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zoom RSS Anois: Tree House Whispers

<<   作成日時 : 2009/04/19 21:00   >>

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Anois: Tree House Whispers
Aerotone aer017

画像 08年にエンターテインメント・フォア・ザ・ブレインデッド(Entertainment For The Braindead)を世に送り出した、ドイツはバイエルン州オーベルバイエルンに拠点を置くネットレーベル、Aerotoneからの新作(ちなみに、エンターテインメント・フォア・ザ・ブレインデッドは、7枚のみ制作された超限定ツアーCDのネット・リリース版EP“Seven (+1)”を、Aaahhより3月の末に発表している)。この作品は、Aerotoneにとっての今年最初のリリースであるとともに、アニシュ(Anois)の記念すべきファースト・アルバムでもある。リリース日は、09年4月9日。Anoisとは、アイルランド語で「今」を意味する語であるらしい。だがしかし、アニシュは、アイルランドのアーティストではない。アニシュは、ドイツ北部で活動する男女二人組のユニットである。ラーズ・クランホルト(Lars Kranholdt)とアンネ・バイエル(Anne Baier)のコンビが生み出すサウンドは、大まかに分類をするとすれば、ややローファイ系なアコースティック・フォーク・スタイルにエレクトロニカ的な意匠をしのばせた、エソテリックな感触のメランコリック・ポップ・ソングといったところであろうか。アニシュのデビュー作は、メキシコのレフトフィールド系ポップ専門ネットレーベル、Poni Republicより06年3月に発表された全7曲収録のEP“Tracery On A Frosted Window”であった。このデビューEPのクレジットを見ると、全てのレコーディング作業は05年に行われていたようだ。つまり、アニシュとは、そう歴史の浅いプロジェクトではないのである。しかし、このEPのクレジットを、さらに詳しく見ていってみると、この時点ではまだ、バイエルが正式なメンバーではなく、アディショナル・ヴォーカリストという扱いであったことが判明する。どうやら、初期のアニシュは、クランホルトのソロ・プロジェクト的な色合いの強いユニットであったようだ。その後のアニシュは、ともにPoni Republicからのリリース作品となる、コンピレーション『Ride Your Poni』(06年)に新曲“Sand”を提供、同郷ドイツのサンデイ・パーラーズ(Sunday Parlours)とのスプリットEP(07年)に“November”と“Homecall”の2曲の新曲で参加をしている。そして、そこから約一年半以上にも及ぶ長い沈黙を破って、Aerotoneから放たれたのが、この全13曲収録のアルバム『Tree House Whispers』である。アニシュ単独のリリース作品としては、06年の“Tracery On A Frosted Window”以来、約3年ぶりの通算2作目ということになる。それほど歴史は浅くはないけれど、かなり寡作な人たちである。じっくりと時間をかけて曲作りや音作りを進めてゆく人たちなのであろう、きっと。だが、ちょっとばかし違った方向へ目を転じてみると、クランホルトは、アニシュ以外にも、ソロ・プロジェクトのディス・メス・イズ・マイン(This Mess Is Mine)でのリリース活動を行っていたりもする。ディス・メス・イズ・マインは、これまでにAerotoneより“The Weekend EP”(06年)と“Sign The Drafts EP”(07年)という2作のEPを発表している。また、クランホルトには、兄弟のダニエル(Daniel Kranholdt)とのユニット、レアンダー(Leander)でのアルバム『Pass Fail』(Kennington Recordings、08年)といったリリース作品もある。実際のところ、クランホルトに関していえば、それほど寡作なタイプではないような気もする。いや、それどころか、かなり精力的に音楽活動を行っているといってしまってもいいだろう。ただ黙々とひたすらに、アニシュでの活動だけに専念しているバイエルに比べれば、と言いたいところであるのだが、こちらも、ちょっとばかしそうとは言い切れない部分があったりする。クランホルトは、ディス・メス・イズ・マインの1作目“The Weekend EP”においては、IDMやエレクトロニカ的な傾向の強い、繊細に作り込まれたエレクトロニックなプロダクションをメインに手がけていた。だが、これが2作目の“Sign The Drafts EP”になると、かなりの路線変更を敢行して、ローファイ・フォーク的なピュア・アコースティック・サウンドを前面に押し出してゆくようになる。そして、こともあろうに、この第二期ディス・メス・イズ・マインにおける“Family Tree Burning”や“No Fog”といった楽曲にフィーチュアされているのが、どこからどう聴いてもバイエルのアディショナル・ヴォーカルでもあったりするのだ。この“Sign The Drafts EP”の全体的なサウンドの方向性は、ほぼ完全にアニシュだといってよい。そして、そこにバイエルの声が加われば、もうこれは完全にアニシュだというしかないだろう。このアクシデントは、ディス・メス・イズ・マインの作品の制作過程において、偶発的にアニシュの要素が混入してしまったということなのであろうか。“Sign The Drafts EP”のいくつかの楽曲では、ディス・メス・イズ・マインとアニシュの境界線は、おそろしく曖昧にぼやけているように感じられる。もしかすると、この“Sign The Drafts EP”とは、アニシュの前作“Tracery On A Frosted Window”と、本作『Tree House Whispers』の中間に、(括弧付きで)置いてしまってもよい作品であるのかも知れない。これを逆に考えると、今回のこのアルバムが、Aerotoneからのディス・メス・イズ・マインのファースト・アルバムとしてリリースされたかも知れない可能性も、少なからずあったということだろうか。この微妙でファジーな、ぼんやりと現実離れしているあやふやさこそ、アニシュや第二期ディス・メス・イズ・マインの独特な不可思議さのある音楽性に、ちょうどぴったりの感覚であるような気もする。明確にフォーク的でありながら、これほどまでに現実感の希薄な歌とサウンドというのも、ちょっと珍しい。まさに変に独特で、ほとんどつかみ所がないのである。
 アルバム『Tree House Whispers』は、絶妙さと微妙さが入り混じった、あまり明確にどの範疇にもおさまりきらないような作品となっている。森の奥の樹上のトゥリー・ハウスでの囁き声を思わせる瞬間があったかと思えば、次の場面では朗らかに草原をフワフワとスキップしていたり、森の小径をハイキングしている気分になったかと思えば、場面は夜になり、また昼になり、季節は冬かと思えば、気づけば暖かさに包まれていたりと、おそろしく気まぐれに聴く者の感覚を、ぶんぶんと振り回してくれる。この、ある種の子供っぽさにも似たピュアネスを併せ持つ気まぐれな揺らぎは、そのままアニシュというユニットが、その本質部分に備えている基本的性質であるようにも思われる。よって、それぞれの楽曲ごとに、おしゃべりする話の筋立てや話法そのもの、そして語り口にガラリと変化をきたし、あちこちやたらに飛び回ってしまう雰囲気があるのも、なかばその瞬間を支配するノリからくる純粋な無意識の部分と、意識的に聴き手を混乱させ惑わせようとする無邪気な悪戯心が、入れ替わり立ち替わり出現して作用してしまったものであるのかも知れない。いずれにせよ、アルバム『Tree House Whispers』は、目まぐるしく移り変わる表情や口ぶりによって、とても彩り豊かな、少しも飽きない/飽きさせない内容に仕上げられている。サウンドの基本形は、あくまでもローファイ風味のフォーク・エレクトロニカである。そのベースとなる舞台の上で、アニシュは自由に戯れる。足を踏み外して、舞台から転げ落ちない程度に。しかし、結局のところ、あちらこちらを巡りめぐった13のエピソードは、全て森の奥のトゥリー・ハウスの中で囁かれた、お伽話の世界の出来事でしかなかったのではないかと思えてくる瞬間も、何となく訪れたりもする。無限の空想世界を描き出す、ちっぽけな点に閉じこもった存在企投による世界内存在ということか。ジャケットに描かれた、軍か警察の制服らしきものを着た鹿の角をもつ狐顔の男のイラストを見ていると、どこかバカされているような気分になってくるのだ。アニシュは、とても気まぐれで、人を惑わし、言いようのない不安をもよおさせる、アンリライアブル・ナレーター(信用できない語り手)的な横顔をこってりともっている。そして、変に独特で、全くつかみ所がない。それでも、その絶妙にエレクトロニックとアコースティックを融合させた音楽性には、実に人懐っこく、いやがおうにも人を惹き付けてやまないところがある。それは、とても微弱ではあるが、実に、まろやかなぬくもりのある魅力だ。アニシュとは、とてもユニークなグループである。
 鹿の角をもつ狐男は、怪しい笑顔を浮かべながら、ゆっくりと囁くように語り出す。静かな森の奥のトゥリー・ハウスの中で。アルバム『Tree House Whispers』は、プロローグ的なインスト“Small Electric Battery”でスタートする。淡い光のような電子音とあたたかなオルガンの音色が交錯する中に、慌ただしい物音/雑音が、いびつな波紋を描いて響く。2曲目は、“Happy Holiday”。ここには、タイトルにあるような幸福感は、微塵も漂ってはいない。低い灰色の雲が垂れ込めた、薄暗い、雪と氷に閉ざされた寒々しいホリデイ・シーズンに、社会の周縁に生きる人々が、小さなクリスマス・ケーキに立てた、か細く小さなローソクの灯火のような楽曲である。異様に輪郭の鮮明なアコースティック・ギターの響きを軸とした、典型的なローファイ・フォーク・スタイルのバッキングにのる、クランホルトとバイエルによる、淡々と静かに呟くようなユニゾンの歌唱。この形式こそ、アニシュの第一の基本形だといえるだろう。素朴な何の衒いも感じられないピュアな歌声なのだが、いやそれゆえにか、妙に重く胸に染み入ってくる。中盤の間奏のあたりから湧き出てくる、リヴァーブのきいたエレクトリック・ギターが、ゆったりとした曲調の中で、じわじわと厚みと質量を増しながら昂ってゆく様子は、どこかあのギャラクシー500(Galaxie 500)を彷彿とさせる雰囲気がある。3曲目は、“Beds And Dishes”。こちらには、打って変わって、暗さや寒さは少しも介在していない。快活な四つ打ちビート、キラキラな鉄琴の響き、お約束とでもいわんばかりに終盤の盛り上げどころで俄然しゃしゃり出てくるストリングスのアレンジメント。この妙に古典的レトリックを意識してなぞったようなポップス作法もまた、アニシュのある種の基本形のひとつだといえるであろう。やわらかな陽光の下をそよ風のように疾走する、この楽曲のスタイルは、どこかあのニュー・オーダー(New Order)を彷彿とさせる。どんなに楽曲のスタイルや曲調が、典型的なポップスの方向へと大きく踏み出して躍動しようとも、淡々と律儀にメロディを追うだけで、いまいち全体的な空気感や雰囲気にのりきれずに、まごつくばかりのヴォーカルもまた、絶妙に共通した感じを有しているように思われる。4曲目は、“Homecall”。これは、07年にメキシコのネットレーベル、Poni Republicより発表されたサンデイ・パーラーズとのスプリットEPに収録されていた楽曲である。再び、暗く寒い社会の周縁の空気が、重く立ち込める。深い喪失感からにじみ出す陰鬱さが、楽曲全体に満遍なく漂っている。極めてシンプルなローファイ・フォークのサウンドに、無機的な電子音の反復が、妙な違和感とともに並走をする。澄んだ鉄琴の音色も、冷たく孤独感を煽るばかり。寒々しい哀感に満ちたワルツは、縮こまる身体の内側で胸が張り裂けるような、淡々とこみ上げてくる展開の果てに、暗闇の中に霧散する。5曲目は、“There Must Be Some Book About It”。ミニマルなアコースティック・ギターの演奏を従えて、しっとりとしたヴァイオリンがメランコリックな旋律を歌い上げるインスト曲。異様に生々しい音の、悲しげな美しさに満ちあふれた楽曲である。ラストでは、儚い電子音の反復が、静かに余韻を彩る。6曲目は、“Sew New World”。IDMスタイルの細密なブレイクビートに淡い電子音、朴訥とした超現実的なユニゾン歌唱、そして流麗にして深いヴァイオリンのソロ。これは、俗にいうフォークトロニカのスタイルに最も近い楽曲であるかも知れない。輝かしい希望を、これっぽっちももたらすことのない新世界。しかし、絶望はしていない。もはや、どこにも希望なんて存在しないことを、まるっきり悟ってしまっているのだから。7曲目は、“November”。こちらも、Poni Republicからのサンデイ・パーラーズとのスプリットEPに収録されていた楽曲である。アコースティック・ギターと鉄琴による、簡素な演奏にのせて歌われる、とても切ない初冬の情景。そこに絶妙に割り込んでくるのが、すさまじく朗らかなザ・ゴールデン・エイジ・オブ・ポップス調のコーラスのアレンジメントと、往年のハーブ・アルパート(Herb Alpert)を思わせる眠たげなトランペット・ソロ。少し過剰かなと思わせる感じもあるが、その何ともいえぬ食い合わせの悪さ加減が、妙にクセになる。これを意識的にやっているのだとしたら、相当なポップス知能指数の高さだといえるであろう。結構、小憎らしいことをする。アニシュは、なかなかの強者だ。8曲目は、“A Noise”。アニシュに「e」を一文字付け足すと、ひとつのノイズが立ち現れる。イントロ部ではギターと鉄琴とタンバリンが鳴っているが、呟き系の歌が入る頃には、ほぼキック・ドラムとハンド・クラップとオルガンのみが、淡々と流れるだけになる。終盤は、そこに再び鉄琴やタンバリンが現れ、電子音のフレーズが反復し、ヴァイオリンが歌い、音の厚みがグッと増してゆく。ため息の連続のようなコーラス。ここでも、ひと際光っているのは、楽曲とサウンドの構成の妙である。かなり、ばっちりとツボを心得ているのだ。アニシュの楽曲には、ただメランコリックというだけでは終わらない何かが、必ずどこかにしのばされている。9曲目は、“He Sings To Me”。ノイズまみれのグリッチーなブレイクビートとアコースティック・ギターを従えて、バイエルがソロで静かに歌う楽曲。異様に舌足らずな純朴極まりない歌唱が、少女的なピュアネスを強烈に発散している。それを受けてなのか、終盤ではなかばバースト気味に、オルガンを軸にしたフォークロア調のエレクトロニカ・サウンドが炸裂する。純なるものの隠された凶暴性の発露を垣間みさせてくれる楽曲である。10曲目は、“On The Top Of The Highest Mast”。粗いオルゴールの音色のような、ミニマルなエレクトロニカ。一番高いマストの天辺だというのに、見晴らしは全くよくない。どんよりとした停滞感。そして、アイロニー。ラストに出現するのは、トチ狂ったか細い電子音のささやかな暴走である。11曲目は、“Waltz Of Wolves”。間違いなく、アルバム中の白眉。文句なしの名曲である。狼たちのワルツ。手拍子がリードする、哀愁漂うバスキング・スタイルのサウンド。アニシュが、ひた隠しにしてきたその正体を、寒々しいうらさびれた薄暮の街角で、遂に曝け出したという感じである。アンニュイに澱んでいた中盤までの流れが途絶えると、終盤は吹き鳴らされるメロディカなどを総動員しての、豹変した猛烈な展開が噴出する。何とドラマティックな、美しく構築された楽曲であろうか。どこか神秘主義的な匂いも漂う。いや、これは、狼たちが放つ獣の香りか。楽曲の最後を締めくくるのは、しっとりとしたヴァイオリンのソロである。12曲目は、“Remote Control”。凍り付くような静けさに包まれた放心のバラッド。最後にはもう、歌い上げる力もなく、ただラララと繰り返すのみだ。ヒリヒリとした感触の現実に連れ戻される時が、刻々と近づいてきている。ラストを飾る13曲目は、“It Is All So Curious At The End”。これは、ほぼバーンアウト状態のエピローグ的なインスト曲である。ささやかな電子音が飛び交い、疲れきったピアノの音色が、旋律の断片らしきものを奏でかけて中途で座礁する。そして、また慌ただしい物音/雑音が、いびつに鳴り響くのだ。全てが終わるとき、とても不思議な感覚が、静かな森の奥のトゥリー・ハウスを満たす。まるで狐にでもつままれているかのようである。いや、正しくは、鹿の角をもつ狐男だろうか。重く沈み込むような疲労感が、やんわりと耳鳴りのようにいつまでも残響し続ける。
 アニシュの楽曲は、いずれも独特の陰鬱さの中に沈殿しながらも、実に多様な輝きを煌めかせて見せてくれる。間違いなく言えることは、どんなに希望もクソもない暗く深い谷間に陥没し、冷たく痛い現実世界の雨や風にさらされながらも、アニシュのふたりは、その音楽と向き合う時に、決してダークな領域にまでは足を一切踏み入れることがないということである。だからといって、陽光が燦々と降り注ぐ妙に陽気な陽気の場所に常にいるわけでもない。光と影の世界を分け隔てるギリギリのラインに、危なっかしくバランスをとって立ちすくみ、ただただ独り言のようにボソボソと誰の耳にも届かなような歌を呟いているだけなのだ。だが、その完全に後ろ向きになって世界に背を向けてしまっているわけではないところに、窮極的な救いがある。そうした佇まいに、とてもとてもちっぽけだが微弱な輝きを見いだすことができるから。そもそも誰も救ってくれないことぐらいは、最初から了解済みなのである。だから、気まぐれで惑わし、つかみ所がないような振る舞いをしたりする。それでも、いや、それなのに、そっと輝いてみせずにはいられない夜や昼があったりもする。希望もクソもなかろうと、誰の目にも触れることがなかろうと、輝くものは輝くのだ。何者もそれを抑えきることはできない。そこに生起するのが、アニシュの音楽であり、素朴な呟き状の歌なのである。また、アニシュを聴いていると、時折そこに『Earth Covers Earth』(88年)の頃のカレント93(Current 93)を思わせる瞬間が、たびたび見いだされる。消え入りそうに弱々しい独特のクランホルトとバイエルによるユニゾン歌唱が、デイヴィッド・チベット(David Michael Tibet)とキャサリン・ウォリス(Catherine Wallis)による拙く辿々しいデュエットと、非常によく似た雰囲気を醸し出しているのである。特に、女性の舌足らずで幼い歌声で歌われる、微妙な音程のメロディ(ヘタウマ歌唱)は、ほぼ同類のものといってよいだろう(当時、ウォリスは実際に少女と呼べる年齢であったはずである)。はたまた、名曲である“Waltz Of Wolves”などを聴いていると、どこか初期のサイキック・TV(Psychic TV)や初期のコイル(Coil)を思わせる、古典的フォークロア・スタイルの音楽の奥底に息づく、何か得体の知れないもの(獣性/Magick)のうごめきを、そこに感覚させられたりもする。静かな森の奥のトゥリー・ハウスにこもっているはずのアニシュが、なぜに怪しいカレント93やPTVの音の世界と似通った響きや雰囲気をもってしまうのか。これは、謎である。完全に趣きを異にしているようにも思われるのだが、実際は同じ系譜に属する音楽なのだろうか(註1)。かつて嵐のように吹き荒れたアポカリプティック・フォークの季節も遠く過ぎ去ってしまった今、その流れを受け継ぐ秘境的ローファイ・フォーク/フォークエレクトロニカは、このアニシュのように朴訥と内にこもった響きをなすということなのか。ただし、そこにしのばされた虚無的な傾向だけは、異様なまでに個の内部で研ぎ澄まされ、深いものへと先鋭化してしまっているようにも感じられる。『Earth Covers Earth』のジャケットには、チベットの周辺に張り巡らされた縦や横の繋がりによって引き寄せられてきた、同一共同体内に生息する多くの顔ぶれが、ひとつのエソテリックな異形の集団として写し出されている。そこには、ダグラズ・ピアース(Douglas Pearce)やイアン・リード(Ian Read)、ローズ・マクドウォール(Rose McDowall)、スティーヴン・ステイプルトン(Steven Stapleton)、トニー・ウェイクフォード(Tony Wakeford)といった面々の、文字通り顔を見てとることができる。しかし、『Tree House Whispers』のジャケットには、鹿の角をもつ狐男しかいない。そして、静かな森の奥のトゥリー・ハウスにこもっているのも、実際のところ、クランホルトとバイエルのたったふたりだけなのである。
画像 今回、Aerotoneは、このアニシュのアルバム・リリースに際して、レーベルのオンライン・ニュースレターに登録すると、もれなくボーナスEP“Foreign Tragedies”をダウンロードできるというキャンペーンを行っている。アルバムに付与されたシークレットなボーナス・トラック的意味合いの強いEPであると思われるので、ここでは、詳しくその内容について触れることは避けようと思う。せっかくのオマケなのだから、ネタバレは野暮というものであろう。しかし、少しだけ軽く解説をしておくと、この全7曲収録のボーナスEPは、その意味深なタイトルから考察するに、外の世界で起きている悲劇的な現実に思いをはせた贖罪の歌曲集といったテーマをもつ作品であるようにも思えたりする。そのような意味では、まさにアルバム『Tree House Whispers』の延長線上に位置させて、全く問題のない作品であるといえるだろう。つまり、実にアニシュらしい、深い内省的なトーンに貫かれた作品ということである。
 アルバム『Tree House Whispers』で聴くことができるのは、社会の周縁でポツリと孤立し、全てが目の前を無関係のまま通り過ぎていってしまうことに対して、ストレートにひねているポップスである。その歌声が、メロディ・ラインが、どうしようもなくメランコリックに響いてしまうのは、誰かにその血がほとばしるような心の叫びを、優しく受け止めて欲しいからである。どんなに大声で金切り声を挙げて叫んでみたところで、もはや全てがどうにもならない状態にあることは目に見えている。ゆえに、深い諦念は、呟きのような言葉の断片となって、ただただぽたぽたとこぼれ落ちるだけ。もうどうにもならないのであれば、せめて優しく受け止めてくれさえすればいい。決して未来に絶望しているわけではないが、そこに明るい希望が見いだせるという確証だって、どこにも見当たらない。だから、ポツリと孤立して、静かに佇むぐらいしか、終わりの見えないくすんだ日常を、適当にやり過ごす手はないのである。アニシュは、ため息をつく。行き場を失った歌心が、トゥリー・ハウスの中でグルグルと渦巻き、やがて静かに消え去ってゆく様子を眺めながら。アニシュのひねたポップスは、その性質上、そう簡単に自分から心を開くことはないだろう。トゥリー・ハウスの外側の世界に対しては、もう、どこまでも冷めきってしまっているので。だからこそ、できることはといえば、じっくりと耳を傾けて、そっと受け止めてあげるぐらいなのだ。だが今は、ただそれだけで、きっと充分なはずである。いつの日にか、深い深い内省の果てに、何かを見いだせるに違いない。(09年)

(註1)『Earth Covers Earth』でのカレント93のチベットとウォリスがカバラ的処女性崇拝デュエットであり、PTVのジェネシス・P・オリッジ(Genesis P-Orridge)とポーラ(Paula P-Orridge)が倒錯に倒錯を重ね性を超越した夫婦関係を営み、コイルのジェフ・ラシュトン(Geoff Rushton)とピーター・クリストファーソン(Peter Christopherson)がディープなスカトロジストの同性愛カップルであったように、これらの三者は三様に、微妙に開かれた密室性をもつ密な(性愛的)結びつきによる関係性の上に、独特の音楽の世界を構築していたふたりであったことを考えるに、トゥリー・ハウスという(胎内的/子宮内的)密室で囁き合うふたりであるアニシュの形態は、完全にこの系譜に連なるものの一種であると見なすこともできるのではなかろうか。

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