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zoom RSS Capullo: Informatica romantica para avanzados (1)

<<   作成日時 : 2010/07/11 03:00   >>

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I

Nueva musica de la edad de America Latina.

 ペルーの天才少女シンガー、ウェンディ・スルカ(Wendy Sulca)の桁外れの物凄さを、言葉でうまく言い表すことは、なかなかに難しいものがある。そこには、言葉で言い表すことができたり、頭で認識したり理解したりすることのできる領域を、軽く越え出てしまっている何かが、確実にあるのだ。それは、歴然たる、こちらとあちらの文化の間に横たわる圧倒的なまでの隔たりからくるもののようにも思える。
 ウェンディ・スルカは、ペルーのワイノ(ワイニョ)・ミュージックの世界で活躍する歌手である。首都リマの北部に位置するサン・フアン・デ・ミラフローレス地区で96年に誕生したというから、現在まだ14才ということになるだろうか。しかし、その歌唱は、おおよそ子供らしくはない。ただ、声質の面では、刺すようにキンキンとしゃくり上げられる高音部の凄まじい伸びやかさに、絶対的な若さというか、チラリとお子様っぽさをにじませたりはする。このあたりだけは、さすがにまだ14才という感じだ。しかし、その凄まじく伸びる高音が、全くブレることなく、しっかりとした安定感を保ってる点は、もはや子供離れした歌唱力というしかない。まだ14才という年齢でありながら、歌い手としてのテクニックには、かなり完成されたところがある。ほぼ完璧にトラディショナルな唱法をマスターした、まさに堂々たる歌声を披露してくれるのだ。そんな、絶対的に大人顔負けの部分こそが、スルカの天才少女たる所以である。
 この天才少女の名を、一躍世界的に有名にしてしまったのがYouTubeにアップロードされた、ちょっとシュールな音楽ヴィデオ群であった。そう、今やウェンディ・スルカといえば、ただのペルーのローカルなスター歌手ではないのである。もはや、南米〜ラテン・アメリカ世界を代表するシンガーのひとりだといってしまってもよい(かも知れない)。問題のYouTubeで全世界に向けて公開されたヴィデオ映像には、可愛らしい少女であるスルカが健気に情感を込めて熱唱する姿が映し出されていた。それは、基本的には、楽曲のプロモーション用に制作された一連のヴィデオなのだと思われる。ただ、そのあまりにも低予算で制作されているムードがムンムンと漂う、激烈にシンプルな映像は、衝撃的なまでのインパクトを放つ仕上がりであったのだ。ペルーの素朴な風景の中でエモーショナルに歌うスルカ。お花畑や段々畑や川縁で、時にはなぜかプールサイドで。町中の普通の人々の傍らで。はたまた、農場の家畜たちをバックに。乾いた大自然から、農村、そして都市にいたるまでの、ペルーの素朴極まりない光景と、子供離れした歌唱を聴かせる少女の姿の対比は、どこか異様なまでに非現実的な匂いを発散させてもいた。
画像 映像の中でスルカは、鮮やかな刺繍が施された、大きく花のように膨らんだスカートを、ユラユラと揺らして熱唱している。おそらくそれは、インディオの民族衣装を基調にしてアレンジされた、南米の民謡歌手に特徴的なステージ衣装なのであろう。しかし、その微妙に派手さのある衣装の強めの色使いが災いしているのか、全体的に土埃に茶色くくすんだようなペルーの風景とは、あまりしっくりとはマッチせずに、どこかスルカの姿だけが常に浮きまくって見えるのである。非日常の空間を表出させる芸能のための衣装であるから、素朴な日常の光景の中で浮いてしまうのは、まあ致し方ないところなのであろう。それでも、健気に思い切り情感を込めて熱唱し続けるスルカは、凄まじいまでに小さな大エンターテイナーぶりを発揮してくれている。そんなプロモーション・ヴィデオの映像を繰り返し観ていると、その卓抜した歌声の不思議な魅力と相俟って、天才少女であるスルカの歌う姿に、どこか神々しさすら感じられるようになってくる。それを証明するかのように、スルカの代表曲のひとつである“La Tetita”のヴィデオは、すでにYouTubeで二百万回以上もの再生がされているのである。そして、このほかにも、百万を越える再生回数を数えているスルカの楽曲は、複数存在している。この天才少女の歌と映像には、人の心を掴み、魅了してしまう、何らかのパワーがあるということなのだろう。一度、その虜になってしまうと、なぜか何度も繰り返し観たくなってしまう、物凄いインパクトのあるヴィデオ映像であることだけは間違いない。
 まだルックス的には幼さの残る少女でありながらも、大人顔負けのしっかりした歌唱を堂々と披露するウェンディ・スルカの姿は、どこかデビュー当時の美空ひばり(Hibari Misora)と似たような雰囲気があるようにも思われる。おそらくは、どちらも、何十年かに一人というレヴェルの逸材なのだ。その歌手としての才能は、文句なしに折り紙付き。そんな天才少女が、きれいな衣装を着せられて、周囲の大人たちの意向に合わせて、様々な場所で得意の歌を常に全力で披露している。その異様にピュアに芸能を全うしている姿に、健気さを感じるとともに、言い様のない末恐ろしさも感じてしまうのである。現在はまだ可愛らしいスルカも、そのうちに御嬢と奉り立てられるようになり、ペルーの音楽界に長きに渡って君臨するようになるのかと思うと、少し微妙な気分にもなってくる。もはや、未来の大御所となることは、約束されているも同然なのだろうから。
 ワイノ・ミュージックとは、かつてインカ帝国が栄えた時代に発展したアンデアン・ミュージックの流れを汲むとされる南米土着の音楽スタイルである。その伝統的なインカのフォルクローレが、スペインの植民地時代にヨーロッパやアフリカからもたらされた音楽要素と混じり合い、独特なクレオール音楽としてのワイノの土台が築き上げられていった。そして、ギターやベースなどの電子楽器の普及とともにバンド/コンボ形態で演奏されるようになったワイノ・ミュージックは、トラディショナルなフォーク・ソングの形式と都会的なダンサブルなサウンドを融合させた、親しみやすい音楽スタイルとして一気にポピュラリティを獲得してゆくこととなる。やはり、スルカの歌唱にも、フォルクローレ音楽に特徴的な、独特の粘り気のあるこぶし回しがある。そして、ほぼリード楽器となっているハープの音が、いやがおうにも哀感をかき立てまくる中で、十二分にメランコリックな旋律と細かに律動するリズムが、アクロバティックにランデヴーするのだ。そんな、伝統音楽の重みを尊重する部分と伝統音楽をものともせずに枝葉を端折って単純な身体性を優先させたノリに乱暴にねじ込んでしまう部分とが交錯する、不思議な音世界が、凄まじくペルー的な独特の湿り気をもつダンス・ミュージックとして、ばっちりと成立してしまっているところが、とても奇妙でもあり興味深くもある。
 ただし、ダンス・ミュージックとはいっても、そこに強烈なドラムのビートがあるわけでは決してない。基本的に、サウンドの根幹を成しているのは、歌手の歌唱であり、メロディアスな楽音なのである。ダンスの形式としては、拍と拍の間の細やかな音の動きに、小刻みな摺り足状のステップを踏みながら入り込んでゆき、どんどんとそのさざ波にのってゆくようなクルクルと旋回する踊りが展開される。欧米のエレクトロニックなダンス・ミュージックと比較すると、ワイノのサウンドは、おそろしくシンプルでささやかでソフトなものである。だが、強烈なビートの反復に慣れ親しんだ耳に、これほどまでにラディカルに響くダンス・ミュージックというのも、ほかにはそうそうないであろう。コロンビアのデジタル・クンビアなどとは、またひと味違った、より土着的なラテン・アメリカならではのダンス・ミュージックが、ここにある。その特異な世界の、うら若き歌姫が、YouTubeでも大人気のウェンディ・スルカなのである。
 ペルーのワイノにしても、コロンビアのデジタル・クンビアにしてもそうなのであるが、ラテン・アメリカで生み出されるダンス・ミュージックには、なぜか相当に奇妙キテレツな部分がある。そこに現出しているものをストレンジだと感覚してしまうのは、やはり、こちらとあちらに文化的な隔たりが存在しているからなのか。ただし、そこには、ラテン・ミュージックのもつ底知れぬ奥深さを、まざまざと感じ取ることはできる。ラテン・ミュージックとは、今も凄まじい勢いで成長を続け、動き続けている音楽なのだと思い知る。ゆえに、様々な奇抜なサウンドをもつコンテンポラリーなダンス・ミュージックのスタイルを、次から次へと輩出し続けているのであろう。音楽文化としての伝統的な形式を守りながらも、時には、長い時間の流れの中で積み上げてきたものを、一瞬にして突き崩してしまう懐の深さも併せもつ。そうかと思うと、古い土着の形式を復興させて、力強く伝統的な方向へと揺り戻っていったりもする。そのような決して止まることなく動き続ける、大きな音楽的な渦の中で、フォルクローレからコンテンポラリーまでのラテン・ミュージックが一様にしてもつ、強烈なアクが、さらに濃密に焙煎されてゆくのではなかろうか。ワイノやデジタル・クンビアが、ラテン文化の大鍋の中でグツグツと煮込まれた、とんでもない荒唐無稽さをもつダンス・ミュージックであるのも、そのせいであるに違いない。そこにある奇抜なノリは、ラテンの音楽文化の奥深さとアクの強さを、まざまざと伝えてくれるのである。
 10年4月、ウェンディ・スルカは、“En tus tierras bailare”という楽曲をYouTubeに発表している。これは、エクアドルのテクノ・フォーク歌手、デルフィン・キシュペ(Delfin Quishpe)と、ペルーを代表するヒョウ柄熟女パフォーマー、ティグレサ・デル・オリエンテ(Tigresa del Oriente)という、YouTubeが生んだラテン・アメリカ世界の大スターたちが、奇跡のコラボレーションを果たした楽曲である。驚くほどに濃密でアクの強いトリオによる、この“En tus tierras bailare”は、瞬く間に百万回以上の再生回数を記録してしまったことでも大きな話題となった。実際、これを最初に観た時は、本当に胸焼けしそうなほどであった。どこまでがギャグで、どこからが本気なのかが、皆目見当がつかず、思い切り面食らってくまったのだ。彼らにしてみれば、おそらく最初から最後まで、ほぼ大真面目なのであろうが。スルカのプロモーション・ヴィデオと同様に、こちらも、なぜか何度も繰り返し観たくなる、凄まじいまでの破壊力とインパクトのある映像となってしまっているのである。
 そして、さらに驚くべきことには、この“En tus tierras bailare”という楽曲は、あまりにもストレートなイスラエル讃歌なのだ。タイトルは、直訳すると「私はあなたの所有する土地で踊るでしょう」というものであり、サビでは軽快なメロディにのせてイスラエルというフレーズが連呼される。はたして、これは、ユダヤ教やイスラエルという国家を、直接的に讃える楽曲なのであろうか。なぜ、ペルーやエクアドルの南米の歌手たちが、陽気にイスラエルについて歌い、屈託なく楽しげに踊るのであろう。南米のラテン・アメリカ世界をイスラエル化してしまおうとでもいうのだろうか。そこには、俄には理解し難い何かが、歴然としてあるように思われた。ただ、そのタイトルに匂わされているシオニズム的な傾向から考察するに、そこにはラテン・アメリカ世界が抱き続ける、イスラエルというひとつの現象に対する深く真摯なシンパシーに近い、ある種の感情のようなものの関与を推測することはできた。強引に植民地化され、新旧の世界の文化がミックスされて成り立つこととなったクレオールの地であるラテン・アメリカにおいて、南米に固有の文化や渡来文化の根元の部分を再確認し、大きなひとつのまとまりとなったラテン民族が、その手でその地を復興させてゆこうとする、文化的シオニズムの動きが興るとしても決して不思議ではない。その中心的な軸となるのが、広大なるラテン・アメリカ世界を構成する幾層にも分け隔てられた諸民族の団結と結束の思想なのであろう。徹底した抑圧的支配がなされたコロニアリズムの影響により深く分断され、政治的にも経済的にも文化的にもバラバラにされてしまったラテン民族を、その大半がホームランドである南米の地に生きていながらもダイアスポラ状態にあると見ることは可能だ。また、それをクレオール文化の側から眺めると、南米に生きるラテン民族とは、大西洋を隔ててホームランドと遠く離れ、個々の港町から内陸への拡散の道を辿ることだけを余儀なくされた、莫大にして膨大な数の文化的離散民そのものだともいえるのであろう。南米大陸とは、ひとつの巨大な二重のラテン・ダイアスポラの大地なのである。そんな現実の根幹を見つめて、スルカたちによるイスラエル讃歌“En tus tierras bailare”は、ラテン・アメリカの民族的・文化的なシオンの回復を高らかに歌い上げているのかも知れない。
 10年6月10日、サッカー・ワールド・カップの南アフリカ大会の開催を記念した前夜祭イヴェント「FIFA World Cup Kick-off Celebration Concert」が、盛大に行われた。場所は、ヨハネスブルグのソウェト地区にあるオーランド・スタジアム。ソウェトは、国家のアパルトヘイト政策によって実質的にアフリカ系住民の隔離居住区に指定され、ヨハネスブルグ郊外の巨大なスラム街となっていた場所である。また、76年に、不当な国家政策に沿った教育プログラムの押しつけがなされていた学校において、学生たちの抗議活動が起こり、これを契機としていわゆるソウェト蜂起と呼ばれるアフリカ系住民の本格的な抵抗運動の狼煙があがった場所ということでも有名である。ソウェトを発火点とする反アパルトヘイトの運動は次第に南アフリカ各地に飛び火してゆき、その後この抵抗の動きは大きなうねりとなって国際世論すらをも動かしていった。そうしたあまりにも重い歴史的背景をもつソウェトにおいて、まさに自由と平和の象徴となる巨大スポーツ・イヴェントを記念する豪華絢爛な音楽の祝祭が催されたのである。これは、ある意味において、素晴らしく感動的なコンサートであった。かつてのアパルトヘイトの時代であれば、決して考えることも、いや想像することすらできなかったであろう華やかで美しい光景が、そこには現実に存在していたのだから。コンサートには、アンジェリーク・キジョー(Angelique Kidjo)、アマドゥ&マリアム(Amadou & Mariam)、ブラック・ジャックス(Blk Jks)、ヒュー・マセケラ(Hugh Masekela)、ティナリウェン(Tinariwen)、ヴィユー・ファルカ・トゥーレ(Vieux Farka Toure)、ヴーシー・マーラセラ(Vusi Mahlasela)といったアフリカ音楽の大御所から新星までを含む、全17組の世界的に著名なアーティストたちが参加した。そして、スタジアムに詰めかけた三万人もの大観衆を、色とりどりの鮮やかな音楽の迫力ある生演奏で魅了したのである。そこで、特に印象的であったのは、活き活きと躍動し、いまなお新たな胎動を孕み続ける、高らかに打ち鳴らされる大陸のリズムの止めどない奔流であった。地鳴りのようなリズムが、ひとつの希望に向けて結集した人々の熱狂とともに、アフリカの大地を揺るがしていたのである。
 この歴史的な音楽の祭典で大トリの役目を務めたのは、南米のコロンビアが生んだ世界的に大人気のポップ・シンガー、シャキーラ(Shakira)であった。このラテン・アメリカ世界を(ウェンディ・スルカとともに?)代表するセクシーな歌姫は、大会の公式テーマ曲である“Waka Waka (This Time For Africa)”も歌っている。アフリカの歌手ではなく、ラテン・ミュージックの人気シンガーが、南アフリカでのワールド・カップのテーマ・ソングを担当し、コンサートのラストを華々しく盛り上げている。少し冷静に考えると、やや微妙な感じもするが、満員のオーランド・スタジアムは、(いささかも躊躇う様子もなく)完全に沸騰しきっていた。そして、当のシャキーラも、明らかにコロンビアとアフリカを並列に捉えている雰囲気であったのだ。黒い大西洋を跨いで、アフリカと南米には強い結びつきや密接な繋がりがあるという意識が、その基底には存在しているということなのであろう。ソウェトの地に集った人々が、力強く轟き躍動するラテン・ミュージックのビートに酔いしれたのは、遠い海路や遥かなる黒い歴史を飛び越えて、ひとつになれていたからなのだろうか。つまり、そこにあるのは、やはりポスト・コロニアリズム的な文化を前提としたダイアスポラの感覚や、文化的/民族的なシオニズムの見果てぬ夢へと繋がるものなのだ。ラテン・アメリカとアフリカは、ひとつの音楽、ひとつの(複合的な、土着の、再帰した)リズムを媒介として、瞬間的に共感し合い、深く共振し合うのである。
 あの夜、オーランド・スタジアムは、シャキーラの艶かしくも挑発的にセクシーなパフォーマンスが熱を帯び、豊かなラテンのリズムが高らかに打ち鳴らされ、渦巻くようなエナジーが発散されるにつれて、全体がひとつになり、情熱的なダンスのステップに合わせて揺れていた。もう、かつてのように北と南を明確に分け隔てるものは、何も存在していない。そこに境界などはないのだ。そして、意識的/無意識的に形成されていた地域的位階も、もはや全く意味をなさなくなりつつある。遠い昔には第三世界と呼ばれていた熱く沸騰する大地から湧き起こる、大きな渦や波が、地球規模の昂りとなり、いまや世界を揺り動かしている。共振し共感するラテン・アメリカとアフリカを中心とした巨大な渦巻きは、世界の流れそのものを再編してしまいそうなほどの勢いを秘めているといってよい。その根幹にあるのは、圧倒的にして根源的なリズムと情熱的なメロディである。だが、こうしたことは、少しばかり視点を変えて見ると、長らく発展の途上にあった南半球の全域を、徹底した新自由主義を骨格とするグローバリズムが、社会的・経済的にも猛烈な勢いで飲み込みはじめた兆しの、明確な表れであるようにも思えてくる。ラテン・アメリカも、アフリカも、遂に本格的にそのルビコンの川を渡るための準備が整ったということなのであろう。正当らしさを謳う美しい自由と平等の名の下に、全世界的な均質化と画一化が冷徹に敷設されてゆく、その大きな第一歩目の華々しい祝祭を、いま我々は目のあたりにしているのかも知れない。
 今回のサッカーのワールド・カップそのものにも、少なからず微かな変節めいたものは感じ取れる。まず、アフリカの代表ティームが、システマティックで組織的な守備を行っている場面を目にすることが多くなったことには、少しばかりハッとさせられた。かつては桁外れの身体能力を武器に、荒削りながらも直感的(本能的)な攻撃と守備を展開する、それまでには全く見たこともないような新次元のサッカーをアクロバティックに繰り広げていたというのに。より合理的な戦術を徹底して取り入れてゆくことで、アフリカのサッカーは、さらに世界の中のアフリカ的な洗練へと向かって突き進んでゆくのであろう。しかし、この世界基準のスタイルの吸収/消化を開始したアフリカのサッカーは、今大会においては、まだそれほど芳しい結果を残せていないのが現状であったりする(本大会には、開催国の南アフリカをはじめアフリカ大陸から六ヶ国が出場したが、結局のところ決勝トーナメントにまで進出できたのはガーナのみであった。結果は、ベスト8)。また、試合の中継を観ていると、色鮮やかな電子広告パネルに中国の企業である英利集団の名が、ひと際目立っているのも印象的である。そして、世界的なビール・メーカーのアンハイザー・ブッシュ・インベブも中国の巨大な市場を意識して、主力商品であるバドワイザーの広告に漢字表記を使用している(また、同社によるハルピン・ビールの広告も同様に目立っている)。これは、中国の高度経済成長がアフリカの存在なしには成り立たないということを、暗に明示しているような光景でもあった。アフリカの大地に中国企業の看板が立つ。実に、象徴的な図である。これまでの世界の流れや動きを形作ってきていた暗黙のヒエラルキーは、完全にぐるぐると逆転の現象を見せつけはじめている。北と南を分け隔て、第三世界との段差を示していた境界線は、もはや全く意味をなしていないのだ。地球規模の大きなうねりの中で、世界はただ巨大な機械の完成だけを目指して猛烈に貪欲に動き続けるのである。(10年)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ウェンディースルカ!!!!!
大好き!
スペインでも大人気ですよ。
コンサートしに来ないかなあ
ウェンディー
2011/01/28 11:40
ウェンディは、本当に天才少女ですよね!
歌、上手すぎです。強烈なこぶし回しもたまりません。
YouTubeの動画で、世界的な人気歌手になりましたよね。
溝!
2011/02/10 03:40

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