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<<   作成日時 : 2008/11/13 21:00   >>

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「イチキュウキュウニイ、ランアウェイ」

【五】

 今から思うと、92年とは、実はとても大きな節目の年であったような感じがしなくもない。4月4日にダイナソー・Lのプロデューサーであるアーサー・ラッセル(Arthur Russell)が人知れずヒッソリと他界し、11月8日には〈Paradise Garage〉のラリー・レヴァンが突然この世を去った。いずれも80年代のNYのアンダーグラウンド・シーンで活躍した、ガラージの時代を象徴するアイコンであった。どこからともなく人はやって来て、やがて表舞台から去ってゆく。そうした自然の法則に則したサイクルの中で、時代は、季節は、ゆっくりと移り変わり続ける。だがしかし、やっぱりレヴァンの死は、あまりにもショッキングで大きな出来事であった。そして、あまりにも急すぎた。それを、ひとつのストーリーの終止符として打たれる、ちっぽけなピリオドのように捉えるなんてことは、到底不可能なことのように思われた。ガラージとは、80年代のNYのアンダーグラウンド・クラブ・シーンに一時代を築き上げたと同時に、すでに音楽を中心とする多方面へと拡散する文化として深く根付き、そこから派生したひとつのダンス・ミュージックの様式そのものにまでなりつつあった。そして、そうした全ての事物の根幹をなしていたのが、〈Paradise Garage〉でのレヴァンの神々しいまでに芸術的で情感豊かなDJプレイであったのだ。その巨木の幹の死は、時代の死でもあり、文化の死でもあり、様式の死をも意味していた。運命の11月8日を境に、全ては伝説の一部として過去のものとなり、時代の空気は、とてつもなく大きな喪失感にスッポリと包み込まれてしまった。
 今でも鮮明に覚えているのは、92年7月に芝浦ゴールドで、2日間連続で大々的に開催されたラリー・レヴァンのバースデイ・バッシュのことである。これは、結果的には、レヴァンにとって生前最後の誕生日パーティとなってしまった。あたたかな祝福ムードや、伝説のDJプレイへの過度な期待からくる熱気が、やや重苦しく充満するダンスフロアを前にして、当のレヴァンは、いまいち気分的に乗り切れていないような印象であった。なかなか思い通りにゆかない状態だったのか、数曲続けてプレイするごとにミキシングを行わずに、グルーヴの流れを完全に断ち切り、アカペラやSEをインタールード的に差し挟んで仕切り直しをする。少し走り出したと思ったら、またふりだしに戻って再スタート。そんな、かなりズタズタな展開の繰り返しに、すっかりダンスフロアの熱は冷えきってしまっていた。わんさと押し寄せていた人の波が引いてゆくのも、思いのほか早かった。きっと、レヴァンは、誕生日という晴れの日のDJプレイで、かつてのような何か特別な感覚をつかまえて、あの輝かしい〈Paradise Garage〉の空気感を少しでも再現しようと、あれこれ手を尽くしてみたのではなかろうか。しかし、それらの試みは、ことごとく芳しい成果をもたらしはしなかった。あの華やかなりし時代の感覚を引き戻そうとして、どんなに必死にもがいてみても、レヴァンの両手は、ただただ虚空を掴むのみであったのかも知れない。まばらな人影がガランとした薄暗いダンスフロアに揺らめく中、何の脈絡も感じられない流れで、唐突にゾーズ・ガイズ(Those Guys)のヒット曲“Tonite”がプレイされた。印象的なエレノア・ミルズ(Eleanore Mills)“Mr. Right”からのヴォーカル・サンプルがグルグルと繰り返される、淡々としたトラックが続き、やがてゆっくりとビートがスロー・ダウンしてゆく。ほとんど停止しかけるところまで失速したトラックは、再び元のBPMにまでじっくりと立ち直ってゆくのである。そんなドラマティックな楽曲の展開が、この時ほど寒々しく、そして空々しい感じに聴こえたことはなかった。11分以上もある長い曲が、なおざりに丸々最初から最後までプレイされた。その先には、もはや何も見えてこない。デッド・エンド。ひんやりとした沈黙だけが、ダンスフロアに流れていた。DJブースのレヴァンは、もはや立ち上がる気力も失せてしまったかのように、機材の片隅の小さなスペースにスッポリとおさまる形で背を丸めて小さくなり、深々と腰を下ろしている。見るからに疲れきった様子でグッタリと首をうなだれ、ピクリとも動かない。巨大な虚無感にとらわれ完全に打ち拉がれきっているような、その姿からは、NYのアンダーグラウンド・クラブ・シーンに君臨したカリスマDJというパブリック・イメージとは遠くかけ離れた、とても侘しげで寂しげなものが感じ取れた。その佇まいに色濃く滲んでいた孤立感や孤独感の深さや大きさを、いまだに忘れることができない。あの日、ぼくたちは、レヴァンの人生における史上最悪の誕生日パーティに立ち会ってしまったのだろうか。あの日の時点で、すでにレヴァンは、ひとつの時代の死をまざまざと実感していたような気がしてならない。そして、それと同様に、自らの命の火も、もう間もなく燃え尽きようとしているのだということも。それから約3ヶ月後にレヴァンは、栄光と苦痛とが入り交じった地上を離れ、真のパラダイスへと旅立ってしまった。だが、その永遠の旅立ちの直前に、フランソワ・ケヴォーキアン(Francois Kevorkian)とのハーモニー・ツアーで芝浦ゴールドを再訪したレヴァンが、あのDJブースにもう一度立ってくれたことは、大変に喜ばしい出来事であった。気合いの入りまくったケヴォーキアンのDJプレイの合間に、幾度かレヴァンがソロでミキシングを担当する時間帯が設定されていた。そこで聴けたレヴァンのプレイは、あのバースデイ・バッシュの際の沈鬱なトーンとは比べものにならぬほどに、活き活きとした生気にあふれるグルーヴが展開されるものであったのだ。ジャージ姿で機材と格闘するケヴォーキアンのDJに触発されて、かなり発奮した部分も多分にあったのだろうが、あれはレヴァンからダンスフロアに向けての、最後の力を振り絞った音楽のプレゼントであったような気がしてならない。あたかもそれは、一度消えかけた蝋燭の炎が、最後の最後にひときわ明るく煌めく瞬間のようですらあった。

 92年は、もはや遥か遠い遠い昔である。だが、最近なぜかこの年のことを、ことあるごとに考えずにはいられない。ただ昔のことを思い出して、しみじみと懐かしんでいるわけでは決してない。時代は巡り巡るものだという、もはや暗黙のうちに定説となっている音楽20年周期説を持ち出して、80年代後半から90年代前半にかけてのハウス・ミュージックがリヴァイヴァルすると、ここであえて声高に叫んで宣言したいわけでも全くない。ただ、なんとなく92年が、とても気になるのである。ただそれだけだ。たぶん、まだリヴァイヴァルや回帰現象と呼べるほどに大それた感じではないのかも知れない。だが、ぼくらがいま置かれている状況というのは、どうもあの92年にぼくらが経験した時代の雰囲気や時代の空気と非常によく似た景色をもつ未来へと向かっているような感じがしてならないのだ。そうした方向へ、様々な事柄が連鎖しながら、ゆっくりと動き出している。その未来では、間違いなく90年代初頭のハウス・ミュージックは高く再評価され、あの時代のことについても、もっともっと詳しく仔細な考察がなされてゆくことになるであろう。ぼくらが進んでゆく先には、かつて経験したような未来が、手ぐすね引いて待ち構えている。これから、ぼくはきっと、もっともっと頻繁に92年について深く考えるようになってゆくに違いない。そこから、荒波逆巻く時代を生き抜くヒントや、もっと先の未来を真っ直ぐに見据えるための重要な鍵を、見つけ出してゆくために。(08年)

〜追記〜
 伝説のDJであるラリー・レヴァンの命日の前日、11月7日に、またひとり偉大な人物が、この世を去った。『朝日ジャーナル』や『NEWS23』というメディアを通じて、ぼくらにとても沢山のことを伝えてくれたジャーナリズムの世界の巨人、筑紫哲也が、過酷な癌との闘いの果てに他界したのである。
 生まれた時にはすでに家庭にカラー・テレビがあった世代、ぼくらのようなX世代の子供は、ある意味においてテレビが親代わりであり、その画面から際限なく垂れ流される膨大な量の情報を母乳のように吸って成長したといわれる(※)。まあ、そうした世代の定義なんてものは、どこか曖昧で嘘くさいと思っていた部分は確かにあった。しかしながら、いま冷静になって考えてみると、それも、あながち間違った世代観ではなかったのではなかろうかとも思えてくる。筑紫哲也というジャーナリストは、いつしかぼくらの親代わりのような存在となり、人間として/日本人として、必ず知っていなくてはならない/必ず覚えておかなくてはならない、非常に多くの重要な情報を、ぼくらにわかりやすく伝えてくれていた。そう、ぼくが啜った情報という母乳の成分のほとんどは、なんとなく筑紫哲也の近辺から発信されたものばかりであったような気がしてならない。学校の図書館では『アサヒグラフ』や『朝日ジャーナル』を手に取り、夜の11時になれば『NEWS23』がスタートした。そして、最後のシメは、決まって「今日はこんなところです」だ。だが、あまりにも締まらないグダグダさ加減に「おいおい、それってどんなところだよ」と激しくツッコミたくなることも、実際には多々あった。それでも、あの柔和な表情や少しはにかんだ人懐っこい笑顔を見ると、なぜだか全てを許してしまえる気分になる。そうした部分こそが、筑紫哲也という人がもっていた不思議な魅力の、最も顕著な一端であったのではなかろうか。ぼくは、いつしかテレビ画面に映った筑紫哲也の姿に、理想の父親像のようなものを重ねあわせて観るようになっていたのかも知れない。偉大なる父親によって発信された情報や言葉に刺激され育まれてきたX世代は、いま、この突然の落日に、いきなり深く暗い谷底に突き落とされ、ただただ途方に暮れてしまっている。はたして、ぼくらは、筑紫哲也がイノチガケで伝えようとしていた情報を、全て余すところなく受け取ることができたのであろうか。自らの体たらくと親不孝ぶりに、とても胸が痛む。ただただ痛くて痛くてたまらない。
 筑紫哲也がいなくなったこの世界を、どのように生きてゆくべきか。これから歩み行く道の先にある世界を真剣に見定めてゆかなくてはならない。筑紫哲也が言葉や行動を通じて遺した大いなる教訓を、しっかりと胸の奥深くで噛み締めながら。
 心より哀悼の意を捧げたい。

Take me away
Release me from the cage
Free me from the pain
And let me feel no shame

Deee-Lite“Runaway”より

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