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zoom RSS The 5 Stairsteps & Cubie: Our Family Portrait

<<   作成日時 : 2007/12/14 21:53   >>

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The 5 Stairsteps & Cubie: Our Family Portrait
Buddah BDS 5008

画像 67年にBuddahより発表された、ファイヴ・ステアステップスのセカンド・アルバム。
 ファイヴ・ステアステップスは、シカゴ在住のバーク家の6人姉弟によって構成されるファミリー・コーラス・グループである。60年代半ばの結成時には、まだそのメンバーの頭数は5名であった。よって、5つのステアステップスというグループ名がつけられた訳である。長女のアローイ・ジーン(Alohe Jean)が17才、長男のクラレンスJr.が16才、次男のジェイムスが15才、三男のデニスが14才、四男のケネスが13才。全員、基本的に年子。ゆえに、姉弟が整列して横に並ぶとキレイに1才ずつ年齢差のある序列となり、その段々になっている様が階段を思わせることから、バーク家の母親であるベティがファイヴ・ステアステップスという名称を発案したという。姉弟は、幼い頃から歌と踊りにドップリとのめり込み、そのユニークな才能を日々の生活の中で磨いていった。そして、いつしか自分たちの通う学校の行事や地元の小さなパーティなどで5人組のアマチュア・コーラス・グループとしてパフォーマンスを披露するまでになる。65年、シカゴのリーガル・シアターで開催されたタレント・コンテストにおいてファイヴ・ステアステップスは見事にグランプリを獲得。一説には、その際の優勝賞品としてレコーディング契約を確約されデビューしたと言われているが、実際のところはバーク家の近所に住んでいたインプレッションズのメンバー、フレッド・キャッシュが、歌って踊れると評判の10代の姉弟をシカゴ・ソウル界の大御所、カーティス・メイフィールドに紹介したことから全てが始まったようである。すぐさまメイフィールドに気に入られたファイヴ・ステアステップスは、66年にシングル“You Waited Too Long/Don't Waste Your Time”でメイフィールドの所有するレーベル、Windy Cityよりデビューを果たす。67年には同レーベルよりメイフィールドの強力な後押しを受けてファースト・アルバム『The Five Stairsteps』を発表。しかし、その直後にWindy Cityのディストリビューションを行っていたフィラデルフィアのCameo Parkwayが倒産してしまう。これに伴い、メイフィールドが関連していたレーベルやグループなどは、Cameo Parkwayの取締役であったニール・ボガードが新たに共同経営者として迎えられた67年設立のNYの新レーベル、Buddahへとゴッソリと移籍させられることとなってしまったのだ。だがしかし、伸び盛りの10代の若者たちには、そんな周囲の大人たちの動きなんてまるで無関係だったようで、彼らはファースト・アルバムの発表と同時に着々と次の作品の準備に取りかかっていたようである。そして、デビュー作の『The Five Stairsteps』を速やかにフォロー・アップするべく、67年発表の2作目のアルバムとなる『Our Family Portrait』が、Buddah移籍後の第一弾として世に送り出されたのである。
 このセカンド・アルバムでは、ファイヴ・ステアステップスのメンバー構成に少しだけ変動が見受けられる。5人組だったグループに、メンバーがもう一人増えているのだ。新メンバーは、3才の末っ子、かなり歳の離れた五男のキュービー。この末っ子が本作からグループに正式加入し、ファイヴ・ステアステップスは6人組のファイヴ・ステアステップス&キュービーとなった。こうした動きが、インディアナ出身でシカゴ周辺でも盛んにショーを行い、後にMotownと契約し大ブレイクをすることになる兄弟グループ、ジャクソン5(まだ10才に満たない末っ子の天才マイケルがリード・シンガーを担当していた)を意識した増員であったのかは、ちょっと定かではない。だが、この頃には、シカゴ警察の刑事であった父親のクラレンスSr.は退職し、グループのバック・バンドでベースを弾き、マネージャーとして姉弟のあらゆる活動に帯同する、完璧なステージ・パパと化していたという。このあたりには、後に子供たちへの虐待問題まで取沙汰されるほどに凄まじく熱心にステージ・パパに徹していたジャクソン家の父親、ジョーとの共通点を見いだせるかも知れない。しかしながら、バーク家の場合は、母親のベティまでがダンサーとして姉弟のステージに参加していたというのだから、さらに凄い。まさに家族ぐるみ。ファイヴ・ステアステップス&キュービーのステージは、アメリカ初の歌って踊れる一家によるトータル・エンターテインメント・ショーであったのだ。チビッ子のキュービーも、ステージでは歌にダンスにドラムにと八面六臂の大活躍であったらしい。そして、このアルバム『Our Family Portrait』では、その制作面においていきなり御大メイフィールドの手を離れ、まだ17才前後の高校生であったと思われるクラレンスJr.が、完全にプロデュース作業を取り仕切るようにまでなっている。実に早熟な長男である。おそらくレコーディングが行われたシカゴのRCAスタジオのスタッフが、根気強くクラレンスJr.の作業に付き合ってくれたのであろう、アルバムのサウンドの出来自体に特に大きな失敗はない。いや、それどころか10代の若く瑞々しい感性が爆発したような素晴らしい出来映えの楽曲があったりもするのである。そうした驚異的に突出したものがある一方で、多少楽曲ごとの出来にムラが感じられたりもする場面が見受けられるのは、まあいたしかたないところであろうか。特にA面1曲目を飾る、まだ中学生ぐらいの年齢のケネスが(ちょうど声変わりしかけている時期の妙に艶かしい女の子のような歌声で)しっかりとしたリード・ヴォーカルを務めあげる、ジミー・チャールズのカヴァー“A Million To One”などは、かなり聴かせる仕上がりである。基本的なスタイルは、ストリングスとホーン・セクションをコッテリと盛り込んだモダンな60年代ポップスのサウンドに、若くエネルギッシュなゴスペル調の間断のないコーラス・ワークが激突する、他に類を見ないタイプの甘く熱いソウルフルなバブルガム・ポップ。だが、その決定的にR&Bでもソウルでもポップスでもない、ジャンルの中間をゆくようなハイブリッド・サウンドは、ともするとドコにも属さない中途半端なものとして捉えられてしまう危険性を多くはらんでいたりもする。実際に当時の音楽ファンにとって、このアルバムの内容はチョッピリ中途半端なものだったのではなかろうか。あまり、どんな年齢層や階層の人々をメインのターゲットにすえて制作されたのかがクッキリと見えにくい一枚なのである。バート・バカラック&ハル・デイヴィッドの不朽の名作“The Look Of Love”と“Windows Of The World”の2曲を取り上げてカヴァーし、しっとりとアダルトなムードで迫るようでいながら、この両曲の間には3歳児のキュービーがハチャメチャなヴォーカルで大暴れするブルージーなダンス・ナンバー“The New Dance Craze”がピッタリとはさまっていたりする。また、『Our Family Portrait』というタイトル通りに、見開きのゲイト・フォールド・ジャケットには幾つものバーク家の家族写真やスナップが載せられているのだが…。ハットを被り仕立てのよさそうなスーツで正装した幼い兄弟、生後4ヶ月のキュービー、純白のブラウスにチェックのスカートで白の手袋をした手に洒落たハンド・バッグを持っている姉のアローイ。父親が警察に勤務していたシッカリとした家柄ということもあるのだろうが、60年代半ばの黒人家庭にしては破格なまでにバーク家の人々は裕福そうなのである。近所にインプレッションズのメンバーのような有名人が住んでいるくらいだから、邸宅もシカゴ郊外の閑静な高級住宅街にあったのであろう。そういった部分からくる(と思われる)育ちの良さみたいなものが、どうしてもアルバム全体から滲みだしてきてしまっているようなのである。地べたを這ってでも音楽にソウルを込めようとする当時のR&Bアーティストたちに多く見られたギラついたハンブルさが、ここからはカケラも感じられないのだ。これは完全に商品としてパッケージングされたファミリー・エンターテインメントであり、刹那の娯楽として機能しさえすれば、もうそれで充分ということなのだろうか。いや、決してそういうものではないはずだ。貧困と無縁なことは、決して悪ではない。豊かな家族の肖像は、多くの黒人家庭に夢や希望を与えたりもしたであろう。それを羨ましく妬ましく見た者も多かったと思われるが。だがしかし、A面とB面のラストを締めくくる楽曲がどちらもパパとママ、クラレンスSr.とベティによる愛のデュエット・ソングとなっているという部分だけは、チョットばかしいただけない。プロデューサーの長男、クラレンスJr.としては、ただただ真摯に親孝行の気持ちを込めて、そうした演出を試みたのかも知れないが、やや興ざめだ。この両親による歌唱というのが、10代の姉弟による若さ溢れる溌剌とした熱く密度の濃いコーラス・ワークと比較してしまうと、どうにもこうにもショボくてヨレヨレで、レコードの両面がともに肝心の最後の最後でピチッと締まらないのである。致命的なまでの声量の乏しさ、とでも言おうか。でも、この父親と母親はファイヴ・ステアステップスの正式なメンバーでもないし、ましてやプロのシンガーでもないのだから、あれこれ求めてしまうのは酷というものなのであろうか。どこかナット・キング・コールを彷彿とさせるモワーンと間延びしたようなクラレンスSr.の大真面目な熱唱ぶりは、なかなかユーモラスな響きがあって楽しくもあるのだが…。
 翌68年、ファイヴ・ステアステップス&キュービーは通算3枚目のアルバム『Love's Happening』をBuddahからではなくメイフィールドが主宰するレーベル、Curtomよりリリースしている。プロデュースは、育ての親であるメイフィールドが担当。まだまだクラレンスJr.と10代の姉弟たちを独り立ちさせるには時期尚早であったと『Our Family Portrait』の制作を通じて周囲の大人たちも感じていたのであろう。その後、69年には末っ子のキュービーが早々とグループを脱退。70年に何故かまたBuddahに出戻る形で発表された4枚目のアルバム『Step By Step By Step』からは、再びグループ名をファイヴ・ステアステップスに戻している。また、この70年には、全米ポップ・チャートで10位以内にランクされたグループにとって最大のヒットを記録したシングル“Ooh Child”が飛び出してもいる。この頃から、子供から大人へと脱皮してゆく過程で長男のクラレンスJr.を中心に着実に音楽的な面でも成長を遂げていたファイヴ・ステアステップスは、徐々に歌って踊れるキッズ・コーラス・グループから、自ら楽器を演奏しながら歌う本格的なヴォーカル・インストゥルメンタル・グループへの変貌を目指してゆくようになる。時代は、R&Bの60年代からファンクの70年代へと移り変わりつつあったのだ。このファイヴ・ステアステップスのファンク路線への軌道修正には、Motownからデビューし全米規模のスーパー・スターとなっていた兄弟コーラス・グループ、ジャクソン5との明確な差異化を計ることを画策していた部分もやはりあったのであろう。しかし、ファンキーな時代の流れに乗ろうとするこの路線変更に際して、クラレンスJr.たちは少しばかり焦りを感じ躍起になりすぎてしまっていたのかも知れない。突然、長女のアローイが結婚を理由にグループを離れ、音楽の世界からスッパリと引退をしてしまったのだ。そうした様々な事態が重なり、グループは次第にまとまりを欠いてゆくようになっていった。そして、72年にファイヴ・ステアステップスは正式に解散を宣言する。それ以降は、ジェイムスとデニスは音楽業界から身を引き、長男のクラレンスJr.と四男のケネス(ケニー)の2人のみが業界に残ってセッション・ミュージシャンとして地味に活動を続けてゆくことになる。
 しかしながら、75年にクラレンスJr.とケニーは、業界から引退していたジェイムスとデニスに声をかけて誘い出し、奇跡的に兄弟グループを復活させることに成功する。4人組のコーラス・グループ、ステアステップスとして、ビートルズのジョージ・ハリソンがA&M傘下に設立したDark Horseよりビリー・プレストンをプロデューサーに迎えたアルバム『2nd Resurrection』(75年)を発表したのだ。だが、このステアステップスが表立った活動をしたのは、この1作のみであった。兄弟たちはまたしてもグループを解散し、地味な音楽活動へと戻ってゆくことになる。そんな中にあって、四男のケニーだけはその特別な音楽的才能を認められ、77年にDark Horseよりケニー・バークとしてのアルバム『Keni Burke』を発表し、ジャズ・ファンク系のミュージシャンとしてソロ・デビューを果たしたのだった。そして、さらにまた時を経て79年に4人の兄弟は懲りずに再び集結をし、2度目の奇跡の復活劇を秘密裏に遂行したのである。ファンキーなブギー・スタイルのディスコ・バンド、インヴィジブル・マンズ・バンドの名を名乗り、79年にMango/Islandよりシングル“All Night Thing”を発表。これを全米のダンスフロアで大ヒットさせたのだ。かつて長男のクラレンスJr.が夢見たファイヴ・ステアステップスのファンキーなヴォーカル・インストゥルメンタル・グループ化の野望は、10年近い紆余曲折の月日を経て遂にここに達成されたのである。インヴィジブル・マンズ・バンドは、Mango/Islandからの『The Invisible Man's Band』(80年)とBoardwalkからの『Really Wanna See You』(81年)という2枚のファンク〜ディスコ・サウンドの好アルバムを残し、あえなく解散。その後、82年にケニー・バークはRCAよりメロウなジャズ・ファンク・スタイルの世紀の名曲“Risin' To The Top”を発表している。
 60年代半ばに年端もゆかぬ10代後半にして華々しくスタートをきったバーク家の姉弟たちの音楽人生。幼くして名声を手にした子役スターが、得てして大成をしないように、ファイヴ・ステアステップスもある時点から伸び悩み、苦難に満ちた道を歩むようになっていった。しかし、彼らは何度打ち砕かれようとも再び立ち上がり復活を果たし続けた。そんな意地でも業界に食らいつき地べたを這いつくばってでも前進をしてゆくような音楽活動から“All Night Thing”や“Risin' To The Top”といった大ヒット曲が生まれ、遂には大輪の花が咲いたのである。こうした姿勢というのは、どこか育ちの良さが滲みだしていた『Our Family Portrait』の頃の彼らから考えると、チョット思いもよらぬものでもある。世間に揉まれ苦難に直面するたびに、彼らは強く逞しくなっていったのであろう。そして、障壁をよじ登り続け、その険しい旅路の果てに頂点にまで登りつめたのである。

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