溝!

アクセスカウンタ

zoom RSS Nina Baku: Pure

<<   作成日時 : 2009/03/15 03:33   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

Nina Baku: Pure
Whispering NetLabel WG01

画像 ロシアのネットレーベル、Whispering NetLabelより発表されたニーナ・バクー(Nina Baku)のアルバム。その01番というカタログ・ナンバーが示す通り、本作は、Whispering NetLabelからの記念すべき第一弾リリース作品である。リリース日は、おそらく、09年3月4日。また、この全3曲を収録したアルバム『Pure』は、おそらく、ニーナ・バクーにとっても初のリリース作品になるのではないかと思われる。ここで、おそらくを連発しなくてはならないのには、ちょっとした訳がある。貴重な情報源となるべきはずの、作品のリリース元であるWhispering NetLabelのホームページが、ほぼ全編に渡りロシア語の表記のみで押し通されているのだ。よって、肝心な部分を含む、ほとんどのインフォメーションが、解読も理解も不能な、手も足も出ない状態に陥ることを余儀なくされてしまっている。ゆえに、このニーナ・バクーの『Pure』に関しては、ほんのわずかな判読可能であった情報の断片と、決しておそらくという域を出ることのない推測や推察を織り交ぜつつ、紹介をしてゆかざるをえなくなってしまった。最初から、大して情報量は豊富ではなさそうであったところに、ほどんどがロシア語のみという有り様だ。ゆえに、その大半は、おそらくそうであろうという予測を、多かれ少なかれ交えつつ書かれたものであるといってよい。おそらく。とにもかくにも、そのへんに是非とも留意しつつ、読み進めていってもらいたいところである。
 ニーナ・バクーは、ロシア北西部に位置するノヴゴロド州ノヴゴロドを拠点に活動する4人組のライヴ・エレクトロニック・バンドである。バンドが結成されたのは、08年10月10日のことであるという。どうやら、まだ結成したてのグループであるようだ。メンバーは、シンセサイザーなどの電子機器と各種装置を担当するイアン・トポ(Ian Topo)、ラップトップPCでソフトウェア・シンセなどを操作するスネーク・スリコフ(Snake Surikov)、主にベースの演奏と電子器機類を担当するガシトール・ヴァリッツ(Gasitr Varits)、そしてシンセサイザーなどの電子機器の操作とヴォーカル・パフォーマンスを担当するゴー・ウォッチ(Go Watch)という4名。極めて実験的なエレクトロニック・サウンドを演奏するライヴ・バンドであるために、通常のギタリストやドラマーが常駐しているような形式のバンドの編成にはなっていない。各メンバーは、それぞれシンセサイザーなどの電子楽器を操作して、阿吽の呼吸でバンド・サウンドを構築してゆく。Whispering NetLabelのホームページの簡単なバンドの紹介記事には、ライヴ・パフォーマンスの模様を収めたものと思われる、おそらく唯一公表されているものであろう、ニーナ・バクーの写真が掲載されている。そこでは、ステージ上の床に直にシンセサイザーやラップトップPCを置き、それぞれのメンバーが、その前にしゃがみ込んで、黙々とノブやボタンや鍵盤をいじり、機材と格闘しながら演奏を行う様子を確認できる。後方の椅子に腰掛けて、小型の電子楽器を膝にのせて演奏しながら、マイクを片手に声を発しているのは、ゴー・ウォッチであろうか。このゴー・ウォッチらしき人物は、どうやら紅一点のメンバーのようだ。また、メンバーのスネーク・スリコフは、ニーナ・バクーの『Pure』のリリースと同じ日(09年3月4日)に、Whispering NetLabelよりソロ・アルバムの『Whispering In Rooms』をリリースしていたりもする。こちらのソロ作品においては、スネーク・スリコフは、シャープなエレクトロニック・ノイズや幻想的なトーンを縦横無尽に振りまく、ダークな色彩のアンビエントを展開しているようだ。アルバムのタイトルから察すると、どうも、このWhispering NetLabelというネットレーベルは、スネーク・スリコフが運営に深く携わっているものであるような気がしてならない。まずは、自らのソロでのアルバムとメンバーとして関係しているグループのアルバムを、2作同時に華々しくリリースして、混沌とするネットレーベル戦線に斬り込んでゆくための口火をできるだけ派手に切ってみた、という感じなのではなかろうか。しかしながら、それだけでは物足りなかったようで、いきなり2作品を同時にリリースした、その翌日(09年3月4日)には、早くも03番のカタログ・ナンバーをつけたディマ・ベスラン(Dima Beslan)によるアルバム『Portrait Of Expensive Russian Man』が発表されていたりもする(3月10日には、04番となるページアタック(PageAttack)によるシングル“Surround”が、翌11日には、05番のBpCによるシングル“Our Little Gorgeous Annamaria”が発表されている)。いやはや、この少しばかり暴発気味なスタート・ダッシュには、なかなかに驚くべきものがある。だが、それだけ大それたことを成し遂げるレーベル運営に対する有り余るほどの情熱があるのならば、多少はロシア語圏以外のリスナーへの優しさや配慮のようなものも示して欲しかった気がしないでもない。ネットレーベルとして、ホームページ等で基本的な情報すら英語での表記を完全に放棄してしまっているという姿勢には、やや故意の悪意めいたものをも感じ取れる。多少、うがった見方をすると。純粋にローカルなレーベルとして活動し、その姿勢を頑固に貫き通すというのは、決して悪いことではない。それでもやはり、それなりの最低限のサーヴィス精神ぐらいは、00年代的な開かれたバランス感覚で併せ持っていて欲しかった、と思うのである。
 もしも、ニーナ・バクーというバンドの音楽性を、簡単に一言で言い表すとしたら、それは、エクペリメンタル・ミュージック、つまり実験音楽ということになるだろうか。だが、それだけでは、全く何も言い表せていないような感じもする。それは、基本的にミニマル・ミュージックであり、ミスティックなノイズ・オルタナティヴ・サウンドであり、ヴィンテージな響きの電子ノイズが渦巻くサイケデリックなヨーロピアン・プログレッシヴ・ロックの流れを汲んでいるようでもあり、東欧系のトラッドやフォークロアの匂いが色濃く香るフリー・フォーク的な要素もあり、どこかポスト・ニュー・エイジとでもいうようなザラついたアンビエント風の雰囲気などもあったりする。これは、到底、一言で言い表すことのできる音楽性ではない。ニーナ・バクーのサウンドには、実に多彩な要素が盛り込まれており、それらが入り交じり絡み合い、非常に面白く興味深い音響がじわじわと自然発生的に構築されてゆく。それでも、基本的にはミニマルであるため、そのサウンドが混沌の淵に接近するような場面は、ほとんどない。それどころか、ニーナ・バクーのライヴなバンド演奏には、ほとんど大きな展開がないのだ。そう、起承転結めいた劇的さとは一切無縁なのである。その楽曲は、ゆっくりと滑り出し、液体が高いところから低いところへ流れ落ちるように、少しずつ軌道を変えながら変態を繰り返し、全てが一様に語り終えられたと同時に、特に何の前触れもなく静かに終わりを迎える。それぞれの音は、取りたてて饒舌というわけではない。それらは、それぞれに、ぼんやりと立ち現れ、ただブツブツと何ごとかを呟いているのみだ。また、音数も手数も、決して多くはない。これが、本当に4人のバンド・メンバーによって演奏されているものなのかと、小首を傾げたくなるほどに。無軌道で不用意な電子ノイズの応酬などには決して陥ることのない、ばっちりと抑制のきいた非常にクールな演奏は、ニーナ・バクーのライヴ・サウンドの大きな特徴である。こういったあたりに、とても高度なセンスのよさを感じさせられる。足してゆくだけでない、絶妙に引く美学とでもいおうか。ただ、そこにひっそりと佇むこと。静寂こそが、究極のミニマリズムだということか。まあ、実際には、そこに、静寂なんて、一瞬たりとも存在しないのだが。ニーナ・バクーは、徹底してエレクトロニックなノイズに拘泥するバンドであり、全ての静寂という静寂は、結局はドローンによって塗りつぶされてしまう運命に抗えない。
 アルバム『Pure』は、全3曲を収録した約47分の作品である。全曲ともに約15分前後の、とても長い楽曲となっている。ミニマルなコンポジションというものは、長く平坦に引き伸ばせば引き伸ばすほどに、そのミニマリスティックな方向性が、より鮮明に際立つ側面もあるため、だらだらとした長い楽曲ばかりになってしまうのも、いたしかたないといえばいたしかたないところなのであろう。一度、その音の世界の異質な流れにすっぽりとハマってしまうと、そう簡単には抜け出せないような楽曲が、いつまでも終わりを迎えずに延々と続いてくれることは、聴く者にとっては、この上もない悦びであり快楽であったりもする。ニーナ・バクーの楽曲は、そうした聴覚的なジョイやプレジャーの宝庫である。そのサウンドを構成している音は、おおむね全て、とても心地のよい響きをもっている。粘り気のある高音の電子ノイズから、弦楽器を弓で弾いたようなザラついた振動音の微細なループ、深く幻惑的に揺らめく非常に美しいドローンにいたるまで、どれもこれも実によく耳に馴染むような響きなのである。ただし、全てのノイズが耳に優しい響きという訳ではないけれど。それぞれの音が、決して過度に自己主張をすることなく、ゆっくりと立ち現れては、相互に入り交じり、響きあって、潮が引くように消え行き、いつの間にか次から次へと入れ替わってゆく。まるで、強引に夢の世界へと連れ去られ、延々と終わることのない白昼夢を浴びせ続けられているかのようだ。まさに、ゆるやかに場面転換し続ける、夢幻の回り舞台である。心地よい夢見を、掻き乱さない程度のギリギリの電子ノイズが、妙にクセになる。それに加えて、かなりヴィンテージな響きをもつ電子雑音の音色に、恍惚とさせられてしまうという部分も、ややあるだろうか。ともかく、ニーナ・バクーのサウンドは、何やら妙に心地よいのである。Whispering NetLabelのホームページによると、本作『Pure』のオリジナルのリリース日、もしくは録音日は、08年10月24日であるらしい。いずれにしても、これは、まさにバンド結成直後の作品だということになる。いやはや、この、それぞれの楽曲の完成度の高さは、どうだろう。これほどまでに研ぎ澄まされたインプロ的なバンド演奏を、そう簡単にものにすることができるものなのであろうか。いや、単にこれは、4人のメンバーの、ニーナ・バクーのサウンド・コンセプトに対する理解度の高さと、演奏面でのセンスのよさ、といった部分の問題であるのかも知れない。だとすれば、ニーナ・バクーとは、相当につわもの揃いのライヴ・バンドであるに違いない。実に大したものである。
 ニーナ・バクーの楽曲は、どれも相当に筋金入りのミニマルである。その大河のごとくゆったりと流れてゆくサウンドには、激しく情感に訴えるような昂りもなければ、取って付けたような予定調和的なドラマ性も見当たらない。ただただ、音が音を呼び、トーンがトーンを誘うように、どこまでも整然と電子ノイズやループやドローンが、次々と流れを受け継ぎながら進行してゆくだけなのである。また、ニーナ・バクーのサウンドの特徴としては、弦楽器(ヴァイオリンやヴィオラのようでもあるが、ロシアの伝統楽器であるバラライカやドムラであるのかも知れない)やアコーディオン(こちらは、同じく伝統楽器のガルモーシカだろうか)などのアコースティックな楽器の(クラシカルな音色の)楽音を加工したものと思われる、ループやドローンを非常に印象的に用いている点も挙げることができるだろう。これが、じわりじわりと何ともいえぬノスタルジアの感覚を呼び覚まし、侘しげな寂寞の念がにじみ出る泥濘へと誘ってくれるのである。静かに去来しあう孤独と郷愁。何やら不思議な感覚だ。それでも、そんな感傷にどっぷりとひたっている暇などなく、ただただ大河のような緩やかなミニマル・エクスペリメンタル・サウンドの流れに押し流されて、上流から下流へ運ばれてゆくしかない。そこで感覚されたノスタルジアは、結局どこにも流れ着くことはないのだ。そして、後に残されるのは、微かに胸に疼く孤独感のみである。何たるアイロニー。嗚呼、無情なり、ミニマル・ミュージック。
 アルバム『Pure』の1曲目を飾るのは、表題曲の“Pure”である。素朴なフォークロア調のループで滑り出し、そこにネットリと尾をひくよじれた電子音や、円やかな光を思わせるシンセのトーンなどが、次々と絡みついてゆく。響きを幾重にも折り重ねながら、ミニマルなベースラインとともに進行してゆくサウンドは、次第に電子ノイズとアコースティックな肌触りのドローンのせめぎ合いへと移り変わる。終盤は、そこに声による持続音や粒子の粗いうねる電子雑音などが重なり、やや厚みのあるリズミックな展開が、ほんのわずかにだが顔をのぞかせる。しかし、そこに何ら大きな展開らしきものが訪れることはなく、そのまま楽曲は終わる。サウンドの流れ自体が、とてもピュアである。無理な音が響く瞬間は一切なく、ただ音楽は流れそのものとなって移ろってゆく。極めて自然なのだ。純粋なるものは、これほどまでに自然に清らかに流れる。どこかに邪さがあっては、そうはいかない。自然な流れとは、おのずとピュアで澄みきった自然な流れの中からのみ生ずるのである。2曲目は、“Several Kinds Of Bubbles”。断続的に響く繊細な電子音と深海を思わせるディープなシンセのトーンが、どろどろとしたベースラインが低くうごめく泥濘の上に降り注ぐ。序盤は、クラシカルなノイズ・オルタナティヴの様式を、たっぷり盛り込んだミニマルなフリー・フォークといった趣きだ。極めて単調な複数の弦の響きに、次々と立ち現れる電子ノイズの群れが襲いかかってゆく。中盤、サウンドのピッチが一時的に速度を増し、これを契機にドローン状に連なっていた電子音は、巨大な渦となって旋回しはじめる。渦巻くノイズの水泡。泡の塊は弾けることなく、渦巻きながら高々と塔のようにそびえ立つ。止まることを知らぬ上昇。だが、次第に希薄になってゆく泡の密度とともに、電子雑音の群れは、再び不穏な泥濘へと立ち返っゆく。終盤には、やや暴力的な展開も、ほんのわずかにだが顔をのぞかせる。しかし、それらがひとしきりぶつかりあったところで、いきなり楽曲は終わってしまう。遂に泡は弾けたのだろうか。3曲目は、“Better Off Without A Knife”。このタイトルは、トム・ウェイツ(Tom Waits)の“Better Off Without A Wife”(75年発表の2枚組スタジオ・ライヴ盤『Nighthawks At The Diner』に収録)のもじりであるのかも知れない。ナイフ無しでも、まあ何とかやってゆけるものなのか。ちょっと疑問だ。アコースティックな感触のフリーキーなループを軸に、その周囲を唸る電子音や疾風のごときドローンが暴れ回っている。駆け回るベースラインが、押し寄せるノイズの群れと拮抗する。そこに紅一点のゴー・ウォッチによるものと思われる歌唱が、ゆったりと忍び込んでくる。幾層にも重なる澄んだ歌声のレイヤードが、サウンドの流れの中心を占めるようになると、さらに周辺を取り巻くノイズ群のテンションは張りつめ、異様な緊迫感が空間を包む。中盤以降は、全体的にノイズはドローン化し、突き刺さるような刺々しさは、少しばかり薄らぐ。しかしながら、次第にベースラインとゴー・ウォッチの歌唱がシンクロしてゆくのが合図であったかのように、終盤で再びサウンドは激しくうねりながら動き始めるのだ。分厚いドローンが嵐のように吹き荒れ、電子音たちがフリーキーに舞い踊る。ラストは、声のループに見送られるように、全ての音の流れが緩み、萎み、止む。そして、終幕。以上が、アルバム『Pure』に収録された全3曲である。徹底してミニマリスティックな方向性を志向しているニーナ・バクーの楽曲に関して、その流れや展開らしきものを逐一説明してゆくという行為は、ひどく無意味で不毛なことであるような気がしないでもない。よって、可能な限りベタなロマン主義に傾いた筆致を排して、実際の流れや動きそのものを簡素に描写してみたつもりである。だが、その手法が成功しているのかどうかは、よくわからない。おそらく、これは、主観で判断できるような問題ではないのだろう。だがしかし、とりあえず主観においては、あまり成功していないようにも感じる。本来、ミニマルとは、言語などが到底及ばずに、語られる余地などは一切ないものなのであろうから。
 ニーナ・バクーのサウンドは、エクスペリメンタルなプログレッシヴ・ロックの流れを汲んでいるようで、その線で捉えてみようとすると、どうしてもロック的なダイナミズムやカタルシスとは遠く無縁であり、エレクトロニクスによるドローンのレイヤードを軸としたアンビエントというには、自由奔放に飛び交う電子ノイズの成分がどうにもこうにも潤沢すぎ、クラシカルな伝統楽器の音色を積極的に導入した斬新なフリー・フォークの亜種という風に呼ぶには、ちょっとばかし致命的にメロディに欠けすぎる。その音楽は、ミニマルな音の流れの中に、様々なサウンドの要素を貪欲にのみ込んでいるようで、それらのいずれかに接近し隷属してしまうことは、頑に拒絶しているようでもある。その流れは、どこの陸にも流れ着くことはなく、ただ上流から下流へと流れ去るのみなのだ。そんな流れ行く音響の中でも、最も印象的なのは、訥々と低くうごめくベースラインや、低音のノイズやドローンの群れである。この低音部に重りのようにどっしりと腰を据えた、ぐねぐねなうごめきこそが、そのサウンドの揺るぎなきミニマル性の根幹をなしているようにも感じられる。そうした軸の部分が全く揺るがないために、ニーナ・バクーのサウンドは、様々な要素を内包しつつも、そう簡単には、特定の陸地の引力に引き寄せられてしまうようなことはない。ニーナ・バクーのサウンドにおいて、地を這うベースが果たしている役割は、非常に大きいのである。終始一貫してモノトーンなベースラインを反復し、そこに時折よじれるようなフレーズを奏で重ねてゆく。ただそれだけなのだが、その徹底ぶりこそが全てなのである。前面に大きく出てきていることもあれば、電子雑音の嵐の奥にひっそりと身を潜めていることもある。そんなツボを押さえたベースのうごめきが、ニーナ・バクーのミニマリズムの一番のキモとなっている。ほとんど全てのサウンドは、微かなベースラインのうごめきに呼応する形で発せられ、大きな音の流れを形成してゆくといってもよい。ただ、そのベースラインだけに耳を傾けている限りは、そのサウンド・スタイルとは、正統派のノイズ・オルタナティヴ系とクラシカルなヨーロピアン・フォークロアの折衷路線といった雰囲気を色濃くもつものではあるのだけれど。そう、それは、あのカール・ブレイク(Karl Blake)のベースを、少しばかり思い起こさせてくれるのだ。
 ロシアのちょっと謎めいたネットレーベル、Whispering NetLabelより登場した、強烈なサイケデリック・ノイズが渦巻くロシアン・エクスペリメンタル・ミニマル・フォーク・サウンドを極めて自然体に表出してみせる、驚愕のライヴ・エレクトロニック・バンドのニーナ・バクー。その天性の勘のよさをも感じさせてくれる、なかなかに格調の高いノイズ・オルタナティヴ風味の演奏には、すでに大器の片鱗のようなものもチラホラとうかがえる。しかし、バンドの結成直後にレコーディングされたと思われる、この処女作となるアルバム『Pure』の完成以降に、この4人のメンバーでライヴ・パフォーマンスなどの音楽活動が行われているのかどうかは、あまり判然とはしないのだ。初めから極端に情報が少ないせいもあるが、どこにも活動の痕跡らしきものを見つけることはできないのである。もしかすると、不定期に活動を行う、どちらかというとライヴ用の音楽ユニット的な集団であるのかも知れない。おそらく、次回のライヴ・パフォーマンスのスケジュールが決定すれば、そこで同時に新作のライヴ・レコーディングも行われるのではなかろうか。それが、いつのことになるのかは、今のところ全く見えてこない。今年中か、もしくは来年か、もっとずっと先のことになる可能性だって、決してない訳ではない。いずれにせよ、輝ける前衛ミニマル・ミュージック界の星、ニーナ・バクーの次回作が、そう遠くはない未来に無事に発表されることを、心より祈るばかりである。(09年)

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
Nina Baku: Pure 溝!/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる