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zoom RSS Vanessa Rossetto: For Quiet Room

<<   作成日時 : 2008/09/22 21:03   >>

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Vanessa Rossetto: For Quiet Room
Compost And Height

画像 テキサス州オースティンを拠点に活動するマルチ・アーティスト、ヴァネッサ・ロゼット(Vanessa Rossetto)が、08年8月13日にCompost And Heightより発表した前衛音響作品。ロゼットは、ソロ・プロジェクトであるザ・マイティ・アクツ・オブ・ゴッド(The Mighty Acts Of God)名義でRuralfauneやMYMWLYなどの複数のレーベルから作品をリリースするとともに、自ら主宰するCDRレーベルのMusic Appreciationよりヴァネッサ・ロゼットとしてのソロ作品を次々と送り出す、テキサス周辺の地下実験音楽シーンで非常に活発に動き回っている女性アーティストである。また、その活動はソロとしての枠だけに収まりきるものでは到底なく、プルガ(Pulga)やワンダラース・ホース(Wondrous Horse)といった夥しいユニットやプロジェクトへの参加、さらには画家としての制作活動も並行して行っていたりと、表現者としてのアクティヴィティは実に多彩で多岐に渡っている。そんなロゼットが、ポロッとCompost And Heightのために提供した本作は、絵画でいえば0号のカンヴァスに描かれた、ささやかな小作品といったところであろうか。しかしながら、この絵画は、いくらジッと目を凝らしてみても、そこには何の線描も色彩も見受けられなかったりする。なぜならば、この小作品の制作には、絵画の制作のための道具となる絵の具も筆も一切使われていないから。つまり、本作は音楽作品であるにも関わらず、ここではいかなる楽器も演奏されてはいないのである。もしも楽器があったとしても楽音は決して奏でられることのない、静寂に支配された部屋。この“For Quiet Room”という作品のテーマは、そんな静寂に支配された部屋の音響による静寂に支配された部屋のための音響なのである。これは、いかにもロゼットらしいインテリジェンスにあふれるすさまじくエクスペリメンタルなテーマ設定ではなかろうか。
 この“For Quiet Room”で聴くことができるのは、静かな部屋に置かれたマイクが偶然に拾ったノイズ群を集積して制作された、約21分の極めて静的な実験音響である。08年1月1日から8月の頭までの約7ヶ月間に渡って、ロゼットは静寂に包まれた部屋のサウンドをコツコツと地道に録音し、“For Quiet Room”の断片となる音のパーツを集め続けた。そして、それらの幾つもの素材を重ねあわせて電子処理を施し、約7ヶ月間の静寂な部屋のサウンドのドキュメントを一編の音響作品へとまとめあげていったのだ。静かな部屋に置かれたマイクが偶然に拾った音とは、いわば全てノイズである。ノイズ、つまり雑音だ。一見したところ、ひっそりと静まり返っている部屋というものは、完全に静寂に支配されているかのように思える。だがしかし、その静寂には、常に様々な雑音がひっきりなしに飛び込んできているのである。それは、部屋を取り巻く環境から自然発生的に発せられている環境音であり、隣人の生活音であり、鳥のさえずりであり、誰かがどこかで弾いている微かなピアノの音色であり、どこかの通りを歩く子供たちのにぎやかな話し声であり、道路を行き過ぎる自動車のエンジン音であり、遠くを走る救急車のサイレンであり、上空を飛んでゆく飛行機が容赦なくまき散らす騒音であったりと、実に様々だ。静かな部屋に満ちている静寂が、より周辺の環境の騒音を際立たせているという面もあるだろう。静寂に包まれた部屋には、常に様々な環境音のノイズがワサワサとあふれかえっている。静寂とは、何と騒々しいものなのか。静寂とは、常に見せかけの静寂にしかすぎない。マイクは、それらのありとあらゆるノイズを微細なものから巨大なものまでつぶさに拾い上げて克明に記録し続けた。ロゼットは、そんな静寂なる部屋のノイズを集積して、約7ヶ月間の様々な瞬間の様々な環境音を地層のように織り重ねてゆき、静かな音響作品として提示してみせる。その音響そのものは、おそらく聴きようによっては、ただの騒音の連続であり、蓄積した物音を約21分に集約したものでしかないだろう。そこで大半を占めているのは、ゴーッと耳鳴りのように微かな音量で延々と轟き続けるホワイト・ノイズである。そして、そこに部屋の外の世界から環境音という様々な雑音が次々と押し寄せ止めどなくなだれ込んでくる。もしかすると、ノイズや雑音を基本的に受け付けない耳/寄せつけない耳で聴いた場合、この約21分の音響作品の大半は、ほぼ無音状態としか思えないのではなかろうか。時折、部屋の外からの耳障りな物音が何かザワザワと聴こえてくる瞬間が訪れなければ、途中で“For Quiet Room”という作品を聴いていたことさえ忘れてしまうかも知れない。いや、もしかすると、そんな聴いていたことすら忘れてしまえるような聴取状態こそが、この“For Quiet Room”という作品が静寂に支配された部屋のために実際に“For Quiet Room”としての機能を存分に果たしている瞬間だといえるのかも知れない。実験音響作品である“For Quiet Room”が、それが再生される部屋の騒々しい見せかけの静寂の中に埋没し、そこに存在する環境音などの様々なノイズ群と文字通り音響的に混ざりあってしまう状態。そして、実際の部屋の外の環境音と、ロゼットがマイクで“For Quiet Room”のための音の断片を録音した部屋の外の環境音が、交錯して入り乱れ、どれがどちらの部屋のノイズや雑音であるのか明確に判別がつかなくなってしまう瞬間。“For Quiet Room”を再生することは、現実世界の部屋の時空間中に電子処理された音響によって形成された虚構の部屋の存在が音もなく流れ込むのを促すようなものであり、そこではふたつの部屋の境界線は完全に見失われ、現実と虚構の狭間で意識が揺らぎグラグラと大きく揺さぶられてゆくことになる。これは、かなり特異なリスニング体験である。作者のロゼット本人も“For Quiet Room”という約7ヶ月の準備期間を要したコンセプチュアルな音響作品が、そのようなリスナーそれぞれの実際の生活環境の真っただ中で様々なノイズや環境音などの騒音とまみれる形で再生され聴かれることを強く望んでいる。“For Quiet Room”を通じて、それぞれのリスナーがそれぞれに異なるエクスペリメンタルな音響体験をすることこそが、この作品が制作され発表された大きな意図であり目的でもあるということなのであろう。
 そんなロゼットが本作に込めたコンセプチュアルな思惑や仕掛けに対しては原則的に反する行いであるのかも知れないが、じっくりとノイズや雑音を楽しむのであれば、やはりヘッドフォンを使用してのリスニングを試みるべきだと考える。そこでは、静寂に支配された部屋でマイクが拾った様々な環境音などのノイズが、次々と津波のように押し寄せてくる凄まじい約21分間の音響を追体験することが可能である。まず明らかになるのは、部屋には最初から静寂など存在していないということである。いや、静寂に支配された部屋なんていうものは実際には存在しないといったほうが正しいであろうか。どんな静寂にも常にノイズは存在している。そこが無響室(Anechoic chamber)か何かでない限り。ヘッドフォンを通じて聴取することで、そんな騒々しい静寂に包まれた部屋の中と外のありとあらゆるノイズを克明に聴き取ることができる。特に、中盤以降の様々な雑音や騒音が折り重なってノイズの塊となって迫りくるパートでは、静寂とは程遠い轟音が延々と轟き続ける。そこには、もはや見せかけの静寂すら入り込む隙は一切ない。人間の生活する環境とは、これほどまでに騒々しいものなのかと、ヘッドフォンを通じて耳に直に叩きつけられる轟音のノイズ群を聴きながら、あらためて思い知らされる。人間の生活環境には様々なノイズがあふれかえっている。人間とは、基本的に騒々しい雑音を四六時中発生させながら、それらにまみれて生活する生物なのである。自分の発生させた雑音と他人が発生させた雑音の、実に騒々しいノイズの大洪水の中で。しかし、実際の生活/活動の中では、そうしたノイズ音響の大部分を人間の耳はいちいち聴いたりすることはない。いや、たぶん聴いてはいるのだろう。だが、人間が生活するためにあまり必要ではない騒音や雑音の音情報は、耳で聴かれたとしても明確に脳で感知されることなくバッサリと切り捨てられてしまっているのだ。人間の耳と脳には、生活環境の中のノイズの大部分を遮断できる凄まじい機能が備わっている。騒音や雑音のほとんどは、音の情報としては、全く必要がなく意味もないものであるのかも知れない。耳は、本能的に必要な情報のみを選択して聴き取ろうとする。雑踏の中で遠くから誰かが自分を呼ぶ声。曲がり角の向こう側からこちらへと走ってくる自動車の音。そこかしこにあふれかえる膨大なる騒音や雑音の中から、生活/生存に必要となる音情報のみを最優先して耳は聴き取っているのだ。実に大した機能である。見方を変えれば、実に傲慢な機能だともいえるだろう。そう、その傲慢さが災いし、本能的に耳と脳に備わった極めて研ぎ澄まされた機能が働いてしまうことで、もしかすると人間は日々の生活の中で何か大切な情報を知らず知らずのうちに聴き逃してしまっているのかも知れない。そんな可能性は絶対にないなんて誰か断言することができよう。本能にも盲点はある。いや、先天的に備わった本能だからこそ盲点もあると疑って考えたほうがいい。曖昧さを排し傲慢に情報を遮断してしまう本能とは、実はかなり危険なものだ。はたして、現在の人間の耳は生活環境の中にあふれかえる現代の雑多な音情報にキチンと順応/対応できているのだろうか。ロゼットの“For Quiet Room”は、そんな生活環境の中にあふれかえる雑多な音情報の存在を、人間の耳に再認識/再認知させる。ヘッドフォンを通じて耳に流れ込んでくる轟音のノイズは、人間が生活する環境で現実に日々繰り返されている音情報の大洪水を再構築した音響にほかならない。通常では遮断されてしまっている騒音や雑音が、ここでは容赦なく耳に襲いかかってくる。聴き取られず感知されない微細な音の響きまでが、全て耳に飛び込んでくるのだ。静寂なる部屋ではホワイト・ノイズが低く唸り続け、人類が生活を営む世界は津波のようにうねり押し寄せる轟音のノイズで満たされている。人間の生とは、畢竟ノイズそのものである。約21分の“For Quiet Room”を目一杯に耳で浴びながら、この素晴らしき騒音と雑音の世界にあらためて思いを馳せてみるのもまた一興なのではなかろうか。(08年)

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