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zoom RSS Entertainment For The Braindead: Trivialities

<<   作成日時 : 2010/09/15 04:00   >>

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Entertainment For The Braindead: Trivialities
eftb.bandcamp.com

 カリフォルニアでのバンジョーとの出会いをキッカケに、独自のローファイ・フォーク・スタイルに新境地を開拓した、力作にして意欲作の前作“Roadkill”から僅か半年。思いのほか早いタイミングで、エンターテインメント・フォア・ザ・ブレインデッド(Entertainment For The Braindead)の新作が登場した。
 エンターテインメント・フォア・ザ・ブレインデッド(以下、EFTB)は、ドイツ西部の都市ケルンを拠点に活動する、シンガー・ソングライター兼マルチ・インストゥルメンタリストのユリア・コトヴスキー(Julia Kotowski)によるソロ・プロジェクトである。本作“Trivialities”は、EFTBとしての通算6作目の作品となる。リリース日は、10年8月29日。
 今回は、2作目のアルバム“Hydrophobia”(08年)以降の作品のリリース元となってきた(ハンドメイドの特別企画盤“Raw Timber”を除く)、ベルリンのネットレーベル、Aaahh Recordsからではなく、Bandcampのサイトを通じてのセルフ・リリース作品となっている。これには、現在、Aaahh Recordsのホームページがリニューアル中のため、一時的にリリース活動を休止している状態にあることも、少なからず関連しているのであろう。
 ただ、雰囲気的には、そうしたやむを得ずにセルフ・リリースに踏み切った感じとは、やや異なるものも、この一作には何となく感じられたりもするのである。ネットレーベルという一種の確立されたプラットフォームを通じて、広大なるネットワークの世界へ全方位的に送り出すリリース形態とは一線を画す、ちょっぴり密やかに、一歩退いた形での、まるで自分の手の届く範囲のみに送り出すかのような感覚のリリースとなっているのだ。EFTBの新作“Trivialities”は、そんな佇まいを醸した、少しばかりこれまでのAaahh Recordsからの作品群とは異質な感触をもつ一作となっている。
 実は、2月の“Roadkill”から8月の“Trivialities”までの半年の間に、コトヴスキーは別名義でのリリースを一作発表している。それが、もうひとつのソロ・プロジェクトとなるザ・スモーレスト・ボーンズ(The Smallest Bones)の名義でリリースした、全5曲収録のアルバム“Cross Mountain”である。この“Cross Mountain”は、どちらかというとかなりインスト傾向の強い作品であった。そうした異なる表情をもつ音楽形式を打ち出したザ・スモーレスト・ボーンズは、素朴な歌による表現を中心に据えているEFTBとは、いわば表裏一体をなす、コトヴスキーのアナザー・サイド的な部分を表出させているもののようにも感じられた。10年5月16日にリリースされた、この作品も、やはりいつものAaahh Recordsからではなく、Bandcampからのセルフ・リリース作であった。
 地元のケルンを離れて(おそらくライヴ・パフォーマンスを行うため)滞在した、冬のベルリンでの一週間。その間に(短期滞在用のアパートメントの部屋で)一気に作曲から録音までがなされたという“Cross Mountain”。普段とは異なる環境に身を置くことにより、自分自身や自分の周囲にあるものを、より仔細に(俯瞰で)見つめ直す機会になったのだろう。短期間に書かれジャーナル様式にまとめられたようなアルバムは、日々の思いや感情を曲にして記録しておくというコトヴスキーらしさが、実によく出た作品だといえそうである。ベルリンの凍てつく空気に包まれ、胸に去来し想起された思考や心の動きを、限りなくフレッシュなままに封じ込めた全5曲である。
 旅や移動といった日常を離れる経験とは、コトヴスキーにとって創作意欲が喚起される、大きな刺激になるようだ。その場に異邦の人として存在し、そこに完全に溶け込むことができず、ポッカリと浮いてしまっているようなストレンジャー感覚が、私的で素朴な歌を自己の内面から紡ぎ出すための程よい素地をなしてゆく。コトヴスキーの歌とは、明らかに、ひとりきりの時間の中で生み出されているものである。まさに、ひっそりと日記(もうひとりの自分)との対話を行うような感覚で。そして、ほぼインストゥルメンタルな、この“Cross Mountain”では、これまでのEFTBでの作品よりも、より内省的で、文字通りに、歌にならない・言葉にならない感覚が表現されているようでもあった。
 ザ・スモーレスト・ボーンズの“Cross Mountain”を聴く限りにおいて、コトヴスキーの中の音楽的な方向性が、極端に内省へと向かいつつある兆しは、薄らとであるが感じ取ることはできていた。しかし、そうした傾向が、わざわざ別名義までをも創出させて作り上げた作品で、全て一気に吐き出されたのか否かという点までは、その時点では、まだ判断することができていなかった。だが、この新作がリリースされたことにより、全てが明るみに出ることとなったのである。
 コトヴスキーの強い内省化傾向は、このEFTBでの作品においても色濃く引き継がれていた。ひとつ前の作品である“Cross Mountain”では、言葉にならぬままに表されていた感情や情動が、ようやくコトヴスキーの言葉とメロディを伴った形式で表現される段階にまで至ったということであろうか。凍てつく程に冷え込んでいた冬の季節が過ぎ去り、だんだんと自らの内面にあるものと冷静に向き合えるようになっていった。そんな季節の変化を経て生み出されたのが、この“Trivialities”であるのかも知れない。
 “Trivialities”は、全5曲を収録した、とてもこじんまりとした作品集である。各曲ともに3分から4分程度の楽曲となっており、ソロ・アーティストにありがちな大作指向は微塵もない。形式としては、アルバムやミニ・アルバムというよりも、EPと呼ぶのが一番しっくりきそうな一作だ。手頃の大きさの画用紙の上に、ポツンポツンと無造作に五つの小さな楽曲が置かれている感じである。全体的な佇まいも、とても物静かである。ひとりの時間の静けさの中で、ひっそりと紡がれた歌をポツリポツリと歌う。それはまるで、自分自身に向けて呟きかけ、歌い聴かせるようなスタイルである。
 かつてのEFTBのサウンドには、いかにもひとりで自宅録音しましたという質感があり、ムンムンとローファイ・フォーク的な風合いが漂っていたような気がする。その音の、そこここに孤独で閉じた世界に特有の、奇妙なささくれ立ちのようなものが感じられたのだ。しかし、現在のEFTBの音は、とてもまろやかでスムーズである。その音楽やサウンドから、余計な色が、次々と抜け落ちていったような雰囲気なのだ。
 元々、それほどゴテゴテとしておらずスカスカ気味だったEFTB(全てひとりで演奏しているものであるので、決して音数が過剰になることはない)から、さらに削り取られていったのだから、この場合、通常の引き算よりもあからさまに割り引かれたものとなって音が表れ出ることになる。もはや宅録のローファイ・フォークなどというものではなく、コトヴスキーならではのオルタナティヴなスタイルのフォーク・ミュージックが確立されつつあるのかも知れない。すでに、どこにも派手さはない。突出する部分や過剰に厚みをもってしまうような部分は、おそらくここには意図的に盛り込まれてはいない。全ては歌になる以前にコトヴスキーの中で細かく噛み砕かれてしまっているのだ。そして、自然にスッポリと肩の力の抜けた、実に平坦で地味な、あくまでも普段着な歌だけが、ここに並べられている。
 タイトルの“Trivialities”とは、つまらないものや平凡なものという意味である。普通の感覚では、これは非常に謙遜したタイトルだと受け取られるだろう。ただし、基本的にヒトがヒトに対して贈り物をする場合、それは大抵つまらぬものとして手渡されるのである。そして、その贈り物とは、贈り主にとって、決してつまらぬものなどではない。ヒトからヒトへと手渡されるつまらぬものは、往々にして大切なものである。大切であるがゆえに、それは贈り物となるのだから。贈り物とは、一度つまらぬものへと貶められてこそ、大切な贈り物としての本当の価値をもってくるのである。そのように考えると、この“Trivialities”とは、コトヴスキーからリスナーへと手渡しされる、音楽の贈り物だと捉えてもよいであろう。だからこその、セルフ・リリースなのだと考えると、妙に納得のゆく部分も生じてくるのではなかろうか。
 ここに収められている5曲は、特に何らかの作品を制作するために書き溜められていた楽曲ではないようである。何のコンセプトも、何の目的もなく、ただただ自然にごく普通の日常的な時間の中で楽器と戯れているうちに、形をなしてきた作品たちであるらしい。どうやら、コトヴスキーには、アーティストとしての産みの苦しみを全く経ていないことを理由に、これらの5曲を、つまらぬものとしてひとまとめにしているような節もある。どこに向かうこともなく、自然に生まれてきてしまった不自然さが、この“Trivialities”としてまとめられた楽曲群を取り扱う際の、困惑のもととなっているのかも知れない。それだけに、これまでの作品以上に、ここにはコトヴスキーの音楽性の無意識的な部分や素の部分が、より露になっているのではないかと考えることもできる。もしかすると、この5曲は、そのような当の本人としても予想だにせず、思ってもみなかったような楽曲たちなのではなかろうか。タイトルに表された謙遜も、そんな気恥ずかしさが一因となっているのかも知れない。
 本来の贈与の様式では、贈り主がつまらぬものとして差し出したものを、受け手は渋々大儀そうに受け取るというのが、マナーに適ったスタイルとなる。よって、リスナーという受け手の立場で、この作品に関して、あれこれと騒ぎ立てるというのは、かなり無礼なこととなるのかも知れない。わざわざ“Trivialities”と印立てているのだから、それを嬉々として受け取る行為はマナーに反することであり、贈り手に対して大変に失礼なこととなる可能性がある。
 また、これがつまらぬ贈与物であるということは、贈り主の気前のよさを示すものであると同時に、ここには、それ相応の毒が含まれてもいるのである。リスナーとして、作品のデータをダウンロードしたからには、これを大切に聴かないと(行為での返礼)、大変なことになるかも知れない。マナーに反する者には、つまらぬものの毒が牙をむく怖れがある。やはり、タダより怖いものはないのだ。表面的には、つまらないものとされていても、実際には、贈り主にとっても受け手にとっても、とんでもなく貴く重いものとなりもするのが贈与物なのである。
 そうすると、この作品は、暗に、初めから贈り主の気前のよさが含有する毒を飲むことのできる者のみに贈られたものであったと考えることもできるであろうか。贈り主として、その毒の強い効果を知っているからこその、非万人向けのセルフ・リリースな一作となったということか。そんな、狭く小さく閉じこもった、どこかこぢんまりと限定されているかのような佇まいが、この“Trivialities”という作品には何となくだがある。
 コトヴスキーは、これが何のコンセプトもなく、特に実験的な試みをすることもなく、音楽的な前進や成長のことも一切考えず、目的や目標を設定しての意図的な作為性も全くなく、日々のルーティンと化している曲作りの作業の中で出来上がってきた楽曲を、ただそのまままとめたものだといったことを作品の説明文で述べている。そのような意味では、最も無防備にピュアなコトヴスキーの音楽性が表された楽曲群といえそうだ。つまり、ここでは、EFTBの音楽やコトヴスキーの歌の、よりエッセンシャルな部分に触れることが可能なのだ。
 全てを脱ぎ捨てて一切の虚飾を放棄してしまうことは、実は、いつでもできることなのである。かつて、アコースティック・ギターによる弾き語り作品の“Raw Timber”で、コトヴスキーもそれを試みていた。だが、時の流れの中で様々な変化を経験し、幾つもの季節を通り抜けて、幾つもの服を着替えた後に、ごく普通の普段着に戻るというのは、なかなかに難しいことであったりする。普通や普段という感覚そのものも、常に新しい経験をしてゆく中で、刻々と変化してゆくであろうから。止まることなく動き、変わり続けてゆくことで、どんどんと本当の普通や実際の普段着を見分ける/見つけ出すことは、極めて困難になってゆく。それは、いついかなる時にも、冷静に自分を見失わずに、自己を分析できる性格でないとできないことだろう。ここには、そんな今の普段着のままのコトヴスキーの歌がある。ごく自然にあふれ出てきた、どこまでも純粋な言葉とメロディ。いかなる力みからも気負いからも解放された、普段着のEFTBの音楽である。
 “Trivialities”の収録曲をザッと眺めてみて、やはりどうしても気になってしまうのは、全曲のタイトルが単数のAから始まっているという点ではなかろうか。これは、全体的にして普遍なる世界に向けられた大きなストーリーではなく、とてもちっぽけな個の世界の思考や感情の動きを曲にして歌っていることを示す、ひとつの身振りの表れとしても受け取ることができそうだ。そこには、徹底して特殊なもの、即ち個へと向かう、極めてパーソナルな視点がある。
 音楽的な創造性や成長/成熟の放棄も、いずれも外側へ向けた態度(結果)として示され、捉えられるという側面をもつ。ただし、自らを見つめ、その感覚や感性を集中させるところから生じたコトヴスキーの歌は、外や全体という普遍へ昇華されることはなく、楽曲のテーマにして中心点となる事物の(名)の前の置かれたAによって食い止められて、どこまでも特殊なままに留められるのである。そこにAがあることにより、コトヴスキーが言葉に込めたイメージや意味は、拡散することなく、そこで抑え込まれる。ここにある五つのEFTBの歌は、素朴で私的なカタチを保ったまま、決して希薄なものに成り果てることはないのだ。それは、徹底して個であり、単数の(コトヴスキーひとりの)視点からの歌のままなのである。
 個別な特殊に留まるということは、それ即ち、もはやどこも目指さぬことも意味している。つまり、その身振りそのものが、外側に対しての態度の表明として現出/転出するということだ。個にして単数の烙印であるAとともに。そして、このAの内側には、常に真空の状態が何も充填されぬままに保持される。そこでは、普遍なるものという曖昧にして不透明な観念に対する、絶対的な不信がポッカリと口をあけている。タイトルの先頭にあるAによって、外側への明確な区切りをつけるとともに、どこまでも特殊なものという偏りが、しなやかに貫き通される。このAの存在とは、そんなコトヴスキーの歌の世界における、ささやかな意思表明の徴であるかのようにも感じられてくるのである。
 前作の“Roadkill”では、米西海岸でのブルーグラス・バンジョーとの偶然の出会いから、そのカントリー/ウェスタン・スタイルの音色に一気に入れ込んでいったコトヴスキーの、乾いたハイウェイを高速で疾走し、誇りまみれの荒野に高々と舞い上がるような、いつになく躍動感のある歌を聴くことができた。ただ、そのアルバムの制作過程以降の再度自らを見つめ直す時間の中で、今度はソプラノ・ウクレレが発見されることになる。新たに出会ったバンジョーなどに熱を上げている間、ずっと手にされぬまま部屋の片隅に放り出されていたウクレレの存在が、ふと目に留まったのである。何年もずっとそこにあったものの、滅多に弾かれることのなかったウクレレ。そんな孤独に淵にあったウクレレを手にしたコトヴスキーは、しばらくの間、その懐かしい音色に浸りきった。そして、その発見の喜びは、いつしか次々とあふれ出てくる瑞々しいメロディへと変わっていったのである。そこから、ここに収録されている5曲が、次第に形作られていった。
 再発見されたウクレレの音色は、ひとつの音楽的な開放と熱の昂りを経過した後では、もはやかつてのウクレレとは全く異なったものに感じられたかも知れない。おそらく、“Roadkill”以前の感覚では見えていなかったような魅力ある音色が、そこに見出されたのではなかろうか。この作品において、ウクレレとコトヴスキーの間に築き上げられている関係は、とても新鮮味のあるものとなっている。それは、前作でのバンジョーに思い切りベッタリであった関係性とは、若干異なってもいる。どちらかというと、付かず離れずな(だが、確かな絆は存在する)大人の距離感が保たれた関係といえるであろうか。これは、コトヴスキーが、より冷静に距離を計りながら自らの音楽に取り組めるようになってきつつある、ひとつの証だといえるかも知れない。
 また、サウンド面においても、ここには再発見の痕跡を確認することができる。それは、ヨーロピアン・トラッド・フォーク的なメロディの復活である。前作の“Roadkill”では、バンジョーによるアメリカンなカントリー/ウェスタン・サウンドへと大きく舵が切られていたため、元々のEFTBの音楽に色濃く影響を及ぼしていたヨーロッパのトラッドから派生しているようなメロディは、ほぼ見る影もなく土俵の外へ押し出され捨て去られてしまっていた。そんなトラッドのサウンドが、コトヴスキーに再発見され、豊かでまろやかなメロディとなって、ここに戻ってきているのだ。
 だがしかし、今回は、少しばかりこれまでの類型とは違っている部分もある。ヨーロピアン・トラッドへの回帰が図られてはいるものの、前作で大々的に導入されていたカントリー/ウェスタン的なスタイルが、逆に消し去られてしまったり、隅に追いやられているようなことはないのである。どちらかを選択し、どちらかを押し込めるのでもなく、また無理に融合をするのでもなく、それぞれが自然に共存をしている。まず、素朴なコトヴスキーの歌とメロディがあり、それにフィットする楽器やサウンド・スタイルが呼び込まれ、まるで普段着をまとうように、そこにピタリと寄り添って、EFTBの音楽が形成されてゆく。そこには、よそ行きの感覚も、高度な次元を見据えた跳躍も冒険もない。ただただ、何もかもが自然体な歌とともにある。この“Trivialities”においては、もはやトラッド・フォークもカントリー/ウェスタンも、全てがEFTBの音楽の一部として、すっかりと吸収されてしまっているような趣きがある。
 コンサーティーナやマンドリン、そしてウクレレやバンジョーが、静かにひっそりと楽音を奏でる中を、コトヴスキーの澄んだ歌声が、ひとり独白するかのようなトーンのメロディを、丁寧に零してゆく。可愛らしいグロッケンシュピールの音色が響き、どこまでも穏やかなEFTBの音楽の世界に、ささやかな彩りをくわえる。深みのある濃厚なフォーク/トラッドの旋律が、落ち着いた木製フルートの音色とともに、優雅に舞い踊る。全く派手さの欠片もないが、非常に味わい深い好曲揃いの一作であることは間違いない。
 かつてはエレクトロニックなループ効果を巧みに利用し、メロディを反復させ、幾重にも積み重ねてゆくによって、独自の音楽の世界を作り出していたコトヴスキーであったが、ここにきてよりストレートに歌そのものの創出へと向かいつつあることが、これを聴くと実によくわかる。全ての音が、よい歌を生み出そうとする意思によってシッカリと貫徹されているのである。楽曲の質の充実度でいうならば、この“Trivialities”は、EFTBの作品のうちでも最も良質な一作といえるのではなかろうか。かなり聴かせる作品である。
 また、3曲目の“An Answer”のエンディング部分でチラリと聴こえるマンドリンのフレーズは、R.E.M.の91年のヒット曲“Losing My Religion”のエンディング部分を、どこか彷彿とさせるようなものとなっている。これは、偶然のそら似なのであろうか、もしくはコトヴスキーのちょっとした遊び心なのだろうか。何とも興味深い。
 EFTBの作品は、常に微かに揺らぎ続けている。その歩みは、決して真っ直ぐではない。今年に入ってから発表された“Roadkill”から“Trivialities”へと至る、サウンドの変遷を辿ってゆくだけでも、コトヴスキーが、実に繊細な感覚をもったアーティストであることはよく分かる。心や頭の中のどこかに、ほんの小さな歪みや綻びがあるだけで、それらを何らかの形で処理してからでないと、次に向けて前進できない性格であるようだ。その表現も、創作も、決して自己の内面に対して有耶無耶のままになされることはない。よって、何度も立ち止まり、行きつ戻りつし、一歩一歩をしっかり確認しながら、ゆっくりと作品へと練り上げられてゆく。コトヴスキーは、苦悩や葛藤や逡巡の渦巻く日々の思いすらをも、躊躇うことなく変に歪曲させもせずに作品に書き留め続ける。
 前作の“Roadkill”では、ヨーロピアン・トラッド・フォークのもつ重々しさや湿っぽさを吹っ切って、アメリカン・カントリー・ミュージック寄りのカラッとした開放感の中で、大きく音楽的にもサウンド的にも前進をしていたように思えた。だが、それも、ほんの一瞬のことでしかなかったようである。やはり、結局のところEFTBの音楽とは、どんなに経験や環境からの影響を受けようとも、突き詰めてゆくとコトヴスキーの内面における動きから湧いて出てくるものでしかないのである。日々の回想や物思いの中で、コトヴスキーが、自分というものを正直に見つめてゆくところからしか、EFTBの音楽は生まれない。ゆえに、そこには、その時々の思考や感情、精神状態などが、如実に反映されてゆくことになる。進んで、戻って、また見つめ直す。そして、内や外での偶然の出会いが、常にニュートラルなままの状態にあるコトヴスキーの潜在的な才気を、一気に爆発させるのだ。EFTBの作品とは、コトヴスキーの音楽人生の旅路そのものである。その道は、実際の音楽とは似ても似つかぬ程に、壮絶なまでにグネグネと曲がりくねっている。
 新たな刺激を吸収して大きく膨れたものが、静かに再び平常の状態へと萎みゆく過程で、この“Trivialities”が生み出された。吸った息は、吐き出される。上がったものは、必ず下がる。それが、自然の摂理である。峠を境にして、道は登りと下りに分かれるものなのだ。内省のアーティストであるEFTBが、淡々と歩みを進めてゆく行く先々には、新たな世界の嶺へと踏み込んだ“Roadkill”のような作品が、これからもポツポツと差し挟まれてゆくのであろう。それがコトヴスキーの自然体の生き方であり、自らの音楽との正直な距離のとり方なのである。
 新たな出会いや刺激は、偶然にしか訪れない。そして、そのまたとない偶然を、そのままストレートに逃すことなく捕まえるためにも、常に自然体のままで歩み続けていなくてはならない。そうした瞬発的な開放をくぐり抜けてゆく中で、フレッシュな経験や体験という素材を大いに吸収し、コトヴスキーの普段着もまた、ゆっくりと変化してゆく。“Roadkill”と“Cross Mountain”を経た、この“Trivialities”において、コトヴスキーがまとっている普段着は、やはり間違いなく、かつてのものとは少なからず異なったものとなっているのである。こうして、いくつもの季節が巡り夏服から冬服に着替えられてゆくように、絶えることなく生成を繰り返す音楽の旅路は、果てなく続いてゆく。そして、その道が、どこへ通じているのかは、いまだ誰にも知られてはいないのである。(10年)

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