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<<   作成日時 : 2008/02/21 21:44   >>

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Oxy: Rved. Tha EP
Musica Excentrica exc011

画像 モスクワのネットレーベル、Musica Excentricaより08年2月3日にリリースされた作品。Musica Excentricaは、CD-Rなどの名義を使ってZeromoonやEarlabsといった数多くのレーベルから精力的に作品を発表しているロシアの実験音楽界を牽引するアーティスト、ニキータ・ゴルイシェフ(Nikita Golyshev)によって運営されている。07年には、01年に他界した偉大なる現代音楽の父に捧げるオムニバス作品『Tribute To Iannis Xenakis』や、電子音楽界の超大御所であるキム・カスコーンのアルバム『The Astrum Argentum』など、質と同時に話題性も高い作品を相次いでリリースし、ネットレーベル・シーンの片隅で大きな注目を集めた。そして、そのMusica Excentricaより11番目の作品として登場したのが、このオキシー(Oxy)の“Rved. Tha EP”である。Oxyとは、どうやらイヴァン・パヴロフ(CoH)の変名プロジェクトであるらしい。ここ最近は、ドイツの老舗ミニマル・エレクトロニック・ミュージック専門レーベル、Raster-Notonからのリリースが続いており、その安定したハイ・クオリティなサウンド・プロダクションには、もはや大物の風格さえ漂いつつあるCoH。しかしながら、この“Rved. Tha EP”という作品は、実際のところ最近のCoHの録音物ではないようだ。ここに収録されている音がレコーディングされたのは、なんと02年12月であるという。今から5年以上も前のものということになる。では、何故に今頃になって、そのような過去の録音物がMusica Excentricaよりリリースされることとなったのか。このあたり、ちょっとばかり謎めいているのだが、詳しい経緯については明らかにされていないのでよくわからない。実は、嘘か真か当のCoH本人もコレを制作していたことを、すっかり忘れ去ってしまっていたらしいのである。そんな未発表のままお蔵入りになっていたCoHの音源を、どういう因果でかモスクワのGolyshevらが発掘をし、今回の約5年越しのリリースへと漕ぎ着けた。実際の制作者が、完全に忘れてしまっていたというのだから、こうしてMusica Excentricaの手によって救い上げられることがなければ、永遠に未発表のまま埋もれていってしまった可能性は高い。そんな、少しばかり奇跡的な発掘によって、ようやく日の目を見た“Rved. Tha EP”。これは、様々な意味において(やや謎めいてはいるが)、なかなかに興味深い一作なのである。
 この“Rved. Tha EP”という作品集には、原作もしくは原典となる作品が存在する。その作品とは、80年代初頭から活動を続けている旧ソ連のロック・バンドであり、その前衛的で反体制的な音楽性からロシアのエクスペリメンタル・ロックの草分けとも称されるZvuki Mu(英語表記ではSounds Of Moo、牛の鳴き声を意味する)が発表した『ELECTRO T.』というアルバムである。Zvuki Muは、ソ連時代にブライアン・イーノをプロデューサーに迎えてアルバムを制作したことでも有名。イーノは、当局による厳しい弾圧と取り締まりのもとで育まれたピュアで力強い反骨精神に貫かれたオルタナティヴなロック・サウンドに大いに興味を示し、自らプロデュースすることを買って出たという。CoHは、02年に(コイルのライヴのサポート・メンバーとして)モスクワを訪れた際に、人づてに(おそらく、その時点でのZvuki Muの最新作であったと思われる)『ELECTRO T.』を入手した。そして、そのアルバムから飛び出してきた恐ろしく実験的で唯一無二な音楽性をナミナミとたたえたサウンドを、幾度となく聴き返しているうちに、その異質で異形な音世界にすっかりと心を奪われてしてしまったようなのだ。『ELECTRO T.』でのZvuki Muは、約20年にも及ぶ長い音楽活動の果てに、ブルースともフォークともつかぬ余計な贅肉や脂肪分を全て削ぎ落としたシンプルなアコースティック・サウンドを放射する、まるで皺くちゃな老人がディープな独白をしているような浮世離れした彼岸のロック音楽へと到達してしまっている。いや、もうそれはロックしている音楽というよりも、ただただ内側の深層から湧き上がってくる意識の波動を剥き出しのまま吐き出したエクスペリメンタルな音そのものであるようでもある。CoHは、その完全に突き抜けてしまっている音楽センスに、大変深く感銘を受けたと述べている。そして、Zvuki Muの凄まじいほどにミニマムでシンプルでありながらも、強烈な表現への情熱が渦巻いている音楽と、自らのミニマリスティックな電子音楽を、何らかの形でリンクさせ融合することを試みる作品のコンセプトを次第に練りはじめたらしい。そこでCoHが選択した両者の融合の方法とは、Zvuki Muの作品にインスパイアされた新たなコンポジションに取り組むよりも、よりストレートに『ELECTRO T.』の楽曲を自らの音楽スタイルでリメイクしてしまおうというものだった。異様なまでにオリジナルな音楽性を有する『ELECTRO T.』という作品の周辺に漂うものを吸収し自己流にアレンジして音にしてゆくよりも、あえてCoHはその独特の世界観をもつ対象の内部へと飛び込む道を選んだのである。完全にオルタナティヴにして唯一無比なZvuki Muのサウンドを、いかにして自らの音楽スタイルとリンクさせリメイクするのか。それは、相当に厳しく困難な制作作業であったのではなかろうか。対象を完全に引き寄せて取り込んでしまうのか、一定の距離を保ったまま一瞬の交錯を狙うのか。様々なプロダクションの方法論が、きっとCoHの頭の中を駆け巡ったに違いない。そうした思案の末にCoHが行き着いた方策は、原曲となる楽曲の中の最も印象的なパートから非常に限られた音の断片をサンプリングして切り取り、そのミニマムな音素材のみを使用し『ELECTRO T.』の収録曲を一曲ずつリメイクして音楽作品として再構築してゆく、というものであった。Zvuki Muの独特な音楽性を構成している一音一音と真正面から向き合い真剣勝負を挑むかのような、張り詰めた緊張感をともなう顕微鏡レヴェルの繊細なプロダクション作業を経て、CoHは『ELECTRO T.』の収録曲から最初の6曲のリメイク作品を完成させた。だが、その想像以上に過酷な制作作業を、とんでもない集中力を維持して継続させてゆくことは不可能に近いと判断したCoHは、最初の6曲目までのリメイクを終えた時点で、このプロジェクトに呆気なく終止符を打ってしまう。結果的に『ELECTRO T.』の収録曲を全曲リメイクすることを中途で断念したという形になってしまっているのだが、おそらくCoHの中では、最初からこのプロジェクトは公の場で発表するような作品とは基本的に異なる、習作とでもいうような意味合いをもつ制作作業であったのではなかろうか。よって、6つのリメイク作品を完成させた時点で、すでにCoHは何らかの達成感のようなものを感覚できており、ひとつの完結を目にしていたのであろう。最初は習作をするような軽い心持ちで取り組んだのかも知れないが、最終的には6つのリメイク作品を全て深く納得のゆくものに仕上げることができた。そんな過酷な作業の果てに得られた大きな達成感と深い安堵感からか、CoHは、この6つのリメイク作品のことを、その後すっかりと忘れてしまう。自ら満足のゆく音を制作できたこと自体が、いつしかこのプロジェクトのゴールになってしまっていたのだろうか。元来、公の場で発表する意思のないプライヴェートなプロダクションであるならば、作りっぱなしで忘れ去ってしまうということも十分に考えうる話である。02年12月にひっそりと制作された、この6つのZvuki Muの楽曲のリメイク作品は、データとして保存されたまま人知れず放置され続けることになる。しかし、Nikita Golyshevは、このプロジェクトを忘れてはいなかった。モスクワでMusica Excentricaを運営しているGolyshevにとっては、ロシアの実験音楽シーンの長老とでもいうようなZvuki Muの楽曲のリメイク作品であれば、そのコンセプトだけでも非常にそそられるものがあったのかも知れない。CoHとしても制作した音源を、Zvuki Muのお膝元であるモスクワの音楽関係者などにはプライヴェートなレヴェルで配布して聴かせていたのではなかろうか。原典となっているZvuki Muの特異な音楽性を知る者であれば、そのCoHの音源を(全く予備知識がない状態で聴くより何倍も)興味深く聴くことが可能であろうから。そして、あれよあれよいう間に5年もの月日が流れ、遂にMusica Excentricaからの音源のリリースの計画がようやく動き出すことになる。放置され埋もれかけていた楽曲のデータが、掘り出され日の目を見ることになったのだ。Golyshevは、人知れず制作された幻の音源が、忘却の彼方へと葬り去られようとしていたのを、すんでのところで救ったのである。約5年の潜伏期間を経て、突然再浮上してきた“Rved. Tha EP”は、内容的にも背景的にもコンセプト的にも実に興味深いものがある奇跡のリリース作品なのである。
 Musica Excentricaは、今回の“Rved. Tha EP”のリリースに際してサイト内に特設のダウンロード・ページを用意している。そこでは、EPの本編となるCoHによるリメイク・ヴァージョンがダウンロードできるだけでなく、そのトラック・リストの脇にZvuki Muの『ELECTRO T.』に収録されているオリジナル・ヴァージョンの曲名が並記されており、そこに貼られているハイパー・リンクを辿ってゆくと、Zvuki Muによる当該曲のMP3が聴けるという仕組みになっている。全6曲に関して、Zvuki Muの原曲とCoHのリメイク版を手軽に聴き比べることができるのだ。なかなか気の利いた、粋な計らいをしてくれるものである。“Rved. Tha EP”の1曲目は、“Chin Town (Tsing Tao)”。 Zvuki Muの『ELECTRO T.』では、原作のタイトルは“China”となっている。文字通り、チャイナなムードを妙に漂わせる、極めてシンプルでエキゾティックなフォークロア調のインスト曲である。CoHは、そのメロディをバラバラに解体し、細やかなサンプリングのループを幾重にも積み重ねてゆくことで、ミニマル・エレクトリック・サウンドによる妙なエキゾティシズムを巧みに表出させてみせる。2曲目は、“Zhukov S Kiem”。Zvuki Muのオリジナル曲は“Zhukovskii”。フォーキーなブルース・スタイルのシンプルな演奏に、土着的でシャーマニックなコーラスが妖しく忍ばされ、ややエクスペリメンタルな展開をみせながらも、ほぼ電車道状態でラストまで押し切ってしまう、独特な味わいがある楽曲である。CoHは、その味わい深い演奏の大部分を大幅にカットし、ほぼ単音の弦の音の反復を幾つも組み合わせた構成に組み替えて、これをさらに際限なくプロセッシングしてゆくことで、実に妖しいミニマルな電子音楽の世界を作り出している。印象的な原典のプリミティヴなコーラスは、ほとんど瞬間的にちらちらと頭をのぞかせる程度となっている。3曲目は、“Snezhnost' Volkov”。Zvuki Muのオリジナル曲は“Nezhnost'”。おそらく即興なのであろう爪弾かれる弦の音がフォーク的な空気を醸し出す辿々しい演奏で幕を開けるものの、中盤以降はスキャットとも呻き声ともつかぬ異様なヴォーカリゼーションをメインとする底なし沼のごとき出口の見えない展開をこれでもかと浴びせかけ、ラストには再び単調な即興フォークへと戻ってゆくという、かなり独創的なサウンドのZvuki Muらしい楽曲。CoHは、これをエレクトロ・アコースティック調のミニマル・エレクトリック作品へと完全に変形させてしまっている。原典のサウンドは、電子処理された細切れの雑音と成り果てて、緩やかに流れてゆく音の奔流の中で、ただただ現れては消えることを繰り返すのみである。この質の高いプロダクションは、“Rved. Tha EP”の収録曲中でも最も白眉といえる仕上がりであろう。とてもCoHらしい、実に美しくセンチメンタルなサウンドが静かに響き渡っている。4曲目は、“Pasha Poshol Odin”。Zvuki Muのオリジナル曲は“Pasha Poshol I”。アフリカの民族音楽とアイルランドのトラッドが混ざりあったような、何ともユニークなインスト曲である。CoHは、完全に音数をごく少量の限られたものに絞り込み、それを平坦なミニマリスティックなサウンドの中で丁寧に再構築してみせる。ズタズタに切り刻まれブツ切りにされた残骸がチトチトと鳴っているだけでも、そのプンとかポンとかいっているだけの音そのものから、まだまだZvuki Muの強烈な個性が滲み出しているように感じられるのは、非常に不思議な感覚である。5曲目は、“Pasha Poshol Odin-Odin”。Zvuki Muのオリジナル曲は“Pasha Poshol II”。前曲の“Pasha Poshol I”を導入部として、この第2部では、グネグネと悪酔いしそうなサイケデリック感覚が香り立つブルージーな弾き語りによるフリー・フォーク調の展開へと暴走してゆくこととなる。歌の旋律は、楽曲の後半へと向かうにつれて、ロシアの労働者が酒場でウォッカでも飲みながら唸りガナっているようなものへと次第に変化してゆく。このあたりからは、いかにもモスクワの音楽という気配が濃厚に漂い出している。CoHは、これを前曲の“Pasha Poshol Odin”と同様に、音数を極端に絞り込んでミニマライズし、エクスペリメンタルな電子音によるブルースに仕立て上げている。デジタル・プロセッシングされた歪んだ低音が、ワイルドで粗野な空気を醸し出し、そこに細かくカットされた唸り声のヴォーカルが絶妙に外れたキーとピッチでトッピングされる。シンプルな弦の音の反復だけで巧妙にリライトされてゆくZvuki Muの異様な音楽の世界観。もしかすると、CoHは、そんな即興を基盤とした徹底してオルタナティヴなZvuki Muの歌に、ポエトリー・リーディングに非常に近く情感の動きとともにシアトリカルに変化してゆくジョン・バランス(コイル)の独特なヴォーカル・スタイルとの共通点を見いだしていたりしたのかも知れない。6曲目は、“Bez Klucha”。Zvuki Muのオリジナル曲は“Vikluchatel'”。ここでは、これまでのフォークやブルース的な演奏とは異なる、カチカチというアタック音と弦を爪弾く単音と電子音からなる、とても実験的でミニマリスティックな音表現がなされている。極端に音数は少なく、隙間だらけなのであるが、何ともいえない蠢くようなモゾモゾした動性が楽曲全体から滲み出している。CoHは、それらの音をサンプリングして細かくチョップし、電子処理した微細なサウンドのループを軸に据え、注意深く適切な位置へと素材を配置してゆく。全6曲中でこの作品だけが、原曲よりもCoHのリメイクのほうが音数が多いのではなかろうか。その規則的な響きをもつ機械音のようなサウンドからは、どこかミュージック・コンクレート的な趣きすら感じ取れる。原曲であるZvuki Muの“Vikluchatel'”には、全くそうした要素は含まれていないのだが。サンプリングした音に電子処理を施してゆく過程で、自然にそういった方向へ進んでいってしまったのであろう。このラストを飾る楽曲では、CoHのプロデューサーとしての高度なクリエイティヴィティが、ひと際キラリと光っている。しかし、全6曲のリメイク作品をつぶさに聴いてみて、真っ先に浮かび上がってくるのは、よくもまあ凄まじいほどの独創性に満ちたZvuki Muのサウンドを、単なるリミックスや再編集、リコンストラクトといった程度のものにとどまらずに、きっちりと俎上にのせて料理できていることに対する率直な驚きや感嘆の念であったりする。これには、ただただ感服させられる。対象となる奇抜な音楽に決して引きずり込まれることもなく、そして対象となる音楽を自らのスタイルに無理矢理すり合わせるようなこともない。その適度な距離感が絶妙なのだ。両者を結びつける線は、変に弛んだり緩むことなく、常にある程度の緊迫感を介在させながらピンと張り詰め続けているのである。また、全体的にCoHが余白を効果的に使ったスカスカなプロダクションに徹している点もまた、実に興味深い。ミニマルなエレクトリック・ミュージックとはいってもドローン等の音響手法が多用される場合が多く、ポッカリと大口を開けているような音の余白は見受けられないことがほとんどである。ここで取り組まれているのは、微かな物音系のマイクロサウンドとも異なる、余白や独特の音の間を効果的に使用した非常にユニークなミニマル・サウンド。哀感や郷愁を内包するメランコリックなサウンドをプロデュースすることも多いCoHにとって、このZvuki Muをリメイクするプロジェクトは、余白を残すミニマムな音響工作を試みる、とてもよい経験になったのではなかろうか。
 08年の活動を、約5年前に録音されたOxy名義での旧作品のネット・リリースでスタートさせたCoHであるが、どうやら今年はこれまで以上に活発な動きが期待できそうな予感に満ちている。というのも、08年1月に、CoHと元コイルのピーター“スリージー”クリストファーソンによる新ユニット、ソイソング(SoiSong)の結成が唐突に発表されたのである。08年の春から本格的に始動する予定のこのプロジェクトは、まず3月の日本でのデビュー・ライヴを皮切りにタイやシンガポールなどの東南アジアをツアーし、その後に欧州各地をまわり可能な限り多くの公演を行ってゆくプランであるという。また、3月にはクリストファーソンが運営しているレーベル、Threshold Houseのウェブ・サイト上においてSoiSongのデビュー曲“Soi-Jin-No-Hi”がネット・リリースされる予定だ。そして、少々気が早いことに、Soisongのファースト・アルバムは08年の秋から冬にかけての時期の発表を視野に入れて、すでに着々と準備が進められているらしい。このSoiSongとしての活動が、いかなるものになるのか、まだまだハッキリと全貌が見えてこない状況ではあるのだが、CoHとスリージーがガッチリとタッグを組んだユニットということであれば、これはもう無条件に大いに期待せざるを得ない。ジョン・バランスの急死によって活動を永久に停止してしまったコイル。そのポッカリとあいた大きな穴を、もしかするとこのSoiSongが埋めてくれるのではないかと、淡い期待を胸に抱いたりもしてしまうのである。きっと、クリストファーソンのことであるから、敢えて周囲の期待を裏切るようなことをしてくる可能性も大アリなので、気は抜けない。実際に、SoiSongによって開設されたMyspaceのページのヘッダーには、トロピカル・ミュージックと2ステップをメイン・ジャンルとしているユニットであることが示唆されていたりする。まあ、このへんはたぶんジョークなのであろうけど。ガラージ系に取り組むSoiSongのグライムやダブステップには、少しばかり興味をそそられるものもあるが。スウェーデンのストックホルムを活動の拠点としているCoHと、タイのバンコク郊外の密林の奥にハウス・スタジオを構えているクリストファーソンが、いかなる形態で両者の高度な音楽性を融合させたコラボレーションを繰り広げてゆくのか。どうやら08年はSoiSongの動向から片時も目が離せない1年になりそうだ。とりあえず、現時点ではSoiSongが最も有望で期待値の高い08年のニュー・カマーであることは間違いないところであろう。今からとても春が待ち遠しい気分である。(08年)

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