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zoom RSS Las Robertas: Cry Out Loud

<<   作成日時 : 2010/05/29 04:00   >>

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Las Robertas: Cry Out Loud
lasrobertas.bandcamp.com

画像 ラス・ロベルタス(Las Robertas)は、中米コスタ・リカの首都サン・ホセを拠点に活動する、女性4人組のガレージ・ロック・バンドである。メンバーは、ヴォーカルのローラ(Lola)ことローラ・ミケ(Lola Miche)、ギターのミシェ(Meche)ことメルセデス・オーラー(Mercedes Oller)、ベースのモンセ(Monse)ことモンセラット・ヴァルガス(Monserrat Vargas)、ドラムスのアナ・マリア(Ana María)ことアナ・M・ヴァレンシアーノ(Ana M. Valenciano)。バンドが結成されたのは、09年のこと。つまり、まだバンド結成から約1年しか経っていない、文字通りの若いバンドなのである。元々、共通の音楽の趣味を通じての知り合いであったモンセとミシェのコンビ(ともに、ベル&セバスチャン(Belle & Sebastian)のイザベル・キャンベル(Isobel Campbell)の大ファンであった)に、音楽的に意気投合したローラが新たに加わり、ともに楽曲の制作を開始した。そして、そこにメンバー補充という形で、ミシェの学校の友人であったアナ・マリアが合流したことにより、ラス・ロベルタスは誕生した。
 ラス・ロベルタスのサウンド・スタイルは、ざっくりと乱暴にカテゴライズしてしまうとすると、ローファイなインディ・ガールズ・ロックといったところになるだろうか。素朴なDIYスタイルのガレージ・パンクを、中米コスタ・リカのギラギラと照りつける明るい日射しの下で、どこまでも緩く大らかに鳴らしてみました、という感じだ。その(よい意味での)脱力ぶりや、無造作にノイジーなギター・サウンド、シンプルで素朴でありながらも味わいのあるメロディには、80年代にロンドンで一大センセーションを巻き起こした、ザ・ジーザス&メアリー・チェイン(The Jesus and Mary Chain)の歌やサウンドを彷彿とさせる部分があったりもする。また、音楽的な系統という点においては、ちょっぴりサイケデリックなギター・ロックを、60年代風ポップスのリヴァイヴァル風な楽曲にのせて展開していた、タルーラ・ゴッシュ(Talulah Gosh)、ザ・ショップ・アシスタンツ(The Shop Assistants)、ザ・ヴァセリンズ(The Vaselines)などの、80年代初頭のネオ・アコースティック系のサウンドをフリースタイルかつエクストリームに後継した一連のポストC86なバンドと、非常に近いものが感じられたりもする。臆することなくヘタウマというかアマチュアイズムを丸出しにした歌と演奏を、ただただ脇目もふらずに真剣に炸裂させている感じ。だが、その真剣さゆえに、自分では真っ直ぐに走っているつもりでも、どうしても斜めに縒れて曲がっていってしまう。そうした、普通に音楽をしているつもりでも、どこか普通じゃない音が出てしまう生粋の天然ぶりといったような部分に、妙に似通ったものを感じてしまうのである。実際、バンドの中心人物であるミシェは、ともにタルーラ・ゴッシュと浅からぬ縁のある、Sarah Recordsの作品や、Subway OrganisationやCreationで活躍したレイザーカッツ(Razorcuts)のファンであり、とてもよく聴いているようである。ラス・ロベルタスが、このあたりの音を日常的に愛聴し、その音楽的遺産をバンドとして意識的に継承しようとしていることは、間違いないところであると思われる。だがしかし、それが、なぜ今、中米のコスタ・リカでなのだろうか。そこには、これといった系統的な繋がりも明確に見えてこないし、表面的には全くもって取っ掛かりらしきものすらない。一種の突然変異と考えたほうがよいのであろうか。その証拠に、ラス・ロベルタスのメンバーも、サン・ホセ周辺に、こうしたスタイルのサウンドを打ち出しているバンドは、皆無であると証言している。
 もしかすると、コスタ・リカのサン・ホセにおいて、このようなタイプの音楽を好んで聴いている、共通の趣味をもつ4人が集結したということは、ある種の奇跡に近い出来事であったのかも知れない。少なくともサン・ホセの周辺で、これまでに、こうした音楽をバンドでやろうとした女性たちは、殆どいなかったわけであるのだから。おそらく、個々に趣味として、ベル&セバスチャンやザ・パステルズ(The Pastels)を熱心に聴いている若者は存在していただろう。しかし、彼らが、同じ音楽的な趣味をもつ同胞として、中南米のスペイン語圏にどれくらいの人数が分布で存在しているのかという実態を知ることは、ほとんどなかったと思われる。また、日常生活の中でも、それぞれの存在を互いに知るようなケースは、かなり稀であったに違いない(個人や小規模の集団からなる音楽コミュニティは、点在する形で存在していたのだろうが、それらが相互に互いの存在を認識し、全体として密接で複合的・重層的な交流が活発に/日常的に行われていたとは言い難いであろう)。だが、90年代後半以降のインターネットの急速な普及は、そうした状況を大きく変化させた。そして、ラス・ロベルタスのメンバーと同世代の音楽ファンの相互の交流にとって、非常に大きな役割を果たしてゆくようになる。そうした発達したデジタル・テクノロジーの恩恵を十二分に受けて、四つのそれぞれに孤立していた島宇宙は、まるで不思議な引力に引きつけられるかのように接近してゆくこととなったのだ。モンセとミシェは、Myspaceを通じて、同じサン・ホセで共通の音楽的な趣味をもつ、お互いの存在を発見したという。中米のサン・ホセという都市で、明らかにやや特殊な音楽的趣味を持つ者同士であった4人は、そうした現代ならではの草の根的なネットワークを通じて、互いに交流し、様々なものを共有し合える親友となり、ラス・ロベルタスとなったである。逆に言えば、今の時代の、今のコスタ・リカだからこそ、こうしたシンプルで素朴なサウンドを鳴らす、独特のポップ感覚をもった脱力ガレージ・ロックなガールズ・バンドが誕生し、その非常に興味深い音楽性が、発達したインターネットのネットワークを通じて、瞬く間に世界的な注目を集めていると考えられるかも知れない。デジタル・テクノロジーの進化は、いかなる時代の音楽アーカイヴに対してもアクセスを可能にし、その参照や引用も容易なものにしてしまう。これによって、音楽がもつ時代性は、一面では、ズタズタに切断され、極限まで圧縮されてゆくこととなるだろう。そしてまた、そこに発生する全ての音楽情報は、幾重にも張り巡らされた網の目によって、どんな微細なものまでも残らずに掬い取られ、確実に隅々にまで伝播されてゆくのである。しかし、そんなデジタル・テクノロジーやネットワークと切っても切れない関係にある、ラス・ロベルタスの音楽が、どう考えても最先端のデジタル技術とは一切無縁そうな極めてローファイなバンド・サウンドだという点は、とても面白い。
 この“Cry Out Loud”は、ラス・ロベルタスにとってのデビュー作であり、記念すべきファースト・アルバムでもある。全10曲を収録。リリース日は、10年5月1日。Bandcampに設立されたラス・ロベルタスのサイトを通じて、セルフ・リリースされた。ただし、これは期間限定でのフリー・リリースであったようであり、現時点ではアルバム全体のMP3ファイルをダウンロードすることは、残念ながらできなくなっている。ラス・ロベルタスにとっての初のレコーディングは、10年初頭にサン・ホセにあるスタジオ、Produccion Automataにおいて行われた。全く無名の新人バンドであったラス・ロベルタスのアルバム・デビューが、音楽ブログのGorilla Vs. Bearによって紹介されたのは、アルバムのリリースから10日後の5月10日のことであった。ここから、即座に、この注目のニュー・カマーの情報はネットワーク上を駆け巡り、まだデビューしたてのホヤホヤな新人バンドであるにも拘らず、それ系の音楽フリークの間で、その存在は広く知られるところとなってしまったのである。中米のコスタ・リカから登場した新人のガールズ・グループである、しかも演っている音楽は、英米のインディ・ロックの愛好家であれば一発で親近感が湧くであろう、素朴なポップ感覚をもつローファイでガレージ・ロックなのだ。目新しさという点では、これ以上に目新しさを感じさせてくれるバンドは、そうはいないかも知れない。コスタ・リカのローファイでガレージなガールズ・バンド。これまでに、そんなバンドの音楽を聴いたことのある人は、おそらく皆無であったに違いないのだから。ラス・ロベルタスは、そのような意味において、誰にとっても、圧倒的にフレッシュな存在として出現したわけである。
 ラス・ロベルタスのサウンドは、アメリカ西海岸でローファイなインディ・ロックを展開しているガールズ・グループ、ベスト・コースト(Best Coast)や、パール・ハーバー(Pearl Harbor)、ダム・ダム・ガールズ(Dum Dum Girls)などと比較されて語られたりもする。サイケで脱力系だが、ポップスとしては抜群のキレがあり、大らかで地に足のついた可愛らしさがある。そういった面では、非常に似通っているといえる。これらのグループは、系統的な血筋の面でも、かなり近いものがあるといえそうである。また、ラス・ロベルタスは、ブルックリンのガレージ・パンク・バンド、ヴィヴィアン・ガールズ(Vivian Girls)との、音楽的な共通点を指摘されることもある。確かに、ラス・ロベルタスが、ブルックリンのライヴ・シーンから登場したとしても、おそらくは何の違和感もなかったであろう。だが、音楽的なテクスチャーという部分では、ヴィヴィアン・ガールズよりもラス・ロベルタスのほうが、格段に緩い。このあたりは、やはりコスタ・リカという独特の土地柄というか、独特の空気感やムードがなせる業なのだと思われる。しかし、なぜ今、こうしたサウンドなのだろうか。地球上の様々な場所から、この手のサウンドをジャラジャラと鳴らし、シンプルなロックやポップスを自然体で歌う女の子たちが、続々と登場している。こうした状況の根底には、どのような要因や原因が存在しているのだろうか。ラス・ロベルタスやパール・ハーバーの出現の裏側には、何か共通する理由や時代の要請のようなものがありそうなのだ。
 かつて、90年代の何も持たぬ若者たちは、中古のサンプラーやシンセサイザーを買って、ベッドルームでエレクトロニック・ミュージックを制作し、エレクトロニカと総称されることになる新たなエレクトロニック・ミュージックの文化を築き上げた。そして、そうした文化の成熟とテクノロジーの進化が合致し、ラップトップPCとソフトウェアさえあれば、誰でも本格的な宅録サウンドが作り出せる時代が訪れたのである。ただ、エレクトロニカのサウンドが深く(在り来たりなものとして)浸透し、音として/音楽として、ハイ・クラス/メインストリーム化をしていった00年代を経て、何も持たぬ若い世代は、豪奢でハイテクなホーム・スタジオへは向かわずに、再び楽器を手にするようになっていったのかも知れない。かつて、80年代の何も持たぬ若者たちは、退屈な日常から抜け出すために楽器を持ち寄り、バンドを組んだ。そして、そこからザ・ジーザス&メアリー・チェインやタルーラ・ゴッシュといった恐るべき子供たちが出現し、歪んだファズ・ギターやフィードバック・ノイズにまみれた素朴なロック・サウンドで、鬱屈した時代に一大センセーションを巻き起こしたのである。それから約20年以上の歳月が流れ、再び楽器が、何も持たぬ若者がまず手に取る武器になりつつあることは、ただの偶然ではないに違いない。退屈な日常を打ち破り、あるいは異様なまでにエフェクティヴなエレクトロニック・サウンドに対抗するためには、ギターやベースの弦をかき鳴らし、スティックでドラムを打ち鳴らすのが、最も単純明快にして効果的な方法であったのだろう。これは、一種のゲリラ戦でありレジスタンスの戦法である。何も持たぬ若者たちは、いつの時代においても安価で手に入るプリミティヴなサウンドを、己の世代の武器とするものなのだ。また、都市の日常を生きる女性が、その日々の出来事からインスパイアされた歌を音楽にのせる時には、あまりにも都市的な質感で輪郭が明確な電子音よりも、よりファジーな響きを表出することのできる自らの手による楽器の演奏のバッキングのほうが、そこにフィットしやすいというサウンド面での利点などもあったのかも知れない。いずれにせよ、楽器を手に取り、ストレートに緩い日常から誕生した歌を素朴なロック・サウンドにのせて歌う、21世紀/10年代のタルーラ・ゴッシュやザ・ショップ・アシスタンツとも形容できそうな若々しく瑞々しい感性のガールズ・グループが、次々と世界の片隅から登場している。この事実は、注目に値する。今、女の子たちに何かが起きているようである。
 ラス・ロベルタスの4人のメンバーが、共通して愛聴している音楽の傾向から、このグループの音楽性の根底にあるものを、さらに浮き彫りにしてゆくことができるかも知れない。そんな4人の音楽的な共通点は、具体的には、こんなところにある。NYジャンク/エクスペリメンタル・コンテンポラリー・ノイズ・ロックのソニック・ユース(Sonic Youth)、DIYスタイルのハードコア・パンクのフガジ(Fugazi)、USインディ・ロックのザ・ブリーダーズ(The Breeders)やブラック・タンバリン(Black Tambourine)といった、オルタナティヴ系の古典中の古典といえるグループ、そしてザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)やジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)というオルタナティヴ系の大ルーツ・ミュージック。これは、ラス・ロベルタスのサウンドが、インディ・ロックやガレージ・パンクといったオルタナティヴ系のロックの正統の血筋を、さらに意識的に継承するものである可能性の高さを、如実に示す傾向だといえるであろう。いずれも、多感な10代の頃に度を越して聴きまくると、真っ当な人生を生きる道から足を踏み外してしまいかねない、(かなり危険で)強烈な音楽ばかりではないか。ただし、カリプソやソカといった軽快で陽気なラテン・ミュージックが、常に街角に流れていそうなコスタ・リカで、ジョイ・ディヴィジョンやソニック・ユースばかりを聴きまくる青春時代というのは、少しばかりズレすぎているような気もする。おそらく、学校などでも、同じ趣味をもつ友人を見つけることは、相当に難しかったであろう。同級生から少し病んでいると思われることも度々であったかも知れない。だが、そんな周囲の輪の中から孤立し、刺すような孤独感に苛まれる者の心に、ルー・リード(Lou Reed)やイアン・カーティス(Ian Curtis)の深い情感を表現した歌は、きっと何よりも優しく響き、染み入ったに違いない。そのような共通する内的な音楽経験が、4人のメンバーを互いに呼び寄せ、ひとつのバンドという形に集結させ、心の友として強く結びつけているのだろうか。そして、そうした4人の音楽的な趣味というのも、やはりインターネットとデジタル・ネットワークに幼少の頃から接触してきた若い世代ならではの、新しい感覚なのだと考えられる。街角や街路などの日常の風景の中では、それほど音楽的な選択肢が存在しない環境であっても、無限に開かれたネットワーク上では、ありとあらゆる膨大な情報にアクセスすることが出来るのだ。そして、容赦なくジリジリと照りつけるサン・ホセの陽光の下で、ネットワークの遥か彼方から届けられるオルタナティヴな音楽のノイズを養分として、ラス・ロベルタスのダルなガレージ・パンクが紡ぎ出されていったのである。この良い意味でのダルダルな感じこそが、全ての事物が高速/光速化してゆく時代にあって、異様な違和感と眩いばかりの異彩を放っているようで、実に興味深くもある。おそらく、当人たちにしてみれば、どこまでも肩の力を抜いて、いつもと変わらずに通り過ぎてゆくサンホセの日常の中で、ただただ心地よいノイズまみれのサウンドを鳴らし、等身大のラス・ロベルタスの歌を響かせているだけなのであろうが。かつて、ソニック・ユースやフガジ、ザ・ジーザス&メアリー・チェインが、薄暗いロフトや地下のライヴ・スポットの狭いステージでそうしていたのと同じように。ラス・ロベルタスは、ひたすらに我が道を突き進み、どこまでも気持ちよく世界に向けてロックという名の至上のノイズを轟かせている。21世紀/10年代の新たな音楽の歩みの全ては、このノイズの中から生み出されるのである。
 “Cry Out Loud”の幕開けを飾るのは、“History Is Done”。いきなり歴史の終焉である。全てが完了し、また新たな何かが始まる。ラス・ロベルタスのスタート地点は、あらゆる流れから切断されているようだ。歴史は終わった。目の前には、見えない未来だけがある。高らかに打ち鳴らされるドラムス。この威勢のよいノリは、どこかSubway Organisationのザ・フラットメイツ(The Flatmates)あたりを彷彿とさせる。しかし、少々ドロッと歪んで濁った音色のギターとベースが、そこに重くまとわりつくために、あまり爽快には疾走しない。このあたりの音の独特の感覚が、ラス・ロベルタスらしさだといえるかも知れない。
 2曲目は、“Tele”。低い位置をキープしながら、真っ直ぐに突き進んでくるノイジーなギター。躊躇いがちに切々と訴えかけてくるマイナーなメロディ。この恐ろしくクールな佇まいは、何だろう。まだ結成から約1年というバンドとは思えぬ、落ち着き具合と熟成度である。ここまでロックン・ロールの王道をゆくムードを、自然体に醸し出せるというのは、やはり一種の資質というか才能でしかない。ラス・ロベルタス、侮るべからず。ミシェによる、徹底的にシンプルで豪快な間奏のギター・ソロに震える。
 3曲目は、“In Between Buses”。ズンドコなリズムに手拍子をフィーチュアしたイントロが印象的なガレージ・ロック。スタイルとしては、60年代ポップスの改題である。ザラザラな音色のノイジーなギターと、シンプルで可憐なメロディのミクスチャー。これを何の外連味もなくイノセントな雰囲気でサラッとやりのける。そして、そこには独特のサイケでヒプノなポップ感覚が生じている。この古典的な形式を普通にこなせるガールズ・グループは、超一流なのだ。普遍なポップスとは、やはり、ある意味、感覚として体得するしかないものであろうから。
 4曲目は、“Street Feelings”。60年代ポップスのズンタタなリズム・パターンを踏襲し、そこにダラッとしたノイズのソースをまぶした、王道のガレージ・ロック・スタイル。どんな時もクールさを失わない、ローラの淡々として落ち着き払ったヴォーカルが、何ともいえず魅力的だ。夢も希望も深い諦念も、全て同じ次元で歌いのける。そこには、世界の片隅のあらゆる街角に吹き溜まっている、綯い交ぜになったやるせない感情が、透けて見えてくるのである。ラス・ロベルタスの歌もサウンドも、実に生々しいのは、そうした感覚を、その緩めの音楽性の中に確実に捉えているからなのだ。
 5曲目は、“The Curse”。とてもパワフルなノイズ・ギター・ポップである。スタイルとしては、リヴァプールのマージー・ビートを継承しているといえそうだ。やはりタイトル通りに、呪われし部分についての歌なのであろうか。スウィートでラヴリーなコーラスが、穢れと呪詛が染み込んだリアルな現実との好対称をなしている。片時もアクセルを緩めることなく、一気に突き抜けてゆこうとする独特の重々しさのある走りに、そこに込められた情感の深さを、まざまざと思い知る。アナ・マリアのほとばしるようなドラミングが、最高な一曲である。
 6曲目は、“Ballroom”。単純なメロディの反復を、ひたすらに積み重ねてゆく形式の、古典的なガレージ・ロック・スタイル。ボールルームでのダンス・パーティに、実によくマッチしそうな、ノリのよいグルーヴィなナンバーである。木目は粗いが、濃密なサウンド。手拍子をフィーチュアした間奏の厚みのあるケイオティックな雰囲気が、とても素晴らしい。ボールルームに集いし若人たちの有り余るエネルギーの発露といったところか。ジリジリとしたファズ・ノイズが尾を引く、長めの余韻もいい感じである。
 7曲目は、“Ghost Lover”。性急なスキッピング・ビートにのる、ラヴリーなユニゾン・ヴォーカル。このガタゴトと埃っぽく揺らぎながら突っ走る感じは、ゴースト・ライダーズ・イン・ザ・スカイのサン・ホセ版だろうか。ブリブリと唸り続けるモンセのベースが、野太く弾性があって非常に素晴らしい。また、ここでのアナ・マリアのドラミングも白眉だ。この極上なドラムのビートこそが、ラス・ロベルタスの生命線であり、文字通りのサウンドの根幹を成しているといえそうである。
 8曲目は、“Damn '92”。どこまでも低くグイグイと滑空してゆく、スラッシングなガレージ・ナンバー。淡々とうらびれたマイナーなメロディ・ラインを吐き出すローラの歌唱が、すさまじくロックである。ラス・ロベルタスが、オルタナティヴ系のロックの王道のスタイルを、確実に継承していることを深く実感させられるサウンド。まだ結成から約1年であるにも拘らず、この域にまで達しているというのは、まさに驚きだとしか言いようがない。一直線に気持ちよく走っていたかと思いきや、いきなり“Damn '92”と流れを断ち切るように、一気に下げてみせる。そんな、かなり小憎らしい小技も平気で使ってきたりするのだからたまらない。やはり、なかなかの大物である。
 9曲目は、“V For You”。ノイジーでドリーミーなロック・バラード。ささやかに鳴るグロッケンシュピールの音色が、とてもかわいらしい。後半に向けて、ジワジワと盛り上がってゆく感じに、何やらとても胸が高鳴る。バタバタと打ち鳴らされるアナ・マリアのドラムスが、ここでも存在感満点だ。
 10曲目は、“Back To The End”。ラストを飾るのは、ラス・ロベルタスらしい、60年代ポップスのスタイルを引用・援用した、程よい緩さの中にもキュートな魅力が香るガレージ・ロック曲。素朴なメロディ・ラインが、サン・ホセの街の空気を孕みながら、のんびりと流れてゆく。どこまで走っていっても、行き着く場所は、常に終わりの地点だ。全ては完了し、流れは切断され、そこから、また新たな何かが始まる。こうしたシンプルなロックの王道のスタイルは、そんな終わりの切断点で何度でも蘇るのである。60年代、80年代、そして10年代。歴史の終焉を宣言するラス・ロベルタスが、次の終わりまでの道のりを砂埃をあげながらガタゴトと突っ走ってゆく。その終わりと始まりの合図が、この“Cry Out Loud”なのである。
 中米から登場した21世紀のダルで緩めなライオット・ガールズ、ラス・ロベルタスには、実はささやかな夢がある。それは、コスタ・リカから飛び出すこと。具体的には、アメリカでのライヴ・ツアーの実現を目標として、夢に見ているようである。地元のサン・ホセでは、なかなか共通の音楽的趣味をもつ仲間を見つけられず、全く同系統のサウンドを指向するバンドも周囲にいないという状況がある。ラス・ロベルタスは、コスタ・リカの地では、どうしても孤立してしまいがちなのであろう。だが、4人のメンバーが、ずっと愛聴してきた憧れのバンドを生んだ、アメリカやUKの地であれば、ラス・ロベルタスの音楽を聴き、深く理解してくれる人々が、きっと多くいるに違いない。少なくとも、サン・ホセの街よりは。そこでなら、コスタ・リカには殆どいなかった共通の趣味をもつ多くの音楽仲間たちに、そのサウンドを快く受け入れてもらえるかも知れない。その夢には、ラス・ロベルタスの音楽の真の理解者や共感できるオーディエンスを対象とした、未知なるものや未知なる世界との遭遇に対する、切実なる願望が込められているようにも思われる。だがしかし、限定的にフリー・リリースされた本作を介して、早くも方々で大きな話題となり、その音楽性が高い評価を獲得している現状を考えれば、ラス・ロベルタスがアメリカやUKへの進出を果たすのも、殆ど時間の問題であるようにも思えてくる。おそらく、ラス・ロベルタスのささやかな夢が実現してしまうのは、そう遠い未来のことではないだろう。そうなると、ラス・ロベルタスは、早いうちに次の新しい夢を考え出さなくてはならなくなる。彼女たちの、次なる大きな夢とは一体どのようなものなのだろう。そのあたりも、とても気になるところではある。だが、ひとまずは、デビュー作“Cry Out Loud”の正式なリリースが待たれる。全ては、そこからスタートするのだから。(10年)

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