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<<   作成日時 : 2008/09/15 21:10   >>

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溝!だより

 こんにちは。やはり思った通りの残暑ですね。そういえば、あの酷い暑さの後には、延々と雨降りな日々が続いておりましたっけ。カビてましたねえ。日本の夏は、どんどん過激なものになってゆくような感じがしています。全然まともじゃないです、こんなの。異常ですよ、こんなの。あんな凄まじい豪雨が毎日のように降るなんて。どう考えても普通ではないです。どうしちゃったんでしょう。この先ずっと、こんな狂った夏が続くのでしょうか。来年も、再来年も。ああ、軽く想像するだけで目眩がしてきます。まともな夏を返してください。お願いします。返してください。
 錦織圭は、まだまだ成長の途上にある。シニアの高いレヴェルの試合においては、ことごとく終盤で両脚に痙攣を起こしているのが現状だ。これは錦織の脚力が、いまだ世界のトップ・レヴェルで戦うだけの十分な準備が整っていないことの証明でもあるだろう。そう、錦織はこれから肉体的にも精神的にも技術的にも、さらに成長し、ぐんぐんと伸びてゆくで選手なのだ。どこまで登り詰めてゆけるか、非常に楽しみである。試合開始の第1セット第1ゲームからマッチ・ポイントまで、コート内を所狭しと縦横無尽に駆け巡る無尽蔵のスタミナが身についたら、相当に面白いことになるだろう。かつてのマイケル・チャン(Michael Chang)のように。走り回って追いかけて攻撃的に食らいついてゆくテニス。やや線が細く小柄な錦織が、世界のトップ・レヴェルで対等に渡り合ってゆくには、やはり卓越した技術力のほかに猛烈なスピードと驚異的な粘りは絶対に必要となってくる。そこが今後の最大の課題だろう。後は、サーヴのパワーと安定感の向上にも期待したい。しかしながら、錦織のテニスを見ていると、どこかチャンを思い出さずにはいられないものがある。どちらも全力を振り絞ったプレイそのものが鮮烈な印象を残す。あの89年の全仏で初優勝を果たした時、チャンはまだ17才であった。今の錦織よりも、1才以上も若かったことになる。これは驚きである。何と早熟な。そして、さらに驚くべきことには、チャンが17才で全仏を制覇した時、まだ錦織はこの世に誕生していなかったのだ。89年とは、もはやそんなにも遥か昔のことであったのか。ああ、80年代は遠くなりにけり。
 シンシナティ・ベンガルズ(Cincinnati Bengals)のお騒がせWR、チャド・ジョンソン(Chad Johnson)が、またやらかしてくれた。今度は、突然の改名騒動である。何を思ったか、ジョンソンは、いきなり自らの名前をチャド・オチョ・シンコ(Chad Ocho Cinco)に変えると高らかに宣言したのだ。フルネームでは、チャド・ジャヴォン・オチョ・シンコ(Chad Javon Ocho Cinco)となるという。まずは、08年8月29日に地元のフロリダ州に登録されているジョンソン姓をオチョ・シンコへと変更する手続きが行われた。これにより、オチョ・シンコは、公式に/法的にジョンソンの新たな姓と認められた。こうした周到な下準備を受ける形で、ナショナル・フットボール・リーグ(National Football League)はチャド・ジョンソンの登録選手名をチャド・オチョ・シンコとすることを正式に了承したのである。そして、全ての改名手続きが滞りなく完了するまで事態を静観していた所属ティームのベンガルズとしても、ようやくこの前代未聞の改姓への前向きな対応を開始せざるをえない状況となった。オチョ・シンコという奇妙な姓は、間近に迫ったボルティモアでのシーズン開幕戦からバッチリとベンガルズのジャージの背番号の上に正々堂々と掲げられることが決定したのである。昨季までのジョンソンの背番号は85。よって、今季のオチョ・シンコの背番号も85。スペイン語でオチョ(Ocho)は八、シンコ(Cinco)は五を意味する。つまり、オチョ・シンコのユニフォームの背面には、背番号である85の上部にスペイン語で“八五”というフリガナ状のものが付くこととなるのだ。これは、ちょっと異様でヘンテコリンな光景ではないだろうか。しかも、オチョ・シンコは、どう見ても人種的にヒスパニック系の選手であるようには思えない。いや、もう見るからに典型的なアフリカン・アメリカンである。ああ見えても、多少はヒスパニック系の血が混じっているのであろうか。フロリダ州マイアミの出身だけに、その可能性が全くないとも限らない。しかし、そのあたりの詳細はちょっと不明である。ちなみに、スペイン語で85はオチェンタ・イ・シンコ(Ochenta y Cinco)という。自らの背負っている背番号を強調してアピールしたいということであるならば、なぜ姓をオチェンタ・イ・シンコとしなかったのか。この部分には、かなり引っ掛かるものがある。このように、今回の電撃的な改名騒動に関しては、その裏にあるものが全く見えてこず、一切が謎に包まれたままで基本的に意味不明なのが非常に困ったところではある。契約や待遇面で所属ティーム側に不満があり、そこに生じた耐えがたい軋轢や摩擦が直接的/間接的な要因となっての突飛な(改名)行動/行為であるのか。はたまた、単なる思いつきや軽いノリによるところのギャグの一種であるのだろうか。本当のところは、全くわからない。一体何がしたいのであろう、オチョ・シンコは。かつてチャド・ジョンソンとして知られていた男、チャド・オチョ・シンコ。荒技とも呼べそうな形で新たな人格/キャラクターを手に入れたことにより、今後さらにフィールドの内外でのお騒がせネタをふりまくペースにも拍車がかかってゆくことになるのであろうか。とりあえず、オチョ・シンコの名前の入った新デザインのレプリカ・ジャージの売り上げは、爆発的なものとなることが予想されている。改名は、どうやら儲かるようなのだ。この騒動、これからも各方面に様々な影響を及ぼしてゆくはずである。注目してゆきたい。
画像 オチョ・シンコ騒動の続き。08年9月7日、ボルティモア・レイヴンズ(Baltimore Ravens)の本拠地、M&T Bank Stadiumで行われたシーズン開幕戦に、新たなオチョ・シンコという名が記されたシンシナティ・ベンガルズの85番のジャージが正式に登場することはなかった。オチョ・シンコのデビュー戦ということで非常に注目度は高まっていたのだが、直前になってリーグ側から「待った」がかかったようである。一旦は改名が了承され登録選手名の変更も滞りなく済まされたように思えたのだが、どうもギリギリのところで事態は暗礁に乗り上げてしまったらしい。問題となったのは、やはりレプリカ・ジャージだった。儲け話には棘があるということか。レプリカ・ジャージの製造を行っているリーボック(Reebok)社との契約(誓約)により、チャド・ジョンソンのジャージのデザインを勝手に変更することはできないようなのだ。登録選手名を変更するだけでなく、こうしたビジネス面での契約などの細々とした諸問題をクリアしてゆかないと、新しいオチョ・シンコのジャージをフィールドで着用することは、いつまでも許可されないということ。そうした内容のリーグ側からティームへの通達が、どうも試合当日にあったようだ。これに伴いオチョ・シンコが旧姓ジョンソンのジャージを着用することをベンガルズが正式に発表したのは、試合開始の僅か15分前であった。よって、オチョ・シンコは試合前のウォーム・アップには新しいジャージでフィールドに顔を見せたものの、試合開始の段階では古いジョンソン姓のジャージに急いで着替えさせられたようなのだ。こうしたあたりからも、この「待った」が本当にギリギリの裁定であったことがうかがい知れる。まあ、話が拗れるとしたら金銭絡みだとは思っていたが、やはりその通りであった。新たなジャージの着用が許可されなかったことで多少気落ちして(若しくは多少へそを曲げて)しまったのか、開幕戦でのオチョ・シンコは、ほとんど普段通りの輝きを放つことはなかった。レイヴンズの強力ディフェンスの前に、たった一度のパス・キャッチで獲得ヤードは22ヤードのみ。完全にそのWRとしての能力を封じ込められてしまったのである。しかも同地区のライヴァルであるレイヴンズに痛い敗戦を喫してしまったことで、いつもは必要以上に饒舌であるオチョ・シンコも、試合後はかなり言葉少なな状態であったという。数々の歴史に残るドミナント・ディフェンスを生み出した名コーチ、バディ・ライアン(Buddy Ryan)の実子であるレックス・ライアン(Rex Ryan)がディフェンシヴ・コーディネーターを務める、敵方のブリッツを多用した非常にアグレッシヴな守備のシステムに対しては最上級の賛辞を贈ったものの、オチョ・シンコがジャージの名前の問題に関する記者からの質問に何らかのコメントをすることは全くなかった。現時点では、すでに我々の興味と関心は、第2週に本拠地シンシナティのPaul Brown Stadiumで行われるベンガルズのホーム開幕戦、テネシー・タイタンズ(Tennessee Titans)との一戦へと向けられている。はたして、今度こそ本当にオチョ・シンコの(新ジャージの)デビュー戦となるのであろうかと。この改名騒動、実に妙な形で煮え切らぬまま長引いてしまっているのが何ともおかしい。このまま変に間延びした状態がダラダラと続かぬことを切に祈るばかりだ。
 改名騒動、追記。これまでチャド・ジョンソンは、てっきりチャド・オチョ・シンコに名前を変更したのだと思っていた。だがしかし、実際はオチョ・シンコではなくオチョシンコ(Ochocinco)であったようだ。スペイン語の八と五を意味するオチョとシンコを一語にドッキングさせたオチョシンコ。改姓後のフルネームは、チャド・ジャヴォン・オチョシンコ(Chad Javon Ochocinco)となる。フロリダ州に新たな姓を登録する際に、オチョとシンコの間を空けることが許されず、何らかの規定によって一語にまとめざるをえなかったのであろうか。オチョとシンコの間をハイフンで結ぶダブルバレルという方法で八と五を個別に独立させることもできたと思うが、ひと思いにくっつけてしまってオチョシンコ。また、リーボック社はシーズンの開幕にあわせて人気選手であるジョンソンのレプリカ・ジャージを大量に増産していたことも判明した。その増産体制の真っただ中に突然の改名のニュースが飛び込んできたわけだ。まさに寝耳に水。通常、主に選手の背番号の変更などの情報は、リーグからリーボック社に対しシーズン開幕の数ヶ月前に伝えられることになっているらしい。新デザインの商品の製造や旧デザインの商品の在庫の処分など、あれこれと準備に手間と時間がかかるからなのであろう。背番号がちょっとばかり変わるだけで、リーボック社としては大問題なのである。そして、業務に多大な支障をきたすほど非常に急な変更の場合には、リーボック社はリーグと交わした契約によって、いかなる損害もこうむることなくこれを免れることができる。シーズン開幕直前の突然の改名劇であったオチョシンコのケースは、間違いなくこれに当てはまる。よって、オチョシンコはリーボック社が大増産してしまった旧デザインのジョンソン姓のレプリカ・ジャージを何とかすることをリーグから強く求められている。その具体的な方法とは、リーボック社が倉庫に抱える不良在庫と店頭からの回収分の旧デザインのレプリカ・ジャージの買い取りである。その数、ざっと約10万着。オチョシンコが、買い取り額としてリーボック社に支払うことになる金額は、1着につき小売価格の約6割程度で換算したとしても約400万ドル(約4億2千万円)は下らないであろうと予測されている。このオチョシンコによる買い取りの代金によって、リーボック社が突然の改名騒動でこうむる損失は補填され、これが新デザインのレプリカ・ジャージ製造のコストにあてられることになるという。それなりによくできたシステムである。もしも、オチョシンコがリーボック社の損失補填に相当する金額を支払わなかった場合、リーグとしては新たなオチョシンコ姓のジャージを着用して試合に出場することを絶対に許可することはないという。リーボック社側が完全に納得するような結果が導き出されなければ、少なくとも今シーズンいっぱいの間、オチョシンコは旧姓のジョンソン姓のジャージのままでプレイしなければならないことになる。このままでは、オチョシンコの新ジャージでのデビュー戦が、来年のシーズン開幕までお預けになる可能性は非常に高い。ただ新しいジャージを着るためだけに約400万ドルもの大金をオチョシンコはポンと支払うのだろうか。さて、どうするオチョシンコ。
 改名騒動、追記の続き。新しいジャージを着るためには多額の現金を支払わなければならないという生々しい現実を目の前に突きつけられて、心なしかオチョシンコは今回の改名問題に関して多少トーン・ダウンしてきてしまっている様子である。記者とのやり取りの中では、改名から発生した諸問題への手続きについては全て代理人に任せっきりであるというようなことを述べている。また、その上で、どんな名前が書かれたジャージを着ているかなんてことは大した問題ではなく、最も大事なのはフィールドに立ちプレイで結果を出すことだとも語っている。現時点は、この改名&ジャージ騒動が何らかの具体的な解決に至ったという知らせは届いていない。しかし、当のオチョシンコは、事前に思い描いていた通りの華々しい改名劇へと事が運ばなかったからなのか、何だかもうどうでもよくなってしまっているような感じを濃厚に漂わせ始めてもいる。正式に地元のフロリダ州で改名手続きまで行い意気揚々とリーグにオチョシンコ姓を認めさせた頃のテンションは、もはや跡形もなく消え去ってしまった。この騒動、もしかするとこのままひっそりと収束していってしまうのかも知れない。さて、どうなるオチョシンコ。
 チャド・オチョシンコ、速報。シーズン第2週、本拠地シンシナティでのホーム開幕戦に出場したオチョシンコであったが、やはりジャージの背中に記されていた名前は旧姓のジョンソンのままだった。成績は、4回のキャッチで獲得ヤードは37ヤード。ハリケーンの影響もあったのか異常な強風の中で敢行された試合は、フィールドの条件としてはWRには凄まじく過酷なものであったようだ。しかしながら、この数字は、ティームのエース・レシーヴァーのひとりであるオチョシンコにしては低調すぎるほどに低調な成績だといえる。また、度々の反則で攻撃のリズムを乱し足を引っ張ってしまったオチョシンコのプレイぶりは、攻撃陣の中心人物としてはお粗末すぎるほどにお粗末なものでもあった。このようにオチョシンコが不発では、ティームもいまいち波に乗り切れないのだろう。ベンガルズは開幕から2連敗。圧倒的に対戦相手の勢いに押し切られる試合展開で、いまだに白星なしという状態である。さて、オチョシンコの本当の開幕は、いつになったら訪れるのであろうか。
 音楽の話。カラスコ続報。90年代前半にトニー・カラスコ(Tony Carrasco)がプロデュースしたハウス作品を、いくつか掘り出してかき集めてきてザッと聴き返してみました。とりあえず、結論としては、92年にフロリダのVibeよりリリースされた“The Peak Hour EP”が最もいい感じでした。基本的に、どうやらフロリダ/マイアミといった南方のレーベルからリリースされた作品に、よさげなものが多いようです。太いベースラインがぶんぶんと唸る、やや湿り気のあるタイトなトラック。そんなMurkに代表されるマイアミ系のハウスの特徴的なサウンド・スタイルと、当時のカラスコが手がけていたハウス系のプロダクションには、非常に似通った風合いがあるように思われます。両者の間には自然な相性の良さのようなものが、強く存在していたのではないでしょうか。そんなどこかで相通ずるものがあったからこそ、イタロ・ディスコ時代から活躍するヴェテラン・プロデューサーであるカラスコのハウス作品が、フロリダのアンダーグラウンド・レーベルからいくつもポロポロとリリースされる状況が発生したのかも知れません。80年代にカラスコが手がけた数々の輝かしいエレクトロ・ディスコの名作が、90年代初頭にMurkなどのマイアミ系ディープ・ハウスのサウンド・スタイルの形成に大きな影響を与え、それらの作品が続々とリリースされていたフロリダのアンダーグラウンド・レーベルから、今度は逆にカラスコがその独特なサウンド・スタイルと共振するディープ・ハウス作品をプロデュースして発表することとなった。そんなドラマティックな繋がりが、両者の間に存在したと考えるのは、少し深読みのしすぎでしょうか。また、“The Peak Hour EP”で聴けるサウンド・プロダクションには、どこか90年代初頭のイタロ・ハウスの全般に染み付いていた享楽性や凄まじくあっけらかんとした爽快感や開放感のようなものが色濃く漂っていて、ちょっと興味深いものがあります。重くタイトでどっしりとしたベースとドラム、その上空を優雅に響き渡るメロディアスな上モノと、サウンド構造の上と下の分離が極めてよく、スカッと抜けたような清々しさが心地よい後味を残してゆく。ほんのりイタロな香りのするディープ・ハウスのサウンドが、全く違和感なくフロリダのVibeからの作品としてスッポリとその座におさまっている。そう考えると、イタリア半島とフロリダ半島に妙な共通点を感じずにはいられなくもなってきます。90年代初頭のイタロ・ハウスとマイアミ・ディープ・ハウスは、実は非常に近しい間柄のものであったのではなかろうかと。70年代後半からディスコ・ミュージックとディスコ文化のメッカであったイタリアとフロリダが、90年代初頭に同じ種から枝分かれしていったかのようなハウス・ミュージックを育む似通った土壌を培っていたことは、大いに有り得る話であります。カラスコの存在が、そんな両者を繋ぐ橋渡しをしたのかも知れません。地中海に突き出た半島とメキシコ湾と大西洋の狭間に突き出た半島の橋渡しを。そして、別の角度から眺めれば、それは80年代と90年代のエレクトリック・ダンス・ミュージックの間の橋渡しでもあったのです。80年代からディスコ・サウンドのプロデューサーとして活躍しているカラスコだけに、92年にリリースされた“The Peak Hour EP”の時点で、かなり音作りの面で相当な渋みが感じられるのは、この作品の大きな特徴であるともいえるでしょう。ヴェテランならではの余裕のあるプロダクションが、まだまだ初々しい雰囲気のフロリダのディープ・ハウス系アンダーグラウンド・レーベルで思いきり炸裂しているというのは、なかなかに興味深いです。特に、サンプリングした声ネタのフレーズの浮き出てくるような音処理などには、非常にこなれた高い技量のほどがうかがえます。NYの名門レーベル、Strictly Rhythmから発表されたUzuri名義での“Shake”(94年)では、マイアミ系のウェットな質感のサウンドとは完全に異なる、NYスタイルの重くスウィングするハウス・トラックを地味にさりげなく展開していたというのも、そうしたカラスコのヴェテラン・プロデューサーらしい小手先の器用さの表れであったのかも知れません。作品を発表するレーベルのカラーに合わせたプロダクションを心がけることが、長いスタジオ経験から知らず知らずのうちに身についてしまっていたのでしょう。そして、カラスコの手がけた作品に関して、全体的にいえるのが、どれもこれもミキシング作業の仕上がり具合に実に卓越したものがあるということです。80年代のイタロ・ディスコ作品でも90年代前半のディープなハウス作品でも、クッキリと音の分離がよく歯切れのよいサウンドを耳にすることができます。一曲のなかで何度も何度も流石と思わされる瞬間が訪れるのです。まあ、とにかく“The Peak Hour EP”は、カラスコのハウス作品の中でも相当にずば抜けたものなのではないかと個人的にはひそかに確信しております。このイタロ・ミーツ・マイアミな独特で特徴的なふたつの特性がやや未消化のまま混じりあってる感覚のディープ・ハウス・サウンドには、ちょっと他にはない唯一無二なものが感じられてしかたがないのです。つまり、レアで稀有な素晴らしいグルーヴなのです。90年代初頭のディープ・ハウス勃興期にイタリアからフロリダ経由で発表されたレア・グルーヴ作品といったところでしょうか。リリースから16年後の現在の耳で聴いても十分に聴けるクオリティの高いサウンドです。“The Peak Hour EP”、これは侮れません。以上、トニー・カラスコが手がけた90年代前半のハウス作品に対する思いきりひっそりした再注目ブームの顛末記でした。
 音楽の話。保留したまま放置状態にあった新譜のレコードは、約半分ぐらいチェックが完了しました。置きっ放しにしていたものを、やっとこさ半分程度片付けましたよ。やっとこさとか言うと、ものすごい大量にチェックをしたように思われてしまうかも知れませんが、ざっと数えて20枚ほどです。その中でいくつか印象に残った良盤をご紹介したします。Astrolab RecordingsからのKaosが手がけた素敵な10インチ盤“Just Like Thissssss”、Upon.Youよりリリースされたミックスにキレ者のジェイ・ヘイズ(Jay Haze)が参加しているマルコ・レスマン(Marco Resmann)の“Sao Paulo Lights”、Resopal SchallwareからのOnkel Brutaloの“Selva EP”、Sonar Kollektivからの「Based On Misunderstandings 1」に収録されていたエヴァ・ビー(Eva Be)“She Walks Alone”のリミックス・ヴァージョン、Baalsaalの004番として発表されたコレクティヴ・タームシュトラッセ(Kollektiv Turmstrasse)“Mondscheinprimaten”のチョップスティック&ジョンジョン(Chopstick & Johnjon)によるリミックス、そしてフォアモスト・ポエツ(Foremost Poets)ことジョニー・デンジャラス(Johnny Dangerous)によるインテンス(Intense)“Let The Rain Come Down”のブートレッグ紛いの新ヴァージョンあたりが、なかなかよかったです。後は、あのElevateからの久々の新作として登場したBaazの“Few Days EP”なども、ちょっと気になる一枚でした。あまりにも放置しすぎていたため、かなりの時差がある感じかも知れません。とりあえず、このあたりが個人的には現時点でのバリバリの新譜です。これらより最近のものは、まだまだ手つかずのまま置き去りで放置の状態にあります。新譜レコードのチェックに関しては、ほぼ数か月遅れのペースで異常にゆっくりと進行しているという感じでしょうか。おそらく、あともう一息ぐらいで時差をかなり取り戻すことが可能なのではないかと思われます。早いとこ、今の音楽の流れに追いつきたいところでございます。
 というわけで、今回の溝!だよりは以上です。それでは、また。ダスヴィダーニヤ。

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