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zoom RSS Capullo: Informatica romantica para avanzados (2)

<<   作成日時 : 2010/07/11 03:00   >>

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II

Capullo: Informatica romantica para avanzados
Poni Republic

画像 10年6月1日、メキシコのネットレーベル、Poni Republicより驚くべき新作がリリースされた。Poni Republicは、ヤングでフレッシュな感覚をもつレフトフィールド・ポップスを専門的に紹介するレーベルであり、その活動形態は、実にパンクでDIYでインディペンデント精神に貫かれたものとなっている。その活動のメソッドを、彼らはメキシカン・パーティ・スタイルと称している。ごった煮的に様々な色とりどりの食材が無造作に放り込まれてはいるが、不思議と騒々しい賑やかさの中にも、それなりの統一感がある。05年の設立以来、エクスペリメンタルなエレクトロニカ、インディトロニカ/フォークトロニカ、ポスト・ロック等々の非常にヴァラエティに富んだ作品群を数多く発表してきている。しかし、レーベルとしてはリリースの作業だけを主として行い、それぞれの作品にPoni Republicのカタログ番号を付与するようなことは行っていない。そして、そのそれぞれの作品は、全てクリエイティヴ・コモンズによってライセンスされたMP3ファイルの形式でリリースされている。
 カプーリョ(Capullo)は、メキシコ中部の都市、アグアスカリエンテスを拠点に活動するエレクトロニック・ポップ・デュオである。カプーリョとは、スペイン語で繭(コクーン)を意味し、そこから派生させてコクーニングといえば、社会的な引きこもりの状況を表す言葉となる。引きこもりでエレポップとなると、どこか秋葉原や中野あたりにも通じそうな匂いが途端にしてきたりもする。すると、アグアスカリエンテスなどという遥か遠くのメキシコの高地で活動するアーティストであるのに、俄然親近感が湧いてきたりするから不思議なものである。主にエレクトロニクス類を担当するクリス(Cryz)とシンガーのサンドゥンガ(Sandunga)からなる男女デュオ(ともにヴォーカルを担当する)のカプーリョ。しかし、ここに、コーラス等を担当するイスラ(Isra)が加わり(メンバーのクリスとは兄妹?)、ライヴ・パフォーマンスの場面などでは、よりひとつのバンドらしい集団となる。元々の形としては二人組のデュオなのだが、見ようによっては三人組のトリオであったりもする。このあたりの何ともいえない緩さは、まさにメキシカン・スタイルなのだといえよう。
 また、そのグループの内部には、仲間内で了解できていれば全てオーケーとでもいうような、ある種のおたくノリに通ずる感覚めいたものも見受けられもする。カプーリョは、ただひたすらに楽しむために音楽をやっている。痛快なまでに。それが、外の世界からは隔絶された繭の中に引きこもった身内ノリであろうとも、音楽を通じて彼らが楽しめれば全てオーケーなのだ。それゆえにか、カプーリョの音楽には、思い切り楽しむことを最優先した突き抜けた雰囲気が濃厚に漂っているのである。そこにあるのは、破天荒なまでにワイワイと楽しげな、小規模なパーティのノリであり、仲間内で通じることを第一にしながらも素朴に素直に音を楽しむ、非常に純粋な音楽(少々子供っぽくも無邪気なノリの)だ。例えるならば、友人の家に集まって、ジュースやお菓子を飲み食いしながら、あれこれと機材をいじくり回してデモ・テープを作っている感じに近いだろうか。そういったワイワイガヤガヤなイメージを喚起させる、ちょっとしたパーティなノリの制作過程を経由して、アグアスカリエンテスの引きこもりグループが生み出したのが、この“Informatica romantica para avanzados”という作品なのである。
 “Informatica romantica para avanzados”は、全6曲を収録した、形式的にはミニ・アルバムと呼べそうな一作である。カプーリョが、これまでにまとまった作品らしきものを発表した形跡は、殆ど見当たらないので(ただし、MyspaceやFairtilizerを利用してポツポツと楽曲を公表したりはしていたようだが)、おそらくはこれが初のリリース作品となるのではなかろうか。だが、通常であれば挨拶代わり程度のものにしかなりかねない恐れもある、最初のミニ・アルバムであるにも拘らず、カプーリョは、その作品のサウンドの全編に、彼らならではのユニークな個性をしっかりと刻み込むことに成功している。このあたりは、緩く突き抜けたメキシカンなラテン・パーティ・スタイルによるプロダクション作業の賜物といったところであろうか。この“Informatica romantica para avanzados”は、とても楽しげで、無条件に楽しいムードに浸らせてくれる作品集である。カプーリョの音楽は、とてもエンターテインメント性が高い。しかし、その色鮮やかなネタをゴタゴタと盛り込んでいると思われる独特のパーティ感覚を育んだディープな(おたくノリの)ラテン文化の外側では、それらの面白要素の全てを逐一把握することはなかなか適わず、アウトプットとしてのサウンドからジュワーッとにじみ出してくる実に楽しげなムードを、ただただ黙って甘受するしかない状態に陥らざるを得ないという点には、やや歯痒さのようなものも感じてしまったりもする。それでも、かなり尋常ではないほどの楽しさはガンガンと伝わってくるサウンドとなっているので、作品を聴いている間は、歯痒さなどを感覚しているヒマは全くないのだけれど。
 タイトルは、高度のコンピュータ・サイエンスにもっとロマンスを、といったようなことを意味しているものなのであろうか。精密で精確さのみがモノを言うガチガチに堅い情報科学の世界にも、トロトロにロマンティックで空想的な、イチかゼロかの世界とは決して相容れない、徹底的に無駄となってしまう可能性のある部分が、実はもっともっと必要とされているはずなのだ。コンピュータにも人間味とロマンスを。情報科学の技術とは、今後もっと人間同士のコミュニケーションや、人と人との直の結びつきを促進させる方向へと進むべきであるというような示唆のようなものも、ここには込められているのだろうか。ちょっとしたジョーク混じりのフレーズのようで、ちょっと考えてみるとなかなかに深いものがあったりする。このあたりも、やはりラテンなノリのメキシカン・スタイルからきているものなのであろうか。アグアスカリエンテスでは、ピリッと後から利いてくるような物言いがクールなのかも知れない。特に、コクーニング傾向にある若者たちの間では。
 カプーリョのサウンドは、とてもとてもシンプルなエレクトロニック・ポップである。そこには、カラフルでプラスティックなポップ感覚が満載されている。表面的には、ペラペラで深みのない薄っぺらな音でしかない。ただカチャカチャした玩具ちっくな軽快なノリを前面に押し出して、ワイワイと楽しげに突っ走っているだけだと受け止められてしまったとしても、致し方ないかも知れない。やや性急な感じのする無機的で直線的なビートに、跳ねるようなパーカッションが活き活きとした躍動感を与える。その跳ねや躍動には、明らかにラテン・ミュージックからの強い影響を聴き取ることができる。いや、アグアスカリエンテスの若者たちにとって、ラテン・ミュージックとは、幼い頃から嫌でも耳に流れ込んできた音であり、すでに血となり肉となり骨の髄まで染み込んでいるものなのであろう。ゆえに、後天的な受動の影響というものとは、少し異なるのかも知れない。それは、もっと無意識の領域に属しているものなのである。一度、音楽をやろうとすると、どうしても自然に、そこににじみ出してきてしまう皮膚感覚的な風合いとでもいうのだろうか。カプーリョは、そうしたノリやリズム感やグルーヴが、どっぷりと染み付いた身体的特性を、シンプルなエレクトロニック・ポップ・サウンドの中に、最大限に活かしきっている。いや、極めてシンプルな音であるからこそ、隠れる場所がどこにもなく、表立って出てきてしまうのだろうか。いずれにせよ、カプーリョの音楽は、恐ろしくチープな質感であるが驚くほどノリのよい、ラテン・エレクトロニカなダンス・ミュージック/パーティ・ミュージックとなっている。そこには、カリプソ、ソカ、ルンバ、サルサなどの、様々なラテン・ミュージックの匂いを嗅ぎ取ることができるだろう。また、その奇抜なまでにチープでチマチマとしたノリのエレクトロニック・ラテン・ミュージックには、やはりデジタル・クンビアなどにも通ずるものもありそうだ。カプーリョは、ある意味において、新しいラテン・ミュージックのひとつの最先端に位置する存在であるといえるであろう。
 1曲目は、“Prendo el ordenador”。コンピュータにスウィッチ・オン。いかなるロマンスも、まずはコンピュータの電源を入れるところからスタートする。乾いた四つ打ちビートに、細やかに打ち鳴らされるパーカッションが軽快に絡む。電源を入れたばかりだというのに、かなり調子のよい上々の滑り出しである。ただ、通常であれば厚みのあるシンセサイザーのフレーズでグルーヴに肉付けしてゆくであろうところに、異様に素朴なアコーディオン風のサウンドが大々的に使用されていたりするのが、実に楽しい。これが、超軽量級のコロコロと転げまくるパーカッションと、この上ないほどの相性のよさを発揮する。ほぼ必要最小限の音要素のみで、カプーリョは、驚くほどに活き活きとしたエレクトロニック・ラテン・ダンス・ミュージックの世界を描き出してみせる。このあたりは、天賦の才なのであろうか。もしくは、骨の髄まで染み込んでいるものの濃さの違いなのか。かなり興味深い。
 2曲目は、“Ritmo Prohibido”。禁じられたリズム。ロマンスに発展する要素を多分にもつ情緒的なリズムは、情報科学の世界ではタブーとなる。なぜならば、それは、科学的な認識の域を軽く越え出ていってしまうものであるから。ロマンスには、厳格なる情報科学の世界をもロマンティックに包み込んでしまう怖れが大いにあるのだ。全てが桃色の世界となってしまっては、そこではもはや科学も糞もなくなってしまう。ロマンスとは、予測不能で捉えられないからこそロマンティックさを増してゆく。肩の力の抜けたラテン・ロックのエレクトロニック・ヴァージョンのようなトラックが、みるみるうちに軽快に浮かび上がり、何とも自由に羽ばたき始める。もう、いつでも、どこにでも飛んでゆく準備が、完全に整っている状態だ。ラテンのリズムは、何かを確実に解き放つ。ロマンスの準備は、もうできている。まるで何かの開始の合図であるかのような、けたたましいサイレンを思わせる電子音のフレーズが、ギクシャクした航跡を描きながらヒラヒラと飛び回っている。
 3曲目は、“Power point de amor”。愛の電源コンセント。ロマンスを愛へと昇華させ稼働させるには、実は莫大なエネルギーを必要とする。よって、電源のコンセントに一刻も早くロマンスのプラグを差し込まなくてはならない。そして、そこを起点、すなわち愛のパワー・ポイント(力点)として、全てが転がりはじめるのである。どこに向かって転がってゆくのかは定かではない。ロマンスとは、予測不能なものであるから。ただ、力点となるコンセントがなくては、何も動き出しはしない。これだけは、揺るぎのない愛の鉄則なのである。甘くロマンティックなコードが塗り重ねられ、細かくパーカッションがちりばめられたトラックの上を、ジャズ・フュージョン風のアーバンなムードのキーボードの演奏が流れてゆく。よく動き回るベースがファンキーな熱をグッと高める。ただし、メロウな男女のデュエットは、決してクールな足取りを見失わずに揺れ続ける。電源は入った。ロマンスは、ゆっくりと緩やかに転がってゆく。
 4曲目は、“Amor de Semana Santa”。恋のセマナ・サンタ(聖週間)。セマナ・サンタは、16世紀からのスペイン植民地時代に宗主国より伝えられたキリスト教の祭祀(イースター)である。その聖なる週という名の通り、イエス・キリストの受難と復活を再現する儀式が、一週間に渡って厳かに執り行われる。ただし、アグアスカリエンテスでは、このセマナ・サンタの直後からの一ヶ月にも及ぶ期間に、フェリア・デ・サン・マルコス(Feria de San Marcos)という大規模な祭りが、盛大に繰り広げられる。最古の福音書を記した聖人マルコを讃える、この祭りは、今やメキシコを代表する祭りのひとつにも数えられている。だが、やはり、その祭りとしての起源は、スペイン植民地時代にある(かつては、周辺各地からメキシコの中央部に位置するアグアスカリエンテスに集まってきた部族が、それぞれに農作物などを持ち寄り物々交換・交易を行う定期的な市のようなものであったという)。縦ノリの細かく刻まれるリズムが、祭り(カーニヴァル)という非日常に投げ入れられたヒトの内部で沸き立つ感情を描写しているかのようだ。異様にテンションの高まる祭事の季節は、そのままロマンスの季節でもある。生と死をめぐる復活の奇跡が、ヒトの精神と肉体を熱くさせる部分も大いにあるだろう。チープ極まりないトランペットを模したような電子音が、高らかにフレーズを奏でまくる。か細くひねり出される音色が、妙に切ない。それにも拘らず、精一杯に背伸びしてジャズ・フュージョン的なプレイに徹している感じが、やけに泣けるのだ。聖なる一週間に凝縮された愛の奇跡と、その神秘。熱く眩しく一瞬だけ燃え上がるロマンスは、どこかメランコリックでセンチメンタルだ。
 5曲目は、“Reencarnación”。輪廻転生。信仰に基づく宗教的復活の奇跡に続く、より原初的な形をもつ再生のストーリー。どこまでも回帰する自然の中にあっては、そのままロマンスも決して終わることなく波のように繰り返され続けるということか。ただし、愛に受難は付き物。それは、いつだって絶望に満たされた死の淵から蘇り、こちら側へと舞い戻ってくる。ロマンスは、自然の奥底を巡り巡って大波小波となって回帰しながら、それをも超越してしまう奇跡となる。愛は自然より出て、全てを貫き神々しく君臨するのだ。多少の幻想をまといながら。ポッコポコだが、痛快なまでにロッキンな高速エレクトロ。そのビートの狭間や上空で、まるであの世から響いてくるかのような彼岸の竪琴めいた音色の電子音が、ヘニョへヨと揺らぐ。執拗に繰り返されるメロディは、輪廻と再生を表しているのであろうか。ラテンのスタイルを様々に組み入れることにより、パーカッションを配したビートの構築に、カラフルな工夫が凝らされ、それが作用して、どこまでも持続するような躁的なノリのよいグルーヴ感が生まれている。そして、カプーリョのエレクトロニック・ポップは、決して中弛みすることがないのである。素晴らしい。
 6曲目は、“Camionero”。トラック・ドライヴァー。恐ろしくタフなエンジンが唸りをあげ、埃まみれのトラックが熱く灼けたアスファルトの道を行く。はっきりとした行く先すら分からずに路上を高速で移動してゆくロマンス。乾いた路肩に打ち捨てられ乾涸びたロマンス。ハイウェイ沿いのダイナーに吹き溜まる皺だらけのロマンス。行くあてもなく路上に陽炎のように揺らめき立ち続けるロマンス。テックス・メックス・スタイルのラテン・カントリー・ウェスタン・ミュージックを、チープなエレクトロ・パンク・ヴァージョンに仕立て上げたような雰囲気。やや紛い物っぽい空気が白々しく漂っている感じが、いかにもカプーリョらしい。ボコボコのピックアップ・トラックが、猛スピードでハイウェイを突っ走り、物凄い勢いでエンジンをバーストさせる。土埃が舞い立つ路上に投げ出されて途方に暮れる人間臭いロマンス。だが、それでも全体的には、なるようになるさ(物事は結局なるようにしかならない)的な達観した長閑さが、濃厚に漂っている。このあたりの大らかさも、やはりカプーリョらしさなのであろうか。ハイウェイの彼方に消えてゆく、決して終わることのないロマンス。オタク・オン・ザ・ロード。
 カプーリョによる六編のロマンティックなストーリーが収められた“Informatica romantica para avanzados”。ここでは全編に渡って、軽妙でグルーヴィなノリのよさが、各楽曲の根幹部分をビシッと貫いている。これは、やはりロマンスというものが、ヒトの感情をざわめき立たせ、退屈際なりない日常を越え出た(ノリノリな)領域へと誘うものであることを如実に表しているようでもある。ロマンスは、ヒトをグルーヴさせるのだ。細密なるコンピュータのように全く無駄なく作動する機械の如き日常に息苦しさを感じたとき、ヒトは摩訶不思議で予測不能なものであるロマンスを(本能的に)追い求めてしまうのかも知れない。それは、日常を離れた息抜きであり、ひとりの人間として自らの生を生きていることを実感する(もしかすると、それは単なる錯覚でしかないかも知れないが…)行為となる。そこには、ヒトとヒトのコミュニケーションにしか存在することない濃密さが(間違いなく)あるのだから。そんな理解の範疇を越えるほどの濃密さをもつヒトとヒトの相互のコミュニケーションに特有の(グラグラするような)揺らぎが、ここでは、妙にテンションの高いグルーヴへと転化されてゆく。そのサウンドは、全編に渡りエレクトロニックなものではあるのだが、極度なチープさで鳴る音の質感と、どこまでも陽気で楽しげなラテンの躍動感をたっぷりと含有したパーカッシヴなノリが、この上ないほどに、そこに人間臭さを加味している。コクーニングするカプーリョのメンバーを繋ぐ、おたく的な関係性の濃密さも、その臭みを醸成するのに大きくプラスに作用をしているのではなかろうか。こういう時にこそ、内輪だけでテンションをマックスにまでもってゆける身内のノリは、最大限の強みを発揮する。ラテンでおたく。この取り合わせは、パーティ・スタイルのグルーヴを生むことに関しては、もしかするとかなりの強みをもつものであるのかも知れない。グルーヴは、どこか閉じている状態であるほうが、濃密で強固なものになることがある。カプーリョのサウンドが、決して中弛みしない理由も、そのあたりにあるような気がしてならない。
 アグアスカリエンテスの繭の中で育まれたカプーリョの音楽性には、どこかシンプルなオールドスクール・ラテン・ハウスや、80年代のエレクトロをラテン・ヒップホップ・スタイルに展開させたラテン・フリースタイルに通ずるような、古き良き、そしてかなりオーセンティックなタイプのエレクトロニック・ラテン・ダンス・ミュージックの系譜に連なるものを聴き取ることができる。仲間内でシンプルなエレクトロニック・サウンドを深く追求してゆくうちに、カプーリョは、自ずと過去30年間のエレクトロニック・ダンス・ミュージックの歩みを、ラテン寄りのダイジェスト版で辿ることになっていったのかも知れない。そして、彼らは、常に実にちょうどよいところに錨を下ろして、それぞれの楽曲のプロダクションに取り組んでいった。このあたりはもう、もはやもって生まれたセンスでしかないのであろうが、カプーリョの面々は、このあたりを決して外すことがない。さすがだ。恐ろしくチープでシンプルな内輪ノリのパーティ・スタイルのラテン・エレクトロであるのだが、それだけでは終わらない何かがカプーリョの音楽には確実にある。骨の髄まで染み込んだレンジの広いラテンのサウンド要素を土台にしながら、ワイワイガヤガヤとした楽しげなノリの真っ直中で、凄まじくキャッチーなメロディをこれでもかとばかりに反復しまくる。そこにカプーリョならではのウルトラ・ポップな感覚が炸裂するのである。この強固なダンス音楽としての土台をもった強烈なポップ感覚には、大いなる可能性を感じずにはいられない。今後の成長の歩み如何によっては、もしかするとカプーリョは、本当に世界レヴェルで輝ける物凄い存在にまで上り詰めていってしまえるかも知れない。実際、その程度の高いポテンシャルは、もう優に繭の中に内在させていると思うのだ。後は、それをどのようにアウトプットしてゆくかだけである。(10年)

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