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<<   作成日時 : 2009/06/15 21:00   >>

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Surtsey: Symphony No. 1 For Strings: Antarctica
Test Tube tube171

画像 ポルトガルはリスボンに拠点を置く、エレクトロニック/エクスペリメンタル・ミュージック専門のネットレーベル、Test Tube。その名門ネットレーベルより、09年5月31日にリリースされた作品。
 スルツェイ(Surtsey)は、イギリスのバースとボグノーに住む、ふたりの若者によるユニットである。キーボード、ギター、そしてエレクトロニクス類を担当するデイヴ(Dave)と、ドラマーのベン(Ben)。しかしながら、本作のリリース元であるTest Tubeのサイトに掲載されている作品紹介の文面では、スルツェイとは、デイヴことデイヴ・コート(Dave Court)のソロ・プロジェクトであるかのような記述がなされているのである。確かに、この作品において、ドラムの音は、一瞬たりとも響くことはない。実際、本作が、デイヴのみによって制作されたものである可能性は高い。おそらく、スルツェイは、基本的にサウンド・プロデューサーでありマルチ・インストゥルメンタリストのデイヴ・コートを中心とするプロジェクトなのであろう。ベンのドラムスは、それが必要とされる時のみ、プロジェクトに加わるということであるのかも知れない。
 実は、この“Symphony No. 1 For Strings: Antarctica”という作品は、スルツェイのMySpaceにおいて、08年7月にセルフ・リリースされていたものである。それが、草の根的なネットワークを通じてTest Tubeの目にとまり、今回の正式なリリースへといたったのだ。つまり、ほぼ1年前の音源ということになる。ということは、もうひとりのメンバーであるベンが、スルツェイの活動に合流したのは、この作品の完成以降であったということも考えられる。いずれにせよ、本作が、老舗のTest Tubeによって取り上げられ、その171番目のリリース作品として、大々的にネットレーベルのシーンに発表されたことで、これまで細々とMySpaceを通じてのみ世界との接点を切り開いていたスルツェイが、より広範囲な知名度と評価を獲得することは、間違いないところであろう。そして、全くもって瞠目に値するデイヴ・コートの音楽家/作曲家としての才能にも、広く注目が集まるようになるはずである。この若者は、はっきり言って、かなりすごい。
 スルツェイとは、アイスランドの南西の沖合に浮かぶ火山島の名称である。この新島は、63年11月14日の海底火山の大噴火によって出現した。その後も、断続的な噴火活動とマグマの湧出が続き、最終的に、この火山の標高は173メートルにまで達することになる。そして、67年6月4日、約3年半に渡って続いた、活発なスルツェイの火山活動は完全に停止することになる。まず、海底のマグマだまりに充満した水蒸気が爆発し、噴き出すマグマが海水に接することで、さらに大量の水蒸気が海面上に発生する。こうしたマグマ水蒸気爆発型の海底火山の噴火は、この新島の名にちなんで、これ以降、スルツェイ式と呼ばれるようになった。さらに、最大時には面積が2.8平方キロメートルにもなった、このクレーター型の火山島は、08年7月8日にアイスランドにとっては初となる世界自然遺産に登録されている。しかし、この若い火山島は、押し寄せる強い波や風による浸食作用により、02年の調査では、面積が最大時の半分である1.4平方キロメートルにまで減少してしまっていることが観測されているのである。おそらく、そこには急速な地球温暖化による海面の上昇なども、少なからず影響しているのだろう。このままでは、スルツェイの大部分が、再び海面の下へと沈み込むことになるのも、そう遠い未来ではないのかも知れない。
 デイヴ・コートは、なぜ自らのプロジェクトの名称に、このアイスランドの無人の火山島の名前を選択したのであろう。何もなかった海の底の底から、海底火山の噴火によって巨大な溶岩の新島を形成したスルツェイになぞらえて、自らの作り出す音楽が、爆発的に頭角を現し、何もなかった場所に目に見える巨大な金字塔を打ち立てることを、念頭に置いていたのだろうか。もし、そうであるとするならば、その爆発は、大量に発生する水蒸気とともにマグマが噴きあがる、スルツェイ式の、とても派手で豪勢なものになるであろう。Test Tubeからのリリースとなった本作は、スルツェイにとっての、最初に海面上に存在が確認された火山活動ということができるだろうか。さて、この最初の噴火は、どれほどの規模の新島を形成しているのだろう。早速、調査を開始してみよう。
 “Symphony No. 1 For Strings: Antarctica”とは、その名の通り、弦楽のための交響曲第1番のことである。コートは、いきなり、スルツェイとして、交響曲を書き下ろしたのだ。今やエレクトーン一台でオーケストラの演奏が可能だというが、コートは、それをよりプリミティヴな方法でやってのける。自らスコアをしたため、自らヴァイオリンなどの弦楽器を演奏し、それを編集して指揮をとる。まさに、ワンマン・オーケストラ状態なのである。そして、アンタークチカ(Antarctica)とは、南極大陸のこと。北極圏にほど近い、アイスランドの火山島であるスルツェイが、南極海に浮かぶ雪と氷の世界である南極大陸をテーマとする交響曲を奏でる。これには、非常に興味深いものがある。コートという若きアーティストは、島や大陸に対して、オブセッシヴな執着をもつタイプの人間なのであろうか。それとも、今回は、たまたまテーマが、南極大陸になってしまっただけなのか。いずれにせよ、コートは、ここで、スルツェイによる交響曲の第1番として、“Antarctica”と題された約30分の作品を完成させている。では、南極大陸の交響曲とは、いかなるものであるのか。実際に上陸をして、探検していってみる。
 南極交響曲の第一楽章となる1曲目は、“Movement 1: A Song For Rainfall”と題されている。コートは、南極大陸の特異な自然環境に出現する様々な景色を題材として取り上げ、美しい弦楽で描き、歌い上げてゆく。ここで、まず聴くことができるのは、雨の歌である。極寒の寒冷地であるはずの南極に、雨が降る。かつて、夏でも平均気温が0度を越えることのなかった南極では、ほとんど降雨は観測されなかったという。だがしかし、ここ数十年間の地球温暖化の急速な進行により、南極に雨が降ることも決して珍しいことではなくなりつつあるようだ。南極の降雨は、地球環境が危機的状況へと足を踏み入れつつあることを知らせる、目に見える証のひとつである。低く地を這うように押し寄せてくるヴァイオリンの弦楽の音の波は、ひたひたと降りしきる冷たい雨足を思わせる。音の波は、次第にドローン状のレイヤードとなり、そこにメランコリックなトーンをもつ微かな旋律が、ふわりと浮かびあがる。雨足は強まることも弱まることもなく、延々とひたひたと大陸に冷たく降り続く。その淡々とした、そしてどこか冷徹なる響きの雨音は、年間を通じて氷雪に閉ざされた気候であるはずの南極大陸では、ある種の悪魔の歌声のように響いているのかも知れない。そんな、南極に雨を降らす悪魔は、おそらく、人の顔をしているのだろう。南極大陸の自然環境を痛めつけているのは、ほかでもない、地球上の陸地という陸地を蝕み続けている人類に違いないのである。
 第二楽章の2曲目は、“Movement 2: A Song For Snow”。雨に煙り黒く濁り沈んでいた景色は一変して、今度は一面が白く覆われる。南極大陸が南極大陸らしい顔を見せる、雪の歌である。伸びやかに、思い思いのゆったりとした波形を描きながら、次々と流れてゆく弦楽のドローン。空中で交錯する音の波は、凍てつく空気の中を舞い踊るパウダー・スノーを思わせる。音の響きが、とても朗らかでやわらかだ。その実に優しい手触りの音世界は、真っ白な光に満ちあふれているようにも見える。南極大陸にとって、雪の歌とは、それすなわち喜びの歌でもあるのだ。忘れかけていた、平凡な日常の中の、小さな喜びなのである。
 第三楽章の3曲目は、“Movement 3: A Song For Ice”。南極大陸のほぼ大部分を覆いつくしている巨大な氷の塊、南極氷床。大陸を白く彩る、氷の歌である。夏期の平均気温の上昇と降水量の増加にともなって、最も大きな打撃を蒙っているのが、この氷床だといわれている。南極氷床の規模は、地球上の全淡水の約九割を凝結させた量の体積に匹敵する。地球の全ての真水の大部分は、南極の氷なのだ。温暖化の進行によって、この氷床の融解の速度が少しでも速まれば、海水面の上昇に深刻な影響を及ぼすことは必至である。ゆっくりと、だが確実に、融けゆく巨大氷床。その恐るべき光景は、まるで大いなる終末への序曲のようでもある。断片的に細切れになってちりばめられた、いくつもの旋律の残骸が、ゆらゆらと舞っている。それらは、波のように押し寄せては引いてゆく。そして、淡々と静かにフレーズを吐き出しながら、嘆きのトーンを描き出すのだ。弦を震わせながら、声を絞り出すようにして語りかけてくる氷床。止まるところを知らぬ融解。巨大な危機の予感が、重々しくのしかかってくる。南極大陸の上で、氷雪に閉ざされたまま均衡を保ってきた大自然のバランスは、今や脆くも崩れかけはじめている。しかしながら、そうした崩壊の歌は、ことのほか壮麗にして美しい響きを有するものであったりするのだ。儚く消えゆくものとは、全て、美しく崩壊してゆくものなのか。人類は、この究極の自然の美の誘惑に、抗うことはできないに違いない。大いなる最後の欲望が遂げられる日は、刻一刻と近づいてきている。
 第四楽章の4曲目は、“Movement 4: A Song For The Wind”。白い南極大陸の広大な大地を、地吹雪となって吹き抜けてゆく凍てつく突風。巨大な氷床の上に降り積もった粉雪を白く荒々しく舞いあげる、ブリザードの歌である。空気を切り裂くような鋭い弦の響きが、見渡す限りの白い氷雪の世界で、行き場を失い途方に暮れる。風が吹く。しかし、その次の瞬間にも、風しか吹くことはない。ただ、南極大陸に、冷たい風が吹き続けるだけなのだ。どんなに風が強く吹こうとも、それを真正面から受け止めてくれるものは、この大陸の白い氷の大地には、ほとんどない。強烈なブリザードも、たどり着く先を見つけられぬまま、速度と力を失い、うなだれるように氷床の上で力つきる。そこには、もはや吹き始めに感じられた鋭利な響きは、微塵もない。ゆったりとしたピッチで丸みを帯びた響きを轟かせる、弦のドローンの波は、白く凍てついた南極大陸の景色に溶け込み、雪と氷に同化してゆく。南極大陸では、風すらも凍り付く。そして、全ては、後から後から吹き付けてくる白いブリザードによって巻き上げられ、南極大陸の空高く舞い上がるのだ。そして、ここが、南極交響曲の大自然の歌編の華麗なるフィナーレとなる。
 第五楽章の5曲目は、“Movement 5: Respite”。最終楽章にして、小休止とは、これいかに。しかし、レスパイトには、債務の猶予や死刑執行の延期という意味もある。そう考えると、これは、とてもシビアでシリアスな最終楽章のタイトルであるといえそうだ。全人類が、南極大陸に負った債務の猶予ということだろうか。もしくは、地球温暖化によって痛めつけられた南極大陸に対して、最終的な死刑が執行される前の束の間の延期期間ということだろうか。ここでの弦の響きには、再び重々しい緊迫感がみなぎっている。そして、それらは、思い思いの逼迫した音の波を形成して響き渡る。静けさの中、波が引いてゆくと、今度は、そこにメランコリックな響きが立ち現れる。孤立した響きが、飛散する響きと結びつき、混沌を克服して、ひとつの旋律の束となり、そして美しいドローンに変化してゆく。ラストでは、まるで南極大陸の窮状を訴えかけてくるような、痛々しくも弱々しい咆哮を耳に突きつけられることになる。
 ここで聴くことのできる、全ての弦の楽音(ヴァイオリン)は、スルツェイのメイン・メンバーであり、交響曲の作曲者にして、作品のプロデューサーであるところの、デイヴ・コートによって演奏されたものである。この若きアーティストは、完全なる、独学の人であるらしい。ここでの、素晴らしい電子ヴァイオリンの演奏は、全くの独学で身につけられたものであるという。また、ピアノやギター、ドラムス、鉄琴などの多くの楽器の演奏、プログラミングなどのエレクトロニック・サウンドの音作り、そして交響曲までをも書き上げてしまう作曲法にいたるまで、驚くべきことに、全て独学なのだ。音楽家としての天賦の才を、自らの手で掘り起こしたコート。ここでは、スルツェイの名の下に、深い海底からの突然のマグマ水蒸気爆発によって、音楽地図の片隅に活発に火山活動する、高くそびえ立つ新島を出現させている。この湧き出し噴き出る目覚ましい火山活動は、まだまだこれからが本番であるような気はする。この新島が、これからどのような活動を続けていってくれるのか。注目して観測を続けてゆきたいところである。
 また、コートは、今回の交響曲の作曲法に関して、クリシュトフ・ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki)からの影響を公にしてもいる。ペンデレツキは、ユダヤ系ポーランド人の20世紀を代表する音楽家のひとりである。その独創的な音響をもつ作品群は、現代音楽の頂点のひとつとも数えあげられている。奇抜な楽器の特殊奏法を作品に取り入れたことでも有名。そうしたペンデレツキの音響作曲法は、従来の密集音群を音塊へと移行させた、現代音楽界の巨人、ヤニス・クセナキス(Iannis Xenakis)のトーン・クラスター手法から強い影響を受けており、その流れを直接に汲むものだともいわれる。スルツェイの南極交響曲で聴くことのできる、弦楽のドローンの音の波にも、この系譜に連なるトーン・クラスターの書法でスコア化された音響を匂わせるものが、多分にある。ペンデレツキの音の屑や粒を寄せ集めつつ塗りつぶしたトーン・クラスターは、コートによって、不安定に揺らぎながら持続するドローンとして記述され、受け継がれている。そんな弦の音の粒子が密集したドローンは、不協和音へといたるギリギリのところで集散し、波のように寄せては返す。細い絹糸のような音響の線は、太く横軸いっぱいに拡散し、そこからゆっくりと密度を薄くしながら消え入ってゆく。音塊のトーン・クラスターは、クセナキスからペンデレツキへ、そして21世紀に突入しスルツェイの南極交響曲へと継承された。この20世紀の現代音楽が打ち立てた実験的音響の伝統は、まだまだ遠くへと運ばれてゆくことであろう。スルツェイは、ここでトーン・クラスターの有効性を、まざまざと実証してくれている。現代音楽は、決して死んではいない。こうした手法を、21世紀のエクスペリメンタル・ミュージックの世界で、方法論として強化し、音響として発展させてゆくのは、コートのような才気あふれる若者であるに違いない。全て独学であるがゆえに、斬新な切り口で構築できる、新たな理論というものもあるだろう。かつて、ペンデレツキが試みた奇抜な特殊奏法の方法論を、現代のテクノロジーの活用法に取り込んでゆくような形で。大いに期待をしたいところである。
 海底火山の噴火によりアイスランドの沖合に突如出現したスルツェイと、そのほぼ地球の真裏で、白い氷雪に大地を覆われている南極大陸。この火山島と大陸には、ともに急速な温暖化の進行によって、目に見える形で自然環境が大きな危機に直面させられているという、非常に切迫した共通項がある。波による浸食や海面の上昇を受けて、島の面積が最大時の半分にまで縮減してしまっているスルツェイ。地球規模で平均気温が上昇していることを受けて、夏期の降雨量が増大し、大地を覆いつくす巨大な氷床が急激に融解するという異常事態に見舞われている南極大陸。明日のスルツェイと南極大陸は、昨日までのスルツェイと南極大陸とは、違ってしまっている。この火山島と大陸は、ともに日々刻々と地球温暖化現象によって、自然環境を蝕まれ続けているのである。
 コートによって書き下ろされた南極交響曲は、再び海底に沈み込みつつあるスルツェイの手を介して音響化された、自然環境に甚大なダメージを受け逼迫している南極大陸の悲嘆と叫びの歌である。伸びやかな音の波となる弦楽のトーンとドローンは、密集し、音塊となり、そして拡散し、繊細な音の線を束ねつつ、広い音域を揺らめきながら塗りつぶしてゆく。トーン・クラスターの手法を応用したスルツェイの音響は、実に豊かな幅と奥行きをもつ有機的な構成となっている。それは、常に、不協和音の兆しをみせ、暗い混沌の淵に真っ逆さまに落ち込みそうになる寸前で、踏みとどまる。音の粒子が醸し出すメランコリーが、暗い実体をともなう陰鬱へとすり変わる、ギリギリのところで。しかし、そこに確実にある、暗さやメランコリーや不協和音への予兆は、来るべき崩壊の時から発せられた終末への序曲であるようにも感じられるのだ。南極大陸の過酷かつ雄弁な自然環境を直接のモティーフとした雨と雪と氷と風の歌と、本当のフィナーレの幕が降りるまでに地球に残された僅かな時間的猶予。最後の審判によって確定した刑が執行されるのは、この小休止程度の延期期間の直後である。その終焉までの、少しの幕間に、ワンマン・オーケストラによる交響曲が演奏されるのだ。明日のスルツェイと南極大陸を、少しでも昨日までのスルツェイと南極大陸のまま、自然環境のバランスの崩壊から遠ざけておくために。死刑の執行を、いつまでも延期させるために。与えられた猶予期間を、どこまでも引き伸ばすために。来るべき崩壊や終末が、こちらへと迫ってくる速度を、少しでも緩めるために。延期されたまま訪れない終焉をかき消してしまうように、スルツェイによって南極交響曲が高らかに演奏される。もはや、残された道は、時間かせぎしかないように思われる。本物のフィナーレを押しとどめるために、レスパイトを繰り返す。焼け石に水といわれようと、ただただ、ひたすらに。(09年)

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