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<<   作成日時 : 2010/09/10 04:00   >>

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Brown Eyed Girls: Abracadabra

画像 ブラウン・アイド・ガールズ(Brown Eyed Girls)の日本におけるデビュー・アルバムとなる“Sound-G”が、10年8月25日に発表された。ブラウン・アイド・ガールズ(以下、BEG)は、06年にデビューした四人組のガールズ・グループである。デビュー当初は、一切メディアに登場せず、リリース作品だけで勝負する、一般的な女性アイドル・グループとは明らかに一線を画す活動方針をとっていた(10代の若いメンバーで構成されるお子様アイドル・グループに対して、デビューの時点で中心メンバーの年齢が20代半ばであったBEGは、「成人アイドル」とカテゴライズされている)。この“Sound-G”は、BEGにとって通算三作目のアルバムとなる。本国の韓国では、09年の夏に発表され、それまではどちらかというと聴かせるタイプのヴォーカル・グループであったBEGが、本格的にエレクトロニックなダンス・サウンドを展開したアルバムとして、新たな幅広いファン層を獲得するキッカケともなった。また、このアルバムからのヒット・シングル“Abracadabra”では、大人の女性のセクシーさを前面に押し出したミュージック・ヴィデオや、艶かしくも挑発的な音楽番組でのダンス・パフォーマンスで、様々な話題を振りまいた。あまりにも濃厚なセクシー路線であったために、当初は物議を醸すような場面も多かったのだが…。
 そんなBEGの代表曲のひとつである“Abracadabra”の日本語ヴァージョンが、日本でのデビューにあわせて新たに制作され、日本盤の“Sound-G”にボーナス・トラックとして追加収録されている。さて、日本語で歌われる“Abracadabra”とは、どんなものなのであろう。シャープで切れ味鋭いノリが身上であった原曲の雰囲気を損なうことなく、別言語の新ヴァージョンが生み出されているのだろうか。はたして、BEGのもつアイドルの域を越えた格好良さやアダルトな魅力は、日本語の歌でも変わらずに表現できているのか。やはり、コリアン・ポップのヒット曲の日本語版を初めて聴く時には、何ともいえない緊張感がある。オリジナルの楽曲の完成度が、バッチリと高いものであればある程に、それが台無しになってしまっているのではないかと、とても怖くなってくるのだ。ただし、日本語版が、原曲を越えるというのは、おそらく不可能なことであろう。その前提を踏まえるならば、原曲のよい部分を壊さぬように、日本語版ならではの魅力や面白さが最大限に追求されることが、そこでの至上命題ともなるはず。現時点では、その果敢な試みの最もよい例は、4ミニッツ(4minute)の日本語版の“Muzik”と“I My Me Mine”であろう。どちらの楽曲も、クオリティの面で、かなりずば抜けている(特に“Muzik”での「頭の先から爪先がブーン!」という歌詞は、実に衝撃的なものであった)。日本語と英語がスピーディに入り交じる、非常にスリリングな歌の世界を体験することができるのである。その非常にラディカルな言語感覚には、日本語や英語といった言語の境界を飛び越えた無国籍な雰囲気すら漂っている。
 BEGの日本語版を初めて聴いた時には、やはり予想通りに、妙な違和感があった。多少の覚悟はしていたのだけれど。オリジナルの韓国語版に、耳も感覚も親しみすぎたせいもあったのだろうか。ちょっと下世話な感じのギャルっぽい言葉遣いが、BEGの大人っぽいイメージと少しそぐわないようにも感じたのだ。しかし、バックのトラックや英語でのコーラス部分は、原曲のままであるので、そうした聴き慣れた部分から違和感が中和されてゆくような雰囲気は、確かにあった。よって、何度か繰り返し聴いているうちに、徐々に日本語の言葉遣いにも馴染み、すっかりと違和感は消えていった。だが、意識して具に聴いてゆくと、あちこちに気になる部分が見つかったりもするのである。やはり、元々は母国語の発音にあわせたメロディであるので、そこにそのまま日本語を組み入れてゆく形式である限り、どうしても譜割りの関係などで発音が少しおかしくなったり、字足らずや字余りの箇所が出てきてしまったりもするのだ。これは外国語作品の日本語版としては、決して避けては通れない、致し方ない部分であるともいえるだろう。よって、そうした部分を、いかに逆手にとってよい意味でのアクセントとするか、新たなる言語的な飛躍が試みられるかが、勝負の分かれ目になってきそうな気もする。別に、そこで何か突飛なことをすればよいわけではない。全ては、原曲のよさをぶち壊さない程度にすることが何よりも肝要なのである。
 そして、この楽曲でまたしても、コリアン・ポップの日本語版における、あまり日本語に聴こえない日本語の歌とハイブリッドな言語感覚について、あれこれと考えさせられた。やはり韓国語のオリジナルの時点で、殆ど英語のパートとの聴き分けがつかなくなる程のラディカルでハイブリッドな歌詞となっているのだから、日本語版でもそれが追従されるのは、当然あるべき姿であろう。また、ダンサブルなビートとの絶妙な相性のよさをみせる、韓国語でのラップ・スタイルの歌メロディや歌詞を、流暢で澱みなく流れるような美しい日本語でシッカリと歌ってしまっては、本来のスピード感が失われ、そこにどうしても野暮ったさが生じてしまうことにもなるに違いない。ゆえに、そのオリジナルのスタイルに合わせた風合いを整えてゆくには、やはり日本語詞もフレーズごとや短い文節で切り刻んで(英語や韓国語のフレーズとともに)配列される、非常にラディカルなものになってゆかざるを得ないのではなかろうか。
 BEGが歌う日本語は、グルーヴィでエレクトロニックなビートに合わせて、断片的に聴き取ることができる。ただ、その断片を繋げてゆこうとしても、あまりにも各々が断片過ぎて、正しく流れを把握できずに、逆にチンプンカンプンになってしまうかも知れない。断片となる幾つかのキーワードから、全体のストーリーらしきものを、何となく把握することは可能であると思われるが。また、断片として耳に飛び込んでくる言葉の、個々のインパクトが強すぎて、その語感や言葉の響きそのものに意識が引っ張られすぎてしまうという傾向もある。そこでは言葉の意味や流れよりも、ひとつひとつの音としての語のスピード感やリズム感のほうが際立っているのである。実際、オリジナルのメロディを重視することで、あまり通常の日本語の話法では使われないような文節の区切りやイントネーションなども、チラホラと出てきていたりする。こうした言葉の段差をストレートに楽しめるかどうかという部分も、コリアン・ポップの日本語版を許容する場面では、非常に大きな問題となってきそうだ。その日本語らしくない日本語に最初に強い違和感を感じてしまったら、その感覚は、なかなか抜けることはないかも知れない。日本人には、感覚的に自ら率先して日本語の形式を崩してゆく性向があるにも拘らず、外国人の使うブロークンな日本語に対しては少々手厳しいところがある。いつまでも、アグネス・チャンやボビー・オロゴンの喋りが、物まね芸として成立しているのは、そのためであろう。そのおかしな響きの話法を、どこかで決して日本語とは認めてはいないのである。言葉の異質さや違和感に、妙に敏感なのところがあるのだ。きっと、それだけ日本の固有にして特異な文化であるところの言語というものに対して、繊細なまでに意識的だということなのだろう。潔癖なまでに排他的な一面も、フォークロア的に発生し濫用されるルーズな若者言葉も、おそらくは、そうした厳粛なまでの敏感さからきているものなのかも知れない。
 “Abracadabra”の日本語詞は、恋の呪文の力を借りて、意中の男性を振り向かせようとする(内気で純情な?)女の子の独白という形式のものとなっている。だがしかし、そこには、手強い恋敵が存在する。状況としては、わたしの片思い的な難しい三角関係の様相である。ことあるごとにチラチラと視界に入ってくる別の女の影が、ただただわたしを苛つかせるのだ。そして、大きな障碍があればあるほど、独りよがりな恋の炎は熱くメラメラと燃え上がる。ファンタジーの世界では、どこまでも大胆になれるし、あの子の存在を消してしまうような禁断の呪文も唱えられるのだが。甘い恋心と熱いマグマのような情念が、グルグルと渦巻いている。秘められた思いと妄想世界で拗れた三角関係の恐ろしさが、タイトなエレクトロ・ビートとともにヒタヒタと迫りくる。全体的なストーリーの展開は、そうした困難な状況と切なる願いが入り組んだ背景から、ヴードゥーの秘儀にも似た呪文を唱える場面へと集約されるように流れてゆく。
 しかしながら、断片的にしか言葉を聴き取れない状態では、そうした全体的な歌詞の世界の流れ自体も、何となく耳に飛び込んでくるインパクトのあるフレーズを並べてゆくことで、パズルを組み合わせるように把握してゆくしかないだろう。その過程では、あまり有用なキーワードと判断されずに、流れを組み立ててゆく作業からポロポロと零れ落ちていってしまう言葉も、少なからず出てきてしまうに違いない。また、正確に聴き取られずに、別の言葉やフレーズとして誤って把握されて、どうしても流れに組み込めなくなってしまうという事態も想定できる(聴き間違いが思わぬ面白い効果をもたらすこともあるだろうが…)。そうした絶対的に無駄な聴取となってしまう部分が(様々な要因から)生じてきてしまうのも、コリアン・ポップの日本語版につきものの面白味であり醍醐味だと考えることは、おそらく極めて重要なことであろう。また、そこでは、非常に感覚的なリスニングが要求されることにもなってくる。あまりにも鈍った言語感覚のままでは、もしかするとそこに何も聴き取れないということも有り得るかも知れない。まさに耳と感覚の柔軟さやオープンネスが試されるリスニングなのである。
 楽曲のクライマックスのヴァースに、「キスをしたり/手をつなぐ」という歌詞がある。このパートのポイントとなるのは、何といってもリズミカルに畳み掛ける、勢いのあるラップ・スタイルのヴォーカルである。よって、必然的にBEGの全てのラップ詞を担当しているミリョが歌うパートとなる。だが、とても面白いことに、このパートのレコーディングの際に、ミリョが歌詞の歌い方に自分なりのアレンジを付け加えたというのである。本来は、言葉通りに「キスをしたり/手をつなぐ」とラップするところを、それではあまりにも平坦で味気なくなりすぎると判断したようで、リズムに合わせて「を」の部分を何度かダブらせて発音することにしたようなのだ。そのために、実際の聴こえ方としては、「キスをををしたり/手をををつなぐ」となっている。こうした言葉・文節の崩し方の発想は、なかなか日本人には思い浮かばないものであろう。あまり「を」の部分を連続してのばすというのは、日常ではそうそうないことであるから。これは、まさに日本語が母国語ではない人ならではの感覚といえるだろう(日本人の感覚でアレンジすると、おそらく「したーり」や「つなーぐ」と妙に間延びしたものになってしまうはず)。こうした斬新さがキラリと光るブロークンな日本語を聴くことのできる、このパートのヴォーカルは、素晴らしく刺激的で実に興味深い。ミリョのセンスには、ただただ脱帽である。
 そして、この印象的なラインの直後に、一番のハイライトとなる呪文を口にする瞬間の「あの娘が消えてと唱えるの」というラップが続くことになる。しかし、これがまた、どうしても(早口のせいかイントネーションの問題からか)明瞭に聴き取ることができないのだ。ゆえに、却って実際に何と歌っているのかを知りたくなってしまうという、妙な反作用の効果が発生していたりするのである。気になって、そこを重点的に何度も繰り返し聴いてしまう。そして、何度も聴いているうちに、全体的な言葉の違和感は払拭され、楽曲自体がしっくりと耳に馴染んでくる。このあたりは、決して狙ってやっているのではないのだろうが、実に面白い。ハッキリと分かりやすく発音することだけが、言葉や言語にとっての全てではないのである。伝わらないこと、聴き取れないことによって、より明瞭で効果的に伝達され得る可能性が生み出される。言葉の集積としての全体の意味を正確に伝えるというよりも、言葉のイメージや語そのものに還元された感覚的な交感がなされるという点においては、コリアン・ポップの日本語版とは、極めて超現実的な側面をもった表現だともいえるのではなかろうか。
 しかし、ここで、ひとまず考慮に入れておかなくてはならない点がある。これは、まだ第一曲目の日本語詞の歌なのだ。いわば、初めの一歩である。“Abracadabra”のボーナス・トラックは、遂に日本上陸を果たしたBEGにとっても、何もかもが初めての試みであったはずだ。おそらく、この楽曲の日本のファンの間での評判などを基にして、修正されるべきところは修正されてゆくであろうし、BEGの歌の特徴となりそうなストロング・ポイントは、さらに強化されてゆくであろう。BEGの楽曲は、いずれもサウンドのクオリティは高いし、音楽的なレンジも幅広い(刺激的なエレクトロニック・ダンス・ミュージックから柔らかで癒し系のアコースティック・タッチ、そしてアダルトで艶やかなバラードまで)。また、歌唱の面での実力も申し分ない。今後、いかなる日本語詞の楽曲を聴くことができるのか、とても楽しみになってくる。
 とても頼りになるしっかり者のリーダーのジェア、驚く程に多彩な顔と才能をもつナルシャ、キレのあるラップとセクシーな魅力が光るミリョ、クールなエイジアン・ビューティな末っ子のガイン。メンバーのキャラクターも非常に個性豊かだ。このあたりを日本での活動でも、うまく活かしてゆけると大変に面白いことになってゆくのではなかろうか。そのスタイリッシュなヘア・スタイルやメイクは、必ずやファッションに関心のある同世代の女性たちの目を引くことであろう。特に、ちょっと他に類を見ないものがある、その名の通りにぶっ飛んだナルシャのセンスは、様々な意味で注目に値する。実に得難い(愛すべき)キャラクターなのである。ただ、ナルシャの物凄さというのは、なかなか簡単にひと言で言い表せるようなものではないのが、とてももどかしい。例えるならば、全盛期の伊藤蘭を極限までハイパーにした感じといったところであろうか(おそらく、相当に古い例えなので伝わりにくいかも知れないけれど)。もしかすると、彼女であれば、全く新しいタイプの(歌って、踊れて、笑いもとれる)アジアを代表するポップ・アイコンにもなれるだろう。そんな大いなる可能性を秘めた雰囲気が、彼女には感じられるのである。(10年)

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