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zoom RSS Cults: Cults 7"

<<   作成日時 : 2010/04/09 04:00   >>

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Cults: Cults 7"
cults.bandcamp.com

画像 10年の2月中旬(?)、誰にも知られずに、こっそりと、一組の新人のアーティストが、この世界に姿を現した。極上のポップ・ミュージックとともに。
 おそらく、誰にも知られずにデビューを果たすアーティストは、日々膨大な数に上るに違いない。だから、そんなことは、それほど珍しいことではないだろう。今や、インターネットというテクノロジーを通じて、誰でも簡単に世界に向けて作品を発表できる時代である。アーティストとしてのデビューなんていうことは、もういちいち騒ぎ立てるようなことではないのである。ただし、極上のポップスというものは、たぶん誰にでも簡単に作り出せるものではない。それに、実際にデビューをしたとしても、誰にも知られぬままというパターンも、決して少なくはないはずだ。このカルツ(Cults)は、それらのふたつの高いハードルを、楽々とクリアしてみせた、数少ないサヴァイヴァーのうちの一組なのである。
 カルツがデビューを果たした正確な日付は、ほとんど知られていない。その本当にひっそりとしたデビューの時点では、全く誰にも知られていない無名の存在であったのである。これは、いかなる外部のサポートも受けていない、自力でのデビューであることの証しだといえよう。カルツの周りには、契約しているレーベルによるバック・アップもなければ、マネージメント・プロダクションによる積極的な売り込み戦略もない。それは、ただ単に作品を発表したというだけの、ごくごくシンプルなデビューであったのだ。
 “Cults 7"”は、カルツによって開設されたBandcampのページにアップロードされた、全3曲を収録したEP作品である。そのタイトルが示している通り、感覚としては、7インチのドーナツ盤でのデビュー・シングルといったところなのであろう。カルツが作り出す、極上のポップ・ミュージックには、45回転のドーナツ盤が非常に似合いそうなムードがある。その楽曲は、思い切りストレートに、往年のポップス黄金期のサウンドを思い起こさせてくれる。だが、そこにあるのは、ただのノスタルジックなだけの音ではない。普通に懐メロ風の音楽をやっているグループであったならば、いまだにカルツは、ひっそりと誰にも知られぬままであったに違いない。
 しかしながら、カルツはBandcampにおいて3曲の音源を公表したのみで、それ以外のことは、何ひとつとして明らかにしていないのである。アーティストのプロフィールやインフォメーション、メンバーの写真など、通常であれば新人のアーティストが、遂に世に送り出すこととなった音源のプロモーション用ツールとして、必要以上に書き込んでしまいそうなことを、サイトのどこを捜してみても確認することができないのだ。また、音源のリリース日に関しても、そこには12年12月23日と未来の出鱈目な日付が記されており、これはもう意図的にはぐらかしをしているとしか思えない。どうやら、実際の音源そのもの以外は、一切を謎のままにしておきたいということのようなのだ。
 ここで、思い当たりそうなのが、これは、もしかすると誰か著名なアーティストの覆面プロジェクトなのではないかという疑惑である。冷静に考えると、この徹底した秘密主義は、どうも怪しい。だが、この時点でのカルツは、そうした疑惑をもたれるほど大規模に知られている存在ではなかった。たった3曲のみの極上の音源を、奇跡的に見つけ出し、ダウンロードした人々の間で、本当に密やかな話題になっていただけであったのだ。そして、その謎の新人アーティストの話題で持ち切りとなっている現場は、まだ誰にも知られていない珍しい宝石を発見した、ピュアな興奮で沸き返っていた。ゆえに、そこでは、疑惑の疑の字も持ち出されることはなかったのである。3曲の楽曲は、それほどの大きく強い興奮を呼び起こすまでに、純粋に極上なポップ・ミュージックだった。カルツは、たった3曲の楽曲のみで、彼らが紛い物ではない存在だと、人々を納得させてしまったのである。
 また、カルツは、Bandcampに音源を公表するための簡素なページを設けてはいるが、大抵であれば情報発信やインタラクティヴなプロモーションの活動のために、真っ先にアカウントを作りそうなものであるMyspaceなどの、一般的なホームページの類いを、一切開設していない。そして、その極めてシンプルなアーティスト・ネームゆえに、インターネット上で検索を試みても、なかなか肝心のカルツに関する情報にヒットすることはないのである(これは、当然といえば当然だ。実際にカルツそのものと関連しているページは、当初は、広大なインターネット・ワールドといえどもBandcampのページのみだったのだから)。例えば、Googleで調べてみようとしても、そこにはカルト宗教に関する情報ばかりがあがってきてしまうのだから、どうしようもない。一番知りたいところである、カルツの素性やインフォメーションなどについては、いつまでもわからぬままであったのだ。
 こうした絶対的な情報量の少なさが、逆に幸いしたのであろうか、噂が噂を呼んで、徐々にカルツの楽曲の評判は高まり、ジワジワと広まっていった。おそらく、外部にアウトプットする情報の量の極度の制限は、かなり意図的に(戦略的に)なされたものなのだと思われる。しかし、このどうしようもない情報不足の飢餓感が、静かに盛り上がりはじめたカルツ熱を、一気に煽ってゆくことになったようだ。全てがカルツの意によるものであるのか、ないのかは、よくわからない。だが、様々な周辺の状況が絶妙に絡み合って、たった3曲の楽曲がもたらした異様な興奮は、さらに強烈にかき立てられていったのである。
 何のインフォーメーションもなく、謎の存在のままであるということは、次第に高まってゆくカルツに対する評価を、純粋に音楽のみによるものだけに留めておくことに、大きく貢献した。謎の部分を大きく残した秘密主義が、メンバーのルックスや、サウンドのスタイル、ジャンルなど、事前の予備知識や周縁情報にほとんど頼ることのない、極めて純で草の根的な評価の波の高まりを可能にした。これが、カルツの目論みによるものであったのならば、全ては大成功だったといってよいだろう。
 広大なるインターネットの世界のごく一部で局地的な話題となっている、極上だが少々怪しげな、謎の新人アーティスト、カルツ。彼らに、最も早い段階で注目し、いち早く興味を示したのが、インディペンデント・ミュージック専門のウェブジン、Pitchforkであった。まずは、分厚い謎のベールに包まれているカルツの実体を探るべく、おそらく唯一のコンタクト方法であったと思われる、電子メールでの接触が試みられたようだ。そして、ようやく少しずつではあるが、その謎の一端が、Pitchforkの手によって解き明かされてゆくこととなった。
 カルツは、男女二人組のユニットである。メンバーは、主にサウンド・プロダクションを担当するブライアン・オブリヴィオン(Brian Oblivion)と、ヴォーカル担当のマデリーン・フォリン(Madeline Follin)。ふたりは、まだ21才の若いカップルであり、ともにサンディエゴ出身で、現在はNYで映像を専攻する学生である。だがしかし、カルツとしての活動を開始したのは、まだほんの数ヶ月前からであるようだ。ふたりが出会い、カップルとなって、一緒に暮らすようになってから、ふたりきりでの音楽制作がスタートしたらしい。年齢も非常に若く、結成から日も浅いユニットであるのだが、実際のカルツのサウンドには、決してそんな風には思えぬ、極めて完成度の高いオーセンティックなポップ感覚が、とても巧妙な手腕でばっちりと注入されている。このふたり、どうもただ者ではなさそうな匂いがプンプンしている。
 マデリーン・フォリンは、西海岸のローカル・パンク・シーンのど真ん中で育った。義父が、LAのB級パンク・バンド、ユース・ゴーン・マッド(Youth Gone Mad)のメンバーであったことから、早くも9才でバンドのレコーディングに参加し、数曲でヴォーカルを務めたという。また、ユース・ゴーン・マッドが、筋金入りのB級ロック・フリークとしても有名なラモーンズ(Ramones)のメンバーと非常に親しく交流していた関係から、幼いフォリンも両親の友人であったNYパンクのカリスマたちと、親密に接する機会が多々あったようである。ちょうどフォリンが、ちびっ子ヴォーカリストとしてバンドの活動に関わっていた当時、実際にユース・ゴーン・マッドのレコーディングには、ディー・ディー・ラモーン(Dee Dee Ramone)やジョーイ・ラモーン(Joey Ramone)もゲストとして参加しているのだ。特に、ディー・ディーに関しては、生前の最後のスタジオ録音となったのが、ユース・ゴーン・マッドのアルバムであったようである。まだ若いフォリンだが、すでにプロのヴォーカリストとしての活動歴は、軽く10年以上もあるというのだから、恐れ入る。やはり、全くといってよいほど、ただ者ではなかったのだ。
 一方、ブライアン・オブリヴィオンは、サンディエゴでヴィンテージ物のサイケデリック・ロックや西海岸のサーフ・ロックを、ひたすらに聴き漁りながら成長したようである。おそらく、両親は、80年代のペイズリー・アンダーグラウンドを、ど真ん中で体験した世代だったのではなかろうか。だとすると、オブリヴィオンも幼少時代から相当にドープなサイケデリック・サウンドに親しんでいたことが予想される。また、その名前(芸名)は、ハモンド・オルガン奏者のブライアン・オーガー(Brian Auger)が、70年代に率いていたジャズ・ファンク・バンド、ブライアン・オーガーズ・オブリヴィオン・エクスプレス(Brian Auger's Oblivion Express)を即座に連想させるものでもある。なかなかに渋い趣味ではないか。まだ若いオブリヴィオンだが、60年代のサイケなポップスやクラシック・ロック〜アート・ロックなどにも精通していそうな雰囲気は、十分にある。やはり、こちらも全くといってよいほど、ただの21才ではなさそうである。
 そんな濃いめの音楽的バックボーンをもつ同郷のふたりが、偶然にもNYで出会い、意気投合し、ともに音楽活動をすることとなった。それが、カルツのなれ初めにして、このユニットの極上なポップ・サウンドの背景であり下地である。かなり奇跡的で興味深いストーリーではあるが、やや出来過ぎな感じもするカップルだ。感覚的なレヴェルで、往年のポップスの音響や、ウェスト・コーストのハイブリッドなロックの文化を吸収してきた、ふたりの音楽センスが混ざり合い、化学反応を起こした結果が、このカルツの楽曲なのである。これが、全く面白くないものであるはずがないだろう。
 そして、まず最初に“Cults 7"”として発表された3曲の楽曲は、数ヶ月間に渡って制作が進められてきた、ほぼ完成に近づきつつあるアルバムの一部であることが、カルツによって明かされた。おそらく、形式としては、“Cults 7"”とは、デビュー・アルバムに先がけて発表された、先行7インチ・シングルといったところだったのだろう。いわゆる、ティーザーである。だが、カルツのふたりは、3曲の楽曲を擬似シングルという形で、特に何のインフォメーションもなくBandcampにアップロードしたのは、ただ単に作った作品を友人たちに聴かせることを本来の目的としていたからだとも語っている。なるほど、最初から知り合いに聴かせるためだけのものであったのならば、そこに詳しいプロフィールなどを書き記しておく必要は、皆無だろう。だがしかし、本当にそれだけが、カルツの存在を分厚い謎のベールで包み込むことになった理由の全てであるようには、あまり思えない。彼らが、徹底した秘密主義を貫いていた裏側には、ほかにも何か思惑らしきものがあったのではなかろうか。
 オブリヴィオンは、このように語る。かつて、ロックンロールとは、もっとミステリアスなものであったと。確かに、ある大きなパラダイムの変化が到来する前の時代のロック・ミュージックとは、とても謎めいた部分のあるものだった。そうした、ロック・ミュージックに限らず様々なポピュラー音楽を取り巻く、文化的/社会的な環境・状況を一変させてしまったのが、インターネットの出現と急速な浸透であった。90年代の後半から、10年も経たぬうちに、全ては根底からガラリと変わってしまった。新たに到来した情報至上主義の時代の流れの中で、ロック・ミュージックから謎の部分が、次々とこそぎ落とされていったのである。もはや、強力な検索エンジンの網の目に絡めとられ、ロックンロールのミステリアスな幻想は、完全に成立しなくなってしまっている。
 90年代前半あたりまでは、音楽に関する情報といえば、アルバムのジャケットやスリーヴに印刷されているクレジットだけが、ほぼ唯一の頼みの綱であった。そこにある限られた情報を必死に追いかけ、音楽雑誌などによってもたらされる関連する情報の断片も総動員して、あれやこれやを必死に組み合わせつつ、目一杯に想像力を膨らませながら、レコードを何度も擦り切れるほど繰り返し聴きまくる。少ない情報しか与えられていなかったからこそ、そこにある音楽を、可能な限り正確に捉えるために、どこまでも必死に真剣になれていた。全力を傾けて聴くということは、音楽がもつ力にピュアに浸りきることでもあったのだ。ゆえに、聴き取られた音楽は、素晴らしくミステリアスなものとして現前した。そして、それぞれの聴き手が抱いた幻想を共有することで、フワフワとした雲のような巨大なポップ・カルチャー/サブカルチャーが、そこに形成されていったのである。だが、インターネットのデジタル・ネットワークがもたらす直裁的なデータの蓄積に依存して生きる現代人は、そんなあやふやで限定的な情報の共有のみでは、決して満足することはない。人々は、デジタル・データのファイルで音楽を再生しながら、よりフレッシュで確実な情報を求めて、飽くなき検索の作業を続けるのである。
 だが、インターネットというテクノロジーの急速な普及にも、全くメリットがなかったわけではない。ネット・ワールドに止めどなく溢れ返る、あらゆる情報の階層に、誰もが容易にアクセスし参照することが可能になったために、カルツのような、大きな世界に第一歩を踏み出したばかりの、何の外部との太いつながりをもたない若いアーティストでも、一躍多くの人々のアテンションを集め、大きな音楽的評価を得ることが、あながち不可能なことではなくなったのである。インターネットは、誰にでも均等にアーティストとしての活動をするための門戸を大きく開いた。これは、非常に大きな社会と文化に対する貢献である。だがしかし、光があれば影ができるように、これにも、よい点があれば、あまりよくない点も生じることとなる。
 デジタル・ネットワークによる高速で大容量の情報の供給は、人間のもつ、全てを隅々まで知りたい欲求を、テクノロジーの急速な進歩と絶妙に歩調を合わせながら適えてゆく。この流れが、止めどない欲求の増大に拍車をかけ、さらなる情報の氾濫を呼ぶ。これは、過剰なほどに情報が存在している状態への、危険な慣れをも生み出しかねない。有り余るほどに情報があることが、恒常性をもちはじめてしまうのだ。そして、錯綜するネット・ワールドに自然現象的に充満する、巨大な知りたい欲求からのプレッシャーに呼応するために、アーティストは、自らの私的な部分の情報までをもブログやツイッターを通じて提供することを、知らず知らずのうちに迫られることになる。送り手と受け手が相互に接点をもつ双方向の(間断のない)コミュニケーションは、どこまでも情報をダダ漏れにすることを可能とし、ネットワークの内部では全てが明け透けになる方向へと進む。また、こうした恒常的過剰の傾向は、絶対的に情報が不足している状態・状況への、目に見えない心理的な不満や不安をも生み出してゆくであろう。知りたい欲求が満たされないままで放置されると、情報の外部にたったひとりで隔離されているかのような、疎外感や強迫観念に苛まれてしまうこととなる。今や情報の不足とは、死活問題でもある。もはや、現代人の社会的/文化的な生は、情報への極度の依存なしには考えられなくなってきているのだ。高度な情報化とは、様々な弊害を、その内部に孕んでいる。
 オブリヴィオンは、なおもこう続ける。どんなに膨大な情報を収集しようとも、最終的に、それを吟味し、良し悪しの判断をする際に、最も重要視される要素は、やはり音楽そのものでしかないのだと。カルツが、一切の情報を表に出さず、ただ音楽のみを前面に押し出して登場したのも、そのことへの強い信念があったからに他ならない。さらにいえば、音楽そのものを、最終的な判断の材料とすることでさえも、その音楽そのものの価値の価値を不当に貶めてしまうことになる。カルツが、今回の“Cults 7"”のリリースに際してとった姿勢は、音楽そのものを、いま一度、第一の価値判断の基準へと押し上げようとする試みでもあった。これは、徹底した音楽至上主義の表れであるとともに、失われかけていた音楽の力の復権を志す、非常にラディカルな運動の一形態とも捉えられる。このように、大きな時代の流れに敢えて抗おうとしているカルツを、まだまだ青いと見る向きもあるであろう。しかし、彼らはまだ実際に若いのだから、仕方がない。21才といえば、後先を考えずに非常に向こう見ずであっても、一向に構わない年代であるはずだ。
 だがしかし、そんなカルツの音楽性は、まだまだ青い若者によるものとは思えぬほどに、20世紀半ばからのポップスやロック・ミュージックの系譜を、ギュッと凝縮したかのような、すさまじく濃密で完成度の高いものとなっているのである。その極上の楽曲には、どこまでも正統派のマナーを踏まえた、いぶし銀のポップ感覚がみなぎっている。本当に、まだ21才のカップルによる音楽なのだろうかと、疑いたくなってしまうほどに。オブリヴィオンとフォリンのふたりが出会った当初に、お互いの西海岸サイケとB級パンクという音楽的バックボーンを突き合わせて、音楽制作の場面でマージさせる際に、最初の接点となったサウンドのスタイルは、モータウン・サウンドであったらしい。この確固たる共通点が明らかにしている通り、カルツの音楽性の根幹には、ゴールデン・エイジ(60年代)のポップスの王道のサウンドがある。馥郁と香り立つ、ドリーミーで甘く夢見心地な味わいは、きっと、そのあたりに由来しているものなのであろう。
 “Cults 7"”のサウンドの特徴を、一言で簡単に形容するならば、それは、黄金の60年代ポップスの極上な焼き直しである。また、そのルーツから飛び石的に復古した80年代のニューウェイヴ期のスタイリッシュなポップスも、よき先例としてマニアックに参照しているような節もある。そのノスタルジックだが斬新な質感をもつ音は、時代を超越したポップスとしての普遍性を、十二分に兼ね備えたものだといえる。もっさりと刻まれる、程よい隙を有したズンドコ気味な簡素なビート。ビシャバシャなスネア・ドラムが、大きく空間的に響きまくる。太く滑らかでヒプノティックなベースライン。空気を振動させながら、ふわふわと膨張した余韻を残してゆく、ダンサブルなグルーヴ感。モータウンやフィル・スペクターのサウンドの直系の子孫にあたる、柔らかな霞の如きエコーをまとった、エモーショナルなピュア・ポップス。それは、どんな時にも無条件で夢見心地にさせてくれる音として機能するのである。
 極上なポップ・ミュージックには、サウンド自体に何か特別な力がある。いや、それはもう、不思議な魔力といってしまってもよいかも知れない。その甘酸っぱいサウンドは、一瞬にして心を奪い去ってゆくのだ。心の在り処を現実世界から引き離し、つかの間の楽園の夢の中で遊ばせる。それは、過酷な現実を忘れさせてくれるサウンド。まるで、カルト宗教のように、人の心を鷲掴みにして虜にしてしまう。彼らが、ややネガティヴな印象とともに受け取られてしまいそうな、カルツ(カルト)というアーティスト・ネームを名乗る理由の一端は、そのあたりに由っていそうな気もする。カルツのサウンドとは、一瞬にして楽園へと連れ去り、洗脳してしまう極上のポップスなのだ。
 現在、社会状況は、百年に一度といわれるほどの出口の全く見えない不況のどん底に、どっぷりと落ち込んでしまっている。暗く低迷する経済。もはや、夢見ることすらできやしない。寝ても覚めても、厳しい現実を、目の前に突きつけられる。これはもう、様々な社会問題が噴出し、数多のカルト的な新興宗教が勃興した、大きく揺れ動き、混迷のただ中にあった、60年代から70年代にかけての革命の気運やパラダイム・チェンジの嵐が吹き荒れた時代よりも、数段ハードな生き方が要求される時代となっているといえるのではなかろうか。だが、あの社会的にどこか殺伐としていた時代は、その反動としてか、モータウンの小気味よいフレッシュなビートや、甘いキャンディのようにドリーミーな黄金の60年代ポップスを生み出しもしたのだ。もしかすると、現代の社会状況も、そうした時代の、無言の要請に応えうる極上のポップ・ミュージックを求め欲しているのかも知れない。出口の見えない暗く冷えきった時代に、音楽のカルト(熱狂)に身を委ね、甘くささやかな楽園の夢を見るために。
 そう考えると、カルツの夢見心地なポップ・サウンドとは、過酷な今の時代状況と、絶妙に呼応しているようにも思える。それは、動き続ける時代によって、ある種の必然性をもって呼び戻された、60年代ポップスのリヴァイヴァルであるのかも知れない。ここにある甘酸っぱさは、呼び戻されるべくして呼び戻されたものなのだ。荒んだ時代にフィットし、沈んだ社会が求め欲している音楽を追求してゆくと、必然的に、こうしたサウンドに行き着くものでもあるのだろう。その響きは、どこかノスタルジックではあるが、決して懐古趣味ではなく、そこには最初から、時代を超越した普遍的なポップ感覚が息づいている。そして、その活き活きとした色鮮やかなサウンドの躍動によって、まるでカルト宗教が信者を洗脳し、マインド・コントロールでもするかのように、聴く者を、ここではないどこかへと連れ去ってしまうのである。
 “Cults 7"”の1曲目を飾るのは、“Go Outside”。外側へ出よ。つまり、すでに時代や社会にフィットしなくなってきている古い殻を破り、外側に踏み出すことを促すメッセージだ。これは、切実な変化を求める歌である。それも、全てを根本から覆してしまうような、大きな変化が待ち望まれている。もはや、外側へと踏み出してゆく以外に、何の希望も見いだせない。暗く冷えきった時代は、ただただゆっくりと沈みゆくばかりなのだ。だが、このまま闇の底に埋もれてしまうのも口惜しい。だから、希望と変化を求めて外側へと抜け出すのである。そのためには、まずは、内面の変革に着手せねばならない。グロッケンシュピールとファズの利いたベース、そしてオルガンの音色が、60年代ポップス的なマナーと雰囲気を見事に再現している。
 また、この楽曲のイントロでサンプリングされているのは、人民寺院のジム・ジョーンズ(Jim Jones)による説教の声である。人民寺院は、60年代に米西海岸のカリフォルニアにおいて設立されたカルト教団である。この教団は、70年代に新天地となる地上の楽園を求めて、南米のガイアナの奥地に、ジョーンズに率いられて移住した。しかし、信者の人権を無視したような強権的な教団の運営が、度々問題となり、次第にマスコミからの大きな批判に晒されだす。そして、78年11月に米連邦議会下院議員を団長とする視察団が、教団によって密林の奥に作り上げられた街、ジョーンズタウンを訪れた。だが、11月18日に4日間の日程を終えて、視察団が帰国の途につこうとする時に、大事件が勃発してしまう。告発を恐れたものと思われる信者の集団が、突如視察団に向けて銃撃を行い、議員やテレビ局の取材記者を含む一行の5名を死亡させてしまったのだ。ただ、奇妙なことに、惨事は、これだけで終わらなかった。事件の直後に、ジョーンズは、教団を次のステージへと導くためと称して、ジョーンズタウンの信者全員に集団自殺の指示を出した。これを受けて、この日の夕刻には、用意された青酸カリウムの摂取・接種によって、914人もの信者が一斉に命を絶ってしまったのだ。同時に、導師であるジョーンズも、ピストルで頭部を打ち抜き自殺をしている。ここで聴くことのできるジョーンズの声は、もしかすると、一瞬にして900以上もの人命を奪ったカルト指導者による、集団自殺直前の(時期の)説教からサンプリングされたものなのではなかろうか。そう思えてきてしまうほどに、非常に生々しい感じの声なのである。
 どこまでも天真爛漫でキュートなフォリンのヴォーカルには、ザ・シャングリラズ(The Shangri-Las)やザ・シャンテルズ(The Chantels)といったガール・グループ、そしてソウルフルなレスリー・ゴーア(Lesley Gore)などの、60年代の黄金時代のポップスの典型的なスタイルを、そのまま素直になぞっているような雰囲気がある。ただし、こうした60年代のガールズ・ポップやサイケデリックなサウンドのスタイルが、大きくリヴァイヴァルしたことは、これまでにも幾度となくあった。そのうちでも、最も大きなムーヴメントとして立ち現れたのが、80年代前半のイギリスの音楽シーンだったのではなかろうか。70年代後半に起きたオイル・ショックの直撃を受け、経済的な大打撃から立ち直れずに、非常に不安定な状況にあった当時のイギリスの社会は、慢性的な高い失業率とインフレに喘いでいた。そこに、やはり時代に呼び戻されるような形でリヴァイヴァルしたのが、ゴールデン・エイジである60年代のサウンドであった。84年にトレイシー・ウルマン(Tracey Ullman)がヒットさせたカヴァー曲“Breakaway”などが、その代表的な例である。また、ニューウェイヴ系のフィールドを中心にして、60年代のサイケデリック・ロックをアレンジしたネオ・サイケデリック・サウンドを打ち出すバンドも、数多く出現した。その筆頭は、やはり何といってもリヴァプールのエコー&ザ・バニーメン(Echo & The Bunnymen)だろう。しかし、このムーヴメントには、決して忘れてはならない、ガールズ・ポップとネオ・サイケの両方の要素をどっぷりと盛り込んだ、実にアクの強いサウンドを展開する、とんでもない強者もいたのである。それが、グラスゴー出身のジル・ブライソン(Jill Bryson)とローズ・マクドウォール(Rose McDowall)からなる、ストロベリー・スウィッチブレイド(Strawberry Switchblade)であった。
 ストロベリー・スウィッチブレイドは、60年代スタイルのサイケデリック風味なポップスと、80年代的なエレクトロニックなシンセ・ポップのサウンドを融合し、それをコケティッシュなセンスでまとめあげ、極めてカラフルな楽曲で表現した女性デュオであった。80年代のポップ・クラシックである“Since Yesterday”(85年)などのスマッシュ・ヒットを放ったことで、一般的には知られている。フォリンの舌足らずで甘ったるいヴォーカルには、どこかマクドウォールのそれを思い起こさせてくれるものがある。ともに声質も歌い口も、ほぼ同系列にあるシンガーといえそうである。ただ、マクドウォールほど、がっちりと鼻にかかった歌声ではない分だけ、フォリンの歌のほうが、やや聴きやすい。まあ、異様にクセのあるマクドウォールの鼻声のほうが、どちらかというと強く印象に残るタイプのヴォーカルであるのかも知れないが。そして、マクドウォールといえば、NONのボイド・ライス(Boyd Rice)と結成したユニット、スペル(Spell)での、Muteより発表したアルバム“Seasons In The Sun”(93年)があったことも忘れてはならないだろう。これは、いかにもMuteらしいシンプルなエレ・ポップ・サウンドで挑んだ、60年代ポップスのカヴァー曲集であった。この作品でプロデュースを担当していたのは、後にマクドウォールとソロウ(Sorrow)を結成し、ともに活動してゆくことになる、ロバート・リー(Robert Lee)。全12曲の収録曲中には、ジョン・レイトン(John Leyton)の“Johnny Remember Me”、テリー・ジャックス(Terry Jacks)の“Seasons In The Sun”、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)の“This Little Bird”、ナンシー・シナトラ(Nancy Sinatra)とリー・ヘイゼルウッド(Lee Hazlewood)の“Big Red Balloon”といった有名な楽曲もあれば、かなりマニアックな隠れた名曲も紛れ込んでいたりする。全体的に、その選曲からサウンド・プロダクションに至るまで、完全に趣味性を大爆発させた一枚となっているのである。だがしかし、この思い切り60年代趣味に徹しているアルバムと、全く外連味というものが見受けられないカルツの60年代リヴァイヴァルなサウンド・コンセプトには、非常に近いものを感じずにはいられない。この系統の極上なポップスのサウンドには、いつまでも覚めない夢を見させてくれるような独特の雰囲気がある。そう、不思議な魔力をもったサウンドなのだ。フォリンやマクドウォールによる甘くドリーミーなヴァーカルは、そうした魔力を発揮することのできる特別な資質をもった歌声であるのかも知れない。
 2曲目は、“Most Wanted”。最重要指名手配。心地のよいグルーヴを醸し出す、邪気のないズンドコなビートと、軽やかなピアノによるバッキング。可愛らしいグロッケンシュピールの響き。甘いフォリンの歌声は、純真無垢な幼女のようだ。程よく歪んでひしゃげた音色のギターが、引っ掻くようなフレーズを、頃合いを見計らって抉じ入れてくる。夢と現実の狭間は、とても広く、そこには思いがけぬほどの大きな段差がある。しかし、それでも夢見る者には、全てに手が届き、全てを捕まえられそうな、どこまでも地続きであるかのように思えるものなのだ。重苦しい過酷な現実世界から解放されたいという切なる願いが、ただひたすらに夢見る者に、見えない翼をもたらすからなのかも知れない。とろとろに甘ったるいサウンドの裏側にある、プラスティックな質感をもつドラッギーなムード。華やかにデコレーションされた、きらびやかでポップな世界も、その表層の薄皮を一枚めくれば、そこには、どこまでも真っ暗なドラッグがはびこる深い闇が広がっている。とぐろを巻いて渦巻く、目に見える悪。カルツの極上のポップ・ミュージックには、どこか不可思議で超現実的な感触がある。
 ポップ・ミュージック、カルト、サイケデリクス、ドラッグなど、60年代のサブカルチャー/カウンター・カルチャーの奥底に横たわるディープな部分にまで、隈無く焦点をあてて表現活動を行っていたアーティストというと、やはり真っ先に80年代のサイキックTV(Psychic TV)の名が思い浮かぶ。サイキックTVは、華やかなポップ文化が発散している純粋さの裏側に潜んだ、オルタナティヴな精神世界の生をモティーフとして抉り出し、それをコンセプチュアルに作品に昇華させ展開していた。リーダーのジェネシス・P・オリッジ(Genesis P-Orridge)を中心に、チャールズ・マンソン(Charles Manson)、ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)、ザ・ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)などの時代を彩った人物や出来事をテーマとして取り上げ、時にはそれに対し熱烈なオマージュを捧げた楽曲を、数多く制作している。そして、そうした音楽的な方向性が、ひとつの頂点を迎えたのが、88年に発表されたアルバム“Allegory And Self”であった。実は、“Godstar”、“Just Like Arcadia”、“Baby's Gone Away”などのアシッド・フォークを基調としたポップでサイケなハイパーデリック・スタイルの楽曲を収録した、このアルバムには、元ストロベリー・スウィッチブレイドのローズ・マクドウォールもヴォーカリストとして参加していたのである。80年代後半以降のマクドウォールは、カレント93(Current 93)、デス・イン・ジューン(Death In June)、コイル(Coil)、ソル・インヴィクタス(Sol Invictus)、オーナメンタル(Ornamental)、イントゥ・ア・サークル(Into A Circle)などの、主にサイキックTVの周辺から分派した、数多くのノイズ・オルタナティヴ〜エクスペリメンタル・ミュージック〜アポカリプティック・フォーク系のグループに在籍・参加していたことでも知られている。これは、60年代のポップ文化を真摯に解釈し追求してゆくと、どうしても、表層のキラキラを通り越して、その奥にあるどす黒いギトギトの泥沼の部分にまで降りてゆかざるをえなくなる、ということの実践的な表れなのであろうか。今から20年以上も前に、マクドウォールやP・オリッジが分け入っていった細道を、フォリンとオブリヴィオンも大真面目に辿ってゆこうとしているのかも知れない。カルツの独特だが真に迫った音楽性に見受けられる、60年代のポップ・カルチャーの光と影の部分に対するスタンスの取り方には、そうした先人たちのアプローチと非常に近しいものがあるようにも思われる。それは、表側だけでなく、裏側までひっくり返して、全体を視野におさめながら安易な形式化を避けて消化し、深くコクのある音楽を奏でようとするアティチュードとなってサウンドに表出する。
 ラストの3曲目は、“The Curse”。呪い。悪態。エコーの海に揺らぐ、うらびれたギターをバックに歌われる、ポップな情念系のバラード。サビのパートに登場する開放的なオルガンの響きが、グイグイと聴く者を、その世界に引きずり込む。吹きだまった哀感が、ぐるぐると渦巻く楽曲である。カースとは、呪いのことであるが、それは月経を意味する語でもある。自然を否定する態度によって、人間となった存在にとって、いまだに残されたままとなっていた、決して否定することのできない所与としての自然が現れる部分。そうした部分のひとつが、月経である。それは、人間という存在にとっては、荒ぶる自然のサイクルの側に属する絶対的な恐れの対象であり、死や本能的な性衝動などとともに、できる限り人間的な生の場から遠ざけておきたい、穢れ、呪われた部分でもあった。呪われた部分は、それそのものとして聖化され、再び自然から線引きされ浄められることによって、人間の側へと取り戻される(ことが試みられる)。忌み嫌われ呪われた部分とは、それすなわち聖なるものでもあり、まさに光でもあれば、影でもあるのである。どうやら、カルツは、こうした両義性のあるところに、ややフェティッシュなまでの拘りをもつコンビであるようだ。
 また、この楽曲のタイトルは、かつてカレント93が、“In Menstrual Night”(86年)と題されたアルバムを発表していたことを思い起こさせる。もちろん、この作品にもローズ・マクドウォールは、ポール・ハンプシャー(Paul Hampshire)やジョン・バランス(John Balance)、スティーヴン・ステイプルトン(Steven Stapleton)、ダイアナ・ロジャーソン(Diana Rogerson)などの錚々たるアンダーグラウンドな顔ぶれとともに参加していた。しかし、どういうわけか、このマクドウォールあたりを軸とする地下世界の人脈の音楽と、カルツとの間には、不思議なほどに奇妙な接点がいくつも見えてくる。これは、全て本当に偶然の連関なのであろうか。意識をせずに、ここまで近いのだとすると、逆に怖いものがあるような気もする。やはり、この完全に行き詰まりつつある時代が、激動の60年代や暗く冷えきっていた80年代から、忘我の境地へと誘う、独特な味わいのあるポップ・ミュージックを呼び戻しているということなのであろうか。
 そして、月経をテーマにした楽曲には、戸川純による“玉姫様”(84年)という名曲もあったことを、ここに特別に付記しておきたい。ここまで月経を当事者の目線でストレートに語り(作詞は、戸川純)、質の高いポップスへと昇華させて歌った例は、後にも先にも、これのみであるだろう。そのような意味において、この楽曲は、実に衝撃的であり、歴史的な一曲であった。
 “Cults 7"”のジャケットには、モダン・アートの巨匠、ロバート・ロンゴ(Robert Longo)の作品が使用(借用?)されている。ロンゴの代表作である「Men In The Cities」シリーズからの、スーツ姿の男女が、身を捩り、手足を捩じ曲げ、歪みきった姿勢となっている状態をとらえたイラストレーションである。軋轢の絶えない都市生活の中で、見えないプレッシャーに圧迫されながら生きる、現代人の真の姿を描写しているのだろうか。しかし、見ようによっては、彼らは、ふたりで一緒にツイストやマッシュポテトなどの60年代風のダンスを踊っているようにも見えるし、平面にピンで張り付け(磷付)られてしまっているようにも見える。また、ロンゴは、ニュー・オーダー(New Order)が86年に発表したシングル“Bizarre Love Triangle”の、傑作プロモーション・ヴィデオにおいて監督を務めていたことでも知られている。この様々な映像情報がカット・アップ的にコラージュされたヴィデオの中では、スーツ姿の男女は、フワッと宙に浮かび上がり、頂点での一瞬の静止の後に、ゆっくりと落下してゆく様がとらえられていた。そこでは、ダンスも落下も磔も、見ようによっては、そう大差はないように見えてしまうのである。何事も角度を変えて見れば、そこには何か違ったものの見え方が生じる。カルトの熱狂も、自己を変革し、さらに高めてゆこうとする純粋な意思の表れと、肯定的に捉えることができるかも知れない。呪われた部分も、聖化することにより、荒ぶる自然を鎮め、人間の生のうちにとどめておくことが可能となる。光があるところには、必ず影がある。カルツの極上のポップ・ミュージックとは、ひと味違った角度からの物事や事象の見方を、その両義性のある独特の表現方法によって促そうとしているものであるようにも思える。極上のポップ・ミュージックも、違った角度から見れば、それはもう、ただのポップ・ミュージックではなくなる。見る角度によって、厚みも、深みも、重みも、バラバラに異なるのである。そうした眺めを、俗に、万華鏡の眺めに喩えたりすることがある。カルツが表現するサウンドとは、時代と呼応し、時代にフィットした、真の意味でのカレイドスコピックなポップ・ミュージックだといえそうだ。
 たった3曲のみを収録した“Cults 7"”を、ほぼ誰にも知られずに、ひっそりとリリースし、この荒波渦巻く世界に登場したカルツ。ウェブジン、Pitchforkに、注目のニュー・カマー、カルツを紹介する記事が掲載されたのは、10年3月8日のこと。これ以降、さらにジワジワとカルツの興味深いサウンドに対する認知度と評価は高まってゆきつつある。そして、すでに大方が完成しているというフル・アルバムのリリースも、今からとても待ち遠しい。また、これが、いつどのように発表されるのかも、非常に気になるところだ。デビュー作に続いてセルフ・リリースという形になるのか、それとも配給/ディストリビューションを外部に委託する形になるのか、もしくは正式にレコード・レーベルとのアーティスト契約を結ぶのか。水面下では、複数のインディ・レーベルによる激しい争奪戦が、早くも繰り広げられているであろうことが、容易に予想される。はたして、カルツは、いかなる決断を下すのであろう。このあたりのことの、これからの事の成り行きにも大いに注目してゆきたい。
 今はまだネット・ワールドの(ほとんど目につくことのない)片隅で、静かな興奮を巻き起こしているだけであるカルツだが、今後デビュー・アルバムの発表とともに大化けをする可能性は大いにある。この未来のビッグ・アーティスト候補が、ささやかな第一歩を印した“Cults 7"”は、記念すべき大いなる足跡となろうとしている。とりあえず、チェックしてみる価値は十二分にあるだろう。百年に一度の不況に沈む世界を明るく照らし出す光となるのか、冷え込んだ社会を熱く沸騰させる熱狂の中心となるのか、それともアンダーグラウンドの徒花として、そのままひっそりと咲き誇るのか。カルツの未来は、いまだ誰の手の中にもない。ただ、この一作を聴くことは、もしかすると重大なるポップとロックの系譜の超新星が瞬き出す瞬間を目の当たりにする、またとないチャンスであるのかも知れない。カルツの音楽は、一人でも多くの歴史の生き証人を求めている。ダウンロードは簡単だ。クリックひとつで片がつく。今ならタダで、そのチャンスを手にできる。もれなく、Bandcampのサイトにて。(10年)

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