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<<   作成日時 : 2009/10/18 04:00   >>

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The Lucy Show: ...Undone
A&M 395 088-1

画像 ザ・ルーシー・ショウ(The Lucy Show)は、おそらく、世界で最も過小評価されてしまっているバンドのひとつ、であろう。いや、もっと高い評価をされて然るべき、不当にも、あまり広く知られていない、素晴らしいバンドのひとつ、といったほうが、より適切であろうか。知られてもいないし、評価されてもいない、というのでは、本当に、ないないだらけで、ちょっと悲しくなってきてしまうのだが。しかし、ルーシー・ショウには、名もなく評価もなくとも、確かな実が、確実にある。誰からも忘れ去られてしまった場所で、今も燦然と光り輝き続けている実が。この作品は、ルーシー・ショウが、85年にA&Mより放った、記念すべきデビュー・アルバムである。タイトルは、妙に意味深長で何ともアイロニックな響きをもつ『...Undone』。要するに、これは、非業のバンド、ルーシー・ショウの、世界で最も過小評価されているデビュー・アルバムなのである。
 70年代末、生まれ故郷のカナダからポスト・パンク期のロンドンに、微かに音楽での成功を夢見て、はるばる移り住んできた才能あるふたりの若者がいた。それが、ギタリストのマーク・バンドーラ(Mark Bandola)と、ベーシストのロブ・ヴァンデーヴェン(Rob Vandeven)だ。ともに優れたメロディ・メイカーであり、優れたシンガーでもあった、この両名によって、ルーシー・ショウは、83年に結成された。そして、そんな才能豊かなコンビをサイドから支えていたのが、ギターのピート・バラクロー(Peter Barraclough)と、ドラムスのブライアン・ハドスペス(Bryan Hudspeth)である。この4人のメンバーは、ロンドンのパブ・ロック・シーンにおいて活動を行っているうちに、まるで運命の糸に導かれるかのように顔を揃えたという。
 83年、バンド結成からほどなく、いきなりインディ・レーベルのShoutより、ファースト・シングル“Leonardo da Vinci”をリリース。これが、BBCの名物DJであったジョン・ピール(John Peel)の目にとまり、彼のプログラムで毎回のようにプレイされることになる。すると、その評判を聞きつけた、大手レコード会社のA&Mが、即座に、この無名の新人バンドに契約の打診をしてきた。そして、恐ろしいほどトントン拍子に話が進み、レコード・デビューからほぼ半年で、ルーシー・ショウは、大手レコード会社とのレコーディング契約を交わすこととなった。若きインディ・バンドにしてみれば、これは、まるで降って湧いたかのようなシンデレラ・ストーリーであっただろう。しかし、逆に、これを大手レコード会社の側から見ると、80年代前半のニュー・ウェイヴ全盛期に頻発していた、典型的なインディ・シーンの青田刈りの単なる一類例でしかなかったに違いない。今から考えると、これこそが、ルーシー・ショウにとっての度重なる悲運の始まりであった。おそらくは。
 84年、A&Mより2枚のシングルを立て続けにリリース(メジャー・デビュー曲の“Electric Dreams”と12インチ・シングルの“Extended Play”)。そしてまた、ここで幸運の女神が、奇跡的な運命の悪戯で、このバンドを弄ぶことになる。それまで発表していたシングルの音源を、カセット・テープでジョージア州アセンズのR.E.M.のもとに送ってみたところ、これが大変に気に入られたようなのだ。これが契機となって、ルーシー・ショウは、この年の年末に行われたR.E.M.のUKツアーのサポート・アクトに、大抜擢される。翌85年には、さらに2枚の12インチ・シングル(“Ephemeral”と“Undone”)が、待望のアルバムに先駆けてリリースされた。そんな、A&Mによる手間と時間(と大金?)をかけた入念な前宣伝の末に、ようやく登場したのが、本盤なのである。
 アルバム『...Undone』のプロデューサーに起用されているのは、スティーヴ・ラヴェル(Steve Lovell)とスティーヴ・パワー(Steve Power)。後に、サマンサ・フォックス(Samantha Fox)やブラー(Blur)、ロビー・ウィリアムス(Robbie Williams)などのプロデューサーとして、数々の大ヒットを飛ばし、UKポップス界において不動の地位を築くことになるコンビである。スティーヴ・ラヴェルは、元々はハンビ・ハララムボウ(Hambi Haralambous)を中心として結成されたトントリックス(Tontrix)やハンビ&ザ・ダンス(Hambi & The Dance)といったグループに在籍していたギタリストであり、70年代末から80年代初頭にかけて大きな盛り上がりをみせたリヴァプールのミュージック・シーンで、華やかな活躍をしていたミュージシャンであった。そのシーンの(錯綜して入り組んだ)人脈的繋がりから、ラヴェルは、元ビッグ・イン・ジャパン(Big In Japan)のホリー・ジョンソン(Holly Johnson)が結成したバンド、ホリーコウスト(Hollycaust)(後のフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(Frankie Goes To Hollywood)の母体となるバンド)に参加したり、ティアドロップ・エクスプローズ(Teardrop Explodes)のメンバーとなるアラン・ギル(Alan Gill)が在籍していたバンド、ダーレク・アイ(Dalek I)(後にダーレク・アイ・ラヴ・ユー(Dalek, I Love You)とバンド名を変更する)の作品のプロデュースにザ・ブリッツ・ブラザーズ(The Blitz Brothers)の一員として関わったりしている。そして、何を隠そう、元ティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープ(Julian Cope)が、84年に発表した2枚の歴史的な名作アルバム『Fried』と『World Shut Your Mouth』でプロデュースを担当しているのも、他ならぬラヴェルなのである。また、ラビ・ジョセフ・ゴードン(Rabbi Joseph Gordan)という珍妙な変名で、コープが、85年に発表した“Competition”という、かなりレアな7インチ・シングルがあるのだが、ここでプロデュースを担当している、バーナード・ギャズダ(Bernard Gazda)とは、実は、ラヴェルの変名であるようなのだ。片や、そのプロデューサー・コンビの相方であるスティーヴ・パワーは、元々はリヴァプールのレコーディング・スタジオ、〈The Pink〉においてサウンド・エンジニアを務めていた人物。そして、このスタジオを所有していたのが、トントリックスやハンビ&ザ・ダンスのハンビ・ハララムボウであった。きっと、この頃からラヴェルとパワーは顔見知りであったのだろう。パワーは、80年代初頭からリヴァプールのシーンで活動していたチャイナ・クライシス(China Crisis)の初期の作品などでミックスを手がけている。また、コープの84年のアルバム『World Shut Your Mouth』にも、ミックス・エンジニアとして参加しているクレジットを、確認することができる。もしかすると、この『World Shut Your Mouth』の制作現場において、両スティーヴによるプロデューサー・ティームは正式に誕生したのかも知れない。
 そんな、ある意味においては、思いきり正統派のニュー・ウェイヴ系列(リヴァプール派閥)に属する、腕利きの音作り職人コンビを迎えて制作された『...Undone』。しかし、だからといって、あからさまに両スティーヴに縁の深いリヴァプール・サウンドの匂いがプンプンする音に、全編を仕立て上げられてしまっているわけではない。ただし、バンドーラとヴァンデーヴェンによって書かれた楽曲に、60年代ポップスやノーザンなマージー・ビート/ブリティッシュ・ビートからの影響を嗅ぎ取ることは、きっと容易なことであろうと思われる。確かに、この清々しいキレのあるポップな音楽を、80年代ニュー・ウェイヴ版のザ・ビートルズ(The Beatles)のように聴くということも、不可能ではないだろう。だが、決して、これは、そうした単純な比較的わかりやすい要素だけで構成されている音楽ではない。過去の遺物をトレースしただけの平坦なものではなく、もっと多彩で立体的な構築がなされたものとなっているのだ。サイケデリック・ロック、アート・ロック、フォーク・ロック、AOR、ベアズヴィル・サウンド、ウェストコースト・サウンド、エレクトロニック・ポップなど、様々な要素やスタイルを適度に消化し、緻密なバンド・アンサンブルを形成させ、ポップでドリーミーなメロディ・ラインを自由自在に紡ぎ出してゆくところに、ルーシー・ショウの音楽の最大の魅力がある。
 そしてまた、リード・シンガーを担当できるフロントマンが、バンド内にふたりいるため、常にリードとサポートの多重的/多層的なヴォーカルの役割分担を行うことが可能となっている。これにより、端正にして華麗なヴォーカル・ワークと、厚みと味わいのあるコーラス・ワークを、随所で耳にすることができるというのも大きなポイントだ。そして、何よりもまず、バンドーラとヴァンデーヴェンが生み出す、甘酸っぱいメロディの美しさに、瞠目すべきものが確実にあるのである。このデビュー・アルバムの時点で、その質の高い美は、ほぼ完全に完成されている。耳に飛び込んできた瞬間に、一発でメロメロにさせられる、甘い歌声と夢見心地なメロディ。その甘美なる旋律は、ウルトラ・キャッチーと形容するに相応しい。一切の無理と無駄のない、優美に流れるようなメロディ・ラインについつい引き込まれて、フワフワな綿菓子を思わせるルーシー・ショウの楽曲の世界に、いつしかドップリと浸かってしまっている自分に気づくことになる。そんな状態に陥ってしまったら、もう下手に抗うことなく、アルバムの全11曲を、その世界に浸かったまま堪能してしまった方がいいだろう。
 特に、A面3曲目の“Come Back To The Living”では、美しいメロディに甘いコーラスとキレのあるギターのフレーズが入り乱れる、典型的なルーシー・ショウの音の世界の旨味を、目一杯に味わうことができる。続く、A面4曲目の“The White Space”は、タイトなドラムによって重心低く引っ張られてゆく、狂おしくのたうちまわる一曲。出口を探し求める密室のサイケデリアだ。5曲目の“Wipe Out”は、しっとりと滑り出し、メランコリックに展開する、ぽっかりと口をあける喪失感で満たされたナンバー。ぶっきらぼうで粗野なギターの音と流れるようなピアノの音の絡みが、とても印象的である。さてさて、A面ラストの6曲目に収録された“The Twister”における、やけに大袈裟な電子音によるオーケストレーションの荘厳さは、どうだろう。この、とてつもなく粗い、上や下へとざわめきまくるシンセサイザーの音色からは、ポスト・パンク期の実験精神とオーセンティックなポップ・サウンドの無茶なせめぎ合いの匂いを、まざまざと嗅ぎ取ることができる。斬新な音を作り出したい気持ちばかりが逸り、おそろしく歪な感じの楽曲に仕上がってしまった問題作である。もっとメロディを重視した、シンプルなサウンドの組み立てをしても、全然よかったと思うのだが。どこか、後期ジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)や初期のザ・キュアー(The Cure)に近い雰囲気もあるが、とりあえず、若気の至りといったところだろうか。ちょっぴり微笑ましい一曲である。
 B面の幕開けを飾るアルバム表題曲“Undone”は、思いきりルーシー・ショウらしい小気味よいアップ・テンポのサイケデリック・ポップ曲。徐々に展開し世界を押し広げてゆく、ミニマルなメロディに、たっぷりと凝縮された旨味が詰まっている。B面2曲目の“Remain”では、キラキラと飛び散るギターの弦音の飛沫が、バシャバシャと降りかかってくる。爽快に弾けるタンバリンをフューチュアした、エヴァーグリーンなポップ・チューンである。そして、3曲目の“Better On The Hard Side”における、ゴージャスなストリングスとサイケデリックに轟くギターの競演には、目眩すらおぼえさせられる。何とリッチなサウンドであろう。クラクラする。これに続く“Remembrances”では、ズンドコなドラムと拮抗するように、ヘヴィなギターのリフが鳴り響く。シンプルでプリミティヴな反復から、ピュアなポップ・ソングが、グイグイとビルド・アップされてゆく。そして、アルバムのフィナーレを美しく爽快に飾るのは、“Dream Days”。ここでは、完璧にルーシー・ショウならではのスタイルによる、甘くトロけるメロディを存分に浴びせかけられることになる。アーシーなドラムとベースによる腰の据わったリズムに、飴細工のように自在に変化するサイケデリックなギター・ワーク。これは、逆説的に、夢見る日々の終焉を告げ、アルバム『...Undone』の全体を覆い尽くす白昼夢的世界から、現実の世界への帰還をうながそうとする楽曲である。だが、一度すっかりメロメロになってしまったら、そう簡単に元に戻るものではない。我々リスナーは、そのクラクラしている頭のままで、またしてもA面1曲目の“Ephemeral”に立ち戻り、延々と堂々巡りを繰り返すことになる。つまり、これは、永遠に『...Undone』(未完のまま)な、無限に循環するストーリーということ。たっぷりとエコーの効いた清々しいヴォーカルが、ドリーミーに浮遊し、胸を締めつけんばかりに作用する。そして、瑞々しいギターのアルペジオが満載のサビのパートでは、何度も何度も「This is no heaven」と繰り返し歌われる。だが、これが最高の快楽主義的パラドックスであることを、すでに我々は充分すぎるほどに知っている。この天上から降り注ぐ甘美なサウンドから離れる(逃れる)ことは、もはや不可能なのだ。抵抗は無駄である。スッパリと諦めたほうがいい。
 そして、A面の2曲目に収録されているのが、性急な切れ味鋭いビートが刻まれる“Resistance”。ここでの、タイトで躍動感のあるリズム・セクションと、シャープに研ぎ澄まされた音色のギター、そして懐の深いストリングス・アレンジメントの、ダイナミックにうねる三つ巴の取り合わせは、どこか往時のエコー&ザ・バニーメン(Echo & The Bunnymen)のサウンドを思い起こさせてくれる。そこで、ようやく、スティーヴ・ラヴェルとスティーヴ・パワーというリヴァプール人脈に属するプロデューサー・ティームが、本作に起用された大人の思惑めいたものに思い当たった。A&Mは、元来からルーシー・ショウに備わっていた、上質の楽曲制作のセンスなどの旨味の部分を最大限に活かし、バニーズ的な硬派なネオ・サイケデリックとスウィートなドリーミー・ポップの折衷路線を、このアルバムで全面的に展開させたかったのではなかろうか。要するに、ルーシー・ショウをダシに、あからさまに二匹目のどじょうを狙ったわけである。このプロデューサー陣の起用の裏側には、実は、そんな周囲の意図が隠されていたようにも感じられる。だが、そんな大人の思惑は、つゆほども知らず(?)、楽曲そのものは、抑えたトーンの序盤から、グングンと高みへと駆け上がってゆく。そして、終盤ではフレーズを連呼するヴォーカルのシャウトに呼応し、そこに挑みかかってゆくような、緊張感みなぎる音の世界が繰り広げられることになるのだ。嵐のように吹き荒れるギターのリフの応酬と、威風堂々たるストリングスのラインの、息詰るせめぎ合いに耳を奪われる。実に聴き応えがある。ただ、誠に残念ながら、アルバム中でバニーズの音を思い起こさせてくれるのは、基本的に、この一曲のみである。そして、おそらく、普遍性のあるポップスという文脈で語るならば、総合的にみて、ルーシー・ショウのほうがバニーズよりも数段上であることは間違いないだろう。その世界への真摯な没入が要求されるサイケデリック系のロックの、正統派の範疇へと含めるには、やはりルーシー・ショウとは、かなりフワフワユラユラとポップ寄りすぎる佇まいなのである。ただし、伝統的なポップスのスタイルを咀嚼したロックとしては、素晴らしく硬派であるのだけれど。
 アルバム『...Undone』は、R.E.M.とのUKツアーでの共演とその評判が、好影響したためか、USの大学ラジオ局の総合チャート、CMJのアルバム・チャートで見事に第1位にランクされた(すでに、84年の“Extended Play”の時点でも、ルーシー・ショウは、CMJのシングル・チャートの第1位を獲得している)。しかしながら、そうしたUSでのセンセーショナルな高い評価に比べると、肝心なUK本国でのセールスは、かなり手間と時間をかけてプロモーションを行った割には、いまいち思わしくなかったようである。そして、85年の年末、A&Mは早々にバンドとの契約の解消を決定してしまう。手を出すのも早ければ、手を引くのも、驚くほど早い。それが、大手レコード会社の常套手段であった。青田買いした田畑は、最初の収穫時に厳しく査定し、芳しくないものは切り捨てる。情けも容赦もなく、どこまでもドライ。こうして、ルーシー・ショウのシンデレラ・ストーリーは、呆気なく幕を降ろした。たった一枚のアルバムだけを残して。
 唐突に大手から放出されたルーシー・ショウは、その後、新たにインディ・レーベルのBig Timeと契約を交わすことになる。そして、86年に歴史的な大傑作であるセカンド・アルバム『Mania』を発表する。ここで、プロデューサーに起用されているのは、奇跡のネオ・アコースティック・サウンドを作り出す達人中の達人、ジョン・レッキー(John Leckie)である。この『Mania』も、デビュー作に引き続いてCMJのアルバム・チャートで、第1位に輝いている。どうやら、USのインディ・シーンを中心に、確固たるルーシー・ショウの支持層が構築されていたようである。当時のCMJのチャートの影響力を考えれば、これは大変なことだ。それらの事実を鑑みるに、大手のレーベルを離れ、インディに活躍の場を移しても、このバンドの未来は、ほぼ順風満帆なようにも思われた。だがしかし、87年、Big Timeが、突然倒産してしまう。こうして、再び、ルーシー・ショウは、作品を発表する場を失い、路頭に迷うこととなる。実際の音楽活動とは全く関係ない部分での災難とゴタゴタが続いた、この過酷な時期に、バラクロー(後に、Nuphonicのニック・ザ・レコード(Nick The Record)とティム・ハットン(Tim Hutton)によるソウル・アセンダンツ(Soul Ascendants)に参加し、ハットンのソロ作品でもエンジニアを担当。そして、90年代半ばからはアーカイヴ(Archive)のギタリストとしても活躍している)とハドスペスが、バンドからの脱退を申し出る。88年、4人体制での最後の作品となる、シングル“Wherever Your Heart Will Go”をインディ・レーベルのRedheadより発表。そして、この年の夏には、かねてからの念願であった、レディング・フェスティヴァルへの出演も果たした。その後、残されたバンドーラとヴァンデーヴェンは、新たなルーシー・ショウの活動の方向性を模索して、アレコレと試行錯誤を繰り返すことになる。しかし、活路を見出せないまま、これを断念せざるをえなくなり、89年にバンドの正式な解散を決断する。
 90年代に入ると、バンドーラとヴァンデーヴェンは、ともにソロ・アーティストとして別々の道を歩み始める。ヴァンデーヴェンは、ルーシー・ショウの最後のシングルをリリースしたRedheadにとどまり、ザ・プリミティヴス(The Primitives)やドッジー(Dodgy)でキーボードを担当していたロブ・ロード(Rob Lord)や、マッカルモンド&バトラー(McAlmond & Butler)のベーシストであったミック・テダー(Mick Tedder)等とともにゼロ・ゼロ(Zero Zero)というユニットを結成し、96年にアルバム『AVA』を発表している。一方、バンドーラは、92年にミッチ・イースター(Mitch Easter)をプロデューサーに迎えて、Nurseryよりバンドーラ名義でのソロ・シングル“Till Tuesday”を発表。また、99年には、元プリミティヴスのロブ・ロードや元ザ・カラーフィールド(The Colourfield)のカール・シェール(Karl Shale)(このロードとシェールは、ともにヴァンデーヴェンのユニット、ゼロ・ゼロのメンバーでもある)、元シュリークバック(Shriekback)〜キング・スワンプ(King Swamp)のドラマーであったマーティン・バーカー(Martyn Barker)等とアウスガング(Ausgang)を結成し、Foundryよりアルバム『Electric-Arc』をリリースしている。実際の活動は、ともにしていないが、ロードやシェールなどのミュージシャン仲間を介して、非常に近い位置で、ソロ・アーティストとしてのキャリアを歩み続けているバンドーラとヴァンデーヴェン。そのふたりの距離が一気に縮まり、交差することになるのが、バンドーラが新たにスタートさせたソロ・ユニット、タイプライター(Typewriter)による、02年のアルバム『Skeleton Key』である。このバンドーラが自ら設立したレーベル、Typeより発表された作品中の一曲“Always Comes Back To This”に、ヴァンデーヴェンが、作詞とコーラスで参加しているというのだ。たった一曲のみとはいえ、これは、驚くべき事態である。このふたりの歌声さえ揃えば、それはもう、まさにルーシー・ショウそのものであるのだから。その後、このタイプライターは、06年にセカンド・アルバム『Birdsnest』をリリースしているが、こちらの作品に元相方のヴァンデーヴェンが参加したらしき形跡は、どうやらない。今後、再び、バンドーラとヴァンデーヴェンの歩む道が大接近する、サプライジングな事態が訪れたりするのだろうか。例えば、ルーシー・ショウが再結成するとかいった。そこに戻るのが、定められていた運命であるのなら、それに、決して抗うべきではない。そこが、常に戻る場所であり続けるのは、それが、いつまでも『...Undone』なままであるからなのではなかろうか。ルーシー・ショウのストーリーは、まだまだ本当の結末を迎えてはいないような気がしてならない。
 83年から89年までの山あり谷ありの6年間に、2枚の素晴らしいアルバムを残したルーシー・ショウ。その音楽的な質の高さからすると、間違いなく、彼らは世界で最も過小評価されているバンドのひとつだといえるだろう。ただ、もしかすると、それは、その存在や作品の素晴らしさが、最初から広く知られていなかったゆえに、必然的に評価の分母が小さくなってしまっている、というだけのことなのかも知れないけれど。全盛期にレーベルを転々とせざるを得なかったのは、確かに大きなマイナスであった。彼らが、安定した音楽活動を継続できた期間は、ほんの僅かしか存在しなかったのだから。また、かつての彼らの存在を知っていた人たちも、もうすでに、すっかり音楽的評価もろとも、それを忘れてしまっていることであろう。実質的に、ルーシー・ショウが、音楽シーンの表舞台に立っていたのは、85年前後のほんの限られた期間でしかなかった。ほんの一瞬だけ咲いて、ふたつの美しい花をつけただけなのである。もし、微かにでも思いだして、またルーシー・ショウの素晴らしい楽曲を聴きたい気分になったならば、05年にWords On Musicよりセカンド・アルバムの『Mania』が、未発表曲などのボーナス・トラックを満載した豪華版CDで再発されているので、そちらを是非チェックしてもらいたい。おそらく、現在入手可能なルーシー・ショウの音源は、この『Mania』の再発盤だけだ。かつまた、この完成度の高い、極めて良質なポップ・アルバムは、初めて聴くルーシー・ショウの作品としても、大変にオススメできる代物である。決して、そのサウンドの敷居は高くない。老若男女問わず、できるだけ多くの人に聴いてもらいたい。しかし、誠に残念ながら、こちらのデビュー作『...Undone』は、これまでに一度たりともCD化も再発もされた形跡がないのだ。何ともったいない話であろう。世界は、この大いなる音楽的遺産を看過し続けていることを、未来永劫にいたるまで恥じ入るべきである。(07年)(09年 改)

追記 特報。09年11月、遂に『...Undone』が、CD化される。待望の再発だ。この歴史的偉業を手がけるのは、05年に『Mania』の奇跡的な再発を行ってくれていたWords On Music。まさに、天晴れな仕事ぶり。しかし、冷静に考えて、この『...Undone』の再発は、明らかに事件だ。00年代の後半に、稀代の不遇バンド、ルーシー・ショウが残した2枚のアルバムが、20年以上もの月日を経て、再び日の目を見ることになるとは、誰が予想できただろう。そんな、誰も夢にも思わなかったようなことが、今、現実の出来事となろうとしている。ただ、ミラクルとは、起こるべくして起こるもの。ルーシー・ショウの場合、その時が訪れるまでに、だいぶ時間がかかってしまったわけなのだけれど。
 これに先立つ、09年9月には、ロブ・ヴァンデーヴェンが、同じくWords On Musicより、初のソロ・アルバム『Lost Days』をリリースしている。このアルバムには、盟友のマーク・バンドーラと、ルーシー・ショウのもうひとりのギタリスト、ピート・バラクロー、そして、そのバラクローが加入していたアーカイヴのメンバー、ダリウス・キーラー(Darius Keeler)とダニー・グリフィス(Danny Griffiths)などがゲスト参加している。これは、妙に感慨深い顔ぶれだ。志半ばでルーシー・ショウが解散したのは、89年のこと。それから、早いもので20年が、あっという間に経ち、今こうしてヴァンデーヴェンとバンドーラ、そしてバラクローが、ひとつの作品の制作の現場で顔を揃え、共演を果たしている。実にタイミングよく、ルーシー・ショウにとってのミラクルは、ここに来て、いくつも続けざまに起こっているようである。このまま、このミラクルの連鎖が、さらに止まるところを知らずに続いていってくれることを望みたい。
 もうここまでくると、もっともっと奇跡的な、次の段階のミラクルまでをも望みたい気持ちにもなってくる。具体的に記すと、それは、再結成と、約25年ぶりの新作ということになる。もう一度、ルーシー・ショウの純粋にポップで清々しくも甘い新作アルバムを聴いてみたい。それは、もはや絶対に手の届かぬ夢でしかないのだろうか。ルーシー・ショウというバンドに、もうひとつ、信じられないようなミラクルが起こることを、心より期待したい。頼みの綱は、今のところWords On Musicだけだ。是非とも、首尾よくやってもらいたいところである。(09年)

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