏されてゆくのだ。DJは、そこでありとあらゆる音楽を、斬新なヒップホップの構成要素として取り込み、それらをごちゃ混ぜにして、ズタズタに切り刻んで貼り合わせたり、既成の文脈を飛び越えて混ぜ合わせてしまう、重要な役割を演じているのである。
 そんなヒップホップDJたちによって身をもって示された、ごちゃ混ぜの精神性や方法論こそが、元ブレイクダンサーであるチコ・マンの音楽性の形成に際して、極めて大きな影響を及ぼしたような気がしてならない。そう、チコ・マンのサウンドには、有用な要素であれば躊躇せずに何でもかんでも取り入れてしまう、ごちゃ混ぜの妙味が明らかにある。ガルシアは、ニューヨークのヒスパニック・コミュニティに育った自らの音楽体験やルーツとなる伝統的な音楽文化から、使える音の要素を掘り出し、DJのように編集しミキシングしてしまうのである。そこには、ジャズやロックからニュー・ウェイヴやエレクトロ、そして勿論、ラテン〜カリビアン〜アフリカン・ミュージックなどの、かなり広範囲に及ぶ音の要素の諸断片を聴くことができる。このあたりは、幼少の頃から音楽に対して非常に勤勉であったガルシアらしさがよく表れた部分だといえるかも知れない。生まれ育った環境が、その蓄積に適したものであったことは、やはりとても大きいのだ。
 このように、ごちゃ混ぜでごった煮な感覚を有するチコ・マンの音楽性であるが、ニューヨークのヒスパニック系コミュニティの音楽的トラディションに根差したサウンドという部分では、90年代の半ばに“リトル”ルイ・ヴェガ("Little" Louie Vega)とケニー“ドープ”ゴンザレス(Kenny "Dope" Gonzalez)からなるDJ兼プロデューサー兼リミキサーのコンビ、マスターズ・アット・ワーク(Masters At Work)が、ニューヨリカン・ソウル(Nuyorican Soul)のプロジェクトで展開したルーツ探訪&再表象の試みと、ある意味では重なる部分があるようにも思われる。ニューヨリカン・ソウルが、ニューヨーク在住のプエルトリコからの移民二世や三世のソウルそのものである、70年代に沸騰したサルサの大ブームからサルソウルのディスコ・ミュージックまでの、その世代をリプレゼントするラテン系のダンス音楽のルーツを再興させる試みであったとするならば、チコ・マンは、それとはまたひと味違った角度から、ラテン系のニューヨーカーが育み、そこで共に生きてきたダンス音楽のクロニクルに、光を当てているといえるのではなかろうか。
 そこにある微妙な角度の違いには、ヴェガとゴンザレスのMAWコンビとガルシアの間に決定的に横たわっている世代の違いが、色濃く関係していると考えて間違いはないであろう。チコ・マンがルーツとして掘り下げてゆくダンス音楽の中心には、ジョン“ジェリービーン”ベニテズ(John "Jellybean" Benitez)のDJプレイによって一世を風靡したFunhouseや、アフリカ・バンバータやグランドマスター・フラッシュがヒップホップをプレイしたRoxy、などの人気クラブでヒスパニック系の若いブライクダンサーたちを熱狂させていた、ラテン・エレクトロやラテン・ヒップホップのサウンドが、どっしりと据えられているのである。つまり、その根幹部分でリプレゼントされているのは、80年代のエレクトロ・ビートやブレイクダンスなどのヒップホップにまつわる音楽文化なのだ。
 当時のガルシア少年にとって、サルサやメレンゲというラテン音楽は、自分の父親などの上の世代のための音楽という認識があったのかも知れない。そしてまた、そうした世代間の絶対的な隔たりを強く意識するがゆえに、80年代に入って新たに台頭してきたヒップホップという若い音楽に、熱烈にのめり込んでゆくことになったとも考えることができそうである。そこには、サルサの栄光の日々を知らぬ世代ならではの微妙に屈折したラテン音楽感覚が、濃厚に漂い出してはいないだろうか。
 個人的に、この“Analog Drift”を聴いていて、なぜか真っ先に脳裏に浮かび上がってきたのは、クラブ・ハウス(Club House)の91年のクラブ・ヒット“Deep In My Heart”であった。スペイン語で気持ちよさげに朗々と歌われるガルシアのヴォーカルが、直感的に“Deep In My Heart”にフィーチュアされていたアフリカン・チャント風の男性歌手によるフレーズと、妙に似通っているように思えたのだ。
 しかし、その印象的なフレーズが記憶の奥底から呼び戻されてはきたものの、最初は誰の何という曲であったか、まるで思い出すことができなかった。しばらく頭の中で反芻させているうちに、ようやくクラブ・ハウスの楽曲に思い当たったのだが、これには、やや面食らわされた。全く予想していなかったところから解答が飛び出してきてしまったから。当初の、アフリカ音楽の要素を取り入れた80年代のニュー・ウェイヴあたりが臭いと踏んでいた漠然とした予測は、完全に裏切られてしまった。
 21世紀のチコ・マンと、Atlanticより発表されていた90年代初頭のハウス・ミュージック。このふたつが、どうして記憶の奥底で結びついたのだろう。ただ、何となく似ているだけの関連でしかないのか。もしかすると、直感では思い至らなかったような結びつきや関連が、そこには存在しているのではなかろうか。それからは、この“Analog Drift”を聴く度に、頭の中をチコ・マンとクラブ・ハウスが、グルグルと駆け巡り続けた。
 ただ、そんな風に思いを巡らしているうちに、何となくだが微かな繋がりらしきものが見えてきたのである。クラブ・ハウスは、80年代前半から活躍している、いわゆるイタロ・ディスコのプロダクション・ティーム。83年には、マイケル・ジャクソン(Michael Jackson)の“Billie Jean”とのメドレー形式になった、スティーリー・ダン(Steely Dan)のカヴァー曲“Do It Again”を大ヒットさせている。そんなアメリカのダンス音楽の動向に敏感なイタロ・ディスコのプロデューサーたちが、80年代後半から爆発的な盛り上がりを見せていたハウス系のサウンド・プロダクションに取り組み、そのスタジオでの技巧派ぶりを発揮して、きっちりとポップなユーロ・ハウスを作り上げ、まんまとクラブ・シーンでヒットさせてしまったのが“Deep In My Heart”であった。
 ブレイクビートを基調としたシャカシャカなハウス・トラックに、チープなオルガンやピアノのバッキングを絡めて、どこかフュージョン的なライト・タッチのグルーヴが、軽快に駆け抜けてゆく。そこに件の渋めな歌声の男性ヴォーカリストによるアフリカン風なチャントが、楽曲全体のアクセントとなるように何度も繰り返し登場するのである。雰囲気としては、マリやナイジェリアの音楽で聴けるようなスタイルを模倣している感じであろうか。このように具に見てゆくと、クラブ・ハウスの“Deep In My Heart”とは、かなりごちゃ混ぜでごった煮感をもった楽曲であることが次第に判明してきたのだ。
 そして、アメリカでリリースされたAtlantic盤の“Deep In My Heart”には、Def Mix Productionsのデイヴィッド・モラレス(David Morales)がリミキサーとして起用されていた。大西洋を渡ってヨーロッパに流れ着いたハウス・ミュージックが、イタロ・ディスコのプロデューサーの手によってユーロ・ハウス化され、そのヒット作を逆輸入する形でアメリカでのリリースがなされる際に、ニューヨークの人気クラブDJによる本場のハウス・リミックスが施される。デイヴィッド・モラレスは、87年に4人のDJ/プロデューサーたちによるユニット、2・プエルトリカンズ・ア・ブラック・マン・アンド・ア・ドミニカン(2 Puerto Ricans, A Black Man And A Dominican)の一員として“Do It Properly”をアンダーグラウンド・ヒットさせている。このユニット名にも表されている通り、モラレスは、ニューヨリカン・ソウルのヴェガやゴンザレスと同様にプエルトリカンとしてのルーツをもつDJなのである。ここまで来ると、相当に近い感じがしてくるではないか。実際に、かなり重複するキーワードを、そこに見ることができる。
 ごちゃ混ぜでごった煮感のある、ラテンの血が混ざったダンス音楽。そのアフリカ風のコーラスは、モラレスによるレッド・ゾーン・スタイルの強力なハウス・ビートを得ることによって、どこかアフロ・キューバン的な匂いを発散しているようでもある。こうした妙に共通する部分を挙げてゆくと、クラブ・ハウスの“Deep In My Heart”に通ずるものを、ガルシアのチコ・マンの中に聴いたとしても、決して空耳などではないと思えてくる。それも、かなりの強い確信をもって。
 やはり、最初の直感は、決して大ハズレではなかったのである。よって、今でも“Analog Drift”を聴く度に、あの“Deep In My Heart”のコーラスが、チラチラと脳裏をかすめてさっぱり離れようとしないのだ。そうなると、ごちゃ混ぜとごちゃ混ぜがごっちゃになって、さらにごちゃごちゃなことになるので、もう大変である。そう簡単には把握できないほどにムチャクチャであるのだが、そこにあるラテンとアフロとエレクトロなダンス・ビートという三本柱だけはハッキリとしている。チコ・マンは、幾つもの時代と幾つもの場所の音楽的記憶を集積し、かつまたガルシアの趣味性をも爆発させた、究極のごった煮なフュージョン・ミュージックを表出させているのである。
 それでは、ここで、もう一度“Analog Drift”を聴き返してみよう。その、ややチャチな音色の電子ビートで奏でられるラテン音楽は、やはりどこかうさん臭さが漂っているようにも感じられる。ただし、これは幼い頃より本物のラテン音楽に囲まれて育ったガルシアによるものであるのだから、しっかりとした音楽の型を根幹に保持しながら、独自の感覚でチープなエレクトロニック風にスタイルをアレンジし、意図的に妙なうさん臭さを醸し出しているものともいえるのだろうか。いや、元来ブーガルーやサルサといったラテン音楽は、ニューヨークのヒスパニック・コミュニティの街角やストリートにおいて培われてきた、ある種のいかがわしさをもった音楽であったのだ。サルサの大家、ウィリー・コローンも60年代末にデビューした当時は、エル・マロでハスラーなキャラクターであった。つまり、それは街のワルたちによる音楽であり、本来は決してお行儀のよいものではなかったということ。そのような意味においては、どこかうさん臭さが漂いまくるチコ・マンの音楽もまた、ラテン音楽の深い伝統に根差した部分をシッカリともっているということであるのかも知れない。その見た目には少々紛い物めいたところのあるサウンドには、ラテン系ハスラーの(あっけらかんとした)いかがわしい商売を思わせる雰囲気が確かにある。
 また、チコ・マンのサウンド・プロダクションは、レトロ・ウェイヴなアフロやファンクの要素と、カッティング・エッジなテクノやローファイ・エレクトロニカのサウンドを、巧みに共存させた様式を、その顕著な特徴としてもいる。様々な音要素の生のままのぶつかり合いが、スリリングかつタイムレスなグルーヴの疾走感を生み出すのである。全編に聴くことのできる、ギターのシンプルなフレーズの反復によるバッキングが、まさにアンティバラス流儀のアフロ・キューバン・スタイルのリズム・ギターを踏襲したものであるのも面白い。結局のところ、音楽はひとつなのである。色々とごちゃ混ぜに混ざり合いながらも、それぞれの要素は、それが必要とされる場所に自然に呼び出されるようにして顔を出すことになるのだ。ガルシアのごった煮は、かなり具材の量も種類も豊富である。それでも、チコ・マンが作り出す音楽の味付けには、しっかりとした統一感が存在してもいる。そこで三本柱となっているのは、やはり、ラテンとアフロとエレクトロなダンス・ビートなのである。
 そして、アルバムの7曲目に収録されているのが“Once In A Lifetime”だ。これは、トーキング・ヘッズ(Talking Heads)が、80年に発表した歴史的な傑作アルバム“Remain In Light”に収録されていた名曲のカヴァーとなる(また、これは今回のWax Poetics盤だけに追加収録されている楽曲でもある)。
 トーキング・ヘッズは、ヴォーカリストのデイヴィッド・バーン(David Byrne)を中心に結成された、70年代中期に起こったニューヨーク・パンクとノー・ニューヨークというふたつの歴史的なムーヴメントにまたがるような形で出現してきた、当時のニューヨークのアンダーグラウンドなライヴ・シーンを象徴するバンドであった。そして、この彼らにとって4枚目のアルバムとなる“Remain In Light”では、元ロキシー・ミュージック(Roxy Music)のブライアン・イーノ(Brian Eno)をプロデューサーに迎え、フェラ・クティ(Fela Kuti)のアフロ・ビートやアフロ・ファンクを大胆に取り入れたハイ・エナジーな反復グルーヴを展開し、非西欧の音にロックの未来を見出した80年代のニュー・ウェイヴやワールド・ミュージックの先駆けとなるサウンドを形にしてみせた。“Once In A Lifetime”は、アフリカのポリリズムをイーノを介してアメリカ東海岸のトーキング・ヘッズ風味に再構築させた、ポップな明快さをもつ楽曲であり、このアルバムからシングル・カットもされている。
 チコ・マンは、この古典的な名作に、凄まじくシンプルなエレクトロ・スタイルで新たな解釈を付け加えてみせる。ここで聴けるのは、徹底的に簡素にデフォルメされ、殆どの枝葉部分が省略されたアフロ・ファンクである。まるで骨だけを残して全てを削ぎ落としてしまったかのような音だ。視点を変えれば、これは、フェラ・クティがアフロ・ビートを文化にする以前のアフロ・ビートに近いものであるのかも知れない。要するに、原アフロ・ビート的な音ということである。チコ・マンの音楽は、ペナペナのようでいて、実はかなり深いものをもっているのかも知れない。
 そして、この80年代的なチープさを漂わせるエレクトロ・ディスコな音でのカヴァーは、トーキング・ヘッズの“Once In A Lifetime”が、ラリー・レヴァン(Larry Levan)がDJを務めていたParadise Garageでも頻繁にプレイされていた、80年代のニューヨークのクラブ・シーンを象徴するクラシックスのひとつであったことも思い起こさせてくれる。勿論、バンバータたちもRoxyなどのクラブでレコードが擦り切れるほどプレイしたに違いない。このカヴァー曲のチョイスは、かなり絶妙である。
 9曲目は、名曲の“Ya Yo Se”。これは、チコ・マンの音楽のもつ多彩な持ち味が、実にシンプルかつ簡潔に表されている一曲である。ここでは、ガルシアの手によって大鍋に放り込まれた雑多な音の要素が、満遍なく鳴っている様を聴くことができる。ラティーノ・スタイルのスペース・アフロ・ファンクに、エレクトロとディスコのエッセンスをふりかけて、隠し味にダブを効かせたような雰囲気だ。広大な宇宙空間に飛び出したチコ・マンが、様々な音要素が星のように煌めく中を、ふわりふわりと浮かびながら悠然と突き進んでゆく。真っ直ぐに、どこまでも。
 そして、ガルシアの朗々と響き渡る伸びやかなヴォーカルは、まるで在りし日のエクトル・ラヴォー(Hector Lavoe)のスタイルを今に蘇らせているようでもある。実は、どっぷりとラテン音楽であるはずなのだが、決してそれだけにはならないところに、チコ・マンの噛めば噛むほどに味が出てくる音の面白さがある。あちこちに異なる味わいが点在する、無限の広がりをもつ、宇宙級のごった煮サウンド。まさに、チコ・マンにしか到達できぬであろうスタイルの、細々とした約束事や重力を突き抜けきった境地にある音楽である。ある意味、唯一無二だろう。
 最後に、“Analog Drift”のジャケットを、もう一度見てみよう。そこには、アステカ王朝の階段ピラミッドらしきものを確認できる。よく見ると、そのピラミッドの各階層は、シンセサイザーの鍵盤や電子楽器のつまみやパネル部分などからなっていることが分かる。エレクトロニック・ミュージックのピラミッドということであろうか。いや、チコ・マンの音楽を構成している様々な要素のピラミッドと考えたほうが、妥当であるかも知れない。
 アステカ王朝の階段ピラミッドといえば、ジョルジュ・バタイユ(Georges Bataille)が「呪われた部分」や「聖性」ついて語る際に、供犠の舞台・装置として取り上げていたことでも知られる。それに則していうならば、やはりこれは、ガルシアの聖なる音楽的ルーツの積み重ねを、ピラミッドの形式にして表したものといえるであろう。それは、ラテン民族の音楽の階層であり、ヒップホップ世代の音楽の階層であり、電子楽器や電子機材の音の階層である。そして、そのピラミッドの頂点には、大鍋に放り込んだ音楽を生け贄として捧げるための神殿がそびえ立っている。供犠にまつわる祭礼の音楽とは、人間にとって最も純然たるプリミティヴさから湧き上がってくる音である。チコ・マンのエレクトロニック・サウンドは、そうした無防備なまでにピュアな地点に極限まで近づこうとしているのだ。巷にあふれる人間らしさを失ってしまったような音楽には、もう心底辟易させられている。人々は、血の通った音楽を求めているのである。
 さらに、ジャケットの背景に目を移せば、この荘厳なる階段ピラミッドは、星々が瞬く宇宙空間にぽっかりと浮かんでいることが見てとれる。これは、ガルシアの感覚の中では、チコ・マンの音楽が別の次元(宇宙空間)に突き抜けきってしまっていることを表しているのではなかろうか。ゆえに、その歌声は、国際宇宙ステーション(ISS)時代のエクトル・ラヴォーのように星々の瞬きの間に響き渡るのである。そして、この宇宙空間に浮かぶ階段ピラミッドとは、まさにラティーノにとっての時空を飛び越えて突き抜けてゆくISSそのものなのだ。
 階段ピラミッドは、下ってゆけば下ってゆくほどに、その土台となる階層は広く大きなものになってゆく。ピラミッドが高くそびえればそびえるほどに、その裾野は広大なものとなるのである。そして、この“Analog Drift”という階段ピラミッドもまた、様々な音楽と文化、それらの歴史などをルーツ(根)として蓄積し積み重ねた、広く大きな幾層にも及ぶ階層を、その構造としてもっている。こうしたピラミッド状のひとつの音楽の在り方を、ガルシアは一本の樹にもなぞらえている。階段型のビラミッドと同様に広く深く根が張っていてこそ、幹は太く、樹上に多くの枝が伸び、膨大な数の葉を生い茂らせることができる。つまり、有用な要素の蓄積と階層化こそが、現在に鳴る音楽を、高くそびえ立たせるのである。
 そして、この現在の音楽もまた、次の瞬間には蓄積され、未来の音楽を生成させるための要素となるのだ。もしかすると、それは、ピラミッドの最下層の片隅や、地中深くの根の先端に位置するものにしかならないかも知れない。だが、その階層における頂点からの距離は、ここでは、それほど問題にはならない。蓄積されること、それ自体が重要なのである。よって、アーカイヴ化されないような音は、もはや音楽としての意味をなしていないといってもよいだろう。今の現在の音楽は、現在のためだけにあるのではなく、音楽を未来へと時空を飛び越えて運ぶためにある。音は、それが鳴った瞬間に、星々が瞬く宇宙空間の彼方へと消えてゆく。だが、それは、いつの日かISSとなった階段ピラミッドのどこか、思いもかけぬような場所で蘇るのである。
 チコ・マンは、あまりインディペンデントな匂いのしないインディ・アーティストである。しかし、匂いはあまりしなくても、その活動の形態そのものは、かなりインディペンデントなものである。いや、もしかすると、インディというより無頼派といったほうがよいぐらいかも知れない。チコ・マンは、どこにも積極的に属してはいない。また、どこかの特定の集団や流れに属そうとする動きも、全く見せることがない。そして、それは、そっくりそのまま音楽的な面での立ち位置にも当てはまる。ラテンでアフロでエレクトロ・ディスコなチコ・マンの音楽は、昨今の音楽シーンを隈無く見渡してみても明らかなまでに無頼派なのである。どこか近いものを感じさせてくれるのは、アルゼンチンのZZKなどの南米のデジタル・クンビア周辺の動きぐらいであろうか。
 ただ、非常に不思議なことにチコ・マンの音楽には、我が道を行く無頼派のインディ・アーティストにありがちな独善性やアンダーグラウンドな匂いが全くない。そのサウンドは、極めてポップなのだ。にも拘らず、どうやらチコ・マンには、コマーシャルな音楽活動を行ってゆこうという意思は、殆どないようなのである。そこには、かなり明確に、一連の商業的な音楽活動と意図的に距離を置こうとしている節が窺える。
 今回、ひょんな巡り合わせからCDアルバムという形で発表された“Analog Drift”であるが、そのプロダクツの体裁は、実に素っ気ないものとなっている。デジパックの見開きのジャケットに、曲目やたった3人のみのゲスト・ミュージシャンの名前などを記した必要最小限のクレジットと、CDのディスク。まさに、「ただ音楽のみをお聴きください」といわんばかりである。これはもう、本来のチコ・マンの音楽の楽しみ方であった、MyspaceやBandcampなどのサイトを通じて必要最小限の情報を元に再生ボタンをクリックし、ストリーミングで作品を聴くのと、そう大差はないようにも思えてくる。
 これには、少々考えさせられる。今の時代、CDで音楽を聴く利点とは、一体どこにあるのであろうか。ちょっと分からなくなってくる。ただ、これまでのメイジャーともインディとも多少毛色の異なる、非コマーシャル系の音楽活動に徹しているチコ・マンの無頼派ぶりには、これからのアーティストにとっての生き方のヒントが隠されているような気もする。今や、ほぼ全ての活動をひとりのアーティストがコントロールすることも、決して不可能ではないのである。
 実は、チコ・マンは、すでに次のアルバムに向けて動き出している。起業支援サイトのKickstarter.comを通じて新作アルバムの企画に対して寄付を募り、そこから全ての制作費を捻出するプロジェクトを行っているのだ。そして、その目標額である六千ドルを達成してもいる。寄付の金額によって様々なお楽しみ特典が付いてくるために、何と二千ドルを越える高額寄付者も現れ、プロジェクトは僅か29名の厚意によって楽々と完了されてしまったのだ。(六千ドル=約50万円でCDアルバムを制作するというのは、かなりの低予算なプロジェクトのような気もするが…)
 アルバムのタイトルは、“Trickster For Kids”。この作品において、チコ・マンは、25年前のキッズたちが夢見ていた近未来の音楽を具現化させようとしている。まあ、基本的に音の路線としては、この“Analog Drift”と、それほど大きな変化はなさそうである。ただ、新しいCDの制作はするものの、これを売って大儲けしようという意思は、そこに微塵も感じられない。やはり、そうしたチコ・マンの活動姿勢にも、大きな変化はないのだ。自宅で録音している音源を、何らかの形で発表する場が作り出せれば、それでもう満足ということなのか。何なのだろう、この金銭や成功といったものに、ちっとも固執しない生き方は。もしかすると、チコ・マンは、ニュー・ジャージーの水嶋ヒロなのではなかろうか。
 とにかく、この“Analog Drift”で、必ずや一段階段を上ることになるであろうチコ・マンのこれからが、とても楽しみである。新作“Trickster For Kids”は、いかなる形で日の目を見ることになるのか。あまりインディペンデント臭くないインディ・アーティストが、どのようにその活動姿勢を貫いてゆくのかも気になるところである。きっと、今後もISS時代のDIY精神を飄々と体現していってくれるであろう。そして、これからさらに磨きがかかってゆくであろうお気楽な無頼派ぶりにも大いに期待したい。
 最近のチコ・マンは、テキサス州サン・アントニオの覆面ダブ・ステッパー、メキシカンズ・ウィズ・ガンズ(Mexicans With Guns)とのベース・ヘヴィな疑似デジタル・クンビア調のコラボレーションを行っていたりする。ガンガンと、ラテン音楽の根を掘り下げてゆきつつ、かなりおかしな方向へも触手を伸ばしていっているようだ。流石は、ごった煮のエキスパートである。この分であれば、そうそうこちらの期待が裏切られるようなことはなさそうだ。全てを把握しコントロールする、チコ・マンの嗅覚や感性を信じるしかない。「ヤ・ヨ・セ(Ya Yo Se)」。このアルバムで、チコ・マンは、そう朗々と歌い上げているではないか。(10年)

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