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<<   作成日時 : 2010/04/21 03:30   >>

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Antipas Group: Wa Tsumugareru Inochi No Wa
MiMi Records Mi130
Antipas Group: Utau Kanaria
MiMi Records Mi131

 ポルトガルのコインブラに拠点を置く、エクスペリメンタル系のエレクトロニック・ミュージックを中心にリリース作品を展開しているネットレーベル、MiMi Recordsからの新作(実際には、これ以降に、もうすでにMiMi Recordsからは二作品のリリースがなされている。このレーベルの作品のリリースのペースは、非常に安定していて、ほとんど停滞することがない。そのカタログは、実に多彩で粒揃いである)。リリース日は、10年3月18日。これらは、全2曲を収録したEPシングルを、二作同時にリリースするという、やや変則的なスタイルで発表された、アンティパス・グループ(Antipas Group)によるMiMi Recordsからの初リリース作品となる。
 アンティパス・グループは、大阪のオルタナティヴ系ロック・バンド。これまでに、3枚のアルバムをセルフ・リリースした実績をもつ、徹底的にインディペンデントな活動姿勢を貫き続けるアーティストである。おそらく、そこらの日本人以上に日本のインディ・ミュージック・シーンに深く精通しているであろう、フェルナンド・フェレイラ(Fernando Ferreira)が主宰する、このMiMi Recordsより、今回の二作のシングルを同時にリリースすることによって、ネットレーベル・シーンに進出する運びとなったのは、両者の間に奇妙な縁があったからであるらしい。縁とは、実に奇なものである。どこでどう繋がってゆくか、わからないから面白い。コインブラと大阪は、はたして、どのような縁で結びつくことになったのであろう。非常に興味深い。
 MiMi Recordsは、地元ポルトガルのアーティストの作品の存在が霞んできてしまうくらいに、日本のアーティストの作品を続々とリリースしている。かつて、カエデ・ミラ(Kaede Mira)の作品を世界に向けて紹介したのも、このレーベルであった。ネットレーベルの世界では、どんな境界線であろうとも、いとも簡単に取り除かれてしまう。そこでは、国境など、もはや、あってないようなものであるし、人種の間の壁なども全く存在しない。高速のデジタル・ネットワークにおける、細かく張り巡らされた網の目の内部では、無名の若い日本人アーティストによる作品が、ポルトガルのネットレーベルから次々と登場したとしても、そこに大して違和感が生じることはないのである。
 データ・ファイルとなって行き交う音楽にとって、それが、どこでどんな肌の色の人間によって作られ、どこの国のレーベルからリリースされているかなどということは、全く重要なファクターではなくなる。再生ボタンを押した瞬間に、飛び出してくる音に対する、直感的な反応だけが、そこでは、ほぼ全てなのである。その一瞬での、良し悪しの判断によって、それより先へ聴き進むか、停止ボタンを押すかが、決定される。その場所では、音楽の質そのものだけが、まず第一に、徹底的に問われることになる。そして、リスナーによって設定された、高いハードルをクリアした作品のみが、晴れてダウンロードされることになるのである。(だが、決してダウンロードだけが、音楽にとっての最終的な目標地点ではない。ストリーミングのみでも、それは立派な聴取体験となるし、ネットワーク上の音のデータに常にアクセスできる状態にある場合には、それをダウンロードする必要性は、ほとんどない。)
 このアンティパス・グループによる作品を、最初に聴いた時の印象は、それほどよいものではなかった。いや、直感的には、生理的な部分で、やや極端なまでの拒否反応が出たといってもいい。だが、何となく、明確に理由は掴めないが、どうも気にかかる存在ではあった。停止ボタンを押して、途中で聴くことを止めても、何か引っ掛かるものが内側に残る。しかし、その引っ掛かって残された何かの正体が、何であるのかは、なかなか見定めることができなかった。
 アンティパス・グループによる、ヘヴィな印象をもたらすバンド・サウンドには、とてもザラついた感触がある。異様に刺々しく、ともすると突き刺されてしまいそうなくらいに。下手に触れようとして手を伸ばせば、指を切って、怪我をするかも知れない。それほどに、トゲトゲでザラザラなのである。そして、それはまた、一歩退いた場所から眺めると、一個の得体の知れない黒い塊のようにも見えてくる。不気味に息づき、黒々と蠢いて、獲物に襲いかかるタイミングを見計らっているかのような、凄みがあるのである。その黒く深いサウンドの奥底に、妙な殺気が、巧妙に塗り込められた、獣的な邪悪さが渦巻いている音なのだ。
 最初は、そこから醸し出される、暗く重々しい雰囲気に耐えきれずに、途中で聴くのを止めてしまった。しかし、それでも、何となく気になるので、また少し恐る恐る聴いてみる。じっとりと湿り気を帯びたサウンドに、戦きながら。平凡な日常の中で聴くには、妙な違和感が少しありすぎる。ゴツゴツとした感触の音が、耳元をかすめてゆく。耳の奥に残る、くっきりとした異物感。どうにも重苦しい、ささくれ立った質感の、嗄れ、ガナる、喉奥から絞り出すようなヴォーカル。それは、微妙に、大昔のアングラ・フォークを思い起こさせる、四畳半の畳にカビが生えてきそうな独特の日本的な陰鬱さを、直感させるものであった。そこには、昼間でも陽のあたらぬ、湿った怨恨の染み付いた世界が、薄暗く薄汚れて雑然と広がっている。
 その暗い圧迫感は、実際に対峙し耳にしていると、次第に胃のあたりにズシリと重くもたれてくる。それに耐えかねて、少し聴いては、途中で断念する。しばらくは、その繰り返しであった。だが、何度かそれを繰り返しているうちに、この音が、どうしようもなく気になってしまうワケが、はっきりと見えてきたのだ。とある一瞬に、アンティパス・グループと、その何かが、眩い閃きの中でがっちりと結びついたのである。その何かとは、他でもない、あのリザード(Lizard)であった。これが判明した瞬間に、この音に、どうにも抗えないものを感覚してしまう、不思議な謎も一気に解けた。日本のオルタナティヴなアンダーグランド・ロックの草分けであるリザードの音にしばしば感じていた、ゴツゴツとした違和感や異物感と、ここにある音から受ける感触には、非常に似通ったものがある。よくよく具にじっくりと腰を据えて聴いてみれば、これは、完全にリザードではないか。正しくは、リザード的な日本のロックの特異なスタイルを、モロに継承しているサウンドといったところだろうか。しかしながら、ここまでどっぷりとリザード的な音であるにも拘らず、その事実を認識し把握するまでに、かなりの時間を要してしまったことには、少しばかり落ち込まされた。こともあろうに、あのリザードから多大な影響を受けていると思わしき音と対峙しているのに、即座に、それを嗅ぎ付けることができなかったなんて。その音にモロににじみ出している要素に、瞬間的に気づけなかったことは、とても恥ずかしいことのように感じたのである。
 リザードは、70年代の初頭に紅蜥蜴として活動を開始したロック・バンドである。その結成当初は、和製グラム・ロック/和製ニューヨーク・ドールズ(New York Dolls)なサウンドを展開していたが、70年代後半に、バンド名をリザードと改名し、パンク〜ニュー・ウェイヴな時代の流れと呼応した、よりフィジカルでパワフルなバンド・サウンドへと、その音楽性そのものも発展・進化させていった。その後は、フリクション(Friction)などとともに東京ロッカーズのムーヴメントの中心的存在として活躍。ザ・ストラングラーズ(The Stranglers)のジャン=ジャック・バーネル(Jean-Jacques Burnel)をプロデューサーに迎えた、メジャー・デビュー・アルバムの録音を、パンク・ロックの震源地であるロンドンで行うなど、当時のリザードは、新たな日本のロックの地平を開拓してゆく輝かしい急先鋒であった。個人的には、リザードこそが、最も重要な日本のロック・バンドのひとつだと強く思っている。また、その代表曲のひとつである“王国(キングダム)”は、日本のロック史上に燦然と輝く、屈指の大名曲であると強く確信してもいる。特に、アルバム“彼岸の王国”(85年)に収録された、二段構えのライヴ・ヴァージョンによる“王国”(79年録音)は、まさに白眉だ。これを越えるほど、ディープに孤立した錯綜する心象風景を克明に描き出した楽曲は、そうはないであろう。どこまでも上の空に叙情と葛藤が入り交じっている。本当に、“王国”は、すごい楽曲なのである。09年11月21日、リザードは、約22年ぶりのニュー・アルバム“リザードIV”を発表した。このアルバムには、グループの核であるヴォーカルのモモヨを中心に、ベースのワカ、キーボードのコーと、活動初期の全盛期のメンバーが参加をしている。そして、何といっても、そこに輪をかけて強力なのが、ドラムスに元ARBのキースが、パーマネントなメンバーとして加入している点であろう。長い休眠から復活した新生リザードは、とんでもないスーパー・グループへと変貌を遂げていたのである。その斬新な狂乱のベース奏法で日本のロック界の一大センセーションなったワカと、いぶし銀のドラミングのキースによる、太くタイトなリズム・セクションは、おそらく日本最強といえるであろう。そして、往時は、やや最先端過ぎるほどに最先端であった、シンセサイザーによるエレクトロニック・サウンドは、あれから約30年が経過した今、全てがデジタル化してゆく時代にあって、逆に真新しいテクスチャーのクッキリとした輪郭のある音として響く。今も変わらずに東京という都市に息づくロッカーであり続けているリザードは、かなりルックス的には年季が入ってきているが、まだまだそのサウンドは錆び付いておらず、実に新しい。変わらぬ何かとは、常に新しくあり続ける何かなのである。
 かつてリザードのサウンドに感じたゴツゴツしたものとは、その切れ味の鋭いパワー・ポップ的でパンキッシュなバンド・サウンドのど真ん中に、東京の下町に染み付いているトラディショナルな文化や、オーセンティックな和のムードをもった歌を導入する際に生じてくる、異質なものが真正面からぶつかり合う(その折衷的なスタイルの斬新さによってもたらされる)違和感であった。アンティパス・グループは、こうしたゴツゴツの異物感ある音を表出させる術を、ものの見事にものにしている。耳に心地よい歌を、耳ざわりのよいメロディにのせてばかりいては、そこにはもうロック・ミュージックの反骨精神が息づく余地はない。決して飼いならされぬことのないロックに必要なものとは、勢い余って負の力すらをも呼び覚ましてしまうような強烈な響きである。善良な大人たちが眉をひそめる、鋭い刃のような歌。そこに、リアルなロックの魂は宿る。異物を排除しないロック。それこそが、真の原初性を継承するロック・ミュージックだといえる。リザードやアンティパス・グループのゴツゴツしたロックは、その排除の機能を忌避する構造ゆえに、何度聴いても耳に引っ掛かるのである。
 アンティパス・グループは、四人組のグループである。そのメンバーは、ヴォーカルのアノヒト(Anohito)、ギターのタダノリ・シバイ(Tadanori Sibai)、ベースのシャンプー(Shampoo)、そしてミックス・エンジニアのゴンベイ・ナナシ(Gonbei Nanashi)という、やや人を食ったような芸名をもつ顔ぶれ。音作りを専門的に担当するメンバーがいることが示している通り、アンティパス・グループとは、通常の一般的なロック・バンドという形態ではなく、やや変則的なプロダクション・ユニットとしての性格が強い集団だといえるであろう。これまでに制作された、“Nacl”(08年)、“Icons”(08年)、“Everyone Has A New Past”(09年)という、3枚のオリジナル・アルバムは、全てセルフ・リリースという形で発表されている。ただし、実際には、それ以外にも、ホームページ等を通じてネット上で公表・配信している楽曲が多数あり、ゲーム等の音素材としての音源の作成なども数多く手がけているようだ(このあたり、映画のサウンドトラックの制作や、ホームページ等を通じてネット上にデジタル・ファイルで自作の音源を発表し続けていた、リザード休眠中のモモヨ大先生の音楽活動と(偶然にか)かなりダブるものがある)。よって、アンティパス・グループによる楽曲とは、多岐にわたるスタイルの膨大な量が存在するらしい。そして、今回発表された二枚のEPに収録されている楽曲は、それぞれに、“Icons”からの2曲と、“Everyone Has A New Past”からの2曲という、過去の作品からの全4曲となるという。要するに、アンティパス・グループの膨大な数に上る楽曲の中から選抜された、現在のアンティパス・グループのサウンドを代表する全4曲ということなのであろう。全て既発曲ではあるのだが、アンティパス・グループにとっては、これが、初のセルフ・リリースではない形式での作品ということになる。おそらく、ここには、一発勝負を賭けることのできる、アンティパス・グループの渾身の楽曲のみが選抜されているものと思われる。
 アンティパス・グループのサウンドを、じっくりと聴いていると、そこには、リザードのタイトなパンク・サウンドからの強烈なる影響とともに、90年代のアメリカン・オルタナティヴ・ロックからの影響も見えてくる。具体的には、それは、ニルヴァーナ(Nirvana)などのグランジ系のサウンドからの色濃い影響である。アンティパス・グループの、ザラついて荒廃しきった内面を、そのままザラザラと歪みきった音で、ストレートに表出させるスタイルは、90年代のオルタナティヴ・ロックからの影響を踏まえた、実に00年代以降のバンドらしい雰囲気を漂わせている。リザードが休眠し続けた約20年以上もの年月にも、オルタナティヴな真正のロック・ミュージックの系譜と文脈は、志ある者たちによって、綿々と書き連ねられてきた。東京ロッカーズの衝動的なビートとゴツゴツに、グランジのザラザラを配合し、それを、関西アンダーグラウンドのディープでズブズブなマナーでまとめあげる。そのような意味では、アンティパス・グループのサウンドが孕んでいるゴツゴツとは、さらに深く複合的に形成された異物群によるゴツゴツだといえるのかも知れない。
画像 まずは、アンティパス・グループがEP1と称する、Mi130の“Wa Tsumugareru Inochi No Wa”を紹介しようと思う。ここに収録されている2曲は、08年のアルバム“Icons”に収録されていた楽曲となる。
 1曲目は、“Wa Tsumugareru Inochi No Wa”。輪、紡がれる命の輪。円環を描き、ただただ永劫に繰り返される生命のサイクル(輪)という奈落について、非常に重苦しいムードで歌われる。輪廻する生の果てしない孤独。有機的世界観の根底を流れる、非情な冷徹さ。業にまみれ、背負い込むものの重みだけが、両肩にキリキリと食い込み続ける。存在を否定し、全てを消し去ってしまおうとしても、ひたすらに回り続ける時間を、もはや誰にも止めることはできない。ザラザラな音色の歪んだギターの響きが、あやしく心中を掻き乱してゆく。
 2曲目は、“Mamorenai Yakusoku”。守れない約束。全ての約束が守られるものだとしたら、もはや約束をする意味はない。約束は往々にして守られないものであるからこそ、人間は、その約束が守られる瞬間への僅かな希望に賭けて、懲りずに約束し続けるのである。もう取り返すことのできない破綻した約束を追想する、メランコリックな重いバラード。ヘヴィな痼りとなって、のしかかってくる、あの日の思い出。絶対に、果たすことのできない大事な約束。悔恨の念を己の身体に刻み付けるような刺々しいサウンドである。
画像 続いて、EP2となる、Mi131の“Utau Kanaria”。こちらの2曲は、09年のアルバム“Everyone Has A New Past”に収録されていた楽曲である。
 1曲目は、“Utau Kanaria”。歌うカナリア。捩れるようなグルーヴィ・ロック。歌うカナリアと踊る子猫。視界は開け、意識は拡散し、そこら中に偏在する。世界を見下ろし、全ての統一を知覚するとき、あらゆることが可能なように思えてくる。理由なき楽観と、微かに漂う薄ぼんやりとしたペシミズム。このボッコボコなドラムの音色は、どこかソドム(Sodom)の名作“TV Murder”(85年)のそれを思い起こさせるものがある。
 2曲目は、“Keshi No Nioi”。芥子の匂い。ダートなブギー・スタイルの王道オルタナティヴ・ロック。芥子の匂いの残り香に導かれて、見ないものが見えてくる。あの坂の上から、彼女が、舞い散る枯れ葉のように降り立つ。風が通り抜けてゆき、全てが色褪せる。その一瞬に明白となる、ひとつの意味。そして、いつまでも、いつまでも、見えなくなるまで見送る、その後ろ姿。それは、決して忘れることのできない強烈な存在。今はもう、ここにはない、あの感覚。すぐ隣にまで、やって来る、あの香り。
 アンティパス・グループの楽曲のサウンドや歌詞に見いだすことのできる、芥子喰いのイメージや、精神世界の暗部を抉るような描写、仏教の因果や無常の教えに通ずるような世界観は、やはり、モモヨとリザードが表現していた(今も表現し続けている)音楽の世界に漂うものと非常に近いものがある。約20年以上のブランクを経て、リザードが活動を再開した理由について、かつては当たり前のようにあった真に気骨のある(オルタナティヴな感覚や思想を表明する)ロック・ミュージックが、90年代以降に驚くほどの速度で衰退し、その存在自体が完全に失われつつあることへの、切実なる危機感からだといったようなことを、モモヨは語っていた。よって、こうしてアンティパス・グループが、ゴツゴツに異物のあるロック・ミュージックを鳴らし、聴く者の耳に突きつけていることは、とても好ましいことであるように思われる。あらゆるものを均質にシステムへと回収してゆくグローバル化の波は、反逆の象徴であったロック・ミュージックをも瞬く間に絶滅危惧種にしてしまう。しかし、それでもなおロックは、暗く鬱屈した重苦しいサウンドと歌とともに、地下世界の片隅で何度でも蘇り続けるのだ。今や都市の伝説と化しつつあるリザードの音と志を継承する、イマの音楽が、こうして存在しているということは、実に素晴らしいことである。
 全体的にアンティパス・グループの歌からは、どうしようもないほどの絶望が香り立っている。微かにだが、未来への意志が垣間みれたとしても、なぜかそれは逆説めいて聴こえてしまう。全ての言葉の断片が、パラドキシカルな響きをもって浮かび上がってくるのである。その音楽は、深い絶望をにじませ、黒く濃い影を投げかける。
 このアンティパス・グループという名称は、やはりオスカー・ワイルド(Oscar Wilde)の戯曲「サロメ」で知られる、美しきサロメの義父であり、苦難と苦悩に神経をすり減らしたイスラエルの王、エロド・アンティパス(Herod Antipas)に由来しているものなのであろうか。エロド王は、美しいサロメの舞をパラノイアックに求めてしまったがために、不吉な預言者ヨナカーン(洗礼者ヨハネ)の首を斬り落とさねばならぬ羽目になる。孤独な王であるエロドの眼前には、漆黒の闇にも似た、深く巨大な絶望だけが広がっている。アンティパス・グループは、エロド王の業の象徴である預言者の首を抱えて、オルタナティヴ・ロックの奈落の底を汚れにまみれながら這いずり回り、徘徊する。深い絶望がにじむ言葉を、振り絞るようにわめき散らしながら。芥子の香を焚いて、暗い奈落に呼びかける、あの声の主は、サロメか、はたまたヘロディアスであろうか。(10年)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
このバンド大好きで、記事に嬉しくなって、コメントしました似ているのであれば、リザードというバンドも聞いてみたいです
 
2010/10/08 01:49
リザード、是非聴いてみてください。現在、再発CDも出ているので、古い音源もとても入手しやすくなっています。
溝!
2010/10/10 03:42

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