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<<   作成日時 : 2009/05/29 20:30   >>

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900piesek: Blinded .Tale From The Underworld
This Plague Of Dreaming plague034

画像 ひたひたと忍び寄ってくる新型インフルエンザの影に、言いようのない不気味さを感じる。人類を滅亡させるのは、おそらくウィルスなのではなかろうか。ウィルスは、速い。ウィルスは、脅威である。21世紀が終わる頃には、地球上の大部分は、ほぼ完全にウィルスによって壊滅させられてしまっているかも知れない。
 アメリカ東海岸のマサチューセッツ州を拠点とするエクスペリメンタル・ミュージック専門のネットレーベル、This Plague Of Dreamingからの新作。リリース日は、09年5月18日。新型インフルエンザ・ウィルスが猛威をふるう最中に、最も多くの感染者数が報告されているアメリカの「この非現実的なる疫病」と名乗るレーベルからのリリースである。これには、妙に曰くありげな匂いを感じずにはいられない。明確な現実感を漂わせずに人知れず変異/進化を遂げ、ある日突然襲いかかってくる、ウィルスの脅威。強大な疫病の影が、すぐ目と鼻の先まで迫ってきている。音も無く迫りくる気配。見えない疫病の影に、ただただ怯える。いやに不吉である。しかし、本作が、この21世紀初頭に大きくうねり出した、新たな疫病と人類との攻防の時代の動きと、絶妙にリンクしてしまっている感じは、とても興味深い。実際、時代のあちこちにはびこっている疫病とは、新型インフルエンザのウィルスだけではないだろう。目に見えない様々な脅威が、風前の灯となりつつある人類の周りを、幾重にも幾重にも取り囲んでいる。
 900piesekは、中央ヨーロッパのスロヴァキアの首都、ブラチスラヴァを拠点に活動しているサウンド・アーティストである。基本的に、900piesekとは、マトゥシュ・ミクラ(Matus Mikula)のソロ・プロジェクトとなる。だが、それは厳密に確定している体制ではなく、折々の要請に従って、プロジェクトにコラボレーターを迎え入れて制作を行うこともあるようだ。これまでに、900piesekことミクラは、オーストラリアはメルボルンのSmell The Stench(『Parabollic Trees - Tribute To J. Kowalski』(07年)、『W』(08年)、『Lullaby For Acid Kinder』(09年))や、ポルトガルのTest Tube(『Lonesome Abyss』(08年))、ポーランドのDate With A Corpse(『End Of Life』(09年))といった、世界各地のエクペリメンタル/エレクトロニック・ミュージック系のネットレーベルより、かなり精力的に作品を発表してきている。また、本作のリリースの後には、約1年ぶりのTest Tubeからの作品となる『Dea Varanus』が、間もなく発表される予定であるらしい。実に多作なのである。しかも、ミクラは、自らのホームページを通じて、900piesekのライヴ音源をコンパイルした作品や、ネットレーベルからデビューをする以前の初期の音源をまとめた作品などを、セルフ・リリースしていたりもする。まさに、とんでもなくすさまじい勢いで、立て続けに作品を連発しているのだ。どうやら、ミクラは、まだ年齢的にとても若い、全く新しい世代に属するアーティストであるらしい。言い換えるなら、完全なるネットレーベル世代の恐るべき子供たちのうちのひとり、といったところであろうか。スロヴァキアの才気に溢れる若者が作り出すサウンドが、目に見えぬウィルスのようにオンライン・ネットワークを通じて、猛烈な速度で全世界を駆け巡っている。その若々しくほとばしる勢いは、そう簡単にスロー・ダウンしそうにない。
 この『Blinded』は、900piesekにとって、09年に入って早くも3作目のリリース作品となる。タイトルは、大きくとらえると盲目という意味であるが、そこに副題として掲げられている『Tale From The Underworld』を並べて眺めてみると、多少感じが変わってくる。暗黒の、地下世界が語りかけてくる物語、といったサブ・タイトルであろうか。すると、この『Blinded』には、盲目というよりも、光を遮られた出口のない暗渠(アンキョ)といったイメージのほうが、ピッタリと当てはまるような気がしてくるのだ。暗渠とは、かつては川や水路だったものが、地中に埋められて、その地表部分が道路や歩道となっている場所のことをいう。そう、『タモリ倶楽部』の企画でお馴染みの、古地図をたよりにブラブラ巡るあれである。今回の900piesekの作品は、サウンド・アーティストのミクラと、写真家のペトラ(Petra)とのコラボレーション作業から生み出されたものとなっている。それゆえに、この『Blinded』という作品には、ミクラによってプロデュースされたサウンドだけでなく、ペトラによる13枚の写真も、そこに包含されている。つまり、音像と画像のふたつの像を重ね合わせることによって、光なき盲しいた世界の物語を表出させようと試みる、コンセプチュアル・アート作品なのである。しかしながら、そうなると、このタイトルは、何ともアイロニックな響きをもつものであるといわざるを得ない。光も色もない暗闇の中では、音と画の像を目に見ることはできないであろう。ならば、見えない像から、いかにしてひとつの世界と、そこから語りかけられる物語を捉えよというのか。
 ミクラによる900piesekのサウンドは、大抵の場合はアンビエントと形容され、時と場合によってはダーク・アンビエントと呼ばれたりすることもある。しかし、実際のところ、900piesekのサウンドが、本当にアンビエントであるのかは、非常にあやしい。個人的には、これをアンビエントとして聴くことは、到底できそうにない。900piesekのサウンドとは、そんなに生易しいものではないように思われる。これは、ただ単にアンビエントという名称のもとに片付けてしまうには、かなり全体的にノイズ寄りであり、能動的に聴くという行為を強いてくる音楽である。比較的わかりやすい旋律やコード進行が存在していないドローン状のサウンドスケープ(もしくは、理解の範疇と許容範囲を越えた音響ということもできるだろうか)を、全てアンビエントのひとことで片付け、乱暴にひとまとめにしてしまうことは、実に怠惰で愚かしい行いである。また、アンビエントを、ひとつの音楽ジャンルとして過信しすぎる傾向も考えものだ。そうした、安易なジャンル分けで毒抜きされることを、900piesekのサウンドは、頑なに拒むタイプのものであるようにも思われる。若きミクラは、聴き流されるためでなく、ひとりでも多くの人に聴かせるために、休む間も惜しんで音作りに励んでいるのだろうから。
 この『Blinded』に寄せられた、ペトラによる13枚の写真は、全てモノクロームの作品となっている。そこに写し出されているのは、荒廃しきった薄暗く埃っぽい廃墟や、四方を取り囲む冷たいコンクリートの壁が剥き出しになった殺風景な地下施設らしき場所の内部の、どこまでも静物的な風景である。そこには、ほとんど生の気配は感じられない。建造物が、静まり返り、凝固し、まるで死んでいるかのように横たわっている。窓のない、剥き出しのコンクリートによって四方八方を塞がれた異様な空間は、光の届かぬ地下の暗渠のイメージとピタリと重なる。ガランとした広大なスペースに、何本もの四角いコンクリートの柱が立ち並ぶ、謎めいた場所は、どこか集中豪雨などの際に排水溝が許容範囲を越えてパンクするのを防ぐために雨水を緊急避難的に貯水する地下施設のように見える。これぞ、まさしく地下に埋もれた暗渠の先に待ち構えている巨大空間なのではなかろうか。暗渠の親玉だ。荒れた廃墟の内部も、コンクリートに閉ざされた地下施設の内部も、どちらも一般的/日常的には、人の目から隠された、目に見えぬ光なき場所にされてしまっている。つまり、『Blinded』な場所なのである。光なき暗黒の地下世界である、暗渠の奥底から語りかけられる物語とは、いかなるものなのであろう。その、隠され、忘れ去られた、声なき声に耳を傾けてみよう。
 ここで、ミクラがプロデュースしているサウンドスケープは、その大部分がノイズ音響によって占められているものである。様々な物音や雑音などのファウンド・サウンド、廃墟や地下施設(もしくは、下水溝内か)で採取されたと思われるフィールド・レコーディング、小型マイクロフォンで拾われ増幅された任意の小物(オブジェクツ)によるノイズなど、夥しい量の物音や雑音やノイズが、ここには所狭しと詰め込まれている。それらは、マイクロフォンを使用したエレクトロアコースティック的な手法によって持続するドローン化がなされていたり、様々なエフェクターによって音響的に加工されエレクトロニックな轟音のノイズ・サウンドやエレクトロニカ的なグリッチ音と化していたり、廃墟や地下施設の内部の天然のエコーの作用を利用して静かに深く響き渡っていたりと、実に多彩な形式で音像化され次々と立ち現れてくる。目に見えない地下に隠蔽された暗渠の奥底から、黒く渦巻くノイズの群れが、うなりをあげて轟き、ディープに響き渡りながら、牙を剥いて襲いかかってくるという感じだ。お世辞にも、秘められた物語を語りかけてくるという大人しい雰囲気ではない。根本的に、様々なスタイルで発せられるノイズの群れは、もはや共通の言語として共有されるものではないだろう。それらは、ただただ轟き、響き渡るのみなのである。傾けた耳は、延々と波のように押し寄せてくる物音や雑音の轟きに晒され続けることになる。しかしながら、この物音や雑音の轟きとは、暗渠という地下に隠蔽され、断絶され忘却され意識の外側に追いやられた世界の、ネイティヴな言語による語りにほかならない。そこに通じ合うものが一切介在しなくとも、ひとたび耳を傾けてしまったら、暗渠がノイズの群れで語る物語から、決して耳を逸らすことは許されない。それは、地下世界に隠蔽され意識の外側に追いやられた暗渠を、さらに地中深くに埋めようとする行為にほかならないから。それに、牙を剥いて噛みついてくるノイズ音響のほうとしても、そう簡単に捕らえた耳を離しはしないであろうが。
 『Blinded』は、全5曲からなる、極めてコンセプチュアルな音響作品である。作品は全5曲によって構成されているのだが、その中でも1曲目はプロローグ的な雰囲気の導入部の小品となっており、終盤の4曲目と5曲目は余韻を残しつつ終結部へと誘うエピローグ的な小品となっている。よって、この作品における本編は、頭と尻に挟まれた2曲目と3曲目だといってよい。いずれも10分を越える大作であり、非常に聴き応えはある。まずは、1曲目の“Opening The Gate”。開門である。これは、文字通りに固く閉ざされていた門を開いて、光なき地下の暗渠の世界へと足を踏み入れる場面だ。暗渠化され世界の外側へと追いやられ、巧妙に隠蔽されていた、もうひとつの世界への侵入であるから、そう簡単に門を開いて歩み入るということはできない。ここでは、固く閉ざされた門を叩いて打ち壊し、力づくでこじ開けて、地下へと埋没させられた空間へ押し入ることになる。2曲目は、“Bended World Of The Parallel Souls”。どこまでも平行線をたどる魂によって語られる屈折した世界の物語。エレクトロニックな低く轟くドローンと、長い管の内部を音響が吹き抜けてゆくかのような深いノイズ、そして絶え間なく押し寄せてくる躍動する水音。ひんやりとした暗渠の内部で、呻いているものがいる。瓦礫を引きちぎり、重いものを引き摺ってゆく。剥き出しのコンクリートの壁に、無数のノイズの轟音が激突し、うなりをあげて反響している。どこまでいっても交錯することなく、出会うこともない孤独の魂の群れは、ただただ暗黒の地下世界をひたすらにさまよい続けるだけなのである。虚しく反響ばかりを繰り返しながら。暗渠化した世界に出口はない。コンクリートの壁に行く手を阻まれ、魂は屈折し、ノイズの轟音は呻きとなって暗闇に響き渡る。3曲目は、“Invisible Space Of Telekinesis”。テレキネシス(念力/念動)によって表出させられる、目に見えない(地下)空間。静かに暗渠に響き渡るドローンと反響音が、ゆっくりと増幅し、次第に空っぽだった空間を分厚く満たしてゆく。そして、まるで呼吸でもするかのようにノイズの粒子の密度を増減させながら、光なき隠された空間に、念をともなってジッと居座り続けるのだ。しかし、最終的には、その片隅に、細く長い管をせわしなく何かが移動してゆく、妙に不吉な予感に満ちた、微細なエレクトロニックなノイズ音響が、瞬間的に現れる。テレキネシスによるものではない、光を遮られ目に見えない隠蔽された空間にされた、本物の暗渠が、そこにいつの間にか戻ってきていたということか。もしくは、最初から、念力なんていうまやかしじみたものは、そこに存在していなかったのだろうか。暗黒の光なき世界では、それを確かめようにも、確かめる術はない。4曲目は、“Touch By A Wing Of Lilith”。リリスの翼による接触。リリスとは、夜の闇から現れる妖しげな魔女/女神である。また、夢の中に現れて誘惑する夢魔として解釈されることもある。光なき暗闇で、リリスの翼に触れられるということは、いまにも飛び去ろうとする妖艶なる淫魔に、精を奪い取られるということを意味するのだろうか。それは、睡眠時の(暗渠のように)隠蔽された意識下でおこる。つまり、夢精ということ。ノクターナル・エミッションである。もはや、意識の外側の目に見えない世界の最深部に沈み込み、行き場をなくした魂は、闇の中で邪悪な魔なるものたちによって、めちゃくちゃに蹂躙されてしまっているのだ。しかしながら、元を正せば、ここは、自ら望んで押し入ってきた世界なのである。きっと、リリスを夢の中に招き入れることは、おそらく無意識下に最初から存在していた願望であったのであろう。よじれたグリッチ・ノイズが、微かにまたたきながら走り抜けてゆくだけの、非常に短い(1分足らずの)作品となっているが、これは、リリスの翼に触れられる瞬間が、極めて短時間であることを暗示しているようでもある。5曲目は、“Golden River Of Oblivion”。金色に輝く忘却の川。作品のラストを飾るにふさわしい、何という強烈なタイトルの楽曲であろうか。光を遮られた暗渠の奥底を流れる、色を失ったはずの地下世界で鈍く金色に輝く忘却の川。音も画も言葉も記憶も、全てはいずれ、この忘却の川の底にゆっくりと沈んでゆくことになる。そして、隠蔽された出口のない暗渠の中を、無意識の彼方へと流れ去るのだ。冷たい暗闇の空間に響き渡る物音や雑音のノイズ音響は、ここまでくると、ある種の厳かでリチュアリスティックな匂いすらをも漂わせはじめる。液状化した電子雑音のドローンが、足元にひたひたと押し寄せてきている。このまま、金色の忘却の川の底で、地下世界の暗渠のように忘れ去られるのか。流れる川は、無意識下に埋没させられ、暗渠として隠蔽させられ、忘れ去られる。そして、意識の外側に押しやられた暗渠化した暗黒の地下世界が、その忘却のたびに、繰り返し立ち現れることになるのだ。忘却と隠蔽、そして暗渠。意識の及ばぬ光なき目に見えぬ世界では、これらが幾層にも渡って分厚く折り重なっているのである。
 さて、暗い漆黒の地下世界は、いったいどのような物語を語りかけてくれたのだろう。それは、先へ進めば進むほどに、自らの意識の真裏側へと戻ってくるような不思議な構造をもつ物語であった。全ては、自己に対して極限まで盲目になった自己についての物語であったということか。暗渠とは、川や水路を埋め、分厚いコンクリートで覆い隠す(隠蔽する)ことによって、光の届かぬ地下世界に生じるものである。その川や水路であった部分は、道路や歩道といった、全く異なるもの(光景)に巧妙にすり替えられてしまう。巧妙な隠蔽は、実に巧妙に意識を断絶させるのだ。道路や歩道である場所が、かつては川や水路であった場所であり、その下には暗渠があることを、簡単に忘れて(忘却して)しまう。しかし、実際には、かつての(本来の姿の)痕跡は、いたる所に残されているのである。『タモリ倶楽部』での企画が示す通り、古地図を手にブラブラと散策をすれば、暗渠化以前の痕跡は、あちこちに見いだすことができる。しかし、意識の中で道路/歩道と川/水路が完全に断裂してしまうと、もはや両者は決して接点で交わることはないのだ(パラレル)。川や水路の記憶は、忘却の川に流れ去ってしまい、痕跡も本来の痕跡として目に見られなくなってしまう。そして、暗渠は、正確に読み取られることのない痕跡のみを地表にとどめた、抹消された存在となる。そんな暗渠という暗黒の地下世界に、隠蔽され意識の外側へと押しやられた、言葉や記憶が、次々と沈み込んでゆくことになる。無意識下の見えない暗渠が、大きく口を開けて、色を失った光なき地下世界の忘却の川の川底に、全てを飲み込んでしまおうと待ち構えているのである。盲しいたものの目には、意識の裏側まで迫ってきている、その抹消された存在を、決して見ることはできない。いや、ここでは、全てのものは盲目なのである。無意識を意識することができたなら、その次の瞬間には、暗渠はいくつもの痕跡をたどって、川や水路という本来の姿に戻ってしまっているであろう。そして、その川や水路の水の流れが、鈍く金色に輝いていたとしても、それが忘却の川であることは忘れ去られてしまっているに違いない。ゆえに、意識できる記憶の片隅の微かな痕跡をたよりに、固く閉ざされた門を破壊してまで、暗渠の地下世界へと先回りをするのである。そこで、テレキネシスやリリスとの遭遇や邂逅の果てに直面することになるのが、隠蔽と忘却の絶え間ない繰り返しという恐るべき事実なのだ。この物語には、出口がない。剥き出しのコンクリートの壁に取り囲まれた暗渠は、いかなる光の侵入も遮る、文字通りの八方塞がりな空間なのである。
 現在、ウィルスや病原性の細菌など、人類は、様々な目に見えない脅威にさらされている。固く閉ざされていた門を突き破って、こちら側の世界を根底から蝕むような、新たな招かれざる外来者たちの襲撃が始まろうとしているようである。09年春の新型(豚)インフルエンザ・ウィルスの大流行などは、そのほんの序章でしかなかったに違いない。意識の外側に追いやられ、都合良く隠蔽されていた、目に見えない小さく強大なる脅威が、世界各地で暗黒の地下世界から噴出する。しかも、ウィルスや細菌の変異/進化のスピードは、おそろしく速い。尻尾を掴んだと思った瞬間には、すでに何歩も先を行っている。本能のままに目にもとまらぬスピードで先回りし続けるのだ。暗渠化され、覆い隠されてしまっていたのは、実はこちら側の意識の世界のほうであったのかも知れない。分厚いコンクリートで世界に線を引き、ふたつに分断してしまったことで、人類にとっての本当の脅威を見失うことになったのだ。現在の光を失った目のままでは、何も見ることはできない。意識を分断し隠蔽する分厚いコンクリートの塊も、鈍く金色に輝く忘却の川も。あちこちに残された痕跡をたどって、光を遮る暗渠の覆いに風穴を開けなくてはならない。意識の向こう側もこちら側も、もはや暗渠のままにしておくことはできないのである。暗渠がなければ、隠蔽も忘却もない。光の下で開かれた状態にある道路や歩道を見るだけでなく、そこに本来あったはずの暗く閉ざされた川や水路にも目を向けなくてはならない。暗渠化した地下世界を、意識の外側から、こちら側に引き戻すのだ。目に見えない脅威から目を逸らしていたままでは、何も始まりはしない。光なき暗渠に、光をもたらすこと。そこでは、色を失っていた地下世界の奥底の忘却の川も、本当のまばゆいばかりの金色の輝きを思い出すことであろう。目に見えないものを意識して見る。そこから、全てが始まる。暗渠の深い暗闇から、決して目を背けてはいけない。そこで、世にもおぞましいものを見ることになろうとも。(09年)

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