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zoom RSS James McDougall: Double Tilde

<<   作成日時 : 2009/10/29 04:00   >>

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James McDougall: Double Tilde
Mandorla MANDORLA019

画像 09年10月にリリースされた、ジェイムズ・マクドゥーガル(James McDougall)の新作。リリース元は、メキシコはメキシコ・シティに拠点を置くアンビエント〜ディジタル・アコースティック・ミュージック専門のネットレーベル、Mandorla。マクドゥーガルは、エンティア・ノン(Entia Non)の名義でも音楽活動を行う、オーストラリアはブリスベン在住のサウンド・アーティスト(どちらかというと、エンティア・ノンでの創作活動のほうが、マクドゥーガルにとってのメインの活動形態であろう)。この“Double Tilde”は、フィールド・レコーディング音源を基調に、ピュア・アコースティックな響きをもつ秀麗なるエクスペリメンタル・サウンドを展開した、ほぼいつも通りのスタイルの作品である。
 この作品のリリースに先立って、マクドゥーガルは、エンティア・ノンとして、ニコラス・シチェパニック(Nicholas Szczepanik)が主宰するワシントンD.C.のエクスペリメンタル・ミュージック専門レーベル、Sentient Recognition ArchiveよりCDR作品“Disinter”を発表している。ふたつの異なる名義を使い分け、次々と作品を生み出しているところをみると、どうやら制作の作業自体は、ほとんど並行して行われているものと思われる。だが、それらの作品が、アウトプットされる際に、どこを基準に、いずれかの名義を振り分けられるのかは、全くもって定かではない。そこでは、きっと、何らかの明確な線引きがなされているはずだ。ただ、実名のジェイムズ・マクドゥーガルとしてリリースされている作品のほうが、採取したフィールド・レコーディング音源を、あまり細かく加工をせずに元々の自然音の部分を多く残した、大自然の息吹を感じさせてくれるエクスペリメンタル・サウンドへと意識的に仕上げられているような気はする。しかしながら、どれくらい素材の元の質感が残されていればジェイムズ・マクドゥーガルの作品となり、どれくらいの割合で素材がディジタル・プロセッシングされ、エレクトロニック・サウンドと配合されていればエンティア・ノンの作品となるのかは、あまり明確にはわからない。おそらく、マクドゥーガルの中には、これらふたつの名義を分け隔てる尺度が、何か確実にあるのだろうけれど。
 “Double Tilde”のチルダとは、にょろんとなった波線符号のこと。スペイン語やポルトガル語の表記において、鼻音を表す記号として母音や子音の上部に付されているのが、このチルダ/ティルデだ。また、インターネットのURLでは、ユーザのホームディレクトリを表す記号として用いられる。そして、数学の論理においては、近似などのほぼ等しい状態、完全にイコールでは結ぶことのできない状態を意味する記号となる。だが、ここで、マクドゥーガルがタイトルに用いているのは、どうやら、C言語などのプログラミング言語における、否定(NOT)を取る単項演算子としてのチルダのようである。このチルダをダブルにする。つまり、波線符号をふたつ続けて並記することで、それは二重否定を意味するものとなる。二重否定とは、否定に否定を重ねることで婉曲的な肯定の表現を行い、その肯定の記述を強調したりする語法のこと。ダブルなチルダは、(間接的かつ暗々裏な)肯定を意味する。にょろんは否定だが、にょろにょろんは肯定となる。二重にすると、意味は遠回しに裏返り、しかも真逆に強調されもする。チルダは、肯定を生み出す否定。肯定は否定のチルダの間から生じ、肯定は複数の否定を内在させてもいる。ここでは、肯定も否定もチルダによって表示され記述され意味される。波線符号には、裏と表の顔と性質がある。
 “Double Tilde”は、三つのパートからなる作品である。三部構成で約35分。それぞれのパートは、約10分程度の長さのものとなっている。これまでのマクドゥーガルの作品と同様に、ここで使用されているフィールド・レコーディング音源も、ブリスベン近郊のオーストラリア東海岸クイーンズランド州の南東部に広がる大自然の中で採取されたものである。その録音は、失われゆく熱帯雨林の今の姿を伝える、音のドキュメントとしても機能するであろう。自然環境とは、はたして破壊され尽くされるためだけに、そこにあるのだろうか。それとも、先に文明が滅び去るのを、そこでジッと耐え忍びながら待ち続けているのだろうか。マクドゥーガルは、録音機材を携えて、クイーンズランドの大自然の懐に飛び込んでゆく。そこにある何かを、マイクで拾い上げ、克明に記録しておくために。そこで、森は、ただ沈黙を守り通し続けるのか。小さなせせらぎを流れる水は、何かを語りかけているのであろうか。耳をそばだて、感覚を研ぎ澄ませれば、きっと、そこに微細な音の動きまでが見えてくるはずだ。大自然は、その内部に、膨大なる情報のうごめきを隠しもっている。
 第一部は、“Bleed Compensation”。流血の代償。11分42秒。とても静かな幕開け。ぼんやりとした景色の中を、微かに震えながら電子音が行き交う。ゆるやかな回転音を響かせる持続するエンジン音の連なりが、遠くに離れてゆくと、のどかな鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。クイーンズランドの大自然は、そのぽっかりと開けた大きな口で、そこを訪れる者を、軽々と飲み込んでゆく。何ものも拒まない。濡れた砂利道を踏みしめながら、鬱蒼と茂る木々の奥へと分け入ってゆく。堅い鉱物が、ゴツゴツとぶつかりあう。低く轟く不気味なドローン。ここでのマクドゥーガルは、かなり意図的に自然音の断片を加工し、そこから新たなサウンドの質感を引き出そうとしている。自然の呟きが、加工されたデータとして処理され、新たな文脈の中で情報の断片を閃かせる。編集のために切り刻まれた音の切り口から、流れ出す血は、生きている証。血は生命のシンボルである。
 第二部は、“Always The Days”。ずっと昼間。10分29秒。大自然の奥地で、微かに物音がする。静かに呟く自然。深く深く地中へと続く、湿った薄暗い洞窟に響き渡る、冷ややかな澄んだエコー。そこに、加工されたノイズの群れが、なだれ込んでくる。入り乱れる、自然の物音と人工の雑音。奇妙な両義性を表出させる捩じれた音空間が広がる。大いなる昼間は、溢れ返るざわめきの中にある。にわか雨を思わせる雨音的なノイズの奥底からは、絹の薄布のようなドローンが静かににじみ出す。次第に、ホワイト・ノイズと雨音らしきものの境界線があやしくなり、昼間は、渦巻くような目眩とともに千々に掻き乱される。澄みきった美しい泉の水音。気がつけば、そこは、まだ大自然の真っただ中。幻惑の昼間は、いつまでも昼間のままだ。
 第三部は、“Running Long”。長く流れる。12分27秒。ゆっくり迫りくる、物音と雑音の群れ。低音でうごめくドローンと乾いた日常の生活音。終わることのない生きるものたちの営み。生きるものの周りは、常にノイズで溢れ返っている。ゆるやかにトーンを変え、隙間から忍び込むように響き続けるドローン。いくつもの水音。小川の流れ。湖の波打ち際。食器がぶつかりあう流し台。反復される金属音。自然と文明が対峙し、互いを相殺せんとする。それぞれを二重に否定することで、互いを肯定へと導くことができるとでもいうのだろうか。ノイズにノイズを重ねることで、そこに、まだない何ものかが生じるのだろうか。ただただ、重く不気味なドローンだけが、静かに鳴り響いている。微かな電子雑音の呟きを、その身に纏いながら。
 マクドゥーガルが創出する音は、いずれの作品においても、ほぼ同系統の音の傾向とテーマによって貫かれている。自ら採取したフィールド・レコーディング音源を、エレクトロニックなデヴァイスによって丁寧に加工し、美しいサウンドスケープを彫刻してゆく。そこからは、深刻な地球温暖化や止まることを知らぬ環境破壊などに対する、無言のメッセージ性のようなものを聴き取ることもできる。マクドゥーガルは、その美しい音の内部に、あらゆるものを統合することを試みているようだ。この“Double Tilde”では、自然音と人工音、物音と雑音、アコースティックとエレクトロニック、具体音と電子雑音、それぞれに対峙しあう音の融合から、全く新しいサウンドの地平が模索される。しかし、その探究の結果の先に鳴り響いている音は、決して無条件に明るいものばかりではない。これは、マクドゥーガルの意識が、現在の状況を、全く楽観視していないことの表れなのだろう。もはや、ただぼんやりと楽観していられる時間的猶予はない。我々が、いま歩みを進めている道の、その前途は、とても薄暗く、ちっとも先を見通すことができない。不気味に低く重く轟くドローンは、人類と、その文明に対する、何らかの痛切な警告なのであろうか。それは、大いなる昼間にも止むことなく、延々と流れ出し続ける。日常の奥底に漂い続けているノイズとドローンが、破壊と暴力の根元的なありかを訴える。耳をすまして、声なき声を聴き取る。本当のメッセージは、物音や雑音、ノイズの中に紛れ込んでいる。この“Double Tilde”におけるサウンドスケープは、そのリアルな声にチューニングするための、またとないガイドとなるであろう。
 ここにきて、マクドゥーガルの生み出すサウンドは、かなり急速に先鋭化されてきているように感じられる。かつてのリリース作品にあった、クイーンズランドの大自然のフィールド・レコーディング音源から醸し出される、のどかな雰囲気や牧歌的な空気感は、すっかり薄らいできてしまっている。そこでは、自然音と電子音は、常に、真正面からにじり寄る。それぞれは、ある時は境界を越えて融合し、またある時は頑なに混じりあおうとはせずに、ぎこちなくぶつかり合い重なりあいながら自らを主張し続ける。また、電子処理された自然音の断片は、無機的なループやドローンとして鳴り、へヴィに加工された物音や雑音は、瑞々しいディジタル・サウンドとなって躍動する。そして、その美しい音の響きの内側や奥底には、どこか暗く冷たい感触が、むくむくと増していっている印象がある。このまま、この類い稀なるサウンドスケープが研ぎ澄まされてゆくと、そこでは、一体どのようなヴィジョンが描出されるようになるのだろう。また、それは、いかなるメッセージ性を、その内部から強烈に発散するものとなるのだろうか。実に楽しみだ。この“Double Tilde”は、今まさに、新たなフェイズへ突入しようとしている、ジェイムズ・マクドゥーガル/エンティア・ノンによるエクスペリメンタル・サウンドの、新局面に向けての序章とでもいうような位置づけができる一作である。進化/進化し続けるマクドゥーガルの次作が、とても待ち遠しい。さらなるシヴィアな音響の構築を期待したい。(09年)

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