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<<   作成日時 : 2008/06/10 21:32   >>

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溝!だより

 こんにちは。6月に入り、衣替えの季節がやってまいりました。でも、いよいよ半袖ライフの幕開けかと思ったら、いきなり梅雨入りです。夏が過ぎ秋が深まってくるまでしまい込もうと考えていた長袖のシャツを、雨降りで肌寒いから、また引っ張りだしてきて着てしまったりなんかして。ちょっと調子が狂いますね。しかし、梅雨はイヤですねえ。カビ、最悪です。
 6月2日、偉大なるブルース・マンにしてロックンロールのオリジネーターのひとりであったボ・ディドリー(Bo Diddley)が、心不全のためフロリダの自宅で亡くなりました(享年79)。心よりご冥福をお祈りしたいです。ディドリーというと真っ先に思い出されるのが、あの四角い弁当箱のようなギターです。しかも、形状がヘンテコなだけでなく、そこから飛び出してくるサウンドもまた、武骨にエフェクトを効かせた思いきり独特な音色で、強烈に個性的なものでした。個性的といえば、トレードマークの黒い帽子をかぶり、トレードマークのズシリと重いズンドコ・ビートにあわせて、どこかユーモラスに巨体を揺らしながらギターを掻き鳴らすステージ・アクションにも、実に印象深いものがありました。そういえば、かつてザ・ジーザス・アンド・メアリー・チェイン(The Jesus And Mary Chain)も、ディドリーの独特のロック・サウンドへの深く熱い愛情を脱力系の彼らにしては珍しく少しも隠すことなく表明していましたね。かなりまともに“Who Do You Love”のカヴァー・ヴァージョンをやっていて、なるほど〜やっぱりこのへんのシンプルでプリミティヴなロックンロールが彼らの音楽性のルーツのひとつなのかぁと妙に納得させられたものでした。歪みきったギターのフィードバック・ノイズが轟音で鳴り響く中、開演から15分程度で鬱積していたフラストレーションを吐き出すように暴徒と化したオーディエンスたちが破壊活動の限りを尽くす暴動ライヴの武勇伝を引っさげて、ロンドンを襲ったセックス・ピストルズ(Sex Pistols)以来の衝撃と大々的に宣伝され、すさまじくセンセーショナルに80年代半ばの英国音楽シーンに登場したジーザス・アンド・メアリー・チェイン。しかし、その暴力的で過激なイメージと、実際の音楽性の本質的部分(60年代ポップスや初期のロックンロール、サイケデリック・ロックなどから多大なる影響を受けた、隠れた真っ当なメロディ志向)には、結構なギャップがあったことも確かでした。そのため、悪辣にして凶暴なロックを期待してレコードを聴いたのに、実際にはそれほど大したことはなかったなどという的外れな意見が、当時はあちらこちらから聞かれたものです。ふたを開けてみれば、それはロンドン・パンクなどとは縁遠い、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(The Velvet Underground)直系のノイジーでダウナーなサイケデリック・ロックの80年代ヴァージョンであったわけですから。そして、“Who Do You Love”などの熱烈なる愛情表現を通じて、そこにディドリーの電化されていながらも土臭くうごめくようなブルースやゴツゴツしたロックンロール黎明期のサウンドからの多大なる影響を見いだせたことは、個人的に新鮮な驚きであり、嬉しい発見でもありました。ジーザス・アンド・メアリー・チェインの低い重心でドライヴ感満点に突き進むロック・サウンドの秘密の一端を、その両者の繋がりの中に見いだすことができたような気がして。で、低い重心でドライヴするといえば、もうひとりの重要なボのことを思い出さずにはいられません。そのもうひとりのボとは、ヴィンセント・エドワード・ジャクソン、またの名をボ・ジャクソン(Vincent Edward "Bo" Jackson)のことであります。ジャクソンは、80年代後半から90年代初頭にかけてアメリカン・フットボールのNational Football League(NFL)と野球のMajor League Baseball(MLB)という全く異なる2つのプロフェッショナル・スポーツの世界で同時に大活躍をしたスーパー・アスリートです。高校時代から春から夏にかけては野球、そして秋から冬にかけてはフットボールと、両方の競技で桁外れの才能を発揮し、高校の卒業時にはニューヨーク・ヤンキース(New York Yankees)からドラフト指名されるほどの全米注目の逸材でした。しかし、ジャクソンは、このヤンキースからの申し出を受けずに、オーバーン大学(Auburn University)への進学の道を選択しています。これは、大学のスポーツ界で華々しい活躍をしてからプロの世界へ進んだほうが、より好条件(特に金銭面において)で契約が結べるからだと考えられます。そして、そうした思惑の通りに、この大学時代にも、ジャクソンは野球とフットボールの二足のわらじを履きこなし、八面六臂の大活躍をすることになるのです。また、この当時には、その怪物級の俊足に目をつけた、陸上競技のオリンピック代表ティームが、ジャクソンに誘いの声をかけたいう伝説的な逸話も残されています(名門ヤンキースのオファーを蹴ったくらいのジャクソンですから、アマチュア・スポーツの祭典であるオリンピックには最初から全く関心を示さなかったと伝えられています)。85年のシニア・イヤーには、タイガース(Auburn Tigers)のランニング・バックとしての目覚ましい活躍が評価され、全米大学体育協会(NCAA)が選出する年間最優秀選手に輝き、ジャクソンは大学フットボール界の最高の栄誉であるハイズマン・トロフィを頭上に掲げることにもなりました。そんな輝かしい成績を残して大学を卒業した後は、まずはMLBのカンザス・シティ・ロイヤルズ(Kansas City Royals)の外野手として活躍し、野球のシーズンが終了してからフットボールに専念するという変則的な条件を受け入れたNFLのロサンゼルス・レイダース(Los Angeles Raiders)のランニング・バックとしての活躍の場も獲得するのです。そして、瞬く間にスターダムへと駆け上がったジャクソンは、野球とフットボールという2つのプロ・スポーツの世界の両方で、選ばれたほんの一握りの者にしか参加が許されないオール・スター・ゲームに出場する名誉を手にした、史上初のプレイヤーとなったのです。どんなにイチローが素晴らしいスポーツ選手だといっても、この芸当は、そう簡単には真似できないでしょう。そんな押しも押されぬ人気者となったジャクソンが、そのキャリアの全盛期に差しかかりつつあった89年、スポーツ用品メーカーのナイキ(NIKE)が、彼をテレビCMのメイン・キャラクターに起用しました。それが、どんなスポーツでも難なくこなせる万能選手のジャクソンであれば、全てはお手の物だという“Bo Knows”(ボは何でも知っている)シリーズの一連のテレビCMでした。そして、このシリーズにおいて、何とふたりのボは、夢の共演を果たすことになるのです。その内容は、野球、フットボール、バスケットボール、テニス、アイス・ホッケー、重量挙げと、あらゆるスポーツを華麗こなす万能アスリートのジャクソンが、四角い弁当箱型ギターを抱えてガチャガチャと悪戦苦闘していると、そのCMのBGMで実際にエレクトリック・ギターをガンガンに弾きまくっていたディドリーが突如演奏を中断して、「ボよ、ギターの世界にはワシ(ディドリー)がおることを知らんのか!(Bo, You don't know Diddley!)」と軽くたしなめるという、非常に洒落たものでした。ディドリーとジャクソンの偉大なるふたりのボが、こんな形で邂逅を果たすなんて、何というお洒落なセンスなんでしょう。また、このナイキのCMでは、カメラの前でごく自然に一人何役もこなしてみせる、ジャクソンのスポーツ選手とは思えない卓越した演技力と芸達者ぶりにも大いに注目が集まりました。本当にジャクソンは、ありとあらゆる才能の塊のような人物だったのです。勿論、ディドリーの領域であるブルース・ギターだけは除いて(しかし、半年後にはジャクソンがディドリーの座を脅かすほどのギターの名手に急成長している、というさらに洒落たヴァージョンのナイキのCMも制作されました)。そんな“Bo Knows”のテレビCMが全米のお茶の間に流れていた、まさにそれとほとんど同時期である、91年1月13日に行われたレイダースがシンシナティ・ベンガルズ(Cincinnati Bengals)と対戦したプレイオフ・ゲーム(AFC Divisional Playoffs)。この試合の第3クォーターに、ボールをキャリーしてアウトサイドへ抜けサイドライン際を駆け上がっていったジャクソンは、ベンガルズのラインバッカー、ケヴィン・ウォーカー(Kevin Walker)から強烈なタックルを受け、その相手もろとも(片足をしっかり掴まれたまま、前方への強力な推進力により半身を変な具合にひねる状態で)フィールドに倒れ込んだ瞬間に、臀部の骨に激痛を感じ、重篤な負傷を負ってしまったのです。おそらく、その数秒の間にいくつもの悲運が重なったのでしょう。この臀部への怪我が致命傷となって、ジャクソンの輝かしいプロ・フットボール選手としてのキャリアは、ほんの一瞬のタックルとともに永遠についえてしまったのです。その後、奇跡的に怪我から立ち直ったジャクソンは、野球の世界ではシカゴ・ホワイト・ソックス(Chicago White Sox)などで再び活躍することになります。でも、それは臀部への怪我の前のように俊足強肩強打の外野手としてではなく、主に指名打者として打席に立つだけの非常に限定された形での復活でした。そして、94年のシーズンを終えた時点で、その野球界からも引退してしまうのです。驚異的なスピードと驚異的なパワーと驚異的なボディ・バランスで低い重心を保ったままドライヴしてゆき、タックルする敵のディフェンダーと激突する、ジャクソンのランニング・バックとしての激しいプレイ・スタイルは、常に大きな故障や怪我と隣り合わせのものであったともいえるでしょう。度を越えたスピードとパワーで激突すれば、ディフェンターにタックルされ倒れ込む際に身体的に受ける衝撃度も通常の選手に比べて数倍も大きなものになるなずです。ジャクソンの人並みはずれたアスレティシズムとは、最初から諸刃の剣であったのかも知れません。もし、ジャクソンが、あの運命の日に大怪我を負わずに、そのままキャリアの黄金期を着実に歩んでいたら、きっと史上最高のランニング・バックのひとりに数えられるほどの大記録を打ち立てたであろうと多くの人が口を揃えて明言します。はたして、どうだったのでしょう。あれほどの極端な才能と能力に恵まれたジャクソンが、ボールを持って敵のディフェンダーと思いきり激突し、タックルを受け続ける限り、遅かれ早かれ宿命の怪我は彼の身に残酷にも降りかかることになったのではないでしょうか。確かなことは、それだけジャクソンがプロ・スポーツ選手の世界においても、あまりにも度を越えた存在であったということです。彼は、まさしくスーパー・アスリートでありスーパー・スターでした。そう、いわゆるスーパー・マンだったのです。文字通り、明らかにスーパーな能力を持つ人間という意味での。だが、それほど傑出して特別であったがために、通常の枠にはおさまりきらず、そのプロ・スポーツ選手としてのキャリアは、呆気ないほど突然に、思いもよらぬほど短く、幕を降ろすこととなったのです。何と皮肉な話でしょう。これは、一種の大いなる悲劇です。アラバマ州の片田舎、ベッセマー(この人口3万人足らずの小さな街、Bessemerは、実は土星人サン・ラ(Sun Ra)の生誕の地であるともいわれています)の日常的に貧困が影を落とすエリアに生まれ育ち、プロ・スポーツ界の最高峰であるNFLとMLBの華々しいフィールドという大舞台にまで駆け昇った矢先に、たった一発のタックルを受けた際の怪我が原因で、ほとんど全ての選手生命が絶たれてしまったわけなのですから。このにわかには信じがたい衝撃的な事実を受け入れることは、貧しい幼少時代の生活から脱却し全米のスーパー・スターとなったジャクソン本人にとっても、きっと常人には想像だにできぬほどに、辛く困難なことであったはずです。しかし、彼はその困難を乗り越え、スポーツ選手としての悲劇的な運命を静かに受け入れました。そして、華々しいプロ・スポーツの世界からジャクソンが去った後には、はたしてボこそは20世紀最高のアスリートであったのか?という永遠に解けることのない巨大な疑問だけが、そこに残されることになったのです。あの運命の日から17年以上が経ったいま、ジャクソンもまた、かつてテレビCMで共演を果たした、もうひとりのボであるディドリーの死を心より悼んでいることでしょう。現在、YouTubeでボ関連のものを検索してみると、ディドリーの死後に追悼の意を込めてアップされたものらしき、ふたりのボが子供向け教育番組『セサミ・ストリート(Sesame Street)』において共演(ナイキのテレビCM、“Bo Knows”シリーズの思いきりユルいパロディ)している非常に貴重な映像を観ることができます。興味のあるかたは、是非ご覧になってみてください。ボ、安らかに。合掌。
 YouTubeといえば、先日、アルゼンチンのNubes En Mi Casaのライヴ映像を、いくつか発見することができました。実に素朴な感じで、妙に心が和みます。南半球から届いた現在進行形のネオ・アコ〜ネオ・サイケ・スタイル。絶妙な拙さも、それなりにそれっぽい雰囲気をほっこりと醸し出しています。あのタルラー・ゴッシュ(Talulah Gosh)あたりを思い起こさせてくれるキュートなサウンド。とてもファンタスティックです。
 今回の溝!だよりは、キラリと光るものが感じられた新作のリポートを中心にお送りいたします。とりあえず、予定では4本ほどお届けできるはずです。間に合わなかったものは、残念ながら後回し。でも、駆け込みで飛び込んできたTV Victorの“Tempelhof-Graz”は、チラッとひと通り聴いてみたのですが、ちょっと言葉にできぬほどの素晴らしさをたたえた作品となっていて、ちゃんと後回しでリポートできるかどうか、今のところ全く自信がありません。貫禄のアンビエント大作です。美しき幽玄なるエレクトリック・ドローンの世界。間違いなく傑作です。というわけで、いろいろと誠に申し訳ありませんが、なにとぞお許しを。

溝!リポート

Jeph Jerman: Hindsight
CONV CNV48

 現在はアニミスト・オーケストラ(Animist Orchestra)のリーダーであり、かつてはハンズ・トゥ(Hands To)名義での活動でも知られた、アリゾナ在住のヴェテラン・サウンド・アーティスト、ジェフ・ジャーマン(Jeph Jerman)の新作。リリース元は、スペインはマドリッドのネットレーベル、CONVである(リリース日は、08年5月10日)。大抵は、カセット・テープやCDRなどの録音メディアを活用し、自ら運営するAnimist RecordingやAARCなどのレーベルから極めてインディペンデントな形で作品を発表し流通させているジャーマンにとって、こうしたオンラインでのデータ・ファイル形式での作品のリリースは、非常に珍しいケースだといえる。新たな試みを通じて、すでに活動歴が20年以上にも及ぼうという大ヴェテランが、さらなるサウンド・アートの可能性を貪欲に追求してゆこうとしている、ということなのだろうか。このように、ネット上のレーベルからMP3などのファイル形式で新たな作品がオンライン・リリースされてゆくことにより、ジョン・ヒューダック(John Hudak)やフランシスコ・ロペス(Francisco Lopez)、ズビグニエフ・カルコウスキー(Zbigniew Karkowski)、そしてキム・カスコーン(Kim Cascone)などの80年代よりエクスペリメンタル・ミュージックの世界で活躍を続けている大御所アーティストのクリエイトする素晴らしいサウンドに、若い世代のリスナーが接触する機会や接触のキッカケが生じやすくなるということは、非常に大きな意味があり意義深いことのように思われる。よい音楽とは、すべからくすみやかに可能な限り多くの人間のもとに届けられるべきものである。これは、至極当然のこと。そして、ジャーマンもこの作品で、その当然の摂理をほぼ全面的にクリアすることが可能となるはずの、新たなフェイズの音楽流通の様式への参入を果たした、のである。Internet Archiveよりファイルをダウンロードすれば、誰にでも簡単に瞬時にしてジャーマンの作品を聴くことができる。これぞ、まさしく新たな時代の幕開けである。時代は少しずつ着実に動いている。
 “Hindsight”は、約40分にも及ぼうというロング・ピースの非常に質の高いエレクトロアコースティック作品である。本作が制作されるうえで、その音素材として使用された音源は、全て06年にジャーマンが行ったオーストラリアとニュージーランドでのライヴ・ツアーにおいて録音されたものである。このオセアニア・ツアー(ちなみに、ジャーマンの出身地はグアムである)では、グレッグ・デイヴィス(Greg Davis)とローレンス・イングリッシュ(Lawrence English)の2名のサポート・メンバーを従えた、トリオ編成での演奏が披露された。実際にライヴ・レコーディングが行われたのは、ケインズ(Centre of Contemporary Arts)、クライストチャーチ(The Physics Room)、ダニーデン(Dunedin Public Art Gallery)という3ヶ所での即興演奏の模様である。その基本的なライヴ・パフォーマンスの形式は、トリオによって叩いたり打つなどして奏でられる、ベル、ゴング、シンバル、シンギング・ボウルといった楽器(オブジェクツ)が発するアタック音や反響音を、ジャーマンがコンタクト・マイクで拾い、それをアンプとモニタを駆使して増幅させる、極めて古典的で純正なるエレクトロアコースティック音響を生成させてゆく手法を用いたスタイルのものであった。また、デイヴィスとイングリッシュは、そこにおのおののラップトップPCを持ち込み、短波ラジオのノイズやベルやゴングなどの打撃音をダイレクトに加工用のソースとして取り込んで処理を行い、繊細なドローン系の電子音をアウトプットさせていたりもする。テープ・ループを用いてノイズを発生させる80年代の原始的な手法からスタートしているジャーマンとは異なる、若いディジタル世代ならではの感覚で、彼らは大御所ジャーマンの音響工作をサポートしたのだ。そして、ライヴの即興演奏の中で、この2つの世代の音響は、見事なまでに交じりあい融合を果たした。ともにソロ・アーティストとしても活躍し、確かな実績をもつ2人の若手(オーストラリアはブリスベン在住でネットレーベル、Room 40の運営にも携わるイングリッシュは、ライヴでは打楽器としてのピアノの演奏も担当した)によるアシストが、極めて効果的に作用したこともあり、ジャーマン自身も一連のオーストラリアとニュージーランドでのパフォーマンスには、大いに手応えを感じていたようだ。ゆえに、ツアーで録音された濃密な即興演奏の音源を素材として再利用し、新たなエレクトロアコースティック作品へと組み立て直してゆく作業に、07年夏からジャーマンは着手したのであろう。そこで、トリオでの即興演奏は、ひとつの作品の中に凝縮させられてゆくこととなった。そうしたスタジオ作業を経て完成したのが、この“Hindsight”だ。ここで重要となるのは、ジャーマンが、自ら即興演奏したライヴ・パフォーマンスのサウンド・ファイルを、あくまでもミュージック・コンクレートのファウンド・サウンドとでもいうような感覚で扱い、音のマニピュレートを進行させていったという事実だ。現在のディジタル・テクノロジーを駆使すれば、たとえライヴで録音されたサウンド・ファイルだとしても、細かなミスや気に食わないポイントを、いくらでも細かにいじりまわし、好きなように修正してゆくことができてしまう。しかし、ジャーマンは、こうした音の響きが本来的にもつイビツさを取り除くような書き換え作業を断固として拒絶する。大ヴェテランは、どこまでも生々しいサウンド・マテリアルのリアリティにこだわるのだ。80年代にテープ・ループや簡素なサンプラーをいじりまわして雑音を発生させていた世代というのは、ちょっとしたミスやエラーさえをも偶発的なハプニングとして、積極的に受け入れようとする気質が根本的に強いのかも知れない。全ての音(楽音も雑音も)は、ありのままにあるがままに響くべきものなのである。ディジタル・テクノロジーの力を借りて、そこに人間が思いのままに手を加えてしまうのは、自然科学的な現象として存在すべき音響〜アコースティックに対する冒涜にほかならない。古い世代の人間の感覚というのは、そういう部分において、とてもとても頑固なのである。そして、そこがまた職人的でよかったりもするのである。
 一切の無駄を排除した、必要最小限の音だけで構成される、とてつもなくディープなアンビエンス。そんな大御所ジャーマンによる美しくもド渋なサウンドを、この“Hindsight”を通じて、是非とも体感してもらいたい。繊細にして微細なる大気の振動としての反響や共鳴の生々しい音を、コンタクト・マイクで捕らえ拾い上げアンプリファイドすることに、長年に渡り血道をあげてきた職人気質のヴェテラン・アーティストによる迫真のエレクトロアコースティック作品は、かならずや多くの人々に深い感銘を与えることであろう。“Hindsight”の内容には、それだけのクオリティとポテンシャルが充分に存在していると、個人的には強く確信している。(08年)

Vorodeyev+Tak_Otozh: Live At Tandem
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 05年にコイル(Coil)のメンバーであったジョン・バランス(Jhon Balance)の追悼盤『...It Just Is (In Memoriam: Jhonn Balance)』(04年11月13日、バランスは自宅での事故で急死した。享年42)を発表した、ウクライナはドニプロペトロウシクに拠点を置くレーベル、Nocharizma。この、アレック・エンパイア(Alec Empire)やスキャナー(Scanner)、アルヴァ・ノト(Alva Noto)、K.K. Nullといったノイズからエクスペリメンタル〜テクノのフィールドにまで及ぶ各界の国際的な有名どころから、長年に渡りコイルでバランスの相方を務め公私ともにパートナーであったピーター・クリストファーソン(Peter Christopherson)によるソロ・ユニットのザ・スレショールド・ハウスボーイズ・クワイア(The Threshold Houseboy's Choir)、クィーン・エリザベス(Queen Elizabeth)やスピリチュアライズド(Spiritualized)のメンバーとしての活動でも知られるサイポウルサンドラ(Thighpaulsandra)、08年にクリストファーソンと新ユニットのソイソング(SoiSong)を結成したCoHなどの実際にコイルの活動に関わった故人と非常に近しい関係にあった人々、そしてコイルの音楽から多大なる影響を受けた多くの無名のアーティストたちが参加した、CD2枚組というヴォリュームに熱烈な哀悼の意を込めた全31曲収録の大作『...It Just Is (In Memoriam: Jhonn Balance)』の企画と制作を担当し、見事に完成させたのが、Nocharizmaの創設者であるアレックス・ヴォロデイエフ(Alex Vorodeyev)であった。当人も熱狂的なコイルのシンパサイザーであったVorodeyevは、アーティストとしてコイルの初期の名曲“Slur”のリメイク・ヴァージョンを追悼盤に寄せてもいる。そんなVorodeyevによるNocharizmaの、ネットレーベル・セクションより新たにリリースされた作品が、この“Live At Tandem”である。
 “Live At Tandem”は、サウンド面を担当するVorodeyevとスポークン・ワードを担当する詩人もしくはアジテーターのマックス・シェフツォフ(Max Shevtsov)のコラボレーション作品となっている(Tak OtozhことShevtsovは、ウクライナの過激なアンダーグラウンド誌『NASH』のアート・ディレクターを務める人物であるという)。そして、そのタイトル通り、本作はスタジオにおいて録音されたものではなく、2人によるライヴ・パフォーマンスの模様を収録したものである。録音が行われたのは、06年11月25日のTandemでのライヴ・パーティ。Tandemとは、ウクライナのドニプロペトロウシクにあるアンダーグラウンドなクラブ兼ライヴ・スペースのような場所のことであるらしい。しかし、それ以上の詳細な情報については、よくわからない。録音音源の内容はというと、全て“FullTandem”と題された、7つの異なるパートによって構成されている。パート1からパート7までの一連の主題の流れをもつ連作的なパフォーマンスなのだと思われるが、たぶん、今回の作品化に際して、便宜的にテーマごとに区切りがつけられたということなのだろう。しかし、各パートには敢えて個別のタイトルはつけられていない。これは、パフォーマンス全体でのコンセプトやテーマを重要視している、2人の表現姿勢の表れでもあると思われる。だがまあ、詳しいことは、よくわからない。終始淀みなく語り続けてくれるTak Otozhなのだが、非常に残念なことに、語りは全て彼の母国語であるウクライナ語によるものなのか、その言語がこちらとしては理解ができないため、何について延々と熱弁がふるわれているのか皆目見当がつかないのである。一方のVorodeyevは、Tak Otozhの語りのバックグラウンドで細やかに電子音を浮遊させてみたり、語りそのものにタイミングよくエフェクトをかけてみたり、語りが佳境に入ると液状の優しい揺らぎのある電子音やら耳障りな電子雑音〜エレクトロ・ビートをそこに滑り込ませて色を添えてみたり、一方的にまくしたてる語りがひと段落ついたところでヘヴィなエレクトリック・ノイズを投下して余韻を楽しんだりと、かなり自由にのびのびと奔放なサウンドワークを展開してくれている。パート6あたりでは、思いきり歪ませたギターを前面にフィーチュアした、実にクラシカルなスタイルのインダストリアル・ロック的な展開なども飛び出してきたりして、なかなかに侮りがたいセンスを発揮してくれていて面白い。アジるような語りと実験的なサウンド・プロダクションが、真っ向から向かい合い、ライヴという場で、ほぼ即興的に絡むだけの内容であるのだが、決して単調で一本調子な感じにはならず、様々なヴァラエティにとんだ展開を垣間見せてくれるので、全くもって飽きさせられるようなことはない。それは、ウクライナ語らしきTak Otozhによるスポークン・ワードが、ちっとも理解できずに完全に意味不明でチンプンカンプンだったとしてもである。いや、完全に理解不能な言語だからこそ、そのあまり馴染みのない抑揚や語感、語りのリズム感などすらもが、まるでサウンドの一部であるかのように聴けてしまったりもするのかも知れない。熱く口角泡を飛ばさんばかりに何らかのテーマについて語りまくっているTak Otozhには、誠に申し訳ない話ではあるのだけれど。
 エクスペリメンタルで少しばかりヘンテコなアヴァンギャルド系のエレクトリック・ミュージックが好みであるならば、このVorodeyevとShevtsovによるライヴ録音作品“Live At Tandem”は、大いにおすすめしたい一作である。特に、Vorodeyevが音楽面で多大なる影響を受けていると公言している、コイル、サイキックTV(Psychic TV)、スロッビング・グリッスル(Throbbing Gristle)あたりの純正なるオルタナティヴ・サウンドにピンとくるようであれば、なおさらだ。とにかく、前述した“FullTandem”の第6番を騙されたと思って試し聴きしてみてもらいたい。必ずや、何かしら感じ入るものが、そこにはあるはずである。ちょっぴり懐かしい80年代のノイズ・インダストリアルの、あの雰囲気。ウクライナのアンダーグラウンドでは、いまだにあの感じが、そっくりそのまま息づいているということなのだろうか。これは、ちょっとした驚きである。Vorodeyevは、今後もバランスの他界によって活動休止を余儀なくされてしまったコイルの意志を継ぐかのような音楽を、ウクライナの地下でコツコツと作り続けてゆくのだろう。思わず、その健闘を心から祈りたい気分にさせられた。(08年)

Tzesne: La Comarca
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 スペインのネットレーベル、Alg-aよりリリースされたTzesneの新作(08年5月リリース)。Tzesneは、バスク地方のエレンテリアを拠点に活動するエクスペリメンタルなエレクトロニック・ミュージックのプロデューサーであり、AntifrostやTIBProd.などの多くの由緒正しき名門レーベルからの作品のリリースや、CDRレーベルのSeries Negrasを主宰していることでも知られている。
 この“La Comarca”は、ハンディタイプのヴィデオ・カメラを使用してテープに自然の景色や日常の風景などを録画した際に、そこに一緒に記録された様々なサウンドを素材として作り上げられた作品であるらしい。映像とともにテープに収められた、日常の物音や遠くから聴こえてくる生活音、自然界の生々しい音、マイクを直撃する風の音、マイクに衣服か何かが擦れる時のゴソゴソという強い打撃音や破裂音、静寂の中で微かに鳴り続けている膨大なノイズ群、テープの再生時に発生するヒス・ノイズや電磁波の影響による微細な電子雑音など、ありとあらゆるサウンドが、Tzesneの手によって処理され、コンセプチュアルなノイズ音響作品へと昇華されている。作品そのものは、“La Comarca 01”から“La Comarca 08”までの8つのパートによって構成されているのだが、ここでは各パートを個別に聴いたとしても、あまり意味はないように思われる。8つのパートの一連の流れから溢れ出してくる世界観やイメージが、大変に重要なものとなっているように思われるからだ。次から次へと降りかかってくるノイズによる意識の変容。そういったノイズ音響にスッポリと飲み込まれてしまうことよってもたらされる作用や効果こそが、本作の制作にあたって、Tzesneが最も強く意図したところであろう。反復を繰り返しフィードバックによって増幅してゆく電子雑音がガサガサと押し寄せてきていたと思ったら、次の瞬間には街中の人々の話し声や物音がザワザワと周囲を取り囲み、気がつくと荒廃した空き地に打ち捨てられてしまったかのように通常の人間世界の気配からは遠く離れ、隔絶感のある距離を置いて周囲を取り囲むのは様々な微かな雑音ばかりとなる。それは、まるで普通の日常生活の中では決して気づくことのない、周辺の電気製品の群れが恒常的に低くうなるように発している電子雑音や電磁波の波動を、全て拾い上げて増幅させ、耳許に突き付けられたような感覚である。現代人の生活の中に溢れかえっている様々なノイズ。それらが全て耳に聴こえていたら、人間の脳は瞬時にして崩壊してしまうだろう。こうした雑音を意識するということは、実に恐ろしい気分にさせられることでもある。ちょっと考えてみただけでも、軽く発狂しそうになりそうだ。だが、Tzesneは、ただただいたずらにノイズで潜在的な恐怖心を煽るだけではない。濁流のように押し寄せる電子雑音の渦を、ゆったりと光に満ちた美しいサウンドスケープへと変容させていったり、自然界が生み出す大らかなノイズをそこにタイミングよく差し挟んで、閉ざされた空間から意識を解き放つ場面も作り出している。そうした音響工作によって、聴く者の意識を、プラスの方向にもマイナスの方向にも自在に導きながら、繰り返し執拗な撹拌にさらすのである。自然音や人の声などの可聴音とヒス・ノイズや微かな電子雑音などの不可聴音が入り雑じりランダムに配置されることによって、正常に作用しようとつとめる意識は絶え間なくグニグニと揺さぶられ続けることになる。マクロなノイズやミクロなノイズに絶えず耳が襲われ続けることで、思考の物差しに決定的な狂いが生じ、自律神経に変調をきたしているような気分にも陥れさせられるのである。“La Comarca”とは、そういった相当に高度にして強烈なノイズ音響によるディシプリンを課されることになる作品なのだ。
 地球上には様々なノイズが満ちあふれている。自然界において、人間ほど様々なノイズにまみれた環境で生活をしている動物はいないだろう。“La Comarca”のラストを飾る“La Comarca 08”の終わり方は、そうした環境について考えさせられる、非常に感動的なものとなっている。ノイズ音響に溢れかえる住環境に生きる人類には、もはや悲観的な未来しか待ち構えていないのであろうか。“La Comarca”のラストにおいて、Tzesneは、その問いに対する明確な回答をサウンドで示そうとしているのかも知れない。ここで展開されている音響を、どのように読み取るかは、たぶん、人それぞれの解釈によって異なってくるであろう。この感動的なラスト・シーンのノイズに、どのような映像が思い浮かび見えてくるであろうか。そのヴィデオ・テープの最後に録画されていた景色とは、どのようなものであったのだろうか。はたして、その世界に人類はまだ存在しているのであろうか。(08年)

Lili Hirasawa: Spectrum
MiMi Records Mi095

 ポルトガルのネットレーベル、MiMi Recordsから、またしても日本人アーティストによる素晴らしい作品が登場した。この“Spectrum”は、東京在住の女性プロデューサー、リリー・ヒラサワ(Lili Hirasawa)のデビュー作である。しかしながら、一聴したところ、ここにはこれが彼女が初めて世に送り出した作品だとは到底思えないものがある。それだけ、音楽としてもサウンドの構成の面においても、独特のスタイルや風合いが確実に存在し、ひとつの作品として驚くほど完成されたものに仕上がっている。そして、そこでは他に類をみないようなLili Hirasawaならではの音の世界観が、時に淡くライトに、時にヴィヴィッドに、実にいきいきと表現されているのだ。これはもう、かなりの実力派の新人が東京から出現したと、全世界に向けて宣言してしまっても全く差し支えはないのではないか。Lili Hirasawaの音楽には、それくらいの大器の片鱗がちらちらと見え隠れしている。
 初めて“Spectrum”を耳にした際、それを聴き終わった直後に、全く無意識のうちに再び再生ボタンを押すという行為を何度か繰り返してしまった。だがそれは、“Spectrum”が非常に難解な作品だからでも、その入り組んだ細部の複雑な構造を確認するために、何度も繰り返し聴かざるを得なかったというわけでも決してない。つまるところ、その真逆なのである。いつまでも“Spectrum”の豊潤なる音の海に深く潜り込んでいたい衝動や欲求にかられ、まるで子供が飽きることなく飛び込み台から水中に飛び込む遊びを繰り返すかのように、再生ボタンを押して、瑞々しい音の粒の流れの中に滑り込み、ただただひたすらに押し寄せる美しい音の波を目一杯に浴び続けてしまったのだ。“Spectrum”という作品は、そういった繰り返しの聴取にも十二分に耐えうる、驚くほどの音楽的な伸縮性や強度と深みを確実に有している。いや、かえって、繰り返して聴けば聴くほどに“Spectrum”で展開される魅惑の音の世界を構成している彩りは、さらに色鮮やかなものとなり、照度を増してくるようにも思えてきたりするのである。
 “Spectrum”とは、色鮮やかな電子音響によって描き出されてゆく、約16分半に渡って拡散してゆくサウンドの航跡である。ふんわりとした空気感が漂う、チル・アウト系のアンビエントを思わせるような地点から滑り出し、いくつものひらひらと舞う循環する反復フレーズを少しずつ迎え入れながら、徐々に瑞々しく煌めき瞬く音の世界はゆっくりと動き出してゆく。やがて、そこにはビートの萌芽が芽生えだす。光の渦に顔を出したばかりのビートとベースラインは、微妙に変形を繰り返しながら、音の世界にさらなる動きをもたらしてゆくようになる。しっかりと根付き高らかに刻まれる太い音の幹へと伸張したビートは、周囲を旋回するフレーズ群を力強く導きながら、カラフルな電子音響の粒が飛び交う世界を、どこまでもどこまでも押し広げてゆくのだ。それは、ただただ広がり続けるだけでなく、次第にディープなグルーヴの深みすらをもサウンドの表面に顕現させるにいたり、遂に楽曲の展開は佳境へと突入する。その佳境を迎えると、極彩色に熟しきったサウンドは、ゆっくりと淡く朧げなものへと変化し、なだらかな収束への坂道を下りだす。さざ波だけが打ち寄せる静かな砂浜からスタートし、陽性の電子音の宇宙の隅々にまで拡散していった音響は、ひとしきりのピークを迎えると、なだらかな放物線を描いて潮が引いてゆくように元の場所へと戻ってゆくのである。なんと壮大でドラマティックなストーリー展開をみせる楽曲であろうか。そんな約16分半に渡る大作のストーリーを、Lili Hirasawaは、美しく色鮮やかな電子音のフレーズの配置や動きのあるビートの構築などによる細心の注意を払った緻密な話法を用いて、実に巧みに語り尽くしてみせる。全くもってハイ・レヴェルなプロダクションである。
 この独特の世界観をもつサウンドが、今後の作品でどのように展開されてゆくのかといった点も、今から非常に気なるところではある。Lili Hirasawaほどの独創的な才能の持ち主であれば、きっと『Tubular Bells』級の超大作をものにするのも、もしかすると夢ではないかも知れない。またひとりこれからのリリースが楽しみな逸材を輩出してくれたMiMi。このレーベルの鋭すぎる動向には、本当に侮れないものがある。(08年)

溝!後記

 とりあえず、今回の溝!だよりは以上です。次回は、もっともっと充実した内容のものをお送りできればと考えております。さて、どうなることやら。それでは、また。シー・ユー・アゲイン。

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